はてなキーワード: シスコンとは
自分の話をする。
地方都市(東京からそこまで離れてもいないけれど、関東圏ではない、まあだいたい長野とはそんなに変わらないくらいの地方)の、昔からその場所に住んでいる家に育った。
家柄自体は代々続く、という類ではないし、何か大きな商売をしてるわけでもない。自分にわかるのも高祖父の代まで。当然家系図なんてないけれど、集落では屋号を伝えれば一発で「ああ、あそこの家の」と伝わる程度の家。これくらいは、田舎にはよくある家だと思う。
子供(自分たちのこと)は全員とっくに成人していて、それぞれ家を出て自活している。結婚はしてたりしてなかったりする。
幼い頃から、道を歩けば「おばあちゃんは元気か」「いたずらをするなよ」と声をかけられる。もちろんそれがどこの誰かなんてわからない。でも祖母のことを知っている。親のことを知っている。当たり前みたいに「あの家の子供」だと知っている。同級生の親でもなければ、向かいや隣の家の人でなくてもだ。なんなら、集落の外に行っても「あんたあの屋号の子だってね」と声をかけられる。
自分はめちゃくちゃに愛想と外面が良くて(長子ではないから、その分、家の中でははみ出しっ子だったが)、だから特にそれを苦とも思わず、むしろ処世術として、にこにこ返事をしていたし、元気よく挨拶もした。
でも長子は違う。出来がよくて、容姿がよくて、田舎が嫌いで、上昇志向が高くて、「あの家の子供」なのが、それをみんなが知っているのが、とても嫌なようだった。だから挨拶をされても返さない。話しかけられても会釈を返すくらい。自分のように、知らない老人に頭を撫でられたりはしない。
「挨拶もしない」「暗い」「いつまでも結婚もせずに」しまいには「ろくなもんじゃない」。
正確には長子は結婚しているし、子供達の中で1番の収入を得て、いくつかの難関資格をとり、職場でも地位がある。だけどそれを(特に結婚のことを)地元ではごく一部の友人にしか話していないし、ただの同級生くらいの相手には伝わらないよう口止めをしている。自分たち家族も、どの話も言い回ることじゃないから言わない。知られたら今度は「いつまでも孫の顔も見せないで」「地元に帰らず孝行もしないで」に変わることがわかりきっているからだ(親もそういうことは言われるのが面倒らしい)。
ろくなもんじゃなさでいえば、実際は自分の方が「ろくなもんじゃない」。頭が悪くて高卒で、容姿も悪くて、要領が悪くて、でもやっぱり田舎が嫌いで、どうにか家から出た(だからワープアまっしぐらだけど東京にしがみついてる)。
「ろくなもんじゃない」、これを言ってくるのが田舎だ。長子と比べてあんたはにこにこしていいね、あの子はろくなもんじゃないだろ。何度言われたかわからない。口さがないどころじゃない。
そりゃあ、多少なりとも長子に対してコンプレックスはあるものの、でも嫌いどころか尊敬していて、ブラコンとかシスコンとか、そういう類に入る自分に。幼い頃からだ。むしろ幼い頃の方が全員地元にいるのだから、自分と長子を比較して、ただ自分が大人にとって「絵に描いたよう」に元気な子供だったというだけで、まるで長子がさも出来が悪いかのように、小さな子供だった自分に言ってくる大人の多いこと。
それでもにこにこして、否定はせずとも肯定もせず、褒めてくれてありがとう、と返し、心の中で悪態をついた。長子が好きだから、悪く言われてムカつかないわけがない。でも「ろくなもんじゃない」と陰口を叩かれるのもごめんだ。田舎で生きるには、愛想を振り撒くのが一番楽だとわかっていた。
長野の立てこもり、「容疑者は精神疾患があって、だから悪口を言われていると被害妄想をつのらせ、凶行に及んだ」という「だけ」の流れになりそうで、それがある種の分断の姿の一つだなあと感じている。
精神疾患はあるかもしれない。それは否定しない。擁護をしたいわけでもない。当たり前だ、何人殺したんだよ。
でも「悪口(陰口)なんて「誰も」言ってない」は田舎、代々続く家、長男、農業、親は(色んな意味で)地域に顔が知られていて有能(ということになっている)これだけの条件が揃っていれば、陰口はほぼ100%の確率でいわれている。被害者の方が言った、ということではない。
しかも田舎は、ドロップアウトしたらもうそれだけで「一生落伍者」だ。高校なんていくらだって中退者がいるくせに、大学のそれや、社会に出てからの精神的な部分でのつまずきを許さない。
そもそも、精神的なつまずきに対して「恥ずかしい」が優先される。地域というよりは、「古くからの人間だらけの集落」だろうな。新興住宅地だとかだと、そうじゃないだろうけど。
容疑者の親がしたことを、「どうにか社会で一人でも生きられるようにししようとしたんじゃないか」というとても優しい、そうだったらどんなにいいかという目線で見る向きもあるが、必ずしもそうではない。
「まともじゃないことは、ろくなもんじゃないことは恥ずかしい。どうにかまともにしなきゃ、自分たちも恥ずかしいと思われる」。この考えが浮かばなかったとは、「田舎育ち」の自分には思えない。
閉鎖的で、陰湿なところが、人付き合いが濃密だからこそあって、そういう可能性を否定することが難しいという実感が、「田舎育ち」だからこそある。
顔もよくわかんない、名前もわかんない、関係性もいまいちよくわかんない親戚、隣の家、だいぶ離れたところの家、道ですれ違う老人、なぜか誰もが自分のことを「あの家の」と認識していて、それで人付き合いが苦手というだけで「挨拶もしない」「暗い」「いつまでも結婚もせずに」「ろくなもんじゃない」。
それが「田舎」だ。
下手したら、親(というよりも一番その手のことを言ってくるのは親より上の世代の親族、分家筋)すらもそれを口にする。なんでお前は。親は立派なのに。ろくなもんじゃない。
ネットにあるコメントや、テレビで流れるコメントに驚く。精神疾患「のようなところがある」と見るや、「ならばそれのみ」が原因だとばかりに見える(もちろんそうじゃない意見だってあるけど、そちらの方が多数派に見えた)。
見えてる世界が本当に違った。
https://anond.hatelabo.jp/20201105223148 の増田を書いた者だけど。
今後は評判が良ければ読むと言った通り、新章が出るたびにツイッターを検索していたんだが、おおむね不評。
肯定意見も「20章を忘れれば悪くはない」程度で、じゃあわざわざ読むまでもないかとスルーしてきた。
そうなるとモチベ自体も落ちて、イベストも「メインみたいなゴミではないけど、冷静に考えると毒にも薬にもならない話ばっかだよな」となってイベントに参加しなくなったし、毎日劇場は面白ければ5chでスレが立つし、ログイン自体ほぼせずに、キズナエピが追加されたら開く程度。
もちろん課金などするわけもない。
ただ25章の「ラブリー・ハルカ!」は好評だったので読んだら、確かに面白かった。
鬼頭明里さんもよく話題にしてるし、離れた人もここだけは読むべき。
その後の三年生の和解もついでに読んだけど、μ'sみたいにファンと一緒に盛り上がるのも、A-RISEみたいに高度なパフォーマンスでファンを魅了するのもそれぞれのやり方だろうに、前者が正しく後者は間違いみたいに書かれてて「?」となった。まあ前後を読んでないから、何か読み違えてるのかもしれん。
栞子回の27章も割とマシという評価だったし、栞子は好きなので一応読んだ。
うーん……普通。
近江姉妹は相変わらず可愛いので、そこだけ読むのでも良かったかも。
というか栞子がランジュの悪行に抵抗しないのって、20章の頃は「学園側の強大な権力に逆らえないのでは?」とか色々言われてたけど、単に言っても無駄と思ったからってだけかよ。それで友達の苦境を見捨てるってクズじゃん。
ぶっちゃけ「栞子が本気で抵抗したら、そこで話が終わってしまう」というシナリオ上の都合でしかないし、そのために栞子がクズキャラにされたよね。やっぱり2ndシーズンのしお子はいなかった。あの子は歩夢に片想いしたりかすみんに騙されてればええんや。
そして最新の28章で、ランジュが実質加入して一区切りとなったようだけれども。
うわ怖い。読まんとこ。
なので話の内容には何も言えないんだが、問題は今後のライブでランジュが出てきたときどうするかだよ。
20章のことも忘れたいので、「よく知らんキャラ」になってしまった。
声優さんは熱心なラブライブファンで好感が持てるので、ライブでは法元さんに向けてサイリウムを振ればいいのかもしれん。ご本人は不本意だろうけど……。
あとミアはねー。評判は悪くないし、唯一まともとか言われてるから、普通に読めば好きになるかもしれないんだけど。
ミア一人のために地雷原に突っ込むのも嫌だし、こちらも声優さんはいい人だから、それを推すしかないかも。
アニメ2期で魅力的に描かれれば有り難いんだけど、それより既存キャラに尺を割いてほしい気持ちもあるな。
そもそもスパスタが面白かったら、こんな状態の虹ヶ咲には興味自体が薄くなっていくかもしれない。
この増田では、鉄オタじゃない人がまんがタイムきらら連載の4コマ漫画「初恋*れ~るとりっぷ」をネットの反応を予想しました。
「天使すぎる」
「生きがい」
「鉄オタの美少女化」
マタドガス どくガスポケモン
たいないに ふくまれる どくガスを ぎりぎりまで うすめると さいこうきゅうの こうすいができる。
「鉄オタの気持ち悪さをぎりぎりまで薄めると天使みたいな美少女が出来上がることを証明した漫画」
「鉄オタやっているアリス」
「その格好で教師は無理だろ」
「テニプリやスラムダンクとコラボしたら大変なことになりそう」「おっさんが多人数で一人の幼女を囲ってたら警察沙汰だろ」
「そらちゃんが憧れるお姉さんのはずなのに、そらちゃんと同い年にしか見えない」
「とわちゃんのほうがよっぽどお姉さんしてるだろ」「いやあれはママだろ」
「幼いそらちゃんやみかげちゃんの面倒見てるまひろ先生にバブみを感じる」
「素直になれないシスコン」
「小さいエリーチカ」
「しっかりしてるように見えてちょっと抜けてるの、きんモザのあややみたい」
「美味しく食べる君が好き」
「ゆるキャンの各務原なでしこと犬山あおいを足して2で割ったような人」
「何らかの形で幸せになってほしい」
「鉄オタの擬人化」
「鉄オタ版しまりん」
「なでしこにあっさり落とされて部活に入るしまりんのような展開」
「語尾がかわいい」
「きららで最も脹相構文が似合う女」
「許嫁を名乗る不審者」
「プリシオンちゃんに許嫁と言われるそらちゃん、脹相にいきなりお兄ちゃんだと言われて困惑する虎杖みたいで笑える」
「どいて!!!私は許嫁なの!!!」
「全力で許嫁を遂行するの!!」
「オタサーの姫」
「鉄道部に入ったのに鉄道沼に嵌らないの、普通の女の子みたいで好き」
「話が進むうちに部員二人に好意持たれているのなんかヤバくね?」
「まひろ先生のために頑張る健気な女の子だったのに、本人が気づかないうちにサークラみたいになりかけててヤバい」
「美少女化した鉄オタの中に普通の女の子をぶっこんで百合展開するの斬新すぎる」
「一体いつから――美少女化した鉄オタが鉄道趣味をやるだけの漫画だと錯覚していた?」
「主人公が美少女の皮を被った鉄オタになる漫画かと思ったら、オタサーの姫になる漫画だった。」
「もしも、そらちゃんがさくらちゃんでまひろ先生が雪兔さんなら、小狼くんは誰になるんだろう?」
こちらへの投稿は初めてで、また自分は作文が得意ではなく、ただの(夢女子の)戯言といえばそうかもしれない。でも「王様の耳はロバの耳」の如く、吐き出して心を整理しなければ心が死んでしまうところだったので許してほしい。
自分はとある刀剣のゲームが好きなアラサーである。ゲームそのものは元々ブラウザのものであるが、自分のゲーム歴はスマホ版が出てしばらくしてから始めたので4年半くらいだろうか。始めたきっかけは同じ県出身で好きなイラストレーターがキャラクターデザインをしていたことだった。ただし当時は期間限定登場キャラクターだったため、始めた頃にはそのイベントは終了していて、それを知って崩れ落ちたのだが。
さて今年はゲーム開始6周年、そのゲームの存在は6年前の当時はちらっと知っていた程度ではあった。でもどうしても擬人化というのに対しては色物だからと苦手意識があった。テレビで刀の展示が特集されて「会いに来たよ〜」とか言って映っている女子も苦手だった。だがこの辺りは同族嫌悪なのかもしれない。自分も元々漫画などが好きなオタクで、マスコットやキーホルダーなど好きなものを鞄や携帯にジャラジャラ付けたい収集癖のあるオタクではあったのだが、人型イラストのないイメージグッズならともかく、ひと目でわかるキャラクターが描かれたグッズには抵抗があった。
そんな折、まだゲームも始めていない頃、地元の本屋で刀の雑誌を見かけた。キャラクターが全面に押し出されたものではなく、有名な刀剣を扱った図鑑だった。今引っ張り出したらゲーム実装刀の名前が表紙にズラっと書いてあるし、発行年月日も2015年6月とあったからゲーム開始直後に出た本といえばそうなんでしょう、審神者(ゲームプレーヤーの総称)を狙ったといえばそうかもしれない。その本で、運命の出会いがあった。
でもピンナップとして取り上げられるくらい、綺麗な刀だった。
自分の生まれ月が名前に入る、名の響きも姿も、美しい刀だった。
また刀工も同じ県だというのもあって、気にならないわけがなかった。
1番美しいと評判なのは別の刀だけど、刀に興味を持つきっかけになったのは間違いなくこの刀だった。
自分は、趣味の合う友人達とTwitterのグループDMでひたすらに騒いでいた。キャラクターのデザインもまぁ悪くは無いなと思っていた。ひたすらやかましかったので申し訳なかったとは思う。
でも後にキャラクター紹介の文面を見てびっくりした。別の方がはてなブログに書いてらしたように「なぜそんな内容をピックアップした!?」とは思った。自分がリアルにそのお刀と対面できたのは1、2年ほど前のたった1回、現在収蔵の美術館がある県の外に住んでいる関係もあって自分はろくに美術館周回もできてないので、その投稿者の方ほど熱狂的かというとそうでもないかもしれない。でも同じ美術館にある別の刀との回想など楽しみにしていたのもあって、実装後すぐには無かったので残念ではあった。そのあたり今後あったらええなとは思っている。
さてそのお刀であるが、つい先日、ミュージカル出演というのが明らかになった。ゲームで最近登場した、同じ刀工で別のお刀の姿もお披露目された。
周りがキャーキャー騒ぐ中、自分はというと……本当は、来ないでほしかった。
このようなゲーム発のミュージカルや舞台はいわゆる2.5次元と言われ、最近ではTVにも出てくるようになって発展が目覚ましいといえる。こうしたものから名前が知られてテレビ番組にも出てくる俳優の方も増えつつあると思う。間違いなく見目も整ってるし、こうした俳優さんの活躍は嬉しい。
ミュージカルの方は先日5周年を迎え、記念のミュージカルが上演された。このコロナ禍の中、運営側も感染対策をしっかりして、またライブビューイングや配信など、ファンに向けたサービスをよくやってくださった。ただ残念なことに現地では、今回はいつもある客降りがなく、また来場者も声出しができずにペンライトを振ったり拍手のみだった。きっと皆さんもっと騒ぎたかったことだろう、愛を叫びたかったことだろう。
━━ただ申し訳ないのだが、おかげで自分は今回、安心して配信を視聴できたのである。
書き方が悪く、性格悪いなという自覚はあるが、自分は客降りでのファンサービスやファンの歓声が苦手だ。観劇の上で、自分以外の存在があるのが苦手なのかもしれない。ライブビューイングや映画における応援上映なども行けず楽しめない、強火な同担拒否勢なのである。まぁひょっとしたら騒ぐのや人の目があるのが苦手と言うだけかもしれない、でもアーティストのライブは平気だったりするので本当になんなんだ自分、メンヘラなのか。
……まぁ刀剣絡みではないのだが、リアルでは自分の推し(ただのシスコンなので申し訳ない)である妹が「実家に彼氏を連れていく」とか言っていたのもあるので、正直荒れている。自分に浮いた話もない癖に年齢が年齢だけあって焦っているのかもしれない。ただ自分は、信頼していた既婚者大学OBと一緒に出かけたタイミングで突然キスされたのが原因で人間不信と男性恐怖症になったので、もう普通の恋愛はできないとは思っている。ごめんね、家族。ほんまはちゃんと自分の子に自分の愛すべきお刀を代々伝えてってほしいと思っていたが、結婚もできなさそうでまして子供なんてと思うので、自分が死んだら妹の家に相続してもらうとしようか。多分あっちの家の方が家柄もしっかりするだろうし、美術系好きな血筋ではあるから、しっかり守ってくれるさ。とりあえず自分が今後障害になりそうだったら、姿消すなりして迷惑かけないようにしようと思う。ま、生きてる限りはしっかり守り刀してもらうつもりですが。
もう行け、僕は少し泣く。
……話が逸れてしまった。救いといえば、どの作品でも「とある本丸」と明記していてくれることだろうか。よそはよそ、うちはうち。ましてただのゲームといえばそうなのだ、ただのフィクションなのだ。ならば自分の役目は、フィクションはフィクションなりに、その物語ごと愛すことだろうか。自分は周りと同じように楽しめないかもしれないけれど、今後ますますの発展、お祈りいたします。
通勤中イヤホンでランダム再生で近侍曲を聴いていることも多いのだが、同じ美術館所蔵の短刀の曲が流れると、やっぱりあの刀を思い出す。
長文乱文失礼しました。
10年ほど遊戯王のかなりマイナーな分野を探求してきた者です。元々はアニメ2作目の最終盤をみて、そのなかのCMであった遊戯王オンラインにハマったのがすべてのきっかけでしたね。そこからシンクロモンスターをテーマにした5D'sとZexalと来て、たどり着いたのがかの有名なArc-Vです。記憶を掘り出しているのでかなり偏りがありますが、思い出補正込みで書いていきます。
さて、この作品は賛否両論どころか、おそらく日本の糞アニメ史上の末席を汚すような作品です。遊戯王OCGという列車を運ぶ車輪の一部でありながら、その実態はとうもろこしのようにグズグズな有様です。ですがそこらのアニメ作品とは一線を画すのは、その尺の長さに加えて「主人公以外が素晴らしい」という点でしょう。脚本全体が酷いのですが、なぜか主人公に関連しないところばかりに光るものがあります。にもかかわらず、その逸材達がことごとく主人公にとっては噛ませ犬であったりするため、酷評に至っていると思われます。そのアンバランスさが、同時期に放映されていた鉄血との相乗効果も相まって、実に刺激的です。
主人公の榊遊矢(以下、遊矢)はデュエリストとしてはとても平凡な少年。彼は行方不明になった一流デュエリストの父親の言葉を受け継ぎ「エンタメデュエル」なるものを心情としている。ある日、彼は謎の力「ペンデュラム召喚」を身につける。それはその世界の誰も知らない召喚方法で、未知のカードで構成されていた。彼はその力と仲間と共に4つの世界を渡る旅に出る。
このアニメでは、過去作品のリメイクカードや召喚方法、スターシステムを採用しています。正直これでコケること自体が難しいのですが、それでもコケました。
この作品の最大の売りにして最大の失敗は、遊戯王OCGで採用されたペンデュラム召喚そのものだと思います。遊戯王ではアニメの新シリーズが出るたびに新しい召喚方法が登場しますが、中でもこのペンデュラム召喚は曲者です。
簡単に言えば「どんどんモンスターを手札やエクストラから出す」というものです。制約はありますが、後半は主人公補正でほぼ無双状態。
ただでさえ何をしているのかさっぱりわからない遊戯王で、このペンデュラムは本気でよくわからない。モンスターが魔法カードになるとかエクストラから出てくるとか、OCGをちゃんと理解していないと多分無理でしょう。それにカードの絵柄がごちゃごちゃしているので本気で見ずらい。視聴者の中には、最後までペンデュラムが何なのかわからない人もいることでしょう。まあそれは過去作品も似ていますが。
最終的に他の召喚方法と比較してペンデュラムを持ち上げようとした結果、単なる無双状態を引き起こしたあげく、他の召喚方法ででかいモンスターだすだけのよくわからない戦い方となってます。別に面白いとは思えませんが。
この作品の価値低下を最大限補助しているのが、よりにもよって主人公とは。声優の演技力が低いとかではありません。むしろちゃんとしているから困るんです。
主人公の遊矢は「エンタメデュエリスト」を自称しています。彼いわく、「デュエルで笑顔に」が心情です。この言葉、100回は聞きます。そして一度たりとも実行されたことはありません。
遊矢のいうエンタメデュエルとは、どうやら華やかな演出による楽しいデュエルらしいのです。全員ボコボコにするだけですけどね。
前述のペンデュラム召喚は遊矢が得意とする戦法ですが、これはモンスターの大量召喚を可能します。そこから各種の強力なモンスターへと繋げるのが遊矢のスタイルなのですが、別に笑顔にする要素なんてありません。視聴者にとってのみ新カードのお披露目があって嬉しいとは思います。しかし対戦相手からすると大量のモンスターがでてきて、さらに極悪なモンスターで壊滅させられるという経験をするのみ。エンタメを自称するためか遊矢は「レディース&ジェントルメン」と声高に叫んでから、えげつない展開をするのですが、視聴者にとっては「これから対戦相手をフルボッコにします」としか聞こえません。
例えば、敵役として登場した融合次元のエド(GXの人気キャラ)に対しても似たようなことを叫びながらフルボッコにして、なぜか負けたエドは遊矢のデュエルに楽しさを覚えた様子で改心してしまいます。視聴者からしてみればこのデュエルのどこに感銘を受けるのか、皆目検討がつきません。素晴らしい展開とか考えつくされた伏線とか、驚きの勝利方法とか。そんなのではなく「力こそパワー」で殴ってくるだけの遊矢に共感する人っていたんでしょうか?
あと、度々登場する父親との思い出の「スマイル」(?記憶おぼろげ)というカード。実際なんの意味もないカードです。使う場面も限られるし、使っても意味がないことが殆ど。でも遊矢はたまに使いますし、スマイルが切り札のような雰囲気を出します。でもなんの価値もないカードなんです。演出目的としても不自然すぎて気持ち悪い。
この作品では実態を持つフィールドを生成して行われるアクションデュエルが多用されます。まあそれがどうでもいい。ようは街なかに溶岩が出現したりするんですが、別にそれがなにかおもしろいわけではない。確かに空中を移動したりする要素はあっても、面白いとはいえない。作品の骨子の一つであるのに、その要素が殆ど生かされていない。5D'sのライディングデュエルとは正反対なんです。その中でも特に不評なのはアクションカード。
アクションカードはフィールド上に無作為に落ちているカードで、拾った人が誰でも使用可能。大抵はダメージ軽減の「回避」です。そしてそれを最も多用するのが主人公の遊矢。
遊矢の切り札はほぼこの回避です。ただ落ちているカードを拾うだけ。それまでの主人公にあった、あっと驚く回避方法はありません。
「ちゅどーん」
こればっかり。面白さを心情とする主人公が、劣勢では常にワンパターン。なにこれ?ちなみにこのシーンは本当に飽きるほど出てきます。というか遊矢のデュエルでこれがない回はあまりありません。ようは勝ち筋がなく、その場しのぎでしかないデッキと脚本なんです。
恐ろしいことに主人公が直接絡まないデュエルはめちゃくちゃ面白い。そのデュエルを盛り上げる登場人物も個性豊かで際立っています。
主人公が何考えているのかわかりませんが、それ以外はちゃんと自分のスタイルが存在します。黒崎は復讐と妹のため。社長は世界を救うため。権現坂は仲間のため。ジャックは王者であるため。
例えばジャック・アトラス。5D'sでは主人公のライバルであり天然な面もありますが、今作では一貫して王者です。主人公の遊矢が「自称エンタメデュエリスト」であるのに対し、彼のデュエルは本気で面白い。「キングのデュエルはエンターテインメントでなければならない」という台詞がありますが、全くぶれない。遊矢と似て圧倒的な力で対戦相手をねじ伏せるスタイルであるにも関わらず、付け焼き刃ではないきちんとした王道を行きます。デッキ自体が自分の象徴であるレッドデーモンズを中心に組まれており、それを展開しつつ防御や攻撃を丁寧に処理していきます。大げさな演出も含め、ちゃんとデュエルできる数少ない逸材です。
ジャックVSセルゲイとかいいですよね。ジャックの堂々としたデュエルと、セルゲイの偏執的なまでの美学がぶつかります。自分が一番、自分が勝ちたい、絶対に負けない。そういう自我がはっきりした同士がきちんとデュエルして勝敗を喫するという、ひどく一般的な構図が、この作品には殆どありません。それが叶う場面が時々あるから評価が難しいんです。
まあ基本的にその全てが遊矢にとっての噛ませ犬でしかないので、最高の材料を使って泥団子を食べている雰囲気を味わうのには最適です。
酷い脚本だって短い期間なら許せるものです。でもこのアニメは3年間続きました。アホみたいな脚本に3年間です。それに付き合った自分はもっと馬鹿ですね。
最初の2クールで異世界に行く人員を選別する予選みたいなものが行われますが、これがムダに長い。こんな2クールかける意義が全然わからないほど内容が薄っぺら。そしてシンクロ次元編が異様に長い。まあこれは監督やスタッフが元々5D's作っていた関係なんですが、それにしても長い。おかげで融合やエクシーズが薄い薄い。融合次元が敵の総本山なのに、結局尺が足りないのか飛び飛びな印象でしかないんです。
最終的に遊矢は世界の敵として君臨します。ペンデュラム自体が忌むべき存在だったというオチですが、アニメの質も同時に呪われていました。
ただ、主人公が悪になってしまう経緯ってもっとキチンとしてほしいんですが、当然この作品にそれを望むことはできませんでした。各種の伏線はあるものの、遊矢の戦いが世界を救うための行いという側面があってこその悪堕ちなわけです。はっきりいえば遊矢は声のでかいだけのモブ。それが悪堕ちしても虚無感しかありません。
主人公としての信念は他人の言葉をただ繰り返すだけ。中身が本当にないんです。しかもそれを劇中のジャック・アトラスから「誰かからの借り物の言葉でデュエルをするな」と言われている。いや本当に視聴者が思っていることをずばっといってくれるキングです。素晴らしい。そう、作品自体が遊矢を主人公と認めていないんです。にもかかわらず遊矢は一切成長することなくそのまま悪堕ちします。成長した末にではありません。なんとなくです。
本当に何がしたい作品なのか見当がつきません。
まあ他にも、顔がそっくりではないそっくりキャラとか、悪役としては随分小物なハゲオヤジとか、同時期放映の鉄血でも散々な社長役だった細谷さんとか。ツッコミどころ満載ですが、そこそこ面白い作品ですよ。Arc-V。