はてなキーワード: 承知とは
当然でしょう。
慰安婦をさんざん食い物にしてきた。
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在日朝鮮人「慰安婦」サバイバー・宋神道さんの裁判過程をまとめたドキュメンタリー『オレの心は負けてない』を見て、ある学生がつぶやいた言葉です。日本軍「慰安婦」問題が日韓の外交課題として浮上した後で「慰安婦」問題を知った世代には、この問題が日韓の摩擦問題としてしか見えていないのだということを、気付かせてくれた言葉でした。サバイバーたちの四半世紀にわたる闘いが、「慰安婦」問題を外交課題にまで押し上げたのだという事実が、すっぽりと抜け落ちてしまっている。宋神道さんをはじめとする日本軍「慰安婦」サバイバーたちの闘いを目撃してきた者として、被害事実と共に、その闘いと、それが獲得したものについて、伝えていかなければならない責任を感じています。
韓国の日本軍「慰安婦」サバイバー・金福童さんは、日韓合意の最大の問題点は「歴史を売ったことだ」と言いました。「慰安婦問題は歴史なんだ。歴史はお金で売ってはいけないものなんだよ」と。
戦時性暴力の被害者が名乗り出て、加害国の責任を問うて国際世論に訴えるという、人類史上初の試みをおこなった女性たちは、二度と同じことが繰り返されない平和な世界をつくらなければならないと、自らの存在をかけて訴え続けました。その姿が、他の戦時性暴力被害者たちに勇気を与えたこと、世界の人権専門家たちの心を動かして重大人権侵害被害者の被害回復に関する国際基準を打ち立てる上で大きく貢献したこと、闘いの過程で自らが変わり周囲の人々を変えていったことも、私たちが記憶し、伝えていかなければならない歴史です。その歴史が見落とされ、あるいは歪曲されたまま、「解決」や「和解」を唱えても、「解決」と「和解」を手に入れることはできません。
日本軍「慰安婦」問題は私たちに多くのことを気付かせ、学ばせてくれた問題でした。その気づきや学びを、さらに多くの人々、多くの若者に伝えていくことで、「慰安婦」問題は「終わらせる」べき問題ではなく、平和な未来を拓く礎となる問題であることを伝えたいと思います。
日本軍「慰安婦」問題解決全国行動共同代表 1990年から日本軍「慰安婦」問題に関わる。1993年提訴の在日朝鮮人「慰安婦」被害者宋神道さんの裁判支援をおこない、2007年にドキュメンタリー映画『オレの心は負けてない』製作。現在、韓国ソウル「戦争と女性の人権博物館(WHR)日本後援会」代表、「YOSHIMI裁判いっしょにアクション」共同代表。通訳・翻訳、語学講師。 "
じっくり実らせよう、一粒の種 旧日本兵によれば、司令部や大隊本部の側には慰安所を設置した。本部を守る配置の200名規模の各中隊には慰安所の「慰安婦」が巡回した。最前線の小隊には慰安所も「慰安婦」の巡回もない。それで、女性を拉致し順繰りに犯し、「合意」と見せかけるため金を握らせた。真摯な反省も再発防止策も示さず日本政府が締結した「日韓合意」は70年以上前、最前線の兵士が編み出した犯罪隠蔽のため金を被害者に握らせた手法と同質だ。
日本政府は「日韓合意」の一条件とした平和の少女像の撤去にこだわる。韓国の若者は厳寒のソウルの日本大使館前にテントを張り、夜中も少女像を守った。釜山の総領事館近くの少女像は若者が資金を集めて設置した。日本の若い世代が韓国の同世代と交流し確固とした非侵略・平和を築く、そんな一粒の種になることを応援したい。
ノンフィクション作家。在日の慰安婦裁判を支える会、戦争と女性の人権博物館日本委員会所属、日本の戦争責任資料センター共同代表。沖縄に残された裴奉奇さんの半生を記録した『赤瓦の家――朝鮮から来た従軍慰安婦』(1987年)をはじめ、在日、日本、インドネシア、中国など日本軍「慰安婦」・性暴力を受けた当事者の人生を記録。
私たちの社会が「希望」という言葉を見失ってどのくらい経つのだろうか。希望の喪失度(という言い方があるとすれば)は、安倍内閣になってから急速に進んでいる。私たちは絶望感と閉塞感に苛まされてきた。そこへ「希望のたね基金」である。私はすっかり忘れていた言葉に再会して、ひそかに心躍らせている。この基金が、若者たちをターゲットにしていることが、とりわけ嬉しい。日本軍「慰安婦」とはなんであったのか、なんであるのかを若者たちが理解するときが来ることで、日本と韓国の関係は大きく変わるだろうし、それは必ずや日本の若者たちに生きるに値する未来をもたらすのではないかと、期待が膨らむ。自分の国の歴史を学んでこなかった日本人にとっては、若者だけでなく、新しい時代に生きる手がかりになるはずだ。
弁護士 2017年5月1日現在 1975年弁護士登録。以後、東京弁護士会及び日本弁護士連合会の両性の平等委員会の委員を、2001年4月よりはNPO法人「女性の安全と健康のための支援教育センター」の代表理事をそれぞれ務めている。2004年4月より2013年3月まで、明治大学法科大学院教授。第2東京弁護士会所属。主な著書に「性と法律」2013年岩波新書など。 "
国境を越えて人と人とが直接出会い、直接交流することは、国際関係で最も楽しく、最も核心的な要素だと思います。友達が一人でもできれば、自然に相手国や相手地域に対する関心が生まれてきます。日本で韓国の大衆文化が根付き始めたている現在、関心を持ち始めた若い方々に、一人でも多く朝鮮半島の友達と出会う機会が提供できればという願いを込めて、希望のたね基金の事業におおいに期待しています。
立命館大学文学部教授 / 強制動員真相究明ネットワーク共同代表 専攻は朝鮮近現代史、日韓関係史。主要論著に、「朝鮮における総動員体制の構造」『岩波講座東アジア近現代通史 第6巻』岩波書店、2011年1月(共著)、庵逧由香「植民地期朝鮮史像をめぐって-韓国の新しい研究動向-」『歴史学研究』No.868、2010年7月、などがある。
91年に金学順さんが声をあげたとき、私は大学生だった。当事者が声をあげた以上、解決しないわけにいかない、すぐにきっと解決できるはず。そう楽観的に信じていた四半世紀前の私に言ってあげたい。「甘すぎるよ」と。「慰安婦」問題は、この国のアキレス腱だ。国は力尽くで、この問題を忘れさせようとしてきた。「そうはさせない」と、急所に正面から切り込んでいった当事者と支援者の運動は、どれほど過酷だったことだろう。性暴力被害者が声をあげれば叩かれ、なかったことにされるのは、今も同じだ。だからこそ私は、この運動に関わりたいと思う。女性たちの無念を記憶するために。次世代に声と記憶をつないでいきたい。
作家 1996年、フェミニズムの視点で女性向けセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」を立ち上げる。フェミニズム、ジェンダーに関する著書多数。「アンアンのセックスできれいになれた?」(朝日新聞出版)「毒婦。」(朝日新聞出版)「奥様は愛国」(朴順梨との共著著、河出書房新社)「性と国家」(佐藤優との対談、河出書房新社)他。
「慰安婦」問題は昔起きたことだから自分とは無関係」「国家間の問題だし、日韓合意で解決済み」。そんな声をよく聞きます。日本のメディアやネットでは「慰安婦」問題否定論が溢れ、日本政府が歴史の否定や忘却を後押しさえしています。でも、「慰安婦」問題を真に解決し、二度と戦時性暴力の被害を起こさないためには、「慰安婦」問題の事実やサバイバーの声、そして支援運動の歴史について学び、記憶し、それを継承していくことこそが重要なはずです。「希望のたね基金」の取り組みを通じて日本の若者たちが学んだ成果は、私が住むアメリカなど、世界の若者にも影響を与えていくことでしょう。皆でこの基金を育てていきましょう。
モンタナ州立大学准教授 文化人類学・フェミニズム 日本の社会運動、特にフェミニズムや右派運動の調査を進める中で「慰安婦」問題にも取り組む。共著に『社会運動の戸惑い—フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』(共勁草書房)、『海を渡る「慰安婦」問題 右派の「歴史戦」を問う』(岩波書店)ほか。
セクハラにの定義を歪めて水着までセクハラにしたインチキババア。
理事 柴洋子(しばようこ)
1990年から「慰安婦」問題は過去のページに閉ざされた歴史の一つではなくなりました。さらに金学順さんが名乗り出たことを機に多くの被害女性が名乗り出、日本政府に対して謝罪と賠償を求めました。私たちは彼女たちの勇気に支えられて、それぞれ各国の裁判支援を始めました。私は縁があって台湾の被害女性たちと裁判を通して交流してきました。そして30年近くが過ぎ去った今、台湾の被害女性たちは亡くなり、現在お元気な阿媽は2人です。台湾では2016年にAMA Museumを開館し、阿媽たちの歩んできた道を記憶し、記録するようになりました。韓国は「慰安婦」問題解決運動の先駆者です。ハルモニたちの声は国境を越え、現代の紛争下で性暴力被害を受けた女性たちにも勇気を与えています。日本にいる私たちも各国の被害女性たちの声を記録し、若い世代に伝えていく努力が必要です。しかし、どうやって? そういうときに「希望のたね基金」の活動は、まさしく私たちの希望となるものだという確信に至りました。私自身は模索しながらの参加になりますが、希望の道へ連なることができることを嬉しく思っています。
1990年代から始まった日本軍「慰安婦」問題解決運動が30年目を迎えようとする今なお、被害者が望む解決はなされず、その間に多くの被害者が亡くなられました。日本政府は歴史の事実をなかったことにしたいという欲望を隠そうともせず、「日韓合意」で終わった問題と公言して憚りません。忘れさせようとする権力に対し、サバイバーの生き方に学び、記憶することは抵抗であり、未来への一歩です。誰一人その生を再び踏みにじられることのない、性暴力や人権侵害を許さない社会の実現を共にめざします。「希望のたね基金」の取り組みを通じて次世代へとバトンをつなげ、あるべき社会の未来像を形にする一助になりたいと願っています。
原因は尹美香
映画「主戦場」で日本の若者がみな「慰安婦」問題は知らない,と言っている事に衝撃を受けました。しかし1991年に初めて金学順さんが名乗り出てすでに30年近く経っていることを考えると当時生々しい感動を受けた世代も記憶が形骸化しています。ましてや直接被害事実を聞いた事のない世代はこの言葉を知っていても被害者の苦痛を自分の事として想像するのは大変です。「希望のたね」の活動が,こうした問題に正面から取り組んで下さっていることに敬意を表しつつ,これに参加できることを幸せな事と思っています。
日本軍「慰安婦」制度や日本の植民地支配・侵略戦争は、数え切れない人びとの人権と尊厳を踏みにじった国家犯罪です。これらに対する批判的認識を確立し、真に人権が尊重される社会をつくりだしていくことは今を生きる私たちの課題です。マスメディアやインターネット上では、日本軍「慰安婦」問題に対するデマや、朝鮮半島をはじめとしたアジア諸国に対する不正確な情報が溢れています。こうした中で、若い世代のなかには「何が本当のことかわからない」と感じる人も多いでしょう。キボタネを通じて、歴史の真実を学び、東アジアの人びとと交流を深めていくことは、大きな力となっていくはずです。ともに学ぶ仲間の輪を拡げていきましょう。
私は、戦時性暴力は、戦時という特殊な状況下で起きる特殊な態様のものだと以前は思っていた。しかし、戦時特有の事情もあるにせよ、本質においては、どうもこの社会で日常的に起きている性暴力と地続きのものであるということを、日本軍「慰安婦」だった女性達の言葉と、それに対して向けられる偏見と罵詈雑言に接して、感じるようになった。
逃げられない権力構造下で起きた凄絶な被害がどういうものだったのかを直視することは、この社会から性暴力を無くすために何が必要かという本質的な問いのために避けられないだろう。必死な性暴力告発の声を「あなたは合意していたのに今更何を言うのか」と押し潰す暴力性の背後にあるものはなんなのか見極め、それと闘いたい。これが、不勉強と微力を承知で理事就任の打診をお引き受けした理由である。
弁護士 明日の自由を守る若手弁護士の会(「あすわか」メンバー)。「怒れる女子会」呼びかけ人。取扱分野は離婚等の家事事件、一般民事事件等。性暴力
ズレた回答なのは承知で言うと、リアルで知り合っていてフォローし合ってる知人がTwitterでそうつぶやいたのなら見た(人が怒鳴ってる様を見ると、直接危害を加えられたわけでなくても辛いそうだ)
そいつはウヨ(革新的右派みたいな意味合い)を自認していて、左派やら守旧派の中高年やらを揶揄するツイートをちょくちょくするので、自分が軽侮した相手からどう思われるかは気にせんのやろかと感じたりする
多方面への無礼を承知で書くけど、増田と同年代(もしくはそれ以上)の人で結婚願望があるのに未婚の人って、余程異性との出会いがない環境にいない限りは何かしら結婚できない理由があると思うんだけど、そういう人の中から増田の願望を100%叶えてくれる人を見つけ出してかつ相手も増田の事を好きになってくれる確率って超低いと思うんだよね。
ただ素敵な恋愛がしたい!っていうのであればそれはもう頑張るしかないね。としか言えないんだけど、周りは皆結婚してるのに自分だけ結婚してないのは恥ずかしいから、とかそんな理由で結婚したいんだったらもう恋愛感情を捨てて一緒に生活してもそこまでストレスを感じない相手を探す、みたいな妥協点を探るとか、いっそ結婚は諦めて1人でも楽しいと思える趣味を探すとか、家を出たいなら資格の勉強をして良い会社に勤められるように努力するとか、別の道を探した方がいいんじゃないかな。
私の書き方が悪かったんだけど、別に年収で相手を下に見たりイライラしているわけではない。
ただ、もしも私が彼の立場だったら、自分の価値に対する正当な報酬が支払われていないことに対してイライラする。ということを書いている。
そしてそこに対する価値観が私と彼とで違うからマッチングしないなと思った。というそれだけの話。
別にこのマッチング相手のことを悪く思っているわけではないし、あなたみたいにポスドク続けて今年やっと就職した友人なんかもいるからそういう人もいるというのは重々承知している。ただ、結婚相手を探すうえでは私とマッチングしないというだけ。マッチングするか否かと、その人間の人間としての価値というものは全く関係がないので気にしないでほしい。
その教師、曰く
という理屈であった。
「おい!犬!」
「犬の子供!」
と呼ばれた。
しかし他の教員たちは、特にそれを止めたり咎めたりはしなかったと記憶している。
大人になった今は、こういった明らかな人権侵害に対して、沈黙せずに憤りを訴えて抗議するべきであることも分かるし、ネット上で広くアドバイスを求めるとか、弁護士に相談するとか、色々と行動する方法も思いつく。
近年は、大学教員や企業の採用試験担当者などからセクハラやパワハラを受けた被害者が、SNSで被害情報を公開したニュースなども見聞するが、
と思う。しかし今そう思っても、実際にネットやSNSがあっても自分は何も出来ずにいたかもしれないとも思う。
「警察官という仕事をしている以上、世間の人たちに嫌われるのは仕方が無い」
「こういったことは、無言で堪えることが正しい振る舞いなのだ」
と何となく思っていた。
殊勝な心掛けというよりも、学習性の無力感で諦めていたという部分も大きかったと思う。
「そんな話(=警察官とその家族に対する差別)、自分は聞いたことが無い」
「そんなひどい出来事が本当に起きていれば、報道されているはずだ。報道されていないのだから、そんなことがあるはずが無い」
「作り話をするな」
と言う人たちが少なからずいて、それに辟易して、いつしか、小学生時代の嫌な思い出を自分は話さなくなった。
2023年現在、大手芸能事務所のボスであったジャニー喜多川による性的加害行為の醜聞が、海外メディアの報道を契機として、漸く日本社会でも公然と報じられるようになった。
そのニュースを見て、ジャニー喜多川から被害を受けた人たちに対して、自分が受けた被害とは内容や深刻さが違うというのは重々承知してはいるけど、勝手に少しだけシンパシーを自分は感じている。
新聞やテレビは報道してくれなかったけれど、自分が教師に「犬」呼ばわりされていたのは、本当の話だ。でも、世間からは「有り得ない話」ということにされてしまったのだ。
自分が被害を受けているのに、世間の人たちが見て見ぬふりをして、彼らが被害者である自分を守ることも、加害者を批判することもしない姿を見ると、無力感を感じて
と、無理やり自分に言い聞かせる他にない心理状態になることを、自分は知っている。
ジャニー喜多川に被害を受けて、そのことを告発しても一般マスメディアから黙殺された人たちも、きっと同じ無力感を感じていたのではないだろうかと想像する。
抗議の声を上げることが可能な世の中であること、その声に対して黙殺ではなく援助が寄せられる世の中となることを、切に願う。
昨日2023/05/25、長野県で痛ましい事件が発生した。被害者の一人となって殉職した警察官の一人のご子息が、父親を尊敬していること、ご子息自身も警察官となったことを、テレビのインタビューで話しておられたのを見た。
痛ましく悲しい事件のニュースなのだけれど、警察官である父親を尊敬していると堂々と言える世の中になったことは、少しだけ世の中が進歩したのだと思う。
子供の頃の自分も、この人のように堂々と、世間に対して「警察官である父親を尊敬している」と言うべきだったと思う。そういった意味では、犬呼ばわりする教師に抗議せずに済ませ、沈黙した自分もまた、加害者に加担した一人なのだ。
その己の罪は、背負っていこうと思う。
あまり知られていないが、ダイソンのオリジナルはジェームス・ダイソンが設計して日本で発売された「G-FORCE」という掃除機(20万円)。これはダイソンの公式サイトにも書かれている、公認の事実だ。実は富裕層向けには百貨店外商などのチャネルを経由してそこそこ売れた。うちにもあった。
ただ、価格と尖がりすぎたデザイン(ぐぐれ)ゆえに既存の家電流通網にうまく乗らず、伸びしろがなかった。ダイソンはイギリスに自分の会社を作って、後継機となるDC-1を売り始めた。その後の躍進はご承知の通り。
G-FORCEがもう少し売れていれば、ダイソンシリーズが「世界に誇れる日本の白物家電」になる可能性もあったのだ。惜しいことをしたもんだ。
元空調機器の開発者です。たしかにメンテナンス考えてないケースは多い。だがその多くは安全上の理由である。
私は元増田のほんと日本の男って家電開発のセンスがないわに同意する点は多い。だが白物家電はジャンルによるが、開発チームの3割程度は女性だ。普通に会議でも女性の意見は求められるし、お客様の要望として上がってくる。メンテナンスフリーじゃないのが男性主体であるという推察は、まったく的外れであるとは指摘したい。
だがまぁ、事実としては。マジでメンテナンス関連の開発優先度は低い。
強いて言うなら、修理部門から「分解しにくい」「パーツが壊れる」などの報告が来たときに改良する程度。
電子レンジに濡れた猫を入れるなんてジョークのような話があるが、科学教養がなくセンスのない馬鹿は世の中には掃いて捨てるほどいて、開発者はどうすれば馬鹿でも安全に使えるかに心血を注ぐ結果、部品に触らせないようにする。
もう10年以上昔だが、某エアコンにおいてメンテナンスを重視するべくファンや熱交換器を交換型アタッチメント式にする企画があったが、一瞬で却下された。最大の理由は「電源をオンのまま交換を行うお客様がいた場合、重大事故につながる」というものだった。
それにお客様の住環境によっては、電源コンセントを抜きにくい配置であったり、物理的にスペースがなくてパーツを外しにくい場合があるだろう。
事故やクレームの可能性は吐きたくなるレベルで無限に存在する。いや開発時に考えすぎて吐いた同僚がいた。
エアコンが顕著だが、2007年の省エネ法など法的な規制が厳しくなっている。
だがいくら技術や素材が進歩したからといって、そう簡単に省エネにできるはずがない。じゃあどうすればいいか。デカくするのだ。
エアコンや冷蔵庫などは熱を交換するという性質上、巨大パーツを動かす事で省電力化に寄与する。小さいコップに注がれたお茶と、大きな鉢に入ったラーメンが同じ温度だとして、小さいコップの方が早く冷めるのと同じ理屈だ。実際に多くの家庭用エアコンは本体・室外機ともに20年前より1.5倍程度デブになっている。
例えば多くの家庭用エアコンは解体者の左側にスペースがないとパーツの取り外し自体が難しい。右側に電気制御基板があるため、左側のフィン軸などを浮かせてパーツを分解するためだ。脚立の上で重たいパーツを抱えた結果、バランスを崩して転倒するのは目に見えている。実際、プロのエアコン修理業者ですら事故を起こした報告を聞いている。
元増田が上げてるすべての家電ジャンルに私は携わったわけではないが、回転駆動するモーターを内蔵する機器、高温になる機器、大電流を必要とする機器は、どうしても安全性を重視せざるをえないのは想像に難くない。回転するモーターがあって高熱で大容量電力が流れる状態で分解・清掃する馬鹿が、マジでこの世には山ほどいるのである。本当に信じがたいが。家電開発をしていると、もしかして人類全員は単細胞じゃないかと思えてしまう。冷や汗がでる危険行動をとる人がいる、いまくる、いすぎるのだ。あまりに多くて本当に気が狂ってしまうよ。
お掃除しやすくした結果、事故が起きては取り返しがつかない。お客様の命と同時にメーカーの信頼も失う。
とはいえ、私自身も元増田の投稿には心情的にかなり同意する点は多い。
ブコメにも指摘はあるが、メンテナンス製を重視して製品ラインナップを展開しているのは三菱電機くらいである。
環境負荷のことを考えても、適切に分解・洗浄ができて、長く使える製品を開発する事はメーカーの責務であると私も思う。だが上述の事由や、歴史的・文化的な企画判断では、メンテナンスの優先度は極めて低い。
全体的に「増田くらい清潔にメンテしておきたいって気持ちを持つ人は極少数」なのは知っといてもらいたいね。
非常にわかりみが深い。だが私はこの認識は少し古い気がしている。
SDGsの広まりが一過性のブームなのか、もっと継続的なものになるかは意見が分かれるだろう。しかし私はお客様の声や販売スタッフなどの話から、メンテナンスに対する需要は2020年頃から高まっているように感じる。若手からの企画報告でも、TikTok・Instagramm・YouTubeでのお掃除系動画の盛り上がりなど、気になるトピックが増えてきた。
メンテナンスを行いたいという感度の高い客層は、10年前・20年前に比べて増えてると私は考えている。生まれた時から多くの家電に触れ、ご友人の評判やネットの商品レビューから使いこなしを意識した、家電教養の高いお客様が増えている事の裏返しだと思う。
大手メーカーで一瞬で却下された企画を形にしたような、バルミューダのデザイン家電がヒットしたように。メンテナンス家電のメーカーXが今後登場する可能性はある。かもしれない。
ところで元増田は海外製品の良さを記しているが、これは歴史的・文化的な側面があるのではないかと思う。
日本は「町の電気屋さん」として、販売とメンテナンスを行う中小企業が多い。平成・令和となった今はビックカメラやケーズデンキなど大手家電量販店はすべての都道府県に存在するが、これは世界でも珍しいどころか、おそらく世界で日本だけの唯一無二の状況である。
お客様がアクセスしやすい家電サポートが身近にあるため、メンテナンス機能の実装優先度が下がると思われる。
一方国土が広いアメリカや、サポートスタッフが少ない途上国なんかだと、そうはいかない。お客様自身でメンテナンスできる機構が必要だったのではないか。
それから、メンテナンスができるとして、どこまでやれば良いのかという話もある。
洗濯機・エアコンが顕著だが、高温多湿な日本の環境は、家電にとって大変なハンディキャップである。
どんなにメンテナンスしてもカビ・ホコリは発生する。これを書くのは心苦しいが家庭用エアコンのお掃除機能は、ハッキリ言って焼け石に水である。
じゃあ完全分解洗浄するのか? そんな事をしても1年後には汚れまみれである。 毎年3万円かけて掃除業者やメーカーでエアコン完全分解洗浄をするくらいなら、全く掃除せず3年目に9万円の新品を購入した方がマシではないか?
メンテナンスのコストを下げるために改良した製品を投入するとは、この部分こそが未知の領域である。いったいどのレベルの製品ならば、お客様の満足と、それに見合うコストが釣り合うのか。誰も分からないだろう。
お客様にメンテナンスされて汚れを認識するくらいなら、奥にゴキブリが挟まってたとしても見えない方が良いという事だ。
今ではその業務は私がやる前提=「君たち」にとってやらなくてもいい前提で回っている。
自分でいうのはおこがましいが、私がこれをやらなくなれば、回らなくなることはないが、既存従業員にとって著しく大きな負担になることは火を見るより明らか。
逆の立場だったら、それ(=著しく大きな負担になること)だけは何としてでも避けたいと考えるのもよくわかる。
当事者だけでなく、組織全体にとってマイナスになりこそすれ、プラスになることはないので、そのことは私自身も承知はしている。
しかしこのようにいわば善意に甘えられ、当たり前の既得権益のように扱われる一方で、私がミスればそれはそれで非難される…ミスはダメなんだけど、そもそも自分たちが「しない、できない、したくない」ことをやってもらっている身で何を言う…と自分の都合ばかり考える私自身こそが「テイカー」なのだろうか。
確かに線引きは難しい。
おそらく同じように悲しい思いを多数させた、婚活失敗男性n=1の感想。
・そもそも婚活に参加する男性、異性とのコミュニケーションに慣れていない場合が多いです。初対面の緊張感の中、事務的な確認をするのが精一杯なのですよね。
・プライバシーや安全の観点から、特に女性には踏み込んだことを聞いてはいけない、というブレーキはあります。(相談員とか解説本からも大抵そういう注意がある)
・どうしても仕事の話をしがち、聞きがちになるのですがほとんどの女性は乗ってこなかったですね。
外に話せないことは多々あると思いますが、こちらは純粋に他の分野、業務内容は興味深い話題なのですが。。
・自身を開示しても相手の食いつきが悪いとそこで話が止まってしまうんですよね。そこで相手が答えられそうな別の話題に移す、を繰り返していると事務的なやり取り感がでてしまいます。
・話があまり弾まなかったな、と感じていてももよほど不快でない限り、次回の申し出はしました。もれなく2度目はありませんでしたが。
好きになるも否も双方判断に至る関係性が全く構築されていない、という思いなのですが。"私程度の女なら好きになると思われてる"という感想を持たれるというのは学びがありました。
・"相手に興味を持てるように色々聞いてる" 私の場合これすらほとんどなく、一方的に苦しい質問を投げがちだったので、増田の姿勢は良いと思います。
・ただ増田がテンプレにウンザリしたのと同様に、相手側もひととおりテンプレもこなさずいきなり雑談?と思っている可能性はあります。
テンプレな話題に対して、そこで醒めずに広げるような返しができればもう少し雑談も弾むのではないでしょうか。
・ごちゃごちゃ書きましたが失敗した人間の戯言であり、自身の経験の思い出と愚痴でしかないです。それなりにお金と時間と精神を消耗したので。
つい最近TwitterでボカロP的な人が「曲を聴いてもらいたいだけなのにイラストやら動画やらでお金がかかって大変だよ😭」というようなツイートをしていた.
それを見て次の2つのことを思った
1. 良い曲を投稿していればイラストや動画にお金をかけなくても(ある程度は)聴いてもらえるのでは?
2. ツイ主の本心としては"曲を聴いてもらいたい"というより"自分の曲を使ったMVがバズってほしい"なのでは?
そして最後に『3. MVと音楽は別物の創作物である』という個人的な主張について書く.
1. 良い曲を投稿していればイラストや動画に金をかけなくても(ある程度)聴いてもらえるのでは? について
まず前提として,各種の動画投稿サイト上で"曲自体に魅力はないがMVが良いから高い評価を得ている音楽"ってあるだろうか?
全く存在しないことはないだろうが,少なくとも私は知らない.
一方で,"MV自体が高い評価を得ていなくても曲は高い評価を得ている音楽"なら比較的たくさんあると思う.
なんならMVと言いながらもイラストや画像を載せているだけだったり,曲に合わせて音の波形のようなものがうねうね動くだけの動画でも良い曲というのはごまんとある.
こういった事情を考慮すると,自分が作った曲をたくさんの人に聴いてもらおうと思った時にMVが優れている必要はなく,ただ良い曲を作ることだけに注力した方がよくない?と言いたくなる.
もちろん,優れた曲を作った上で優れたMVが用意できれば,話題性が出てより多くの人に聴いてもらえるといったことはあるだろうが,それはMVが特段優れたものではなくても(もしくは,そもそもMVなんかなくても),ある程度の人に聴いてもらえるようなクオリティの曲を作れるようになってからでも遅くはないように思う.
むしろ,明らかに素人感丸出しの曲なのに,お金の力を借りてMVだけクオリティの高いものを用意しても,動画の視聴者はなんか違うな...となってしまうだけではないだろうか.
MVが曲の評価を高めるという側面はあれど,それはあくまでも曲そのものが魅力的である場合に限られると思う.
2. ツイ主の本心としては"曲を聴いてもらいたい"というより"自分の曲を使ったMVがバズってほしい"なのでは? について
最近のボカロ音楽は,音楽と動画のセットで話題になるという傾向が顕著である,というよりむしろMVがないけど話題になるような曲の方が少数派なのではないだろうか.
それゆえ,特に最近のボカロリスナーであればあるほど曲にはMVが付随しているのが当たり前であるという認識が一般的になっているように思われる.
そしてそれに伴って,ボカロ曲の作り手たるボカロPの創作欲求の源泉として,"作った曲を聴いてもらいたい"よりも"作った曲のMVを観てほしい"というものの占める割合が増えてきているのではないだろうか.
もちろん,純粋にボカロで曲を作ってそれを聴いてもらえることが第一であり,別にMVなんか必要ないという作り手も大勢いるだろうことは承知している.
しかし,仮にツイ主がそういった考えであれば,そもそもお金を払ってまでMV制作を依頼することにそこまで固執することはなかったのではないだろうか?
まず,前提として私は音楽をよく聴くが,MVを観ることはあまりない.
その理由を端的に言うと,私は音楽を聴きたいのであり,動画を観たいわけではないからというのに尽きる.
個人的な話だが,つい先日私の好きなバンドが数年ぶりのアルバムを発売するにあたり,YouTubeでそのアルバム内の1曲についてMVを公開した.
公開時にはアルバムはまだ発売されておらず,私は早くその曲を聴いてみたかったのでMVの動画を再生した.だが,あくまでMVを観てはいない.
その時はPCのブラウザでYouTubeを開いていたのだが,動画の再生ボタンを押した瞬間にブラウザから別のウィンドウに切り替えることで,あくまでMVは観ずに音楽を聴いただけであった.
こんなことをしていると,なぜそこまでしてMVを毛嫌いしているのかと言われそうだが,私はMVが嫌いなわけではない.
優れたMVを観て良いなぁと思うことも感動することもある.ただ,それは純粋に音楽を聴いて良いなぁと思ったり感動したりするのとは,情動の発生要因に違いがある.
具体的に言うと,MVを観ながら聴いた音楽には,その音楽についての印象に視覚情報が関わってくる.一方で,MVがなければ,音楽を聴いた時に及ぼすのは純粋にその音楽を聴くことで得られる聴覚情報のみである.(厳密に言えば音楽を聴いている時に目を開けていれば視覚情報はシャットアウトできないがそれは無視する)
それゆえ,私はMVを観ることによって,音楽を聴いたときのイメージに視覚情報が含まれてしまうことが嫌でMVを観なかったのだ.一般的に人間にとって視覚情報は聴覚情報よりも強い影響を及ぼすため,MVを観ながら音楽を聴けば,次に同じ音楽を聴いたとき,その音楽のイメージには少なからずMVの視覚情報から得られた印象が含まれているはずだ.私にとってはこれが好ましくないのだ.
音楽を聴いた時に音楽の全体的な印象として,または特定の音色に関してそこに色彩感覚を知覚する"共感覚"というものがあるらしい.例えば「この音は薄い紫色」だとか「この音楽は白っぽい感じがする」だとか.
私はこの共感覚を持っているとは言えないが,でも曲の中にはなんとなく,本当になんとなくだが色彩感覚であったり,風景(薄い緑色の草原の中を風が吹き抜けている様子だったり,石畳の歩道や教会のある中世の街並みをセピア色のフィルターを通して見た景色だったり)を連想したりするものがある.
これは本当にボンヤリとしたものであって真に共感覚を持っている人の感じ方とは全く異なるものだと考えている.しかし,ボンヤリとした形であれ,音楽という聴覚情報から視覚情報が想起されるという人は自分以外にも少なからず存在するものだと思っている.(具体的な根拠はないですが...)
このような,音楽を聴いた時に何らかの視覚情報が想起されるというのが私が音楽を聴くことが好きな要因の一つであり,また私の好きな音楽というのは,聴いた時に頭の中にイメージや風景が浮かぶものが多い.こういった感性を持っている人がいたら多分共感してもらえると思うが,MVを観て音楽を聴いてしまえば,その音楽の色やイメージのようなものは間違いなくMVで使われていた色やイメージにひきづられてしまう.
つまり,MVを観ることによって,MVを観ることによって得られる視覚情報からの楽しさが得られる代わりと言っては何だが,今後そのMVの曲を聴いたときのイメージが視覚情報から得られたイメージに大きく影響を受けるという代償を負っているとも言える.少し大袈裟な言い方な気もするが,事実である.
よって,私にとってMVというのは視覚と聴覚の両方を同時に刺激する存在であり,音楽というよりはアニメや映画といったものに近い創作物であるという印象がある.
例えば,映画と音楽という創作物について考えてみると,音楽は映画を構成する一部分ではあるが,これら2つの創作物を同じ土俵で評価・議論したりするのは違和感があるだろう.
それと同様に,MVと音楽という創作物もそもそも別種のものと捉え,区別するのがより自然な見方ではないかと考える.
にも関わらず,現状では多くの人がMVと音楽というものをあまり区別することなく,「音楽の良し悪しや評価 = そのMVの良し悪しや評価」と考える人が多いように思えて違和感を感じている.
あの発言時に、嫌われる覚悟があったかどうかはあなたに判断出来ないでしょ。
ではなく、
・発言を間違った切り取り方、または悪意をもって曲解して伝播させている人間
なんだから。
その問題とあなたのストレスはイコールにはならないし、林先生が批判されることを承知で発言している可能性があるんだから「曲解や悪意のある切り抜きが横行してもしょうがないよね」とはならないだろうに。
そして俺は抑制的であるべきとは思わない。地元で友達だけの小さなコミュニティで慎ましく生きてる人間にも知る権利はあるし、知るべきと思っている人間が伝える権利もある。
それを抑制的であるべきとするのは、臭いものに蓋をする思考でしかない。
ついでに言うなら放送当時のクレームはほぼなかった。実際放送に参加していた子から仕事頑張ってる旨の年賀状が届いていたという内容からも、内容的に問題があったわけではなく、今になり曲解して伝播させている人間に問題があるのは明らか。ファクトチェックは全員がやるべきだよ。全ては無理でも、やる努力はするべき。
一部が"トランスエイジ"どころか"トランス動物"という申告も尊重すべきだとガチで言っている
この調子でいくとミソジニー抱えたオタクがハ~イ自分は二次元愛好家で現実の女性に興味ないので、二次元の影響がどうとか言うのやめてもらっていいすか?wみたいな主張も通ってしまうかもしれない
いやさすがに無いだろ
そう思うだろうが一部は二次元文化にも変に同情を示して、そういうのも受け入れるべきだという姿勢を見せているのが現状だし中には今までオタク差別なんてものは無いと主張してた人が、いややっぱりオタク差別あるくね?と言う始末だ
定期的に目に入るツイートがある。
ツイートの主訴としては入院する際に大部屋が満床だった場合は病院側の都合で個室に入るから差額ベッド代が必要ないというものだ。
なぜならみんな知らないと払うのだ。
適切な医療を受けるために。
そして後から知るのでめちゃくちゃ揉める。
「病院側都合の個室入院は差額ベッド代が必要ないですよね?」と
大変なことになったので備忘録として書く
【経緯】
2、3ヶ月前に都内で働いていたところに突然の腹痛。
憩室炎が再発したなあと肌感で感じる。(1年前に初めてなった)
15時ごろに気付き、繁忙期のためなんとか残業を終えて21時に帰宅。
帰宅時の体温は38.5程度。
腹部に差し込むような痛みを覚えつつ、以前も入院した地元の大きい病院のほうがカルテもあるしいいかなあと電話。
同じ箇所が痛いこととカルテがあるのでと説明し、無事に救急にて受診。
たどたどしい内科の研修医が消化器内科医に相談しつつ見てくれる。
一生懸命見てくれてありがたいがルートを取る時に床まで血みどろになる。
誤診もありつつ結果憩室炎の再発と確定。
再発していること、炎症の数値が高いこと、受診時の熱が39.2まで上がっており、単身世帯で何かあるかもしれないのでと入院して絶飲食及び抗生剤を点滴していく治療と説明される。
了承し、差額ベッド代がかからないように大部屋希望と研修医に伝える。
1日15000円になりますのでお支払いの誓約書にサインしておいてください。」
熱で本当に揺れる頭の中そう思ったのをよく覚えている。
そして申し訳なさそうに聞いた
「あの、大部屋希望して、満床の場合は差額のベット代は必要ないとガイドラインにあるのを聞いたのですが…」
10分後
「入院必要ないので、差額ベッド代払えないなら帰ってください」
私の病状は検査のタイミングも含めたら劇的に30分で回復したらしい
なるほど。すごいな。
研修医「前回の入院時よりは炎症の数値が低いので帰って大丈夫です」
『なるほど。でもさっき入院が必要と言っていましたし、単身者ですし39度超えてて家帰るのも辛いので入院できるならしたいのですが。前回も相当辛かったので』
「あなたは入院してもしなくてもいいので、ベット代が払えないのであれば帰ってください。本当に絶対入院が必要な人に空けておきたいので」
私もさっきまで本当に入院が必要な人だった!!!!!!!!!!!!
まあ変わっただろ!って攻めても仕方ないし、とにかく入院するには差額ベッド代を意地でも取るのかあ。と具合が悪すぎて若干諦める。
看護師さんが来てくれて体温測って40度を超えており、坐薬で解熱剤入れてくれる。
前回の辛かった憩室炎のことを思い出してげんなりするけども1週間入院して10万差額だけで超えることとさらに医療費がかかることを考えて今回は自宅療養だと覚悟を決める。
この時点で深夜1時を超えており、解熱剤がきいたらタクシーで帰るしかないとさらに覚悟を決める。
研修医に説明ありがとうございました。お金払えないので帰りますと伝える。
えっ?!満床じゃないの?!と素で大きな声が出る。
研修医「満床かもしれないし、満床じゃないかもしれないです!」
えっ?!箱の中身はなんだろなじゃないんだよ?!
私『申し訳ないのですが、満床かどうかをお調べ頂くことはできないでしょうか。』
ここは向こうのシマ大きなことは言えないと思いつつ、
私『なぜ先ほどは満床と伝えて今は満床じゃないかもなのでしょうか。刻一刻と変わるのも承知の上ですが。この時間に退院も早々ないでしょうから』(この時点で夜中2時)
研修医「調べる担当が別にいるので満床ぎみなので個室に入れて!とのことです!」
私ここで最後の力を振り絞る
私『今も具合が悪くて40度出てて前に入院した時は人生で初めてうんこ漏らしたくらい辛い憩室炎をこれから家で誰のサポートも無い中で毎日絶飲食して点滴に通わなきゃいけないのに?そんな不透明な回答で2月の寒い中帰るの?調べてくれるくらいはできないの?』(敬語使う元気もない)
研修医「できませんし、さっきから部署違うって言ってますよね?!」
私もブチギレて具合悪くて泣く
調べる調べないの押し問答の後に舌打ちされた瞬間に消化器内科の先生に何してる!と研修医連れていかれる
結局消化器内科の先生の計らいで書かなくても病床の空きを調べてくれたし、入院できたし、大部屋だったので今でも許していない。
ちなみに憩室炎は無事に治った。
【結論】
差額ベッド代のことを伝えたら病気の具合が入院が不要というところまで変わる可能性がある。(結局入院の必要を判断するのは医者)
その場合どんなに具合が悪くても差額のベット代自体は必要になるパターンもある
某市立病院の話です。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/yoshiki_stu/n/nbae97aa6e40a
ahomakotom この文章のタイトルすら同じ論理構造になっていると筆者さえも気づけていない。/有料部分で種明かししていればタイトルで偏見を撒き散らしていい事にはならない。むしろより悪質。
「~~と筆者さえも気づけていない」という、ahomakotom氏はなんか堂々と断定してるけど、単に想像、妄想で決め付けてるだけ。積極的に詭弁を捏ねて行ってるわけでは無いというだけで、多重質問と同じ性質の悪意だよね。
筆者の矛盾を鋭く抉ったみたいな顔してる(単なる想像)けど、結局はahomakotom氏も同じ穴のムジナになってるって、自身は自身で“気付けて”いるのだろうか?
で、note主は有料部分で釣りタイトルだとエクスキューズしてる。これがゲームなら、本なら、映画なら、「公開されてる序盤部分だけで品質や製作者の人格を予断して、フルスイングの悪口いいまくってるやつ」がどれだけ愚か者扱いされるだろうかって、それくらいは想像できるでしょ? note相手なら通ると思った?
しかも別に金払わなくても、無料部分ラストの言葉、ここから一ひねりあるんだろうくらいは想像できる様になってるよね?
とはいえ、これはな、だれでもやらかすんや
「自分や身内のやらかしの懺悔が始まるのかも」くらいは想像できる書きぶりやん? 自分を客観視できてるだろうって思うやん? これちゃんと見てたら、単なる想像で一線超えた決め付けをベースに悪口言ってやろうとか、思わなくない?
で、その代金ってたった100円なんよ。お前が大恥かくリスクを負って(実際かいた)得たの、100円なんよ。
ただ金を払うかどうかを言ってるんじゃない。素人クソ野郎のnoteに一銭たりとも払うかバーカみたいなスタンス、それ自体は共感できる。
っていう3要素を全部やってる事を言ってるの。3つ中2つまでなら分かるんだよ。
どのパターンも全然許容範囲内だと思う。でもトリプルはダメでしょ。だってそんなん単なる害虫じゃんすか。
有料部分で種明かししてるよ~ってツッコミ受けて追記されたのが後半部分。
それはそう。非の打ち所の無い正論です。
単なる想像で事実に反する悪口を断定口調で繰り出しただけの前半に対して、マジで全く関連性が無い指摘が追記された事には驚いてるけど。
マジで全く関連性が無い。コメント前半の緩いノリと違って、汚名を返上するために全身全霊を賭けた詭弁でカウンターパンチを決めなければならないという、インターネット戦士のバトルスイッチがONになったのを感じるぜ(単なる想像)
と言うかこれ、どちらかと言うと、コメント前半に刺さってるんですよね。「~~と筆者さえも気づけていない」という嘘を撒き散らしているのはahomakotom氏自身だし。釣りタイトルだよって指摘を受けても尚、誤りが判明したコメント前半を修正せず公開し続けてるのは、単に愚かなんじゃなくて故意の悪意だし。
修正とか撤回とか弁解とかをやらないの、「コメント後半の追記で、前半を補強できている」って認識だからですよね? マジで全く関連性が無い指摘なのを承知の上で。「むしろより悪質」ですよね。
上では「同じ穴のムジナ」と言ったけど、それどころか、ahomakotom氏が単に一人だけ図抜けたユニークな悪質野郎だって事に“気付けて”いるのだろうか?
別にahomakotom氏というただ一人のユーザーが愚かだったり邪悪だったりするのは良いんですよ。めちゃくちゃ親切な事に、idで自己紹介してくれてるし。
こういうのにドカドカ★が付くんだよね。
そこはもう、コミュニティとして終わってる。
ahomakotom氏から反応がありました。
ahomakotom 終盤の下らないハンドルネームいじりでコミュニケーション不可能、読む価値なしと判断しました。NGに入れておくので二度と絡まないでください。
最後まで読んだアピールw 害虫呼ばわりした時点では読む価値アリと判断してくれてたみたいで、ありがとうございますwww
ていうか、何をお前、「他人に対してコイツはコミュニケーション可能/不可能とかってジャッジする権利」が自分にはある、みたいに思い上がっとんねん。逆や逆。お前は他人にコミュニケ不可と判断される側、切り捨てられる側やねんぞ。分をわきまえろ(これは別にahomakotom氏に限らず、一般論としてブクマカは全員そうです)(つまり俺自身も……)
二度と絡まないでください(キリッ)とかやる前に、図抜けた悪質野郎であるてめーがまず率先して、他人のブログやnoteに事実に反した攻撃的なブコメ付けるとかいう迷惑行為を控える事からやろが。害虫から人間になれ人間に。
https://note.com/yoshiki_stu/n/n28b80e20d2ab
①彼は、最初に「僕はネタと本気の違いが判る人間だ」という自信を見せるコメントをしていたわけですよ。
②で、私のnoteを見て自信満々に「こいつはマジで言ってる」「見る目がある俺が言ってるんだから間違いない」と断定してしまった
③他の人がいうならともかく、前のコメントをした以上、恥を知る人であれば「だまされた」なんて被害者面は口が裂けてもできない状況ですよね。
④最初からそう言ってたなら問題ないんですよ。でもこの人は最初に「正しい意見をいうよりも」「他人にマウントしてドやりたい欲求」を抑えきれなかった。
ほんまにコレ。目次だけで全部終わった。