はてなキーワード: 金銭とは
親の金で行ってよくわからない企業に行く人もいれば、奨学金借りて大企業に入った人もいるし、自分も大学を出てなかったら応募することすらできなかった企業に入ったからやっぱり大学は行って良かったと思うね
家の都合で地元に帰って公務員になった人も、大学4年間で出来た経験や人脈や知識は大切らしいし、奨学金を借りればそれなりのところに入れるくらいの金銭事情なら行っといても損ないと思うな
俺の担当者は当時一人だったんだけど、
その担当者に連れられてお店に着くと、
(言葉は分からないけど、席と皿や箸が準備されるので分かった。)
少人数で食事の予定が変更となり、会った事もない方々と初対面で飯を食う事に。
担当者のお気に入りのお店が何軒か有って、そこを紹介してもらう。
お好きな方々はお持ち帰りとなる。
お持ち帰りにならないのは真面目な方かと言えば、
契約で囲っていたりしていたようだ。
契約料金とか、いかに可愛いかとか美人かとか自慢話が多かったと思う。
因みに、他の電気部品メーカーの件で、マカオ近くの珠海という町に行った時、
そちらのメーカーの担当者から、現地の夜の事情を伺った事が有り、
ちらっとその話をしたら、やけに喰いついてきていた。
一晩幾ら位とか、契約で幾ら位とか...
俺が現地に詳しい訳じゃないから分かるわけ無いだろ... 分かってくださいよ。
長くても2週間、短ければ3、4日の滞在期間中、逆に毎日食事に誘われ、
・夫は結婚話が出た時に、同居したいくらい、マスオさんになりたい、入婿で構わないと言っていた
ということで、妻実家側は姉の姓を名乗るのだと思っていたところ、婚姻届を書く段階になって夫の父が「妻の姓を名乗るなんて許さん」と大騒ぎして、結局夫側の姓を名乗ることになった。
妹である私も、私の両親も、「こいつ土壇場で言っていた事を平気でひっくり返しちゃう奴なんだ」と夫に対して思った。
すぐに子供に恵まれたんだけど、初孫なのに両親はトーンダウンして姉は実家からの能動的なサポートが殆ど受けられなかった。私もなんか白けてしまい、姪とは正月に姉が連れてきた時に会うだけ。両親も私も、自分から姉の子供に会いに行くことはない。
だって、土壇場で「他人のウチの子」になっちゃったんだもん。なんか興味失せちゃった。
姉の夫側は遠方で資産もなく、すでに孫が何人もいるため、金銭的なサポートゼロ、助けに来てくれることもない。なのに、自分の家の姓を孫に名乗らせてる。
男性の姓を名乗ることが一般的だから、妻側の実家も強くは言わず、距離を取った。
姉は名義変更なら何やらで細々と1年くらい事務作業があったと言ってた。
一番の不利益は妻実家がトーンダウンして冷ややかになったことだと思う。姉の姓を選んでくれていれば、夫側の父親が発狂しなければ、姉は両親から手厚いサポートを受けられたと思う。
姉はずっと後悔してるらしい。
障害者に限った話じゃないが、手助けしてくれないと喚くタイプは大体人間性に問題があると思ってる
・人に手助けして欲しいなら、きちんとしたお願いやフォローしてもらうための根回しする
これは人と円滑な関係を築く上で当たり前の事なんだけど、喚く奴ほどこれが出来てない
これをしないって事は「俺はお前を人として見てない」って意思表示なんよ
別に普段どんな態度してようが個人の自由だから好きにしていいよ?
ただ、そんな態度してて困った時に無償で助けて貰えると思ってるなら甘えが過ぎる
旧統一教会(現在の「世界平和統一家庭連合」)と日本の自民党との関係が問題視される理由は、多角的な視点から見ると以下の点が挙げられます。
旧統一教会は過去に信者への高額献金や霊感商法などの問題行為で批判を受けており、その団体との関係が発覚したことで政治家の倫理が問われています。宗教団体と政治の癒着は、政治家の活動に偏向をもたらし、市民の利益より団体の利益が優先される可能性を示唆しています。また、政治家が特定の宗教団体を支持することは、信教の自由や政教分離の原則に反する疑いがあるため、民主主義の健全性が損なわれかねません。
2. 国民の信頼低下
政治家が旧統一教会と繋がりを持つことで、一般市民が「政治は市民のためではなく、特定団体のためにあるのか」という疑念を抱きかねません。特に旧統一教会の過去の問題行為を考慮すると、政治家の姿勢に対する不信感が高まります。このため、政治家や政党への国民の信頼が低下し、民主主義制度に対する不安が広がる恐れがあります。
3. 政策への影響と透明性の欠如
宗教団体と政治の密接な関係は、政策決定の過程に影響を及ぼし得ます。旧統一教会は家族の価値観や伝統的な役割に重きを置く傾向があるため、政治家がその影響を受けた政策を提案・推進する場合、ジェンダー平等や人権に関する政策に悪影響を及ぼす可能性があります。また、こうした団体の影響が政策に反映されると、市民は「なぜその政策が採用されたのか」についての透明性を欠くため、政策への理解が不十分となり、さらなる不信感が生じます。
旧統一教会は信者を通じた選挙支援や献金などで政治家に支援を提供してきたとされています。選挙支援を通じて組織の影響力を増すことは、民主的なプロセスにおける公平性を損ない、政治家の独立性を危険にさらす要因となります。選挙における公平な競争や、市民の意思に基づいた政治がゆがめられる可能性も問題です。
旧統一教会に関する被害者への支援は、宗教団体の被害者を保護する必要性を示唆していますが、政治家がその団体と関係を持っている場合、被害者支援の取り組みが遅れたり、十分な対応が取られないリスクがあります。このような場合、政治家の責任を問う必要が生じますが、癒着がある場合には支援の動きが進みにくくなることが指摘されています。
これらの理由から、旧統一教会と自民党の関係は多くの問題点を含んでおり、特に政治倫理、政策への影響、国民の信頼低下という面で、日本の民主主義に深刻な影響を及ぼす可能性があるとされています。
子どもが親の貯金箱から金を抜いて推しグッズを買っていて云々という親の嘆きを見た。
子どもの金銭感覚を育てるために、「お金の大切さ」「稼ぐ苦労を実感する」とか言う人がいるが、最も重要なのは金銭と物欲の順序だと思う。
自由になる金銭がない状況で物欲を育てると、お金が手に入った時にまず生まれるのは、既に存在する物欲に対して金銭を自由に扱える喜びだ。自由に使える十分な金が手に入らなければ、冒頭の親子のようになる。
自由になる金が物欲よりも先にあれば、何に使うか考える時間が発生する。物欲は複数あり、その中で優先順位を決める必要があり、時に移り変わることを認識する。その中でこれだ!と思った物欲に対してすべてを注ぎ込んでしまう可能性はあるが、初手で破滅することはまずないだろう。
私には五つ上の兄がいる
私は彼氏と結婚を見据えて同棲することになり、近く実家を出ることになった
そこで実家は兄と母の二人暮らしとなるわけだが、この兄が今後どうなるのか?母と二人でどんな生活となるのか大変心配だ
ただ、なんていうか、ナチュラルに優しくない
自然と不親切
やりたくないことは絶対になにがあってもやりたくない
そんな感じだ
ある日、夕飯を作ったあと、ふと兄に言ってみた
「たまには兄さんも料理してみたら?」
「嫌だよ。今更めんどくさい。興味もないし」と、兄は無関心に答える
その瞬間、私は兄が常に母や私にその「めんどくさいこと」を押し付けていることをどう思っているのか、疑問に思った
また別の日、母が怪我をして、私が車で病院に連れて行ったときのこと
「お母さんを連れて行けて良かった。前に免許を取りたくないって言って教習所をキャンセルしてたけど、まだ30代のうちに免許取ってみたら?」と提案した
すると兄は「え、いいよ。運転興味ないし。もし事故ったら嫌だし。妹が免許取ってくれてて助かった。ありがとう」とあっさり返した
「でも私がいなかったらどうするの?」と問うと、兄は「タクシーか救急車でいいでしょ」と言った
その時、私は母は気を使うタイプだから、タクシーや救急車を使うことを躊躇うだろうと思ったが、兄はそんなことを考えもしない様子だった
2019年末頃だ
社会人になって数年たち、金銭的にも余裕が出てきたし学生時代は実家に暮らしていた友人も一人暮らしを始める人が増えてきていたのだろう
ただ、コロナの流行によりきっかけを逃し、以後兄が再度一人暮らしを計画している素振りは全くない
一人暮らしをしていたら、もう少し母や日常の家事への想像力ができていたのだろうか?
基本的にスーパーに車で行く我が家では母か私が食料品の買い出しをしている
私が実家を出るので、今後は母だけが買い物をすることになるのだろう
そうした変化に対して兄が特に何も感じていない様子に、内心呆れもする
神奈川の田舎で、車があったほうが便利だがなくても電車も発達している地域に住んでいることも、自分のことしか考えない兄にとっては免許を取る理由が微塵もないように感じられるのかもしれない
兄の社会性がなくなっていったこととコロナはやはり無関係ではない気がする
前までは嫌そうながらも上司や会社の人と飲み会をして、帰ってきてからそのときの話題などを世間話として食卓で披露することはあった
コロナで在宅勤務が定着し、通勤や社交というものがなくなったことで兄の外出は本当に減った
コロナが開けて会社の飲み会は再開したようだが、今やみんなが出るようなものじゃなくなり、兄は全く参加しなくなった
元々友達が多いタイプでもなかったため、休日は部屋こもって基本ゲームをするかVtuberの配信を見るかしている
平日も夕飯を食べるときだけ顔を出して、以後は自室に戻る
私が出て行ったあとに兄と母は食卓を共にするだろうか?
ゲームやネットで配信を見ることを優先して、食事のタイミングまでズラしたりしないだろうか?
兄は今後どんな中年になっていくのだろうか
実家には年に1度か2度顔を出す程度だろう
うんまあ俺も理解してないんだけどさ
1 取引などで、事をうまく運ぶため表に出さないで支払う金銭。「—が動く」
2 帳簿に記載せず、不正に隠し持っている金銭。「二重帳簿で—を管理する」
3 (「裏鉄」とも書く)雪駄 (せった) などの裏のかかとの部分に打ちつける鉄の薄板。
4 鉋 (かんな) の刃の裏がわにつける小形の刃。
脚本家組合にしても土建業者の下請けにしても、みんな個別契約なのを同業者でまとまることで交渉をしやすくするわけで
今回ので言えば、今の流れで言えば互助団体になれそうな団体トップが収入少ない若手らの要求を公開の場で蹴った形でさ
そういうセンシティブな交渉事の話を組織の長がSNS上でやるのかって話よね
(というか金銭契約に絶対の理の正しさなんかない、過去の経緯の積み重ねが今で、今の交渉はその先に繋がる)
下を説得するにしても水面下でやれ、ほんともうさあ
専業主婦なら家事育児は10割やるものだろという価値観の家庭。それについて夫婦間で争いはなかったらしい。
夫婦2人の役割分担としてはこれでなんの問題もないと思う。これがフェアってことなんじゃない、とすら思う。
ところが、娘の私目線から見ると、私に直接関わる世話をしてくれたのは10割母親なわけだ。私は母にしか愛着も尊敬も抱いていない。
幼稚園のバッグを手縫いしてくれたのも、送り迎えも、お弁当、晩ご飯、身の回りの世話、看病、宿題のハンコ、保護者面談、色々気落ちして死にたくなった時の味方も全部母親だった。
もちろん私は父の稼いだお金で生活させてもらっているわけだし、そこに形式的な感謝の念はある。そして、「夫婦間の役割分担」という視点、つまり夫と妻の関係について述べるとすれば、金を稼ぐことだって育児だと思う。だって子供は金がなきゃ生きていけない。
ただ、金銭という一元的な価値しか提供していない以上、子供目線でそこにかけがえのないナントカが生まれる余地はない。同級生のお父さんがもっと稼いでいるとしたら、余裕でそっちが上位互換になってしまう。
自分に全然懐かない娘に17年間金をかけて、父は一体何をしたかったんだろうなと思うことがある。さほど複雑な家庭でもないし、托卵の可能性はないだろうけど。遺伝子を残せればそれでいいってものなんだろうか。
なんかみんな金があれば結婚するでしょみたいな感じだけど、若い高所得層では非婚化や結婚願望の低下が起きてる
今の時代、結婚しなければ信用が少なくなるといったことが少なくなり、女性に家のことを任せるのも難しくなり、なんなら男性にも育休圧力がかかったりする
その結果、仕事するにあたって結婚のメリットが減った上にデメリットが増えたと言える
更に共働きの時代とか言われるが女の年収は大して上がってない、結局は金銭負担の大部分は男性が行い、なんなら年収が増えれば増えるほど負担が大きくなる
ここで俺がバカにしてるのは莫大な富を得た経営者とか先祖代々の地主とか富豪とかじゃなくて、労働収入をコツコツためて何%ルールだかで取り崩していこうとしている人ね 自分の最低限度の生活費の何十倍かを用意して、その運用益で生きていこうというわけだ
いや、なんで残りの人生何十年間で自分の生活費が変わらない前提なの?現代経済の最大の問題は世代別人口比の偏りによる生産人口の不足で、要はお金があっても人がいない社会になるわけじゃん
GDPに占める第三次産業の割合が高まり続ける現代では、自分のために何人の人間を金払って働かせられるかが豊かさの源泉になるわけで、人手不足で人を雇うコストが高まれば、当然生活コストのインフレ圧力は加速的に高まり最低限度の生活費はどんどん上がっていく さらに現状住居費が安い田舎の方から人手不足でゴーストタウンになっていくわけで、近い将来大多数の人間は住居費の高い都市部へ段階的に移動せざるを得ない
年金だって、国家の安定を維持するために一定の所得代替率を保とうと思えば、支給開始年齢を後ろ倒しにすることは避けようがないわけで、自己資金で賄わなければならない期間は長くなる一方だ
さらに、FIREしようとする人は当然独身子なしがほとんどだ。少子化が進むなかで、国家が独身老人の社会保障を保つインセンティブはどんどん薄くなるため、自分に介護や高度医療が必要になるころにはそれらを享受するコストが爆上がりする可能性が高い
今後の日本で生き残るのは、金銭のやり取りを介さない人的資本と、社会保険の世話にならない程度の健康体と、70代まで安心して働ける場所を持つ人間になるわけだが、労働の苦しみから逃れようとしてFIREする層がそれらを獲得したり代替する戦略を練ってる感じはしない FIREする人は社会がどんどん悪くなっていくという確定的な未来に目を背けて、もっとも頭も体も元気な時期に金銭収入を得ないツケを老後の自分に払わせることになるだけだと思う
金銭的な理由や、性格的に仲が良かったから、という理由で結婚する事はある。
魅力がない男性に対しては性的興奮が無いので、基本的に性行為は苦痛でしかない。
逆に30代後半になってくると性欲が増してくることもあるが、それも人による。
anond:20241012181121週刊少年ジャンプ史上最も重要なマンガ20選
↑を書いた増田です 適当に書いた増田がしばらく見ないうちにブクマ数めっちゃ伸びてて派生増田もめちゃくちゃ出ててビビった。ただのおじさんの与太話にいろいろ意見をくれてありがとう
みんなのコメントの中には恥ずかしながら読んでなかった作品もあったくらいで、今週はネカフェやKindleの50%還元セールでいろいろ読み返してました
選考基準について少し補足すると、ジャンプという雑誌の在り方への影響度がとにかく重要だと考えてます。売上とか人気とか社会的影響は考慮はしてますが、あくまで付随する要素に過ぎません。
ブコメやXで結構言及されてたのを見て思ったのは、選評を雑に書きすぎて自分の考える重要性が伝わってないところが多かったのと、20選だとさすがに網羅出来てないなということ。もともと個人的なメモ書き程度に書いたものだったのですが、色々な意見を取り入れた25選にして、一人一作縛りもなくして、選評ももうちょい見栄えするようリライトしてみました。これが現時点でのベストだと考えているので、もう異論は取り入れません。
月2回刊で始まった少年ジャンプの創刊号はわずか10万5000部しか出なかった。その9年前のサンデー創刊号が30万部、マガジン創刊号が20万5000部だったことを考えると、その始まりが実に静かなものだったことがわかる。
そんな中、大家・永井豪が描いたこの作品の絶大な人気がジャンプの売上に大きく貢献したことは言うまでもないが、それ以上に重要なのは、この時点で「読者が面白いと思うことなら何だってやる」という編集部の方針は明確であったことである。
過剰ともいえる性描写、教職への徹底的な批判からなる本作は、当時の基準でも極めてラディカルで挑発的な作風であり、批判に晒され続けた。しかし、競争原理に基づき、常に読者の方を向いた雑誌を作るという編集部の意向が、この作品を存続させた。後に「アンケート至上主義」という形で現代まで続くことになるジャンプの強固なアイデンティティは、本作の成功とともに形をなしたのである。
頭文字Dや湾岸ミッドナイトのようなクルマ系のマンガが下火になったのは、若者が誰もスポーツカーに乗らなくなったことが原因のひとつであるという。頷けるところもあるが、じゃあ不良、ヤンキー、番長と称されるような若者なんてもっと絶滅危惧種なのにどうして彼らをカッコいいものとして描くマンガは何作も出続けているんだ?東リべのような大ヒットも未だに出ているのに。
思うに、我々の脳には義理と人情、泥臭さ、そして熱さを欲する部位が生まれつき備わっているのだ。そしてこうした要素を最も効果的に表現しうる分野が不良漫画であると見抜いたのは本宮ひろ志が最初であった。
ストーリーは完全にご都合主義で、キャラクターの一貫性もまるでない本作は、しかし「男の強さ」を描くという一点のみにおいて全くブレることはなかった。どんなに反社会的な人間でも、腕っぷしと強靭な精神と仲間への思いやりさえあればクールに映るという価値観は、フィクションにおいての(もはや誰も意識すらしなくなった)お約束として今なお残り続けている。
ジャンプが国民的マンガ雑誌とみなされる要因はどこにあるだろうか?40年間一度も休載することなく駆け抜けた秋本治のデビュー作は間違いなくその一つであろう。
当初は型破りな警察官・両津勘吉のドタバタを描くコメディとして始まった本作は、その時代のサブカルチャーや政治経済情勢を積極的に取り込むことで、高度経済成長期以降の近代化していく日本の風景を余すことなく取り込んだ作品となった。
浮世絵が江戸の庶民たちの風俗を映し出す史料であるように、こち亀が織りなす物語は昭和から平成にかけての日本人の最大公約数的な心象風景を巧みに映し出した。いまや日本から失われつつある中流の庶民の日常を、我々は全200巻からなる亀有の小さな派出所の日常にしみじみと感じ取るのだ。
もともと硬派なボクシングマンガとして始まった本作は仁義や兄弟愛をベースにした極めて現実的な作風で、決して圧倒的な人気作とは言えなかった。しかし、あしたのジョーの下位互換になるくらいなら無茶苦茶やってやる、という判断のもと路線変更し、過剰さと大袈裟さを極めたことで人気を博し、史上初の最終回巻頭カラーとして、ジャンプ史にその名を刻むこととなる
───という、教科書的な本作の功績だけが、本リストに入る理由ではない。重要なのは本作が男一匹ガキ大将(=根性と漢気)、侍ジャイアンツ(=超人的能力)の要素を意識的に再生産していることである。車田正美を源流として、ジャンプ的な文脈を後世の作品が重ね合わせることでより濃くしていく流れが明確になる。我々の知るジャンプは全て車田正美以後なのだ。
同時代の作家に比べ、寺沢武一のデビュー作の視座は群を抜いて高かった。スペースオペラの世界観から引用した本格的なSFのアイデアの数々。高い等身で描かれ、まるで映画のようなポージングやセリフ回しで魅せるセクシーな男女たち。幾度もの休載をはさみつつも、本作はユーモアとカッコよさと強さをコブラという一人の男の中に共存させるという偉業を成し遂げた。
登場人物も読者も無垢な10代の少年でなくてはならないという近視眼的な幻想と、ジャンプ作家は絶対にコンスタントに週刊連載をしなければならないという既成観念を、葉巻を加えた気障な宇宙海賊のサイコガン──精神力をエネルギーに変えるアイデアも寺沢が生み出したものだ──は易々と破壊したのである。
リングにかけろが確立したバトルマンガ路線を、当時の少年たちが大好きだったプロレスに絡めることでさらなる高みへ導いた作品。いわゆる「友情・努力・勝利」という実際にはジャンプ編集部の誰も公言したことのないらしいパブリックイメージを単独で築き上げた。にもかかわらず、本作は国民的作品とはみなされておらず、犯罪的なまでの過小評価に甘んじていると言わざるを得ない。マジでなんで?絵が下手だから?嶋田のSNSの使い方が下手だから?
キン肉マンはマンガとしてではなく文化的に重要なのだと主張する類いの人間がいるが、そいつらの目と脳にはクソしか詰まっていない。ゆでたまごは絵の巧拙がクオリティに関係しないことを証明し、あらゆる世代の男たちにマンガに熱狂する勇気を与え、信じがたいほど面白い作品を描いた。この作品を嫌う人たちもまず冷静になり、理解しようと試みるべきだ。
鳥山明の訃報を聞いた日、Kindleで買ったまま放置していたDr.スランプの1巻を読んでみた。久しぶりに読む本作はきっと悲しいほど古く感じるだろうと思っていたが、実際のところiPadの画面に映るペンギン村の住人達は今も新鮮味をもって感じられた。
本作は後にDBやドラクエで知られることになる鳥山明がその才能の枝葉を伸ばし始めた作品である───と書けたらどれほど楽だったろう。枝葉どころかこの時点で大樹の幹である。
言語以前の本能の領域に鋭く迫り来る現実味を携えた絵は存在するが、そうした絵を毎週16ページのマンガで成立させる人間は鳥山明以外には存在しなかった。頭の中にBlenderが入っているかのような立体的なデフォルメは、我々の住む現実世界とは違うところにもリアリティというものは存在しうることを示し、「マンガのための絵」であった劇画調を衰退させる最大の要因となった。
Jリーグ創立の流れを生み出したともされる本作がサッカーマンガ界に残した遺産はなにか?もしかしたらこのような問いの設定自体が誤っているようにも思える。高すぎるキャラクターの頭身、大真面目に繰り出される荒唐無稽な技の数々が目をくらますかもしれないが、高橋陽一が一貫して表現したかったのはひたむきな少年たちが織りなす爽やかな青春であって、こうした要素は他作品にも見られるものだ。彼がサッカーという題材を選んだのは単に「野球マンガはありふれているから」という理由だ。本作は期せずしてサッカーマンガというジャンルの中心に祭り上げられたに過ぎないのだろう。
それでも、我々はこの巨星に感謝するほかない。この作品が無ければサッカーを始めていなかったであろう日本中、いや世界中の少年たちが、みな大空翼という一つのアイコンに夢中になっていたのだ。マイナースポーツのひとつに過ぎなかったサッカーをメジャークラスに引き上げ、軍国主義に基づく根性論を相対化し、ひたむきにボールを追いかける楽しさを私たちに初めて教えてくれたのはこの作品だったのだ。
元増田を書いたとき、ブコメ欄は「ぼくのはじめてのジャンプ」にまつわる涙なしでは語れない思い出たちで溢れかえったわけだが、はてブに入り浸る層の平均年齢を考えれば当然のことである。
自分のようなおじさんにとって涙なしでは語れない系マンガの筆頭に位置するのが北斗の拳である。1980年代中盤というのは、親しみやすいポップ路線と男臭い劇画路線がちょうどクロスオーバーする時期であった。今のメインストリームがどっちかは言うまでもないが、自分にとっては線が太くてむさ苦しい絵柄こそが少年ジャンプの原風景だった。
強くてカッコいい大人の男が弱肉強食の戦場で己の命を懸け闘う...そんなジャンプ初期から続く系統の最高到達点かつ袋小路が本作である。このようなマンガが流行る時代は二度と来ないとわかっているからこそ、特別な輝きを放ち続けるのだ。
かわいい女の子を見るためにマンガを読む者と、そうでない者がいる。どちらがいい悪いということはないが、少なくとも創刊してしばらくのジャンプは前者に見向きもしない雑誌であったのは確かだ。うちには高橋留美子はいないんだよ、といった具合に。
きまぐれオレンジ☆ロードは申し訳程度の超能力要素を除けば、一貫して思春期男女の甘酸っぱい三角関係に焦点を合わせ、かわいい女の子の日常が描かれているだけだ。それのなにがすごいのか?別にすごくはない。ただ、エロくもなく大したギャグもなく荒唐無稽な展開もないふつうの男女の日常に需要があることに、誰も気づいてない時代があったのだ。
まつもと泉は早くに体調を崩したこともあり、これ以降影響力ある作品を生み出すことはできないままこの世を去った。それでも、彼の鮮やかなトーン使い、歯が浮くようなセリフ回し、そして"かわいい女の子"以外に形容する言葉が見つからない鮎川まどかのキャラデザを見返すたび、これをジャンプでやってくれてありがとう、と思わずにはいられない。
鳥山明が死してなおこの先何度も繰り返される問いだろうが、ドラゴンボールよりもワンピやナルトの方がどれほど優れているのだろうか?そしてその答えを誰もが知っているのは何故だろう?これらの問いに対してどんな議論がなされようともすべて的外れで無意味である。それはこの作品が頂点だからだ。
鳥嶋和彦の意向により、本作はバカげた後付けの設定や引き伸ばしをせざるを得なかった。それでも、マンガを金銭を生み出す道具と見做す人間たちのあらゆる商業的な意図を超えて、本作はそれ以前、以降に掲載されたあらゆる作品を軽々と凌駕する金字塔となった。
11年に渡る孫悟空の冒険をもって、鳥山明は日本のマンガ文化が世界最高のものであるという事実を叩きつけ、自身が手塚治虫、赤塚不二夫、つげ義春、萩尾望都、藤子F不二雄、高橋留美子と並び立つ歴史上最高のマンガ家の一人であることを証明したのである。
車田正美はリンかけで過去のジャンプ作品の再生産を初めて試みたと述べたが、それを自分自身の作品でやった人間も車田が最初であった。自身のやりたいことを詰め込んだ男坂が衝撃的なまでの不人気に終わった反省から、彼は自身の原点に立ち返りつつもよりスケールを拡大した再生産をやることを決めた。
彼はギリシャ神話と宇宙、子供向けと大人の女性向け、劇画とプラモデルといった要素を交互に行き来しながら、自身が積み上げた様式美の世界を前人未踏の領域まで押し上げた。聖闘士に同じ技は二度通用しないが、我々読者は何度でもこのパターンを欲してしまうのだ。
ある一定の世代の人間からは、ジョジョという作品はいつも巻末に掲載されている時代遅れな絵柄のつまらん作品という評価が下されることがあり、そこには50%の事実と、50%の誤った認識が含まれている。
荒木飛呂彦の絵柄が彼の見た目と同様あまり本質的な変化がないことについてはその通りだ。だがいくら彼より本誌での掲載順が上であろうと、革新性・才能・実験精神という点で彼より優れた人間が果たして何人いただろう?
幽波紋と、理不尽な能力値のインフレを伴わないバトル描写は、彼が残した功績の中で最大のものである。キャラクターが持つ能力を、作者の演出の道具として使うのではなく、自律したキャラクター同士の駆け引きの領域に落とし込むことに成功したのだ。
我々はフィクションの中での整合性を厳しくジャッジすることに慣れっこになっているが、それに耐えうるものを初めて生み出したのは荒木だった。彼以降、マンガを読む行為は絵と吹き出しで表現された作者の脳内世界をくみ取る作業ではなく、自律したキャラクターたちと同次元に立ちその思考を辿るものとなった。荒木は真の意味で我々をマンガの世界に誘ったのである。
大便を漏らす夢についての夢占いには、いくつかの解釈があります。以下のような意味が考えられますので、参考にしてください。
ストレスや不安の表れ: この夢は、現実で何かに対する不安やストレスを感じていることの象徴かもしれません。自分の感情をコントロールできていないと感じる場合に現れることがあります。
解放感の必要性: 感情やプレッシャーをため込んでいることを意味し、それらから解放されたいという潜在的な願望を示しているかもしれません。
経済的な懸念: 金銭面での心配事がある際にもこのような夢を見やすいと言われています。特に無駄遣いや予期せぬ出費への不安がある時に現れることがあります。
自己評価や恥: 自分自身に対する評価が低いと感じている場合や、何かに対して恥ずかしい思いをしたことが影響することがあります。
夢は個々の状況や感情によって解釈が変わるため、自分の現状と照らし合わせて考えてみると良いでしょう。梦の内容を通じて何か気づくことがあれば、それを踏まえて行動することも大切です。
anond:20241023123005のフォトウエディングの話が素敵だなと思ったので、私の結婚の時に思ったことを描いておきます。
結婚って二人だけの事になりつつはあるけど両親であったり親友であったり大事な人に対して配慮は必要だと思ってます。
結婚すると色々と生活も変わるので大事な人との関係も少し変化しますし。
なので大事な人、特に両親については、結婚報告としてウエディングドレス・礼服姿は見せてあげると良いかなと思う。喜んでもらえるし。
また将来もしもこどもが生まれたら、いつかこどもに親の結婚式の写真を見せるとすごく喜んでくれるよ。
二人にとっての良い思い出にもなるしね。
フォトウェディングで写真を残しておくのはすごく良いと思いました。
これは結婚する両者が望むか望まないかがまず大事。次に両親の希望も多少聞いてみてもいいと思う。
相談して結婚式したいなあ・してもいいなあと思ったらするのがおすすめ。
新婚夫婦と親だけ(4-6人だけ)で挙げるのも良い。兄弟や親友を呼ぶのも良い。
挙式だけって披露宴に比べるととても安いです。さらに少人数の場合はみんなの都合を合わせれば平日でもできるし。
平日だと値下げしてくれたり、挙式場を豪華な方に変更など無料で色々アップグレードしてくれたりします。
ただし式場側からすると、フォトウエディングや結婚式は安価で儲からないため、問い合わせても丁寧に対応してくれないこともあります。
ホームページには掲載してないことが多いので問い合わせが必要なことも多いです。逆に無理そうな式場でも問い合わせると、ちゃんと見積もりしてくれて、高級な式場でも意外と安く挙式のみを行えたりもします。
参列者から1人3万もらって、1万円くらいの食事を出して、高い価格の引き出物を渡して、残りのお金で挙式料金、式場の料金などに使うのが一般的。
ただ1万円の食事も、レストランでの食事と比べると割高だなあと思うし、引き出物も数十個頼むのに割引も全く無いし高いし。
さらに何かと追加料金が発生するし。持ち込みの曲を使うだけで数万円とか、テーブルの飾りつけをちょっと良くするだけで十万円以上とか、値付がおかしな事になってる。
披露宴をしたい場合でも、結婚式の当日にする必要は全く無いと思う。
仲のいい友達で食事会を美味しいレストランで行うのが良いと思う。1人1万円以下で高級なお店で食事会開けるし、そちらの方が満足度が高かったりする。
結婚式って、誘われたら断りにくいけど、一般的な参加費(3万円)は高いと思う。
さらに女性だとドレス、バッグなどの小物をレンタルしたり髪の毛をセットするのにもかなりお金かかるし。
かといって、参加費1人1万円とかにしたら、新婚夫婦は多額の金銭的な負担が発生するし。
結婚式の費用は新婚夫婦が自分たちで出せる範囲でするのが良いと思う。
例えばメルカリで気に入ったドレスを買って、景色の良いところで友達に写真を撮って貰うってのも素敵な思い出になると思うし。
とても満足度が高かったです。その影響があって今回書いたのは結構偏った意見だと思いますが、参考になれば。
少子化対策として効果を上げている施策は、各国で異なりますが、最も成功した事例の1つとしてフランスの政策がよく挙げられます。フランスは出生率の低下に直面しましたが、複数の施策を組み合わせた結果、ヨーロッパの中で比較的高い出生率を維持しています。
フランスは非常に手厚い子育て支援を行っており、児童手当や育児休暇の充実、子どもの医療費や保育園費用の軽減を行っています。育児休暇や保育所へのアクセスがしやすく、両親が仕事と育児を両立しやすい環境が整っています。
2. 働き方の柔軟性
フランスでは、ワークライフバランスを重視し、柔軟な働き方が推奨されています。特に女性の職場復帰を支援するために、育児休業後の職場復帰が法律で保証されている点が大きな影響を与えています。
3. 高い教育水準
教育制度が整備されており、保育所や学校の施設も充実しているため、安心して子どもを預けられる環境が提供されています。
フランスでは、複数の子どもを持つ家庭に対して、税制上の優遇措置や金銭的な補助が提供されており、経済的負担が軽減される仕組みが整っています。
日本も少子化対策に取り組んでいますが、フランスの成功事例をそのまま適用するにはいくつかの課題があります。
• 働き方の変革: 日本の労働環境では、長時間労働が根強く、育児と仕事の両立が難しい場合が多いです。フランスのような柔軟な働き方が導入されることで、より多くの人が子育てをしながら働ける環境が整う可能性があります。
• 保育施設の充実: 日本では都市部で保育施設が不足しており、「待機児童」の問題が深刻です。保育施設の拡充と費用負担の軽減が、日本での少子化対策に必要とされています。
• 男女平等の推進: フランスは男女の育児参加が進んでいますが、日本では依然として母親に育児の負担が集中しがちです。男女共に育児参加を推進するための制度改革が求められます。
総じて、フランスの政策の要素は日本でも応用可能ですが、社会構造や労働環境の違いを踏まえた適切な調整が必要です。特に、育児と仕事の両立支援、男女平等の推進、そして保育施設の整備が鍵となります。
https://anond.hatelabo.jp/20241007212827
・アラフィフ 子無し
・戸建てのローンは完済済み
・地方都市住み
高級な遊び(食事、旅行、衣料品、クルマなど)は入口をちょっと覗いたくらいで夫婦ともに「合わないな」と思ったので、節約を意識しなくてもこの先は金銭的に困ることは無いだろう。
この2つを心がけて生きていきたい。
郭文貴は「反共産主義」という虚偽の旗を掲げたが、実際には金銭をだまし取ったのだ!長年にわたり、彼らはお金をだまし取ろうと全力を尽くし、あらゆる種類のトリックを考え出しましたが、間違いなくさまざまな農民の嵐が彼らをさらに奈落の底に追い込みました。 「フランス農場」、「イギリス農場」 農家の「デヴィッド」は、ネチズンに暴露され、「公衆の面前で辱めを受ける」という運命から逃れられませんでした。 「西国」のすべての農場の裏では、少なくとも 1 つのダミー会社が設立され、金銭を騙し取る目的で設立されています。次々と罠をくぐり抜けてきたのを見て、それでも詐欺師たちが高額の利益の約束を果たせると想像しながら、唖然としたアリは、詐欺の霧から抜け出すために、一刻も早く心を落ち着かせるスープを必要とします。