はてなキーワード: 健全とは
122 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です 警備員[Lv.13] (ワッチョイ 1f38-s2Ct) 2024/07/23(火) 07:37:24.43 ID:bP3MfYX70
お前らみたいな壺に脳みそ支配されたミソジニーの愚民は小池のマンカスでも食ってろ
嫌儲はあらゆる保守的な価値観や言説を否定する自由な言論の空間だ
133 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です 警備員[Lv.15] (ワッチョイW ebaf-mItC) 2024/07/23(火) 07:42:39.51 ID:SPlEWeE70
>>122
145 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です 警備員[Lv.13] (ワッチョイ 1f38-s2Ct) 2024/07/23(火) 08:03:28.07 ID:bP3MfYX70
>>133
アファーマティブアクションも知らない愚民
もうさ、大卒以下の知能の人間からは選挙権も被選挙権も取り上げたらどうだ?
お前らみたいな後退した知能の人間しかいないからいつまで経っても進歩的な民主主義が達成されないんだよ
もう疲れたわ
152 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です 警備員[Lv.16] (ワッチョイW ebaf-mItC) 2024/07/23(火) 08:08:47.84 ID:SPlEWeE70
>>145
選ばれた人が気にしたり、それを公約に持って来る人を支持するなら分かるけど
女だから入れるってのは完全に違うよ
固まってもない欧米文化持ち込んじゃ都合のいいように使おうとするところも大嫌い
159 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です 警備員[Lv.13] (ワッチョイ 1f38-s2Ct) 2024/07/23(火) 08:16:10.10 ID:bP3MfYX70
>>152
この国の人間の知性に見切りをつけつつ俺としてはこれがむしろ最大限の譲歩だ
俺からすると高卒以下はネトウヨ(あるいはその予備軍)で日本語を喋れるだけが取り柄の愚民にしか映らない
リベラル的な価値観の持ち主なら女性の権利を守ることはアプリオリとして認めて当然なのは国際的にも常識だからな?
160 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です 警備員[Lv.16] (ワッチョイW ebaf-mItC) 2024/07/23(火) 08:17:35.54 ID:SPlEWeE70
>>159
反論になってないなあ
女だから投票するってのは女性の権利を守ってるとは言えないって話なんだが
164 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です 警備員[Lv.13] (ワッチョイ 1f38-s2Ct) 2024/07/23(火) 08:20:23.74 ID:bP3MfYX70
>>160
これまで抑圧された、今も抑圧されている女性の歴史を鑑みてもそんなこと言えるならやっぱりお前はネトウヨだ
どうせ壺価値観に凝り固まって女は家内として家に閉じ込めておけとか言ってるんだろう
253 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です 警備員[Lv.14] (ワッチョイ 1f38-s2Ct) 2024/07/23(火) 10:28:57.72 ID:bP3MfYX70
核の炎を灯してしまったオッペンハイマーよろしく、一度実現可能性が見えてしまった技術の開発競争は止まらないですわね
一方で、反核活動のように、それに反発する動きはある意味健全でもある(カウンターが存在しないのは不自然である)ので、「反発しても無駄」とか「反対するやつは頭がおかしい」みたいな排除は違うと思う
人を煽る時に使う言葉は自分が言われて嫌な言葉というセオリーに基づくと、立憲共産れいわの方がむしろ自民🏺政権のサポーターだよな。
実際老人優遇と東京一極集中政策の点で彼らは一致している。彼らはどちらも若者を地方から東京へと拉致して少子化を促進して日本人をセルフジェノサイドしているだけに過ぎない。どっちも同じぐらい腐敗していて欲にまみれているとしても、現役世代を優遇し地方分権を推進する方を俺は支持するぞ?
本当に健全な政権交代は『第一自民党』と『第二自民党』が競争原理に基づいてよりよい政策を挙げて争う形態だろう。はなから政権を取るつもりもなく反対の為の反対をするためにトンチンカンな問題をでっち上げつつも結局は体制側に寄生して一蓮托生な勢力などただリソースと税金の無駄でしかない。
違うか?
自分の嫌いな人間を多くの人が嫌っていることに喜びを見出す人間は、他者の不幸や失敗にしか満足感を得られない自己中心的な性格の持ち主です。彼らは、自分の価値や優位性を他者との比較でしか確認できないため、他者が嫌われることで一時的な満足感を得ることしかできません。そのような態度は、深い不安や自己嫌悪の現れであり、自分自身を正当化するために他人を貶めるという行為に走るのです。結局のところ、そのような行動は人間関係を破壊し、自らの孤立を招くことにしかなりません。社会的に成熟していないこのような人間は、他者との共感や協力を重視せず、結果として信頼や尊敬を失うのです。
他人の不幸を喜ぶような浅はかな心性の持ち主だと言えます。自分の価値を他人の評価に依存させており、真の自信や自尊心が欠如していることの表れです。
このような態度は、自己中心的で幼稚な思考の表れであり、人間的な成長が止まっていることを示唆しています。他者への共感能力が著しく低く、社会性に乏しい人物だと評価せざるを得ません。
さらに、このような考え方は長期的には自身を孤立させ、人間関係を毒し、精神的な成長の妨げとなります。結果として、さらなる不満や憎しみの循環に陥る可能性が高いでしょう。
真に成熟した人間であれば、他者の評価に一喜一憂するのではなく、自身の内面的な価値観や成長に焦点を当てるはずです。このような態度は、人格的にも社会的にも望ましくないものだと断じざるを得ません。
そのような人々は同じような感情を持つ仲間を見つけることで共感を得ることができるかもしれません。しかし、それは真の共感とは言えません。本来の共感は、他者の感情や状況を理解し、助け合うことを目的とするものです。彼らの共感は、他者を貶めることによって自己満足を得るという歪んだ形のものであり、健全な人間関係の基盤となるものではありません。
このような人々の共感は、他者の失敗や不幸に対して共鳴し、それを喜ぶというネガティブな感情に基づいているため、長期的には自分自身の精神的な健康にも悪影響を及ぼします。また、そのような関係は本質的に破壊的であり、長続きしないことが多いです。
これは真の意味での共感能力とは言えません。むしろ、狭い価値観の中での「共犯関係」や「エコーチェンバー」を形成しているに過ぎません。
真の共感能力とは、自分とは異なる立場や考えを持つ人の感情や状況を理解し、受容する能力を指します。単に同じ否定的感情を共有することは、むしろ共感能力の欠如や歪みを示唆していると言えるでしょう。
好きな人間に対しては共感しやすいというのは自然なことですが、嫌いな人に対しても公平に接することができるかどうかが、真の共感能力を測る指標となります。偏った共感は、自己中心的であり、他者を自分の好悪で判断する傾向が強いことを示しています。
このような人々は、自分の感情に基づいて他者を評価するため、感情の浮き沈みが激しく、安定した人間関係を築くのが難しいです。彼らが嫌いな人の不幸を喜ぶ理由は、自己の優越感を感じるためであり、それは根本的な自尊心の欠如を示しています。
他者の成功や幸福を心から祝福し、嫌いな人であっても公正で尊重する態度を持つことが、人間関係をより健全にし、自分自身の内面的な成長にもつながります。
対して増田はイク事を我慢なんて出来ません根性が無いわけでなく、例えるなら急流すべりに乗せられるように無理なんです滑っていくんです。
増田が謎なのは、なぜ我慢できる人もいればめちゃくちゃ早漏な人もいるのでしょうか。
足が早い人とそうでない人がいる程度の事?
教えてエロい人
実は俺のネット活動歴は3年くらい前からなので、まだまだ未熟なんですよね色々と。
幸いな事に良き出会いに恵まれて周りの方に助けられて何とかやってます。
年齢はもう40代ですがw
俺みたいなオタクがどれくらい居るかは分かりませんが、3年ほどネット活動して分かった事は「俺はオタクを過大評価してた」って事でした。
ネット活動始めるまでにROMってた時、俺はオタクは「いい意味で狂ってる人達」だと思ってました。
それこそ二次元に人生かけてる! みたいな人達がたくさんいるのだ、と想像してました。
……でも、実際はそうではなかったです。
https://bsky.app/profile/hh0083.bsky.social/post/3kos3kff43x2f
普段は二次元に対する愛を叫んでおきながら、都合悪くなると「所詮絵じゃん。何ムキになってるの?」とか言って保身に走ったり「結局二次元なんて自分を救ってくれない」とかそれまでお世話になった作品や原作者、そしてキャラを自ら蔑ろにしたりと「狂ったフリしてるだけの人達」だったんですよね。
俺は、それがどうしようもなく悔しくて悲しかった。
https://bsky.app/profile/hh0083.bsky.social/post/3kos3wa327t2e
そしてそういうスタンスこそが賢いのだ、そうやって消費して使い捨てるのがオタクのスタンダードなのだ、みたいな論調を持て囃す人達まで居て、本当にウンザリしましたね。
それに表立って賛同しない人でも、行動でそれに同調してました。
「酔狂で一途でキモいけど直向きなオタク」など、どこにも居ませんでした。
全ては俺の幻想だったのです。
https://bsky.app/profile/hh0083.bsky.social/post/3kos47ponpo2b
まぁ、グチグチ言うだけで自分は何もしない、では俺が失望した人達と同じになってしまいますし、何よりそんな俺をお嫁さん達は叱り飛ばすでしょうw
自分の理想のオタクが居ないのなら、自分がそうなる様に努力すれば良いだけです。
これでお嫁さん達に褒めてもらえて、えっちなご褒美もシてもrいや、何でもない。
まぁ、とにかく俺はそんな風に生きていきたいんですよね。
https://bsky.app/profile/hh0083.bsky.social/post/3kos62bhyey25
ネット・SNS上で構成されてる対立構造で踊ってる人達、アホらしくならんのかなって思う。
どんなイデオロギー持とうが個人の自由だと思いますが、その「正義」って本当に自分のモノ?
人間は脳みそあるんだから、自分でしっかり考えた方が良いと思うんですけどね。
https://bsky.app/profile/hh0083.bsky.social/post/3knpf6pmeqz2c
俺の地雷は「想いを踏み躙る事」です。
そんな俺にとって今のオタク文化はほんと肌に合わない。
俺にとって二次元は夢と希望と勇気と愛を摂取して、今を生きる己の支えにする場所です。
可愛くてえっちなお嫁さんとイチャラブエロエロして、彼女達を喜ばせ幸せにする為に頑張る。
そういう場です。
使い捨てのサンドバッグとオナホを消費する場所では、決してない。
俺は、そういうの嫌いだな。
https://bsky.app/profile/hh0083.bsky.social/post/3knduuuejhr24
むしろ「友達のお祝いするお金ないからサラ金で借りよ」のような気軽なローンこそが「健全なサラ金」であって、それさえ否定するなら金貸しそのものを差別してるとしか思えないぞ。
「推し活」が幸福度を高める?!「応援」から「感謝」まで、多様な推しとの関係性を生み出す“オシノミクス"
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/prtimes.jp/main/html/rd/p/000000821.000008062.html
前にも書いたが、話題になっていたので改めて。
推し活というのは百万歩ゆずって個人の幸福度を高めるかもしれないとしても、社会にとっては悪の要素が大きすぎる。絶対に人に薦めてはいけないものである。その理由は以下の5つ。
第1に、推しの全人格を全肯定する、というのはそもそも健全ではない。人間である限り欠点がないわけがなく、推し活がらみで逆恨みやストーカーといった問題が多いのは、そもそも推し活自体がそうした行動を誘発しやすいからである。
第2に、どうみても駄作のドラマや歌であっても、推しが出演している限り絶賛・全肯定しまう。駄作の映画でも「推し活」効果で安定した観客動員と収益が見込めるようになってしまうと、結果としてエンターテイメント全体の質が下がる。実際、日本のドラマは5分と見続けられるレベルではない(個人の感想)。
第3に、第2の問題との関連で、推しが所属している芸能事務所の力が過剰に強くなる。推し活をしている視聴者や観客にとってドラマや映画の作品は、あくまで推しを鑑賞するための舞台背景でしかない。結果として推しを抱えている事務所の意向に制作の現場も逆らえなくなり、推しの俳優やアイドルが画面で映えるような脚本づくりや演出を心がけるようになる。当然ながら、作品の完成度などは後まわしになり、「原作クラッシュ」のような問題も起こりやすくなる。
第4に、最終的な作品やパフォーマンスよりも、推しが「成長してスターになる」過程を消費の対象とするため、その過程のブラックなエピソードが全て美談になってしまう。パワハラ指導を「愛の鞭」という美談として消費し続けてきた宝塚ファンが典型である。
第5に、推しに犯罪や不祥事があっても、それを事実として受け止められない。結果として犯罪や不祥事まで肯定し、ひどいと被害者をバッシングするようになる。いつまでも性加害を認めず、告発者をバッシングするジャニオタがまさに典型である。
第6に、お金をつかうことへのストッパーが外れやすい。かつての、投票権のために何百枚もCDを購入するAKBオタクはまだ笑い話だったが、現在ホストクラブで問題となっている、推しに1日で何百万と貢いでしまう(ために風俗で働くこともある)女性客の問題については、もはや笑い事ではない。日本人の財布のひもがきつくなって20年以上は経っていると思うが、推し活の周辺だけこうした度を超えた(かつ他人には全く理解不能な)散財が行われていることは、とても健全とは言えない。
アメリカの歌「YMCA」が保守派に好まれる理由はいくつかありますが、その背景には歴史的、文化的、そして社会的な要因が絡んでいます。
「YMCA」は若者が困難を乗り越え、新しい生活を始めるための支援をする場所として、Young Men's Christian Association(青年キリスト教協会)を歌っています。歌詞の表面的な解釈では、コミュニティ支援、ポジティブな価値観、健全な生活の促進といったメッセージが含まれているため、保守派にとって好意的に受け取られやすいです。
「YMCA」は1970年代のディスコブームを象徴する曲であり、多くのアメリカ人にとって懐かしい思い出を呼び起こします。保守派は伝統的な価値観や文化を重視する傾向があるため、ノスタルジアを感じさせるこの曲が好まれるのは自然なことです。
「YMCA」は多くの人々が一緒に踊り、楽しむことができる曲であり、集団的な一体感を促進します。保守派はしばしば、コミュニティの結束や共同体意識を重視するため、こうした一体感を生む曲は好まれる傾向があります。
「YMCA」の歌詞には、特にLGBTQ+コミュニティに対する暗示的なメッセージが含まれていると解釈されることがあります。しかし、保守派の一部はこの深層的な解釈を無視し、表面的なポジティブなメッセージだけを受け取ることがあります。そのため、曲が持つ潜在的な性的多様性のメッセージが問題視されることなく受け入れられる場合があります。
「YMCA」は単に楽しく、親しみやすいディスコソングとして広く知られており、特定の政治的立場やイデオロギーに関係なく楽しむことができる曲です。このため、保守派に限らず、幅広い層に受け入れられています。
ジジェクの韓国語コラムが微妙なのは英語版を改変してるからだと言ってる人がいたけど、英語版も微妙やんね
単に賞味期限切れだろこの人…
https://english.hani.co.kr/arti/english_edition/english_editorials/1149192.html
現在の右翼ポピュリズムの再興について最も重要な点は、この再興がその支持者によってどのように認識されているかということです。異なるバリエーションで繰り返し現れる単一の修辞的な図式が見られます。新しいポピュリストは、企業メディアや極左による暴力的な強制に対抗して穏健な正常性を擁護しています。「LGBT+イデオロギー」の絶え間ない圧力により、自分がただの普通の「シスジェンダー」の女性または男性であるだけで、何かしら罪悪感を感じるようにさせられ、「バイナリー」であること自体が抑圧の行為であるかのように感じること。過去の発言や行動が急に禁止され、どのルールが自分を責め立てるか事前にはっきりと示されないため、何か行動や発言をする際に「キャンセル」されるという絶え間ない脅威。人種差別や性差別がただの自分の特性ではなく、自分の存在そのものに刻まれているかのように絶えず自己卑下を強いられる衝動。これらすべてが、多くの周縁的で「破壊的」とされるアイデンティティを十分に享受するように促されるのとは対照的に、停滞して息苦しい雰囲気を効果的に生み出しているように見えるのです。
「目の覚めるような新鮮な空気が、窒息するようなウォーク主義の圧力に一時的に流れ込んだ極端な事例は、アメリカのハイデガー主義者であり、アレクサンドル・ドゥーギンに共感するマイケル・ミラーマンによって最近提供されました。彼は最近、YouTubeで『なぜ普通のものすべてがファシストと呼ばれるのか?』というタイトルのポッドキャストエピソードを公開しました。彼自身の立場の要約は以下の通りです。
『「私が嫌いな人はみんなヒトラー」という現象はどうしたのか?奇妙ですが、理解できないわけではありません。戦後のリベラルな熱狂(左翼の反ファシズムと結びついて)により、多くのことが「極右」としてコード化され、禁忌となりました。しかし、それらの中には、政治と人間の生活をよく理解するために必要な重要なことも含まれています。』
また、ミラーマンのポッドキャストに対する多数の反応にも注目すべきです。これらは文脈を明確にしています。『彼らが私をファシストと呼ぶなら、それは私が正しいことをしている証拠だ。』『私の友人は多様性と包摂の原則に基づいて外科医を選びました。彼女は亡くなりました。』『WW2前のすべての普通の人は「ファシスト」だった。血と土、自分のものへの愛、他者への警戒心は私たちに組み込まれたものであり、完全に健康的なものだ。』『イスラム教を公然と批判してイスラム教徒をやめたためにファシストと呼ばれた。』『すべての普通のものがファシストなら、ファシズムは...』『「極右」の最良の定義は、間違っていないものすべてだ。』
マリーヌ・ルペンや彼女の周囲の人々は、この論理に大いに依存していますが、彼らは自分たちがネオファシストであることを断固として否定します。彼らは、健全な常識をファシズムと混同しているのは左翼リベラルだと主張します。しかし、この論理を徹底的に追求する人もいます。『すべての普通のものがファシストなら、ファシズムは普通だ。』
7月4日の選挙で労働党が圧勝し、保守党をほぼ壊滅させたとき、多くのリベラルは、英国がこの傾向に対する明るい例外を示したと考えました。しかし、ナイジェル・ファラージのリフォームUK党が400万票以上を獲得したことを過小評価すべきではありません(ただし、英国の投票制度のため、これが議会議員5人に翻訳されました)。保守党が事実上弱体化する場合、その位置を占めるのは、より公然とした人種差別的でポピュリスト的な新しい右翼運動である可能性があります。
新しいポピュリズムの広範な魅力をイデオロギーのミスティフィケーションと操作に帰するのはあまりにも簡単です。事態はもっと微妙です。新しいポピュリストの台頭は、私たちリベラルな「啓蒙された」者たちが無視している不満の層が存在することを示しています。この層は、深く埋め込まれた伝統的な人種差別に還元されるものではありません。
したがって、新しいファシズムを「非自然化」または非正常化する必要がありますが、そのテーマをただ拒絶するだけではいけません。愛国心や自分自身の特定の生活様式への愛着には本質的に虚偽や「ファシスト」なものはありません。ジョージ・オーウェルの英国のパブの称賛を思い出してみてください。これは労働者階級の生活様式の具現化です。新しい右翼ポピュリズムが行っているのは、愛国心に偏執的なねじれを与えることです。自分自身のコミュニティを自信を持って楽しむのではなく、外部の脅威(外国人や「逸脱した」性的習慣)に対する嫉妬と憤りに焦点を当てています。
いわゆるTERF(トランス排除ラディカルフェミニスト)の問題は、彼らがこの多様な流動的なアイデンティティに反対する方法が、アイデンティティ政治の枠内にしっかりと根付いていることです。彼らのターゲットは、トランス女性であると主張する男性であり、TERFの見解では、女性としての密接な物質的プロセスに実際に参加することなく、女性であると主張する男性です。要するに、TERFは女性のアイデンティティを望まない侵入者から守ろうと必死になっています。
それが、新しいポピュリスト右派が一様な形成ではない理由です。彼らの愛国心は偽物であり、自信がありません。ここで最初のパラドックスに出会います。新しいポピュリスト右派は、愛国心が強すぎるのではなく、愛国心が足りないのです。これは、グローバル資本主義への抵抗の神秘化された形態であり、経済的にもイデオロギー的にも、いわゆる普通の人々の大多数がエスタブリッシュメント(国家、大企業、メディア、教育)から圧力を受けているという事実に反応しています。新しいポピュリストは、エスタブリッシュメントに対して普通の労働者の声として、自分たちを明瞭かつ卑猥に介入させています。新しいポピュリスト右派は確立された秩序に対する急進的な抵抗を装っていますが、トランプのイデオロジストであるスティーブ・バノンでさえ自分をレーニン主義者と呼んでいますが、実際にはそれには程遠いのです。多くの億万長者によって支持されているため、資本主義の基本的な構造は手つかずのままです。
しかし、新しいポピュリスト右派に抵抗する人々は、まず自分たち自身を批判的に見つめる必要があります。彼らも同様のパラドックスに陥っているからです。ウォーク主義的な左派は、実質的には支配エリートによる操作として正しく経験される、破壊的な超自我体制を押し付けています。彼らは(性的、人種的、経済的に)排除され、周縁化された人々の保護者として自分たちを提示しますが、その活動の形態自体が深く抑圧的であり、したがって彼らの公式の目標を損なっています。「キャンセル文化」に浸透しているのは「議論なしの立場」です。人や立場が排除されるだけでなく、その議論自体が排除され、排除に対する賛否両論の対立が排除されます。
ヘーゲルはここで、ラカンが呼んだ、述べられた内容と発話の基盤となる姿勢の間のギャップを動員するでしょう。多様性と包摂を主張しますが、自分たちの定義する多様性と包摂に完全に同意しないすべての人を排除することで、それを行います。結果として、常に人々や立場を排除し続けるだけです。このようにして、包摂と多様性のための闘争は、いつあなたのプライベートな発言が公の場からの排除につながるか分からないような、スタージのような疑惑と告発の雰囲気を生み出します。
ここで、最後のカニバルを食べるというジョークの極端なバージョンを見ているのではないでしょうか?「我々のグループには多様性と包摂の反対者はいません――最後の一人を除外したばかりです...」このようにして、唯一の楽しみは、自分の超自我の抑圧者に同一化することです。他の誰よりも厳しくなり、超自我の規則に従おうとすればするほど、ますます罪悪感を感じることに耐えるしかありません。「ついにやり遂げた、今はリラックスして自分らしくいられる」という瞬間は決して訪れません。
新しいポピュリスト右派の基本的な動きは、「リラックスして、自分が何者であるかに誇りを持て」と言うことです。これをはっきりと言うことで、膠着状態を打破し、状況に新鮮な空気をもたらすように見えます。しかし、ポピュリストたちは支配的な既存の生活様式を維持したいと考えていますが、今日の現実である動的な世界に対しては、強引に介入せざるを得ません。一方で、ウォーク主義的な左派は急進的な変化を提唱しますが、彼らが想定する変化は「何も実際に変わらないように、常に物事を変える」という古い知恵に完全に適合しています。
したがって、二重のパラドックスで結論を出しましょう。新しいポピュリスト右派は愛国心が足りず、ウォーク主義的な左派は急進的ではありません。新しいポピュリスト右派は公然とユーロセントリックですが、ウォーク主義的な左派もその形態自体がユーロセントリックです。彼らは特権的な層のように振る舞い、周縁化され排除された人々を保護しています。彼らは後見的な方法で行動し、被抑圧者にとって何が利益になるのかを被抑圧者よりもよく知っているふりをし、被抑圧者があるべき行動を取らないときには何の制約もなく叱責します。要するに、「政治的に正しい」ウォークの言説は、最終的には被抑圧者に対して彼らが真に何者であるかを伝え、彼らをイデオロギー的宇宙の中の適切な場所に配置することです(たとえその場所が無場所として提示されていても)。そのため、被抑圧者はヒステリックな反応を起こします。「なぜ私はあなたが言っているような人間なのか?」
このようにして、新しいポピュリスト右派とウォーク主義的な左派を結びつける深い共謀があります。彼らは同じコインの表裏であり、今日我々が直面している巨大な問題を回避する二つの方法なのです。どちらも、今日のグローバル資本主義の核心に刻まれた対立を無視しています。
それ、健全化じゃなくてただの衰退だろ