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2018-05-23

20歳貧困女子大生リアルを教える

受かりそうな国公立大学を選んで、隣の県へ進学した。中国地方田舎だ。

家賃は3万5000円。高校生の頃にお母さんと下見に行って「安くて大学に近いからここにしなさい」と決められた。

入居してみると壁が薄くて、隣の部屋に住んでる男の子ギターの音がやかましい。

だけど夜23時以降は静かだし、友達もいなそうだから許してる。

高校生の時は、何となく弁護士になりたかった。ガッキーの出てたドラマの影響である

本当は法学部に行きたかったけど、学力が足らなくて文学部に入った。

4月に「とりあえず友達」になった女の子に誘われて入ったサークルは、6月には行かなくなった。

実家から仕送りゼロ。だけど学費は全額払ってくれる。

家賃光熱費通信費も親がカードで払ってくれる。

あとはバイトで余裕だと思ってたけど、意外とキツイ。まず高校生の頃よりお金がかかる。

服も買わないといけないし、大学の付き合いもある。

大学に入ってすぐ、何となく居酒屋アルバイトを始めた。

店長が厳しいし、シフト週6で入れられるし、辛くて6月に辞めた。

時給が高さにつられて始めた学習塾アルバイトは、週2なので何とか1年続いている。

クラウドワークス登録して、くだらないネットニュースを書く在宅ワーク半年以上している。

何のやりがいもないので、適当にやってる。5記事書いて3000円。安い。

高校時代からずっとやってるブログ広告を貼るようになり、最近ようやく月3000~5000円(笑)稼げるようになった。

バイト代と在宅ワークを合わせて月6万。授業がない春休み夏休み日雇いをやって稼ぐ。

ギリギリだけど、これ以上バイトするのは無理。しんどい。授業だって真面目に出てる。

楽して稼ぎたいと思い、友達に誘われてキャバクラ体験入店に行ってみたけど、体験入店で1日だけ働いて断った。

塾のバイトは楽しくなってきた。ボランティアフリースクールの子どもに勉強も教えている。

親には「学校先生になったら?」って言われるけど、あんなに忙しくてストレスのかかる仕事はないと思う。

自分時間がないのは耐えられない。会社正社員会社で働くのも大変そうだ。

卒業したら非正規雇用で塾かデイサービスで働きつつ、自宅で副業をしたら生活できるんじゃないかと思ってる。

この計画を親に話したら、呆れられた。

休日ブログ書いたり、Twitterやったり、5ちゃんに書き込んだり、youtube観たり、AbemaTVを観たり、はてな匿名読んだり、Amazonプライムを観たり、ヤフコメ喧嘩したり、図書館で借りた本を読んだり、スピッツCDを聴きながら家事をしてすごす(料理は嫌い)

お金はほしいけど、しんどい思いして働きたくないし、それなら自由時間があって節約生活する方がマシだし、だけどやっぱりお金はほしい。

もしお金持ちになったら、まずコンタクトレンズをワンデイにしたいし、激安スーパーの割引の総菜じゃなくてデパートの総菜が食べたいし、冬でもスイカとかイチゴを買って食べたい。あと追い炊きができる浴槽のついたマンションに住みたい。

2018-05-15

妹のゴミ部屋を掃除した

妹が一人暮らししていたゴミ屋敷のような部屋を、この3日間をかけて片付けた。
とにかく吐き出して残したいという思い9割、誰かの役に立つかもしれないという雑な期待1割で書きます

経緯

2009年春に妹が地方大学へ進学し、それからアパート一人暮らししていた。
その後いろいろあって、3年前の4月に突如実家に帰ってきて、実家ニートに転身した。もともと内にこもりがちの性格であったが、在学中にうつ病も患っていたらしい。3年近い休学を経て、結局退学した。今もそれほど状況は好転していない。
それ以降、アパートに戻っておらず、契約けが残る状態が続いていた。

丸3年放置されていたため、さすがにだめだろうと父へ打診し、今年の5月に父と僕で片付けと解約を行った。この件については妹は一言も口を聞かなかったので、二人で強行した。
大人二人いればなんとかなるだろうと2泊3日で予定を組み、自分が先行して部屋に入って片付けを先行する手はずになった。
この件については全く頑なな妹の態度から、「人が死んでるのかな?」とか、「異臭騒ぎになっているはずだからバラバラにして冷凍されているかも」とか、「郵便受けに大量の督促状とか入ってたらどうしよう」とか、出発までの数日間はそんなことを勘ぐり、心中穏やかではなかった。
父が出発当日に妹に声をかけたが、部屋に引きこもって出てこなかったらしいので、結局父と二人で作業も行うこととなった。

大家さんに借りた鍵(妹は持っているとも無くしたとも、何も言わなかったらしい)を使い、ドアを開ける。
アパートはよくあるタイプの1Kで、玄関から入るとキッチンがあり、扉を挟んで左にユニットバス、奥の戸を開けると6畳の居間があるという構造自分は妹のアパートにこの時初めて入ったが、大学時代は全く同じ間取りアパートを借りていたので、。

開けた瞬間、なんとも言えない臭いが真っ先に鼻についた。多分、配管の中の水が蒸発しきって、下水臭いが逆流していたのだろうと思う。3年間開けていたのでこんなものかもしれない。
玄関は、空き缶が詰められた大きなゴミ袋(45Lくらい)と、紐でくくられた雑誌が何束か、それと買ってきたであろう掃除用具が転がっていた。
次に、左側のユニットバスの扉を開ける(内心、かなりビビっていた)。ゴキブリカマドウマ死体が転がっていたり、シャワーカーテンが真っ黒にカビていたり、臭いも更にきつかったけど、思っていたほどではなかった(シャワーカーテンなんかは消耗品だし)。とはいえ、ここで用を足す気には全くなれなかった。

最後居間の戸を開ける。が、30cm位しか開かない。何かがつっかえているらしい。30cmの隙間からは、ゴミ部屋が広がっていた。テレビで見た、あのゴミ屋敷のような部屋だった。
床が見えなかった。ベッドと同じ高さまでゴミが層に積み重なっており、畳なのかフローリングなのか、カーペットを敷いているのかどうかとかは全くわからなかった(ちなみにフローリングの上にカーペットが敷かれていた)。

その後合流した父と3日間(作業時間は丸2日)をかけて、なんとか片付けを終え、解約までこぎつくことができた。
可燃ごみは45Lのゴミ袋で40袋弱、ビン・缶が10袋程度、ペットボトルも同じくらいで10袋、粗大ごみが約100kg、これに加えて冷蔵庫洗濯機リサイクル家電処分した。

教訓と考察

ゴミ屋敷の片付け作業において

片付け作業でのポイントを忘れないように記録します。もう二度とやることは無いかもしれませんし、そう願っていますが。

事前に”どの程度の”状況なのかは把握したい。
妹がこの件については全く口を割らず、また僕も父も部屋に入ったことが無かったので、状況がわからず、準備も中途半端になってしまった。
もし屋敷と言えるくらいの広さだったり、糞尿があるようなら、心身の衛生のためにも、専門業者に頼んだほうが良いと思う。今回はそういうのが無かったので、なんとかなった。運が良かった(?)。

二人以上で作業するのは必須だと思った。一人では絶対心が折れる
僕は心が折れた。居間をひと目見ただけで、頭の中が真っ白になり、10分くらい部屋の前で狼狽していた。動転していた中、「とにかく十分な装備が要る」と思い、部屋からいったん離れて近くのスーパーマスクゴム手袋軍手ウェットティッシュ調達した。部屋に戻り、まずは何かに着手しようと玄関に散らばっていたカタログ雑誌を、紙紐(転がっていた掃除用品の中にあった)で縛り始めた。雨が降りしきり、薄暗い玄関で黙々と作業しながら、「妹はこんなところで6年間も住んでいたのだろうか」「こんなところにいたら頭がおかしくなるに決まってるやろ」「こんなしょうもないものに囲まれて、6年間で何が得られたんだろう」「玄関にあった掃除用品は自分でなんとかしたかったけど、どうにもならなかったのだろう、自分を恨んだり呪ったりしたかもしれない」「なぜ助けを求められなかったんだろう」「今もそう、どんな思いで、どんな気分で生きているんだろう」「なんでこうなったんやろ、なんでやろ」と頭がぐるぐるし、だんだん悲しくなり、終いには泣きそうになっていた。作業したくない言い訳かもしれない。その後、父が到着するまでの間、恥ずかしいことに作業を投げ出して近くのカフェに逃げ込んで、清掃業者を調べていた、というか茫然としてしまっていた。
父が加勢してからは、とにかく話しながら作業した。話すことがなければ、「オラオラオラ」とか「うげーなんじゃこりゃ」とかなんでも良いか独り言を出して、”黙々”という状況をなるだけ避けた。そうして余計なことを考えないようにした。独り言は案外一人では言えないものなんだな、というのも初めて得た気付きだった。

できれば一緒に作業する人は年長者が良いかもしれない。
僕の父は、僕ら兄妹の引っ越し祖母遺品整理などを手伝っていたので、片付けは手慣れたもので、そういった作業用キット(父曰く「いつものやつ」)を自前で作って実家から駆けつけてくれた。僕が狼狽して入れなかった居間を見ても、「おうおう、アイツ(妹)、なんちゅう散らかしようや。ちょっと中入ってつっかえてるもん取って」と怯まなかった。「あ、このおっさん、やる気やな」と、自分もここで覚悟を決めた。

車も必須可能なら、軽トラなどを借りておきたい(量が多いのと、ゴミなので車内を汚したり臭いをつけたりするため)。
借りるときは、片付けている部屋から持ち込み可能自治体清掃センターがどの程度離れているのか、といったところから積載量も考えた方が良いかもしれない(遠いとこまめに運んだときタイムロスになるため)。

土足で作業すること。そうでないと身動きが取れない。靴もできれば底が頑丈な登山靴や安全靴が望ましい。ゴミの下に鏡などがある(今回はゴミの下から合計5枚、そのうち2枚が割れていた)。自分も気づかずにそれを踏み抜いたが、軽登山可能な厚手のスニーカーだったので助かった。
土足に加えて、ゴム手袋マスクメガネ(花粉症用の装備が良いかもしれない)は必須。3年人が住んでいなかったので臭いはそこまでだったが、代わりに埃っぽさが酷く、メガネが無いと危険だった。実際、作業が終わるころにはレンズホコリで白くぼやけていた。衛生面でダメージを受けるとモチベーションがすっごい下がるし、何より感染病とかが心配になってくる。

作業スペースが限定されるので、二人で作業するときはきっちり役割分担をすること。
居間ゴミ処分作業の中心になるが、動けるスペース・何かを置いておけるスペースが全く無かったので、二人が作業するためには何らかの作戦必要になった。
そこで、僕がとにかく可燃ごみ・ビン・缶をゴミ袋に詰め込みまくって部屋を原状復帰させること、父がダンボール分別必要もの解体や、分別必要ゴミの分解、雑誌などの資源ごみの紐括りなどを担当することにした。そうすることで、足の踏み場がない居間には僕、玄関には父という配置で、前衛の僕が分別できないゴミ玄関に投げ、後衛の父が投げられたゴミを処理するというフローができるので、二人の動線干渉せず、効率的作業できた。

進捗は正義
床に敷かれたカーペットが少し見えたときは「このゴミ無限ではなく作業意味があるんだ」と勇気づけられたし、いっぱいにしたゴミ袋の数を数えるのが少なくともそのときは僕にとっての勲章だった。2日目の午前、居間の奥の窓まで到達し、締め切られていたカーテンと窓を開け、光と風が差し込んだときは「ライン川を渡った連合国軍兵士はこんな気分だったのか」と思いながら、ガッツポーズをしていた。完全に頭が湧いているけども、何にせよ進捗をあげている気分になれないと、無限に続くような作業に耐えきれなかった。

一番ゴミが多いのはベッドの周り。
ゴミ屋敷になってくるとベッドの上は最後生活圏になるので、燃えるゴミの大半はここから出るのだろう。実際、ゴミ袋に詰め込む作業時間の7割程度は、ベッドの周りに関わっていたと思う。逆にベッドからというところのゴミは、実はベッド際ほど層が高くなかった(放り出された空のダンボールが折り重なって、最初は見えなかったが)。
ちなみにベッドの周りのゴミの中に、(合算すると)現金十数万円が埋もれていた。大事な物もきっとベッドの付近で見つかるのだろう。「こうして廃棄品から千万が見つかることになるんやなー」と父がのん気にぼやいてた。そのとおりだと思う。

ゴミ屋敷にしないためにできることはなんだろうか

延々と続く作業の中で、「なぜこうなってしまったのだろう?」と考えていた。
妹が精神的に患っていたこともあって決して一般論ではないですが、自分一人暮らし経験とも照らし合わせながら、整理したい。

ベッドの周りのゴミの中で特に多かったのは、ティッシュビニール袋、綿棒、割り箸から揚げ棒や焼鳥の串、500mlの牛乳パック、レシートアイスの棒とカップ、コンドーム(もちろん全て使用済み)。要するに、普通は捨てることに一切躊躇しない物がほとんどだった。
でも人によっては、ビニール袋は「何かに使うかも」とか、レシートは「いくら使ったのかわからなくなるのが不安」とか、そういう(場合によっては無意識的な)抵抗が働くかもしれない。捨てるときには、その都度、軽重異なるが判断が求められるし、捨てて得られるものも無いので"保留"という形で、なんとなくそのへんにうにゃむにゃしてしまうのかもしれない。
上でも述べたとおり、ベッドの周り(特に上層)はもはやゴミ屋敷化してしまった状態での行動を反映していると考えられる。この時点では、もう何かを判断する力を失っていたのだろう。ベッドの周りには大量のバファリンもあった。ゴミ屋敷とかそれ以前に、妹がそうなってしまう前に手立てを打ちたかった。悔やみきれない。
「余計なものを買うから、ああなるんだ」と思い込んでいたが、そうではなく「本当にしょうもないものも捨てられないから、こうなるんだ」という当たり前の気づきもあった。

あれだけ汚い居間の中で、中身の入ったゴミ箱・ゴミ袋の類が不思議と見当たらなかった(未開封の市指定ゴミ袋は片付けの途中で見つかった)。
捨てることがシステムの中に組み込まれておらず、捨てるハードルを高くしてしまっているというのもわかった(これは自分一人暮らしの中で覚えがあって、生ゴミ用に蓋付きのゴミ箱を買ったが、ゴミを放り込むのも、袋を出して捨てて入れ替えるのも面倒になって使わなくなったことがあった)。
ゴミ箱なんて使わずに、不格好でもそのままくくって捨てられるように市指定ゴミ袋を部屋に転がしておき、そのゴミ袋の下とか横にでも換えのゴミ袋を置いておくなど、とにかく「捨てやすい、ゴミ出ししやすい」を状況を作ることが大事なのだと思った。

捨てられない人にとって、通販は敵。
ダンボール処分に困る。解体担当の父もうんざりしていた(任せきりですまんかった)。硬くて解体しくいし、資源ごみだし。中身の方を早く取り出したくてダンボール処分どころではないかもしれない。
特にひどいなと思ったのはニッセンで、ゼクシィみたいな分厚いカタログが何冊も何冊もゴミの山から出てきた(発狂するかと思った)。体積的には、ニッセンで買ったものより多かったのではないだろうか。資源ごみは回収日が限られていて、しかも包装ビニールから取り出して紙紐で縛るなど手間がかかるので、捨てられない人間はあっという間に溜まる(自分定期購読した雑誌を、未開封状態積読した覚えがある)。
ゴミの下層の方に多く見られたのも、もともと捨てる手間が大きく、また捨てるメリットも少ない(生物のように腐ったりしないし)ので、まだ正常な判断ができる初期の時期でもなかなか捨てられず、結果、ゴミ屋敷へのトリガーとなるのだろう。

仕送りも敵。
ごみの下層でほったらかしにされたダンボールの中には、自分も見覚えのあるものメーカーのもの散見された。送り主は母で、仕送りされたものだった(僕も同じ時期に別の地方大学へ進学し、一人暮らしをしていたときに送られてきていた)。
中身はマヨネーズとか、ごま油とか、缶詰とか、そういうどこでも買えるような食品だったが、台所を片付けていたときほとんど未開封なのに気づいた。確かに、そのへんで買えるもので、しか調理しないと使えないようなものなど邪魔しかない(僕は強く「仕送りをやめろ、やるなら現金にしてくれ」と伝えていた)。
送られた品というのはなんであっても捨てにくいものだし、ましてやそれが一人暮らし栄養状態心配する母なのだからなおさらだありがた迷惑とはまさにこのことなのだろう。残念ながらこれもゴミ屋敷トリガーとなっていたと思える。

これは僕の直感なのだけど、一面床が見えなくなったらおしまいで、誰かに助けを求めたり介入したほうが良い。
床にゴミがある状態というのは、心理的ストレスが高い。捨てたくなるはず。だけど、一回ゴミで覆い尽くされたら、あとは高さしか変わらないのでゴミが増えたことを認知できない。そしてその期間が長くなるほど、もはや変えられない事実になる。ちょうど僕が初めて居間を見て「これは専門業者に頼むしかない」と感じたときと同じ絶望に、毎日毎日曝される。
この状況を打破するためには、他の誰かの助けがいるのだと思う。

どうでもいいこと(なんか汚い話)

初日に父がアパートに到着したときのこと。ユニットバスを見ると「うわーきたなー」と言いながら、そのまま入って、じょぼじょぼじょぼとおしっこをしていた。ちなみに2日目には自分大事荷物ユニットバスに置き、3日目には大の方もしていた。団塊世代の衛生感覚、恐るべし。僕は最後まで我慢してしまった。

意外とゴキブリは居らず、生きているのは1匹も見なかった(これは地域特性かもしれない)。
その代わり、5ミリくらいのうねうねした、尺取り虫のような、ちっちゃなムカデのような虫がそこかしこで這っていた。なんだったんだろう。

賞味期限が5年前に切れた卵の処理は簡単乾燥しきっているので液体ではなくなっていた(冷蔵庫の中だからかも)。

2018-05-07

結婚を機に父親と絶縁しようと思う

自分:男、20代後半

父親:70代後半

母親死別済み(登場しない)

彼女20代中頃

一人で実家まで行き、父親結婚の報告をしたら

と言われた。その場では、「そうだね、ごめんね。無責任だったね。また来るね」と言って帰った。

そもそも
  • 家には姉、弟が住んでいる。僕ら夫婦が同居するような場所はない
  • 同居するつもりもない(僕も彼女都内での仕事をやめて、実家田舎にいくつもりはない)
  • 母親が死んで以降、家/家族として機能していない家に、嫁を連れて行くつもりはない(報告は一人で行い、家族顔合わせは家の外でやる予定だった)
機能していない家とは?
  • 収入は0(父親年金と幾ばくかの遺産関連で食いつないでいる感じ)
  • 誰も掃除をしない!びっくりしたが、今は物で溢れかえっていた。
  • 野良猫が出入りして、糞尿が家の中にある(姉が知人からもらった猫をちゃんと世話や避妊をしなかった結果、子猫が生まれ、家の中を自由に往来しているらしい。トイレの躾もしていないので、家の中は猫の糞の匂いまみれ。人の住むべきところではない)
  • このような状況に対して、誰も何も行動をしていない(父も姉も弟も、そして自分も)。少なくとも実家の皆さんには危機感というか問題意識が無い。
自分と家の関係
  • 大学を出てから、年に一度帰れば多い方。基本的に用がなければ帰らない。
  • 現在の住所は知らせていない。
  • 収入等での依存関係相互にない。自立しているし、仕送りもしていない
  • 実家に住んでいない以上、実家のことにとやかく口出しをするつもりはない。住んでいる人たちでどうにかすべき。お金が足りないくらいの援助はしてもいいが。。
  • 家の悲惨な状況については、家長としての父親や、無責任な行動をとる姉に問題があると思っているが、自分自身もそれを解決しようとはしていない(関わらないことが無責任だと言われれば、それは認める)
今後

絶縁するのが良いかなと思っている。

というのも、現状がほぼ絶縁状態に近いので、明確に絶縁というスタンスをとってもデメリットが無いと考えている。

本来なら、同居するつもりが無いことや、実家の現状に対しての思いや解決策を腹を割って話した上で、より良い関係づくり、祝福された結婚をするのがべき論では正しいとは思う。

ただ、現状や今後のことを考えた時に、今後、父親/実家との関係を維持、継続していくことにメリットは無いと思っている。

なんと言うか、どこで自分人生を間違えてしまったのかと考えることもあるけれど、過去のしがらみや将来の不安のために今の時間を消耗するのも馬鹿らしい。

多分、絶縁すると思う。

結婚式はレンタル父親でも探そうか。

2018-05-05

家計診断してほしい

なんか削れる所ないか

収入 70

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光熱水道ネット 1.5

税金支払い用に貯金 10.5

健康保険 3.5

奨学金返済 3.1

家賃 10

仕送り 1.5

食費 5

被服 3

セックス 3

こづかい 6

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残り 貯金

2018-05-01

大学時代から人生を転がり落ち続けてきた大馬鹿者のはなし

これから書く記事は、以前ここに似たようなものを書いたことがある。だから本当は違反行為に近いのかもしれないけれど、前の記事妄想だと受け取られてしまって、どうしても納得できなかったからもう一回書かせてもらうことにした。妄想だと思われたのはおれに非があって、たぶん時系列錯綜した書き方が無用な混乱を与えることになったのだと思う。だから今回は単調かもしれないけれど、時系列の古いものから、つまり過去から順番に並べるやり方で行くことにする。ようするに自分語りなわけだけど、タイトルにあるようにとにかくおれが馬鹿なので、「おれの人生はこいつに比べたらだいぶマシだな」と思ってもらえる効果はあるかもしれない。

話は13年前にさかのぼる。おれは入試方式多すぎるやろ!とツッコミを入れたくなる関西の某マンモス大学意気揚々入学するも、出だしからいきなりつまずいてしまう。クラスで友人が1人もできず、桜が舞うころに開かれたコンパでは、桜の下でぼっち飯するおれは教育係の先輩から情けで声をかけられるありさまだった。

自然、人恋しさからおれの足はクラスから離れサークル活動に向かうことになった。そのサークルの同じくコンパで、スパゲティ屋で食事をしているとき、「どこ出身ですか?」と声をかけてくれる男がいた。それが1年前あまり行動を共にすることになるXだった。Xとはしょっちゅうカラオケに行ってガンダムの曲を一緒に唱うなどしたいたのだが、当時おれはカラオケで98とか出るのをいいことに(そんなやつはゴロゴロいるのに)、プロ歌手になれるんじゃないか勘違いして、レコード会社デモテープを送ったりした。しかもその曲が倉木麻衣Secret of my heartときていたのがもう・・・・・・。当時、おれは自分中性的女性的な魅力があると勘違いピンクの服を着るなどし「3次元クラピカ」を自称していたのだった。そんなうぬぼれたふわふわした気持ちもあり、授業からはどんどん足が遠のいていく。1年時の前半にとった単位は4くらいだったと思う。秋になるとサークルもやめ、もっぱらXとつるむようになる。毎晩のように親から仕送りお金レストランでの食事につぎこみ、Xが行きそびっているときはおれがXの食事代も出すようになっていった。そのうちXは交換条件のように、「食費を出してくれるなら(レストランに)行ってもいいよ」と言ってくるようになった。でもおれはじゃぶじゃぶ出した。1人自分の部屋で食べるということが考えられなくなっていたのだ。結局のところ、Xとの関係はおれにとって、1人暮らしさびしさや心細さを埋めるものしかなかったのだと思う。1年たった頃には1人暮らしにも慣れてきたのか、それまでスルーしていたXの1人よがりなあつかましさが目に余るようになっていた。「おまえには社会経験がないかバイト必要だ」とか、「おまえは友達が少ない。友達もできないやつに彼女ができるはずがない」とか、そんな自分意見一方的に押しつけて反論をさせない態度を受け流すことができなくなったおれは、ある日意を決してメールを送る。これまで一緒にいてくれたことに対する感謝を述べたうえで、しか性格根本のところで合わないところがあり、それはどうしようもないからもう関係を終息させたいと。すると笑いながらの電話がかかってきて、「彼女に言ったらありえんって言っとったよ。恋人が別れるときに」するような行為やって」と鼻で笑われ、おれたちの関係は終わった。

さんざんな顚末とはいえ、1歩引いて見るなら人生はまだまだこれから、おれに必要なのは地歩を固めるための1歩を踏み出すこと、つまり授業に出ることだった。しかしおれの人生はここから急速に転がり落ちていくことになる。

授業に出ようとするものの、1時間半受け身の状態で座りつづけるのが耐えられず、教室を途中退出して図書館に行くことが増え、そのうちもっぱら図書館に籠もるようになった。そして図書館PCルームネットに耽溺するようになるのもあっという間だった。友人のいない1人暮らしさびしさを埋めるためではなかったと思うけれど、おれはネットにほのぼのとした暖かいものを求めていた。もっといえば居場所を求めていた。そのことがあって、あるいは元々のどうしようもない性質のせいかもしれないけれど、おれはちょっとした冷やかしやスルーに対してキレて粘着するようになった。糞コテと呼ばれるまでそう時間はかからなかった。活動していたのは2ちゃんと某有名大学の掲示板で、ある日そんなおれの傍若無人ブーメランになって返ってくる。ある日、おれの使っていた数々のコテを1つにまとめた上におれの本名を記したレス2ちゃんに書き込まれしまった。本名検索するとすぐにそのレスが出てくるようになり、おれは事の重大さを悟った。特定された理由は、おれが調子にのって掲示板のEメールリンク先に本名を書いたからだけど、それをコテの数々と一緒にして晒されるなんて思いもしなかった。

そんな惨状にあってもおれは能天気なところがあって、ネットからは遠ざかりつつあったものの相変わらず授業には出ずにぶらぶらする生活を続けていた。いまだに自分を「3次元クラピカ」だと思いつづけていて、そんなキャラクター気分でいるからか、最後自分の思うようになるみたいな根拠のない楽観的気分でふわふわしていて、青春の倦怠を気取って、19世紀の文学作品をかじったりひとカラに行きまくってソファーに寝そべりながらアニソンに浸ったりしていた。食事はさすがに1人買ったものを部屋で食べたり学食を利用したりして落ち着いていたものの、食材を買いに行く店の人に「おひさしぶりですね」と笑顔で言われてこのお姉さんおれに気があるのかなと勘違いしたり、ナンパブログを真に受けてふるえる声で街を歩くお姉さんに声をかけてガン無視されたり、アニメキャラみたいなスタイルのお姉さんの後ろをつけつづけて感づかれて、店の男に告げ口されて男ににらまれたりと奇行が出始めていた。努力むなしくもちろん成果はゼロ、友人もゼロの極寒生活のなかだれつづけ、単位10程度のまま4年生、留年が100%決定していた。親に説得され、なんとか授業に出ようとするも、今度はマイクの音がうるさくて耳が痛いという症状に悩まされる(あれだけカラオケ行ってたのに)。どうしても苦しいなら耳栓するなりすればいいのにみみせんのみも思いつかず、といって親に相談することもなくずるずると授業から逃げつづけ、気がつけば5年生になっていた。5年生のしばらくたった夏ころ、もう単位をとれる見込みはないと親に電話し、退学させてほしい旨を伝えた。そのときも親からも1言も耳栓案が出なかったのは不思議だが、いまさらそんなことを言ったって仕方がない。

退学して田舎実家に帰ったおれは、今度は公務員学校に行き始める。でも相変わらず奇行はおさまらない。電車のなかで見かけたセクシー女子大生をガン見しまくり、友達と一緒に笑われていた。大学中退なのに、ほとんど大学卒業者が受験する地方上級を目指したものの、ここでも根気がつづかず授業に出なくなり、電車に乗って百貨店ケーキを食べて帰ってきたり大型書店で延々と立ち読みして帰ってきたり、もう何をしに行っているのかわからなくなっていった。

公務員学校をやめひまをもてあますようになったおれはまた馬鹿をやらかす。リアル顔をうpして知恵袋評価を聞くという暴挙に出た。しょうゆ吹きそうな顔だったから予感はしてたけど、超ブサイクって返ってきたときはおれのなかでクラピカが音をたてて崩壊していくのが聞こえた気がした。

実家2年目くらいからは聴覚過敏がひどくなり半狂乱になってきて、家の前を車が走るたびに「うるせーっ!」とか「コラぁ!」とか怒鳴るときもあるようになっていた。対人的にも過敏になっていて、母と折り合いの悪い父方の祖父が母に陰険な感じに当たったりすると、祖父がいなくなった後にわめき散らしたりしていた。

3年目のある日堪忍袋の緒が切れたようになって、実家を飛び出すようにして大阪で1人暮らしをはじめた。頭が常に高揚しているような状態大学掲示板演説調の文章をかきなぐり、もはやネット上でも誰ともまともなコミュニケーションをとっていなかった。1人暮らしをしたらすぐアルバイトをするという父母との約束もやぶり本屋立ち読みしまくっていた(図書館のとも思いつかず)。それでも勇気を振り絞って、わざわざ女性募集と書いてあるところに申し込んだら、面接中にひじをついてキレられた。

ある日スマホ書店に忘れて2日後に戻ってきたのだけど、なくしている間に何かをされたらしく、なにも押していないのに勝手意図しない操作をされるようになっていて、そんなのすぐにスマホを破棄するの1択なのにずるずると使いつづけて、結局それから2年くらい使っていた。

そのストレスがあったのかどうか、また実家に戻ってすぐに興奮がおさまらなくなり、精神科に行くと発達障害と言われてエビリファイという薬を出された。

いまはそれを最低量のみながらアルバイトに行っているけれど、アルバイト先に1日数回、2回のコールで切れるいたずら電話がかかってくる。アルバイトに行くまでは実家にかかってきていて、まず同じやつ(ら)の仕業だと思う。悔しいけれど、ネットで暴れていた自分自業自得でもある。いまだ友人はいない。もちろん彼女もいない。でも1日1日生きていくしかない。

2018-04-25

最近の若者

大学生の間にいろいろなことを経験しておいたほうがいいってよく言われてる。

自分はすでに大学に入ってから2年経過している。だが、ぜんぜん経験を積めてない。

生活費はすべて仕送りに頼っているので、バイトなんてしてない。

正確には大学入ってすぐの頃はやっていた。でも、半年ぐらいでやめてしまった。

インターンとかも友達は行っていたが、自分は行ってない。

イベントにもほとんど参加したことがない。サークルで行ったぐらいだ。

こんなの、他の人からしたら全然経験が足りない気がする。

最近はあるコンテンツにハマってしまってお金が欲しくなった。バイトをしないといけない。

でも、何も知らないところに1人で飛び込むのがとても怖い。友達を誘うにも住んでる場所全然違うし、そもそもすでにやっている。

今考えると昔の自分のほうが積極的だった気がする。いつからこんな臆病になってしまったんだろう。

怖いと思ってる理由簡単で、なにか失敗をするのを恐れてる。他人迷惑をかけたくないのだ。

別にバイトぐらいやってみて合わなければ辞めればいいレベルのものだと思う。でも、それは他人迷惑がかかると思ってる。

これが最近の若者っていうやつなんですかね。どうすればいいんだろう...

ゲーム内のアイドル勇気を持って業界に飛び込んでるんだし、自分も頑張るべきかw

anond:20180425013739

🧒私がガッキー似の美人ママやん(ドヤァ)

増田ちゃんちゃん学校行きよ?仕送りせーへんで!路頭に迷うで?

2018-04-24

アルコール依存の親父を強制入院させた

先日親父を力づくでアルコール依存病院入院させた。

国立大学卒業している親父は知的で落ち着いた性格だ。

商売は得意ではなかったが学問愛する人だった。

家はそれほど裕福ではなかったが喧嘩はまったくない平和家族だった。

僕が結婚して、子どもが生まれ中古の一軒家を購入。

当時、賃貸暮らし商売がうまくいかなくなっていた親父とおふくろを呼んで同居することに

このときは親父がアルコール依存症なんて知らなかったし

アルコール依存がどんな病気かも全く知らなかった。

一緒に住みはじめて1年で親父は救急車で運ばれた

原因は栄養失調

しか栄養失調の原因は酒で食べ物を受け付けない状態になったことだ。

この時はじめてアルコール依存であると分かり

病院に通うことになる。

当時の親父はまだ理性的だったし

僕も仕事が忙しく子どもが生まれたばかりでアルコール依存について勉強することもなく

お袋にまかせていた。

今考えれば

この時にもっと真剣に向かい合うべきだったと思う。

親父は1年間、断酒した。

今なら分かるがこれはとても凄いことである

外来のみで断酒するのは非常に難易度の高い

しかし、知り合いの葬式で親父は飲酒をしてしまう。

それから病院に行かなくなる。

病院は頭がおかしいやつのあつまり

薬を飲むと精神おかしくなる」と批判が始まる

僕らも説得できず親父の意志にまかせることにした。

そこから

断酒→隠れて飲酒救急車

を繰り返した。

最初は信じていた家族

次第に疑うようになった

親父は自分アルコール依存ではなく

躁鬱病

鬱病を治すとアルコールコントロールできるといい始めた

徐々に上手く行かない全ての原因を自分ではなく

回りや環境転嫁しはじめた

アルコールの話をすると感情的になり

病院に行こうと諭すお袋に暴言を吐き

それを止めようとする僕に殴りかかってきた。

その時の記憶基本的には無くなるから

反省ができない

アルコール依存は最悪の病気だ。

徐々に親父が壊れていく

子どもが大きくなってきて

おかしな状況を感じはじめる。

僕は家族で腹を割って話し合う必要があると思った。

しかし、話合いは待ってくれと

色んな理由をつけて時期を伸ばされた。

ある日、トイレにワンカップが隠してあるのを見つけた

親父は今は断酒してるから信じろ!と怒っていたので

僕は腹が立ってその酒を捨てた。

次の日

親父がいなくなった。

おふくろに聞いたら

外で暮らす。といって出ていったそうだ。

近くの公園転々としながら

1日に2~3回お袋に会いに来た。

このままどうなるんだろう?

家族は疲れ切っており

いっそのこと失踪してくれたらいいのに

など僕は考えていた。

ある夜、事件が起きた

深夜1時ごろ

玄関のドアが開いて

浮浪者のようになった親父が入ってきた

そしてお袋の部屋に入っていった

その後、暴れだし暴言を吐き

椅子をひっくり返した

家の回りを発狂しながら

荒らし始めた

家族はみな気が動転して

命の危険を感じた。

僕はカギを締めて警察を呼ぼうとした。

それよりも先に近所の人が呼んだ。

しかし、警察が来たときには親父はいなくなっていた。

この日から親父は完全におかしくなった。

いきなり家に来て

警察を呼んだのはだれだ!ぶっころしてやる!」

と言ったと思ったら

孫に向かって

「かわい〜ね〜」

と言ったり。

凶器を持っている可能性が高かったので

僕は家のカギを締め切って入ってこれないようにした。

夜中にいきなりドアを開けようとする音や親父の怒鳴り声が聴こえる。

みんな寝れないし常に緊張状態にあった。

その時僕はもう

強制入院警察保護してもらうしかないと考えていた。

兄貴と親戚のおじさん(大阪から駆けつけた最強のアウトロー

を呼んで事情説明したら

おじさんが

「俺が話す、病院に連れていく準備しとけ」

と言って親父を探しに行った。

近くの公園に親父はい

それはもう僕の知ってる知的学問を愛する親父じゃなかった。

ただただ虚しかった。

家に連れて行くのは危険なので

車の中で親父を説得することになった。

おじちゃんがどんなに説得しても

親父は病院に行く事に納得しなかった。

話し合いの途中で何度も暴れて

逃げ出そうとした

兄貴とおじちゃんが話し合ってる間に

強制入院可能病院を探した

兄貴から電話があって

「もう限界かもしれない、病院に連れて行こう」

強制入院可能病院が見つかる。

暴れて危険場合警察を呼んで一緒にきてください。

と言われた。

説得してる駐車場に向かった。

親父を発狂して暴れているのを兄貴が車に押し込んでいた。

僕は警察電話した。

しかし、車に乗った親父は動けなくなっていた。

兄貴は180cm80kg以上でずっと格闘技をしてたゴリラのような男だ。

おじちゃん柔道二段で今はムエタイをしている。

親父は完全に固定されていた。

おじちゃん

「いいから出発しろ

と言ったので

警察事情説明病院に行くことになった。

病院までの30分は

僕が今までの人生経験した一番最悪の時間だった。

親父は僕達を罵倒し続けた。

僕は今まで親父に怒られたことがほとんどなかった。

自分仕事成功しはじめて

家族全員が幸せになる方法を考えて

家を買って

みんなで住んで

呪い言葉のような罵倒を聞きながら

病院まで運転する中、ずっと思い出してた。

そして親父はアルコール依存病棟入院した。

アルコール依存

本人だけじゃないくて

家族病気だ。

お袋は親父をかばって嘘をつくようになった

僕は気付けば親父とお袋を常に疑い、監視するようになった。

仲が良かった家族がどんどん崩れていった。

入院期間の三ヶ月

どうなっていくか分からない。

その間、みんなでアルコール依存について学び

親父と戦うのではなく

親父と共にアルコール依存と戦うための準備をしなければいけない。






【追記】

今回はじめて投稿してのですが、こんなに沢山ブックマークが付くとは思ってませんでした。

沢山のご意見ありがとうございます

入院させてしまったあと、言いようのない気持ちを一気に吐き出してしまったため

いろいろな部分を端折ってしまったり説明不足な部分があったり、

今後同じような状況になってしまった人が少しでも参考になるようなことを追記したいと思います



・嫁さんついて

嫁さんは僕には勿体無いくらい良い人です。元々両親とも仲が良く、同居の際もきちんと話し合って決定しました。

僕にとって彼女は全てを話せる妻であり、気の合う友人であり、優秀な仕事仲間であり、頼りになる母でもあります

同居はじめてアルコール依存問題以外にも色々な問題が起きましたが全て隠さずしっかり話し合って解決してきました。

逆に嫁さんに何かトラブルが起きたときは僕は全力で問題解決します。


・こどもについて

親父のアルコール依存最初、非常に分かりにくいものでした。

飲酒量が少なく、呑んでも顔にも出ず、性格も変わらないので

相当近くにいかないと酒を呑んでいることが分からない状態でした。

ただ、躁鬱があり、落ち込むときはひどかったのですが

孫達と遊ぶことで元気になりました。

孫のおかげで躁鬱はかなり良くなったと思います

親父がおかしくなってきたのはこの1年くらいでしたが

孫達には最後までその姿を見せることな病院に行きました。

もし良くなって帰ってきた時のために

僕らも子どもたちと親父の距離感説明については細心の注意を払ってました。





家族関係について

同居する理由ひとつとして

実家賃貸で、部屋のひとつを使って家業を行っていたのですが

両親は貯金年金もない状態で、雨漏りするようなボロボロ事務所だったので家業の売上もどんどん下がって

お金が貯まらないので広告テコ入れもできない、毎月仕送りをしないと家計が回らない状態でした。

そこで、解決策として

家を購入して家業事務所の内外装をリニューアル

きちんと広告計画を立てて売上を伸ばすことを考えました。

一緒に住めば仕送り必要なくなりみんなのお金も貯まります

実際3年間で家業の売上は1.5倍くらいまで回復しました。

親父は躁鬱を治すために何がいいかなと考え

僕のPCをあげました。

そして操作方法ネットの楽しさや

SNS登録したりしました。

晩年父は全く人との交流がなくなってしまったのですが

SNSで昔の友人と繋がったり

僕の友人と仲良くなったりで

とても充実した毎日になりつつありました。

アルコール依存がなければ

親父は本当に幸せ人生を送れたと思います

親父は僕が小学生の頃くらいか仕事が非常に忙しく

家に帰っても不機嫌で中学生になるまでほとんど会話らしい会話をしてない状況でした。

なので僕は小さいこ母親毎日遊んでいました。

悩みも母親相談することが多く

同居してから毎日何かしら話してます

アルコール依存についても最初は任せていましたが

状況は常に聞いていました。

お袋は親父のことをアルコール依存だと思ってませんでした。

親父がアルコール依存じゃないと理論的に説明するので

説得されていました。

おそらく共依存になっていたんだと思います

僕も当初アルコール依存知識がなかったので

お袋の話を信じて、通院せずに自分の力で治すことに納得してました。








アルコール依存という病気について

この1年間、沢山の本を読み、話を聞き、病院先生の話を聞きました。

アルコール依存絶対に治らない病気です。

最終的には死に至る進行形病気です。

最初は変化が見えにくく

進行が進むと嘘をつくようになり

約束をやぶり

攻撃的になります

親父のSNS投稿

最初は孫との幸せ生活で溢れています

後半は世の中や政治批判ばかりになりました。

家族の絆はどんどん壊れていきます

信じたいけど、本当かどうかわからない。

アルコール依存で一番やっかいな症状が

否認

です。

否認についてとても分かりやす記事

https://www.dansyu.jp/アスクヒューマンケア/

親父はこの否認がかなり強く出る傾向にありました。

頭が良い人なので、飲酒理由環境を作るための理論武装が上手でした。

家族は、この「否認」を見抜くのがとても難しい。

それは信頼関係が構築されていればいるほど見抜けません。

仮に見抜いて指摘をしても

アルコール依存の人は認めないし逆上し

敵対します。

抑圧すればするほど攻撃的になります

家族関係が悪くなる前が勝負です。

その時ならアルコール依存認識やす

通院する可能性が高いと思います

家族に対して不信感を抱く段階にくると

どんなに説得しても病院に行くことを拒みます

そうなると強制入院か底付きで死にかける(もしくは死ぬ)結末が待ってます

これは家族ダメージ半端ないので出来るだけ避けて欲しい。

力づくで病院につれていけない状況の人もいると思います

そういうとき警察に連絡して一緒に病院まで連れてきてもらってもいいと病院で言われました。

アルコール依存の後期は非常に危険状態です。

運転している最中に暴れて事故をおこす可能性も高いと思います。(運転している人も気が動転してますし)

このアルコール依存という地獄のような病気苦痛が少しでも和らぐ人たちが増えることを願います

2018-04-15

大学進学に反対する親をどう説得したらいい?

進路決めるときになってやっぱりだ。親糞苦。

地方国立下宿予定)行けるだけの学力はある。

金がないという。奨学金仕送りバイトじゃ無理という。

から思想が合わず勉強しても役に立たない、金が無いと言われ続けた。

そんなこと言われると、勉強ができてもこの親がいるし、諦めるかと思ってしまう。

それでも勉強は頭に入れる作業で入ってくる。楽しいから?いや、現実から逃げられるから数学はやらなくてもそれなりに解けるしなんとなく感動する。

大学に進学したい。なんとなく、理工系ならいける。

本当は何?一人で生きる力を手に入れるため?いや、家を出るため?逃げるため?自分のためになるのか?誰の金を使う?金って本当に問題?本当は自分そばに置きたいんでしょ?離れたことないからこんなこと考えるんでしょう?

なんでこんな答えの出ないこと考えてんだ。問は出てくる。でも答えられない。ただ文字列として浮いて、頭をズキズキさせる。

こんな悩み絶対親のせいだ。あと周りのことを大量に受信する自分の頭がバカバカしい。普通を探しているのか?

誰も相談相手がいない。バカ高校バカ教員バカ同期。内向的すぎるからこう思うのか?信頼の置けるメンターをくれ。

そして今日も姉と母の口喧嘩が始まった。寝れない。普通の家庭ってなんだ。自分はこの先生きていけるのか?家のせいかいろいろ無機質に感じる。自意識過剰思春期からというわけでもないだろう。

あーなんで生きてんだ。

まれる家庭を間違えた。

いや、生まれてきたことはまあいい。

とりあえず肉親皆どこかいけ。いや、もう手遅れだ。この考えを変えた先が見えない。

欲しいのは金と時間。いろいろ本を読みたい。5年ぐらい。

あと騒音がないところで生きたい。

で、どうすんの。

静かなところでひっそりと…死ぬ

興味がなにかに湧くといいが、もう頭がカチコチだ。

こんな18歳生きていけるのか?

あー死ぬか。何も見ずに?何も感じずに?面白いこと?何それ?

もうだめみたい。この脳は手遅れです。

だれかたすけて。

2018-04-02

トラウマ

6歳の時、父親がいなくなった。

7歳の時、母方の姓に苗字が変わった。

苗字が変わったときに、離婚だと告げられた。

離婚が何であるか、当時の自分にはわかるはずもなく、ただ、それまでの自分が無くなったような、理不尽に奪われたような感じだけは、はっきりと覚えている。

それから、かどうかはわからないけど、母親と姉が手を繋いで、自分のもとから去っていく夢を何度も見た。繰り返し繰り返し、何度も。

24年も経ったのに、その状況すら頭に浮かぶし、言葉にもできるし、(下手な)絵でも表現できるほどに、はっきりと覚えている。

「失うこと」がトラウマになった。

失わないためには、最初から得なければいい、という考え方に至った。

自分が元気な限り失わないであろう、知識(と手段である勉強)に固執するようになった。

あと、一人でも生きられるよう、誰かに養ってもらう必要がないように、高校までは親だろうが利用して、生きていく力を養おうと決めた。

高校卒業就職するつもりが、成績が認められ、周りから大学行きを勧められ、母子家庭お金もないのに、大学に進学した。

姉の進学費用は母が出したのだろうが、自分の進学費用が捻出できるはずもなく。おそらく、亡くなった祖母遺産を使ってくれたのだと思う。

はいえ、このときは親を利用してでも、大学に行きたいとは思っていた。

当然、仕送りなんか無理で、奨学金バイト給料で生き抜く必要があった。

そういう状況は分かっていたから、必死勉強しようと決めた。

大学の授業は余裕だったけど、勉強は思ったように進まず、苦しんでいた。

好きな人ができた。

その人と一緒にいたい、と思った。そしてトラウマが発動して壊れた。

自分勉強しなきゃいけない、「それは絶対だ」と。

物理的な胸の苦しみに耐えられなくなる。現実から逃げたくて逃げたくて、混乱する。

自分から離れる勇気が無いから、相手に離れてもらうよう仕向ける。そしてますます壊れていく。

そして失って、こんなの自分は望んでいない、とまた苦しむ。

この出来事から部分的トラウマと向き合い、勉強固執する自分は解かした。

離婚した母と父を恨んでいたけど、それも許せた。

でも、無意識にか、恋人ができるようなことは避けた。自分を磨かない、ずぼらな生活をする、そして勉強は続ける。勉強自体は良い習慣。

働き始めて10年目。また好きな人ができた。

今は特に資格を目指したりしていない。前と状況は違って、社会人で余裕もあるのに、全く同じ苦しみが襲ってきた。

好きな人と話して一人になった後、襲ってくる猛烈な疲労。そして胸の支えと吐き気

これまで、この苦しみは単に「好きな人ができて、好きだから苦しんでいる。あの時が特殊な状況だから苦しんだ」と思っていた。

でも違う。相手が違っても、状況が違っても、また発動した。

自分を見つめなおした。

ほぼ日の「「わたし」を肯定する研究」を読んで、自分に襲い掛かっているのが相手が好きという気持ちではなく、猛烈なストレスなんだと自覚した。

そして、上に書いたトラウマを思い出し、苦しんでいるんだと、わかった。

そのこと単体で考えただけで、ひどい吐き気に襲われる。トラウマ無視していたら、また壊れるという予感はある。すでに一度壊れかけた。酒で何とか戻した。

ちゃんと、トラウマと向き合って、好きな人と一緒にいたいと、今はそう願っている。

幸い、仲は良いと思っている。一緒にいるとすごく楽しい。力になりたいとも思っている。

相手も、どう思っているかは分からないけど、よく話してくれる。

でも思いと向き合うと、本当に、胸が張り裂けそうで、ひどい吐き気がして、せき込んでうえってなる。

それでも、なんとか乗り越えたい。

いつも時間をかけて自分と語る。それを繰り返す。毎日毎日

大丈夫だよ。って、何度も、苦しんでいる自分と話す。

失うのを恐れて、中途半端で苦しんだら、本当に失うよ?と。

でも、焦らない。ゆっくりちょっとずつ、進んでいこう。

2018-04-01

ぐるぐるダイアリー

うつ病仕事をできない知人が、仕送りを減らされ困ってるためチャットレディを始めると聞いた。

大丈夫だろうかと思ったものの、そう聞くことが相手を傷つけそうだし、そもそもチャットレディについて知識もないか偏見かもしれず、何も言わずスルーしてしまった。

 

さっきチャットレディについて検索したら、一番上に出た広告に“ツライ思いしないチャットレディ - 高額報酬や祝金にだまされないで‎”という広告が出てきた。

その広告ページを読むと、“脱がなくてもいいです!というお店でも、実際に行ってみると脱がないとダメ..ということが多いです”と書かれていた。

知人は「審査に通るだけで10万円もらえる」と言っていた。。

 

Wikipediaではチャットレディについて“現代IT技術活用した娼婦”とも書かれている。

風俗などと比べても、直接的に身体を売るなどの大きなリスクもなく、自宅で高額の報酬が得られるチャットレディーという仕事は、魅力的と考える女性が少なくない”ともある。

 

以前に撮影会モデルをしていた話も聞いたことがあり、プロ意識を持って取り組んでいたようだし、話す様子からその仕事に抵抗はないようだった。

 

 

正直なところ、私はそういう仕事全般へ抵抗感、不安感がある。

ただ、もっと昔に、当時のバイト同僚から、騙されお金必要なのでホテトルもしてると聞き「大丈夫?傷ついたり怖いことに遭う可能性もありそうで心配」と伝えてしまったら心を閉ざされ、間もなくその同僚はバイトも辞めてしまたことがあった。

相手がホテトルで傷つくことを心配し、それが相手を追いつめてしまった。

相手尊厳を傷つけず伝えることは難しい。

上から目線アドバイスに聞こえたと思う。

そういった仕事知識も実情も知らない私の心配なんかより、まずは詐欺に遭ったことを心配すべきだった。

 

 

チャットレディを始める知人は、気晴らしも必要家族からお金の使い方で文句を言われ体調悪化、それゆえにお金必要という状態

そこにどのくらいの切実さがあるか私には理解する能力共感力もないので、お金の使い方は医療福祉方面の人にも相談してみたらどうだろうくらいしか言えなかった。

 

仕事で怖いことやつらいことがあったらすぐに医療福祉方面の人にも相談してねくらい言えばよかったかもしれない。

ふー。。

 

 

長っ。簡潔に書くの難しい。ぐるぐるぐる。。

わからん。私にはわからん。。という日記でした。

ネット上に吐き出したりしてごめんよ。。

2018-03-30

俺の父親しょうもない人間の屑。

俺の父親しょうもない人間の屑。

まず職業しょうもない定義的には職にはついておらず、ただ日がな一日パチンコをして、なにかあったら“事務所”に寄って、夜には負けて怒って家に帰ってくる。

それで30万円もらっていたらしい。ヤ○ザってすげえな。


次に子育てしょうもない基本的になんでも放置するくせに殴る蹴るだけはしっかりやる。

それで骨折して医者に行けば、後ろで「階段で転んだんだよな?」と俺に言ってくる。首肯した。

なにをしても褒めない。絵画コンクールで1番になっても褒めない。

その後入賞常連になったけれど「1番じゃないからなあ」とか言ってついぞ褒められたことがなかった。

でも罰だけは与える。サディズムがすげえな。


性格しょうもない。あれをしてやった、これをしてやったばかりで「してやれなかった」「してしまった」ことを一度も口にしたことがない。

謝罪をしない。小さい頃電気屋で店頭デモパソコンを夢中になって遊んでいると、父親が切れてしま店員を殴って怒鳴り散らしていた。

お兄さんは鼻血を出しながら怯えきっていた。屑。すげえな。


考え方がしょうもない。俺が精神病気になってもそれを認めようとしなかった。

から見るとただの怠け者らしいので、これで治るはずだと整体だの電気治療だの行かされた。

俺は今も障害者手帳を持っている。顧みなさすげえな。




俺の父親は本当にしょうもない職業が本当にしょうもない

抗争になって“指定”になって、家にいると俺達兄妹も殺されかねないから1週間に一度しか帰ってこなくなった。

1週間に一度、いつ殺されるかわからないのにきっちり家に帰ってきて、お金と1週間分の食べ物を置いていく。

ワケは何も言わない。俺はそれをいいことに学校サボり夜更かしして笑っていた。すげえな。

俺達が県外へ出ることを望んでいた。自分の評判が悪すぎるからということらしい。

自分の子どもだと知られない方がこの子たちのため”だと思っていたようだ。すげえな。


子育てが本当にしょうもない。欲しいと口に出して言えば、どんなに家計が苦しくてもきちんと買ってくれた。

なにかしても謝りさえすれば一応許してくれた。

風呂場で、妹とふざけて溺れたふりをして「助けてー」と叫んでいたら血相を変えて駆けてきた。

なんでも自由やらせてくれた。すげえな。

裁判親権は父に移った。

母親は俺達を育児放棄していて、保育園先生から見ても「お父さんに育てられなかったらあなたたちは死んでいた」らしい。

ヤ○ザになったくらいだから自分だって碌な育てられ方をしていなかったくせに、知りもしない無理した男手一つの育て方で今俺は27歳になっている。

「この子たちには母親がいないから、その分、物くらいは」と無理をして色んなものを買ってくれた。美味いものをたくさん食べさせてくれた。

それもあってか、今では自身が惨めな暮らしをしている。すげえな。


性格が本当にしょうもない

今は自分だってお金なんてないのに、何も言わず家出して関東に行った馬鹿息子が「生活が苦しい」と言えばお金を送ってくれた。

精神おかしくなった俺が「死ぬから探すな」と書き置きすれば、あらゆる方面に連絡して探してくれた。

から家出をしたら絶対に探して、見つけて家に帰した。すげえな。

いつも俺に彼女ができないか聞いてくる。お前は痩せればモテるぞと笑う。

妹が結婚したとき、式場で泣いていた。家でも泣いていた。

妹が癌になって死ぬかもしれないときには、どんなに金がかかっても治せる先生を見つけて付きっきりで看病していた。

俺が難聴になってしまったときも、県で唯一治せる病院に入れてくれた。

精神病も知識なんてないくせに方々に相談して一番定評のある病院に入れた。すげえな。

ヤ○ザである自分長生きしていることに罪悪感と疑問を感じている。

「あそこの○○さんはきちんと働いて真面目だったのに亡くなって、俺がまだ生きていて……」と最近よくこぼす。

抗争で仲間内は皆死んでしまって、自分けが生きていることが虚しいらしい。すげえな。


考え方が本当にしょうもない生活費だけは絶対に取っておいた。

今でも浪費癖が激しい俺に貯蓄の重要性と効果的な資金の分け方を毎回教えてくれる。

どら息子は何度聞いても実行しない。すげえな。

今頃になって“自分が何をしてもらっていたか”にようやく考えが至った阿呆息子が仕送りやらを持って行くとお礼を言ってくれる。

俺はしてくれるのが当たり前だとありがとうなんて言ったことがないのに。すげえな。

いつ死んでもおかしくないと思っているらしい。もう72歳になる。

身体も弱って思考も鈍って、それでようやく自分の胸の内やなぜ昔そうしたのかを話してくれるようになった。

これを書いていて、そういえば、という風にしてもらったことが湯水のように湧いてきた。涙がとまらない。すげえな。


息子がしょうもない。本当にしょうもない

自分のことしか考えておらず、いつまでもから何をされただのしてもらえなかっただの不満に思っていた。

何をしてあげられるかを考えていない。

世間で言う毒親自分父親もピッタリ当てはまると、一致する部分だけをことさらあげつらっていた。

一体どれだけのことをしてもらったのか考えていない。あとどれだけ話ができるのかわかっていない。

息子は掛け値なししょうもない


俺の父親しょうもない。実にしょうもない

俺にできる復讐は、父の残る余生をしょうもなく平和に静かに、奴の領分であるしょうもない争いとは無縁の生活にさせてしょうもない退屈のまま過ごさせることだと思う。

なんだかんだ実家を訪れたら2時間ぐらい話して帰る。しょうもない

未だに俺を心配している。しょうもない。笑って話してるがそいつは裏ではあんたの悪口を山ほど言いまくっていた人間の屑なんだぞ。

しょうもない。騙されやがって。

騙されたまま笑って余生を送れ。震えて眠れ。しょうもない

実家から金銭援助してもらってる人って

anond:20180328102549

まじでいるの?夢物語とかでなく?

でもみんなそんな働いていないようなフリして気づいたら子供産んで新築マンション住んでたりするから金銭援助はあるのかもな。

手取り十数万の増田だけど、家に仕送りしてるわ。はぁ、つら。

2018-03-14

anond:20180314000348

から現代の都会では当たり前じゃないんだよ

何でタダで他人の子供預からなきゃならんのか、が今の常識

近所で子供の預け合い、なんてのも絶滅してるから

大体いい年こいていつまで親に頼ってんの?

自分子供の面倒見れないから親にシッターしてもらうってのは

自分の稼ぎじゃ食えないから親に仕送りして貰う、ってのと同じだよ?

親にたかるのが金か労働力かの違いだけで

かに高いがフルタイムで働けばマイナスにはならんわ。

二人以上いたらマイナスだよ

共働きでかかる費用額面通りの保育料だけじゃないしね

あと子供教育プライスレスだし

2018-03-09

まれ持ったものを好きになれなかった話

ッあぁ~~~これ書いたら大人の人にめっちゃ怒られるかもしれない。でももういいや。もういい。もう嫌だ。だから書きます。
口調とかもあまりれいじゃないかも、ごめんなさい。
私は自分絶対に正しいとは思わないし自分と違う考え方の人に対してどうこう言うつもりもないのでそこだけご承知願います

書き手は21歳大学生女。

人間って生まれからたくさんのものを獲得して生きていくものだと思ってる。
たくさん選んでたくさん捨てて積み重ねてきた時間がその人を作る、よく聞く話。そんな中で生まれた瞬間から決まっていてどうしても覆せないものって一つだけある。

 

 

って言われているもの。誰からまれるか、どこで生まれるかなんて誰も選べない。
逆に親も子を選べないのもまた事実で、これを皮肉って『ガチャで出てきたはずれが自分だ』みたいなこと言う人もたまに見かける。
そういうわけで『親を好きになれなかった』話について。

どっからかけばいいかな、

9月実家から引越しをした。


その引っ越し、自立とかきれいごと抜かしてるけど親との同居に限界を感じて決行したものだった。
実家がどういうところだったか、少しだけ書くと
2017年夏(当時20歳)の時点で

 
•住んでいるのは私、母親祖母

自分の部屋がない


•昼間は机が置いてある2.5畳の仕切りのないスペースで生活


•就寝は祖母と一緒の布団


•就寝と起床は母親の定めた時間までに


•鍵はかからないが唯一一人でいられる場所トイレ風呂


•窓を開けてはいけない


•カーテンも閉め切る


•私がつけていい照明は机のスタンドライトだけ


•キッチン勝手に使ってはいけない


オーブントースター温度設定は使い終わったら母親の使う温度に戻さなければならない

などなど。

母親祖母も私がいうことを聞かないとすぐに怒鳴り散らすのでとにかく怒らせないように生活するのに必死だった。それで今でも大声で人を怒鳴りつける人が苦手。
 

これでも成人してよくなったほうで小学生頃なんか今思えば地獄度段違い。

母親が19の頃にデキ婚で私が生まれ小学生のころに離婚していて、次の男が一時期実家に住んでいたこともあった。いわゆる『ママ彼氏』。

今でも覚えているのは母親から

「これから私たち生活を支えてくれる人」って紹介されたこと。

誰だったんだろうあいつ。


見た目的にはホストっぽかったけど今となっては素性はよくわからない。
私が8歳当時なら母親はちょうど30手前くらいで離婚もしてまだまだ遊べる年だったんだろうな、と。

最初のほうは仲良くしてたと思う。私の目の前でいちゃついてて、それ見てたら男が母親いじめてるみたいに見えて止めに入ったら怒られてのけ者にされたりした。懐かしいなぁ。
そんな生活も長くは続かず1年経たないうちに仲が悪くなって男は出て行った。

そっから家に男が入ってくることはなかったので本当に父親という存在を知らずに育ってきた。
だから好きになった人や付き合った人に父親みたいな安心感を求めがちなんだって最近になって気づいた。

祖母も同居することになったのはそのあとで働く母親の代わりに家事全般をやってくれた。
それだけでも本当は感謝しなきゃいけないというか、感謝はしてるんだ。それは本当。
働いて私を育ててくれたのは母親で、そのことも理解しているつもり。

祖母祖母で私が拒食症になって口に入れたもの目の前で全部吐き出してしまった時はブチ切れて木の棒で全身あざだらけになるまで殴ってきたけど書くとさらに長くなるから割愛。(重視すべきは体調不良よりも作ってくれた親への敬意 という考え方)

そういうわけで『産み育てた恩があっても殺す権利はない』というのが持論で、言ってしまえばこの世に生まれた瞬間から、
へその緒を切られたその瞬間から私は母親の体の一部ではない一人の人間になったはずなんだ。
その事実を『感謝』とか『育ててくれた恩』とかとごちゃまぜにして見えないところに押し込むことは私にはできなかった。


そして労働に費やした分子供と親が触れ合う時間が減ることで親子という関係不具合が生じるのもまた事実だ。


私は本当に親がわからない。

親もしばしば私のことを「わからない」と怒鳴りつける。


今歩み寄れないのは間違いなく幼少期に信頼の基盤がつくられていないからなのにまるで私が親を突き放しているかのような物言いで、
そこに「親不孝者」という便利な言葉を着せてことあるごとに罵られてきた。

母親の中には親子とはかくあるべし、という理想像があって、何もしなくてもそこに収束するのが普通だと思っているようだった。
だから自分普通で私が異常なんだと言って私を矯正したがった。

まれて何年たっても私はまるで親の一部かのように扱われていた。
いい学校に入っていい会社に入っていい大人になるための第一歩として幼稚園のころから通信教育の教材をやらされた。
幼稚園の頃病弱で、入院している私のベッドのそば

「こんなに頭の悪い奴なんか見たことない!」と叫んで帰っていく母親の姿はなぜか今も鮮明に思い出せる。

小学生のころは学校のすぐそば煙草を買いに行かされて、同級生に見つかって噂されて、勇気出してそれが嫌だと親に伝えたら
「身勝手な奴だ」と怒られ、「親のためにこんなこともできないなんて」と貶されたことがあった。

服は短くても1週間同じものを着せられてた。長いと1〜2ヶ月くらい同じものを着てたと思う。当時皮肉抜きで「その服本当に好きなんだね」って言ってくれた友達のことをたまに思い出す。大人になっても1度着た服を洗おうとするとめちゃくちゃ怒鳴られた。


私はとにかく母親の思い通りにならないと怒られてた。当時はよく泣く子供で泣くとさらに怒られた。
私が大きな声を聴く自然と涙が出てくるなんてことを親は知らないみたいで、もうそのころからまともに意思疎通をはかろうなんて気持ちすら持てなかった。

中学生になるとひたすら成績を気にしだした。テストの成績はクラス順位5位以内でないと怒られた。「他の人はできるのにお前は何でできないんだ」が常套句だった。


幸いそのころは勉強が楽しかったので学校の成績は良かった。
しか受験勉強が始まると私は親ではなく私のために勉強しなければならなくなった。過去問学校テストよりはるかに難しくて思うように点数が取れなかった。
もう手一杯で親のご機嫌取りのために数字を気にしている暇なんてなかった。数字が下がると怒鳴る頻度は上がって以前みたいに勉強楽しいと思えなくなった。

結局中学の好成績を生かして公立高校に推薦で入学した。
ひざ下まであったスカートをひざ丈まで上げたら烈火のごとく怒られた

「そんな恰好をするな!不良め!誰とつるんでいる!」
挙句の果てに「そんなに妊娠がしたいか!」と。
スカートの丈をひざまで上げただけで。
意味がわからなくて怖くてたまらなかった。

親のなかでは


ひざ丈のスカート


=男にもてたい


恋人ができる


=セックス

妊娠

という式があるらしい。

一番成績がいいのは1組、悪いのが7組だと信じて疑わなかったので3組になったとき説教された。いくら違うといっても聞く耳は持たなかった。

大学は必ず行け、しか国立以外許さないと言われた。自分でも裕福じゃないのはわかっているか学費負担を少しでも減らしたくて志望を国立に絞った。
しかしここでも親の謎理論は炸裂、大学に行ったこともないのに「私大は頭の悪い人間が行くところ。落ちこぼれが金で大卒資格を買っている。」とご高説を垂れる。
この辺まで来るともう物事判断がつく年齢になってしまった私には親のめちゃくちゃな説教気持ち悪くて仕方なかった。
知らないものをぼろくそこき下ろすのも、進路の悩む私に寄り添うどころか選択肢を狭めて重圧をかけるのも鬱陶しい。

結局興味のある分野に近いコース国立大に入学して3年が経とうとしている。
実家から離れた大学に通うことも気に入らなかったらしい。
「もっと近くにあるだろうが」


帰りが終電になればまた怒られ、


美術なんかやって何になるんだ」


「お前みたいなダメ人間教育学部」


といった風な小言も絶えなかった。

掘り返せばきりがないくらいこの手の嫌な思い出は出てくるのでこの辺にしておこう。積もり積もって今の私を形作っている思い出たちだ。

場所もない、理解もない、朝は母親祖母による自分悪口で目が覚める。
ストレスばかりが溜まって心も体も限界だった。


2年次の後半はほとんど学校に行けなかった。
家にいると親に対する嫌悪感頭痛吐き気が止まらなかったので出来るだけ外にいた。

学校終わりはバイト、予定のない日は大きい本屋をうろついてたまに本を買って近くの喫茶店で読んだ。


もうどうしようもないと思って3年次は休学手続きを取って1年間フリーターみたいに働きながら家を出た。


講評の当日深夜につらくて泣きながら教授に「授業を休ませてください」という旨のメールを送った日からもう1年が経ったらしい。

実家を出ることに関しては強行突破でかまわないくらいの心意気だった。
どのみち自分には帰る場所なんかないのだから場所を作るしかないと思ってのことだった。


親には一言も伝えずに休学、

お金を貯めて部屋まで決めて、

もう後に引けない状態で家を出ることを伝えた。

自分判断能力精神的の限界、苦しみ続けた20年間を鑑みてもうこれが自分に残された最後の、そして最善の手段だと思った。

「自立したくて家出た」なんていうと「行動力があるね」と言われることがあるけれどその実
ただ「実家にいたらいつ精神崩壊するかわからいから生きるために逃げ出してきた」くらいが正しいんだろう。

3月18日実家を出て半年になるらしい。


少なくともこの半年

「家に帰りたくない」なんて1度も思わなかった。

時間潰すために夜の公園電池なくなるまでスマホいじることもなかった。


自分悪口で目が覚める朝は来なかった。


自分けがいる部屋で誰の目も気にすることなく笑ったり泣いたりできた。


窓を開けて部屋の換気ができた。

たったそれだけの事だ。


私はたったそれだけのことをするのに21年苦しんだ。


春の暖かい風が部屋の中に吹き込んできたとき「生きててよかった」と心から思った。
ようやく自由になれた気がした。

家を出たら出たで大変なことはあるけど、少なくとも今のところは後悔なんかしていないと言い切れる。
誰かが掲げてた『苦労はできるだけ少ないほうがいい』という主張はまったくその通りだと思う。
部屋の窓を開けるのに21年かかるなんてばかばかしくてやってられない。

ただ、21年かけて開けた窓からは確かに未来が見えた気がした。
自分人生はこの1度きりしかないのだから自分幸せになるために生きなければもったいない

 

4月から大学に戻る。仕送り0で学びながら働きながら「家賃を払わず整形手術のローンを組む同居人」と共生、というか矯正それから休んだ1年分の学費を貯めなければならないのでやることは山ほどある。大好きなお絵描きができないかもしれないがそういうフラストレーション学校課題へのモチベーションに変えよう。

体はそんなに強くないか健康管理しっかりしないと。

レールを外れて生きていくっていうのはそれ相応の覚悟必要で、残念ながら社会はそういう人間には優しくない。

こんな文章垂れ流したら知らない人に「この程度で甘えんな」「自分なんかもっと大変だ」「大学まで行かせてもらってるくせに」って言われそうだけどそれでもいいや。

ようやく自分で作れた居場所何度でも帰ってこれるように必死に生きます

ここまで読んでくれた人みんな幸せになれますように。

2018-03-07

https://anond.hatelabo.jp/20180307195259

都内大学生だけど周りほとんどみんな仕送りもらってるよー。

都内だと家賃5〜6万とか普通にする。

もし都内なら最低でも毎月10万の収入ないと厳しいと思うし、毎月授業行きながら10万以上稼ぐ学生普通にいるってほどでもないのでは。

私立大学だし周りが金持ちな気がして来た…

親友自慢

親友クズすぎて愛おしい…

正直私はクズとは思ってなくて、私からしたらスレ性格がすこし曲がっちゃっただけの真っ直ぐでかわいいかわいい親友なんだけど、本人がクズだなぁって自称してるからあえてクズって言うね

初めて顔合わせた時、輪郭と低い身長が幼く見えてドンピシャに好みで、思考が合うから急速に仲良くなった親友がいる

この親友が話せば話すほどクズでかわいそうでかわいいのなんの…

私と出会った時に付き合ってた彼氏さんのこと「私は別にあいつのことそこまで好きじゃないけど、あいつが私にベタ惚れだから。私はいつ捨てたってかまわない」って言ってたのに、いざフられそうになると夜中にもかかわらず私に泣きながら電話してくる

半年くらい親友彼氏さんが居なかった時期に、私に近付いてくる男性が居たり彼氏が出来たりした時は面と向かって面白くないって言ってくれた

それに焦って変な奴と付き合いだして毎日のように「新しい恋人きじゃない。次が見つかったらすぐ捨てる」って愚痴ってくる

あと貞操観念ガバガバ

これは親友の家庭の事情関係してるから、ただクズってワケでもないんだけど、それにしても彼氏居るのに他の人ともヤるガバ

お金がなくなったかキャバ体験入店行くんだけど一人じゃ怖いからと、潔癖気味で異性に女として見られるのが嫌いな私なんかを誘ってくれたり

親には迷惑かけたくないって仕送りを最低限しか受け取らない頑張り屋さんなの好き…

キャバは嫌だけどドレス親友見たいからもちろん行ったよね!ドレス姿もかわいい!!

私とは気があうから本音で話せるってクズ発言を私にだけしてくれる

二人っきりで食事に行った時、店でまずい物が出たらまずいって素直に言ってくれる

ただまずいだけじゃなくて、ズタズタに貶してまずさを伝えてくれる

人の陰口やドロドロした本音を私にだけこぼしてくる

人の陰口を言う女子なんか今まで沢山居たし、それを聞かされるたびにうんざりしてたんだけど、親友のは聞いてて気分を害さな不思議

クズだけどしっかり者で賢くてかわいいから世間体が良い、そこも愛おしい

他にも色々自他共に認めるクズ加減

でもアホなDQNみたいなことは絶対しないの、だって常識的でそういった他人迷惑かけたり法を破るような人が嫌いだから

親友が何か言うたびに私が親友肯定して何も悪くない正しいって言い続け、親友が何か悩んでたら慰め励まし相談にのってたら、いつの間にか共依存関係が出来上がった

育ちのせいでスレ性格親友は同年代とは思考が少しズレてて、同じような育ちの私以外に理解者が居なかったんだろうなぁ

安心して私に本音をこぼし続ける親友かわいい~~~~~~

落ち込んでる時にたまに「お前だけ居ればもういい」って言ってくるのがたまらない…

そこまで言ってくれるのに「同性だから性欲だけはお前で埋められないんだよなぁやっぱ男欲しい」って言ってくるのかわいい~~~~~!!!

これからも私だけを心から信用してくれ親友

私も君の信頼にこたえプライドを守るために君より慎ましく生きるから

2018-03-04

anond:20180304131309

特に30代以上の男は「家事は女がやるもの」「妻は専業だから家事は全部妻の仕事」と主張して本人は家事できないダメ人間

ついでに年に何度も帰省するようなマザコン男が多い印象があるわ

嫁さんの実家にはなかなかついていかないくせにw

働いてる独身女でも実家ぐらしで全部親に家事身の回りの世話してもらってる人が多いよ

しかも家にお金いれてないから稼いだお金は全部自由に使えるみたいだよ

あと一人暮らししてても家賃は親持ちだったり、頻繁に(お金食べ物生活用品仕送り受けてる人もいる

本当に自立してる人間は希少

だいたいそういうやつが結婚して、同棲始めると家事分担やら金の使い方が原因で破局してるからザマァ

2018-03-03

大学で、「これやっとけ」ってこと

大学で、「これやっとけ」ってこと | ライフハックちゃんねる弐式

これにコメントするためにメモ帳しこしこ書いた。

けどどうせ向こうでは長文コメまれないだろうからこっちに残しとく。

文章がわかりにくかったらごめん。

下で使ってるポイントポイントっていうのは、大学生活で自由に使える全部の時間(1日16時間くらい)を100ポイントとして、だいたい1/2の時間(1日8時間くらい)を費やせば柱に50ポイント溜まって、1/3の時間(1日4-5時間くらい)費やせば30ポイント溜まって、3時間くらい費やせば20ポイント溜まるっていう空想ポイント制度のこと。

柱に大学に上がるより前から溜めたポイント(才能や高校までの努力)と足してどれか80ポイントになれば十分充実したライフが送れるので、全部80ポイントを目指す妥協として全部60ポイントを目指して不幸になるより、いくつか諦めて、限りある時間=ポイントを集中して費やすほうが今何も持たない凡人にとって幸せになれますよってことを伝えたかったんだけど伝わるかな。

それから単に時間を費やせば報われて幸せになれるわけじゃないのは分かった上で単純化して時間を割けと主張しているんだけど、それはまず時間を大量投入してからその中の効率のことを考えていこうということと、学生たちが卒業したらどうでもよくなること(自分の評判とか友達ゴシップとか、暇つぶしアプリとか最近流行とか)、そういう自分人生の柱以外の瑣末なことに時間を使いすぎなのを怪訝に思ったから、まず柱にポイントを貯める時間をどかっと投入して、それ以外のはみ出た時間友達との時間にすればいいんじゃないかしらと思ったから。

何にもやりたいことなかったら就職恋愛時間を割けばいいと思う。多くの人にとってそれが人生テーマになると思うから

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓


からアドバイス

全部努力してやろうと思わないこと

大学生活の柱を、勉強就職恋愛バイト趣味の五本柱だとする。

大学生のお前にはどれも重要でどれも充実させようと思うだろうが、それは愚策だ。

お前は100ポイントしかもっていない。それぞれの柱の最大値は100だ。

80以上を充実とし、59以下を不可とする。

お前はまず全部の柱を100にしようとするが、途中でできないと気づいたので全部80を目指し、

一つ諦め、二つ諦め、結局60が二つ、それ以下が三つ程度で充実感のないまま大学を去ることとなる。

お前の不幸は五つの柱すべてを満たそうとしたことだ。はっきり言って、一本でも充実したら

大学生活は成功だ。そして自分の柱を一本でも充実させたら、人生の柱になることにお前は気づかない。

バイトとは金の工面のことだ。親から生活に困らない仕送りがあったら、それだけで60だ。

生活20バイトに当てるだけで充実した生活が送れるが、別にしなくてもいい。

食うのに困る人は30-40以上の時間を割かなきゃいけいない。

もともと頭がいい人や、高校勉強の貯蓄がある人を50として、10頑張れば単位が取れる。

30頑張れば充実した学問ライフを送れる。生活の半分を犠牲にして頑張ればトップを取れる。

頭が悪い人は30-40の時間を割いてやっと単位がもらえる。

もともと顔がいい人や、会話が得意な人は、ちょっと努力すればいい彼女と付き合える。

顔も悪いし付き合いの悪い人は、40の時間を割いてやっと不細工でない彼女と付き合える。

学歴もあって資格やらコミュニケーションやらに問題ない人は少しの努力就職できる。

ない人は資格勉強時間を割き、自己改善時間を割くこととなる。

そうして残った時間でやっと趣味時間を割ける。お前が目指すのはこの道ではない。

お前には今何がある。100ポイント使う前に柱に何ポイント溜まってる。

顔が良かったら20だけ努力して他の柱を充実できる。頭が良かったら、金があったら、

学歴資格があったら。お前には今何がある。

とにかく100ポイントを全部60にする使い方はやめろ。一つを80にするように使え。

彼女がいて、スポーツ音楽を楽しんで、いい所に就職できる奴は、どうせ都会の金持ちの息子だ。

アドバンテージが違う。馬鹿みたいに全部に20ずつ割り振っても充実する。

お前がやることは今50あるものに1/3=30の時間を使うか、30あるものに1/2=50の時間を使うかだ。

やろうと思えばできた。その言い訳の源は他のことに時間を割いてできなかったからだ。

俺は恋愛就職を諦め、勉強20バイトに30を費やし、趣味というかスキル

大学の1/2の時間=50を費やした。もともとのポイントは40,30,20,30,30くらいだった。

時間資金を費やせば彼女もできただろうし、いい就職もできただろうけど、しなかった。

趣味を80にしたおかげで、今趣味で食えている。趣味バイト(仕事)がイコールになった。

お金も溜まると、身だしなみも気をつけるようになり、彼女もできた。学生時代程度には

学習もしているのでちょっとずつポイントが溜まっている。いい就職こそできなかったから、

今は70,0,70,80,80くらいだ。それもこれも学生時代に一つを80にしたからだ。

卒業時間をかければ他のことに回す余裕が生まれる。でも全部を60にすることを選んだお前は、

60以下になることを恐れ、80の柱を建てることがこのまま一生できない。

お前がやるのは選択と集中だ。さあ、やってごらん。

2018-03-02

anond:20180302000615

それで生活できちゃうってのは、お育ちがいいんですね。

実家から仕送りがおありになる?それか寮生活

院生の知り合いいたけど、凄い高額バイトしてるんで遊ぶお金はあるっす!ってココア奢ってもらったけどなぁ。

たぶん家庭教師などのジャンルココアのお礼はちゃん会計後にクッキー買って渡しましたよ(貰いっぱではありません。)

2018-02-28

anond:20180228003037

お母さん・・・お母さんも仕送りをしてくれていました・・・ももうくれなくなりました・・・

うう・・・親に捨てられた・・・

2018-02-27

仕送りきつい

きついと思う自分がきつい

から教わったモットーみたいなもの

ある小説で、親から「人の頼みは断るな」と育てられてなんでも引き受けちゃうけど本人も楽しんでるお調子者と、親から「周りに慕われる優しい人になりなさい」と育てられて本人も重圧を感じつつ周囲からは一目置かれる人格者に育ってる子が出てきまして。

この教育方針だけ見ると毒親とか言われそうだけど、どちらの親も愛情深く本人の意思尊重しつつ育てている感じで、2人ともとても魅力的に育ってるの。小説だけど。

翻って自分のことを考えると、親から何か特別モットーのようなものを示されたことはない。うちは貧乏だと育てられていたので就職したら仕送りしようと思っていたら、「自立するだけで十分親孝行」とは言われたので、自分の子供も自活できるようになってほしいと思っているくらい。あとできれば自分楽しいと思えることを見つけてほしいとも思っている。自分には特別ハマってる趣味も無いんだけど。

自分で暮らせる分だけ稼げるようになりできれば楽しめる趣味を持ってほしい」これが教育方針かな。でもこれだと人に優しくしようとかではないし、自分のことしか考えてない感じ。実際自分も基本自分のことしか考えてない人間だと思う。マナー法律は守るけど。でも車が来ない赤信号積極的に渡る人間だし。

から何かモットーを授けられた人がいたらどんな感じで育ったか教えてほしい。

2018-02-24

1700万円の運用

から渡された約1700万円(きちんと税金は納めている)を運用しようとして頭を抱える。

自分で色々と投機的なものをやって、大損をくらい17万円ほど溶かしてしまうのだった。

仕方ないので500万円だけ投信に突っ込んで、残りは全て預金通帳に突っ込んでいる。

どこに投資しても、損するのではないかと考えて何もするきになれない。

そして、父親と揉めて仕送りを止められた感もあるから慎重になる。

最近ニュースを見ると、真面目に働けば儲かるとは誰も信じていない気がしてならない。

投資系のニュースみたいなものを読むと、金持ち金融で儲けようと考えているのだ。

金のない庶民不安から投資に突っ込んでいる。

どこまでも労働というものでは報われないと考えていそうだ。

まぁ、そんなこんなで就活もやる気をなくす。

恐らくであるが、もう世界全体の経済的成長が頭打ちなのではないか

意識高い系が好きなアメリカも貧富の格差がとんでもないくらい開いている。

格差を開かせて、最終的には二進も三進もいかなくなるのではないか

色々と限界の中で割と早い時期に資本主義体制崩壊しそうな気がしなくない。

そのあとの時代に何が評価されると言ったら、やっぱり容姿になりそうな気はする。

いつだって自分は救われない感覚だ。

2018-02-22

anond:20180222125802

給料は良くはないだろ。

均等法以前は男女で給料が違うのは当たり前だったし。

女子社員実家に住んでる人しか採らないとか(一人暮らし出来る給料さないから)、

都会で働きたがる娘の為に地方の親が仕送り(娘が働いていても、その収入だけでは生活できないのが当然だから)とか

そういう話も普通にあったわけだし。

都会で社会人女性一人暮らし=「いつまでも親に甘えてないで、早く地元に戻って結婚しなさい」と言われる時代もあったんだよ。

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