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2019-04-18

anond:20190418182701

えっそうなの

一応ここまで金かけて育てられたから、そろそろ仕送りしないと死ぬまでにトントンにならないかなって・・・

anond:20190418182449

現役で2人とも働いてるから必要はないっちゃないんだけど

例えば自分仕送りマッサージとか、焼肉とか気兼ねなく行ってくれたらなあと思って送ってる

母親病気たから、パートくらいしか働けてないし

anond:20190418182028

50過ぎなら現役だから仕送りいらなくない?貯金すべき。

何か働けない事情でも?

両親への仕送り

27歳 自営業 一人暮らし

両親50すぎ 都内住み

両親へ仕送り(多くて10、少ない時2万とか)するけど、これが多いのか少ないのかわからない

なるべく送りたいけど、世間はどれくらい送ってるのか知りたいから教えてほしい

2019-04-17

きょうだいコンプレックス、持たれる人間もつらいという話

2歳年上の兄と折り合いが悪い

というのも、昔は明確に「暴力」という形で兄の絶対的支配の下に入っていたけど、もう20歳も超えてそんなこともなくなって、むしろそのころから兄の人生と私の人生社会的評価のされ方が変わってしまって今となってはただの折り合いが悪い兄妹になってしまった。

いや思えば昔から兄は口下手で滑舌が悪く、口達者でよく舌のまわる妹(私)に口喧嘩では勝てず、暴力支配していたのだ。

それこそ骨折するとか縫うみたいなケガをしたことはない。それは兄が優しかったとかじゃなくて、今ならわかるわ、大きいケガさせてもっと強大な権力であるところの父に叱られたくなかったんだろうな。

小中学生くらいの私はまぁまぁ勉強ができて、学級委員とかをやりたがるタイプで、図書委員長とかもやってて、運動は全くできず、50m走したら10.2秒かかって先生に「まじめに走りなさい」って怒られてた。マジ全力で走ってたんだけど

友達はいた気がするけど、私が人間として生まれたのは18くらいの時なので記憶はないです。

対して兄はサッカー少年で、成績がどうだったかは覚えてないし学校でどうだったかとかは覚えてないけど、同じ中学校に通ってた時、吹奏楽部の子がみんな「あんたが○○っていうの?兄ちゃんいるでしょ」って言ってくるからどうしたことかと思ったら兄は同級生吹奏楽部サックス吹きの、私からしたら先輩と付き合ってたんだそうだ

いや知らんけど

まぁいろいろあって、高校生の時に兄はどっかから金を工面してきて某英語圏に行った。7年くらい?8年だったかな?金の仕組みがよくわかってないけど、両親は兄が金をかけずにうまくやったことを喜んでた。

うちはハイパー貧乏だったけど子供が5人もいて、生活が本当に苦しかったのだ。ちなみに兄と私は長男長女。マジこれ最悪なんだわ。

そこからまたいろいろあって、私は現役で某地方国立大学に進学した。奨学金は2つ借りて、当時は神の子だったし家がハイパー貧乏だし当時小学生の弟とかもいて余裕で無利子だった。20年間返済するぜ

ここから一人暮らしスタートして、私の物心がつき始める。これが…自我…!って感動した。18歳の目覚め

ちなみに父実家がクソ男尊女卑思考から兄は海外で羽伸ばしてんのに私は「うちの女の子がそんな遠くで一人暮らしなんて認めません」みたいな態度だった。ゴミ思考。一応有名大学だったので蹴っ飛ばした。両親は応援してくれてたのが幸い、最高両親ありがとう

私が大学3年のとき、兄が日本に帰ってくることになった。向こうで通ってた大学留年して、除籍になったっぽかった。

兄は「日本教員になりたい」と言って、大学に3年次編入することになった。

23大学浪人生の兄に奨学金を貸してくれるまともなところなんてないから、両親がお金を工面した。ここでももっといろいろクズ伝説はあるけど、今は関係いからまあいいや

問題浪人生時代インターン実家に帰っていた私にとって兄がとんでもないモンスターモラハラ兄に変化していたこ

兄が3年次編入を狙える大学は私が通っていた大学よりランクとしてはずっと下で、サッカー少年ですらっとしていた兄は目測20キロは増えて帰国しており、暴力による支配もできなくなった兄は私を以下項目において貶めることでしか関係を築けなかったんだろうね、かわいそうなひと

そもそも大人きょうだいに力関係って必要?その辺も考えが貧しいというか子供のまんまなんだろうな、かわいそうなひと

まずは容姿

かに美人じゃないけど、どんな話してても最終的には「お前はブス」「お前の顔だとほかの人間に許されることも許されない」みたいな小学生みたいなことを言う

次に恋愛

当時彼氏はいたが、実家ではそんな話もしなかったしいないと思われてたほうが都合がよくてわざわざいるとか言わなかった。そしたら兄はさっきとの合わせ技で「お前みたいなブスは結婚とか恋愛とかあきらめたほうがいい」「お前はブスなうえにオタクからモテない」「ブスは一人で生きるしかないんだから」とかまぁ本当にいろいろ言われた。

毎日深夜のマックでその元カレに泣きながら電話してた。早く大学に戻りたくて仕方なかった。

実は、モラハラが始まるまでは私は兄のことが本当に好きだった。

よくわからないけど遠い国で頑張ってるし、どっかからお金も見つけてきてすごいなって純粋尊敬していた。本当に本当に、嘘かと思われるけど、兄の美しい面しか記憶になくて、兄みたいに頑張ろうって思ってた。

でもこんなことになっちゃって、大学生になった兄はさらゴミみたいな人間になっていくし、教員免許取るのもやめて大学意味感じられなくなるし、大好きなおばあちゃんお葬式で私に「ブス」って言いすぎて叔母たちに超説教されたりしてもやめないし、どんどんコンプレックス拗らせてった。哀れだよね人間って

コンプレックスを持たれている人間、私もそんな兄の攻撃に耐え兼ねてできるだけ兄とは会わないように生活してきたし、今後もしていく予定

いやごめんどんどん長くなるけど、これから自分いかに立派な人間かを語っていくわ。わたし立派な人間から


私は大学ストレート卒業して趣味のもの作ってるメーカー営業職で就職も決めて、おばあちゃんお葬式とき大学3週間休んだけどなんとか卒論も完成させて一緒に卒業旅行行ったり遊んだりする友達もいて、マジ平凡の中の最高ランク人間なんですけど、一度もモラハラ兄に「いやブスでも大学4年で卒業するし」とか「結婚できなくても安定した職はあるし」とか「てめぇがブスって言ってる顔でも学歴社会じゃ関係ねえし」「てめぇとは語彙と愛嬌で差がありすぎて話にならん」とか、反撃したことないですからね。

私は大学入ってから仕送りもしてもらってない実家の両親に誕生日父の日母の日プレゼント買ってるけどお前は?

自動車学校に通うからってバイトしてたお金、全部使い切って結局家に一円も入れずに親に金出させて通った自動車学校、楽しかたか

お前がストレス発散のために怒鳴り散らしてた受験生の妹を慰めて勉強見てやって国立大学入学したときにお祝いあげたの誰か知ってるか?

お前は学生の妹から金借りてたけどその妹に仕送りしてんの誰か知ってるか?

女の子に学はいらん」ってマジで身内に言われたことあるけどお前は?

金がないか就活できないとか言って父に金出させてたくせに香港旅行行ってたの誰だっけ?

就活できないとか言って留学先に残してきた彼女に会いに行ってたの誰だっけ?

お前が毎日ご飯食べさせてもらってたおばさんの家にお礼送ったの誰か知ってるか?

全部言ってない、飲み込んでる、偉すぎる

大学受験期、どうやったら一番金がかからいか考えて予備校にも通わずに現役合格した神の子の長女と両親に湯水のように金を使わせる長男、どっちが立派ですばらしい人間かわかりますね?

ここまで金にこだわる私がどんな貧乏暮らしをしていたかわかります???

学生の時も金がなくて超つらかったな~~早朝5時半とかからバイトしてた。

全部全部兄に頼まれてやったことじゃないけど、私は私が正しい大人としてやるべきと感じたことを兄がおろそかにしていることに関して補っているという認識普通毎日ご飯食べさせてもらってたらお金払うとかお礼の品持っていくとかするでしょ。なんでお前にはそれができないの。

最後時事ネタ入れるけど、上野千鶴子がどういう人間かとか著書にどう書いてたとかよく知らないけど、あの東大祝辞はよかったと思う。

ただの地方国立大の私でさえ「そんな学つけても子供産んだら役に立たんぞ」とか言われるわけ。いやてめーらみてえな思考にならないだけ役に立ってるわ。

本当に性差別も感じる、一介の営業マンでさえ感じる、これはそのうち。

かつて兄が好きで、兄のことを心の底から尊敬していても、兄が拗らせたコンプレックスでぼろぼろに言われる、まだ兄を好きな私が心の片隅に生きていて毎日ブスって言われるたびに泣いている。せめて私は妹や弟をかわいがりたいと思う。心の底からかわいがって、彼らの翼が折れないように守りたいと思う。私がしたような苦労はしてほしくなくて一人暮らし学生の妹には仕送りをする、受験生の妹は親と相談させて予備校に通わせる、弟には部活で使う高い道具をじゃんじゃん買ってあげる。みんなかわいいよって言ってあげたい。私は誰かのかわいくて仕方がない妹にはなれない、一生なれないから、私は私のかわいくて仕方がない妹と弟がいらないコンプレックスを抱かないように尽力したい。

てゆーかブスでもよくない?お前とおんなじ親からまれてんだから

おんなじ親からまれてるのに私より子供のまま26歳になっちゃった兄、かわいそう

2019-04-13

新卒入社したのだけど同期の目がみんな輝いていて辛い。

同期の目がみんな輝いていて辛い。

別に偉い人がそれっぽい話をして輝いている訳ではなく、純粋に、根っこから輝いている目をしている。

先日、いわゆる""同期の飲み会””というものがあった。正直にいえば決して安くはないし、1ミリも行きたくなかった。しかし、私以外の全員が参加する飲み会に欠席する訳にもいかず、適当に参加して、たいして美味しい訳でもないにお酒を飲み、量の少ない料理を食べて、適当に相づちを打ってきた。

「なんでアイツは参加しないんだ...」なんて目をつけられて、陰でなにか言われたくなかった。それだけだった。

お察しの通り、私は所謂陰キャ”と言われる側の人間だ。ゲームが好きでアニソン声優ソング好きで、ライブにもたまに行く。強いて人にいえる趣味料理お酒。それ以外は(例え自分の事でさえも)興味が持てない。そういう人間趣味の話なんて、できるわけがなかった。

からなのか、同期に対してもほとんど興味を持てないし、何より自分のろくでもない、粗大ゴミより価値のない「今まで」という話をしたくなかった。そのくせ、周りの普通の人々と比べて”マトモに話一つできない”と、勝手に惨めになる、どうしようもない人間。目が輝いていて、自分は誰かに少なからず期待されている事を信じてる人々が羨ましかった。

所謂、”同期”と呼ばれる人々はみんなそれなり新しい環境に対して不安とどこか将来への希望があるように見えた。研修感想も私なんかよりしっかり書いている人がほとんどだった。

当の私はほとんど書けなかった。未来への希望だとか、目標だとかそういうものが一切なかった

(しいて言うなら今年リリース予定の推しているゲームの新作くらいだけど、流石にこれは違うことはわかっている。)

いじめられ、友人と呼ばれる人々に裏切られ人間不信になり、勉強部活も幾らやっても結果がでない自分絶望し、教師コーチにも見放された。なんとか変えようと受験猛勉強した。けれども、受かった先に待っていたのは自分ではどうすることもできない”生まれた家の経済的な差”だった。おまけに親からは「育ててきた時間無駄だった。」と面と向かって言われもした。

なにもかもどうでもよくなったのは20歳くらいの頃だろうか。未来への希望とかそういうものも一切なくなった。私の目はもう輝いていなかったと思う。

実を言えば、内定式の時から「ここにいる人達自分と生きる世界が違う」と薄々感じてはいた、しかし他に行くアテもないので見てみぬフリをした。「昔の友人が~」「高校クラスでは~」「免許お金は出してもらったけど~」「仕送りもあって学生が楽だから~」、聞こえてくるのはそういう話ばかり。私はその手の話はなにもできなかった。

だってなにも経験していないんだもの

振り返るような学生時代の思い出も、親しい友人や両親、兄弟のことも、私にはろくでもない思い出でしかなかった。全部忘れたかった。

入社して研修の時も、それはほとんど変わらなかった。周りにとって自分の「今まで」の人生はとても素晴らしい思い出。私にとっては忘れたい、ろくでもなさそう思い出。おまけに趣味の話をしたらなにか言われるかもしれない。そんな人間不信を抱えた私は、ほとんど何も話さなくなった。

周りの当人達にとってはごく普通の目が輝いている人々が怖いと同時に羨ましかった。私もそうなりたかった。

結局なにも変われない私は周りに合わせることすらできない自分が惨めになり、1人でつらくなっていた。どうしようないのだから、さっさと諦めればいいのに。

勢いで殴り書きしてしまたかほとんどまとまっていない文章だと思う。もし読んで頂い方がいれば申し訳ない。

そろそろ配属した先での研修になる。同期との関わりは減るだろうが、今度は”先輩”と呼ばれる普通の人々が近くに付くことになるだろう。

自分の話なんかできないし、そもそもしたくもない。かといって悪い印象を持たれることだけは避けないといけない。裏で何をされるかわからないのだから

いつになったら周りと比べて惨めにならず、割り切ることができるのだろう。少なくとまだ暫くの間は無理そうだ。

お父さんお母さん、私に謝ってください

自分の気持の整理のために書き連ねる。自分語りで相当長い。


昭和生まれ就職氷河期経験済みのアラフォー

二歳年上の兄(長男)がいる。自分は長女だ。

幼い頃は特に兄と自分への待遇に差を感じたことはなかった。

親は団塊世代で当時は給料右肩上がり時代で、それなりの中流家庭だったと思う。

習い事などもどちらもそれぞれ好きにやらせてもらえていた。

兄が通っていた地元の塾に自分も行かせてもらい、兄は一足先に中学受験をして某私立中高一貫校へ進学した。

自分最初の塾(兄と同じ)で、『御三家も狙える』と言われ、有名な大手進学塾へ通うようになった。

毎週土日のどちらかには親に連れて行ってもらって都内テストを受けに行き、自分純粋に楽しんでいたが、それに付きあう親は大変だったろうと思う。


そしてその頃から、どうやら兄は道を徐々に踏み外していったらしい。

具体的に中学生の兄の身に何があってそうなったのかは今でも知らない。

兄は万引きなど軽犯罪を繰り返すようになり、親が警察に行くこともたびたびあった(当時、自分にはそれらの事実は知らされなかった)。

自分と兄はひとつ屋根の下暮らしていたが、部屋は別々で元々仲の良い兄妹でもなかったし、

自分中学高校御三家の一つに受かった)で良い友人に恵まれ学生生活を楽しんでいて、兄のことはほぼ眼中になかった。

ただ、それでも兄や両親を見ていて、『兄が道を踏み外しつつある』こと、『親が兄の対応で大変らしいこと』は雰囲気でわかった。

から自分まで親に負担をかけてはいけないな、と子供ながらに思っていた。

別に親のためにいい子でいようと思ったわけではない。

道を踏み外していく兄を尊敬できなかった、いや、心から軽蔑していた。ああはなりたくない、と思っていただけだ。

学校の友人の兄弟はみな出来が良くて、どこに出しても恥ずかしくない「まっとうな」人達で、比べると自分の兄が恥ずかしかった。

学歴なんかの問題じゃない、今でもそれで兄を差別する気はない。

犯罪を犯すこと(万引き以外にも路駐やら何かでしょっちゅう警察から電話があった。警察バカにし、遵法精神などまるでなかった)、

それで親に多大なる迷惑と心労をかけていたこと、それを反省もせずにまた繰り返すこと。

兄の心理など知る由もないし、なにか彼の思春期問題があったのかもしれない。

だがだからといって兄の行為正当化される訳もない。繰り返すならなおさら弁護の余地もない。

私は心の底から兄を嫌い、軽蔑し、しかし表にはそれを出さずに、ただ兄とは接触しないようにしていた。

(なぜなら、兄は短気で暴力に訴える人間だったからだ。一度自分がそういった態度を見せた時、夜中に枕元に金属バッドを持ってすごんできたのは忘れられない。

  そしてそういった基質もまた、私の兄への侮蔑をより強める結果になった)



そして兄は高校を(なんとか)卒業し、大学へは行かずにフリーターになった。

親はどこでもいいか大学へ行かせたかったようだが、兄本人が『大学でやりたいことがない』と進学しなかった(ここは兄が正しいと思う)。

ありがちな話だが、兄は音楽の道を進もうとしたらしい。バンドを組んで、いわゆるバンドマンになった。

音楽活動の実態は何をしてるのかさっぱりわからなかったが、さほど身を入れてやっている様子もなく、芽も出なかった。だが諦めきれないのか、フリーターをしながらだらだらと続けていた。

自分高校卒業大学へ進学した後も、兄はその生活をしばらく続けていた。

そのうち、兄は一人の女性(Aさん)と知り合った。そして二人は結婚を考える仲になった。

Aさんはとても良い女性だった。自分や両親とも仲良くしてくれて、兄は大嫌いだがこんな姉ができるなんてほんとに嬉しい、ようやく兄が自分にとって良い行いをしてくれたと思った。

しかしここで、両親は最大の過ちを犯した。

何を思ったのか、兄にマンションを買い与えたのだ。親の名義でローンを組んで、兄と彼女の新居にしろと兄に与えた。

フリーターの兄に月々のマンションに係る支払が払えるはずもない。それはすべて親が払っていたのだ。しか結婚も確定しないうちに買って与えた。

呆気に取られた。納得できないが親の気持ちになって考えてみれば、『Aさんに逃げられないように、住居が確定していれば結婚生活も楽になるだろう』ということだったのかもしれない。

『妹は大学へ行かせてやったのだから、兄にも何か与えねば』と思ったのかもしれない(しか自分国立大で、学費トータルしてもマンション費用20%にもならないのだが)。

兄は別に特段の感謝をする様子でもなく、当たり前のようにそれを受け取った。

そしてその後、結婚が決まっても一向に定職につこうとせずに自堕落生活を続ける兄は、Aさんに愛想をつかされて結婚前に出ていかれた。

(兄はAさんに入れ込んでいたらしく相当なショックを受けていたが、自分から見れば当たり前だばーかしか思えなかった)


この頃からだろうか、自分が『親は兄を贔屓している』と思うようになったのは。正確には、『親は兄を甘やかしている(自分には厳しいのに)』と感じ始めたのは。


自分は親に言われた。『私立大に行かせる金はないし仕送りをする余裕もないから、家から通える国立大しろ』と。

親の言うことに従おうとしたわけではなかったが、自分の行きたい大学はその条件を満たしていたので、結果として親ののぞみを叶えた形になった。

しかし心のどこかに、『親ののぞみを叶えたい』という気持ちがなかったとは言えない。兄で苦労させられている親を見てきて、自分だけは親が誇れる子供でいようとしたのかもしれない。

通おうと思えば通えたが、一人暮らしに憧れていたこともあり、親の援助は一切受けずに一人暮らしを始めた。貯金バイトでなんとかまかない、4年間それを続けた。

親が兄にマンションを買い与えるまではそれも納得していた。だが、親がそれをした時、自分の中で不公平だという気持ちが生じた。

根底に『「親に迷惑ばかりかける穀潰しろくでなしの」兄に、なぜそんなに金をかけて甘やかすのか?』という考えも当然あった。

自分にとって兄は「いないほうがマシ」で、存在する事で何もいいことがない、迷惑なだけの存在だった。

グレてようがフリーターだろうが、優しい兄なら愛せたろう。だが、兄としての優しさを見せてくれたことなど数える程もない(その数回も小学生以下の時だけ)。

家庭を持って子を為し、親に孫の顔を見せて安心させてくれたなら、「普通」で「まっとう」な人間になってくれたなら、それで兄を見直すこともできただろう。

しかし兄は正真正銘クズなので、逆の道にしか行かなかったのだ(それについては後述)。自分が兄を見直す機会はおそらく死ぬまで来ないだろう。

(余談だが、なかにし礼氏の小説再現ドラマ(兄との関係を描いたもの)を見た時、心からなかにし礼氏に共感した。自堕落でお調子者で弟にとって迷惑な兄。

なかにし礼氏が兄の葬式後につぶやく、『兄さん、死んでくれてありがとう』がわかりすぎて辛かった。

何年先かわからないが、おそらく自分も兄が死んだ時、『死んでくれてありがとう』と心から思うだろう。自分が先に死ぬかもしれないが)



Aさんに逃げられた後、しばらく兄は自堕落生活をしていた(親が金を払っているマンションで一人ぐらし)。

自分は何度も親に『マンションから出て行かせろ、でなければ兄は自立できない』と言ったが、親は『そんなこと実際にできるわけがない』『目の届かないところに行かせるほうが不安だ』と言って聞かなかった。

この頃から自分の中で『兄が駄目になったのは親の(甘やかしの)せいではないのか』『親は己の見栄しか考えてないのではないか』という疑念が湧いてきた。

やがて自分大学卒業して、氷河期の中なんとか上場企業就職を決めた。

希望の会から内定が出ず、文系プログラムなど全くわからないのにSEになることになったが、就職できただけでよしとするしかなかった。

親の反応は『とりあえず上場企業から、外への体裁が整った』というものだった。親にとって自分は見栄のための存在なのだなということが、徐々にわかってきていた。

同じ頃、兄もようやく某リフォーム会社営業として働きはじめた。

兄の営業成績は良かった(もともと外面だけは良い)ので、いっとき小金持ちになれたらしい。外車を買ったが、マンションの金を親に返す気はさらさら無いようだった。

その外車ポンコツなのかあるいは外車とはそういうものなのか、しょっちゅう壊れて修理代がかかった。あまり乗らないせいもあっただろう。

乗らないのなら売ればいいのに『売っても二束三文しかならない』と兄は言い張り、親はなぜか修理代を肩代わりして払ってやっていた。

(散々修理代を払って直して、最後にはやはり壊れ、ろくに乗りもしないままに結局二束三文で売ったようだった)

マンションの支払いは親が続けていた。このころようやく、月々の管理費や積立金などの維持費だけは兄が支払うようになったようだった。

そのうち、バツイチ子持ちの女性Bさんと知り合い、今度は結婚した。Bさんについては自分ほとんど知らない。

その頃自分は向いていない仕事かつ長時間労働で心身を病みかけており、朝焼けの街を徹夜明けで泣きながら一人家路についたりしていたので、兄のことなど構う暇もなかった。

結婚式には一応出た。ストレスで過食気味になりむくんだ顔の自分愛想笑いを浮かべて写っている写真は見返したくもない。

兄の結婚になんの感慨もなく、『これで普通人間になってくれれば』と願っただけだった。兄に望むただ一つのことは『普通の家庭を築いてくれ』で、それ以上は望まなかった。


予想していたが、兄の結婚生活は長くは続かなかった。

営業成績が良いのに浮かれ、独立すると言って仕事を辞めた兄だったが、ろくなノウハウもない個人リフォーム営業がそうそう上手く行くわけもない。

あっという間に生活は行き詰まり、さっさとBさんに逃げられた(どうやら浮気されていたようだが、それを追い詰める気力もなかったようだった)。

そしてまた、マンションで自堕落生活に戻った(もちろんマンション維持費は親払いに戻った)。

自分はずっと『兄を甘やかしすぎだ、マンションから追い出せ、マンションを売ってしまえ、でなければ兄は自立しない』と親に言い続けていたが、ずっとでもでもだってで聞き流された。

『(万引きなどの)前科があるから、追い出したら何をするかわからない。もっと悪いことになるかもしれない』『どれだけ言ってもあいつはこちらの言うことを聞かない』。これが親の言い分だった。

しみじみ、親も兄も情けなく、どうしようもないと思った。『お前は冷たい』と言われた。

そもそも最初にあれが道を踏み外した時、お前の中学受験にかかりきりで、親としてろくに関わってやれなかったのが悪かったから』と。

そう言われて自分にどうしろと? 責任を感じろというのだろうか? もうとっくに成人していい年になった兄を憐れめと? 親でもない自分がなぜ親と同じ感情を共有せねばならないのか?

『ずっとそう言い続けて兄を甘やかして、それで状況が好転たか? 好転する見込みがあるというのか? 兄の自立を妨げているだけではないのか?』

そう言っても、親は同じ言い訳を繰り返して兄への甘やかし(マンション与え)をやめようとしなかった。 

自分の中で、兄への嫌悪と親への嫌悪比率は徐々に逆転していった。兄がどれほどのクズだろうが、どんな人生を送ろうがもはやどうでもいい。

自分と同じ親のもとで、恵まれ環境で育ったにも関わらず、兄は自ら堕ちていったのだ。兄の人生は兄のもの、好きに生きればいいしどこでのたれ死のうが勝手にすればいい。

兄よりも、そんな兄を甘やかし続ける親のほうに不信と不満が募っていった。なるほど、親がこうして甘やかすから兄は更生できないのだと納得した。

そして『兄が自分よりも甘やかされてる事実』にどうしても納得できなかった。自分特別扱いしろというのではない、兄を特別扱いするのが耐えられなかったのだ。同じ子供として平等に扱ってほしかった。

自分大学時代、兄は親が与えたマンションゆうゆう一人暮らしして、自分仕送りを一切受けられずに生活費のすべてを自力で稼いだ。

就職してから、兄は親が与えたマンションで好き勝手暮らして、自分は親に金を入れていた。家に金を入れるのは当然だと思う気持ちもあったが、理不尽だと思う気持ちはどうしても拭えなかった。

その気持ちに耐えられず、『兄と比べてあまりにも不平等だ、兄にも金を支払わせろ、兄を甘やかすのもいい加減にしろ』と泣いて言ったら、『じゃあこれからお前も金は入れなくていい』と言われた(そうじゃないだろ)。


家庭のことや仕事ことなど色々あり、結局自分新卒で入った会社を3年ほどで辞めてしまった。親に『30までにやりたい道(フリーランス)で食っていく目処をたてる』と誓い、宣言どおりに28で目処を立てた。

兄は親が見つけてきた非正規パート仕事をなんとかこなし、その頃にはそこそこ年季も入って板についてきていた。新しい彼女(Cさん)もできたようで、マンションで一緒に暮らし始めた。

だが、そんな矢先。兄が、クスリで捕まった。

最初に一報を聞いた時、親はともかく、自分は『まあ、あるだろうな。やっぱりな』としか思わなかった(基本的に兄の人格を信頼していないので、何を起こしたと聞いても『やりかねない』としか思わない)。

もちろん家族の誰も気づいていなかった。家族の目の届かないマンションでずっとやってきたものらしい。

自分は『言わんこっちゃない、だからマンションから追い出せとあれほど言ったのに、甘やかし続けた結果がこれだ』と親に言った。親は『そんなこと今更言っても仕方ない』としか言わなかった。

そこからの詳細は省くが、兄は執行猶予がついて戻ってきて、兄を見捨てなかったCさん(菩薩かよ)と今でも親の与えたマンション暮らしている。Cさんが見張っているので再犯はないと思いたい。

Cさんには敬意と感謝しかない。彼女がいなかったら兄はもっとだめになっただろう。

しばらくCさんに食わせてもらっていた兄だが、今はまた派遣で職について、そこでの仕事軌道にのってきたようだ。今度こそは歳も歳なので落ち着いたと思いたい。

(ちなみに、また維持費だけは払うようになったが、購入費は一切払っておらず、名義は父のまま。毎年実家よりも高い固定資産税を払っているのも父)



兄はもうどうでもよく、二度と犯罪を犯すなCさんにだけは迷惑をかけるなCさんだけは大切にしろしか思っていない。

残念なことに、自分の中で兄の見方が変わることはこの先死ぬまでない。今の兄と表面上でも付き合えるのはCさんあってこそだ。Cさんを姉と慕っても、兄を兄と慕うことは生涯ない。

きょうだい他人の始まりとはよく言ったもので、兄への気持ちはもうこれでいいと落ち着いている。

だが、「未だに」なのか、「今だからこそ今まで積もり積もったものが」なのか、自分の中で親へのわだかまりだけはどうしても消えない。考えると落ち着かず、心がざわつく。

もう親も老い自分もいい年だ。親も人間であり、それも見栄っぱりで子供平等に扱わず贔屓するようなできの悪い人間だったんだと納得するしかないとわかっているのに、

自分はどうしても、親に『自分たちが間違っていた』と言ってほしい。子育ての過ちを認め、自分がどれほど辛い思いをしたか理解し、悪かったと謝ってほしい。

だが、過去喧嘩した時の経験から、親は絶対自分の過ちを認めない、ましてや子供から言われる言葉を決して正面から受け止めないとわかっている。

『それが親に対して言う言葉か』『何様のつもりだ』『はいはい、全部こっちのせいだって言いたいんでしょう』…そう言って絶対絶対自分の過ちを認めない。老いた今、なおさら頑なになり認めないだろう。



自分自分なりに、親の期待には応えてきたと思う。教育で親に金をかけてもらった事は感謝しているが、それだけの成果をちゃんと出し、結果をだした。

なのになぜ、自分は兄と同じに扱われなかったのだろう。自分けが要求され、応え続けねばならず、それなのにそれを評価もされなかったのだろう。

これを言うと嫌な人間だと思われるだろうが、客観的に見て自分のほうが親に貢献しているしまともな人間として育った(少なくとも前科ものでなく、親に迷惑をかけていない)という自負があるだけに、やるせない思いがある。

本来なら自分のほうが親に贔屓されて然るべきではないのかという思いがあることは否定しないが、贔屓してほしいとは言わないしするべきでもない。

ただ自分に求めるものは兄にも求め、兄に与えたもの自分にも与えてほしい、子供の間に差をつけないで平等に接してほしかっただけだ。

男女の差だというのならばなおさら、兄には『長男』としての役割と責務を求めるべきだったろうに、なぜ私が長男役割も果たさねばならないのだろう。

兄が結婚した時、自分は『兄が孫を作ってくれたらそれだけが兄の親孝行だ、自分にも兄がいた意味がある。せめてそれくらい孝行しやがれ』とわずかに期待したが、兄は子供を作る間もなく離婚した(そもそも作る気もない)。

母は自分にだけ言う、兄には絶対に言わないのに、『老後の楽しみがほしい、孫が見たい』と。

子供はジジババの楽しみのために産むもんじゃねえし産んでおしまいじゃない、何ならあなたがたが育ててくれんの? 育てる金あるの? と応えたら沈黙した。

そんなに孫が見たいなら兄に言ってくれ、男なんだから自分よりよほど確率が高いだろうと言ったら、『あの子に育てられるわけがない』。『何を言っても無駄』と言って、兄には20年以上何も要求しない。

精子バンクとかあるでしょう』『50歳で産んだって例もあるし』とまで言われた日には本当に失望した。

50歳で産んだ女性はほぼ卵子提供で母方の遺伝子は入らないし、養子じゃ嫌だってんならそれ(母方の遺伝子が入らない)も嫌なんだろうに。

そもそも出産までにどれだけ苦労したか流産だって何度も経験してるはず)、不妊治療にどれだけお金がかかったかわかってて言っているのか、そして不妊治療高齢出産がどれだけ母体負担がかかると思っているのか。

娘の体など、自分の楽しみのためにはどうなってもいいのだろう。

孫の立場にしたって、父親がいない家庭に生まれることになるのだが、そういったことを考えてもいないのだろう。ただ、自分が欲しいから、だ。 

私の結婚も、自分の見栄だけのためにしてほしかったらしい。大切なのは見栄と体裁で、娘の幸福などどうでもよかった。

結婚しない女はなにか問題があると思われる』なんて言われても、それはあなただけの醜い価値観だろう、未婚率が三割の時代にそんな事思うほうが少数派だ。

図らずも未婚女性への「己の偏見」を曝け出したことにも気づかずに、『あなたのために言っている、それが世間だ』などと諭してくる醜さ。兄にも同じことを言えばいいのに。

結婚しろ』と言われるのが嫌で、それを避けるために誰でもいい、一回結婚さえすれば文句を言われまいと思って結婚したけれど、上手く行くわけもなく2年も経たずに破綻

(付き合っていた人とは、兄の事件で別れざるを得なかった。結婚した人には家族ぐるみで兄のことを隠した。そんな結婚うまくいくわけもなかったし相手には申し訳ないことをしたと思う)

その時の言葉も『せめて2年は持たせろ、外聞が悪い』『相手の親に私(母)の顔が立たない』『どうせお前のわがままだろう』…出てくるのは己の見栄と体裁のための言葉だけで、一度も娘の心情を慮る言葉は出てこなかった。

兄が同じように2年程度で破綻した時、兄に同じ言葉を突きつけたなら、そういう人なのだと納得もできたかもしれない。だが、兄の離婚に関して親は兄に何も言わなかったのだ。

(主に要求を突きつけ言ってくるのは このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2019-04-07

デリヘル嬢に恋をした。追記しました。

キモくて金のないオッサンです。

地方在住、腹が出ててチビで、手取り20万行くか行かないかオッサンです。

アラフォーにもなるのにお付き合いした人数は一人。

そんな恋愛偏差値底辺なもんだからか、何気なく呼んだデリヘル嬢にまんまと恋をしてしまいました。

相手20代後半(設定?)の10歳年下のデリヘル嬢。

初めて呼んだのは2018年の年末でした。

デリヘル店員おっさんに「入ったばかりの女の子なんですけど、オススメですよ」と言われ、デリヘル店員オススメなんて基本的に嘘だろうと思いつつ、それに従って頼んでみました。

部屋に来た女の子は、見た目だけで言えば好みどストライクでした。さら性格も明るくかわいい。いやもちろん、仕事からね。明るく振る舞ってくれてるんですけどね。

結果、一目惚れとは言わないが、「また近々お願いしよう」と思うくらいにはお気に入りになりました。それから人肌恋しい季節ということもあってか、結構なペースで呼ぶように。

おかげですっかり顔馴染みになり、そういうサービスだけでなくお互いの色々な話をするようになりました。

その間、デリヘル嬢は入店してから数ヶ月で案の定というかどんどん人気が出てきている様子です。それ自体彼女の実力ですので、素直に応援しています

昨日の事、作業BGMとしてYouTubeあいみょんを垂れ流してました。

そこで「どうせ死ぬなら」という曲を耳にしました。むーぎわらーのーが印象的な「マリーゴールド」とは全然雰囲気の違う曲でした。

そう、どうせ僕はこのまま死んでいくのです。

もう40歳手前、仕事と家の往復です。こんな感情を持つなんて思ってもいなかった。

死ぬまでにあと何度、恋をできるのだろう。

分かっています。10歳も年下のお金だけでつながっている相手だということも。彼女時間サービスお金で買うという最悪な行為をしている事も。全て分かってます

こんな気持ち相手にぶつけても困らせてしまうだけでしょう。もしかたらこのままの関係ベストなのかもしれません。

でも彼女から2万円で買っている90分という時間が終わった後に訪れる形容し難いこの感情をどうすれば良いのでしょう。

なんと愚かな男になったことか、自分でも信じられません。

とーちゃん、かーちゃんゴメンな。

医者を夢見て勉強頑張ってた小学生の頃の俺、ゴメンな。

こんな人間になるなんて思ってもいなかった。

叶うはずのない恋に今日、終止符を打ってきます

そして、また彼女出会う前の何もない生活明日から繰り返すとします。

追記

予想以上にコメントついてるので書いときます

なんかヤバイ事件でも起こすんじゃないか心配させてしまったようですが、そんなつもりでは書いてません。書き方わるかったかな。ごめんなさい。

今日ですが思わせぶりな書き方したわりには、大したことも起きませんでした。(小心者すぎて起こせなかったとも言える)

それとなくデートに誘ってみたものの、上手にかわされました。さすがです。その代わり、お店の人の公認で連絡先の交換をすることになりました。

かいことは省略しますが、簡単に言うと、連絡先交換するんだから今まで以上に彼女(とお店)の養分になって欲しいと言われた感じです。

まぁ、自分立場をわきまえて今までと変わらずの関係で接していくしかないようです。

で、コメントでも頂いてますが、仕事副業を頑張って収入を上げるように計画的に生きていこうと思います。どこまで出来るかは分かりませんが。

今までは自分身の回りのことと親への少しの仕送りで足りる分しか稼ぐ気が起きませんでしたが、もう少しだけ欲張って見たいと思います

ドラマチックな展開とかなくてごめんなさいね

でも人生こんなもんですよね。

2019-03-31

田舎貧乏人を初めて見た話”を読んだ田舎貧乏人のBBA感想

私の出身地は、県庁所在地はそれなりの観光地実家のある町はそこから1時間に一本の電車に乗って30分ほど。

最寄駅は無人駅。通っていた町立の小学校はこの間廃校になったらしい。という程度の田舎

離島とかの人に比べたら、田舎レベルは低めとは思うが、「映画を見に行く=日帰り旅行」とか、「デートジャスコイオン)」とか、田舎あるあるはよくわかる。

実家経済状況は、父(県外の出身)の実家貧乏で、高校大学院まで奨学金で出たので、返済のために共働きでも余裕が無かったようだ。

それが無ければ両親ともフルタイムで働いていたので、貧乏レベルも低めだと思うけど、「トリーバーチさん」からすると立派な貧乏人だろう。

私は小中学校とも町の公立を出て、高校は1時間に一本の電車に乗って、市内の県立高校に通った。

大学進学にあたっては、母からは「(経済的に)上にお兄ちゃんがいるようなものから」と、県内にある国立大学に行くように言われていた。

が、しかし、どうしても東京に出てみたくて。

それなりに偏差値のあるところなら、そして学費の安い公立ならいいでしょ、と渋る母を説得して

後期試験地元国立大に、前期を東京国立大にしてチャレンジした。受かると思わなかったのかもしれない。

しかし、どういうことだか受かってしまった。

反対していた母もテンションが上がってしまって、仕送りに頭を悩ましながらも

送り出してくれた。

こうして東京女子大生になった。

もう10年以上も前の話だ。

私の出た大学地方出身者も多く、案外、大学内で経済格差を感じたり、カルチャーショックというのは無かったかな。

ただ、東京生活は、田舎のそれとは全然違うとは感じた。

田舎にいた頃は、どこに行っても誰かの親戚や知り合いだから

どこに行っても面が割れてて「○○さんトコの○○子ちゃん」で、自分の振る舞いに自分の家の評判がかかっているようなプレッシャーがあった。

同調圧力義理、噂話、古いしきたり、しがらみ。

暮らしていた時はそれが当たり前すぎて気にならなかったが、東京に出てみると、そう言ったものとは無縁で、すごく自由を感じたのを覚えている。

(所帯を持って、町内会の付き合いが始まると、東京でもそうしたしがらみの中で生きざるを得ないのだろうけど)

隣の人がどんな人とか関係ない、という感じで、他人干渉されない東京の空気がとても新鮮で心地がいいと思った。

あとは、髭男爵さんのコラムインタビュー?にあったけど、

東京お金使え圧力が強い。

それに染まって、稼いだお金東京的な消費活動につぎ込んだこともあった。

でも、なんだか見ていた頃に憧れたほどには幸せにはなれなくて。

なんていうか、稼ぐ苦労に対して得たものがコレ??的な。

ちと立ち止まって、もうちょっと人間らしい生活をしよう・・・と思って

ガツガツ稼ぐの止め。時間ができたのだが、収入が下がったので必然的節約生活に。

そうすると、案外お金を使って遊ばなくても、楽しいことって色々あるなー、と。

魚って外で美味しいのを食べようと思うと、相当出さないとないけど、

近所の魚屋で新鮮なのを手に入れれば焼くだけでも安くてすごい美味しい。

自分で買いに行って、美味しいもの自分でこさえた充実感!とか。プライスレス

春は桜が咲いたのを見に行って、夏は涼しいところでアイス。秋は紅葉。冬は部屋で鍋とか。ささやかなことに喜びを感じる、今の自分の方が好きだなぁ私はね。

そして今、改めて田舎での生活を振り返ってみると、いい面もたくさんあったと感じる。しがらみも、一長一短。

介護状態祖母を近所の人が田舎ネットワークで様子を見にきてくれていたり、世話をしてくれていたり。色んな噂を立てる人もいるけど。

でも人と人との繋がりが強いのは確か。

あと自然に囲まれ食材が安くて美味しい。星も綺麗。

人間やってると色々あって色んな人と出会って価値観も考え方も変わる。

トリーバーチさんくらいのころって、ほんとその過渡期だなー。

そういうカルチャーショックって、大事だよなーとBBAは思います

色んな経験して、良い医師になってください。

2019-03-30

東大生自分のことを貧乏だと思ってる

田舎者貧乏人を初めて見た話」を受けて。

 東大入学した春、僕は父親年収が700万円だと知った。日本学生支援機構奨学金に申し込むために、世帯主収入必要だったからだ。

 当時の僕は父親年収を見て、「こんなもんか、思ったよりは多いんだな」などと考えていた。東大生の親の世帯年収は、約半数が1000万円以上だという。

https://www.nenshuu.net/sonota/contents/toudai.php

 1000万円というのが金持ちの一つの基準で、それに足りないウチはやっぱり中流階級なんだと思った記憶がある。僕は地方都市郊外人口5万人程度の町で生まれ育ち、小中高(駿)大と1年を除いてすべて公立で済ませてきた。父母僕弟の四人家族で車は国産普通車、家は駅から少し離れた3LDKマンション外食は月に一度するかしないか、98円の卵のために朝からスーパーに出かけるような、至って普通の家庭だ。中高時代スーパーフードコートマックポーク1個だけで粘り、近所の友人とオタ話に花を咲かせた。高校は街中にあったので、放課後ラーメン屋に誘われることもあったが、月5000円の小遣いがラーメンに消えるのが惜しくて断ることが多かった。

 これが普通金銭感覚だと思っていたし、今だってそう思っている。

 そうしてこうして、東大入学した。

 父親年収700万円が基準額より高かったので、結局無利子の奨学金は借りられなかった。なので、学部時代は親から仕送りで過ごした。ボロアパート5万5千円の家賃と、それとは別に5万円の生活費を毎月親から貰っていた。

 仕送りの額について友人と話していて感じたことだが、どこまでを仕送りの額として申告するかは個人差がある。家賃込みの額を言う人もいれば、携帯代も光熱水費も全部親が払っていて、本当に自分自由に使える金額を申告する人もいた。僕は、携帯代と交通費と光熱水費は自分持ちの5万円だ。

 東大に入ってできた友人は、世間の言うほど金持ちではなかった。毎日のように高級なランチを食べるだとか、服に月に10万円使うとか、そういう人はほとんどいなかった。医者の一人娘の女子が親からクレジットカード丸ごと借りていて、自由に使っていいという話を聞いたが、流石にそれはウワサ話になるぐらいには少数派だった。

 三鷹寮に住んでいた友人は、本のためにバイトに明け暮れていた。

 あらかじめ言っておくと、ほとんどの東大生の親は、子供の本代を惜しまない(と観測範囲の中では思う)。僕の仕送りは5万円だと言ったが、学期初めの教科書代は別途追加で送られてきた。公立高校でさえ周囲はそうだったから、そもそも子供学歴にかかわらず)本を与えてくれる親は多いのだろう。でもやっぱり、書籍部で1冊数千円する専門書がドカドカ売れていくのを見ると、東大生は本にお金を使うし、親もそれを惜しまない傾向は他の大学に比べて強いのだと思う。そんな環境の中、三鷹寮の友人は本を自分で買っていた。外部の人に説明すると、三鷹寮というのは東大直営学生寮で、月1万円ちょっとで住むことが出来る格安家賃が魅力だ。その代わり、三鷹にあるのでキャンパスから遠いのと、入居者には所得制限がかかっている。なので、三鷹寮に住んでいた時点でその友人はさほど裕福な方ではなかったのだろう。僕は不躾にも、彼に「本代を親に頼まないのか」と聞いてしまたことがある。彼は「授業で指定された教科書代は貰っているけど、こういう本は教科書じゃないから」と言った。理系の僕にはよくわからなかったが、彼の買う本は美術論や建築物写真集だとか、普通本屋にはあまり置いてなさそうな文化的ものばかりだった。普通ハードカバー小説みたいなサイズの本が、3500円した。「これは教科書でも、研究用でもなくて、ただ自分の興味のために買ってる」と言う彼の姿は、僕には少しまぶしく見えた。

 東京私立中高一貫男子校出身の友人も、いつもお金に困っていた。サークル活動には熱心に参加するが、その後の飲み会は断ることが多かった。そのくせ、誰かの家で二次会をやることになると「宅飲みなら安いから」という理由で必ず駆け付けた。大学進学後、彼の家のルールでは小遣いがゼロになり、遊ぶ金が欲しければバイトしろということになったのだそうだ。実家住まいだとこういう人は何人かいたように思う。僕は仕送りを貰っていたので携帯格安スマホに切り替え、自炊ケチれば、浮いた金がそのまま自分のものになったが、実家住まい人間バイトをする以外の方法お金を得ることができない。その上、友人は郊外に家があったので、通学に1時間半ほどかかり、夜遅くバイトができないのだと愚痴っていた。

 大人になった今少しわかるのは、東大生の親は確かに金持ちだったが、教育費と都心の住居費に金を注ぎ込んでたのだということだ。だから食事や服、旅行などのわかりやすい贅沢はしない。その代わり、海外大学への留学費数百万円をポンと捻出するし、子供女子だったらセキュリティのしっかりした家賃10万円のマンションを借りる。でも、遊ぶためのお金を直接子供にくれるわけではない。大学が忙しくてさほどバイトができなかったから、僕らは他の大学生に比べても飲み会なんかの遊びにお金を使わなかった。こういうわけで東大生は自分のことを貧乏だと思っているのだと思う。

 大学院を修士卒業した僕は、今は某メーカー就職して、工場のある田舎生活している。1年目の盆休み帰省した僕は数か月遅れながら初任給で親を食事に連れて行った。話題は当然、僕の仕事のことばかりだ。そのうち、給料の話になった。ごくごく一般的修士卒の初任給の額と、冬のボーナス金額の目安を告げると、母は「お母さんの給料なんてすぐに抜かされちゃうわね」と答えた。

 その瞬間、僕は重大な事実に気づいて膝から崩れ落ちそうになった。

 どうしてこんな簡単なことに6年間もの間気づかなかったのだろう!

僕 の 実 家 の 世 帯 年 収 は、1000 万 円 を 超 え て い る !

 共働きであったことを知らないわけはない、ないのだが、父親年収を知った時の僕は母の給料をそれに足すという単純な足し算ができなかったのだ。弁明すると、僕の父親は700万を稼いでいた当時50代前半で、年収ピークにある時期だ。僕の家が世帯年収1000万円を超えていたのはわずかな期間だろう。そして、僕らの親世代にとって年収700万円というのは50歳前後男性年収中央値で、僕の父親は周囲と比べても実際凡庸だったのだ。母は専門職フルタイム勤務ながら、年収300万円代で、これも稼いでいるとは到底言い難い。僕の父親母親も、普通の人で、並の年収だったので気づくのがだいぶ遅れたが、共働きのおかげで世帯年収1000万円を超えていたのだ。

 その事実に気付いてからしばらくは、ショックで呆然としていた。僕の家のしゃぶしゃぶといえば豚肉だった。一体いくら稼げば牛肉のしゃぶしゃぶを食べられるようになるのだろう?同じマンションの住人でベンツに乗っている人がいたが、あの家の人はいくら稼いでいるのだろう?あるいは何を犠牲にしているのだろう?ハワイ程度なら僕も海外旅行したことがあるが、ヨーロッパに出かけている人たちはどうしているのだろう?僕は1000万円を稼げるようになるだろうか?東大を出たところで、この不景気では実家以上の暮らしができないのではないだろうか?

 幸いというべきか、今の僕は30歳手前にして世帯年収1000万円を実現した。といっても、僕が600万、不動産営業の妻が400万円という内訳だけど。引っ越し結婚式新婚旅行など、金の吹っ飛ぶイベントが一通り終わって、ようやくゆとりが出てきたとはいえ、こんなもんかという感じは拭えない。そろそろ子供を持ちたいので、妻の収入が無くなるのを覚悟しないといけないし、子育てマイホームのために貯金を続けているといったところだ。

 妻は高いものを購入したい時、必ず僕に確認する。冬物のコートとか、デパート化粧品とか(妻が怖じ怖じと切り出した割に、化粧品は6000円と意外に安かったのでそれぐらいなら確認せずに今後も買っていいと伝えた)。僕も相談するようにしているが、この間のカメラレンズはOKが出なかった。これが年収1000万円の暮らしなのか、と考えると今でも不思議な感じがする。まだ子供がいないから多少ゆとりがあるだけの、「普通」の家庭だと思う。

僕は今でも、自分のことを中流家庭だと思っている。

2019-03-29

anond:20190328015628

真偽についてはあれこれまあ思うところあるけど、気持ちとしてはわかる。

都内育ちで勤務医の娘でサブカル女子高生だったのが、地方医学部に入って人間関係が固定されて、相互監視とかの閉塞感もあって、大好きだったバンドライブに行けず、見たい美術展にも行けず、単館系の映画はみられず、つらくて夜な夜な泣いてた。

まあ学年が上がったらアウトドアにはまって遊びの幅が広がって、楽しく暮らせたので結果としては良かった。元増田も(本当に地方医学生なら)その土地での遊びも楽しめるといいね

あと、私は国公立育ちだし高校までもバイトして遊んでたから、仕送りも多くなくてなかなか都内に帰ることも出来なかったけど、お金持ちなら頻回に東京帰ってリフレッシュすればいいじゃん、と貧民は思いますけどね

フォロワーJKがいて、いつもお父さんが自由にさせてくれない、つらい、はやく家を出たいって呟いてるんだけど

毎年恒例の夏休み家族旅行、どこにいくか家族会議

って呟いてておまえ家好きやんけ~~!!家族仲良しやんけ~~!!ってなってる

私の家は貧乏かつ365日共働きだったし家族旅行したことなんか一度もないし!!

夫婦仲も悪かったし仕送りもなければ学費奨学金もらって払ってるし!!

それでもお父さんもお母さんも嫌いじゃないしーー!!ってなんか勝手に腹立ってる

まあ反抗期なんだろうけどね、そういうことなんだろうけど。

2019-03-23

かに縛られていた方が充実感はある

小、中、高校大学自由校風学校に通ってきたが、充実してた順は中≧小>高>大だったように思う。

小、中学校自由校風だったとはいえ義務教育なこともあり親や先生監視比較的厳しいものだった。宿題はきっちり出され、遅刻も出来ない。あんまり夜遅くまで外で遊べないし、夜更かしも出来なかった。

高校生になると自由度が格段に上がった。親も先生大分緩くなったし、自分物事を決めることが増えた。それでもまだ未成年だったため、多くの物事において親の許可必要だったし、親に逆らえる立場でもなかった。

大学に入り、一人暮らしを始めるとほぼ完全に自由の身となった。授業をサボっても怒られない、夜遅くまで飲みに行けた。大学3年にもなるとほとんど授業もなければバイトもあまり入れておらず、その上親から仕送りも十分あったため、生きる上での「制約」みたいなものが全くなかったように思う。

かに大学の頃は楽しかった。金銭的にも時間的にも恵まれ人生で一番自由に遊んで過ごした。

しかし、「充実感」というものは全く感じられなかった。

元々、私は人にやれと言われないと何もできないタイプで、勉強部活も、親や教師といった監視の目があったからこそ出来たものだった。

それが、高校大学監視の目が緩くなり、それらに縛られることもなくなると、私は何もしなくなった。

何もしなくなると、人生における充足感のようなものがなくなった。

自分の思うままに遊んでいても、何も達成できなかった。

そして何となく人生が物足りないまま社会人になった。

社会人になると、完全に自立した身分となる。会社で働くようになった分、「制約」は高校大学の頃よりキツくなったが、学生の頃との大きな違いは「制約」を自分で拒むことができる点だろう。

会社が嫌ならやめればいい、親に何か言われたら逃げてもいい。

眠くて何書いてるのか分からなくなってきた。

とりあえず、「自分を縛るものがあったほうが人生は輝くのではないか?ただ縛られることってしんどいし、社会人になると縛るものを拒むこともできる。でも拒んで人生が物足りなくなるのは怖いな」ということです。

どうでもいいけど私が物理的に縛られることが好きなマゾであることと人生かに縛られてたほうが充実感はあると思う考え方はもしかしてリンクしてるのかな?

2019-03-22

日本階級社会

会社員なんだけど、例えて言うなら病院みたいな、医師給料は高いけど医療事務パートの人までいるみたに職域によって格差が大きい会社で働いている。といっても、給与の高い身分でも年収は700-1000万円程度だけど。

職場で飲みに行くといろんな立場の人がいる。

中途採用で入った入社当初は若い会社だったけど、そこから10年くらいたって家庭を持って子育て世帯な人が増えている。

ここで自分立場説明しておくと、社内では給与の良い方のジャンルに属している。そういう稼ぎを得るには学歴必要だけど、全部親の金大学に行って、更に15万円/月の仕送りもらって一人暮らししていた。

自分子供たちにそこまでしてあげられるかはわからないけれど、少なくとも大卒までの学費は出してやるのが当たり前だと思っている。

自分の親が偉いのかというと、親もそのまた親にそうしてもらっているわけで、偉いわけでもなくて当たり前なんだと思う。

子供を持つってことは、それが当然のことだから今の日本では敷居が高く、少子化も仕方がないよなと思っていた。

でも、会社のいろんな立場の人と飲みに行ったら、低所得なのに子供作っている人もやっぱりもちろんいるんだよな。

頑張って夫婦2馬力で働いていても低所得人達もいる。

彼らの子供は、親がそれをわからないので、良い教育を受ける機会が少ないだろうし、もし頑張って高い学力を身につけても奨学金という名のローンを背負うしかないわけだ。

やっぱりさ、社会主義的であろうとも、所得税の累進性を強化して学費無料社会がいいな。

所得を得るためのモチベーションが下がってしまうっていう意見もあるだろうけど、個人が高所得を得る手段って社長みたいな多くの人数を使って上前はねる金融みたいなのしかないわけじゃん。

そんな人達がより高所得を得るためのモチベーションが消えるデメリットよりも、生まれる家によって教育格差が生まれたり、更には天才たちが本当に興味のある分野ではなく、地位経済的安定のために一介の臨床医に成り下がってしまう方がよほどデメリットなのではないかと思う。

子育てに金がかかるのは要は教育なんだから、そこを解消すれば出生率も上がるだろうし。

でもさ、今の日本でそういうこと言うのって共産党くらいなんだよね…

でもさ、いくらいいこと言ってても最終的に共産革命を目指しているか共産党なわけであって、そこには大多数の人類賛同できないか共産党ではダメなんだよな。

維新の会とか出てきたんだからさ、しゃべりが上手いカリスマさえいれば新しい政治勢力可能なはずじゃん。何で出てこないんだろうね…

2019-03-19

よくよく考えたら俺の兄弟ヤバい

兄と妹がいるんですけどね。

中学から不登校で引きこもる。

よく知らんけどとりあえず高認を取って大学には入った。

通学のため実家を離れ一人暮らし

よく知らんけど大学中退

よく知らんけど精神障害障碍者手帳持ってるらしい。たぶん鬱病

今はプー実家半引きこもり。たまに外に出る。

36歳。

中学は順調。(たぶん)

高校の時は頻繁に家出。男か?よく知らんけど。

よく知らんけど、どっかの看護大学に入ったらしい。実家を出た。

それ以降、しばらく事情をよく知らん。

メンタル病んでることは知ってる。病院に通ってた。今は知らん。

どっかの病院で働いてたらしい。

3年前ぐらいだったか14歳上の旦那結婚旦那ちょっとホストみたいだけどいい人。

先週。よく知らんけど、破産者マップ名前が載ってた。

今は働いてるのか?よく知らん。

31

中学は順調。

高校受験直前に不登校

大学はなんとか受かった。

入学するも、周囲があまり幸せそうで心が灰に。仕送り一人暮らししながら引きこもる。

3留した後中退うつ病と診断される。

実家に戻り、引きこもる。

ハロワ通って何とか就職

実家寄生しながら一応働いてる。

33

どう見ても俺の大勝利だな。

2019-03-18

日本にきて成功できる外国人金持ちだけだってことに早く気づいてほしい

日本物価が高くて単純労働賃金がぶっちぎりに(物価から見て相対的に)安い

貧乏な国の人間が来て単純労働をしても仕送りどころか日本でまともな生活ができない

実際のところ労働力不足ってのは奴隷不足なだけで一般職日本人ですら高倍率なわけだ

まり貧乏な国の難民日本での高待遇を夢見て来たところで

日本がウエルコネなのはゴミクソ賃金で働く奴隷であって、カタコトな日本語で

文化の違う人間を人並みの労働条件で扱いたいっていう会社は無いので

アンダーグラウンドに潜って犯罪に手を染める

こんなもんちょっと想像力のあれば小学生でもわかる理屈

日本に足りないのは奴隷であってホワイトカラー労働者じゃないんだよ

2019-03-17

ピエール瀧 20代仕事について

僕の20歳は、「人生」っていうバンドをやりながら東京一人暮らしをしてて、医療系の専門学校中退した年ですね。臨床検査技師勉強をする学校だったんですけど、1年目の途中であんまり行かなくなって、2回目の1年生の夏に、ドラクエ のやり過ぎで辞めたんです。辞めたからといって地元静岡に帰っても仕方ないし、仕送りを止められたので、バイトバンド活動に明け暮れてました。あ、明け暮れてはいないですね。バイトをそこそこやりながら、あとは遊んで暮らしてました。すいません、ちょっと自分を良く言おうとしちゃって。お恥ずかしい。

このころは幡ヶ谷ワンルームマンションに住んでました。いまもバンドを一緒にやっている(石野)卓球笹塚に住んでいて、ちょうどその中間地点に練習スタジオがあったんです。当時はインディーバンドブームで、僕らも雑誌に取り上げてもらったりして、幾らか知名度はあるインディーバンドっていうようなポジションでしたかね。

仲の良い友達と始めたバンドから面白かったですけど、僕は部活みたいな感覚でやってましたから、とうていそれで食っていくってことを思いつくはずもな く、とくに将来のことも考えずに基本毎日ぷらぷらしてたんです。夢中でガチャガチャをやり過ぎちゃったり、CDジャケ買いして失敗したのが痛いとかで、 明日晩ご飯代がないみたいなことはありましたけど、そういう無目的若者でもなんとかやれる土壌があったというか、都市の遊びの部分に上手くハマってたんだと思いますけどね。

ただ21歳になるころ、インディブームからバンドブームみたいなものに変わっていって、僕らのバンドでやれることも飽和していたので、「人生」解散したんです。

当時はちょうどテレビ深夜放送が始まったぐらいのころで、よくバンドPVが流れてました。「人生」を辞めて僕はもうバンド活動はしないと思ってたから、それを見て、PV監督になりたいなぁと思ったんですね。それで知り合いが紹介してくれて、バイト四谷三丁目にある小さな映像制作会社に入ったんです。

そこは、地方CM企業宣伝用の映像とか、そんなにメジャーじゃないバンドPVを作ったりするような会社でした。20歳そこそこの小僧が見る世界としては、高価な機材とか目新しいものがいっぱいあるし、撮影現場で「本番!」みたい な感じがすごく面白かったですね。ただ会社が小規模なので、現場に付く下っ端が僕一人しかいないんですね。教えてくれる人もいないのに、現場はどんどん進んでいくわけですから、とにかくしんどかったです。辛くて泣きましたもん。夜中に帰って、当時一緒に住んでた彼女に「仕事が辛い」つって「うぇーん」って 泣いて、その45分後には「仕事行かなきゃ…」って言ってたりとかね。

そこで働き始めてしばらくしたら、卓球から連絡があって「こんど電気グルーヴっていうユニットを新しくやろうと思うんだけど、お前もやんない?」みたいなことを言ってきたんです。なんでまた俺を誘うのかなと思ったんだけど、「良いよ。でもこれは完全に趣味で、部活みたいにやっていこう」って言って、電気グルーヴ活動を始めたんです。

それで2回目か3回目のライブを見たソニーの人から声をかけられて、呼び出されて新宿寿司屋に行ったら「君たち、プロでやる気はないの?」って言われたんです。そりゃ、やりますよね。だって部活お金くれるんですから。とは言っても、条件は月給10万円。ザッツオール(笑)

ただこのとき、僕は、制作会社の人たちにはお世話になってるし、少人数の制作体制自分が抜けることの意味が分かってました。かといって二足のわらじはとうていムリですから、最終的には上司に「こういう話があって、すごく迷ってるんです」って切り出したんですね。そうしたら、「若いんだから絶対音楽の方に行った方が良いよ」って背中を押してくれて、それでデビューすることに決めたんです。僕個人としては「どうせこんなバンドポシャるだろうから(笑)、 まあ、3年ぐらいプロミュージシャン世界を見てきても、いま21歳だから24歳。まだいけんな」っていうのでデビューしたみたいな感じでした。だからプロになったっていう自覚あんまりなかったんですけどね。

すぐにレコーディングだってことで「マンチェスターニューヨーク、どっちがいい?」って言われたんです。「さすがソニー。金持ってんなぁ」みたいな感じでマンチェスターに行くことにしました。昔から好きだったニューウェーブとかギターポッ プみたいなものマンチェスターのやつが多かったですからね。向こうに2ヶ月ぐらい滞在してファーストアルバム作りました。当時「マッドチェスター」っ て言葉があって、マンチェスターが狂ってた時期の後半で面白かったですね。ライブを見たりクラブに行ったりすると、イギリス人にもゆるいやつとかメチャクチャなやつがいて、刺激はいっぱい受けましたね。まあ、こちらは21歳でなんも考えてないですからね。それはねぇ、そんなやつを自由にそういうところに行かせたら、やっぱり何色かにまりますよね(笑)

電気グルーヴふつうバンドと違って、主要な旋律はだいたい機械が出してくれるわけですよ。だから練習よりは、ライブの日のテンションの方が大事だったりするタイプバンドだったんです。僕は楽器をやるわけじゃなくて、たまにマイクを持ってがなったり、まあ歌ったり、歌を間違えたり、歌わなかったりとかもしますけど、ほとんどステージに出てフラフラしてるだけなんです。バンドって遊びの側面があるじゃないですか。僕の感覚としては、その遊びみたいなことをずっと続けてるのに近かったんですけどね。まあ客の盛り上がり加減を見ては「今日はもうちょっともっていけたのにな」って思うことはあったけど(笑)。だいたい、僕を見てるとは思ってなかったですもん。みんな卓球とかを見てて、たまに見られてる箸休め的な感覚でやってましたから。

2019-03-13

仕送りは十分渡さないと風俗やるよ

家賃以外で使える金が3万とかだと正直かなり厳しい。

人付き合い無視してずっと一人なら何とかなるかもしれないが、それだと都会の大学に来た意味がなくなるからどうしても金が必要になる。

これから一人暮らしさせる娘への仕送りが少なめの家は覚悟しておいた方がいい。

体験入店で3人客が付いて、いきなり財布の中に3万が入る。あっという間。

今まで爪に火を点すように十円単位計算して使っていた金のはずなのに。

もう金輪際やらないと心に決めても、その翌月には2回目の入店果たしている。

そうしたらあとはもう週1か週2でやるようになる。

教科書買うのに奨学金の振り込みを待つ必要がなくなるし、友達外食にも行けるようになって、ようやく普通大学生活がエンジョイできるようになる。

けどまあ、ほとんどの人は大学卒業したらあっさりと足洗って何事もなかったかのように普通社会人になるんだけどね。

2019-03-09

実家家賃15万円のマンション

兄弟折半して払っているが、そろそろ独り立ちしようと思う。

実家への仕送りをできるほどの金が無いことを伝えたら、

年金暮しの親はお金の工面ができないと言っていたが、

貯金とかでどうにかするから大丈夫だと送り出してくれた。

父方はいくつか不動産を持っていたらしいが、すべて親戚連中に取られてしまった

2019-03-07

おかねと交際相手

お金ないーっていうから一緒にいるときはたくさん出した

欲しがってたものは、節目節目でプレゼントとして用意した

特にお返しはもらえなかった

全然いいや、お金に困ってる人相手に何かを望むのは違うし

幸い、私は同年代の中では頑張っている方だし

色々出しても、特に自分自身切り詰めることな生活もしてる

両親にもなるべく仕送りもしてる

後輩には絶対お金を出させないようにした

お金はある方がだせばいいじゃない

と思ってたら恋人海外旅行に行った

後輩が自分のことを悪く言っている話をきいた

なんだかつかれた

でもお金を出したのは自分意思だしな

でもなんかやるせない

あーあ、前澤社長くらいお金があったらこんな程度なんとも思わないんだろうな

結局こんなことおもっちゃうんだから、いい顔したかった、全然心の広くない自分が見えて

せこくて恥ずかしいもう帰っちゃいたい

2019-03-05

子供部屋おじさんっていうけどさ

俺もまさにそれなんだけどよ。

お前らなんで、俺が40も近いのにそんなことしてると思うよ?

年金だよ年金

親がとんでもないバカ自営業なんかやってて年金払ってなかったの。うちは名ばかりの有限会社だったか厚生年金があるはずだった。

から、アホ親はよく「お前の世話にはならない」とか豪語してやがった。今はそのことを都合よく忘れてるか忘れてるフリをしている。

俺のジジイババア社長役員で、親がその会社部長という一族企業だったんだ。

ジジイババアが払ってるっていってた厚生年金がまったく払われてなくて、アホ親はジジイババアにまかせっきり。

ジジイババアが死んでから気づいたからほぼ無年金

そりゃ、多少は年金あるけど国民年金ちょっと厚生年金で月々8万程度。こんなのから介護保険料取るとか国もえぐいよね。

別にアホ親に仕送りして、一人暮らしできなくもないけど、それをすると俺の老後の貯蓄が消し飛ぶ。

から、見たくもないアホ親の顔を見ながら、ほとんど会話もせずたまに口を開けば金の話で怒鳴り合って、この子供部屋にいる。

アホ親が70を超えるからそろそろパートもできなくなって、俺が家に入れる額がさらに増える。

これから、俺貯金できねーんじゃないかな。アホ親が死ぬまで。

これもお前らが言うところの自己責任ってやつなんだろうな。アホの家系に生まれたのが運の尽きだ。

逆襲として俺は結婚もせず、俺の代でこの家を終わらせることにしている。というか選択肢はそれしかない。

2019-03-01

結局妻は4人目を作ることに決めた

20代中盤から10年あまりかけて3人の子供を生み育て、それぞれ個性豊かな良い子供に育った。

ようやく一番下の子供が小学校に上がる。小学生になるとだいたいのことは一人でできるので、

子育てに関する肉体的・精神負担は急減することになる。(金銭負担は増える)

時間的余裕ができるので、妻はやりたいこと、やるべきことを探し始めた。

資格をとって週2で働いてみたり、料理教室ダンスを習ってみたり、

私の仕事を手伝うから教えてくれと言い出したこともあった。

しかしいずれも長続きしなかった。

妻の出した結論は、4人目を作る、体が持つ限り子供を作り続けたいということだった。

私は、3人とも小学生以上になったら自分人生における子育てフェーズは終わりだと

考えていた。40〜50代はバリバリ仕事するフェーズにするつもりだった。

学資保険などでそれぞれの子供の最低限の教育費は確保しているが、

4人揃って大学まで入れて仕送り続けるだけの収入を維持し続ける自信はない。(私立は無理だろう)

何より心配なのは妻の体である。3人の子供いずれも楽なお産ではなかったし、

妊娠期間ずっと不安がつきまとう。流産不安もある。

出産直後の血の気を失った顔を思い出すと、とてもまたやらせたいとは思えない。

かにまれ赤ちゃん可愛い自分も3人を本気で育ててきたので世話をすることに不安はない。

しかし1歳半までは何をどう気をつけても突然死のリスクがある。

抱っこしたまま階段上り下りするとき、いま足を滑らせたらこいつは死ぬ、という緊張感。

寝ている赤ちゃんちゃんと呼吸しているかどうか恐る恐る確かめ毎日

そんなストレスリスクを、これ以上抱えたくはなかった。

高齢出産ゆえ障害をもって生まれ可能性も増える。

それらを説明しても、妻の決意が揺らぐことはなかった。

結局、妻の人生において、子育て以上にやりたいこと、彼女にとって有意義と思えることは見つからなかったのだ。

だがそれを間違っていると言えるだろうか?

人生をかけて大事にすると誓ったパートナーだし、何人子供ができてもいちばん大事なのはもちろん妻だ。

その人が人生をかけてやりたいことが、一人でも多くの(私との)子供を育てることだというのだから

リスクを取りたくないという理由でその生きがいを奪うことはしたくない。

私は妻とともにリスクをとることを了承した。

2019-02-26

これから1人暮らし自炊頑張ろうと思ってる人たちへ

こんな時期なので、1人暮らしを始める随分昔の前の自分のために書く。自分のために書くので他の人にはあまり参考にならないかもしれないけど、自炊しようと張り切っている人には是非一読してほしい。

最初結論

自炊をしようと思うなら、最初から張り切って完璧にやろうとするな。あれもしたいこれもしたいと思うだろうけど、まずは最低限のことから始めていけ。最低限を習慣化することが一番大事から

用具編

これだけは最低限絶対欲しい
フライパン

26センチくらいの深型があればとりあえずなんでもいける。チャーハンカレーもいける。深型を買え。

20センチくらいの小さいアルミひとつでいい。ラーメン茹でたりちょっとしたスープならそのくらいでいい。カーチャンが「おでんとかそうめんとか」と言ってデカい鍋を持たせてくるけど絶対使わない上に邪魔なので置いていこう。

包丁

軽めの万能包丁ひとつあればいい。出刃包丁とかパン切り包丁かいらない。

まな板

100均のカッティングシートで十分。劣化したら買い換えればいい。デカイのはしっかり料理するようになってから

菜箸、おたまヘラ

100均でいいからあったほうがいい。

計量カップ、計量スプーン

自炊初心者自覚があるなら必須キッチンスケールはこの段階ではいらないけど、じゃがいもとかの重さも不安な人はあってもいいかも。

ザル

洗った野菜等を入れておくのに大事スパゲッティうどんの水切りにも。

布巾、キッチンペーパー、ラップ

台所用に。キッチンペーパーはめっちゃ使えるから取り出しやすいところに置いておくように。布巾は100均でたくさん買って汚れたら捨ててもいいと思う。

洗いカゴ等洗い物の待機場所

これすごく大事からしっかり準備するように。後片付けが自炊の要だから

あると便利
キッチンばさみ

袋を開けるだけじゃなくて食品を切ることもできるからあったほうがいい。

ボウル(大小ひとつずつ)

皿やラップでも対応できるけど、あったほうが何かと便利。

ピーラーフライ返し

料理に慣れてきたらあってもいいかもしれない。あるととっても便利。

キッチンタイマー

スマホタイマーでもいいけど、料理している間は手が汚れるし、慣れてくるといちいちアプリ起動するのがめんどいとか思ってくる気がするので100均でいいから専用のキッチンタイマーがあると超便利。料理初心者ならタイマー大事

キッチンタッパー

自炊の敵は「少しだけ作るの難しい」だ。そこで余ったら迷わず保存できるタッパーが必要。タッパーを制する者は自炊を制する。

オーブントースター

なくてもいいけど、個人的に今まで大変お世話になったので導入を検討しているならオススメする。

20センチくらいの小さいフライパン

小さくて洗いやすくて便利。1人分ちょっと肉を焼いたり野菜を炒めたりするくらいを想定するなら断然オススメ

余談

調理器具は揃えられるもの100均など安いものを揃えた方がいいと思う。初心者のうちは失敗して壊したり焦がしたりしがちなので、すぐ買い換えのきものがいいと思う。それに「やっぱり自分料理は向いていない」と思った時に惜しくないのもメリット料理に慣れてきたらいいものを買えばいいと思う。

調味料

是非常備しておきたい調味料
コショウ

できれば別々がオススメ食卓塩とテーブルコショーでいい。

醤油料理

小さいやつでも常備しておくといい。醤油と酒は料理の基本。

サラダ油

とりあえず1本デッカイの買っておけばいい。

チューブおろしショウガニンニク

これがあれば炒めものがワンランクアップするので冷蔵庫に入れておこう。

必須ではないけどあると助かる
ケチャップマヨネーズ

万能選手なので在庫には気をつけること。

七味唐辛子わさび

味のアクセントになるから料理に慣れてきたら積極的に使っていこう。

オリーブオイル

サラダ油でもいいんだけど、味が結構変わるから慣れてきたらオリーブオイルを使うレシピに挑戦してもいいと思う。

砂糖

砂糖を入れてコーヒーを飲む習慣等がなければ白砂糖キロ単位で買う必要はない。煮物をするとき蜂蜜やオリゴ等などで代用してもいい。

コンソメ鶏がらスープの素

これで野菜を煮れば大体なんでも食べられる。和風がいいなら本だしで。

味噌

1人暮らしだと毎日味噌汁作るわけでもなければ普通に買うと余るので張り切って買わないように。

焼肉のたれ

とりあえず肉も野菜もこれ1本で結構食べられるものになるのでお好みで。

カットトマト

これで肉とか野菜を煮るとだいたい美味しいし保存もできるので常備向け。

食材

自炊在庫管理との戦い

自炊と言うと料理というイメージがあると思うけど、自炊で一番大変なのは食材管理。せっかくいろいろやろうと思っても余計な道具で台所が狭くなっていたり、買った食材を使いきれなかったり作ったものを食べきれなかったりして腐らせたりするとやる気がなくなってくる。まずは「台所冷蔵庫を綺麗にする」ことを目標にするといいと思う。

野菜の扱い

スーパーで売ってる野菜をそのまま買ってくると食べきれないことが多いので、野菜在庫管理に自信がないうちはカット野菜活用しよう。なお使い勝手のいい野菜の中でも、もやしは足がはやいので在庫管理が難しい。できれば買ってからその日のうちか翌日中調理しておきたい。なお冷凍ほうれん草ブロッコリーなどは少しずつ使える上に保存がきくので一人暮らしには有難いアイテムだと思うので常備推奨。

肉、魚の扱い

これも1人分を確保するのが難しい。買ってきたらラップに包んでジップロック冷凍するのが望ましいけど、最初からそれをやろうとすると大変なので肉は割高だけど小分けのものを買うか、ウィンナーなど多少保存がきく加工食品を買っていくといいのかも。

在庫表を作ろう

例えば付箋を使ったり書き込みのできるマグネットシートを冷蔵庫に貼っておいて、ホワイトボードマーカーなどで今冷蔵庫に入っているものメモしておいたりすると使い忘れが減る。賞味期限なんかも一緒に書いておくと無駄が減る。これも最初から綺麗な表を作ろうとしないで、あくまでも在庫管理を習慣化することを目的にしよう。

実家から仕送りに注意

いつだかのゴミ屋敷増田に「実家から仕送りゴミになる」という記述があったけれど、自炊を初めて自分のペースで在庫管理ができるまで食材自分で購入したほうがいいと思う。自炊軌道に乗るまで、缶詰保存食品以外はお断りしよう。親に言い難い人はこの増田プリントアウトして親に見せよう。お父さんお母さん、子供さんは自分の力で頑張ろうとしているのでまずは見守りましょう。助けが必要な時は向こうから声を掛けてきてくれますよ。

調理

包丁の扱いは慣れ

包丁でうまく切れなくて自炊を諦めるかもしれないけど、これだけは簡単に切れるコツとかなくて、慣れの習得の面が大きいと思う。だから最初はうまく切れなくてもいいし、面倒だったらカット野菜を買ってしまった方がいいと思う。

クックパッドレシピ動画は諸刃のレシピ

レシピネット検索すればたくさん出てくるけど、自炊初心者クックパッドレシピ動画はあまりオススメできない。あれはある程度料理経験があって全体像がわかっている人が見て参考にするもので、初心者にはキツイものがあると思う。素人の分量で失敗をしたり、素敵なレシピ動画を真似しようとしてできなくて落ち込むより、1冊自分に合いそうな「初心者のための本」みたいなのを買って何品か料理を作った方がいいと思う。ネットより本の方が初心者には誠実だろう。少し経験と自信がついてからなら、これらのレシピは大いに役立つと思う。

火加減に気をつけろ

コンロを使うなら、最初はお鍋の直径の半分より大きな火を使うのはやめた方がいい。「これちょっと抑えめじゃないの」というくらいでいい。多少火が通ってないのは加熱を続ければ良いけれど、焦がすのは食材にも申し訳ないし、自信を失う原因になるのでよくない。

フライパンの油は大体大さじ1

炒め物をする前等にフライパンに敷く油は大体大さじ1くらい。これは大体どのメニューでも通用する。大さじ1の大体の分量を覚えたらフリーハンドで流しても構わない。料理は「大体これくらいが何g」と把握できると速くできるようになって楽しくなってくる。

CookDoは強い味方

初心者こそCookDo惣菜のもと系の合わせ調味料を使うといいと思う。作り方も丁寧に書いてあるし、味も大体保証できる。分量通り作ると1人分には多いので何日かに分けて食べるといいと思う。

食べること、後片付け

自炊自分の食べる量を知ること

在庫管理の大切さを書いてきたけど、次いで大事なのが自分の食べる量を知ることだ。実家暮らしてきたら出されたものを出されただけ食べていたと思う。これからは「食べる量」を気にしていくといいと思う。量の他に好きな味付けの加減も調整できるとこれから人生が楽しくなると思う。

後片付けこそしっかりやるべき

自炊の中で在庫管理の次に大事なのは、実は後片付け。「食べた皿や調理器具を洗うのが面倒くさい」というのは自炊モチベーションを大いに下げる。そこで料理の隙間に使った菜箸や包丁をさっと洗っておく、皿に料理を移したあと空っぽになったフライパンや鍋などはすぐに洗ってしまう癖をつけておいた方がいい。

食器も最低限でいい

予備の食器が大量にあると「どうせ洗わなくても違うのを使えばいい」という発想になって洗い物が溜まっていくので、食器も最低限が望ましい。どんぶり、おかず用(大小)、ご飯茶碗、味噌汁椀、取り皿数枚にコップとカップ等あればもう十分。紙皿やプラスチック使い捨て活用するなど人によってはなくてもいいものもあると思う。カーチャンが揃いの食器とかグラス(6個入り)とか持たせようとしてきても受け取ってはいけない。ニトリ100均食器で十分です。

自炊ハードルを下げる適当初心者レシピ

野菜炒め

もやしを食べるだけ洗う→キャベツ2枚くらい、人参3分の1くらい、豚肉食べるだけを食べやすい大きさに切る→フライパンを温めて油を流してさらに温める→薄く湯気みたいなのが立ったら人参と肉を炒める→人参の色が鮮やかになって豚肉の色が変わったらキャベツもやしを炒める→しんなりしてきたら塩コショウで味付け、お好みで焼肉のたれ→盛り付けて出来上がり。

鶏肉焼き

鶏肉を食べるだけ食べやすい大きさに切る→塩コショウ、酒につけて30分冷蔵庫に入れておく→火が通るまで焼く。

コンソメスープ

玉ねぎ半分をくし切りにする→鍋に水を適当に入れて、火をつける→沸騰したらコンソメスープの素を入れる→玉ねぎが煮えたら溶き卵をそっと入れる→卵に火が通るまで煮る。

ツナマヨトースト

シーチキンマヨネーズを混ぜる→パンに乗せる→焦げないように焼く。

ナポリタン

スパゲティを茹でておく→ピーマン半分と玉ねぎ4分の1、ハム2枚を切っておく→フライパンピーマン玉ねぎハムベーコンウィンナー可)を炒める→火が通ったらスパゲティを入れて、塩コショウする→ケチャップで味をつける。

チャーハン

卵を半熟程度に炒めて皿にとっておく→卵を取り出して玉ねぎ半分とハムウィンナー可)を炒める→ご飯を入れて、混ざったら卵を加えて混ぜて炒める。

その他思いついたこ

見慣れない調味料に手を出すな

使いもしないのに見慣れないスパイスだけ増えてしまって使い切れないというのは料理初心者が陥りがちな罠だ。料理に慣れてくるまでは聞いたことのない調味料は買わない方がいいと思うし、使用するレシピにも手を出さない方がいいと思う。急にカレーにこだわることにしたとか、そういう事情なら止めはしないけれど。

毎日料理しなくていい

自炊と言うと毎日料理をすることだと思ってしまうけど、逆に毎日料理しなくてもいいようにするのも自炊醍醐味だったりする。作り置きをしたりハードルを下げるレシピでおいしいものを好きなように、ある程度バランスよく食べたりすることが自炊だと思う。だから無理をしないで疲れたと思う時はコンビニ弁当でもいいしカップラーメンでもいいと思う。そこに作り置きしてある惣菜プラスしたり冷凍野菜をインしたりすることで少しでも食卓が豊かになれば、自炊大成功だ。自分食事自分で面倒みることができれば大体どこへ行ってもやっていけるので自信を持って欲しい。

最初からカーチャン料理は作れない

これはこの増田を書いた人の失敗談。自炊を始めるにあたって結構張り切っていたけれど、「料理カーチャンの味」だと思っていてしばらくカーチャン再現をすることばかり考えていた。でも自分カーチャンじゃないし、料理初心者自分料理習熟度数十年のカーチャンレベルの違いに気づけなくて「カーチャンみたいに野菜切れない、自分料理が下手だ」と思ってしまって料理するモチベーションが下がってしまった。そこに散々上記した在庫管理の甘さで次々食材ダメにして、自炊というものに対する自信をなくしてしまった。それから随分経ってある程度料理にも慣れた今だから言えるのが、最初から自炊というものに対する理想が高すぎたということだった。最初調理器具食材も最低限でいいし、張り切る必要もない。ただそれをうまく毎日回していくことだけを考えるべきだった。初めての一人暮らしだし慣れない新生活でそれどころじゃなかったけど、そういうアドバイスをしてくれる大人がいたらよかったなあと思ってこの増田を書きました。

まとめ

4月から1人暮らしを始める予定の人は、これから新生活にわくわくしていながら、それでも1人でやっていけるか不安を持ってる時期だと思う。ただ自炊に関して言えるのは、毎食ポテトチップとか同じ吉野家の牛丼とかそういう偏ったものでなく予算範囲で楽しく食べることができているなら、もうそれだけでいいと思う。逆に食事管理が難しくなったら、それは黄色信号から生活見直したり誰かに相談したりした方がいいと思う。それでは良い新生活を。長々とすいませんでした。

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