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はてなキーワード: 典型とは

2024-09-07

南海トラフの福和伸夫氏記者会見

南海トラフの何とか委員長記者会見で福和伸夫というひとが記者会見した様子をやっていた。

習字が得意なのか?

訳が分からない記者会見でああいうひとがやってることに非常に不安を覚えた。

名古屋大学名誉教授らしいが、、、習字のひと?

いってることがほとんどポエムで例えば今後何をやってけばいい、というようなことを提言するのが仕事だと思うが、

どうもそれは下々のシゴトらしい。

しかし、やはり国や地方公共自治体大企業東電など典型)がお金をかけて地震対策するには、こういうひとが強制力をもって何か言わないとやらないので、そのトリガーのはずが仕事をしてない人のような気が。

まあ習字の人にそこまで求めるのはどうかという感じだが

2024-09-06

アンチフェミの皆さんは「差別じゃなくて区別」という言葉が大好きだったのに

いつから使わなくなったの?

焼き肉食べ放題女性半額なんてのは、差別じゃなくて区別典型例でしょう

anond:20240906124506

それこそ釣り典型じゃね?

からかわれてるのにそれと気付かないの、空気読めないのかリテラシーないのか

anond:20240905171035

ケアについては、結局「女性が行うケア=正しいケア」という前提で話されてることに違和感あるね

男に(セルフ)ケアが足りないということにはまぁそれなりに同意できるけど

女性ケアって時として行き過ぎて、自縄自縛で息苦しい環境を作っているよねとも思う

日焼けに対する忌避とかその典型で、宇宙人みたいなサンバイザーにダサくて浮きまくってるアームカバー、あれをやっている人が正常な判断力を有しているとは思えない

その根底には『日焼けケアもできない色黒女は忌むべき存在だ』という呪縛が生まれいるからですよね

2024-09-05

anond:20240904192539

差別について議論するなら、以下のような内容は「文系」的には常識なので、わざわざ「賢い僕が発見したよ!」みたいに主張されると萎える。

そもそも人間思考言語構造自体が、何かと何かを分けてグルーピングすることによってしか成立しないので、あらゆる区別差別と呼ぶなら、極論すれば(たとえばニワトリニワトリ女性女性と呼ぶことまで含めて)全ては「差別」であり、それが不当であるか否かは「程度問題である

・従って、通常は「世間的に見て『不当』と判断するもの」を「差別」と呼ぶことになっており、そのため一般的用語としての「差別」という語には、「不当なものである」という含意がある。(従って自民党の付け加えは無意味であり、逆に余計な含意をもってしまうので有害ですらある。)

・図示するとこんな感じ。( /数字/ は その語の使い分けにおける境界線を指す。たとえば⑴は「A混沌(と呼ばれるもの)」と「B区別(と呼ばれるもの)」の間の境界線意味している。)

 A混沌 /⑴/ B区別 /⑵/ Cグレー領域 /⑶/ D差別

⑴ 唯一絶対的境界線

 ただし、何者も区別しない「A混沌」については、何も思考することができない、言語以前の領域なので、思考し論じる対象にならない。

⑵ 単なる相対的境界線

 通常ここに明確な境界線があると考えている人が多いがそれは誤解である。確かに、「時代文化が変わっても、明白(に見える根拠)があり、人為が働かない(ように見える)弁別がある」違いというものはあるため、たとえば液体と固体、水と氷を分けることは明白に「B区別」であり人為が関与しないかに見えるのも事実だが、たとえば水と湯を分ける境界線日本語英語で異なり、色の弁別言語によって曖昧であるように、「認識」が関与する限りそこに見いだされた「差」は人為的なものであり、人の「価値観(すなわち偏見)」から自由になることはない。その意味で「B区別」と「Cグレー」の差も所詮「程度問題であるスポーツにおける男女分け、のように、かつては「B区別」と考えられていたものが、ジェンダー論の発展や女性地位向上など諸々の状況から、「本当に合理的区別であるか」が問い直されている、などの例は、「B区別から「Cグレー」ではないかという議論が起きている例であり、逆に、近代以前は大人と一緒くたにされていた「子ども」を取り出して教育の機会を与え、社会保護しようという風に変化したのは、「Cグレー」から「B区別」へと変化した例である

⑶ 単なる相対的境界線

 ここを明確に区分できるというのは、いわゆる「ためにする」差別議論を行う人の大きな誤解である。この境界線は決して「明確に区分定義」はできず日々揺らいでおり、またその状態もっと健全状態であるあくまで、どこで線引きをすることが社会の安定と発展のために寄与するのか、を主眼として、「D差別(明らかに行ってはならない区分け)」なのか「Cグレー(判断がつきにくい、不当に見えるが法的な規制も行き届かない)」の判断は、常に慎重に検討される必要がある。その際、社会全体主義的(全体の幸福のために少数の犠牲は許容される)なのか民主主義的(少数の意見も他の意見と同等に重視される)なのか、によっても当然判断は異なることになる。また、Cと判断されたからオッケーではない、というのも重要な点であって、その判断妥当かどうか、いま必要重要問題かどうか、判断時点からの状況変化、対象曖昧でないかどうか、など、不断議論が欠かせない。

 さて、それを踏まえて話を牛角に戻そう。

 サービス業における女性優遇キャンペーンの是非、いわゆる「レディスデー」問題は、男女という一見明確な「B区別」に依拠しているように見えても、その区分合理性自体が「程度問題」に過ぎないこと、また、「女性の受けるサービス料金は男性負担させられているのでは」という疑念が拭えないことなから、「Cグレー」である判断されるが、ではそれを「D差別(明確に是正すべき不当な行為)」と判断すべきか否かについては、行き過ぎと感じる人も多いのが現状かと思う。そのことは、牛角に限らず、多くの「レディスデー」キャンペーン実施する店舗で、逆に男性から忌避されるなどの大きな営業上の不利益が出ていないことから了解される。そもそも映画にせよ焼き肉にせよ、提供者も多いことから忌避するにしても他の選択肢があるわけで、ぶっちゃけ「大多数の人にとってはどうでもいい」問題に属する。では、なぜ「差別だ」と騒ぐ人がいるのか。

 話が変わるように感じるかもしれないが、類似の例として、一部の広告を取り上げて「女性差別だ」と騒ぐ事例を考えたい。企業営利目的でやっていることで、それ自体積極的被害引き起こし法的に規制する必要があるとまでは多くの人が認識しない(つまりDではないがC)ものだが、これについても「差別だ」と騒ぐ人がいる。これは、何も学問的に見て明確にCとDを峻別してDだと判断できる、という話をしているわけではなく(もしそう信じている人がいるとしたら、それは相当に×××)、騒ぐことそれ自体によって人々の気分を醸成し、結果として社会状況自体を変化させようという社会運動一種デモ、まさにデモンストレーションという意味で。)の一種なのだ。誤解されているが、今日フェミニズムと呼ばれているものの多くはこの「デモ」であって「学問」ではない。(※)だから、騒ぐ人たちはおおむね一般常識とは異なることを主張する(常識的なことをデモで声高に述べる意味はない)が、その人たちが声高に述べることが「正しい」と証明されているわけではないし、その人たちも積極的にそれが「正しい」ことを証明したりはしない(証明できるならデモより論文で書く)。騒ぎになることこそ、デモの狙いなのだ。つまり、これに顔を真っ赤にして反論しようとするのは無意味というよりむしろデモ側の応援をしているのと同じである。従って、意見に賛成できない場合も、デモ自体スルーして別のところで意見表明なり社会行動をするなりした方がよいと思う。


 これを踏まえて、もう少し具体的に書く。「たわわ」や「宇崎ちゃん」を批判したフェミニストの狙いは激しい批判を巻き起こすことであり、それは社会運動として一定成功した。では「牛角批判をする人は、男権主義者として失われた権利を獲得するため戦略的意図デモを行っているのだろうか、それとも、論理的に「レデイスデーはDである証明できる」と考えて証明しようとしている人なのか、あるいは単に「この件で女性相手憂さ晴らししたい」というルサンチマンに過ぎないのか。私は、そのいずれであってもこれは無意味な行動だと言いたい。

  「たわわ」も「宇崎ちゃん」も、それらが女性差別「的」かと言えばそう論じることはもちろん可能だろうが、それを「D差別だ」などと言い切れば社会的には表現規制を強め過ぎる無意味有害な主張であると思うし、それ以前に指摘し是正すべき有害で明確に「D差別」な女性差別が世の中にあふれているのだから風俗業、芸能界などにおける性的搾取などはその典型だ)運動論としても拙劣だと思っているが、それらが激しい反応を引き起こしたという一点では運動論として評価することも可能かと思うし、その結果が女性地位向上にわずかでもつながったのなら全く無意味とまでは言えないと思うが、「牛角・レディスデー」問題については、まず男権主義をこれ以上社会で伸張させることにはおそらく社会合意は得られないだろうし、論理的証明は上で述べたようにほぼ不可能であり無意味でもあるし、ルサンチマンならそのエネルギーはもう少し建設的なことに使用した方がよいと思っているので、運動論としても学問的な意味でも、また俗論としても、とるべきところのない議論だなあと思っている。

 仮に、真剣にいわゆる「弱者男性問題を憂えているのなら、男権主義の伸張という方向でそれが解決されることはもう無い(過去一時的にあった「男というだけで威張ってるオッサン」があふれる社会に戻したい、などという主張は、当の男性からのものも含めて今後社会合意を得ることはできないだろう。可能になるとすれば、そういう一派を集めてたとえばイスラム教勢力と結託し革命を起こして政権を奪取するくらいしかないだろう。)ので、機会平等社会の下で結果平等いかに実現するかを考えるしかなく、つまり一種アファーマティブアクションしか対処方法がない。なので、そのためにはまずいわゆる「弱者男性」とそのルサンチマン可視化し、それを救う方策を具体的に検討するのが近道だと思う。将来的には、たとえばVR空間へのアクセス権やアンドロイドの配布などが現実的な解かもしれない。いずれにせよ、牛角女性サービスするかどうかなんて、それらに比べればおおよそ「どうでもいい」話で、議論したところで現実弱者男性は一つも救われず、差別に関する社会認識理解など1ミリも深まらないし、一瞬の憂さ晴らしにしてはただの焼肉屋迷惑がすぎるので、さっさと辞めた方がいいと思う。


※…もう少し丁寧に言うなら、主に「社会運動」を企図した活動であって、多くの人に認められうるような論理に基づき常識解体・構築する「学問」的活動とはまた異なるところに主眼がある、ということ。後者観測対象描写分析記述するものだが、前者は積極的観測対象を変化させることを目的としている。なお、社会学者の中には、学問存在価値現実を変革し社会運動となることにこそあると主張する人もいるが、その場合も、分析記述に十分な力があるなら、それは自然社会常識解体・再構築するであろう、という意味であり、観測対象描写分析記述が"いい加減"であっても社会を変革できればいーや、という意味ではないと思う。

2024-09-01

anond:20240831031759

返信来てるからどんな面白いこと言ってくるかと期待したのにマジで煽り下手の典型の返しで少し胸が痛いわ。

こんなしょうもないコメントにわざわざ返信した内容がそんなこすり倒されたネタとは。少しはオリジナルで来いよ(要約:少しは自分の頭で考えて文章書け)

2024-08-30

amazonで少し前に買ったものちょっと見過ごせないレベルで値下げしてた。未開封だったんで返品してまた書い直した。

一度来たものを送り返して、再び同じものが送られてくる事でおれがちょっと得をする。非常に無駄手続きだと思う。こんな事してるから輸送インフラがカツカツになるんだろうな。

これだったらもうネット上のボタン一押しで差額分くれたら良いのにねって思う。それだけ聞けば理不尽クレーマーめいてるけど、結局一手間かける事でそれが可能なんだから

まあAmazon側としては客がそれを面倒臭がったり、ケチ臭いみたいなプライドから発想を持たない、実行に移さない事に期待してその一手間を挟んでるのかもしれんけど。

にしたって対応に期限を設けるだとか、サブスク解約よろしく手続きのページを分かり辛い場所に置くとか、やりようはありそうなのに。

勿体ないじゃんね。「無」の輸送をするの。

Amazon商売から値下げ分取り返す手続きハードルを高くしたい。おれも金は無限に持ってないから得できるなら得したい。結局無駄輸送エネルギーが費やされる。

ミクロ合理性マクロの不合理になる典型だ。まあおれみたいな事する奴の方が少ないのかもしれんけど。

2024-08-27

萌え系のマンガ家二次に対する愛着について

推しごとびより

https://booklive.jp/product/index/title_id/975049/vol_no/001

おはよーございます

https://booklive.jp/product/index/title_id/401893/vol_no/001

前者の作者はこれ以外にも複数作品を出していて、SNSホームページを作っているが、後者の作者は作品がこれだけでネットでもなんらかの発信の痕跡さえない。

私はこれを奇妙に感じた。

他のジャンル漫画なら仕事自体は好きでなくても絵を描くのが一番得意だったとかで生活の糧として漫画家になることはありえる。カイジの作者はその典型だろう。

しか萌え漫画を、嫌いなのに好き好んで描くということはありえるだろうか?

他にもいくらでも仕事も、漫画に限ってもいくらでもジャンルがあるのに、好きでもないのに萌え漫画商業として描く発想にそもそもなるだろうか?

そもそも萌えみたいなものが好きじゃないというかそういうオタク気質な人でないのであれば、萌え漫画なんてジャンルをまともに知る機会すらないだろう。アンテナが張られていないというか。

また嫌いなのに単行本一冊出せるほどのクオリティ漫画を一冊分描ききれるほど漫画業界も甘い世界ではないはずだ。好きで描いてる人で飽和してるぐらいだろうから

から、この漫画を描いた人も二次元美少女が好きでその業界に一度は身を投じたはずだと考えたいわけだが、そうだとするとネットイラストとかさえ一切発信してないところに矛盾を感じるわけだ。

期待される愛着に比例した活動の形跡がないのだから

商業萌えを描くほど好きなら、当然プライベートでも描くはずだろ?ってことだ。

考えられるのは、

プライベートアカウントには作者と推測される情報を一切描いていないか

美少女を見るのは好きだが、描くのはそこまで好きじゃくて面倒という気持ちが勝っているから、仕事以外では一切描く気を起こさない人なのか

ということだ。

このどっちかだよな?

まさかこういうマンガを描いている人で二次元への愛着が皆無で淡々仕事してる人なんていないよな??

2024-08-26

anond:20240826191734

まらない作品面白いと思えるなんて、どう考えても面白い奴の典型だろw

自称インテリが「ふふーむ、この作品は美味ですなぁ」とか気取って言ってるほうがつまらんわw

anond:20240825224427

つまんない人生送ってるから

まらない作品感情を動かされてしまうという典型

2024-08-25

anond:20240824005222

何故Qiitaが衰退したのか?

答えは明白だ

それはネトウヨが大量に流入し、それを排除する仕組みを運営実装しなかったからだ

大量のネトウヨによって衰退したコミュニティは幾つもある、Newspicksや8chanやXなんてのもその典型例だ

ネトウヨ排除なしにコミュニティ健全な維持と成長は不可能

これはちょっと3秒くらい考えればわかることだと思います

しっかりと受け継がれていくと私は確信しております

2024-08-24

anond:20240824143527

搾取というのは不当に安い値段で買いたたくことやで

典型例だと不動産投資家が最低賃金民泊の清掃をさせることを指す

本来民泊の清掃はホテルとかがやる場合最低賃金の1.5倍ぐらいは出さないと人が来ないんだが、不動産投資家はホテルクラス掃除最低賃金やらせようとするんだ

anond:20240824004233

ふぞろいの林檎たちパート1で手コキ風俗で抜いてもらったあと、こんな店で働いてちゃいけないよと

説教し始めた、三流大学童貞学生を演じた若き日の中井貴一を思い出した。

挙句の果てに、風俗嬢の家に押しかけてその彼氏まで説教をする始末。

中井貴一演じる男は、根っから天然で、不幸な境遇女性をみつけるや、思いやるそぶりをみせながら、相手人生をともにする覚悟もないのに、そういう生き方はよくないよ、などと批判する傾向があった。当然、説教された側はあっけにとられて、自分に酔ってんじゃねーよという反応なわけだけど、本人は全然理解しておらず、そのごも友人の彼女奥さん好意を寄せまくり相談を受けては心配してあげる形ですり寄っていく。人妻を寝取りすらした。

悪気がない奴ほど邪悪である典型だった。

2024-08-23

anond:20240823115925

思想的に反自民」と言いつつ他党で言及するのは立民のみ。

こういう日本自民と立民しかないという世界観は立民支持者の典型症状です。

2024-08-21

anond:20240821145656

文盲だけじゃなくて妄想も持ってる馬鹿ですって自己紹介してるようにしか見えんわな

IQが違い過ぎると会話が成り立たないの典型

2024-08-20

共産主義は、進化と変革の原動力を、変革の担い手である主体」に求めすぎているのだろうと思うね。

連帯戦線、同志、団結これらの共産臭のするターミノジーは、その時代時代で、変革の担い手と目された人々へ向けられる。

古典的資本主義確立した時代に「労働者」という概念再構成したのが、たぶん最初かな。

日本共産党歴史をふりかえると、労働問題においても農民組合闘争においても、被差別部落問題にしても、変革の担い手自分たちに取り込むことに知らず知らずのうちに夢中になっていた。その力ずくなやり方への反発へも少なくなく、運動から離脱分派を促進していた。

結果として共産党は思想の核である労働者階級」すら満足に取り込めず、高度経済成長期が終わると、次第に、連帯ターゲット主婦とか消費者とか言い始めた。そうした社会階層に媚びを売るために、自らの綱領あいまいにしてブレた主張を繰り返しては運動の広がりが得られず、連帯の同志候補として次のターゲットを探してきた。

あげくの果てには性的少数者、LGBTQを守る(田村氏)とか言い出して今日に至っている。


他方で、資本主義社会進歩史観共産主義のそれとは趣が異なる。

根っこには、社会ダーウィニズム的な、進歩への信頼というか期待がある点では、帝国主義共産主義も同根。

ただ、その実現が「強いもの」による自然淘汰によってなされると考えるか、闘争によってなされるかの違い。

「強い者」が先験的に理解されてしまうと、「弱い者」を排除してしまえばよい(優生学など)という発想になるし、差別の絶えない社会となる。帝国主義ナチズム典型

一方、一体なにをもって「強い者」かを人間は前もって知ることはできない、結果から判断するしかないとプラグマティックに考えると自由主義社会となる。理念ではなく、利害で集う社会はこの考え方から支持される。

先日、福岡支部のどなたかを除籍した日本共産党が今もって理解していないことの一つは、日本国憲法もつ表現の自由の考え方だ。

実は、憲法第21条の源泉は、「一体なにをもって「強い者」かを人間は前もって知ることはできない、結果から判断するしかないとプラグマティックに考える」自由主義の考え方を基礎としている。

これは、表現の自由をめぐる憲法判例のうち「思想自由市場」という考えから典拠をどんどんさかのぼってゆくと理解できる。

そうすると、20世紀初頭の連邦最高裁ホームズ裁判官の考えにつきあたり、そのホームズからパースプラグマティズムに行きつく。

そしてさらさらにさかのぼると、唯一正しい真理を押し付けてきたカトリックの猛威を振るヨーロッパ、お互い不寛容プロテスタント同士の修羅場ヨーロッパから逃れてきた巡礼始祖たちの考え方に行きつく。お互いに自分が正しいと言い切れないなかでどういう社会を構築するかを模索したところからアメリカ合衆国は始まっているので、表現の自由というのは、国の成り立ちを土台で支える重要な考え方だということがわかる。

雑にまとめると自由主義共産主義の違いは以下のような感じ。

政治体制言論自由進歩史観プレイヤー
自由主義どちらかというと放置蓋然的客観的多様性重視
共産主義どちらかというと統制的必然的主体一体性重視

同志の団結を迫りまくるという意味では、根性論とか暴力一定の方向に人々の顔をむかせ社会変革をしようという路線になりがちなのが共産主義

多様性を重視するあまり、どんなに社会が乱れようが差別根深かろうが、偏見による暴力を許容してでも自由に奉じるのが自由主義

日本共産党は、何かにつけ、ひとの横っ面を自分たちと同じ方向へ向かせたがるが、それは自分たちが嫌われて終わるだけというのは、これまでの歴史証明している。

ちなみに、私はいずれにしても暴力的なら後者を選ぶ。

日本共産党は、自らの綱領一言も書いていない、表現の自由意味社会プラットフォーム視点から今一度振り返るべきだと思う。

2024-08-14

anond:20240814101158

成果が出てるやつが選択されてるならまだいいけど、成果が出てると主張する集団の中で一番恥知らずに大声でグレーゾーンギリギリプレゼンをしたグループが選ばれているだけではあるんだよね。ひやっしーとかまさにその典型。まぁあれはグレーじゃなくて黒いけれども、真っ黒とグレーの区別すらできない連中が選択と集中の重要性を叫んでる。多分中枢で選択がどうのと言い続けてる本人たちも薄々分かってるだろうけどキャリア問題改革を断行できる人間はいない。

研究者サイドでも、審査員も少し分野が変われば研究動向とかわからないし、みんなが適当に言い繕って審査員の目をくぐり抜けたり人から予算をとって、うまくいこうがいくまいが革新的な成果が出たと振り返りも不十分なままに次の競争資金予算申請が始まる。なにこれ?

2024-08-13

anond:20240805223215

死刑制度賛成派も、自然主義的だな

悪人集団で吊し上げて火炙りにしていた中世社会の住人と死刑賛成派の心理は大差ない

本能のままに死刑に賛成している

死刑賛成派の主張の検証は下でしたからいいとして、

https://anond.hatelabo.jp/20240722001200#tb

死刑反対派は、刑罰論や、制度のあり方、啓蒙思想など原則論から考えてる

それに対して死刑賛成派はそうした減速論から出発せず根本感情本能支配されている

まさに自然主義典型だな

anond:20240813122234

「「ハラスメント・加害」と受け取られるかもしれないような」言動をなくせという発言のもの人権侵害になる可能性について想像が及ばないのかな?

トイレ問題はまさにその典型なんだけど、例が難しかたかな。

トドに対する深刻な差別が始まっている

追記 なぜか自動変換で“ドド”という表記が混じってたので修正しました)

テレビで“大御所”と扱われることも多い女性歌手が、自身冠番組で、女性金メダル選手について“トドみたいでかわいい”と発言したのが、侮辱的で失礼だと叩かれまくっているのである

ちょっと待ってくれ。

“猫みたいにかわいい”とか“ライオンみたいにかっこいい”ならば、おそらく問題いであろう。

アシカのよう”ならここまで炎上しただろうか?

なぜトドはだめなのか?

猫はかわいいけど、トドはかわいくないのか?? 

それってトドに失礼ではないのか?

動物にはかわいいものと、かわいくないものがあるのか?

それはどこで判断するのか?

見た目?

トドは体が大きいから?

それってルッキズム典型じゃないのか?

先ほどSNSで、“そもそも鍛え抜かれたアスリートトドに似てるわけがない”と発言している人もいたが、それもまた失礼だ。

みんな実物のトドとか、せめてトド映像とか、ちゃんとみたことあるのだろうか?

勝手トドイメージ作り上げてないだろうか?

海で生きる野生のトド筋肉が鍛え抜かれていないわけがないし、

その片鱗は動物園などでもうかがえる。

そして、見ていると実に愛嬌のある動物なのである

みんな勝手イメージだけでトドのこと語って、“トド侮蔑表現!”と決めつけてないだろうか?

いくらみんな、和田アキ子が嫌いで隙あらば叩きたいからって、トド不憫でならない。

2024-08-12

男は等しく潜在的女性化願望を抱いているのかもしれない

20年ほど前の高校時代の話。

芸能事務所所属モデルやってるような「同レベル顔面の男としか俺は会話しません」系綺麗め男子も、ビッグスクーターを乗り回し色んな黒ギャルと付き合いホンモノの犯罪者友達もいるガチムチオラオラ男子も、平等女性化願望あるんじゃないかというのを目の当たりにした。


モデルのほうは「俺こういうのも可愛いでしょ」的に自信満々にヘアピンつけたりゴムで髪結ったりしてた。

一方でガチムチ男子のほうもメールの文が妙にメスメスしかったり学生鞄にスティッチキーホルダー付けてたりして、たまに血迷ってモデル男と同じようにヘアピン付けて体育参加して周りの同級生たちを震撼させてた。


男というのはもしかしたら等しく潜在的女性化願望あるのではと思っている。

自分フェイスアップを見せびらかしたがる男もあれほど多かったことを考えるに。




余談。

高校当時、塚本高史NEWSメンバーよろしく輪郭を覆い隠さんばかりにもみあげ(というか姫毛)を長く蓄えていた男性ホルモン薄い系イケメン典型のオシャレをしていた同級生たち。

彼らは30歳過ぎたあたりでほぼ例外なく青髭モンスターになったのは衝撃だった(とにかく色白が多かったからか?)。

ある者は服装髪型自由会社に勤めていたため、青髭を逆手に取り顎髭も口髭もボーボーに伸ばし放題にして、そのまま頭髪もヒッピーさながらに長~く長~く伸ばしてアーティスト系イケオジとして容姿延命を図ってた。

また、ある者は服装髪型にうるさい会社に勤めていたため、フィットネスジムガチ勢転向し、筋肉ダルマとして生まれ変わり、併せて日焼けサロンに熱心に通って、やはり延命のためのモデルチェンジに必死になっていた。


素直に永久脱毛すりゃええのに。

遂に女様も世間から叩かれる側になるターンがやってきたわけですが

男尊女卑的な思想一般的だった昭和から男女平等の名の元に様々な女性優遇措置が講じられてきた平成を経て、令和となった現代、遂にまた女が叩かれるターンがやってきた。

女が叩かれるターンというと、少し語弊があるかもしれない。

正確には、女性からと何かと優しくしてもらえる時代に生きてきたことでバランス感覚にズレが生じてしまい、既に傾きつつある現在パワーバランスに馴染めない人間が叩かれるターンがやってきたわけだ。

先日起こった女子アナ失言解雇の件などは、正にその実例であろう。

10年ほど前であれば、女子アナネットで男は汗臭くて嫌と言ったところで大して燃えはしなかったはずだ。あるいは、燃えたとしても注意程度で解雇される程のことでは無かったと思う。

しかし、現代価値観に照らし合わせれば、ネットで男は汗臭くて嫌と発言した女子アナ不適切発言によって容赦なく処断されてしまう。

現代を生きる人間からすれば「当たり前だろ」と思われるこの一件だが、中には「解雇するほどのことか」「本当のことを言って何が悪い」と主張する者も少なくない。

これは現代パワーバランスに馴染めてない人間典型である

そして皮肉なことに、この言い分は男尊女卑時代に生きた昭和おっさん平成価値観に馴染めず排除されてきた際の言い分とまるっきり一致する。

かくして女であろうと男であろうと平等にぶっ叩かれる時代がやってきたわけだが、今後はどうなるのだろう。

変化というものには大抵揺り戻しが来る。

男尊女卑から男女平等、過度の女性優遇男女平等と変化してきるので、順当にいけば次は男尊女卑時代が再来するのだろうか?

女性差別カウンターってわけではなく明確に男性差別が段々改善されてきてるんだと思う

勘違いしてる。特にはてなの人は女性差別に注目しすぎる人が多いから気づいてないのかも。


フワちゃん活動休止とか、たぬかなが炎上したとかそういう表面的な部分だけではなく、世の中の流れとしてついに男性差別の解消に向かうようになったんだと思う。

最も象徴的なのが、共同親権法制化でこれは日本の現状からみると明確に男性差別の解消への第一歩でフェミニストを筆頭とする女性による大反対がすさまじかった。

でもその反対を抑えてついに法制化された。

男性差別女性差別と比べて改善点を山ほど提唱されてきたにもかかわらず全く手を付けられてなかったからこれからどんどん大衆の目に見えるようになってくると思う。

これからまだまだ改善されるべきポイント目白押しからね。

増田勘違いしてる記事上がってたけど、これは"弱者"男性だけの話じゃないのね。

共同親権なんかは結婚できるような男性についての話だし。


これなんかも典型

「妻を労災で亡くした男性にも制限なく遺族年金を”国争う姿勢https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240613/k10014479851000.html

労災で妻を亡くした男性が、法律規定により遺族補償年金を受けられないのは不当だとして国を訴えて裁判してる。

もちろんまだ結果はわからんけどね。


今回の女子アナの件も、もう"弱者"男性だけの話じゃなくなってるのね。

はてなや5chに閉じこもって「相手はチー牛ばかりできんもーっ☆」とか言ってたらあんたの隣の社長イケメンあなたキャンセルするかもしれないよ。

anond:20240812001724

その手法特定立場の人(自分しか使えない棍棒ではないということ、敵も同じ棍棒を使って殴ってくる可能性を忘れないようにしないと。

 ◆本来ならばキャンセルされる側の人たちがキャンセルカルチャー手法を用いる逆転現象が起きています

 たとえば、女性差別的な表現を守ろうとする、いわゆる「表現の自由戦士」と言われる人たちはその典型です。

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