はてなキーワード: 演技力とは
id:hellshake 確かに後半の例話すなら、50代の醜いババアが主人公でヒットしてる海外映画もセットで上げてくれないと。
ドヤ顔で論破したつもりだろうけど母なる証明なんかは普通にヒットしてし海外からの評価も高いだろ…
若いギャルやイケメンが出てくる映画しか見てないからパッとすぐ出てこないんだよ…
id:hisa_ino 「ジャニーズとかキムタクとか」キムタクもジャニーズだろ。あ、ひょっとしてあおい輝彦のこと?だったらわりと俳優・声優で実績ある方だと思うが…。
そういうへりくついらねーから。はてなはいっつも揚げ足取りしてるよな。明らかにジャニーズでも一線をかす存在としてメディアがキムタクを推してるからキムタクを上げてんのにそれもわかんねーのか?
追記:
邦画でオバさん、オジサンが主人公の映画だけど「団地」って映画がある。なんか色々ぶっ飛んでる映画だった。
嫌われ松子の一生なんかも醜いオバさんの半生映画だったか。割とストーリーがしっかりしてる。
おっさんがひたすら会社の借り上げ寮で猫を愛でる「ネコナデ」※正直ドラマの方が面白い
あたりも面白いよ
今の邦画はストーリーや演出なんかよりキャスティング。ストーリーが良くても演出が良くても音楽がオリジナル音源でもまずはキャスティングが良くないと売れない。美男美女は最低限、あとはジャニーズとかキムタクとか若い女が揃っているののが秀作と扱われそれ以外はクソ映画扱いされて誰も見ない。
もちろん邦画にも面白い映画はたくさんある。名前も知らない俳優、練り込まれたストーリーと演出。でも売れない。演技力やストーリーなんかどうでも良くて見る人はジャニーズかどうか、美女かどうかが大事なんだから。
例えばストーリーが秀逸でラストの展開も衝撃があって引き込まれる素晴らしい作品があったとする。
でも主人公が50代の醜いババア、これで見たい気になるか?大半の日本人は演技がブタでも橋本環奈がコスプレしてる映画を見る。イケメンと可愛くて若い女は必須、そして恋愛や家族愛なら尚受ける。ありのまままで君を愛したとか言わせておけば私たちも何の努力もしなくてもイケメンに愛されるのね!と勘違いした層が勝手に沸き立つ。
ドラマのライフ(2007)で、いじめっ子を演じた末永遥は小さい頃から、子役として活躍していた(「みにくいアヒルの子」で 岸谷とも共演していたな・・)
ドラマの中の演技、役柄と同一視するのはおかしいって言うけど、どしても視聴者としては「イメージ」というのがあり 変な役をした役者は嫌われてしまうんだよ。
あんな役やったらいくら演技だといっても実際もああいう人物だというレッテル貼られてしまうから何処も使えない。
逆にいえば「そろそろ切りたい」役者だから「そういった役」をやらせたのかな。。
実際末永は所属事務所を解雇されたし、未だにあのイメージがあるからどこからもオファーがないよな。
ただ成人する頃には「そろそろ終了?」だった。
浅野ゆう子と共演した「氷点」では おとなしい、可愛らしい役だった。演技力のある、良い女優だったんだけど イメージでトドメを刺されるって恐いな
少し前に音楽ディグどうしてる?との話題が増田で盛り上がり大いに参考にさせていただいた。
当増田はネットでは主にSoundcloudを使わせてもらっているが、精度が良すぎて似た感じの曲ばかり集まってしまう。
それはそれで嬉しいが、自分では聞かないような意外な曲を聞いてみたい。そこでラジオのすすめ。
NHKFMだと音楽メインの番組が多く、CMが無いのでストレス少ない。
更に最近は聞き逃しサービスを提供している番組が増え、番組終了後一週間はいつでも何度でもネットで聞ける。聞き逃し対応の番組をおすすめしてみる。
https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/
ゴンチチの案内する「ちょっと変わった切り口で色んなタイプの音楽がかかる」番組。毎回テーマを決めてゴンチチのお二人と選曲担当者が選んだ変な曲が色々かかるので、自分からでは絶対聞かないタイプの曲が毎回かかり、たすかる。この番組きっかけで聞くようになったミュージシャンもいる。今朝は「ハニーの音楽」というテーマでハニー・ナイツの「サスケ」がかかっていた。途中のセリフが迫真の演技力で面白かった。
4人のパーソナリティが週替りで出演。
個人的にはサラーム海上氏の週がおすすめ。世界の最新ワールドミュージックが色々聞けて楽しい。
紺野美沙子氏の週は映画のサントラ、榊原広子氏(ダ・カーポ)の週は懐かしポップスや童謡、合唱曲等、向谷氏の週は電車にまつわる曲色々、ジャズや歌謡曲がよくかかる。
今年4月から聞き逃し対応になった。たすかる。クラシックダラ聞きに。その日のテーマに沿って色々クラシックがかかる。交響曲まるごと一曲とかもかかる。曲の合間に豆知識教えてくれたりもする。たすかる。
月一回しか放送してない幻の番組「鍵盤のつばさ」。なぜ月一なのかというと、NHK交響楽団の演奏会の中継が入る日のみの放送なので。聞き逃し対応になったのでうっかり聞き逃しても大丈夫、なのだが普段はこの時間、あの曲者番組「クラシックの迷宮」を放送しているので多分迷宮ファンなら聞き逃さない。
作曲家でピアニストの加藤昌則氏がテーマに沿って鍵盤曲の魅力を語る番組で、軽妙な語り口が楽しい。
4月から聞き逃し対応になった現代音楽の番組。現代音楽の新作をばんばん流してくれる太っ腹番組。NHKはこういう番組は残していってくれないと。日本の貴重な音楽の歴史を記録し後世に残していくために。
番組の進行は作曲家の西村朗氏、いつも番組冒頭で「作曲の西村朗です」と仰る。「作曲の」ってのがなんかいい。
以前はてブでホッテントリ入りしてたオモコロの現代アートの記事で https://omocoro.jp/kiji/152982/
三杉レンジ氏が「アート業界では作品の言語化は前提として必要不可欠なもの」と仰っていたが、西村先生はこの言語化がとても巧い。増田のような素人にもスッと音楽が入ってくる。
更に西村先生は話がめちゃ面白く、ゲストが来る回は大体爆笑トークになるのでもう絶対聞く。
聞き逃し対応ではないが「クラシックの迷宮」(土 19:20〜21:00)も面白い。これ絶対はてなー好きなやつ。政治学者でクラヲタの片山杜秀氏の番組。かなりの曲者番組で、片山氏は旧東側の音楽と日本の現代作曲家に詳しいのでそっち系の曲が割とよくかかる。日本の現代作曲家がやっていた劇伴もよくかかる。特撮とか。先週もニーチェの話からウルトラマンとウルトラセブンかかってた。
あと片山氏、子供の頃からテレビの音を録音するのが趣味だったそうで、NHKも持ってないような貴重な音源持ってたりするそうな。
ここまでおすすめしておいて何だが、NHKFMには少し怒っている。
朝6時といえば60年前から古楽番組をやっていたのに、数年後のAM一波停止の煽りか朝6時台を英語番組に取られて朝5時台に追いやられてしまったのだ。予算削減だから当たり前だろ番組なくなってないんだからいいだろーが、と言われるとつらいが、こちらも数十年は朝6時の古楽聞いてきた身である。AM波停波はまだ数年後だが、今後語学以外にも芸人のバラエティ番組等も次々引っ越してきてFMは音楽番組中心のラジオではなくなっていき、おそらくクラシック番組から削られていくのだろう。クラシックジャンルの中でも聞く人の少ない古楽と現代音楽から削られるのではないかと懸念している。金にならん文化なんか消えるべき、という考え方が増えてるのもわかる。役に立たない音楽より明日の食い扶持、というくらい国民生活は逼迫しているし。でも消えてほしくないんだよ日本の現代音楽は………歴史は記録しないと消えてしまうんだ。
あの手の話全般、なんか別種の様々なインセンティブや「正しさ」が整理されずにごちゃ混ぜにぶちこまれてる気がすんのよね。
だから整理してみた。
違うとこあったら言って。
牧原さんは、「映画の中でろう者がどう描かれるか」という表象の面において、聴者がろう者を演じる際の違和感をこう指摘する。
「大きいのは手話です。手話が第一言語ではない聴者の俳優がやると、『身振り』のようになってしまう。手話は、表情や頷き、動きのスピードも含めた言語なので、手の形だけでは微細な感情を伝えることは難しい。監修がつき練習しても、数カ月で習得できるものではありません。
また、耳が聞こえる人と聞こえない人では、身体感覚が異なります。聴者がろう者と同じ感覚になるためには、本来であれば音が聞こえない状況で演じなければならない。
たとえば目の動き。聴者は音を通して人やものの気配に気づきますが、ろう者はそれができないので特有の目の動きがある。身体表現である演技において、そもそもの身体感覚が異なるため、ろう者から見ると不自然な動作や表情も多いです」
これはクオリティの話だよね。
わかる。
説得力があるし、そこのディテールをきちんと詰めたろう者描写は全然クオリティ変わると思う。
ある程度重要な位置にろう者キャラを出すならちゃんと取材して押さえるべきだと思うし
ろう者をそこに配役するのがいいこともあると思う。
フルメタルジャケットの軍曹役に本職入れるみたいにね。
アウトレイジビヨンドと最終章の韓国人フィクサー役にホンモノの人入れるみたいにね。
(ちなみに前者は軍曹という仕事自体が演技性があったので普通に軍曹としての演技は出来ちゃった。
後者は演技力より当人の醸し出す雰囲気が重要だったので普通に喋ってるだけでいい感じになっちゃった。
それぞれ成立する理由があるので本物ならただぶち込めば役者より成功するというわけではもちろんない)
「ろう者がみな手話ができるわけではありません。かつて日本のろう学校では手話が禁止されており、手話を学べる環境にいたかどうかも大きい。
今は人工内耳をつける子どもも多く、高齢者の中には、口話教育が中心だった時代にろう学校に通い、身振りだけでどうにかコミュニケーションをとっていた人たちもいます。
フィクション作品では手話を使うろう者が多いですが、その人の中にある歴史や生い立ち、文化に一貫性がなく、結びついていないような描写がみられます。
これは間違った〇〇像への危惧だよね。
クオリティを詰めていけば結構防げそうという意味で上の話とも繋がってると思う。
ただ、最新の正しいろう者像を社会に広めるのって映画の役割なの?というのは疑問。
そういう社会的な映画でろう者像がガバガバだったらそこはもっと頑張れよってなるけど
例えばバカアクション映画で「ろう者の凄腕の殺し屋」が出てきた時にこんなろう者いねーよ描写があってもそれは別にいいじゃん?
「毎回ターゲットに殺害予告する流儀だけど手話なので伝わってない」とかあったらちょっと面白いし。
そこで「実際のろう者は手話以外のコミュニケーション手段を使えますからこれはリアリティがない」とか言っても意味薄いじゃん。
つまり「フィクションに事実と違う変な描写出すのはいけない」というのは怖いから賛成できないかな。
「ステレオタイプでディテールの甘い描写は面白くないよね」っていう風に消費者側が進んでのことならいいけど(実際そう進んできたと思うんだけど)
ろう者キャラがすぐ手話使うのは事実と違うから許されん、はちょっとなーってなる。
だからディテールきっちり現実通りに詰めることが「正しいルール」やモラルになる方向性には明確に反対したい。
単に取材しないでディテール雑なだけ横着なだけってのは褒められることじゃないし
作品によっては適切に取材して細やかな描写入れた方が面白くなるのは間違いないとも思うけど。
ろう者を描く作品は、数としても少ない。さらに、聴者がろう者役を演じることで、ろう者の俳優の雇用の機会が奪われることにもなる。
一番わかるんよなこれ。わかりやすい話だし当事者として当然の交渉。
これをこれだけで言わず、上で見てきたような別の話と混ざった状態で論じる人が多いからわかりにくくなんのよ。
「ろう者の俳優は出演機会メチャクチャ限られるからろう者役ぐらい優先して回してもらわんと困る」
この話が通じない奴いないと思うぜ?
「黄色人種俳優は人気無くて出演機会限られるのに黄色人種キャラまで白人に取られては困る」
これなら超わかる。
利権確保運動ならそうだとズバッと言ってくれよ。別に反対しねーよ。
なんか謎の高尚風な理念と混ぜてモザイク状にして突っ切ろうとするから
かえってうさん臭さや表現規制の匂いを感じて警戒心持つ人が増えるんだよ。
「ハリウッドの日本人俳優、頑張ってるけど正直人気無くて苦しいねんから、
史実や漫画の日本人キャラは俺等の利権として確保したいんよ、本国の皆さんご理解ご協力おねがい!」
こう言われりゃ「なるほどわかった」「頑張れよ」ってなる日本人がほとんどだと思うぞ。
素直に言ってりゃ少なくとも愛国的タイプ同胞意識強いタイプの日本人はみんな理解&応援したのに
そこを正直に自分の利害&お願いとして言わずに変な進歩思想を装うから
本来応援してくれた人達すら「わけわからん頭でっかちな表現規制だ、またポリコレだ、コワー」って警戒&反対に回ってるじゃん。
あとちょい脱線するけど
日本人役や日本作品の役を中国系や韓国系やベトナム系に取られてるのは純粋に何なんだ?って思う。
日本人俳優もなんでアジア人内での奪い合いにはうんともすんとも言わないんだ?
白人に取られなくてもアジア人に取られてたら変わんねーじゃねーか?
「白人が取るのは大問題だけど日本人役を中国人がやっても同じ黄色だから問題ないっしょ」ってすげー差別してないか?
彼の話がたまにホッテントリに上がってきたときは一応全部目を通してるんだけどさ、
それがハリウッドではマイナスに働いて役を逃すって話、なんか笑っちゃうけど気の毒ではあると思う。
けどそこでMさんが逃してるのってつまり「日本人」を求められてる役じゃん?
アメリカにはいろんなルーツの人間がいてみんな「アメリカ人」として映画やドラマに出てるのに
なんで英語頑張ってる野崎さんでも「アメリカ人」として十分に求められずに
「日本人」役なんていうキワモノ仕事を拾いに行かなきゃいけなくなってんの?
おかしいのそこじゃね?
需要側やキャスティング側やアメリカ社会にまだまだ日本ルーツの俳優を「アメリカ人」と認めない意識(いわゆる疎外や差別の意識)があるか、
もしくはMさんに「アメリカ人」として溶け込むためのなんらかの要素が欠けてる(発音とか立ち居振る舞いとか?)か、
みたいな話ね。
逆に、「日本人」を求められてるとこではそりゃ醤油顔が選ばれるのしょうがなくね?
英語頑張っててアメリカに住んでる俳優が「日本人」を出せって求められる仕事。
そこで求められるのは異質さじゃん。
そこではなんか顔にエイリアンみがあるだとか、母国の伝統的な技能を持ってるとか、それが強みになるよね。
それこそすんげえアジア顔でそれが求められてスターになるなんて人もいるだろうしさ。
ちょっと昔の話だけどルーシーリューなんてアメコミに出てくるアジアン美女そのものな顔、
小さめの目は釣り目で頬が長くて頬骨高くて口もちょっと出っ張ってて
あれが人気出るのってしょうがない気がするんだよね。
美女3人組のセンターが白人金髪美女で隣にアジア美女置くならやっぱルーシーリューの顔は100点じゃん。
でもあれはセンターだって「金髪で青い目ででっかい口の明るい白人姉ちゃん」というものを求められてて
フェアに言ってアジア人だけが枠に嵌められてるわけではなかったと思うし、そういうエンタメもアリでしょ?元がバカドラマだし。
濃い目イケメン日本人のMさんにそういうステレオタイプ力はたぶんないんだけど、それもニーズや才能の一つじゃん。
ハリウッドでのMさんが憤るべきはMさんに「アメリカ人(ルーツ?ルーツは日本人だけどそれが何か?)」役が十分にないことであって
多かれ少なかれわかりやすさが求められる「日本人」役に跳ねられることではなくね?
「日本人」役ってもの自体が異国に対する特別な意識が含まれてのニーズなはずで、そこで求められるのは異質であることで、
ほんとに境界とか無くなったなら「日本人」役っていうオファー自体が無くなってるはずだ。
もちろん「アメリカ人」もなくなって、でもなんかしらの基準や審美眼で俳優は選ばれたり跳ねられたりし続ける。
Mさんが「何故この時代に「日本人」役なんてものがあるんだ!そういう注釈なく俺をアメリカの映画やドラマに出せ!」っていうなら話はスッと入ってくる。
けど「日本人」役に手をあげながらそこでステレオタイプや分かりやすさを求めるなって言うのはなんか矛盾を感じる。
そういう個性を出すつもりがない、求められたくない、っていうなら「アメリカ人」役を狙っていくべきで
そこでもし役の供給が不十分ならその時「アジアン差別だ」と声を挙げればいいしそれならまあわかる。
(ニーズとしてアジア系アメリカ人がそれ以外のアメリカ人より人気無いなら
それはすごいかっこいい天才的アジア人スターの大活躍などによって塗り替えられるまでどうにもならない気がするが…)
すると、日本が世界に出していく日本というものが多様化される。マイノリティの日本人の役者が食べていけるだけの仕事が生まれる。
そして日本の観客の人たちには、今までに与えられてきたもののクオリティがどれほど低いのか、実際の日本を反映していない、理想化された日本というものを与えられてきたのかということに気づいてもらいたい。
https://news.yahoo.co.jp/byline/saruwatariyuki/20220325-00287748
正直これ「ほんとかなあ?」ってなるけどね。
戦争起きるまでウクライナとロシアの違いなんかわかんない人世界中にごまんといたでしょ。
ウクライナ出身でも「ロシア」の方が通りがいいからめんどくせえ俺はロシア人だよみたいな人沢山いたでしょ。
アメリカのラーメン屋だってやってるの日本風を装った中国人や韓国人でしょ。
どこの国だっていろんなルーツや人種の人が住んでて実際モザイクだけど
それを出されて興味持ってもっと頂戴っていう人いないと思うよ。
絵具は赤とか青とか黄色だから価値があるんで、混色はこっちでパレットやキャンバスでやらあな。
絵具で灰色出されたらそっからどうにもできないよ。監督やディレクターは灰色の素材を求めてるかね?
ただでさえ他国に興味なんかないのに、灰色出されて「もっとくれ」っていう人製作者にも消費者にも多いと思えないよ。
アメリカで活躍する日本人よく合掌礼してるけどあれはもうサービスじゃんそういう。
そうじゃないんだよ、日本人はそんな挨拶しないよ、それはタイ人だよ、ってマジレスして誰が得するの?
日本に特別な興味持ったらそのときに実際のところを調べて知ればいいのであって。
これぐらいの解像度で他国を理解してるの、日本以外のどこの国も同じだと思うけどなあ。
でも
すると、日本が世界に出していく日本というものが多様化される。マイノリティの日本人の役者が食べていけるだけの仕事が生まれる。
ここはすき。
普通に「俺等が食うためにちょっと協力してよ」って言われれば素直に協力したい気持ちになる人沢山いると思うよ。
ハリウッドで日本人俳優が存在感出すようになれば国威発揚?的な嬉しさもあるしさ。
逆にポリコレっぽく「これが正しいからこうすべき」「これが最新の正しさだから」って言い方は
日本人に対して最悪の効果になると思うからちょっとアプローチ考えなおした方がいいと思う。
「マイノリティの日本人の役者が食べていけるだけの仕事が生まれる。」が目的なら
それを前面に出した方が絶対いいって。
なんか話が発散してきたのでまとめ
・利権活動ならわかるしそれなりに応援されると思う、「マイノリティ」にせよ「ハリウッドで頑張る同胞」にせよ
・「日本人」仕事はキワモノ仕事だから、本格派俳優は拾おうとせずに特別な才能(アジア顔やアジアムーブが上手い)あるやつに放れば?
・それにしたってなんで日本人役を別のアジア系に食い込まれてるのか謎だぜ?回し合ってるならいいんだけど
小学生の頃に、ふと見ると母がテレビを見て泣いてたから、どんな内容か聞いてみた。
母は「あんたにはわからないだろうけど」と前置きした上で、ドラマを見ていた事と、朝ごはんに普通のロールパンではなくレーズン入りのロールパンを食べたいけれど父子家庭で忙しそうな父に遠慮して言えない子のシーンで泣いたと教えてくれた。
私も食パンじゃなくてレーズン入りロールパンを食べたかったけど、ウチは貧乏なのでねだったことはなかった。
普通のロールパンを買うのもレーズン入りロールパンを買うのも手間は同じなんだから「次回ロールパン買うときはレーズン入りだと嬉しい!」って言えばいいだけじゃん。親が忙しいなら手紙を置けばいいわけじゃん。
その後ちょっと見たけど、お金持ちそうだし、親は子を大切にしてる(子供もそれに気づいてる)描写があるし、確かに私にはわからなかった。
ロクに工夫もせずにしょげてる虚構とお金がなくてマジでねだれない現実。と、虚構に感動して泣いてる母。ここに私がいるのに?
もしかして私が遠慮してること気づいてないのかな、気づいてないなら私の演技力はなかなかのものだな、言わないほうがいいな、子供は何も考えてないほうが可愛いもんな。
そう思いながら「えーっ、ねだればいいじゃん。私もぶどうパン食べたーいなー♪」と言って逃げた。
美味しいけど素直に喜べなーい
ファック
夫に「食費でレーズンバター入りのロールパン買ってー」ってねだられても食パンのほうが安いから却下してるんだけど、もういいかなー
でもローンがなー
あー
言いたいことはわかるんだけど、声が変わるのはテレビを音だけで見ている人(ながら見の人や視覚障害者とか)に対して「発言している人が変わった」ことを理解させる意味もあるんだよね
ゼレンスキーが話しているときもプーチンが話しているときも同じ声だと、今話しているのは誰なのかがわかりにくくなってしまうんだ
映像を見ている人にとっては問題にならないことだけれど、映像を見ていない人や見ることができない人からすると同じ声で吹き替えられることは大きな障害になりかねないんだね
そういった事情で意図的に声を変えているわけで、これは演出ではなくてアクセシビリティの観点からの工夫と言えるだろう
ついでに言うと、これは多くの人が誤解していることなんだけど、実はニュースの吹き替えで声が変わるときに声優が変わっていることはほとんどない
ニュースの地の文を読んでいる一人のナレーターが声色を変えて全ての吹き替えを行っていることがほとんどだ
一つのニュース映像に何人もナレーターを起用するのは手間も時間もかかるから(特に、速報性の重視されるニュースだと複数人から収録するのは時間が惜しい)、一人のナレーターに演じ分けてもらうことになるわけだ
だからナレーターは子供から老人、優男から強面まで全部一人で演じ分けてるんだよね
元増田の見たニュースも、たぶん同じナレーターが声色を変えてゼレンスキーとプーチンの吹き替えをやっていたんじゃないかと思う
まあ流石に性別の違いは超えられないから男性と女性が一人ずつの2人体制にはなるんだけど、男性の声は男性一人、女性の声は女性一人が担当するのが基本と言っていいだろう
そんな事情を踏まえつつ、一人二役で視聴者に別人が話しているように聞かせるにはどうしたらいいかって考えてみよう
すると、一方はいわゆる善人的な声色に、もう一方はいわゆる悪人的な声色に葺き替えるのが違いを出しやすいし聞いている人からしてもわかりやすい
意図的に善人や悪人を演じようとはしないまでも、なるべく別系統の声色を意識すれば結果的に善人的悪人的な声色になりやすい、となる
……という事情があってのあの声色の使い分けをするに至っているんだよね
ちなみに、吹き替えの話になると「不自然な役割語を使うのをやめろ」という指摘もよく出てくるけど、これも同じ様な話なんだ
一人の演じ分けだけでは今話しているのは老人なのか中年なのか若者なのか子供なのかを表現するのには限界があって、だから役割語に助けてもらっている
吹き替えのしやすさと耳だけで見ている人に対するアクセシビリティを考えているというわけだ
で、話を戻しつつさらに踏み込んだことまで考えるなら、その善人的な声色と悪人的な声色をゼレンスキーとプーチン、どちらにあてがうかの判断が作為的ではないかって指摘が出るだろう
でも、残念ながらそれについては「ディレクターや音声担当がそう判断した」としか言えないんだ
ゼレンスキーとプーチンの声を逆にしてもそれはそれで作為的だって言われるだろうからこれは押し問答にしかならないだろう
声を使い分ける以上は、残念ながらこの指摘についてはこれ以上言えることはないと思う
長くなったけど、吹き替えの声を変えるという行為は決して余計なことじゃないし、邪魔をすることが目的なわけではないってことを理解してもらえると、末端ながら報道に関わる身としては嬉しい
大怪獣のあとしまつを観て、「令和の実写版デビルマン」と溢れかえる感想に対する思いが募ったので、吐き出させてもらう。感想はここから。
https://anond.hatelabo.jp/20220206022647
出会いは2018年、湯浅政明監督作品のファンだったため、「デビルマン クライベビー」を見たところ、そのシナリオや訴えているテーマの凄まじさに圧倒され、原作を読んで、やはり圧倒されたことから始まった。
実写版については、評判が悪かったのと、ネットのおもちゃにされてるのが気に食わないので見ていなかった。
が、親しい友人が「一緒にみよう」と誘って来た時、いい機会だと思って手に取ったのだ。見てないくせに映画をどうこう言う資格もないだろうし、と。
それも結構前なのであまり覚えてないが、以下は「邦画が好きな原作ファンが実写版デビルマンを見たらどう思ったか?」という感想と、「“令和の実写デビルマン”という文句について思うこと」である。これもまた長いし、後者はめちゃくちゃ攻撃的なので、お気をつけて。
二時間に収めてるからすごいことになっているとは言え、凄惨なシナリオや、「人間こそが……!」のシーン、「アルマゲドン(アーマゲドン)まで描くんだ!」とは感心した。原作準拠のOVAではそこまでやらないらしく、映像でラストまで描いたのはこれが初めてとは聞いていたので。
シレーヌなんだったん?
ノーcgだとアレだけど、cgによるアクションもあんまり悪くない。cgの質がどうのこうのという話も聞いていたけれど、気にならなかった。
ハッキリ言うけれど、俺はこの映画に対する「姿勢」については評価をしてる。
原作の内容を、(整合性がおかしくなっているとはいえ)二時間でまとめようとしているところや、内容を変に茶化さずに「ちゃんとやろう」としているとは思った。(「ちゃんとやろう」としていない例。「福田雄一作品」「大怪獣のあとしまつ」)
つまり、悪い点はあるし多いけれど、いい点が無い映画では決してない。人間こそが悪魔と叫びたくなるようなシーンや、ラストのどうしようもない虚無感。やろうとしていることは好印象に写り、「嫌いじゃない」
ただ!ただ、なんです。
それこそネットでおもちゃにされて話題になっているから一つ一つ挙げていくようなことはしないけど。
ボブサップも三連になってたし!
この辺にしておくけど、やっぱり、ツッコミどころが多すぎる。この映画は。
そりゃまあ……おもちゃにされるわなぁ……と
原作の圧倒されるようなシナリオを見せようとしているのに、演技力や演出、その他の点で「ん?」となるところが多すぎて、集中できないのは擁護のできないマイナスポイントであることは確か。
というわけで総評は「好きにはなれなかったが嫌いじゃない。けどツッコミどころが多すぎる」
ただ、つまらないと思った邦画を「ケ〜ッケッケ!令和の実写デビルマンだ〜!」「これは実写デビルマンに匹敵するクソ映画だ〜!ヒヒヒ〜!」とさも上手いこと言ってやったと言いたげに吹聴している人は、そいつ自身が実写デビルマンよりクソつまらないし気持ちが悪い。百万回おんなじことを言われてる使い古された文句を自慢げに言うな。気持ちが悪い。少しは別の例えや言葉を使えよコピペ人間が。絶対バズってるツイートに使いまわされすぎて画質ガビガビのコラ画像貼ってる。自分で作る気もセンスもないから。
センスがあるやつだけがなんか上手いこと言えってわけじゃないけれど、自分が思ったことを表現するために死ぬほど擦られてる言葉を我が物顔で持ち出して来るのは単純にダサくて痛くて見てられない。
なんというか、学園祭のバンドでクラスの地味な生徒がステージに立ち、有名な曲をコードを間違えながら噛みながら唾を飛ばしながら汗を撒き散らしながらもそれでも最後まで演奏し切ったものの、結果ひどい有様で曲のファンから有名な曲を汚したとブーイング。それが下手にクラスの中心人物だったから結果的にその後生徒はそのことでステージに立つ気すらなかったような奴や、曲に思い入れもないやつ、そもそもステージを見てないやつにまで馬鹿にされている、みたいな気持ちの悪さを感じる。楽器を弾いたことも、弾けるように努力したことも、どんな努力が必要で誰がしたのかも知る気がないくせに。
この時、「有名な曲を汚したと感じて怒った」人に関して俺はどうとも思わない。演奏を聴いて、汚されたと感じて、結果怒ったのであれば、それにおかしいところはない。
ただ、それに追随するやつが嫌いだ、と言う話だ。
実写版デビルマンの感想を乱暴に言って面白いかつまらないかで言えば正直つまらなかったけど、「つまらなかったです!」で終わるところを何度も何度も出して来るのは単純にクソダサい。(当時の原作ファンが見て今でも怒ってるんだったら別)
それもその映画の評価ではなく、「別の映画の評価に関係ないタイトルを持ち出して来る」あたりが目も当てられないほど気持ち悪い。ニコニコの立木文彦ボイスが流れる動画で「マダオw」ってコメントしてそうだし、櫻井孝宏が出てるアニメに「おそ松〜!」ってコメントしてそう。
きみがしってるものをみんながしってるわけじゃないんだよ。ゆっくりおべんきょうしていこうね。
「ほならね」理論は嫌いだから「おんなじように映画作ってからものを言え!」なんて微塵も思わないけれど、そうでなくとも視聴者として感想を抱き、それを発表しようと思ったならば、良かった点を探そうともせずに、あるわけないと決めつけて無視して、目につきやすい悪い点ばかりに飛びつき突き上げ、鬼の首ならぬミキちゃんの首を取ったように茶化して馬鹿にする姿勢は、俺は大っ嫌い。面白くない。不快。ダサい。
悪魔化した俺が
「お前たちこそが……クソつまらないんだー!」
って炎で焼きに行くぞ。
https://www.daikaijyu-atoshimatsu.jp/
今日から公開だがなかなかの作品のようでTwitterでは「令和のデビルマン」というトレンドトピックまであがっている。
しかし実際に実写版デビルマンを観たら分かるだろうが、あの作品を超えるのは容易ではない。
これら全てが酷くて初めて実写版デビルマンと比較が出来るのだ。仮に大怪獣のあとしまつがこれらのどれかが実写版デビルマン以下だったとしても、恐らくそれ以外の項目は実写版デビルマンより上であろう。その時点で実写版デビルマンよりはマシなのは確かだ。(増田的に主演の演技力を超えることはこの先一生無理だと思っている)
別に実写版デビルマンが大好きではないが、ちょっとつまらないくらいで実写版デビルマンを引き合いに出すのは実写版デビルマンを観た人に失礼だ。そろそろ実写版デビルマンよりはマシだがクソ映画も定義すべきではないか。