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はてなキーワード: 晩年とは

2018-08-17

人を信じないというのは、厨二的であり

そのままのメンタリティ晩年を迎えると

その姿は客観的には哀れである

他人と協力する関係を築けなかった

他人社会理解する側に回れなかった

子供のまま、強い大きなものに不平不満を言う存在から成長出来なかった

父を見てそう思ってしま

闇雲に人との絆を押し付け感謝ラッパーみたいな老人も大概だなとは思うが

2018-08-11

anond:20180811100035

仏陀はどうして自分そっくりの木彫りの像を作れと言ったんだろう 

金を握らせてスキンヘッドの男に念仏を唱えさせたら天国に行けるなどと何で無常世界観晩年撤回したんだろう

2018-08-01

anond:20180801050846

社会では普通に通用する。突然行きたくなくなったら急きょ私用が発生しましたって言えばok理由きかれたら、晩年離婚して地元で一人の父親が突救急搬送されて…とか緊急入院で…とか嘘はつく必要あるけど

2018-07-20

お前は男じゃなくて、悪いタイプの鬼だよ

 明治天皇やその周辺の官僚裁判官などは、鬼だったけど、善良な鬼で、

日本全土を整備してあからさまに勝者だったから、誰も逆らえなかった。

明治の40年は大体そんな感じで成功したが、明治晩年大正昭和に、主に

軍部にいた悪い鬼が段々台頭してきて、昭和時代には、天皇が幼少なのをいいことに

警察軍部などの悪い鬼が暴走し、戦争に走り、悦に入って大陸支配に乗り出したら

所詮日本人なのでアメリカの知能に負けて大失敗して処刑

戦後江戸末期の状態に復したと広辞苑にも書いているし、戦後復興エロ

失敗した悪い鬼は怯んで最下級の刑務官になるなどして、最近まで幽閉されていたが、

最近になって遂に化けの皮をはがした暴走した。

2018-07-18

伝統について考える

増田トラバーの方々とかぬかしてるけど、長文でマウンティングかましてるのは全部俺だぞ。

それはいいとして、元増田の疑問や問題意識にはあまり響いてないようなので、少し切り口を変える。

今日伝統について考えてみたい。

伝統定義について、手元の国語辞典をひいてみた。

伝統

(1)系統血筋を受け伝える事。また、その系統血筋

(2)前代から受け継がれてきた先人の経験事業など、その社会風習となって、さらにまた後人に強い影響を与えるもの

様々な試論はあるが俺個人の考えでは、いくつかの文化政治的経済的な諸々の要因と分かち難いレベルで結びつき、民族という単位でまとめあげられたもの伝統と呼ばれるものの正体なのだと思っている。

便利だから続けているライフハックの類は習慣と呼ばれるが、こちらには民族的な色彩はない。

伝統はそうではない。伝統は自らの民族を語る上で欠かせない要素であり、我々を我々たらしめるものだ。

そして我々と彼らを分け隔て、区別する為のものでもある...というのがギリシャ時代からの人々の認識だ。

しかし、伝統とは漠然存在するものではない。あくま異文化と接触して、彼我の違いを知り、

その違いこそが我らの唯一無二の価値だと見出すことなしには伝統という名を冠す事ができない。

から、常に伝統危機に晒されている。文化戦争だ。負けたら我が民族権威が失墜する。

そんな政治的経済的文化的な理由で弄ばれてきたのが伝統の正体なんですよというのが輪島さん達の考え。

そこまでは元増田も正確に読み取ってるなと思ってる。

では何が元増田問題意識根底にあるかというと、

伝統は良くも悪くも我々の根幹に関わるものである」というある種の信念ではないかい?

というのも、実際にそういう人達スポイルされた悲しい伝統というもの古今東西あって、

その問題提起が例の本だったと思うんだよな。

バルトークという作曲家がいるのだが、彼は作曲家であると同時に民俗音楽研究家でもあった。

今にも失われそうな子守唄労働歌、踊り、気晴らしの遊びや口説き歌など膨大な歌と音楽舞踊を採譜した。

それらの蒐集とそれぞれの作品分析を通じて、民族音楽とは何ぞやというテーマを深く掘り下げ、

彼らという民族民族たらしめるもの特定し、伝統という名のバトンの受け渡しの大きなうねりに作曲家として、愛国者として身を投じようとした。

バルトーク作品群の中でも編曲作品は明らかにこうした政治的意図を持っている。

しかし、彼の音楽研究は結局の所、労作であるハンガリー民謡を読めば分かる通り、うまくいかなかった。

暗雲立ち込める祖国の中で閉塞感を感じ、積極的に行ってきた民謡蒐集からもやがて興味を失い、

音楽ひきこもりといえるような苦悩を臆面もなく吐くようになってしまう。

追い討ちをかけるように、愛国者バルトークハンガリーウヨからルーマニアサヨから批判される事態に陥る。

ではどうしてバルトーク晩年にはそのような態度になってしまったのだろうか?

それは元増田と同じ事を考えていたからだと思うんだよな。うん。

2018-07-17

修行で強い心が手に入るなど幻想プロスポーツ選手も体を壊したらKKO

プロスポーツ選手ぜんいんの晩年覚せい剤中毒なのは有利な立場で威張っていただけの自分の正体を知ってしまたか

2018-07-12

地球のレッスン

やっぱり地球人間には もうこりごり

スチュワートブランドのように船の上で晩年を迎えたい

2018-07-08

anond:20180708213428

パッと見でわかるような整形女って凄いぞ。

マジで晩年マイケル・ジャクソンみたいな感じ。

麻原彰晃は結局詐病じゃなかったね

麻原の症状は拘禁反応のもの拘禁反応のフリをしているだけかもしれないだろって言うかもしれないけど、死の恐怖に耐えながら10年以上も頭おかしいフリし続けるなんて人間には無理。糞尿垂れ流しで、実の娘の前でオナニーするんだぞ。10年以上続けるのは常人には無理。食べる飯は全部ミキサーで粉砕されるわけだ。味噌汁も魚もメロンも全部ミキサー。食欲が強い麻原が正常な精神状態で毎食そんなものを食べていられるか?無理だろそんなの。最初詐病だったかもしれないけど、晩年絶対病気だったよね。

麻原が詐病じゃなかったことは何より今回の死刑執行で決定的になった。延命や、心神喪失での無罪を狙っていたんだとしたら、高橋克也逮捕された時点で詐病やめて、新証言始めるでしょ。13人が死刑になった事件の首謀者が新証言始めたら、裁判は長引く。それだけ自分寿命も伸びる。麻原ならそのくらいはわかる。高橋克也逮捕された時点で、裁判が終わり次第自分死刑執行されることなんてわかりきっていたわけだ。詐病だとしたら、それでも詐病を続けるメリットって存在するか?弟子が逃げ回っている間は死刑執行されないわけだから詐病なんだったら弁護士と連絡取って弟子の逃亡状況くらい聞くでしょ。晩年の麻原はそんなこともできなくなったわけだ。詐病だとしたら、狡猾な麻原がここまで下手な立ち回りはしないだろう。麻原彰晃卑怯人間から、もし詐病だったとしたら、死刑台の前に立たされた瞬間にでも新証言を始めるだろう。無駄だとわかっていても最後のあがきをする。冷静に、何の抵抗も無しに刑を受け入れるような人間じゃない。サティアンの隠し部屋に900万持って隠れていたことを忘れたのか。

以上の理由から麻原彰晃は、最初詐病だったかもしれないが晩年は確実に精神疾患に罹っていた。だから死刑執行前の段階でもう1度正確な精神鑑定を行うべきだった。俺は麻原彰晃絶対死刑になるべきだと思っているし、麻原を心から憎んでいる。でも、明らかに精神疾患を患っているんだから精神鑑定をし、治療を施すべきだった。麻原みたいなゴミに1円でも多く税金が使われるのは個人的には絶対許せないが、そうするのが法治国家のあるべき姿だ。

江川紹子オウム事件真相は解明されていると言っているが、村井秀夫が刺殺され、麻原彰晃もとうとう証言をしなかったわけだから、まだまだ明らかになっていないことは多い。井上とか新実みたいな下っ端幹部証言なんていくら集めても意味がない。真相を解明する上では麻原か、最低でも村井証言絶対必要だった。麻原の判決文には「日本支配を企て、自らがオウム国家の王になることを望んだ」なんてそれっぽいことが書いてあるが、麻原はそんなことは一言も言っていないし、日本支配を企てていた確たる根拠も無い。全て根拠薄弱な憶測に過ぎない。それっぽい文章でっちあげているだけだ。何故根拠もないのに日本支配することを企てていた、なんて言えるのだろうか。他宗教暴力団などとの関係も明らかになっていない。解明できたはずの真相はいくらでもあった。

麻原彰晃という絶対に許せないテロリスト処刑されたことは心から喜ばしいことだ。でも、この状況は法治国家としては敗北じゃないのか?

さらに言うと、金曜日に麻原と弟子をあわせて7人同時に死刑執行した意味がわからない。共犯は同じ日に処刑するという原則があるようだが、ならば13人全員処刑するべきだ。絞首台のキャパティ的に13人は無理だとしても、だとしたら土日は死刑執行できないのに金曜日に7人執行した意味がわからない。土日挟んで月曜日にもう6人執行するつもりなんだろうか?月曜と火曜で2日連続で全員執行すればいいではないか。土日を挟む意味がわからない。理想的なのは、まずは麻原彰晃だけ死刑執行することだ。同時に弟子を殺すと、弟子までも神格化されてしまう。今回のように、地位が高かった弟子を選んで執行するなんてのは最悪だ。地位が高かった弟子が麻原と同じ日に死刑執行されたら、弟子達も神格化されるに決まっているだろう。麻原と一緒に殉教した地位が高い6人。オウム信者なら誰だって神格化するだろう。今回の執行の内容は最悪。今回のような形を取るしか無いやむを得ない事情があったとしても、麻原と地位が低かった6人をまず執行するべきだった。なんで地位が高い人間だけ選んで執行したんだろうか。

2018-07-02

紀貫之歩道自転車走行するという重罪を犯して晩年牢獄で過ごした

交通ルールは守りませう 

anond:20180702160222

2018-06-28

ビデで興奮する。

最近ビデで興奮するようになってきた、ビデってのはトイレウォッシュレットについてる{おしりじゃない方ヤツの事である。語弊を恐れずに言えば恐らくだが、女性器を洗浄する機能とみている。

何故ビデ(を使用する事)で興奮するのかというと、ビデを起動し温水が会陰部を刺激して気持ちが良い、さら実態としては会陰部だが、ビデ起動からの温水直撃は紛れもない事実であり、つまり私は実際に女性器洗浄を行っているのである、このロジックを元に推察すると、ビデ起動の最中、私の会陰部は確かに女性器となっているのだ。会陰部が女性器となっているという事は、前にぶら下げている男性器はでっかい陰核という事になる、または男性もついており女性もついている事になる。

次に手順について記しておく

まず最初にしなければならないのはアジャストであるウォッシュレットの{おしり}を使う際一度でキチンと肛門に当たった事があるだろうか、少なくとも私はない、腰を動かし心地良い場所を探すだろう。それと同じで会陰部にもキチンと当たるわけがないのである、その為のアジャストとなる。ではまず普通に{おしり}を使ってほしい。(温度や水圧も適時調整)噴射が始まる、そしたら良いポジションを探ってほしい。良い場所が見つかったら、そのまま無理のないよう座り直す、再度{おしり}が良いポジションにあるかを確認完了となる。

{おしりアジャスト必要性

中には普通にビデ起動からの微調整でおkという意見もあるだろう。確かにこれは間違ってはいない、しかしそれではただ会陰部に温水を当てているだけに他ならない。私が重要視しているのは温水と会陰部の邂逅である。つまり{決められた場所に会陰部があり決められた場所にビデ温水が噴射する}この事実重要なのであり、なんなら会陰部にブルーベリージャムが当てられても問題はない。ビデ温水は自分女性器洗浄を行う役目を知っている、ビデ温水が女性器以外を洗浄する事はない、ビデの気持ちになりビデを熟知する事が会陰部を女性器にする最大の近道となる。

そして晩年、彼は病院のベッドの上でこう言い残し75年の人生に幕を下ろした。

「決して手の届かない場所にいた君がこんなに近くにいたなんて思わなかった、0.01より近い君の隣で君を感じていよう」

2018-06-01

anond:20180601203336

NHK朝ドラ見なさいよ

晩年になると20代女優さんが平気で50代60代の役してて頭の体操になるよ

男は歳とるから母親より息子の方が歳とってみえたりして頭おかしくなるよ

2018-05-30

[]フランシスダッシュウッド

1708年イギリス貴族の家に生まれる。

早くに両親を亡くしたことから、若くして莫大な遺産を受け継ぐ。

放蕩生活を送る一方、サロン主催するなどして文化人交流し、政界にも人脈を作っていく。

その集大成が1753年につくられた「ヘル・ファイア・クラブ」と呼ばれる秘密結社で、

修道院を豪奢に改装した会場に、貴族政治家聖職者芸術家などが夜な夜な集まり

悪魔崇拝儀式を模して乱交に耽るなど、淫蕩頽廃の限りを尽くしていた。

皇太子の頃のジョージ三世、後のイギリス首相ジョン・ステュアートロンドン市長を務めたジョン・ウィルクス、

サンドイッチの由来ともなったサンドウィッチ伯爵や、かのベンジャミン・フランクリン参加者とされ、

政界の一大スキャンダルとしてバッシングを受けることとなった。

しかし、実際には酒を飲んで騒ぎながら政治を語りあうサロンであったともいう。

1762年にダッシュウッドが大蔵大臣指名されたことでクラブ解散となった。

晩年領地隠棲し、1781年に亡くなった。

2018-05-22

anond:20180522001551

離婚するなら早い方が良いですよ

この先何十年も苦痛を抱えたまま生活して、気が付いた時にはもう身動きも取れず、溜息付きながら晩年を過ごすんですか?

2018-05-11

anond:20180511012256

晩年まで朝鮮出兵を諦めなかったあたりからして、政治家と言うより戦術家だったのではないか

今の日本で言えばホリエモンとかひろゆきとかコインチェック社長みたいな

2018-05-03

[]ジョン・テイラー

1703年にイギリスで生まれた。

外科医ウィリアム・チェゼルデンのもとで学び、各国を回って眼科医としての名声を高めた。

しかし、実際にジョン・テイラーが得意だったのは己の功績を誇大に喧伝することだけで、

次第にその手腕は疑われ、非難嘲笑対象にすらなっていった。

彼の手術によって音楽家バッハは完全に失明し、合併症でまもなく死去したという。

また同じく音楽家ヘンデルも彼の手術を受けたが失敗し、翌年に亡くなっている。

1772年に死没。晩年には彼自身盲目だったという。

2018-05-01

anond:20180501235336

あなたがそうならそうなんじゃないですか?

私は離婚関連の仕事をしてますけど、晩年になるほど独身になりたくないと泣きつくのは決まって男性ですね。

2018-04-24

アルコール依存の親父を強制入院させた

先日親父を力づくでアルコール依存病院入院させた。

国立大学卒業している親父は知的で落ち着いた性格だ。

商売は得意ではなかったが学問愛する人だった。

家はそれほど裕福ではなかったが喧嘩はまったくない平和家族だった。

僕が結婚して、子どもが生まれ中古の一軒家を購入。

当時、賃貸暮らし商売がうまくいかなくなっていた親父とおふくろを呼んで同居することに

このときは親父がアルコール依存症なんて知らなかったし

アルコール依存がどんな病気かも全く知らなかった。

一緒に住みはじめて1年で親父は救急車で運ばれた

原因は栄養失調

しか栄養失調の原因は酒で食べ物を受け付けない状態になったことだ。

この時はじめてアルコール依存であると分かり

病院に通うことになる。

当時の親父はまだ理性的だったし

僕も仕事が忙しく子どもが生まれたばかりでアルコール依存について勉強することもなく

お袋にまかせていた。

今考えれば

この時にもっと真剣に向かい合うべきだったと思う。

親父は1年間、断酒した。

今なら分かるがこれはとても凄いことである

外来のみで断酒するのは非常に難易度の高い

しかし、知り合いの葬式で親父は飲酒をしてしまう。

それから病院に行かなくなる。

病院は頭がおかしいやつのあつまり

薬を飲むと精神おかしくなる」と批判が始まる

僕らも説得できず親父の意志にまかせることにした。

そこから

断酒→隠れて飲酒救急車

を繰り返した。

最初は信じていた家族

次第に疑うようになった

親父は自分アルコール依存ではなく

躁鬱病

鬱病を治すとアルコールコントロールできるといい始めた

徐々に上手く行かない全ての原因を自分ではなく

回りや環境転嫁しはじめた

アルコールの話をすると感情的になり

病院に行こうと諭すお袋に暴言を吐き

それを止めようとする僕に殴りかかってきた。

その時の記憶基本的には無くなるから

反省ができない

アルコール依存は最悪の病気だ。

徐々に親父が壊れていく

子どもが大きくなってきて

おかしな状況を感じはじめる。

僕は家族で腹を割って話し合う必要があると思った。

しかし、話合いは待ってくれと

色んな理由をつけて時期を伸ばされた。

ある日、トイレにワンカップが隠してあるのを見つけた

親父は今は断酒してるから信じろ!と怒っていたので

僕は腹が立ってその酒を捨てた。

次の日

親父がいなくなった。

おふくろに聞いたら

外で暮らす。といって出ていったそうだ。

近くの公園転々としながら

1日に2~3回お袋に会いに来た。

このままどうなるんだろう?

家族は疲れ切っており

いっそのこと失踪してくれたらいいのに

など僕は考えていた。

ある夜、事件が起きた

深夜1時ごろ

玄関のドアが開いて

浮浪者のようになった親父が入ってきた

そしてお袋の部屋に入っていった

その後、暴れだし暴言を吐き

椅子をひっくり返した

家の回りを発狂しながら

荒らし始めた

家族はみな気が動転して

命の危険を感じた。

僕はカギを締めて警察を呼ぼうとした。

それよりも先に近所の人が呼んだ。

しかし、警察が来たときには親父はいなくなっていた。

この日から親父は完全におかしくなった。

いきなり家に来て

警察を呼んだのはだれだ!ぶっころしてやる!」

と言ったと思ったら

孫に向かって

「かわい〜ね〜」

と言ったり。

凶器を持っている可能性が高かったので

僕は家のカギを締め切って入ってこれないようにした。

夜中にいきなりドアを開けようとする音や親父の怒鳴り声が聴こえる。

みんな寝れないし常に緊張状態にあった。

その時僕はもう

強制入院警察保護してもらうしかないと考えていた。

兄貴と親戚のおじさん(大阪から駆けつけた最強のアウトロー

を呼んで事情説明したら

おじさんが

「俺が話す、病院に連れていく準備しとけ」

と言って親父を探しに行った。

近くの公園に親父はい

それはもう僕の知ってる知的学問を愛する親父じゃなかった。

ただただ虚しかった。

家に連れて行くのは危険なので

車の中で親父を説得することになった。

おじちゃんがどんなに説得しても

親父は病院に行く事に納得しなかった。

話し合いの途中で何度も暴れて

逃げ出そうとした

兄貴とおじちゃんが話し合ってる間に

強制入院可能病院を探した

兄貴から電話があって

「もう限界かもしれない、病院に連れて行こう」

強制入院可能病院が見つかる。

暴れて危険場合警察を呼んで一緒にきてください。

と言われた。

説得してる駐車場に向かった。

親父を発狂して暴れているのを兄貴が車に押し込んでいた。

僕は警察電話した。

しかし、車に乗った親父は動けなくなっていた。

兄貴は180cm80kg以上でずっと格闘技をしてたゴリラのような男だ。

おじちゃん柔道二段で今はムエタイをしている。

親父は完全に固定されていた。

おじちゃん

「いいから出発しろ

と言ったので

警察事情説明病院に行くことになった。

病院までの30分は

僕が今までの人生経験した一番最悪の時間だった。

親父は僕達を罵倒し続けた。

僕は今まで親父に怒られたことがほとんどなかった。

自分仕事成功しはじめて

家族全員が幸せになる方法を考えて

家を買って

みんなで住んで

呪い言葉のような罵倒を聞きながら

病院まで運転する中、ずっと思い出してた。

そして親父はアルコール依存病棟入院した。

アルコール依存

本人だけじゃないくて

家族病気だ。

お袋は親父をかばって嘘をつくようになった

僕は気付けば親父とお袋を常に疑い、監視するようになった。

仲が良かった家族がどんどん崩れていった。

入院期間の三ヶ月

どうなっていくか分からない。

その間、みんなでアルコール依存について学び

親父と戦うのではなく

親父と共にアルコール依存と戦うための準備をしなければいけない。






【追記】

今回はじめて投稿してのですが、こんなに沢山ブックマークが付くとは思ってませんでした。

沢山のご意見ありがとうございます

入院させてしまったあと、言いようのない気持ちを一気に吐き出してしまったため

いろいろな部分を端折ってしまったり説明不足な部分があったり、

今後同じような状況になってしまった人が少しでも参考になるようなことを追記したいと思います



・嫁さんついて

嫁さんは僕には勿体無いくらい良い人です。元々両親とも仲が良く、同居の際もきちんと話し合って決定しました。

僕にとって彼女は全てを話せる妻であり、気の合う友人であり、優秀な仕事仲間であり、頼りになる母でもあります

同居はじめてアルコール依存問題以外にも色々な問題が起きましたが全て隠さずしっかり話し合って解決してきました。

逆に嫁さんに何かトラブルが起きたときは僕は全力で問題解決します。


・こどもについて

親父のアルコール依存最初、非常に分かりにくいものでした。

飲酒量が少なく、呑んでも顔にも出ず、性格も変わらないので

相当近くにいかないと酒を呑んでいることが分からない状態でした。

ただ、躁鬱があり、落ち込むときはひどかったのですが

孫達と遊ぶことで元気になりました。

孫のおかげで躁鬱はかなり良くなったと思います

親父がおかしくなってきたのはこの1年くらいでしたが

孫達には最後までその姿を見せることな病院に行きました。

もし良くなって帰ってきた時のために

僕らも子どもたちと親父の距離感説明については細心の注意を払ってました。





家族関係について

同居する理由ひとつとして

実家賃貸で、部屋のひとつを使って家業を行っていたのですが

両親は貯金年金もない状態で、雨漏りするようなボロボロ事務所だったので家業の売上もどんどん下がって

お金が貯まらないので広告テコ入れもできない、毎月仕送りをしないと家計が回らない状態でした。

そこで、解決策として

家を購入して家業事務所の内外装をリニューアル

きちんと広告計画を立てて売上を伸ばすことを考えました。

一緒に住めば仕送り必要なくなりみんなのお金も貯まります

実際3年間で家業の売上は1.5倍くらいまで回復しました。

親父は躁鬱を治すために何がいいかなと考え

僕のPCをあげました。

そして操作方法ネットの楽しさや

SNS登録したりしました。

晩年父は全く人との交流がなくなってしまったのですが

SNSで昔の友人と繋がったり

僕の友人と仲良くなったりで

とても充実した毎日になりつつありました。

アルコール依存がなければ

親父は本当に幸せ人生を送れたと思います

親父は僕が小学生の頃くらいか仕事が非常に忙しく

家に帰っても不機嫌で中学生になるまでほとんど会話らしい会話をしてない状況でした。

なので僕は小さいこ母親毎日遊んでいました。

悩みも母親相談することが多く

同居してから毎日何かしら話してます

アルコール依存についても最初は任せていましたが

状況は常に聞いていました。

お袋は親父のことをアルコール依存だと思ってませんでした。

親父がアルコール依存じゃないと理論的に説明するので

説得されていました。

おそらく共依存になっていたんだと思います

僕も当初アルコール依存知識がなかったので

お袋の話を信じて、通院せずに自分の力で治すことに納得してました。








アルコール依存という病気について

この1年間、沢山の本を読み、話を聞き、病院先生の話を聞きました。

アルコール依存絶対に治らない病気です。

最終的には死に至る進行形病気です。

最初は変化が見えにくく

進行が進むと嘘をつくようになり

約束をやぶり

攻撃的になります

親父のSNS投稿

最初は孫との幸せ生活で溢れています

後半は世の中や政治批判ばかりになりました。

家族の絆はどんどん壊れていきます

信じたいけど、本当かどうかわからない。

アルコール依存で一番やっかいな症状が

否認

です。

否認についてとても分かりやす記事

https://www.dansyu.jp/アスクヒューマンケア/

親父はこの否認がかなり強く出る傾向にありました。

頭が良い人なので、飲酒理由環境を作るための理論武装が上手でした。

家族は、この「否認」を見抜くのがとても難しい。

それは信頼関係が構築されていればいるほど見抜けません。

仮に見抜いて指摘をしても

アルコール依存の人は認めないし逆上し

敵対します。

抑圧すればするほど攻撃的になります

家族関係が悪くなる前が勝負です。

その時ならアルコール依存認識やす

通院する可能性が高いと思います

家族に対して不信感を抱く段階にくると

どんなに説得しても病院に行くことを拒みます

そうなると強制入院か底付きで死にかける(もしくは死ぬ)結末が待ってます

これは家族ダメージ半端ないので出来るだけ避けて欲しい。

力づくで病院につれていけない状況の人もいると思います

そういうとき警察に連絡して一緒に病院まで連れてきてもらってもいいと病院で言われました。

アルコール依存の後期は非常に危険状態です。

運転している最中に暴れて事故をおこす可能性も高いと思います。(運転している人も気が動転してますし)

このアルコール依存という地獄のような病気苦痛が少しでも和らぐ人たちが増えることを願います

2018-04-22

納骨の日

祖父が亡くなってしばらく経ち、骨をお墓に納める日が来た。

その前日、久しぶりに祖母の家に泊まることになった。

骨壺(結構重い)を抱えて運んだり、タクシーを呼んだり、雑用係だ。

祖父の部屋はまだ沢山の本が置いてあり、もう何年も使っていない一眼レフフィルムカメラも置いてあった。

祖父晩年認知症が進み、会話が怪しくなり、最後には私の顔もわからなくなっていた。

まり祖父母と会うこともなくなっていたが、祖母ケアしきれなくなり、施設に入ってからの方が合う頻度は増えていた。

半年に一度が2、3週に一度程度に)

とは言っても、会っても会話にならないため、少しでも喜んでもらおうと、好きだった飛行機模型写真集を買っていくことにした。

ふだん足を運ばない模型店に行って品を選ぶとき、会話の通じない孫や甥におもちゃを買っていく大人心理状態はこんな風だったのかと思ったりした。

写真集古本屋で二冊買った。

同じ写真集を二、三年以上繰り返し読んでいるので、一度に渡しても消化しきれないだろうと思って、まず一冊渡した。

祖父が喜んだかどうかは定かではないが、祖母は喜んで、祖父に孫からプレゼントについて話しかけていたようだ。

その後、ちょっと具合が悪そうだと聞いたあと、すぐに亡くなってしまった。

愛読していた写真集は棺に入れて燃やしてしまったが、次に渡そうと思っていた二冊目の写真集はまだ手元にある。

ちょっとネットを眺めたあと、早々に寝床に入った。

鮮明な夢を見た。

祖父リビングルーム食卓で談笑する夢だった。

髪は真っ白だったが、背筋が曲がる前のしゃきっとした姿だった。

とてもリアル自然だったので

(あれ?祖父はまだ死んでいなかったのか)

と夢の中で思った。

立ち上がり食卓を離れ、ガラス戸棚を除くと

祖父の死亡を知らせる印刷したはがきが数十枚重ねておいてあるのが見えた。

(やっぱり)

と思ったところで目が覚めた。

6時ころだった。

喪中はがき印刷を手伝って、何枚か分けてもらって使ったのでそのとき記憶があったのだろう。

2018-03-12

開かない本

書いた後で開かなくなったのか、初めから開かないものだったのか、中身は何が書いてあるのか、何も書いていないのか、開ける手段があるのか、開けずに書いたり読んだりする手段存在しているのか、はたまたこの本の中身にこの本を開ける方法が書いてあるとかないとか、いつ誰が何の目的で書いたのだとか、一切は知られていない。

これはあくまで筆者の推測である


スウェーデンまれアイルランド育ちのウィリアムスは、著書を人に読まれることを好まないことで有名な小説家だ。1980年代初頭、その独特の作風で有名になった。

アブハズ語で書かれた彼の代表作”Аҧсуа бызшәа”は、世界で数人しか読解できるもの存在しないと言われている。故に氏に対する評価は未知である。そんな彼が晩年に遺したと言われているのがこの開かない本だ。

彼の意に反して、この開かない本はベストセラーとなり、買う人はみな、中身に何が書いてあるのか詮索するのに夢中になった。仮にそのような趣向に飽きたとしても、簡易的なテレビ台やらペーパーウェイトやら、この本の使い道は無数にある。むしろそうした使い道の方が、この本には向いていると言える。

そうして何十万部と売れたうちの一つが、今私の手元にあるこの本である。という推測だ。

この本は1985年には絶版となったが、ブーム最中に突如絶版となった理由は知られていない。その出版工程も謎に包まれたままだ。ともすると、私の持っているこの本と隣の家でテレビ台として活躍しているあの本とは、別の本である可能性が高い。開けられない状態では、中身が同じだと保証することも難しい。

ほとぼりが過ぎ去った2000年台初頭、とある起業家五十嵐甫が、開かない本の価値に目をつけ、開かない本がどのように作られたのか、開かない本を開けようとプロジェクトを立ち上げた。

五十嵐はまず彼の過去作に目をつけた。彼がアブハズ語で書いた、世界に読める人間が数人しかいないというАҧсуа бызшәаが、実は本の開け方を示した暗号となっているという説が、最も有力であったためだ。

次に有力だったのが、ある開かない本が別の開かない本と上巻下巻の対になっており二つ揃って初めて開くという説だが、筆者も五十嵐も、流石のウィリアムスでもそこまで意地が悪くないことを祈りたい。


五十嵐が開け方を発見していたら、私はこの開かない本を前に時間を持て余していないだろう。結局、開け方は発見されなかったのだ。私がこれを本棚しまったら、これが開かない本だということを、もはや誰も気にしなくなるだろう。そうして本としての価値を忘れられた時、この本はちゃっかり開くような気もしている。

2018-03-11

初七日

明日わんこ初七日である

人生の半分くらいを共に過ごしたわんこだ。

ペット業界が拡大し、ペットと呼ばれる子たちの地位確立してきたとはいえ、世間はまだまだ「ペット」だ。

わんこにゃんこ、鳥さんや亀さん、うさぎさんや蛇さんに、蜘蛛さんやハムスターといった(他にもまだまだ)子たちが世間からみんな「○○さんちの家族」として見なされてるとはいえない。

ツイッターに書けばいいのかもしれないし、匿名ではないブログに書けばいいのかもしれない。

でもなんだかそんな気分になれないのは、やっぱりそういう方々の目に触れてやいのやいのと言われるのが嫌だからだろうなぁと思う。

初七日明日に控えて、気分は少し落ち着いてきた。

でも、それは現実を受け入れたとかではなく、上手に上手に現実逃避しているかなのだと思う。

生後二ヶ月弱で我が家にやってきたダックスさんは、やたらとお鼻と胴が長い、手足の大きな女の子だ。

途中からメキメキとぷくぷく育っていったのだが、これは甘やかしたのが悪かった。

とても柔らかい体つきだったし、小さな頃にヘルニアの手術をしているから抱き上げるときは慎重だった。

彼女植物アレルギーがあるので、おうちでゆったりと過ごす温室わんこだ。

朝起きて、ごはんを食べ、運動がてらにわたしの脱いだ靴下をあちらこちらに運んで隠すお仕事をする。

それが終わると夏は涼しいところ、冬はストーブの前に陣取りいびきかいて寝て、暇になるとちょこちょこと短い足を動かしてわたしのところに来ては抱っこをねだる、甘えんぼさんだった。

彼女はとてもやんちゃなのだ

病院帰りには必ず首輪抜けをされた。

調整しても調整しても首輪抜けをするので、なにかコツがあったのかもしれない。

窮屈なリードから解き放たれた彼女は実に楽しそうに駆け出していく。

だけど、名前を呼ぶとすぐに振り向いて、近づいてきてみたり遠のいてみたりと、わたしたちを焦らして弄ぶのだ。

これは小さい頃の話で、晩年は耳も聞こえなかったし、目も見えてはいなかった。

ヘルニア、目、耳、とさまざまなところが悪かったのだけど、彼女はとても頑張り屋さんな子なので、手術の麻酔が覚めると同時にわたしたちを探してすぐさま立ち上がる!なんてこともやってのけた。

それがとても頼もしかった。

亡くなる前日、彼女の息は既に浅く、苦しそうだった。

毎日わたしの隣で寝ているため、わたしもまたそんな苦しそうな姿を見守っていた。見守るしかなかった。

彼女プライドが高いわんこなので、足腰が立たなくなっても自らトイレに向かおうとした。その彼女が、トイレにも行けず、その場で排便したという事実あの日わたしにある程度の覚悟を持たせたとおもう。

明け方の4時頃、1度彼女は立ち上がり、大きく息を吸って倒れ込んだ。

飛び起きたわたし彼女を抱き上げて、呼吸を確認した。

見れば、ぷにっとした黒い下唇にかかるように舌がちろりと出ていた。

これはまずいと思ったわたしは何を考えたのか、口を開けて、その舌の位置を整えた。

なにがどうなったのか分からないけれど、彼女はいきなり深く息を吸って目を覚ました。

しかしたら気道確保になったのかな?なんて今になって思う。

その時点で時刻はもう朝の五時だった。

彼女は相変わらず呼吸が苦しそうに横たわっていた。

急変したのは朝の八時半で、いきなり噦くでもなく嘔吐したことわたしパニックになった。

わたしの動揺のせいか、出勤前の妹が仕事を休んでついていてくれた。

九時を過ぎたあたりで、わんこが短い痙攣を起こした。収まったあとで、上半身だけ起こすように抱き上げると、わんこはまた大きく息を吸った。あれだけ浅かった呼吸が深く穏やかなものに変わっていた。あれだけパニくっていながら、死に向かう彼女を見てわたしの頭はいやに冷静だった。

大きく吸った息を吐き出して、彼女の体は力なくぐだっとなった。抱き上げて息がないのは分かっていたけど、昨晩のようにわたしは口を開けてぺろんと出た舌の位置を整えた。

しかしたら昨夜のように吹き返すかもしれないと思ったかもしれないし、もうちゃんと分かっていたのかもしれない。

丸1日苦しんだ彼女最期は穏やかだったように思う。

家人意向で、火葬はその日の夕方依頼した。

まりくそばにいると、タイミングを見失うだろうという言葉反論ができなかった。

火葬車で迎えにきてくれて、家の前で焼いてもらう。そうして、お骨上ができて仮位牌も頂けるという業者に半べそ状態電話した。

確か、正午頃に電話をかけたのだが、向かうのが夕方になるという。

忙しいということはそれだけみんな家族を失ってるひとがいるのだなと思った。

火葬車が来る時間までは、体を拭いたり爪を切ったり、毛をカットしたりした。

生前どうしても切らせてくれない毛玉が取れて、よかったとおもった。

アイスノンで背中とおなかと頭を冷やすわんこの横に寝そべって2時間くらいわたしもお昼寝をした。

お前、そんな状況でよく寝れるなと思うかもしれないけど、眠れない日が続いていた上に前日は一睡もしてなかったので寝れたのだ。

わんこと手を繋いで寝たのだけど、どうしてもおなかに置いてあるアイスノンが冷たくて手を引っ込める、はっと気づいてまた手を伸ばす。そんなことを繰り返した。

火葬車がきて彼女を炉に入れた。

業者のおじさんが何だかやたらと明るいひとだったのだが、多分、それくらいの方がいいのかもしれない。

お線香を上げさせてもらって、扉が閉まるのを見た。

1時間から2時間くらいかかるから、家の中で待っていてくれと言われたのだが、なかなかそうもできなかった。

ただ、おじさんが火の調整か確認のために、炉の小窓を開けたときに、燃え盛る火の真ん中に横たわるわんこの姿と肉の焼ける匂いが今もまだ忘れられない。

ちょうど他のひとか死角になっていたからそれを見たのはわたしだけだ。

後ろにわたしがいると気付かず、小窓を開けてしまったらしいおじさんが少し申し訳なさそうな、労るような表情をしていたのが印象的だった。

そのあと家の中で何をするわけでもなく待っていると予定より早く、おじさんがインターホンを鳴らした。

お骨、直接拾うかい

本当は頭から順にケースに入れて持ってきてもらい、玄関先で、というのがスタンダードらしいのだが、炉から直接拾わせてもらうことになった。

お骨は綺麗に並べられていて、おじさんが部位ごとに、これはアバラで、これは喉仏で、と教えてくれた。

お尻のほうから拾ってね、という言葉ならい、母と妹が拾う中で、わたし最後頭蓋骨と喉仏を任された。

頭蓋骨も喉仏も綺麗に形を保っていた。

頭蓋骨はすくうように拾ってと言われたのだが、最後最後、みんながわたしらしいと笑ってくれたが頭蓋骨がちょっぴり崩れてしまった。

思ったよりもカサカサでサラサラだったのだ。これがあの子の頭なのかとちがう方向に意識飛ばししまったのが原因だろうと思う。箸使いは上手い方なのに……。

最後に骨壷に喉仏をおさめて、カバーをかけてもらった。

生前服を嫌がったわんこなのに、亡くなってからやたらときらびやかな服を着ているみたいでなんだか不思議だった。

お位牌におじさんの手書き名前享年が書いてあった。

きっと火葬の間に書いてくれたのだろうと思った。

話は変わるのだが、わたしペット火葬業者特に移動式火葬車を持っている業者には不信感があった。

わんこが亡くなってホームページを閲覧し火葬業者を探しているとき不安は凄まじく胸の中をぐるぐるしていた。

けれど、わたしは最終的に直感業者を選んでしまった。口コミもなく、高くもなく、これといって特筆すべきところのない業者だったのだが、ここを選んでよかったと思えるところに当たってよかったとおもう。

今、明日初七日を前にして、これを書こうとおもったのは少しでも落ちつけるだろうかと思ったからだ。

わたしは、わんこの死後2日ほどで現実逃避に走った。

ストーブの前に彼女がいないこと、眠るとき隣に彼女がいないこと。日常すべてに違和感がつきまとう。

所謂オタクというもの二次創作にも手を出しているわたしにとってツイッターは都合のいい逃げ場所だ。黙っていてもぞろぞろと情報は流れてくるし、リプがくればリプればいい。恰好の逃げ場所だ。ちがいない。

アジタケーサカンバリン的な死生観を持つわたしにとって、死後の世界想像は難儀だ。

虹の橋お話がとても素敵だ、だからこれを信じて生きていこうと思ったところで、理屈っぽいわたしは「飼い主って……え、じゃあ順番的におかんが亡くなったらおかんわんこといっしょに行っちゃうの?わたしは?」などと思ったりするので、こういう時ほんとうに自分性格を憎らしく思う。

ただ、昔、にちゃんねるで見たお話を思い出した。

VIPだったのかオカ板だったのか思い出せないのだけど、死後案内場所お話だ。

ひとは死後、自分が信じた、あるいは自分の中で印象に残っていた死生観世界に行くらしい。

スレ主は確か、宗教だとか天国地獄だとか、そういうものではなく、なにかのアニメだか漫画だかで見た「死後案内場所」のようなところにたどり着くんだとか。

そこで、これからどうします?と自分過去を遡ったりしながら今後の身の振り方(?)を決めるらしいけれど、わたしわんこはここにたどり着いていたらよいなぁと思った。

「さて、ここからどうする?」

天国に行く?」

虹の橋に行ってみる?」

「それとも何かにまれ変わってみる?」

「このままゆっくり穏やかに眠り続けてもいいよ」

自ら地獄に行きたがることはそうそうないとは思うのだけど、でもこうして選択肢があればそれがいいんじゃないかなとおもう。

うちのわんこはなにを選ぶだろう。なにを選んだんだろう。

残された人間はそうして自己満足で生きていくしかできないのだ。

辛い、悲しい、なにより寂しい。

これはすべてわたし感情で、わたし傲慢だとおもう。

それでも、どうにか生きていくためにはこの感情を抱えるにしても乗り越えるにしても何らかのきっかけが必要なのだ

これからわたし自己満足彼女に水をあげ続けるし、大好きだったシーザービーフ(まぐろ入り)を供え続けるだろう。納骨を合同にするか個別にするか不毛な悩みに頭を抱えるだろうし、毎日毎日飽きもせず話かけて、飽きもせず写真を取り替えるのだろうと思う。

わたしの一番はこれまでもこれからも変わらず、彼女だけだ。

辛い記憶を振り返りたくはないけれど、それでも毎日毎日思い出していないと記憶が朧気になってしまうことは祖母の亡き後思い知っている。

なんだか、とりとめなく支離滅裂な長文になってしまったけど、残しておきたかったのです。

断滅論の権化であるわたしが言っても違和感なのかもしれないけれど、それでもどうか、彼女が死後案内場所自分が「このコースいいな!これにしよっかな!」と思えるところを選べますように。

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