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はてなキーワード: 地動説とは

2020-08-29

anond:20200829091224

結局天動説が信じられている時代地動説を唱えれば袋叩きに合うってことだね。

SNSインテリよりも大衆権威を与えるという点においてかつて宗教が担っていた地位を占めているように思う。

2020-08-27

anond:20200827110103

まさに、ここまでくると、天動説地動説、どちらがどちらを引っ張っているのか?という問題で答えがないから、避難したい。

2020-08-10

anond:20200810212149

天文学が「考え」だけで成立してる研究ってどんなんだろ。

プトレマイオスモデルだって莫大な観察と議論の上に成り立ってるし、それを否定するのに千年以上かかってるわけで。

(むしろそれ以前の哲学者たちは地動説派だった)

2020-06-09

anond:20200609135011

から世界的に見て、天動説が多数説だし、実際多くの国で違法化されてるよね?
この場合em菌的なトンデモ主張にあたるのは「地動説」論だよね???通説に反してるわけだから
(コペルニクス以前感)

2020-02-26

anond:20200226055309

おかねや環境資源など

まぁお金で手に入るもの無限に用意できるとしても

天動説地動説など

子供教育常識のほうが間違う可能性まで考慮したうえで

親が子供幸せを決めることは難しいが

それぞれの教育の初歩ぐらいは教えておいたほうが良い

20歳超えるまで性教育をまったくしない

父親ちんこ母親まんこ

みせないようにしたとか

行き過ぎふつう

ちんこはちちおやの

まんこ母親のを見るのが常識

2020-02-24

実は〇〇だった

古くは地動説天動説みたいな話面白い

悩みごとがあることが原因で悩むのではなく、実は悩む自分いるから悩みごとが見つけやすいとか。

2020-02-20

深く考えずに鵜呑みにしてる地動説論者は、よく勉強している天動説論者に簡単論破されてしまう。

ネット上のバトルを端から見てると、地動説のほうが正しそうに思えたりする。

2019-11-28

進化論キリスト教は両立するか

 「アメリカ人進化論を信じてない奴がこんなに沢山いるんだぜ!遅れてるよなあプークスクス(´艸`*)」みたいな話を聞くけど、宗教的観点から見ると進化論を受け入れるか否かってそんなに単純な話ではない。少なくとも地動説とかより遥かにキリスト教教義の中枢を揺るがす重要問題だよ。

 というのもキリスト教ってイエスを救い主だと信じる宗教なんだけど、なぜ救い主なのかというとそれは私達に原罪があるから。そしてイエス十字架の死によって、その原罪が贖われるから

「神は、実に、そのひとり子とお与えになったほどに、世を愛された。それは、御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠いのちを持つためであるヨハネ福音書3:16)」

 ではその原罪はどこから来たのかというと、創成期に記されている通りエヴァアダムサタンに神との約束に背いたからなんだよね。

 もちろん、今日聖書に書かれた内容を字義通りに信じることはむつかしい。例えばモーセが海を割ったとか、ヨナが巨大な魚に飲み込まれたとか、イエス病人を癒やしたとか、こういう話はまるで荒唐無稽なお伽噺だ。

 しかし、もしアダムエヴァ実在せず、失楽園も実際に起こったことではなかったとしたら、世の罪を購う救世主であるというイエス存在無意味となり、キリスト教信仰もまた虚しいものになってしまう。

 神は進化というプロセスを経て生物人間創造されたという折衷説は一見すると「いい線いってる」ように思われるが、進化の原因は自然淘汰から、そうなるとアダムの罪とは無関係に「死」が世界存在していたことになる。やはり人類の身代わりに罪を背負ったキリストの死は無意味となり、キリスト教信仰根本から崩壊する。そもそも聖書には、神は「おのおのその種類にしたがって」生物創造したとくどいくらいに強調しているわけで、この中途半端な考えは聖書記述と真っ向から対立している。

 まあ、こういう話は既に神学者の間でさんざん議論されてきたことだとは思うけど、一つ言えることは、進化論を受け入れた理由が「みんなそう言ってるから!それが常識でしょ!」で思考停止している人は宗教のことを真剣に考えた上で創造説の立場をとる人を笑えないんじゃないかな、という事です。前者は、知識は持っているが、全然考えていない。本当に自分の頭で考えているのは、後者の方ですから

2019-11-17

哲学黄昏

http://www.phys.cs.is.nagoya-u.ac.jp/~tanimura/time/note.html

サーバメンテナンスみえないっぽいけどめちゃくちゃ面白いね。いまさらだけど。

谷村先生は本当にまじめな先生だな、と思う。

メタな話をすれば、哲学者側は最先端物理学者との対談で自分の論に箔をつけて業績にできるめったとないチャンスで、対する物理学者側は正直こんな本が出ても業績としてたいして価値があるわけでもなく、無難お茶を濁しても誰も何も言わないだろう状況へこのガチファイターの投入である。(ほめてる)

流血覚悟、魂をこめた渾身の右ストレート

そしてこの叫びである

https://twitter.com/tani6s/status/1193542355975950336

https://twitter.com/tani6s/status/1193542463169810432

谷村先生人間味が感じられるツイートお気に入りである

心の哲学が何を問題にしているのか、とか全然興味なかったけど、おかげさまで浅いなりに理解できたし興味も出てきた。谷村先生が頑張らなければひっそりと専門書の棚に気付かれることなく置かれてるだけだったかもしれない本だったかもしれず、関係者谷村先生感謝しすぎてもしすぎることはないんじゃなかろうか。

ところで谷村先生が指摘した部分というのは、理系研究者人間であれば多かれ少なかれ感じていたが言語化するのがためらわれた結果、これまで表面に上ってくることのなかった問題のように感じる。

学生の頃、人文系研究室卒論科学研究室卒論とを同じ発表会で見る機会があったけど、科学系の教授の人文系の発表への容赦ないツッコミを思い出した。

用語定義しろ立論にしろ結論を導く論理しろ君たちあまりに緩すぎないか?というのが共通する雰囲気だと思う。

科学が発達していなかった昔、哲学科学がまだ扱えない領域を先んじて論理の力で掘り起こす役目を担っていたと個人的には思う。(谷村先生の期待もこういうものではなかっただろうか。)

だが色彩論でのゲーテニュートン批判とか、時間論でのベルクソンアインシュタイン批判とか、科学哲学に先行して真理を掘り起こした結果、取り残された哲学が宙ぶらりんのままになる状態19世紀以降は顕著になってきたんじゃねえかと思う。まあ哲学のことはよくわからんのでアレだが。

ベルクソンアインシュタイン対話翻訳ネットで拾って読んでみたが、ベルクソンが長く理解しにくい文章で考えを述べる一方、アインシュタインは明晰で短い文章でバッサリと切っていて既視感がすごい(語彙力)

今、AIとか脳科学研究が進んで、心に関する諸問題哲学ではなく、科学俎上で実際に解決される可能性が高くなってきたと思われる。

意識ハードプロブレムとかも、哲学からの「まだまだ科学に扱えないものがあるんだよ!!」という断末魔叫びのようにも感じられる。

だが科学は進む。

意識問題も脳というハードウェア上に構築されたニューラルネットワーク状態空間として科学領域に取り込まれ哲学領域はまた一歩小さくなっていくのだ。

地動説人間の住む地球宇宙の中心ではなくなったように、進化論人間が神に作られた特別存在ではないことがわかったように、有機物生命作用なしに合成できることがわかったように、意識もまた特別な何かではなく、我々自身哲学的ゾンビなのだということを認めざるを得ない瞬間が必ずくるだろう。

キリスト教根底にある思想最後まで魂の特別性に拘泥するかもしれないが仏教だと五蘊皆空と思えばどうということもない気もする。

まとまらず終わる。

2019-11-03

学知と異端

17世紀コペルニクス地動説を支持したガリレオ・ガリレイカトリック教会から裁判にかけられて2回有罪となり、今後地動説を唱えないことを約束させられ、著書は出版できなくなった。しかし後世の検証ではどちらが正しくどちらが誤っていたかは明らかである

このように、大勢人間が唱えるからと言って、それが学説として本当に正しいのかどうかはあとになってみないとわからないことで、この世は溢れている。それなのに現代の人々も自説とは異なる主張をする人々を愚か者呼ばわりし、罵倒する。

近年、GOSMIAではなくGSOMIAの方が正しいと高をくくって冷笑的態度を決め込む人々も、後世から裁かれる側の人間に属していることに気づかない。

誰がどのように騒ごうとも真理は変わらない。

GSOMIA誤記であり、正しくはGOSMIAである

2019-11-01

anond:20191101183912

地動説を唱えると処刑される時代に迷い込むとかそういう怖さがある

2019-10-30

anond:20191030194823

ちょっと信じられないが地動説の内容を知った上で天動説採用しているならまあいいかなと思う

生活してて地動説を知るチャンスがない者がいるとしたらそれは虐待だな

救済してやらないといけない

地動説はいらない

地球太陽のまわりをまわっていることをしって、日常生活でなにか役にたつことがあるのだろうか。

きっとない。単なるトリビアだ。

「そんなことはないよ、日常生活だって役にたつことが、こんなにたくさんあるよ」と、かおをまっかにして反論するひともおおいだろう。

でも、そうやっていちいちつっかかってくるところが、地動説にこだわるひとのきもちわるいところだ。

地動説日常生活の役にたたない、専門家以外にとってはただ知識をひけらかすための道具でしかないのは、自明のことだ。

から、すくなくとも義務教育では、地球からみた、みかけの天体うごきを説明するだけで十分だ。

地動説専門家大学で専攻しているひとだけがしればいい。

みんなががんばって地動説勉強しても、役だてられるのは一部のひとだけなんだから、その一部のひとにまかせるのが一番だ。

こういう日常生活にちっとも役にたたないムダ知識学校でみんなにおしえるひまがあったら、契約書のよみかたとか、プログラミングとか、もっと実用的なことをおしえるべきだ。

2019-10-13

I'm new here.

新しいスタートを切るには、それにふさわしい出で立ちがある。

ある人にとっては、それはスタンスミススニーカーかもしれない。あるいは、ウェストウッドのスーツ羽織るかもしれない。

僕にとって、それはダークグリーンネクタイだった。いつものジャケット白いシャツに、そのネクタイを合わせた。

先日、量販店に失くしてしまったネクタイピンを買いに行った。ふと、隣の棚にあったそのダークグリーンネクタイが目に止まった。ネクタイなんて、一週間毎日違うものをつけられるくらいの数は持っていたけれど、何故かその色に惹かれて、あまり深く考えずにレジに運んだ。

思い返してみると、グリーンネクタイを締めた人に出会たことなんてあるのだろうか? 

アメリカ歴代大統領はしばしば赤のネクタイをつけて演説をしているし、就職活動の時にはブルーにした方が印象がいい、とか言われている。グリーンなんて、話にも上がらない。印象が薄い、極めて匿名的な色なのかもしれない。

持っているどの色のシャツに合わせると良いかを考えていた。青のシャツに合わせると、色が多すぎて良くないだろうかと、彼女意見を求めた。すると、彼女はこう言った。

スリリンみたいな色だね」

スリリン?」

ハリー・ポッターに出てくる、魔法使いのチームみたいなやつ。知らない? 彼らのカラーは緑なの。」

ハリー・ポッター魔法使い学校お話だ。いくつかのチームに分かれていて、その中でも悪の魔法使いを多く輩出しているのが、そのスリリンだ。

「知ってるよ。スリリンって、悪い魔法使いとかの集まりでしょ」

そう言うと、彼女聴診器を当てられるときみたいに、深く息を吐いた。

「わかってないな。でも、確かに悪役のボススリリン出身魔法使いだし、主人公ハリーたちに意地悪するのもスリリンの生徒だけど。きっと、スリリン魔法使いたちが、私達ニンゲン世界に混ざって何か悪いことを企む時、そういう色のネクタイを締めるのかもしれない」

「だったら、悪い魔法使いでいいじゃないか

「ある見方ではそうだけど、別の観点だと、それは違うよ。今度、一緒に映画観よう?」

映画を観ることは賛成だった。実を言うと、7作ある映画の内、半分くらいは観ていない。

「そのネクタイならば、スーツは紺色でも黒でもいいと思う。グレーのスーツは持ってないものね」

「グレーは持ってない。もうそろそろ、一着ぐらいグレーのスーツも持っててもいい年齢だね」

うそれなりの年齢になった。人によっては結婚して、子供がいたりする年齢だ。青臭い夢ばかりを抱えてはいられない。そういう頃合いなのだ

シャツネクタイの色を、順番に合わせながら、彼女はつぶやいた。

スリリンはね、自分プリンシプルみたいなものを、貫き通す人たちが入るチームなんだと思う」

プリンシプル?」

自分主義ってことかな」

主義意志従順だし、目的のためならば、手段を選ばない。例え誰かを陥れたとしても。それは勇気とか、賢さとか、優しさとも異なるものなのよ」

地動説を主張したコペルニクスガリレオも、神に造られた世界を信じられていた時代にとっては、とてつもない悪だったかもしれない。善い行いをし続ければ、死後に天国に行けると信じ切っている人たちによって、秩序が守られていたのだから。それを根本から崩してしまおうとする彼らは、悪の権化と捉えられても仕方がなかった。でも、彼らのおかげで、今の私達の世界がある」

「ね、あなたは、あなた主義を貫いて。それがどういう意味であれ」

信号は赤だった。

バイパスに繋がる交差点信号は、ひどく待たされる。クラクションを鳴らそうとも、エンジンをやたらと吹かそうとも、早く進めるわけじゃない。停止線の手前で、待ち続けなければならない。その時が来るまで。

カーステレオからは、ギル・スコット・ヘロンの”I’m new here”が流れていた。

“I'm new here.”

「ここに来るのは初めてで、不慣れなんだ」という意味だ。

僕は初めてこのタイトルを読んだ時、こう訳した。

「ここで、僕は新しく或る。」

これは言うまでもなく誤訳だ。

掴みどころの無いメロディーに合わせて、僕は口ずさんだ。

信号が青に変わるのを待った。

No matter how far wrong you’ve gone

You can always turn around.

Turn around, turn around, turn around...

例えどれだけ遠く、そして間違えた場所にたどりついても、

はいだってやり直すことができる。

引き返して、やり直して、新しく始めるのさ。

Turn around, turn around, turn around...

信号が青になったら、アクセルを踏み込もう。そして大きな流れの中に飛び込もう。胸の真ん中に、深い緑を忍ばせて。プリンシプル象徴のような、深い緑を。

2019-10-11

会話力のないオタクは詰んでいる

人間である以上、大抵の人は会話をはじめとするコミュニケーションが大好きだと思う。社会的動物ってそういうものだ。コミュニケーションへの欲求はみんな持っているだろう。

ただこの欲求を叶えることに向いていない人種存在する。オタクだ。もっとしっかり言えば、会話力のないオタクである

オタクには会話力のない人物がどうにも多い。これは会話力のない人たちが面白くないという理由で避けられ続けた結果、オタクという社会的カーストの下の層に落ちる傾向があるからではなかろうか。ちなみに「オタクは下ではない」という方がいたら申し訳ないが、オタクである私はこのことを地動説と同じくらいは信じている。まぁこの話や理由の推測は本題ではない。

問題はそうした会話力のないオタクは詰んでいるという話だ。

こういった人たちも人間である以上コミュニケーション欲は当然持っていても不思議ではない。ただコミュニケーションを取ろうにも彼らはあまりにも会話が下手なのだ

『まったく面白くないセンス』で『こちらがまったく知らない話題』を使い『相手気持ちを考える能力無し』のまま話すのだ。どうだろう。こう書くと信じられない状況だが、こういった人に心当たりはないだろうか。

前提として、コミュニケーション双方向のものだ。互いに伝えたいことを伝え、互いに楽しむ。そうして互いに関係を築きたいと思ったときにはじめて友達成るわけだ。これは社会的動物として、成長の中で当然知ることなのだ。しかもこれは本当に前提であって、これを知った上でコミュニケーション能力を高めて実際に人と関係を築くことまで含めて社会的動物本能である

しかし会話力のないオタクにはその前提の知識すらない。こっちがまったく面白くないと思っていても、勝手に笑って楽しんでいる。当然、能力の方も持っていない。こっちがまったく理解できていないのに、それを察することなくヘタクソな話を恥ずかし気もなく続ける。

そのうえ問題なのがそういったオタクであってもコミュニケーション欲だけはあるのだ。だから話せる機会があると思うや否やベラベラ喋りだす。その行動で一層人から避けられることになるのも理解せず。

地獄のような状況である。欲に能力が追い付いていない。欲求とそれを叶える要素が見合ってないことで社会的動物機能バグっていると言ってもいい。下手したら一生この状態から抜け出せないだろう。

せめて知識さえあれば、もっと会話の仕方を考えるだろう。そうして試行錯誤していれば能力は身に着く。当然能力が身に着けば自然と話し相手も出来て欲求も満たせる。

だがそういった知識根付かせられるのは多くの場合幼少期だけなのだ大人になってからこういう根本的な知識を身に着けることはあまりにも難しい。それにこういった間違いは友人などの近しい人間から指摘を受けて気付くことが自然だろうが、そもそも彼らにとって近しい人は少なすぎる。

から、詰んでいるのだ。終わりである。会話力のないオタクは詰んでいる。

オタクに限った話ではないのでは」と思う人もいるだろうが、まぁそれはその通りだろう。ただ私の思い当たる限りこういう人はオタクしかいないし、オタクほど社会的行動を軽視しがちな層もいない(だから前述した知識がつかない)。やはりこのことはオタクにこそ言いたいのだ。

会話力のないオタクは詰んでいる。でも意識さえすれば抜け出せる可能性は見えてくるのだ。私もかつてそうだったが今は友人もいる。だから詰んでいる状態から抜け出して欲しい。

2019-09-15

anond:20190914145556

わかります。  よくいますもんね。「地動説科学的に証明されている」とか「地動説には科学的根拠がある」とかいう連中が。 連中ったら......

2019-06-24

anond:20190620145908

多くの反差別運動人権運動は、個別具体的な問題関心からはじまる。

それは身近な差別だったり理不尽だったり、あるいはテレビで目にした遠い国の不正義だったり、そういうのに対して「これっておかしくね?」って声を上げるのがはじまりだ。

はじまりはそれでいい。でも、いずれ個別具体的な問題関心だけだと行き詰まるときが来る。それは不正義を体系立てて説明することが必要から

そのとき一般的原理原則必要になる。でも、ここでつまづく人は想像以上に多い。

たとえば、「変更困難な属性に基づく差別はよくない」というより一般的原則ではなく、「女性不利益をもたらすのは女性差別だ」のような抽象度が低く適用範囲も狭い原則採用してしまい、それに囚われてより広い「反差別」という視野を見失う人がかなりの数でいる。

その原則が常に間違っているわけではない。天動説地動説のようなものだ。通常の日常生活を送り農作物を収穫し祭りを挙行する上で「固定された地面の上を天が動いてるんだ」と思っていても何の支障もない。同様に、女性差別にみちみちた社会で、女性の多くが差別を受ける社会で、「女性不利益をもたらすのは女性差別だ」と確信して行動しても、特に不都合はないだろう。概ねそれは反差別一般原則と符合する結果が得られるのだから

でも、本当に天体運動について探究しよう、より精密な暦を作ろう、と思ったら、天動説ではなく地動説に基づかないと不具合が出る。それと同じように、より厳密な正義を求めだしたら、たとえばトランス女性女性専用スペースに入ってよいか、とか、助産師国家資格女性に限られているのは差別か、といった論点に向き合う必要が出てくる。そうなったら、かつて天動説が精密な天体運行をうまく説明できなくなって破綻したように、「女性不利益をもたらすのは女性差別だ」みたいな雑な理解破綻せざるを得ない。

私は一度地動説を知ってしまったので、天動説に戻ることはできない。

でも、一度天動説に目覚めてしまった人にとって、地動説への道は近いように見えて遠いものなのかもしれない。

2019-06-14

anond:20190614024923

そりゃないだろ。

たとえば、大昔キリスト教による科学含めた非宗教分野に対しての大弾圧があった。3世紀頃のテオドシウス1世によるアレキサンドリア図書館攻撃、ヒュパティアの虐殺な。

古代においてはすでに地動説採用していたんだよ。

これにより、科学の進展は先に非キリスト教であるイスラムにおける発展や15世紀のルターや16世紀のニュートンデカルトまで待たされることになった。

言論弾圧は、1000年以上に渡る科学の衰退すらももたらす。

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