はてなキーワード: 恋人とは
飲み会とか一緒になるけど他の人と同じくらいしか話してないしチャンスは無さそうかな、、、
でも気になる、、、
最近の暖かさも相まってなんかルンルンしてる。春だね。
YouTubeチャンネル経由で発生した、ストーカー(以下Sで統一)の時系列まとめ
Sは1000通以上の一方的な長文メールを送り、「不同意性交等罪がまだなかったけれど訴えたい」「70万円欲しい」「警察署に相談へ行くよ」と脅しを掛けてきて、無限に複数アカウントを作って、迷惑行為を配信中にしておきながら、「そっとしておいてください」と居直り、どうしようもない状態になっている。
こちらの要望としては、「今後一切関わらないでくれ」の一点だけである。
ちなみに僕自身は、YouTube26000人/TikTok10000人、無名で細々と生きる男だ。
Sが自発的に、「〇〇見たい?」「〇〇したい」「やりたい」などと書き、脱いだ写真/動画を送信してくる
この時点では、『ちょっと積極的な普通の明るい子』だと思っていた為、不快感はなし
■札幌で会う
流れで枕を交わす
翌日以降、ご飯を食べて街巡りし、電話/DMを続けてみたが、生い立ち、会話のテンポ感、文化的ベクトルなど、相性が合わなかった為、付き合うには至らず
■自然消滅(SがLINE/Twitterをブロックしてきた)
■会って半年後に突然、長文で告白DMが送られてくるが、「彼女は作らない」と断った
元カレからの求婚に悩んでいる、ホストにナンパされて添い寝した、茨城出身の彼氏ができた、男の車に乗り込んだらホテルに連れて行かれた、うつ病になった、休職するなど
「やりたい」「結婚してください」「会えなかったら自〇する」など、一方的な感情の暴走が始まる
遠距離だったが、顔と性格と生き様が可愛かった為、復縁や曖昧な状態も含めて、長い事、仲が良かった
この事を、事後的にYouTubeで語ると、「同い年の子を選んだのが悲しい!」と、Sの暴走はますます過激化
■会う約束もなしに、Sが飛行機で札幌に来たが、完全に無視をした
■昼夜問わず長文DM、求めてもいない自撮り画像/18禁動画が届く
YouTubeライブの際も、何十回もブロックしたところで、「責任をとって」「捨てられた」などと、複垢を用いて、長文の迷惑発言を連発する
※4年で3回しか会っておらず、恋人関係にもセフレ関係にも、一秒もなっていない
「付き合う事は100%ない。他者との境界線について学んで、ちゃんと自分の人生を生きて」と説得するべく会う
関わりの拒否を求めたかったが、聞き耳を持たない様子だったので、「あくまでも友達ね、100%、絶対確実に、何があっても、恋が発展する事はないよ。両想いになれる相手を探してね」と強めに伝えた
「当時は、不同意性交等罪がなかった。そのせいで、わたしの悲しさをみんなに伝えられない」「警察署に相談へ行きます」「訴えて70万円くらい欲しい」といった風に、脅しを掛けてくるようになった
そう考え、実行するのは自由だが、枕を交わすまでのDM/LINE/Skypeのやり取りはすべて、SSDに保存してある為、むなしい訴えになるだろう
あまりこんな事は言いたくないが、会う前から、ほぼ全裸の動画を送ってきたり、Sから馬乗りになって来ておいて、望み通りの関係に至らなかった瞬間、曖昧ながらも金銭的な願望を口にして、『不同意性交等罪』を連呼するのは、脅迫行為なのでは?
さらには、「わたしの考えを否定して、関わりを拒否をするのは人権侵害だと思います」などと、暴論までぶちまける始末だ
■「一度デートしてくれたら終わりにする、この関係を忘れられる」との事で、短時間ながらも、最後の最後に会う
この時、僕の失敗として、「わたしはストーカーじゃないよね?」の問いに、Sの心を落ち着かせるべく、「ストーカーではないけれど、どんなに連絡して来ようと、会うのはこれが最後だし、どうしてもタイプじゃないから、恋愛の可能性は0.1%もない。ちゃんと自分の人生を取り戻してね」と伝えてしまった事で、Sは都合良く、前段の言葉、『ストーカーではない』だけを脳裏に焼き付け、自己正当化を覚えてしまった
■そうこうして今に至るまで、「二度と関わるな」と伝え続けているが、「これは関係の前進だ」「どんなに怒られてもエンタメだ」と歪んだ解釈をする為、心底迷惑している
まず一つ言える事として、僕は社会の道外れ者、本名/顔出しの配信者として生きている為、こんなリスクは織り込み済みだ。
山もあれば谷もあり、光もあれば闇もあり、躁もあれば鬱もある。
そら持たざる者が、ありったけの力でネット世界を走っていりゃ、大問題の一つや二つ、当たり前に発生するだろう。
でもその分、心優しき視聴者さん達が、ヘリコプターに乗せてくれたり、タクシーを貸し切りにしてくれたり、焼肉や寿司をご馳走してくれたりと、数々の救いを与えてくれる。
僕は元より社会不適合者であり、ずっと不安定な人生を歩んでいる為、なんなら、明日死んでも良いと思っている。
……と言ったように、狂いを受け入れている僕だから、アホみたいなストーカーが出現しようと、「こんなもんは人間社会のちょっとしたエラー」と捉えて、心を守れる訳だが、もしもこれが、普通の生活をする労働者だったら、どうなるのだろう?
こうした、ごくごく一般的な男女関係において、自分の思い通りにならないと分かった瞬間、『不同意性交等罪』を叫び、金銭的な願望を喚き、「裏切られた」「捨てられた」と集まりの場で騒ぎ立てる。
そのような女性に引っ掛かった場合、相当に苦しいのではないだろうか?
ちなみに僕自身、社内恋愛、ブログオフ会、チャットサービス、ネット掲示板、ホスト、ストリートナンパ、YouTube、TikTokなど、あらゆるところで、様々な女性と絡んで来たけれど、ここまでおかしい奴には、はじめて遭遇した。
本件のストーカーは、「わたしは一途な乙女」という自己認識があるのかもしれないが、はっきり言って、かなり醜悪なモンスターでしかない。
神学校がルーツの中学/高校に通っていたらしく、意識的には、「純潔なわたし」を保とうとしているが、育ちによる自己愛の不全や、現状に対する不満により、無意識に野蛮になってしまい、その二律背反を解消すべく、「わたしを汚した!」という幼稚なピュアさを誇るのだろう。
表現の自由がある国ゆえ、何をどこで叫ぼうと、どうぞご勝手にといったところだが、出会い頭のホストと添い寝し、街でナンパされて雑に付き合い、求めていない卑猥な写真を大量送信し――など、純潔とは程遠い行為をしておいて、自分に不都合が生じた時だけ、「純潔なわたしをもてあそんだ」「レペゼン地球みたいな奴らと同類」などと、高潔さを気取りながらヒステリーを起こす。
そして、数え切れないほど、「タイプじゃないから付き合えない」と伝えているのに、「理由が分からないから辛い」とゴリ押しして、被害妄想を膨らませ、悲劇のヒロインになってゆく。
『タイプじゃないから付き合えない』を曖昧な言葉として許さないなら、残酷非道なワード選定でもって、地獄の果てまで叩き込んでしまうが大丈夫か?
もちろん、対人関係はリスペクトありきゆえ、そんな愚かな真似はしない訳だ。
その為、仲良くなれない理由を問われるたび、「話のテンポ感が合わない」「文化的ベクトルが違う」「雰囲気がマッチしない」「好きになれるキャラじゃない」などと、小出しの答えを投げ込むのだが、「あの時のわたしは、本当のわたしじゃない。本心で接していないから、そう思うのは間違っている」といった寸法で、可能性を無限拡張してしまう。
はっきり伝えておくと、無限のパラレルワールドに、無限なるあなたが存在していたとしたら、こちらも無限のお断りをするくらい、根本からタイプじゃないので、「あの時に、ああしていれば」と考えるのは無駄でしかない。
ここらで、一度と言わず、何十、何百、何千、何万度と冷静になって考えて欲しいのだが、この約4年間で3回しか会っておらず、元彼でも元セフレでもなく、何かを貢がせた訳でもない、すこぶる浅い関係にも関わらず、一方的に配信を見て、妄想して、暴走して、「貴重な時間を奪われた!」「なぜ責任を取らないんだ!」などと、いつまでも発狂するのは、幼稚園児の駄々っ子と変わらない。
なにをとち狂っているのか知らないが、『デートして枕を交わす』=『絶対に付き合う』という異常なる図式が、大脳に刻み込まれているのだろうか?
肉体的な相性が合わなかった場合は?
そうした諸条件がうずまく中で、運命が味方する事もあれば、死神が舞い降りる事もある。
それこそが男女関係――残酷なる色恋沙汰……本能の営みって奴だ。
『愛とは差別』なる言葉もある通り、誰かを好きになる世界とは、誰かを嫌いになる世界でもある……という事を、ゆめゆめ忘れるな。
こちらとしてはこの数年、散々、DMや配信のコメント欄で、好き勝手に言われ、それでもSの本質には触れず、傷つける事なく、なんとか去ってくれるのを期待していた。
しかし、Sの蛮行はおさまりを見せない為、致し方なく、こうした文章を書いている。
また、ストーカーの狂った解釈で、「これだけ本気で書いてくれるのは、きっと愛が残っている証だ」などと、さらに厄介な存在になるかもしれない。
だからこそ伝えておくが、容姿、人格、雰囲気、脳内メカニズム、あなたの発する生物情報のすべてが嫌いだから、好きになる事は不可能だ。
動物的にも人間的にも受け付けない為、今後一切、関わらないで欲しい。
さらに言えば、僕をイメージする事で生じる、あなたの微弱な波動すら不快でしょうがない。
一刻も早く、僕に関わろうとするのを辞め、自分の道を歩んで欲しい。
※ストーカーへ、本文に関する、あらゆる感想/意見/反論は、断固として受け付けません。
個人情報も記載しておらず、なんの名誉毀損にもならないゆえ、たとえ、「わたしの本心と少し違う」などと感じても、知ったこっちゃない。
そもそも論、あなたは家族でも友達でもありませんから、あーだこーだと御託を並べたところで、一文字残らずノイズでしかなく、まったくもって興味を持てません。
全然間違ったこと言ってるのかもしれないけどさ、多くの健常者ってアルバイトしたことがあって、接客業経験者多いじゃん。
最低賃金なのに理不尽な要求ぶつけられるって経験があるからさ、だから件の車椅子ユーザーの要求をムカついちゃうと思うんだよね。
なんか話を「障害者がみたい映画をみれないなんて」「障害者の苦労」みたいな方向に持っていこうとしてる人いるけどさ、違うじゃん最初から。
あの人って資格をもってない多分給料もそんな高くないであろう劇場の従業員に介助させててそれを断られたから晒して燃やそうとしてるんでしょ。
そりゃ接客で働いたことある人の反感買うでしょ。だって論点がおかしいもん。ただの従業員に何させてんの?何させたいの?
映画館って確かに最前に車椅子エリアあること多いじゃん。首疲れるのわかる。上の席への移動もステップが多いしさ。
スロープつけて欲しい、とか中の方の席にしてほしいとかもわかるよ(でも避難のときの動線確保を考えると各ブロックの最前とかがギリギリかなとは思う)
でも介助は違うじゃん。それはそっち側が用意すべきでしょ、だから安いんじゃんチケットが。
なんで従業員を守ろうとした支配人が叩かれる方向になるのかな。本気でわかんなくて。
ここまで読むと私が健常者みたいに思えるかもしれないけど、学生時代に信号に突っ込んできた車にはねられて
四肢のどれかがちょっと欠損してるのね(特定されないようにどの四肢かは伏せさせてね、といっても腕なのはわかると思うけど)
だから生まれつきの障害者の気持ちも、生涯健常者の気持ちもわかんないんだけどさ。
でも生きてきて映画館のスタッフが大学生のアルバイトが多いこととか見りゃわかるし、賃金が別に良くないこともわかる。
映画館の経営が苦しくなってるのもわかる(円安だと洋画上映するライセンス料も当然あがるだろうし)し。
民間の企業に求められる実現可能なラインって現実問題あると思うんだよ。
私たちが声をあげるべきなのって例えばこういう問題がある、というときにすぐヘルパーを派遣できるようなシステムを国に作ってもらうとか、
そもそも介護・看護の仕事の給料をあげて(国が補助して)人が集まるようにしてもらって、安価で手配できるようにするとか
そういう方向性であって、民間の企業のプロでもない従業員に介助をさせる、それを当たり前の権利として求めるのは求める先が違うと思うんだよ。
映画館行く時、ドリンク持ちながらチケット出せないから絶対友人や恋人、家族と行くんだけどさ
たま〜にスタッフさんがお席までお持ちしますよ、ってもってくれることあるけど、それを当たり前だなんて思わないもん。
もちろん、ドリンクを運ぶのと車椅子の介助だとまた違うんだろうけどさ。絶対車椅子の人たちより全然生きやすいから見えてる世界も違うんだろうけどさ。
でも「ああ今好意をもって接してもらったな」って感謝しかなかったんだよ。
今まで私を慮った、本来の接客マニュアルを超えた対応をしてくださった方々には大変感謝しています。
今後一律でマニュアル通りの対応しかできなくなったとしても私は文句は言いませんし、あのときいただいた優しさを常に覚えています。ありがとうございました。
銀髪イケメンチュパカブラに恋する運動万能女子高生のボーイミーツガールの0話
「お隠れした人間を詮索するのはやめなさい」
人がお隠れすると、人ならざるものになるという
でも、久しぶりに会ったお姉ちゃんが、なんか変…?
昔のボードゲーム人気ボードゲーム「大将軍するめ」の話題をふる少女
誘ったのは大浴場、そこで少女は寝湯と断頭台を合わせたような場所にうつ伏せになる
という夢を見た
なかなか設定が奥深そうで面白かったが続きは見れなそう
他の要素をできるだけ書くと
チュパカブラっつーか蚊にお隠れしてた
「そのキスの仕方やめてほしい」(チュパカブラの長い舌で舌だけを吸うキス)
あと蚊がいっぱいいる湿地帯で超人テニスワールドカップとかもあったけど、その辺の話の筋は分からなかったので断念
お姉さんは元々嫌なやつ、ほんでお隠れする前の銀髪イケメンチュパカブラに憧れてた
でも久々にあったら雰囲気がだいぶ違ってたんだよな
よく覚えてないけど女子高生はあるラッパーにそのことを詳しく聞くってところで話は切れた
供養
○ご飯
朝:和風パスタ。昼:柿の種。チョコ。せんべい。夜:白菜、にんじん、きのこ、餃子の鍋。締めのラーメン。間食:ファミチキ。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、おやすみー。
・はじめに
SAGA PLANETSから2017年に発売された18禁美少女ゲームの全年齢移植版を遊んだので感想を書く。
普通の男子高校生に過ぎない市松央路が、道でトラブルに巻き込まれてた金髪美少女シルヴィアを助けたことから、彼女が通っている超エリートな学校私立ノーブル学園に転校することから始まる学園ラブコメ。
シルヴィアは北欧のソルティレージュという架空の国家の王族で、国が日本にAIやソフトウェア技術を売り込みたいという事情があるので、外交のために日本の高校に通いつつ公務に勤しんでいる。
そんな多忙な王族のシルヴィアに何故か気に入られてしまった主人公が彼女と共に過ごす中で自分なりの「黄金」を見つけるのが、主なあらすじ。
美少女ゲームらしく、攻略対象のヒロイン毎にルートが分かれており、それぞれのルートでかなり物語が異なるので一人づつ紹介したい。
ここでは上流階級揃いの学園と庶民の主人公のギャップが面白い。
私立ノーブル学園の午前中に受験に必要な教科の授業をやって、午後の授業は各々の受験では測れない得意分野を伸ばすエキスパート授業をする、かなり特異な学校描写はワクワクした。
あとエロ方面でウブな男連中を懐柔し同性の友達を増やしていくパートが好き。
序盤こそ閉鎖的な学校社会の嫌な雰囲気が多いが、徐々友達の輪が広がっていき、周囲に溶け込んでいく。
これが自分が助け王族であるシルヴィアの助力ではなく、主人公の央路の性格で話が進んでいくのが楽しい。
困っている人がいると格好付けて助けてしまう性格が、全面的に肯定されるんじゃなくて、それが巻き起こす悪影響も同時に描いていくのがバランスが取れているなと感じた。
友達の輪が広がっていく中で徐々に、央路は央路で色々と抱えていることが判明していく。
玲奈は、上流階級揃いの学園で数少ない庶民仲間になるギャル系ながら普通の女の子キャラ。
下ネタ大好きなバカ友達の面と、ママ味のある優しい面の両面が交互に来るのが魅力。
ただ、玲奈本人のルートながらハッキリ言って彼女は話の主題にいない。
主人公の央路が、自身の過去と向き合うエピソードが中心に展開していく。
私立ノーブル学園の特異さや、ソルティレージュ国のあれこれなども抑え目。
その代わり、本ルートもう一人の主人公とも言うべきめちゃくちゃすごい野球選手の縞投良、その恋人の千恵華というもう一組のカップルの出番が多めだ。
玲奈本人が蚊帳の外なのは気になるものの、どうして主人公がああいう性格なのか、その性格の悪い側面とはなんなのかが掘り下げられるのは興味深く、王族の力を遠慮なく借りてのラストシーンは青春熱血ものの燃えるシナリオだった。
腕っぷしはかなり強く厳格な性格だが、このゲームは美少女ゲームなので、デレデレなときのギャップもしっかりある。
エロイナは護衛を務める都合上、主人公の抱える過去も色々知っていてその辺の話はサクッと誤解なく終わる。
その代わり、ソルティレージュ国の内情や王族として人の上に立つことの不平等さがしっかりと掘り下げられる。
主人公の協力がなくても自立したシーンが多く、エロイナとシルヴィアの関係値の変化が主になるエピソードだった。
個人的に気に入ったのは、ストーリー的に主題めいた部分があるわけではないが、エロイナが手料理を作ってくれるパートや、逆にエロイナに日本の料理を紹介するパートがかなりの回数あったところ。
海外の食文化のエピソードは興味深いし、日本と海外のギャップのエピソードも良き。
液体のドレッシングではなく香草のスパイスで食べるサラダとか気になるなあ。
・茜ルート
スポーツ少女の茜ちゃんの猛烈アプローチにたじたじになるルート。
全年齢版だとカットされちゃったシーンが多いからか、ボリュームがかなり少ない。
話の起伏も少なく、ご褒美CGを見てふむふむいえない全年齢版を遊んでいる身では少し辛いところだった。
シルヴィアは上述の通り物語の始まるキッカケになった王族の女の子。
そして理亜はタバコを吸っているヤンキーで立ち入り禁止の屋上に一人佇んでいる子だ。
理亜は所謂「お見合いお節介」系のキャラで、シルヴィアルートに限らず、主人公の恋路を毎回応援してくれる。
そんな一見するとサブキャラっぽい彼女のルートが何故メーンヒロインのシルヴィアルートと対になっているのか。
央路、シルヴィア、理亜の関係性はなんなのかが、金色ラブリッチェ全体のエピソードとしてまとまっていく。
この辺はネタバレなしで感想を書くのが難しいが、序盤にあった何気ないシーンや、作品全体の構造の見通しが付いたと油断した読書の虚を衝く展開など、読み応えのある一番面白いルートだ。
とある喫煙シーンで不穏な空気が漂い出し、そこから物語が一変し始めるんだけど、コンビニでタバコを購入するという何気ないワンシーンながら非常に印象に残った。
僕はタバコを吸ったことがないのだけど、一生吸わないでいようと思うぐらい印象に残った。
とはいえ徹頭徹尾、格好つけたがりな主人公の性格がメインの主題であることは間違いなく、それを際立たせるためにシルヴィア、理亜の両名ともにヒロインをする構造が良きポイントだ。
格好つけるとはなんなのか。
良い面と悪い面のバランスをどうとるのか。
若者らしい瑞々しいテーマで美少女ゲームらしい王道の良さがありつつ、主人公の性格の悩みを大きく取り扱っていた点はこの作品らしさもあって、いいゲームだと思った。
主人公をシルヴィアの隣にいる男性として相応しい人間に育て上げるために、色々と甲斐性のあるエピソードが豊富なキャラ。
姉のために仕方なくやっているのだからルートがないのは当然かもしれないが、可愛いキャラだった。
小さい見た目ながら中身は全キャラ最も大人なキャラで、だらしない姿を見せるとキツく叱ってくれる優しい子だ。
彼女の教育とサポートに支えられるルートも多く、サブキャラとしてなまじルートを選ばず出番があるので、大好きになった。
玲奈ルートで彼女のママ味が薄く感じてしまったことに、今作にはそれ以上の母性を感じるキャラがいたことが原因だったかもしれない。
なお、ファンディスクではルートが用意されているらしいので、そちらを購入済みなので近日中に遊ぶ予定だ。
・おわりに
面白かった。
王道な学園ラブコメながら、上流階級と庶民の差や、格好つけることの是非のテーマなど、この作品独自の楽しいところが満載だった。
食にまつわるシーンが多いのも好きなところ。
ストーリーが転調するときの不穏さは辛いものがあったけれど、読後感はとても良く主人公市松央路の格好良さと格好悪さを見届けられてとても良かった。
『旦那が大便が付いた下着を、そのまま洗濯機に入れた。それに気づかず洗濯機を回してしまった。離婚原因にできるか』みたいなやつ。
ああ、やっぱりそうなんだ、と思った。
男って結構うんこ漏らすよね。結構な歳いってる人でも。サンプルが少ないから主語デカなのかもしれないけど。
私が働いている職場にいる男性(50代、独身)もうんこ漏らす。
もうひとり同じように独身で50代男性もいて、こっちもうんこ漏らす。漏らすっていうか、トイレにうまく出来ないのかうんこが便器からはみだしてる。
自分の肛門の位置?うんこが落ちるポジション?が把握できていないのか、便器の後ろ側(背後?)に落ちてしまうみたいで時々落ちてる。
てかさ、落ちたなら自分で片付ければよくない?自分のうんこくらい。なのに、そのままにして出てくる。あとからトイレ入ったらうんこ臭ヤバイし、そもそもうんこがある。おかしくない?普通、自分のうんこを他人に見られるのとか恥ずかしいと思わない??
なのに、そんなのが月に一、二度ある。
んで、トイレ掃除するのは職場で一番年下の、女である私。それが周知の事実なのに、自分のうんこを片付けない。
私はこんなのを何度か経験してるので、職場のトイレには極力入らないようにしているのだけど、掃除はしなきゃいけないから何度かうんこを片付けている。絞め殺したくなる。トイレきれいに使って下さいねー、とやんわり言うんだけど分からないらしい。うんこはみ出てんのわかってないのか?いや、もうトイレが臭いんだからどっかにうんこあるなってわかるじゃん。あんた、うんこしてから、うんこはみ出させてからもトイレ入ってんじゃん?そのときに、あ、うんこ出ちゃってたなとか気づかないん??
家族でもない私にうんこ片付けさせるのをなんとも思わないって何かの障害なのでは?
話を最初に戻すと、このうんこはみ出しマンとは別の50代男性ははみ出すどころか漏らしたことが数回。
運転中に漏らしたとかいって、しまむらでパンツ買ってきてと言われたのも同じ回数。しね。なんで私が家族でもない彼氏でもないやつのパンツなんか買ってこなきゃいけないんだよ。糞が。うんこか。
このひとも、便器からはみ出しとまではいかないけど、便器にうんこ付けてそのままにしている。
うんこが便器にこびりつくのはわかるとしても、そのときにトイレットペーパーで拭けばよくない?目の前にトイレマジックリンスプレーあるんだから、それをシュッとしてトイレットペーパーで拭けばそれで済むじゃん。
なのになにもしない。
なんなの?
あとこの二人に共通するのは、うんこマンというだけではなく片付けが出来ないということ。
ペン使ったらそのまま、カッター使ったらそのまま、引き出し開けたらそのまま、お茶のんだ湯呑もそのまま放置。
「ものを使ったら片付けましょう」って幼稚園で習わなかった?親に教えてもらえなかったの?
習ってたとしても覚えてないんだろうし、片付けなくても許される環境で育ってきたんだなぁと。で、この二人とも長男で実家住みなのが納得できるとこ。
ママに何でもかんでもしてもらってきてるんだろうな。ママがご飯作ってくれて片付けてくれてパンツも洗ってくれてるんだろう。パンツだろうが便器だろうが、うんこついてても何も言わない優しいママなんだろう。
片付けに関しても、大抵は恋人が出来て同棲したり、結婚したりして、他人と共同生活していくうえで
子供が出来てしつけをしていく中で自分も同じことを学んだりするのだろうけれど
こういう、ある程度の年齢になっても独身・実家住まいの長男はママが面倒見てくれるから赤ちゃんなところが消えないのだろうな。
仕事があって、安定した収入があって、税金を収める、一家を支える人間だとしても、自分のうんこを適切に片付けられない時点でうんこ以下だよ。
と、今日もまた職場のトイレにうんこがあるのを見つけたのでこれ書いた。
メガネをかけてんだけど、アプリで知り合った男に顔を見せたときに「メガネなんだ、コンタクトにしないの?」と毎回言われることにもういいよ何回目だよと思ってんの。
あのさ!今どきメガネあえて選んでんのはキャラ付けだから!賢く見えるっしょ!
あーたから見てイモくてモサかろうがこれがあたい!とおもって選んでることだから!髪色と一緒!自己表現!自己実現!!おしゃれなのね!
あーたら、初対面未満で写真に写ってる洋服についてわざわざ改善点あるよって指摘してこないやんか、それがデリカシーだとわかってるからやろ?
いちいち教えてくれんでもあなたが初めて教えてくれたひとではないから!大丈夫!何度も聞いてきた上でメガネ選んでるから!
私も私の素顔大好きだけど、その上でメガネをかけた私が大好きだからメガネかけてんのよ!!
眼科行って視力測って、作って、まいにち付けて外してコンタクト洗浄液で洗って、なくなったら注文して!
そのコストかけなくとも視力は矯正できるし、素顔の私にはなれるからね!!!
あなたから見てイモくてモサかろうが、これが私のキャラ付け!!!
こと恋人探しの土俵でキャラ付けの部分で合わないと思うなら別な人に当たってくれて全く構わないからどうぞ次に行ってちょうだい!お互いに幸せになろう!
調べたら絶賛されてて草
転生學園シリーズの絵師をパッケージに起用し、タイトルも似せて同作品のファン層を狙ったが、
本編に関連性は一切なく、学園物ですらない。
出会った瞬間に恋人になるというスピーディーな電波シナリオで、クリアまで僅か6時間。
合体技では痛々しい掛け合いと共にシュールな静止画が15秒間表示され、
決め台詞は「ゆゆうじょうパパワー!」(=友情パワー)と壮絶にずれる。
常に低品質ながら一線は越えないという定評があったIFだが、
今作はコンセプト、シナリオ、システム、など「どこを切ってもクソ」という隙の無さで、
購入者をして「買って数千円をドブに捨てたいのなら、実際にドブに捨てる方が時間の浪費が無いだけ建設的」
とまで言わしめた。
自分はハイスペで性格が良くて結婚するなら絶対増田にしたいと男女にモテてる美人というよりは可愛い系の女
その知見から言うと、性格も外見も美人のハイスペは男女ともに人類から常に信頼敬愛されているため、孤独になる暇がない
友人や家族や恋人にいつも囲われてて、仕事頑張って勉強して、もう人間の時間は限られてるからそれ以上の時間がない
ミソジニー抱えて人間関係破壊してるようなおかしい奴の負のオーラを1mmでも感じるとみんなサラッと上手に謙遜しながら蜘蛛の子散らしたみたいに逃げてくから、今関わる相手があなたと釣り合ってる人間だということを直視した方がいいよ
階層が違う人と関わるの無理だと思う
お砂糖は「友達」としての親密さなのか「恋人」としての特別な位置なのか議論されることがあります。しかし、「友達」の間の距離感は、特に曖昧で広範囲に渡ります。それでは、この微妙な関係性について、もう少し詳しく探ってみましょう。
『とも‐だち【友達】の解説互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。友人。朋友 (ほうゆう) 。友。「—になる」「遊び—」「飲み—」
[補説] 2013年10月に実施した「あなたの言葉を辞書に載せよう。」キャンペーンでの「友だち」への投稿から選ばれた優秀作品。』
goo辞書より引用https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%8F%8B%E9%81%94_%28%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%A0%E3%81%A1%29/
"互いに心を許し合って、対等に交わっている人"と"一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人"という表現は、確かに"友達"という言葉で表現されますが、その深さや距離感に違いがあります。
互いに心を許し合って、対等に交わっている人: この表現は、相手との関係が深く、信頼関係が築かれていることを示しています。このような友人は、自分の内面を理解し、支えてくれる存在であり、困難な状況でも一緒に乗り越えてくれるでしょう。また、対等な関係というのは、互いに尊重し合い、意見を自由に交換できる関係を指します。
一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人: この表現は、一緒に楽しい時間を過ごすことができる友人を指しています。このような友人とは、共通の趣味や興味を共有し、一緒に活動することが多いでしょう。しかし、それは必ずしも深い信頼関係があるとは限らず、個人的な問題を共有することは少ないかもしれません。
一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人について話していきます。
「遊び友達」、「喋り友達」、「ゲーム友達」、「ソシャゲ友達」など、これらは特定のコンテンツやゲームで楽しむためにつながっている友達を指します。彼らとは同じコミュニティに所属し、雑談したり遊んだりすることがありますが、それ以上の深い関係はありません。
私生活に入り込むことはなく、お互いの個人的なことには触れず、純粋に趣味を楽しむ相手としての友達です。
これが悪いというわけではありません。むしろ、インターネット上の友達との距離感としてはこれが普通で、健全な付き合いだと思います。それぞれの友達との関係性を理解し、適切な距離感を保つことが大切です。
ですが、インターネット上の友達という距離感を保ったままお砂糖になるケースが見受けられます。リアルな友人とネット上の友人との間に存在する距離感の壁を超えられていない場合、それは誠意があるとは言えません。お砂糖が友人であるか恋人であるかを問う前に、互いに心を許し合うという基盤がないまま、不確かな関係性を築いてしまうことは良くありません。
それでも、それはまだマシな方かもしれません。なぜなら、"フレンドを切ってしまえばただの赤の他人でしかない自分にとって都合のいい遊び相手"という浅い考えで人を見下して、都合の良い相手として付き合っている人々が存在するからです。これは、人間関係を軽視し、他人を尊重しない態度を示しています。このような考え方は、健全な人間関係を築く上で全く適切ではありません。
それぞれの関係性を理解し、適切な距離感を保つことが大人の人間関係です。ですが、人間関係を深め、信頼関係を築くために近づこうとしないまま形だけの関係になっていませませんか?お砂糖という言葉で誤魔化さずはっきりと、どういう距離感で居たいのかを伝えることが大切だと思います。
奇跡的に距離感の擦り合わせに成功したとしても、価値観の擦り合わせという工程がまっています。もはやvrchatの領分ではありませんが、自分の思う価値観の擦り合わせについて書いていきます。
人々が他人の欠点を見つけて大騒ぎし、マスコミがそれを叩き、インターネット上で集団で非難することは、不寛容な社会を反映しています。完璧を求める就職活動や、欠点を許容しない傾向は、生きづらい世の中を作り出しています。
「カエル化現象」という言葉が、近年よく使われています。これは、愛する人の些細な欠点を見つけた瞬間、その魅力が色褪せ、感情が冷めてしまうという現象を指します。しかし、この現象は、私たちが他人に対して持つ過度な潔癖性の表れではないでしょうか。例えば「樽一杯のワインにスプーン一杯の泥水を入れると、全てが泥水になる」という言葉がありますが、人間関係においても同じように厳しい基準を適用してしまっているのです。
しかし、人間は完璧ではなく、欠点を持つことは自然なことです。お互いの欠点を認め、許容することで、より健全な社会を築くことができるでしょう。完璧を求めるのではなく、人間らしさを受け入れることが大切です。それによって、より寛容で、生きやすい世の中になるはずです。
自分は距離が近い人と上手くやっていくコツは「嫌いを許容する」事にあると思います。
人間関係において、「嫌いを許容する」というのは、相手の欠点を受け入れ、それを乗り越えることで、より深い信頼関係を築くことができるという意味です。私たちは完璧ではなく、誰もが何らかの欠点を持っています。しかし、それらを認め合い、サポートし合うことで、互いの絆は強まります。
嫌いな部分を見つけたとしても、それを単に指摘するのではなく、どうすればその部分を改善できるか、またはその部分を受け入れて支え合うかを考え話し合うことが大切です。お互いの長所を認め合い、短所を補い合うことで、関係はより豊かなものになると信じています。
まあ、vrchat民の殆どは指摘すらしない事なかれ主義者ですが。
人との距離が近くなるほどに、相手の嫌な部分が見えてくるかもしれませんが、それを乗り越えることで、より強固な関係を築くことができるのです。そして、それは人生において非常に価値のあることだと思います。
ですが、現実はそう甘くはありません。
SNSの普及により、私たちはいつでもどこでも人と繋がることができるようになりました。しかし、その結果として、人と深く関わり合うという行為が希薄になってしまったのではないでしょうか。かつては、人間関係を築くことは時間と労力を要するものでした。しかし今、私たちは「人間関係に対して代わりがきく」という新たな現実に直面しています。嫌いな部分を持つ人間関係を見つけたら、簡単に切り替えて新しい関係を探すことができるのです。
このような状況は、人間関係の価値を軽視する傾向につながりかねません。一つの関係に問題が生じたとき、解決する努力をする代わりに、新しい関係を求める方が容易になってしまったのです。しかし、これは本当に良いことなのでしょうか。人間関係においては、困難を乗り越えることが成長につながる重要な過程です。簡単に関係を切り替えることは、その過程を省略することに他なりません。
私たちは、SNSがもたらす便利さと、人間関係の深さを保つことのバランスを見つける必要があります。人との繋がりを大切にし、一時的な不快感や問題を乗り越えることで、より強固で意味のある関係を築くことができるのです。それは、メタバースの時代においても変わらない人間関係の本質であると言えるでしょう。
私には小学生の息子がいる
夕飯の時に息子が「今日○○ちゃんと手を繋いで帰ったんだ」といつか話した
その時はまあ、小学生だからなと気にしなかったが、しばらくして今度は「今日はね、○○くん(別人)と手を繋いでね〜」と話すのだ
ここで私は「んん?」となったがまだ不安にはならなかった。
そこから息子はクラスの色んな同級生と手を繋いで帰ったらしい、異性とも同性ともだ
これは流石にまずい、と私は不安になった
大きくなってから手を繋いでた事を持ち出されて息子が顔を赤くしてしまうのではと
言ってみたが「いや!」と言われてしまった
だが、私は気になった。息子の話が嘘だったんじゃないかと
そこで息子が帰る時間に通学路が見える物陰に隠れ、息子を観察してみた
すると、息子は本当に手を繋いでた
恋人って感じはしないけど、楽しそうではあった
昨日の夕ご飯の時は手を繋いだ話はしなかった
でもきっと息子の手を握ってくれた誰かがいるのだろう
さて
息子がそれをどれだけ幸せな事なのか気づくのは
いつになることやら
・23歳
・東京在住
・年収650万
・慶應卒
・勤務
・身長170cm
・童貞
どれだけマッチし、どんな良い出会いがあるだろうかと期待に胸を膨らませながらアプリをインストールし、プロフィールを書いた。
しかし、蓋を開けてみるとまったくいいねはもらえず、なんとかマッチしても会話が続かない。針の穴を通すような難関を突破して実際に会ってみても次に繋げられることはなかった。
どうしてだろう。
悪くないスペックだと思う。
サピックスでは常にα2かα3だったし、第一志望の進学校にも受かった。
慶應に進んでからは、意識の高い学生団体に顔を出したりする一方で適度に授業をサボったりもして、手際よく立ち回ることもできた。
コロナで暇になってからは就活もちゃんとやって戦コン内定して、そこでなんとか一年生き残れている。
年収はサラリーマンとしては投資銀行や外資IT以外の人間にはおそらく負けないし、伸びしろもかなりある。
どうすればよいのだろう。
悪くない人生だと思う。
大手デベロッパーの父親と短大卒の母。現代日本社会における幸福の模範解答のような世田谷の一軒家で誕生した私は、正しく愛されて、正しく成長した。
心理的安全性と経済的安定性が完全に担保された家庭の庇護のもと、それなりに努力もした。
つまるところ私は、適切に投下される経済/非経済資本と良質な遺伝子を器用さに活かして、受験や就活などあらゆる競争で常にそれなりの結果を出してきたのである。
就職を機に借りた南麻布の小綺麗な1Kのベッドに腰掛けて、返ってこない"いいね"を送り続けながら考える。
自分に備わったピカピカの経歴と、恋人という平凡な幸福の欠落について。
なんとかマッチした人の一人から「おやすみの日ってなにしてるんですか?」と聞かれたことがある。
私は休みの日に一体何をしているのだろう。これまで何をしてきたのだろう。何をやりたかったんだろう。
その時はじめて、私には"何もない"ないこと気づく。
私は、誰かが敷いたレールをできるだけ滑らかに素早く走り抜けてきただけなのである。
マッチングアプリを始めたのだって、社会が前提とする若者の"正しい"最小単位がカップルであるから彼女が欲しかったためで、要するに私の正しさの証明書として彼女が必要だっただけであったのかもしれない。
他人を恋人たらしめるほどの正しい魅力を証明し、日常での呼吸を楽にすること。それができない人を見下すこと。
モラハラ旦那の愚痴とか流れてくる度になんでこんなのと結婚してしかも2人目3人目妊娠中なの……?
と思うことがあるが、実際そういうモラハラだったり虐めて来る男が好きな女は一定数いるんだよね。
友人にもいる。
友人と友人の旦那(初対面)含め遊んだ時、友人の旦那は友人のことを、友人の友人である私よりブスだとかブタとか言って弄ってたりした。もちろん友人はブスでもブタでも無い。
最初びっくりして何でそんなこと言うの!?!?と友人の旦那に食ってかかったが、ホントの事言ってるだけだからwと。友人は友人でずっとブスじゃないもん🥺🥺みたいな感じ
たとえ事実であろうとなかろうと恋人にそんなこと言うのは信じられないし、性癖でそれが2人のコミュニケーションだとしても彼女の友人をその出汁に使うのがありえなさ過ぎて絶句した
後日お節介は承知で上記のことを友人に伝えて、本当にそんな男は辞めた方がいいと伝えたが結婚して、しっかり毎日モラハラ旦那の愚痴をSNSで吐いている。
友人とは小学生からの付き合いだが、友人の歴代彼氏は確かに友人を弄るタイプが多かったとは思う。
やばいやつと結婚してしまった!と思っても離婚せず子供うみ続ける人は、多分もう元々そういう自分を弄ったり虐めてくる男が好きでどうにもならないのだと思う。
私の周りでは私含めモラハラだったり暴力するのはありえないと思ってる人が多いからそうではない人と結婚して生活してる人の方が多い。