はてなキーワード: 奴隷とは
数日前に書いてたテキストファイル捨てるの勿体無いと思ったので張る
例のあのフォーマットに乗ってWeb漫画の話をしようかと思ったがWeb漫画は山ほどあるし別に網羅的に読んでる訳でも無いので単に自分の好きな作品を書くことにした人が居たので便乗。
消えてる作品以外はブックマークが残ってるので探しやすくてよかった。
2012か13ぐらいから読み始めた人。それ以前も知らないし、最近も知らないしひどく偏ってるはず。順不同
みんな大好き(なはず)。転生元の(中途半端な)知識と超絶魔力持ちでチートではあるが、虚弱常識知らずなど、情熱と人脈でカバーしてく。
これと謙虚ぐらいしか男性向けっぽいの読んでなかったし、読んでも合わないの多い中(ゴミ拾いのとかテイマーのとかは読んでた)、何度も読み返した名作中の名作。
言い過ぎだけど、パトレイバーや銀英伝レベルで社会に出てから有用な知識が得られる。
(パト、銀英伝信者からしたら言い過ぎ、そうではない人からしたらそんなもんかってなる?)
現実世界への巻き戻り。細かいこと(と重要なことのほとんど)は忘れたが、サッカー選手になれなかった大人がサッカー始めた日に戻ってやり直す話。
確か戻るのはその一回ぐらい。戦術等の知識が大人レベルなのと、コツコツ努力できる(練習の目的がはっきり、効率もよい)のと、あとなんか鷹の目みたいな俯瞰視点だけで頑張る。
雰囲気は週刊少年誌のサッカー漫画みたいなの(ジャンプっぽさはなく、サンデーマガジンのどっちか寄り)。恋愛要素が少なくて物足りなかったような、中学生編ぐらいまでで終わったのとかで悲しかったような。
これと続編(サブアカウント)のセット。アイリッシュスナイパーは含まない(好きだけど)
VRMMOは二大ジャンルのひとつだったり、転生、転移に次ぐ第3のジャンルだったりしたが、あまり人気作が無かった(当時の個人的な印象)中、(根底に)デスゲーム要素もなく、描き切りつつ、VRMMO系で不足しがちな現実世界にも重点を置いたのが本作。
MMO要素は各キャラのなりきりに由来するコメディ要素やストーリーの本筋に絡む仕掛けであって、中身は群像劇要素も強く、主人公以外の成長物語でもあり、半沢みたいなのとかでもあり、ミックスグリルみたいな作品。あえて大げさに言うと、大長編ドラえもん詰め合わせみたいな。
章ごとに目標が変わってたりしつつ、最後でどかんと一気に色々纏まるのがめちゃくちゃ気持ちよかった。主人公大人だし、なろうっぽくない(なろうっぽくないことはないが)
主人公も一応精神的に色々成長します。地の文の好き嫌いは分かれそう。
クソゲーとして名高いバグだらけのゲームの中に入ってしまい、バグ(仕様()も多い)を駆使して気持ち悪いことを沢山する。
読んで知って欲しいのだが、全方向を騙していくのとか、サブキャラとかが立ってるのとか、一応色々吹っ切れてるのが面白すぎた(作者的にはセーブしてるのかも)
本作作者の他作品も少し系統違ってても面白いので、他作品挙げたいが完結してなかったりするので、出会いの本作をエントリー。
タイトルそのまま。ちんちくりん系の女子と普通の女子のコンビに、個性的なパーティメンバーなどで冒険する。
基本的にはテンポよく成長していくし、仲間も頼りになる。地の文とかほのぼのした雰囲気も好きだし、ちょっと年齢層高め向けのギャグとかも合ってた。作中でどういう扱いだったかは忘れたが馬は脳内でひんべえ(いつもいっしょのおうま)になる。
真剣なシーンでも気が抜けるような描写が多くて好きだったかも。
終盤SF過ぎたのとか好みが別れるところか。SF方面だったかは定かではないが
時代がずれてたら防振り(途中までしか読んでない)ぐらい売れてたかも。コミカライズされてたの今知った
頭おかしなった。突っ走ればよかったのにと思ったような。
おもろい。
これも流行った。
きつね可愛い。同作者の他作(沢山あったはず)も読んでみたけど、これがなんか時期的になのか、一番ハマった。
その他の候補作
影響は受けたが、読んでないので
色物かと思ったら意外としっかり面白かった。アニメ見て、原作一気読みした。
転スラ
すごいのはみんなわかってるが、重要度は低い。
このすば
どこにも書いてないが、これ系では他作品のほうが影響受けたので除外。
宝くじで40億
スキルを磨いて年収を上げるゲームをしたいけど、転職繰り返したりすると普通に会社に恨まれる
インテリ層の良くない部分が出ているので、あえて名指しで批判する。
シロクマ先生の書き方は良くないです。今すぐに謝罪して記載を改めるべきです。どんな人間も馬鹿にされたことは敏感に感じ取ります。
もしも本当に、心の底から馬鹿にするつもりも嘲るつもりも無かったのであれば、全ての比喩表現を直接的な表現に改めて、その上でどのように受け取られる可能性があるか考えてみてください。
シロクマ先生の以下の記事は、齋藤知事のパワハラと全く同じです。
ビバ! デモクラシー!
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20241119/1732024800
斎藤氏はパワハラ疑惑を巡る認識を問われると、「よい県政をしていきたいという中で業務上の指導や注意を厳しくしたことはあった。これがハラスメントに当たるかは第三者委員会などで審議されることになる」と語った。
小学生を含めて(個人的な感覚では、不満を表明できるのは小学三年生前後)、悪意には非常に敏感です。どのような言葉遣いであっても馬鹿にされたかどうかは瞬時に理解します。
「インターネットで民主主義が加速して良かったですね」という「良かったですね」という物言いは、対象を嘲る言い方です。自覚が無いのであれば今すぐに改めるべきです。
以下、具体的に指摘します。
「今回の選挙は、民主主義を正しく反映したと言えるのではないだろうか」という書き方ではいけなかったでしょうか。
なぜ、「民主主義が三度の飯より好きな人には」と、民主主義を好ましいと思う人を「三度の飯より好きな人"には"」という表現にして限定しましたか?
今回の選挙結果を、揶揄する意図が無いのであれば即刻改めるべき表現です。
他の支持者との一体感を体験しやすい仕組みのおかげで、「いいね」や「シェア」ぐらいでも推し活気分や選挙活動気分を味わえたりする。
「自分は、いいねやシェアボタンを押す行為は、選挙活動とは言えないと思う」と書き方ではいけなかったでしょうか?
なぜ、「推し活気分や選挙活動気分を味わえたり」という、自身で「参入する敷居がものすごく低い」と書いているにもかかわらず、「気分」や「味わえる」という表現にしましたか?
他人の選挙についての関わり方を見下すつもりが無いのであれば即刻改めるべき表現です。
SNSや動画にじかにコメントする、という方法もある。なにもコメントが秀逸である必要はない。凡庸なコメントでも、論理的に破綻したコメントでも、事実関係の怪しいコメントでも、別に構わない。支持する人への応援コメントでも、敵対者への批判や非難のコメントでも、数多く集まりさえすれば強力なコメントたり得る。どんなにしょうもないコメントでも、200も300も連なれば有意味だ。誰が言ったかや何を言ったかだけでなく、何人が言ったかも重要であることを、いまどきのネットユーザーが知らないわけがない。
「どんなコメントであっても、200も300も連なれば有意味になってしまう。論理的に破綻したコメントでも、事実関係の怪しいコメントでも、いまどきのネットユーザーにとっては、何人が言ったかが重要になってしまう。私はそれを好ましいとは思わない」と言う書き方ではいけませんか?
どのようなコメントであっても数が連なれば有意味になることが好ましくない、もしくは危険だと思うのであれば、そう表現すべきではありませんか?
なぜ、「事実関係の怪しいコメントでも、別に構わない」と許容したのにもかかわらず、「どんなにしょうもないコメントでも、200も300も連なれば有意味だ」として、自分と同じコメントをする人が200や300ある人たちを「しょうもない」と馬鹿にしたのですか?
他人のコメントの書き方を馬鹿にする意図が無いのであれば、即刻改めるべき表現です。
それらは従来型のマスメディアが機能した帰結でなく、双方向メディアとしてのインターネットが普及し、猛威をふるった結果として起こった。だからインターネットがテレビになったというのは不十分な表現で、テレビを超えた、いや、テレビ以外の何かとしてはびこるようになった、と表現すべきだったと思う。
「それらは従来型のマスメディアが機能した帰結では無く、双方向メディアとしてのインターネットが機能した結果として起こった。だからインターネットがテレビになったというのは不十分な表現で、テレビを超えた、いや、テレビ以外の何かとなった」という書き方ではいけませんか?
もしくは「双方向メディアとしてのインターネットは、従来型のマスメディアの機能とは異なり、より積極的に他人に干渉するようになった」というような書き方ではいけませんか?
従来型のマスメディアを超えることによるなにがしかに危機感を覚える、好ましく思えないのであれば、それを直接表現すべきではありませんか?
「猛威をふるった」や「はびこるようになった」という書き方に、従来型のマスメディアよりも双方向メディアとしてのインターネットを貶める意図が無いのであれば、即刻改めるべき表現です。
特にこの表現は顕著なので注記しますが、「ならばマスメディアが猛威をふるいはびこっていた従来よりも良くなったでは無いか」と返答されるとは、本当に思いませんでしたか?
その返答に対して「マスメディアの方が優れていた」以外の回答を持っていますか?もしも持っていないのであれば、それは双方向メディアとしてのインターネットを見下した表現です。
「投票率が上がり、選挙活動への参加が増えたことは良いことだ」と言う書き方ではいけませんか?
馬鹿にする意図が無いのであれば「良かったですね」という表現は即刻改めるべきです。
単独の文言では無く、前後の文脈から、この文章を読み取った相手が「投票や選挙活動への参加を馬鹿にされた」と受け取らないと、本当に信じていますか?
「なるほど、コイツはインターネットで情報収集したり、いいねで応援したり、コメントを書いたり、自分で考えて投票した俺を、子ども扱いしているんだな」と受け取られる可能性が無いと思っていますか?
真摯に相手の人格を尊重してなおその表現しか出てこないのであれば、おどけた調子の文章を書くのは止め、少なくとも真面目な話題ではビジネス文書のように書くべきだと思います。
インターネットも含めた諸々をとおして、投票所により多くの人が足を運んだこと、より多くの人が選挙活動に参加したことだ。それって民主主義にとって基本的で必要不可欠なことでしょう?
段落内のおそらく骨子の部分である、この部分はとても良い書き方をしているだけに残念でなりません。
民主主義はタテマエとしてずっと、全員参加を謳っていたし、少なくとも欧米ではだいたいうまくいっていた。 まれに、チョビ髭の伍長のような人物を輩出するとしても、だ。
その前段の、民主主義論に関する部分は私自身の主義主張とは異なるが、それは捉え方の違いだろうと思う。
(「"良い民意"が"悪い民意"に変わってしまうとしたら、民主主義は壊れるのがお似合いではないだろうか」というのは、どのように書き換えてもアリストクラティア(優秀者支配制)を意味すると思うが、そこは民主主義の捉え方の違いだろう)
「民主主義は、時としてヒトラーのような独裁者を生み出すとしても、全員参加が理念であった」という書き方ではいけませんか?
前段の主張も含めて、文脈からは「民主主義とは、建前としては全員参加だが、本音ではバカは参加しないものとして上手く回っていた。バカが参加して壊れるのは制度の限界だ」としか読み取れません。
それ以外の意図を持つ文章として文脈を構成しているのであれば、全面的に書き直すべきです。おちゃらけた書き方をしようとするあまり、文脈上そう受け取る人がいても非難できないと思います。これよりのちの文章を読む限りではこの読み方をして欲しいと想定するしかないです。
(また、ヒトラーの例えを出しておいて「マスメディアという制御弁が民主主義政体を安定させる効果があったのは、たぶんそうだろう」と書く意図は量りかねます。ナチ党の躍進にラジオが大きな役割を果たしたことには一定の了解があるはずです)
いまどきの民主主義の理念を作り上げた人というと、ロックやルソーやジェファーソンといった近世~近代の思想家を思い出す。ところが彼らが生きていた時、末端の大衆にまで選挙権が行き渡り、末端の大衆の選択までもが民意にフィードバックされる民主主義を想像するのは難しかったのではないか。たとえば、民主主義の始祖たちの眼中に、立花氏がバカと呼んだ人々はどこまで含まれていただろうか?
少なくとも、ジェファーソンの名前を出して合衆国独立宣言で最も有名な一節である "We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal,"を無視するのは看過できません。
このall men (すべての人々)に、大衆(シロクマ先生の言うところの「末端の大衆」)が含まれていないと推測するのは侮辱でしょう。もしもよく知らないのであれば名前をあげるべきではありません。
トーマス・ジェファーソンが、いかにマスメディアに悩まされていたか("nothing can now be believed which is seen in a newspaper. truth itself becomes suspicious by being put into that polluted vehicle")を知らずとも、
ほんの少しでも興味があれば、ジョン・ロックが人はみな生まれながらにして公平であるが、そのままでは不都合なので、人の承認のもと政府を作るであるとか、ジャン=ジャック・ルソーが間接民主制すら否定していたことなど、見聞きしたことがあるはずです。
彼らが、貴族や選良市民のみを対象として考えていただろう、末端の大衆(シロクマ先生が想定するのが、教育を受けていない人、政治に詳しくない人だとすると、当時の農民や奴隷、犯罪者等)は考えていなかっただろうと想定して枕詞に使うのは、不適切です。
(その後の段落は、シロクマ先生の想像や思いが書かれているので、別に問題は無いと思います)
個別の選挙結果が未来の制度設計の材料になっていくのも、民主主義のいいところだ。亀のようにゆっくりと、しかし着実に。ただし、こうした民主主義のドタバタを、ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう。未来が明るいといいですね。
この段落でも、その前段の、民主主義論に関する部分は私自身の主義主張とは異なるが、シロクマ先生の考え方を述べている部分なので良いと思う。
ただし、文脈上「全員参加という民主主義の建前を維持したまま、インターネットが深く介在する場合には"悪い民意"を取り除き、"良い民意"を選び取れる制度設計を、末端の大衆ではない我々が行うべきである」としか読み取れませんが、そういう主張でないとすれば記載を改めるべきです。
(私はそれをアリストクラティア(優秀者支配制)だと思いますし、良くないものだと思いますが、主義主張の違いなのでそれについて表明することは良いことだと思います)
「ただし、制度設計が改善される前の現在の良くない状態を、他国が狙っているかもしれない。改めるべき点は早急に改めるべきだろう」と言う書き方ではいけませんか?
「ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう」というのは、陰謀論と何が違いますか?何を意図して記載したのでしょうか。
「未来が明るいといいですね。」というのは、皮肉では無く本心からそう思っているのだとすれば、記載を即刻改めるべきです。
また皮肉を書いたつもりであれば、誰を皮肉ったのでしょうか?今回の選挙に参加した誰を馬鹿にする意図をもって表現されましたか?
シロクマ先生の「インターネットで民主主義が加速して良かったですね」という記事は、全体としては皮肉めいた、兵庫県知事選挙の結果を受けての現行の民主主義制度への感想でしょう。
これを、面白おかしいものとして読む人がいることは否定しません。(私もホットエントリーにあがってきたので読みました)
パワハラをする側にとって、されたものが右往左往したり泣いたり病んだり職を辞するのを見て愉快だと思うのと同じだという指摘です。
齋藤知事は、「よい県政をしていきたいという中で業務上の指導や注意を厳しくした」と表現しています。
前知事時代のパワハラを問題視した人は、この「業務上の指導や注意」の「やり方」を問題視したはずです。性根や意図、背景では無く、手法に問題があったのだと認識しているはずです。
愛があろうが、心の底から相手のことを思っていようが、パワーハラスメントに該当すれば、それはやはりパワーハラスメントなのだというのが、これからの社会での共通認識で合って欲しいと、自分は思います。
その意味で、シロクマ先生の「インターネットで民主主義が加速して良かったですね」という記事は、インターネットを利用して投票先を決定した人をバカだと呼び、彼らを選挙から排除すべきである、そうしなければ民主主義は壊れる、利するのは他国だ、という記事になっています。
そういう意味で書いたつもりでないのであれば、そう読み取れるようにおちゃらけた書き方をするべきではありません。すぐに改めてください。
(バカだと呼んだのは立花氏であるとか、選挙から排除すべきとは書いていないという、言葉遊びをするべきではありません。本当にその意図が無いのであれば比喩や暗喩の使い方が致命的に間違っています)
もっと言えば、記事全体が記事中に貼られた立花氏と同じことを言っており、そこから一歩も外に出ていません。
制度設計で排除すべきでは無いかと暗に書いている分、また「ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう」と記載している分、なお悪いと考えます。それは選良主義や陰謀論と具体的に何が違いますか?
そして、バカや犬や猫と同じと言われた側とすれば、率直にそう表明する立花氏に好感を持ち、シロクマ先生に嫌悪感を持つと思います。率直さは美徳であり、当てこすりは悪癖です。
なぜならば、立花氏は返す刀で「バカじゃ無くなればいい、キミはいまバカじゃ無くなった、立派な選挙民になったんだよ!」と導くからです。
シロクマ先生が、「自分はマスメディアが一定正しいものだと思っている。それを大きく超える力をインターネットが持つと証明されてしまったようで怖い。こんな選挙結果になると思わなかった」と思うのであれば、そう表現してください。
投票に行った国民を「お前らにはどうせこうやって書けばわからないだろう」という書き方で馬鹿にするのは即刻止めてください。
その積み重ねが、インテリ層への嫌悪に繋がり、わかりやすく自分を肯定してくれる者への同調に繋がります。
よい県政になりさえすればパワハラが許されるわけでは無いのと同じで、民主主義の問題だと思う点や選挙への在り方を指摘するのに他者を馬鹿にして良いわけではありません。
別に何を面白がろうが自由だけど、二言目には自浄作用が無いだの、パワハラは現代にはそぐわないだの言っておいて、中身が正しけりゃ表現は些末な問題と言う立場をとるなよ。
読み取り方の問題じゃないし、皮肉だから何しても許されるとか無いの。そういう表現は、お前らがバカにしているネットde真実と1ミリも変わらねえよ。
こういう人たち典型的によく見るけど、ネバーランドに生きてるんだよね
精神的に自立できてなくて、常に何かに寄生して何かをもらうことしか考えてないのになぜか自立したつもりでいて自他の認識の差がえげつない
社会が助け合いで成り立っていると理解できておらず、責任も負わず子供のころの庇護された状態で好き勝手生きてるだけなのに、それをどうにか自己正当化しようとするとこんな感じになる
親父はクソとか言いながら実家の金銭的援助を期待してたり、福利厚生だのなんだの書きながら結局自分は他人に何を提供できるのか一言も言及してないのがすべての証拠
お前がクソって言ってる親父も、他人を奴隷扱いしてたと認識してたのかもしれんが家族を養ってどうにかしてたんだよ 自分はそれ以下で、さらにその金をアテにしてる自分はそれのはるか下だった認識するところから始めないといけないのでは?
こういうことを指摘されると、自己正当化のために男は楽に稼げるのが楽でいいよなと女は稼げないからとか妄想を初めて、ミサンドリー全開の終わってるおばさんに進化していくのもたくさん見てきたけどね
そら常に周りから何かをもらって好き放題生きるのは楽しいに決まってんじゃん?でもそれが永遠に続けられるわけないじゃん?いい加減に子供部屋から出ろよっていつも思う
社会人になってからは2人目の彼氏、学生時代から数えたら4人目の彼氏だ。
彼氏のことは普通に好きだ。一緒に遊ぶと楽しいし、毎日ラインでくだらない話で盛り上がるし、もちろんセックスだってする。
でも、彼氏が好きなことと結婚したい欲があるの言うのは別だ。私はどんなに彼氏が好きでも、結婚したいと思ったことが一回もない。
私の親父はクソみたいな人間だ。外面だけ良くて、家では母親に暴力暴言。奴隷のような扱い。
そんな親父をずっと見て育ってきたから、男に期待したことなんて一回もない。どんなに好きな彼氏でも、どうせ結婚したら変わるんやろ?って思っている。
あと、私は男に本音を言うことができない。やめて欲しいこととか、嫌なこととか。結婚すると、そう言うことを言わざるを得ない場面も出てくると思う。本音でぶつかるのが怖いから、結婚したくないと思ってしまう。
でも、彼氏はいてほしい。私はお出かけが好きなのだが、彼氏がいればデートという名目でたくさん外出ができる。デートスポットにも行ける。クリスマスもバレンタインも他人事じゃなくなる。貴重な20代を目一杯楽しむ一要素として、彼氏は必需品だと思っている。
結婚を一ミリも考えてないから、付き合いは気楽だ。耳障りのいい会話だけして、楽しむだけ楽しんで、ほんとうに嫌になったら別れればいいから。食生活がガタガタの彼氏や、それは健康に良くないんじゃない?と思うことをやっている彼氏もいたけど、指摘なんてしない。怖いし、そんなつまんないこと言ったら楽しくないからね。でも、結婚となるとそう言うことも言わなきゃなんだろうなぁと思うと、なんかめんどくさい。
もし彼氏との子供ができたら、私は彼氏には告げずに別れるだろう。一緒に育てるなんて選択肢はハナから無い。とにかく、夫というものに恐怖心と失望感が大きすぎて、夫ができるなんて一ミリも考えたく無いのだ。あー、おぞましすぎて吐き気がしてきた。
でも、最近、20代も終わりに差し掛かって、子供が欲しいと思うようになってきた。
今の彼氏に孕ませてもらって、シンママになろうかなぁと思ってる。自分1人の稼ぎでも十分やっていけるし、旦那のめんどうを見ながら仕事もして、、ってやってたら疲れそうなので。
追記。
相手に伝えとけって意見あるけど、伝えるわけなくなーい?笑 子供できたら何も告げずにバイバイだよー👋
(追記)これ、なんでか考えたんだけど、子供を愛してる父親が存在するのが信じられないからなんだよね。見たことないし。父親って、子供のこと愛してるもんなの?子供って、父親が欲しいと思うもんなの?
追記2
養育費取られないなら
だって、自分の遺伝子が育ってることを知る手立てありませんから。笑笑
追記3
結婚したくないけど子供は欲しいと強く思い始めたのは10年前からなので、金銭的にも環境的にもそれが叶うように進路選択をし就職をしました。
異常者だと思うかもしれませんが、死別したと子供を騙すための嘘のシナリオをもう大体作ってるので、それを全力で演じるまでです。なんならダミーで仏壇もおきます。遺影も。狂ってるでしょ。狂ってるんですよ。
私は碌な家庭で育ってないです。生育歴は変えられません。親戚一同、私の親も私の祖父母も叔父叔母も見渡す限りみんな毒親です。そのせいで叔母は変な宗教にハマったし従兄弟は✖️2だし従姉妹は中卒です。
もう、この負の連鎖止めたいんですよね。ここで止めたいんですどうしても。
だから私演じたいんですよ母親を。私の人生かけてこの負の連鎖を止めたいんです。
じゃあ良い夫を見つければ良いじゃんって?無理なんですよ。こんな育ちをした人間が、人と本音でぶつかるのが怖い人間がまともな夫に出会えると思います?良い家庭を築けると思いますか?
だったら、ストーリー作った方が早いと思ったんです。あなたにはお父さんがいたよ、本当に素晴らしい人だったよ、でも死んじゃったんだ、それは仕方のないことだったんだよ。だから一緒に頑張ろうね。って。
斎藤陣営は誹謗中傷度が高いとか怪文書とか言っているが、内部告発者の保護について定めた公益通報者保護法に違反する、と指摘されている。これだけでも十分なパワハラ。
当然ですが、相手が反論できない状況で一方的に断罪、糾弾する行為はパワハラ。その後の百条委員会で通報内容がうそ八百でなかったことは明らかになっている
通報相手に対し、通報したことをもって「不利益な取り扱い」をするのは公益通報者保護法に定められているパワハラそのものである。
不同意性行為だとか相手は10人だとか言っているが、それについては言ってることがコロコロ変わるし、信憑性は低いだろう。
問題はプライベートの中身でなく、プライベートなことで告発者を脅したこと、その後告発者が自殺したことである。
と言い残しているので斎藤知事を恨んでの自殺であることは確実。
「不倫野郎は死んで当然」とか言ってる奴は玉木に対する態度とどう整合性をとっているのか。
彼が死んでから死人に口無しと言いたい放題罵詈雑言を浴びせる。
彼が告発しなければ自分が地位を追われることもなかったので恨む気持ちは分からなくもないが、
厳密に言えばこれはパワハラではないが、あまりに酷いので選出する
「斎藤知事がエレベータにスムーズに乗れるようエレベータの前で待機する係」が作られる。
20mくらい自分で歩け。
斎藤信者の中では斎藤知事は職員にいじめられていたらしいが、完全に調子に乗っていることから
職員の方が偉いなんてことは微塵もなく、職員を奴隷扱いしていたことが分かる。
ちなみに本人曰く、「俺は知事だぞ」とは言っていなくて「兵庫県知事です」と言ったらしい。
自分も育児中なので授乳室が使えないお母さんの苦労はお察しする。
何故か信者の中では「斎藤知事は職員に厳しいだけで県民のことを思っている」
ことになっているが、県民の迷惑なんて何一つ考えていないことがこれだけでも分かる。
自分がそれをされたら、と思うとそれだけで心が凍る。
「付箋を投げるくらい」など意味不明なことを言う人がいるが、問題はものを投げる行為であって、
まず文脈というものが大事だよ。アメリカはとても人種差別の激しい国でつい数十年前まで平気で差別していたとんでもない人権後進国だよ。今でも差別してるよね。人種差別を人種差別で解決しようとするアホが考え出したのがアファーマティブ・アクションというものだよ。アメリカ社会は差別がダメなものだという空気感がどんどん強くなっていき反差別が一大勢力になったよ。反差別的な社会運動に関心が高いことをwokeと呼ぶようになり意識の高い人達はwokeを自称していたよ。
人間の世の常で、力を持った団体は悪い人にどんどん乗っ取られていくよ。もともと警察暴力反対からできたBLMも今や活動家の餌食になってとんでもない暴力団体になってしまったよ。言葉狩りもどんどん激しくなっていき例えば"master bedroom"という言葉のmasterが奴隷の主人masterを想起するから使うなと叫ぶ人達が出てきたりおかしなことになってきたよ。テック業界だとmasterブランチやblacklist、dummyなどが餌食になったよね!ディズニーの作品もだんだんと不自然なほどに黒人LGBTQ推しになっていき人々は完全に疲れ切っているよ。女子スポーツに男性を出すことが「正しい」ことになり幼い子供に積極的に性転換手術を推奨することが「正しい」ことになっていったよ。
だんだんとwokeという言葉の意味が変わってきたよ。今ではwokeという言葉はこのような行き過ぎたリベラルの暴走した頭のおかしいカルトを指すようになったよ。要するにwokeという言葉が悪口として使われるようになったんだね。
このようなwokeな団体やメディアに金を注ぎ込んでいる黒幕の一人がジョージ・ソロスというジジイだよ。彼の息子のアレックス・ソロスはカマラ・ハリスを含む民主党の政治家を買収していて恥ずかしげもなくツーショットの写真を公開しているね!
そんな文脈がありながらもカマラ・ハリスは「もっとwokeにならなきゃ!」などとバカなことをヘラヘラと酔っぱらいながら叫んでいたもんで、当然みんなから嫌われていたよ。
トランプが勝ったのは当然なんだよね。むしろカマラ・ハリスが思ったより善戦したことの方が驚きだというのが世の中の一般的な解釈だよ!