はてなキーワード: 奴隷とは
『戦国大名・織田信長に仕えた黒人男性「弥助」と、弥助について書いたトーマス・ロックリー(日本大学法学部准教授)の書籍『信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍』(太田出版、2017年)が話題を集めています。トーマス・ロックリー氏の同著に、戦国時代の日本において「地元の名士のあいだでは、キリスト教徒だろうとなかろうと、権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ」という記述があり「それは事実とは異なる」「日本が黒人奴隷を生んだというデマが世界に広まってしまうのでは」と非難・懸念されているのです。』
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/00b9dff9cd6151ac3d61c0460481db6a9e83d92d
そもそも「黒人奴隷が流行った」って「黒人を奴隷として入手することが流行った」なのか「黒人奴隷を(非奴隷として)召し抱えるのが流行った」という話なのかどっちなん?
『「かつて日本で黒人奴隷を使うことが流行した」という事実は、歴史学の研究においては支持されていません。
* 「奴隷」の定義: 歴史学において「奴隷」は、所有者がその人に対する完全な支配権を持ち、人身売買の対象となるなど、非常に厳格な定義があります。
* 日本の歴史における人身取引: 日本の歴史において、人身取引は存在しましたが、それは現代の「奴隷」とは異なる形態であり、人種を特定して行われるものではありませんでした。
* 西洋の奴隷制との比較: 西洋の奴隷制は、大規模なプランテーション農業を支えるために、アフリカから黒人を大量に強制移住させ、生涯にわたって奴隷として酷使するものでした。日本の歴史における人身取引は、規模や形態において、西洋の奴隷制とは根本的に異なっています。
* 渡来人: 古代日本には、朝鮮半島や中国などから渡来人が多くいました。彼らは、技術や知識を持ち込んで日本社会に貢献しましたが、必ずしも自由な身分であったわけではありません。
* 出稼ぎや売買: 中世以降、経済的な理由などにより、人々が身売りしたり、出稼ぎに出たりするケースはありました。しかし、これらは現代の「奴隷」とは異なる概念であり、人種差別を背景としたものではありませんでした。
* 身分制度: 江戸時代には厳格な身分制度が存在し、武士、農民、工商人、そして最下層の穢多・非人などがいました。しかし、この身分制度は、人種ではなく、職業や家系に基づいていました。
なぜ「黒人奴隷」という誤解が広まるのか?
* 西洋史との混同: 西洋の歴史における黒人奴隷制の知識が、日本史にも当てはめられてしまうことがあります。
* 歴史認識の歪曲: 過去の出来事を意図的に誇張したり、歪曲したりすることで、特定の主張を正当化しようとする試みが見られます。
歴史学の研究に基づけば、「かつて日本で黒人奴隷を使うことが流行した」という事実は、事実無根です。日本においては、西洋のような大規模な奴隷制は存在せず、人身取引はあったとしても、人種を特定して行われるものではありませんでした。
』
https://togetter.com/li/2189132
こいつら全員処刑もんよな
まさに奴隷の鎖自慢
接客で笑顔を心掛けてたら「ニヤニヤしていて気持ち悪い」ってクレームの入ったオレの話を聞きたいか?
悪いことは言わんから男は無表情になれ。
あ、いま気づいたけどあのクレーム入れた女は「友好さは要らんけど丁寧さは寄越せ、つまり奴隷でいろ」って言いたかったのかな。
つまりこの辺から既にトンチキな歴史改変が始まっていたってことやな
つか奴隷として輸入してたのなら取引帳簿の一つくらい日本にも「輸出した側にも」残ってるはずだし、長崎やその近くの九州の武家の記録にだってそれなりの頻度で登場してるはずなんだがな
もともと「宣教師が連れてきた黒人奴隷を信長が気に入って召し抱えて侍に取り立てた」っていう話を批判してたはずだったのに
いつのまにか「日本人が弥助をはじめとした黒人たちを奴隷にしていたんだ」みたいな話を批判するようになっていてビビったんだけど
「自分之妻をぶっ殺して偉い人に食わせた」という故事が超名シーンとして長年言い伝えられるようなクソみたいな階級社会で暮らしてきてんだよ!
が広がっていることが問題だと思ったので記事を書いた、というだけのことだぞ。
ロックリーが『信長と弥助』で地元の名士のあいだでアフリカ人奴隷を使うことが流行したと書いたことを増田が問題だと思っているなら、遠慮なくロックリーを批判して良いんだぞ。電脳藻屑がその論点を隠したわけでもないし、なんなら記事でその点ちゃんと書いているんだから、増田が文句をつけるのはおかしい。
むしろ、ロックリーの主張についてデマを拡散している連中の勢いが弱ったあとの方が、ロックリーの実際の主張に対する批判が広く届く余地が生まれるだろ。
増田の本当の敵は「長崎奉行が黒人を使っていた記録があるから、ロックリーの記載には一応根拠がある」みたいな主張をしているやつらだぞ。そいつらに喧嘩を売ってこい。
『戦国大名・織田信長に仕えた黒人男性「弥助」と、弥助について書いたトーマス・ロックリー(日本大学法学部准教授)の書籍『信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍』(太田出版、2017年)が話題を集めています。トーマス・ロックリー氏の同著に、戦国時代の日本において「地元の名士のあいだでは、キリスト教徒だろうとなかろうと、権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ」という記述があり「それは事実とは異なる」「日本が黒人奴隷を生んだというデマが世界に広まってしまうのでは」と非難・懸念されているのです。』
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/00b9dff9cd6151ac3d61c0460481db6a9e83d92d
戦国時代から現代まで、多くのアフリカの人々が、さまざまな理由で日本を訪れています。この章では、その一部を取り上げ、日本との関わりをたどります。
戦国時代、ポルトガルやスペインなどヨーロッパの船が日本を訪れた際に、黒人が従者や奴隷として連れられていたことが、アフリカの人々が日本を訪れた最初の事例であると考えられています。
織田信長の伝記である『信長公記』には、イエズス会司祭ヴァリニャーノが従者として連れており、その後信長に仕えることとなった「黒坊主」が登場します。
「彼男健やかに器量也爾も強力十之人に勝タリ」と描写されており、信長をはじめ、当時の人々に高く評価されたことがうかがえます。
日本では「弥助」と呼ばれたそうですが、アフリカでの本当の名前はどのようなものだったのでしょうか。
また、第一章の冒頭で触れた天正少年使節団も、『天正年間遣欧使節見聞対話録』【226-29】によれば、アフリカを訪れた際に「今迄にもあの黒い者らが我々の方へ渡つて来るのを沢山に見た事はあるが」と発言していることから、日本へと渡ってきた黒人を知っていたことが分かります。
しかも、使節団を派遣した大名のひとり、有馬晴信は、その軍がアフリカ人とマラバル(インド)人に助けられたという、次のような報告もあります。
フロイスの『日本史』【GB315-21】に、有馬・島津軍と竜造寺軍の戦いにおいて、日本人の砲手がいない中で大砲を「一人の(アフリカの)カフル人が弾丸を込め、一人のマラバル人が点火して」発射し、「千人の兵隊を有しているよりもそれらはより効果的に役立った」と書かれています。
「トーマス・ロックリーによって『黒人奴隷は日本発祥』というデマが広がっている」というデマ - 電脳塵芥
って話がバズってるけどさ
問題は、地元の名士のあいだでアフリカ人奴隷を使うことが流行したってことを言ってる学者がいることであってさ
『黒人奴隷は日本発祥』なんてのは、問題を大きく見せて注目集めたいやつの自己顕示欲モリモリの戯言に過ぎない
極端なことを言ってるやつをピックアップしてきて、問題点から目を逸らそうとしてくるのおかしない?
これよくあるんだよ
慰安婦はいなかったとか、南京大虐殺はなかったとかいう極端な意見を拾って来て、保守は歴史修正しようとしてるみたいなこと言い出すやつ
慰安婦はいたけど韓国側が主張するような存在ではない、中国が主張するような南京大虐殺はなかったんじゃないか