はてなキーワード: いまいちとは
備忘録的に書く。
諸用で久しぶりに上京することがあり、せっかくだから大都会のホストか女風に行ってみようと思い予約した。
ホストはハマったら怖そうなのと、単純に女風の方が体験として興味があったこと、費用対効果的に女風な方が満足度が高いのではと考えたためである。
わたしは見た目よりもトーク力や気遣いできるかの方を重視するので、盛られすぎてない写真や紹介文に好感が持てるかどうかを基準に指名した。初回おすすめとのことで120分コースにした。
サイトを眺めながら、世の中には美しい顔の男性が多いことと副業としてセラピストをしている人の多さに驚いた。
予約時間まではnoteの体験談を読んだりセラピストのSNSなどを眺めて予習していた。
前もって運営にわたしの服装や特徴等を伝えて、待ち合わせ場所で待っていると、セラピストから声をかけてくれた。Uber eatsみたいなでかいリュックを背負っていた。プロフ写真と若干風貌が異なっていた。身長も表記よりおそらく5cmは低い。このあたりは男性向け風俗と同じであるな、と思った。
近隣のホテルに詳しくない旨と予算を伝えるといくつか候補を挙げてくれた。
道中手をつないでくれて、早速に恋人気分を味わせてくれる。かわいいとかきれいとかたくさん褒めてくれた。たすかる。
フロントで前払いタイプのホテルだったのでわたしが払った。体験談の中にはセラピストが代わりに払って利用料支払い時に合わせて請求、というのがあったが、今回はセラピストはなぜか柱の陰にいた。ここのふるまいは人によるのだなと思った。
部屋に入るとウェルカムドリンクとしてミネラルウォーターをもらった。体験談で読んだとおりだ。
なにで当店を知ったかや来店理由などのアンケートと、いままでの性体験やしてほしいこと、NG行為などの簡単なカウンセリングをした。ア◯ル舐めはNGですよね、と爆速で確認されて若干笑った。よっぽどしたくないんか。
上京したから利用してみたことを伝えた際、「じゃあリピートなしですかね…」と明らかにガッカリされた。そこは「また上京したときにきてもらえるようがんばりますね!」くらいのリップサービスをしてほしかった。
メモの字が汚いことが少し気になった。
ネット記事のセラピストの取材で、女風の利用は必ずしも性感マッサージだけでなく、デートや普通のマッサージ、添い寝だけ、ただ話を聞くなどもある、とあったので、カウンセリングや会話でわたしの性格やどういうことを希望してるとか聞くのかなーとは思ったけど特になかった。わたしはそんなにエロ一択に見えたのか。
料金精算と終了時刻の確認をし、浴室や洗面所をセッティングしてもらい、わたしから先にシャワーを浴びた。
浴室から出るとマッサージのセッティングがされていた。体験談ではやたらムーディーにされる、とあったが今回はホテルがあまりにも安宿だったのでムーディーさは皆無だった。ホテルの下見不足と予算をケチるのは良くなかったな、と少々後悔した。
セッティング時に一時的に床に置きそのまま忘れられているであろう物品が放置されてて気になったので、セラピストがシャワーを浴びている間に片付けた。
まずはタオルの上から、そのあとオイルを使いながらマッサージをした。足のマッサージのとき、押す強さを確認されたがすぐにヌルヌルのマッサージになり、確認した意味とは、となった。
キスはバードキスから徐々に舌を使うのかなと思ってたら、最初から舌を突っ込まれた。焦らしなど皆無のフルスロットルである。
途中、わたしの手をセラピストの局部に当てて、「ずっとこんなだよ…」と言われたが「120分も大変ですね…」となってしまった。いま考えたらお互いの雰囲気を高めるために協力しろ、ということだったのかもしれない。
施術中、年齢や仕事のことをやたら聞かれた。ホストだったらNG質問なんじゃないんかい。
結局、終始申し訳なさと羞恥心の方が勝り、いまいち没頭しきれなかった。
上記に加え、舐められたとこが臭いなとかセラピストの脇がくさいなとかヒゲがじょりじょりしてるなとか考えていた。
いろいろと触られながら、シミケンのYouTube講座はすごかったんだなああれが無料で公開されてるのはえらいこっちゃ、とも考えていた。あれは男女ともに観ておいた方がいい。
総括としては、それなりに高額なので期待値を高く設定しすぎてしまった、という感想である。
有料で安全性の担保がされているという点では、人肌が恋しい、とか男性に慣れてないから練習で、くらいの利用でいいのかなと思った。
もちろん一回のみの体験であることと、先方の技量だけでなくわたしの気の持ちようや相性もあると思うので一概には言えない。
こんな根暗コミュ障女に対して優しく丁寧に接してくれたことに非常に感謝しているが、褒め言葉の語彙が少ないかつ表面的だったり、そこかしこに若干のアラがあったりして全体的にマニュアルに沿ってがんばって接客してくれてるんだなあと感じた。おそらく先方もわたしがいまいち乗り切れてないことに勘付いてたようで、申し訳なさがさらに加速した。
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2305/29/news148.html
集英社はわかってるな。
自分の話をする。
地方都市(東京からそこまで離れてもいないけれど、関東圏ではない、まあだいたい長野とはそんなに変わらないくらいの地方)の、昔からその場所に住んでいる家に育った。
家柄自体は代々続く、という類ではないし、何か大きな商売をしてるわけでもない。自分にわかるのも高祖父の代まで。当然家系図なんてないけれど、集落では屋号を伝えれば一発で「ああ、あそこの家の」と伝わる程度の家。これくらいは、田舎にはよくある家だと思う。
子供(自分たちのこと)は全員とっくに成人していて、それぞれ家を出て自活している。結婚はしてたりしてなかったりする。
幼い頃から、道を歩けば「おばあちゃんは元気か」「いたずらをするなよ」と声をかけられる。もちろんそれがどこの誰かなんてわからない。でも祖母のことを知っている。親のことを知っている。当たり前みたいに「あの家の子供」だと知っている。同級生の親でもなければ、向かいや隣の家の人でなくてもだ。なんなら、集落の外に行っても「あんたあの屋号の子だってね」と声をかけられる。
自分はめちゃくちゃに愛想と外面が良くて(長子ではないから、その分、家の中でははみ出しっ子だったが)、だから特にそれを苦とも思わず、むしろ処世術として、にこにこ返事をしていたし、元気よく挨拶もした。
でも長子は違う。出来がよくて、容姿がよくて、田舎が嫌いで、上昇志向が高くて、「あの家の子供」なのが、それをみんなが知っているのが、とても嫌なようだった。だから挨拶をされても返さない。話しかけられても会釈を返すくらい。自分のように、知らない老人に頭を撫でられたりはしない。
「挨拶もしない」「暗い」「いつまでも結婚もせずに」しまいには「ろくなもんじゃない」。
正確には長子は結婚しているし、子供達の中で1番の収入を得て、いくつかの難関資格をとり、職場でも地位がある。だけどそれを(特に結婚のことを)地元ではごく一部の友人にしか話していないし、ただの同級生くらいの相手には伝わらないよう口止めをしている。自分たち家族も、どの話も言い回ることじゃないから言わない。知られたら今度は「いつまでも孫の顔も見せないで」「地元に帰らず孝行もしないで」に変わることがわかりきっているからだ(親もそういうことは言われるのが面倒らしい)。
ろくなもんじゃなさでいえば、実際は自分の方が「ろくなもんじゃない」。頭が悪くて高卒で、容姿も悪くて、要領が悪くて、でもやっぱり田舎が嫌いで、どうにか家から出た(だからワープアまっしぐらだけど東京にしがみついてる)。
「ろくなもんじゃない」、これを言ってくるのが田舎だ。長子と比べてあんたはにこにこしていいね、あの子はろくなもんじゃないだろ。何度言われたかわからない。口さがないどころじゃない。
そりゃあ、多少なりとも長子に対してコンプレックスはあるものの、でも嫌いどころか尊敬していて、ブラコンとかシスコンとか、そういう類に入る自分に。幼い頃からだ。むしろ幼い頃の方が全員地元にいるのだから、自分と長子を比較して、ただ自分が大人にとって「絵に描いたよう」に元気な子供だったというだけで、まるで長子がさも出来が悪いかのように、小さな子供だった自分に言ってくる大人の多いこと。
それでもにこにこして、否定はせずとも肯定もせず、褒めてくれてありがとう、と返し、心の中で悪態をついた。長子が好きだから、悪く言われてムカつかないわけがない。でも「ろくなもんじゃない」と陰口を叩かれるのもごめんだ。田舎で生きるには、愛想を振り撒くのが一番楽だとわかっていた。
長野の立てこもり、「容疑者は精神疾患があって、だから悪口を言われていると被害妄想をつのらせ、凶行に及んだ」という「だけ」の流れになりそうで、それがある種の分断の姿の一つだなあと感じている。
精神疾患はあるかもしれない。それは否定しない。擁護をしたいわけでもない。当たり前だ、何人殺したんだよ。
でも「悪口(陰口)なんて「誰も」言ってない」は田舎、代々続く家、長男、農業、親は(色んな意味で)地域に顔が知られていて有能(ということになっている)これだけの条件が揃っていれば、陰口はほぼ100%の確率でいわれている。被害者の方が言った、ということではない。
しかも田舎は、ドロップアウトしたらもうそれだけで「一生落伍者」だ。高校なんていくらだって中退者がいるくせに、大学のそれや、社会に出てからの精神的な部分でのつまずきを許さない。
そもそも、精神的なつまずきに対して「恥ずかしい」が優先される。地域というよりは、「古くからの人間だらけの集落」だろうな。新興住宅地だとかだと、そうじゃないだろうけど。
容疑者の親がしたことを、「どうにか社会で一人でも生きられるようにししようとしたんじゃないか」というとても優しい、そうだったらどんなにいいかという目線で見る向きもあるが、必ずしもそうではない。
「まともじゃないことは、ろくなもんじゃないことは恥ずかしい。どうにかまともにしなきゃ、自分たちも恥ずかしいと思われる」。この考えが浮かばなかったとは、「田舎育ち」の自分には思えない。
閉鎖的で、陰湿なところが、人付き合いが濃密だからこそあって、そういう可能性を否定することが難しいという実感が、「田舎育ち」だからこそある。
顔もよくわかんない、名前もわかんない、関係性もいまいちよくわかんない親戚、隣の家、だいぶ離れたところの家、道ですれ違う老人、なぜか誰もが自分のことを「あの家の」と認識していて、それで人付き合いが苦手というだけで「挨拶もしない」「暗い」「いつまでも結婚もせずに」「ろくなもんじゃない」。
それが「田舎」だ。
下手したら、親(というよりも一番その手のことを言ってくるのは親より上の世代の親族、分家筋)すらもそれを口にする。なんでお前は。親は立派なのに。ろくなもんじゃない。
ネットにあるコメントや、テレビで流れるコメントに驚く。精神疾患「のようなところがある」と見るや、「ならばそれのみ」が原因だとばかりに見える(もちろんそうじゃない意見だってあるけど、そちらの方が多数派に見えた)。
見えてる世界が本当に違った。
showgotch 愛着障害大変だなあ…
(横だけど)これって愛着障害なの?
自分も愛着障害かもなあと思ってるんだけどいまいち確信が持てないので、元増田のどの部分が愛着障害と考えられるのかを誰か教えて欲しい。
以前なら人と話していて相手の理解がいまいちだったり、見当違いの回答がきたりしたらイライラしていた。
でも、ChatGPTを使うようになって「ああ、人間ってこういうことだったのか」と理解できた。
いまは言ったことが伝わらなくても「このプロンプトだとこう返ってくるのか」としか思わなくなった。
「部長にはこのプロンプトだと期待した結果が返ってくるぞ」って。
店員に注文を聞き返されたときも以前ならイラッときて「二度とこねぇよ」とか思っていた。
でも、いまは冷静に「このプロンプトで命令してみよう」と考えることができる。
ChatGPTのおかげでかなりコミュニケーションが楽になった。
人とのコミュニケーションってこういうことだったんだな。
CPU/GPUとかのガチ最先端はファブ巻き込んで半導体プロセス開発もやっていく必要があるから、じゃぶじゃぶ先行投資必要だけどその資金力は無いし、
インターフェースとかの規格モノはコンソーシアムの中で自社利益に寄せて規格策定推進していく発言力と政治力無いと厳しそうな印象ある
2つある。
基本的に年長者を敬う文化で生きてきたから年上の人相手だとなおさらわからない。
同い年や年下だと対面で話してる途中で「ほんと〜?」「わかる!」みたいにちょっとずつ砕けた口調を挟みやすいんだけど、年上にはそれができない。しかもテキストメッセージがメインになるから、敬語の合間にそういう砕けた口調を混ぜ込むの違和感がすごくてできない。
じゃあ相手はどうなのかと言うと、通話するときに「タメ口でもいい?」と言ってきた人や一度会ったら向こうだけタメ口になった人や何回か会ってたら「そろそろタメ口にしませんか」と言ってきた人がいた。何回か会ってもずっと敬語の人もいた。
敬語だと敬語に合わせて語彙も変わってくるから普段の口調と変わるし素じゃない感じがするから私はタメ口の方がいいなって思う。
でも初対面の人にいきなりタメ口を使うには抵抗を感じる程度の社会性は持っている。
2つ目は奨学金のこと。
プロフに「奨学金返済済みです」って書いてる人がいて、なんで?って思って調べたら奨学金が残ってるのを伝えないのはありえないみたいな記事が出てきてそうなん!?と驚いてる。
私は大学4年間のうち2年間だけ奨学金を借りていて、卒業してから普通に月々返済して今たぶん残り60万くらい。
これを一括で返済できるくらいの貯蓄はあるから別に返せと言うなら今すぐ返せるんだけど、今すぐ返すメリットがいまいちわからなくて、それ以上に返済手続きをするのが億劫でやっていない。
第一種だったから月々でも一括でも返済金額は同じで、どうせ支払う金額が同じで60万をポンと出せる余裕があるならその60万は今はまだ定期にでも突っ込んでおいて自分の貯蓄を増やすのに使ったほうが良くない?
いま60万を手放してそっからまた60万稼いでも60万しか手元には残らないわけですよ。
でも60万を定期なり投資なりに回して、それとは別枠で月々7500円払って、ってすれば長い目で見ればこちらの方がプラマイプラスじゃん。
微々たる労力とはいえ、一括返済のための手続きをするのもコストですし。月々返済は何もしなくても勝手に引き落としてくれるし。
奨学金があることでデメリットとなるのは何かあるのかな。住宅ローン組めないとかだったらそのタイミングで返済すればいっかーくらいの気持ちでいる。
近年だと2010年ぐらいにHTML5でサポートする動画とかのコーデックで特許があるから、ブラウザ間で足並みが揃わなかったりしたと思う。
その後googleとかが中心になって自由なコーデックを作ったりしたはずだ。
自社が他社から訴えられるリスクを下げるために防衛的に特許を使うならともかく、積極的に他社を特許侵害で訴えるのは好きになれないな。
ソフトウェアは自由なライセンスで広く使ってもらって改良していこうという文化があるかもしれない。
なんか… 。
皆さんの話聞いてて、温度差の違いに青ざめてきたわ…。
うちはお金の余裕がなくてカツカツだけど、相談して子どもを作った。
生まれてくる子が自力で大学目指すなら止めないけど、特に援助する気は無い。
どちらかというと文系の私と、ITエンジニアの夫は、いまいち納得がいかず。
あるところに双子がいました。弟さんは大学進学で。お姉さんは高卒です。
弟の方が豊かな人生を歩むでしょうか? 幸せでしょうか。高等な人間性を備えてるでしょうか。
「必ずしもイエスとも言えずノーとも言えない」
って結論になりました。
大学進学の結果、弟は姉より豊かな人間性を持った、とはならない。
選択肢のどちらを選んでも、優れた人格になるとも劣った人格になるとも言えない。
病気とかで実質時間停止してるならともかく、時は平等に流れる。
高卒だろうと続きの人生で経験は積むし、それが大学の講義に比べて劣ってますね、とか優れてますね、とかは言えないんだ。
ポイントは、選択肢は実は人生のどこにでもある、という点だったと思う。
大学出の方がカネを稼ぎやすいかもしれないけど、ウチが貧乏でもむっちゃ幸せなのは、お金がないからこそ幸せに過ごすにはどうすれば良いかを目的に据えて色んな選択をしてきたから。卵かけご飯と素麺を美味しくいただく方法をふたりで沢山考えた。レシピのバリエーションはどの家庭にだって負けないさ。
学者夫婦の両親の昔の写真見せてもらったけど寝てなさ過ぎらしく、ゾンビのようにやつれてて趣味の映画も我慢してたらしい。先端に追いつくためには常に勉強して前に進んでなきゃならない、だとか。
まるで終わらない大学受験みたいだな、と私は思いました。
「選択肢がないように思えるのは、他の選択肢を見ようとしてないだけ。視野狭窄の証拠です」
…夫のこの発言が決め手だった。