はてなキーワード: ヤオとは
映画「君たちはどう生きるか」を観てきた。
・うまい言葉がみつからないけど、アニメーションとしては、スタジオジブリの集大成といってもいい、すごい映像作品だと素直に思った。
・「インコ」というジブリ史上でもっともキモ可愛なキャラクターが爆誕しているので、それだけでも見る価値がある。早くグッズ欲しい。
・唐突に色々な出来事・モンスター・アイテムが目まぐるしく登場するので、初見で理解が追いつかない感もあったが、むしろ神話的で良いと、魅力的に感じた。たぶん、わざとそういう配置にしてる。
特に、個人的な感想として、もっとも印象深かったのがキリコという登場人物だった。
キリコは異世界(塔の世界)に迷い込んだ眞人が最初に出会う案内人(漁師)であり、『千と千尋』の湯屋の女中のような主人公との関わりを連想させるキャラクターだとも思う。後に、その正体は主人公(眞人)と同時に異世界に入り込んだ従者(老婆)であることが作中で明かされている。
はじめは、この案内人は老婆であったキリコが異世界で変身した姿なのかと思ったが、どうも違う。この若い姿のキリコは(恐らく)数十年前に異世界(塔の世界)を訪れていた、若き日のキリコなのだ。
そして、眞人と同時に異世界に侵入したはずの老婆キリコは、若き日のキリコより、木彫の人形として眞人に託される(映画ラストで、この人形が老婆キリコに変化することから、これが依り代のようなアイテムになっていることは明らかである)。
しかしなぜ、老婆キリコは異世界で木彫り像に変身しなければならないのか?それは、パラドックスの回避の為、時空が混然一体となった異世界(塔の世界)には、2回目は入れないルールがあるからではないか、と考えた。
ではそうだとして、何故、異世界に侵入していないはずのその他の従者(老婆)たちも、老婆キリコと同様に木彫り人形として異世界で登場していたのか?この関係は紐解く必要があるように思う。
一つは、現実世界からの老婆キリコは、他の従者(老婆)たちと同列に、この異世界(塔の世界)には不在であることを示すたんなる装置としての(木彫り人形の)意味合いはあるだろう。
では、他の従者(老婆)たちも若き日のキリコと同様に、過去に異世界に招かれていたということなのか?この点については、実は、キリコ以外の従者たちは、ワラワラ様が現実世界に生まれ、育った姿なのではないかと思うのだ。つまり、彼女たちは大叔父が作った異世界に魂の起源・体験を持つので、作中の異世界では木彫り人形として描かれたのではないか(2回目は入れないルール)。つまり、過去に異世界と縁があった存在であることのメタファー(暗喩)が木彫り人形なのだと思う。
そう考えると、丸くて小さくてもふもふした従者(老婆)たちと、背筋の伸びた老婆キリコのキャラクターの対比も分かりやすい。異世界でのワラワラ様とキリコの関係性を、現実世界でも再現しているというわけだ。
そして、実はキリコは大叔父の血縁者なのではないか。つまり、血筋的にも大叔父・ヒミ・眞人と関りのある重要な役割を担う存在だったのではないか。
異世界(塔の世界)では、大叔父とその血縁者しか主体的に世界に影響を与えられない……という風に理解ができそうな台詞・描写も作中にあったと思う。だから、異世界での鳥達は変容・進化?してしまったし、直接の血縁ではない眞人の父は異世界には入れない。他方で、ヒミは火を操る神通力により世界を浄化?破壊?する役割を与えられ、キリコは循環と再生を扶ける役割が与えられているのだ。
作中序盤で描かれる現実世界での老婆キリコは、他の従者たちと違って、なんとなく可愛げがなく、めざとく狡賢い性格として描かれている。しかし、あの異世界で描かれるように、面倒見がよく逞しく凛々しい姿が、キリコの内面なのである。だから、老婆キリコは、眞人を心配して廃墟の塔までついてきてしまうのである。
ここまで考えると,老婆キリコが作中でもっとも印象深く愛しいキャラクターに思えてこないだろうか。
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SNSなどでストーリーが分かりにくいという前評判をみていたが、物語の構成は『千と千尋』や『トトロ』と同様で、トンネルを抜けた先の異世界で試練を経た主人公が、何かを現実世界に持ち帰る構造であり、ファンタジー系のハヤオ作品の中ではむしろ分かりやすい部類だと感じた(個人的には『ポニョ』とかの方が難しくてついていくのがしんどかった印象)。
お前は無垢な積み木を使って
今までどおりの邪気のないアニメを作って欲しい
とお願いするも
いや、わしはもうそういうのはやめて今までとは違うものを作るんじゃ
いうなれば、あのアニメは死を描くとともに
葬式でもあるわけだろ?
もう、こうなると次はどういうのつくるの?
しがらみを捨てて何を作るの?
と俄然気になって眠れない。
ワイは一連の全体を、すげー絵本っぽいと思った。
とりま、絵本と同じで、ページをめくるたびに出てくる綺麗な絵を眺めて、ストーリーとか無視しとけばええんや。解釈とかはわかるやつがすればいい。
絵本っぽさ=映画っぽくなさは、たぶんわざとだと思うし、ハヤオオマージュを入れたからお話が混乱してるって思ってるならそれはちょっと違うと思う。
ここを取り除けるレベルのお話仕上がっていればたぶん評価は別れなかった
ここありきであとは辻褄合わせだからパヤオとジブリ周辺のお話を知っているかつ神作画を楽しめる人しか楽しめなかった
ハヤオが自分の人生について描いてる……という解釈面は、まあ取り除いて述べたほうが良いとして。
複雑なクソ家庭の、見た目だけは立派だけどやはりそれなりに下劣な少年が、理想と現実のギャップをどう生きるかの話、その手掛かりをファンタジー世界でみつけたきた話やろね。
少年は、自分がババアに守られてることや、世界で生死が無情に行われてることや、クソ野郎仲間の友達、己自信のマザコンとか悪意とかと出会って、帰ってきて、でもそのうちそんなことは忘れるんや。
今まで、いろんな批評を十数個読んでみたが、どれもこれも、やれハヤオがどうだとか、やれ鳥は鈴木Pだとか。もちろん観点としてはありだけど、そればっかりだと飽き飽きするし、映像とストーリーの力がそれほどにもない映画なのかと思ってしまう。
先ず塊から始めよということで、拙い感想を書く。文章の組み立て方とかわかんないから箇条書きだけど。
・夏子、女すぎる。まず馬車から降りるときにいい匂いした。夏子の腹を触らされた時の眞人の「ざわっ」って感じ、嫌悪感・忌避感がリアルだった。
・異界で夏子のことを「好きなの?」と聞かれ、眞人が「父の好きな人だ」って答えるの、「眞人が夏子のこと好きだからだろ」みたいな意見も見たが、違うだろう。
夏子はまだ「異性」だったのだ。母ではなく、女だった。好きとかではなく、母性よりも女性性が強く感じられていたからこそ、そういう受け答えになったのだと思う。
・だからこそ、産屋での「母さん!」という一種べたな呼びかけが、効いてくる。最初は「え、こんな“家族”の象徴としての母親呼びなんてベタで陳腐じゃね?」と思ったが、眞人が夏子の、異性性よりも母性を受け入れることにした、という意思表示なのだから、言う必要があった。「どこでそんな絆深まったん?」と思ったが、「これから家族としての絆を深める意志がある」という宣言だったのだ。
・眞人の悪意、すご!! 同級生からいじめられ、石で自分の頭から半端ねえ血を流すんだけど、あれ自分でやった傷なのに血出すぎでしょ。あそこで「うえ~ん、同級生にこんなことされたよお」っていうんじゃなくて「転んだ」というところ、テクニカルすぎる。
そういわれたら、同級生の罪が重くなるだけでなく、父親の激高もより深くなるし、夏子も「信用されていない。だから本当のことを言ってくれない」という無力感を強くするだろう。
眞人の悪意、すご!!! どろっどろの悪意だ。そりゃ夏子も「あなたなんか嫌い!」っていうよ。
・だから「自分の傷は悪意で汚れている」と眞人がいったとき、「こいつ、言いおった!!!」と思った。個人的にはこの「告解」が映画のハイライトだった。眞人がこの告白をできたこと、それがこの旅の意味だった。
・焼死した人間が火の使い手になるの、普通にえぐくない?ラストで「火は怖くないわ!」とかいって、「自分は死ぬが、それでもあなたを生むことを選ぶ」という強烈な「子の」生の肯定もグロくない? 「まあ最後は焼死してもそこそこいい人生だったもんな」って自分の人生を肯定してヒミが現世に戻るならいいんだけど、「あなたを生むんだもの」って。生むことがヒミの人生の第一義かい!ってなる
https://gigazine.net/news/20230713-ai-animation-life/
ここのブコメみてびっくりした。
あれってハヤオが勝手に怒ってカワンゴかわいそう〜なエピソードって認識だったわ。
川上は怒られて当然とか、悪趣味がどうとか本気で思ってるやついたんだな。
遺伝的アルゴリズムをつかって速い動きを学習させたけども、完璧なアルゴリズムじゃないので変なとこで局所最適化する。しかも頭が大事みたいな条件も付けてないので人型にしては変な動きをする。
「生命に対する侮辱」とかなんとか難癖つけられてカワンゴ泣いちゃった!カワイソ!なエピソードだろ。
これみて勝手に身体障害者の友人に繋げるハヤオの方がよっぽど最低だわ。誰もなんにも身体障害者がどうとか言ってないのに、自分でこの怪物のモデルは身体障害者に似てるって関連付けて怒ってるわけだろ?意味わからん。
小難しいと言われがちだが、例えば吉本隆明のような韜晦的悪文ではなく、解読しようと思えばしっかり解読できる文章だった。
思わせぶりなハッタリに満ちてはいるがハッタリはハッタリと識別できる。ふつうの日本語としては癖が強いが、記号としてはノイズが少ない。
そしてちゃんと読んだらめちゃくちゃ幼稚なことしか考えてないな、なあんだというものだった。
そのあたりはハヤオに似てるかな。思わせぶりの巧さ、芯の薄っぺらさ。
意外かもしれないのは彼は作られたアイドルだということ。筆一本でのし上がったのではなくインナーサークル内で政治的に上手に泳ぎ続けた作家。
大江作品はセカイ系が多い。「治療塔」はエンタメとしてなかなかの出来だが、エバンゲリオンよろしく世界人類にとってのキーパーソンは尽く主人公の血縁である。
晩年の身辺雑記みたいな私小説みたいなウダウダがそのまま小説だというスタイルには妙な味わいがあった。一つの発明ではある。それもセカイ系の変奏だ。進歩的知識人は特別な存在で、その日常の些事や生理は世界とシンクロしているのである。おまえらとは違うんです。
まあ一言でいってよくある昭和の徒花のひとつよ。時代を超えて残ったりしない。これから忘れられていくという意味じゃない。作品はもう忘れられてる。いまリアルタイムで大江作品読んで心震わせてる若者なんか日本中に一人もいない。彼の「思想」なんてものはもともとない。作品以外の社会的発言は全て左翼的スローガンの拝借でしかない。
https://edu.chunichi.co.jp/news/detail/564
現役女子大生のユニークな発想が詰まった期間限定駅弁「ちから弁当」とは?
https://news.1242.com/article/406542
https://blog.baika.ac.jp/detail/?id=172
奈良女子大生が考えたガッツリヘルシー弁当 9月にスーパーヤオヒコで販売
http://sankei-nara-iga.jp/news/archives/11139
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