はてなキーワード: 饒舌とは
昔、同作者の短編集『チョコレートダイアリイ』がとても好きだったので読んでみた。
『チョコレートダイアリイ』とは違って何を描くかよりも何を語るかに力を入れている感じで、説教くさい。と思ったら作者の初期作品集だった。
登場人物のモラルがいい感じに壊れている。当たり前の様に教師と「恋愛」したり、馬鹿が頭のいい子にヤッた男の数でマウント取って妊娠して中絶とか。今だったら創作の世界にしてもありえないと言われそうだが、これが描かれた90年代初頭はこれが普通とたぶん思われていた。
今年唐突にSLAMDUNKにハマった勢いでこちらにも手を出してみる。
現代と倫理観が違い過ぎるせいで異世界ファンタジーを読むような気分。
新免武蔵と本位田又八って、名前で既に勝敗がついている感じで又八可哀想。実力で敵わないからとエロ方面で勝とうとするのを見て、男も女もそういうとこは一緒だなぁと思った。
野武士の子分たちが、エロエロしいが反抗的なお甲さんのことを、親分亡きあとにブチ犯しに行くぞっていうとき、俺もいっぺんヤッてみたかったんだぁ〜、俺も俺も〜、などと言い合うところ、やろうとしている事に対して心が一周回ってピュアみたいな野武士ーズがかわいい。(気のせい)
1巻だからかもしれないが、まだ面白いのかどうなのかよくわからない。アクションシーンはすごかった。
カドコミオリジナルの作品だが、内容はかなりガッツリ目にBLだった。ただし商業BLレーベル外の作品なので商業BL特有のお約束や縛りからは自由な作風。
主人公の淀井はクラスメイトの村瀬のことを気にかけている。というのも、村瀬がイジメの標的となった原因が淀井の不用意な一言だったからだ。美化委員同士親交を深めるという名目で村瀬に近づいた淀井。ところが村瀬は淀井に対してとある欲望を懐いていて……。という話。
ダークな作風だけど、寡黙な村瀬が文章でのみ饒舌に語る世界の美しさや淀井への想いには胸を打たれる。
他人はキモいの一言で片付けるなというが、キモいの一言で片付けろというのもまた他人。
好きなことを語るより嫌いなことを語るときの方が長く熱が入っていた。
自分は、何かを嫌うにはそれ相応の理由が必要であり嫌いと言うならばどこが悪いか具体的に開陳するべきという考えを自分に課していた。嫌うのは多分に失礼で重大な行為であり、せめて説明責任を果たすべきだと……。
だが、その結果はどうだ。
得られた反応は「嫌いなことにだけ饒舌」「批判家」「アンチ」「何が好きかを語れよ」「キモい」。
とくに解説は不要だろう。一般人が嫌いなものに誠実に向き合っても、書評と呼ばれるなどかなりのレベルに達しなければ無意味である。
暇空の弁護士垣鍔晶が「カルピス」という名前で仁藤夢乃の容姿叩きをしていたのが由来で、
垣鍔を揶揄して暇空アンチがカルピスや類似する乳酸飲料の商品名をつけるムーブメントが生まれ、
「文鳥」は特にカルピスとは名乗っていないが初期から暇空に批判的なためカルピス軍団の一員とされる
カルピス軍団には「暇空ガガイのガイw」など直球の罵倒語を浴びせる者もいる一方、文鳥は罵倒はせず敬語で批判するタイプ
法律知識もありそうな雰囲気がするため暇空は「文鳥はcolabo側の弁護士」と認定していた
文鳥は数学教諭の免許を取っていると発言、「弁護士の伊久間勇星は数学が得意」という情報と組み合わせ「文鳥は伊久間だ」という暇空は主張
法学部卒の人が数学教諭免許も持っているパターンはかなり稀である
また、文鳥の言葉遣いが丁寧で女性的に思えることから、女性弁護士の誰かという説もある
ガガイのガイ系の人たちは開示されうる強い言葉を使っている自覚があるだけにVPNなど使用し開示対策していると発言しているが、
文鳥は「敢えてそういったことはしない」と言っており、たぶん生IPのまま書き込んでおり、普通に開示されたようだ
気になるのは、開示に使った文鳥のツイートは暇空について言及したものではなく、開示請求者も暇空ではないとの暇空の発言
文鳥は暇空の弁護団を批判しており、「彼らは弁護ではなく加害幇助をしている」といった発言をしていたので、それで小沢一仁あたりが原告になったパターンだろうか?
弁護団リーダーの渥美陽子は一度事務所を潰したが暇空と出会ったことで再度開業でき、暇空の弁護士をやるということをいろいろ割り切っているようだが、
小沢は「弱者に寄り添う優しい弁護士」路線を捨てきれず折に触れていい人アピールしており、
それが逆に鼻につくのだろう、リプ欄には毎回のように反論がつけられており、文鳥もよくいた
勝訴した時など機嫌がいいとツイート量の増える小沢が今日は饒舌であり、文鳥の開示成功を暇空が報告したのと同日にこうなのは怪しい
俺は自分がつまらない人間であると大いに自負している20代後半男性。
今日も暇なので、なぜ自分がつまらない人間なのかを、下記の記事にある「ものすごくつまらない人に共通する16の特徴」に則って整理したいと思う。
https://www.businessinsider.jp/post-100566
どうも俺がつまらない人間である根幹はそこにあるような気がする。
大いに該当する。
確かASDの特徴として、「発言するタイミングが分からない」みたいな項目があった気がする。
定型の人たちは仕事の場でも飲み会でも日常会話でも、お互いに目に見えないボールをゆっくりローテーションして、ボールを渡された人(もしくは奪った人)がその場の一時的なメインスピーカーになってるように俺には見えてる。
だけどそのボールの扱いが全く分からず、ボールをパスされたのに気付かず拒否したり、いつまでもボールをパスせず持ち続けてることが多い。
飲み会とかで誰かが「増田君ってxxxだったよね?」みたいに綺麗にボールをパスしてくれたのに、「そうですね」みたいな軽い相槌だけで済まして場が沈黙したり、自分の趣味の話だと饒舌になってしまう。
振り返ると反省することばかりだけど、いざ実践となると難しい。
『あなたが話していることに興味はないけれど、礼儀として数秒ごとに頷いているだけ』というシグナルやボディー・ランゲージに気付かず、絶え間なく、べらべらと話し続ける人
俺にとっては、相手がとりあえず笑顔でいたらそれはもう肯定の表現なのよ。
その人との距離感や場の雰囲気にも依存するから、考えることが多くて俺には無理。
極端な例だけど、明石家さんまさんがゲストに「お前アホやろ!」ってつっこんだら盛り上がるけど、その逆は成り立たないじゃん。
俺はこういう場の空気やその人のキャラや距離感がよく掴めないから、人を笑わせるなんて繊細なコミュニケーションは無理だな。
うるさくてがさつな人は、自分こそが最も面白い人間だと信じ込んでいる。静かでつまらない人は、何も言わないのが一番だと信じている。自分の言葉を聞きたい人間なんていないと考えているからだ。
何も言わないのが一番だと本当に信じてしまってる。
幼少期から今まで、自分の発言を肯定的に受け入れられた経験が極端に少ないからだろうな。
発言するにしても頭に浮かんだ事をそのまま言ってしまう癖があるから、場にそぐわない発言をしがち。
私にとってつまらない人の特徴は、変化のない、単調な生活を送っていることだ。様々な経験は、週末のパブでの会話をより面白いものにしてくれる。実際、いい話題を提供できる
これも該当する。
俺はロードバイクが趣味なんだけど、ここ4年間くらいずーっとロードバイク乗ってる。
平日はローラー台に乗ってるし、週末は峠に行き、長期休暇は自転車旅行に行く。
他にことに興味は無い。
発達障害特有の、興味の範囲の狭さ、強いこだわりが色濃く反映されていると思う。
自分の発言に価値を感じられないから、自分の意見を言うことも少ないかな。
これも難しい。
昔、誰かが話した面白い話をコピーして別の場所で披露したことがあったんだけど、全く受けなかったことがある。
場の雰囲気の作り方や話し方や相手との距離感みたいな、ノンバーバルな要素のコントロールができていなかったんだろうと思う。
こういった目に見えない要素を敏感に感じ取って自力でコントロールできる人マジですごい。
俺には無理。
何かしら新しい学びを与えてくれない人が、私にとってのつまらない人
今はロードバイクしか興味がない人間だから、目新しさなんて皆無。
簡単にいうと、自分が知っていることは相手も知っているし、自分が興味あることは相手も興味があるとナチュラルに考えてしまうこと。
定型の人にとっては「そんなの少し考えれば分かるじゃん」って思うかもだけど、俺は油断するとすぐ自他境界線がぼやけてしまう。
だから例えば俺が仕事で何かを説明する時、前提知識の説明が足りないか、意識しすぎて過剰な説明になる時が多い。
殆どの人はロードバイクの話題に興味がないことに気付いたのも、ロードバイクをはじめて2年くらいの時だった。
それまでは意気揚々とロードバイクの話を職場の人にしてたなぁ。
会話に興味を持っている他人を、その会話に参加させないこと
俺の話に興味を持つ人はいないので該当しない。
アドリブに弱くて困ってる。
俺にとっては会話は、あらかじめ準備したアセットをいかに早く引き出してナチュラルに話すかどうかであるので、急に話を振られるとパニックになることが多い。
逆に定型の人は急に話を振られた時って何を考えてどう対処してるんだろう?
親が死んだら首吊ろうかなとかしょっちゅう考えるくらいにはネガティブ。
発達障害で虚勢ではなく本気でポジティブな人っているんだろうか?
基本的に幼少期から発言や行動を否定されることが多かったから、がっつり学習性無気力になってしまってる。
発達障害でも何か突出した能力があって、そのおかげで社会的な居場所を確保できていれば人生にポジティブになれるのかもしれない。
残念ながら、俺には何も突出した能力はない。
ロードバイクは好きだけど貧脚だしね。
話題のストックが少ないから、場が持たない時につい同じ話を話してしまいがち。
「多くの人が単純に、周りに自分がどう思われているか自分で想像し、その想像に合わせて行動している」
「そして多くの場合、それは実際に周りがどう思っているかとは全然違う。だが、それを考えすぎて、自身のアイデンティティーを失っている」
発達障害者として一般社会に溶け込むため、また他人に迷惑をかけないために常に自分の振る舞いが周りの人にどう思われているのかは気にしている。
周りからの視線を気にせず自己中心的な振る舞いをするようになったらお終いだと思ってる。
ASD故に他人とのコミュニケーションに摩擦が多すぎて、毎日が楽しいとは一生言える気がしない。
趣味は楽しいとは思うけど、趣味に没頭しているのは現実逃避の意味合いが強いしね。
「いつもネガティブ」の項目でも述べたけど、何か能力があって社会に居場所があれば楽しいと思えるのかもしれない。
俺には無縁だな。
外野として都知事選見てて石丸さんの言動は気に食わない部分が多かったけど、ホントに良いように消費されて終わるんだなと思った。
石丸さんの過去の言動を見ると規模の小さい蓮舫さんや橋本さんみたいな感じで、何かに噛みついて存在感を出す方法しか知らない人に見えた。
それに加えて都知事選前からポスターの支払いの踏み倒しとか色々火種を抱えていたから、都知事選の間は泳がせて「蓮舫さんに対する駒」として使われて、用が済んだら今度は石丸さん自身が身から出た錆で玩具にされてる。
石丸さんに対する風向きが変わるまではだんまりだったくせに風向きが変わった途端饒舌に石丸さんを貶す人達と、石丸さんを玩具にして遊ぶ人達と、選挙を玩具にして遊ぶ賑やかしと、それら全てがおぞましい。
今の石丸さんに対する環境って、蓮舫さんに対する環境と変わらんよな
「もうこの人はこの先ずっと玩具にしていいんだ」みたいな空気。
全員がそうって訳じゃないが、そういう認識でいる人が沢山居る。
未だに蓮舫さんが「二位がどうの」って茶化されるのと同様に、今後石丸さんもなんかやろうとする度に「石丸構文」とかなんとか茶化され続けるんだろう。
そんな連中の票集めなきゃならんのだから政治家の皆さんも大変だよな。
ずーーーーっと溜め込んできたからここで吐き出させてほしい。
(段落の開け方を調べるのも億劫なので、読みにくいかとは思いますがご容赦ください)
24時間体制の部署だが、自分は日中シフト9時~18時休憩1時間で夜間勤務は基本なし。デスクワーク。
さて、掲題の同僚と日中シフトで毎日2人きりになることが苦痛で仕方ない。
その同僚Aは私と同年代だが古株で、昼間の業務は大体何でも出来る故に上司や他の同僚からも頼りにされている。
対面においてのコミュ力が絶望的に低いことを除いては、Aは完璧である。
Aと出会って初めて気になったのが、話のテンポが異様に遅いことだ。
業務上の連携の一環として「この○○って△△ですよね?」と確認を取るとする。
Aは1、2秒間を置いて威圧的に「…ん~?」と聞き返す。
そして更に数秒おいて、もったりと「あ~…ん~…」と返す。
非常に不可解だが、NO=「…ん~?」らしい。
相手が正解を言うまで何度も聞き返す、極めて陰険な手法を取ってくる。
最初は耳が遠いのかと思って配慮し、同じ質問を繰り返していたが、どうやら一回目で話の内容は聞き取れているらしい。
だから私は今では同じ事は2回以上聞かないようにしている。
1回質問をするたびに、「…ん~?」が発動され、さらに数秒かけて無言で処理され音声としてのレスポンスがようやく来る。
この仕組みさえ分かっていれば最終的な答えは得られるのだから。
また、AはYes/No以外の文章型回答も「…ん~?」から始める。
内容は理路整然としているものが多いが、どうにも皮肉っぽく、鼻につく言い方をする。
台詞だけ見れば普通であるが、小学生がする演劇のわざとらしいトーンのような、
アニメキャラのセリフを素人が真似して失敗しているような、独特な言い回しと抑揚の付け方をAはする。
「〇〇はぁ~(少しトーンダウン)、△△だからぁ(ちょっと吐息を吐く)、こうするのがぁ(トーンをぐいっと上げる)、普通だと私は思うけどぉぉぉ~~~↑↑↑??(何故か声がひっくり返る)」
文字起こししたら過呼吸のような喋り方に見えるが、実際はもっと早口だ。
上記のセリフを2倍速で脳内再生すれば実際の喋り方に近いと思う。
最近は慣れてきたが、勤務して数か月はこの「ん~?」を聞くたびに心臓がバクバクして仕方がなかった。
こんな態度を取られたら、この人は不機嫌で、自分が何かやらかしたのではないかと委縮してしまうのも無理はないだろう。
一度、「何かAさんの気に障るようなことでもしてしまいましたか?」と恐る恐る聞いたことがある。
「…ん~?……別に怒ってないけどぉ~~??↑↑」とのことなので実際の真偽は不明。
ここまで来たらもう怒ってるかどうかなんてどうでもいい。
自分が完璧でいることが当たり前であり、人に弱味を見せたら〇ぬとでも思っているのだろう。
誰も責め立てたり怒ったりしていないにも関わらず、Aは自分が犯したミスに対して一通り言い訳をして、
それでもまだ気が収まらないのか、怒りを鎮めるかのように気が済むまで自席で一人ブツブツ言っている。
なお、この手の人間にありがちだが、他人がやらかしたミスは重箱の隅をほじくるかのように責め立ててくる。
責め立てる台詞は上記の人を煽るような演劇調早口である。不愉快を通り越してもはや不気味で怖い。
当然そんなAと日常会話なんてできない。
推測するに、Aは興味のない人間や、見下している人間の話を聞くことができないのだ。
相槌さえまともにできない。
まあ仕事で友達を作りに来ているわけではないから、そこは別に良いとする。
好きなものはあるし、それを共有する仲間もいる。
そのグループ間においては、Aは正常にコミュニケーションは取れているように見える。
Aの趣味はソシャゲ等のスマホゲームであり、同じ趣味を持つ夜間シフトの同僚と話す時は途端に饒舌になる。
早口すぎて呂律が回ってないが、本人は楽しそうであるし、この時ばかりは「…ん~?」も封印されている。至って結構なことだ。
本音としては、頼むからそのコミュ力を10分の1でもいいから業務上の会話に充ててほしい。
この間、Aが有給を取って、普段は夜間シフトに入ってる別の同僚Bと一緒になった。
Bは私が話しかけるとすぐに答えてくれた。相槌も打ってくれた。
コミュニケーションが爆速で進み、QOLが頂点に達し、その場で感極まって泣きそうになった。
若干強面だけど清潔感もあるし容姿としてそれほど悪くないとも思える。
無口だが常識的だしユーモアも理解する、人柄として特に引っかかるところもなかった。
歳が近く共通する趣味もあったことで、仕事終わりに飲みに行くことが増えていった。
彼は普段は無口なほうだがお酒が入ると饒舌になるタイプだった。
時々彼の口からポロっと出る言葉にドキっとすることは何度かあった。
例えばニュースの話題などが出た時に、端的に言えばなかなかのクソ発言をすることがあったのだ。
ネットでたまに見かける攻撃的なクソコメやクソリプをしてる人みたいな、そんな感じの一言。
まあそういう面だってあるだろう人なんだから、くらいに思っていた。
徐々に、会社の女性と接する時の彼の対応が気になるようになった。
人柄も問題ないと思っていた彼だが、女性と話す時は妙に攻撃的なことに気づいた。
なるほど、女性にそんなに慣れてなくて緊張してしまうのかなと思った。
ただ少し度を越してるというか、なによりまずいのは女性に対してちょっと上からものを言う傾向があることだった。
会社の女性についても「~さんはコミュ力高いですよね」とか言うと「ああいうのはぶりっこだから誰にでもそう」とか急に毒舌になる。
全体的に相手を人として見る前に女性という枠で見てしまう傾向があった。
実は一緒に飲みに誘った女性の中で彼のことをちょっとかわいいかもって言う人がいた。
これはくっつけられるかもと期待したんだが
彼の場合そういうのがあると「舐められてる」と感じてしまうようでダメだった。いじっちゃダメな人になってしまう。
あと酔いが深くなると下世話な事を言う傾向も強かった。
「生理的に受け付けない」
この難攻不落のパワーワードの多くは、そういうにじみ出る性の強さを感じとっての事なのかもしれない。
そうやって彼を観察しながら思ったのは
「これ無理ゲーじゃね?」
という気持ちだった。
彼本人は悪い人間ではない。恐らく一度でも女性と付き合ったりすれば
慣れも出てくるし女性に対する接し方も変わっていくはずだと思えた。
完全にいらぬお世話だとは思うが、周りがなんとかしてあげたくても恐らく「マウント取ってきやがって」と思われてしまうだろう。
「ああ、彼みたいな人が女性と付き合うっていう土俵にも上がれないのかもしれない」
とはじめて知ったのだった。
話を聞いていると、ひどい親、意味不明な兄弟、非常識な祖父母など家族から理不尽な負担を負わされている成人がいるが、皆、なぜか実家から離れようとしない。
普通に働いていて、自分一人が食べていく収入は十分得られる能力はあるにも関わらずだ。
他人の家族の問題に深入りしようとは思わないが、あまりにも酷い家族の愚痴をずっと聞かされて、いよいよ「実家と距離をとってみたら?」とか「そこまで自分を犠牲にしなきゃいけない義務は無いよ」とか言ってみると、
さっきまで饒舌に話していた相手が途端にポカンとして、なんだか要領を得ない返事しかしなくなる。
何度も言うが彼ら彼女らは客観的な能力から言えば実家を出て一人で暮らすだけの力はあるはずなのだ。
そりゃ家族と離れるのに抵抗があるのはわかるが、明らかに加害、家庭内でなければ明確に犯罪とされるような被害を受けながらもその環境に留まり続ける意味が分からなかった。
これまでの人生でそういう相手に二度三度出会うことがあって、不思議だったが、最近思うところがあり分かってきた気がする。
つまり、「子どもを独り立ちさせる」ということは、家族という集団の最終目標の一つであり、家族運営の成功の結果でしかないということだ。
十分に機能していない家族がこの「最終目標」を達成するのは、そうでない家族より難しいのは自明だ。
何らかの第三者からの強い介入があった、などの一部の例外パターンを除いて、子どもを能力的にも精神的にも独り立ちさせるのは困難なことなのだろう。