はてなキーワード: 饒舌とは
二人目は・・・専門の時お互い仲は良かったけど周りが次々とくっ付いて、え?お前らは?って空気になって。
どっちも彼氏って役割をこなそうとして、相手を楽しませようと無理をした。
一人目はそれを見透かされて別れ、二人目も・・・無理をしたストレスで耳が聞こえなくなった事が直接の原因じゃないけど
恐らくお互い変に意識しすぎて今まで通り気軽な会話が出来なかったからだと思う。
そのまま専門学校を卒業して就職してブラック企業で俺は壊れた。
度重なる長時間残業、上司からの圧力、先輩はトイレでゲロを吐き後輩は失踪した。
毎日自殺を考えこのままじゃ三年以内に確実に死ぬな・・・と思って辞めた。
辞めた後はしばらくニート生活を堪能し流れるようにして地方に移住した。
移住した先では前の仕事の経験を活かし新しく仕事を始めるがそれも上手く行かなかった。
小中学校と虐められずっと挫折を経験し、ブラック企業で劣等感を刷り込まれた俺はここで心が完全に折れた。
誰とも話したくないし顔を見るのも怖い。
俺は引きこもった。
だけどそんな引きこもってる最中も俺の部屋に訪れる人は何人か居た。
極端な田舎と言う訳じゃないが車が無いと不便な地方と言う事もあって何人かに俺の車を貸していた。
その車を貸していた中にその子は居た。
俺と同じく流れるように地方を転々としてきて、今の場所が気に入って長期滞在しているらしい。
部屋に車を借りに来るのもウザいしめんどくさい。
でもその時は何故か饒舌だった。
ブラック企業に刷り込まれた劣等感で自分は相手を幸せにする事は出来ないと思っている事。
自分の糞つまらない人生に他人様をつき合わせてしまう事への罪悪感。
それを俺は次々と語った。
でもその子は別に幸せにしてあげなくてもいいんじゃない?と言った。
二人で幸せになろうって人を探せば?と言われて何か許された気がした。
そして別の日にタバコを吸っていた時、その子は全く吸わないのに近寄ってきて飲み会の日の話の続きをした。
俺が自分に自信が無い事を伝えると、何時になったら自信がつくの?と言われた。
確かに俺は3年後も「自信が無い」と同じ事を言い続けて物事から逃げてる姿が容易に想像できた。
俺だけ自信が無い訳じゃない。
みんな自信が無くても踏み出してるんだと言う事に気づかされた。
仕事中、Twitterを見ている時、寝る前、ほんの些細な日常の一瞬にその子の顔が過るようになった。
その子のTwitterを見ると今いる地方から次の地方へ行く事を匂わせるようなツイートがあった。
今行かないと絶対一生後悔する。
それは分かってるんだけどやっぱり怖い。
狭い地域だから周りへの影響とかを考えると怖いし、何より過去の自分の挫折ばかりの人生経験が頭を過る。
怖い。すごく怖い。
グッズより体験に金使っているオタク。聖地があるならそこに毎週末通い、現地の人とも仲良くなるタイプ。有志のファンイベでも裏方に回り気味
聖地として整備される前から行ってたりして、服装・言動は一般人と変わらない。行動力の化身
イベントやライブにも行くけど、予定や都合と合わせて時には諦められる
既婚/未婚は半々、収入も高収入もいるが、意外と普通だったりする
グッズやイベントに金を使うオタク。出る物全て購入、ライブやイベントは全通、転売屋使ってでも最前に行く。有志のファンイベでも常にマウント取り続けて迷惑かける
聖地巡礼も痛い格好や仲間でつるんで、現地の人とは交流が無い。金もあんま落とさない
服装も痛々しく、体型もデブかガリ、肌も汚く、臭い。偶に服装がまともなのは居るけど、似合わないハイブランドだったりして浮いている
圧倒的に未婚。既婚も居るが、もれなく相手も同類。収入は低いか激務での高収入。ガチャとか大好き
幸運な事に、自分の周りには良いオタクが多く、だいぶお金使っているがマウント取ったりしない。こちらが一方的にマウント取られていると感じるだけ、でも不快感は無い。諦めの境地
どうせファンになるなら、良いオタクが多めのアニメのファンになると良い。ガルパンとかは割と良いの多め。もちろんどんな作品にも不快オタは居るけど、程度の問題
ある時私は思い立ったのだった。
酒を飲んだあの、『饒舌かつ聡明』な状態を維持できたら 最高なのでは? と。
どうやら、脳の神経伝達物質である 『ドーパミンの効果』であるようだ。
しかし、お酒には問題があり、その効果は最初の20分しか得られないとのこと。
ちがう。私は心の中で叫んだ。
体内のドーパミンの平均生産量を上げたいのだ。それも、10%や20%ではなく、今の生産量の倍以上に!
気づけば、無心で『ドーパミンを増加させる方法』について、調べていた。どうやらドーパミンが出ていた。
ドーパミンを自然に高めるには、ドーパミンのもとになる、『アミノ酸チロシン』を多く摂取すれば良いようだ。
安い。信じられないほど安い。 迷わず、購入ボタンをポチった。それも、1度や2度ではなく、愛用のApple社製MagicMouse2のクリック機能が壊れるほどに。
…ふぅ。 これで1年間はドーパミンに困ることはない。
いや、まてよ。本当にチロシンだけで、ドパミンは増えるのか? 僕の目標は、今の量の10%や20%増ではなく、倍以上だぞ?
不安になってきた。そうだ、相乗効果だ。僕の目標を達成するには、よく聞く『飲み合わせによる相乗効果』これを複数かけ合わせて、効果を倍々にしていくしかない!
関連するサプリを夢中で調べた。
そうしてたどり着いたのがこれらのサプリだ。
安い。安すぎる。仮想通貨に20万円を投資して、数ヶ月でゴミクズに変えた私からすれば、あまりに安すぎる金額。(しょぼ
ええい。全部いったるでえ。ふははは。
こうして、ドーパミンを過剰に生産したおかげで私は、今この文章を書いている。
というのは嘘で、実際、飲んでどうなるかはこれからのお楽しみ。1ヶ月後にまた
ヘルニアからの坐骨神経痛で苦しんでて色々探した所、去年の秋に「長年悩まされてた腰痛がたちどころに治った!」といレポ漫画でTwitterでバズったある整骨院を見つけたので行ってみた。
予約はとりづらく、平日の午後だったが客がいっぱいだった。
レポ漫画では無愛想といわれていたそこの先生は、実にレポ漫画のとおり「うちは治っちゃうのでリピーターはいない」と無愛想だけどやたら饒舌だった。
いざ自分の番になったら、「症状はなに?」と聞かれた後ちょっと腰を触ってからいきなり足、腰、尻、背中に鍼を打ち出した。
十分なカウンセリングも触診・脈診もしないのにまずびっくり。鍼もそこそこ響いた。
鍼の後に低周波とマッサージが入って、45分ほどで終了。その間にも「Twitterで見て…」と来てる客の声が聞こえた。
終わった後、前屈と後屈をさせられて「どう?よくなったでしょ?」と言われたが状態は変わらず。
いや、脚痛いままですつっぱります、と答えると足の筋肉のつっぱりは取れないよとのこと。
その後、三日くらい経過見てと言われたけど状態は変わらず。
うん、リピーターにはならんわな。
生活習慣でそういう痛みって生じるものだから、一時的に痛みが取れても基本的には何度かぶり返すものと思うので、治っちゃうからリピーターいない理論はまずおかしいよなという認識。
でも、評判がいいので大多数の人は治ってるんでしょう。
自分は治りませんでした。
それでもたまに思い出してしまう人がいる。
その人は、元カレでもなんでもない、告白したら振られてしまった人。
でも今まで付き合ったどんな元カレよりも印象深く、忘れられない人だ。
4つくらい年下の彼のことを、最初は真面目で謙虚な好青年だと思っていた。
バイトで同じ内容の仕事をしているのもあり、そのうち彼とは自然とよく話すようになっていった。
私は当時よくバイト仲間とお酒を飲みに言っていた。男の子と飲むことも多々あったけど、あくまでもバイト仲間としてワイワイするだけで、誰のことも異性としては全く意識していなかった。
彼は、いつ誘っても忙しいからと断ることが多かった。同じ周りのバイト仲間の学生たちも、「○○くんは謎が多いから」「○○くんは真面目だから」と、一線を置いていた。私自身も何度か断られているうちに、きっとお酒の席やワイワイしてる空間が苦手なんだろうなと思うようになっていった。
その日のバイトは彼も私も17時上がり。(彼は日中に講義のない日だった)予定もなかったので、私はダメもとで彼を飲みに誘ってみた。
すると、彼はこう言う。
「今日は、他の人は一緒じゃないんですか?」
私は、もしかすると二人きりだと嫌なのかな?と思い、ああ、じゃあ誰か呼ぼうか?と提案した。けれど、彼はこう言う。
二人きりなのは、もちろん構わないのだけど。
その当時、私には彼氏はいなかったのだけど、恋愛対象として見るつもりの全くなかった彼に、まだ働いてる時間なのに不意打ちでそんなことを言われ、(誘ったのは私からだが)少しだけ舞い上がってしまった。
結果、じゃあ、二人きりで行こうか。と、いう流れになった。
とはいえ、この時点では全く好意を持ってるとかそんなんではなかった。
なんだか緊張するので、店は個室居酒屋とかいい雰囲気の場所ではなく、バイト仲間の野郎どもと良く行くタイプの、焼き鳥と日本酒とビールしか出てこない、常に親父がテレビで野球中継見ているみたいな雰囲気の大衆飲み屋へと連れていった。普通、男女のカップルでは絶対に行かないタイプの店だ。
彼は、「僕、こういう雰囲気の店、好きですよ」とにこにこしていた。こうやって二人で飲みに行くまで知らなかったけど、きれいめのファッションがよく似合うおしゃれな男だった。正直、ファッションセンスはとても、ものすごく好みだと思った。
とりあえずビールと枝豆で乾杯する。飲んでる彼のことを初めて見た。酒が苦手だと勝手に思っていたので、ビールをガンガン空けていく彼にものすごくショックを受けた。こんな話、聞いてない。知らない。そんなに飲めたんだ?と聞くと、「酒は好きなんですよ」と、いつもはしないタイプのにこやかな笑顔で笑った。
酒が進むにつれ、彼はどんどん饒舌になっていった。
普段飲み会を断るのは、本当の自分とのギャップに周りがびっくりしそうだから、というのが一番の理由らしく、真面目そうに見えるが実はお調子者で、どんな相手でも絡んでいってしまうので敢えて避けているとの事だった。
また、普段は気をつけているが、そこそこ口が悪いらしく、友達の前だとくだけた口調で話すらしい。
これは、内緒ですよ。なんて口に指を当ててしーっとするジェスチャーをされて、不覚にもどきっとしてしまった。
一軒目の店を出て、そこそこ酔いも回っていたけれど、なんとなく解散ムードにはならなかった。
「もう少しだけ、一緒にいません?」
なんて聞かれて、正直ちょっといい気分だった。
二軒目は、普通に個室居酒屋に連れていかれてしまった。もうどこでもよかった。もうすこしだけ、二人きりで話がしたかった。
そこでした話は、今ではもうほとんど覚えていない。でも、向かい合わせでも座れるのにいつの間にか隣に座ってて、彼が
「これ食べます?あーんして」
なんて感じであやされているのは記憶にある。久しぶりに、ものすごく、女として扱ってもらえて、すごくドキドキした。その日の夕方までなんとも思っていなかったはずの彼が、信じられない位かっこいい男の子に見えて、つい、私も、普段隠してた自分の女っぽい部分をさらけ出し始めた。
「このままじゃ帰れないです。責任とって…」
なんて、わかりやすく甘えて。
彼は、そのままタクシーで自分の家まで私を持ち帰って、その夜は、最後まではしなかったけれど、それなりにエッチなことを沢山した。
夢みたいな時間だった。
それまで、自分はあまり自分のことを女だと思ってなかった。それなのに、彼は、たった一晩で私の女の部分をこじ開けた。
あんなに真面目そうに見えたのに、どうして。
別に今まで私のこと好きだったとかそんなんじゃないのに、どうして。
家にコンドームがないからと最後のそれは断ったくらい遊び慣れてなさそうなのに、どうして。
たくさんの「どうして」で胸がいっぱいで、でもなんだか嫌ではなかった。
結果、彼とどうなったかというと、このあと彼のことを好きになった私は、次のデートの約束を取り付けるものの、そこでふられた。
理由は、「増田さんは僕と似すぎてるから、ダメ」で、今思い出してもなんじゃそりゃって感じだ。ふられた直後はショックで顔も見たくなかったけど、バイト先で会う手前平然としていなければならなかったし、他のバイト仲間は私たちにそんなことがあったなんて誰も知らない(知ってても困る)から、この期間が一番きつかった。
やがて彼と私は、バイトの中でもお互いに違うポジションの仕事を担当するようになり、一緒のシフトに入っても、休憩時間さえ被らなければ、顔を合わせることもめったになくなった…………はずだった。
彼は、あの夜以降、なぜかよく飲み会に顔を出すようになった。
今まで真面目で通してきたキャラが一転、女の子大好きキャラになり、女の子からは嫌がられていたものの男の子からは面白いと絶賛され、バイト内での友達も増えたようだった。
それを別の輪の中から見ながら、(元気そうでなによりだな)と思っていた私だが、しばらくは彼と会話をする気にもなれず、半年くらいはずっと無言か、業務上必要な会話も明らかに塩対応だったと思う。
年下にいいように遊ばれたな、というのが正直な気持ちだった。そんな自分が恥ずかしくて、なるべく早く次の恋がしたかった。
そんなある日だ。
閑散とする時間だったので、自分のポジションを私一人で回していたとき、急に彼が私のところへ来たのだ。
「お久しぶりです」
なんでもないような感じで普通に話しかけてくる彼に、私は全身から警戒オーラを放っていたと思う。すると彼は、近寄ってきて、急に手を取って私の手になにか握らせる。
びっくりして中を覗くと、クッキーだった。
「一人で頑張ってたから、ご褒美……」
困ったみたいに言う彼に、なんだかおかしくなって私は大笑いしてしまった。ありがとう、って言ったら、彼は、
「やっと俺に笑ってくれた」
と嬉しそうに笑うので、すこしだけ、やっぱこの人のこういうとこ、スキだな…と思った。
それ以来、つきあってるわけではないのだけど、バイト中に遊びに来たり、一緒に食事に言ったり、バイト帰りに自転車二人乗りでどこかに行ったりと、私がバイトをやめるまでよく遊ぶようになった。
彼は、バイト先では絶対に言わないが私のことを増田さんではなく名前で呼ぶようになり、慣れ親しんだ友達に接するみたいに私をぞんざいな態度で扱うようになった。でも、たまに○○さんの名前、かわいい。なんて言いながら頭撫でたりするので油断ならなかったが。
私も、彼のことを好きだったのかどうなのか、思い出してもわからない。けれど、ものすごく一緒にいて楽だった。あの日以来、キスも何もしなかったけど、彼の前では無理せずに、女の子でいられた。女扱いされてなかったのに。
今思えば、お互いに、別に理想の相手でも付き合いたい相手でもなかったんだと思う。
それはきっと、うぬぼれでなければそうだと思う。
だって、当時こっそり覗いた携帯のメモリー、女の名前は私だけだったから。
それがすごく、嬉しかった。
まぁ、彼女じゃなかったんだけどね。
というわけで、私が県外に就職し、3年もしたら別の男とあっさり結婚したのでこの件はわたくしだけの思い出話なのだけど、何が恐いってつい最近私は一方的に知ってしまったんだよね。彼、今わりと近くに住んでるっぽい。偶然見つけてしまった。
なんでなんだろう。
県外も県外、行き先も何も知らせてないのに。
どうやら今は向こうにも相手がいるみたいだし、私も太って誰だかわからなくなったので大丈夫だと思うけど。
たぶん彼がまたあんなふうに仕掛けてきたら、どうなってしまうかわからないなととっさに思った自分がいた。
こんなこと、誰にも言えない。
https://twitter.com/nhk_nehorin/status/951099083074056202
最後の腐女子用語辞典【解釈違い】キャラの受け取り方が自分と違うこと。イライラすることもある。例)「番組に出てた腐女子の話に納得いかない。完全に解釈違い!でもしょうがないよね、100人いたら100通りの腐女子がいるんだから・・・」ご視聴ありがとうございました🐽 #ねほりんぱほりん https://t.co/1sVh0dQNWf
マッッジで。
「男って~~だよね」「女には~~な傾向があるから」みたいな語り口で腐女子を語ろうものなら大炎上が約束される。
誰もが(この言い方も怖い)、「あなたはそうでも私は違う」を持っている。例え他者から見れば誤差の範囲だろうが、一人一人自分の腐女子としての輪郭をはっきりと持っていて、その差違をないがしろにされることを嫌う。
なんでだろうな、「男」「女」なんてカテゴリよりずっと狭いのに。
でも、もしかしたら、本来人をカテゴリで語るなんてのはこんくらいめんどくさくて然るべきなのかもしれないが。
なんで男同士に萌えるの?
と問われたとき、私にとって一番原点に近い表現をしてるのは下記の動画だ。
ここで言われているのは、端的に言って、
ホモが嫌いな女子なんていません!という平成も浅い頃の暴言があるが、
少なくとも女子の多くは、おっさん同士が無邪気になかよしだとわけもなく嬉しい。と、思う。
ヒロエさんは男性なので男性にもある程度は通じる感覚なのかもしれない。
でもまあ、人と人が仲良くしているな、と見てとれるとき、その多くは喜ばしい。
にこにこと仲良く戯れていたら、やっぱり微笑ましいしなんだかうれしい。
でも男女だと、そこに性の香りが漂うと、感想の種類はぐっとかわる。
終電前の改札前でいちゃいちゃしてる男女はまあまあ見苦しい。優しい気持ちにはならない。
でも、たとえおっさんのいちゃいちゃに喜ぶ人が世の中の何割であろうと、みんなが腐なわけではもちろんない。
だってみんなチームナックスを見ても彼らのセックスを連想しない。
(腐女子が全員セックスを連想しているかというとそうも言い切れないが…ここはややこしいがとりあえず話を進める)
そもそも前述の通り、人と人が仲良くしてるのは微笑ましくても、性的な要素は多くの人にとって微笑ましくない。
腐女子は微笑ましいものにわざわざ性の要素を見いだそうとする。
ようやくねほりんぱほりんの話をするが、あの30分間で一番私の心に刺さったのはこの言葉だった。
この、能天気な、使い古されたみたいな言い回しは、けれども「腐」というものの一面をとらえてるんじゃないかと私は思う。
そうなのだ。腐の世界は、すべての感情を、行動を、あるいは状態を、愛によるものだと意図的に読み違えることで成り立っているのだ。
だから、友情にもコンビにも兄弟にも愛を見いだすし、天井と壁にも愛を見いだす。
(ここでいう「愛」は「恋」である必要はないのだが、その辺は後述する)
そして、ここが重要なのだが、性欲とは愛に対して従であると、腐は思っている。
終電前の改札でいちゃいちゃしているカップルはあんまり微笑ましくないと書いた。
見知らぬ人たちが、泊まるか泊まらないかやるかやらないかの駆け引きをしているのを見るのは、何ならちょっと不快だ。
でも、それは、通りすがりの私の目には彼らの性欲しか見えないからだ。
彼らが「心から愛し合っているのだ」と認識したとき、その感想は変わる。
「逃げ恥」のじれじれしたベッド回りのあれこれを見たとき、あれを不愉快に思う人は多くなかったのではないか。
そこに愛を認識できれば、他者のものであっても性欲は不快なものではなくなる。
私もそう思う。
腐の妄想世界のなかでは、人は酸素を吸うように愛を吸っている。
話すのも食べるのも、笑うのも泣くのも、生きるのも、死ぬのも、すべて愛のためだ。
もちろん現実はそんなわきゃない。人は嫌うし憎むし見下すし嫉む。
でも、妄想世界のなかで、それらもみんな愛だと誤認する。意図的にする。
そこまでしてはじめて、恋について語れるし、性欲について語れる。
恋と性が大好きなわけではない。むしろ恋も性も汚い側面を有していることをよく知っている。
だからこそ、「この世のすべての感情は愛」な妄想世界にトリップしてやっとようやく、恋と性について語れるのではないか。
なんでだろうね。
天井と床の間に、唐揚げとレモンの間に、電車と駅の間に愛を見いだすとして、
どうして男女でもなく女同士でもなく男同士にたとえてしまうんだろう。
少なくとも私は、腐以外でこの手の「愛を見いだす遊び」をしている人たちを知らない。
「私とは違うなにか」でありかつ「同質に並び立つ二人(ふたつ)」が重要なのかもしれない。
私という現実の人間は愛じゃなくて酸素吸って生きてるので私に近い要素は必要なく、
彼岸の愛の世界で生きている人たちは同じ愛を吸う同じ種類の生き物だと思うのかもしれない。
やっぱ苦しいな。単にちんこすきなだけ!っていう清々しい腐のみなさんが一定数いることは書き添えておく。
ねほりんぱほりんでは、一人の出演者が男性にしつこく付きまとわれた過去を話した。
それがマジとか嘘とかマウンティングとか違うとかはどーーでもよいのだが、
ただ、そうなのだ。腐という趣味はその人の性的経験としばしば関連付けて語られる。
本人も、「私はなぜ腐女子なのか」と考えるとき、自身と男性との関係性について考えてしまう。
では、愛でくるまなければ恋も性も語れないというこの増田は、一体男性にどんなトラウマがあるというのか…!????
私は、そんなの聞かれなくていいし考えなくていいと思っている。
なぜ好きなのか?を考えて、趣味と過去の経験を結びつける必要はないのだ。ましてネガティブなものとなんてぜんぜんいらない。
何が好きなのか、どんなところが好きなのか、そんなことを考える方がずっといい。
でもなーーしちゃうんだよな!なんでだろうな!!
ねほりんぱほりんの三人の腐女子たちが自分はどんな人間かを語っているとき、私にとって目新しい言葉はひとつもなかった。
彼女たちの自己分析は、ネットに転がっている腐女子「たち」の語りの集大成のようだった。
どっかで見たことばっかだった。
腐女子は、「100人いれば100通り」であるにも関わらず、どこかで「私たち腐女子」という自意識を持っている気がする。
誰かの自己分析は私の自己分析で、自分について語る言葉は際限もなく膨れ上がる。
「私たち」は常に語らなければならないと思っている。
養老孟司が「いわゆるオカマの人は頭をよく使う」ということを言っていた。
マツコは「そうかもしれない」と応じた。「だってアタシ、トイレ入るときだって、自分はどっちなのか考えるもの。」
「私は何者なのか?」を考えてしまうのがマイノリティなんだと思う。
人はじぶんがマイノリティの側であると思ったとき、「私はなぜこうであるのか?」を考えずにはいられない。
腐女子もそうなんだと思う。「私はなぜこうであるのか?」それを語るために、「私たち」は「私たち」を語る言葉を溜めていく。
100人いれば100通りのはずの私たちは、似たような言葉を使って自分を語り、共感し、それでいていっしょくたにされることを嫌う。
私は何者であるのか。
私について私が語るとき、私は自分が女であることより、30代であることより、会社員であることより、腐女子であることを語るだろう。
「私たち」は問われ続けるし語りつづける。でもいつか、自分のネガティブな経験と腐を繋げて語る人がいなくなるかもしれない、と思う。
単に自分の人生の鬱憤をコメントで晴らしたいだけなんじゃないの?
基本さ、良記事ですごくブックマーク数あって、でもコメント少ないやつって、それが本当かどうか確信できたり言及できるレベルのヤツがいないんじゃないの??
なんで何も言わないの?
『助かった』『ありがとう』みたいなことは書かないの?
『こいつ最高にバカ』『これがいまの日本』とかは書く癖に『ありがとう』は書かないの?
おまえらってさ、自分が知ってる範囲のときは『いやそれは違う!ぼこぼこ!タコ殴り!』なのに
知らないと無言。無言じゃなくても『なるほど』『あとで読む』ばっか。あとで読まねぇだろ。恥ずかしい人たちだね。
すごい勢いで伸びてるホットエントリさ、だいたいあれ批判のコメントなんだよ。
しかもサイコパスって言われてちょっと嬉しがってるだろ。侮辱してるんだぞ。バカか????
おまえらコメントする前になんでそんなコメントするのか考えたことあるのか??
ただむしゃくしゃしてるから、叩きたい素材見つけて凛々として叩いてるだけだろ。
『これは叩けそう、これは叩けなさそう』っていう選別を自分でしてるのに気付いてるか??
『これはすごく叩けそう!!!』というものを見つけたときのその邪悪な笑顔、ちょっと鏡で見てほしい。
2chと違うのはちょーーっと言い回しが難しくなっただけでやってることはおんなじ。
なんか意見言ってきたら『なに急に絡んでくるわけ??ここそういう場所じゃないんだけど笑』みたいなスタンス。
まあ俺はおまえらが、ここはそういう場所だとわかって延々とうんちにまみれてたいハエだと思ってるわけだけど、もしそれすらわかってないヤツらは、早くそのことに自覚した方がいいと思う。
俺は昨年末に会社を首になって、それからはずっと倉庫でバイトをしている。いわゆるおっさんフリーターってやつだ。33才。当然、お先真っ暗。でも特に嘆いたり悲しんだりはしない。もうそんな段階はとっくにこえてしまった。まあ人生こんなもんだろ、しかたねーやって感じ。学歴もコネも才能もない。石の裏に棲息する虫みたいに、ひっそり生きて死ぬ。それでいい。たまに小さな幸福を拾えたら御の字。拾えないならそれもまたよし。
夏にSさんという男が新たにバイトとして入ってきた。俺よりひとまわり年上の45才。とにかく無口なおっさんだった。俺もかなり無口な方だが、Sさんにはかなわない。
俺とSさんは同じエリアを担当することになった。そこは最もコミュニケーションを必要とされない業務内容で、俺やSさんのような人間にはうってつけの場所だった。
いつのまにか俺はSさんと仲良くなっていた。無口な者同士で妙にうまがあい、仕事の後にふたりで飲みにいくようになった。酒の席でもあまり会話はしなかった。お互いに黙って、自分達のペースで手酌で飲む。それが心地よかった。
先週、ふたりで飲んでいたら終電を逃してしまった。Sさんのアパートがタクシーでワンメーターの距離だったので、泊めてもらうことにした。Sさんは独身でひとり暮しだった。部屋についてからさらに飲み直した。ふたりとも休日前だったので、心置きなく飲むことができた。Sさんはかなり酔っていて、見違えるぐらい饒舌になっていた。
「そういえば、あるよ」
Sさんがだしぬけに言った。そして冷蔵庫からおもむろにストロングゼロを出したのだ。
「飲んだことない?」
「あるわけないでしょ」
「ちょっと、やってみる?」
「本物?」
「もちろん」
Sさんが俺に缶を渡す。きんきんに冷えている。500mlのロング缶。どこからどうみてもストロングゼロだった。実物を見るのは初めてだった。俺にとってストロングゼロは文学の中にしか存在しない酒だった。Sさんが語りだす。
「ストロングゼロってのはね、平成の終わりに咲いた徒花みたいなものだと思うんだ。信じられないかもしれないけど、当時はどこでもいくらでも手に入ったよ。そこらじゅうのコンビニで山ほど売られてた。それが当たり前だった。特に疑問も感じてなかったな。
年号が変わってもまだしばらくは合法だった。みんな当たり前にストロングゼロを飲んでた。やっぱり東京オリンピックが良くなかったね。あれが致命的だった。あれのせいでストロングゼロの存在が世界中に知れ渡ってしまったんだ。ヘブンズドリンクなんて呼ばれるようになったのは、2020年以降のことだよ。
僕はね、今年の初めに北海道から逃げてきたんだ。今の北海道はひどいよ。名目上はロシアと北朝鮮が共同で統治してるということになってるけど、実態はちがう。内戦状態だよ。ロシアと北朝鮮と道民の三つ巴さ。僕ら道民はほぼ壊滅状態。そんなこと、こっちのマスコミは一切報道しないけどね。まあひどいもんさ。だから僕は命からがら逃げてきたんだ。
君は東京でできた初めての友人だ。だからこのストロングゼロを友情の証しとしてプレゼントする。めったに手に入らない代物だよ。密造酒ではないよ。そう単純な話ではないんだ。いま、闇で出回ってるストロングゼロはすべて平成末期に造られたものなんだ。それを保存する施設が札幌にあって....
ごめん、これ以上は言えない。なんだか今日は喋りすぎてる。だいぶ酔ってるみたいだ。まあ飲んでくれよ。正真正銘、本物のストロングゼロだぜ」
Sさんがプルトップを開けてくれた。俺は一口飲んだ。舌全体に甘美な絶望が広がった。
2026年 冬
躁うつ病、正確には双極性障害II型と診断されて四年。たぶん"ふつうの人"にはあまりピンとこない、でも想像してみると面白いかもしれない話。
双極性障害は社会生活に支障をきたすレベルで気分が変動する障害で、例えば鬱の時は何週間も全く家から出られなくなるのに、躁の時にはアイデアが雪崩のような頭から溢れ出し、病的に饒舌になるというような嘘みたいなほんとの障害。
この障害を診断され自認するようにってから、ひどく骨を折ったのは「自分の感情を信じないようにする」ということだった。
たぶん「自分の能力が信じられない」という人はよくいると思うけど、「自分の"感情"が信じられない」という人はあまりいないと思う。例えば、泣いてるときに「いま私は泣いているが、私は本当に悲しいのか?」と自問する人はそんなにいないと思う。でもこの障害だと、喜怒哀楽すべての感情に対して、「私は本当に〜」とやる必要に迫られる。というのも自分が喜怒哀楽を感じる対象が余りにもコロコロ変わるために、それら全てを自己として認識することがふさわしくないように感じるからだ。
この「自己の感情への懐疑」に思い当たった時、酷く動揺したのを今でも鮮明に覚えている。考えてみて欲しい。自分の感情というのは、当たり前だが、自分にとって最も馴染み深いもので、最も自分らしさを規定してきたもののはずだ。自分の感情と自分を切り離すというのは、いったいどういうことなのだろう、切り離した自分というのはいったい何だろう、そこに何が残るのだろう、というような訳のわからない疑問だけが頭に浮かんだ。
私自身がそうだったのだが、鬱の気持ちがわからないという人は結構いると思う。でも実際自分が鬱になってみて、変な話だが鬱の気持ちというのは自分でもよくわからない。鬱の時の思考や感情というのは、自分にとっても馴染みのないもので、全く新しい自己の一面のようにも感じてしまう。しかし、鬱が長引けば長くほど、果たして自分とはなんだったのか、自分が自分と思っていたもの考え方、ものの感じ方の方が間違っていて、本当の自分とは、ベットの上から起きて、生理的欲求を満たして、またベットの上に戻ることしかできない、今の姿なのではないかと思えてくる。まさに深淵を覗くような気分である。
それでも何週間か経つと今度は世界を変える男はこの俺だ!といったいような誇大妄想を持つようになる。自尊心が増大し、酷く横柄な態度を取るようになり、病的におしゃべりになる。そんな気分のジェットコースターを何度も何度も繰り返した。これではいくつ心があっても足りない。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1163576
この手の話題はこれまで何度も繰り返されているが,やはり興味のある人が多いのか,たくさんのコメントが集まっている.漫画の宣伝としては,大成功の部類ではないか.
この記事を見て,ふと自分の経験を思い出したので,ここに書き残しておく.
数年前の夏,仕事関係の知人 (既婚者女性) から,年の近い女性を紹介してもらった.その頃の僕は理工学系の分野で博士号を取ったばかりで,ようやく長い学生生活を終えたところだった.研究活動に夢中で,研究室と家を往復する毎日では,女性との接点などあろうはずもない.そんな中で頂いた紹介話だったので,喜び半分,不安半分という感じで,お会いすることになった.
最初は,紹介者を交えて三人で食事.平日の仕事帰りに,紹介者が予約してくれていたお店で,予算3,000円くらいの洋食.コースメニューだったので,外食慣れしていない身には,注文も楽で助かった.けれども,肝心の会話はそれほど盛り上がらず,自分のトーク力のなさが身に沁みるひとときだった.お相手は上品で大人しそうな女性で,おしゃべりも控えめな感じだった.それに,喋っているときの彼女の視線は紹介者の方ばかり向いていたように思う.
そもそも,僕は専門的な議論ではいくらでも饒舌になれるが,日常会話ではほとんど聞き役に回ることしかできない.いろんな話を聞くこと自体は楽しいけれど,自分の話をするのは苦手だ.複素関数とか測度論の話ならいくらでもできるけどね.
そんなわけで,あまり手応えがないまま食事を終える.つまらない人だと思われたかな,と暗澹たる気持ちに.紹介者に促され,とりあえず連絡先を交換.後ろ向きな気持ちでお店を出る.帰る方向が紹介者だけ別だったので,駅までのわずかな時間,彼女と二人きりになる.お互いに当たり障りのない礼を交わしたり,二言三言だけ会話をした.
その別れ際,彼女が急に真顔になって
「良ければまた会ってください」
と言った.頭に若干の疑問符を浮かべつつ,「はい.メールしますね」と返事をした.
「私達ばかり喋ってしまってすみません」「懲りずにまた会ってもらえたら嬉しいです」
という内容のメッセージだった.
社交辞令かもしれないとも思いつつ,食事に誘うことにした.「休日,お昼ごはんご一緒しませんか」みたいな感じ.
誘ったからにはお店を探して予約するのを期待されるんだろうなー,男性の役目って認識が一般的だろうけど,正直嫌だなー,とこのとき思った.ファストフード店以外では滅多に外食をしないから,良いお店を全然知らない.それに,恥ずかしながら,僕は電話が苦手なのだ.
「是非行きたいです。普段よく行かれるお店はありますか?あれば行ってみたいです。なければ、私の知っているお店でも」
人によってはごく普通の大人の対応なのかもしれない.けれども私の中で勝手に,彼女への好感度が急上昇した.結局,彼女のご厚意に甘えて,お店の予約までしてもらい,当日は美味しいイタリアンをいただいた.お会計では大変スマートに割り勘へ誘導され,大人だなぁと感心しきりだった.
それから頻繁にデートをして,その度に,お勧めのお店を彼女から教えてもらった.ほとんど毎回,予約も彼女がしてくれた.
「私のほうがお店をたくさん知ってるんだから、私がやるのは当たり前じゃない?」と、大変合理的.
あとになって分かったことだが,彼女にとって,いわゆるエスコートをしてもらえるかは全く重要ではないらしい.最初に会ったときはおとなしい印象だった彼女.実は,一旦打ち解けると,彼女は「おしゃべりモンスター」に変貌した.日常生活のことや,家族のこと,職場のことなどを次々と,とにかくすごい文字数で喋る.よくこんなに頭が回るなと感心するほどだ.自分の話をするより相手の話を聞くのが得意な私にとって,結果として,とても相性が良かったということだ.