はてなキーワード: 総評とは
『若おかみは小学生!』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨です。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向け。またこの作品は書籍版漫画版アニメ版あるけれど、それらは横に置いといて映画の話します。
これは120点っすな。点数の基準は「上映時間+映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」なので、「見れて大満足! もうちょいお布施したい」でした。
演出とは裏腹に内容的にはかなりヘビー(というのを見越して爽やかで明るい演出を用いていた)なので、児童文学原作でお子様向け痛快娯楽活劇とは言い切れないんですが、個人的にはクオリティさえ伴えば子供を思いテーマや悲しい作品でぶん殴ってもええやないか、いてもうたれ、子供ってのは子供なりに受け取るんだ派なので、クオリティでぶん殴ればいいと思います。ふるぼっこだドン。
この映画に関してはTwitterで児童労働がどうのこうのという話もちらりと耳にした程度で事前情報収集もなく見に行ったんですが、そういう物語じゃなかったですよ。
じゃあ、どういう物語だったかといいますと、大きく2つの柱が絡み合うストーリーでした。それは大きなテーマで言えば「喪失を乗り越える」と「自分自身と居場所を見つける」という話。
初っ端から重いですが、主人公である女子小学生・関織子(通称おっこ)は、本作冒頭の交通事故において両親を失います。もうこの時点で軽い話になりようがないわけですよ。にも関わらず事故被害のシーンはグロカットされ、葬儀とそれに続くドタバタのシーンも描写はされず、おっこは新生活の場であるところの、祖母の営む温泉旅館「春の屋旅館」へと向かいます。トランクひとつ持って別に落ち込むわけでもなく、ちょっと大変なだなあくらいの顔色で一人旅をして、到着し、新しい部屋(いままでのマンションとは違う昭和的な和室)を与えられ、転校して新しいクラスメイトに挨拶をして、ひょんなことから家業である温泉旅館を手伝うことになります。
『若おかみは小学生!』って言うタイトルだから当たり前ですが、こうして女子小学生おっこの若女将修行生活が始まるわけです。
「春の屋旅館」がある「花の湯温泉」は歴史のある温泉街で、古都然としたまちなみに浴衣姿の観光客が歩く割合賑やかで、カラフルな町です。この辺音楽や美術の演出とあいまって、しみじみと明るく暖かく描かれていて雰囲気良いですね。美術のレベルは高かったです。
でも、この明るく爽やかなあたりが(とうぜんそれは演出意図に沿ったものなんですが)、ある意味ホラーでもあるわけです。
小学生の児童にとって、両親を失うというのは、最愛の家族を失うということであるのみならず、加護者も生活基盤も導き手も失うということです。もう、それは世界の崩壊とかいうレベルでの悲哀なわけですよ。
にも関わらずおっこはそこまでの苦しさを見せない。両親を思い出してちょっとうつむくことはあっても、笑うし、日常生活を送るし、新しい出会いにも前向きでいる。それはよく考えればとてもとても異常なことなわけです。
異常なおっこの新生活は、やはり物語後半に向けて徐々に破綻してゆきます。「両親がまだ生存していて自分と一緒に暮らしている」という幻想を何度もみてしまうおっこは、あるシーンにおいて事故の原因となった(もちろん別のですが)大型トラックを見て、事故のフラッシュバックから過呼吸になってしまう。おっこは、両親の喪失という悲しみを乗り越えたわけではなくて、ただ単に今まで封印をして日常生活を演じていたに過ぎなかったわけです。
あらすじなんかにおいて本作は「主人公おっこの成長を描く」なんてサラリと書かれているわけですけれど、それは不誠実な欺瞞であって、おそらくおっこの身になってみれば、それは成長じゃなくて引きちぎられてバラバラにされてしまった自己の修復というサバイバルなわけです。失った何かから目を背けて、決定的な破綻をしないようにごまかしながら疾走するというのが、この物語の前半部分でした。
そういう意味で、おっこが若女将をやるというのは、児童労働とかそういうレイヤーの話ではないのです。両親を失って加護者も生活基盤も支えも失ってしまったおっこにとって「いまできるなにか」に必死に飛びついて自分を騙そうとしていたとも見ることができます。祖母である旅館の経営者(現女将)の後継者問題という、旅館側の都合があったにせよ、おっこが旅館の雑務に飛び込んで笑顔で充実していく背景にはそれがあるはずです。
事実おっこの若女将は雑誌に取り上げられて評判を呼ぶという広告的な価値はあったものの、従業員としてみたとき、お客さんに感情移入しすぎて夜闇の中に駆け出すなど(一般的な社会人の価値観からすれば)行き過ぎな面もありました。
でもそれも仕方がないと思うのです。両親という生活基盤を失ったおっこは、同時に目指すべき将来の自分像も失っています。「将来こういう自分になったらいいな」です。その空隙を、目の前に提出された安易な「若女将」で埋めてしまったわけですから、その意味では、おっこの若女将は労働としての若女将ではなく「若女将ごっこ」でもあって、つまりはある種の自分の居場所探しなわけです。
たとえおっこ自身がそれを言語化できるレベルで気づいてなかったとしても、まだ収入もなく住む場所も自分では決められない小学性にとって、他にできることなんて事実上ないじゃないですか。それはせめて居場所を獲得するという生存努力です。
おそらく祖母はそのおっこの悲痛に気がついていて、周囲が無責任に「若女将誕生!」とはしゃぐなかで、決して自分からは手伝え、継げとはいいませんでしたし、おっこの労働を危惧してた素振りも見えました。経営者として「子供に接客なんてさせられない!」と拒絶することもできたでしょうけれど、おっこから若女将をとりあげて、じゃあ不安定な彼女の精神に何をしてあげられるかと言えば何もない。だから黙認しかないわけです。
だいたい「自分自身と居場所を見つけるという話」なんてものは現代社会において、大学を卒業して就職して一年二年経った青年が、俺はどうやらこういう方面には我慢が効くがこういう方面は苦手だぞ、どうやらおれはこういう仕事とこういう人間関係の中でなら生きていけそうだ――みたいなのをやっとこさやるものなわけで。そんなものを、小学生が引きちぎられるような喪失を乗り越えるのと二正面作戦でやるのは無茶というものです。
そういう意味では、周囲の大人たちはもうちょいどうにかフォローしてやれなかったのかよ、とも感じるんですが、でも逆にそれこそ大人視点の傲慢な物言いであって、大人だろうが子供だろうがどんな人間でも自分自身の心の中の悲しみや未来とは、自分一人で向き合うしかないというのも一面の真実です。
おっこは画面上の軽やかさやおっちょこちょいさに隠されがちですが、実は誇り高い女の子です。特に自分が設定した自己目標に対しては愚直なまでに誠実です。だからこそ、宿泊客のために対立している真月に頭を下げて教えを請うこともします。その実直さが両親を失うという危地の中で彼女が孤立してしまった原因だし、それが巡って彼女の味方を増やす原因でもあったのは素敵だったと思います。
おっこは「喪失を乗り越えること」から逃避して、目の前のロールである若女将に飛びつき、そこで必死に働くことによって苦しかった過去をある意味塗りつぶそうとしたわけですが、その逃避が「自分自身と居場所を見つける」ことにつながってゆきます。
幾つかの出会いがあって、目指すべき未来のヒント、ロールモデルと出会います。たくさん登場人物がいるのですが特筆すべきなのは三人でしょう。
まずは旅館の女将である祖母。登場シーンは少ないのですが、彼女の個人人格と職業倫理が融合してしまったあの佇まいは、今は亡き母経由もふくめておっこの誠実さの根っこのように思います。職業倫理がついには人格化しちゃうって、昭和的な善人のあり方としてすごく共感できるんですけど、今の時代では流行らないのかもしれないと思ってちょっとホロリとしました。
二番目には、おっこの同級生、秋野真月(大旅館の跡取り娘、通称ピンフリ)でしょう。この娘は小学生女子なのですが、広い視野で旅館業と湯の花温泉京の未来を見つめていて、顧客に対して誠実であろうという、幼いながらある種の達人系キャラです(傲慢な物言いをする残念キャラでもあるのですが)。この娘と同年代として出会うことができた、ライバルとして対立したり和解したりできた、というのはおっこを取り巻く幸運の中でも格別のものでした。彼女との交友は、悲痛から逃げ出して飛びついた「若女将ごっこ」に、その内実の精神性を加えて「本当の若女将」へ進化させてくれたと思います。
(余談&劇中では語られませんが、温泉郷に住まう子供の中でも誰よりも本気で町の未来について抱え込んでしまってる真月の孤独にとって、その孤独の闇に現れて、自分の高さまで登ってくれると約束してくれたおっこの存在は、想像すると涙がこぼれるものが有ります。真月からみてもおっこは救いであったと思うし、そうだと良いなあ)
三番目は宿泊客である占い師・グローリー水領です。長い黒髪をたなびかせたこの宿泊客は、都心部に事務所を構える凄腕の女占い師なのですが、私生活での失意から「春の屋旅館」で飲んだくれ生活をしています。
抑制的な演出で描写される彼女の鬱屈をおっこはどうにかして励まそうと、浴衣を着たことのないという彼女の着付けを手伝います。浴衣初経験のそんな彼女の艶姿におっこが感嘆した感想が「格好いい!」でした。
ものすごくさり気ないシーンだったのですが、それはおっこが喪失していた「自立した憧れるべき大人の女性像」を見出した場面だったんじゃないでしょうか?
私生活で辛いことがあっても他者に当たらず、それどころか宿泊先の幼い従業員おっこに気を使っておどけてまで見せる。グローリー水領はおっこ視点では「素敵な大人のお姉さん」です。その素敵な年上のお姉さんに、「可愛い」でも「素敵」でも「綺麗」でもなく「格好いい!」と小さく叫んだおっこに、少し泣けました。お洒落で(←女子小学視点では重要です)、颯爽としてて、自立をしてて、視線を合わせて話してくれる。そんなお姉さんはおっこにとってどれほど輝いて見えたことでしょう。暗闇の中で我武者羅に迷走していた、それでも笑顔だけは守っていたおっこにとって、それは小さな灯火で「未来の自分」「目指すべき形」です。
祖母の言う「誰も拒まない花の湯」、同級生真月のいう「客を癒やすレストスペース」、女占い師が自分の仕事を「他人を励ます仕事」だと評したこと。それらは全て本作テーマに重なるパラフレーズです。そしてそういう人々の輪の中に、自分も入っていける。癒やしたり癒やされたりしながら前へ進んでいくコミュニティの一員になる。「若女将」という「自分自身と居場所を見つける話」は、おっこにとっては生存努力であり逃避だったわけですが、それを誠実に、ごっこから実体にしていくのならば、結局逃げていた「両親の喪失という苦しみを越えていく」につながっていくのだ、という脚本はすごく良かったです。
ここまで触れてませんでしたけれど、おっこには霊感があるという設定で「春の屋旅館」にきてから騒々しい幽霊の少年やおませな幽霊の少女と出会い、励まされています。両親が今でも生存していて日常は壊れていないという幻想に悩まされていた頃おっこを支えていたこの幽霊たちですが、物語終盤でおっこから見えなくなってしまうという形で別れが示唆されます。
でもそれは、おっこが人間社会のなかで居場所を確立した――七つまでは神のうちといういわばまだ神様たちの一員であり神楽の主役でもあったおっこたちが、社会の中で着地して、痛みも悲しみも乗り越えていく季節がやってきたのだというエピソードです(おそらく魔女の宅急便の黒猫ジジが喋れなくなる、も同様の構造ですよね)。
見終わってから気づいたのですが、この作品の幽霊や鬼たちは、幼いおっこが空想したイマジナリーフレンズだとしても物語が成立するように設計されています。
おっこは自分の中の勇気やかしこさと一緒に自分の悲しみと戦った。「春の屋旅館」はその舞台であり、若女将はおっこが戦うための姿だった。
すべてのフィクションはファンタジーなので現実視点を持ち込みすぎるのは野暮というものなわけですが、今後おっこは中学に入学卒業して、大学はともかく高校くらいは出るはずで、一人前になるまで十年近い時間があります。(このお話のおっこは絶対旅館業一筋だと思うのとは別に一般化するのならば)そのなかで、旅館業から離れるかもしれない。現実に寄せて考えるならその可能性は高い。
でもそんなことはおっこの戦いとそこで得たものとは関係がないわけです。おっこは若女将というコスチュームや身分を手に入れたわけではなく、戦いの中で手に入れた人間関係と自分自身がある。将来どこでなにをしようと、おっこの手に入れたものが曇ることは二度とない。それがこの映画の中心であって、それは児童労働とかそういうのではなく、もっとパーソナルで尊いものだったと思います。
怪文書を書き上げたものの、表が使えるいい感じの文章発表媒体が無かったので増田を使います。
メンバーのパーソナリティアナライズをエビデンスとしてポイント付けし、ロジカルにコミット。
チェックポイントは以下の通り
チェックポイント一つに付き、1位2位3位を付け、勝ち点を4,2,1と付けていく。1位は必ず単独で付け、仮に2位が同率の場合は、5,2,2で点数を付ける。
https://imascg-slstage.boom-app.wiki/entry/idol-measurements]
特筆においては、筆者が知っている追加の公式情報を書いている。
島村卯月 | 小日向美穂 | 五十嵐響子 | |
---|---|---|---|
身長 | 159 | 155 | 154 |
体重 | 45 | 42 | 43 |
バスト | 83 | 82 | 81 |
ウエスト | 59 | 59 | 58 |
ヒップ | 87 | 86 | 80 |
出身 | 東京 | 熊本 | 鳥取 |
趣味 | 長電話 | 日浴び | 家事 |
利き手 | 右 | 左 | 右 |
特筆1 | 頑張ってくれる | プロデューサーくんという名の熊の人形を持つ | 料理が得意 |
特筆2 | 笑顔が得意 | 指で作る「まだ駄目」ポーズが必殺技 | 弟と妹が合わせて4人いる |
特筆3 | 選挙一位受賞歴有 | 会話の観察が趣味 | 嫁にしたいランキグン1位 |
島村卯月 | 小日向美穂 | 五十嵐響子 | |
---|---|---|---|
身体のエロさ | 1 | 2 | 3 |
プレイのエロさ | 3 | 2 | 1 |
知識のエロさ | 3 | 2 | 1 |
積極的さ | 2 | 3 | 1 |
ハメ外しさ | 1 | 2 | 3 |
島村卯月 | 小日向美穂 | 五十嵐響子 | |
---|---|---|---|
総点数 | 12点 | 9点 | 14点 |
五十嵐は、他二人に対して、全てのスリーサイズが小さい値になっている。
脚など、計測されない部分に肉がついているかもしれないので、
そういった点ではエロさで勝てるかもしれないが、特にケツが小さいので3位に。
小日向は「まだ駄目…」とか言ってじらしとかも混ぜ合わせてきてエロそう。
島村はボディがエロいし頑張ってくれるから、テクニックとか無しに気持ちよくしてきそう(不満ではないが改善点)。
嫁にしたいランキングの意味を一番理解しているので文句なしの一位。
小日向が二位なのは、出身の熊本は田舎なのでヤンキーの友達とかがバリバリやってるし、
中学時代の部活の先輩が妊娠して結婚とか普通にあるから、色々詳しいため。
島村は割りと育ちが良いので知識はエロ本レベルなので三位。3人の中だと一番ホモ同人とか好きそうだけど。
「お料理、得意なんです」という言葉から、自分をアピールするのが強そうな五十嵐が一位。
島村は、頑張って誘ってくれることがあるので二位。
小日向は自分からは誘わないので三位だが、めっちゃしたいときは人に聞こえるように露骨にプロデューサーくんに話しかけるので分かる。
屋外等でのアドリブ性。
一位は島村。お願いしたら絶対頑張ってくれる。いつも頑張らせてごめんな・・・。
全体的な傾向としては島村と五十嵐が反対のエロタイプとして尖っており、小日向がその中間といったところか。
今回のロジカルな採点では五十嵐がエッチしたいポイントが一位になり、
小日向は、他二人に比べて尖っているエロポイントが無かったため、三位という結果になったが、
『プーと大人になった僕』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでそういうの嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向け。
これは100点っすな。点数の基準は「上映時間+映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」なので、この100点は大傑作という意味ではない(300点とかありえる)んだけど、ごちそうさまでした、わしゃぁあ満足です。という意味で良作だというのはたしか。損しません。
まあ、家族向けとかカップル向けかと言えば、実はそんなことはなくて、一人で見に行けよおい、しかも社会人がいけよ、っていうのはあるので万民向けとはいい難いんすけどね。この映画は、だって、学生にはわからなさすぎでしょ。
ざっくりいうと「おとなになって社会人となり企業戦士として毎日ブラックな労働をしているクリストファー・ロビン。仕事と家族の間で板挟み。人生の迷子になっちゃった。プーさんといっしょに正しい人生を探そう」みたいなあらすじ&テーマであって、それは予想通りだったし、そして予想を満たして十分以上な脚本完成度です。テーマや物語性(増田はここを中心として映画を見ちゃうタイプです。趣味合わない人は申し訳ない)でいえば、非常に満足でした。
がー。そのてんに関してはー。満足だったのでー、逆に満足であったがゆえにー。脇へうっちゃっておいてー。この映画のー。感想についてはー。別の部分をー。述べたいとー。おもいまーす。
映画冒頭部分では、まだ「100エーカーの森」でくまのぷーさんと遊んでいた頃のクリストファー・ロビン(ショタ)が登場するんですが、もうね、これがね、非常にこうファビュラスっていうか尊いわけですよ。華奢な白人少年が四分丈の(日本で言う半ズボンよりは少し長いけど膝上の)ズボンから、少し筋張ったくらいの細っい脚をね。伸ばしてね。みどり豊かな森の中をバスケットを持って歩く姿がね。素晴らしいわけです。
シーンはクリストファー・ロビンが寄宿学校へ向かうその直前。楽しく美しく永遠だと思われていた「森でのプーさんとの日々」が終わるちょうどその時。作中では「お別れをいう日(Day to say goodbye)」と描かれるその日なわけですよ。
クリストファー・ロビンは楽しい田舎暮らしから、厳しく抑圧的な寄宿学校へ入らなきゃいけない。それは大人への第一歩で、もう今までのように日々をただ日々として楽しく過ごせる時間は終わってしまった。それをクリストファー・ロビン本人もわかってるんですよ。もう自分はゆったり時間を過ごせない、これからは時間に追われて毎日何かをしなきゃいけない、大人になるからもう仕方ないんだって、諦観してるんですよ。
その「子供としての最後の日」。100エーカーの森で、プーさんとピグレットやティーガーたち森の仲間でパーティーをして楽しく過ごしたその後、森を見下ろす高台の丸太ベンチに座ったクリストファー・ロビンとプーさんの二人は、こてんと肩を寄せ合い夕日に向かってずっと座ってるんですよ。
そこで「ぼくのことをわすれちゃうの?」と鼻にかかった声で尋ねるプーにたいして、ショタ(大事なのでもう一度いう)美少年のクリストファー・ロビンが、優しくて、それでいて困ったような表情で「プーのおばかさん」って言うんですよ。
ほんと。
尊い。
わかるか人民どもこの尊さが? 「おばかさん」ですよ。もうね、水銀灯の牙城にいちどの跳躍で飛び込む偉大なシーンですよ。もちろん画面は映画でありフルカラーなわけですけれど、この夕暮れは追憶と郷愁の甘さを伴ってセピアにさえ見えるわけですよ。つまり何がいいたいかって言うとクリストファー・ロビンが尊い。
あっという間に幼少期、少年期、青年期を過ごしたクリストファー・ロビン。寄宿学校で父の訃報に接して、社会に出て、将来妻になるべき女性イヴリンと出会い、求愛して結婚し、子供を作り、出兵(たぶん第二次世界大戦)して、なんとかロンドンに帰ってきて、就職して仕事に打ち込む中年になってるんですよ。
大企業のカバン製造部門の責任者となったクリストファー・ロビンは、会社上層部からこの部門の効率化(予算削減)を求められていて、その要求は−20%。リストラ待ったなしの状況で、大事な部下を切り捨てるかどうかの瀬戸際の日々を送り、その結果として休日も家族との時間も奪われているわけですよ。妻からは「もう何年も笑顔を見ていない」と言われ大事な娘のマデリンからは失望されて、でも、家族を守るために部門を守るために、家族旅行への参加をキャンセルしてまで働かなきゃならんわけです。
予定されてた旅行にイヴリンとマデリンの妻子を送り出して、週末も缶詰で仕事しなきゃと追い詰められたロンドンのアパルトメントのクリストファー・ロビンのもとになぜかプーさんが現れて助けを求める、というのがこの映画の第二の開幕です。
懐かしい友プーに出会ったクリストファー・ロビンは彼の頼み(行方不明になってしまった仲間たちを探してほしい)を叶えるために(どっちかっていうと大都会ロンドンにおいては厄介なお荷物のプーさんを森に帰すために)、郊外の美しい故郷に戻ろうとします。そこでプーさんとクリストファー・ロビンは一緒に旅をするわけですけれど、相変わらずふわふわ夢みたいなことを言う(まあぬいぐるみなので当たり前だけど)プーさんの脳天気っぷりに、時間が黄金よりも貴重になってしまったブラックカンパニーソルジャーマシーンのクリストファー・ロビンはいらつくわけですよ。プーさんがベタベタのはちみつで汚してしまった廊下を掃除している間にも、刻一刻とリストラのタイム期限が迫ってるわけで。「なにもしないをすればいい」とか「ゆっくりすればいい」とかいうプーさんの言動が癪に障るのは、まあ、仕方ないです。
送り届けた「100エーカーの森」で、とうとうクリストファー・ロビンは切れちゃうわけっすね。
「ぼくはもう昔のぼくとは違う」とプーに突きつけてしまう。その時の表情がね、もうね、良い。
良いよね。
良い。
失意のぷーさんは「従業員を捨てなきゃならない(リストラ)」というクリストファー・ロビンに「もしかしてぼくも捨てたの?」と聞いちゃうわけです。
それに対してクリストファー・ロビンは「捨てたんだよ」と答える。
この時の表情も、良いのです。
「ソレ」をいっちゃったら相手が傷つく以上に自分も傷ついちゃうのを自覚していて、それでも言ってしまったクリストファー・ロビンの、ナイーヴな表情が尊いわけです。おっさんのくせに。イケオジつぇえな。
この時クリストファー・ロビンは「いいやプーは特別な友達だから捨てるわけないじゃないか」と適当に言うこともできたわけです。でも、それは事実じゃないわけですよ。現実として30年以上プーさんを忘れていたわけだし、放置していたし、それは客観的にって捨てたと言われても当然なわけですよ。そういう現実を糊塗して「捨てるわけない」とクリストファー・ロビンは言えなかった。特別な友達だからこそ、そこで嘘はつけず、自分も相手も傷つけるのなんてわかっていたけれど、「捨てたんだよ」と答えるしかなかったわけですよ。
40代になったクリストファー・ロビンはもうおっさんなわけですけれど、ロンドン紳士然としたイケオジなんですね。その彼がいろんな現実や言葉を飲み込んで、意地っ張りにも露悪的な「捨てたんだ」って告げるそれが、もうね。
ほんと。
尊い。
わかるか人民どもこの尊さが? 「捨てたんだ」ですよ。そんでもってさらに終盤になってね、途方に暮れて懺悔をするようにつぶやく「ぼく迷子になっちゃった」ですよ。いつも迷子になったプーさんを探しては連れ帰る、森の英雄だったショタロビンが、社会人になって人生の迷子になっちゃったわけです。大事で大事で何よりも大事な娘を守るために頑張ってるはずなのに当の娘にがっかりさせて心配させて、もう何が正しいんだかよくわからなくなっちゃったわけですよ。大人になったクリストファー・ロビンにこそぬいぐるみのプーは必要なわけです。
つまり何がいいたいかって言うとクリストファー・ロビンが尊い。
かつて日本を代表するPCメーカー、そしてシステムインテグレーターの大手6社に数えられるNEC。それを退職した今、機密に触れない程度に、特に研究所の裏事情を説明していこう。おそらく製品部門は違う苦しみを抱えているだろうが、高額なボーナスもらってるんだから耐えてくれ。
私が入社したのは、研究発表でのいわゆる一本釣りだった。釣りあげた部門も、当時の研究に比較的近かったため、給料をもらいつつ研究ができる、という不純な動機があったのは確かだ。大手特有の研修体制も魅力に感じた。
雲行きが怪しくなったのは1年目の夏である。当時研究所のトップであるE氏による、研究発表の総評の場で「まだそんな研究していたのか」という発言だった。NECのシステムインテグレーションといえば、重要な事業の柱であり、事業部からの引き合いも非常に強かった。折しも、AWSが日本国内での事業が躍進し、オンプレミスとは違う流動性の台頭に、研究テーマとしては佳境の段階であった。そこに貢献するミッションは他の研究テーマでは代用できないものである。
それをE氏は「そんな研究」と一蹴したのだ。翌年、予算はつかず、研究チームは文字通り解散となった。そしてシステムインテグレーションの研究はNECから完全に姿を消すことになった。E氏は光通信の元研究者で、正直なところなぜ偉くなったのか、今でも疑問であるが、少なくとも大のつくIT音痴であることは仲間内では有名である。それこそ当時はデータベースとは何か、すら知らなかったようである。
E氏が理解できる、できないはあったにせよ、そして価値の提供方法まで突き詰めて考えられていたかは怪しいけれど、少なくとも、なんのためにやっているのかわからない研究ではなかった。「バイオプラスチック 漆ブラック」などいった、海のものとも山のものともつかぬものより劣っていたのだろうか。カーボンナノチューブの研究すらまだ留保しているのに。
そしてE氏はNEC常務となり、CTOとなった。社内では最高級(給)のブロガーと称され、「未来について考える」だとか、「~について意識しなければならない」といった、きわめて抽象的、かつ薬にも毒にもならないビッグワードを垂れ流し、評論し、何かをいっているようで、実際には何ひとつ具体的な行動や指示を出せない人物である。そして未来創造会議というような、何ら結論の出ないものに露出するようになった。あれを見た人は、NECが何の会社なのかわからないだろうし、それは製品として何を提供するのかすら伝わらないだろう。漫画雑誌の企画会議ですらもっとマシなものだろう。
研究所といえば、技術部門の花形、と思われる人もいるかもしれない。事実、優れた技術はほぼすべて研究所発である。しかし、本当に優れた技術はNECからの広報には載らず、社外からの引き合いが先行する。なぜなら、広報はインパクトが優先され、そして広報ノルマを充足するために実施されるからだ。そして時には大きな「事故」となる。
数年前、橋梁構造物の劣化診断という技術が日経新聞に掲載された。これは固定カメラが画像を撮影し、振動による変化で構造内部の劣化をモデリングし、内部ひび割れを可視化するという画期的なものであった。事件の発端は、その研究途上であった技術に対し、研究所の理事(*2)がメディアの前で口を滑らせたことである。当然注目され、実用目途についてまで発表することになった。実際には理論検証が完了し、クリアしなければいけない項目の洗い出しの最中であったという。1年後を目途とされた研究テーマは、その後研究所から姿を消した。撮影には非常に繊細な取り扱いが要求され、撮影時の振動に弱いという欠点を克服できなかったと思われる。これは当時画像診断系の学会でも度々指摘されていたもので、研究者の間で共通認識であったが、残念ながら理事には理解できなかったようである。
ここ数年のNECでもっともインパクトがあった事象は2件の談合による指名停止であろう。煽りをくらい、全く無関係の研究所予算がまずは削減された。そして賞与が大幅に減額である。社内ですら、談合当事者やその上司の名前は完全に秘匿され、明に責任をとった人物は存在しないことになっている。おそらく、公表した場合、全社員から報復を受けることを恐れたのであろう。
すると、不透明な人事はいたるところにあることに気がつく。前期の大幅に未達だった中期計画の責任者だった遠藤元社長は会長になり、その策定の中心人物だった新野副社長は社長となった。そして次の新中期計画は1年目でとん挫したにも関わらず社長以下留任ときたもんだ。
グローバルビジネスの低迷。これからのNECの生命線とまで言われていたグローバルBU。彼らは海外売上比率を25%を目指すと宣言していた。中期計画に対して、何ひとつ貢献できずKPIを外したそのトップ、真っ先に責任を取らなければならない人物M氏は、翌年副社長となった。その自浄作用の無さもさることながら、株主や債権主の銀行は一体何を考えて、彼らの役員人事を承認しているんだろうか。株価は買値の1/10となった、もう値動きすら見たくないから早く潰れてくれ、と思っているのだろうか。
今後、NECは暗黒の時代を迎えるだろう。折しも今年は3000人のリストラを掲げ、断固と構造改革を実施する覚悟を強調する新野社長。しかし、彼にあるのは覚悟だけであり、スタッフを減らす方策すら定まっていないだろう。現状、10人が事業で仕事をし、8人が彼らの事務を担当するような人員比である。そして今回の早期退職は主に事業の主力たちが手をあげるようである。
思えば、個人の努力が何に対しても反映されず、学習性無気力に苛まれ続けたNECライフであった。管理能力に長けた上司はおおむね本社に接収され、帰ってくることはなかった。そして残ったのは、管理職不適格でありながらも、降格制度が存在しないことによる吹き溜まりである。会社に学会の仕事をしにきている主幹研究員なる人種もいれば、1時間前の記憶すらないような痴呆老人である。そんな中、近頃はカルチャー変革(*3)を謳っているようだ。NECの暗黒時代たる本質まで踏み込み、ぜひNECを再生していただければと思う。
(*1)ビジネスマナー研修や思想教育といったものから、ディスカッションなどがあったが、参加者も講師もレベルが低く、こいつら大学出てるのかすら怪しげだった。彼らが同期となって、社内キャリア形成上意味をもつ存在だと思うと、ぞっとした。さまざまな節目に集合研修は行われたが、効果を測定する様子もなく、ただそこに予算があり、研修を実施することが担当者の評価だ、というような空気であった。そしてその直感は、NECのスタッフ部門全体に共通するものであると後にわかる。
(*2)理事とは事業部長、本部長、中央研究所傘下の研究所長経験者で、様々な理由で部門が消滅したりすると発生する役職である。最近では、関西研究所CCII本部長、シンガポール研究所を歴任し、価値共創センターを立ち上げ、これらのすべてを失敗させたY氏が理事となっている。彼らは理事になると、「天下り」先を探すことがメインの仕事になる。そして彼らが天下れば、空席となった理事は別の元所長が補充される。
(*3)カルチャーは変革できても、働き方全般や違法裁量労働たるVワークの制度は変えられないだろう。また社員のモチベーションを上げるための施策は、すべて人事部門判断によって握りつぶされると思われる。総務部は人事部門の抵抗をどのように回避するのか、外様の役員の腕の見せ所だろう。
「劇場版ポケットモンスター みんなの物語」を見たので感想。と言うか自分メモ。ネタバレ気にしてないのでそういうの嫌な人は回避推奨。
「まさに千八百円と上映時間分の時間を投資する価値がある映画」を100点だと考えたときの点数は15点位。ひどみ。低評価。なんだこれ。
しかし微塵も揺るがない増田。なぜなら(自分的には大体似たカテゴリに入る)「ドラえもん のび太の宝島」が脅威のマイナス点数の失神級駄作だったので免疫がついたのだった。
シナリオの作りが野心的で100分という尺の中でなんと群像劇をやろうとしていた。
主な人物として「市長の娘ヒロインのラルゴ」「ギャルっぽいヒロインのリサ」「過去を抱えた市長オリバー」「後悔に生きる老婆ヒスイ」「コミュ障のポケモン学者トリト」「口からのでまかせで生きてきた男カガチ」あたりがいて、それぞれが内面に問題を抱えつつ生きている。物語の舞台フウラシティを訪れたサトシは、この街の生命線とも言える「風祭り」に参加。そこで起きる大事件に様々な人間と関わり合いながら立ち向かう……という映画のメインストーリー。
この「群像劇をやりたい」という企画性というか意気込みを、まずは評価する。……んだけど、それはやっぱり難易度は高い。脚本はあちこち駄目ぽだった。大きな問題点としては感情動線の理屈建て不足で、なんか悩みやトラウマがある→でも私の力が必要っぽい→周りが盛り上がってる→感動パワーでうわー解決! というのが群像劇分水平コピーされている。
そこには「今までの悩みやトラウマを超克するための内面的な気付きやきっかけ」みたいなものが不足していて、「今までダメだった理由」「今回は立ち上がった理由」が極めて薄いか、キャラによっては存在すらない。感動的な音楽がかかって背景で大火災とかあるからやらなきゃならないやったでーというわりと雑なほうりなげだった。そんなんだったらそもそもトラウマいらんでしょ。
そのほかにも、山の中で発見された聖火を市長が街まで持って帰れば時間は余裕なのに(また普通に考えて街の宝を放置するほうがありえないのに)、わざわざ間に合わないギリギリまで放置して女子高生ギャルにスプリントさせるとか、なんかこう……脚本レベルで穴が多い。
「みんなの物語」「みんなで協力するという感動」という企画性は理解できるんだけど、脚本陣にそれを実装する能力が欠けていたように思われる。かと言ってそれは脚本家をけなしているわけではなくて、企画レベルで(つまり脚本の方法性や盛り込もうとした素材のボリュームレベルで)無理があったんじゃなかろうか? 登場人物を絞るなり(その意味でサトシのポケモンをピカチュウだけに絞ったのは良かった)、あるいは尺を圧迫しないおりたたみで内面を描写したりという工夫が足りなかったように思う。
ゼラオラは物語の舞台フウラシティ周辺のポケモンの守り神とでも云うべき存在で、フウラシティが成立する前から周辺のポケモンや自然を守ってきた。しかし、産物に乏しいこの地にルギアがあらわれて風を呼び、この風をもとにした風力発電でフウラシティは成立。人間はドンドコ森を切り開き、ポケモンの自然生息域を圧迫、その件でゼラオラとは対立せざるを得ないようになっていった。五〇年前、人間たちは自己から森林火災をおこしてしまい、火災からポケモンを守るためにゼラオラは負傷。当時の市長はゼラオラを守るために、山林は人間の立入禁止として立ち入ったものはゼラオラの呪いがあると嘘の噂をばらまいた――というのが物語の背景。
なんだけど、なんかもうこの時点で2周半くらい人間側がクズじゃねえ?
ゼラオラ何も悪い事してないじゃないですか。と言うか、その点ではなく、むしろ人間が人間の都合(街を拡張したい)で森林伐採をするならそれはそれで良いんだけど(なんせ人間はそういう存在なので)それならそれで、そのように述べてやれば良いわけで、「ゼラオラの呪い」なんていう相手の名誉を毀損するでっち上げをしながら、相手を救うとかいう恩着せをするのが全く救えない。んで50年もの間「かー、ゼラオラに呪われちゃうんであの山には入れないんだよなー。かーっ。呪い無ければ事故調査も開発もできるのになー。かー」とか責任転嫁をしてきたという醜悪さがある。
それがポケモンの世界観だと言えば世界観なのかもしれないが、そのゼラオラをサトシ&ピカチューは叩きのめすことで「ともだち」にして「ともだちだからもう遺恨はないよな?」とする脚本は、おいおいいくらなんでもそれマジで書いてるのかよ? 的な部分はあった。
ポケモンは三歳児程度には意思疎通な生命体なんだけど、ペット(守るべき対象)なのか、それとも一種の亜人(権利を認めるべき存在)なのか? って言うこの問題意識はポケモンの第一作から見え隠れしている。しかし今回は輪をかけて「ポケモンはともだち」というパワーワードとゼラオラが見かけ上はネコ科の獣人っぽい外見(人型)であるという2点で、極まってしまっているように思える。明らかに独自の言語的能力を有して、周囲の同族やポケモンを守り、森林火災から救助するほどの知能を持つ知性体を「呪い」扱いしてトラブルの責任転嫁をするって、どうなのよ。
そもそもフウラシティはルギアの呼んだ風を用いる発電で街を興し、毎年一度「風祭り」の日にルギアを招いては風力発電の維持を願っているような街である。風がとまれば電力も絶えて街は闇に包まれて住民たちはうなだれる。そういう関係を「ともだち」っていうのか? 母親の財布から毎月数千円くすねて上納することによって「ともだち」になってくれるクラスメイトより気持ち悪くないか。
そういう意味で今回の映画は、自分個人が楽しめないとか以上に「この映画を無邪気に楽しめるってやばくね?」的な心配が発生してしまった。この心配の方向性は「ドラえもん のび太の宝島」によく似ている(ドラえもんのほうがヤバさは上だが)。
ポケモン映画は毎回なんだけど、街の人混みの中や自然の中にちょこちょこと数え切れないほどのポケモンが登場していて楽しい。ウォーリーを探せ的な楽しさがある。その気持ちよさ楽しさは今回もたっぷり楽しめた。
主要人物の一人「コミュ障のポケモン研究者トリト」のパートナーポケモンであるラッキーがよい。
脚本や演出がどこまで自覚的だったのか怪しいのだけどこのラッキーの存在が、映画全体に対するアンチテーゼになっている。
トリトはポケモン研究者でいつも多くのポケモンに囲まれているんだけど、いつも一番近くにいるのが癒し系のラッキーで、おそらくこのラッキーは、トリトを飼い主であるとか主人であるとか思っていない。トリトのことを自分が保護すべき存在だと、あるいは下手をしたら、トリトは自分の子供だと思っている。
ポケモンが一体何なのか? 都合の良い労働動物なのか? 資源なのか? 生存権を保護すべき対象なのか? 人権さえ認めるべき存在なのか? というテーマはシリーズにグッサリ刺さった楔なわけだけど、それってあくまで人間を中心にした人間視点でしかない。
ラッキーはトリトのことを意気地無しで世話が焼ける存在だと思っていて(そしてそれは正しい)、そのうえ自分が世話をしてやる対象だと思ってる。
それはポケモンの側からみて、人間が「時々発狂して面倒くさいメンヘラの同居人」なのかもしれない、というシリーズのブレイクスルーになりうる(非常に薄くて小さな)突破口だ。
( 2018夏アニメ1話ほぼ全部観たから感想書く その2 からの続き )
中間管理職のお仕事アニメ。制作マッドハウス&キャラデザ:高田晴仁なので、実質カイジ。特に会長がしゃべるシーンだけ観ると完全にカイジ。悪魔のような上司と萎縮する部下の間に挟まれる中間管理職の苦労をコミカルに描いていて、テーマの凡庸さに比べてすごく斬新で面白い。
1話では冒頭9分くらい使ってトネガワさんの紹介があるけど、ぶっちゃけ観なくていい。大抵の人はカイジを何らかの形で観たことがあるか、もしくはマンガもアニメも実写映画も観たことがないけど、ストーリーだけは全部知ってると思うので。
☓ナレーション◯実況:川平慈英の「他人事だと思って楽しそうに実況しやがってこの野郎」感がとても好き。部下のボケ→トネガワさんのツッコミ→実況の「くぅ~ww」(ボケ)という流れなので、みんな画面に向かってツッコミを入れよう。
ロンドンの日常アニメ。国際色豊かなおじいちゃん自警団の日々を描く。世界設定が
矢野俊策(TRPGの人)から分かる通り、日本におけるお化けみたいな連中がテーマの作品。タイトルも黄昏時のなんちゃらっていう意味なのだろう。似たモチーフを扱った作品でいうと「ゲゲゲの鬼太郎」(特にいま放送してる作品)は社会の闇、「化物語」は闇の心、「魔法使いの嫁」は良き隣人としての人外を描いているけど、本作は魔法使いの嫁に近い。さすがロンドンの日常。そして意外とアクションシーンの熱量が高い。さすがライデンフィルム。
アニメで観る元寇、下っ端視点@対馬。6度目の使節団が日本に来たけど、結局日本が元に服従しなかったので元の皇帝は侵略することを決定、900艘の軍船を準備し終わった頃から始まるお話(1274年)。基本的に基本的に史実ベースで進んでいく感じみたい(Wikiみながら)。
アクションシーン(特に剣戟)が多く、めっちゃ動く。SEも良い(音響効果:今野康之)し、出血表現も好き。
アニメで観る「軍師になろう」。紀元前の青銅器時代が舞台?戦記モノ+スマホチート。「天は赤い河のほとり」みたいな感じ?あっちは主人公が軍師じゃないけど。実際にあった(ググると出てくる)戦術や心理戦術が解説付きで登場する。これで君も明日から軍師だ!
1話にして1話の内容ではない。異世界転生プロセスでグダるのを回避していくスタイル。あくまで「スマホチートを使った古代の戦争」を描くのがメインなのかな。
スマホチートの描き方が面白い。忠実にggrksを実行していくスタイルで、ググっても出てこないことは出来ない。また現世と何らかの方法(で使えるスマホ)でつながっていて、元の世界に帰るという目標設定がある。現世と異世界を行き来できるわけではないけれど、「犬夜叉」みたいに「主人公にとってどっちが現実なのか問題」がそのうちテーマになるのかも。
リアルのこの時代は子作りし放題だったのだろうけれど、どうなんだろう(一応そういう描写あり)。
スプラッターギャグアニメ。調子に乗りすぎたイカ娘ちゃんが裁かれる(物理)みたいなノリのアニメ。かわいい。
ノリとかキャラデザとか演出とかいろいろ懐かしさを感じる不思議。
おねショタ。男性向け?ショタがリードするのではなくお姉さんがリードする方。
主人公が可愛い。ツッコミ役だけど子供っぽさがあって、お姉さんをリードしたいという願望があるけど現実と乖離しているギャップがかわいい。そろそろ男扱いされたい、でもまだ子供、そして性の目覚め等忙しいお年頃である。なお私はおねショタを観たことがないので、おすすめを教えてほしい。
ところで寮母さん=ママの化身みたいなモチーフっていつ頃からあるテンプレなのだろう。最近でも「スロウスタート」「こみっくがーるず」でおっとり寮母さんが出てきたので、すごく一般的なのかな。
銃と戦争のアニメ。20xx年、世界は核の炎に包まれた→ブラザーフッド・オブ・スティールが世界の秩序を支配→レジスタンスが古銃で対抗 みたいな感じの話。
銃の擬人化ソシャゲ原作なので、めちゃくちゃニッチな古銃がたくさん出てくる。現代銃を装備したブラザーフッド・オブ・スティールvs古銃というアツい戦い。戦闘シーンではちゃんと古銃特有の射撃前儀式も描いていて好き。あと射撃音にびっくりする。火薬多めかつ薬室の気密性が低い古銃の特性を表現してるのかな。
戦いがテーマとはいえ、ファンタジー要素が多い。戦争を描く作品はたいてい不条理がテーマなので、どんどんgdgdになっていくあの陰鬱とした雰囲気が強くなる仕様だけど、本作は「高貴になったら勝ち」という特殊ルールのおかげでいい感じのエンタメになってる。生き様で敵をやっつけるとかかっこよすぎない?
レーティングによって、漫画ほど表現のギリギリを攻める必要がなくなった幽奈さん。無修正版がどんだけ攻めてるのか気になる。幽奈さんかわいい。シリアス要素のあるラブコメなのだけれど、ToLOVEるもシリアスなんだっけ。
幽奈さんはコガラシくんと同年代っていう雰囲気を出してるけど、あの子幽霊だからもしかして(生きていれば)100歳くらいだったりして。その場合、コガラシくんとの関係はおねショタになるのだろうか。「夏のあらし!」っておねショタ?
今週の悲劇。スクエニのアケゲー原作バトルアニメ。同じくスクエニのアケゲー原作アニメに「ガンスリンガーストラトス」があるけれど、あっちはチーム対戦シューティング、こっちはリアルタイム対戦トレカ(アニメにカードは出てこない)。アニメとしては両方共スクエニ感のある厨ニっぽさ全開のキャラデザになっていて好き。内容も共に殺し合いがメインのバトルアニメ。ちなみにガンストの監督・江崎慎平は今期はねバドの監督を務めている。
シェイクスピアの引用や世界の異変というシナリオは「絶園のテンペスト」を思い出す。あっちの作品は妹の謎を解き明かす話なので、こっちのほうが血なまぐさい。絶園のテンペストの監督・安藤真裕は今期の天狼で監督を務めている。
スペースノイドとアースノイドが宇宙で遭難する話。シナリオは地球を目指して宇宙を漂うSFの王道なので、マジで先が見えない。
ピクサーみたいな3DCGアニメを30分枠で1クールやるの?マジで?な作品。めちゃくちゃ動くので観るほどに「マジで1クールやるの?」ってなる。すごい。ディズニー・チャンネルを観ているようなノリかつBGMも良い作品。
コント「天才バカボンを2010年代らしくリメイクしたら」。壮大に何も始まらないので、1話は実質0話。
0話は旧作オマージュ(というかそのまんま)を非常に高い再現度で作っていて、本作への愛を強く感じる。絶妙に荒い4:3のあの感じが観れてよかった。内容としてはかつての「おそ松さん」1話のように、旧作リメイクに係るあらゆる懸念をネタに昇華していくスタイル。現代っぽさがあるかどうかはさておき、バカボンパパのヤバさが際立っていて逆に新鮮に感じる。バカボンパパのヤバさは普遍的だった。旧作知らんけど。
タカラトミーの新しいおもちゃアニメ。今回は野生解放機能付き。男の子がゾイドに出会って旅に出る話。
本作のゾイドがめっちゃ小さい。でもゾイドはゾイド。動きもゾイドだし、モチーフも動物、昆虫、恐竜等なんでもあり。おもちゃコンテンツとして無敵じゃん!
ストーリーの中でもゾイドは畏怖の対象であったり、ゾイドを利用した軍隊や帝国があったり野性味あふれる生き物だったりは旧作のまま。登場するキャラクターは全体的に、子供向けのわかりやすいデザインになっている。
旧作のゾイドは「ビビったら負け」というシステムだったけれど、本作は「動かなくなったら勝ち」になってる。わかりやすいね。戦闘シーンはあのゾイドの動きがまた見れるのでやっぱり面白い。
異世界転生から始まるRPG。ファンタジー系の王道ストーリー。とはいえ異世界転生要素は薄味、かつ「こんな感じの魅力的な世界ですよ」的な演出も控えめ。原作がソシャゲなので、王子様集めが縦軸。かつ王子様同士の会話や戦いがメイン。
中国版ゴーストバスターズ。ゲゲゲの鬼太郎みたいな社会派。でも日本のお化けと比べてずっと生々しいモチーフ。「伊藤潤二コレクション」みたいな。でも1話完結でもなければSSでもないのでのんびり観るやつ。
まさか、天才はみんな体に悪偶を宿していたなんて。絶対に許せない。ついにアニメで真実に気づいてしまった。気になるのは「悪偶を宿した天才を加工した悪偶を宿した天才」みたいな入れ子構造というか天才ロンダリングがあるのかどうなのか。
キングレコード謹製の、アイドルのお仕事アニメ(実質星色ガールドロップ続編)。1話はほぼキャラ紹介だけ。おそらく「アイドル活動の中で一番楽しいであろう時期」を舞台にしてる感じがある。業界最大手の事務所に主人公がスカウトされるわけでもなく、金の問題で事務所の社長が夜逃げするわけでもなく、長年の活動が実を結ばず、雰囲気が最悪の状態から始まるわけでもなく。みんななんだかんだ楽しそう。
観ていて思うのは、「ファンってすげーな」という点。アウトプットに対するあらゆるリアクションが得られるのはファンのおかげで、協力して良いものを作っていこうという上昇志向を共有している姿はまるで運命共同体みたい。すごいね。
冒頭こそ3DCGアニメーションによるライブシーンがあるけど本編のライブは作画アニメーション。今後どっちを使うのかな。
中国発信のショートアニメ。駆け抜けるテンポ感。化物語の阿良々木家みたいな、しょーもない兄貴と手癖の悪い妹の掛け合い好き。
AmazonPrimeVideoとNetflixの囲い込みが11作品とかなり多い。加えてAmazonは「dアニメストア for Prime Video」というd'アニメストアニコニコ支店みたいなサービスを開始、さらにスカパー版やキッズステーション版なども展開している(それぞれのチャンネルで見れる作品はまだ少ないらしい)ので、そのうちAmazonとNetflixだけでほとんどのアニメを網羅できるようになるかも。一方独占配信で言うと、スカパー、FOD独占配信に加えて今期からはあにてれ(テレビ東京のサービス)独占配信アニメもある(けもフレ新作もこれ)ので、アニメ視聴のVOD縛りに限界を感じる。これからは「今期は何のアニメ見てる?」じゃなくて「普段何使ってアニメ見てるの? TOKYOMX? BS? FOD? それともアマプラ?」から会話を始めたほうが良いのかもしれない。
新作1話全部視聴はおすすめできない。とか言いながらこれを書くのも3回目だけれど、なんでまた書いたのかといえば、単純に「アニメを観るため」だったりする。最初は「もっと最新アニメの面白さを知ってほしい一心でレビューを書くため」という大義名分があったおかげで沢山のアニメを観ることができたし、今は「たくさんアニメを観るほどもしゃもしゃするから、これを増田にでも投げて気分転換しよう」という良いガス抜きの手段になっているのだ。おかげで多くの面白い作品を知ることが出来たし、同時に多くの時間を失った。そう考えると、やはり新作1話全部視聴はおすすめできない。
こんな覚え書きでも、誰かのモチベにつながれば嬉しいな。
平成30年7月豪雨において、7月5日に気象庁が記者会見を開いてから7月8日の豪雨災害が認識されるまで、はてな村では豪雨にどれだけ注意が払われていたのだろうか。
7月5日〜7月7日のはてなブックマーク総合の人気エントリーにどんな記事が上がっているかで、はてな利用者の豪雨への注目度を調べてみたいと思う。
すごいIPv6本を無料配布!:Geekなぺーじ 1594ブクマ
*7月6日気象庁会見記事についたブクマ数:4(NHK、朝日新聞、ザ・ページ、ライブドアニュースに各1づつ)
今の時代、「ふわっとした仕事を具体的なタスクに落とし込むスキル」だけで十分食えると思う 1585ブクマ
豪雨関係記事:5(アルミ工場爆発3、ソーラーの崩壊1、ABCラジオで子連れ生放送1)
インド人なら100円ショップのスパイスでも本格インドカレーは作れるのか?本場の味を知るインド人が挑戦! 1804ブクマ
まとめ
7月5日に気象庁が異例の記者会見を開いているが、はてな村では全く注目をされていなかった。
7月6日の会見も「重大な危険が差し迫った異常事態」とまで言われていたがこちらも注目されず。
7月7日になり被害情報も出てきたが、被害の深刻さを理解しているブコメは少数であった。
はてな村では平成30年7月豪雨に関して、被害の実態が判明するまでほぼ注目を集めていなかったと言っていいいだろう。
しかし、五年も入り浸っていた増田にここでだけ言えることを書きたい。
記法を忘れたので平文で。
2.カクヨムの総合累計ランキングは70位くらいまではポンポン上がる。が、それ以上は地道に評価を積み重ねて少しづつ上がらないといけない。
3.書籍化打診メールに二週間ほど気づかなかったけど大丈夫だった。
5.週間ランキングの上の方にいた時でも一日の獲得PVは1.5万ほどだった。
7.他の作者さんも(特にランキング上位は)頑張っているのだろうと思いつつ、ランキングを抜かれるとはらわたが煮えくり返る。
8.気持ちがめげそうなときは異世界転生物の、とくに全く人気がない作品を眺めると落ち着く。特に壮大な世界観のタイトルと粗筋を用意しているのに、本文がプロローグの800文字だけで停滞しているやつとか最高。
非中央集権を謳っておりユーザはMastodonインスタンスと呼ばれるMastodonサーバ群の中から自らの意志でアカウントを作成するMastodonインスタンスを選択できる
MastodonというSNSはオープンソースで公開されており、Webサービスの構築および運営のIT知識があれば自由にMastodonインスタンスを構築し公開することが可能
Mastodonの上記の特性からMastodonインスタンス運営はMastodonインスタンス運営者の人格や思想、趣味などの影響を受け、各々のMastodonインスタンスは雑談系Mastodonインスタンスや趣味系Mastodonインスタンスなどと分類されることがよくある
非中央集権のMastodonは独立したMastodonインスタンス同士で相互接続が可能であり、相互接続によってMastodonというSNS全体のユーザ数や活性度を維持するようになっている
Mastodonインスタンス同士の相互接続のことを連合と呼ぶ。連合内のMastodonインスタンスの公開書き込みは連合に所属するMastodonインスタンスすべてで閲覧することが可能
Mastodonでは現在ログインしているMastodonインスタンス内の他のユーザの動向登録することをフォローと呼び、Twitterでいうところのフォローと認識して良い
そして現在ログインしていない(もしくはアカウントを持っていない)他のMastodonインスタンスのユーザをフォローすることをリモートフォローと呼ぶ。つまり独立したMastodonインスタンス間を飛び越えてTwitterのフォローのようなことができるということである
ホームタイムラインは自身の書き込みとフォロー/リモートフォローしているユーザの書き込みが表示される
ローカルタイムラインは現在ログインしているMastodonインスタンスの全ユーザの書き込み表示される
連合タイムラインは連合内のすべての独立したMastodonインスタンスの全ユーザの書き込みが表示される
連合タイムラインはその仕様上タイムラインの流速が物凄く速い傾向がある
Twitterでいうところのユーザをブロック/ミュートするのと全く変わらない。これは連合内の他の独立したMastodonインスタンスのユーザへも可能
これはMastodonインスタンス運営者のみが行えるもので、Mastodonインスタンス運営者の判断で、他の特定のMastodonインスタンスとの連合を解除することができる。一方のMastodonインスタンスがブロックすると相互で書き込み内容を閲覧できなくなる
Mastodonインスタンス運営者の人格や思想、趣味などの影響を受ける特性上、ジャンルを絞った会話および情報を表示できることが期待できる
実際、大小乱立する個々のMastodonインスタンスは、そのように期待し運営されており、中には運営者以外のアカウント登録を拒否した「お一人様Mastodonインスタンス」なるものまで存在する
Mastodonインスタンスに特定のジャンルに絞ったテーマを与えることによって、そのテーマへ集中し深堀りできることは政治・社会・思想などの論壇では非常にメリットが多いと予想ができる
運営者以外のユーザの登録を拒否することによって、運営コストを抑えられるメリットがある
更には著名なドメインの保持者(例えば首相官邸のkantei.go.jp)がお一人様Mastodonインスタンスを立ち上げることによって、Twitterよりも本人確認に関して信頼性を担保できるというメリットがある
お一人様Mastodonインスタンスであっても他のユーザはリモートフォローが可能なので、お一人様Mastodonインスタンスの書き込みを閲覧したりリプライなどのコミュニケーションを取ることは可能
連合というシステムがあるため、お一人様Mastodonインスタンスでも過疎状態へ陥ることがない
政治・社会・思想系の論壇のデメリットとしては非公開状態になりやすく閉鎖的なコミュニティへ陥りやすいということが挙げられる
しかし、Mastodonでは連合というシステムがあるため話題が限定化されていても内部の透明性が確保できるというメリットがある
アカウントを持つ特定のMastodonインスタンスでMastodonインスタンス運営者の何らかの判断で自身のアカウントがもし削除されても、他のMastodonインスタンスのアカウントを取得することが可能
それがMastodonインスタンス運営者の人格や思想、趣味などの理由によるアカウント削除であれ、他のMastodonインスタンスで代替でき、完全にMastodonというSNS全体から締め出される心配がない
中央集権のTwitterではTwitterというSNS全体から締め出される可能性がある
Mastodonインスタンス運営者の人格や思想、趣味などの影響を受ける特性上、Mastodonインスタンスにアカウント登録するユーザの人格や思想、趣味が悪い意味で偏る可能性がある
つまり、保守系Mastodonインスタンスや革新系Mastodonインスタンスというのが立ち上がる可能性があり、そのようなMastodonインスタンスを立ち上げる自由に関して妨害することが難しい(自由の観点から妨害は望ましくない)
Mastodonインスタンスにアカウント登録するユーザの人格や思想、趣味が悪い意味で偏る可能性があり、特定のMastodonインスタンスの雰囲気が偏重した際、他のMastodonインスタンスユーザから偏見を向けられる可能性がある
ただ、特定のMastodonインスタンスユーザであるということをアピールしやすいという裏返ったメリットがなくもない
保守系Mastodonインスタンスが革新系Mastodonインスタンスへ、革新系Mastodonインスタンスが保守系Mastodonインスタンスへ向けて議論を投げかけるという際には逆に便利ではある
Mastodonインスタンス運営者が「ウイルスやスパムなど、Mastodonインスタンスサーバの維持が困難になるほどのことが無ければ他のMastodonインスタンスを絶対にブロックはしない」と明言していれば良いが、Mastodonインスタンス運営者の中に積極的に他のMastodonインスタンスをブロックする運営者が現れないとは限らない
この場合、対立しているどちらか片方のMastodonインスタンスがブロックをすると双方向の情報共有は遮断される。
ただ、その場合は特定のMastodonインスタンスだけとは言え、ユーザは他のMastodonインスタンスの情報の閲覧ができなくなるのでユーザが離れる原因にはなりうる
Mastodonは政治・社会・思想系に特化したSNSとして構築することは可能
しかし、それはコミュニティや地域、国家間にある偏見や差別や対立と同じ問題が政治・社会・思想系のSNSへも適用されてしまうという推測ができる
ただ、実際の政治・社会・思想系の論壇と偏見や差別や対立は切っても切り離せないのが事実であり、更にはそういった要素が政治・社会・思想系の議論を深めている側面があるのもまた事実である
自分が入籍するちょい前に良きライフハックがバズっていたのでこれを参考に名義変更RTAをやってみました。
参考にしたのはこちら↓
婚姻届を出す日は忙しい!名義変更や身分証明の手続きのライフハック「戸籍の写しはその場でもらえないよ」という意見やアドバイス - Togetter
留意点として、これは2018年6月現在の神奈川県の大きめな市(最近役所がリニューアルした)で平日に行ないました。
参考と忘備録として書きますが各役所がすべてこの通りではありません。
まず、婚姻届変更後、自分が変更しなければならないものは以下でした。
・印鑑証明
・免許証
・保険証
・携帯
・クレカ各種
・奨学金
<下準備>
<RTA>
婚姻届を提出、この時にすぐにマイナンバーカードの更新と印鑑登録をしたいこと、住民票を発行してほしい旨を伝えました。(住民票は旦那の社保に入るためと免許の更新のため必要なので取得しておきたかった)
私の住んでいる市では情報更新までに約3時間で住民票の発行がされるということでその間は役所の別窓口で他用件を済ましたりご飯食べたりしてました。
ここまでで約2時間かかりました。
3時間後に再び窓口へ行き印鑑登録証、住民票、マイナンバーカードの更新を行いました。
旧姓の印鑑登録は自動で削除されるらしく登録の紙を書いて提出するだけで15分程度で発行され、マイナンバーカードは再発行ではなく書き換えと暗証番号の登録のみなので10分程度で完了、印鑑登録・マイナンバーカード・住民票の発行と並行して行ったため約1時間で終了。
現地にある変更届に必要事項を記入して住民票と一緒に提出しました。
変更前本籍を書く場所があったので変更前本籍はメモしておくといいかもしれません。
これで自身を証明するものが一通り揃ったため銀行・郵便局の変更手続き行脚をしました。
私の場合は3社変更する必要があり、郵送やオンラインで変更できるところもあるとは思いますが各所に足を運びました。変更には旧姓の判子と新判子、キャッシュカード、通帳が必要でした。30分程度の所要時間×3社で完了しました。
平日でも1時間は待ち時間があり、手続きにも30分程度時間を要しました。
他クレカや奨学金の名義変更は電話・インターネットで行えたため1時間でささっと済ませることが出来ました。こちらの新カードも後日書留郵送でした。
<総評>
630分(10.5時間)ぐらいで終わりました。(待ち時間含む・移動時間除く)
市役所での手続きが一番時間がかかりましたが、全部一度に済ませてしまうとその後がめっちゃ楽でした。あと平日はそこそこスムーズでとても良かったです。役所嫌いですが腹立たなくて済みました。
https://news.yahoo.co.jp/feature/985
こういう記事が出ていて、その反応がすごく気になりました。なので2012年に改正された労働契約法に関して当時の議論や経緯などをご紹介したいと思いました。
まず基本ですが、労働政策は、労働政策審議会を通して、公労使の3者が話し合って決める事となっています。これは公契約における労働条項に関する条約に定められた原則です。労政審は厚生労働省の設置法で定められた審議会で、公労使は同数委員を設置することになっています。あの高度プロフェッショナル制度でさえ、労政審から、概ね妥当とされながらも、労働者側からの指摘として、高プロは危ないという付言がされています。委員は2年交代で、特に公共、有識者の構成を政権に近い人に変えていけば、労政審の答申を政権に近い形で出すことは可能ですが、しかし政権交代、即委員交代!ともならないわけで、労働政策の審議は基本的に慎重に行われているとは言って良いと思います。ちなみに安倍政権では、この原則に反して、労政審に諮らずに特措法を制定し、無期転換ルールの緩和を行っていますし、昨年7月には、労働者代表を構成員に含まない(国家戦略特区諮問会議を思いだせ!)、労働政策基本部会を設置し、各分科会にこだわらない、横断的な政策を諮問する、としています。詳しく書かないけど、これめっちゃくちゃ危ないですからね。高プロの立法事実とされるものは、産業競争力会議とかみたいな安倍政権が大好きな有識者会議から出てくるわけだけど、それを労政審の中に作っちゃったようなもんだから。まぁ本当に現政権は議論が大嫌いなんだなぁと思いますけど、とりあえずそこは置いとく。
字数制限的にそれぞれを説明はしないですが、労働者は基本的に使用者よりも立場が弱いので、解雇をする際には合理的であると認められる理由がないといけません。それが解雇権濫用法理と呼ばれるものです。一方、有期労働者に対しても、期間満了による解雇であっても、無条件であってはならないとするのが雇い止め法理です。雇い止め法理は、無期労働と本質的に違いがない場合と、有期労働者が更新を合理的に期待できる場合に、解雇権濫用法理を類推して適用する、というものです。これは法律に書かれていたわけではなく、幾つかの裁判事例において、確立された裁判例に基づいた規範です。原理的に有期労働者の方が要件が増えているので、保護される確率が下がっている建てつけですね。2008年のリーマンショックでは、無期雇用者も大量に整理解雇されましたが、それよりも、派遣労働者や有期雇用労働者が大量に解雇され、大きな社会問題になりました。そこで麻生政権時代に、有期契約労働者の働き方が労政審に諮問され、鳩山政権時代に、有期労働契約研究会報告が出されました。
有期労働契約研究会報告では、雇い止めに関して、主に3つの論点が話し合われました。
1.入り口規制=有期契約が結べる業務、業態などを規制し、原則無期、例外的に有期が可能とするか否か
2.出口規制=有期契約を結べる期間、更新回数を規制するか否か
単純に労働組合が民主党の支持母体と言っても、組合内でもこれは意見が分かれていましたね。この3つをすべて導入しないとうまくいかないぜ!っていう主張(自治労など総評系に多かった)と、少なくともどれか一つでも合意できるならするべきだとする主張(同盟系に多かった)が当時から分かれてた。審議入りしてからは、社民党の福島みずほさんや、共産党の田村智子さんなどが前者の立場に立った批判を何回もやっていました。こう言う批判をしておくことは本当に大事で、当時の西村ちなみ副大臣の答弁をもとに、後述する通達が出されています。
有期労働契約研究会では、労働者の雇用を安定化させることで、生産性が向上するという学術的な指摘がなされ、規制の導入に対して前向きな報告が出されました。
議事録を見てもらえば分かりますが、使用者側の委員はほぼすべての規制に反対していますが、特に入り口規制の導入に関してはものすごく反発している。有期雇用は雇用の不安定要因ではなく、有期雇用によって雇用の安定化が図られている、だの、入り口規制をすると、企業は雇用をやめるだろう、という話を延々とやっている。しまいには労働者の権利の話ばかりするな、経営者側が雇用を調整する権利はどうなるんだ、というようなことも言っている(ちなみにこの方は、高プロが1000万以上と言われると中小企業が活用できないとかも言ってる方です・・・)。まぁ経営陣がそういうことを言うのは当然なのですけど、ポイントはこの法律案が労政審に諮問された時はすでにねじれ国会になっていて、野党の協力なしには法案の成立はできない状況だったというところです。仮に民主党が有期労働契約研究会報告に基づいて、労働契約法改正案を提出していたとしたら成立は難しかったと思われます。そこで、入り口規制は外され、2、3のみを取り入れた法案ができ、5年以上の契約更新によって、無期転換の申し込み権が発生する、という法案になりました。これも使用者側の意見が採用されていて、5年以上の有期雇用という形態を禁止してはいないし(契約時にあらかじめ申し込み権を放棄させるとかいう潜脱が使いたい)、無期転換ルールの説明義務なども盛り込まれなかった。民主党がバカだったということは簡単ですが、労政審による審議は時間がかかるものだし、民主党がやりたいように法案を整備できた期間はものすごく短かったことにも留意が必要だったと思います(例えば共謀罪なしのTOC 条約の批准や、死刑廃止の法制化などは平岡秀夫、江田五月法相の頃にやりたがっていたけど、結局諮問したままで、法案化まで持って行けなかった)。2011年からは東日本大震災の対応に追われ、ねじれ国会によって国会運営は難航し、特例公債法ですら野党に譲歩しなければ通らない状況になっていた2012年に、労働契約法は、社民、共産を除いた自民公みんなどの主要政党の賛成で改正されています。
冒頭に紹介した記事への反応を見ると、有期雇用の人は雇い止めされてもしょうがないんだ、というような諦観が見られ、それがちょっと残念に思いました。2012年の改正では、もう一つ、雇い止め法理が労働契約法第19条に書き込まれることになりました。これはパナソニックプラズマディスプレイ事件の最高裁判断をほぼそのまま法律に書き込んだものです。つまりたとえ有期雇用であっても、実質的な労働が、無期雇用職員と同様であるか、雇用の継続が合理的に期待される場合には、雇い止めをすることはできません。これは、従前は裁判規範であったものが、明文化されたことで、経営者が遵守しなければならない法規になったということは言えます、もちろん不十分ですが。
「これからは5年で労働者を入れ替える、これスタンダードになる。こういう事態を起こさない歯止めはどこにあるんですか。」
「今回は、雇い止め法理が法律に明記されるということになります。使用者が合理的理由のない雇い止めを回避する行動を取ることがこれによって促進されるほか、その趣旨を考慮した労使の話合いが促されると、これも十分期待されることであります。企業の実情に応じた無期転換の自主的ルールの整備が進むことも期待されます。
改正法が成立した際には、法律に明文化されたこの雇い止め法理の趣旨と内容について周知徹底を図っていきまして、現場の労使にしっかりとそこは浸透させていきたいと考えています。」
「これ、雇い止め法理って強制力はないわけですよね。それで、これもう既に起きているんです。株式会社シャノアール、これ、シャノアールやベローチェ等の喫茶店を全国展開している企業ですけれども、全国のチェーン店で約五千人の非正規雇用の労働者が働いています。このシャノアールは、今年3月、突然、社内通達で、有期雇用の労働者に対して契約期間3か月の更新は15回を上限とすると、入社契約時から通算で4年の勤務をもって満了という方針を全ての店舗に徹底しました。現在4年を超えて働いている方々は、全て来年3月で雇い止めにするという方針です。
7年以上働いてきたAさん、直接お話をお聞きしました。これまでは更新の上限はなかった、なぜ来年3月までなのかと管理職に問い合わせたと、そうすると、法律の改正に伴うものだと聞いていると、こういう説明をしているんです。Aさんは、お店の立ち上げから働いて、いいお店にしたいと意欲的に働いてきて店長代理にまでなっていると、自分は働き続ける意思だからこの不更新条項は認めないということでサインしていない、だけど、サインしなかったら仕事を失うかもしれないと泣く泣くサインをしている同僚を目の当たりにしているわけですね。
大臣、この労働契約法が変わるということで、既に五年を超えないように雇い止めをするという新しい動きが起こっています。法施行後5年の話じゃないんです。8年の話でもないんです。こういう企業の対応は看過するわけにはいかないと思いますが、いかがですか。
「これは裁判例の一般的な傾向を申し上げるわけですけれども、一旦労働者が雇用継続への合理的な期待を抱いていた場合に、使用者が更新年数あるいは更新回数の上限などを一方的に宣言したことによって労働者の雇用継続への合理的な期待が失われることにはならないということだと裁判例の傾向からは申し上げることができます。
また、あらかじめ設定された更新上限に達した場合でも、他の労働者の更新の状況など様々な事情を総合判断して雇い止めの可否が決せられるというのが、またこれ裁判例の傾向であるというふうに考えております。
ですので、不更新条項を入れさえすれば雇い止め法理の適用が排除されるといった誤解を招くことがないように、従来の判例法理が変更されるものではないということを解釈通達などを通じて周知徹底を図ってまいりたいと考えています。」
「現に新しい動きで、今まで不更新条項なんか入れていなかった企業がこうやってやっているんですよ。例えばこのシャノアール、労働者が労働局などに訴えていったら、これ指導できるんですか。どうですか。」
「個別のことでいろいろ御相談があれば、これは民事ルールでございますので我々の労働基準監督機関として指導するという性質のものではございませんが、総合労働相談コーナーなど、そういったことへの対応に当たって、労働局や労働基準監督署に窓口を設けておりますので、そういった相談があった場合には適切に対応していくことになると思います。」
「これ、労働基準法違反だったら労働基準監督署が捜査権を持って会社に入ることもできるんですよ、是正指導を強く行うことできるんですよ。だけど、非正規の労働者はそういう範疇にも入っていない。今回雇い止め法理を法制化したと言うけれども、これはどういうことかといったら、裁判で訴えたときに有利な条項が一つ法律の中にできましたよというだけのことなんですよ。」
田村智子議員の指摘は正しい。結局、このシャノアール事件は地裁で原告敗訴、高裁で原告有利の和解となったわけですが、2016年2月の話です。3年以上法廷で争える人がどれほどいるのか、という話なんですよね。この時の西村ちなみ副大臣の答弁にもある、解釈通達は24年8月10日付で出されていますが、その後の企業を対象とした調査で、認知度を調べたら、使用者も労働者も8割近くが正確なルールを把握していない、という結果になっていました。冒頭の記事への反応を見ても、雇い止めは、合理的な理由なしには、たとえ期間満了による結果でもできないとか、そういう基本的なところで労使ともに理解されていないし、そういう状況で、使用者に法律の趣旨に則った運用を促すだけでは、十分に労働者の権利が保護されないんですよね。当時の政府側答弁でも、不更新条項を無期転換回避のために行うことは、公序良俗に反して無効とは、答弁してるんですけど、それはあくまで答弁だし、本当に無期転換回避のためにやったのかは裁判で争わないといけないわけですよ。で、この法制化で、無期転換ルールをきっちり運用に乗せている企業も多くあるわけで、この規制が全く無駄だった、逆効果だったというのも違うのではないかなと思います。だからやっぱり入り口規制とか不更新条項の規制とか、そういう規制は必要だと思うし、そういう方向に議論を持っていかないといけないと考えます。
労働契約法は、定期的に見直しがされる付帯がありますので、おそらく今年か来年には再び労政審で議題にのぼってくると思います。現在の政府の動向を見ていると、どうも無期転換ルールをなくして、むしろ同一労働同一待遇の文脈で、解雇濫用法理の方をいじってきそうな気すらします。冒頭述べたように、労働政策基本部会には労働者側の意見は入りません。高プロを含んだ働き方改革関連法案は残念ながら、成立してしまう可能性が高いですが、派遣法とは違って、廃止した時に不利益を被る人がそれほど大きな人数になるとは思えず、十分に再改正できる段階にとどまっていると思います。政治を諦めてしまっては、好き放題にされてしまいますので、ぜひとも国会で議論されている内容に関心を持って、誰がどういうことを言っているのか、しっかりと見ていってほしいと切に願っています。
吾輩は無職である。職はまだ無い。どこで無職になったか、とんと見当けんとうがつかぬ。
何でも薄暗いじめじめした所で手斧を投げられていた事だけは記憶している。
しかもあとで聞くとそれは増田という人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。
・・・・
まぁ、前置きの冗談はこの辺までとして、前々から作りたいな思っていた
Webサービスを中々時間が取れず作るのを諦めていたのだけど、
僕自身、プログラミングを生業とする職業では無く、学生時代も特にプログラミングついて何か
始めたのが昨年末の大晦日ちょい前なので、約5ヶ月掛かり、当初想定していた期間より
かなりの時間が掛かってしまい、反省点等含めその辺の事を書けたらなと思います。
■やりたい事(実装した事)
・ゲームユーザー同士を繋げるマッチングサイト(出会い系ではないよ。)
・タグをつける
構成を書いた方が良いと思うので
以下になります。
■構成
--------------------------------------------
FW:Flask 1.0.2
ORM:SQLAlchemy 1.2.7
その他ツール等:Let's Encrypt/fail2ban/等々
--------------------------------------------
ほぼ、既存のベーシックなサーバーサイド側の制御のみです。(jsで非同期通信はしてます)
変えるのもなと思い、取り敢えず上記です。
■選定理由
Railsの名前を良く聞くのでRuby on Rails触ったのですが、
Railsには馴染めなかった(扱えなかった)ので
何かマイクロFWの方が良いのだろうと、Sinatraいこうか思いましたが
Railsの印象が強く残った為、Rubyは止めてPythonに移りました。
今度は初っ端からマイクロFWが良いだろうとFlaskのサンプルを試すと
比較的プログラミング初学者でも扱いやすく覚える事も少ないので、PythonとFlask
の組み合わせで決定。
(気軽にプログラムを書け、自分がイメージしている処理や制御を素直に実現できる点が
書いていて気持ちが良いです。まぁ分からない所も有りますが、そう思わせてくれる点
が良いです。モチベーション的に)
NginxとuWSGIの組み合わせはFlaskで検索すると一番でてくるのでこれに決定。
SQLite3 はマイクロFWだから軽めのDBでたぶん大丈夫だと思ったのでこれに決定
■開発概要
・まずPythonの開発環境を整えようとなり、WindowsにVagrantをインストールして
仮想マシンの環境構築。ゲストOSの中にPyenv等を入れPython環境構築
・上記構築後に取り敢えず小さなサンプルから作ろうとなり、簡単なCRUDをFlaskで行える様にしました。
これができた時は嬉しかったです
・上記が出来てから、本番の開発に移りCRUDをベースにひたすら肉付けていく
→ユーザー登録機能作成/ログイン機能作成/ユーザー情報表示/編集機能/チケット作成/及び編集/バリデーション
・細かいViewの調整とスマホ用のViewも作成(レスポンシブルでは無いので)
・本番用のさくらVPSに環境構築とセキュリティ用のツール導入とLet's Encryptでhttps化
■悩んだ点/反省点
・悩んだのがタグ機能周りになるとどうすればよいか、かなり悩みました。
結論を言うとToxi法を使用しましたのですがここにたどり着き、理解するのに結構時間がとられました。
また、実装したらしたで、今度はそのタグ機能を検索するとなると検索ワードが1つとは限らないので
クエリーを動的に生成する必要が有り、これも実装するのにかなり時間が掛かりました。
SQL文だけならば比較的すぐに検索でヒットしますが、それをSQLAlchemyでどう実現すれば良いか分からず
かなり時間が掛かりました。DB設計やSQLAlchemyの文法に自信は無いですねぇ。。
・1次情報のリファレンスからは情報得ることがほとんど出来ず(たまにはできたが)、
Stack OverflowとQiitaと個人ブログが無ければこのサイトできなかったので
■総評
・5ヶ月と時間が掛かりまた反省点も多々有るが、とりあえずサービス公開まで
もっていけた事が嬉しいです。ただただ嬉しい。
・FlaskとSQLAlchemyの情報が日本語が少ないので公式リファレンスとStack Overflowを
行ったり来たりしたおかげで英語アレルギーがそこまで無くなった。
■成果物
オンラインゲーマー向け(e-sports)のマッチングサイトになります。
名前が安直で小学生が5秒で考えたような名前ですが、安直で気に入っています。
作った理由は、僕はBF1が好きなのでオペレーションキャンペーンと言うモードを
やろうとしたのですが、時間帯が悪いのか過疎なか分からないが全然マッチングしないのですよ。
やりたいのにマッチングしないので出来ないどうしよう、と。
また、昔セールでFarCry3をかなり昔に購入した時(既に4が発売済み)にCO-OPモードが全然マッチしない事が有り
旬が過ぎたオンラインゲームは中々マッチしなくてほぼシングルモードしか出来ない事は割とあると思うんです。
今だとBF4もかなり人数がいない状態なので特定マップのみとか。
なのでオンラインゲームでマルチプレイやCo-opで人を集めたい時、PUBGやFORTNITE等バトロワゲームのスクワッドを
募集する時、オンラインゲームの大会(e-sports)を開きたい時に利用して貰えると嬉しいです。
主に想定ユーザーと考えているのは、FPS/TPS/RTS/MOBA等のPCゲーマーをメインに考えていますがCS機やTCGでも
使って貰えると嬉しいです。
あとViewがレスポンシブでは無く、PC用とスマホ用しかなくタブレット用の中サイズのViewが無いのでご了承下さい。
遊んでも良いよという奇特な方がいましたら当該サイト内でコメント頂けると幸いです
・BF1(PC版)
それでは長々とありがとうございました。
・・・・
日月を切り落し、天地を粉韲して不可思議の無職に入る。吾輩は死ぬ。
ありがたいありがたい。
https://m.facebook.com/hinihiniaratani/posts/1813686668696678
まるで「1億人総評論家時代」或いは「1億総ジャーナリスト時代」とでも言えば良いんですかね。
パソコンやスマホを前にすると、急に偉くなったって錯覚でもするんでしょうか?
今回のラフプレーについて、それこそどんな結末を望んでいるんでしょうか?
否、結論が出たら書くネタがなくなるから困るんじゃないんですかね?
監督、コーチ、当該選手の誰か、あるいは全員を生贄に差し出せとでも言いたいんでしょうかね?
騒いでる人を見てると、どんな結論が出ようが、自分が持ってる結論以外は認めない、今の与野党の論戦と同じような感じしかしませんが。
あのプレーがあった後にせよ、それでも双方が納得して試合するわけなんだから、どのような指導体制で臨もうが当事者以外の人が「監督やコーチを外ずせ」「今後のオープン戦全戦辞退しろ」なんていう筋合いのものじゃない。
見たくなければ見なきゃ良いだけでしょう。
最終的に当該チーム、連盟で話し合って結論を出すとは思いますが、その結論が気に食わなければ、FBではなく、連盟に投書でもしたら良いんじゃないんですかね?
「こんな事を起こしたら、日本のフットボールがダメになる」という意見もあったように思いますが、いつまでもこの問題に拘泥して、沈静化を妨げるような非建設的な投稿を続けることこそ、フットボールを廃らせるんじゃないんですか?
我々が話し合うべきは、起こった事を検証した上で、まずは再発防止、危険なプレーについての基準作りと厳罰化、ルール改定などじゃないんですか?
( https://anond.hatelabo.jp/20180425090153 からの続き )
少女漫画原作の恋愛&青春アニメ。オタクの主人公とリア充の女の子の物語。いい最終回だった。
ヲタ恋と比べ、主人公のオタク性の描かれ方が古いイメージ。昔の原作なんかなぁ、と少女漫画に明るい兄弟に聞いてみたら、少女漫画に出てくるオタクのモチーフはこんな感じのものが多いよ、とのこと。なので「主人公がオタク」=「閉じた楽園に入り浸っている、他人に興味がない、どんくさい、キモい、気が弱い、コミュ障、日陰者」みたいな意味と考える必要がある。高校が舞台なので、クラスメイト全員敵みたいな、あの感じ。
ストーリーは王道。きっとTVドラマか映画になるに違いない。女の子が非常にサバサバした感じですごく好き。色彩もすごく良い。
スポ根アニメ。JOJOでお馴染みDavid Productionが原作準拠で再アニメ化。
私が本作に触れるのは初めてなのだけれど、何もかもが斬新。主人公のパーソナリティも斬新すぎるし、ライバルのスペックもやばいし、対決シーンも頭おかしいし。きっと本作の連載当時も「なんかやべえサッカーマンガが始まった」というインパクトを与えたことは想像に難くないというか。「ボールは友達!」ってこういうことだったのね…。
サッカーのシーンは全体的に非常に熱量が高く、「あの名シーンをいかにアニメ化するか」という気概が強く感じられたし、なにより強烈に印象に残る。なんかやばいサッカーアニメ始まった。
アマプラ限定。エロはない?けどグロはあるほうの魔法少女。きびしいせかいなので割とメンタルタフネスが必要。
魔法少女の力というモチーフの意味って「抑圧からの開放」とか「人身御供」とかあるけど、本作における魔法少女の力は「イノセンス」みたいな感じ。悪いやつが使うと悪い魔法に、良いやつが使うと良い魔法に、みたいな。冒頭で示されている通り物語は暗転するんだろうけれど、主人公の成長とともに力の使い方が変わっていくさまが物語における重要なテーマなのかな。
ダーティーなノゲノラ。奴隷製造機というモチーフは「ノーゲーム・ノーライフ」のルールに似てるけど、登場人物の参加動機が全員不純でとても良い(主人公も含む)。また、ノゲノラと違い、基本的に「自ら参加したいと思った人」しか参加できない仕様なので、文字通りクズの見本市みたいになってる。1話におけるアッシェンテがパチスロっていうのも非常に好き。
異種間恋愛モノ。美女と野獣みたいな?彼氏(吸血鬼)はダーカーザンブラックの契約者とか、PSYCHO-PASSみたいな。エログロ寄り。
主人公が大学生として生活する姿をリアル目に描いているので、より彼氏が非日常の象徴になっている。そういう彼氏の危うさみたいなところが凄くエロい。
イケメンパラダイス。千夜一夜物語ではなかった。中国のメディアミックス作品が元らしい。何より主人公が人畜無害な良識人ではなくむしろ悪役っぽいのが面白い。
晩餐会の後ろで流れている音楽がラヴェルの”亡き王女のためのパヴァーヌ”(オケの方)だったりする。JASRAC対策で謎アレンジを加えていくスタイルが多い昨今では結構珍しい演出だと思う。サントラに入ってたりするんかな。
3DCG版蒼天の拳。体格やべえ(モブ含む)。タバコや拳銃がめっちゃ小さい。1話ではガチ戦闘がないけど、技の演出がかっこいい。戦闘シーンではあの体格に違和感がないのが凄い。
動くモブといえば「顔が見える距離にいるモブ」と「顔が見えないくらい遠くを歩くモブ」がいて、後者は3DCGな作品が最近は多いけれど、本作は後者のモブが前者として使われているので、街並みが凄いことになっててちょっと面白い。
原作未読なのだけれど、強いやつが現れる→殺す→もっと強いやつが現れる→殺す→みたいな脳筋ストーリーじゃなく、結構しっとりしたストーリーなのが意外だった。最初だけかな?
アニメ化されたTVバラエティ。アニメのキャラクターになったなぎら健壱みたいな人が、知らない居酒屋(日本で一般的な居酒屋)を訪れるみたいな内容。
全体的に演出がTV番組のそれになっているので、アニメだと思って観ると後悔するかも。TV番組特有の演出に対する耐性が必要。先のポプテピピックではアニメの定義について温度が高かったけれど、今のところ最もアウトサイダーなのは本作。
シチュエーション萌アニメ。”〇〇の場所で、〇〇をしていて、〇〇になったときの「お兄ちゃん、〇〇」”。数分で完結するインスタントな萌アニメ。
今期最も予算が少ないラジオドラマ(イラスト付き)。あのTokyoMX系列作品。まずアニメの公式サイトが発注されてないのでアニメの配信情報が不明(ツイッターアカウントはある模様)。今の所ニコニコ動画での配信を確認。
内容は全編に渡って怒涛のシモネタ。
2015年のシュタゲ再放送時に発生した分岐イベントの続き。本作に一度も触れたことがないので、ネタバレが怖くて観れなかった。とりあえずシュタゲ観る。
略すとIVだけど3期。急転直下から始まるフルメタ続編。フルメタを一切見たことがないのでまずはそっちを観たい。
全話配信済作品は1話だけ観てレビュー書いても意味ないので保留。
特になし。
作品が非常に多い。ここで挙げている作品で多分、全体の2/3くらいだと思う。「多分」というのは、ぶっちゃけ今期のアニメが何作品あるか分からなかったのだ。中にはアニメの公式HPが無い作品もあって、個人で作品数を把握するのはほぼ不可能に近い気がする。
加えて、今期は特に配信プラットフォームの変化が気になった。今までだと「アマプラのみ」「ネトフリのみ」「AbemaTVのみ」くらいだったけれど、ゴールデンカムイの「FODのみ」に始まる、各サービスによる囲い込みがより進んでいる印象を受けた。
d’アニメストア ¥400-/月
AbemaTV…CHU ¥960-/月
FOD…ゴールデンカムイ ¥888-/月
今期のアニメをすべて視聴しようとすると、合計¥8,000-/月くらいの契約をする必要がある。
それにしてもオリジナル作品がとても豊富。調べた限りでもオリジナル脚本のアニメ(ウマ娘とか含む)が20作品近くあった。「オリジナルアニメは売れない」という時代でもないのかなぁ、と思わずにはいられない(オリジナル脚本とオリジナルアニメは違うど)。最近は名作のリメイクについての話題がよく上がるけれど、個人的にはオリジナルアニメ界隈の方がアツイ。
新作1話全部視聴はおすすめできない。観れば観るほど続きが気になる作品が際限なく増えてしまい、仮に上記の作品を今のペースで全話視聴すると、観終わる頃には来年の冬アニメが始まってしまう。何よりも、日々の活力にならない。むしろアニメを見るための活力がほしい。過ぎたるは及ばざるが如し。実は2018年冬アニメもひと通り観ていたのだけれど、おかげで旧作を観る時間が無くなってしまった。これからはもっと旧作を観るための時間を大事にしようと思う。そういう意味でも、新作1話全部視聴はおすすめできない。本当に疲れた。
『トゥームレイダー ファースト・ミッション』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでそういうの嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向け。
点数で言うと80点くらいだろうか。サービスデーやレイトショーで見ると満足感があるという点数。
ぶっちゃけると、平均的なアクションB級映画であってそれ以上でもそれ以下でもない。ごくごく個人的な事情により「ちょい俗悪なレベルのB級アクション映画」を見たくてわざわざ選んで見に行ったので、そういう意味では120点だった。
というのもそれ以前の視聴ログが『ドラえもん のび太の宝島(点数をつけるに値しないここ数年で最底辺の映画)』→『リメンバー・ミー(どうしてここまで作り込んじゃったんだろう、子供向けをぶっちぎった文芸映画だぞ高得点すぎて意味わからん)』という履歴であり、次は『ジュマンジ』を見に行く予定もあったので、口の中をすっきりさせるというか、程々の映画で期待値をリセットしたかったのだ。程々で大変素晴らしかった。
最近のハリウッド映画らしく、CGのレベルはもはやCG臭いとか臭くないというレベルは遥かに飛び越えていて、「どういうワンダーな画面を見せてくれるか」になっている。その基準は十分に満たしているし、アクションも、期待のB級謎解きも、おおよそ期待通りだった。
「古代日本の邪悪な女王ヒミコが残した宝」というぶっ飛びネタからスタートする本作であり、一部の人はカチンとくるかもしれないが、いいのだ。これがB級なのだ。
『トゥームレイダー』はたしかに歴史あるIPなのだが、だからといってその歴史が上級であるとか本格であることを全く保証しない。むしろ『トゥームレイダー』こそがトンチキB級アドベンチャーですよ。
超古代文明のつくりあげた謎の遺跡のトラップが宝石の色の重ね合わせで罠解除とかどこのどんな技術だよ! とか突っ込むのは序の口であり、むしろ、おいおい光る宝石の色を混ぜ合わせるのに青+黄色で緑って絵の具じゃねえんだぞ。光の重ね合わせはむしろ引き算だろう! とか、そういうレベルで胡散臭くアホっぽいのが『トゥームレイダー』であり、トンチキは正義なのだ。
直径10kmもないような絶海の孤島に幅25mの激流が流れてて10階建てよりも高い滝があるとか、水源地全くわからないけど、良いんである。その場その場が盛り上がって格好良ければいいのだ。B級ってそういうものなので、批判に値しない。っていうか、むしろ、ポップコーンを食いながら指差して爆笑するのがふさわしい映画なのだと思う。
ここらへんは(あくまでこの感想全部と同じく私見なのだが)減点要素ではなく加点要素であった。そんなのより安易なクリフハンガーに頼って、やたらと高いところで鉄骨渡りやらせればスリルが出るだろうみたいな安易さのほうが減点である。
『トゥームレイダー ファースト・ミッション』は映画版『トゥームレイダー』のリスタート作品として、このシリーズの第一作にあたる。主人公はこのシリーズの看板であるララ・クロフト(演アリシア・ヴィキャンデル)である。
冒険アクションゲームである『トゥームレイダー』シリーズの主人公ララ・クロフトはひとことでいえば、女性版インディ・ジョーンズであって、タンクトップ一枚で二丁拳銃を構えて、荒野、密林、砂漠、洞窟、地下洞窟に飛び込んで、古代生物だろうが邪神教団だろうが謎の殺戮機械だろうがお構いなしにバカスカぶっ殺しては遺跡を漁る天才的『トゥームレイダー(墓荒らし)』である。
軽装備で密林の現地部族の槍にぶっさされても、錆びた鉄骨が脇腹を貫通しても、瓦礫に生き埋めになって両腕がおれても、不敵な笑いを浮かべて古代の謎に飛び込んでいく頭のちょっとおかしな女性。それがララ・クロフトである。B級だからそれでよくて、それが良かったのだ。
でも今回の映画『トゥームレイダー ファースト・ミッション』はそこが失敗してしまった(もしかしたら制作側は失敗ではなく計画通りだと思ってるかもしれないけれど)。
今回のララ・クロフトは、行方不明になった父リチャード・クロフトの行方を追い求める「成人にはなったけれど心はまだ傷ついた少女のまま」という造詣がなされている。身体能力や知的能力は確かに卓越しているけれど、キチ○イではない、真人間なのである。
(キチ○イ度が下がった結果おっぱいのサイズが小さくなってしまったのも悲しい点だ)
その結果なにが起きたかというと、ララがピンチになって撃たれたり首を絞められたりするシーンで、スカッと爽やかに画面を見ていられない、なんだか辛いような気持ちになってしまったのである。ちょっと残念。
今作においてララ・クロフトの動機は「行方不明の父を探す」であり、今後シリーズの動機は「父を殺した秘密結社トリニティとの対決」になっていくと思われるのだが、でも、だとすると「超古代文明の遺跡に挑んでロマンだ! 不思議だ! 財宝だ! いいいいーやっふーぃーーー!」という爽快感は(あるていどのところ)諦めなければならない。
B級アクション・アドベンチャーの女主人公として、脳みそハイになりきれなかったところが今回映画最大の泣き所だと思う。
てなわけで『トゥームレイダー ファースト・ミッション』の感想おわり。B級映画なのでBな感じで感想書いてみた。
絶頂数 3回
総評 ★★☆☆☆
3月、春の訪れと言うにはまだ早いが梅の花が咲いているのを見た。
そして花咲けるのは梅だけではない、この千葉のど真ん中にもひときわ大きく咲き乱れる「女体(ハナ)」があった…。
わたしはデブなのでマイクロビキニがピコ、フェムトって感じになった。
乳首がギリギリ隠れるぐらいの布面積、四捨五入して実質裸みたいな。
今度こそ好きな人と1戦交える…と。
メイド服については自炊の時のテンションを上げるために買っただけなので割愛する。
また興奮したのでスマホで動画を漁り、マイクロビキニ着た女が複数人に責め立てられてるものを見つけた。
「おーいおーい!なに普通に感じてんだ!!」「こういうの好きでしょ?好き?早く言えよ」などとうるさいヤジが飛び交っていた。
言葉責めも悪くない。正直好き。
想像だけでクリチンポが爆発しそうだった。
バイブあてたら逝った。外イキ1回。
ちなみに隣の部屋に好きな人が住んでいる。
また聞かせてやろうと思って中で2回ほど逝ってやった。
外イキを決めた時からあかんなあとは思っていたがやはり気分が乗らなくなってしまった。
好きな人を部屋に連れ込んだことは数度ある。
もちろん男なのでたくさん触ってくる。当たり前だ。
おっぱいも揉むし、股間をパンツの上からさするぐらいはしてくる。
酒が入ってた時はズボン越しに股間を尻に押し付けたりもしてきた。
明言はしないが恐らく彼が枯れているからだ。(ダジャレじゃない)
「好きな子は時間かけて大事にしないと」と言っていたがたぶん違う。ちんぽの霊圧が消えている。
別にできないならしなくていい、手を繋いで寄り添うだけであんなにも楽しかったのだから…。恋焦がれている…。Jet'aime…。
このように外イキをすると、ディルドーを
はめたまま恋の空想に耽るマイクロビキニを着たオタフクソースが生まれてしまう。
次に梅が咲く頃、きっとわたしはこの部屋にいない。
それまでにどうにかワンチャンもっていけるだろうか。