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はてなキーワード: 同人とは

2019-05-22

anond:20190522014207

参考になるかはわからないが、自分場合幼稚園児や小学生の頃からずっと落描きしてた。

コピー用紙オリジナル漫画もたくさん描いてた。

絵は年相応のものだったけど、絵を描く体力はそこで培ったのかなと思う。

高校生の頃にはつけペン漫画を描いてたし、大学生に入ってからデジタルで絵や漫画を描きだして同人も始めた。

現在、一応twitterで4桁フォロワーがいるくらいにはなってるけど、努力をした感覚ってあまり無い。

好きなものを描いて、描けないものを描くために色々調べて、また次の絵を描く。それだけ。

ある程度の年齢いってから描こうって人に助言するなら、模写から始めてみれば位しか言えないなあ。

あと、字の上手さは絵とはあまり関係なかったりする。

絵を描ける人が字を書く練習をしてるとは限らないから。

anond:20190522120309

両親祖父母からお小遣い7割、大学時代に塾講で貯めたお金2割、同人で儲けた金1割 です。ざっくりだけど。

anond:20190522111947

漫画家なら同人時代PN捨てて違う名前商業デビューする人は珍しくないけど

音楽業界でも同じなんじゃね

2019-05-21

同人BLアンソロノベルティいらなすぎる

最近はオシャレにデザインしてるノベルティも多いけれど、いらない。

ゴミしかならない。

普段使いやすもの作りました

ゴミです。

製品やらプラスチック製品やら缶バッチやら、ゴミに出す際に分別するのが面倒すぎる。

メモとかしおりとかの紙製品はまぁ分別しなくていいからありがたいけどどうせゴミ

持ち帰る時じゃまだから全体的にいらない。

ノベルティいらないと言いたいけれど、コミュ障だし、ていうかいらないと言う前に用意されてるし。

ノベルティに金かけるんだったら、装丁に金かけてくれ。もしくは頒布価格を下げろと思う。

ノベルティのせいで赤字になるんじゃねーの?とも思うこともあるし。

と、ここまで書いて個人誌もノベルティ付けてるサークルは沢山あるけど、個人誌についてはいらないと思った事は無いのに気づいた。

なんでだろう

anond:20190521014851

実力と評価乖離してるなんて今に始まったことでもなかろうに。

なろうやカクヨムなんかで必死執筆活動wしてるライトノベル作家志望者が、作品磨きよりも検索上位になるためのキーワード設置やSEO対策に躍起になっている時代だぞ。

個人的には同人界隈の評価というのは本人のコミュ力にかかっていると思う。きれいに言えば営業活動というやつか。

2019-05-20

初めて同人誌つくった

自慢かもしれないけどもっとすごい人いるから自慢にもならない自慢かもしれない

人生で初めて同人誌作った

ゴールデンウィークイベントに参加した

感想貰えなくて同人やめた」みたいな話を良く聞くからぜんぜん売れなくて感想も貰えないかもと思った

結果 完売したし感想もいっぱい届く

なにより嬉しかったのがジャンルいちばん上手いと私が勝手に思ってる人から長文の感想貰えたこ

同人感想貰えないって言ってる人ほんまか?と思った

でも今それなりにでかいジャンル(ヒプマとかトウケンほどの巨大ジャンルではない)にいるからかもしれない

あと同人誌つくって感想もらえるって脳汁バドバ出てやばいなと思った

これはみんなハマってオタクやめられなくなるなと

他人の褌で相撲とってるだけなのに満たされがすごい 怖い

2019-05-19

ネット蔓延る低レベル漫画

誰でも漫画が公開できる世の中になったか

なんとか賞に送っても掠りもしない、pixivでも掠りもしない、同人誌以下、趣味に毛が生えたレベル、そのくらいの漫画をよく目にするようになった

アプリとかで見かけるのは同人レベルかな

 

昔はこういう世の中になってほしいと思ったけど

実際なってみるとノイジーだな

そいういのを何度も見かけると、漫画のものに対するモチベが萎え現象あると思う

勝手な話だけど

anond:20190519221858

えーこれ一方に偏りすぎてない?

パソコン通信使ってたオタク女だけど、

当時(2000年前後)、女オタクの主戦場コミケ等のリアルイベントであって

いわゆるオンリーと呼ばれる小規模の同人誌即売会地方でも頻繁に開催されてた

今もされてると思うかもしれないけど、赤ブーブーみたいなプロモーターが入らず、

イベント会場が少なかったので、個人ホテル宴会場なんかも借りてやってた

即売会だけじゃなくて、お茶会って文化も盛んで、描き手じゃなくても仲良くなれる環境があった

から特にネットを使う理由はなくて

イベント情報だけ分かればよかった(当時はじゃま~るとかぱふアニメージュなんかにイベント情報が載ってた気がする)

 

 

2ちゃんねるにいた女性なんてごく少数だし、オタク女全体から見て数%もいなかった

当時は自分サイト開いて、表から入れないようにキャラ誕生日だとか、

特定数字ワードを入れないと開けないようにする裏サイトを作るのが一般的だったか

みんなジオシティーズかに開いてたもんよ…

絵師は一部デジタル導入し始めて、PC買ったりしてたからね

当時のWACOMタブレットの高さよ…

掲示板もあり、数少ないネット環境のあるオタク女はそこで交流するのが普通だったのだよ

mixiコミュがあったりもしたな…

だんだん2ちゃんねるに生息するオタク女も増えたが、神待ちどーこーは全然関係ない話

男はエロ動画が見たいのと、経済的に豊かだったかPC買えたというだけだ

 

 

参考URL

高河ゆん尾崎南CLAMP――20代30代の腐女子が持つ同人バブル時代トラウマ

http://blog.livedoor.jp/moepre/archives/50080518.html

注:1990年代の話

 

 

サイト時代ユートピアだったか?③(読み手実践編)

http://fujoshimama.hateblo.jp/entry/2016/06/03/193047

注:(2)が2005年くらいの話

オタク女の問題の根源は住み分け杜撰さとアイドル活動

2000年前後インターネットを知っている老人会の皆さんは知っているだろうけれど、それまでパソコン通信では確認されていたオタク女というのは極少数だった

それは様々な理由があるだろうけど、オタク女が少なかった要因の1つには「コミックアニメカルチャーコンピュータカルチャーが今ほど混ざり合って居なかったから」というのはあると思う

少なくともPC98シリーズなどである程度のライトオタクにまで花開いた日本コンピュータカルチャー時代では、まだまだコミックアニメアナログ時代だった

発色数がこうだの発音数かどうだのとパソコン通信オタク女と語り合った記憶はほぼ無い(パソコン通信の頃は実名活動しているユーザも多かったのでハンドル実名イコールで結ばれていることも少なくなかった)

オタク女がバッシングされるようになった経緯を知らないユーザも今では多くなっただろうけれども、その契機はWindows 2000Windows XP時代まで遡る

これらMicrosoftOSリリースされるとインターネット人口は一気に増え、主にコミックアニメを取り扱う電子掲示板コミュニケーションで衝突が起きるようになる

それはネットワークを介したコミュニケーションに慣れていない新規ユーザーが一気に増えたことにより、住み分けという意識がなく今で言うBLネタを投下しまくったという歴史的事実がある

これがまた悪いことに新規ユーザーの大半は若い世代だったので直情的な傾向があり、注意を受けても反発する、ほんの少しの時間を置いて繰り返すなどの行動を頻発させた

まりにもBLネタヘイトを集めすぎたため、そこで起きたのが電子掲示板の分割であるBL隔離板」の発生だ

例えばわざわざBL同人サイトにまで嫌がらせがあったというのを当時リアルタイム確認しているが「なぜそこまでのヘイトを集めていたのか?」というのが語られていないので上記しておく

そしてそれだけじゃない、ほぼ同時期に問題視されていたネットミームがある

こちらはオタク女の皆さんも「そんなのは極一部」「私達は関係ない」と言うだろうが、大きな属性として同じ括りに居る人間として歴史直視してもらいたい

そのミームとは「女神」の発生である

女神」はネットミームで言うところの「神」から派生した言葉だが、その内容は「女としての特徴を活かした人気集め」だ

内容としてはそれらよりも過激な面はあったが大体の認識として、少し前の「女生主」や、現在の「女性Youtuber」とほぼ変わらない

例えばオタク女へ対して「まーん」という蔑称ミームが使われること過去(もしかしたら今も)あるかも知れないが、これは大半は「女神属性を持ったオタク女へ使われた言葉だった

これら住み分け杜撰さと女神を契機としてインターネット雰囲気は一気に変わった

これを無視してオタク女はオタク男にイジメられていたなどという発言厚顔無恥と言わざる得ない

付け加えて言うが、これは「オタク女の先輩たちがインターネットやらかし過去の失敗であって、その反省は多少されており、反省したあとのインターネットに触れた新しい世代オタク女は昔ほど酷くはない」と強調しておく

年齢で言えば若くても30代より上の世代の話なので「先輩もやらかしてたんですね」と笑ってあげて欲しい

このエントリオタク女をバッシングするために書いたものではない

ただ厚顔無恥な連中へ対して当時のことを思い出させようとしているだけだ

絵師さんに表紙を頼んだ話

 これは私の愚痴であり、悲しかたことを並べているだけの話だ。誰かにとって有益情報もなければ、注意喚起意味もない。

 ただ、こういうことがあって悲しいという、けれどこれを話せる友人もない、寂しいだけの女の話だ。

 お時間のある人はつきあってほしいが、私はこの件について意見を求めているわけではない。

 誰かに聞いてほしくて、少しだけ慰めてほしくて、こうして綴っている。

 

 

 私は同人生活が長く、小説を書いている。

 初めて人様に表紙を頼んだのは、10年近く前だ。

 以降、特定が怖いので、年数などに関しては明記はせず、フェイクも入れていく。

 

 

 表紙を初めて頼んだ時には、どきどきした。

 だが、出来上がった表紙を見たとき、「これじゃない」感がすごかった。

 私はハッピーエンドが好きだ。そういう話を書いてもいる。

 だが、その表紙はものすごく暗かったのだ。

 キャラは浮かない顔で、背景も暗い。

 見ていてめちゃくちゃ沈んだ気持ちになる絵だった。

 けれど、せっかく描いてもらったものを「描き直して」とは言えなかった。

 表紙サイズが違っていたからそのことだけ指摘して、絵の暗さについては触れなかった。

 

 

 その後も、何度かそういうことがあった。

 私が事前に「楽しい感じで」「笑顔で」と指定を入れておかないと、キャラは必ず浮かない顔で描かれる。

 ハッピーエンドなのに、なんでだろうと思った。

 

 ついでに記しておくと、背景もほとんどなく、たいていグラデかテクスチャが貼られているだけだった。

 なぜ、指定を入れないと、いつもいつも似たような表紙になってしまうのだろうと思った。

 

 

 絵師さんに表紙を頼むようになってから数年がたち、この間にもかなり悲しいことがあったのだが、それらを並べて記すと完全に身バレするので詳細には触れない。

 ただ、人間不信になりそうなことはあった。

 私は絵師さんに好かれるタイプではないのかもしれないと思った。

 

 

 ちなみに私は、私の作品について好意的感想をくれた絵師さんにしか表紙を依頼していない。

 全員がTwitter相互フォロー状態だった。

 一方的に私が片想いをしているということはない。

 私のことを知らない絵師さんにはまず頼んでいないのだ。

 それでも、悲しいことは起こる。

 

 

 さて、さきに記した初めてから数年後の話だ。

 とある絵師さんに表紙を依頼していた。

 あるていど事前に指定も入れていた。

 〆切には余裕もあった。

 

 ある日曜日、私は映画館に行っていた。前売りを何枚も買って楽しみにしていた作品だ。その日も二回は観るつもりだった。

 そこに絵師さんからメールが入った。

 ラフ確認をしてほしいというのだ。

 私は、「出先だから帰ってから確認させてほしい」と返した。

 しか絵師さんは、さらメールを寄越した。

 その内容はこうだった。

 

 「今日中にやっつけちゃいたいから、いま確認して」

 

 私は一瞬、自分が受けとったものが何であるのか、よく分からなかった。

 やっつけって何? と思った。

 意味が分かったら悲しくなった。

 反論する気力もなく、スマートホンでモノクロラフ確認し、映画の合間にメールのやりとりをした。

 悲しみや動揺で、映画を楽しめなかった。

 映像を見ながらも、絵師さんからメールの文面のことを考えていた。

 

 

 そして、私が帰宅したときにはもう完成原稿が送られてきていた。

 

 それは本当にやっつけ感あふれる代物で、チェックしていて悲しくなった。

 言葉の綾でもなんでもなく、まさに「やっつけ」だったのだ。

 私の指定はほぼ守られておらず、まず表紙の色から違った。

 ●色と指定したのに、「▽色にしておいた」と原稿に添えられたメールにあった。

 ▽色は、私の嫌いな色だ。相談もなしにその色に塗られた。

 

 解像度が違い、フォントが違い、うちのサークル名が違った。

 ミスだらけだった。

 指定したものが驚くほど蹴とばされていた。

 これもキャラは浮かない顔をしているし、背景の書き込みはなく、テクスチャが貼られているだけだった。(この本に於いてはそれ自体はいいのだが、この先のために記しておく)

 

 

 とても悲しかった。

 怒りより悲しみだった。

 なんで彼女はこんなことを平気でするのだろうと思った。

 記したもの以外にも頼んだことがあったが、それも彼女は実行しなかった。

 

 だが、「今日中にやっつけちゃいたい」と言ってきた相手に、リテイクは出せなかった。

 直せるものはすべて自分で直した。

 文句は言わなかった。

 

 

 原因はこの件だけではなく詳細を省いた部分にもあるのだが、ともかく傷つきすぎて誰かに表紙を頼む気になれなくなってしまった。

 悲しくてしょうがなかった。

 

 

 そこからまた数年がたつ。

 相変わらず、人様に表紙を頼むことには怯えていた。

 またあんな目に遭ったらと思うと怖かった。

 けれど、絵師さんに表紙を頼んで傷ついたものは、結局、やはり表紙関係で満たされない限り癒えないのではないかとも思った。

 

 

 他の文字書きさんが絵師さんに表紙を頼んで嬉しそうにしているのを見るのが辛かった。

 好きな絵師さんが他の文字書きさんの表紙を楽しそうに描いているのが羨ましくて苦しかった。

 

 ぐるぐる考え込んでいたが、羨んでばかりの状態健全ではないなと思えた。

 そして数年ぶりに、絵師さんに頼んでみることにした。 

 

 その絵師さんは、にぎやかな楽しい絵を描く人で、この人ならキャラを浮かない顔では描かないのではと思えた。

 それに、他の文字書きさんの表紙で、すごく緻密な書き込みをしていたのだ。

 作中に記された背景、建物自然物、小物等々、キャラクターだけではなく、いろんなものを丁寧にひろって描いていた。

 羨ましかった。

 私の作品もこんなふうに描いてもらえたら幸せだろうなと思った。

 思いながら、でもきっとそうはならないんだろうなと、半分あきらめもあった。

 ここまでの間、そんなことをしてくれた人はいいからだ。

 

 

 依頼を受けてもらえて嬉しかった。

 しかし、送られてきたラフを見たとき、失敗したと思った。

 私は「笑顔で」との指定を入れ忘れていたのだ。

 

 キャラクターは、浮かない顔をしていた。

 背景の書き込みはなく、テクスチャが貼られる状態になっていた。

 

 

 まただ、と思った。

 また似たような表紙になってしまった。

 何でだと思った。

 

 過去絵師さんに頼んでいた表紙のことを思い返した。

 

 私はハッピーエンドが好きだが、そこに至るまでは苦しかったり切なかったりする展開をさせることが多い。

 私自身は大事なのはラストだと思っていた。

 だが、どうやら絵師さんたちは私の話の苦しい部分こそが重要だと考えているのではないかと、そこでようやく思い至った。

 

 数年も分からなかったことが氷解したのだが、肝要だと考えている部分に私と絵師さんとでは大きなズレがあったことをここで思い知った。

 表紙のイメージが合わないはずである

 

 私が思っている以上に私の話は暗いと思われていたのだということも理解した。

 イメージの擦り合わせをしていないのだから、ズレるのも当たり前だった。

 この点については反省した。

 事前に指定も話し合いもしていないのがそもそも間違いなのだ

 

 ラフから、まだ直せる。

 しかし先方が忙しいことも知っている。

 悩みはしたが、絵師さんに罪はないのでラフokを出した。 

 

 

 思い通りにいかなかったことは悲しかったし、暗いと思われていたらしいことも悲しかった。

 だが指定を入れなかった私が悪いのだ。

 勝手な夢を見て、敗北しただけだ。

 

 

 己の過ちに気づいてから、いろんなことを考えた。

 なぜ私の本の表紙に背景を描き入れてくれる絵師さんがいないのか、とか。

 

 これまで頼んだ絵師さんは、他の文字書きさんの表紙では背景を緻密に描いていたりする。小物を大事表現したりしている。

 でも、私の本ではテクスチャなのだ

 指定がない限り、基本的キャラクターだけしか描いていない。

 

 結局のところは、描く気がないかなのだろうと思った。

 別の文字書きさんの表紙では、描きたいから描いているのだ。

 ほとんどの絵師さんにとっては、私の本の表紙は頼まれたから描いているだけで、積極的に描きたい物ではなかったのだろう。

 

 

 他の文字書きさんの表紙を見て、「こんなふうに作品大事にして描いてもらえたら幸せだろうな」と思った。

 でも、私にはそれはないのだ。

 私の作品からひろいあげたい背景も、小物も、動物もないのだろう。

 

 

 「やっつけちゃいたい」と言い放った彼女など、本当に描くのがめんどくさかったのかもしれない。

 

 いろいろ考えていて、これはキツいなと思った。

 気づかなきゃよかった。

 好意的感想を送ってくれる絵師さんでも、別に私の話の全てが好きなわけではないし、それは理解している。

 けれど、こんなにも他の文字書きさんと比べて違うことをされるのかとショックも受けた。

 しかもそれが、一人や二人ではないのだ。

 例外もあるが、これまで頼んだ絵師さんのほとんどがそうしている。

 

 

 依頼されて描いているだけでも、私のために時間を使ってくれていることには感謝もしている。

 皆さん、忙しい合間を縫って描いてくれているのだ。

 文句を言えるはずもない。

 ただ悲しいだけだ。

  

 

 単純に、私の書くものにそこまでの魅力がないということなのだろう。

 悲しいけれど、それだけのことなのだ。

 それなりに面白くはあるから好意的感想をもらいはするけれど、でも、その絵師さんの「描きたい気持ち」を引き起こせないでいるのだ。

 

 

 ほんっと、気づかなけりゃよかったな~~~~!!!

 

 

 これが何年前のことなのか、はっきりとは記せない。

 私は現在小説を書いている。

 特定とかはせずにそっとしておいていただけるとありがたい。

 

 

 誰かに表紙を頼むことは、この先、あるかどうかは分からない。

 いい出会いがあったらするかもしれない。

 

 だけど、そのときには私はうるさく指定を入れるめんどくさいやつになっているだろう。

 イメージの擦り合わせから始めなくてはならない。

 キャラ笑顔で、背景も小物もしっかり描いてほしいと伝えなくてはならない。

 これまでの失敗を全て取り返すくらいの気持ちでやるだろう。

 リテイクを出す勇気も持ちたいと思う。

 

 

 悲しい思いはしたが、学びはあった。

 傷ついたことは否めず、今も癒えずにいるが、書くことだけはやめなかったし、やめるつもりも現在のところ、ない。

 

 

 冒頭に注意喚起はないと記したが、とりあえず、すべての文字書きさんは絵師さんとのイメージの擦り合わせはしたほうがいいとだけ伝えておく。

 当たり前のことができていなかった文字書きの愚痴でした。

 ここまでつきあってくれてありがとう

2019-05-17

ただ感想がほしい

同人やって数年、本を数冊出してきたが感想がもらえたことが二、三度しかない。

超弱小サークルなのでしょうがないのかと思うものの、Twitter相互さんすら感想をくれることがなくて泣きそう。

今まで感想くれた人はそれぞれ別人だったが、どちらも「可愛い」と短めな感想

感想をくれて可愛いと言われるのは嬉しい反面、もう少しどこがどう可愛かったのか詳細が知りたい…。色々と工夫して描いたり頑張ったコマかいっぱいある。

しかも一人はよく知っている人で、別のフォロワーさんには語彙力ある感想を送るような人だっただけに、私の作品には「可愛い」としか言ってもらえなくて(義理でなんとか絞り出して言ってくれたのか…)ととても凹んだ。

本の感想くださいってTwitterで呟いて感想用のフォームを用意しても1度しかたことがない。(そして感想は「カワイイ」だった…)

そして相互さんはよくフォロワーさんから感想もらった!○○描いてもらった!などともらった報告が多い…。

周りはキャッキャ楽しそうにしてる中、私は一人黙々と本を描いて出しての繰り返しで寂しい。

本出すのもタダじゃないし、こんな感じのままならそのうち筆を折りそう。

楽しそうに同人やってる人たちが羨ましい…なんでそんなに感想もらえたりするんだ。

イベントに出せば毎回買ってくれる人もいるが、買われていくだけじゃやる気が枯渇してしまう…。

辛かった事、嫌だった事を同情目当てで公表するの、もうやめない?

お前の家族友達ならきっと「うんうん、辛かったね、大変だったね」って慰めてくれるだろうな

でも、ネットはそうじゃないんで、俺も含んだ「追い打ちを仕掛けたい人」がいるんで

たとえばこれ、「anond:20190426211521」ってエントリ

しつこい誤字脱字修正同人やめたまじ辛いもうむりって感じのヤツね

で、同情されたと思う?うん、されたよ

でもそれ以上に性格の悪い人達から今日も女は面倒くさい」「うんち」「甘えるな」「〜〜て表現誤用ですね」っていっぱい付いてるよ!

斜に構えたブクマカ共も更に追い打ち!もう二度と同人どころか文章書く気も起きないだろうねえ

そういう事だ、だから残念ながら同情欲しさにトラウマ公表はやめとけ、やめろ

俺は追い打ちして遊ぶ、俺以外の誰かも追い打ちして遊ぶ、残念ながらお前の不幸はおもちゃで、お前のトラウマという傷口に塩を塗り込むのが楽しいんでね

2019-05-16

anond:20190516130701

女性作家だと判明している作品については(それはそれで女性読者から袋叩きにされている作品をまま見るが)

正直このパターンが多すぎて下手に媚びるのも怖いんじゃなかろうか

ほら増田同人うんち長文でも山ほど見るパターンじゃん

今まで新興宗教教祖みたいに作者持ち上げてた奴が、ちょっとでも自分の思い通りにならないことがあると、すぐ大仰な理屈を持ち出してアンチに回るあれ

ボダでも相手にしてるような感じ

今日も女はドロドロ同人

これはひどい(読んでない)

2019-05-15

anond:20190515193255

華族同人オタとか居るんだけど…まあ家がでかくても金持ちとは限らないか

anond:20190515111331

同性愛者というかゲイビデオっていう文化バカにして笑い者にしていいってとこから

同人趣味表現者も(拙いものと俺たちが判断したら)バカにして笑い者にしていいっていう風になっただけで悪化こそすれ差別感情には何ら変化がないわけだが

こういうのを認知が歪んでいるって言えばいいの?

変なもの、拙いものを笑うという普遍的人間の動きがまず前提にあって、

その流れでゲイビデオの一部要素がウケたと見るのが普通だろ。

anond:20190515110909

同性愛者というかゲイビデオっていう文化バカにして笑い者にしていいってとこから

同人趣味表現者も(拙いものと俺たちが判断したら)バカにして笑い者にしていいっていう風になっただけで悪化こそすれ差別感情には何ら変化がないわけだが

淫夢同性愛差別という誤解

いやまあ結論から言うと誤解じゃないんですけど(マテ)、しかしながら、あれが同性愛差別に見える人は何が見えていないかというのは指摘しておかねばならないなと思ったのでやはり書こう。

淫夢について語るには、まずパンツレスリングについて語らないわけにはいかず、そして淫夢パンツレスリングはどちらもゲイビデオを見て笑う文化なので、「やっぱり同性愛差別じゃないか」と早合点してしまうのも無理はない

だがパンツレスリング面白いのは「男二人が出会い、おもむろにパンツを破きあう謎の戦いが始まる」というシチュエーションシュールさにまず笑ってしまうからであり、さらにまるで日本語を喋っているかのような、そして一貫した哲学が語られているかのような完成度の高い空耳に笑ってしまうからだ。

面白さの核はここにあったのだが、表面的には「ゲイビデオを見て笑っている」わけだから、外から見たら同性愛者を笑っているように見えるのも仕方がないし、「そう見えた時点でアウト」という立場理解できる。理解できないという人は各自同性愛者」を女性トランス黒人障害者田舎者外国人など、他の被差別属性に入れ替えてみてほしい。

そして、「彼らは同性愛者を笑っているのだ」という正しいが同時にある面では誤解でもある認識は、パンツレスリングコミュニティにあとからやってきたファンにも共有されてしまう。空耳シュールさも確かに笑えるが、それと同時に「自分が笑っている理由はこれがゲイビデオからだ」という思い込みが新たなファンのうちに芽生えてしまい、新たな認識を持つ第二世代ファンの層が拡大していく。

そこに淫夢が現れた。

なぜパンツレスリング文化淫夢文化が交差ししまったのかは分からないが、おそらくパンツレスリングを全て見てしまい新たな動画を求めたファンが、新たなシュール動画空耳動画を探すのではなく、上記に挙げたような誤解により、新たなゲイビデオを探してしまったのだろう。

淫夢の始まりである、ある野球選手動画パンツレスリング文化が生まれるより先にネット民に知られていた。その動画を見る人々の理由スキャンダルへの興味からであり、同性愛という未知の世界への下世話な興味からだった。だが同性愛者のセックスミームではない。それはドーキンスが書いた本来意味でのミームとしても弱いし、ネット使用されるモダン意味でのミームとしても伝播や定着の力に欠ける。特に後者意味において、ミームとは言葉なしには始まらない。パンツレスリング兄貴たちの語る哲学ミームだった。それがパンツレスリングシュール動画と組み合わさることでより強力なミームとなった。「同性愛から」ではないのだ。

そして、「ゲイビデオから面白いのだ」という間違った理由で新たな動画を探し、淫夢へとたどり着いてしまったパンツレスリングファンたちは、皮肉にも淫夢シュールさと言葉面白さに反応する。この面白さはパンツレスリング空耳面白さとは全く違う。奇妙な脚本によるシュールさはパンツレスリングに通じるものがあるが、言葉に関しては「演技を知らない素人にすら一瞬で分かってしまうほどの演技の下手さ」という、パンツレスリングにはなかった性質からまれ面白さ。

ミームとは自己増殖し感染するアイデアだ。ネットにおいてもそれは同じで、同じコンテンツでもコピーやす記憶に残りやすい部分ほどミーム化しやすい。だから淫夢はまずセリフからネットミーム化した。文字列としてアウトブレイクし、新たな感染者は動画を見ればその言葉がどんなにぎこちない、笑ってしまうようなイントネーション発声で話されるかを知り、さらに強固に脳に定着する。淫夢とは、少なくともニコニコ動画という集団感染が始まる場に持ち込まれた時は、演技の下手さを笑う文化だった。パンツレスリングから地続きであり、やはり同性愛者を笑う文化ではなく、それと同時に明らかに同性愛者向けのビデオを見ながら笑っていた。外から見れば同性愛を笑っているように見えてもおかしくない。

このときの住人は毎日時間ゲイビデオを発掘したり面白い発言を求めてひたすら動画を見ていた。なかに異性愛者なのに人生ゲイビデオを見た時間の方が男女のセックスビデオを見た時間よりはるかに長くなってしまい、「もはや俺は実質ゲイなのでは」と自虐ネタつぶやくようになったりし、やがて淫夢民の間で「ホモ兄貴」は自分や仲間を指す言葉として発展していく。

このことは淫夢が必ずしも同性愛差別集団ではないことを示せる間接的な証拠になりそうだ。もちろん集団メンバーが仲間はずれのメンバー攻撃するときに、そのメンバー本来持っていない属性をあえて付与するという「いじめしぐさ」はある。異性愛者が集団内の弱い異性愛男性攻撃するときにあえて「ホモ」というような場合だ。「普通の日本人」による「在日認定」とか、ラディカルフミニストによる「名誉男性認定」など、左にも右にも例を挙げれば枚挙にいとまがない。私が好きなのは亡命ロシア人作家ナボコフソビエト小説の特徴として紹介していた「あいつの親戚は実は…」というやつなのだが、興味がある人は「ロシア文学講義」を読んでいただきたい。

閑話休題。これらの例と淫夢民のホモ兄貴呼びが違うのは、身内の仲間に対して使われるという点だ。そしてホモと呼び合う彼らはゲイビデオが見たいのではなく下手な演技が見たいのだという点をもう一度念押ししておく。

そのため、彼らが次に発掘したのは新たなゲイビデオではなく、「クッキー☆」と呼ばれることになる同人ボイスドラマであることもある種の必然だったと言える。これは東方プロジェクト同人であり、あらゆる点でゲイビデオからかけ離れていたが、「下手な演技が生み出すシュール空間」という、淫夢民の大好物でできたコンテンツであったために、淫夢世界構成する重要なパーツとなった。しかしながら、彼らの二人称代名詞は「ホモ兄貴」であり、一人称複数は「ホモ」が定着してしまったため、外から見ると「同性愛者をネタにして笑う集団」という印象は避けがたく結びついてしまった。いまさら風紀委員会が出てきて不適切自己への呼称を改めようとしても手遅れであるネットコミュニティはそういう仕組みではない。よくはてブで左右対立や男女対立しているときに「リベラルこそこれを批判しないとダメ」とか「フェミこそこれを批判しないと自浄作用がないと思われるぞ」とか言ってるのがいるが、ネットコミュニティとは各人が集団の一員という意識を持たず、スマホパソコンの前の個人として参加するものなので、そのような「自浄作用としての身内批判」は「私の知ったこっちゃない」のである(このことを利用して、頭のおかし個人鉄砲玉として社会的生命犠牲過激なことをやらせて「あれは個人のしたことだから」と切り捨てるメソッドに左右ともに手を染めており、セレクティブエネミーとして叩けるという利点を敵に提供するためウィンウィンな関係が結ばれるので双方共にこれをやめるインセンティブが働かないという地獄のような現状があるが、これはまあ脱線)。

そんなわけで淫夢を笑った彼らはまさに淫夢を見つけてきたのと同じセンサーに反応したからということでクッキー☆にも反応し、大いに笑ったのであった。

結論としては、淫夢とは素人特有の下手な演技や脚本が作り出すシュールさを笑う文化なのだが、その起源においてゲイビデオという「原罪」を負っているため、他者からはただの同性愛差別集団しか見えない呪いを受けてしまった。

痴漢なら「誤解させた方も悪い」と言うところだが、反淫夢正義の民はそれよりはるかに強い「私たちが誤解などするわけがない、私たち認識こそ唯一の真実であり正義だ」というようなことを言い「淫夢差別主義者」という等式の普及に成功した。ここにハセカラ民が流入様相さら混沌とするのだが、それを根拠原初淫夢民の意図まで批判するのは911理由に成立当初のイスラム教批判するくらいに筋違いだ。

ありえないことだが、もしもあのとき淫夢民が出会っていたのが「真夏の夜の淫夢」ではなく「けものフレンズ2」だったら、せいぜい「フレンズを笑い者にする人たちの文化」程度のポジションにとどまり差別集団勘違いされることはなかっただろうと思うと、偶発的なミーム伝播の恐ろしさに震えずにはいられない。

2019-05-13

anond:20190513161044

とりあえずキモ同人系は止めとけ

まともな文章書く訓練しろ

言いたいことも言えない恋人なんて

久しぶりに更新してみようと思う。

人達を巻き込むだけ巻き込んで爆発しって散った恋をしていた。

まさに地雷原を歩みゆくようなもので、とある友人には「陽だまりに行くために何も吹雪の中裸足で外に踏み出る必要はないし、霜を踏む必要もなければ、氷柱に刺される必要もない」とまで言われた始末。

それでも私は「恋は盲目」という慣用句の通り、まあその先にある陽だまりを信じていた。

多分、実際ちゃんと頑張れれば想像よりずっと小さかったとしても、おそらくそこに陽だまりはあったのだろう。けれど、頑張りに対してそのご褒美があまりに小さいと感じたので今回、そこを目指すのをやめて囲炉裏に火を焚いている家に戻ることにした。回復するかどうかは分からない。凍傷にもなっているだろう。だけど、戻ることに決めた。

好きなもの否定され続ける苦しさ。

ありがたいことに、私の両親は私の数々の趣味に対して、詳細を知ろうとはしなくても概ね否定せずにいてくれた。コスプレは嫌な顔をされることもあったけれど(主に片付かない的な意味で)。

本を書くことについては、その内容を読まなくても装丁出来栄えを褒めてくれた。イベントで本が捌けると喜んでくれた。NLが多かったのもあって「読みたい」と言われたら当たり障りないものを渡す準備もしていたけど、言われはしなかった。

頒布数は決して多くないけれど、頒布数の割には感想をよくいただいていた。拙作と言っても過言ではないけれど、それでも一生懸命考えて書いていたし、愛着もある。だから純粋自分が書いたものを褒められることはうれしかった。

私のそれぞれの趣味に対して、厳しいことを言う人ももちろんいたけれど、正直そういう人はどうでもいい。直接危害を加えられないのであれば、いないのも同然。そしてありがちことに、ほとんどそうした粘着質の人とは関わらずに生きてこれた。

で。

恋人と付き合ってみると、同人コスプレも嫌だという。

私は趣味の中で自己顕示欲を満たしていた。だからそれを全部なくすことに抵抗があった。

まして発行から1年も経っていない本もあるし、再版をかけてしまった本もあった。

それでも、恋人のことが大切だったし、趣味の中で得られていた様々なものをひとまとめにしたメリットと、恋人から与えらえる感情とを天秤にかけてみて、やっぱり後者が重いと感じられたので、コスプレはさくっと上がったし、同人活動も止めて、家にあった在庫も欲しい人に配った後は実家リフォームに際して処分した。印刷費は回収したかった。

とりあえず、趣味に対して文句を言われることはなくなった。

手持ち無沙汰になった私は積んでいた小説を読み漁ったり、編み物を楽しんでいる。

読書編み物楽しいけれど、それを共有できる人がいない。長くオタクとして生活してきたから、どうやって繋がって共有していけばいいかがよくわからない。私は、私らしさを少し失った。

甘いものが好きだ。

果物ケーキクッキーも好きだ。マカロンも大好き。そんな中、流行にのってタピオカにハマった。

デートの時に「タピオカを飲みたい」と伝えたら「毒じゃん」と笑われた。

私の中の小さな私が死んだ。

わたあめを食べに行った。

かわいらしい色で大きなわたあめを頬張る娘が嬉しそうで、こちらまで嬉しくなった。

また「毒の色だよ」と言われた。

私の中の小さな私が死んだ。

やめてほしいと伝えた。

好きなものを同じだけの熱量で好きにならなくていいから、せめて否定しないでほしい。私は私で、あなたあなたから否定しないでほしい。同じ熱量で好きになれるかはわからないけれど、私はあなた趣味否定しないし、理解したいと思ってる。同じように理解はしなくていいから「ああ、好きなんだな」で気持ちをとどめてほしい。そう伝えた。届かなかった。「じゃあ喋らない方がいいね」「帰るわ」。

まったく私の言葉は届かないのだと、涙になった。

私は私で、それはあの人の恋人であり、娘の母であり、企業に勤めるサラリーマンであり、母や父にとっての娘であり、友人にとっては友人であり。どれも私で、全てを束ねて私だ。

私は責任の中で生きていて、全てが過去選択の結果。だから、母としての私を認められないことが苦しかった。どうしたって時間に制約はある。人付き合いもある。そういうのをやり繰りしながら時間を作って会っていた。だけど、それではいけなかったらしい。

もう一人、小さな私が死んだ。

自由自分で選べなくなった。

じゃあ、と、振り返ってみたら。

殺された私の代わりに新しい誰かが生まれていたかと考えてみたら。

そんなことはなかった。

こちからお願いしたことも、むこうから言ってきた約束も、何一つ、一週間だって守られたことはなかった。そして更に悪いことに、気づいてしまったのだ。言われたことも嘘ばかりだったのだと。

気づいたら、中くらいの私が死んだ。

そうしたらもう、ダメだった。

言いたいことも言えず、伝えてもかなわず、期待しても裏切られる

こんな人の傍にいてはいけない、と。

きっとあの人は叶えてるつもりだっただろうし、言ったこともその時は本気だったのだろう。

だけど、継続的に叶え続けられないのならそれはただの気まぐれ。

後戻りできないほど周りを巻き込んだ私と、生活は何も変わらない恋人と。そんな分の悪いシーソーゲーム、降りてしまって良いだろうと。

ここから私はまた周りに説明をして回らなくてはいけないし、家族に謝らなくてはならないし、下手をしたら連れてこられた男と見合いなりなんなりしなくてはならなくなる。けれどこれも、私の選択の結果だ。

私は、努力した自分をほめたい。

傷ついても嫌なことを言われてもされても、努力していた私は確かに存在した。

調べものも沢山したし、時間も作ったし、理解し合いたいからと対話努力もした。

から、結果については残念だけれど、私は私の努力を讃えたい。

一番大きな収穫は「言いたいことも言えない恋人なんて、とっとと別れちまえ」だ。

私はもういちど、自分の好きなことをやりたい。

夢見りあむのせいで人生メチャメチャだよ。

これはデレマス多分お気持ち表明というやつ。新参なので誤用してたら申し訳ない。

なにせ、夢見りあむに出会うまで、推しと言う概念理解していなかった。

 

夢見りあむの事は2019年2月実装で一旦ツイッタータイムラインを賑やかした時に

「おっ、面白いキャラだな! あと髪の毛の配色が今時で最高だな!」

くらいに感じただけだった。

3月下旬頃にはSEKIROでSHINOBI EXECUTION…とかやっていて完全に頭から抜けていた。

 

来たる運命の夢見りあむデレステ実装時。

まだ私は推していなかった。

おっ、面白キャラおるやんけ、見にいったろ! くらいにしか思っていなかった。

それにしても知らん間にめっちゃ曲増えとるな〜〜。

とりま、りあむをセンターにして、難易度proのはにかみdaysプレイ

 

愕然とした。

この夢見りあむ、顔がいい。表情がいい。体型がいい。

普段から見慣れているプレイヤーにはピンと来ないかもしれないが、

デレステ2015年サービス開始当初から進化したMVへの拘り、

モーション、徹底された表情とキャラクターディレクションに圧倒された。

 

夢見りあむの顔の良さと表情芸は、楽曲の特徴を選ばなかった。

なにを歌わせても、似合う。子供らしい曲、大人らしい曲、悲しい曲、激しい曲。

MVの色合いの都合でりあむの個性的な配色の髪にはちょっと苦しい曲もあるが、

コーデで誤魔化したり、他メンの髪の色で調整できる範囲だ。すごい。

 

まだ推してなかったと思う。興味のゲージは振り切った感じはあったけれど。

 

なにせ課金した後のアカウントを削除した後で完全にデレステモバマス引退していた。

元々アケマスを稼働初期にやり込んだ以外、アイマスというコンテンツ全体と特に接点がなく、

筆者はファンタジーや非現実種族を非常に好んでいるため、アイドルものに全く興味がなかった。

 

密度を上げて、特訓をし、いくつかのセリフをみた。

何者でもない自分下りから、チョロいなオタクの流れだ。

 

ここで推さなければならない、という意思が芽生えた。

モバマス原作セリフ確認しに行ったり、情報を集めたりした。

そして総選挙期間真っ只中だと気づき投票券の回収も始めた。

いつ夢見りあむがイベントガチャに出てきても良いように課金し、アカウントの戦力状態を整えていく。

デレステではトレチケタイムをブン回し、イベントをブン回す。

モバマスでは、最低限の投票券ラインを叩けるようにトレーナーをぶっ込んで行く。

幸いskypeにはアイマス詳しい友人がいた。色々教わった。

 

繰り返すが、筆者は人間推しなどまるで一切の興味もないどころか

「えー、ただの人間〜?」と言いだすくらいのマイナス印象すらあった。

人間推しなど伴侶さえいれば問題ないし、申し訳ないがつい先日まで

推しを推すより伴侶を推せよ」と思っていた節があるがその節は申し訳ない。完全撤回ですわ。

推し推しだわ。推しのことを考えるのは健康にいい。

今もツイッターで5分に一回「りあむ」で検索をかけて色々楽しんでる。

Twitter検索障害が起きてるのに気がついて初めてわけわからんくらいサーチしている。

 

推しができるとそれまで全く興味がなかったデレマスアイドルたちの個性や顔が急に鮮明になり理解できるようになっていく。様々な個性が混在しライブ営業にと走り回るプロダクションの様子が鮮明にイメージできるようになっていく。

GW最後は友人宅で、2ndライブブルーレイを全部見たし、3rdブルーレイは借りた。

暇を見て全日通しで見るが、Hotel MoonSideだけは先に見たごめん最高だった。あとで自分で買い直す。

 

初めての総選挙の様子も、気が気でないPの方もたくさんいらっしゃる不謹慎だと思うけれど、めちゃめちゃ楽しい

歴史の重みでいろんな匿名お気持ち拝読したし、過去総選挙プレゼンイラストなど、

愛と力がこもっていて二次創作として見ていて気持ちいい。

 

推し燃え上がってるし、最高だった。

 

夢見りあむの得難い魅力の中に「嫌われても良い」と言うものがある。

当然個人差はあると思うが、普通推しや好きなキャラに限らず、

自分が大切にしているなにかを誰かに貶されると言うのは、心に来やすい事だと思う。

そうでなくても、悪口や見下されたりされたり、

石を投げつけられたり人格否定するような文字列を見たら、げんなりしかしないと思う。

しかし、夢見りあむに限っては、それが

「はっはー! よう燃えとるな夢見ィ!!」

って感じでハイアッパーな受け止め方ができる。

 

これは筆者にとっては本当に救いだった。

筆者は仕事柄どうしても、人と人の争い、主義主義のぶつかりを調停したり、

我慢したりしなければならない職務についている。

正直、先月はだいぶ辛かった。

締め切りには追い立てられるし、アーティストワガママだしで

なんでこんな仕事についてるのかも正直よくわからなくなってきた所に夢見りあむと出会えたのだ。

 

彼女の前ではバカをやっていていい。

不謹慎と叫ばれる事も節度を守れば「りあむのオタクは無理」と言われるだけで済む。

こんなに安心して推せる推しはなかなかいないと思う。多分。

……ごめん人生初めての推しからやっぱわかんねーわ。

 

こんなに楽しいことになるとは全然思ってなかった。

毎晩デレステラブレターとはにかみdaysをりあむセンター

MV流してニコニコするなんて30日前の自分に言っても信じないと思う。

 

で。

 

総選挙を終えつつある今、ふと気がついた事があります

 

筆者が夢見りあむに出会えたのは、シンデレラガールズという作品総選挙第8回という長きに渡り休まず作品更新続けられた、運営し続けられていたからです。

この事実職務関係で、凄さ人一倍実感しています

デレマスが動き続けている間に一体どれだけのゲームが始まり、そして終わったでしょうか。

そう考えると、ここまで辛かった人生に夢見りあむという光を与えてくださった世界無性に感謝したくなってきました。受け取りたくない方もどうでもいいという方もいらっしゃることと存じます匿名ブログである事をいいことに一方的感謝します。

 

今尚ゲームプレイされている方々、特にデレステはきゅんきゅんマックス10,000位以内取れた筆者ですが、無重力シャトルでは全然話になりませんでした。ハイスコアに至っては天井叩いてSSR揃えたのに(育成が終わってなかったとは言え)全然5万位も切れなかったのは、皆さんが作品を愛し続けていたからだと思いますありがとうございます。夢見りあむイベント来たら万障繰り合わせて丸々有給取るんで勝負していただけると嬉しいです。たぶん2000位逃して発狂するか、無事2000到達でイキるかのどちらかは100%します。

 

ライブへ足を運ばれている皆様、ライブ運営、参加する皆様、関係者皆様、友人にブルーレイを色々見せていただいています。力と気合の入った舞台構成、観客の一体感も含めて圧倒されました。大きくても2,000の箱までしか行くことのなかった自分には輝かしい世界でした。次のチケット争奪は筆者も参戦しますのでイープラスさんも申し訳ないですが文句言うかもしれません。ごめんなさい。

 

二次創作ネット即売会同人書店頒布したり、公開している皆様、web小説掲示板に書かれている皆様、界隈の勃興を色々見てきた身からすると、油断すると10年に達しようかと言う界隈が一定規模から廃れていないのは、筆者の経験では東方projectくらいだと思っています

圧倒的な熱量継続力、創作意欲に心から敬意を評します。

 

制作している運営スタッフ様、これだけの更新頻度を維持するのにきっと誰かがすごい苦労をしているはずです。お疲れ様です。楽しませていただいております。記念にフェス天井叩かせて頂きつつ、りあむにちょっとやばいくらいの票をブッ込みましたので運営の足しにしていただければ幸いです。

 

そして何より、課金してコンテンツを支えていらっしゃる皆様、思うところが多すぎる上にむしろ「夢見りあむみたいなのを産むために課金してるわけじゃねぇから」と怒られる気がしますが、Twitter上で以前見かけた「俺たちの課金で城が建った」の誇らしげさが今でも記憶に眩しく焼きついています

少なくとも、課金者がこれだけの規模で存在しなければ、結局ゲーム企業会社としての宿命から逃れる事は出来ません。サービスは終わっていたでしょう当たり前ですが。

なので、一方的ではありますが、心よりお礼申し上げます

 

夢見りあむという顔の良い推し炎上しても嫌われても笑顔推し続ける事ができる推しを産み出してくださった世界すべてに感謝します。

新参Pで、夢見推しが煙たいとは思うけど、これからちゃんと金をドカドカ落としながらコンテンツを愛していこうと思うので許して欲しい!

 

は〜〜、夢見りあむの顔が良すぎる〜〜〜〜!!!!!

筆者も二次創作絶対手が込んだやつ出すぞ〜〜〜!!!!!

 

トレチケ時間取るために仕事効率よく手をつけて、課金しまくるためにもっと稼いで、創作のための時間ちゃんと取らなきゃ……!!

 

あーもう夢見りあむのせいで人生メチャメチャだよ。

2019-05-12

「みるタイツ」ってアニメ見た。無理。オタク死ね

すまん死ねは言い過ぎたけどもっとひっそりやれ。オタクは死ななくていい。そのままでいい。作った会社反省しろ

ネットでもゾーニング必要だと思う。某動画サービスランキングに出てきてげんなりした。べつにエロは好きにしろ同人にも何も言わん。なにも禁止しない。ただし公衆の場で制欲を解放するな。猿じゃねーんだぞ

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[追記]

全然会話になりませんわwだめだこりゃ

LGBTドラマ」に覚える違和感

「今期はLGBTを題材にしたドラマがやたら多い」みたいな記事を見かけるんだけど

そういう記事でなぜか腐女子存在に触れられていないことに対して、なんか納得がいかないでいる

腐女子うっかりゲイに告る、みたいなもう狙いすぎなタイトルがあるにも関わらず、記事では無視されて、いないもののように扱われている

これおかしいよね

だってそうじゃない? あの手のドラマが当て込んでるのはLGBTや、その話題になると手斧片手にカチコミかけるような人じゃなくて、あくまでメインはシスヘテ腐女子視聴者じゃないの?

ああやって記事になる時はポリコレ多様性だみたいなことが言われるけど、それよりぶっちゃけ単にBL実写化みたいなノリでやってるだけじゃない?

意識してないはずないよね?

実際おっさんずラブ放送中に、「あれの同人ナマモノとして隠れなきゃいけないのか」みたいな感じの増田をいくつか見かけたけど、本当にいつもの腐女子長文といった感じだった

釣られてるわけだよ実際

まあそれ自体はいいんだ

別に普段からドラマ観てるわけでもないし、何が流されようが流行ろうが、あるいはコケて廃れようが、そんなのはどうだっていい

制作する側がどういう層を狙おうが、腐女子が何に食いつこうが勝手だし、「ついにドラマまで腐女子侵略された!」とか料簡の狭いことを言うつもりもない

ただ、腐に媚びてるだけのことを社会派気取りまでしやがるのはちょっとムカつく

それだけ

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