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はてなキーワード: 現代社会とは

2023-09-24

学歴コンプの人に対して持っている興味

学歴に対するコンプレックスを抱えている人が低所得である場合、その人たちに対して抱く感情は『でしょうね』感しかない

高学歴であるから努力たから高所得というわけではない

現代社会では、国ガチャ勝利し、高値で売れる能力があるからこそ、高所得を得られる

そういう人々は、ご家庭に問題がなければ学歴を得やすい、ただ、それだけのことであり、以上でも以下でもない

から低学歴でも高所得者存在し、高学歴でありながらワープーや無職の人も存在する

 

 

しかし、ご存知だろうか?世の中には、高所得者や有名企業に在籍している人々、ある界隈で有名な人々(価値があるかどうかは別として)でも、

学歴に対するコンプレックスを抱えている人々が存在する

 

 

 

ちなみにポンコツだけどペーパー得意って人もいるが、就活クリア出来ても、ちゃん大企業に入った後に落ちこぼれているので、

みんな落ち着くべきところにちゃんと落ち着いている感はある

 

ただ、学歴コンプどーたら関係なく、社会に本当に必要職業なのに社会的に給与を抑えられている職種については

感謝はしているけど改善方法思いつかない、すまん』としか言えない

ワイに限らずたぶんみんな感謝はしてる

2023-09-22

宗教の話

いわゆる宗教四世で、生まれた時から新興宗教の会員やってた。ネットだとよくおもちゃにされがちな、三色旗のとこ。

さいころから家に仏壇があって、母親祖父母が超熱心な人で、言葉をしゃべり始めた時から経を読まされてたし、ちゃんとやればみんな褒めてくれるから悪い気はしなかった。

母親が熱心な場合って厄介なんだよな。おかげさまで土日は宗教関連の予定でつぶれるし、父親母親に勧められて入ったひとだから止めないし。そんなわけで、20数年生きてきて、最近やっと初めてちゃん神社に参拝したような始末。だから一般的人間自分宗教観がかなりかけ離れてる、ってことに最近気が付いた。まぁ、それが当たり前だったんだけど。

高校の時とかはそれなりに真面目に、っていうか結構がっつりやってて、たぶんその時の周囲の何人かは幹部クラスになるんだろうな、って人間ばっかりの団体にもいた。

割と勘違いされてそうだけど、いやもう常識なのかな?一般的認識が全くわからんからあれだけど、s大学行くのはもはや当たり前で、幹部になろうと思ったら、何かしらの宗教団体所属してたことがほぼ必須になるんだぜ、笑えるよな。

高校生はそうやって過ごしてたけど、大学に入ってから恋人ができて、その人が何というかこう、自分所属してるとこ以外も含めた宗教全般アンチだった。

今思えばものすんごい幸運なことに、現実社会の親しい人にそんな人がいなかったから大いに嘆いたし、なんで自分が、とも思った。でも、今は割とその出会い感謝してる。

ここまでが前置き。すまんね長くて。

まぁ、親に「信仰捨てたいです!」とか言える訳も無くて。だってそんなことしたら普通に絶縁されそうだし、妹たちも割とがちがちに染まってるし。あと我が家、割と毒親気味で過干渉のケがあるから、最悪今住んでるところから連れ戻されかねない。

それは困る、だって実家には自室が無いし、プライバシーへったくれもない。未だに帰省するとめちゃめちゃ消耗する。二週間とかしか滞在しないのに。実家を出るまで、自分のスペースと言えば本棚のついた机一台だけだったし、その中身も親が勝手に開けて改める始末だったから、秘密とか絶対無理だった。

かといって、じゃあ真面目にやるか?と言われるとそれは心がしんどい

そもそもの話、自分は「信仰とは人生の杖であり頼り切るものではない」って思想高校時点で持ってて、現指導体制に不信感しかなかったし。

やれって圧を掛けられて、今渋々試験勉強してるけど、それにしたって普通に気色悪くて嫌になる。だって仏教ってマインドフルネスの一手法しかないし。それだって、多様な方法がある現代社会でわざわざそんな化石みたいな方法、って思う。

そもそも悟りってざっくりいえば「この世のすべては気の持ちよう、自分の気の持ちようで天国にも地獄にもなる、それなら天国みたいに考えられるようになった方がお得じゃね?」的な考え方だし、唱題にしたって、「悟りを開けないお前らが悟りを開くための一助しろよな!」的なものから自力メンタル立て直せるようになった人間には必要ないんだよ。そもそも仏教って「人生なんて全部しんどいんだからしんどいことそのものはもう諦めて楽しくやっていこうぜ」的なあれだし。ガバガバ解釈だが。

その上で、何もかもを宗教依存して、生きてくための目的のもの宗教にしてるの本当に頭おかしいと思う、それお前の人生じゃなくて教団の人生やんけ。生きてる価値ある?って思う。言わないけど。

かに苦しい時に縋れるものは多い方がいい、人生かなりしんどいし、税金高いし内定はもらえんし、何もかもままならんし、ここからってとき病気になったりするし、なんかすげーもんに縋らないと生きてけない気持ちもわかる。

でも、その気持ちもわかるけど、それでも自分で立って自分で歩かない道に価値はあるんか?って思う。だって信仰してると、どんなに血反吐を吐くような努力をしたって、どんなに周りの人に恵まれたって、どんなに運がよくたって、それ全部「信仰のおかげ」にされちゃうんだぜ。そこに至るまでの努力とか、工夫とか、人間関係とか、そういうもの全部自分の成果じゃなくてなんかようわからんもののおかげになるんだぜ、それって悔しくないか自分はそれを恋人に指摘されて初めて気が付いて、すごく悔しいと思った。だってここまで努力したの自分だし。別にすがってる”なんかすげーやつ”が何か叡智を下賜してくれたわけじゃないし。苦しいのも悲しいのも悔しいのも自分が背負わなきゃいけないのに、喜ばしいこととか楽しかたこととかは全部他にかっさらわれるって思うとはらわた煮えくりかえらんか。自分はキレそうになる。

そもそも他力本願の他宗派をめちゃめちゃ批判する癖に、何かあったら馬鹿の一つ覚えみたいに「ご本尊に縋れ」だの「お題目を」だの普通に矛盾してて笑える。それはお前らの言う所の他力本願じゃないんか?あと題目とか言う呪文的なあれを大事にしてる割に、唱題の時の発音みんなガバゆるだよな、何それ。ダブスタまみれで普通に気色悪い、反吐が出る。

と、まぁ最近はこんな事ばっかり考えている。親には勉強したらわかるって言われたけど、勉強するほど意味わからん~~きしょい~~~ってなるの中々芸術点高い。って言うかそもそも子供の許諾を取らずに宗教に入れるな、はっ倒すぞ。これはどの二世問題でも共通だと思う。四世なんだけど。ウケるね。

ちなみにこの宗教だとよく取りざたされるのは政党の話なんだけど、自分政策はまぁましな方なんじゃないかな、って思う。そこから声の汲み上げするの???正気???って思うような政治を国政ではよくやらかしてるけど、地方政治だとそれなりに要望の反映早いし。政治宗教観は切り分けて考えるので。まぁ今後の動向にもよるかな…でも宗教活動の一環で選挙活動やらされるのは普通に最悪で気色悪さの極みだからやめた方がいいと思う。実質強制投票の「お願い」はお願いと言わない。海外から来た同じ宗教の人に選挙ばっかりしてるのどうして?って聞かれて、日本では信仰を広げることが十分にできたから、今度は政治の方から生活をよくしていくんだよみたいなこと指導してるの聞いたことあるけど、それ普通に公職選挙法違反なんじゃないですかね。政教分離法則死んでないか

これを見て同じ宗教の人がどう思うかは知らんが、自分が納得できてないならなんかしらの答えにはなるんじゃないんですかね。がちがちの幹部ルート辿ってた人間がこう言ってるんだから、それなりに信ぴょう性はあると思うよ。

から入りたいって思ってる人、人生に発生する損害と天秤にかけて、本当にそれじゃなきゃダメなのか一か月真面目に考えてみ、そんなことないから。周りから偏見の眼はものすごいし、結婚したいと思った人ができてもめっちゃ苦労したりするぞ、自分は今死ぬほど苦労してる。

しんどい思いしてる人、お互い頑張ろうな。自分は今何とかして家にあるご神体的なサムシングを親にバレないように滅殺する方法考えてる、なんかい方法あったら教えてくれ。

マジで徒然なるままにって感じだなこれ。乱文で本当にすまぬ。ここまで読んでくれた人ほんとにありがとう自販機ジュース当たるくらいの幸運が訪れますように。

追記:みんなコメントありがとう、ほんとに正気に戻れてよかったと思う。なんでカルトの話から仏教に?ってコメ見たんだけど、それはだな、s学会は曲がりなりにも仏教を名乗ってるから仏教を学ばされるんだよ…だからです。

まぁ、s学会のは「ブッダの」仏教ではなく、日蓮かいうなんかよくわからん狂人が急に悟っちゃったもの信仰してるんで、仏教かと言われるとかなり怪しいけどね……昨日このエントリ書いたあと、勉強動画流し見してたらそんなこと言ってて笑っちゃった。仏教名乗るの辞めたら?

自然科学とかSDGsとか信仰してそう、って言われたのはマジでそうなりかねんからほんとに気をつける。一応これでも科学をやってる人間から、変なのには引っかからないと思いたいけど…こういう気持ち落とし穴だとは思うのでね!科学思考大事。すごく苦手だけど。

エントリ書くのこれが初めてだし、合ってるかわからん追記も長いってどういうこと??

2023-09-18

現代社会において個人の行動の責任個人に帰する

というのが当たり前だと思っていたのだが、違うのか?

創作いくら個人に影響を与えようが、創作には何ら責任はなく、個人の行動の責任はその個人が負うと考えるのが普通だと思うのだが

2023-09-16

anond:20230916182131

この発言からは、ガバガバアナルは小さいアナルより上位の存在であるという価値観が伺えます

発言者はそうした社会集団所属していることが伺えます

これは現代社会ではボディシェイミングに該当するので、不適切だと判断します。

anond:20230916071759

なんで「男性に対する」と決めつけるんだろう?

多分女性相手にも普通にやると思うよ

そのくらい現代社会ではみんな防犯意識が過敏になってる

発達障害少なくともADHD基準を見る限り、

発達障害は生まれつきの脳の欠陥であり、投薬で症状を軽減するが出来るが一生治らない」という定説おかしいとしか思えないんだよな

特に大人の発達障害」ってやつは。

仕事で細部を間違える、不注意な見過ごしをするなんてのは

異常に複雑化した一方でヒューマンエラー考慮しない現代社会の働き方による所が大きいと思うし

注意の持続の困難さなんてのもつまらない会議が延々続いたりするような外部的な事情も大きいのでは?

指示に従えず義務をやり遂げることが出来ないとか、課題活動を順序立てることが出来ないとかも、

パワハラ上司の叱責で萎縮するせいだったり業務マニュアル化が出来てないせいだったりすることもある

仕事電話の折り返しやお金の支払いなんかを忘れるかどうかだって業務の立て込み具合や労働時間の長さに大きく左右されるだろう

しかも「職業的活動に直接、悪影響を及ぼすほどである」かどうかって、その職場の寛容さに大きく依存するじゃん

そんな事で発達障害かどうかを判断するのっておかしくない?

やっぱり、「大人の発達障害」って職場環境の問題点を透明化して個人押し付けるだけのものであって

会社がすべき事はSPI発達障害と思われる人間を予め弾く事じゃなくて、職場環境それ自体改善の方だと思うんだけど。

https://junior.litalico.jp/column/article/022/

2023-09-15

19歳の若くて可愛い女の子高卒キャバ嬢だなんて不憫すぎる~みたいなポストが流れてきたけれど

でも実際には遺伝子淘汰がすっかり進んだ現代社会においては、可愛い子の殆ど実家が極太で有名大学に行けてるから心配しなくていいと思うよ

本当に心配すべきなのは容姿を生かした仕事に就く事など到底出来ず、低学歴でろくな就職先の無いブスの方なのに

フェミ人達ってブスな女の不幸には何処までも冷淡だよね

"生きてるだけで偉い!"が分からない

前提

"生きてるだけで偉い!"って本気で言っている人の感覚が分からない。(ネタでなら俺も言うけどね)

前提としてそういう人らを馬鹿にしているわけじゃない事は言っておく。

例えば俺はトマトが嫌いだけど、トマトが好きって人を見ても「わかんねえな~」とは思うけど「はあ?やべー奴だなこいつ」とはならない、みたいなね。

(ちなみにこの”生きてるだけで偉い!”は自分の好きなアイドルだったりyoutuberだったり、そういったシーンで使われている場合を想定してる)


あんまりこの感覚言語化できないんだけど多分以下がより集まってるんだと思う。




「褒める」っていう行為ハードルが高いから、生きてることに対して褒めているのに違和感を感じる

自身の「褒める」に対するハードルが高すぎるのかもしれない。

基本的に人を褒めた事がない。褒めるって上から行う行為な気がしてるから対等な関係だったり、関係が浅い時ってしないと思う。

例えば初対面の人間に「◯◯さん、これできてるの偉いですね」ってあんまり言わない気がする。俺は違和感を持つ。

こういう場合は「◯◯さん、これできるのすごいっすね」みたいな尊敬になると思う。

これをこの言葉に当てはめると”生きてるだけですごい”になるけど、いやあんたも生きてるのにすごいって何?って感じになってやっぱり違和感がある。


生きてる事に対する意義が「他人から評価されること」じゃない

俺は昔からネットにどっぷりだったから「承認欲求アンチ」みたいな部分がある。

から基本的には自分が納得できるようにしようという意識で生きてる。(もちろん俺にも承認欲求はあるから否定はできない)

それにそういう生き方が美しいとも思ってる。他人を気にしながら生きるんじゃなくて他人調和しながらうまく生きていってその中で自分が納得できる事を成すのがいいんじゃないかなと思ってる。

から"生きてるだけで偉い"に関しては「他人から評価されるために生きてるんか?」みたいな感覚になってしまってる。

もちろんこれは俺の俺に対する美学から他人押し付ける訳じゃないからそこに文句とかはないけど美学に反してるからこの感覚になっているのかも、という部分もある。


逆に馬鹿にしていないか?と感じる

あとはやっぱり、当たり前に他の人ができていることを褒めるのは「君もそのレベルはできてるんだね、偉い偉い」みたいな感覚になって違和感がある。

なんか自分好きな人間に対してのリスペクト低くね?みたいな感じがある。

"生きてるだけで偉い!"文化に関して

もちろん肯定できる部分もある。

そもそもこの言葉

現代社会精神的に苦しんでいる人たちがいて、そういった人たちがいる中で「あなたは苦しみながらも生きているのは偉いよ」というニュアンスを込めて使われ始めたのかな

と思ってる。

でもそういうのってやっぱり実際に苦しんでいる人に使う言葉じゃないか

少なくとも一般人から推されるタイプの人ってもちろん色んなストレスや悩みがあるだろうけど金は稼いでるだろうし、ある程度の地位や名声もあるだろうし一般人が褒めるような相手か?

となる。

そもそも、俺らよりずっと上の人間なのになんで近しい人間みたいに感じてるんだろうな、みたいな推しファン距離感みたいな部分も違和感を感じてしまう。

非モテ男性現代社会は後から不同意だったと騒いだときリスクが高すぎるから女性アプローチできないと言っているのを見る度に「そもそも非モテ男性女性と深い関係になるずっと手前のところで躓いてるんだからそういう類の被害に遭いようがないだろう」と心の中でツッコミを入れてしまう。

2023-09-14

anond:20230914064851

精神医学的には13歳未満に欲情する人のことをペドフィリアとして異常だと診断してる

中高生生物学的には幼体ではないんだよ

もちろん現代社会では児童定義しているから、守られるべきなのは当然としてね

2023-09-13

anond:20230913064854

同じ出来事でも男→女か女→男かで全く違う価値観社会的にまかり通ってて男女平等は遠いなぁと思う

ドラマ「こっちを向いてよ向井くん」をみてても、妹とか元カノ他人をナメ腐ったムーブがさも現代社会多様性みたいに提示されてるのめちゃくちゃ違和感あった。男が同じことやったら不誠実なヤツって絶対言うくせに。

anond:20230913154525

現代社会において当たり前」と「生物として当たり前」は分けて考えないと

2023-09-10

家族大人になってから発達障害認定された

発達障害って遺伝やすいというのと、(故人なのでエピソードだけ聞いた医者によると)おそらく発達障害の父にDVされてきた母が「父親発達障害だった」「叔父は〇〇みたいなところがあるから発達障害」「義父も〇〇なところが発達障害」「全員発達障害から父の異常性に気づかなかったんだ」と何でもかんでも発達障害扱いするようになり本当に嫌だ

 

言われれば確かにそういう感じするけど、医者でもない人が自分がそう感じたからってなんでも発達障害扱いするのはおかしいだろ

少なくとも思うのはいいけど、病気とかセンシティブな内容だし事実かどうかも分からないことを言葉にしちゃいけないよ。って諭しても納得しない

ファミレスで「あいつもこいつも発達障害だ」と熱弁する母を諭さねばならない虚しさよ

 

その影響か、SNSで「子供がイヤイヤ期で〜」みたいな投稿に「私もこういうことあったらしいです!発達障害です」とか「うちの子もこんな時期ありました、ADHDでした。納得するまで抱きしめてあげてください」とかリプするやつらも気になるようになってしまった

今まであんまり気にしてなかった

でもよくよく考えると他人の子供に「お前の子発達障害かもね!?」って無邪気に言い放つのヤバすぎだろ

それがわからないのが発達障害だと言われたらそれまでなんだけど、医者でもなんでもない現代社会で生きづらいだけの素人が「それ発達障害かも…」とか神妙な顔で言い出すのはおかしいと思わないのか…

大人おっちょこちょいエピソードに「私もよくやります発達障害です!」みたいな謎自己紹介とか見ても同じ気持ちになる

堀口英利の訴状であり得ない点とその背景の社会学

https://youtu.be/i1_SLEKhX7M?si=4MNQUQv-aa770XQ9&t=458

まず自分被害者ってストーリーでっちあげ、歴史修正主義です。あまり知られていないけど、社会学上野千鶴子もう一つの顔歴史修正主義者です。つまり嘘つきです。

めちゃくちゃだから気づかないけど、これ完全に社会学手法であり、歴史修正主義です。

風俗店メルマガ登録? まず登録するとき確認メールが来るので、原理的に登録できないし、実名に近ければ確認メールも誤って登録しかたかもしれないです。既に登録され、メールが来るのは本人が否定しても風俗に行っているだけとしか言いようがない。あり得ないでしょ。

あと迷惑防止条例?迷い箸とどう整合性がとれるの?しつこくメールを送る? 小林の怒りになにをしたんだっけ?自分がやっていることと整合性がとれない。

これも社会学切断処理切断操作)というものです。

http://blog.livedoor.jp/nrudt/archives/50356999.html:理解できないことを、“自分たち”とは関係ないものとして扱うことで、安心感を得ること。]

このように現代社会人を馬鹿にする用法として使っていますが、なんのことはない、当の社会学者とかいう連中が、自分がやることはすべてよくて、相手がやることはすべて悪い、とか正当化するための単語です。

また自分がやったことや、いつもやっていることを、あたか他人がやったこと、やりそうなことのように言うのも切断操作しか言いようがないでしょう。これは社会学者、フェミニスト、WBPC、SPRINGは平気でやる。神原元も平気でやる。腐りきった連中です。

社会学者は堕落し、デタラメだらけであり、単純にくるっています。これはずっと前から指摘されています

神崎ゆき

@yukinoko811

"「ツイフェミと真のフェミニストは別物」という考え方は、社会学概念で「切断操作」と呼ばれてるものです"

全く同じ理屈で『名誉男性』という呼び方も、特定価値観女性(あるいは女らしさ)を女性から切断して「異形」のカテゴリーに押し込めているので、まさに『切断操作』に該当しません? https://twitter.com/rtoiuyuiotyuijj/status/1362426105097936898

午前5:04 · 2022年2月18日

https://twitter.com/yukinoko811/status/1494402269290237956

https://togetter.com/li/1020089:日本社会学における理論軽視]

大杉 謙一 @osugi1967

社会学って、自分の嫌いな表現風習を叩くために詭弁を弄する道具(ないし実際に集団バッシングちゃう思想)くらいまで劣化している。院生だけじゃなくて、多数の(准)教授実名でそういうことやってるわけだから

このツィートは2016年です。それでも一切反省もしないし、改善もしない。このなれの果てが堀口英利であり、一般社団法人Colabo,Spring小杉沙織であるわけです。なので詐欺まがいのことを平気でやれるわけです。悪いのはすべて他人、悪いことをしてるのはすべて他人自分がやっていることは多少の落ち度でしかなく、常に正しい。このロジック蔓延しています炎上も同様です。最も炎上は単純に広告代理店BOT実名アカウントによるやらせだと見たほうがいいでしょう。

物理学ファインマン社会学ヴェーバーか?

哲学者永井均さん、M・ヴェーバーを精読したこともない人が社会学を叩くのは自分馬鹿であることを喧伝しているようなものであるとの見解を示す」

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2221010

このブコメの話。

自然科学におけるリチャード・ファインマン権威性と人文科学におけるマックス・ヴェーバー権威性を並べちゃうのは典型的ダメ議論という気がする。

文系教育には原典講読という伝統文化があるが、自然科学教育において原論文を精読することは比較的めずらしい。大学社会学科でヴェーバーを読んでいない学生モグリだろうが、物理学科でファインマンを読んだことない者はいくらでもいる(はず。「ファインマン物理学シリーズはそれほど人気のある教科書とはいえないし、一般向け作家として人気があったのは一時代前だろう)。

現代の「社会学」についてまともにコメントをしようとするならマックス・ヴェーバー著作、少なくともその教科書的(=広く合意のある基礎的な)解釈を知っている必要がある、というのはそれほど異論のないことだと思う。なぜなら社会学をはじめとする現代人文科学議論は、過去学者がつくりあげてきた概念言葉)をその文脈込みで参照し、再解釈しながら展開されているからだ。M・ヴェーバー理論現代社会学の基礎の一部、別のいい方をすればある種の共通言語的基盤となっていることは否定できない。そして人文科学における二次文献は不可避的に当該の文献の著者の解釈文脈を帯びたものになるので、そもそものM・ヴェーバー議論を知るためにはM・ヴェーバーを(できるかぎり原語で)読む以外の方法がない。

他方で物理学をはじめとする理学系の自然科学について、たとえば放射性物質一般的な性質などについてあれこれいうために特定原論文を読む必要はまったくない。たとえばアインシュタイン原論文を読解することと、相対性理論理解することはそれほど関係がない。読むのは凡百の大学教科書でもいいし、なんなら「一般読者向けに」(ただし適切に数式を用いて)書かれた解説本でもいい。

なぜなら現代物理学の最新の知見、つまり多くの者がもっと妥当であると認める理論についての解説は、基本的に誰が書いたものでも同じ前提、同じ内容、同じ結論になるからだ(基本的法則定理にもとづく数式の展開によって示される)。知見のコアは何らかの前提のもとに何らかの理路を示す数式の展開もしくはその結論であって、誰が書いたか、どう書かれているかといった文脈関係がない。

物理学はたしかにこれまでの物理学史(歴史に名を残す偉人と無数の無名研究者たちの論文の蓄積)の産物だが、その到達点を知見として理解するために科学史理解する必要基本的にはない。ファインマン特定の業績によってノーベル賞を取ったが、その業績について知ろうとする場合でも、必ずしも彼の書いたものによって理解する必要はない。

2023-09-09

性欲と食欲は現代人間社会では、あまりに不釣り合いに強烈な欲望すぎるんだ

どっちも野生の環境の中では、種の生き残りには必要欲求だった。

苛烈なほどに、自らの身を焦がすほどの欲求がなければ野生での生存は成し遂げることは出来なかった。

その欲求の強さと環境過酷さで天秤のバランスが取れていたのだ。

しかし、文明を手に入れ発展させた現代社会では、その欲望の強さは甚だ釣り合いが取れない。

もはやそのような強烈さは性欲と食欲に不必要だ。

もうこうなったら全人類の叡智を賭けて食欲と性欲を抑える薬を開発することに全力を上げるべきなのだ

そうすれば世界平和になる。

2023-09-08

少子化対策結論的には子作りの努力目標化と独身税しかないと思う

子作りは個人の「子を持ちたい」という願望への依存だけでは、必要十分ではない。→人間が生まれる源である共同体の維持、持続性には個々人で子作りの負担を分担しようとしないと維持できない。結果的に、今より格段に貧しかった先祖の苦労で生存できているのに、自分の代になれば、辛ければ後世を残すという責務はなくて良いのか?子作り育児の困難をいかに取り除こうとするのではなく、絶対負担がある子作りの困難をいかに受け入れられるようにするかが肝心。子作りの「位置付け」を、苦労で諦めてしまう「個人意思や願望でもうけるものから個人、および共同体の持続性に必要不可欠なもの位置付け、税のように広く必ず「共同体負担すべきもので個々人が協力すべきもの」へ。現代人の自由人権を守って、貧しければ子供を作らずに少子化でどんどん日本人が減少し、移民主体の国に置き換わっていくか、個人が貧しくても子育て負担を受け入れて生き残るか、突きつけられる究極の2択ーー。いや、子を持ちたい人を支援すれば、子供を欲しがる人の意思だけで、増えていくハズ←増えませんでした(確定事実・少しでも出生率改善しているわけでもないので、量が不足していると考えるより、方向性が間違っていると考えるべき)。

出生率低下の原因】

現代は昔と比べて出生の要素が減少した(子作りを個人意思コントロールできるようになった)。

出生率が高かった時代の子が生まれてくる要素は①「子を持ちたい願望」に加え②「農業労働力や後継男子が生まれるまで子を作ろうとした(インセンティブがあった)」③「道楽としての性欲」④「避妊堕胎がなかった」←そもそも出生率が高かった昔も親の子供を持ちたい希望だけで、人口が維持、拡大できたわけではない。つまり、本意でないのに作っていた群もいて、その結果、人口が維持拡大できた。いわば、不本意でない出生が人口維持や増加を支えていた。もちろん苦労もあり、苦労と出生数はトレードオフ関係だった。

しか現在日本(他の先進国も)は①子を持ちたい願望だけの「一本足打法」になった

子供が生まれる要素が減り、これだけでは出生率2以上には足りない。もともと、子供を持ちたい願望のある世帯だけでは、出生率2に足りない。

・個々人にとって結婚や子作りに消極的な主な理由経済環境があげられるが、人間社会にとっては少子化になったのは願望や愛情をそそぐ満足感を得るためのものになった(子供位置けが生産材→消費財へ)

・原因は子作りや結婚経済環境的な障壁ではなく、障壁に感じるかどうか。

→それは、結婚や子作りが個人主義の台頭でほぼほぼやるべきものから個人裁量対象になり、個人志向

依存することになり、(例・ペットは狩りができなくなったのは、ペットに聞けば狩りは難しい事を原因に上げるが、本当の原因は人間に飼いならされてしまたから)

理想の子供の数の平均は2.5人程度だが、これは貧しければ簡単に諦める人も含まれる「熱量」が全く考慮されていない数値。資本主義という制度上、必然的存在する貧しい層の存在に対し、「賃金を上げられれば」など、無責任で実現できないタラレバを唱えても時間の浪費と共に少子化が進行するだけ。

・したがって、いくら育児支援をしても、子を欲しがる人の数が足りないので効果が出ない。アンケートでも、金銭面や環境面だけではなく、自分時間が潰れるのが嫌だからという回答多数。

先進国ほど少子化、豊かになるほど少子化 ←エンゲル係数は下がり、全自動洗濯機など家電は便利になり、家事負担も減り、保育所の整備は進み、待機児童も減り、育児休暇率も上がり、男性育児参加も進んでいるのに、出生率は低下。結局、子作りや育児負担がある限り、また別の何かに不満や負担を感じてしまう←不満や負担問題解決ではなく、どのみち解消できない不満や負担を受け入れることが重要

個人自分にとって最適な行動(コスト負担を避けるために子供を作らない)をするほど、出生率は低迷する

過去と比べた場合出生率低下の原因=1970年代前半まで既婚率97%、貧乏人でもほぼ結婚して子供を作っていた。「個人主義の台頭による子づくりの優先順位の低下」(経済環境で諦める対象になった。子作りにおける世代扶助より自己実現を優先)経済環境は原因ではなく結果。

・昔「みんな必ず、大変でも子供は作りましょうね」→現在「子作りは各々の自由ですよ〜」→当然、経済的、環境的に大変な人は子作りを避けるようになる

・逆にいうと、子作り圧力などにより、先代が結果として自己利益犠牲(昔の方がエンゲル係数が高かった→昔は今より無理して子供を育てていた)にした結果、現代人が存在できる。

社会のレールは「子作りと仕事の両立」ではなく、実際には「完全に仕事を優先」(新卒一括採用の掟)してしまっている

教育費が高い問題子供の数が少ないから、教育費に金をかけられる→金をかけるから金がかかるになる。

出生率向上の上でのポイント、注意点】

負担回避しようとする(無理=その間に少子化がどんどん進行してしまう)のではなく、いか負担を受け入れてもらうか。出生を子育て世代の願望による産物ではなく、生物学的な道理摂理に根ざしたものにすべき(人口維持に必要な数を目標にすべき)。→手順や方法ではなく、結果(出生率)に拘る。ターゲット戦略型にする

・子作りは楽ではなく、元々大変なもの問題なく少子化解決できる「魔法聖杯」を探し続ける時間が長いほど少子化は進行してしまう。

移民政策では、出生率低下により減り続ける日本人少子化問題解決しない。→単純に減り続ける日本人の代わりに移民と置き換わるだけで、共存が続くわけではない。X字のように、時間の経過とともに、人種構成移民と置き換わるだけ。日本人がいなくなっても日本列島に移民がいれば解決ではない。

少子化対策は質より量を目指す。数字ありきが正解。←質を保ちつつ、量を目指してきたが、結局失敗した(量が競争により質を向上させる面も)。

・出生の機序と誤解

生物学的には性欲→性交渉→出生→愛情が芽生えて育児 

子供が欲しいから作る人が大半だが、全てではない。←ここがポイント。完結出生児数が2ならば、100%の人が結婚しないと少子化確定(そんなの無理)。

そもそも、全ての人が最初から結婚し、子供を望んでいるわけではない。←生物学的にも子供本能希望だけではなく、元から全ての要素ではない。←あくまで授かって生まれ子供愛情が芽生えるのであって、愛情最初からあって作ろうとするのではない(本来は順序が逆)。

労働やりがいではなく、出生率を優先すべき。持続性が生命大前提。それが担保された延長線上に個人のやりたいことや夢がある←人間は目先の報酬を優先してしま

・子作りは生物学原理なのに、個人価値観対象としてとらえらてしまっている。→生物自己価値観合致しているか子供を作るわけではなく、あくま本能人間生物額的本能が退化してしまった可能性がある。

共同体の持続性は、個々人の負担で達成される。(個人利益と相反)共同体というプールがあるから人間存在できる。一代(今の自分自身)の人間利益を最大化すると共同体の持続性が毀損され、やがて人間少子化によりどんどん存在できなくなる。

選択肢が多いほど不幸になる「選択のパラドックス江戸時代農村結婚相手が限られていた

・「出生率向上の目標」は子育て環境満足度や子作りの納得感を上げることではなく、出生率の数値を上げること。子育て世代の満足感の向上への努力出生率向上に繋がっていない。納得感、満足感ではなく、出生率数字向上を重要視する(少子化感情モラル倫理観ではなく、「数」で決まる現実を受け入れる)

子供を増やすことによる副作用より、まずは頭数が重要。無理に増やすと、問題も増えるといって対策を打たなければ、プラマイゼロではなく、出生率低迷の長期化による出生数減はどんどん進行する。

・無理やり増やそうとするデメリットより、少子化デメリットの方がはるかに大きい(子供を無理に増やすことの問題が増えても社会は持続できるが、少子化時間の経過で物理的に絶滅する・例=癌と一緒。痛みがなく治る方法を探しているうちに、どんどんガンが進行して取り返しがつかなくなる。

→痛みがない方法はあるかもしれないが、見つからない段階ならさっさと痛みを堪えて切除するしかない)。現状は、「賃金を上げよう。環境改善しよう」と雀の涙給付無責任念仏を唱えるだけ

→これで出生率が上がるわけがない。

・子作りは自由から逆に責任が生まれ責任回避動機から減ってしまう。

子供を作る方法自体は、性交渉であり、実は簡単動物繁殖もやることは分かっているため、簡単。ただ、現代社会性交渉の機会を増やすことは非常に難しい。また、人間で難しいのは人権があるという点。逆に言えば、出生率改善しにくい原因は子育て世代人権保護を「優先」する為と言える。さらに逆に言えば、かつての子育て世代は周囲のプレッシャーなど窮屈な思いをして、自己実現生活水準我慢した結果とも言える。10割、自分の為に生きるのではなく、3割は次世代の為に負担を受け入れるという考え方の共有が重要

少子化解消への解決策】

・子作り(親世代が子世代を作って育てる=「世代扶助」)の重要性を教え、その価値観社会と共有する

→親や先祖による世代扶助(子作り負担)の結果、現代人が存在できるという仕組みを、しっかり社会で共有する(自由人権を主張できるのも、親や先祖の子作り負担の結果、出生できたから)←この因果関係をしっかり理解する。

・子を持つことの「社会位置付け」を変える

→子を持つことを、子育て世代の「幸福の実現手段の一つ」から社会的に共同体にとって「絶対必要不可欠な原理」に変える。←子育て世代の子どもを作ることへの責任感の向上があり、社会からの協力も得られやすくなる。

→子作りを義務的に考えれば、必然的教育競争は弱まる。現在自由意志だから結婚子育て競争になる。(生物学的に必要不可欠な要素は競争ではなく、分配の方が結果的にうまくいく)義務的になれば、無茶な競争意識から解放され、育ってくれればとりあえずOKとなる。実は義務である方が責任がなく子ができた後は精神的にはかるかに楽。自由意志だから責任が伴う。

↓↓

社会的に解決困難な課題個人にとって避けたい行動を導くにはルールを作り、負担社会全体で分担するのがセオリー。つまりルールを作ることが解決策。出生率が高かった時代事実上、ルールとして意識されていた。

ルール化と政府による積極的な子作り推奨・子作りの「社会的な位置付け」の変更←子育て世代希望者だけ子供を作るのではなく、皆で分担して作る→結婚子供を作る人が増えれば、相手も見つけやすくなる。

個人として避けたい負担でも全体にとって必要不可欠な行動はルール化するのが古今からセオリー、例えば税金貧困者も負担する。国によっては徴兵制もある(こちらは国を守るために命を投げ出せと言ってる)

子作り子育て世代になれば、子供を作りましょう(もちろん健康問題がある人は除く)

・子作りのタスク化(個人の願望の産物だと、モチベーション環境に左右されてて必要出生率を確保できない)

政府による要請

政府は期待、支援するだけではなく、能動的に子作りを「要請し、積極的に推奨」する。あらゆる生物共通する、共同体が持続するための『世代扶助原則負担があるから持続する)』を説明すれば多くの人は理解できるはず)

個人の「幸福手段」の一つとして子作りを位置付けるから幸福でないなら子供を作らないという行動になってしまう(幸福手段という位置付けだから、基本「勝手自助努力でやれ」になる)。大前提として子作りを「幸せの実現手段」ではなく、「個人存在の源でもある共同体の持続性に不可欠な存在」と定義する。そうすれば子育て世代は子作りに対する責任感が生まれ政府会社社会負担を受け入れて協力的になるはず。

②有利不利で動機付ける

実質的な「子なし税」の導入

人間は得をするための行動より、損を避ける行動を重要視する(「損失回避」=プロスペクト理論)例えば45歳以上で子供がいなければ、所得10%を課税される→早めに結婚でもして子供を作ろうとなる。また、子なし税は応分負担原則からいっても、共同体構成や成立、持続性において必要不可欠である子供を作らないのに、福祉だけ享受するのは不公平という理屈もある

・多額の給付金(財源は一般会計とは別枠の「子供国債方式」で持続性を担保→時の政権の介入を防ぐ。不正受給を防ぐために日本国籍限定

一生の納税額は少なくとも3000万円。1000万円配っても十分、ペイできる。

財源節約には、最初動機を高める第1子と子供を増やすための第3子以降を手厚くする。親のパチンコ代のために無責任に生まれても、生まれてこないよりもはるかにマシ。

良いこだけ産まれてくればいい、という都合のいい解決策は存在しないことを良い加減、学習しましょう。現代人が存在できているのも、元々は祖先労働力欲しさや性欲など打算の結果でもありす。もともと「子を持ちたい親の気持ち」だけで子孫たる現代人が存在しているわけではない。

子育て支援(そうはいっても大事)

・誰でも使える認可保育園学童保育の24時間営業バカ親に育児放棄されるより100倍マシ、育児負担感は大幅軽減、効果的な幼児教育もやればいい)

繰り返すが、人権個人自由などを一部、我慢して、仮に自身環境が悪くても、後世を残すことに対する負担をしないと、共同体の持続性が損なわれ、やがて個人少子化により、存在できなくなる。いわゆる移民政策を導入しても、減っていく日本人の傾向は変わらず、日本人が滅んで移民に取って代わられるだけで、日本人の持続性を担保できる政策ではない。

負担を受け入れても、子供が増えれば社会希望が増し、投資が増え、国民は豊かになる。

2023-09-06

思考実験だけどベーシックインカムって可能なんじゃね

前提として国は金を実用上無制限に作り出せる

紙幣でも良いが現代社会では小切手クレジットカード電子決済などで金のやりとりをすればよくもはやパルプインクも要らない

金を無制限に作れてベーシックインカムで誰もが給付を受けて金に困らないという前提みんなが働かないとどうなるかを考える

例えば極端なケースで日本人1億人で1人しか働いていない場合

この場合は世の中に出回るお金に対して消費する物が少なすぎるので経済が成り立たないだろう

では1人しか働いていないけどAI自動化で1人のオペレータだけで国中で消費する服や車や水や焼肉床屋ラブホテル、その他諸々全てが生産できてしま場合を考える

この場合は何も困らない

結局、お金とは世の中の生産能力バランスさえしていれば良く、労働とは関係なく配って構わないということがわかる

今の世の中ではまだまだ労働自動化が追いついていないので仕方なくみんなが消費する物を働いてその対価としてお金を貰うことが普通になっているが、

AI自動化技術進歩がどんどん進み、人間労働機械に置き換わり始めたら、置き換えられた人間ベーシックインカムを貰って

機械生産する富を消費して面白おかしく暮らせば良いのだ

2023-09-05

anond:20230905201758

『連れ子虐待リスク』は統計的差別だ。強い言葉になってしまって申し訳ないのだが。

シングルマザー再婚した男の虐待率が、統計的有意に高いとして。

しかしそれだけで虐待されやすいか再婚するのは危険、とはならない。

優しくてマトモな男性である可能性があるからだ。

虐待者になるか、正しい父親になるかは、男性もっと深い内面を見なければ分からない。

表面化した属性だけではなく。入れ墨をした暴力団ヤンキー子猫を助ける事もあるように。

人間本質に目を向けなければ、暴力的かどうかは判らない。

そしてその判別は、女性にだけできる仕事だ。

とは言っても、再婚した後で男の本性が判明する事もある。

そんなときは、虐待しそうなDV気質だと分かった時点で、いっそ子どもを連れて逃げて仕舞えばいい。

学校いじめにあった生徒が登校から逃げて図書館に籠るのと同じ。

逃げちゃダメだ、なんてない。

逃げていい。それが現代社会の正しさなのを思い出してくれ。

小児性愛を題材とした非実在表現によるポルノグラフィ」考

まず大前提として、小児性愛者がその性的欲望を「実際の」小児に対して実行するということは、現代においては大多数の国で刑法上の犯罪でもあり、社会通念上も許されない行為とされている、ということは踏まえた上で。

小児性愛者向けの非実在表現によるポルノグラフィ供給流通については、そもそも小児性愛」という性的欲望のかたちをどうとらえるか、という根本的な立場の違いによって、2つの異なる考え方が生まれてくる気がする。

小児性愛は「実践不可能な周縁的セクシュアリティの一類型である

小児性愛は「小児と性交してはいけない」という社会規範に適応できない障害一種である



要は、小児性愛という欲望自体病理なのか、そうではないのか、ということだ。行為犯罪でも欲望のもの病理でないとするのなら、欲望自体に介入する根拠は乏しい。病理であるのなら「当事者メンタルヘルスのためにも」(パターナリスティックな)介入が可能になる。

そして、そうした心理的傾向---特に特定対象に対する選好・執着・嗜癖依存など---が病理かどうかを決めるのは、究極的には医療専門家集団ではなく社会的なコンセンサスだ。たとえばADHDは昔は「不注意」という傾向だったが、いまは労働現場における時間管理タスク処理に対する要請水準が厳しくなったことで、立派な「障害」になった。アメリカ福音派保守派教会は、昔は同性愛行為宗教上の罪としていたが、90年代以後はゲイ男性性的傾向を障害とみなして「治療」する修復療法(reparative therapy)を盛んに行っている(あまり効果はない)。我々が今後、それらと同じような手つきで小児性愛当事者を扱うかどうかということだ(これは、シロクマ先生がお好きな医療化という論点とも深く関わってくる)。

小児性愛実践が「犯罪」であり「悪」であるということについては、現代社会では一定コンセンサス確立したといっていいけど、「現実世界被害者がいない形で解消される小児性愛という欲望のありかた」自体病理とみなすべきかどうかについては、どこかに絶対の正解があるわけではない。今のDSMICDMSDマニュアルにどう書いてあろうと、それは私達の社会観念の反映であり、相互作用的に規定されているのだから。これは我々自身が考え、議論し続けなければならない問題だ。「小児性愛を題材とした非実在表現によるポルノグラフィ流通」の是非も、その結論しだいで変わってくる。

2023-09-04

死にたいし生きたい

自分自身が訳わからない。

死にたい。でも死ぬのが怖い。

生きたい。でも生きていても良いことも、楽しいことも、やりたい(かつ実現可能な)ことも一つもない。

安定した職に就いている両親の揃った家に生まれること、10代のうちに歯列矯正を済ませること、幼少期ゴールデンエイジのうちに父親に外でいっぱい遊んで貰って身体能力をなるべく高めておくこと、中学受験大学受験自己満足ではなく他人から評価されるレベル成功させること、などなど。

一つでも欠かしたら大人になってからの生きがいや自尊心がとんでもなく下がって人生ハードさはとんでもなく跳ね上がるのに、俺は全部失敗してる。

おまけに浪漫のない現代社会じゃ命を犠牲ヒロイズムを満たして死ぬようなこともできない。

ナポレオン戦争時代に生きてたら戸惑いなく胸甲騎兵になってイギリス軍オーストリア軍に突っ込むし、日露戦争の時に生きてたら躊躇なくロシア兵に突撃するし、太平洋戦争の頃に生きてたら躊躇なく飛行機に乗って連合軍艦隊に突っ込む。

でも現代じゃそんなふうにヒロイズムを満たしながら命を捨てることも出来ず、(手に入らない)トロフィーを集めながらとにかく生き続けることを求められる。

死にたいし生きたい。

オープン場所で人の趣味罵っておいていざファンから反論飛んできたら「現代社会において批評は死んだ」とか被害者ぶるのきしょすぎ、そのあとフォロワー炎上の慰め求めるのもっときしょい

他人趣味ケチつける発言をするならそれに対する反応の責任ぐらいとれや

楽しんでる人間侮辱しておいてそいつらを悪者に仕立てるとか本当しょうもねーな

anond:20230904114954

そうじゃなきゃ器じゃないから諦めてほしいのよね(親が

親だけでなく本人も諦める必要があるだろう。

現代社会は色々な意味で「諦める」ことがほとんどの人にとって必須なくせに、「諦める技術」についての啓蒙教育が全く無いのが問題だと思う。

「○歳までにXXができてないとダメ」「いい歳して夢みてんじゃねえよ」とかいって殴る方式しかないんだよね。

そういうので何となく諦めた人間が実際多いから、諦め方が雑で「本当はもっとできたかも」みたいな可能性が残りまくった形になってる。

その可能性に惹かれて諦められなくなる人間も増える。社会は諦めることを求めてるのに。

本当に諦めて欲しいならそのための道筋社会として整備するべきだと思うわ。

2023-09-03

我々は増田のBである

自尊心はまだない。

親譲りのアスペルガー子供の時からヒトモドキをしている。

何でも小学校の頃からイジメられていて死にたい死にたい言っていたことだけは記憶している。

他人の言った言葉をなんとなく真似て組み換えてきただけで、未だに他人が何をどういう意味で喋っていてどう考えているのかが分からない。

ウィトゲンシュタインコミュニケーションとは子供の玉蹴り遊びの延長であり、その場その場で生まれてきたルールが連綿と連なってきたものにすぎないと語っていたとツイッターで誰かが言っていたように思う。

まさに私が苦手としているのはそのような、持って生まれついた世間一般的共感能力空気を読む力によって、その場に発生するルールの力場を正しく掴んでいく言語ゲームなる遊びそのものなのだ

一流の声優は「あ」という言葉で100通りの表現ができると言うが、私はそういう人間コミュニケーション曖昧さが本当にもう耐えられない。

明確で論理的で常に同じ意味言葉が扱われることは、法律世界においてさえ存在せず、裁判所弁護士裁判官がアレコレ言い合った挙げ句に出てくる判決などの中でさえ、アレヤコレやの曖昧ものがその場限りの意味解釈を持って無数に絡み合っていると知った時は、もうこの世界には私の居場所なんて本当にないのだと絶望したものだ。

からすればマインスイーパーの最後の数クリックのように50:50の運任せになってしまったようにしか見えない状況を、別の人間から見れば明白に99:1でほぼ正解と言えるほうが当てられるらしいというのだから恐ろしい。

恐ろしいのは、その99:1が出来る人間割合が95:5の95の方であって、私のような人間こそが異常として扱われていることだ。

いつからそのことに気づいていたのか分からないが、なんとなく分かっていて、でもそれが未だに確信を持ちきれない所がある。

きっとこれは色盲と同じような物なのだろう。

彩度いっぱいに5色で塗り分けられているはずの戦隊ヒーローの何人かが誤差でしかない状態を幼少期から強いられてきて、それを当たり前だと感じた人間は、その僅かな誤差を見出し必死に見分けている状態が実は異常であるを薄々勘づきながらも確証を持てず、その病名と共に他者との違いを伝えられてもそれを認知することが出来ないのだ。

犬笛の音を聞き分けられないことを「そんなはんずがないだろう」と誰かに言われたら、何回までその言葉に耐えられるだろうか?

ふざけているわけではない。

色盲にとっての戦隊ヒーローであり、人間にとっての犬笛であるものが、私にとって人の語る言葉機微なのである

これはもう大変に厳しいことだ。

きっとこの文章を読んでいる人は「そうは言うが君はちゃん文字をかけているではないか。それなのに言葉がわからないんなんていうことがあるのかね?」と思うだろう。

だってそう思う。

だが分かっているつもりで分かっていないようなのだ

これはもう自覚のないアンドロイドがある日チューリングテストにかけられて「貴方は実は人間ではないのです」と告げられても、全く自分にはその自覚が持てないかのように全く分からないのだ。

今これを書いている私は共感能力をフルに稼働して自分と似た状況にある人間の姿を思い浮かべているように見えるだろうが、実際にはある種の論理的パズルを解くような気持ちで相似している事象を探してきているに過ぎないのである

普通の人が心によってやってみせるようなものを、私はただひたすらに論理的にやってみせているのを、そんなことをする必要があると思わない人間が、私も同じように共感能力によってこれらの考えに辿り着いていると勘違いしてくれているわけだ。

こうやって勘違いしてもらうのは私にとってはある意味で都合がいい。

何故なら、実際にはそうではないことが分かると途端に私は人間扱いされなくなり、ヒトマネの上手なロボットであるかのように扱われるだけだから

なんともしんどい人生だ。

これもそれも親から譲られた遺伝子が生まれつき現代社会と上手く折り合えていないのが悪いのであり、私が悪いわけでも親が悪いわけでも周囲が悪いわけでもないと分かってからは、割り切ることで楽になった部分と一生終わらない牢獄の中にいる自覚とで心はより有耶無耶になってきている。

私に出来ることといえば、とりあえず今までのようにヒトマネを繰り返して何とか自分を生き延びさせつつ、同じような気苦労を持つ人間を増やさないようにヴァージンを守ったままでこの人生を終わらせて見せることぐらいだ。

行き詰まった人生方針を求めて性格診断や適職診断なんかをやると、いつも「小説家芸術家になりましょう」「発明家研究者に向いてますよ」と無責任言葉が返ってくる。

実に下手くそに「貴方社会不適合者なので、象牙の塔なり自分アトリエなりに引きこもって居てくださるのがお似合いですよ」をオブラートに包んでくるものだと、自覚のない悪意なのか、純粋善意によっての社会から排斥なのかも分からないものをぶつけられたことを感じ入る。

その度に、「ああ、やはり自分はまともに生きるのは諦めるべきなのだ。だが、特別生き方を出来るほどの力はない。だからまともなフリをして今日迷惑をかけながらこの社会に張り付くのだ」と自己憐憫に浸るのだ。

これはもう精神的なリストカットしか言いようがないわけだが、同時にソレはある種の瀉血でもあるように感じる。

私がこの社会に望むのはもうベーシック・インカムの導入ぐらいだ。

もうこれ以上社会の中で「私は貴方達と同じように働ける人ですよ」と偽って暮らすのはしんどすぎる。

いい加減疲れた

人生の先行きのなさが、生来まれ持った脳の作りから始まっていると突きつけられ、まだなんとか自暴自棄にならずにいるのがすでに奇跡のようなものだ。

これ以上我々を責めないで欲しい。

責めるべきは、我々のような人間人間のフリをして社会に紛れ込まなければ生きていくことさえ出来ないこの社会の仕組みの方ではないか

本当に、ベーシックインカムが導入されれば、我々はそれを頼りに暮らし、もう二度と社会の表側で「私は給料分の仕事ができますよ。何故なら普通人間なのですから」と心にもないことを言ったりしないで済むのだから

2023-08-31

現代人は皆クソガキ

経済的な自立の遅さが精神の発育の遅さに関連してると思う

特に大学大学院に進学する人間ほど、社会に対して能動的にかかわっている自分という意識が低い

子供としてふるまえる時期が長くなりすぎてもう子供っぽい振る舞いが大人になっても抜けなくなってしま

その結果現代人老若男女みーんなガキ、ガキがおままごと会社経営したり投資したり仕事したり工作したりガキ育てて、何世代もの人間必死で紡いだ歴史をめちゃくちゃにしながら遊んでるだけ

いまやほとんどのことはマニュアルがあって系統立てられててゲーム感覚でやれちゃうから

言われたこときちんとやっていたらそれ以上何も言われない、というのが染みついているからひたすら指示待ち人間。

社会を動かしているという当事者意識から来る責任感や恵まれ環境に暮らすことの罪悪感なんかもちっとも感じられない

かにつけて童心に帰りたがり子供を美化するところが最もガキである証拠

子供記憶なんて無知と愚かさの連続だったはずなのにそれを賛美すること自体理性的真実を追求する現代社会美徳と逆行している

あんな暗愚の時期に戻りたいなんてそれこそどうかしている

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