はてなキーワード: 青年とは
これからお目にかける雑文は、データにもエビデンスにも専門知にも基づいたものではない。
むしろ一市井の人間の有限(どころか乏しい)観察と未熟な想念、そして「何か書かなければならない」という衝迫のみを支えとしている。昔風に言えば標題のとおり印象批評だし、現代風に言えば単なるお気持ちである。
それでも、虚言や流言、罵詈雑言が猖獗を極めるクソッタレインターネットへ供する一服の清涼剤たらんという意志を持って草した文であり、そのように読まれることを希う次第である。
以下に続く文章は、主語がデカすぎるだの、事実認識がお粗末だの、構成がなってないだの様々な批判に晒されるであろうことは最初から織り込み済みである。いずれも筆者の能力の至らなさに起因するので「ごめん!」としか言いようがない。
もっとよりよい認識や知見の給源は他にあると思うので、それらに接するのが一番いいと思う。そのような批判を恐れずにあえて書く理由は、まさに標題で仄めかした「民主主義を虚無に捧げてはいけない」という信念を擁護するために自分でできることをしようと思った、ただそれだけである。
この文を書こうと思った直接のきっかけは昨日の兵庫県知事選挙である。
つい1週間ほど前に太平洋の向こう側でトランプが当選し、「MAGAくんさぁ……」という軽侮の念を抱きつつも、どこか他人事の如く受け止めていた自分がいた。
しかし、メディアやネットでパワハラ野郎だの私利私欲を極めたゴミだのサイコパスだのさんざん叩かれた斎藤元彦がメイク・ヒョーゴ・グレート・アゲインした途端、愚かな民衆なる集合は爆弾ゲームよろしく我々にヒョイと手渡されたというわけだ。
尤も、自分の最初の認識がそもそも間違っていたというのは認めるにやぶさかでない。要は愚かな民衆も、賢明な民衆もどこまでいっても抽象概念で、そのような概念で語れる事柄には限界があるという単純な原則をしばし忘れて物を考えがちというだけのことだ。
このような間違った考えで一喜一憂しているのは筆者だけはないらしい。
選挙結果が出てから、兵庫県知事選は立花某にハックされたということや、あるいはネットで真偽不明の奇々怪々なフェイクニュースを浴びせられて正常な判断ができなくなった結果だとして、SNSと選挙の結びつきを否定的に見ている向きがある。
もちろん、我々はアメリカの大統領選にロシアやイランが介入しようとしたという事例を知っている。ならず者国家の裏工作を挙げるのが極端だとすれば、ケンブリッジ・アナリティカのような倫理観の欠片もない連中がいることも知っているはずだ。
しかし、現段階の情報でもって、兵庫県民は騙されたのだという前提で話を進めるのは問題だろう。それをもってしても社会の底が抜けたとか、もはや民主主義は終わりだという悲観的で短絡的な発想に至りがちということを見ても、この種の作業仮説は民主主義に有益どころか有害であることは明らかだ。そういう人たちがエピストクラシーを実現するのか、リベラルな思考をもった等質的な市民たちによる思想のゲーテッド・コミュニティを作るのかは知らないが、それはきっと非民主主義的な操作で行われるものではないか。筆者はリベラル嫌いだが、それでも自分たちの理念に後ろ足で砂をかけるような彼ら・彼女らは見たくないというのが嘘偽らざる思いだ。
各種報道を見る限りでは、兵庫県民は普通の民主主義国家における市民と同じくらいの能力や感覚を持ち、それなりに各候補者を比較考量した上で投票に臨んだと考える方が現実に近い、と筆者は考えている。
ここでは斎藤や稲村の政策についてどっちがいいとかいうことは考慮の埒外に置くが、少なくとも「何かいじめられててかわいそうだから!」とか「メディアの一辺倒な報道が気持ち悪いから!」だけで110万票も取れるんだとしたら、残念ながら民主主義以外の選択肢の有効性も検討すべき時期が来ているのかもしれない。もちろん、実際のところそうではないのではないか、というのが筆者の見立てだ。
何が斎藤元彦に再び県庁の敷居を跨ぐことを許したのか。それを考えるために補助線を引きたい。もちろん、論理的必然性をもった操作ではない。何故ならこれは印象批評にすぎないので。
少し前に国民民主党の玉木代表の不倫問題が報じられた。不倫の責任の取り方は様々だろうが、代表を続投しこれからも頑張っていくということが比較的多くの人に受け入れられているように思った。
その方策の是非はともあれ、手取りを増やそうというストレートな訴えが若者を中心に多くの支持を広げていて、それに水を差すような報道を苦々しく思っている、あるいはある程度「相対化」可能な事柄だとして脇に追いやってもいいという雰囲気があるように筆者の目には写った。
筆者個人はこの種の思潮には到底賛同できない。不倫するような人間に増やしてもらう手取りなんぞはこちらから願い下げである。議員辞職するまでではないとしても、代表を辞任し一兵卒として政策の実現に邁進するということだって責任の取り方としてありえたのではないかと思っている。
どれだけ政策を懸命に訴えても、政策を進める当事者の「人品」というのは、決しておざなりにしていいものではない、と個人的には思う。実際、自民党の政治資金収支報告書不記載の問題に端を発する「裏金」逆風はそのような考えから生まれたわけだし、与野党伯仲という結果に実を結んだと考えれば、個人的かつ奇異な考えではないとも思う。であれば、妻子ある男性が別の女性に懸想することを問題視しなくていいのだろうか(妻子にとっては経験しなくていい嫌な出来事であるし、相手方の女性が公党の代表者と不倫したことがバレればその社会的地位をも脅かしかねないという帰結を予想できなかったのであれば、政治家どころか責任ある社会人としても御しがたいレベルの不見識なのではないか。)。
とはいえ、上の筆者の考えは少数派に属するものだと思う。不倫は家族や当事者の間で解決されるべきでダメだったら家庭裁判所へどぞ、というような私的な話で、こんなことのために俺たちの手取りが台無しになってたまるか、玉木はきっちり反省してその後頑張れという意見が大勢を占めているのではないか。
そしてこれは、斎藤が公益通報制度を度外視して告発者を袋小路に追い込んだことや、トランプが弄する信じがたい人種差別的・性差別的言動によって当事者が傷つけられることを等閑視するメンタリティと相通ずるものがあるのではないか。
もちろん、そういった非倫理的な行いに諸手を挙げて賛成するダークトライアドガチ勢のような人間ばかりではないだろう。しかし、それはそれとして、というような相対的態度をとらざるを得ないのは、言い換えれば自分たちにとって焦眉の問題が別にあるということにほかならない。
このような相対化を導くに至る根源的な不満の存在それ自体は目新しい指摘でもなんでもない。ラストベルトの労働者も、閉塞感を感じてきた兵庫県民も、手取りが増えない若者のいずれも「古くて新しい問題」であり続けている。目新しいことでもないのに、定期的にこの種の話が出てくるのは、解決が困難なことの証である。そもそも解決可能な話なのか? 全てのステークホルダーに満足を与えられるほどのリソースがあるのか? 自分たちの満足のために誰かにふるわれる不正義もやむなしとする世界で、オメラスから立ち去る勇気を持つ者たちが果たしてどれだけいるのか? 我々はずっとこの問いかけの中に閉じ込められているし、この困難さを抱きしめることが民主主義の要諦なのかもしれない。
この文では、貧しくあってもせめて人並みの倫理ぐらいは持てよバーカ、とか、人民の悲しいまでの想像力の欠如を嘆かん、という倫理的お説教や慨嘆を述べ立てるつもりは毛ほどもない(そういうリベラルへの嫌悪感を筆者は多くの人と共有するものである。)。政治家に自分たちの方を向いてほしい、助けてほしいというのは当然だし、その願いが届くのが民主主義のいいところではないだろうか。
だが、その時、もしかしたら誰かを犠牲にしているのかもしれないという一抹の不安は感じてほしいなとは思っている。それが望蜀に属する話だとしたら、民主主義の皮を被った椅子取りゲームを続けるべく、我々はいつ鳴りやむか分からない音楽に耳をそばだて、減り続ける椅子を横目に生きていくのだろう。これがいいとは、筆者は決して思えないが。
「あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。」
大人になってから『のび太の結婚前夜』を改めて見た時に、「なんて当たり前のことを言ってんだ。よっぽど褒める言葉が見つからない時用の言葉って感じだ。」という冷笑的な感想を持った。しかし、今ならのび太が全くもって稀有な人間であったと痛感せざるを得ない。
立花が言うように元県民局長がどんなに酷いことをしていても(逆にどんなにいいことをしていても)、斎藤の拙速かつ強引な統治手法(このことは必ずしも立証されていないが、その後の百条委に至るまでの対応を見ればそう思わざるを得ない)に問題意識を感じて声を上げたこと、そして斎藤がそれをこれまた拙速かつ強引に対峙し、県政停滞のハードランディングに至ったのとは別の問題である。その対応に関する法的な問題などはこの際措くとしても、百条委で問われた道義的責任を「わからない」と述べた斎藤が、再選で得た民意を盾にこの問題を「相対化」しようとする危険性がないとは決して言えないだろう(当選後、記者団に対して「知事部局として一緒にやっていくのは公務員としての責務」と述べたのは、県職員に対して「俺は民意を得たんだからお前らがついてくるのは当然だよな?」と釘を刺した形とも言えるし、先行きは不透明だ。)。
斎藤に投票した人は、せめてそういう状況が棚上げになったままであることを認識した上で、自分たちの居心地の悪さに素直に向き合ってほしいと思う。(元県民局長が死んだのは別の理由であるという卑劣な矮小化をするのではなく、)たとえ拙速で強引でも斎藤が自分たちにとっていい兵庫県を作ってくれると信じて投票したのだとすれば、その結果誰かが痛い目を見ることになるかもしれず、それはひょっとすると顔見知りかもしれない。その時、その人の不幸を悲しみ、その人の幸せのために何かできるだろうか。そういった考えを頭の片隅に置き続けることが、民主主義のレジリエンスを形作る重要な要素だと筆者は考える。清廉潔白完全無欠な政治家が存在しない世界で、民主主義を選び取った全ての清廉潔白完全無欠でない我々にとって、「それがいちばん人間にとってだいじなこと」ではないだろうか。
日々の生活に汲々として自分の人生にやりきれなさを感じながら 「人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむ」というのはそうそうできることではない。とはいえ、できていないなと思うだけでも、「あの時できなかったから次こそは」という思いにつなげられるかもしれない。
※デバガメというのは恋愛的な意味である。性的な意味ではない。
これらを見てしまった経験を通じて、若かりし頃の自分の不器用さを思い出した。
今の自分も「成長できた」といえるにはほど遠い。若い人たちを見て、まだまだ成長できる部分がたくさんあることに気づかされた。
もうアラフォーに入ろうとしている。その前に、ちょっとだけ記念的碑に増田に投稿してみようと思った。
常連投稿者のように面白くはないかもしれないが、一生懸命書いてみる。
一般企業でアパレル事務の仕事をしている。あと数年以内にはAIに置き換わってしまうだろう。風前の灯火みたいな事務仕事だ。平成初期だったら、私もバリバリの評価を得ていたのかもしれない。令和時代だと、明らかに若い人、時代の変化に適応できる人の方がこの仕事に適性がある。
社屋3階で働いているのだけど、ある夕方~夜の時間だった。社内に人が残ってない時間帯に、私は4階にあるトイレに行こうとしていた。
そうしたら、上の階の方で男女の声が聞こえた。一瞬「!?」となって、踊り場の前で留まった。会話は始まったばかりで、男性の方は隣の部署の30才くらいの人だった。女性の方は別の階で働いている子。
一応、最初から声を拾ってみる。彼を増田君とする。まだ先月のことだ、頑張って思い出してみる。
「○○さん、お疲れ様です」
「どうしたの、今日は?」
「え……?」
「パンダじゃん!」
「パンダ……」
「服が白黒だね」
「え、そうですね」
「白は、初めて見たかも」
「……いっつも白いです♪」
「そう、ええっと、あとは」
※私が踊り場から身を乗り出すと、彼が両手でジェスチャーしてるのが見えた
「○○さん。髪、切った?」
「はい、切りました。……どうですか?」
「似合ってるね」
「ほんとですか?」
「うん、似合ってる。ねえ、ねえ。もっと仲良くなれたらご飯いこうよ」
「え、いいんですか?」
「いいよ」
「いきたいです。~~さんとご飯」
「わかりました」
意中の男性に声をかけられると、縮こまってしまって、うまく喋れなかったりする。
相手がリードしてくれて、それでどうにか話ができる。子どもの頃に聞いた曲に、「大人の階段昇る 君はまだシンデレラさ」というのがあったけど、まさにあんな感じだった。
恋愛は、全部相手がリードしてくれると思っていた。自分はただ、意中の人がいたら「お疲れ様です」と声をかける。自分からアタックするのは、それくらいでいいと思ってた。
本当に、相手が相手だと何もできない。それどころか、廊下ですれ違ったときに「お疲れ様です」と挨拶されても、顔(^^)を背けながら「お疲れ様ですっ!!」って投げやりな感じの挨拶になる。
髪を切った時も、好きな人と話してて「気付いてくれるかな……」と思うとドキドキして硬直したし「髪切った?」って言われそうな時は、事務所内なのに走って逃げだしていた。
トイレの話だけど、はてな匿名ダイアリーだと女性でも漏らしてしまうのが基本らしい。
私はこの時漏らさなかったので、3階にある修理中のトイレを飛ばして、急いで2階のトイレに入った。
こう見えても、高校まで柔道をしていた。初段しか取れなかったけど。
柔道って、野球やサッカーと違って、やってる子がとても少ない。柔道部のある学校の方が少ないくらいだ。特に女子柔道の場合は、本当に過疎である。
柔道部員がちょうど3人しかいない高校だったので、夏休みになると、同じ市内にある高校の合宿にお邪魔していた。期間は一週間。そこは工業高校で、立派な柔道場がある。
市内のいろんな中学高校の生徒が集まって練習していた。男子は泊まり込みのようだった。
そこで、珍しい組み合わせの男女がいた。ふたりとも中学生だった。凸凹な見た目だったのを覚えている。
その時は8月初旬だったかな。私が合宿に参加した初日、乱取りの時に女子の小中学生に胸を貸していたところ、物凄い声が響いた。
「ああ、もおおおっ!!!」
みたいな声だった。
見ると、小太りの体形の男の子が、その女の子を寝技で抑え込んでいた。見るからにガッチリ入っていて、逃げられそうにない。女の子は、バイオレンスな感じにグイグイって動いて、男の子のお腹をグーで殴り続けて脱出に成功した。
それから、女の子は血相を変えて、小太りの男の子を寝技で抑え込みに行っていた。女の子は黒帯で、男の子は白帯だった。それにしても寝技が上手な男の子だった。体の幹が強いのもあるし、女の子が上から乗って行っても、軟体動物みたいにスルリと躱してしまう。
決着がつかずに、乱取り終了のタイマーが鳴った。次の日も、また次の日も私は合宿に参加していた。他校の女子と練習ができる希少な機会だった。
いいかげん、筋肉痛がひどかった。女子中学生が打ち込みでも乱取りでも、私のところにばかり来るからだ。多い時だと、1日に30本近く(ほぼ90分)も乱取りをしていた。
本当に貴重な時間だった。母校では、こんなに多くの女子選手と練習することはできない。政令市にある名門校はともかく、田舎の公立高校の女子柔道の環境は非常に厳しい。
あの男の子と女の子だけど、それから毎日見ることになった。私がいる練習スペースの近くで、あのふたりが一緒に練習している(組み合っている)ことがよくあった。
男の子は、誰に対してもマジメな練習態度だった。手を抜かないし、女子選手や小学生と組み合っても配慮していた。
でも、あの女の子と乱取りをする段になると、ビビっている様子だった。彼女と乱取りになるとモードが変わる。真剣にガツガツやりあうのだけど、恐怖を感じながらやってるというか。
男の子はさておき、中学生の"女の子"の方だけど、どう見ても強い子だった。普通の中学生男子だったら普通に投げ飛ばすし、相手が高校生男子でも、白帯だったらフツーに力で圧倒していた。
男子が相手でも、引き手と釣り手を上下にブンブン振り回して、相手を払い腰で投げ飛ばすと……『進撃の巨人』の冒頭あたりで、エレンがミカサに投げ飛ばされたような感じで、相手は柔道場の壁にぶつかって倒れた。
私も彼女と乱取りしたけど、一度だけ綺麗に背負いで投げられた。柔道が強い子は、基礎的な体力からして違う。あの男の子とも乱取りしたけど、体幹が物凄くて投げれる気がしなかった。どれだけ足を引っかけても動かせる気がしない。
ただ、彼はボヤっとした柔道をする子だった。動きが明らかに鈍い。子どもにはあることだけど、スポーツやってるからには相手に勝つ!! という自覚が明らかにない……そういう子は、やっぱりボテボテとした柔道になりがちだ。
結局、3,4日だったかな。その男の子がいたのは。合宿の最終日より前にいなくなった。市外の中学からの参加で、学校から距離があるので、予めそういう日程だったんだと思う。私もそうである。
夕方だった。私が工業高校から家に帰ろうとしてると、あの"女の子"が入口の柱のところでまごまごしていた。すぐ近くには、あの小太りの中学生男子がいる。引率の先生と話している様子だった。
女の子は、彼のことをチラッと見ることがあった。視線が真下にある畳に行ったり、彼の方に行ったり、安定してない。やがて、中学生男子が話を終えると、なんと……なんと……!!
彼は女の子の方を向いて、一瞬立ち止まった。私は耳をそばだてていた。あまり内容は覚えてないけど、再現してみる。
「あ、これは、これは~~さんじゃないですか。お疲れ様です」
「お疲れさま」
「疲れんかった? 今日で終わりでよかったね。いい修行になった」
「うち、今日で終わりじゃない。まだあと2日あるんよ」
「まだあと2日も? しんどいやん。なあなあ自分、銀河学院だっけ?」
「うん」
「知っとるよ」
「ぜんぶ参加したかったな~」
「しょうがないよ」
(ごめん……この間は覚えてない)
「なあなあ。もう会えんよ多分。うちら」
「そうかな?」
「そ~よ~」
「残念かも」
「いや。駅まで歩く。あとは電車」
「うちも歩く!! 一緒に帰ろ」
眩しいな~と思って眺めていた。かくいう私は、恋愛経験が少ない女子だった。
あのふたりは、本当に一緒に帰っていた。私は親が工業高校まで迎えに来てくれる約束だった。校門付近まで行くと、あのふたりが一緒に並んで歩いていた。女の子の方は自転車で、男の子は徒歩だった。
いや、懐かしい。ほんとに懐かしいなぁ。それでいて眩しかった……
去年の冬だった。タワレコの近くに任天堂の公式ショップがある。仕事帰りに立ち寄ることがあって、昔懐かしいマリオやカービィのぬいぐるみを眺めていた。職場はこの近くだけど、存在を知りつつ入ったことはなかった。そういうお店ってあるよね。鶏白湯ラーメンの専門店とか。
お洒落なショップだった。店内レイアウトに無駄がないというか、導線を綺麗に描けている。右回りの人でも左回りの人でも、混雑しないようになっている。こういうのは気になる。
店内をウロウロしてると、私が知らないゲームのグッズ売り場に行きついた。私の隣には女性がいた。40才くらいかなと思ったけど……見た目がすごく若かった。20代後半に見える。
私は同性なので、顔のしわの感じでわかった。男性でも見抜ける人はいるのかな? いいや、私でなきゃ見逃しちゃうねと思ったところで、その女性がキーホルダーを手に取った。
キャラ名は知らないけど、イカみたいなキャラクターだった。イカが琥珀色の球形に入っていた。高級なカブトムシやクワガタが琥珀色の何かに漬かってるのを見たことがある。あんな風だった。
その女性がイカを手に取って眺めると、顔がぱあっと明るくなった。気に入ったのだろう。ずっとイカをまじまじと眺めていた。すると。
「それ、いいですよね」
向こう側にいた若人男性が、彼女に声をかけた。純朴そうな見た目の青年だった。私の勘(年齢センサー)だとおそらく20代後半である。
その子は、一瞬こわばった感じだったけど。
「えー。そうですよね、可愛いですよねぇ」
と返事をしていた。
それから、とりとめのない会話が始まった。イカが出てくるゲームの話をしていたはず。私はしばらくカゴの中のキーホルダーを手に取りつつ、ふたりの話を聞いていた。
やがて、もういいかなと思って、その場を離れてレジに向かった。私が買ったのは、手のひらサイズの1UPキノコだった。高校生の時、幕末志士の動画のファンだった頃を思い出して懐かしくなった。
その次の週も任天堂ショップが気になった。本当になんとなくだった。まだ見れてないものがある気がして。
ところで、あのイカが出てくるゲームはスプラトゥーンだった。名前は聞いたことがあった。中味はほとんど知らない。
私のはてなブログ歴は約7年だけど、あのイカはサムネイル画像でしか見たことがない。有名タイトルのはずなのに……そういうコンテンツってあるよね。野獣先輩とか。
それで、任天堂ショップに入ろうとした時に見てしまった。レジ付近を見ると、あの男女がいた。一緒に買い物をしたようだった。ショップの袋を抱えている。
なんか、ぎこちない感じだった。両方とも会話の雰囲気がぎこちない。声は聞こえないけど、雰囲気やオーラで伝わってくる。ふたりで入口付近に立って、何かをずっと話していた。緊張してるように見えた。
私はそれから店内をグルグルと廻って、スプラトゥーンのコーナーを一通りチェックして、ゲーム体験してる人達を後ろから眺めて、あとはどうしたっけ……ゼルダの伝説のピンバッジ? が恰好よかったのと、あとはどぶ森のコーナーを新発見して、子ども時代の思い出に耽った。
今年の春だった。再び、任天堂公式ショップ(※正式名称はNintendo TOKYOです)に行ってみたのは。この時を最後に行ってない。お店に入る前の歩道で、あのふたりが一緒に歩いてるのを見た。
ここまでくると、もはや必然だと感じていた。あの時とは違って、リラックスした雰囲気だった。手を繋いで、歩道の端っこの方をゆっくり歩いていた。仲睦まじいという言葉が似合っている。そんなふたりだった。
水面を一緒に泳いでいるオシドリみたいだった。オシドリは、子どもができると♂の方が♀から離れてまた嫁探しをするらしいけど、そんなことはどうでもいい。ふいに、あの昔のAAを思い出した。
_人人人人人人人人人人人人_
> わりとどうでもいい <
 ̄^^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄
ヘ(^o^)ヘ
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今年の八月頃から、恋愛や結婚関係の増田日記がよく投稿されていた。こちらを書き始めたのは11月になってからだ。もうブームは去ってるけど、気になったことを書いてみた。
よければコメント等いただけるとうれしい。ブログの方だとコメントもらえるけど、増田だとブクマやコメントをもらえることは少ない。
例のあのフォーマットに乗ってWeb漫画の話をしようかと思ったがWeb漫画は山ほどあるし別に網羅的に読んでる訳でも無いので単に自分の好きな作品を書くことにした。商業のWeb媒体ではなくインディー出身の作品の話をする。
ヤングガンガンで連載されアニメ化もされたWORKING!!だが、作者はもともと個人サイトで同名の漫画を連載していた。YG版とは登場人物も全員異なっており、区別するためにWeb版を「猫組」、YG版を「犬組」と呼んでいる。舞台となるファミレスの店名だけは同じだが、チェーンの別店舗という設定らしく、裏設定としてそれぞれの登場人物同士に繋がりがあり、落書き漫画などで絡んでいることもある。高津カリノ先生はWeb出身から商業作家になった漫画家としてもおそらく初期組のはずなので、漫画史としても重要である。
おまえーっ
人間がなーっ
バッタをなーっ
ゆるさーん
である。
このシーンが一番有名だと思うが、あらすじとしては、祭の金魚すくいで入手した金魚を飼い始めた女の子が、金魚と同じ魚を食べなくなったり、バッタをいじめて遊んでいた男子と軋轢を生んだり、生命倫理に思い悩んで極端な行動をしながら成長していく物語。ひとつひとつのエピソードはわりと独立しているが、全体としては未完である。
扉絵は毎回名画の一部を金魚で置き換えたものが使われている。これが良い(金魚を喰らうサトゥルヌスなど)
Twitter漫画の一つ。2コマ漫画の形式で毎日欠かさず投稿され、今では2000話を超えている。内容は言葉遊び多めのコメディ、あと百合。不器用のぶきは武器ともかかっていて、登場人物は何らかの武器をモチーフにしている。メインの登場人物は剣盾弓の3人で、2000話の間に高校生から大学生になった。リアルタイムの経過時間が2000話で5年半なのでほぼ現実とリンクしており、初登場時小学生だったキャラが高校生になっていて「もうそんなか」と親戚の子の成長が早くてびっくりするおじさんの気分になった。作者は最近Comic Fuzで商業連載を始めている。
人が謎の奇病で巨大な虫になってしまう世界で、駆除屋の青年と彼が助けた少女を描くSF少年漫画。作者の個人サイトで公開されており(現在はサイト消滅)、当時は個人サイトでこのクオリティの作品が見れるのかと感動したものである。単行本化して翻訳もされており、2015年にフランスの漫画賞を受賞している。また2020年にNetflixでアニメ化もされた。
ニコニコ漫画・ジャンプルーキーなどで連載のインディー漫画。タイトルは、作中では特に説明のない造語として語られるが、「ふわふわのクオリア」が由来らしい。人間が纏うオーラのようなもの(フワリア)が見えたり操れたり触れたりする少年少女のSF(すこしふしぎ)ボーイミーツガール。一応特殊能力持ちの主人公達だが別にバトルとかにはならず、能力について研究するという名目でデートしたり喧嘩したりお祭りに行ったり食べられたり(意味深)する話である。とりあえずヒロインがかわいい。第5話までで一旦完結していたが、現在第6話連載中(更新は遅い)。
ニコニコ漫画で連載中の四コマ漫画。登場人物は基本的にずっとハンコ絵のハト。たまにヒトメス(いつもハトばかりなのでたまに人間の女性が登場すると読者からこう呼ばれる)が登場する。今のところヒトオスは登場していない(はず)。普通にヒトの現代社会ネタが多い(つまりヒトでも成り立つようなネタをハトに置き換えて描いている)が、たまにハト特有のネタもある。毎週土曜更新で、一度に10本投稿される。現在3000本以上あるので最初から読むとかなりの時間泥棒である。たまに(祝日や8/10など)不定期に更新があり、「今日は土曜日だった……?」と読者がコメントするのがお約束。今年のニコニコ大障害復帰直後の8/10(土)は怒涛の50本投稿が行われた。それで終わりかと思ったら翌週も50本あった。
現在「チンチンデビルを追え!」で話題沸騰中のくぼたふみお先生がpixivやニコニコ漫画で連載中のクトゥルフ神話四コマ。ごく普通の(?)OLの元にアザトースがやって来て同居を始める話。そんなん一発発狂やろって?こまけえことは気にするな!主人公は既にSAN値ゼロであるという説もあるし、 日本語ラップの力で正気を保ってるという説もある(日本語ラップの力とは?)。最近なんか主人公が囚われの身になってピンチだが、作者がチンチンデビルを追いかけ始めてしまったので更新停滞中。チンチンデビルほど直球の下ネタは多くない。せいぜいアザトースがアヘるくらいである。
「僕の妻は感情がない」などの杉浦次郎先生がpixivやニコニコ漫画等でネーム形式で連載したダークファンタジー。地球から異世界に転移した主人公がチートを貰って奴隷を買ってエッチなことをして……というなろうテンプレ展開から始まった作品だが、異能バトル物として秀逸。ヒロインのノラのキャラクターが強烈で、この子のキャラに引っ張られて作品の方向性が決まったと言っても過言ではないのでは、と思っている。ヒロイン以外も登場人物(特に女子)は大体覚悟決まってる系である。作者は覚悟決まってる系女子が大好きなんだと思う。俺も好き。現在作画うめ丸先生で商業連載されている。Web版の本編は完結済みだが、続編の「スカイファイア(ニセモノの錬金術師:第百部)」がある。第九十九部までがある訳ではなく(第二部はある)、第百部を想定した未来の続編、という建て付け。さらに現在は、世界観を共有していると思われる「神引きのモナーク」が連載中。
妹の怪しい薬で朝起きたら女の子になってしまったニートの兄が女の子したり女の子したり女の子したりする話である。TSロリを可愛く描くことに全力投球している性癖に忠実な作品。アニメ化もされた有名作なので名前くらいは知ってる人も多いと思うが、元々はpixivやニコニコ漫画の同人連載作。同人誌で展開しているが、商業版の単行本もある。
作者がpixivやニコニコ漫画に投稿している「少女アラカルト」というオムニバスの一部だが、このシリーズが少女アラカルトの大部分を占める。同人誌と商業単行本もあり、そちらはこのタイトルで単一シリーズになっている。ネカマの少年とネナベの引きこもり少女のボーイミーツガール。なお少年は後に現実でも女装させられることになる。
知名度とかWeb漫画史における重要性とかは最大級だが、筆者はアニメは見たものの原作もとなジャン版もちゃんと読んでないので「俺史上」ではないな……と思ったので選外。
社会現象とも言えるほどの人気作だが、たまに流れてくるのを見るだけで別に連載を追ってるわけでもないしなと思って選外。セイレーンは好き。あと「……ってコト!?」は便利なのでたまに使ってしまう。
中の人が明らかにおばあちゃんなVtuber星空バアド17歳の配信の様子を描く1〜4ページのTwitter漫画。バアドが古すぎるネタを振って、なぜか詳しいリスナーが解説をして、他のリスナーが「〇〇年前!?ババアじゃねーか!」とツッコむのがお約束の流れ。だらだら配信の立ち絵が好き。単行本化されている。
むちゃくちゃ炎上した本作であるが、「N日後に〇〇する」というフォーマットを作り出したという点ではエポックメイキングだとは思う。でも俺は好きじゃないので……。ちなみに今続編をやってるらしい。
オモコロで記事も書いているなか憲人先生……と良く似た絵柄の犬のかがやき先生によるエッセイ漫画。エッセイ漫画なので実話のはずだが、ある程度はフェイクや誇張も含まれてるかもしれない。ある程度がどの程度かは読んで確かめよう。作者がTwitterで発表しているが、個人ブログにまとめられている。
統一教会が青年信者を秘書として議員事務所へ送り込むことは、教団の人事の一環であり、政界工作の一端である。創設者の文鮮明氏が次のように指示をしているからだ。
「まず政治家の秘書として食い込め。食い込んだら議員の秘密を握れ。次に自らが議員になれ」(「週刊現代」1999年2月27日号掲載の元信者証言より)
さらに、統一教会は日本政府が東京地裁に解散命令を請求している団体であり、その反社会性は公に認定されているに等しい。そればかりか、韓国発祥の教団に閣僚クラスの政治家の情報が筒抜けになる安全保障上の懸念すらある。山際氏が経済再生担当大臣当時、A氏は大臣秘書官として首相官邸にまで出入りしていた。国益を損ねる可能性すらある重大な問題であることを我々は認識すべきだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/72ce4343e2d1a148882b762dbdd25c838c6e1a36
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最大与党にこんなんが入り込んでるのは、やっぱり異様なことだし、それをさも「何も問題ありません」みたいな顔でスルーしちゃってる人たちは、国是やら国防やらを語る資格がないと思う。
me too運動が和訳されて日本に入ってきたとき、それを「男女対立」と受け止めて女性憎悪に走る男性が一定数見受けられたけど、
銭湯やサウナ等の男湯がハッテン場として使われており、何も知らないストレートの男性が巻き添えで性被害を受けていながらも、
何十年も被害男性が泣き寝入りで放置されていたが、最近になってやっと公衆浴場の組合や警察が連携して違法行為であるハッテン行為を追い出す活動が開始された。
組合や警察といった組織が「ハッテン行為は違法である」「迷惑行為の被害を受けたらスタッフに通報してほしい」というスタンスを明確に掲げたことで、
青年時代に被害を受けたことがある高齢男性などが「実は…」と語り始める流れができてきた。これまでは男性被害が封殺されていたのだ。
me tooの本質って男女の分断ではなく、こういうことだったのではないかと思う。女の口を塞ぐことではなく、男性も自分が受けていた被害について認識して、泣き寝入りせずに警察に通報すること。
夫婦間で、妻が夫にDVするケースもある。そうしたときに、妻を暴力加害者として通報できるようになること。
男性は加害者で女性は被害者というロールの固定は、me tooを曲解している。有害な男性と有害な女性がそのような男女のロール固定の議論にもっていきたがる。
性加害は男性から男性への行為も多い。北海道で最近発覚した、裸で逆さ吊りにするいじめ(いじめという言葉を使いべきではなく暴行として逮捕すべきだと思うが)も、男子生徒から男子生徒への行為だった。
性別で区切るのではなく、暴力加害者にフォーカスすること。迷惑行為者にフォーカスすること。
男性被害者に対して「男のくせに」と言わず、加害者批判・警察への通報に照準を合わせること。それがme tooのすべきことだ。
「かつて救われなかった青年」の心情としては、本当に援助が必要なのは若者世代だと主張してくれる国民民主を支持したいところだが
それで救われるのは今の若者世代であり、中年になってしまった俺たちではない。
むしろ俺達はその政策で「若者の未来のために涙を呑んでくれ」と言われる側だ。
「現役世代から金を絞り取って高齢者福祉を維持しよう」というトピックに限っては肩を組んで同じ事を言う
自民党や立憲民主党に投票するのも、かつて自分を迫害した非道の輩に尻尾を振るようで我慢ならん
どこに入れればいいんだろうなマジで
再放送やサブスクなどで、成人後に初代ガンダムなども履修しているが、幼年~青年時代に出会った、自分に影響が大きい作品を選出。
他に影響の受けた作品(特にゲームが足りてない印象)があるはずだけど、とりあえずパッと出てきた作品でベスト10を作成。
ドラゴンボールなどの超有名作品ももちろん読む&見てるけど、自分の根幹には影響を与えていない気がするので、選出外。
自分は性方面で割と早熟で、幼稚園に入る前には女性のおっぱいに魅力を覚えていたと思う。
多分、この作品が無くともおっぱい星人になったと思うけど、(おそらく)最初に見た漫画おっぱい作品ということで選出。
もし読んでなかったら、おそらく南国アイスホッケー部、シャドウレディ、オレってピヨリタンあたりが入ってたと思う。
説明不要のSF作品。おそらく、これで性癖がズレた同年代(性別不問)はたくさんいると思う。
エヴァンゲリオンとは真逆の明るいSF。それなのに設定周りは結構ガチ。
また、自分が見た作品は戦闘レベルで終わっていた作品が多かったが、これは戦略的な内容を扱っていて新鮮だった。
もしかしたらナデシコの影響かもしれないけど、タイムループ物が今でも好きで、この作品にも影響を受けていると思う。
自分が初めて読んだタイムマシン的な機構がないタイムループ物として、強く印象が残っている。
もし出会ってなかったら、シュタインズ・ゲート辺りが入ってたと思う。
中国古典なのに、何でもありSF作品。現在の異世界転生物が好きな原因の一つにもなってると思う。(過去の世界で現代的な価値観という観点で)
火星物語6を偶然ラジオで聞いて、その後ゲームや漫画なども遊ぶ・読む。選出理由は漫画だけど、漫画自体は突出した作品ではなく並レベルだと思う。
最後の方の、村の危機を守った→その追撃でさらに強力な敵→村人が主人公たちの責任だと攻める→「お前らの敵は誰だ!!」(うろ覚え)というのが今でも印象に残っているため選出。
これも、おそらく内容は説明不要な作品。全般的に面白いが、選出理由は序盤のドキドキ2択クイズの「残酷な選択肢」の場面が自分に影響してる気がするため。
web小説は現在公開されていないので詳細は書かないけど、良くも悪くも現在の進路と知人に影響があったため。
もし知らなかったら知らなかったで、良い進路・知人になってたかもしれないけど。
文字ベースのゲームはあまり遊んでいなかったけれど、これがきっかけで他のSFを題材にした文字ベースの作品も遊ぶようになった。
最初に遊んだサウンドノベルゲームのBisque Doll(フリーソフト)と迷った。
マキバオー、クリスクロス、コードギアス 、まどかマギカ、もののけ姫、千と千尋、クロノトリガー、FF8、MAG(PS3)、ねがぽじ(天使ルート)、蜜柑(シーズウェア)、盗人講座(フリーソフト)
私はトランスジェンダーで、「性自認って結局何?」とよく聞かれるから、私の理解する限りで書いてみる。と言っても、専門家でも何でもない当事者の一人が本を読んだりして考えたことなので、正確性は保証できない。
まず「性自認」はgender identityの訳語だ。identityは「自己同一性」と訳したり「アイデンティティ」とカタカナで書いたりするが、高校現代文のキーワードとしてお馴染みだからよく知られてる言葉だと思う。もともとはエリクソンという心理学者が提唱した概念。エリクソンは難しくてちゃんと読めてないけど、解説とかを見ると、要は安定して持続的な「自分はこういう存在だ」という意識のことらしい。
アイデンティティの確立は青年期の課題だとエリクソンは考えていた。思春期に自分は何者なのかという課題に向き合い、それを乗り越えるなかで自分のアイデンティティを確立していく。それがうまくいかないと同一性拡散という自分が何者なのかわからない崩壊状態になり、様々な精神的な疾患を生じさせる。
このアイデンティティだが、単に個人の内で完結するものではなく、社会との相互交流の中で、社会に自分自身を位置付けるようにして形成される面も大きい。それは例えば、自分自身を特定の言語と結び付けるとか、特定の国と結び付けるとかして、「自分はこの国の人間だ」というアイデンティティを形成する場合などに起きる。性別もこの関連で扱われる。
この社会には主に二つの性別グループがあって、良し悪しはともかくとしてそれぞれ違う扱いを受け、違う行動傾向を育んでいる。思春期の体の変化に気持ちが追いつかず、いきなり「男」や「女」を期待されて苦痛を覚えた人は多いと思うけれど、そうした人はアイデンティティの確立が始まる時期にまさに自分と性別グループの結び付けという課題の解決に困難を覚えていたのだろう。でも多くの人は思春期を過ごす中で遅かれ早かれ少しずつこの課題を乗り越え、安定した仕方で自分と特定の性別グループを関連付け、その性別の人間としてのアイデンティティを確立する。
gender identityというのはこの話だ。多くの人は青年期にアイデンティティを確立する過程の一部として、葛藤を乗り越えながら自分と特定の性別とを結び付ける自己理解を発現させ、それで心理を安定させる。
性別に関してややこしいのは、こうした青年期の課題としてのアイデンティティの確立とは別に、子供の頃に決められ、周りからの識別に使われるラベルとしても性別が機能している点だ。だから、gender identityの確立は単にアイデンティティを安定させるだけでなく、すでに与えられているラベルに即したアイデンティティ形成を期待されるという面もある。多くの人は多少の葛藤はあれど、これらをいずれも遂行していく。こうして人はシスジェンダーに育っていく。シスジェンダーの中にも葛藤が他の人より長引いたり強かったりする人もいて、そうした人は性別違和に似た感覚を覚えたことのあるシスジェンダーになるのだろう。
けれど、ごく稀に何らかの理由でそれがどうしてもできない人がいる。つまり、性別に関してあらかじめ与えられたラベルに従おうとするといつまで経ってもアイデンティティが拡散し続け、心理的な症状を生じさせる人だ。言い換えると、性別違和を感じる人だ。そうした人の中には、周りから期待される性別と異なる性別に自己を結び付けて初めてアイデンティティが安定する人もいる。ただ、その場合でもそのままでは周囲がそのアイデンティティを承認してくれず、社会と摩擦が生じ続けるし、自分のアイデンティティもその都度疑われて安定しづらくなる。だから、摩擦が生じないように見た目を自分と結びついている性別の人間として周囲に承認されやすいものに変えていくことがある。これがトランスジェンダーだ。
中には、どちらの性別グループとも安定した結び付きを形成できない人もいる。そうした人たちの中には、ノンバイナリーという新しいグループの一員として自己を理解したらアイデンティティが安定する人もいる。
一人の当事者に過ぎない非専門家の素人意見だけど、性自認というのはこういうものだと私は考えている。
この考え方だと、反トランスの右派がトランスを攻撃する中で持ち出してくる「トランスエイジも認めないとならないのか」という議論の馬鹿らしさも見て取れる。特定の年齢や年代であることというのは常に流動的で、青年期における安定したアイデンティティ確立の課題には関わりようがなく、例えば18歳としてのアイデンティティを葛藤を乗り越えて獲得するなどといったことはなされない。なので、そもそもアイデンティティには年齢という要素は入っておらず、それゆえ割り当てられた年齢と年齢自認のギャップなどというものは生じない。性自認を単なる自称に貶めるためのレトリックに過ぎない。
トランスレイスも反トランスのレトリックで頻繁に持ち出されるけど、こちらについては人種アイデンティティのことに詳しくないからよくわからない。ただ、人種が養子とかでなければ多くの場合で親から子へと引き継がれるがゆえに、その家庭の人間としてアイデンティティを形成することとその家庭の人間にはない人種の持ち主としてアイデンティティを形成することが矛盾し、安定したアイデンティティに向かわないとかはあるかもしれない。そうすると、性別の場合と違ってトランスが、不可能かはわからないけどかなり困難になるだろう。
私は思春期から青年期にかけて、本気で自分のことを性同一性障害だと思っていました。
手術や戸籍変更も検討し、就職の際も男性としての就職を希望するつもりでした。
私は女子高育ちで、「世間では女性というだけでこんな不利益があってこんな被害に遭っている!」という話を聞いて、自分が女性であること=そのような不利益を被らねばならないことが我慢できず、自分は本当は男性なのだ、と主張したかっただけでした。
幸い私は身長も高く、筋力もあり、声も低かったため、男性的な格好や振る舞いが自然に受け入れられ、女子校の中では男の子になりたい女の子として受け入れてもらっていました。
しかし、大学に入学し2年がすぎ、周囲の本物の男性の実態を理解していくにつれ、私がなりたかったのは「男性的なかっこよさを持つ人間」「女性であるが故の不利益を被らなくてすむ人生」だったことに気がつきました。
そもそもコスパが悪いのです。トランスであると主張することは。周囲に様々な気遣いをお願いし、就職活動においてもまずもって有利に働くことはありません。他社の些細な言動で傷つき、ああ自分は本当にこの性別なのだろうかと日々自問自答を繰り返します。
少なくとも私は、上記の「男性的なかっこよさを持つ人間」「女性であるが故の不利益を被らなくてすむ人生」を手に入れるためにトランスであると主張していました。私の性転換は目的ではなく手段でした。
そして現在、私は女性としてのかっこよさに磨きをかけるつもりでいます。理想の私(屈強な男性)になることは叶いませんでしたが、理想の女性(美しくて凛々しい女性)を目指しています。自称FtM時代は避けていた化粧やオフショルなどを取り入れて、少しずつ自分の中の男として生きていきたかった気持ちと折り合いをつけています。おしゃれとしての男性装はいまだにしますし、もう少し先に進めたらスカートも履くかもしれません。なぜなら私が綺麗なお姉さんがドレスとか好きだから。
ラフな格好してる時は綺麗なお兄さんに見えて、着飾ってる時は綺麗なお姉さんに見えるくらいの中性具合になりたい。難しいです。
それでさ、両性とか無性とか移り変わる性とかなんなんですか。私も自分はその中のどれなのかなってたくさん悩んだ時期があります。その上で言わせて欲しい。だるい、面倒臭い、両性無性はまだ良いです。移り変わる性(周囲にも理解を求める)の人たち本当になんなんですか!?それはだって両者の利益部分だけ掻っ攫いたいだけにしか聞こえない。その主張が自分の首を絞めているとも知らずに。ましてやトランスエイジに至っては何!?!?!?あれはもう無理だよ無理があるよわけわかんないよ……。
LGBTQとか面倒臭えよ。誰が誰を好きでも放っておいてくれよ(ちなみに私は女性よりのバイセクシャルです)。誰がどんな格好をしようと好き勝手させてくれよ。誰しもが性別を理由に虐げられない社会にしてくれよ。全部に名前つけようとしなくていいよ。分からないものは分からないでいいよ。自分のやりたいことを押し通して他者の権利を侵害するのやめろよ。ましてやそれが性欲によるものなのであればもっとやめろよ。
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・身体違和はありました。自分にちんちんついてないのおかしいや胸が大きくなることに対しての気持ち悪さ。自分が産まれたかった姿は男性です。ただこれも無い物ねだりや単に憧れであると言われて仕舞えばそれまで。
・両性無性揺れ動く性、名前をつけて安心する瞬間は確かにあります。ただそれを声高に私は今日は女だけど明日は男なのでそういう配慮の仕方をしろ!!という人間はだるいだろって話。配慮をしたくないわけではなく、性別違和者に特別な配慮をしなくても性別によって差別されない男女対等な世界を作ろうぜと言っている。
・思春期/厨二病をその当時に指摘されて否定されてもいいや違う私たちはトランスだって言っていたと思う。その時は自分がどうして男性になりたかった(女性を辞めたかった)のかに対する理解をしておらず、ただ「自分は男として生まれたかったのだ」と言う気持ちだけがあった。結局医者に行かなかったからわからないけれど、場合によっては私も性同一性障害の診断書を受けていたのかもしれない。
・どれだけ願っても手に入れられない男性としての屈強さを追い求めるよりも、配られた手札から作り上げられる最強の女性像を目指すことにした。私は美人でかっこよくて凛々しいお姉様が大好きなんですが、身長体型顔立ち的にどうも自分自身で理想のタイプのお姉さんになれそうな感じがある。絶賛模索中。後シンプルに女性装の方が男性装よりもファッションの幅があって楽しい。
最初は自画像で、なんJで発達障害の特徴をとらえた身なりと表情してると話題になって、瞬く間にネットスラングとして定着して、アンフェミソジニーを指す言葉として女も使い始めてる感じ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%BC%E3%82%BA%E7%89%9B%E4%B8%BC_(%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B0)
発端
チー牛と呼ばれるイラストは、もともと2008年に当時高校生であった「いびりょ」[8]が自分をモデルに描き、それを自身のブログに掲載したものであるとされる[9][10][3][11]。
このイラストが作成されてからおよそ10年後の2018年7月19日、ネット掲示板「5ちゃんねる」の「なんでも実況J板」に立てられたスレッド「なんJ 昼のニート無職部 part3」にて「就労移行支援で面白かったのは利用者の若い男が皆同じ顔をしてた事」という本文と共に、「眼鏡をかけた表情の暗い青年が『三色チーズ牛丼[注 1]』を特盛かつ、温玉のトッピングを追加注文する」というイラストが添付された[13]。
301 風吹けば名無し 2018/07/19(木) 17:11:15.64 ID:0V7RAyaFa
就労移行支援で面白かったのは利用者の若い男が皆同じ顔をしてた事
ザ・陰キャって顔
覇気のない抜けた顔
(悪い意味で)童顔
10人いたら8人がそんな顔
https://i.imgur.com/akAJmjk.jpg
人間顔で分かるんやなって
当該コメントの投稿者は、同じスレッドで自身が就労移行支援の利用者で
346 風吹けば名無し 2018/07/19(木) 17:15:12.13 ID:0V7RAyaFa
就労移行支援は発達ガイジ[注 2]しか使えない場所だけど利用者は本当に皆こんな顔してた
若い男の8割はこれや
分かるでこれ...
親戚の子です。
家でゲーム三昧なのを見かねた母親が、「あんた、絵が好きでしょう」という理由で、マンガ専門学校を勧めて入学。
「マンガ専門学校も退学するのでは」という親戚中の懸念をよそに、無事卒業する。
以後、働かずに、甘やかしてくれる祖父母の家にいる。
たまに、絵を描いている。
ものすごい描き込み量のベルセルクみたいな一枚絵を、何時間、何日もかけて描いている。
「漫画家志望者の9割は、マンガを完成させたことがないらしいよ」と言うと、当人いわく、専門学校の卒業制作でマンガを描いたらしい。
「黒歴史」と言うので、「ジャンルは何?学園ものとかSFとかギャグとか」と聞くと、絶句して固まってしまう。
見せてくれるはずがないので、「見せて」とも言ったことはない。
増田は、彼がいつも描いている人外のイラストを、何枚か集めてごまかしたのではないかと疑っている。
デジタルは、フリーズしたりするとわからないと言って、アナログ派のようだ。
トーンは、使わないと言っていた。
専門学校の卒業制作は、アナログで描いて、ペン入れはデジタルでしたそうだ。
専門学校としても、お金をかけて、トーンなど買い揃えたくないのだろう。
そうすると、彼は、アナログで、ペン入れをした経験がないことになる。
彼には、とっておきのネタがある。
両親は、いない。
ある日、初めて家の外に出ると、あたりは、一面の海だった。
お世話ロボットいわく、母は生きていて、海底で待っているという。
ここから、海を探検する、海洋ファンタジーアドベンチャーが始まる。
彼いわく、世の中のどこにもないストーリーで、描く人がいないから自分が描くのだそうだ。
ネタのオリジナリティはあるのかもしれないが、人の感動を生むのは、人と人とのドラマだと思う。
人物を登場させにくいと、人間ドラマを描く難易度が上がるのではないが。
彼は、このネタを、世界で唯一のジャンルと称しており、他のマンガ家に嫉妬することはないらしい。売れた新人も、「ジャンルが違うから関係ない」そうだ。
ほっておくと、30分でも1時間でも終わらない。
いわく「素人のマンガは読まない」そうだ。マンガを1作品も完成させたことがないが、ジャンプルーキー作者より、上のつもりのようだ。
いわく「簡単に連載できるマンガは読まない」そうだ。マンガを1作品も完成させたことがない(以下略)。
1月に、彼に、「今年デビューできる可能性はどれくらい?」と聞くと、控えめに言っておくかという様子で「10%」と答えたので、仰天した。
原稿用紙も買ってないし、1作品どころか、1コマも描いてないのに、どうやってデビューするつもりなのか。
漫画賞に応募しないのか、と聞くと、「編集者の主観で評価されるから嫌」とのことだった。
「編集者の主観」も何も、応募経験も、作品完成もしたことがないのに、何で今から編集者に不信感を持っているのか。
応募も持ち込みもしないで、どうやってデビューするつもりなのか。
最近は、Twitterでバズれば、出版の可能性もあるが、繰り返すが、マンガを1作品も完成させる様子がない。
彼いわく、マンガ家は、「大金がゲットできる」、「「青天井」の仕事だそうだ。
売れている人は、そうかもしれないが、彼がマンガで1円でも稼ぐ可能性は、ほぼゼロだろう。
彼に、「バイトでもしないのか」と聞くと、「働かなくていいうちは働かない」という。
「働かなくていい」というか、祖父母に生活費を払ってもらっているだけなのだが。
床屋も行かず、ひげもそらず、「描かないマンガ家」(えりちん)の、専門学校卒業後の主人公、器根田刃みたいな見た目に、本当になっている。
えりちん先生がイメージした、「自宅に閉じこもりマンガを描くと称して描かないマンガ家志望者」に、現実が追いついたかのようだ。
彼は、高校を中退したことからもわかるように、ドロップアウト耐性が非常に高い。
働きもせず、マンガもまともに描かない現状に、まったく危機感はないようだ。
30歳、40歳になっても、今とまったく同じことをしていても、驚かないと思う(祖父母が死んでいると思うが)。
自分の手元で育てているならともかく、自分の死にかけているような親のもとに、無職の息子をやっといて、これである。
お金を送ることもなければ、気にして連絡することもない。
おそらく、この母親の血を、彼は強く受け継いでいるだろう。
彼いわく「パパは俺に敬語を使う」そうだ。
「オメーは」などと呼ぶこともある。