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2021-05-08

オリンピック選手批判は本当に間違っているのか?

最初に断っておく。

今回の主題は「オリンピックを開催するべきか?」ではない。

いや、私はオリンピック開催には否定的なのだが、言いたいのはそこじゃない。

ここでは「オリンピック道義的問題があるときアスリート批判は間違っているのか?」について話す。

下衆の極み俺ら

池江選手ツイッターに長文を投稿したこと話題になった。

どうやら池江選手に「五輪出場を辞退して欲しい」とか「五輪開催に反対して欲しい」というリプライが届いて戸惑ったらしい。

おーけーおーけー。そりゃ確かに戸惑うだろう。

簡単に「じゃあ五輪辞退します!」とはできない。それだけ選手は多くのものを背負っているからだ。

この話題に対して俺らのアルピニスト 野口健が次のような投稿をした。



『下 衆 の 極 み』

凄まじい表現だ。普通は血の通う人間に向かってこんな言葉をチョイスしない。

アルピニストの強い怒りが感じられる御ツイートだが、ちょっと待って欲しい。

本当に五輪開催の有無についてアスリート意見を求めてはいけないのだろうか?

というかアスリート五輪開催について社会的責任を負うのではないだろうか?

少し考えていこう。

抗議のために試合を辞退した大阪なおみ選手

今回の報道を受けて思い出したのは昨年のW&Sオープンを辞退した大阪なおみ選手

彼女人種差別に抗議するために試合を辞退し、これを受けた大会側が正式人種差別に抗議することで一件落着となった。

当時も散々議論になった大阪選手のこの行動について強調しておきたいことが2つある。

ひとつは、これは大阪選手だけでなくバスケ野球など多くのスポーツ同時多発的に起きたムーブメントであること。

そしてもうひとつは、別に大会主催者人種差別を行ったわけではないということだ。

まり大阪選手を含むアスリートたちは「大会人種差別への抗議声明を出さないのは道義に反する」と考え行動を起こしたのだ。

もう少し視野を広げてスポーツの外も見てみると、このような話はたくさん出てくることがわかる。

例えば今年の3月に、グラミー賞会長女性蔑視発言人種差別的な審査基準理由に、3組のアーティストグラミー賞ノミネートを辞退した。

(元会長女性蔑視発言ときいて何かを思い出さずにはいられない)

主催者側に道義的問題があるとき参加者がその問題について黙っていていいのだろうか?

少なくとも海外アスリートアーティストは「No」だと答えるだろう。

沈黙したまま大会に参加するのは道義的問題肯定していると考えるからだ。

感染拡大におけるアスリート責任は?

森前会長が辞めたことで、女性差別という問題は(建前上の)解決となった。

寒々しい解決ではあるが解決解決。これで五輪に参加するアスリート差別加担者の誹りを免れることができた。

ならこれで万事OKだろうか?もちろんそうではない。

いま問題になっているのは五輪開催による感染拡大、つまり大会主催者側の人命軽視の姿勢

この感染拡大問題アスリートにとってより直接的な道義的責任が発生する。

なぜなら人々はあなたたちアスリート応援するために密になり、感染が拡大し、人が死ぬからだ。

アスリートはそのことをわかっているはずだ。わかっていて、しかし見てみぬふりをしながら大会に参加する。

そして、人が死ぬ

もちろんそうはならないかもしれない。

五輪開催時にはコロナはすっかり収まっていて、みんなで肩組んで国歌を歌いながら応援するかもしれない。

だがそんな馬鹿げた楽観論で行動するようならアスリート失格だと言わざるを得ない。

そもそもアスリートのための大会なはず

いまはすっかり寒々しい響きになってしまったが、五輪は「アスリートファーストである

建前上は頑張るアスリートのために五輪は開かれるのだ。

アスリートのための大会なのに、アスリート五輪開催について意見を求めるのが"下衆の極み"なのだろうか?

いつからアスリートはそんな特権的職業になったのだろう?

まだ幼い高校野球青年ならいざ知らず、いい大人自分の行動によって与える社会的影響について無知でいていいはずがない。

五輪あなたたちアスリートのために開催されるイベントだ。

そしてあなたたちアスリートには、海外アスリートがそう示したように、大会主催者を動かすだけの影響力がある。

その責任と影響力を認識しておきながら「自分たちはただ競技に集中するだけです」という態度は許されて、

アスリートにその影響力を行使して欲しいと願うことは"下衆の極み"なのだろうか?

私は"下衆の極み"だと切り捨てられた人々の気持ちがわかる。

もうすぐ90歳になる私の祖母はい東京に住んでいる。その東京にいま五輪という名の変異フェスがやってこようとしている。

それをなんとかして阻止したい。その気持ちが私には痛いほどわかる。

オリンピックは聖域

言いたいことは大体言ったので少し感情的なことを書き殴る。

ここまで読んでくれてありがとう。以下は読まないでもいいよ。

オリンピックのむかつきポイントは多すぎて何から言っていいかからないが、

ひとつには「オリンピックを聖域にしていること」が挙げられると思う。

私たちはこれまでどれほど「オリンピックから」と我慢を強いられてきたのだろうか。

オリンピックから」の一言で我々は楽しみを奪われ、ただ働きさせられ、汚職利権沈黙させられ、そしていま命までもが軽んじられている。

オリンピックを聖域にした結果がこれだ。

そして野口健の「最もやってはいけないのはアスリートにその刃を向けること」という発言も、その聖域の延長にあると私は考える。

はっきりいって、これがオリンピックでなかったら多くの選手が声を上げていたはずだ。

しかオリンピックからオリンピック特別しかたのないことだからアスリートは人命軽視にすら抗議しない。

それどころかオリンピック選手までもを聖域化して、それを批判する行為を"下衆の極み"だと断ずる。

アスリートがなぜそんな特権的地位にあるのか私は理解に苦しむ。

頑張っているから?頑張っていれば批判されない特権を得るのか?

ちがう。

アスリート経験的に、頑張ってさえいれば自分批判されにくいことを知っているのだ。

批判されないか五輪道義的問題があっても目を瞑る。

どうせ日本人馬鹿から始まってしまえば感動して自分たちを称賛するだろうとわかっているのだ。

だが、少なくとも私は、もしも五輪開催によって私の大切な人の命が失われたら、全てのアスリート軽蔑スポーツを強く憎むだろう。

追記(5月10日

読んでくれて、そしてコメントをくれてありがとう

上記文章最後に「全てのアスリート軽蔑スポーツを強く憎む」と書いたせいか

スポーツマンvsスポーツ苦手マンといった構図のコメントがついてしまった。

やっぱ軽率な書き方をすると良くないね反省

この構図は、当然ながら私が意図したものとは違う。

個人の話をするならスポーツは好きだ。素朴に体を動かすことを楽しいと感じる。

ではなく、私が言いたいのは「見る人に元気を与える」という名目の元で行われている産業スポーツ

それらスポーツに関わる者は本当に批判してはならない聖域なのだろうか?ということだ。

個人スポーツ好きだろうが嫌いだろうがそんなことはどうでもいい。

私は、普段は「見る人に元気を与えたい」などと吹聴しているアスリート

元気以外に与える自分の影響力には無関心であることを、たまらなく気持ち悪いと感じるのだ。

2021-05-03

anond:20210503120125

指輪物語赤本)は中学から読み始めて、何度も中断して高校でなんとか読み終わった。当時D&D新和版)にハマっていたので、必読本だと思って。

まあ印象としては同意

ただ20年後リン・カーター著の完全読本(旧題:トールキン世界)という考察本を読んで、すべての固有名詞神話民話から元ネタがあるのではと知って驚愕した。フロドビルボバギンズ名前もそれらからだったはず。

ストライダーも該当する日本語がなくて、普通に訳すと「足早に大股で歩く人」なんだよね。馳夫というのも子供のころはくそダサいと思っていたけど、大人になってみると良訳だと思う。つらぬき丸も当時は勘弁してくれと思ったけど、元がStingスティング:刺す)なんだよな。いま訳されるならただの「つらぬき」なんだろか。刀剣M:TGに詳しい人に当てて欲しい。

ドラゴンランス戦記は自分にはダメだったなぁ。。。若き冒険者のころを過ぎて、因縁やら呪いやらに囚われてる30代前後おっさんおばさんの話が、なんで中高生面白く感じられるのよと思っていたんだけど、50代になった今なら若き青年たちと思って読めるかもしれん。

2021-04-30

anond:20210430090021

1958年か。俺らが子供の頃だから、つい最近だったな。すまん。

インディアン うそつかない」、

元々は、アメリカテレビ映画日本では1958年から放送の「ローンレンジャー」の中でのセリフです。

主人公白人ローン・レンジャー悪者をやっつける内容なんですが、相棒インディアン青年・トントが白人が嘘ばかりつく悪者が多いので『インディアン うそつかない』というセリフを毎週言うシーンがあり、このセリフ日本中で流行言葉になったんです。

テレビ番組笑点”で円楽さんもよく使ってました。

CMについては、

http://www.tokyo-nazo.net/monami/log/20050511.html

2021-04-20

anond:20210420101223

忘れないうちにちょっとだけ追記すると、

ファーストガンダムアムロと対になる女性フラウ・ボウからセイラ・マスに変わる話なんだよね

自分ガンダム再放送か再々放送世代のはずなのだけど、

子供の頃にテレビ劇場版も観ていたはずなのに、このへんのことをまったく理解できていなかったみたいで、

成人近くになって改めて観たとき、あー、そうだったのかー、そういう話だったのかー、と感心したりした

あと、富野氏の小説を読むべきだったのかもしれない

フラウ・ボウって命名元ネタは当然ボウフラなのだろう、

酷いネーミングだなあとずっと思ってたのだけど、劇場版だけなんだろうか、

最近もガンチャンでファーストの二作目と三作目は観てしまったのだけど、

フラウはもう自分ニュータイプとして覚醒したアムロと不釣り合いなことを自覚していて、

アムロよりハヤトとの会話を楽しむようになっていることをカイが皮肉を言ってゲラゲラ嘲笑し、

セイラに叱られるといういつものパターンなわけだけど、

台詞で明確に、アムロにはセイラさんがいるでしょ?みたいなのがあったんだったかな…、

どんどんアムロに置いて行かれてる感じがするみたいな台詞があったと思う

アムロ・レイという少年青年大人になる、自立する、父殺し、母殺しがファーストテーマの一つだったはずなのだけど、

成長と共に付き合うべき異性も変わる、という話を含んだガンダムってやっぱりスゴかったんだと思う

というか、庵野氏は学生時代女性に「ガンダムって知ってる?」みたいにいきなり話しかけたんだったか

しかしながら、庵野氏は不思議あんまりガンダムについて語らないんだよなあ

宇宙戦艦ヤマトウルトラマン仮面ライダー富野作品イデオン

オタク教養として当然ガンダムは観ているはずではあるのだけど、あんまり語ってるのを知らない

なんとなく思ってたのだけど、意外と内心では一番ファーストガンダムライバル視しているのではないか

と思っていたら、最近エヴァイベントだったか

観客に感謝を述べられる最後の機会になるかもしれないから、みたいに思ったとかで、

その席でたしかロボットアニメとして、とかガンダム名前ちょっと出てきた覚えがあるのだけど、

エヴァガンダム全然違うようなストーリーではあるのだけど、

意外と内心では対ガンダムというか、俺ならガンダムはこうやるのにな、みたいな話だったりして、

とずっと前から思ってたのだけど、意外とそうだったりするのだろうか

まりマリセイラ役割アスカがフラウになってしまうわけだけど、

ドイツ人女性記事でも、アスカ可哀想と書いていたけど、こうなるともっと可愛そうではある

でも、セイラって自立した女性って感じだし、アムロと籍を入れるという感じではないし、

実際にそうでないのはZガンダムを観ても明らかなわけで、

まあでも、オリジナルアスカは旧劇で惨めに死んだのかもしれないし、

当然、フィクションシンジ主人公なのだから物語主人公が優先されるのは当然であって、

シンジアムロみたいに覚醒するより、いつまでもグチグチしているタイプではあるわけだけど、

親離れしてみたらアスカが不釣り合いになっていて…、

みたいな異性関係の変遷は現実でもあながち間違ってない気がする

なんにせよ、庵野氏がなのか、エヴァ最初から最後まで非常に屈折した話だったので、

多分、今回の映画がそのぐにゃぐにゃになった身体を徹底的に矯正してしまうのだろうけど、

何分屈折しているので、ラストアスカと結ばれて、おめでとう!なんてやるかバーカ!

みたいに庵野氏は内心思っていただろうと思われるので、

あんなことになって、あー、やっちゃったー、な感じになってしまったわけだけど、

でも、新劇CGを全面採用するだけでなく、何か仕掛けてくるんだろうなあとは思っていた

俺妹ラストは終わらせない話にしているわけだけど、

エヴァは終わらせる、今度こそ終わらせる、という信念で作っていたと思われるので、

当然、最後シンジは誰かと結ばれる、

しかしながら、アスカは旧劇でもう役目を終えてしまっているので、誰か別のキャラがいいなあ、

自分だったら考えると思う

考えると思うが、うん、言われてみれば新キャラってマリしかいないわけだけど、

観客から見れば本当に泥棒猫とでもいうか、高速道路の合流で強引に入ってこられたような、

そんな感じが否めないのが自分の正直な気持ちではある

ではあるが、いきあたりばったりであれ、物語の進行上、

今度こそアスカ役割を担う、アスカとは別の新キャラを登場させたい

から、多分新劇ではなく、もう一度テレビシリーズエヴァをやるとすれば、

マリ存在感ちゃん表現できたのかもしれないけど、映画数本でやるとなるとああなるわな…

あと、安野モヨコ氏がモデルかはともかく、庵野氏が老いたというか、

現実世界はね、理想的恋愛なんてありえないんですよ、

みたいに思ったのか知らんけど、まあ、そんな感じでアスカを外したかったんだろうなあと

から俺妹と違って、シンエヴァは終わらせるための物語なので、

続編を作るとしたらシンジ中年になって離婚を考えるようになったりした矢先、

街中でばったり式波の方のアスカ出会ってしまい、

そこから不倫に発展して、ある日マリに目撃されて修羅場になり、

でも、中年になってもボクだって男性なんだし、幸せを探す権利だってあるよね、

みたいな開き直りを言い出したりすることになるわけで、

こういうのを、現実から逃げてない、と仰っているようにも思えたのだけど、

庵野氏に言いたいのは、

うん、そうなんだけど、そうなんだけどさ…、

それでも現実逃避の場所としてのフィクションも忘れないでね、とかえって思ってしまうのでした

でも、銃とかメカとか兵器描写にはリアリティを求めるのに、物語内の男女関係リアリティ求めないのはおかしいよね!

とか言われると、自分もぐうの音も出ないのでした

あ、ずっと出掛かっていた表現が出た

まりアスカかませ犬だったということになるんだよなあ

最初からそうだったかは知らんけど

2021-04-16

弱者男性問題本質気づいちゃった 「2000年代ネットオタク文化」というカルトに騙されてた方々がやっと正気になっただけなんじゃ・・・

というのも当時は

惨事より二次」「オタク趣味さえあれば一生楽しい」「結婚人生墓場」「リア充爆発しろ

とかのネットミーム全盛期だったよね 

アニメさえあれば何もいらない! ミクさんが世界を変える! ○○は俺の嫁!」

こんな感じで、さも自分常識を超越したかのような万能感に浸ってたのが当時の若かりしオタク

ネットと言う人類最強のオモチャを得てしまったのもそれを助長したんだろう  

 

あいキワモノ言説にのせられて、ちょうど盛りのついた青年期を棒に振り

一般人m9(^Д^)プギャー」のコースから自ら逸れてった男が

今、何にも属してない30~40代になってめっちゃ焦りつつ

ネットオタク文化って言うカルト集団意識に騙されてたのを認めたくないが故に

リア充や他の家庭に責任押し付けてる っていうのが事の真相だと思う 

 

要はアニメオタクというちょっとした「カルト宗教の瓦解」が始まってんのよ 

 

コロナによるコミケ中止、ネトフリがアニメを変えられなかった失望中国には敵わなかったよ感

シンエヴァで再提示された「オタク現実に帰れ」論 ARVRによる現実逃避の限界

Vtuberの勃興、中年危機への一歩手前、歳を取ることによる熱意の喪失挙句フェミとの全面戦争

複合要因でアニメへのアイデンティティを次第に失いつつある無生産オタクたちが

弱者男性論とかいトンデモを振りかざして

ポリコレだなんだと仮想敵を作り上げ、自分たちが勝手に嫌ってきた存在

勝手に恩を擦り付けて今更青春を取り戻そうとしてるというのが現状

2021-04-15

boy next doorて青年よ新しい世界へ飛び出せみたいな意味かと思ってたら

近所にいそうな平凡な男って意味だったわ

2021-04-14

はぁ明日Web会議かはぁ

定時帰りになったのはいいけど、帰ったらこ時間までノンストップ配偶者愚痴よ。そんな嫌ならやめればいいのに。辞めたら生活がどうのこうの、次の仕事がどうのこうの、毎日まいにちまーいにっち、ずっーとこれ。いや、たまに止む時もあったか。辞める選択肢がある人は羨ましい。

はあ、私の愚痴はついぞ聞いてもらえなかったけど、明日は社外とのweb会議があるんだわ、要領得ない会話で神経をすり減らしてアホらしい。

マンガ青年少女よ、春を貪れ」の中で既婚の女性が、昔の友達の「早く結婚するのか夢」的なセリフを思い出して、「ほんまにこんなもんが夢やったん」って言うシーンがあるけど、ほんそれ!って思った。

人は簡単に別れろって言うけど、別れるのにもかなりの踏ん切りと体力がいるし(前述のマンガ女性は別れた方がいいと思うけど)、なによりそんな気力はない。とりあえず、もうそろそろ寝ないと。そして、また明日が来る。嫌いな仕事に塗りつぶされた明日がくる。

鬼滅の刃と774氏の作品共通点

鬼滅の刃を見た時に、成程これは面白いなと思った。確かに元ネタ」のジャンプ作品がうっすらと浮かんでくる。ブリーチDグレ等々。

しかしそれらの元ネタを上手く咀嚼し、作品として限りなく上質なもの昇華していく。

鬼滅の刃に影響されてこれから名作が生まれるとは思わないが、

鬼滅の刃成熟した漫画社会の一つの到達点であり、また「折り返し地点」であると思う。無駄な引き延ばしも無く、テーマも一貫している。

しかし読んでいるうちに、「臭さ」を感じるようになった。この作品非凡たらしめる、隠し味ともいえるし、人によっては嫌う要素になりうる。

この作品は明らかに、「少年青年悲劇的・悲惨な結末を迎える事に性的に興奮を感じる人種が書いてる」という事。

作品における人気キャラの一つ一つの死が、異常に丁寧に、美化されて書かれている。煉獄さんの死も一つの映画化に耐えうる話だし、正直他の柱が死ぬ話も

一つ一つが丁寧に、劇的に描かれている。異様にフェティッシュなのだ技術ではない、どこか「一歩向こう側」をかんじる。

グロ系や胸糞系の作家さんは、主にそういうもの性的な興奮を得る人間に集められている事も多い、鬼滅の刃も同じような感覚がする。

グロ系や胸糞系の作家さんは、性的な部分を抜いてみても面白い人が多い。人は作品を描く時、どうしても「ストレス」を避けようとしてしまう。それは発想の時点で思考に絡みつき

話を平凡で安易ものにしてしまうのだ。常人は「女の子が切り刻まれて恐怖を感じる部分」に対して共感から逃げてしまう。

そういう部分に彼らは「性欲」という鍵でアクセスすることが出来るのだ。

774氏の作品長瀞さん」なんかが、妙に生々しくドSティックで心をくすぐるのはその「アクセス」が出来るからだと思う。

恐らく常人なら鬼滅の刃青年少年をどんどん死んでいくのに耐えられない。耐えられないからこそ我々は「名作だ」と思う。

最強の力を得る代わりに寿命が25歳で終わるという設定を人気キャラ全員に、最後普通持っていけるだろうか?明らかに結婚して幸せになれるようなキャラクターに、「名誉の死」を与えられるだろうか。

鬼滅の刃の作者は明らかに、そういう「アクセスできる人種」の臭いを感じる。

考えすぎだ、と言われるかもしれないが、今までの短くはない創作人生漫画を娯楽にしてきた者の視点として、違う意味の「感動ポルノ」に鬼滅の刃が見えてならない。

2021-04-13

anond:20210411162609

エロゲエロ漫画は文量も客層も楽しみ方も違うよ

エロ漫画はだいたいが18Pくらいの短編ボリュームの9割くらいがエロ

稀に単行本1冊の長編があるけど、ストーリーメインにしたエロ漫画ほとんどない

(というかストーリーメインにするならエロ描写可能青年向けに行く)

広げるような関係性がないか2次創作も盛り上がらないんだよ

2021-04-09

中二病という言葉が少し苦手だ

この言葉は昔から苦手である

他人の楽しみを茶化すような言葉であり、問題矮小化をしている言葉であるからだ。

それが邪王炎殺黒龍波とかの方面なら、まあ、いいと思う。

ただ「この悩みは私にしかからない!」とか「他人のことが理解できない」って方面まで茶化すのは何か違う気がするのである

最近の話だが私はすこし人とは違うことがわかった。

私は精神障害だったのだ。

これまで私はごく一般的青年だと思っていた。

考え方も行動も、どれも一般範囲内で私のような悩みは誰でも抱いているよくある人間だと考えていた。

それについて悩みもしなかった。だがそうではなかったらしいのだ。

医者様曰く私のような人は100人に1人か2人はいるらしい。

要するにたくさんのたくさんの人間に接しないかぎり、自分と同じような人間とは接することができないのである

特別人間だとは考えていない。1万いれば100人もいる。1憶いれば100万はいる。

限定品だと考えたら明らかに作りすぎである

ついでに言えばプラス方面に働くといいのだが、マイナスばかりが働く特別だ。心の底からこんな特別は払い下げたい。

だがレアといえばレア精神性だったらしい。

私は私の考えは誰にもわからないと、少しぐらいはいってもよかったのである

もういっそこのレア精神とやらをアイデンティティしてやろうか、此畜生が。

診断を受けた1、2か月は落ち込んだが最近は気にしないことを心掛けている

いまは漫画主人公のように人とは違う部分があるらしいこの性格を生かせるような仕事に就くべく、ひたすら学習である

漫画バイブルなのはよくあることだよねと筆を置く

anond:20210409115332

は?

痴漢小学生から老人まで様々タイプがいるが?

気弱な様子の陰キャサラリーマンらしいのもいれば高そうなスーツ着た青年中年老人。競馬場かにいそうな老人。大学生?みたいなチャラチャラした格好の奴、草臥れたスーツ中年、半ズボンキャップ小学生ボンタン作業ズボン職人ふう、ナンパ空振りしてる美容師ふうとか痩せてる方のキモオタみたいのだの、背格好職業年齢の偏りはない。極端に容姿が劣る人物はいなかったように思う。勿論見ることができた、記憶にある限りではあるが。自分一人の体験でもこれだけ特徴に偏りがない。

また、お手軽に繰り返してるのは都会と近隣在住の電車通勤の奴だろう。

見た目で区別なんかつくわけねえし、強者男性なんて括りもできやしねえよ 

性犯罪子供もするし地位財産のある奴もボケた老人だってやるんだよ

2021-04-08

性癖矯正したい

ケモナーショタコンデブ専ガチムチホモ所謂ゲイ向け)を併発している。何となく、どれか1つが好きな人は芋づる式に他の性癖も持ってるイメージがあるんだけど、何でだろう。自分がそうだから主語デカいだけかもしれない。ちなみに自分場合ロリコンではないし、ズーフィリアでもない。等身は比較的高めの方が好き。ショタコンは昔はそうでもなかったんだけど、なんか最近強まってきた。マズい気がする。メスケモにはあんまり興味無い。でも最近ツイッターで見たプッシーキャット先生は良かった。ポケモンにもあまり興味無い。なんとなく違う分野な気がする。雰囲気しか捉えてないから同じ分野かも。あとなんとなくケモナー及び下記芋づる式性癖持ちって男性の方が多い気がする。

性癖はなんかもうそういうもんだし、病気とはまた違うし、しょうがないって思ってるけど、なおしたいな〜って思うことが正直ある。いや別に誰に迷惑かけてる訳じゃないか別に良いのかもしれないけど(他人迷惑掛けたり、犯罪に手を染めるのは論外)。性癖フォロワー含めて誰にも全部を晒したことは無い。いやそれっぽいことは多分言ってしまってるから察されてる気はするけど。デブ専はまだ言えてないと思う。何となく自分から明言するのに抵抗がある。ニッチ趣味(笑)って小馬鹿にされる可能性があるのが嫌なのかもしれない。

そっちの性癖アカウント作って似た趣味の人と話すのが1番良いのかな〜って思うけど、自分性癖に引け目感じてる内は互いにとって良い結果にならなさそうだから今はやめておこ〜!いつか自分性癖と折り合いが付けられると良いな。犯罪には手を染めない。

やや後ろめたい気持ちがあるのは本当だけど、それはそうとして好きな物は好き。人ケモノわず肉付きが良い方が好き。あと色々思い出しててイヌ科というかオオカミ系がメチャクチャ好きなんやな〜って改めて思った。良いキャラが居たら知りたい。別にケモノじゃなくても、ショタとかデブとかガタイ良いオッサンでも良い。あとCV.大塚明夫問答無用で好きになってしまう。

ショタショタっていう大きな枠組みの中でも趣味が分かれると思うけど、小生意気キャラコロコロコミックに出演出来そうな元気な子が好き。可愛いからショタと言うには育ちすぎてるけど、ヒプノシスマイク山田三男は正直本当にメチャクチャ可愛い。今期のスケボーアニメにもなんか似た可愛い子いなかったっけ?デ……ニー映画に出てくるキャラ最近凄い好き。ヒロとかミゲルとかマウイとか。

・BNA

最近アニメだとBNAは良かった。大神士郎系統デザイン王道にして頂点。やっぱり狼はかっこいいね〜ってことで獣人形態はもちろん、人間形態デザインも良い。真っ当にかっこいいのにそこはかとなく可愛さすら感じる。

デカダンス

カブラギが格好良すぎるしナツメメチャクチャ可愛いからオススメ自分は基本ケモノしか興味がなくてモンスター娘だったりロボは趣味範囲外だったんだけど、ロボの良さを知るキッカケには間違いなくなったと思う。

BEASTARS

BEASTARSは何故か自分琴線特別触れるキャラはいなかった。でもストーリーはすごい好きだったから読んでよかったな〜って思う。アニメより漫画の方が好きだった。1番かっこいいのはゴウヒン先生だと思う。

メイドインアビス

メイドインアビス純粋メチャクチャ面白い自分場合ロリコンではないので素直に漫画として楽しんでる。でもレグはやっぱ可愛いな〜って思うしワズキャンが中々クる。

・異種族レビュアー

タンクが凄い良い。あと一々列挙する訳にもいかないけどお店の女の子がみんな可愛すぎる。あんだけ色んなお店描いてたら絶対1人は好きな子見つかる。でも自分は何やかんメイドリーに落ち着く。

スマイルプリキュア

ウルフルンもよく名前挙げられるよね。プリキュア全然通ってこなかったんだけど初代(世代)とハートキャッチOPが好き)とスマプリ(キャラが良い)だけ少し知ってる。アカオーニもかなり好きな顔してる。欲を言えばウルフルンはもう少し肉付き良くてもいい。スタイリッシュ。でも全然詳しくないかスマプリちゃんと見るべきかもしれない。あと今期のプリキュアも気になる。プリキュアがみんな凄い可愛いキャラデザでいえば歴代で1番好きかも。

FGO

FGO、第2部1章大好き。パツシィ本当に良かった。遺影礼装も最高。キャラデザした人は天才馬鹿って分かっててストガチャ引き続けてるのに未だに限凸出来ない。1番好きなストーリー何?って聞かれたらずっと第2部1章って言い続けてるかもしれない。ミノタウロスとパツシィの2本柱で勝てる。東出先生憶測)と趣味が凄い合うのかもしれない。1部3章も新宿も好きだからです。新アヴェの絆礼装バレンタイン本当に良かった。大好き〜。アステリオスくんはモーション変更と共にもう少しマイルームで喋ってくれるようになると嬉しい。本当に可愛いからです。

逆転裁判

これは別にケモ要素は無い。逆転シリーズは魅力的なキャラが多すぎる。特に好きなのは「逆転のトノサマン」に出てくる大滝 九太少年段ボールに乗って証言台に立つ、三白眼が可愛すぎる子。とにかく喋り1つ1つと喜怒哀楽すべての表情が可愛すぎる。本当に有り得ないくら可愛い。好きなキャラは他にも沢山いる。我らがイトノコ刑事こと糸鋸 圭介。可愛さと格好良さを兼ね備えている奇跡存在基本的には可愛いんだけど決める時には決めてくれるから狡い。あのゴツさと男臭さが大好き。ミサイル(すごいかわいい犬)と一緒に並ぶとつぶらな目が4つあって混乱する。かわい〜。「蘇る逆転」に出てくる巌徒局長。こんな可愛いオッサンが居てたまるか〜い。あーーこえーーって思うけどでもやっぱ可愛い。「検事」だと狼士龍と弓彦が好き。後者はほぼショタ。昔はゴドー検事が好きだったんだけど、今は疚しい気持ち抜きで好きだ。純粋に格好良すぎる。

テイルズ・オブ・ザ・テンペスト

テイルズテンペストしかやった事ないです。小学生の時にやった、確か。大人になって酷評されてるの知ってちょっとショックだった。思い出補正と他のシリーズプレイしてないからかもしれない。そうねって感じだけど当然カイウスとフォレストが好き。カイウスは獣人体の時の方が好きだけど、フォレスト人間体のときもかっこよくて好き。DS死んだからほぼ記憶が失せてる。リメイク待ってます

ムーンナイトワンダーランド

児童書。この前ふと思い出して検索したけど4巻で止まってて辛かった。また読みたい。主人公ランがとにかく可愛いしかも返信した姿が銀毛の狼。ズルい。格好良すぎる。また読みたい。藤咲先生お願いします……(届かない願い)しかし本当に三つ子の魂百までって感じ。性癖が昔から変わらなさすぎる。

かいけつゾロリ

正味ゾロリ先生から始まった人はかなり多いと思う。だってメチャクチャ格好良い。自分自身、性癖の根源はしっかりとは覚えてないけど、ゾロリ先生可能性はかなり高いんじゃないかな。原作も夢いっぱいですごい楽しかったんだけどアニメ作画ガチで格好良すぎる。女児期はヒロインポジキャラクターに嫉妬すらしてた気がする。ガオンとかあと新アニメビートくんとかもいるけど、やっぱりゾロリ先生の格好良さは1人だけ突き抜けてると思う。アニメ2期楽しみ〜。

ポケモン

剣盾からマクワくん、ポケモンレンジャーバトナージからロウピンポイント過ぎてなんか恥ずかしくなってきた。

細田守作品

誰かヒロインノルマ大衆受けノルマ細田守から奪って欲しい。本当に細田守と男の趣味が合いすぎるから本当に細田守の好みの男しか出てこない映画が見たい。正直映画としての面白さでいうとここ最近は奮ってない印象が拭いきれないけど、男の趣味が合いすぎて全てを打ち消してくれる。未来のミライは駄目。バケモノの子の前半部分だけ永遠に流してたい。特に好きなキャラは、サマーウォーズからだと佳主馬、キングカズマ。昔は侘助おじさんも好きだった。今はどちらかというとラブマシーンの方が気になる。昔サマーウォーズ小説読んで佳主馬と女の子ちょっとスケベなシーンがあってドキドキしたのを覚えてる。あれ本当に児童書で良かった?詳しく覚えてないけど。おおかみこどもではホームラン級は居なかった。強いて言うなら、雨雪のお父さんと、隣だか裏の家だかの爺さん。あと雪の同級生の子も悪くない。思い出してみるとヒット級くらいなら居たわ。バケモノの子が強かった。熊徹と九太が本気で好みすぎる。この2人はストーリーも強かった。師弟家族になっていくまでの過程が良すぎる。類似語としてダレン・シャンの赤師弟が挙げられます自分は九太少年期の方が好きだけど、だからといって青年期が全てダメって訳ではなくて、九太が家を出ていくと言った時の熊徹の狼狽ぶりが本当に完璧で良かった。あの一点だけで成長した価値がある。不器用な男は良い。

細田守作品、思い出したように挟まれヒロインのシーンでつい笑ってしまう。興味無いのもう少し上手く隠せないのか?

借りぐらしのアリエッティ

アリエッティのパパとスピナーが良すぎる。アリエッティは曲も良い。スピナーは出番少ないのは否めないけど、顔は勿論藤原竜也氏の声優が好きだった。藤原竜也氏繋がりで行くとカイジを初めとした福本作品も概ね好き。

放サモは何となく最後の手段感あってまだ手を出せていない。正直本当に好きそうなキャラしかいないけど本当に引き返せなくなる気がする。

性癖なおしたいな〜とか言ってたけどなんか列挙してたら無理な気がしてきた。

この手の良いキャラが居たら教えて欲しいです。ついでにPSストアが死ぬのでやっといた方が良いvitaソフトがあったらそれも知りたい。

これから犯罪は犯しません。

2021-04-07

KKOのどれか欠けていればセーフなのか?

普通容姿の金のないオッサン

キモくて年収450万のオッサン

キモくて金のない青年

どれが一番不幸なのか

2021-04-05

anond:20210405135955

外国エデュケーションだと裸の映像は出てくるじゃん

青少年青年男女の裸を見せて反応を見る動画教育とか書けば何百万再生でも何故か無罪になっていて削除されない

2021-03-28

「東アジア反日武装戦線」の初心と過ち

韓国発の映画『狼をさがして』は何を描いているか

太田昌国 評論家編集者

 韓国発のドキュメンタリー映画『狼をさがして』が間もなく日本で公開される。金美禮(キム・ミレ)監督2020年作品で、原題は『東アジア反日武装戦線』という。映画が描くのは、1974年から75年にかけての出来事――「東アジア反日武装戦線」(以後、「反日」と略す)を名乗る人びとが「連続企業爆破」を行ったこと――とその背景である

歴史像と世界像が一新されてゆく時代のただ中で

 描かれる時代は、アジア太平洋戦争日本帝国敗戦してから30年近く経った時期に当たる。活動を担ったのは、敗戦から3~5年経った頃に生を享けた、当時は20代半ばの若者たちだった。いわゆる「団塊の世代」に属する。その彼ら/かの女らは、敗戦以前に日本がなした植民地支配および侵略戦争責任を問うた。同時に、戦後過程はすでに30年近い長さに及んでいるにもかかわらず、日本がその過去清算することもないままに、改めて他民族に対する加害国と化している現実に警告を発した。手段として使ったのは爆弾だった。

 その標的はまず、戦前絶対無謬の存在として日本帝国を率い、戦後は「平和」の象徴となった昭和天皇に向けられた。だが、「お召列車」の爆破計画が実現できなくなった後は、戦前戦後を貫いて繁栄する大企業に的を絞った。

 戦後日本象徴する言葉は、長いこと、「平和民主主義」だった。それは新憲法を貫く精神でもあると多くの人びとが考えていた。

 天皇戦争責任が問われることも裁かれることもなく始まった戦後は、「一億総無責任体制」となった。この体制の下では、日清戦争以降、断続的にではあっても半世紀もの間(1894年1945年アジア太平洋地域戦争を続けた近代日本実像を覆い隠し、この戦争全体像を、最後わずか3年半の「日米戦争」に凝縮して象徴させることが可能だった。広島長崎の「悲劇」を前面に押し出し米軍占領下の沖縄辺境ゆえに無視して、日本全体があたか戦争の「被害国」であるかのようにふるまった。「反戦平和勢力」の大勢も、そのことに疑いを持たなかった。

 1960年安保闘争の時にも、1965年日韓条約反対闘争の時にも、戦前日本帝国がなした対外政策と関連づけて現在分析する言動ほとんど見当たらなかった。すなわち、日本社会総体として、近代日本が持つ「植民地帝国」としての過去をすっぽり忘れ果てていたと言える。

 1960年代後半、この社会思想状況はゆっくりとではあっても変化し始める。日本は、高度経済成長過程で目に見える形での貧困は消え失せ、急速に豊かになった。この経済成長最初の基盤となったのは、1950~53年の朝鮮戦争による「特需景気」だとする捉え方が常識となりつつあった。

 時代はあたか米国ベトナム侵略戦争の渦中で、沖縄を軸に多数の米軍基地があり、インドシナ半島輸送される米軍物資調達地でもある日本は、再度の「特需景気」に沸いていた。近くに住むアジア民衆が苦しんでいる戦争によって自分たちの国が総体として豊かになっていく――この際立った対照性が、とりわけ若い人びとの胸に突き刺さるようになった。

 加えて、米国でのベトナム反戦運動は、黒人先住民族インディアン)の権利回復の動きと連動していた。植民地主義支配人類史に残した禍根――それが世界じゅうで噴出する民族問題の原因だとする意識が、高まっていった。

 「東アジア反日武装戦線」に所属した若い人びとは、それまでの歴史像と世界像が一新されゆくこのような時代のただ中にいた。彼ら/かの女らは、日本近代史と現在が孕む問題群に、「民族植民地問題」の観点から気づいたという意味では先駆的な人びとだった。

「重大な過ち」の根拠を探り続けた歩み

 「反日」はこうして獲得した新たな認識を、すぐ実践に移そうとした。当時刊行された「反日」の冊子『腹腹時計から鮮明に読み取れるのは、次の立場だ。「そこにある悪を撃て! 悪に加担している自らの加害性を撃て! やるかやらないか、それだけが問題だ」。政治性も展望も欠いた、自他に対する倫理的な突き付けが、行動の指針だった。「反日」が行った、1974年8月30日東京丸の内三菱重工ビル爆破は、8名の死者と385名の重軽傷者を生み出す惨事となった。

 「反日」にはひとを殺傷する意図はなかった。事前に電話をかけて、直ちに現場を離れるよう警告した。だがそれは間に合わなかった。しかも、なぜか「反日」は三菱爆破の結果を正当化し、死者は「無関係一般市民」ではなく「植民地人民の血で肥え太る植民者だ」と断言した声明文を公表した。映画の前半部で、この声明文がナレーション流れる

 多くの人びとはそこで「引く」だろう。半世紀前の当時もそうだった。それゆえに、彼ら/かの女らは、日本では「テロリスト」や「血も涙もない爆弾魔」の一言で片づけられてきた。

 その責任の一端が、「反日」そのもの言動にあったことは否定し得ないだろう。だが、実はそこにどのような内面の思いが秘められていたのかということは、路傍の小石のように無視されてきた。そんな渦中にあって、獄中の彼ら/彼女らは初心を語ると同時に、自らが犯してしまった重大な過ちの根拠を探り続けた。獄外には、その試行錯誤を〈批判的に〉支え続ける多様な人びとの存在があった。映画『狼をさがして』は、これらの獄中・獄外の人びとの歩みを74分間の時間幅の中に刻みつけている。

過去を振り返ることをしない社会は、前へ進むことができない

 画面には登場しない「主人公」のひとりは、「反日」狼部隊大道将司である。彼は2017年5月、長らく患っていた多発性骨髄腫で獄死したが、死刑が確定してのち、彼はふとした契機で俳句に親しむようになった。生前4冊の句集にまとめられたその作品は、人間関係自然とのふれあいも極端に狭められた3畳間ほどの独房にあっても、人間はどれほどの想像力をもって、ひとが生きる広大な世界を、時間的にも空間的にも謳うことができるものかを証していて、胸を打つ。それは、ひとを殺めたという「加害の記憶悔悟」を謳う句において、とりわけ際立つ。

 映画でも紹介される「危めたる吾が背に掛かる痛みかな」もそうだが、他にも「死者たちに如何にして詫ぶ赤とんぼ」「春雷に死者たちの声重なれり」「死は罪の償ひなるや金亀子」「ゆく秋の死者に請はれぬ許しかな」「いなびかりせんなき悔いのまた溢る」「加害せる吾花冷えなかにあり」「秋風の立ち悔恨の溢れけり」などの秀句がある。

 「反日」のメンバーの初心と、結果としての重大な過ちを冷静に振り返るこの映画制作したのは、韓国映画監督キム・ミレとその協力者たちである。ふとした機会に「反日」の思想と行動を知ったキム・ミレ監督がこの映画制作したのは、「人間に対する愛情、その人間を信じること」からだったという(「『狼をさがして』――金美禮監督に訊く」、東アジア反日武装戦線に対する死刑・重刑攻撃とたたか支援連絡会議=編『支援ニュース』420号、2021年3月6日)。社会正義のために、加害国=日本搾取され殺された東アジア民衆の恨みと怒りを胸に行動した結果、数多くの人びとを死傷させてしまった、つまり自らが加害者になったという事実に向き合ってきた「反日メンバーに対する思いを、かの女はそう語る。

 だが、その裏面には、次の思いもある。彼らは「長い期間にわたって、自らのために犠牲になった人々の死に向き合って生きねばなりませんでした。苦痛だったかもしれませんが、幸いにも『加害事実』に向き合う時間を持つことができたのです。8名の死と負傷者たち。それがこの作品制作過程の間じゅう私の背にのしかかってきました。しかし、彼らと出会うことができて本当に良かったと思います。この作品は、私に多くのことを質問するようにしてくれたからです。どう生きれば良いのか、今も考えています。」(キム・ミレ「プロダクション・ノ-ト」、『狼をさがして』劇場パンフレット所収)。

 74~75年当時の「東アジア反日武装戦線」のメンバーからすれば、韓国の人びととの共同作業は「見果てぬ夢」だった。日本自分たち戦後の「平和民主主義」を謳歌している彼方で、韓国および北の共和国の人びとは、日本植民地支配を一因とする南北分断と内戦、その後の独裁政権の下で呻吟していたからだ。

 そんな時代が40年近く続いた後で、少なくとも韓国では大きな体制変革が起こった。表現言論の自由を獲得した韓国新世代のなかから、こんな映画をつくる人びとが現われた。キム・ミレ監督は、この映画日韓関係の構図の中で見られたり語られたりすることを望まないと語る。過去を振り返ることをしない社会は、前へ進むことができない。日本韓国も、どの国でも同じことだ、と(前出『支援ニュース』および2021年3月18日付「東京新聞」)。

脈打つフェミニズム視線

 最後に、もうひとつ、肝心なことに触れたい。この映画を際立たせているのは、女性存在だと思われる。

 刑期を終えたふたりの女性が、生き生きとしたその素顔を見せながら、獄の外から窓辺に寄ってきた猫との交友を楽し気に回想したり、かつて自分たち闘争に大きく欠けていたものを率直に語ったりする。前者の年老いて元気な母親は、娘が獄に囚われてから、娘と自分たちを気遣う若い友だちがたくさんできたと笑顔で語る。二人は自宅の庭を眺めながら、「アリラン」を歌ったりもする。

 キム・ミレ監督らが撮影する現場に付き添う姿が随所に見える女性も、長年「反日」の救援活動を担ってきた。撮影すべき風景、会うべきひとについて、的確な助言がなされただろう。

 死刑囚の獄中書簡集を読んで、あん事件引き起こしたひとが自分と変わらぬ、どこにでもいるふつう青年だと知って、縁組をして義妹となったひとの語り口もごく自然だ。女たちの運動を経てきたと語るかの女の言葉を聞いていると、獄中の死刑である義兄とは、媚びへつらいのない、上下関係でもない、水平的なものだったろうと想像できる。

 そして、もちろん、韓国人のキム・ミレ監督女性だ。弱い立場にある労働者現実を描いてきたかの女は、男性の姿ばかりが目立ち、男性優位の価値観が貫いている韓国労働運動の在り方に疑問を持ち、スーパーで働く非正規女性労働者が大量解雇に抗議してストライキでたたかう姿を『外泊』(2009年)で描いた。日本でも自主上映されたこ作品に脈打っていたフェミニズム視線が、『狼をさがして』でも息づいていることを、観る私たちは感じ取るだろう。

2021-03-22

菰田

以上のお話によって、郷田三郎と、明智小五郎との交渉、又は三郎の犯罪嗜好癖などについて、読者に呑み込んで頂いた上、さて、本題に戻って、東栄館という新築下宿屋で、郷田三郎がどんな楽しみを発見たかという点に、お話を進めることに致しましょう。

 三郎が東栄館の建築が出来上るのを待ち兼ねて、いの一番にそこへ引移ったのは、彼が明智交際を結んだ時分から一年以上もたっていました。随したがってあの「犯罪」の真似事にも、もう一向興味がなくなり、といって、外ほかにそれに代る様な事柄もなく、彼は毎日毎日の退屈な長々しい時間を、過し兼ねていました。東栄館に移った当座は、それでも、新しい友達が出来たりして、いくらか気がまぎれていましたけれど、人間というものは何と退屈極きわまる生物なのでしょう。どこへ行って見ても、同じ様な思想を同じ様な表情で、同じ様な言葉で、繰り返し繰り返し、発表し合っているに過ぎないのです。折角せっかく下宿屋を替えて、新しい人達に接して見ても、一週間たつかたたない内に、彼は又しても底知れぬ倦怠けんたいの中に沈み込んで了うのでした。

 そうして、東栄館に移って十日ばかりたったある日のことです。退屈の余り、彼はふと妙な事を考えつきました。

 彼の部屋には、――それは二階にあったのですが――安っぽい床とこの間まの傍に、一間の押入がついていて、その内部は、鴨居かもいと敷居との丁度中程に、押入れ一杯の巌丈がんじょうな棚があって、上下二段に分れているのです。彼はその下段の方に数個の行李こうりを納め、上段には蒲団をのせることにしていましたが、一々そこから蒲団を取出して、部屋の真中へ敷く代りに、始終棚の上に寝台ベッドの様に蒲団を重ねて置いて、眠くなったらそこへ上って寝ることにしたらどうだろう。彼はそんなことを考えたのです。これが今迄いままでの下宿屋であったら、仮令たとえ押入れの中に同じような棚があっても、壁がひどく汚れていたり、天井蜘蛛もの巣が張っていたりして、一寸その中へ寝る気にはならなかったのでしょうが、ここの押入れは、新築早々のことですから、非常に綺麗きれいで、天井も真白なれば、黄色く塗った滑かな壁にも、しみ一つ出来てはいませんし、そして全体の感じが、棚の作り方にもよるのでしょうが何となく船の中の寝台に似ていて、妙に、一度そこへ寝て見たい様な誘惑を感じさえするのです。

 そこで、彼は早速さっそくその晩から押入れの中へ寝ることを始めました。この下宿は、部屋毎に内部から戸締りの出来る様になっていて、女中などが無断で這入はいって来る様なこともなく、彼は安心してこの奇行を続けることが出来るのでした。さてそこへ寝て見ますと、予期以上に感じがいいのです。四枚の蒲団を積み重ね、その上にフワリと寝転んで、目の上二尺ばかりの所に迫っている天井を眺める心持は、一寸異様な味あじわいのあるものです。襖ふすまをピッシャリ締め切って、その隙間から洩れて来る糸の様な電気の光を見ていますと、何だかこう自分探偵小説中の人物にでもなった様な気がして、愉快ですし、又それを細目に開けて、そこから自分自身の部屋を、泥棒他人の部屋をでも覗く様な気持で、色々の激情的な場面を想像しながら、眺めるのも、興味がありました。時によると、彼は昼間から押入に這入り込んで、一間と三尺の長方形の箱の様な中で、大好物煙草をプカリカリとふかしながら、取りとめもない妄想に耽ることもありました。そんな時には、締切った襖の隙間から、押入れの中で火事でも始ったのではないかと思われる程、夥しい白煙が洩れているのでした。

 ところが、この奇行を二三日続ける間に、彼は又しても、妙なことに気がついたのです。飽きっぽい彼は、三日目あたりになると、もう押入れの寝台ベッドには興味がなくなって、所在なさに、そこの壁や、寝ながら手の届く天井板に、落書きなどしていましたが、ふと気がつくと、丁度頭の上の一枚の天井板が、釘を打ち忘れたのか、なんだかフカフカと動く様なのです。どうしたのだろうと思って、手で突っぱって持上げて見ますと、なんなく上の方へ外はずれることは外れるのですが、妙なことには、その手を離すと、釘づけにした箇所は一つもないのに、まるでバネ仕掛けの様に、元々通りになって了います。どうやら、何者かが上から圧おさえつけている様な手ごたえなのです。

 はてな、ひょっとしたら、丁度この天井板の上に、何か生物が、例えば大きな青大将あおだいしょうか何かがいるのではあるまいかと、三郎は俄にわかに気味が悪くなって来ましたが、そのまま逃げ出すのも残念なものですから、なおも手で押し試みて見ますと、ズッシリと、重い手ごたえを感じるばかりでなく、天井板を動かす度に、その上で何だかゴロゴロと鈍い音がするではありませんか。愈々いよいよ変です。そこで彼は思切って、力まかせにその天井板をはね除のけて見ますと、すると、その途端、ガラガラという音がして、上から何かが落ちて来ました。彼は咄嗟とっさの場合ハッと片傍かたわきへ飛びのいたからよかったものの、若もしそうでなかったら、その物体に打たれて大怪我おおけがをしている所でした。

「ナアンダ、つまらない」

 ところが、その落ちて来た品物を見ますと、何か変ったものでもあればよいがと、少からず期待していた彼は、余りのことに呆あきれて了いました。それは、漬物石つけものいしを小さくした様な、ただの石塊いしころに過ぎないのでした。よく考えて見れば、別に不思議でも何でもありません。電燈工夫が天井裏へもぐる通路にと、天井板を一枚丈け態わざと外して、そこからねずみなどが押入れに這入はいらぬ様に石塊で重しがしてあったのです。

 それは如何いかにも飛んだ喜劇でした。でも、その喜劇が機縁となって、郷田三郎は、あるすばらしい楽みを発見することになったのです。

 彼は暫しばらくの間、自分の頭の上に開いている、洞穴ほらあなの入口とでも云った感じのする、その天井の穴を眺めていましたが、ふと、持前もちまえの好奇心から、一体天井裏というものはどんな風になっているのだろうと、恐る恐る、その穴に首を入れて、四方あたりを見廻しました。それは丁度朝の事で、屋根の上にはもう陽が照りつけていると見え、方々の隙間から沢山の細い光線が、まるで大小無数の探照燈を照してでもいる様に、屋根裏の空洞へさし込んでいて、そこは存外明るいのです。

 先まず目につくのは、縦に、長々と横よこたえられた、太い、曲りくねった、大蛇の様な棟木むなぎです。明るいといっても屋根裏のことで、そう遠くまでは見通しが利かないのと、それに、細長い下宿屋の建物ですから、実際長い棟木でもあったのですが、それが向うの方は霞んで見える程、遠く遠く連つらなっている様に思われます。そして、その棟木と直角に、これは大蛇肋骨あばらに当る沢山の梁はりが両側へ、屋根の傾斜に沿ってニョキニョキと突き出ています。それ丈けでも随分雄大景色ですが、その上、天井を支える為に、梁から無数の細い棒が下っていて、それが、まるで鐘乳洞しょうにゅうどうの内部を見る様な感じを起させます

「これは素敵だ」

 一応屋根裏を見廻してから、三郎は思わずそう呟つぶやくのでした。病的な彼は、世間普通の興味にはひきつけられないで、常人には下らなく見える様な、こうした事物に、却かえって、云い知れぬ魅力を覚えるのです。

 その日から、彼の「屋根裏の散歩」が始まりました。夜となく昼となく、暇さえあれば、彼は泥坊猫の様に跫音あしおとを盗んで、棟木や梁の上を伝い歩くのです。幸さいわいなことには、建てたばかりの家ですから屋根裏につき物の蜘蛛の巣もなければ、煤すすや埃ほこりもまだ少しも溜っていず、鼠の汚したあとさえありません。それ故ゆえ着物や手足の汚くなる心配はないのです。彼はシャツ一枚になって、思うがままに屋根裏を跳梁ちょうりょうしました。時候も丁度春のことで、屋根裏だからといって、さして暑くも寒くもないのです。

 東栄館の建物は、下宿屋などにはよくある、中央まんなかに庭を囲んで、そのまわりに、桝型ますがたに、部屋が並んでいる様な作り方でしたから、随って屋根裏も、ずっとその形に続いていて、行止ゆきまりというものがありません。彼の部屋の天井から出発して、グルッと一廻りしますと、又元の彼の部屋の上まで帰って来る様になっています

 下の部屋部屋には、さも厳重に壁で仕切りが出来ていて、その出入口には締りをする為の金具まで取りつけているのに、一度天井裏に上って見ますと、これは又何という開放的な有様でしょう。誰の部屋の上を歩き廻ろうと、自由自在なのです。若し、その気があれば、三郎の部屋のと同じ様な、石塊の重しのしてある箇所が所々にあるのですから、そこから他人の部屋へ忍込んで、窃盗を働くことも出来ます廊下を通って、それをするのは、今も云う様に、桝型の建物の各方面に人目があるばかりでなく、いつ何時なんどき他の止宿人ししゅくにんや女中などが通り合わさないとも限りませんから、非常に危険ですけれど、天井裏の通路からでは、絶対にその危険がありません。

 それから又、ここでは、他人秘密を隙見することも、勝手次第なのです。新築と云っても、下宿屋の安普請やすぶしんのことですから天井には到る所に隙間があります。――部屋の中にいては気が附きませんけれど、暗い屋根からますと、その隙間が意外に大きいのに一驚いっきょうを喫きっします――稀には、節穴さえもあるのです。

 この、屋根裏という屈指の舞台発見しますと、郷田三郎の頭には、いつのまにか忘れて了っていた、あの犯罪嗜好癖が又ムラムラと湧き上って来るのでした。この舞台でならば、あの当時試みたそれよりも、もっともっと刺戟の強い、「犯罪の真似事」が出来るに相違ない。そう思うと、彼はもう嬉しくて耐たまらないのです。どうしてまあ、こんな手近な所に、こんな面白い興味があるのを、今日まで気附かないでいたのでしょう。魔物の様に暗闇の世界を歩き廻って、二十人に近い東栄館の二階中の止宿人の秘密を、次から次へと隙見して行く、そのこと丈けでも、三郎はもう十分愉快なのです。そして、久方振りで、生き甲斐を感じさえするのです。

 彼は又、この「屋根裏の散歩」を、いやが上にも興深くするために、先ず、身支度からして、さも本物の犯罪人らしく装うことを忘れませんでした。ピッタリ身についた、濃い茶色の毛織のシャツ、同じズボン下――なろうことなら、昔活動写真で見た、女賊プロテアの様に、真黒なシャツを着たかったのですけれど、生憎あいくそんなものは持合せていないので、まあ我慢することにして――足袋たびを穿はき、手袋をはめ――天井裏は、皆荒削あらけずりの木材ばかりで、指紋の残る心配などは殆どないのですが――そして手にはピストルが……欲しくても、それもないので、懐中電燈を持つことにしました。

 夜更けなど、昼とは違って、洩れて来る光線の量が極く僅かなので、一寸先も見分けられぬ闇の中を、少しも物音を立てない様に注意しながら、その姿で、ソロソロリと、棟木の上を伝っていますと、何かこう、自分が蛇にでもなって、太い木の幹を這い廻っている様な気持がして、我ながら妙に凄くなって来ます。でも、その凄さが、何の因果か、彼にはゾクゾクする程嬉しいのです。

 こうして、数日、彼は有頂天になって、「屋根裏の散歩」を続けました。その間には、予期にたがわず、色々と彼を喜ばせる様な出来事があって、それを記しるす丈けでも、十分一篇の小説が出来上る程ですが、この物語の本題には直接関係のない事柄ですから、残念ながら、端折はしょって、ごく簡単に二三の例をお話するに止とどめましょう。

 天井からの隙見というものが、どれ程異様な興味のあるものだかは、実際やって見た人でなければ、恐らく想像も出来ますまい。仮令、その下に別段事件が起っていなくても、誰も見ているものがないと信じて、その本性をさらけ出した人間というものを観察すること丈けで、十分面白いのです。よく注意して見ますと、ある人々は、その側に他人のいるときと、ひとりきりの時とでは、立居ふるまいは勿論もちろん、その顔の相好そうごうまでが、まるで変るものだということを発見して、彼は少なからず驚きました。それに、平常ふだん、横から同じ水平線で見るのと違って、真上から見下すのですから、この、目の角度の相違によって、あたり前の座敷が、随分異様な景色に感じられます人間は頭のてっぺんや両肩が、本箱、机、箪笥たんす、火鉢などは、その上方の面丈けが、主として目に映ります。そして、壁というものは、殆ど見えないで、その代りに、凡ての品物のバックには、畳が一杯に拡っているのです。

 何事がなくても、こうした興味がある上に、そこには、往々おうおうにして、滑稽こっけいな、悲惨な、或は物凄い光景が、展開されています。平常過激反資本主義議論を吐いている会社員が、誰も見ていない所では、貰もらったばかりの昇給辞令を、折鞄おりかばから出したり、しまったり、幾度も幾度も、飽かず打眺うちながめて喜んでいる光景ゾロリとしたお召めし着物不断着ふだんぎにして、果敢はかない豪奢振ごうしゃぶりを示している、ある相場師が、いざ床とこにつく時には、その、昼間はさも無雑作むぞうさに着こなしていた着物を、女の様に、丁寧に畳んで、床の下へ敷くばかりか、しみでもついたのと見えて、それを丹念に口で嘗なめて――お召などの小さな汚れは、口で嘗めとるのが一番いいのだといいます――一種クリーニングをやっている光景、何々大学野球選手だというニキビ面の青年が、運動家にも似合わない臆病さを以て、女中への附文つけぶみを、食べて了った夕飯のお膳の上へ、のせて見たり、思い返して、引込めて見たり、又のせて見たり、モジモジと同じことを繰返している光景、中には、大胆にも、淫売婦(?)を引入れて、茲ここに書くことを憚はばかる様な、すさまじい狂態を演じている光景さえも、誰憚らず、見たい丈け見ることが出来るのです。

 三郎は又、止宿人と止宿人との、感情葛藤かっとうを研究することに、興味を持ちました。同じ人間が、相手によって、様々に態度を換えて行く有様、今の先まで、笑顔で話し合っていた相手を、隣の部屋へ来ては、まるで不倶戴天ふぐたいてんの仇あだででもある様に罵ののしっている者もあれば、蝙蝠こうもりの様に、どちらへ行っても、都合のいいお座なりを云って、蔭でペロリと舌を出している者もあります。そして、それが女の止宿人――東栄館の二階には一人の女画学生がいたのです――になると一層興味があります。「恋の三角関係」どころではありません。五角六角と、複雑した関係が、手に取る様に見えるばかりか、競争者達の誰れも知らない、本人の真意が、局外者の「屋根裏の散歩者」に丈け、ハッキリと分るではありませんか。お伽噺とぎばなしに隠かくれ蓑みのというものがありますが、天井裏の三郎は、云わばその隠れ蓑を着ているも同然なのです。

 若しその上、他人の部屋の天井板をはがして、そこへ忍び込み、色々ないたずらをやることが出来たら、一層面白かったでしょうが、三郎には、その勇気がありませんでした。そこには、三間に一箇所位の割合で、三郎の部屋のと同様に、石塊いしころで重しをした抜け道があるのですから、忍び込むのは造作もありませんけれど、いつ部屋の主が帰って来るか知れませんし、そうでなくとも、窓は皆、透明なガラス障子しょうじになっていますから、外から見つけられる危険もあり、それに、天井板をめくって押入れの中へ下り、襖をあけて部屋に這入り、又押入れの棚へよじ上って、元の屋根裏へ帰る、その間には、どうかして物音を立てないとは限りません。それを廊下や隣室から気附かれたら、もうおしまいなのです。

 さて、ある夜更けのことでした。三郎は、一巡ひとまわり「散歩」を済ませて、自分の部屋へ帰る為に、梁から梁を伝っていましたが、彼の部屋とは、庭を隔てて、丁度向い側になっている棟の、一方の隅の天井に、ふと、これまで気のつかなかった、幽かすかな隙間を発見しました。径二寸ばかりの雲形をして、糸よりも細い光線が洩れているのです。なんだろうと思って、彼はソッと懐中電燈を点ともして、検しらべて見ますと、それは可也かなり大きな木の節で、半分以上まわりの板から離れているのですが、あとの半分で、やっとつながり、危く節穴になるのを免れたものでした。一寸爪の先でこじさえすれば、何なく離れて了い相なのです。そこで、三郎は外ほかの隙間から下を見て、部屋の主が已すでに寝ていることを確めた上、音のしない様に注意しながら、長い間かかって、とうとうそれをはがして了いました。都合のいいことには、はがした後の節穴が、杯さかずき形に下側が狭くなっていますので、その木の節を元々通りつめてさえ置けば、下へ落ちる様なことはなく、そこにこんな大きな覗き穴があるのを、誰にも気附かれずに済むのです。

 これはうまい工合ぐあいだと思いながら、その節穴から下を覗いて見ますと、外の隙間の様に、縦には長くても、幅はせいぜい一分ぶ内外の不自由なのと違って、下側の狭い方でも直径一寸以上はあるのですから、部屋の全景が、楽々と見渡せます。そこで三郎は思わず道草を食って、その部屋を眺めたことですが、それは偶然にも、東栄館の止宿人の内で、三郎の一番虫の好かぬ、遠藤えんどうという歯科医学校卒業生で、目下はどっかの歯医者助手を勤めている男の部屋でした。その遠藤が、いやにのっぺりした虫唾むしずの走る様な顔を、一層のっぺりさせて、すぐ目の下に寝ているのでした。馬鹿几帳面きちょうめんな男と見えて、部屋の中は、他のどの止宿人のそれにもまして、キチンと整頓せいとんしています。机の上の文房具位置、本箱の中の書物の並べ方、蒲団の敷き方、枕許まくらもとに置き並べた、舶来物でもあるのか、見なれぬ形の目醒めざまし時計漆器しっきの巻煙草まきたばこ入れ、色硝子いろがらすの灰皿、何いずれを見ても、それらの品物の主人公が、世にも綺麗きれい好きな、重箱の隅を楊子ようじでほじくる様な神経家であることを証拠立てています。又遠藤自身の寝姿も、実に行儀がいいのです。ただ、それらの光景にそぐわぬのは、彼が大きな口を開あいて、雷の様に鼾いびきかいていることでした。

 三郎は、何か汚いものでも見る様に、眉をしかめて、遠藤の寝顔を眺めました。彼の顔は、綺麗といえば綺麗です。成程彼自身で吹聴ふいちょうする通り、女などには好かれる顔かも知れません。併し、何という間延びな、長々とした顔の造作でしょう。濃い頭髪、顔全体が長い割には、変に狭い富士ふじびたい、短い眉、細い目、始終笑っている様な目尻の皺しわ、長い鼻、そして異様に大ぶりな口。三郎はこの口がどうにも気に入らないのでした。鼻の下の所から段を為なして、上顎うわあごと下顎とが、オンモリと前方へせり出し、その部分一杯に、青白い顔と妙な対照を示して、大きな紫色の唇が開いています。そして、肥厚性鼻炎ひこうせいびえんででもあるのか、始終鼻を詰つまらせ、その大きな口をポカンと開けて呼吸をしているのです。寝ていて、鼾をかくのも、やっぱり鼻の病気のせいなのでしょう。

 三郎は、いつでもこの遠藤の顔を見さえすれば、何だかこう背中がムズムズして来て、彼ののっぺりした頬っぺたを、いきなり殴なぐりつけてやり度たい様な気持になるのでした。

 そうして、遠藤の寝顔を見ている内に、三郎はふと妙なことを考えました。それは、その節穴から唾つばをはけば、丁度遠藤の大きく開いた口の中へ、うまく這入りはしないかということでした。なぜなら、彼の口は、まるで誂あつらえでもした様に、節穴の真下の所にあったからです。三郎は物好きにも、股引ももひきの下に穿いていた、猿股さるまたの紐を抜出して、それを節穴の上に垂直に垂らし、片目を紐にくっつけて、丁度銃の照準でも定める様に、試して見ますと、不思議な偶然です。紐と節穴と、遠藤の口とが、全く一点に見えるのです。つまり節穴から唾を吐けば、必ず彼の口へ落ちるに相違ないことが分ったのです。

 併し、まさかほんとうに唾を吐きかける訳にも行きませんので、三郎は、節穴を元の通りに埋うずめて置いて、立去ろうとしましたが、其時そのとき、不意に、チラリとある恐しい考えが、彼の頭に閃きました。彼は思わず屋根裏の暗闇の中で、真青になって、ブルブルと震えました。それは実に、何の恨うらみもない遠藤殺害するという考えだったのです。

 彼は遠藤に対して何の恨みもないばかりか、まだ知り合いになってから半月もたってはいないのでした。それも、偶然二人の引越しが同じ日だったものですから、それを縁に、二三度部屋を訪ね合ったばかりで別に深い交渉がある訳ではないのです。では、何故なにゆえその遠藤を、殺そうなどと考えたかといいますと、今も云う様に、彼の容貌言動が、殴りつけたい程虫が好かぬということも、多少は手伝っていましたけれど、三郎のこの考かんがえの主たる動機は、相手人物にあるのではなくて、ただ殺人行為のものの興味にあったのです。先からお話して来た通り、三郎の精神状態は非常に変態的で、犯罪嗜好癖ともいうべき病気を持ってい、その犯罪の中でも彼が最も魅力を感じたのは殺人罪なのですから、こうした考えの起るのも決して偶然ではないのです。ただ今までは、仮令屡々しばしば殺意を生ずることがあっても、罪の発覚を恐れて、一度も実行しようなどと思ったことがないばかりなのです。

 ところが、今遠藤場合は、全然疑うたがいを受けないで、発覚の憂うれいなしに、殺人が行われ相そうに思われます。我身に危険さえなければ、仮令相手が見ず知らずの人間であろうと、三郎はそんなことを顧慮こりょするのではありません。寧むしろ、その殺人行為が、残虐であればある程、彼の異常な慾望は、一層満足させられるのでした。それでは、何故遠藤に限って、殺人罪が発覚しない――少くとも三郎がそう信じていたか――といいますと、それには、次の様な事情があったのです。

 東栄館へ引越して四五日たった時分でした。三郎は懇意こんいになったばかりの、ある同宿者と、近所のカフェへ出掛けたことがあります。その時同じカフェ遠藤も来ていて、三人が一つテーブルへ寄って酒を――尤もっとも酒の嫌いな三郎はコーヒーでしたけれど――飲んだりして、三人とも大分いい心持になって、連立つれだって下宿へ帰ったのですが、少しの酒に酔っぱらった遠藤は、「まあ僕の部屋へ来て下さい」と無理に二人を、彼の部屋へ引ぱり込みました。遠藤は独ひとりではしゃいで、夜が更けているのも構わず女中を呼んでお茶を入れさせたりして、カフェから持越しの惚気話のろけばなしを繰返すのでした。――三郎が彼を嫌い出したのは、その晩からです――その時、遠藤は、真赤に充血した脣くちびるをペロペロと嘗め廻しながら

孤独

当時私は二十五歳の青年で、丸まるの内うちのあるビルディングオフィスを持つ貿易商合資会社S・K商会のクラークを勤めていた。実際は、僅わずかばかりの月給なぞ殆ほとんど私自身のお小遣こづかいになってしまうのだが、と云ってW実業学校を出た私を、それ以上の学校へ上げてくれる程、私の家は豊ゆたかではなかったのだ。

 二十一から勤め出して、私はその春で丸四年勤続した訳であった。受持ちの仕事会計の帳簿の一部分で、朝から夕方まで、パチパチ算盤そろばんだまをはじいていればよいのであったが、実業学校なんかやった癖に、小説や絵や芝居や活動写真がひどく好きで、一いっぱし芸術が分る積つもりでいた私は、機械みたいなこの勤務を、外ほかの店員達よりも一層いやに思っていたことは事実であった。同僚達は、夜よな夜なカフェ廻りをやったり、ダンス場へ通かよったり、そうでないのは暇ひまさえあればスポーツの話ばかりしていると云った派手はでで勇敢で現実的な人々が大部分であったから、空想好きで内気者うちきものの私には、四年もいたのだけれど、本当の友達は一人もないと云ってよかった。それが一際ひときわ私のオフィス勤めを味気あじきないものにしたのだった。

 ところが、その半年ばかり前からというものは、私は朝々の出勤を、今迄いままで程はいやに思わぬ様になっていた。と云うのは、その頃十八歳の木崎初代が初めて、見習みならいタイピストとしてS・K商会の人となったかである木崎初代は、私が生れるときから胸に描いていた様な女であった。色は憂鬱ゆううつな白さで、と云って不健康な感じではなく、身体からだは鯨骨くじらぼねの様にしなやかで弾力に富み、と云ってアラビヤ馬みたいに勇壮うそうなのではなく、女にしては高く白い額に左右不揃いな眉まゆが不可思議な魅力をたたえ、切れの長い一ひとかわ目に微妙な謎を宿し、高からぬ鼻と薄過ぎぬ唇が、小さい顎あごを持った、しまった頬ほおの上に浮彫うきぼりされ、鼻と上唇の間が人並ひとなみよりは狭くて、その上唇が上方にややめくれ上った形をしていると、細かに書いてしまうと、一向初代らしい感じがしないのだが、彼女は大体その様に、一般美人の標準にはずれた、その代りには私丈けには此上このうえもない魅力を感じさせる種類の女性であった。

 内気者の私は、ふと機会を失って、半年もの間、彼女言葉も交わさず、朝顔を見合わせても目礼さえしない間柄であった。(社員の多いこのオフィスでは、仕事共通ものや、特別に親しい者の外は、朝の挨拶などもしない様な習わしであった)それが、どういう魔(?)がさしたものか、ある日、私はふと彼女に声をかけたのである。後になって考えて見ると、この事が、いや私の勤めているオフィス彼女入社して来たことすらが、誠に不思議めぐり合せであった。彼女と私との間に醸かもされた恋のことを云うのではない。それよりも、その時彼女に声をかけたばっかりに、後に私を、この物語に記しるす様な、世にも恐ろしい出来事に導いた運命について云うのである

 その時木崎初代は、自分で結ゆったらしい、オールバックまがいの、恰好かっこうのいい頭を、タイプライターの上にうつむけて、藤色セル仕事着の背中を、やや猫背にして、何か熱心にキイを叩たたいていた。

HIGUCHI HIGUCHI HIGUCHI HIGUCHI HIGUCHI ……

 見ると、レタペーパの上には、樋口ひぐちと読むのであろう、誰かの姓らしいものが、模様みたいにベッタリと並んでいた。

 私は「木崎さん、御熱心ですね」とか何とか云うつもりであったのだ。それが、内気者の常として、私はうろたえてしまって、愚かにも可成かなり頓狂とんきょうな声で、

樋口さん」

 と呼んでしまった。すると、響ひびきに応じる様に、木崎初代は私の方をふり向いて、

「なあに?」

 と至極しごく落ちついて、だが、まるで小学生みたいなあどけない調子で答えたのである彼女樋口と呼ばれて少しも疑う所がないのだ。私は再びうろたえてしまった。木崎というのは私の飛とんでもない思違おもいちがいだったのかしら。彼女彼女自身の姓を叩いていたに過ぎないのかしら。この疑問は少しの間私に羞恥しゅうちを忘れさせ私は思わず長い言葉を喋しゃべった。

あなた樋口さんて云うの? 僕は木崎さんだとばかり思っていた」

 すると、彼女も亦またハッとした様に、目のふちを薄赤くして、云うのである

「マア、あたしうっかりして。……木崎ですのよ」

「じゃあ、樋口っていうのは?」

 あなたのラヴ? と云いかけて、びっくりして口をつぐんだ。

「何なんでもないのよ。……」

 そして木崎初代は慌あわてて、レタペーパを器械からとりはずし、片手で、もみくちゃにするのであった。

 私はなぜこんなつまらない会話を記したかというに、それには理由があるのだ。この会話が私達の間にもっと深い関係を作るきっかけを為なしたという意味ばかりではない。彼女が叩いていた「樋口」という姓には、又彼女樋口と呼ばれて何の躊躇ちゅうちょもなく返事をした事実には、実はこの物語根本こんぽんに関する大きな意味が含まれていたかである

 この書物かきものは、恋物語を書くのが主眼でもなく、そんなことで暇どるには、余りに書くべき事柄が多いので、それからの、私と木崎初代との恋愛の進行については、ごくかいつまんで記すに止とどめるが、この偶然の会話を取交とりかわして以来、どちらが待ち合わせるともなく、私達はちょくちょく帰りが一緒になる様になった。そして、エレベーターの中と、ビルディングから電車停留所までと、電車にのってから彼女巣鴨すがもの方へ、私は早稲田わせだの方へ、その乗換場所までの、僅わずかの間を、私達は一日中の最も楽しい時間とする様になった。間もなく、私達は段々大胆になって行った。帰宅を少しおくらせて、事務所に近い日比谷ひびや公園に立寄り片隅かたすみのベンチに、短い語らいの時間を作ることもあった。又、小川町おがわまちの乗換場で降りて、その辺のみすぼらしいカフェに這入はいり、一杯ずつお茶を命じる様なこともあった。だが、うぶな私達は、非常な勇気を出して、ある場末ばすえのホテルへ這入って行くまでには、殆ど半年もかかった程であった。

 私が淋さびしがっていた様に、木崎初代も淋しがっていたのだ。お互たがいに勇敢なる現代人ではなかったのだ。そして、彼女容姿が私の生れた時から胸に描いていたものであった様に、嬉しいことには、私の容姿も亦また彼女が生れた時から恋する所のものであったのだ。変なことを云う様だけれど、容貌については、私は以前からややたのむ所があった。諸戸道雄もろとみちおというのは矢張やはりこの物語重要な役目を演ずる一人物であって、彼は医科大学卒業して、そこの研究室である奇妙な実験従事している男であったが、その諸戸道雄が、彼は医学生であり、私は実業学校の生徒であった頃から、この私に対して、可成かなり真剣な同性の恋愛を感じているらしいのである

 彼は私の知る限りに於おいて、肉体的にも精神的にも、最も高貴ノーブルな感じの美青年であり、私の方では決して彼に妙な愛着を感じている訳ではないけれど、彼の気難しい撰択に適かなったかと思うと、少くとも私は私の外形について聊いささかの自信を持ち得うる様に感じることもあったのである。だが、私と諸戸との関係については、後に屡々しばしば述べる機会があるであろう。

 それは兎とも角かく、木崎初代との、あの場末ホテルに於おいての最初の夜は、今も猶なお私の忘れ兼かねる所のものであった。それはどこかのカフェで、その時私達はかけおち者の様な、いやに涙っぽく、やけな気持ちになっていたのだが、私は口馴れぬウィスキイをグラスに三つも重ねるし、初代も甘いカクテルを二杯ばかりもやって、二人共真赤まっかになって、やや正気を失った形で、それ故ゆえ、大した羞恥を感じることもなく、そのホテルカウンタアの前に立つことが出来たのであった。私達は巾はばの広いベッドを置いた、壁紙にしみのある様な、いやに陰気な部屋に通された。ボーイが一隅の卓テーブルの上に、ドアの鍵と渋茶しぶちゃとを置いて、黙って出て行った時、私達は突然非常な驚きの目を見交わした。初代は見かけの弱々しい割には、心しんにしっかりした所のある娘であったが、それでも、酔よいのさめた様な青ざめた顔をして、ワナワナと唇の色をなくしていた。

「君、怖いの?」

 私は私自身の恐怖をまぎらす為に、そんなことを囁ささやいた。彼女は黙って、目をつぶる様にして、見えぬ程に首を左右に動かした。だが云うまでもなく、彼女も怖がっているのだった。

 それは誠に変てこな、気拙きまずい場合であった。二人とも、まさかこんな風になろうとは予期していなかった。もっとさりげなく、世の大人達の様に、最初の夜を楽しむことが出来るものと信じていた。それが、その時の私達には、ベッドの上に横になる勇気さえなかったのだ。着物を脱いで、肌を露あらわすことなど思いも及ばなかった。一口に言えば、私達は非常な焦慮しょうりょを感じながら、已すでに度々たびたび交わしていた唇をさえ交わすことなく、無論その外の何事をもしないで、ベッドの上に並んで腰をかけて、気拙さをごまかす為に、ぎこちなく両足をブラブラさせながら、殆ど時間もの間、黙っていたのである

「ね、話しましょうよ。私何だか小さかった時分のことが話して見たくなったのよ」

 彼女が低い透き通った声でこんなことを云った時、私は已すでに肉体的な激しい焦慮を通り越して、却かえって、妙にすがすがしい気持になっていた。

「アア、それがいい」私はよい所へ気がついたと云う意味で答えた。

「話して下さい。君の身の上話を」

 彼女身体を楽な姿勢しせいにして、すみ切った細い声で、彼女の幼少の頃からの、不思議な思出おもいでを物語るのであった。私はじっと耳をすまして、長い間、殆ど身動きもせずそれに聞き入っていた。彼女の声は半なかば子守歌の様に、私の耳を楽しませたのである

 私は、それまでにも又それから以後にも、彼女の身の上話は、切れ切れに、度々たびたび耳にしたのであったが、この時程感銘かんめい深くそれを聞いたことはない。今でも、その折の彼女の一語一語を、まざまざと思い浮うかべることが出来る程である。だが、ここには、この物語の為には、彼女の身の上話を悉ことごとくは記す必要がない。私はその内から、後にこの話に関係を生じるであろう部分丈けを極ごく簡単に書きとめて置けばよい訳である

「いつかもお話した様に、私はどこで生れた誰の子なのかも分らないのよ。今のお母さん――あなたはまだ逢わないけれど、私はそのお母さんと二人暮ぐらしで、お母さんの為にこうして働いている訳なの――その私のお母さんが云うのです。初代や、お前は私達夫婦が若かった時分、大阪川口かわぐちという船着場ふなつきばで、拾って来て、たんせいをして育て上げた子なのだよ。お前は汽船待合所の、薄暗い片隅に、手に小さな風呂敷包ふろしきづつみを持って、めそめそと泣いていたっけ。あとで、風呂敷包みを開けて見ると、中から多分お前の先祖のであろう、一冊の系図書けいずがきと、一枚の書かきつけとが出て来て、その書きつけで初代というお前の名も、その時丁度ちょうどお前が三つであったことも分ったのだよ。でもね、私達には子供がなかったので、神様から授さずかった本当の娘だと思って、警察手続てつづきもすませ、立派にお前を貰もらって来て、私達はたんせいをこらしたのさ。だからね、お前も水臭い考えを起したりなんぞしないで、私を――お父さんも死んでしまって、一人ぼっちなんだから――本当のお母さんだと思っていておくれよ。とね。でも、私それを聞いても、何だかお伽噺とぎばなしでも聞かせて貰っている様で、夢の様で、本当は悲しくもなんともなかったのですけれど、それが、妙なのよ。涙が止めどもなく流れて仕様がなかったの」

 彼女の育ての父親が在世ざいせいの頃、その系図書きを色々調べて、随分本当の親達を尋たずね出そうと骨折ったのだ。けれど系図書きに破けた所があって、ただ先祖名前や号やおくり名が羅列られつしてあるばかりで、そんなものが残っている所を見れば相当の武士さむらいの家柄には相違ないのだが、その人達の属した藩はんなり、住居なりの記載が一つもないので、どうすることも出来なかったのである

「三つにもなっていて、私馬鹿ですわねえ。両親の顔をまるで覚えていないのよ。そして、人混みの中で置き去りにされてしまうなんて。でもね。二つ丈け、私、今でもこう目をつむると、闇の中へ綺麗きれいに浮き出して見える程、ハッキリ覚えていることがありますわ。その一つは、私がどこかの浜辺の芝生の様な所で、暖かい日に照らされて、可愛い赤あかさんと遊んでいる景色なの。それは可愛い赤さんで、私は姉ねえさまぶって、その子のお守もりをしていたのかもしれませんわ。下の方には海の色が真青に見えていて、そのずっと向うに、紫色に煙けむって、丁度牛の臥ねた形で、どこかの陸おかが見えるのです。私、時々思うことがありますわ。この赤さんは、私の実の弟か妹で、その子は私みたいに置去りにされないで、今でもどこかに両親と一緒に仕合せに暮しているのではないかと。そんなことを考えると、私何だか胸をしめつけられる様に、懐しい悲しい気持になって来ますのよ」

 彼女は遠い所を見つめて、独言ひとりごとの様に云うのである。そして、もう一つの彼女の幼い時の記憶と云うのは、

「岩ばかりで出来た様な、小山があって、その中腹から眺めた景色なのよ。少し隔へだたった所に、誰かの大きなお邸やしきがあって、万里ばんりの長城ちょうじょうみたいにいかめしい土塀どべいや、母屋おもやの大鳥おおとりの羽根を拡ひろげた様に見える立派な屋根や、その横手にある白い大きな土蔵なんかが、日に照てらされて、クッキリと見えているの。そして、それっ切りで、外ほかに家らしいものは一軒もなく、そのお邸の向うの方には、やっぱり青々とした海が見えているし、その又向うには、やっぱり牛の臥た様な陸地がもやにかすんで、横よこたわっているのよ。きっと何ですわ。私が赤さんと遊んでいた所と、同じ土地景色なのね。私、幾度その同じ場所を夢に見たでしょう。夢の中で、アア又あすこへ行くんだなと思って、歩いていると、きっとその岩山の所へ出るに極きまっていますわ。私、日本中を隅々まで残らず歩き廻って見たら、きっとこの夢の中の景色と寸分違わぬ土地があるに違いないと思いますわ。そしてその土地こそ私の懐しい生れ故郷なのよ」

ちょっとちょっと」私はその時、初代の話をとめて云った。「僕、まずいけれど、そこの君の夢に出て来る景色は、何だか絵になり相そうだな。書いて見ようか」

「そう、じゃあもっと詳しく話しましょうか」

 そこで、私は机の上の籠かごに入れてあったホテルの用箋ようせんを取出して、備そなえつけのペンで、彼女が岩山から見たという海岸景色を描いた。その絵が丁度手元に残っていたので、版にしてここに掲かかげて置くが、この即席そくせきのいたずら書きが、後に私にとって甚だ重要な役目をつとめてくれ様などとは、無論その時には想像もしていなかったのである

「マア、不思議ねえ。その通りですのよ。その通りですのよ」

 初代は出来上った私の絵を見て、喜ばしげに叫んだ。

「これ、僕貰もらって置いてもいいでしょう」

 私は、恋人の夢を抱いだく気持で、その紙を小さく畳たたみ、上衣うわぎの内ポケットしまいながら云った。

 初代は、それから又、彼女物心ついてからの、様々の悲しみ喜びについて、尽きぬ思出を語ったのである。が、それはここに記す要はない。兎とも角かくも、私達はそうして、私達の最初の夜を、美しい夢の様に過すごしてしまったのである。無論私達はホテルに泊りはしないで、夜更よふけに、銘々めいめいの家に帰った。

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川の向う岸が俄にわかに赤くなりました。楊やなぎの木や何かもまっ黒にすかし出され見えない天の川の波もときどきちらちら針のように赤く光りました。まったく向う岸の野原に大きなまっ赤な火が燃されその黒いけむりは高く桔梗ききょういろのつめたそうな天をも焦こがしそうでした。ルビーよりも赤くすきとおりリチウムよりもうつくしく酔よったようになってその火は燃えているのでした。

「あれは何の火だろう。あんな赤く光る火は何を燃やせばできるんだろう。」ジョバンニが云いいました。

「蝎さそりの火だな。」カムパネルラが又また地図と首っ引きして答えました。

「あら、蝎の火のことならあたし知ってるわ。」

「蝎の火ってなんだい。」ジョバンニがききました。

「蝎がやけて死んだのよ。その火がいまでも燃えてるってあたし何べんもお父さんから聴いたわ。」

「蝎って、虫だろう。」

「ええ、蝎は虫よ。だけどいい虫だわ。」

「蝎いい虫じゃないよ。僕博物館アルコールにつけてあるの見た。尾にこんなかぎがあってそれで螫さされると死ぬって先生が云ったよ。」

「そうよ。だけどいい虫だわ、お父さん斯こう云ったのよ。むかしのバルドラの野原に一ぴきの蝎がいて小さな虫やなんか殺してたべて生きていたんですって。するとある日いたちに見附みつかって食べられそうになったんですって。さそりは一生けん命遁にげて遁げたけどとうとういたちに押おさえられそうになったわ、そのときいきなり前に井戸があってその中に落ちてしまったわ、もうどうしてもあがられないでさそりは溺おぼれはじめたのよ。そのときさそりは斯う云ってお祈いのりしたというの、

 ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときあんなに一生けん命にげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしわたしからだをだまっていたちに呉くれてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸さいわいのために私のからだをおつかい下さい。って云ったというの。そしたらいつか蝎はじぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって燃えてよるのやみを照らしているのを見たって。いまでも燃えてるってお父さん仰おっしゃったわ。ほんとうにあの火それだわ。」

「そうだ。見たまえ。そこらの三角標はちょうどさそりの形にならんでいるよ。」

 ジョバンニはまったくその大きな火の向うに三つの三角標がちょうどさそりの腕うでのようにこっちに五つの三角標がさそりの尾やかぎのようにならんでいるのを見ました。そしてほんとうにそのまっ赤なうつくしいさそりの火は音なくあかるくあかるく燃えたのです。

 その火がだんだんしろの方になるにつれてみんなは何とも云えずにぎやかなさまざまの楽の音ねや草花の匂においのようなもの口笛や人々のざわざわ云う声やらを聞きました。それはもうじきちかくに町か何かがあってそこにお祭でもあるというような気がするのでした。

ケンタウル露つゆをふらせ。」いきなりいままで睡ねむっていたジョバンニのとなりの男の子が向うの窓を見ながら叫んでいました。

 ああそこにはクリスマストリイのようにまっ青な唐檜とうひかもみの木がたってその中にはたくさんのたくさんの豆電燈まめでんとうがまるで千の蛍ほたるでも集ったようについていました。

「ああ、そうだ、今夜ケンタウル祭だねえ。」

「ああ、ここはケンタウルの村だよ。」カムパネルラがすぐ云いました。〔以下原稿一枚?なし〕

ボール投げなら僕ぼく決してはずさない。」

 男の子が大威張おおいばりで云いました。

「もうじきサウザンクロスです。おりる支度したくをして下さい。」青年がみんなに云いました。

「僕も少し汽車へ乗ってるんだよ。」男の子が云いました。カムパネルラのとなりの女の子はそわそわ立って支度をはじめましたけれどもやっぱりジョバンニたちとわかれたくないようなようすでした。

「ここでおりなけぁいけないのです。」青年はきちっと口を結んで男の子を見おろしながら云いました。

「厭いやだい。僕もう少し汽車へ乗ってから行くんだい。」

 ジョバンニがこらえ兼ねて云いました。

「僕たちと一緒いっしょに乗って行こう。僕たちどこまでだって行ける切符きっぷ持ってるんだ。」

「だけどあたしたちもうここで降りなけぁいけないのよ。ここ天上へ行くとこなんだから。」女の子さびしそうに云いました。

「天上へなんか行かなくたっていいじゃないか。ぼくたちここで天上よりももっといいとこをこさえなけぁいけないって僕の先生が云ったよ。」

だっておっ母さんも行ってらっしゃるしそれに神さまが仰おっしゃるんだわ。」

「そんな神さまうその神さまだい。」

あなたの神さまうその神さまよ。」

「そうじゃないよ。」

あなたの神さまってどんな神さまですか。」青年は笑いながら云いました。

「ぼくほんとうはよく知りません、けれどもそんなんでなしにほんとうのたった一人の神さまです。」

「ほんとうの神さまはもちろんたった一人です。」

「ああ、そんなんでなしにたったひとりのほんとうのほんとうの神さまです。」

「だからそうじゃありませんか。わたくしはあなた方がいまにそのほんとうの神さまの前にわたくしたちとお会いになることを祈ります。」青年はつつましく両手を組みました。女の子もちょうどその通りにしました。みんなほんとうに別れが惜おしそうでその顔いろも少し青ざめて見えました。ジョバンニはあぶなく声をあげて泣き出そうとしました。

「さあもう支度はいいんですか。じきサウザンクロスですから。」

 ああそのときでした。見えない天の川のずうっと川下に青や橙だいだいやもうあらゆる光でちりばめられた十字架じゅうじかがまるで一本の木という風に川の中から立ってかがやきその上には青じろい雲がまるい環わになって後光のようにかかっているのでした。汽車の中がまるでざわざわしました。みんなあの北の十字のときのようにまっすぐに立ってお祈りをはじめました。あっちにもこっちにも子供が瓜うりに飛びついたときのようなよろこびの声や何とも云いようない深いつつましいためいきの音ばかりきこえました。そしてだんだん十字架は窓の正面になりあの苹果りんごの肉のような青じろい環の雲もゆるやかにゆるやかに繞めぐっているのが見えました。

ハルヤハルレヤ。」明るくたのしくみんなの声はひびきみんなはそのそらの遠くからつめたいそらの遠くからすきとおった何とも云えずさわやかなラッパの声をききました。そしてたくさんのシグナルや電燈の灯あかりのなかを汽車だんだんゆるやかになりとうとう十字架のちょうどま向いに行ってすっかりとまりました。

「さあ、下りるんですよ。」青年男の子の手をひきだんだん向うの出口の方へ歩き出しました。

「じゃさよなら。」女の子がふりかえって二人に云いました。

さよなら。」ジョバンニはまるで泣き出したいのをこらえて怒おこったようにぶっきり棒に云いました。女の子はいかにもつらそうに眼めを大きくしても一度こっちをふりかえってそれからあとはもうだまって出て行ってしまいました。汽車の中はもう半分以上も空いてしまい俄にわかにがらんとしてさびしくなり風がいっぱいに吹ふき込こみました。

 そして見ているとみんなはつつましく列を組んであの十字架の前の天の川なぎさにひざまずいていました。そしてその見えない天の川の水をわたってひとりの神々こうごうしい白いきものの人が手をのばしてこっちへ来るのを二人は見ました。けれどもそのときはもう硝子ガラス呼子よびこは鳴らされ汽車うごき出しと思ううちに銀いろの霧きりが川下の方からすうっと流れて来てもうそっちは何も見えなくなりました。ただたくさんのくるみの木が葉をさんさんと光らしてその霧の中に立ち黄金きんの円光をもった電気栗鼠りすが可愛かあいい顔をその中からちらちらのぞいているだけでした。

 そのときすうっと霧がはれかかりました。どこかへ行く街道らしく小さな電燈の一列についた通りがありました。それはしばらく線路に沿って進んでいました。そして二人がそのあかしの前を通って行くときはその小さな豆いろの火はちょうど挨拶あいさつでもするようにぽかっと消え二人が過ぎて行くときまた点つくのでした。

 ふりかえって見るとさっきの十字架はすっかり小さくなってしまいほんとうにもうそのまま胸にも吊つるされそうになり、さっきの女の子青年たちがその前の白い渚なぎさにまだひざまずいているのかそれともどこか方角もわからないその天上へ行ったのかぼんやりして見分けられませんでした。

 ジョバンニはああと深く息しました。

カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸さいわいのためならば僕のからだなんか百ぺん灼やいてもかまわない。」

「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙なみだがうかんでいました。

「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」ジョバンニが云いました。

「僕わからない。」カムパネルラぼんやり云いました。

「僕たちしっかりやろうねえ。」ジョバンニが胸いっぱい新らしい力が湧わくようにふうと息をしながら云いました。

「あ、あすこ石炭袋ぶくろだよ。そらの孔あなだよ。」カムパネルラが少しそっちを避さけるようにしながら天の川のひととこを指さしました。ジョバンニはそっちを見てまるでぎくっとしてしまいました。天の川の一とこに大きなまっくらな孔がどほんとあいているのです。その底がどれほど深いかその奥おくに何があるかいくら眼をこすってのぞいてもなんにも見えずただ眼がしんしんと痛むのでした。ジョバンニが云いました。

「僕もうあんな大きな暗やみの中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。」

「ああきっと行くよ。ああ、あすこの野原はなんてきれいだろう。みんな集ってるねえ。あすこがほんとうの天上なんだ。あっあすこにいるのぼくのお母さんだよ。」カムパネルラは俄にわかに窓の遠くに見えるきれいな野原を指して叫さけびました。

 ジョバンニもそっちを見ましたけれどもそこはぼんやり白くけむっているばかりどうしてもカムパネルラが云ったように思われませんでした。何とも云えずさびしい気がしてぼんやりそっちを見ていましたら向うの河岸に二本の電信ばしらが丁度両方から腕うでを組んだように赤い腕木をつらねて立っていました。

カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ。」ジョバンニが斯こう云いながらふりかえって見ましたらそのいままでカムパネルラの座すわっていた席にもうカムパネルラの形は見えずただ黒いびろうどばかりひかっていました。ジョバンニはまるで鉄砲丸てっぽうだまのように立ちあがりました。そして誰たれにも聞えないように窓の外へからだを乗り出して力いっぱいはげしく胸をうって叫びそれからもう咽喉のどいっぱい泣きだしました。もうそこらが一ぺんにまっくらになったように思いました。

注目エントリこち

九、ジョバンニの切符きっぷ

「もうここらは白鳥区のおしまいです。ごらんなさい。あれが名高いアルビレオ観測所です。」

 窓の外の、まるで花火でいっぱいのような、あまの川のまん中に、黒い大きな建物が四棟むねばかり立って、その一つの屋根の上に、眼めもさめるような、青宝玉サファイア黄玉パースの大きな二つのすきとおった球が、輪になってしずかにくるくるとまわっていました。黄いろのがだんだん向うへまわって行って、青い小さいのがこっちへ進んで来、間もなく二つのはじは、重なり合って、きれいな緑いろの両面凸とつレンズのかたちをつくり、それもだんだん、まん中がふくらみ出して、とうとう青いのは、すっかりトパースの正面に来ましたので、緑の中心と黄いろな明るい環わとができました。それがまただんだん横へ外それて、前のレンズの形を逆に繰くり返し、とうとうすっとはなれて、サファイアは向うへめぐり、黄いろのはこっちへ進み、また丁度さっきのような風になりました。銀河の、かたちもなく音もない水にかこまれて、ほんとうにその黒い測候所が、睡ねむっているように、しずかによこたわったのです。

「あれは、水の速さをはかる器械です。水も……。」鳥捕とりとりが云いかけたとき

切符を拝見いたします。」三人の席の横に、赤い帽子ぼうしをかぶったせいの高い車掌しゃしょうが、いつかまっすぐに立っていて云いました。鳥捕りは、だまってかくしから、小さな紙きれを出しました。車掌ちょっと見て、すぐ眼をそらして、(あなた方のは?)というように、指をうごかしながら、手をジョバンニたちの方へ出しました。

「さあ、」ジョバンニは困って、もじもじしていましたら、カムパネルラは、わけもないという風で、小さなねずみいろの切符を出しました。ジョバンニは、すっかりあわててしまって、もしか上着ポケットにでも、入っていたかとおもいながら、手を入れて見ましたら、何か大きな畳たたんだ紙きれにあたりました。こんなもの入っていたろうかと思って、急いで出してみましたら、それは四つに折ったはがきぐらいの大きさの緑いろの紙でした。車掌が手を出しているもんですから何でも構わない、やっちまえと思って渡しましたら、車掌はまっすぐに立ち直って叮寧ていねいにそれを開いて見ていました。そして読みながら上着のぼたんやなんかしきりに直したりしていましたし燈台看守も下からそれを熱心にのぞいていましたから、ジョバンニはたしかにあれは証明書か何かだったと考えて少し胸が熱くなるような気がしました。

「これは三次空間の方からお持ちになったのですか。」車掌がたずねました。

何だかわかりません。」もう大丈夫だいじょうぶだと安心しながらジョバンニはそっちを見あげてくつくつ笑いました。

「よろしゅうございます南十字サウザンクロスへ着きますのは、次の第三時ころになります。」車掌は紙をジョバンニに渡して向うへ行きました。

 カムパネルラは、その紙切れが何だったか待ち兼ねたというように急いでのぞきこみました。ジョバンニも全く早く見たかったのです。ところがそれはいちめん黒い唐草からくさのような模様の中に、おかしな十ばかりの字を印刷したものでだまって見ていると何だかその中へ吸い込こまれしまうような気がするのでした。すると鳥捕りが横からちらっとそれを見てあわてたように云いました。

「おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どこじゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想げんそう第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける筈はずでさあ、あなた方大したもんですね。」

何だかわかりません。」ジョバンニが赤くなって答えながらそれを又また畳んでかくしに入れました。そしてきまりが悪いのでカムパネルラと二人、また窓の外をながめていましたが、その鳥捕りの時々大したもんだというようにちらちらこっちを見ているのがぼんやりわかりました。

「もうじき鷲わしの停車場だよ。」カムパネルラが向う岸の、三つならんだ小さな青じろい三角標と地図とを見較みくらべて云いました。

 ジョバンニはなんだかわけもわからずににわかにとなりの鳥捕りが気の毒でたまらなくなりました。鷺さぎをつかまえてせいせいしたとよろこんだり、白いきれでそれをくるくる包んだり、ひとの切符をびっくりしたように横目で見てあわててほめだしたり、そんなことを一一考えていると、もうその見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニの持っているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんとうの幸さいわいになるなら自分があの光る天の川河原かわらに立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がして、どうしてももう黙だまっていられなくなりました。ほんとうにあなたほしいものは一体何ですか、と訊きこうとして、それではあんまり出し抜ぬけだから、どうしようかと考えて振ふり返って見ましたら、そこにはもうあの鳥捕りが居ませんでした。網棚あみだなの上には白い荷物も見えなかったのです。また窓の外で足をふんばってそらを見上げて鷺を捕る支度したくをしているのかと思って、急いでそっちを見ましたが、外はいちめんのうつくしい砂子と白いすすきの波ばかり、あの鳥捕りの広いせなかも尖とがった帽子も見えませんでした。

「あの人どこへ行ったろう。」カムパネルラぼんやりそう云っていました。

「どこへ行ったろう。一体どこでまたあうのだろう。僕ぼくはどうしても少しあの人に物を言わなかったろう。」

「ああ、僕もそう思っているよ。」

「僕はあの人が邪魔じゃまなような気がしたんだ。だから僕は大へんつらい。」ジョバンニはこんな変てこな気もちは、ほんとうにはじめてだし、こんなこと今まで云ったこともないと思いました。

何だか苹果りんごの匂においがする。僕いま苹果のこと考えたためだろうか。」カムパネルラ不思議そうにあたりを見まわしました。

「ほんとうに苹果の匂だよ。それから野茨のいばらの匂もする。」ジョバンニもそこらを見ましたがやっぱりそれは窓からでも入って来るらしいのでした。いま秋だから野茨の花の匂のする筈はないとジョバンニは思いました。

 そしたら俄にわかにそこに、つやつやした黒い髪かみの六つばかりの男の子が赤いジャケツのぼたんもかけずひどくびっくりしたような顔をしてがたがたふるえてはだしで立っていました。隣となりには黒い洋服をきちんと着たせいの高い青年が一ぱいに風に吹ふかれているけやきの木のような姿勢で、男の子の手をしっかりひいて立っていました。

「あら、ここどこでしょう。まあ、きれいだわ。」青年のうしろにもひとり十二ばかりの眼の茶いろな可愛かあいらしい女の子が黒い外套がいとうを着て青年の腕うでにすがって不思議そうに窓の外を見ているのでした。

「ああ、ここはランカシャイヤだ。いや、コンネクテカット州だ。いや、ああ、ぼくたちはそらへ来たのだ。わたしたちは天へ行くのです。ごらんなさい。あのしるしは天上のしるしです。もうなんにもこわいことありません。わたくしたちは神さまに召めされているのです。」黒服青年はよろこびにかがやいてその女の子に云いいました。けれどもなぜかまた額に深く皺しわを刻んで、それに大へんつかれているらしく、無理に笑いながら男の子をジョバンニのとなりに座すわらせました。

 それから女の子にやさしくカムパネルラのとなりの席を指さしました。女の子はすなおにそこへ座って、きちんと両手を組み合せました。

「ぼくおおねえさんのとこへ行くんだよう。」腰掛こしかけたばかりの男の子は顔を変にして燈台看守の向うの席に座ったばかりの青年に云いました。青年は何とも云えず悲しそうな顔をして、じっとその子の、ちぢれてぬれた頭を見ました。女の子は、いきなり両手を顔にあててしくしく泣いてしまいました。

「お父さんやきくよねえさんはまだいろいろお仕事があるのです。けれどももうすぐあとからいらっしゃいます。それよりも、おっかさんはどんなに永く待っていらっしゃったでしょう。わたし大事なタダシはいまどんな歌をうたっているだろう、雪の降る朝にみんなと手をつないでぐるぐるにわとこのやぶをまわってあそんでいるだろうかと考えたりほんとうに待って心配していらっしゃるんですから、早く行っておっかさんにお目にかかりましょうね。」

「うん、だけど僕、船に乗らなけぁよかったなあ。」

「ええ、けれど、ごらんなさい、そら、どうです、あの立派な川、ね、あすこはあの夏中、ツインクル、ツインクル、リトル、スター をうたってやすとき、いつも窓からぼんやり白く見えていたでしょう。あすこですよ。ね、きれいでしょう、あんなに光っています。」

 泣いていた姉もハンケチで眼をふいて外を見ました。青年は教えるようにそっと姉弟にまた云いました。

わたしたちはもうなんにもかなしいことないのです。わたしたちはこんないいとこを旅して、じき神さまのとこへ行きます。そこならもうほんとうに明るくて匂がよくて立派な人たちでいっぱいです。そしてわたしたちの代りにボートへ乗れた人たちは、きっとみんな助けられて、心配して待っているめいめいのお父さんやお母さんや自分のお家へやら行くのです。さあ、もうじきですから元気を出しておもしろくうたって行きましょう。」青年男の子ぬれたような黒い髪をなで、みんなを慰なぐさめながら、自分だんだん顔いろがかがやいて来ました。

あなた方はどちらからいらっしゃったのですか。どうなすったのですか。」さっきの燈台看守がやっと少しわかったように青年にたずねました。青年はかすかにわらいました。

「いえ、氷山にぶっつかって船が沈しずみましてね、わたしたちこちらのお父さんが急な用で二ヶ月前一足さきに本国へお帰りになったのであとから発たったのです。私は大学はいっていて、家庭教師にやとわれていたのです。ところがちょうど十二日目、今日か昨日きのうのあたりです、船が氷山にぶっつかって一ぺんに傾かたむきもう沈みかけました。月のあかりはどこかぼんやりありましたが、霧きりが非常に深かったのです。ところがボートは左舷さげんの方半分はもうだめになっていましたから、とてもみんなは乗り切らないのです。もうそのうちにも船は沈みますし、私は必死となって、どうか小さな人たちを乗せて下さいと叫さけびました。近くの人たちはすぐみちを開いてそして子供たちのために祈いのって呉くれました。けれどもそこからボートまでのところにはまだまだ小さな子どもたちや親たちやなんか居て、とても押おしのける勇気がなかったのです。それでもわたくしはどうしてもこの方たちをお助けするのが私の義務だと思いましたから前にいる子供らを押しのけようとしました。けれどもまたそんなにして助けてあげるよりはこのまま神のお前にみんなで行く方がほんとうにこの方たちの幸福だとも思いました。それからまたその神にそむく罪はわたくしひとりでしょってぜひとも助けてあげようと思いました。けれどもどうして見ているとそれができないのでした。子どもらばかりボートの中へはなしてやってお母さんが狂気きょうきのようにキスを送りお父さんがかなしいのをじっとこらえてまっすぐに立っているなどとてももう腸はらわたもちぎれるようでした。そのうち船はもうずんずん沈みますから、私はもうすっかり覚悟かくごしてこの人たち二人を抱だいて、浮うかべるだけは浮ぼうとかたまって船の沈むのを待っていました。誰たれが投げたかライフブイが一つ飛んで来ましたけれども滑すべってずうっと向うへ行ってしまいました。私は一生けん命で甲板かんぱんの格子こうしになったとこをはなして、三人それにしっかりとりつきました。どこからともなく〔約二字分空白〕番の声があがりました。たちまちみんなはいろいろな国語で一ぺんにそれをうたいました。そのときにわかに大きな音がして私たちは水に落ちもう渦うずに入ったと思いながらしっかりこの人たちをだいてそれからぼうっとしたと思ったらもうここへ来ていたのです。この方たちのお母さんは一昨年没なくなられました。ええボートはきっと助かったにちがいありません、何せよほど熟練な水夫たちが漕こいですばやく船からはなれていましたから。」

 そこらからさないのりの声が聞えジョバンニもカムパネルラもいままで忘れていたいろいろのことをぼんやり思い出して眼めが熱くなりました。

(ああ、その大きな海はパシフィックというのではなかったろうか。その氷山の流れる北のはての海で、小さな船に乗って、風や凍こおりつく潮水や、烈はげしい寒さとたたかって、たれかが一生けんめいはたらいている。ぼくはそのひとにほんとうに気の毒でそしてすまないような気がする。ぼくはそのひとのさいわいのためにいったいどうしたらいいのだろう。)ジョバンニは首を垂れて、すっかりふさぎ込こんでしまいました。

「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠とうげの上り下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。」

 燈台守がなぐさめていました。

「ああそうです。ただいちばんのさいわいに至るためにいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです。」

 青年が祈るようにそう答えました。

 そしてあの姉弟きょうだいはもうつかれてめいめいぐったり席によりかかって睡ねむっていました。さっきのあのはだしだった足にはいつか白い柔やわらかな靴くつをはいていたのです。

 ごとごとごとごと汽車きらびやか燐光りんこうの川の岸を進みました。向うの方の窓を見ると、野原はまるで幻燈げんとうのようでした。百も千もの大小さまざまの三角標、その大きなものの上には赤い点点をうった測量旗も見え、野原のはてはそれらがいちめん、たくさんたくさん集ってぼおっと青白い霧のよう、そこからかまたはもっとうからときどきさまざまの形のぼんやりした狼煙のろしのようなものが、かわるがわるきれいな桔梗ききょういろのそらにうちあげられるのでした。じつにそのすきとおった奇麗きれいな風は、ばらの匂においでいっぱいでした。

いかがですか。こういう苹果りんごはおはじめてでしょう。」向うの席の燈台看守がいつか黄金きんと紅でうつくしくいろどられた大きな苹果を落さないように両手で膝ひざの上にかかえていました。

「おや、どっから来たのですか。立派ですねえ。ここらではこんな苹果ができるのですか。」青年はほんとうにびっくりしたらしく燈台看守の両手にかかえられた一もりの苹果を眼を細くしたり首をまげたりしながらわれを忘れてながめていました。

「いや、まあおとり下さい。どうか、まあおとり下さい。」

 青年は一つとってジョバンニたちの方をちょっと見ました。

「さあ、向うの坊ぼっちゃんがた。いかがですか。おとり下さい。」

 ジョバンニは坊ちゃんといわれたのですこししゃくにさわってだまっていましたがカムパネルラ

ありがとう、」と云いました。すると青年自分でとって一つずつ二人に送ってよこしましたのでジョバンニも立ってありがとうと云いました。

 燈台看守はやっと両腕りょううでがあいたのでこんどは自分で一つずつ睡っている姉弟の膝にそっと置きました。

「どうもありがとう。どこでできるのですか。こんな立派な苹果は。」

 青年はつくづく見ながら云いました。

「この辺ではもちろん農業はいしますけれども大ていひとりでにいいものができるような約束くそくになって居おります農業だってそんなに骨は折れはしません。たいてい自分の望む種子たねさえ播まけばひとりでにどんどんできます。米だってパシフィック辺のように殻からもないし十倍も大きくて匂もいいのです。けれどもあなたがたのいらっしゃる方なら農業はもうありません。苹果だってお菓子だってかすが少しもありませんからみんなそのひとそのひとによってちがったわずかのいいかおりになって毛あなからちらけてしまうのです。」

 にわか男の子がぱっちり眼をあいて云いました。

「ああぼくいまお母さんの夢ゆめをみていたよ。お母さんがね立派な戸棚とだなや本のあるとこに居てね、ぼくの方を見て手をだしてにこにこにこにこわらったよ。ぼくおっかさん。りんごをひろってきてあげましょうか云ったら眼がさめちゃった。ああここさっきの汽車のなかだねえ。」

「その苹果りんごがそこにあります。このおじさんにいただいたのですよ。」青年が云いました。

ありがとうおじさん。おや、かおるねえさんまだねてるねえ、ぼくおこしてやろう。ねえさん。ごらん、りんごをもらったよ。おきてごらん。」

 姉はわらって眼をさましまぶしそうに両手を眼にあててそれから苹果を見ました。男の子はまるでパイを喰たべるようにもうそれを喰べていました、また折角せっかく剥むいたそのきれいな皮も、くるくるコルク抜ぬきのような形になって床ゆかへ落ちるまでの間にはすうっと、灰いろに光って蒸発してしまうのでした。

 二人はりんごを大切にポケットしまいました。

 川下の向う岸に青く茂しげった大きな林が見え、その枝えだには熟してまっ赤に光る円い実がいっぱい、その林のまん中に高い高い三角標が立って、森の中からオーケストラベルやジロフォンにまじって何とも云えずきれいな音いろが、とけるように浸しみるように風につれて流れて来るのでした。

 青年はぞくっとしてからだをふるうようにしました。

 だまってその譜ふを聞いていると、そこらにいちめん黄いろやうすい緑の明るい野原か敷物かがひろがり、またまっ白な蝋ろうのような露つゆが太陽の面を擦かすめて行くように思われました。

「まあ、あの烏からす。」カムパネルラのとなりのかおると呼ばれた女の子叫びました。

からすでない。みんなかささぎだ。」カムパネルラがまた何気なくしかるように叫びましたので、ジョバンニはまた思わず笑い、女の子はきまり悪そうにしました。まったく河原かわらの青じろいあかりの上に、黒い鳥がたくさんたくさんいっぱいに列になってとまってじっと川の微光びこうを受けているのでした。

「かささぎですねえ、頭のうしろのとこに毛がぴんと延びてますから。」青年はとりなすように云いました。

 向うの青い森の中の三角標はすっかり汽車の正面に来ました。そのとき汽車のずうっとうしろの方からあの聞きなれた〔約二字分空白〕番の讃美歌さんびかのふしが聞えてきました。よほどの人数で合唱しているらしいのでした。青年はさっと顔いろが青ざめ、たって一ぺんそっちへ行きそうにしましたが思いかえしてまた座すわりました。かおる子はハンケチを顔にあててしまいました。ジョバンニまで何だか鼻が変になりました。けれどもいつともなく誰たれともなくその歌は歌い出されだんだんはっきり強くなりました。思わずジョバンニもカムパネルラも一緒いっしょにうたい出したのです。

 そして青い橄欖かんらんの森が見えない天の川の向うにさめざめと光りながらだんだんしろの方へ行ってしまいそこから流れて来るあやしい楽器の音もも汽車のひびきや風の音にすり耗へらされてずうっとかすかになりました。

「あ孔雀くじゃくが居るよ。」

「ええたくさん居たわ。」女の子がこたえました。

 ジョバンニはその小さく小さくなっていまはもう一つの緑いろの貝ぼたんのように見える森の上にさっさっと青じろく時々光ってその孔雀がはねをひろげたりとじたりする光の反射を見ました。

「そうだ、孔雀の声だってさっき聞えた。」カムパネルラがかおる子に云いいました。

「ええ、三十疋ぴきぐらいはたしかに居たわ。ハープのように聞えたのはみんな孔雀よ。」女の子が答えました。ジョバンニは俄にわかに何とも云えずかなしい気がして思わず

カムパネルラ、ここからはねおりて遊んで行こうよ。」とこわい顔をして云おうとしたくらいでした。

 川は二つにわかれました。そのまっくらな島のまん中に高い高いやぐらが一つ組まれてその上に一人の寛ゆるい服を着て赤い帽子ぼうしをかぶった男が立っていました。そして両手に赤と青の旗をもってそらを見上げて信号しているのでした。ジョバンニが見ている間その人はしきりに赤い旗をふっていましたが俄かに赤旗おろしてうしろにかくすようにし青い旗を高く高くあげてまるでオーケストラ指揮者のように烈はげしく振ふりました。すると空中にざあっと雨のような音がして何かまっくらなものがいくかたまりもいくかたまり鉄砲丸てっぽうだまのように川の向うの方へ飛んで行くのでした。ジョバンニは思わずからからだを半分出してそっちを見あげました。美しい美しい桔梗ききょういろのがらんとした空の下を実に何万という小さな鳥どもが幾組いくくみも幾組もめいめいせわしくせわしく鳴いて通って行くのでした。

「鳥が飛んで行くな。」ジョバンニが窓の外で云いました。

「どら、」カムパネルラもそらを見ました。そのときあのやぐらの上のゆるい服の男は俄かに赤い旗をあげて狂気きょうきのようにふりうごかしました。するとぴたっと鳥の群は通らなくなりそれと同時にぴしゃぁんという潰つぶれたような音が川下の方で起ってそれからしばらくしいんとしました。と思ったらあの赤帽信号手がまた青い旗をふって叫さけんでいたのです。

「いまこそわたれわたり鳥、いまこそわたれわたり鳥。」その声もはっきり聞えました。それといっしょにまた幾万という鳥の群がそらをまっすぐにかけたのです。二人の顔を出しているまん中の窓からあの女の子が顔を出して美しい頬ほほをかがやかせながらそらを仰あおぎました。

「まあ、この鳥、たくさんですわねえ、あらまあそらのきれいなこと。」女の子はジョバンニにはなしかけましたけれどもジョバンニは生意気ないやだいと思いながらだまって口をむすんでそらを見あげていました。女の子は小さくほっと息をしてだまって席へ戻もどりました。カムパネルラが気の毒そうに窓から顔を引っ込こめて地図を見ていました。

「あの人鳥へ教えてるんでしょうか。」女の子がそっとカムパネルラにたずねました。

わたり鳥へ信号してるんです。きっとどこからのろしがあがるためでしょう。」カムパネルラが少しおぼつかなそうに答えました。そして車の中はしぃんとなりました。ジョバンニはもう頭を引っ込めたかったのですけれども明るいとこへ顔を出すのがつらかったのでだまってこらえてそのまま立って口笛くちぶえを吹ふいていました。

(どうして僕ぼくはこんなにかなしいのだろう。僕はもっとこころもちをきれいに大きくもたなければいけない。あすこの岸のずうっと向うにまるでけむりのような小さな青い火が見える。あれはほんとうにしずかでつめたい。僕はあれをよく見てこころもちをしずめるんだ。)ジョバンニは熱ほてって痛いあたまを両手で押おさえるようにしてそっちの方を見ました。(あ Permalink | 記事への反応(0) | 22:20

anond:20210322102742

それは無理や。

ブスな後輩には、あっそみたいな対応をし、可愛くいい子には優しくするのは普通や。

感じのいい青年営業マンなら話聞くけど、KKOなら追い払う。

2021-03-21

チェスターコートを着た成人女性赤色モンスターエナジーを持って信号待ちをしていた姿が頭から離れない

三つ子の魂百までもって言葉が示している通り、人の習慣ってぜんぜん変わらないってよく言われてて、じっさい二・二六事件の音声を聞くとホント自分のじいちゃんばあちゃんと話し方が同じでびっくりすることありませんか???わたしはあります

そんなわけで、今の学生ってモンスターエナジー飲んで限界大学生生活している人だらけなので、まるでSFみたいな光景スーツコートを着て身なりがしっかりしている若い夫婦ベビーカーを押しながら、モンスターエナジースーパーコーラ(ペットボトルみたいなタイプのやつ)を人差し指中指つまみながら歩く、マッポーめいたサイバーパンクみたいな光景が各地でみられるようになるのかなという考えで今も頭がぐるぐるしている

なにより、若者私服イメージエナドリと冬用コートってものすごく絵になるんですよね保証します。だれかそういう絵描いてくれないかな。スーツコート着た青年男性ペットボトルエナドリを腕おろし状態で指でつまみ信号待ちしている光景(横顔がはっきり見える構図)

2021-03-20

anond:20210320141305

それが正しい。郷土愛無いの変だよ

地獄青年会・消防団抜きにしてもね

2021-03-19

会いましょう

他でもない。自分は元来詩人として名を成す積りでいた。しかも、業未いまだ成らざるに、この運命に立至った。曾て作るところの詩数百篇ぺん、固もとより、まだ世に行われておらぬ。遺稿の所在も最早もはや判らなくなっていよう。ところで、その中、今も尚なお記誦きしょうせるものが数十ある。これを我が為ために伝録して戴いただきたいのだ。何も、これに仍よって一人前の詩人面づらをしたいのではない。作の巧拙は知らず、とにかく、産を破り心を狂わせてまで自分が生涯しょうがいそれに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れないのだ。

 袁※(「にんべん+參」、第4水準2-1-79)は部下に命じ、筆を執って叢中の声に随したがって書きとらせた。李徴の声は叢の中から朗々と響いた。長短凡およそ三十篇、格調高雅、意趣卓逸、一読して作者の才の非凡を思わせるものばかりであるしかし、袁※(「にんべん+參」、第4水準2-1-79)は感嘆しながらも漠然ばくぜんと次のように感じていた。成程なるほど、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処どこか(非常に微妙な点に於おいて)欠けるところがあるのではないか、と。

 旧詩を吐き終った李徴の声は、突然調子を変え、自らを嘲あざけるか如ごとくに言った。

 羞はずかしいことだが、今でも、こんなあさましい身と成り果てた今でも、己おれは、己の詩集長安ちょうあん風流人士の机の上に置かれている様を、夢に見ることがあるのだ。岩窟がんくつの中に横たわって見る夢にだよ。嗤わらってくれ。詩人に成りそこなって虎になった哀れな男を。(袁※(「にんべん+參」、第4水準2-1-79)は昔の青年李徴の自嘲癖じちょうへきを思出しながら、哀しく聞いていた。)そうだ。お笑い草ついでに、今の懐おもいを即席の詩に述べて見ようか。この虎の中に、まだ、曾ての李徴が生きているしるしに。

 袁※(「にんべん+參」、第4水準2-1-79)は又下吏に命じてこれを書きとらせた。その詩に言う。

   偶因狂疾成殊類 災患相仍不可逃

   今日爪牙誰敢敵 当時声跡共相高

   我為異物蓬茅下 君已乗※(「車+召」、第3水準1-92-44)気勢豪

   此夕渓山対明月 不成長嘯但成※(「口+皐」の「白」に代えて「自」、第4水準2-4-33)

 時に、残月、光冷ひややかに白露は地に滋しげく、樹間を渡る冷風は既に暁の近きを告げていた。人々は最早、事の奇異を忘れ、粛然として、この詩人の薄倖はっこうを嘆じた。李徴の声は再び続ける。

 何故なぜこんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、しかし、考えように依よれば、思い当ることが全然ないでもない。人間であった時、己おれは努めて人との交まじわりを避けた。人々は己を倨傲きょごうだ、尊大だといった。実は、それが殆ほとんど羞恥心しゅうちしんに近いものであることを、人々は知らなかった。勿論もちろん、曾ての郷党きょうとうの鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云いわない。しかし、それは臆病おくびょうな自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨せっさたくまに努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍ごすることも潔いさぎよしとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大羞恥心との所為いである。己おのれの珠たまに非あらざることを惧おそれるが故ゆえに、敢あえて刻苦して磨みがこうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々ろくろくとして瓦かわらに伍することも出来なかった。己おれは次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶ふんもんと慙恚ざんいとによって益々ますます己おのれの内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己おれの場合、この尊大羞恥心猛獣だった。虎だったのだ。これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。今思えば、全く、己は、己の有もっていた僅わずかばかりの才能を空費して了った訳だ。人生は何事をも為なさぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄ろうしながら、事実は、才能の不足を暴露ばくろするかも知れないとの卑怯ひきょうな危惧きぐと、刻苦を厭いとう怠惰とが己の凡すべてだったのだ。己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。虎と成り果てた今、己は漸ようやくそれに気が付いた。それを思うと、己は今も胸を灼やかれるような悔を感じる。己には最早人間としての生活は出来ない。たとえ、今、己が頭の中で、どんな優れた詩を作ったにしたところで、どういう手段で発表できよう。まして、己の頭は日毎ひごとに虎に近づいて行く。どうすればいいのだ。己の空費された過去は? 己は堪たまらなくなる。そういう時、己は、向うの山の頂の巖いわに上り、空谷くうこくに向って吼ほえる。この胸を灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。己は昨夕も、彼処あそこで月に向って咆ほえた。誰かにこの苦しみが分って貰もらえないかと。しかし、獣どもは己の声を聞いて、唯ただ、懼おそれ、ひれ伏すばかり。山も樹きも月も露も、一匹の虎が怒り狂って、哮たけっているとしか考えない。天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持を分ってくれる者はない。ちょうど、人間だった頃、己の傷つき易やすい内心を誰も理解してくれなかったように。己の毛皮の濡ぬれたのは、夜露のためばかりではない。

 漸く四辺あたりの暗さが薄らいで来た。木の間を伝って、何処どこからか、暁角ぎょうかくが哀しげに響き始めた。

夢で会いましょう

 隴西ろうさいの李徴りちょうは博学才穎さいえい、天宝の末年、若くして名を虎榜こぼうに連ね、ついで江南尉こうなんいに補せられたが、性、狷介けんかい、自みずから恃たのむところ頗すこぶる厚く、賤吏せんりに甘んずるを潔いさぎよしとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山こざん、※(「埒のつくり+虎」、第3水準1-91-48)略かくりゃくに帰臥きがし、人と交まじわりを絶って、ひたすら詩作に耽ふけった。下吏となって長く膝ひざを俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺のこそうとしたのであるしかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐おうて苦しくなる。李徴は漸ようやく焦躁しょうそうに駆られて来た。この頃ころからその容貌ようぼうも峭刻しょうこくとなり、肉落ち骨秀ひいで、眼光のみ徒いたずらに炯々けいけいとして、曾かつて進士に登第とうだいした頃の豊頬ほうきょうの美少年の俤おもかげは、何処どこに求めようもない。数年の後、貧窮に堪たえず、妻子の衣食のために遂ついに節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになった。一方、これは、己おのれの詩業に半ば絶望したためでもある。曾ての同輩は既に遥はるか高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙しがにもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才しゅんさい李徴の自尊心を如何いかに傷きずつけたかは、想像に難かたくない。彼は怏々おうおうとして楽しまず、狂悖きょうはいの性は愈々いよいよ抑え難がたくなった。一年の後、公用で旅に出、汝水じょすいのほとりに宿った時、遂に発狂した。或ある夜半、急に顔色を変えて寝床から起上ると、何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま下にとび下りて、闇やみの中へ駈出かけだした。彼は二度と戻もどって来なかった。附近山野を捜索しても、何の手掛りもない。その後李徴がどうなったかを知る者は、誰だれもなかった。

 翌年、監察御史かんさつぎょし、陳郡ちんぐんの袁※(「にんべん+參」、第4水準2-1-79)えんさんという者、勅命を奉じて嶺南れいなんに使つかいし、途みちに商於しょうおの地に宿った。次の朝未まだ暗い中うちに出発しようとしたところ、駅吏が言うことに、これから先の道に人喰虎ひとくいどらが出る故ゆえ、旅人は白昼でなければ、通れない。今はまだ朝が早いから、今少し待たれたが宜よろしいでしょうと。袁※(「にんべん+參」、第4水準2-1-79)は、しかし、供廻ともまわりの多勢なのを恃み、駅吏の言葉を斥しりぞけて、出発した。残月の光をたよりに林中の草地を通って行った時、果して一匹の猛虎もうこが叢くさむらの中から躍り出た。虎は、あわや袁※(「にんべん+參」、第4水準2-1-79)に躍りかかるかと見えたが、忽たちまち身を飜ひるがえして、元の叢に隠れた。叢の中から人間の声で「あぶないところだった」と繰返し呟つぶやくのが聞えた。その声に袁※(「にんべん+參」、第4水準2-1-79)は聞き憶おぼえがあった。驚懼きょうくの中にも、彼は咄嗟とっさに思いあたって、叫んだ。「その声は、我が友、李徴子ではないか?」袁※(「にんべん+參」、第4水準2-1-79)は李徴と同年に進士の第に登り、友人の少かった李徴にとっては、最も親しい友であった。温和な袁※(「にんべん+參」、第4水準2-1-79)の性格が、峻峭しゅんしょうな李徴の性情と衝突しなかったためであろう。

 叢の中からは、暫しばらく返辞が無かった。しのび泣きかと思われる微かすかな声が時々洩もれるばかりである。ややあって、低い声が答えた。「如何にも自分は隴西の李徴である」と。

 袁※(「にんべん+參」、第4水準2-1-79)は恐怖を忘れ、馬から下りて叢に近づき、懐なつかしげに久闊きゅうかつを叙した。そして、何故なぜ叢から出て来ないのかと問うた。李徴の声が答えて言う。自分は今や異類の身となっている。どうして、おめおめと故人ともの前にあさましい姿をさらせようか。かつ又、自分が姿を現せば、必ず君に畏怖嫌厭いふけんえんの情を起させるに決っているからだ。しかし、今、図らずも故人に遇あうことを得て、愧赧きたんの念をも忘れる程に懐かしい。どうか、ほんの暫くでいいから、我が醜悪な今の外形を厭いとわず、曾て君の友李徴であったこ自分と話を交してくれないだろうか。

 後で考えれば不思議だったが、その時、袁※(「にんべん+參」、第4水準2-1-79)は、この超自然怪異を、実に素直に受容うけいれて、少しも怪もうとしなかった。彼は部下に命じて行列の進行を停とめ、自分は叢の傍かたわらに立って、見えざる声と対談した。都の噂うわさ、旧友の消息、袁※(「にんべん+參」、第4水準2-1-79)が現在地位、それに対する李徴の祝辞青年時代に親しかった者同志の、あの隔てのない語調で、それ等らが語られた後、袁※(「にんべん+參」、第4水準2-1-79)は、李徴がどうして今の身となるに至ったかを訊たずねた。草中の声は次のように語った。

 今から一年程前、自分が旅に出て汝水のほとりに泊った夜のこと、一睡してから、ふと眼めを覚ますと、戸外で誰かが我が名を呼んでいる。声に応じて外へ出て見ると、声は闇の中から頻しきりに自分を招く。覚えず、自分は声を追うて走り出した。無我夢中で駈けて行く中に、何時いつしか途は山林に入り、しかも、知らぬ間に自分は左右の手で地を攫つかんで走っていた。何か身体からだ中に力が充みち満ちたような感じで、軽々と岩石を跳び越えて行った。気が付くと、手先や肱ひじのあたりに毛を生じているらしい。少し明るくなってから谷川に臨んで姿を映して見ると、既に虎となっていた。自分は初め眼を信じなかった。次に、これは夢に違いないと考えた。夢の中で、これは夢だぞと知っているような夢を、自分はそれまでに見たことがあったから。どうしても夢でないと悟らねばならなかった時、自分は茫然ぼうぜんとした。そうして懼おそれた。全く、どんな事でも起り得るのだと思うて、深く懼れた。しかし、何故こんな事になったのだろう。分らぬ。全く何事も我々には判わからぬ。理由も分らずに押付けられたもの大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。自分は直すぐに死を想おもうた。しかし、その時、眼の前を一匹の兎うさぎが駈け過ぎるのを見た途端に、自分中の人間は忽ち姿を消した。再び自分中の人間が目を覚ました時、自分の口は兎の血に塗まみれ、あたりには兎の毛が散らばっていた。これが虎としての最初経験であった。それ以来今までにどんな所行をし続けて来たか、それは到底語るに忍びない。ただ、一日の中に必ず数時間は、人間の心が還かえって来る。そういう時には、曾ての日と同じく、人語も操あやつれれば、複雑な思考にも堪え得るし、経書けいしょの章句を誦そらんずることも出来る。その人間の心で、虎としての己おのれの残虐ざんぎゃくな行おこないのあとを見、己の運命をふりかえる時が、最も情なく、恐しく、憤いきどおろしい。しかし、その、人間かえる時間も、日を経るに従って次第に短くなって行く。今までは、どうして虎などになったかと怪しんでいたのに、この間ひょいと気が付いて見たら、己おれはどうして以前、人間だったのかと考えていた。これは恐しいことだ。今少し経たてば、己おれの中の人間の心は、獣としての習慣の中にすっかり埋うもれて消えて了しまうだろう。ちょうど、古い宮殿の礎いしずえが次第に土砂に埋没するように。そうすれば、しまいに己は自分過去を忘れ果て、一匹の虎として狂い廻り、今日のように途で君と出会っても故人ともと認めることなく、君を裂き喰くろうて何の悔も感じないだろう。一体、獣でも人間でも、もとは何か他ほかのものだったんだろう。初めはそれを憶えているが、次第に忘れて了い、初めから今の形のものだったと思い込んでいるのではないか? いや、そんな事はどうでもいい。己の中の人間の心がすっかり消えて了えば、恐らく、その方が、己はしあわせになれるだろう。だのに、己の中の人間は、その事を、この上なく恐しく感じているのだ。ああ、全く、どんなに、恐しく、哀かなしく、切なく思っているだろう! 己が人間だった記憶のなくなることを。この気持は誰にも分らない。誰にも分らない。己と同じ身の上に成った者でなければ。ところで、そうだ。己がすっかり人間でなくなって了う前に、一つ頼んで置きたいことがある。

 袁※(「にんべん+參」、第4水準2-1-79)はじめ一行は、息をのんで、叢中そうちゅうの声の語る不思議に聞入っていた。声は続けて言う。

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