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はてなキーワード: パーソナリティとは

2017-08-12

ふと、淫夢ネタがまったく笑えなくなった。

これは、反撃できない対象にむかってする一方的イジメなのだということにやっと気づいた。

自分の愚かさを恥じる。とても自己嫌悪。気づくのが遅すぎる。子どもか俺は。

しかし、このイジメ行為はどうすれば絶えるんだろうか・・・

みんな、悪気があってやっていないだけ、本当にタチが悪い。

少し検索したら、「淫夢ネタ同性愛者への親近感が生まれて良い」と言う人までいるらしい。

みんなが早く、俺みたいに自分がやっていることの異常性に気づきますようにと願う。

※追記

沢山のトラバブクマブコメありがとうございます

どなたかが仰ってくれたように、このエントリが少しでも拡散されて話題になり、淫夢ネタ含む、個人一方的ネタにして面白がる風潮が少しでも減ってゆけばと思います

はてなではもとより否定派の方が多いようですが、インターネット上にはそうではない方が多数いるはずです。

『笑えなくなったきっかけは?』

直接のきっかけは、

何気なくみたYoutube動画コメント欄に、淫夢ネタ画像アイコンにして、淫夢ネタハンドルネームを冠し、淫夢ネタ言葉遣いコメントをするアカウントが、何十と並んでいるのをみて、とても異様に感じたことです。

おそらくこの感覚は、淫夢ネタをもとから面白がれない人にとっては当たり前のものなのだろうと思うのですが、突然、感じてしまったのです。

飽きたというより、「今まで俺はなにをやっていたんだ…」と自己嫌悪に陥る感覚です。

そもそも、なにがおもしろいのか?』

このような疑問を示すコメントをいくつか見かけ、冷静に少し考えてみたのですが、うまく言語化できません。

ただ、

方言がキツい地方出身の方の喋り方を面白がっていじる」とか、

「太っている方の体型を面白がっていじる」とか、

その人が持つ、他とは少し変わった格好悪いパーソナリティフォーカスする系の、いわゆるイジメと変わりません。

そもそもそれを面白がる神経を疑う、と言われても弁明できません。

普段、どんなサイトをみるのか?』

お察しのとおり、私はニコニコ動画をよくみます

ひいきの動画投稿者がいるというよりは、ランキングトレンドになっているものをなんとなくみるタイプ視聴者です。

現在カテゴリ合算24時間総合ランキングをみると、トップ10のうち、4つの動画淫夢に関連のあるネタ動画になっています

ブコメでも言及されている方がいらっしゃいますが、ゲームRTAリアルタイムアタック動画は、淫夢ネタ全面的に使ったものが数多くあるなど、ゲーム実況音MAD等、ランキングにあがるような人気動画にこのネタが盛り込まれることは非常に多いです。

2017-08-02

https://anond.hatelabo.jp/20170731222123

KKO(Kimokute Kanenonai Ossan)は定義付けするものではなくて

現代社会競争階級のうちの1つだからその中に存在するパーソナリティなんて様々だよ

いわば負け犬を少し限定的にした立ち位置をさしてるだけ

負け犬って何?負けてる犬のこと?みたいな質問

金銭面での充足も無理、精神面での充足も無理、しか社会保障もない、

そういう階級のことを指しているんであって外見とか人間性の特徴を言ってるわけではない

キモくて→精神的充足不可能

金の無い→金銭的充足不可能

おっさん→若くないし女性でもないが転じて社会保障不可能(つまり保護対象でないネオリベ攻撃対象)

 

障害者女性子どもおっさんになれないので

どれだけキモかろうが金が無かろうがKKOになれずネオリベに守ってもらえる

しかおっさんになると途端にぶっ叩いてよい存在になる

 

まりはそう

KKOという存在ネオリベ意識したものネオリベがこぞって叩く対象共通項を指しているんだな

これに当てはまった人間はどれだけ他に価値がある存在でもネオリベは平気で叩くし

自己責任論で責め立てて一方的加害者にしたてあげる

2017-07-29

世の中はオッサンが回している

朝乗った電車運転手がオッサンだった。

タクシー運転手さんもオッサンだった。

コンビニ店員さんもオッサンだった。

荷物届けてくれた宅配の人もオッサンだった。

湯沸かし器故障で取り替えにきてくれた人もオッサンだった。

近所の戸建て住宅を建ててる大工さんもオッサンだった。

ラーメン屋さんの大将もオッサンだった。

イタリアンレストランオーナーシェフもオッサンだった。

家電量販店で物をたずねた店員さんもオッサンだった。

取引先に商談しに行った相手もオッサンだった。

良く聴くラジオパーソナリティーもオッサンだった。

テレビニュースキャスターがオッサンだった。

世の中の仕組みは、

もうすべてオッサンが回してるんじゃないだろうかってくらい

まわりにオッサンしかいない。

一体どうなってるんだこれは。

2017-07-26

https://anond.hatelabo.jp/20170726122415

Aさんのブログを初めてちゃんと読んだけど、「境界性人格障害現在では境界性パーソナリティ障害が正確な病名)は性格であって病気じゃない」などと書かれていて、看護学校で使ってた精神医学テキストがよっぽど古いものだったのか?と疑問に思った。

あるいは、google先生に「パーソナリティ障害 定義」と聞けばすぐ分かるようなことすら理解できていないようだったので、学校でまともに勉強していなかったのかもしれない。

性格=キャラクター」であって「性格=パーソナリティ」ではないし、性格キャラクター)は人格パーソナリティ)の一部でしかない。

DSM-5から多軸診断が廃止され、パーソナリティ障害も他の精神疾患と同列で扱われるようになっている。

ちなみにあのブログに書かれている「BPDの人に依存されたらどうしたらいいか」は、参考にする価値はまったくないと思われる。

2017-07-25

境界性人格障害の人に依存されたらどうしたら良いか、を読んで

内容のゴタゴタについては関係ないのであまり触れない。

境界性人格障害の人に依存されたらどうしたら良いか

http://naoyaito.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-59be.html

この文章は、一見理路整然と書かれているし、一般論の話をしているようだが、実際は著者自身自分欲求を書いているだけだと私は読んだ。

「好きだよ」「ごめんね」を使って、犬のしつけのように相手思考矯正する

「好きだよ」「ごめんね」を使って、犬のしつけのように私の思考矯正してくれ

別れないのが本当は一番

これなんかそのまま。

この人の文章や行動パターンは大体がそうで、たしか境界例っぽい。

相手の行動をとにかく管理して支配して縛りたいというのが強い。

ブログではうまく書いてあって著者が被害者のように書いてあるが、加害者である側面も多い。

不倫関係相手が悪いと一方的に書いてあるが、不倫関係を了承して実行いる時点で彼女自身、奥さんに対しては加害者であるし、共犯でもある。

奥さんの悪口一方的ブログに書いて、なので、若くていたいけな自分は悪くない、と印象操作しているのは見事だなあと思った。

不倫してストーキングしてブログを書いて脅迫してリベンジポルノアップロードして、と不法行為の嵐なんだが。

モラハラ加害者境界例の人でこういうのが上手い人も多い。周りの人を信用させるのに長けていて自分立ち位置が解っており、印象操作うまいのだ。

年齢に関しても巧妙に隠してあり、看護学校卒業と書いてあったので随分若いのかと思ったら

Aさんの件について http://d.hatena.ne.jp/naoya/20170725/1500942772

を読んだ限りでは若くても二十代後半、三十代前半かもしれないので特に若くなかった。立派な成人女性だ。

中絶に関しても

http://naoyaito.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/2016927-f401.html

に書いてあるとおり、相談もなく中絶している。

避妊してくれなかったからだ、と書いてあるが、避妊しない人と継続的に性行為している時点で自分自身でも選んでしている行動なのに、相手が悪いことに著者の中ではなっている。

境界例の人の特徴としては、支配的に振るまうために、自分に有利なカードを手に入れたなら被害者ぶって相手を従えようとする。

不倫関係からあなたは私に負い目がある、大事にするべき。

子供を降ろさせたんだから私を大事にするべき。

境界例人間理解しようとするのに役に立つのは、異常に「支配的」だということだ。

境界例の人に依存されたらどうしたらいいか

この文章鵜呑みにしてはいけない。

一番いいのは全く個人的には関わらないことであるターゲットにされないように振るまうのが一番いい。

境界例の人の見抜き方は、初対面で異常に距離感が近くしようとする人である

そして自分を不幸な人間宣伝して同情心を煽ったり過度に魅力的にふるまう。自分の気にいるように異常にふるまってくる人間は要注意である

普通人間は過度にそうはしない。

時間をかけてゆっくり仲良くなってもいいからだ。だが境界例の人たちはそれを待つことができない。見分ける一つのポイントである

依存されてからは、一対一で会うなんて以ての外である絶対に良い結果は生まない。もっと酷いことになるだけだ。


まず境界例の人たちとまともな議論ができる人間ほとんどいない。

この人たちはまさに自分実存をかけて他人依存しているので、十言えば百帰ってくるし、自分矛盾には気づかないし、指摘しても相手の非を延々と責め続ける。

普通人間はそれに疲れてしまうので謝ってしまったり言うことを聞けば楽になれるんだろうかと洗脳状態のようになる。

特に今回のような場合は、相手四面楚歌になっているに違いないしそういう状況に追い込んでいる。

そこで自分だけは優しくして、甘やかしたりなだめすかせば言うことを聞かせることができると思っている。

DV洗脳状態に戻るだけだ。絶対に会ってはいけない。

境界例の人は、助けてくれ、自分をなんとかしてくれと折に触れて延々訴えてくる。

お前のせいでこうなったお前のせいでこうなったと延々とわめき続けるだけだ。自分葛藤他人押し付けたいのだ。

恨みつらみを後で爆発させて、こうなったのはお前のせいだと怒り出す。境界例の人がこうなったのは境界例の人のせいである。

この人たちはそれがわからない。

境界例の人に依存されたらどうしたらいいか

一番いいのは全く関わらないことである自分自身と向き合うことから逃げないで他人依存しない自分自身人生を生きることが一番本人のためになる。

境界例の人たちはじゃあどうすればいいのか。

境界例の人たちが自分をどうにかするのは境界例的なパーソナリティ自分自身で受け入れ自分自身の力で変わっていくしかない。

依存対象に何かを求める時点でおかしいのである

自分自身性格自分自身しか変えることはできない。

境界例的な人格であっても幾つかの不適応を起こす部分を変化させれば、十分に社会では生きていける。

そして自分自身人生を生きることは素晴らしい。

2017-07-23

病気個性

たまに聞くけどちょっと違和感があるんだよねこ物言い

そもそも言葉定義自分の考えてるものと違うのかも知れないけどね。

そこで、試しに辞書を引いてみるわけだけど

びょう き びやう- [0] 【病気

肉体の生理的なはたらき,あるいは精神のはたらきに異常が起こり,不快苦痛・悩みを感じ,通常の生活を営みにくくなる状態やまい。疾病。 「 -になる」

比喩的に)悪いくせをいう。 「例の-がはじまる」

こ せい [1] 【個性

ある個人を特徴づけている性質性格。その人固有の特性パーソナリティー。 「強烈な-をもった作品」 「 -を発揮する」

三省堂 大辞林 より


うーん。

まず病気定義からだけど、2番眼の悪癖を意味する言葉としては使われてないかな。

それだとこの場合トートロジーになってしまうから

そして係助詞の『は』が意味してるのは主題に関する説明だろうから

肉体の生理的なはたらき,あるいは精神のはたらきに異常が起こり,不快苦痛・悩みを感じ,通常の生活を営みにくくなる状態やまい。疾病。

ある個人を特徴づけている性質性格。その人固有の特性パーソナリティー。

である

って意味になる。

なるほど。

たとえば手足が不自由な人がいたら、その人という人間を決定づける要素は手足の不自由である、って話ね。

うーんちょっと残酷だね。

間違ったことは何も言ってないとは思うんだけどバッサリしすぎてると思う。

でも確かに病気個性なんだよな。

「背が異常に低い」「優しい」「ハゲ」「スケベ」「心臓病がある」「ケチ」こういった物にわざわざ序列を付けていく必要はないんじゃないかって提案には一理ある。

男色家であること」と「喘息持ちであること」を同列に扱うのには直感的に違和感があるけど、どちらも個人性質を決定づけている性質から同じ重さのある個性として扱うことは出来る。

確かに出来るな。

病気個性」という表現は何も間違ってないな。

だけど何故か違和感が残りっぱなしだー。

このフレーズが使われるとき文脈言葉意味が噛み合ってる気がしないんだよー。

2017-07-20

わたし峯田和伸さんのファン

朝ドラに峯田が出ている。峯田とは峯田和伸さんのことで、彼はGOING STEADYまたは銀杏BOYZボーカルとして知られている。現在俳優としても活躍し、その活動の幅を広げている。

今期のNHK朝の連続ドラマ小説ひよっこ」で、峯田和伸さんは、消息不明になった父親を追い上京する有村架純さん演じるみね子のおじ、宗男役で出演している。宗男茨城の片田舎マッシュルームヘアーバイクに乗り、ロックンロールをこよなく愛する農家のおじさんで、いつも人を笑わせている。

だがその笑顔の裏には戦争の影が……というキャラクターで、先々週、宗男上京過去がつまびらかになるビートルズ来日編が終わった。わたしはその録画を昨日見終わって、すごくよかったなと思ったので妹にLINEをした。感想を打ち込んでいるうちにわたしは昂ぶってしまい、真っ当な感想からは外れた見当違いな見方をしていることに気づき、はっと我に帰った。

***

時は2005年中学1年生として迎えた冬に銀杏BOYZアルバム君と僕第三次世界大戦恋愛革命」と「DOOR」が同時発売された。

北海道新聞日曜版のCDアルバム売れ筋ランキングの4位と5位にランクインしていて、聞きなれないアーティスト名に、なんだろう?と思った。BOYSではないのか?

それからすぐラジオで「青春時代」が流れだして、彼らが小学生ときに一回だけ聴いたことのあるGOING STEADYであることを知った。お小遣いで急いで「君と僕第三次世界大戦恋愛革命」のほうを買って聴き込み、いたく傾倒し、「DOOR」もそれからちょっとして買った。

当時のわたしは、Mステに出ないようなバンドラジオで聴いてCDを買うことがカッコイイと思っていた。お恥ずかしい話、今もその気持ちはあまり抜けていない。当時全盛だったMDプレイヤーを持っていなかったわたしは、ラジオカセットテーププレイヤーが一緒になったかさばるガジェットを常に持ち歩いていて、銀杏BOYZをいつも聴いていた。

中学生だったということで免じて許してほしいが、当時のわたしにはセックスなどとはいった歌詞が衝撃的だった。というか性とか焦燥感とかみじめな気持ちを歌にして世に出していいとは知らなかった。だから峯田和伸さん、もとい峯田は本当のことを歌っているなという気がして、信じられると思って好きだった。

友達にもたくさん貸したし、カラオケでも歌った。もしタイムマシンがあったら、おいおい、やめてAKBとかにしておけ!と言いに行きたいが、当時のわたしは今よりもなお浅はかだったので、カラオケで皆の前で銀杏BOYZを歌い、セックスなどと口にし、ぐにゃりと曲がったような気まずい空気になるのが好きだった。

***

以前、大学生ときに友人に

カラオケ銀杏BOYZとか歌うの正直やめてほしいんだよね」

と言われた。友人にとっての色々な思い出が詰まったバンドなので、目の前で歌われると複雑な気持ちになると言う。

その時は正直

「は?」

と思った。だが今のわたしもまた、自分よりかわいい女の子の口から銀杏BOYZ」という言葉が出るとムカつくのだった。

肌がきれいだったり目が大きかったり彼氏がいたり毎日充実していそうな自分より幸せそうな女の子が、ひとたびでも峯田と言おうものなら腹がたつ。お前に峯田の何がわかるんじゃい!なんぼのもんじゃい!と思う。何人たりともわたしのまえで銀杏BOYZの話、および峯田の話をしないでほしい。ライブに行った画像をインスタに上げないでほしい。わたしの知る限り峯田のことを一番身近に思っているのはわたしでありたい。そんな自分勝手な思いが溢れて止まらなくなる。

自分でもおかしな考えだということがわかっているので、皆さまにはどうぞ好き勝手銀杏BOYZの話をしていただきライブに行っていただき、インスタに画像を上げていただき朝ドラを見て峯田って人いい演技するな〜!などと思っていただきたいのだが、心の奥底で、やめろ〜〜〜と叫びたがっている卑小な自分がいる。

***

そんな折、先々月の銀杏BOYZライブ東京ロック好きの集まり」に行った。これだけ勝手なことを言っておいて恐縮だが、実は初めてだった。戦争反対ツアー実家の近所のペニーレーン24に来ていたはずだと手元にあるフライヤーにはあるが、当時はまだ室蘭に住んでいた頃だったので行けなかった。それからも本当はちょくちょく札幌に来ていたのかもしれないが行っていない。全裸になり書類送検されたことをヤフーニュースで知ったり気がついたらメンバーが峯田以外全員変わっていたりしたがよく知らない。

わたしのなかでだんだん銀杏BOYZはあまり触れちゃいけない過去へと変わっていて、ライブも気軽に行ける感じではなかったのだ。

ももういい加減成人したし、処女でもないし、峯田は朝ドラに出ているし、いくばくかの郷愁とともに軽い気持ちライブを楽しむことができると信じていた。

***

峯田が出てきて初めて生で峯田を見た途端に涙がボロボロ出てきて止まらなかった。ステージには本物の峯田がいて、すぐにモッシュダイブがはじまって峯田の靴がどこかへ飛んで行き、演奏が止まりやり直しになった。そしてまたモッシュ対バンのnever young beachがさっきまで作り出していた平和西海岸熱海の浜辺のような景色はいずこへ?「ネバヤン初めて聴いたけどいいね〜」などと言って、からだを揺らしていたギャルは?そんな疑問が解消されるはずもなかった。

峯田は10年以上前に作った曲を、目をかっぴらいて歌っていた。あっという間に大合唱になる。わたしも全部歌えてしまい、そのことをきっかけにまた涙した。峯田〜〜〜!!!と泣きながら叫ぶ人があちらこちらにいた。四肢がちぎれそうなほど暴れる人がいた。嗚咽しすぎて座り込んでしまう女の人がいた。さながらカルト教団様相であった。だがわたしもまた、全身の水分が出きってしまうのではないかというくらい涙が出てきてしまい、ボロボロボロボロ泣いていた。

峯田が目の前で10年以上前に何度も何度もカセットテープが伸びきってしまうくらい聴いた曲を歌っている。それだけで絶望的なほど悲しかった。恥ずかしい話だが、わたしはその時、中学生の時に部活無視されていたことをありありと思い出していた。クラスにも同じ部活の人がいたので無視がそのまま派生して、教室でも居場所がなくなって昼休みはずっと本を読んでいた。アンブシュア(口の位置であること)を変えようとして失敗して全然トランペットを吹けなかったこととか、天然パーマなので髪型が本当にきまらなくてどうしようもなかったこととか、人に話すまでもないみじめな思い出とその時の感情がありありと思い起こされ悲しかった。もう少し上手くやれただろう、という気持ちと、でも今も上手くやれないしな、という諦めの気持ち10年前と今を強く結びつけた。その中心に峯田がいた。

***

思うにわたしは、つらかった時に銀杏BOYZを聴きすぎていたのだろう。どれもありふれた大したことないつらさなのだが、そのせいで感情と峯田がほつれてからまり、ひき離せなくなっていた。わたしのつらい気持ち、悲しい気持ち自分のことが嫌で消えてしまいたい気持ち擬人化したものが、峯田その人だと認識してしまっているようだった。

峯田は、本当にしんどい時に自分もまたそうだと言って肩をさすっていてくれていた親友であり、同じようにみじめな姿をさらけ出してくれたキリストであった。少なくともわたしはそのように認識していた。勝手に。そしてライブ会場で嗚咽が止まらなくなっていたり、暴れていたり、自己コントロールが効かなくなっている人たちもまたそうなのだなと思った。

峯田、もとい峯田和伸さんは、本当は自分のやりたい音楽は、代官山シャレオツカフェで静かにギター弾き語りをするようなものだと言っていた。だが、求める人がいる限り求められる音楽をするとも言っていた。それが本気かどうかはわからない。だが最近の曲をやってもウケはイマイチで、対して10年ほど前の曲をやると客は熱狂していた。

客は皆、峯田を前にして自己憐憫におちいっていたのだと思う。つらかったとき、苦しかったとき、悲しかったとき、さみしかったとき銀杏BOYZの曲を聴いて、勝手に癒され勝手肯定された気持ちを手放したくないのだ。

もし峯田が出てこないで、ステージには代わりに峯田の3Dホログラム投影され、バックでCDをかけられていても、皆変わらずギャンギャン泣いたと思う。皆、過去に囚われていた。皆にとっての峯田はつらかった過去のものであり、みじめで変えようがない過去自分のものでもあった。

から皆、銀杏BOYZを好きな他者を認めることができない。その当時の自分をどうにかしてくれなかった人間に「銀杏BOYZいいよね」とか言われてもムカつくのだ。お前に何がわかる、と思うのだ。峯田は限りなく私的個人的存在だった。

***

そんな峯田が朝ドラである。天下の日本放送協会だ。自分の苦酸っぱい異臭を放つような過去が、大きな顔して朝ドラである。初めて知った時、もう、まともな気持ちはいられなかった。

でも「峯田」とわたしが名づけていた人格はこの世には本当は存在しなくて、この世には峯田和伸さんしかいなかった。峯田和伸さんは、最近映画舞台に引っ張りだこだったので、ちゃんと素晴らしい演技ができるのだった。わたし過去に囚われている間に、峯田和伸さんは大活躍していたのだった。というか銀杏BOYZの時点で既に大成功していたのだった。

そして今や母親や妹を含む日本中の人が峯田和伸さんをテレビで見ている。今では自然なことに思えるけれども中学生わたしに伝えたらびっくりすると思う。裏切られたと思うかもしれない。でももしかしたら、誇らしく思うかもしれない。なんとなく、そうであってほしいなと思う。昔の自分には、ホッとしてもらいたいなと思う。

宗男イギリス兵に助けられた命を大切に生きていて、その象徴ビートルズだと言う。ドラマを見ていると宗男は峯田そのものしか思えない。あくまでも峯田和伸さんではなく、峯田である

わたし勝手に作ってしまっていた峯田というパーソナリティが、お茶の間をにぎやかし人々に受け入れられていった(ように見えた)ことは、わたしを救った。峯田和伸さんその人とはかけ離れているかもしれないが、わたし勝手に作り上げ支えてくれたわたしのなかの峯田が、まるで時空を超え戦争すら経験しどこか浮世離れした人間となり、最後に全てを包み込むように、「だから笑って生きることに決めたんだよ」と言ったことはある種のセラピーだった。

「だから笑って生きることに決めたんだよ」の言い方はあまりにも芝居がかっていて、プロ俳優さんだったら絶対にこんな言い方はしないだろうと思ったが、とても優しく耳に響いた。わたしはこのシーンの録画を消していない。また何回も聴くと思う。それこそテープがすりきれるまで。

***

そんなこんなで銀杏BOYZ武道館公演のチケット当選しました。またボロボロ泣いてしまいそうなので誰と行くかはまだ決めていません。楽しみです。

2017-07-14

Googleパーソナリティデータインデックスし始め、永久就職制も壊れた後、企業の偉い人間プロジェクトのために人材検索エンジンからマッチする人材を選び出し働かせるというシステムが普及するとして

どうやって人材検索エンジンを騙す経歴や情報改ざんを行うかという方法が次々と生み出されるだろうとか考えていったらそれガタカかよって突っ込んでしまった

やっぱGoogleディストピアを作り出す会社だ注意しろ

2017-07-04

齢三十にしてDQNネームを思ふ

まだこの世にDQNネームやらキラキラネームやらの呼称ができる前、

古の昭和時代から、彼らは居た。

三十を超えた自分が生まれ育った地方都市でも

学年に数名レベルで彼らは存在していた。

小学校の時、毎日のように家に行って一緒に遊んだの子名前フルネームで思い出せない・・・

お母さんがバレエ先生で、それにちなんだ華美な名前を持っていた一軍女子のあの子名前は今でも漢字で書ける。

中学生の頃、お世話になった部活の先輩、後輩の名前は誰一人フルネームで思い出せない・・・

一度も話したことのない外国風名前を持つ生徒会長名前は憶えている、弟の名前まで漢字で書ける。

社会人になり、一緒に入社した同期の名前を今何人思い出せるだろう・・・

日本書紀に出てくる言葉から名前をもらったと快活に自己アピールをしていた同期の名前は、別の部署に配属され、その後会うことも無かったのに、はっきりと覚えている。

不思議なことに、仲の良かった友達の顔は忘れても

なぜかこれらの人々は名前と共に顔やパーソナリティもしっかりと記憶に刻まれている。

珍しい名前を持つとは、かようになんと業の深いことなのか。

おそらく二十年後の将来も自分は珍しい名前の彼らのことを記憶しているだろう。

より曖昧になって、たいして親しくもなかったのに同窓会で「よっ、久しぶり! 〇〇じゃん、元気だったぁ~?」みたいなに声をかけてしまうのかもしれない。

そして、彼らの周りにはそのような人間人生のいたるタイミングでうようよしているのだろう。

人の記憶から消えることができない、他社の人生の中でモブになり切れないというのは果たして幸せことなのだろうか?

2017-06-28

原因じゃなくて対策を考えなきゃいけないのに原因ばかり考えてしま

殆ど自分パーソナリティが原因となってしまい、結局死ぬしかなくなる。

2017-06-18

毎日3つぐらい増田書いてる

こう聞くと「コレもうブログ始めた方がいんじゃね?」って気になるでしょ。

だけどいざブログ始めると全くかけなくなるんですよー。

不思議ですよねー。

やっぱねブログ書いてると「つまらない事書いちゃダメだ」と考えてしまうんすよ。

その点増田って書捨てじゃないですか。

増田の恥は書き捨て」って古い言葉もあるぐらいですよ。

(ほぼ)完全匿名と半匿名の差って大きいんですよねえ。

匿名って結局はそこにパーソナリティアイデンティティが生まれしまうわけで、本名むき出しじゃないだけの状態ですからねえ。

HN愛着が生まれたり他のユーザーとの関係が始まったらいよいよもう匿名とは違う存在になりますよ。

ネット状における人格の1つとして自分構成する一側面として自立が始まりやがります

そうなると気楽に恥をかきにくくなるんですよね。

ブログとか気楽に書きにくくなるんですよ。

それでいつの間にかやめて(ほぼ)完全匿名世界に戻ってくるという訳で。

いやしか中途半端存在ですよね、自分や今の自分と同じようなことをしてるっぽい増田の皆さん。

どうすっかなあ。

気分的にはそろそろブログ始めたい気分なんですけど、どうせやめると思った途端に萎えるんすよね。

[] 笠原嘉精神病

読み始めた。発達障害概念がまだ浸透していない時代に書かれた本。

笠原嘉先生文章が上手いなあ。

精神疾患の分類法が古い。

精神病サイコーシス)という言葉は元来神経症ニューロシス)という軽症の障害の対として二次的につくられたもので、比較重症グループを指すが、概念としてはあまり厳密なものではない、とのこと。

パーソナリティ性格キャラクター)の違い、など。

2017-06-14

メールを読んでもらいたい

ラジオメールを読んでもらいたい。

声優ラジオでも一般AMでも。

ふつおたとか大喜利とか。最近色々送ってみてるけどなかなか読んでもらえない。いつもの常連の人のメールばっかり読まれる。

メールを送ってなかった頃は、パーソナリティがほかの人のメールを読んでると自分も一リスナーとしてその会話に参加できているような気がしてた。

自分メールを送るようになると、今までと同じやりとりでも一人だけ輪の外にいるような感じになって却って疎外感がある。

はてなにいるオタクの人はハガキとかFAXの頃からラジオ聞いてそうだし、なんか読まれるコツとか、私も読まれことないよ!とか教えてくれると助かる。

2017-06-11

恋人趣味があわない

23歳の時、37歳の男性と付き合っていた。

彼とはあまり趣味があわなかった。はじめは、年齢が14歳も離れているのでジェネレーションギャップは仕方がないと思っていた。しかし、付き合いが長くなってくると、私と彼の趣味の相違は年齢が原因ではないことに気がついた。「この人と同級生でもあまり話があわなかっただろうな」というタイプだったのだ。

美大に通っていた私は、いわゆる青文字系サブカルチャーみたいなものが好きだった。好きな芸能人ピースの又吉と小松菜奈好きな音楽くるりtofubeatsや好きな映画岩井俊二とグザヴィエ・ドラン。赤い口紅をつけて、現代アート展覧会デートたかった。

大手メーカー営業をしていた彼が選ぶものは、私の感覚と少し違った。好きな芸能人磯山さやか好きな音楽キロロミスチル、好きな映画インディペンデンスデイ。カラオケ好きな人で、キロロの「長い間」という曲を覚えて歌ってほしいとリクエストされた。彼は赤い口紅を嫌っていたし、ゴッホゴーギャン区別ができなかった。

私には彼の趣味がよくわからなかった。磯山さやかかわいいし、キロロの「長い間」はいい歌だし、インディペンデンスデイは今日の土曜ロードショーだった。それらの良さがわからないわけではないが、そういうものを「良い趣味」だと感じることは難しかった。これからも難しいと思う。

彼は、私が赤い口紅をつけると「ちょっと派手だな」と顔をしかめた。彼とデートするとき、私はピンク口紅をつけ、赤文字系の店で購入したワンピースを着るように心がけた。彼はとても優しく、マメ性格で、仕事を精力的にこなしており、私はそんな彼が好きだった。ただ時おり漠然と、「この人は私のパーソナリティーにあんま興味なさそうだな、興味ないってか私の趣味領域について考えたこともなさそうだな」と思って寂しくなった。

結局、「早く結婚して子どもが欲しい」という彼の期待に応えることができず、半年もたたず破局した。

そのすぐ後、ものすごく趣味があう男性出会った。彼は当時26歳だったので、年齢も近い。ただ、「この人とは年齢が離れてても話があうだろうな」と思うような人だった。

彼の好きな芸能人二階堂ふみ好きな音楽くるりtofubeats、好きな映画ダージリン急行だった。ガロ系漫画町田康小説が好きで、とにかくサブカル臭がすごい人だった。恋に落ちるのに1秒もいらず、私は久しぶりに赤い口紅をつけて彼とデートを重ねた。彼は私の口紅をほめてくれた。音楽映画小説お笑い、彼の話はどれも面白く、「世の中にこんな趣味のあう人が存在しているんだ」と私は有頂天になった。彼は無精な性格で、仕事への情熱はあまりなかったが、それでも私は彼を好きだった。

しかし、彼とは2回目のセックスのあと連絡がとれなくなってしまった。「愛してる」、でもまさかね、そんなこと言えなかった。彼とはそのまま終わってしまった。

趣味があわない人とも、あう人とも、私の恋は上手くいかなかった。

2017-05-29

漫画原作映画や、アニメ放映済みの実写化ドラマがこける理由は、おおむね一つしかない

キャラクターパーソナリティ尊重せず、役者のそれを重視すること。



まあ、これは、最近....というか10年くらい前からアニメ声優でも同様なことがおこってるけどね....

川澄アニメでまくってたよね。

沢城も...

神谷もさぁ...

最近だともういうまでもないよね。佐倉綾音な。加えてまど☆マギのグズもついてきたらもう絶対みないよね。

ああ、またキムタクか....って奴とおんなじ意味で、ああまた川澄か....、って奴。

こいつらは、ドラマでいうところの、キムタク演技が許されてきたアニメ声優だと思うのよ。

一応役によってちょっと変えてたけど、基本的演者キャラクターでいつものようにしゃべっていい。っていうか、むしろプロデューサーはそれを望んで抜擢する。

俺が新作アニメHPをチェックをするときに、一番先にStaff&Castを確認するようになった原因は、こいつらにあるもん。

アニヲタドラマとか俳優、とくにジャニーズ出身脊髄反射的に否定するけど、実際にはアニメ声優結構からおんなじ構図の中にあるよね。

それでも声優トレンディドラマwの俳優と違うつうなら、声優ラジオでもきけや。

連中自分のこと役者つってるからwww

キムタク自分のこと役者つってるよw

役によって声はもちろんパーソナリティがまるで変わる奴もいるけどね。

スフィアのちんちくりん...高垣彩陽とかさ。

あいう人が声優役者として大成するべきなんだと思うけど、実際のところは、いつも同じ演技で同じ声で同じトーンで話す声優が勝つ。若本さんとかよ。

視聴者側や作り手側からすれば、『三軒となりの○○さんところの△△さん、またがんばってたよねー、いいよねぇ..』みたいな安定した感じが一番大衆けがよくて、そういう人がつかわれやすくて人気者になる。

2017-05-21

BLAME!劇場版を見てきた

公開日5/20(土)に見てきましたよ。

全体的な感想としては「まあ、こんなもんでしょう」。(面倒なオタク特有の、上から目線。)

いや、こっちの問題なので、映画は悪くないです。

ビジュアル面は、仕方ないんです。

原作を初めて見たのが「アフタヌーン」誌連載の見開きページで、見た瞬間に脳を焼かれてしまって(ちなみに 内山英明 の写真を見たときも似た衝撃を受けました)。

もう何度も読み返して、脳内でグッツグツに煮えているわけなので。公式映像化というとどうしても期待が膨らんで、好きなシーンがいくつも脳内にフラッシュバックしてくるので、何を見ても物足りなく感じてしまう。マーベル・シネマティック・ユニバース作品並みの予算を投入しても満足できるかどうか。

アクションや、アニメーション(物の動き)に関しても、まあ。

これも脳が煮えてるので。

原作みてて思うのが、絵にモーションブラーをあまりつけてないので、躍動感というか「動いている感」はあまりないんですけど、どんな動きをイメージしているかは伝わってくる。そして、その動きはめちゃくちゃカッコいい。キャラクターアクションだけでなく、建築物や装置の動きも好きです(東亜重工入り口とか)。格闘描写は「ABARA」でも切り拓いているなあと思いました。

あ、霧亥とサナカンの格闘シーンはよかったです。

原作から削られた要素については、単発の劇場作品だから無理ないなと思いました。珪素生物はセーフガードと区別がつかないし、臨時セーフガードも人間と区別つかないし。

唯一文句を言いたいのが、メガストラクチャーが登場しなかったこと。作品の建築物描写における超重要ギミックじゃないですか。これによって、そのへんのビルがどこまでも積みあがっているわけじゃないんだな、ってのがわかる。

重力子放射線射出装置メガストラクチャーに穴を開けて新天地に行く、という名シーンは映像化して欲しかったですね。射出装置がただの強い銃程度のものになっていたのが残念。

劇場に行く前にインタビュー( https://akiba-souken.com/article/30072/ )読んだんですが、感情移入しやすいドラマを入れようってのはなるほどなあと思いました。原作みたいな突き放したつくりにすると、私みたいな性癖の者には刺さりますが、それだけでは売り上げはアレですからね。大勢の人に刺さる普遍的要素を入れるのは良いことでしょう。

でも、なんか、つまらない実写ドラマみたいな出来だなと思いました。面白い人間ドラマを作る難易度って、面白いアクション映画を作るとか、面白い恋愛モノを作るとか、面白い巨大建築物徘徊マンガを作るとかってのと、大差ないと思います。

あと、説明してくれるのはいいんですけど(私も「ABARA」のラスト意味不明でしたから)、視聴者の知性を信頼してないところが、なんか、つまらない実写ドラマみたいだなと思いました。“ながら見”されること前提で作ったテレビドラマじゃないだからもっと信頼してくれてもいいのになあって。特に微妙に思ったのが、自動工場にいくまでの背景の建物が、前のシーンのおやっさんのクソ長い説明台詞のときに写っていたやつそのままだったというとこ。

まあ、これで楽しめるって人が多くて、売り上げが上がるっていうなら、いいんですけどね別に。(面倒なオタク特有の、選民思想。)

私が原作で一番ドラマを感じたのは、臨時セーフガードと珪素生物の確執でした。結局パーソナリティは人間と同じなんで、出しても平気だったと思いますけどね。まあ前述のとおり単発の劇場作品では難しいのでしょう。「あのセーフガードが味方に」って意外性は連載を積み上げていたからこそだったし。

セルルック3DCGはとてもよい感じでした。

あのキャラクターたちが動いてる喋ってる、というのは嬉しいものですが、やはり違和感もありますね。

違和感つっても、映像版のデザインはそうなんだから、映像版においてはそれが本来の姿なわけで、文句を言う筋合いではありませんが。

まあ、私が原作を見てイメージしていたのはこんな感じだった、という話がしたいだけです。

霧亥は、妙に顔が太いなあって思いました。「BIOMEGA」の庚造一のような太さではなく、アゴはシュっとしているのに、なんか太い。原作もっと細いイメージでした。あとイメージよりずいぶん声が低くて喋るのが遅い。

シボは、すげえ高飛車になってました。顔や髪の描写はとてもよかったのですが、服と靴のデザインがそれかいって感じ。

サナカンは、全世界三億七千万人の 弐瓶勉 ファンが驚いたと思いますが、まさかアクセント付くのが「カ」だったとは。「サ」だとずっと思ってたのに。

電基漁師たちについては違和感がまったくなくて、モブとしてしか認識してなかったんだな、という感じ。髪やその装飾の描写がよかった。

捨造は、宮野真守の声してんだからもっと活躍せえやと感じました。電基漁師としては活躍していた方ですが。

づる の、最初の頬染とか、インナーチラ見せとか、そういうのいらねえなって感じでした(個人の感想です)。アレな深夜アニメ並みに突き詰めてくれればまだしも。

霧亥を踏みつけ銃口を突きつけるサナカンをローアングルから見上げるシーンとか最高だったので、そういうのをもっと個人の感想です)。

コンピュータ接続する際に無線が基本なのが、時代にあわせてアップデートしてきたなと思いました。原作ではは有線が基本でしたね。

視線に写る文字などのCG、映画では普通にCGで描写していましたが、思えば原作においてはCGを手描きで描写するというのがいい味出してました。原作が当時されていた当時は特にパソコンスペック向上が激しかったのでうっかりCGを導入すると陳腐化が早かったろうと思います。こういう描写で、手書きフォントみたいな、あえてガタつくような表現をしたら面白いかもしれません。

妄想キャスティング

 霧亥 浅沼晋太郎

 シボ 瀬戸麻沙美

 サナカン 花澤香菜 (あまり低くせず大人っぽくしたときの声がハマる気がする)

 メイヴ 悠木碧

 イヴィ 羽多野渉

 メンサーブ 茅野愛衣

 セウ 宮野真守

 ドモチェフスキー 中村悠一

 イコ 山下大輝

 ダフィネ 斎賀みつき

 プセル 早見沙織

 スチフ 細谷佳正

 ナギナタの人 種﨑敦美 (このイラストの手前に座っている珪素生物です https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=25548289 )

「ブラム学園」が映像化されるとよいですね。

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2017年5月23日火曜日 追記)

5/22(月)に二回目いってきましたよ。

初回は自分の中のイメージとのコンフリクトから「あれが無いこれが無い」を意識してしまいましたが、こんどはちゃんと「劇中にあるもの」だけに集中して見れた気がします。

スゲーよかった。

建築物の描写とか環境音とか。ずっと浸っていたい雰囲気。人間ドラマちょっと脇に置いて、世界観を楽しむ感じですね(って原作と同じやないかい)。

建築物の、特に質感(テクスチャー)がよいですね。原作よりもリッチ表現。今後原作を読むときは映像版のイメージ逆輸入すると、また一段と脳が煮えてきますね。

 

本編終了とエンディングテーマの間に流れたパートキャラクターの静止した3Dモデルがアップになり、カメラだけが動くやつ。

似たようなのが「パシフィック・リム」でもありましたね。あれを意識したのでしょうか。

サンダーバード」のエンディングにも似てるような気がしますが。

 

メカ描写では、電基漁師スーツの背中とグローブデザインがいいですね。強化外骨格という感じで。

 

一度目の鑑賞で気になって、二度目の鑑賞で深まった懸念があるのですが。

原作を知らない方は、建物が水平方向にも垂直方向にもどこまでも続いていて、「外」があるのかわからない、ってことを理解できたのでしょうか。

一見さんにもわかりやすくしたいってことで、ある面では手厚い説明がありましたが、この点については説明が足りてないように思われます。

なんだか、外があるっぽい気がしたんですよね。集落入口の谷とか、ビルの屋上と天井の挟まれた横に開けている場所(ポスターにも使われている)とか、遠くから光が差し込んできていますが、あれ自然光っぽくないですか? シボが塊都を回想シーンひとつでも、アトリウムみたいだと感じました。

映画の最初の方で「都市はどこまで続いているのだろう?」のようなセリフがあり、最後の最後で「無限に続く都市……」というセリフがありましたが、これ、都市が増殖しているのは水平方向だと思われてませんかね。地表を覆い尽くす、みたいな感じで。

都市の高さは「ブレードランナー」や「フィフスエレメント」くらいだと思われるんじゃないかなって。あと、開けた空間にも天井があるのも、「FF7」のミッドガルのようなものだと思われてないかと。

霧亥の「六千階層下からきた」ってセリフがあり、下に関する言及はありますが、上に関する説明がない。舞台となっているのは地表付近で、地底深くからやってきた、という解釈も普通にできますよね。

つか、私も不安になってくるんですよ。ひょっとして原作から改変してて、あれは実際に自然光なんじゃないか、この世界には普通に空があるんじゃないかって。原作通りだと閉塞感で不快になる人がいるかもしれないから避けたのかなって。

原作だと、霧亥が登っても登っても建物が続いていて、「うおー、この世界は何なんだー、上はどうなっているんだー、気になるー」ってなって、霧亥の探索から目が離せないわけです。終盤では木星サイズ距離が提示されたりして、少なくとも惑星よりもデカいんだなってわかる。でも映画だと舞台が固定されているうえに説明が無いので、普通に地球が舞台でミッドガルのようなものの中に住んでて、そこから外に出ないまま終わっちまった、みたいに思われてないか不安になりました。原作の壮大な世界観スポイルされてないかと気になります。

 

あと、原作を知らない人が、ネット端末遺伝子ネットスフィアに関してどう思ったかも気になります。

原作においては、マクガフィンのようなものでしたよね。登場人物の行動原理に芯を通し、「結局こいつら何がしたいの?」って支離滅裂にならないようにするもので。きっと見つからないまま終わるんだろうなあ、と覚悟していました。(実際に、まあ、ねえ。)

単発映画というところに重点を置くと、ネットスフィア接続するために端末遺伝子を探している、ってのは、「天空の城ラピュタ」における、ラピュタに行くために飛行石を探している、みたいなもんじゃないすか。そう考えると、劇中に飛行石もラピュタも出てこないまま終わったようなもんじゃないすか。

たとえば現代が舞台で「政府の重要書類」だの「世界最大のダイヤモンド」とかのありきたりなものだったら、はいはいマクガフィンねとわかりやすいものですが、違う世界が舞台で作品オリジナル造語なわけですからクライマックスバーンと出てくるのかな、って期待してもおかしくはないでしょう。

原作への「引き」になるといえばなるような気もしますが、それがきっかけで原作にきても、マクガフィンですからね。

大丈夫なんですかね。

まあ、私のような原作既読の頭の煮えたファンが考えても詮無きことではあります。

 

結局ネガティブな話になってまいりましたが。

 

二回目の鑑賞でも電基漁師はやっぱり、なんか、微妙でした。

パワードスーツで増強した筋力にモノを言わせて都市をパルクールで駆け回り、セーフガード監視をかいくぐりながら強かに生き延びてきたテクノ遊牧民の末裔——とは思えないほど、どんくさい

ヅルは新人だからまだしも、捨造とかおやっさんとかはベテランでしょうからもっとプロっぽくキメて欲しかったですね。原作なら所詮モブなので、どんくさい方が「霧亥カッケー」ってなって好都合なんですけど。

なんで棒立ちでのんびり喋っているかなあ、って思うことがしばしばありました。声優の演技は素晴らしいのですが、テンポが悪いというか間延びしているというか。

プレスコの仕方が悪かったんじゃないかなあという気がしないでもないです。

いや、アニメ制作プロに対して私が言うのもおこがましいんですが、劇場舞台挨拶の記事 http://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1495262889 なんかには「キャラクターの行動が伴うようなシーンはその場でディスカッションをしながら演じていた」「今回全く絵が無くて、あるのはト書きくらいなもんです」「セットが無い状態の舞台演劇をしている感じだった」とありまして。

たとえば、即興で作詞作曲して歌うとか、即興で会話を考えて劇をするとか、すごいスローになるじゃないすか、探り探りになって。本作もそんな感じだからモタついているように感じるのかなあ、と。

全員が原作読んでてグツグツに脳が煮えていればまた違ったでしょうけど、そんなことあり得ませんし。

原作の読み合わせも無かったようですし(そんな長時間拘束するような浪費的な契約は普通しなさそう)。

 

会話の内容で、ちょくちょく引っかかるところもありました。

シボが自動工場がどこにあるか言ったとき、その地域について何も把握してないようなリアクションだったのに、入口についてみると「この場所から帰ってきた者はいない」って言ってて、“おまえら知ってるんかーい”ってなりました。(話は逸れますが、自動工場といえば、新しい武器とか作って電基漁師がパワーアップとかするとわかりやすく燃えたかもしれませんね。「メトロイド」で新しい武器やスーツの強化パーツを手に入れるみたいな。原作でも倉庫から武器をとっていくシーンがありました。)

それと、自動工場にて、別行動していた仲間と合流した際に「彼女はどうした」「駆除系に潰された」のような会話があったのに、行ってみると当の彼女が腕を怪我した程度で座り込んでいて、でも誰も不審に思わなくて“え、おまえ潰されたとこ見たんだろ? だったら疑問を口にするんじゃない? それとも襲われたときすぐさま見捨てて逃げたの? おまえが彼女のことが好きだっていう感じの描写があったし、だから一緒に行動してたんじゃないの? 見捨てたのを悔んだりしないの? 別のやつも誰も気にしないの?”ってなりました。

 

人間ドラマ面で一番ひっかかるのが、死に対するリアクションでした。

あるキャラが死んだ後のヅルのノーリアクションっぷりはどうなのかと。

それだけでなく、冒頭で三人やられたことについても。人口が200にも満たないような小さな集落で、自分たち以外の人間に会う事ができないような寂しい世界で生きていて、同世代の仲間が死んでいったのに、それか、って。

声高に泣き叫べばいいってもんじゃないですけど、なんだかなあ、と。

ヅルに限らず、死んでいった者に対する思い入れがまるで無いように見えました。誰も死んだ者の名前を呼びません。何人やられた、っていうふうに、数しか言いません。

現代日本に比べて死が身近な世界からそうなってるのかもしれませんが、だったら結局は感情移入を拒むようなキャラクター造形だなあと。

悪い意味感情移入できる気がしました。視聴者的には特に思い入れも無いモブキャラが死んだくらいのテンションなわけですが、劇中の人物のテンションもそれくらいっていう。

 

ところで、原作だと電基漁師は死んだ人間の人格保存とかやってまして。

あれはグレゴリイ・ベンフォード小説「大いなる天上の河」が元ネタです。死んだ人間の人格チップに移して人工知能みたいな状態にできて、個人でチップを携行し、先祖たちと頭の中で会話をすることができます。

「大いなる天上の河」の他にも「銀河の中心」シリーズとしていくつか作品がありますが、「BLAME!」に劣らず暗い話で、宇宙からきた機械文明と人類が絶望的な抗争を繰り広げます。地球を飛び出し銀河の中心付近に進出した人類は、かつては巨大な宇宙コロニーを築いて機械文明と闘っていましたが、やがて敗北し、惑星上へと縮こまり、さらには惑星上の要塞も破壊されて流浪の民となり、機械文明の物資を略奪して生きる存在となった、という感じです。原作者が影響を受けた作品として明言しており、インタビュー http://kai-you.net/article/41199 などでも言及されています。

原作の電基漁師はけっこうサイバーパンクですが、映画では捨造が「機械と繋がるなんて嫌だね」と言ったりしていて、普通の人間像に寄せてきたなあと感じました。

 

ついでにもう一つ海外作品を紹介。「BLAME!から影響を受けたPCゲーム「NaissanceE」。

http://www.naissancee.com/

http://store.steampowered.com/app/265690/NaissanceE/

 

一回目の鑑賞よりもポジティブなこと書こうと思ったのですが、ネガティブ話題も多くなりましたので、最後は気楽な萌え語りで〆たいと思います。

 

二度目の鑑賞だと、改めて、霧亥、シボ、サナカンの演技が素晴らしかったです。

霧亥とシボが階段で別れるシーンはグっときました。

シボといえば、ヅルから霧亥を奪っていくシーンがラブコメの波動を感じてよかったです(語弊があります)。入室してくるシボの、あのドヤ顔花澤香菜の見下し声とあいまって最高ですね。

サナカンは、なぜか初回では気にならなかったのですが、すごい顔変わってますね。原作既読映画について知らない人に「プセルだよ」って言ったら信じるかも。額のセーフガードマークが髪で隠れてましたが、見えていたほうがよいかもと思いました。

顔といえば、駆除系の顔。原作より下膨れって感じで、ちょっとダサい気がしました。能面をフィーチャーしたのかも?

 

ところで http://www.ota-suke.jp/news/192644 によると早見沙織曰く「サナカンは、霧亥とは拳で語り合ってるんです。きっとですが、わりと無口な人って、モノローグでいっぱい考えてるんだと思いました」だそうで、私はセーフガード映画ターミネーター」のT-800のような存在であり、原作終盤はともかく、映画では原作初期の立ち位置なんだから、拳で語り合うとかいうのは解釈違いに収まらない明確な誤りなんじゃないか、スタッフはこういう基礎的なところも伝えずにプレスコやらせたのか、だからグダグダになったんだ、とか思っていましたが、考えているうちに映画版ではこの解釈が正しい気がしてきました。キャラデザカワイイ寄りのチューニングされてますし、表情豊かですしね。

ラム学園が映像化されて、「早見沙織のふり〜すたいる」のジングルみたいなやつをたくさんやってくれるといいですね。

 

それにしても、連載開始から20年の時を経た今になって、こんなに多くの人が同時期に「BLAME!」について見たり聞いたり語ったりするというのは、夢のようです。

2017-05-20

刷り込み

あれだよな。

高校生物教科書刷り込みの例として、ヒヨコは生まれ最初に見たものを親だと思い込むって話が載っていて、

へー、動物って下等だなーって思っていたけれど、40才過ぎて人の親になってみたり、心理カウンセリングだとかを色々と受けてみると、自分も結局は親の影響を受けていたんだなー、としみじみと思う。

母親実家禅宗で、その後で新興宗教っぽいのに入った。

から出たい出たいと思って、実家から1人暮らし結婚して共同生活をしての期間も含めて20年間以上、経った。

だけど、小学校ぐらいのトラウマとか、祖母に優しくしてもらった思い出とか、忘れないものだし。

しろ個人の力で、どうにもならなくなって思い出すものかもしれない。

  

「家族」仕事」「親戚づきあい」「結婚」みたいなものって皆、普通に使うけど。

汎用性のあることばだけに、色々な意味合いというか、文化的に違うというのか。

  

たまに、「バスタオル毎日洗うのか?」「まくらカバーはどれぐらいの頻度で換えるのか?」とかは言語化されたりするので、なんとなく違いを意識することはあると思うのだけど。

「人は過労死するものだ」とか「どこまで、嫁姑問題で耐えるべきものか?」とか、

なんか、分からないものだよな。

なんというか、親の影響なり、幼少期の影響というのは、少なからずあるし。

仕事上、どんな出会いをしてきたかで、自分パーソナリティ人格)も、随分と変容するものだったり。

ふだん、そんな刷り込みなんて意識しないで、コミュニケーション取れてる人はスゴイ尊敬するし、

ネットではそこかしこで、議論が噛み合わないってことはしょっちゅうだし。

  

人間、知性があるようで、なかなか、感情で動くものだし。

刷り込みからの脱却というか、無意識認識を改める事って、結構、大変だよな。

  

2017-05-17

http://anond.hatelabo.jp/20170516231200

こないだGW火曜日家族で車のってるときラジオアニソンが流れててびびったらパーソナリティみもりんでへーーめっちゃ出世したんだなあと驚いた

そういやぽぷらちゃんのあすみんもぱんぴー向け時間帯にラジオすることになったらしいね

でも当然だけどやっぱり兄ら字とは違うんだよなー

うたわれラジオが懐かしい・・・

2017-05-15

http://anond.hatelabo.jp/20170515202404

発達障害って一言でいってもいろんなタイプいるからな。

Giftedなのに人との話し方がわからないやつ。

人の話を理解できず突然キレだすやつ。境界パーソナリティ障害に近いタイプ

前者は支援したくなるけど、後者は困る。

2017-05-14

http://anond.hatelabo.jp/20170514130157

わかる

たまにいるどころか多数派じゃね?

パーソナリティーの問題と言えばたしかにそうだけど

単に学がないというか知性が低い問題な気もする

学力の高い人はそういうこと言わない傾向はある

はてなではそういう「作品批判感情的にキレて返す」みたいのは居ないじゃん?

俺が好きな物批判するな!それは俺を批判しているのと同じだ!

と、要約できるような発言をしている男性を見るととてもゲンナリしますね。

自分アイデンティティ自分個人で持つべものであって、他の物事依存していては駄目だと思います

特にアニメ漫画が好きな男性に多いんですよね。

作品に対して考察意見の交換を行っている場所ですぐにヒートアップして「違う!この作品は間違っていない!間違っているのはお前だ!」と叫び始めてしまう癖がついてしまっているようで見ていて不安になります

とある作品のもの」と「その作品に対する自分主観」がまずゴチャゴチャになっていて、更には「作品に対する主観」と「自分価値観全て」が同一視され、最後には「自分脳内にあるその作品イメージ」と「自分アイデンティティ」がピッタリと重なってしまい、それとは違う意見が出てくると「自分という人間」が批判されたように感じてしまう傾向にあるみたいなのです。

そういう人、たまにいますよね。

私、そういう人がとても駄目なんですよね。

何を考えたらそういう思考になるのかをここまで論理的に整理してもなお、何だか腑に落ちないような気持ちになってしまうんです。

頭で何となく理解可能だけど、心では完全に理解不能とでも言いましょうか。

しかたらこういった方々はパーソナリティ等において何らかの障害があるのでしょうか。

もしもそうなら私は謝らなければいけないのかも知れません。

障害のある方を気持ち悪いと思ってしまっているのですから

ですが気持ち悪いという感情が生まれしまう事を止めろと言うのも理不尽なのではないかとも感じます

私は彼らとどう接すればいいのでしょうか。

無視するという行為人間に深刻なダメージを与えるという研究成果がある以上は関わらないようにするというのも決して正しい選択とは思えませんし。

人間社会コミュニケーション、とてもむずかしい。

難しいことを考えていたら頭がパンクしそうになってきました。

昼ごはんでも食べてきます

2017-05-12

控えめに言って私の感性は繊細かつ特別

私の感性の繊細さといえば

絹のような繊細さどころではない

マイクロファイバー

このマイクロファイバー感性では

生きるのは非常につらいし

想像力が逞しいので些細なことでも

浮き沈みが激しい

この浮き沈みの激しさは

まるでブイ

こんなブイのようなパーソナリティでは

社会という大海の中では

ただ浮かんでいるしかないぞよ

2017-05-06

子どもがいる人生といない人生のどちらを選ぶか決められない

同棲期間も含めるともう5年以上妻と一緒に暮らしている。自分は30代後半、妻は20代後半。

他の家庭がどうかはあまり知らないけど円満にやっている方だと思う。

今でも毎日笑いが絶えないし、お互いのパーソナリティについてまだまだ新しい発見がある。

お互い好きすぎて何をやるにも一緒だ。友達もそれなりにいるけど妻と遊ぶのが一番楽しいと感じる。

GWに妻の実家に行くとたくさんの子どもたちがいた。

子どもは好きだ。私も妻も実家にいる間、ずっと子どもたちと遊んでいた。

妻は姉妹や従姉妹の中では一番年下で、妻以外の女性陣はここ数年で出産ラッシュだったようで親戚の人数がだいぶ増えた。

次は妻の番、とご両親含めて親戚の誰もが思っていることだろう。

だけど私達は、子どもを作ることを決断できていない。

妻と2人で過ごす時間は最高だ。どんな出来事も2人ならば楽しめる。

土曜の朝に突然電車に飛び乗って遠出したり。深夜まで映画館に篭って1時間以上歩いて帰ったり。

家でゴロゴロするのも、そのままリビングセックスするのも楽しい

共通趣味もあるしその繋がりで友達も多い。みんなで朝までワイワイ騒ぐのだってまだまだ好きだ。

子どもを作ればこういった時間は激減するだろう。

妻は手に職系の仕事をしていて、そこそこの給料をいただいている。

職場での信頼も厚く本人もやりがいがあって楽しそうだ。最近はやればやるだけ評価があがる状態らしい。

子どもを産めば今までとはワークライフバランスが全く変わってしまうだろう。

自分は在宅で出来る仕事なので融通がきく。

今も家事の分担は自分の方が多いし、子どもができたら最大限支えるつもりだ。妻を支えられることは嬉しいし、そこに不満はない。

だけどどんなに協力して頑張っても産むのは妻だし仕事への影響をゼロにすることはできないと思う。

はいわゆる効率厨的なところがあるので、子どもがいることで仕事が今までのように進められなくなった場合ストレスを感じてしまうのではと不安である

今の生活ものすごく充実している。毎日幸せだ。

子どもが生まれたら今まで経験できなかったような喜びを得ることができるだろう。一緒に遊ぶの、すごく楽しいだろうなあ。

でも代わりに失うものも確実に存在している。

きっと子どもを作ったことを後悔することはないだろう。だって私は妻がいればなんでも楽しいのだ。

それでも、いつかその失ったものに思いを馳せてしまうかもしれないと思うと決断ができないでいる。

ちなみに作るなら3人は欲しい。

1人だと親が不甲斐ないとき愚痴を言う相手がいなかろう、

2人だと偶数になってしまうので多数決機能しなかろう、

3人いれば誰かが中立になって場を収めてくれそうだ。

世の中の人達はどんなタイミング子どもを作ろうと決心するのだろうか。

しかしたら時の運に任せるという選択肢もあるかもしれないが、

自分たち子どもを作るならば不妊治療必要だということだけはわかっている。だから余計に腰が重い。

年齢的にも経済的にもなんのハードルもない、ただ自分たちにとって子どものいる人生が最良なのかどうか判断つかない。

2人だけの人生もとても楽しくて幸せだと思う。

2017-04-25

ジジイ思考回路がわからない

毎日移動のときになんとなく聞いてるラジオがある。

パーソナリティはかなりのジジイらしく、「自然のままに生きるのが一番」とか「謙虚さを忘れてはいけない」とかその手のいかにも言ってる方が気持ちよくなるオナニー話を毎日かましてくれてる。

それだけならまあジジイの生ぬるい番組と思って聞けるんだけど、毎回冒頭に紹介するお便りでかならず「川村様、いつも楽しく拝聴しております。いつも素晴らしいお話ありがとうございます」的な言葉自分で読んでるのがかなりイタイ

常に自分の自慢話をちょいちょい挟んでいるのがまたイタイ

ジジイ世代にとっての「謙虚」の定義は、今の定義とは異なるんだろうかと思ってしまう。

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