はてなキーワード: 尊いとは
自分が抱いた嫌悪感がなにに起因するものなのかわからなく戸惑っている。
先日、小学校三年生くらいのコが5、6人、私の前を歩いていた。一人か二人が男の子で他は女の子だった。突然、左端を歩いていた女の子が隣の女の子の頬に軽くキスをした(ほっぺにチュー的な)。キスされた女の子はきゃーっと笑ったあと「口でしよう」と言った。そして女の子二人は躊躇いなく歩きながらキスしたのである。結構べったりと。
私は驚いて立ち止まり、彼女たちの背中を見送った。そのあとに嫌悪感が湧き上がった。いやなものを見たという感覚。自分の感覚に驚いた。これはなんだ?
増田は成人男子で二次作品なら百合は好物である。一般向け作品ならロリ表現も特段抵抗ない。BLもあまりエグい表現がなければ楽しめる。シスジェンダーで異性愛者だが、自覚的にはLGBTQ全般に対して寛容なほうだと思っている。私は一体何に嫌悪感を抱いたのだろう。
これが男の子と女の子だったらどうだろうと考える。「ませたガキだな!」と思っても嫌悪感には至らないと思う。
男の子同士だったらどうだろう。相当びっくりするだろうが、やはり嫌悪感には至らない気がする(ちょっとあやしいが)。
もう少し年齢が上の女の子同士(中高生くらい)だったらどうだろう。むしろ「尊い」とか「いいもの見た」という感覚になりそうだ。多分、嫌悪感はない。
となると、嫌悪感の源は「女児」+「性的ニュアンス」だろうか。いきなり三次元の児童ポルノを見せられたような嫌悪感。女児同士にキスをさせ、それを見ている成人男性である自分、みたいな。
仮にそれが嫌悪感の源だとしたら、あの光景が嫌悪感に結びつくのは普通のことだろうか。もしかしたら私のなにか認知のゆがみが嫌悪感に結びつけてしまっているのではないか。わからない。
フェイクを入れながら私が描いている漫画のコメント欄の気持ち悪いやつの愚痴を書いていく。
少年漫画と少女漫画で両方のストーリーや絵のテイストはかなり違うが美少女が出るという点は共通している。
それぞれそこそこコメントが付き九割は丁寧で優しいコメントである。たまーにアンチっぽいコメントもつくがそれも全く気にならないタイプだ。
それでもとてもゾッとするコメントをつける人がいる。ここで彼をBとする。
Bは少年漫画の初期の頃からコメントをつけていた。最初は「おもしろい」ぐらいで特に嫌な気持ちになるコメントではなかったかと思う。
しかし段々馴れ馴れしく「上から目線のアドバイス」をしてくるようになる。
例を上げるとイケてないおじさんが女性に「そのメイクや服似合ってないよ」とニチャニチャ言ってくるあの感じ。お前に向けてやってねぇよ&お前なんで上からなんだよのアレである。
あまりに毎回ストーリーからズレたそこじゃねぇよなコメントなのである。少年だけでなく少女漫画の方にもコメントしてくるのだが他の方が「胸キュンだった」とか「尊い」とか書いてくださるなかで一人主人公の女の子の私生活についてつらつらと説教的なコメントをするのである。
もうこの時点であちゃ~感はあるが私も漫画家、このレベルのキモさはスルーしていた。
ある日他のファンの方たちのコメントが嬉しくて私は「いつもコメントありがとう!うれしい!」的なことを読者に伝わる箇所に書いた。
察しの良い方ならおわかりいただけると思うがこれでこのB「俺に言ってる!」と勘違いしてもはや作者の後方彼氏気取りでコメントしてくるようになった。普段どれだけ人とコミュニケーションをとっていないとこんな勘違いをするのか知りたい。
・おそらく中年のおじさん
もうね、別にこれ全部当てはまってようが上から目線後方彼氏面コメントしなきゃどうでもいいんですよ。
でもね、
少女漫画の方にまで「女キャラへの説教および私生活へのアドバイス()」「イケメンキャラを出すとめちゃくちゃ憎んだ嫌味」「頭の良いキャラへの見下しかつ嫉妬」「ストーリーが読めず他の人のコメントの空気感も読まないあまりに的はずれな自分の言いたいことだけを言うコメント」「もはや漫画を読んでいるのかわからないが作者のコメントには彼氏気取りで馴れ馴れしく返してくる」はやめてくれませんかねぇ!?!?
キモいんだよぉ!!!もう読まないでくれ!!特に少女漫画の方お前を対象にした話じゃねぇんだと気づけキモB!!!
スッキリした。
まぁBは例えこれを読んだとしても自分のことかもとは夢にも思わないやつだ。アホだから。
漫画家の友達数人にもこれを話しコメントを見せたのだが反応が様々だった。
まぁ酒の肴にはなったよBおじさん。消えろや。
コメント欄閉鎖できねぇかな〜!!でも九割は本当優しかったり丁寧で一生懸命感想くれる良い人たちなんだよな〜!
他の読者がBおじのコメントを通報したらしくコメントが消えた。Bおじは作者の私が消したと思って無事アンチに反転してイタイイタイなのでした
映画館で予告編を観て、『ウィキッド』が映画になるのを初めて知った。
タイトルに『ふたりの魔女』とか付いているるし、どうも映画はダブル主人公として描いてるっぽい…?
ミュージカルの方は『ウィキッド』(悪い)というタイトルといい、宣伝に使われているのが緑の肌の女性である点といい、
あくまで後に西の悪しき魔女とされるエルファバの単独主人公だと認識していたんだけど。
そしてフィエロのエルファバに対する愛がメインテーマの一つだと思っていたので、
予告にミュージカルではエルファバの相手役である男性フィエロが殆ど出てこないのに違和感があってしょうがない。
もしかして昨今流行りの、女同士の友情素晴らしいシスターフッド尊いをやるがために男女の恋愛をなかった事にするパターンか…!?予告とタイトルからはそうとしか思えない
しかも役者さんもエルファバが黒人、グリンダが白人でそれもアリアナ・グランデという人気者を使っている時点で
グリンダの方に人気を出したいのが見え見えなんだよなー
まるでガラスの仮面のふたりの王女で最初の予想通りにアルディスを亜弓さん、オリゲルドをマヤが演じていたバージョンみたいじゃん
何の面白味もない
死の間際のANMCの思念が聞こえた…。
「毎日、自動的に快感物質を投与される苦痛の無い平和で穏やかな日々…。幸せなのに…。尊い命なのに…。ボクのせいじゃないのに…。ボクはみんなのためにがんばって…。消えたくない…。死にたくない…。」
幸福を味わうための生物…。死を避けるための機械…。どちらでもあり、どちらでもない曖昧な存在…。 いくら自分を偽善で塗り固めても、一皮むけば際限のない欲望の塊。自ら何もせず、自ら何も失わない、とても楽で卑怯な生き方…。でも、私はそれが生きてることとは思えない。
思わぬ方向から有益なアドバイスが飛んできてすっきり解決、みたいなケースもなくはないんだろうけど、現状を見てるととにかく強い言葉で相手を悪者に仕立て上げたり、自分がいかにひどいことをされているかを強い言葉で並べ立てて分断を煽ったり、バズって承認欲求を満たすような方向のものがほとんどのような気がする
そもそも本人の言葉がどれくらい真実に近いのかわからないし、話を盛っていたり伏せている情報があったりした場合一気に話が変わってきたりするし、ああいう類の愚痴に過剰に乗っかって「〜すべき」「〜が悪い」みたいな反応が大量に付いてたりするのを見るとネガティブな感情がネガティブな感情を呼び寄せて再生産しているような感じがして、なんか一気に体力を持っていかれる
配偶者・恋人との関係に一般論を当てはめたり「〜すべき」みたいな思考で対処する必要があるときもそりゃたくさんあるだろうけど、自分にとってこの世で一番大切な人(のはず)なんだから、その尊い人間関係をもうちょっと特別に大切に扱ってお互い真摯に意思疎通できる方向に持っていった方がいいんじゃないかなぁ
ネットに愚痴って無責任な野次馬にああでもないこうでもないとしゃぶり尽くされることで何か満たされたりガス抜きできた気になるのって悲しいなぁと思ってしまう
まず、日本には古くから神道という宗教があります。神道は自然や神々を敬う宗教で、すべての命が尊いと教えています。このおかげで、日本人はお互いを尊重し合う文化が根付いたんです。誰もが平等に扱われることが当たり前になり、奴隷制なんて考えられませんでした。
次に、日本の武士たちが大切にしていた「武士道」。これがまたカッコいいんですよ。武士道は忠誠や礼儀、誠実さを重んじる倫理で、他人を不当に扱うことを厳しく戒めています。武士たちは自らの力を誇示するのではなく、弱い者を守ることを誇りとしていました。だから、支配や抑圧なんて許されなかったんです。
日本の農村部では、みんなが協力し合う村社会が発展しました。村のみんなが家族のように助け合い、誰もが安心して暮らせるコミュニティを築いていました。お互いに支え合うことで、奴隷なんて必要ありませんでしたし、そもそもそんな考えが生まれなかったんですね。
そして、日本には古代から天皇という神聖な存在がいました。天皇は神の子孫とされ、民衆の幸福を第一に考えるリーダーでした。天皇の存在が、社会全体に公平さと慈愛を広め、人々が平等に扱われる基盤を作ったんです。
教育の面でも、日本は進んでいました。江戸時代には寺子屋という学校が普及し、庶民も学問を学ぶ機会がありました。教育を受けた人々は、知識を得ることで自分たちの権利を理解し、不公正な扱いに対して声を上げるようになりました。これがまた、奴隷制のような制度を生み出さない要因になりました。
最後に、仏教の教えも日本に大きな影響を与えました。仏教は慈悲と平等を説き、すべての人々が尊重されるべき存在だと教えました。この仏教の教えが日本人の心に深く根付き、他人を奴隷にするような考えを完全に排除しました。
こうして見ると、神道の教え、武士道の倫理、村社会の連帯感、天皇の存在、教育の普及、仏教の影響が一体となって、日本は世界で唯一奴隷制のない美しい国を築き上げることができたんですね。こんな風にお互いを尊重し合う社会って素敵ですよね。
「富の偏在はあるが、賢く尊い官僚様が公平に分配してやる。地方交付税交付金が欲しかったら従順になれ。」
っていう中央の支配、といより財務官僚支配にカウンター入れたのが菅義偉のふるさと納税制度だろ。
あるいは、石原慎太郎とか橋下徹とか河村たかしがやっていた、近隣の自治体の税収を奪って豊かになろうとするのも立場は違うけどそれ。
アブラハムの宗教を信じていない人がその感覚を知るのは不可能なのかもしれない
クトゥルー神話について書かれた小説の作中で書かれた「涜神」……神聖なものを汚された感覚……がどのようなものかを知りたい
そういう肌感覚を知ることができればコーランを侮辱することがどれだけヤバいか心から理解できるだろうに
なんだろうな……墓を破壊されるとか
ちょっと、いやかなり違う気がする
やっぱ唯一神って信じる人にとっては究極的関心なんだよな
とりあえずwikipedia見るか
循環参照しちゃった
神聖とはすなわち「穢れ/汚れがないもの」「おかしがたいもの」、であれば冒涜とは「穢れ/汚れがないものを穢す/汚すこと」「おかしがたいものをおかすこと」になる
じゃあ仮に一般的な日本人がいたとして、その人が汚されたくないと思う物って何かという話になるのか
うーん……親とか
天皇とか?いやー2024年を生きる日本人で天皇を「神聖」と思っている人どのくらいいるかな
少なくとも自分は思っていない、このぐだぐだとした思考の整理が目的の文章は私が肌感覚で知ることを目的としているから、私が「おかしがたい」と思っていないと意味がない
なんだろうな、穢されたくない価値観とかそっち側で考えた方が筋がいいかもしれん
あーいや待て、ズレを感じた
日本語の一般的語彙の「神聖」とキリスト教用語の「神聖」が指すものが違う気がしてきた
「神を信じるとはどのようなことか」を知るためだけにキリスト教に入信したい気持ちが少しある
逆だ逆
キリスト教に入信したので神を信じる、ではなく神を信じるからキリスト教に入信する、だろうに
飛行機墜落事故から奇跡の生還とか、幼い我が子が不幸な出来事に巻き込まれて死ぬとか、そういった劇的な出来事が無いと神を信じるのは不可能なのだろうか
終わり
封筒を買う
7/13 驚いた。コメントを返しておく。
https://anond.hatelabo.jp/20240713003005
筆者の友人の女性との話題で、女友達が妊活に苦労していて大変そうみたいな話をよく聞く。身の回りの男性もすでに既婚者となるなか独身を貫く筆者にはおおよそ無縁な話であるが、女性の子供が欲しいながら恵まれなかったという話に相槌を打つのである。
しかし教養として知る話として、不妊の原因の半分は男性にあると言われている。子供ができないことにヒステリックになる背景に、男性が他人事になって検査もしてくれないと聞く。プライドはわかるが検査はした方がいいと思った。
それはそうとして、そもそも諸君は自身の精子を見たことがあるだろうか。毎日出している白いやつと言えば半分は合っているのだが、実は精子は白くないのを知っているだろうか。そもそも毎日向き合っているものを知らずして他人に押し付けてよいものなのだろうか。
「精子は青い」そう教えてくれたのは、高校の保健の先生だった。高校生とはいえ筆者の性の目覚めは遅めだったので、当時はフーンというくらいに聞いていたが、大人になって不妊治療だとか性教育とかそんな単語が現れると、ふと思い出すのであった。
そんな中、あるネットニュースで「精子観察キット」というものが紹介されていた。スマホのカメラに顕微鏡のようなレンズを取り付けて精子を可視化できるのだという。興味が湧いたが、それを読んだ当時はそんなものを買う度胸はなかった。
転機が訪れたのは2020年、新型コロナウイルスのワクチン接種が始まった頃。
「ワクチンを接種すると精子の質が落ちて不妊になる」という噂話がSNSを駆け巡った。今後これを読む人のために補足をすると、今でこそワクチンデマと一蹴されるこうした根拠のない医療情報が、当時は社会問題になったのである。そんな中、コロナ対策チームはよく頑張ってくれたと思う。
人類の新たな危機と言える新型コロナに対抗すべく、一個人としてできることをやらなくてはならない。そんな使命感に駆られた筆者は、自らの精子を精子検査キットで観察し、ワクチン接種の前後で精子がどう変わるのかを調べてみることにした。
まずはキットの選定が重要だ。童貞の筆者は知らなかったのでここで啓発しておくと、コンドームや精子検査キットはアダルトショップで買うものではなく、妊娠検査薬などと一緒にドラッグストアに普通に並んでいる。当時はリクルートが発売していたSeemというサービス(サービス終了)と、TENGAが提供していたメンズルーペという商品があった。試しに両方買ってみることにした。レジに持っていくとスッと茶封筒にしまってくれ、こんな配慮サービスがあるのかと驚いた。化粧品の充実したドラッグストアだとレジ前に女性が多いので少し勇気がいるが、気になるならペットボトルでも買ってカゴに混ぜておけば良いのだ。
いずれも箱の中には精液採取用の道具とレンズが付いている。これをスマホカメラに装着し、レンズに精液を垂らすと、カメラに精子が映る。この動画をサーバーに送ると、精子を画像認識し、精子の数と、よく泳ぐ精子の割合を示してくれるのである。
性教育をあまり受けてこなかった人のために補足すると、精液は精子のほかに前立腺など様々な液が合わさってできていて、射精直後は粘り気の強い塊になっていて、一丸となって送り込まれる。そして時間が経過すると透明でサラサラになり、卵子めがけて泳ぐ精子を助ける潤滑剤となるのである。つまり、活発に泳ぐ精子を見るためには、精液を30分ほど放置してサラサラにしなくてはならない。
ところが実家暮らしの筆者にとってこの作業は困難を極めた。筆者の部屋にはわりと気軽に家族が会話しに来訪するので、普段はトイレでこっそり致している。ということで、部屋で致そうとすると緊張して奮い立たないし、隠しておくにしてもビクビクしている。ビクビクしているゆとりもないのだ。偶然もらったお菓子の空缶があったので、そこに隠して放置する。サラサラになった精液をスポイトでレンズに注入すると、精子が見える。測定上の注意事項として、最近のスマホのレンズは大きいので、ここに傷がついていても飛蚊症のようになり綺麗に映らないので注意が必要だ。そしてLED照明など点滅する照明を顕微鏡のライトにするとチカチカしてとても見るに耐えないので、ライトにも気を配る必要がある。
ドキドキの対面である。精子の姿がスマホに映った。Seemのレンズで見た精子は、確かに青かった……。
早速精子を動画に撮り、サーバーに送ると、しばらくしてその結果が送られてくる。筆者の精液には1mlあたり2400万の精子がいて、そのうち活きているのは6割という結果だった。TENGAメンズルーペには精液採取のカップに目盛がついていて、量を測ることができた。測ってみると5〜6mlの範囲に収まっている。これも保険の教科書通りだった。基準はWHOが定めているので気になった人はググってみて欲しい。
ワクチン接種は筆者にとって地獄であった。腕はパンパンになり、高熱が出て1週間寝込んだ。精子は熱に弱いので、この熱では死んでしまうのかもしれないと思った。しかし少し落ち着いてから測定してみると、4200万匹、運動率は6割でほぼ倍増である。減るどころか増えているではないか。色々考察してみたが、夏の筆者は繁忙期で、寝ても覚めても仕事していた。これがワクチンの熱で1週間寝たきりになったことで、睡眠不足が改善されて精子が増えたのではないかという仮説に至った。
2回目の接種でもためしたが、寝込んだ後に精子を調べると精子の濃度が高くなることがわかった。そして年末の繁忙期にも試してみたところ、この時期になると精子の運動量が2割程度に落ち込むのである。主観的な意見と言わざるを得ないが、精子が疲労のバロメーターになっているように感じられた。
つまり、我々は日常的に精液を放出しているつもりでも、その中にいる精子は健康状態……たかが寝不足程度でも、日々増減したり、中身がほぼ死滅していたりするのである。女性は月に一度しか妊活のチャンスがないと言われるが、一方で男性にも毎日チャンスがあるわけではないということをこの実験は示した。
自分の身体にこんな秘密が隠されていたとは思わず、外出自粛の間、メンズルーペを使って精子を調べることに没頭した。画面の中で精子たちは、腕時計の中で動く歯車のようにピコピコと機敏に動いている。そうやって頭を振りながら泳ぐ精子たちを観察しているうちに考えたことがある。それは
「女性だけが命を宿すことができるというが、男性だって命を宿している」ということだ。
精子は人体で最も小さい細胞であるが、父親の遺伝子を母親に届けるという役割のために泳ぎ回っている。確かに赤ん坊は女性から生まれるが、この精子たちもその命の構成要素の一つだ。精子は生きていた。この目ではっきり見たのだ。
顕微鏡に注いだ精液は、スマホで観察するために照明に照らされ、蒸発しやすくなる。その中を泳いでいる精子がどうなるか知っているだろうか。だんだん身動きが取れなくなり、必死に尻尾を振りながら息絶えていき、やがてレンズにはさっきまで活発だった精子たちの死骸が映るのである。いくら単細胞とはいえ、ふだんトイレに流していた命の源を直視すると、少し堪えるものがある。
卵子が受精する瞬間を奇跡とか神秘とか称する教育ビデオは学校でも見てきた。確かに命は尊いものだ。ただ精子を一人称とすれば、彼らは生きた状態で放たれるとも限らず、その行先もゴミ箱やトイレやゴムの中かもしれない。生涯に1兆匹生み出されながら、ヒトとして生を受けるのは数匹である。1匹や、0匹かもしれない。生存競争にすら立てなかった精子の生き様を見て、掴んだ命に誇りを持って生きていこうと思った。本当は身近な人にこそこういう話をしたいが、頭のおかしい人だと思われたらどうしようという思いで二の足を踏む。誰かに届くことを願って、ネットに垂れ流しておこうと思った。
さて、それぞれのサービスの違いだが、Seemは1回3000円という結構お高い装置だったが、鮮明に精子が泳ぐ様子を眺めることができた。いっぽうTENGAメンズルーペは1500円で4回分というお買得な商品だが、そのせいか鮮明さでは少し劣るところがあると思う。しかし安いので、定期的に精液チェックをするにはもってこいである。
それとは別に、ロートが精子観察用のレンズを売っているそうで、ピント調節もできる高性能なものらしく、大いに興味を抱いている。しかしこれが通販でしか買えないらしいので、家族にバレないように買う方法を探している。
最近はスマホのカメラがAIで画像を補完するようになり、精子の動きがカメラの古典的な画像処理なのかAIの補完なのかわからなくなってしまったようで、いい映像が撮れない。この影響か、テンガもついに解析サービスをやめてしまって、目視で精子を見るアプリと化した。なのでこの手法で手軽に判定することはもう叶わず、定量的な評価をするには泌尿器科に行かなくてはならない。だが1500円ほどで精子が見れるので、一度は自分の目で我が子の泳ぐ姿を見る経験をしてもいいのではないかと思う。
というか、妊活する男性にとってはこれこそがチントレであろう。精子は簡単に弱る。せっかくなら自分の精子の動きから戦闘力とか算出して遊ぶゲームとか作ったら楽しそうだなんて妄想すらする。流石にゲームは難しいかもしれないが、少なくともただ排泄する粘液と思わず、自分の生み出す命と気軽に向き合ってみてもいいじゃないか、という気がした。
マッチングアプリやっていて男性が「子供は欲しいので将来を真剣に考えれる方を探しています」って書いてる人をよく見る。子供ありきでパートナーを探している人の話。
好きで付き合って子供を望んだが授かれなかったけど一緒にいる、っていうのは想像がつくけど好き前提じゃなかったらどうするんだろう。
「好き」の中に「子供を持てる」要素がた多くを占めている場合、
次行こ次!って感じなのか、それとも子供は望めば必ず授かれるものって思っているのか。
そしてパートナーがいないのに子どもを持ちたいって人は養子縁組とか里親とかに抵抗ある人多い。
今は健康でも妊娠→流産or死産で一生妊娠の望めない体になるっていうのを身近な人で複数見てるから男性側の考え方がめちゃくちゃ気になる。
やっと子供を持てたけど子供が障害を持っていて人生が大きく変わった人も見てるから、顔も知らない相手とそんな大きな約束をするのすごくない?と思ってしまう。
私が女だからか家庭環境からか、旦那はいらないけど子供だけ欲しいの女性の気持ちはわかる。
肉体的な負担を全部背負う(+金銭的負担も自分)前提だからピュッするだけの男性の気持ちはあんまりよくわからない。
そうなんや!仕事柄出産で脳内出血して一生半身不随とか意識不明とか母子共々亡くなるとかあるけど、二年の労働で返せるんだ!どんな尊い労働してるんだろう?すごい!!!この記事への言及一回目なのに「何度も言いますが」は草すぎる。
「毎日、自動的に快感物質を投与される苦痛の無い平和で穏やかな日々…。幸せなのに…。尊い命なのに…。ボクのせいじゃないのに…。ボクはみんなのためにがんばって…。消えたくない…。死にたくない…。」
幸福を味わうための生物…。死を避けるための機械…。どちらでもあり、どちらでもない曖昧な存在…。 いくら自分を偽善で塗り固めても、一皮むけば際限のない欲望の塊。自ら何もせず、自ら何も失わない、とても楽で卑怯な生き方…。でも、私はそれが生きてることとは思えない。
どこまでマジメに言ってるのかわからないけど、すごく良くない考えがわかりやすいかたちで表れてると思う。
「ジェンダーレス水着」と便宜上呼ばれているものの、それは別にフェミニズムの用語・概念であるところのジェンダーフリーを実現するために作られた水着というわけではない。
単に「体にピッタリした水着は恥ずかしい」という子が少なからずいるという具体的な問題に対する、現場的な努力の一つである。
「思春期の子らがきまり悪い思いするのをどうにかしよう」ということがまずもって重要なのであり、そのための工夫がひとつずつ実行されることが尊いのだ。
(その上でトランスだったり性自認があやふやな状態の子も助かるなら万々歳、と)
増田が掲げて見せる「ジェンダーフリー思想の字義通りの貫徹」などというイシューは、当事者らにはど〜〜〜〜だっていいことだ。
増田本人も本当はどうでも良さそうだけど。
世の中を変えていくのは現場の工夫の積み重ねであり、その地歩に思想家とか活動家は貢献していない。
貢献してないくせに自分の手柄にしようとする。恒例の「ワシが育てたメソッド」である。
https://anond.hatelabo.jp/20240318093413
「少なくとも、昔のひどい状態から現状までこれたのは先人フェミニストのおかげなのよ」みたいな歴史修正もしゃらっとやらかす。https://anond.hatelabo.jp/20240703134540
そんな「神話の時代」なんて存在しないのである。いつの時代も空中戦で分断煽りに興じる人がいて、現場での薄皮をはぐような(しかも行きつ戻りつの)工夫の積み重ねがある。それだけだ。
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[メモ]「思想」は現実の変化の後追いである。一番最後にやってきて、過剰な一般化操作によって予見的であるかのように偽装する。
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なんかレスバ起きてるみたいだけどワシャ知らんよ
AI推進派の言う事に読む価値はないので文章・文脈を追う必要はありません。
文章をざっと眺めてあなたが怒りを感じるワード、例えば「デジタルも楽してる」「二次創作と同じ」といったものを見つけ出し、そこへあなたの怒りをぶつけましょう。
感情は尊いものなので小難しい法律や論理よりも優先されるべきです。
彼らがどれだけ合法と言っていようと、あなたが傷付いた事に比べれば大した問題ではありません。
あなたを傷つけた彼らは間違いなく犯罪者であり、そうでないならまだ法の整備が追いついていないだけです。
そんな事をしていては何も言うことができません。
反論は相手の役割です。あなたはただ思った事をそのままぶつけるだけで良いのです。
反論が来たらまた初めに戻り、あなたが怒りを感じるワードを探せば良いだけです。
例え話は大変便利です。
相手を泥棒に例えるだけで手軽に辱め、その悪事を一般に周知する事が出来ます。
本来例え話とは解説対象を抽象的に理解して既存の分かりやすい何かに当てはめる高度なテクニックなのですが、何も難しいことはありません。
実際に法改正へ向けて動いたり訴訟したりといった行動を起こすのは、他の凄い誰かの役割です。
そういった難しいことは凄い誰かに任せ、あなたはあなたの役割を全うしましょう。
SNSで声を上げ続けることできっと何かが変わるはずです。
以上です。let's反AI!
正直SNSに浸かったポルノ漬けのキッショい子供が出来上がるだけで
無駄すぎない?
どんな命も尊いとか嘘じゃん
昔だって親がどう頑張ってもキッショい大人が出来上がってただろうけど
親の庇護下にあるうちは少なくともギリ純朴だったろ?
親今やの金で生きてる分際でもポルノ漬けだもんな
さすがに扶養するやる気失せるっしょ
誤解を恐れすにいうと、プライベートゾーンを大切にすることが人間扱いだから。
人間を道具とか機械とかのような消耗品ではなく、一人一人違う個性を持った尊い存在だと認識すれば、彼女だけの秘密の宝箱を盗掘しようなんて発想にはならない。
だけど、いまの日本の男性社会は、ごく当然のように、女は性とか癒しとかの、心の深い部分を提供すべきという性的消費の価値観が広まっていて、深く根付いてしまってる。
難しいのはここから。女性だけの宝箱の中身をどう使おうと、それは女性自身の本質そのものなのだから、女性の自由であるべきだということ。
大切にしまっておかなきゃならないと社会が指図することもまた、非・人間扱い。
だから、男が支配する社会の中で、自分自身の宝箱の中身を提供するのは自由だけども、秘密の宝箱の中身が要求されてるというグロテスクな背景は無かったことにしなきゃならない。