はてなキーワード: 信頼性とは
御田寺圭(白饅頭@terrakei07)及び「ただしさに殺されないために」に対するデビット・ライス(ベンジャミン・クリッツァー)の批評について
https://note.com/katotoorera/n/n69b752f88f02
「何かを批評する時、何らかの根拠(理論や思考システム)や価値判断の基準(善悪)が必要である」
病んだ細胞は救済せず淘汰すべき、といった風な優生学や国家有機体論ごとくのものをしばしば見かけることだ
確かに
・理念的根拠が示されていない(迫害目的だなど叩かれるようなことは言わない)
・科学的根拠なし、あるいは偽造統計、捏造事件の使用(権威的な機関ほど有利だろうね)
・「枚挙に暇がない」などの被害度曖昧変造レトリック(「権威が言うんだから」のどこに信頼性があるのか?)
ぶっちゃけ欧米国家は人権保護の劣った国に武器を売りつければある種の同罪になりかねないこともあり、人権保護を求める
一方欧米武器業界は反欧米感は困るので、内国分断する言論をはらまき、反欧米武器輸入論者の分母を減らしたい可能性はある
ただ武器や技術の購入を求めたいから、劣った国の構造的不景気問題などは無視だ(円安のときにドル借款を返済させるのは、わざとではないと主張しながら)
巧みなことだな
なんでやらないんだ
こちらの数字とこちらの数字が一緒に上がっている(下がっている)だけをもって相関関係ありと見なすのは間違い。
数字をもとにした、男性の育児休暇取得で少子化が悪化する論は根拠が無い。
相関が逆かもしれないし他の別の要素で数字が上下しているだけかもしれない。もしかしたら数字の上下はたまたまで全く無関係かもしれない。
同様に女性の社会進出が原因で少子化が進んでいる論も信頼性がない。
女性社会や男性社会や傾向や現在の状況もそうで、どのような偏った数値が出て来たとしてそれをもって性差や性別による個性や適性と見なすことは出来ない。
もちろんこれら数字の上下関係だけをみて相関が嘘であるかはまた別に検証は必要だとは思うが、それ以前に正しい可能性が高いという話にはならない。
というのは当たり前のことだと思っていたけど数字の上下や偏りだけもってあたかもデータが取れているかのように紹介してくる人がいたので気になった。
プロジェクト | 対策 | 結果 |
---|---|---|
キズナアイ | 3Dボディ、台本、動画編集でパイオニアとなる | 初期投資も運営も高コスト |
ゲーム部 | 演者のブラック労働によりコスト削減 | 告発により運営が炎上する |
どっとライブ | 過激なファンを諫めるが、ゲーム部炎上の余波で運営の信頼性が低下 | 演者の扇動によって炎上が拡大 |
ホロライブ | 運営の統制が強まる(VTuber面のみ)ファンには甘い | 演者にメンタル故障者が続出 |
にじさんじ | ノルマの少ない緩い運営 | 配信頻度の少ないVTuberは初期投資の回収が困難 |
ゲーム部 | 演者を総入れ替えする | 運営がもっと炎上する |
キズナアイ | 1つのボディに4人いれる | ゲーム部の印象もありファンに受け入れられない |
にじさんじ | ゆがみんには誰でも入れる | ごくまれにネタ的に使われる |
https://news.livedoor.com/article/detail/22318234/
女性の生涯未婚率が上がった事を、女性の自由な意志決定に基づくものとして単純に賞揚する声が大きいけれどそれもおかしいでしょ
結婚したくない女性が結婚しない事は何ら問題ないと思うけれど、実際には金銭的な問題その他で「結婚したいけれど出来ない」女性の方が多い訳で…
既に結婚した女性が経済的な問題で子供を産めない事にはやたらと騒ぐのに(実際には有配偶者出生率からしてそれは非常に少数派である事が分かっているにも関わらず)。
私は女性の「不本意」な未婚率を下げるために必要なのって、職場恋愛支援と婚活支援の二本立てが有効だと思うんだよね
職場恋愛が出来るためには、少なくとも継続して人間関係が作れる雇用形態が不可欠。
正規雇用であるのがベストではあるが、非正規だとしてもせめて直接雇用かつ3年以上の雇用の保障があれば多少マシになると思う
(実際、身近にも非正規事務職で院卒エリートの研究職男性と結婚した女性がいるけれど、
彼女は少なくとも直接雇用で、その職場は正規非正規問わない懇親会など職場での付き合いも盛んだった。派遣の短期雇用だったらいくら美女でも多分無理だったと思う)
そして後者の婚活支援として必要なのは何よりも、賃金を上げて余暇を増やす事だと思う
賃金が上がって可処分所得が増えれば結婚相談所に登録するなりそれ以外の方法で相手を探すなりしやすいし、可処分時間が増えればデートその他に使える時間も増える
地方自治体による婚活パーティ等が全く無意味だとは言わない(信頼性の確保という意味ではマッチングアプリ等より良い場合もあると思う)が、それは本丸では有り得ないと思う
本指摘を受けて元増田を修正頂いた事を確認しました。対応ありがとうございます。
元増田自身も最初にBhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)についても記載されていたと誤解していたことが分かって良かったです。個人的にはそこが一番もやもやしていたので。分かってスッキリしました。
誤解について明記、修正したものの主要な意見に変更は無いとのことで、
個人的に思うところは無いでは無いですが
(元増田は私の指摘を受けて修正を詳細化、明記したのだから、それでセーフ判定を貰えると思っているという事は、
手嶋氏が今後Bhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)に関する記述を詳細化すれば「論文を扱う資格はない」は撤回するんだよね?この期に及んで自分はセーフだけど手嶋氏はアウトなんて判定はしないよね?という疑念だったり。
そもそも「論文を扱う資格はない」という非常に強い表現って、そんな容易く撤回できるほど軽いものなのか?という疑問だったり。
やはりどうにも元増田が手嶋氏に対する程には自分自身に対して厳しい態度を取れておらず、またそうしようとする意識も感じ取れず、結果的に自分に甘く他人に厳しい人間になってしまっていないか、という懸念だったり)
まぁその辺りは当事者抜きでごちゃごちゃ言っても仕方ないでしょう。
せめて元増田氏が自身の信念と規範に照らし合わせて、自分を裁ける範囲の基準で他人も裁く誠実さを持つ事を期待します。
(追記を冒頭に持って来たのは、追記を読み逃す人が出る事を防ぐ意図です。元増田が今回の修正を冒頭に持って来たのも同等の意図と推察します。誤解をなるべく防ぐよう対応してくれた事、感謝します)
(追記ここまで)
まず手嶋氏の論考でのKendall (2007)とBhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)の扱いについて、手嶋氏のnoteの更新履歴にはこう書かれている。
2022/6/5 Kendall(2007)が批判されている論文があった為、それの紹介および信頼性に嫌疑があることを付記。
2022/6/6 Ferguson(2022)の翻訳文を一部訂正(趣旨に大きな変更なし)。
2022/6/7 Kendall(2007)の信頼性に関する嫌疑を受け、本文および「まとめ」の文言を修正。uncorrelated氏が検討したブログ記事へのURLを追記。
つまり元々はKendall(2007)の記載しかなく(そして恐らくBhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)の存在を知らず)、
第三者からの指摘でBhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)を追加した、という時系列と思われる。(あくまで更新履歴からの推測なので正確かは分からないが、以下この前提の下に書く)
手嶋氏はなぜかKendall (2007)という査読されずに15年も経っている論文を子細に扱いつつ、Bhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)という経済学のトップジャーナルに掲載された論文を無視しています。
というように「手嶋氏はBhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)を最初から知っていながら、と意図的に無視した」と誤認させるような文章を書いているように私には見える。
元増田は手嶋氏にどういう規範を守るべきと考えているのだろうか?
時系列から考えて、「査読有りの論文と査読無しの論文を両方知っている状態で、前者を無視して後者を紹介するべきではない」ではあり得ない。
手嶋氏は論考を書いた時点ではBhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)の存在を知らなかった可能性が残っているからだ。
従って元増田の求める規範は、論考を書く際の規範ではなく「指摘をされて論考に追記する際の」規範という事になるだろう。
つまり「査読無しの論文を紹介して、その問題点を指摘する査読ありの論文を出されたら、その扱いを(手嶋氏がしたより)大きくするべきだ」といった感じになるだろう。
さて、元増田は論考を書く際ではなく指摘を受けて修正する際の規範を手嶋氏に求めた訳だが、元増田自身はこの規範を守っているだろうか?
この点が非常に怪しく見える、何故なら元増田自身も上記の時系列の問題含め様々な指摘を受けているが、その修正は冒頭の追加増田と、元増田への少しの追記に留まるからだ。
修正に関する過ちは「論文を読む、ましてやそれを基に文章を書く資格などない」とする程非常に重い物であると考えるなら、元増田自身も指摘への修正は非常に手厚い物でないと整合性が取れないのではないだろうか?
と書いている事だ。
実は私は元増田の方を先に読んで、そのあと手嶋氏の論考を読んだ、その際、かなり驚いた。
何故なら私は元増田を読んだ時点で、手嶋氏はKendall (2007)とBhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)を最初から並置していて、最初から後者の扱いが軽かったのだと誤解していたからだ。
まさか「指摘→修整」という経緯で後者の記載があとから追記されたものだとは思いもしなかった。
勿論私の読解力の問題である可能性もあるが、私にとって元増田の文章は「読者の誤解を誘うように書かれて」いたし、その後の修正もこの点を明記しておらず、
「間違った印象を読者に与えることに固執し」「この追記はあくまでお茶を濁し、読者の誤解を誘うように書かれて」いるように見える。
元増田は手嶋氏に求める規範を当然自分にも適用するべきなのではないだろうか?
ただ、実は私は、元増田は少なくとも最初は意図的に誤解を誘ったのではなく、元増田自身も私と同じ誤解をしていた可能性もあるのではないかと思っている。
つまり元増田自身も、指摘されるまで「Bhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)は指摘されて追記したのであり、最初は無かった」ことに気付かなかった、だからああいう書き方になった可能性もあるのでは?
しかしだとするなら、その事をちゃんと書くべきではないだろうか?元増田が手嶋氏に指摘している問題点が「指摘を受けての修正」にあるのなら猶更自ら範を示すべきだろう。
私の目から見て、時系列の違いを今なお明記しない元増田は、Bhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)をとりあえず取り上げはした手嶋氏よりも杜撰な対応に見える。
追加増田の「Possibly」の訳の問題にしても、手嶋氏は指摘に対する修正をその該当箇所の近くに置いているのに対し、元増田は追記として最後に置いたり、増田を分ける等、修整対象の個所から大きく離れている。さらに元増田の
それはBhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)がポルノの消費の増加によって性犯罪が増加したことを示唆する論文だからです
等の記述は修正されないまま残っている。これでは元増田は読んでも追加増田は読まない人が大量に居た場合、誤解を残す結果になるのではないか。これは元増田の手嶋氏への指摘と整合性は取れるだろうか?手嶋氏よりも杜撰ではないだろうか?
元増田自身には「論文を読む、ましてやそれを基に文章を書く資格」が有るのだろうか?
元増田自身が他者に求めている以上、元増田もそれらの指摘を受けた修正に誠実に尽力する事を期待する。
ただ、これだけの数の指摘に全て対応するのは現実的ではないと言うかも知れない。
という強い重み付けをとるべきか、一度考えてみるべきだろう。
また、現実的には指摘の全てに対応できないので、指摘の中から自分が重要だと思ったものを抜き出し、自分が十分だと思う修正を加える、というのが現実的な対応だと元増田も考えるのではないだろうか?
しかしこの「自分が重要だと思ったもの」「自分が十分だと思う修正」の内容は自明ではない。人によって基準が異なるだろう。
しかし元増田の規範はこの「自分が重要だと思ったもの」「自分が十分だと思う修正」を自明視または論点先取し、自明では無い基準をもとに
と表現したものだった。この行いが適切だったか、元増田自身の規範に問い、元増田自身の規範に基づいて修整なり追記なりされる事を期待する。
最後に、ここまで書いたものの、私の手嶋氏の論考を読んだのが元増田の後であり、修正後の内容であったため、自分の理解がこれで合っているか少し不安がある。
(例えばBhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)の記述は本当に最初のバージョンでは無かったのか?等)
一応何度か読み返したが、読解力に自信がある方でも無いので、もし認識誤りの部分があればあらかじめ謝っておきたい。
私は修正や失敗に対して何らかの資格を問うほど強い規範は持っていないので・・・(これはつまり、人間は失敗する生き物なので、失敗した時の為の逃げ道は作っておいた方が良いし、他者に不必要に強い規範を求めない方が良い、という範を示したつもりである)
指摘を受けてどういう修正をするべきか、なんて人によってかなり基準が変わりそうなんで、変に厳しくするより、大きめにバッファーをとっておいた方が良いですよ、何かと。
学術論文を書くときならそういうお作法もわかるけど、元の記事は学術論文じゃないよね。書いた人も学者じゃないだろうし。俺も自分で論文なり総説なり書くときには査読された論文を引用しているけど、査読なし論文が参考にならないわけじゃないしね。未査読の論文を子細に説明していることについて不誠実かというと、むしろ「子細に」説明できるなら未査読でも良いんじゃねって気はする。「本来であれば、なぜこの二つの論文の結果が食い違うのかを考察し、そのうえで自分の主張を説得力がある形で述べるべき」ってところは俺もその通りだと思うけど、そこまでやるなら、少なくともnoteの記事に書くくらいの文章では査読ありでも査読なしでもどっちでも良くない? なので、査読なしにここまで突っかかるのもなんかちょっとずれているように感じる。
ちなみに、Google Scholarで調べると、Kendall (2007)の引用は71、Bhuller et. al. (2013)の引用は194で、査読あり論文でも一桁から何万までバラツキがあることを考えると、被引用数ではどっちも大して差がないね。信頼性に雲泥の差があるまで言ってしまって大丈夫なのかどうかね。どんな形で引用されているかまでは調べてないよ。それは興味ある人がやってくれ。
韓国車は粗悪品かどうか以前に日本人ら韓国車のこと全く知らないやろ
日本で売ってなかったし
あんたさあ。手嶋海嶺氏に対してはUnpublished Manuscriptとしても論文を取り上げて見解を示すレベルの記事に対して知的不誠実とみなしてるけどさあ
id:wuzuki 氏の
AVでのガシマンもだけど、性犯罪は攻撃性より「認知の歪み」が肝かと。「僕は女性を気持ちよくしてあげてるから痴漢じゃない」「家に来る子はエッチを嫌がるフリしてても内心は喜んでるからレイプにならない」とか。
っていう学術的な根拠も何も示してすらいない知的不誠実極まりないコメントをどうして擁護してるのかな?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/koo-sokzeshky.hatenablog.com/entry/intellectual-integrity
id:hesopenn 元のまとめは自分の意に沿うUnpublished Manuscriptをとりあげて、その後にトップジャーナルに出た査読論文の結果を意図的に省いています。これ以上の知的不誠実はないでしょうね。ブコメがどうこうというレベルじゃない。
・信頼性に疑義があるものを含んでいる複数の大学の論文を根拠にした主張
このどちらがより知的不誠実かなんて検討する必要すらないと思うけど、あなたの主張は矛盾してない?
これはhesopennさんがwuzukiさんの意見のようにポルノが性犯罪を増加させると固く信じているからこそ
党派性で意見の信頼度をめちゃくちゃ恣意的に評価してる何よりの証拠だよね?
hesopennです。私はある誤解をしていたので、それを説明しておきます。私は指摘されるまでBhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)は指摘されて追記したのであり、最初は無かったことに気付いていませんでした。さすがに発表されてからこんな短時間で批判と修正が入っているとはちょっと想像していませんでした。申し訳ありません。この誤解をしていた旨を堂々とここに追記しておくべきでした。またそのような誤解を読者に与えていたのであれば(与えていたと思います)申し訳ないです。
とはいえ、手嶋氏に論文を読み、それを説明する資格はない、という意見に変わりません。無査読の論文を大々的に紹介し、それの結果に反するトップジャーナルに掲載された論文を提示されたにもかかわらず、あたかもそれが重要でないような(その論文が元の論文と食い違うことも述べず)扱いをすることは研究を自分の目的のために恣意的に歪めて紹介する行為だからです。修正したといっても、最後に「実際のところ、社会統計から「ポルノが性犯罪を引き起こす!」と主張する研究者は、もうほぼ絶滅しているわ。」という文章は残っています。これは明らかに間違いであり、Bhuller et. al. (2013)の結果を(経済学の研究の蓄積において明らかに重要であると判断されているにも関わらず)無視する行為です。経済学という学問の正しい理解を妨げ、学問を政治化する人間に論文を扱う資格はないという意見に変わりはありません。
手嶋海嶺氏の 「性的表現と性犯罪/性的攻撃性」の関係~最先端の科学的知見に迫る~ (https://note.com/teshima_kairei/n/nb86567d83298) を読みました。この文章では私は手嶋氏は完全に知的誠実を欠いていることを説明します。手嶋氏は自分の結論に合う論文のみを子細に説明し、それに反する論文を軽視しています。
手嶋氏の論考では二つの論文を軸に性的表現と性犯罪/性的攻撃性の関係について考察をしており、前半はKendall (2007)の解説に紙幅を割く構成になっています。Kendall (2007)は学術的にそこまで重要な論文なのでしょうか?手嶋氏も述べていますが、この論文はUnpublished Manuscriptです。いわゆる査読されていない論文で、2007年に発表されたものが最新のものです。経済学においてはまだ査読されていない論文をWorking Paperという体裁で発表することはよくありますが、2007年の論文が2022年まで査読されず残っているということは、一般的には著者の個人的な事情(アカデミアを辞めるなど)か、その論文に問題があるということを表しています。
このKendall (2007)を詳細に紹介した後、手嶋氏は手短に、その手法に問題点が指摘されていることをBhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)を引用して述べています。この四人の著者からなる論文はReview of Economics Studiesという、経済学のいわゆるTop 5の雑誌に掲載された論文です。Unpublishedのまま2007年から更新されていないKendallの論文と、RESに掲載された2011年の彼らの論文、どちらがより信用に足るかと言われれば、事前情報なしでは経済学者の100人中100人が後者と述べるでしょう。では、なぜ手嶋氏はKendall (2007)の中身だけを扱って、Bhullerらの論文の内容を紹介しなかったのでしょうか?
それはBhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)がポルノの消費の増加によって性犯罪が増加したことを示唆する論文だからです。この論文ではノルウェーにおいて、インターネットが普及した地域においてレイプ、およびその他の性犯罪が増加したことが述べられています。そしてAbstractの最後では、”Our findings suggest that the direct effect on sex crime propensity is positive and non-negligible, possibly as a result of increased consumption of pornography.”、つまりインターネットによって性犯罪は増加したことが示唆され、おそらくそれはポルノ消費の増加によるものだろう、とまで述べられているわけです。
追記:ここではPossiblyという表現をおそらく、と訳すのは不正確でした。もしかすると、という表現の方が適切だったと思います。ただこのこと自体は私の主張を崩すものだとは思っていません。詳しくは(https://anond.hatelabo.jp/20220607234113)を見て頂ければ幸いです。
このように、手嶋氏はなぜかKendall (2007)という査読されずに15年も経っている論文を子細に扱いつつ、Bhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)という経済学のトップジャーナルに掲載された論文を無視しています。百歩譲ってKendall (2007)が重要な論文で、説明する価値があるにしても、それと相反する結果が出たBhullerらの論文の結論を述べず、手法に問題点が…と曖昧に引用するのは全く理解できないことです。これこそ手嶋氏が誘導したい結論に合致する論文のみをとりあげる、知的誠実さを欠いた行いです。
追記:一番上の追記で述べたように、私は手嶋氏が初稿で両者の論文を把握していると誤解していました。実際には指摘を受けて追加した、ということのようです。しかし本稿の趣旨、意見に変わりはありません。その点については一番上の追記を見て頂ければ幸いです。
本来であれば、なぜこの二つの論文の結果が食い違うのかを考察し、そのうえで自分の主張を説得力がある形で述べるべきです。手嶋氏はあたかも科学的、中立的であるような風を装いながら、自分の意に沿う、決して評価が高いとは言えない論文のみを詳細に取り上げ、学術的に評価が高い論文を軽視(無視)しています。またそれにより、あたかもこのテーマについて学問的なコンセンサスがあるような、間違った印象を読者に与えています。このような行為は学問への冒涜であり、科学と対極に位置するものです。
手嶋氏には論文を読む、ましてやそれを基に文章を書く資格などありません。
Kendall (2007) : http://pirate.shu.edu/~rotthoku/Liberty/internet%20crime.pdf
Bhuller et. al. (2013) : https://doi.org/10.1093/restud/rdt013
追記:
「手嶋氏は指摘を受けて修正した。だから誠実ではないか」という意見があります。これは大きな間違いです。Kendall (2007)は未査読のまま15年経った論文であり、Bhuller et. al. (2013)は査読を受け、一流の雑誌に載った論文です。この二つの論文の信頼性には雲泥の差があります。この二つの論文を対等に扱うことすらおかしいのです。ましてや手嶋氏のようにKendall (2007)のみを子細に取り上げることなど、常識的な研究倫理を持つ人間ならまずありえないことです。
そして修正された文章を見ても、そもそもBhuller et. al. (2013)がKendall (2007)と異なる結論を導き出していることは読み取れません。私は最初、おそらく多くの読者と同じように、Bhuller et. al. (2013)はより洗練された手法でKendall (2007)と同じ結論を導いたものだと理解していました。手嶋氏は明らかにBhuller et. al. (2013)の結果を隠し、間違った印象を読者に与えることに固執しています。この追記はあくまでお茶を濁し、読者の誤解を誘うように書かれています。
繰り返しますが、手嶋氏が真に知的に誠実な行いをしたいのであれば、Bhullerらの論文を吟味したうえで、それでも自分の主張が正しい、もしくはKendal (2007)のほうが説得的な論文であることを議論すべきです。そうでないなら、経済学という学問の価値規範に沿って、未査読のKendall (2007)ではなく、Bhuller et. al. (2013)のほうを重点的に解説すべきでしょう。失礼ながら、手嶋氏は経済学の専門的な教育を受けていないようなので、これらの論文を理解し、その信ぴょう性を比較する能力があるとは思えませんが…。
ちょっと細かい論点(および追加的な説明)について追記しました。ごちゃごちゃしてすいません。
https://anond.hatelabo.jp/20220607234113
追伸:
はてなブックマークを見たところ、この問題点を指摘しているのは私だけのようです。研究者としての訓練を(修士にしろ、博士にしろ)受けたものであれば、Unpublished Manuscriptを子細に取り上げ、トップジャーナルに掲載された論文を軽視するやり方に一目で違和感を抱くはずだと思います。このような初歩的な問題点を無視することもまた、知的怠慢であり、知的誠実さの欠如でしょう。
https://note.com/teshima_kairei/n/nb86567d83298
「ポルノと性犯罪/性加害の関係」の研究動向に関しては、Diamond(2010)やFerguson and Hartley(2009)、あるいはもう少し新しめのMellor and Duff(2019)といった総説論文を参照すると良いのだわ(総説論文は、あるジャンルについてたくさんの研究論文を統合し、その全体の動向を説明してくれている論文よ)。
どの総説論文でも、ポルノ解禁前後での性犯罪率の変化や、ポルノ禁止の国とそうでない国との国際比較、性犯罪者の再犯率調査の結果等から、概ね「ポルノが性犯罪を引き起こすという説は支持されない」と結論しているわ。Mellor and Duff(2019)は「ほぼFerguson and Hartley(2009)の結論と一致した」と書いているわね。
Ferguson and Hartley(2022)は、あらかじめ設定した基準を満たす59報の論文を対象に、メタアナリシスという手法使って、「ポルノと性的攻撃性」の関係を検証したわ。対象論文には、実験的研究、相関研究、集団レベルの研究の3種類が含まれていて、これらが同時に調べられているわ。
メタアナリシスというのは、総説論文と同じくそのジャンルのたくさんの論文をまとめたやつなんだけど、それらのデータを統合して統計解析にかけ、数値に基づいた結論を出す点で異なるわ(総説論文は、あくまでも言葉による説明よ)。
1つ1つの論文では、例えば「ある薬を飲むと病気Aが治るのか?」にしたって、大体、研究予算や人員の都合で、そんなに大規模な臨床試験(治験)が出来ない事が多いわ。よって、「かなり治る」「ちょっとは治る」「あまり治らなかった」「ぜんぜん駄目だった」と結果がばらついてしまう。
そこで登場するのがメタアナリシスよ! 1つ1つの論文ではデータ不足であったところをデータ統合して統計解析にかけ、「たしかにこの薬を飲むと病気Aが治るという仮説が支持される!」あるいは逆に「この薬は病気Aには効果があると積極的に支持できない!」って感じにより統計的に高精度な結論を導くのよ。
ただし、注意すべきは、メタアナリシスの対象にする論文の選別。不公平なく網羅的でないといけないのは当然だけど、単純に調べる論文数が多いほど良いわけではないのだわ。
第二の注意点は、出版されていても「研究手法に問題があって信頼性の低い論文」もあることよ。そういうゴミみたいな論文のデータも対象に含めてしまうと、メタアナリシスの信頼性まで下がってしまうわ。特に心理学では2015年に「再現性の危機」を示す検証結果が報告されたこともあって、慎重にならなければらない所ね。
その上、解析計画を「事前登録」までしているのよ。これはまだ珍しい取り組みだし、すごいことよ?――現時点で、「ポルノの悪影響」について事前登録までしたメタアナリシス論文はこの論文だけじゃないかしら。
事前登録制は「再現性の危機」への対処として近年始まったもので、研究をスタートさせる前に、「間違いなくあらかじめ申請した解析手法を用いる」「その解析手法で得られた結果がどうであろうと(私の内心上の仮説を支持しても否定しても)必ず発表・出版する」という約束をするものよ。
これは「解析結果が気に入らなかった時、データセットや解析手法をその都度変更して、都合のいい結果が出るまで粘る」「どうしても都合のいい結果が出なかったら、出版を取りやめる(お蔵入り)」をさせないための制度ね。
↓
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/teshima_kairei/n/nb86567d83298
Bhuller et al. (2013)だとインターネット開通に伴うポルノ消費によって性犯罪が増加した(であろう)ってアブストにあるんだけど、この人どうかしちゃったの?なんでさUnpublished manuscriptの説明まじめにしてこっちは省くの?
あるけしからん企業に対して不買運動が起こったとき、その企業の従業員は、大した責任も無いのにとばっちりを受けることになるが、それは理不尽ではないか? という疑問ですね。
前提として、少なくともいじめや誹謗中傷などはNGでしょうが、それは不買運動の話ではないので分けておきましょう。
以下では、不買運動 → 売上が下がる → 従業員のボーナスが下がる みたいな状況を想定します。
まず、責任が全くないのかという点を検討すると、「ちょっとはある」という話に落ち着くのではないかと思います。
この責任というのは、たとえ話になってしまうけど、遺産と借金の相続の話になぞらえることができる。以下が一般的な理解かと思います。
ひるがえって、企業と従業員の話をすると、まず、次のような考え方があり得る。
上記を前提とし、不買運動をする人間は、おそらく、従業員に対して次のように思っているはずだ。
上記とは逆の方面からも、たとえば以下のように、いろいろ反論できるはずである。
このような事情があるので、あるけしからん企業に所属しているからといって、特定の従業員を直ちに非難できるかというと、それは違うだろう、ということが言える。
そういう逡巡のない人は、働かせている想像力が少し足りないか、他にもっと強い何らかの信念があるか、どっちかでありましょう。
そして、補足するならば:
なお、私は普段このエントリのようなことを真剣に考えてはおらず、いま思いついたことをバーッと書いただけです。その程度の信頼性だと思っていただければ……。(不買運動とかも意識する機会は無い。まあ個人的に、評判の悪い会社の商品を買うのを控える、くらいはしてるかも。)
まず挙げられるのが、核攻撃の際にも被害を最小限に食い止めるための防御装備。核爆弾が爆発した際に生じる放射線や強い電磁波を遮るための防護壁を追加し、乗員の安全や電子機器類の信頼性を高めるための措置が講じられています。また、実際に「911同時多発テロ」の際にも行われたように、有事の際に大統領がエアフォースワンから指令を行う「指揮発令所」としての役割を持たせるために、通常の民間機では考えられないほどの通信設備や装備品が搭載されています。必要な電気系統は複数のバックアップが搭載され、軍レベルのGPSシステムが搭載されています。
By iflyfsx
また、あらゆる環境においても高い信頼度を発揮するために、エアフォースワンでは多岐にわたる「冗長性」が備えられています。通常の民間機であれば、飛行中にトラブルがあってもまずは目的地に到着し、例えそれが外国であっても現地で部品を調達して部品を交換する措置が取られます。しかしエアフォースワンではあらゆる事態においても他者に依存することなく対応するために、一定の交換部品が機体に搭載されているとのこと。また、機体には常に6本の交換用タイヤが搭載されています。
場合によっては到着先の空港で登降機用のタラップが準備できなかったり、どういうわけかタラップが用意されないこともあります。そんな場合でも空港のインフラに頼ることなく乗り降りできるように、エアフォースワンの機体には通常は存在しない格納式の階段が機体ドアの内側に取り付けられています。
By J
さらに、エアフォースワンの機体には燃料の空中給油を受けるための装置が装備されています。これにより、例えば核攻撃などで国内の空港に安全に着陸できない場合でも、一週間以上にわたって飛び続けることが可能。仮にホワイトハウスが破壊されてしまっても、アメリカ大統領は「空飛ぶ執務室」とも呼ばれる大統領専用機の中で必要な指示を命令することができるようになっているとのこと。
そして忘れがちなのが、大統領専用機は同じ機体が2機用意されており、常にバックアップとして大統領機に随行している点。バックアップ機には副大統領が搭乗し、大統領機に機体にトラブルが発生した場合でもすぐに対処できる体制が構築されています。
手を下す=直接本人のところへ殴り込むことだと思ってます?言葉の暴力って日本語聞いたことないかな?
一方ではこなつさんが汗さんに絵柄似せてる(気がする)ってだけで「殺人するほどまでに追い詰め〜」とか語っちゃって執拗に責めてるしダブスタがすぎるわ
>3万フォロワーいるとこういうやり方でつい賛同者募っちゃうのかな〜
汗さんに言ってあげてくださ〜い
>SNS嫌い(苦手?)を全面に押し出して海外の超無害系(デフォルメ寄り)絵師だけ厳選フォローして、界隈の誰にフォローされても返さずお前のこと自分のタイムラインで特に見たくないですって意思表示を隠さず活動してるのに
汗さんほど上手い人が…何でしたっけ?出て来ちゃったね(爆笑)
全世界公開した中傷記事に常識的な反応しただけのお相手に、よくこんな言葉がスラスラ出てきますね!
普段からあなたたちがこなつさんに対してだけでなく他の人や物に対しても歪んだ認知と悪意をもって解釈していることがよく伝わります〜
もちろん増田はわかっていた上でド素人相手にこう言っているのだろうけど、別の知財部増田(非士業)から一言
「商標審査中」であれば、「無関係な第三者」でも特許庁の審査官に「匿名で」情報提供ができる。
つまり、「一定の信頼性を持っているメディアの刊行物等の記事」を示して、当該商標が出願人に独占させるにふさわしくないことを意見できるわけだ。
詳しくは以下のリンク先を読んでほしい。https://www.jpo.go.jp/system/trademark/shinsa/johotekyo/touroku_jouhou.html
もちろん本件はすでに登録されているからこの方法は使えないので、元増田が言及しなかったのは正解。
なお、匿名での情報提供でも意外とこれは効く(自分自身がこれを使ったこともあるし、第三者の情報提供に救ってもらったこともある)
審査官がどこまで参考にしてるかは知らないが
「デルタ時の感染者1000人は恐かったけど、今は4000人でもそこまで恐がらなくてもいいよね?」
「そこまでって、じゃあ、どのくらい?」
知っての通り、個人にとってコロナ感染によるリスクは、年齢や基礎疾患、ワクチン接種の有無などによって大きく異なっている。したがって、全人口をひっくるめて「デルタの致死率はXX%」「オミクロンの重症化率はYY%」とか言われても、それは国や自治体、医療関係者が気にするべき数字であって、個人にとっては若者と高齢者では文字通り100倍もリスクが違うので、まったく実感を伴わない数字なのである。
本来であれば「50代・男性・ワクチン3回接種後1ヵ月・対オミクロンなら、あなたの入院リスクはX%・重症化はY%・死亡はZ%」くらいに細分化された一覧表が公開されてしかるべきだと思うが、あいにく海外も含めてそのような一覧表は見当たらない。しかしこの世には十分なデータが蓄積されているはずで、実際にバラバラに公開されているデータをつなぎ合わせることで、個人にとってのリスクをかろうじて推計することができそうである。
新型コロナワクチンの有効性-ブレイクスルー感染調査から (神奈川県)
https://www.pref.kanagawa.jp/docs/ga4/covid19/vaccines/efficasy.html
デルタ時のリスクを年代別かつワクチン接種別に示すデータは本当に限られている。ここでは神奈川県のデータのうち、50代の感染と入院に注目して後のオミクロンと比較していく。
デルタに感染するリスク比 ワクチン0回接種: 1.15 ワクチン2回接種: 0.05 (←0回に比べて1/23。デルタにはワクチンがめちゃくちゃよく効く)
デルタに感染した上でなおかつ入院に至るリスク比 ワクチン0回接種: 1.15 * 15.46 = 17.78 ワクチン2回接種: 0.05 * 2.99 = 0.15 (←感染者を分母にするとリスクは1/5だが、そもそも2回接種者は感染リスクが1/23しかないので、実質的なリスクは1/119となる)
オミクロンにおける年代別のワクチン効果を「まともなデータで」比較できる資料は見つからないが(HER-SYSは抜け漏れがひどい)、70歳以上の高齢者を除けばおおむね感染に対するワクチン効果は同等と考えられる(接種後の経過日数の影響のほうが大きい)。よって、年代別ではない全体データを50代のデータとして代用する。なお、このデータでは時を経るにつれて少しずつワクチン接種者と未接種者の差が縮まっていて、感染によって獲得した自然免疫の影響などが考えられるが、ここでは後に用いるデータの期間も考慮して、3/1-3/28の4週分を採用する。
オミクロンに感染するリスク比 ワクチン0回接種: 0.572 ワクチン2回接種: 0.358 (←0回に比べて1/1.6、ワクチン接種後の効果減衰の影響もある) ワクチン3回接種: 0.092 (←0回に比べて1/6、デルタほどの効果はない)
オミクロンの入院率を年代別かつワクチン接種別にまとめたデータは非常に貴重である。このデータと神奈川県のデルタのデータを直接比較できるのが50代しかなかったために、本記事では50代を軸にしている。
オミクロンに感染した上でなおかつ入院に至るリスク比 ワクチン0回接種: 0.572 * 8.0 = 4.58 ワクチン2回接種: 0.358 * 3.0 = 1.07 (←デルタではリスクを1/119にしてくれたが、ワクチン接種後の効果減衰の影響もあって1/4にしかならない) ワクチン3回接種: 0.092 * 1.6 = 0.15 (←3回接種でやっと1/30)
https://catalog.data.metro.tokyo.lg.jp/dataset/t000010d0000000068
デルタを2021年7月-12月、オミクロンを2022年1月-3月と仮定して、感染者全体のうち50代が占める割合の違いを確認しておく。
感染者全体のうち50代が占める割合 デルタ時: 22993 / 205141 = 11.2% オミクロン時: 81837 / 867843 = 9.4% (←デルタに比べて子供の感染が多い分、他の年代は少なくなる)
(必要なデータが揃いましたが、ここから結論に至る中間の計算の紹介は省きます)
感染するリスク ワクチン未接種者にとって: 都内1日あたりデルタ1000人の環境 = オミクロン2035人の環境 = 2回接種後: デルタ2万3000人 = オミクロン3254人 = 3回接種後: オミクロン1万2642人 (←未接種だったころの都内デルタ1000人と同じリスク)
感染した上でなおかつ入院に至るリスク ワクチン未接種者にとって: 都内1日あたりデルタ1000人の環境 = オミクロン1493人の環境 = 2回接種後: デルタ11万8923人 = オミクロン6367人 = 3回接種後: オミクロン4万6381人 (←未接種だったころの都内デルタ1000人と同じリスク)
というわけで、ワクチン接種を3回済ませた都内在住50代にとっては、個人のリスクだけを考えるなら、ワクチン未接種だったデルタ当時に比べて、同じ都内感染者数でも感染リスクは1/10未満、入院リスクは1/40未満になっていると言える。ただしいっぽうで、3回接種後のオミクロンのリスクは、2回接種後のデルタのリスクに比べると2-3倍ほど高い。オミクロンは軽症だのなんだの言われるが、ワクチンをしっかり打っているあなたにとっては、デルタはそもそもめったに感染しなかったのに対して、オミクロンはそこそこ感染するし入院もしうるのだ。結局のところ、個人にとってはワクチンを接種することこそが圧倒的な恩恵で、オミクロンによる弱毒化の恩恵は、ワクチンの効きの悪さによって相殺されていると言える。また、2回接種に留まっている人は、むしろデルタ時よりはるかに高いリスク(同じ感染者数の環境に対する入院リスクは19倍)に身を晒していることになる。こうしたことはもっと周知されるべき「モノの見方」ではないか。
国や自治体にとってはワクチン未接種者のことも考慮しなくちゃいけないし、年代による差もあるので、医療の逼迫度合いが1/40になるわけでは決してないのだが、そんな心配は国や自治体が担っておけばよいのである。冒頭にも書いたが、国民向けには本来であれば「50代・男性・ワクチン3回接種後1ヵ月・対オミクロンなら、あなたの入院リスクはX%・重症化はY%・死亡はZ%」くらいに細分化された一覧表が公開されてしかるべきなのだ。リスクの違う我々をひとまとめにするんじゃない!
5月23日追記: 記事の主張がブレてしまいました。一番に主張したいのは冒頭に示したような「デルタ時と比べてどうなのか」「ワクチン接種の有無によってどう違うのか」といった相対的な比較です。「ワクチン未接種だったデルタ当時に比べて、同じ都内感染者数でも感染リスクは1/10未満、入院リスクは1/40未満」という比率自体は、40代男性でも30代女性でも、基礎疾患があろうとなかろうとおおむね同じになるはずです。
あと anond:20220523104838 のせいで赤字部分に黒字が混ざって見づらくなってしまいました。
コロナ感染陽性者のワクチン接種回数と致死率 (2021年7月) (全国)
(※ 7月はアルファも24%含む。またHER-SYSのデータは信頼性が低い)
https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000826597.pdf
※ 全般に乱暴な計算ではあるが、これは公開されたデータが限られているせいであって、国が集計できるはずのデータがすべて使えるなら、このような乱暴は不要となる。
※ 感染や入院に地域差はあったとしても、ワクチン接種回数による効果の「比」は同じだろうという仮定に基づいている。
※ 無症状のまま気付かず検査もしない感染者は考慮されていないが、市中感染の陽性者は大半が症状ありであることと、「検査してみようと思う程度の症状」は地域や時期によらず同じだろうという仮定に基づいている。
しかし「図に乗る」を「読経の転調に由来する」と説明したのは金田一春彦からで、どうもそれ以前には遡らないみたいなんだよなあ。
金田一春彦に権威があったから広まってるだけで、説明自体にはそれほど信頼性が無さそうなんだけど。
「図に当たる」はどこでも「図=狙い・計画」の意味で説明しているのに、
「図に乗る」のほうだけぜんぜん別の由来だということがあるかな?
わざわざ迂遠な説明をしなくても「物事が計画どおりに進んで調子に乗る」というのが素直な解釈じゃないか?
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9B%B3%E3%81%AB%E4%B9%97%E3%82%8B
一般に若年者など関係が下位にある者が、自分の企図していたとおりに事が運ぶのに気をよくして、分を超えた言動をすること。
表記のゆれ:「図」に替えて「頭」を用いることがあるが、「図」はもともと「企図すること」の意なので適当な用字とはいえない。
https://kotobank.jp/word/%E5%9B%B3%E3%81%AB%E4%B9%97%E3%82%8B-539406
精選版 日本国語大辞典
自分の思うように事がはこぶ。
https://kotobank.jp/word/%E5%9B%B3%E3%81%AB%E4%B9%97%E3%82%8B-539406
とっさの日本語便利帳