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はてなキーワード: ナイーヴとは

2017-08-28

童貞

童貞性とか童貞力って別段童貞だけにあるものじゃないんだよ。男性なら誰でも持ってて、たいてい思春期には高くて、歳を経るに従って低くなっていく。童貞を失うと激減するけれど、それも個人差がある。

ざっくり説明してみると、その童貞性ってのは「女性を尊くて素晴らしいものだと思い込み希求する精神」だ。まあ、性欲とかそういうのはあるんだが、その性欲がレイプ的な方向に向かわず挙動不審になるのは「素晴らしいところである女性に内心を見透かされて嫌われたり軽蔑されるのが怖いから」だ。

長年思ってるんだけど、男性のこの童貞力によって、一番利益を得ているのは女性自身だと思うぞ。デートなんかで優遇されるのもサークルでちやほやされるのも、若年男性に影響力を発揮できるのも、男性のこの童貞性のおかげって部分は確実にある。フェミの人はおそらく「頼んだわけじゃない」「気持ち悪い視線を向けられるのはハラスメント」とか言い出すんだろう。その意見気持ちも、年取っちゃった俺には理解できる。

けれど、総体を公平に見た時、女性はやはりこの男性童貞力によって利益得ていると思うよ。アイドルなんていう一部の職業でそれは可視化されるわけだけれど、何もそんな特別職業じゃなくても、会社部署学校サークルで、あるいは近所付き合いで、ある種の優遇特別配慮を受けている女性は多い。というか、若い頃は大抵その種の優遇措置を受けられてるんじゃなかろうか。

性の商品化は断固許さん、とフェミの人は言うけれど、ファッション誌や女性誌を見る限り、自分たちの性の商品化に一番熱心なのは女性自身だよね。じゃなければ結婚戦略に、自分容姿セックス男性提供する反対給付としてカウントするはずがないわけで。

童貞性にみられる、(おそらくほとんど根拠のない)女性への憧れ、フィクション的に言うなら「女神様扱い」ってのは、おそらくロマンチック・ラブイデオロギーによる教育の結果であって、それって悪いものじゃないと思うんだよ。もちろんすべてが善だなどと強弁するつもりはないけれど、すくなくともその一個前の封建時代における女性男性私有財産というところから離陸するのには役立った。

いま、俺たちの社会は長い長い数百年の過渡期にあって、女性の権利ってのは男性と全く同じであるとまだ胸を張って言える状況ではない。けれど、その過渡的な状況の中で、自分の性を商品化して社会の中で地位を高めようとする女性と、女性加護者として自分規定したい男性は、思想的には共犯関係にある。童貞性はその思想上のツールなんだよ。

女性は、そのことにもうちょっと感謝してもいいと思う。感謝という言葉が気に障るなら「ちょろく騙されてくれる連中に対する惻隠の情」と言い換えてもよい(その惻隠の情をビジネススキームに落とし込んだのが、アイドル握手会だと思う)。

童貞いじりも男嫌悪社会浄化運動も良いけれど、そうして清潔になっちゃった社会に、現代を生きてる普通女性殆どは生きられないと思う。なんせ俺ら全員は、過渡期を生きてる過渡的生き物なもんだからね。

ps.俺個人童貞性を非常に良いものだと思ってるよ。少年性とも接続する。ボーイミーツガール系の物語において、別段大した利害関係もないヒロインに対して、主人公が時に命をかけるほどの献身的助力を行えるのは、まさに童貞性の発露だよ。フェミ的には純愛とか言いたいのかもしれないけれど、その種のナイーヴ純愛こそ童貞性の結実だといえると思うよ。絵面が綺麗な童貞性は純愛だといわれ、絵面が汚い童貞性がキモ男の告白ハラスメントだと侮蔑される。それだけのことだよ。前者の価値を認めるのならば後者を貶めないってのが、反差別だと思うわけ。

2017-03-28

憎しみについて。

factはもうどうでもいいのだろう。

各人が自分にとって好ましいと思われる主張だけを取り入れ(「好ましくない」主張は排除し)ひたすらにナイーヴな、個人のinterestのみにかかわる声だけをあげつづけている。

現代もっとも重視する感情は「ヘイト」だ。「ヘイト」は被害者意識から発する。「わたしが手にするはずの権利利権が××によってそこなわれている」。その××が憎悪対象となる。それを裏付け根拠付けるはずのfact論理手続き正当性といったものは全て無視される(結論の正しさは必ずしもそれに到るまでの手続きの正しさを保証しないというのに)。

自分のinterestをおびやかす(ものとされている)相手――もっといえば「わたしが嫌いなあの人(たち)」――を叩いて、自分存在承認してさえくれれば――それはあくまで「承認」だけにとどまり、その先の恩恵は何一つ(それこそfact論理による)保証をもたないのだが――手続きレベルでなされた詐術や背後の事実関係などをすっ飛ばして、直ちに支持してしまう。

未だに(不幸なことに)「大きな物語」と「小さな物語」の対置というリオタール的な図式は有効で、実感のない「大きな物語」より自分にとってより切実に感じられる(ように錯覚される)「小さな物語」としての"身の周りのこと"を優先する態度だけが前面にあらわれて、その「わたし」「わたしの嫌いなあの人(たち)」「わたしの嫌いなあの人(たち)を――事実裏付け論理的正当性はともかく――叩いてくれるあの人(たち)」の三項からなるごく卑近な図式を通してしか、他のレイヤーに存するはずのあらゆる社会的問題も捉えられない(ああ懐かしの「セカイ系」!)

ライフハックとかQOLとかに端を発する「個人の(あなたの)生活第一!」という恐ろしくプラグマティック思考が幅をきかせ、みんながみんな自分(と、自分と利害を共有する「身内」)にばかり甘くなる。「身内」によって構成された「内輪」の外にいるのは、「わたし(たち)と利害を共有しない」がゆえに「わたし(たち)の生活を害して利を得ている」ものてされて――その判断客観的事実による裏付けは全く必要ない――「ヘイト」を集め、排除された人びとだ。その「排除された人びと」もまた別個の「身内」どうしで固まり、これらの集団はそれぞれ互いを憎み、排除しあう。かくして現代の「分断」の構図は生まれるのであった。

もちろんこの文章もまた、何らの論理的正当性個別的客観的factによる裏付けももたない、何か実体のない相手に対する「ヘイト」と被害者意識から書かれ、そしてわたしとinterestを共有する「身内」に向けて発せられた言葉にすぎないのだが。

2017-03-14

娯楽と政治は切り離せない

娯楽と政治は切り離せって意見をちょくちょく見る。

それは「娯楽作品に、政治的問題意識させる要素を入れるんじゃねえ」という作り手への批判文脈なこともあれば

「娯楽を政治的問題に結び付けて議論するんじゃねえ」という受け手への批判文脈なこともある。

いずれにせよ、非現実的すぎる。

娯楽は現実問題や難しいことからすっかり切り離せるなんていうナイーヴな考え方は捨てろ。

その二つは切り離せない。スポーツ政治も切り離せない。あらゆるもの政治は切り離せない。なぜなら人間のもの政治が切り離せないからだ。

政治の要素がなくただ快楽だけを味わえる娯楽もあるなどと以前まで考えてこられたのはおそらく、君の精神がまだ幼く政治的要素を認識できなかった上に、語り合う相手も同じくらい未発達な人に限られて、娯楽に含まれ政治に気づけなかっただけだ。

今もはや君の精神は成長し、更にインターネットによって無数の人間の考えを見るようにもなった。

政治と娯楽は切り離せないし、君は切り離せるという夢想の中で遊ぶこともできなくなったのだ。

娯楽に政治を入れる作り手を、「政治を入れた」というだけで叩くな。叩くならその描き口や政治スタンスを叩け。

娯楽を政治的に受け取る解釈車を叩くな。そこにある政治要素から目を逸らしてむずかしいことのわからない幼子のふりをするな。

これは、賢くなれとか政治に興味を持ち学べとかいメッセージではない。

君は既に賢いのだ。賢くなってしまったのだ。

めんどくさいことを考えられない気楽な愚者のふりをしようとしても、その欺瞞はやがて君を苦しめるだけだ。

これは自分を苦しませないようにという忠告だ。

2017-02-08

http://anond.hatelabo.jp/20170208105036

分かる人間のみが口を挟んでいるというナイーヴな考えは捨てろ

2017-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20170203121111

人生に点数を付けられると思っているナイーヴな考えを捨てろ

http://anond.hatelabo.jp/20170203120104

既婚なら減点要素が無くなるというナイーヴな考えは捨てろ

しろ新たな火種を作ることになる可能性の方が高い

2015-11-19

ハモでトァンが愛してると言いつつミァハを射殺したのはなぜなのか

 劇場版ハーモニー』の公開から一週間が経過し、『ハーモニーLINEスタンプとか『ハーモニーTシャツといった危険信号無視して戦場に足を踏みいれたオタクも大半が死んだ。不満はいろいろとみかけるが、もっとも多いのは「謎のピンク日本」と「ラストの『愛してる』」のふたつのようだ。ところがどっこい、このふたつは同じものである

 賢明なる読者におかれてはマイケル・ラザフォードの『1984』を思いだしていただきたい。本作においてはビッグブラザー支配する全体主義国家モノトーンに近い暗い色調で、対照的ウィンストン恋人と逢引きするシークエンスが鮮やかな色調で撮影されている。原作ではこいつらが明るくて前向きの元気ハツラツの若者だったら全人類ハーモニクスはおきなかったといわんばかりの〈次世代ヒト行動特性記述ワーキンググループ〉の老人たちが、劇場版では思わぬ躍進をとげ、全人類情報をにぎり管理する巨魁となっていた驚きはまだ記憶にあたらしいと思う。そう、劇場版ハーモニー』の主題全体主義との対決なのである。「『ハーモニー』のテーマ全体主義との対決じゃないだろ」といわれても、それは脚本を書いた山本幸治にいってほしい。となると日本ピンクの単色で描かれていた理由もわかろうというものだ。対照的学生時代の回想は背景の自然を強調して鮮やかな色彩で描かれている。劇場版ではトァンとミァハはAからはじまりセックスまでしているのが、いかにも国家と個人の対立らしい。『1984』でウィンストン恋人は逢引きするたびにセックスして、むしろセックスするために会っているのではないか、さすが1948年現代草食系若者とはちがうと思うがそれはどうでもいい。

 劇場版をみてなんで意識を消滅させるかわからなかった観客も多いようだが、それもそのはず、意識を消滅させる根本動機である生命主義社会への違和感とか、生きづらさにたいするトァンの独白はばっさりカットされている。劇場版意識を消滅させるのは、単純明快に「ヤツらに管理されない」という〈次世代~〉の老人たちへの反逆であるシュタウフェンベルクはその手先なのでもちろん同情の余地はないし『働きマン』の上司よろしく最後最後で態度を変えてトァンをねぎらったりもしない。というわけで、根本的に意識を失いたくはないわけであるしかし〈次世代~〉の老人たちの管理支配体制を脱するために意識は消滅させなければならなくて、トァンが「でもミァハは、私が好きだったミァハのままでいて。愛してる、ミァハ」といってミァハを射殺するわけである。なので、『Ghost of smile』の歌詞も惜別を唄うものとなっている。死んで悲しむくらいなら殺すまえに意識を失っても生きていたいかどうか確認くらいしたらとツッコむのは無粋である

 では劇場版ハーモニー』は原作とはちがうはなしなのかといわれたらそのとおりである。とはいマーケティングを考えれば当然で、J・G・バラードにならった個人の精神世界がそのまま世界に直結する内宇宙インナー・スペース)の物語でも、ノイタミナをみている女子大生に「生きづらいから人類意識を消滅させる」といったら、「ナイーヴすぎる」とか「周りがみえてない」とか「『ガキ使』をみれば意識必要だってわかるよ」とかいわれて終わりである。もし「テクノロジー情報過剰の帰結として自動車事故セックスを疑似体験する」などといおうものなら、「なにそれ。キモ」といわれるのがオチである

 それでは劇場版ハーモニー』が原作への理解にもとづいて制作される可能性はなかったのか。たとえばタルコフスキー監督である。リリシズムと内宇宙インナー・スペース)への理解があり、ついでに日本通のタルコフスキーなら『ハーモニー』を完璧映画化してくれるにちがいない。タルコフスキーなら映画を『007さながらのニジェールドンパチではじめたりはしないだろう。学生時代のトァンが自宅でふつうに起居するところからはじめて日常生活をしばらく撮影するにちがいない。そしてトァンと出会うシーンになるが、だいたいこんなカットのはずだ。

①ベンチに座るミァハ(遠い)

②トァンの後ろ姿

③へんなオブジェ知的素材のジャングルジム

① ②  ③

そこでミァハとの会話がはじまる。途中からキアンもくわわるが、ともあれえんえん一時間くらいずっと会話がつづく。そこでようやく十三年後になりキアンが自殺する。トァンも政府高官だとわかるだけで詳しい説明はないだろう。物語淡々と進んでコーカサスに登攀し、なんか濛々たる霧に覆われて半分くらいみえなくなっているバンカーはいる。もちろん内部は水浸しだ。ミァハとトァンの対話がはじまるが、水中に没している十字架を写すカット意味深に挿入され、「ちょっと待ってくれ」といいたくなるが映画はとまらない。ミァハとトァンの対話がまた長い。そして最後唐突にトァンがミァハを射殺し、瀕死のミァハをずるずると屋外まで引きずっていって、だんだん白霧が濃くなってゆきホワイトアウトする。ショットが替わり、チェチェンの広大な大地を少女が遠景に去ってゆくところを長々と写し、クレジットが表示される。BGMに思いっきヘンデルの「メサイヤ」が流れ、オタクたちが「やっぱり宗教モチーフで全人類ハーモニクスが『最後の審判』に読み替えられてたじゃねえか!」といきりたつが当のタルコフスキー原作者と同じく夭折していてこの世にいない。いたらいたでコーカサス山脈撮影に都合のいい海や湖がないからブチ切れそうだ。というかミァハたちの会話がえんえんと一時間もつづく劇場版ハーモニー』なんてどう考えてもつまらないし、正直なところ①②③とか書きはじめたあたりからどうでもよくなっていた。劇場版ハーモニー』はあれはあれでいいと思う。

2015-03-31

おおっと

またナイーヴなところをついてしまったようでゴザルなwww

まったく俺の右腕にも困ったものでゴザルww

おおっとナイーヴなところをついてしまった模様www

2014-12-13

http://anond.hatelabo.jp/20141213105847

どれも、単に「行きたくない」という人間の「言い訳」にすぎなくて、「存在意義」ではなくね?

〇(その1)投票による効用が少ない。

要するに「俺の一票では何も変わんねーべや」って意見。まさに民主主義社会寄生虫意見であって、そんな意見に「存在意義」があるという主張は理解しがたい。なお、「小選挙区制により、多数の無効票が発生する点にも注目したい。」という考え方については、毎度のことながら目を覆うばかりなのだが、これは簡単に反論できる。

具体的には、選挙は一回で終わるわけではなくずっと続くものであるから、「10万対9万9千」での勝利と「10万対0」での勝利の意味の違いが理解できないような人間が勝利し続けることは不可能なのであり、従って「9万9千票は無効票」という考え方は、自分意見が当面却下されたことに対する、あまりにもナイーヴな反応としか言えない。

〇(その2)現状に満足=政治成功

まり「鼓腹撃壌」論。「鼓腹撃壌(支配者への不満がないから民衆為政に無関心)」というのは、古代東洋理想とする社会ではあったが、民衆こそが支配者である今日世界で、投票権利行使しないことは、たとえれば「支配者が支配への責任感を忘れ、世俗の楽しみにうつつを抜かしている状態」と同じなのであって、とても肯定できる状態ではない。なお、普段から政治への関心が低い場合にこそ、何か政治問題があると感じられればすぐ暴動につながるのであって、政治に高い関心をもち熱心に投票する人間暴動を起こすというのは、明らかなミスリードであるデモ暴動を単純に一緒にすべきではない。

〇(その3)政治的無関心過激派に対する緩衝材である

これが唯一「存在意義」に近い主張。ただし、(その2)と同じ理由却下。「みんなが政治に参加する社会なんて怖いだけじゃないだろうか。」じゃあ、誰に政治やらせれば「安心」なのか。天皇陛下か? 総書記か? 大統領か? 「どこかの誰かエライひと」か? 憲法には「主権者国民である」と規定されているので、あなた責任権利放棄すれば、あなたはそれを誰かにひっかぶせることになるだけ。「過激派への緩衝剤」というメリット以前に、国民責任権利放棄しているということのリスクが大きすぎる。

〇(その4)白票または棄権という意思表明

もちろん「不参加」というのは意志の表明である。ただし、「私は、主権者としての責任から逃れさせていただきたい」という主張と同一である。要するに、国民主権国家においては、たとえば納税の義務を逃れようとするのと同じく、犯罪に近い。極論に聞こえるかもしれないが、たとえば「全員が主権者としての責任から逃れようとして投票しない状況」を考えてもらいたい。誰も税金を納めなくなった状態と同じように、国家運営できなくなるだろう。したがって、その意思を表明する以上は、自分意思の罪深さを知り、せめて他者から批判非難言葉くらいは感受すべきである。我々が、投票しないあなたに代わって政治を選択する責任果たしているのだから責任を果たさなあなたは文句ぐらい言われるべき。

〇(その5)宗教的信念によるもの

上と同様である。どのような宗教を信じることも自由であるが、犯罪的な思想をもち犯罪的な行動を行えば、当然犯罪として処罰されるのであって、事実犯罪ではないとしても、批判されてしかるべき信条に基づいた宗教信仰する以上は、批判されるしそれは当然のことである

2014-07-17

アンビバレント女々さん可愛い

なんて言うかアンビバレント女々さんの強がってるけどナイーヴ丸出しな感じが女性スタンダードって感じで微笑ましい。

別に馬鹿にしてるわけじゃなく女性殆どがこうだよなって。女性なんてさ 理屈なんて通じないでこんなもんなんだなって割り切った上で

支えるんだよって若者に伝えるための教材みたいな人だよね。

2014-01-14

モーツァルトを一番上手に弾けるのは子供だ」という都市伝説

ブクマあたりでははてな村ネタとして消費されてるようだけど、似たようなこと時々考えてるのでマジレス

はいっても、俺は小説書いてるわけではなくて趣味楽器弾いてる立場から少し前提条件が違うかもしれない。それはあらかじめ承知してもらった上で読んで欲しい。

で、結論からいうと、あなたが斬新な発想が失われたと思っているのは別にはてな」に出入りしているのが原因ではないと思う。単にあなたが大人になったからだよ。

ゲスパーを承知で言うと、あなた若い頃の作品が「セミプロに近い実力」であったとしても、そこからプロレベルに至るまでには見た目よりずっと大きな断崖があったはずで、あなた現在その断崖にはまるべくしてはまっているだけだと思う。

例として、クラシック界では題名のようなことが言われる。全く当たっていない訳ではない。上手な子供はレッスンの課題小学校高学年ぐらいでモーツァルトなんかを次々与えられて、なかなか魅力的な演奏をしたりする。一方で、超絶技巧の難曲を弾きこなす音大生に、古典的簡素モーツァルトを弾かせてみると機械的で散々な演奏になることもまたよくある。そうでなくても音大生の演奏って力任せで面白くないことが多い。結果、このあたりの曲には音大卒業してからも苦手意識を持ちっぱなしという人が意外と多くて、巷のピアノ教師なんかじゃ、40代とか50代になってはじめてモーツァルトのような古典的作品のすばらしさがわかった、なんてことを言っている人が意外なほど少なくない。だいたい、中高生あたりの間にプロになるための修行に着手したあたりで、この辺の作品は練習課題しか見えなくなってしまったりするらしいんだね。

ただ、聴き手の立場で言うとこれは理解に苦しむ現象ではあるんだ。モーツァルトって純粋で単純素朴みたいに言われるけど、聴いていて触発されるのは、憂愁とか諦念とか憤慨とか、なかなかどうして複雑な「大人の感情」も多分に含まれている。子供がこの辺の感情を消化して表現できることなんて到底できない以上、子供がどれだけ上手に演奏したって限界があるんだよ。

じゃあ子供がどうして音大生よりもマシな演奏をすることがあるかというと、逆説的だが子供は「何も考えていない」からだ。ちょうどあなた超自然的なものについて突き詰めて考えずに感性で処理していたのと同じようなもの。そうすると、わからない部分は「適当」に弾くことになる。しかモーツァルトの作品は音楽的に無理がなく自然に作られているから、「適当」でも一応それなりに形になってしまったりはするし、それを聴く大人は「深み」を勝手に読み取ってしまって、子供演奏を褒めてしまったりするわけだ。実はその演奏にあらわれた「深み」は全部作曲者のおかげなのにね。

ところが音大生は違う。歳を食ってしまえば、怖いもの知らずでもはや「適当」になんか弾けやしない。一見なんてことなさそうな作品なのに、あれこれ試しても本質に触れた気がしない。だからこそ迷う。悩む。その結果何もわからなくなり、技術理屈だけで無理押ししたような演奏になってしまう。そして聴き手からは「子供の方が上手だ」と酷評されることになるわけだ。

でも、これって退歩なんだろうか?違うよね。子供時代の、曲に乗っかっただけの「適当」な演奏が、自ら曲のよさを引き出す成熟した演奏進化するまでの過程には、「曲に振り回される散々な演奏」という段階をどうしても通らなければいけないということでしかない(もちろん、その辺をあっさりクリアしてしまう人もいるのだけれど、そういう人は並以上の才能に恵まれていた一般化できない存在であることは明らかだから今はおいておく)。

あなたの今の状態って、そういうことじゃないの?「作品」という表面では長いスランプかもしれないけれど、あなた自身は過去より確実にものを理解できるようになった(「はてな村」がそういう訓練の場として適切か、についても言いたいことは大いにあるがこれも今はおいておく)。この状態で元の場所に引き返そうったって、戻った先に進歩があると思う?戻った先は「退行」じゃないの?

そうじゃなくて、あなたが今やるべきことは、強化されたあなたの頭で、あなた過去の作品のよさと限界を冷静に分析することじゃないの?そして分析した結果、摩耗した感覚があったらそれを再度取り戻し、同時に過去の作品の限界を超える方法模索していく。そういう格闘の先にしかあなた進歩はないように思えるんだけれど、どうだろうか。

と、全部あなたの話をネタにして自分語りしてみた。的外れだったら「ゲスパー乙」で片付けてもらって構わない。しかし、現在気づきから再度ナイーヴさに逃避してしまうのではあなた自身の進歩を殺してしまうのではないかと心配になったんだ。

役に立とうが立つまいが、何かを考えるきっかけになってくれれば幸い。

http://anond.hatelabo.jp/20140112071842

2013-07-06

やはりドリーさんの書籍クリティークはまちがっている

 というわけで一本何か書いてみようという安易意識からキーボードを叩き始めました。名も無きはてな民です。よろしく。

 さて、今回は巷でネット民の熱い羨望を浴びながら、同時にドス黒い憎悪嫉妬とを育み続ける孤高のネットライター、ドリー氏の行う書評について、何か適当に書いていこうと思います。正直言って資料を用いながらの適確で分析的な記事とかは書く気がしないんで、フィーリングで書いていくことにします。


 さて、ドリー氏については説明不要だと思います。あの村上春樹の新作『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』をamazonレビューにてけちょんけちょんに叩き、その軽快でユーモラスな批評おいて人気を博した、ネット出身の新鋭ライターブロガーでございます。あ、ちなみにこんな風に書くとまるで私自身がドリー氏のモグリか何かのように見えるでしょうが、その心配には及びません。この記事は売名を目的にしてはおりません。

 ドリーさんには、今回のamazonレビューを切掛にして、何と出版社からライターとしての依頼が飛び込んできたようです。何ともまあ、驚くべきことです。ネットからの躍進というものが、こんなに身近な部分で行われているなんて……と、些かめまいのようなものを覚えてしま塩梅でございます。そんなこんなで、今更になってドリーさんの名前を広める為に誰かが努力をしたりステマをしたりする必要は、今の時点ではおよそ皆無だと言えるでしょう。何たって既にその名前が広がっていく余地が取られているわけですからね。


 さてまず、彼の批評について述べる上で、彼の書く批評文においては幾つかのポイントがあるわけですが、それについて紹介していきたいと思います


 自分アッパークラスならぬダウナークラスに位置付け、そしてそのような低きから視点おいて、批判対象(アッパー雰囲気を纏うものや、ハイソ雰囲気を纏う書物)を叩いていく、というのがドリーさんの基本スタイルとなっております

 こういう風な「ダメ人間」としてのキャラ付けで文章を書くのは、ドリーさんの特徴でもあります。ちなみに、これまで「ダメ人間」としてのキャラエッセイを書いてきた著名な作家を挙げるとすれば、例えば滝本竜彦とか、あるいは穂村弘などが該当するんではないでしょうか。ともかく彼のレビューは低い視点から行われます。そして必然、そのような視点が読者からの親しみを呼んだり、あるいは共感にまでこぎつけることも当然起こります。こういったことで、ドリー氏はネット層のナイーヴで、どちらかと言えばハイカルチャーには属していない人々の人気を勝ち取ってきたというわけです。


 ドリー氏がamazonにて村上春樹批評した手段はまだはてな民の皆さんには記憶に新しいと思うのですが、ドリーさんの真骨頂は、この「形而下ツッコミ」にあります

 ときに、今年の四月中旬に発売された、『色彩を持たない~~』という小説。これは村上春樹の発売した新作なのですが、この小説にはこれまで村上春樹が取り組んできた様々なエッセンスというものが生かされており、また、その他にも新奇な取り組み、挑戦的なメッセージなどが込められた作品でありました。

 そのような『色彩を持たない~~』ですが、特にこの作品に込められたメッセージの中で重要ものを上げるとすれば、それは次のようなものになると思います。つまり「我々の見る〈夢〉と、現実に起きている様々な事象の間には、ある種の相関関係があり、そして我々は夢というものを通じて現実事象における幾らかのレスポンシビリティー(責任)を共有している」というものです、こうやって一文に纏めると分かりにくいんですが、もう少し分り易くまとめると、要するに「我々は社会的責任や個人としての責任というものを、夢という通路を介して確認することになる」、ということです。このようなメッセージは、恐らく村上春樹氏がこれまで取り組んできた、ユング研究者との間のやりとりや、あるいは彼の人生経験というものを基立ちにして書かれているものだと思われます。そのような点において、村上春樹の主張している文学性というものが光っているのです。

 しかし! しかしです。

 ドリー氏の批評のやり方は、そういった〈文学性〉。いわば、〈形而上学的〉な分野においては、全くタッチしないという、そういう方法論を使ったものだったのです。


 これは、私が主観的立場おいて評している事柄ではありません。

 というのは、こういう「形而下的ツッコミ」とか、あるいは別名「表層ツッコミ」という言葉は、誰でもない、他ならぬドリー氏自身によって発された言葉であるからです。正に彼自身が、彼のレビューのやり方を評して、「表層ツッコミ」。あるいは、「形而下的ツッコミ」と呼び習わしていたのです。

 つまり、彼の特徴を一言で述べるならば、その作品の奥深さというものに関してはできるだけ発言を控える。というものなのです。そして、そういった「奥深さ」に関しての発言よりも、もっと身近で物質的な、そういった部分に関して照明を当てる、というのが、ドリー氏の批評術なのでした。


 アレ、ちょっと待てよ? という意見が、そろそろ出てきてもいいのではないでしょうか。

 というか、若干キレ気味な方というのが、現れてきてもいいんじゃないか、という風に僕は思ってます。なんなんだそれは! と声を荒げてもおかしくない方法論じゃないのかこれは? と、むしろ僕自身がそんな風に思ってきているところです。


 ドリーさんのやり方は、例えば以下のようなものです。


 『色彩を持たない~~』にて、以下、主人公とその友人「アカ」とのやりとり。


 アカは笑った。「嘘偽りはない。あのままだ。しかしもちろんいちばん大事な部分は書かれていない。それはここの中にしかない」、アカ自分のこめかみを指先でとんとんと叩いた。「シェフと同じだ。肝心なところはレシピには書かない」


 「あるいはそういうこともあるかもしれない」とアカは言った。それから愉快そうに笑って、指をぱちんと鳴らした。「するどいサーブだ。多崎つくるくんにアドヴァンテージ


 アカは言った。「俺は思うんだが、事実というのは砂に埋もれた都市のようなもの・・・



こういった、ちょっとオサレというか、まあそれらしい描写に関して、ドリーさんは以下のように述べています


それにしても自分大好きオーラでまくってます

身のこなし、言葉の節々から自己陶酔感がただよってるんですよ。


 なるほど……。と思えるようなツッコミです。確かに、アカの言い方からは、極普通社会生活を営んでいる方々から見れば、少し苦笑いをしてしまうような、あるいは軽く眉を顰めてしまうような、そういう素振りが端々から匂わされています

 これが、いわゆる「形而下ツッコミ」というものなのです。読者にとって、距離の近い何か、つまり、作中の人間における特徴的な発言とか、あるいは、そのキャラクターが行なっているファッション、あるいはスタイルというもの、そういった身近な位置に存在するものに関して、一つ一つツッコミを入れていく、という技術。これが、ドリーさんが主に自称しているところの、「表層ツッコミ」という技術なのでございます。確かに、このツッコミ面白い(笑)

 ぶっちゃけ僕も何度か読み直して笑ったくらいのものです。それくらいに、この「形而下ツッコミ」には効果があります


 しかしです。

 実際に、この『色彩を持たない~~』を読み込んでいくと、このようなツッコミ果たして正当性を認めてよいものなのだろうか? というようなメッセージが改めて浮かび上がってきています


 と言いますのは、まず、このアカという人物。なんと、未読の方にはネタバレになってしまうのですが――

 ――ですから、この先の部分に関しては未読の方は注意して読んで下さい、お願いします――


 ――同性愛者なのです。しかも、そのような事実に関して、何と自身が女性結婚関係を持ち、暫くしてから気付いてしまった、というかなり不幸な人物でもあるのです。彼は、結婚自分性癖について自覚してしまい、かなりの苦悩を感じていた模様です。

 その辺りは、『色彩を持たない~~』本編においてかなり描写が尽くされております


 ところで、ここで、「アレ?」と思われる方はいらっしゃいませんでしょうか?

 つまり、ドリーさんのツッコミの内容が、果たして本当に妥当ものなのだろうか? という感想を抱いた方が、ここまでの文章を読んでいて幾らかいるんじゃないかということなのです。

 ドリーさんのツッコミの内容は、以下の通りでした。

「『アカ』の臭わせている『自分大好き』臭がひどい、彼の自己陶酔的な態度がヤバい


 しかし、上のような本文の描写を読む限りで、そのようなツッコミぶっちゃけ間違っていることが、明らかになっています。つまり、むしろアカ」の根底には、「自分大好き臭」などではなく、徹底的な自己嫌悪存在しているということなのです。

 付け加えるならば

この「アカ」は、その父親が何と名古屋大学経済学部教授職を務めている人物であったりするのですが、そのような父親に対してアカは名状しがたい反感のようなものを抱えて青年時代以降を生きてきていた、ということが本文にて言われていますしかし、多崎つくるが生きている現代世界、彼が36歳になっている時点において、アカは一般企業向けのサラリーマン育成サービス会社の代表を務めているのですが、何と彼は、自分が忌み嫌っていた父のような、尊大で狭量な振る舞いを、そっくりそのままその会社経営スピーチおいて行なってしまっているのを作中で嘆いているのです。つまり、繰り返すように彼の中にあるのは、「自己嫌悪」というべき以上の何物でもない感情なのです。そしてそれを無視したまま、ドリーさんは「自分大好き臭がすごい」、などなどと形而下的ツッコミに終始してしまっているということなのです。


 ドリー氏は他にも、レビュー中で多崎つくるのファッションについて言及しており、彼の終盤におけるファッション、「オリーブグリーンバスローブ」について批判しております

 曰く、その色は「クソ緑」とのこと(笑) なんともまあユーモラスな表現ではありませんか。

 しかしです。このような緑の色、というのは、西洋おいはいわば「嫉妬」というものを表す象徴的な色でもまたあるのでした。

 主人公の多崎つくるは、本編の終盤において、交際相手の女性浮気現場を目撃してしまい、そのことで苦悩します。そして本作は、作中において何か特定のスタイル生き方、つまり「色彩」を持てなかった彼が、最終的に嫉妬感情を表す「オリーブグリーン」のバスローブを着込む、ということを最後に、幕が降りることになります。結局のところ、この『色彩を持たない~~』という物語は、多崎つくるというプレーンで如才ない特徴の無かった男が、嫉妬という、これまで無色だった彼にとってあまりにも大きすぎる感情を背負うことになってしまうという作品なのです。そんなテーマが描かれた小説なのでした。

 しかし、ドリー氏はこの「オリーブグリーン」の比喩に関して、「クソ緑」とただ一言切り捨てたのみなのです。それ以上の言及を、彼は避けております

 これが、いわゆる「形而下ツッコミ」の正体なのです。その、暗喩文学比喩といった奥深さに関しては常に除外し、表面的な部分にの視点おいて俗っぽい言葉によって吐き捨てる、というのが、結局のところドリー氏の行っている批評の正体と言えるでしょう。

 ドリー氏は、これは個人的な意見になってしまうのですが、はっきり言ってそういった「奥深い部分」に対する想像力、というものを発揮しない(あるいは表立って発言しない)といった批評のやり口に、あまりにも慣れきってしまっている感があります。何というか、そういった相手の表現したい奥深い分野については言及せず、大体において「表層的」あるいは「形而下的」な部分に対してのツッコミだけを行う、というのが彼のスタイルになってしまっているのです。


 さて、ここまで長々と書いてきて、結論としては、ドリーさんの批評(クリティーク)においては、あまりにも想像力文学表現に対する理解というものが欠けてしまっている、ということが言いたいわけなのです。そんなこんなで、ドリーさんの書籍批評に関しては、以下の言葉でまとめることができるでしょう。やはり、ドリーさんの書籍批評はまちがっている、と

2012-09-07

だいたいさー

http://anond.hatelabo.jp/20120907100928

「這い上がる」っていうけどさー。

朝の六時半にはオフィスにいて、日付が変わるくらいに帰れれば御の字で、ゼロの数如きに振り回されて

四年目の夏にリフレッシュ休暇を使って3泊5日でニューカレドニアに行くような暮らし

どこがアッパーなのか全く理解できないんだよー。這い上がった結果があれじゃやってらんないよ。俺は底辺がいいんだよ。

あんだけ頑張って頑張ってボロ糞になって得たカネの数十倍数百倍をぽやぽや持ってる奴に

少々憎まれ口たたいたっていいじゃねえかよー。そんなのいちいち目くじら立てるなよー。

ノーブルなんちゃらだと思って見逃せよー。昇ってもだめ底辺もだめとなったらもう、平日朝の増田愚痴しかねえじゃんかよー。

それくらい許せよー。もう昇る気もないけどやっぱ天上人は見たら目が痛いんだよー。許せよそれくらい。

寛容な心でよー。説教カマすくらいアッパー階級人間ならよー。

「うわあ、ひき肉がしゃべった!」くらいの優しさを持てよー。金持ち様ならよぉ。

おれは石の裏で哀れなひき肉としてぶーぶーわめきながら暮らしたいんだよ。ほっとけよー。

と、まぁ色々言ってみたんだけどさ。

資産と知識が釣り合ってない人間が、俺の小賢しい知識と経験にカネ払ってもらうおかげで食ってるっていう

気に入らない相手に寄生してなんとか口に糊してる現状が、ちょっとアレってだけの愚痴なんだ。

そんなマジになるなよ。わかってるよ、イノセント無知お金持ち様のおかげで、哀れな負け組の俺がお金貰えてるんだからさ。

そのアンビバレントナイーヴなせつなさを書き散らしたかっただけなんだよ。感謝してますよ、お金持ち様には。

から10までブーメランで本当にアレですね、って愚痴なんだって。仰る通りだけど、それを踏まえてっつーお話しよ。

2012-05-22

今、スタートアップ男子が買い時です

スタートアップ男子とは、要するに起業とかそういうのをしたがるタイプ男子であり、ライフハックとか自己啓発とか好きな男子のこと。最近TwitterFacebookブログなどで、こういう男子をちらほら見かけるようになりました。オタクを落としている場合じゃないです。彼らは下の意味で買い時です。

女ばっかりの世界より、男が多い世界のほうが競争率が少ない

前にも誰かが言っていたんだけど、「かわいい子がたくさんいる世界」よりも、「男だけの世界」のほうが競争率が少ない。例えば、大学でも工学部など、男子の比率が凄く偏っているところは、女性というだけでちやほやされるという事例が多い。なんだかんだいって、IT業界というのは、男子のほうが多いし、ホモソーシャルで精液臭い世界であるので、おっぱいを触らせるくらい抵抗がないというビッチに関しては、競争率も少なく、ちやほやしてもらえ、なおかつ女の子というだけで「カワイソー」という同上を一定から引き出すことができます

どんなに綺麗事を言っていても、あの子たちはチンコを持った動物であり、一皮向けば中小企業おっさんと変わりません。

綺麗事を信じているそぶりをしている

彼らの言うことはいい事が多いですよね。

詐欺師の話として、「自分は絶対騙されない」と考えている人ほど、騙されたときにドツボに入りやすいと聞きます。要するに、自分がいい人だと思っている人ほど、自分チンコによって振り回されていることを知らずに、それが善意であるとか、そういうことを信じやすいということは言えるでしょう。なので、ちょっと性欲を刺激してあげればドツボに入ります

まあ、ドツボに入りすぎてストーカー化するという男子もいるとは思いますし、割と自己愛気質だったりするので、自分の思い通りにならないと、すぐDVっぽいことをするかもしれません。そこは自分の見る目で補いましょう。あと、割と人の話を聞かなかったりするので、ただ相談たかっただけなのに、なんかよくわからない精神論説教されるということもあるかもしれませんが、「この人バカだなー」と思ってニヤニヤしましょう。

あと、割と自分の綺麗事と折り合いをつけるために、綺麗事をやりたがる傾向にもあります。それを自分に向けられたら占めたものです。彼らは「新しいことをしていたら応援したがる」という単純な考えの持ち主ですので、あなたがやりたいことを勝手にやれば、すぐにそれを応援してくれるでしょう。

不安を抱えている

なぜポジティブに考えるのか。

それはネガティヴに考えると、そのドツボにハマるから。むしろその男子は不安が多いタイプ人間です。不安が多いからこそ、いいことを言ったり、何も考えないでガムシャラに働くということで、自制心を保っています。だから、そういう不安につけこむといいでしょう。新興宗教も、病院の待合室で勧誘するという話があるくらいじゃないですか。女子力というよりかは、お母さん力です。

とくに、Twitterでやたらナイーヴなことを呟きはじめたら占めたものです。「あなたみたいな人でも、不安なことがあるんですね」とアッピールすればいいわけです。そうするとコロっといってしまます必要なのはあなたの事は私だけがわかっているわ」というオーラを出すことです。別に本心は「キンモー☆」と思っていても、それはそれです。

婚活スタートアップです

えげつなくいきましょう。別にあなたのことで、チームが険悪な気分になったり、いいサービスおじゃんになったりしても気にしないで参りましょう。ただ、あんまり変なことをすると、同業エンジニアから嫌なことを言われたりすることがあるので(あの人たちは女性より一次元コードのほうが好きなので)、そこは自分は悪くない!と開き直りましょう。もしかしたら、開き直ることすら必要いかもしれません。ほっときゃ周りの人が勝手にフォローしてくれます

いまスタートアップ男子は買い時です。お姫様としてチヤホヤされるなら、これほどいい場所はありません。とはいえ、美人であるとか、ちょっとビッチであるとか、そういう条件は必要ですけど、そういうのに抵抗がないならば、おすすめです。

2012-05-01

http://anond.hatelabo.jp/20120501200612

自分の心に響かない表現を「これはちょっと...」って言ったら

「これを作るために努力した人たちに失礼! 謝って!!」だもんね。

製作者はそこまでナイーヴじゃない。むしろ迷惑じゃないかなあ...

オーケンが「活動においてファンが一番の敵」って言ってたのを思い出した。

2011-09-21

http://anond.hatelabo.jp/20110921130024

全部わかって乗っているなら止めないし、実際個人的には、高岡のようなパチくさいオッサンが多少世の中にいるのはむしろ面白いと思ってはいるのだけれど、運動音痴科学好きのライフハッカーが、ナイーヴコロコロ転がされているのだったら、他人事ながらちょっと心配だ。

せめてニセ科学に対するのと同じ程度の警戒心は持った方が良いんじゃないか

あるいは、それくらいの寛容さとテキトーさを、ニセ科学にも適応してやってくれないかインチキくさいものが多少あった方が世の中面白いし、高岡にコロっとやられている人をこうして眺めるように、ニセ科学にまき上げられている人たちも「アホやなぁ」と「寛大」に眺めてやったらどうだろうか。

ゆる体操とか全然知らないのだけど、ニセ科学批判クラスタにアピールするなら、

に焦点を合わせて訴えるといいと思う。

ニセ科学を「「アホやなぁ」と「寛大」に眺め」て済ますわけにはいかない理由はそこ。ホメオパシーがあれだけ叩かれたのもそこだよね。

モノは無害で国によっては医者プラセボ代わりに処方するくらいのものだけど、ホメオパシージャパンみたいなカルトまがいの組織組織拡大と組織防衛のために上のような傾向を強めていくのが問題。

ホメオパシージャパンのヤバさは、やっぱり由井寅子パーソナリティ依存するところが大きいと思うので、高岡英夫パーソナリティに注目して、今後ヤバい傾向を強めていく危険性に警戒しよう、っていうのはアリだと思う。

でも、事が起こる一歩手前の状態でどこまで言えるかってのは難しい問題で、ニセ科学とかカルト宗教とかをウォッチしてる人で、こいつはクサい、と思ってても、まだヤバいところまで行っていないか、あるいはまだ尻尾を出さない、という理由で保留にしてるネタって色々あるみたい。まあ、そういう時に増田って便利だよね、ってことで。

高岡英夫流行っているが

最近はてブ高岡英夫関係のエントリが上位に来ているのをよく目にする。

コメントを読んでいると、割とナイーヴに受け止めている人が多いようだ。

別に高岡英夫理論が間違っているとか、体操効果がない、とか言いたいわけではない。正しいかもしれないし、効くかもしれない。

ただ、ニセ科学批判の好きな人が多い一方で、高岡英夫(や、似たようなオッサンたち、さらに言えばスピリチュアルくさいライフハックやら)が割とすんなり受け入れられてしまうのがちょっと不気味なのだ。

最近はどうなのか知らないが、武道格闘技にやる側として関わっていた人なら、高岡英夫の名は小耳に挟んだことのある人は少なくないと思う。一時福昌堂系の格闘技雑誌などによく登場し、ディレクトシステムなる理論だか図面で、色々な達人の動きを分析してみせていた人だ。ヒクソンDSかいうのもあった。人体に色んな線を入れた図面なのだが、こうした図は高岡の特殊能力(?)で読み取られるものらしい。さらに、宮本武蔵DSと称するものを一億だか一千万だか、ものすごい値段で売っていた記憶もある(値段はよく覚えていないが、とにかく破格だった)。

高岡英夫の話は、一見もっともらしい。わたし自身も、一時期興味を持ち、「統一棒」なるすりこぎみたいな棒を買って練習していたことがあるくらいだ。

武道スポーツの話をするのに、東大出のオッサンがソシュールだの持ちだして理屈をつけて語る。しか結構説得力がある。割と賢い目のアスリートたちが魅了されたのにも訳はあるのかもしれない。

しかし、もっともらしい理屈を語るだけなら、この世界では珍しい話ではない。理屈の筋が通っていることと、実際にスポーツ理論として機能することの間には、かなりの溝がある。

格闘技ファンの中では伝説的な怪しいオッサン、堀辺正史(追記:名前間違えてました、スイマセン)だって、初期の頃の本はとても面白かった。多分中国拳法理論を色々継ぎ接ぎして組み立てたのだろう。特に伝統武術系をかじったオタクの心には、グッと掴む不思議な魅力があった。その後の堀辺氏の凋落ぶりは、格闘技ファンなら誰もが知るところである

吉丸慶雪なども、理論だけならかなり魅力的だ。理論書好きの武道オタクにはたまらないものがある。わたしも持っている。

この辺のおもしろさを全部認めた上でなお、この人達が実際にこの理論に基づいて強いのか、あるいは弟子たちがこの理論で強くなったのか、というのは、全然別問題だ。

武道スポーツ理論書というのは「ツボ」があって、そこをうまく押す文章を書けば、ある種のオタクアスリートをひっかけることは容易いのだ。

中国武術系などは、理論が非常に発達していて、とても面白いのだが、この理論通りにできるかというと、必ずしもそうではない。理論実践につなげる訓練がないと役に立たない(ただ分析の役には立つ)。この辺は「戦う編集長山田英司氏などがよく語っているところだ(山田氏には直接お目にかかったことがあるが、別に達人ではないものの、本当に強い。トリックと口ばっかりの中国武術家では全然ない。普通に喧嘩の強いオッサンだ)。

 

大分話がズレてしまったが、高岡英夫も似たような部類のインチキくさいオッサンだということは、よくよく認識しておいた方が良い。

繰り返すが、彼の理論体操が無効だと言いたいのではない。実際意味があるかもしれない。少なくとも読んでいる分には面白い面白いからこそ危ない。おまけに彼の商売は相当えげつない人間的にはまったく信用ならない人物だと思う。

ついでに言えば、堀辺氏も、本人は(若い頃は)本当に強かったのだと思う。動きのキレが確かに違う。しか別に彼は、彼の理論で強くなった訳ではないだろう。また、その後のコロコロ変わる態度や凋落ぶり、道場生に対する不埒な行いの噂を聞けば、人間的には信用ならない人物に見える。少なくともわたしなら近寄らない。ビデオは見たいが。

 

ゆる体操ビジネスに効く!とかノセられているライフハッカーたちは、その辺をどう受け止めているのだろうか。

ニセ科学は許せなくても、科学の名を冠したり、科学くさい言葉遣いをしていなければ、一転無防備なのだろうか。

科学者が一般書を書くと、せっかく面白いことを書いてきたのに、最後の章で哲学やら政治思想のようなものを書き始めて、これがびっくりするくらいナイーヴで幼稚なことがある。それと同じようなものなのだろうか。

 

全部わかって乗っているなら止めないし、実際個人的には、高岡のようなパチくさいオッサンが多少世の中にいるのはむしろ面白いと思ってはいるのだけれど、運動音痴科学好きのライフハッカーが、ナイーヴコロコロ転がされているのだったら、他人事ながらちょっと心配だ。

せめてニセ科学に対するのと同じ程度の警戒心は持った方が良いんじゃないか

あるいは、それくらいの寛容さとテキトーさを、ニセ科学にも適応してやってくれないかインチキくさいものが多少あった方が世の中面白いし、高岡にコロっとやられている人をこうして眺めるように、ニセ科学にまき上げられている人たちも「アホやなぁ」と「寛大」に眺めてやったらどうだろうか。

いやまぁ最後はイヤな言い方してごめんなさいだけれど。

 

2011-06-13

「二代目ロストジェネレーションが失ったもの。望み。そして、僕らは何からはじめるべきか」に対して

どうも。こないだまで就職王って名乗ってましたが、今は無職です

で、前回書いたコレhttp://anond.hatelabo.jp/20110429004257

なんかすごい真面目なトラックバックが来てたので、なんか書かなきゃなーと思いました。

今日結構真面目に書くので文体は素で。ネタ無し。

二代目ロストジェネレーションが失ったもの。望み。そして、僕らは何からはじめるべきか

http://d.hatena.ne.jp/thinking-terra/20110529/1306640590

で、これ読んで思ったんだけれども。

ぼくが思うに、現代日本若者における問題ってのは最早「価値観」の問題ではないと思うのね。

いうなら、それは生存の問題だし、もっと明確に言えばいかにクサレ年寄りから椅子をムシリ獲るかってことなんだと思うんだ。

既存価値観に乗ることは出来ない」とテラケイさんは仰る。でも、ぼくはそれは違うと思う。

むしろ、現時点に於いても生存戦略としては「既存価値観にドップリ漬かる」は限りなくベストに近い。

「世代」のことを考える前に、「自分」のことを考えて、グダグダ言わずに東大を出るべきなんだ。

もちろん、東京大学というのはかなり極端な例だけれども。

ミクロで考えるなら、まだ現代日本は個人の力で「なんとかなる」社会だとぼくは思う。

ぼくの「就職王」コラムは個人化戦略の極地のようなものだけど、実際あの程度でなんとかなってしまう。

でも、もちろんマクロで考えるとこれは明確に間違っている。

だって椅子の数が限られているなら誰かは必ず負けるんだから社会には一定水準の競争が必要である、という

命題を真であるとした上でも、社会を構成する一定層はそれなりの職を得て暮らしていけなきゃまずい。

それに、ぼくのような口先だけで逃げ切るやつが評価される企業の土壌というのも、あんまりよくない気がする。

やっぱり、社会は少しずつでも変えていかなきゃならない。ぼくらの世代が楽しく生きるために。

社会を変える」って言いにくい世代だよね、ぼくらは。上の世代が派手にコケたから。

どうせ社会なんて変わらない、馬鹿どもの轍を踏んでたまるか。そういうところがある。

デモやる?って言われても「それ頭の悪い年寄り大分前に失敗した」としか思えない。

カウンターアクションは必要だけれど、それはやはり時代に即したものでなければいけない、と思う。

少なくとも「就職クソッタレ」って言って変わるものがあるなんて考えられない。そうじゃないか

ウザイ自分語りで申し訳ないけれど。ぼくが就職したのは「箔をつけるため」だった。

今、起業をするために色々じたばたしてるんだけれど、やっぱりカネを出して貰うにはそれなりのものが必要になる。

少なくとも、「真っ当に勤めていれば生涯年収4億近かったですよ」くらいのことは言えないと、

与えられたカネの代わりに差し出すものとしては、とても足りない。実はこれでも全然足りないんだけれど、

それでも何某かのバックボーンにはなる。使えるモノは、使わなきゃ損だ。就職して数年踏ん張るだけで得られる

ステータスって、実は結構お買い得な気がする。ある意味大学名前以上に。

この日本社会は実にクソだと思うけれど、使えるものを使わずに戦うのはいかにも勿体無い。

価値観を変える」なんてのは、ヒッピーになるのと同じだ。ヨガをやってもマリファナやってもロックフェスをやっても、

実はどーにもならない。それは、かつてアホな連中がもうやった。ぼくらがそれをやる必要はない。


ぼくは巷で見る就職活動批判にすごく違和感を感じていて、つまるところそれはどこまで言っても

負け犬の遠吠え」としか認識されないんじゃないか、ってこと。

かつての頭の悪い年寄りには「世界同時革命」みたいな強烈なイデオロギーがあったから、「就活バカヤロー」よりは

スケール感もまとまりもあったけれど、ぼくらの世代にはそれもない。あるべき社会モデルすらない状態で、

価値観を変えろ」って言われても、それは「解脱しろ」とか言われるのと一緒だ。シャクティーパッドとかポアとか

そういう語感にしかならない。そんなことにはほとんど何の意味もない。

まりところ、それがミクロの問題であれマクロの問題であれ、既存社会からの断絶というのは不可能なんじゃないかと思う。

テラケイさんは価値基準を語るときに「外部」と「内部」という言葉を使っているけれど、ぼくには価値観に於いて明確な

「外部」ってのがあるとは思えない。テクストに外部はない、みたいな学問を専攻してたせいもあるんだけど

それを差し引いても、既存価値観を排除して生きていけるなんてとても思えない。そんな強くないからね。

ロストジェネレーション世代にニーチェじみたものを押し付けても、それは「レッツ自殺!」って結果しかもたらなさないのではなかろーか。

我々が目指すべきものは、この社会から乖離したものではなく地続きにものでなければいけない、と思う。

じゃあ、どうすべきかってことなんだけど。

とりあえず、まずは団結すべきだと思うんだ。勝ってる奴も負けてる奴も。

世の中はクソで、なんとかしなきゃ楽しい人生は送れそうもない、って意識を共有することだと思う。

ぼくはかつて、ものすごく貧乏大学の学費にもメシ代にも汲々としてた時期があったんだけど、

その時、やっぱり同じような奴らと相互扶助的に生きていて、それは例えば部屋を分け合ったりとか

僅かなカネを分け合ったりとか、電気釜を共有したりとかそういう話だったんだけど、そういうところからだと思う。

例えば、イタリアの話。イタリアは、失業率がアホほど高いけど、自殺率は低い。これは何故かっていうと、一説には

一族主義が強く根付いているからだ、と言われている。縁のある誰かが食えてなければ、誰かが食わす。そーいうところがあるらしい。

じゃあ、我々悲惨な現状にいる連中も、そーしとけばいいんでないかな、と思ってる。

とりあえず、屋根とトモダチがいれば死ぬことはない。ぼくはそー思う。

こうすることで何が得られるかといえば、リスクを取るのが非常に容易になる。

「1人が1のリスクをとる」ことと「10人がそれぞれ1のリスクを取り、リターンを分配する」ことは大分違う。

もちろん、10人全員が敗れ去るパターンもありえるけれど、かなりのヘッジが出来ることになる。

そして、何よりだけど精神的にとても楽だ。ぼくは「起業」の道を選んだけれど、他にもロースクールに行ったりとか

そういう道を選ぶことにもやはりリスクはつきまとう。金銭的なリスクもそうだけれど、孤独化してしまうことが何よりヤバイ。

官僚から政治家目指すぜ、みたいな道にしてもやはり同じだ。そういうとき価値観を共有出来るつながりがあることは

何より強いとぼくは思う。いや、今んとこカネを得て起業に漕ぎ出したところだから、この先なんかわかんないけどね。

仲間にも全部見捨てられて、一人ひっそり首を括るって可能性も全然あるわけだし。

それで、社会批判の話に戻るんだけれど。ぼくが「就職王」でやりたかったことは

就職活動批判」のちょっとスマートな形を提示するってことなんだ。

確かに、マクロ的に考えると我々は既存価値観に乗っかることは出来ないかもしれない。

しかし新しいマクロ価値観ライフスタイル創造することも、おそらく出来ないだろうってこと。

その行き詰まりの中でクリティカルなクリティークを社会にカマすとしたら、

既存価値観に乗っかって踊り狂いながら、同時にそれ自体を批判として成立させるしかないんじゃないかと思う。。

ダンスパーティー台無しにしたいなら、まず誰より上手く踊らなきゃいけない。そうでなければ、誰も話を聞いてくれない。

やはり、我々はこのクソみたいな社会で戦っていくしかないし、クソみたいな社会を否定したところで

クソじゃない社会青写真を描けるわけじゃない。それは、大分昔に失敗した。

から、このクソだめみたいな社会の集団的蛆虫として既存価値観と地続きの世界をサバイブしていく以外に多分道はない。

そして、九人がダメでも、一人が生き残れればそいつが他を引き上げればいい。もちろん、現実的にこんなことが上手く行くか?

ってところはあるけれど、独力で社会と隔絶された「価値観」を作り出すよりは、十人で価値観を「共有」するほうがまだ成功率は高い。

悟りを得た」人はそんなに多くないけど、「宗教にハマって死んだ」人は腐るほどいる。

その程度の価値観共有なら多分できるんでないか、そういう風にして戦っていくしかないんじゃないか、と思ってる。

人間、上手いこと価値観を刷り込まれれば飛行機ビルに突っ込めるんだから、それくらいできるんじゃね?と。

まー、なんというか。

これはぼくの戦略っぽく見せかけた誇大妄想から、なんのあてにもならないけれど。

とりあえず、若い人間はもーちょい戦略的に生きるべきだと思うし、また同時に団結すべきだと思う。

個人の内面ナイーヴな話に閉じてしまうのは、なんかどーなんだろーな、とぼくは思うんだよね。

これから具体的にどーするか、どのようにして生き残ってリスクを取っていくかを論じるべきじゃないだろうか。

まだまだやれることあると思うんだよね、実際。

ところで、死ぬほどどーでもいいけど、「ロストジェネレーション」って若い頃第一次世界大戦に遭遇して、何か価値観クラッシュしちゃったよーな世代の作家達を指す言葉で、「二代目」っていうとちょっとおかしいことになるよね。ロスジェネの「二代目」世代ったら、ビートの時代でケルアックとかギンズバーグとかを指すと思う。

不況なんかにぶつかった「貧乏くじ世代」を指す意味で「ロストジェネレーション」って語を使うと、今の世代は何代目になるのか、すごくめんどくさい議論が要るね。個人的に、「ロストジェネレーション」を現代の「失われた世代」に当てはめるのは色々ムリがある気が。字面はいいけど、原義から考えるとスゲービミョーな感じ。ロスジェネ論争とか言われると、今更ヘミングウェイとか論じてんの?って思っちゃうのはぼくだけじゃないと思う。

エクストリーム世代」とかなんかそんな感じの新語を誰か考えるべき。

2010-11-01

子供の自殺と、親の抗議について

ここのところ、子供の自殺が相次いでいますが、何れの場合も原因は学校だけが悪いかのような報道となっています。が、原因は本当に学校だけでしょうか。

子供の最大の味方は親だと思います。子供が危機に直面している時に味方になってやれなかった、やらなかった親の責任は学校よりも大きいと思います。

そう思うと、自殺した子供の親が被害者ヅラをして学校に原因究明など抗議している姿を報道などで見ると、自分の責任を他人に転嫁している、責任のなすりつけをしているように見えてしょうがありません。

これでは死んだ子供も浮かばれないと思うのですが、皆さんはどう思われますか?

http://questionbox.jp.msn.com/qa4671228.html

* はてなブックマーク - 誠 Biz.ID:「新・ぶら下がり社員」症候群:辞めません、でも頑張りません――「新・ぶら下がり社員」現る (1/2)

から付け加えとかなきゃなんなかったんだって。「そのくせ文句だけはいっちょまえ」

って。

あと連中はプライベートを大切にしてるわけじゃないぜ?ただ自己中心的で他罰的なだけ。ブックマークコメントが実証してる。

* Twitter有名人の来店情報を店員が投稿 ウェスティンホテルが謝罪 - ITmedia News

いや、単純に一般人マスゴミ化ってだけの話でしょ?日頃さんざん批判してる根性が自分らの側にもあったと。そんだけのことじゃん。れでネット住民様が相手のこと暴き返してんだから同じことなんすよね。

* 「何が必要か、事前に施設に問い合わせを」 “タイガーマスク運動”受け、児童養護施設協議会が「お礼とお願い」 - ITmedia News

あ、偽善者たちが一気にシラけたようです。なぜなら客と店員の関係が逆転したから。しかしあれだね。

言い難いことをよく言った、すごい。これで少しは押し付けがましい偽善者(含むスレとか立てるバカ)が手を引くといいなぁと思います。あとほんとに「何が必要か?」と問い合わせを受けた児童福祉施設の職員さんは、身代金まがいの要求をしてやればいいと思います。

ネットブックを2台贈ろうと思うのですが」

みたいなこと言うヘンなオヤジには「2台で足るかボケェ」つったればいいと思います。

いちいち傷ついてのたうちまわるナイーヴさんたち

あぁそうか、お前が大切にしてるプライベートってあれか。「うすらぼんやりインターネッチョ見てる」

それのことか。

ものの価値が安定してないオタク業界のほうがこえぇっすよ。

しかしほんと。土足でそこいらずんてく歩いてる分際風情が「駅が汚い!」だって。バカじゃねぇの、あれ。

* Togetter - 「この世の不条理(都条例)に悩んだ小学六年生の少女が出した結論」

右翼市長あてに小指送りつけたり、役所のロビー切腹するのと同じチンピラ根性。

つまり、かような少女が実在していたとするならば、懸念される不健全性は存在したということになり、規制を推進している側の読み大当たりってこと。一見に「都が、オトナが自殺に追い込んだ」ような演出だけど、根幹に「自殺の肯定」という意識があるわけです。かつ猪瀬直樹おじさんの「マンガの関係が好きな人人生行き止まり説」も実証しちゃうという。

* はてなブックマーク - asahi.com朝日新聞社):「保護者の苦情で不眠症教諭提訴 保護者「娘に差別」 - 社会

そして一斉に騒ぎ立てるモンスターブックマーカーの図。

「●●は文化だ」ってほんっと思考停止キーワードだよなぁ、不倫とか。

ほら、「アニメは世界に誇る日本の文化だ」とか喚いてるバカもいっぱいいんじゃん。基本的に「価値を否定されそうになると出てくる断末魔」と考えたほうがいいかもしれない、「文化」ってのは。

で、都条例改正での「アニメは世界に誇る日本の文化」と、阿久根壁画の「パロディパクリは文化」、報道陣に取り囲まれた石田純一は「不倫は文化だ」と。

やはり無力を痛感した人間嘔吐しちゃうのが「文化」という単語のようだ。なんつぅか「権威権力は文化を理解できていない、俺にはよく判ってる」的なみかん箱の上からの抵抗。

* wikipedia:文化

ただそもそも定義を統一することが困難な概念で、ヒトの歴史の割には意味が曖昧な言葉でもある。よって先に言ったもん勝ちみたいな。ところが「文化が」と言い出したらだいたい負けるパターン。上がったみかん箱ごと片付けられちゃうという。

* はてなブックマーク - 自分のふがいなさに腹立て新幹線全裸スポーツ報知) - Yahoo!ニュース

なんとなく「やっちまった」気持ちは解らなくはないんだけど、公共の場所で「鬱憤晴らし」はやめようね・・・。(;・∀・)

それ、はてなブックマークとか使ってる人は言えた義理じゃないんじゃないかな?すごいな、自分がやってることには自覚が無いのか…。

しかしほんと。単なるアンケート集計結果を「大賞」とか言い張るのもやったもん勝ちって感じですわよね。

* アルコール依存症「否認語録」

これアル中だけど見とくといいよ。なんとかいう条例改正反対派という名の重度のポルノ依存の言い訳そっくりだから

あいつら被差別のフリーライダーである可能性が俄然強くなってこねぇ?あのオタクとかいう連中。

なんかここまで来ると「萌えキャラ描けば話題になる」感が否めなくなる

今頃気づいた?「話題になる」というか「話題にさせられている」んだと思うけど。広告の制作サイドはそこまで見越してるわけですよ。そっちの筋の人らって異常なほど単純だからいちいち「始まったおほっ!おほこれ始まったおっほ!おっほ!」とかなってくれるじゃん。ほんっとバカかと思うくらい単純じゃん。そっちの筋向けのマーケティングって鼻くそほじりながらでも出来るんだろうなぁって。例の神戸新聞のアレもひどかったじゃん?ただの広告なのに本気で「いけてない理由」をブックマークコメントとかで挙げてたバカがいっぱいいたし。キミらの昆虫並みに悲哀に満ちた習性ってほんっとに利用しやすいんですな。

自分の問題と他人の問題が切り分けられなくなってきたら要注意だよなぁと思う。

ポルノ依存克服 - Google 検索

でもやっぱアレなんですな。世の中にはちゃんと「克服したい」と思っている人がいるわけですな。そういう人がいる一方で「誰にも迷惑かけてない」とかチンポ勃てながら喚いてるバカがいるかと思うと。

レイデン博士によると、コカインは体外に排出できるが、ポルノ画像永遠に記憶に残るので、ポルノ依存症コカイン依存症よりも回復が難しいという。

すごい理屈だ。

だんだんと「ネット言論」とかいうものが「ただ騒いでるだけ」であるってことに気づきだした人もいるんだと思いたい。

* 国民生活センター、“ペニーオークション”のトラブル急増で注意喚起 | RBB TODAY (ブロードバンドセキュリティニュース)

これに対して国民生活センターでは、消費者へのアドバイスとして「参加するなら、冷静な判断力を失わないこと」「一度“通貨”を購入すると返金されない」「不審なサイトは利用しない」といった注意を呼びかけている。

あー…呼びかけを足した方がいいんじゃない?「ブログブックマークコメントで喚いても無駄」

って。そうしないと「喚いてなんかやり遂げた気分に浸るバカが一向に減らない」という問題が何時まで経っても片付かない。もうほんっと勘違いした自警団気取りがどんどん増えてんじゃん。直接何かができるわけでもねぇのに喚くのだけはいっちょまえな。

50年経ち、マンガで育った世代がそろそろ中心になってきているはずなんだが

分布は中心だろうけど、ヒエラルキーでは最底辺だからしょうがないんじゃないかな?


* 1位 世の中は自分に対して母親のように接してくれるものだと思っていた。

* 2位 すぐ「俺は異端だから」とか言っていた。

* 3位 自分と他人の境界がわからなかった。

* 4位 生産性がほぼゼロに近いことに気づいた。

* 5位 根拠はないけど自信はあった。

* 6位 くさかった。

* 7位 ネットは自分の居場所だと思っていた。

* 8位 ネット平和を守るのは自分の使命だと思っていた。

* 9位 すぐ「文化」とか言っていた、よく知らないのに。

* 10位 間違っているのは世の中のほうだと思っていた。

まだいっぱいあるけど?

いやほんと、漫画の話で盛り上がってるだけなら、誰もキミらになんか言おうとも思わんだろうね。それ以外の部分に全く自覚がないという辺りに、なんか気づいてみて欲しいものです。

しっかしほんと。ネットに書いてあることにいちいち傷つく人って大変だよなぁと。

あー

* 「Twitter文学賞」20日から募集 「これまでにない面白い文学賞を」 - ITmedia News

気持ちは分かる、なんとかして「権威の側」になってみたいというその気持ちは。

* Togetter - 「町山さんとサウジと〇〇」

お怒りごもっとも。

でもtwitterでゴネてるだけじゃ何も変わらないのでやはりどっちもどっち

* はてなブックマーク - Togetter - 「町山さんとサウジと〇〇」

でも一番怖いのは、このやりとりに 「どっちもどっち」という感想を持つ人がいること。

そう?おれはどっちかにならねばならない的な思考の方が恐ろしいなと思った。あとなにより

当事者を交えずしてよく「結論を出そう」という気になるなというのが。何の思い上がりだろう。とまたゲイが「極論の人質」になってた。

つーかさ?

その筋に分かりやすく言うと、ネットの議論というのはしばしば「マリオカート化」するよなぁ。

あれほら、対戦相手をスリップさせたりするアイテムが使えるじゃん?ところが社会的に通用するレース、まぁF1でも競馬でもなんでもいいけど、そういうのにはそんなアイテム絶対出てこないわけじゃん。そのうち走るのが速いとかじゃなくてアイテムを使うのがすごくうまい人みたいなのが出てくる。それがネット議論巧者だったりするわけですよね。

議論とは相手を説得することより、見ている人に共感を生むほうが大事。

はてなブックマーク - Togetter - 「町山さんとサウジと〇〇」

とか言っちゃうわけじゃん?そりゃもう「コイン全部集めるのに躍起になる人」ですよ、レースそっちのけだという。


彼らがYoutubeからFacebookまで幅広くネットサービスを禁止・抑制しているのは、まさにこういったネットワークにそういう力が備わっていることを理解しているからです。

アラブの政変で負けようとしているのは誰なのか? - Chikirinの日記

「そういう力」ってのが「どさくさ紛れの暴動」のことだったらそりゃネットサービスを禁止・抑制する意味もあるよなぁ。あと彼らがそうやって「ネット上で議論しても何にもならない」のを実証してくれたということでもありますな。

ルサンチマン。妬みを正当化する「既得権益」という便利な言葉が横行中。

はてなブックマークTwitter連携できるようになってからこっち、歪な自己愛に満ちたコメントがかなり増えてて非常に興味深いです。

華麗なる最先端野郎。

shields-pikes 仕事 万人が旧態依然とした「対面コミュニケーション至上主義」組織に入る必要は無い。ネットの力を借りれば、非コミュが成功する道もたくさんある。自分に合ったアウトプット手段を見つけて自発的に動き続ければいい。

はてなブックマーク - Togetter - 「高学歴ワーキングプアになる原因」

車椅子とか松葉杖とか巡回お風呂カーとか尿漏れパンツみたいになってんな、インターベッチョって。さてしかし。

"非コミュ"とはなんであるのか?

* 非コミュとは - はてなキーワード

なるほど。やはり「自己認識喪失」か。自己愛病ですな。

* Translators United for Peace - 速報874号 エジプトの若者からメッセージ

親愛なる世界の皆さんへ、

これは、あなたが本当は何者であるかを試される瞬間です。あなた自身の真実の瞬間です。あなたの良心はまだ生きていますか。

気持ち悪いなぁ。関係ない人間の良心まで人質にとるなんて卑劣きわまりない。

o no title

そしてばっちり良心を人質にとられたバカかバカ以下の生ゴミの出来そこないどもが大興奮。

うん。

* “サブカル”展 苦情で中止に NHKニュース

なるほど。西武が何のためにそういう催事に場所を貸すか?ってぇと、来客数の増加を見込んでということになると思うんですよ。それすなわち売上の増加ですよ。催事そのもので収益は上げられないわけじゃん?収益の種としてどっちか強いか?ったら客じゃん?自称サブカル作家は客でもなんでもねぇわけじゃん?そこ天秤にかけてみりゃ自ずと答えが。で、この催事を見に行きたかった人ってのもいるじゃん?「気になる作家がなんか出してる」とかいう理由で。その人らってのは、催事を見たいだけであって百貨店の客じゃない。言うたらパチンコ屋にトイレ借りに来る人と同様。あれは客じゃねぇんですよ。そりゃキミらがその展覧会見に行ってついで百貨店の上から下までびっちり巡って7~8万くらい使ってくれるんだったら展覧会に充分な効果は認められようが。ところがそんなことはねぇわけですよ。そんなもん自称サブカル浸りなんてのは強烈な貧乏人なんですから。クソの役にも立たない分際風情でしかないっていう自覚くらい持ってみちゃどうだろうか。

このヘンなイベントってそもそも展示期間ってものがあったわけですよね。場所借りてる以上はそうなるんですけども。人様の力借りてる以上、その人様の都合も影響して当然である。ってより、場所借りてなんかやろうって人は足場が固まってないっつーことじゃん。

ったらその程度の分際風情でしかないんですよ。

しっかしなぁ。

そういった「社会」が息苦しいと感じている私Parsleyのような人間からしてみれば

大いなる勘違いなのではないか?と。というかその息苦しさの原因は社会にあるのか?という。己の身の丈見誤ってるだけなんじゃないか?と。いやおれは身の丈見誤ってるからいきなり社会が対戦相手になってんじゃねぇの?とか思うんだけど。いやほんと、こういう「己の側にある原因」を疑わないのって、基本的におかしな自己愛に塗れてるからなんでしょうな。

事の善悪よりも、デブがうつむいてフランクフルトみてぇな指で携帯電話ボタンカチカチやって完成させたメールであるというのがまず面白いしかも全員頭にムックポンキッキ)みたいなプロペラついてんですよ。そんな珍奇な生物が器用にメールを。なんかもぅ戦車でいちごショートケーキを運ぶくらいアンバランス

* はてなブックマーク - サブカル展:「不快な作品」来場者が苦情、中止??東京渋谷 - 毎日jp(毎日新聞)

都の表現規制を推進する連中が西武にもクレームをつけた予感。清潔な世の中にして何が楽しいのやら。

だとか。

* http://twitter.com/#!/SeiichiMizuno/status/32704710267899905

「健全な社会」にすべくべくホコリを排除しようと動いた

だとか。

なんか異様に自己肯定感が低いよなぁと。自らが好むものを「不潔」や「ホコリ」サイドにおいて開き直ってる様ってのは。じゃあですよ?そういう展覧会に行って作品見ながら「わーなにこれ汚い」

いうて作家は喜ぶの?

だったら「不快」も褒め言葉になりゃしねぇか?と思うんだけど。んで。いっとくけど汚いものはただ汚いだけですよ。あれじゃん?こないだnoiehoieおじさんが「駅が汚い、どうなってるんだ!」みたいなってたじゃん?あれ?ホコリは排除してしかるべきなんじゃねぇの?じゃあなに?駅員が「アートです」って言い張ったらオッケーなの?

現実に災害で苦しんでる国民がいるのに、それを食べ物を粗末にしたか神様のバチがあたったなんて風にツイートする政治家に怒りを感じてるだけだと思うけど。右も左も関係ない。人間感覚としてね。

はてなブックマーク - 河上みつえ氏のツイート炎上。当たり前のことを言ったまでで、謝罪する必要は全くない!?|? 日々坦々

って、沸点低いよなぁと。なんつぅか「とかく世の中息苦しい」みたいなのってその沸点の低さに由来するもんじゃないだろうか?と思える。

処分を決定した人や殺処分した人が、どんな気持ちを抱いて執行したのか想像することすらできない人もいるんだね。悲しいもんだ。

勝手に想像してるだけだしなぁ。それは「山の神様の怒り」を想像してるのと全く同じレベル。この人まさか「おれの想像のほうが現実的」みたいな気分でいるんだろうか。で、「独善的」という批判をしてる声が結構あるんだけど。畜産家という赤の他人様の気持ちを誰も頼んでないのに代弁して他者批判の材料とするのもまた独善的だよな。

自分の欲求を満たすため、他の人々の良心、礼儀常識責任感、寛容、ヒューマニズム等、道徳的な信条をとことん利用する。

2:マニピュレーターの特徴

というのがあります


横レス失礼します。この手の人は相手にしないのが賢明でありますツイッターには不向きな方なので。

まぁツイッターに向いている人ってのは社会不適合者ですからね。むしろ「ツイッター向きじゃなくてよかった」と喜ぶのが筋。世の中はツイッターだけで構成されてるわけじゃないんで。ネットで相手してもらったらバンザイ!みたいなチンケな思考を恥じてみるのもまたよしってなもんですよ。

* Togetter - 「【これはひどい堀江貴文東浩紀平和ボケ無知左翼思想お花畑】」

「国防の素人」という批判の声が。

しかしそれはほぼ全員ではないだろうか。なんでキミたちプロ気取りでいるのかね?まさか日の丸アイコンつけて毎日うすらぼんやりTwitterを眺めているのが「国防のための巡視」かなんかだと?おっとこまぇやなぁ。

結局日本人に使わせると何であろうとすぐ晒しツール化しちゃうんですね。

お前のその「お客様ヅラ」がなによりも厄介な既得権益ってやつだよ、バーカ。

* はてなブックマーク - 90日以上更新のないはてなダイアリーに、広告を掲載します - はてなダイアリー日記

なんかすーごい嫌がってる人がそれなりに。でもお前の書くエントリなんて広告以下じゃん。アニメ感想とかしか書いてねぇんだから

エジプトでなんかあるまで出番がなかったこの人のことを思うと泣けてくるんだ。この人のムダ知識がやっと陽の目を見た。家でも学校でも会社でも飲み屋でも今までエジプトの話なんかする機会がなかった。それがやっと。この人は圧政にも反政府デモにも感謝しなきゃならないという。圧政の下、数多くの人々が苦労したり死んじゃってたり。そんな人々の不幸・災難の上にあぐらをかいて、バカが小偉そうにムダ知識を披露して大層ご満悦。

* はてなブックマーク - asahi.com朝日新聞社):日本郵便、大量雇い止めへ 非正規数千人規模か - ビジネス経済

またバカが揃いも揃って何もしやしねぇくせにえっらそーなクチ叩いてんな。ゆうパックいいのにねぇ。ヤマト佐川が翌々日着の地域でも翌日着だし。だけどおれはそうやって首切られちゃう人になんにもしてあげられないや。だから「それ見たことか」みたいなことを言って何様根性全開になってる↑の連中みたいになれないや。

やはり小・中学校でのリテラシー教育は必修科目化するべきだよね。

はてなブックマーク - 威力業務妨害:ネット通り魔予告 中3少年逮捕…警視庁 - 毎日jp(毎日新聞)

自分だってそんなの小・中で習ってないでしょ。

ちょっと考えてみたいのは

* 2ちゃんねる執拗な「殺傷予告」 新宿「通り魔事件」は起きなかった (1/2) : J-CASTニュース

これに対し、「2ちゃんねる」には「どうせ釣りだろ?」と疑うものから、「行っても何も出来ずに取り押さえられるだけ」「お前も後悔するがやられた家族と本人と気持ち考えてみろ」「やめておけ ご両親が可哀想だろ」「他人を不幸にまきこむな」などと諭す声も寄せられていた。

というのがどの年代から発せられたのか?はどこも報じないし誰も気にしないよなぁと。

悪いことやってとっつかまって、さておいくつでしたみたいなのが明らかになったのを「これだから●●歳は~」とか言い出すのってなぁ…おれはそういうのって教育科目レベルうんぬんではないと思うんだがね。もっと根幹の授業では習わない部分にあると思うんだがね。いやほんと

「授業で教えればいい」

とかなってるようじゃ、人間に対するリテラシーってのが低いねと言わざるを得んよな。

* NHKスペシャル無縁社会』に出たニコニコ生放送ユーザーが語る“演出への違和感” - ガジェット通信

なるほどなぁと思った。

あくまでも「遠くにいる友だちとチャットで連絡を取り合える」ことや「見知らぬ人とでもニコニコ生放送を通してコミュニケーションできる」という新しい「ネット縁」がこれまでにない新しい「縁」を生み出しているという点を知ってもらう一助となればということで取材を受けたつもりでした。

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そんなものが「新しい縁」だと思い込んでる珍奇な脳みそがまずおかしいよね。NHKとしては"珍奇な見本"として最適のチョイスだったんでしょうな。

私自身、番組ナレーションのトーンや内容がとてもとても暗い感じであることに、たいへん違和感を覚えました。少なくとも私はそこまで悲壮感を抱いて『ニコニコ生放送』で放送はしていないかな、と思います。

ただ、客観的に第三者から見たら、配信してる様子ってそう見えるのか……と冷静に考えさせられました

逆に悲壮感を抱けないところに問題がある。己の悲愴っぷりに自覚がないというのはかなりのレベルに来てるんじゃないだろうか。ひょっとしたら「自分より下」が存在しているのかと思ってるのかもしれない。残念ながらニコニコ動画アカウントを取得した時点でもう悲愴まっしぐらである。この時点でもう「それより下はない」と思えなかったそのオツムのつるつる加減。ではその自称新しい縁とやらを取り上げてみよう、お前に何が残る?ってなもんだ。

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ネットで大盛り上がり=実社会からの隔絶」なんでその自覚がないのです?よしわかった。お前ちょっと交番に押し入ってはしゃいでこい。とっつかまって「仕事は?」って聞かれるや否や「ニコ生主です」って言え。「元増田です」でもいいぞ。まず間違いなく尿検査来るから

2010-08-25

程度の差こそあれ、障害を負ったオスを、健康なメスが選ぶことは稀である。これは生物学的に正しい。当然ながら強い子孫を残さねばならないのだから。「愛」という概念の通用しない利己的な生物学本能をもつ以上、その選択は論理的に的確であり、誰からも非難される理由もない。

この選択の正当性について、現代の人間場合について考えてみよう。障害を負った男性女性が強いて好む理由も、ひとつもない。だとすると、障害を負った男性は直ちに排除されるか、いかなる支援も享受することなくのたれ死ぬべきか?大半の人はNOと答えるだろう。

なぜか。「個」の尊厳が全く無視されているからである。多くの人は「そんなことはあってはならない」と感じる。それは功利主義的な論理でもなく、もはやきわめて「道徳」的な問題である。だが「道徳的な人々」が必ずしも健康男性を押しのけて障害をもつ男性を選ぶか?答えはNOである。

その根拠については私自身の経験上においてもよく知っている。健康男性を押しのけてまで障害をもつ男性を「選ばなければならない」理由もないのである。もしも障害のある男性に強い好意を女性が抱いたとしても、彼女は激しく葛藤し、将来を悲観する。道徳的に舗装された現代社会においても、葛藤・悲観・悔悟に押しつぶされる前に障害のある男性から逃避する行為は、誰にも責められないのである。苦しんだ女性は、たとえ逃避する道を選んだとしても、苦しんだだけでも賞賛に値すると、私は思っている。なぜなら、その問題において「苦しむことができる」という事実それだけで、彼女は「道徳」を実践したからである。道徳を語ること及び支援することと、実践することの間には依然として断絶があるからである。道徳を声高に語ることは容易い。だが実践し、苦悩する人は、稀である。

ならば、己れの障害のために、男性絶望すべきか?次々と己れのもとを去ってゆく女性たちを目にして、絶望することは「正義」か?答えは断じてNOである。それは思考停止と同じ罪を負っている。思考及び行動を必要以上に自粛することは、己れで己れの「個」を卑しめることであるからだ。障害をもつ己れが絶望に任せ、己れの「個」の尊厳を卑しめる権利もまた、己れにはないのである。「個」や「道徳」といった問題は本来、そのようにナイーヴ自己完結するものではないからである。

2009-07-26

http://anond.hatelabo.jp/20090726000852

メリットを求めるとすれば、抽象的な言い方しかできないが、多文化、多民族社会の実現、となるかな。俺は「日本国籍保有者=日本人」というナイーヴなネーション・ステート観を有しているネトウヨが嫌いだ。俺は日本人じゃない、アイヌ民族としてのアイデンティティを有している、と思っている人は地方選挙権を行使できないんですか、と言いたい。国籍を取得している人が選挙権を行使するのは何が悪いの?

2009-03-21

http://anond.hatelabo.jp/20090321001801

やはり多いんですかね。

ぼくたちはまだまだナイーヴなんですかね。

どいつもこいつも銭ゲバなんですかね。

まったく、二言目にはカネの話なのですよ。

まともなコミュニケーションにならない。

2007-10-29

http://anond.hatelabo.jp/20071029084447

>そんなところにナイーヴクリエイターの作品を勝手にアップされたらたまったものじゃない。

(苦笑)

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