はてなキーワード: 有識者とは
https://www.asahi.com/articles/ASM2H55CNM2HUCVL01N.html
読んでいて顧客が本当に必要だったものを思い出した。
そりゃ漫画家も反対するわ。
奴ら当時ブロッキングが話題になった際にブロッキングには反対していたけど、当時騒がれた際は専門家ですらDL規制は反対しない所か賛成していたのもいた時点で同情はしないけれども。
DL違法化と安易に言うけれども、正直見ているだけでもデータのやりとりしているのだから普通に見分けがつかんと思うし、寧ろ保存しない方が何度も見に来ると思うが。
素人でも判るインターネットの仕組みすら理解していない事を自分から暴露しているようなものだと思うが。
そりゃまともな有識者から反対され、委員会ですら意見が纏まらずに委員長判断で強硬したのが判る。
>原作の登場人物を使って新たに物語を作るような二次創作の著作物のダウンロードは刑事罰の対象とはしない方針。
本当に当て馬にされただけって事が良く判るな。
ただこいつらブロッキングで騒がれた際にこの改正の問題点を表面しか見ずよく理解していなかったにも関わらず、ずっと今までこの問題で反対していた人をボロカスに叩いていた時点で同情に値しないけども。
DL違法化拡大「文化庁は失格」「ネット告発の活発化で創作・研究が萎縮」、山田奨治教授に聞く
ある時、テレビで映画「フォレストガンプ」が放映された翌日、学校でセンセイが俺に言い放ちやがった。「お前は無能なフォレストガンプだな」って。その時は腹が立ったけども、よく考えたら当たってた。そうだよな、映画じゃ主人公のフォレストガンプは知恵遅れだけど、底抜けの優しさと脚の速さで皆から愛された。少なくとも才能があった。卓球だってアメリカ代表になるくらい強かった。
あぁ、わかるよ。とにかく愛されないんだ「俺たち」は。
ちなみに、製作者はフォレスト・ガンプをどう思っていたんだろうな。結論から言うと、彼らはガンプを愛したが、知的障害者は愛していなかった。監督のロバート・ゼメキスはDVDの副音声でこう言ってる。
監督が求めたのは、自分の意思がなく、状況をただただ受けいれるだけの純粋無垢なキャラクターだった。90年代の映画にしてはちょいと古くさい知的障害者像だ。
じゃあさ、「フォレスト・ガンプの時代に現実の知的障害者たちはどうだったの?」っつー疑問が浮かぶわな。そこで調べたんだが、1950年~1990年のアメリカは知的障害者にとっても激動の時代だったことがわかった。
劇中、フォレスト・ガンプ少年はIQの低さから公立小学校への入学を拒否されかけたのだが、ママが校長にファックを決めたおかげで難を逃れた。
愛する息子を守るため、裏技に手を出すのも当然だ。当時、知的障害者は施設にぶち込むのが当たり前だった。そして、施設はひどいなんてもんじゃなかった。
1965年にウィローブロック州立学校という知的障害児の施設がリークされた。
潜入リポーターが残した記録によると、4000人しか収容できないにもかかわらず、6000人にものぼる障害児が押し込められ、服を着ていない人や、ほとんど介助されず放置状態の人など、人間が生活する環境とはとても思えない状況だった。
とにもかくにも、この時代に知的障害であると判定をされたら終わり。その先に人間の尊厳はない。
1950年代には知的障害者の親たちが施設への批判を始めたという動きもあったらしいので、ガンプのママが知っていても全然おかしくない。
ちなみに、映画では校長から特別支援学校への入学をすすめられ、ママが「そんなところでタイヤの修理方法を勉強させません」なんて言い返している。
個人的には、史実に基づいたやり取りなのかという点でちょっと疑ってる。
というのも、当時の特別支援学校には簡単には入れなかったらしいからだ。教育を受けられる障害者は全体の5人に1人程度。軽度だからほいほいと入れるのだろうか。
それに、修理工の授業なんてあったのだろうか。卒業後、施設にぶち込まれるのであればそんなもの必要ないわけで。ここは有識者のコメントを求む。
血の日曜日事件のアラバマ州が舞台でありながら公民権運動をスルーしたことで、白人礼賛の保守映画と認定されがちな本作であるが、1960年代は黒人だけでなく障害者にとっても革命的な時代だった。
1963年には脱施設化の転機である「精神病及び精神薄弱に関する大統領教書(ケネディ教書)」が発表され、
1972年には、Wyatt vs. Stickneyの訴訟で、軽度の知的障害のある人たちは入所施設に収容されるべきではないという判決が出された。
公民権運動だって知的障害者に大きな影響を与えた。アメリカの障害当事者団体の中で一番強力な権利擁護運動団体といえば「ADAPT」だ。(まあ、身体障害者向けの権利団体なんだが)
設立者のウェイド・ブランクはガンプのお膝元アラバマ州で公民権運動にかかわっており、その運動のノリでADAPTを設立したってわけだ。
個人的には、ガンプがキング牧師に会わなかったことより、ウェイド・ブランクにスカウトされてないほうが疑問なわけだ。
アメリカ全体が脱施設化に向けて動きはじめたのはいいが、「じゃあどうやって地域で暮らすの」というのが目下の問題だった。
ガンプは走りたいから走っていたが、現実の知的障害者たちはそういうわけにはいかない。
結局デモなりなんなりで、「地域で暮らしていいよね!」、「俺たちにだって権利があるよね!」と市民の了解を得るしかない。
というわけで長い年月がかかったわけだが、1990年に「ADA法(障害を持つアメリカ人法)」という決定的な法律が成立した。障害による差別を禁止する公民権法だ。ダン中尉、政府のおっぱいは限界です的な裏事情はあるものの、いよいよ連邦政府が障害者の権利を認めたのだ。
「マイレフト・フット」、「レナードの朝」、「ギルバート・グレイプ」、「フィラデルフィア」。
90年代ハリウッドでは障害を肯定的に捉える映画がたくさん作られた。フォレスト・ガンプもこの延長線上にあることは間違いない。
革命的なのは2000年代のファレリー兄弟だろうな。いよいよ障害者ご本人が登場しちゃうんだもん。
さて、冒頭のロバート・ゼメキスの話に戻る。彼は障害を肯定的に捉える映画の企画が通りやすい状況を苦々しく思っていたのかもな。
「だって俺、興味ねーし」っていう。
結局ADA法に逆行するような、意思のない愛されキャラのフォレスト・ガンプが作られたし、世間もそれに乗った。
まあ、素の「俺たち」は苦々しく思われているわけだ。
「知的障害者」だって苦々しく思われてる、それは同じだ。それでも権利を主張してきたし、いくつかは勝ち取ってきた。
今じゃグループホームなんかで暮らしながら、地域生活をエンジョイしてる知的障害者もいる。
日本の話だけど、この前バリバラに地域で子育てしてる知的障害者の夫婦が出てたぜ。ハロー・1950年代、これが2019年だ。
だから、俺は無能な「フォレスト・ガンプ」をやめて、こいつらを参考にすることにした。権利があるんだって言いつづけてやるさ。
当然のように、俺たちにはその権利があるんだ。
脳内垂れ流しで書いたので読みにくいです。ごめんなさい。
http://news.livedoor.com/article/detail/16013959/
Twitterで絵師のイラストに「保存した」ってリプライして即逮捕、って絵を想像して思ったんだけど、これって親告罪だよね。警察だけの裁量で好き勝手できる法ではなさそう。
そもそも、取り締まりにコストがかかり過ぎてまともに運用できないのが目に見えてるよな。今の音楽、映像の取り締まりだってまったく行われてないし。そういうことする人は100%実名出してないから、IPアドレス調べてなんとかかんとか...なんていちいちやってられんだろ。
むしろ割れ窓理論的に「すでにスクショが罪なんだから漫画村使っても一緒でしょ」って人が増えるほうがよっぽどあり得る。
そこをちゃんとしないと、そのへんでクスリ売ってるけど吸っちゃダメ、みたいなおかしな話になる気がするんだけど。
まあ現実的に考えると、「原作者の権利侵害が著しいケースはあかん」っていうのが根っこにあって、その適用範囲が増えたっていう見方が正しいのかな。Twitterは微妙だけど、LINEの個人間のやり取りとかでWebページのスクショを送り合うぶんにはなんの問題もなさそう。
あるべき姿としては、YouTubeが音楽でやり始めてるみたいに、使われてる素材の原作をブロックチェーンやら画像解析やらなんやらで解析して、使用した人が得た利益を原作者に還元する、っていうのがいい。
テクノロジーを法に合わせるんじゃなく、法をテクノロジーに合わせるのが賢いと思うんだけど、国会のおじさまたちがテクノロジーへの理解がないせいでこういうとちくるった法が生まれちゃうのよね。嗚呼。なんのために有識者呼んだりパブリックコメント募ったりしてるんだか。
https://www.gizmodo.jp/2019/01/google-eu-white-serp.html
一回これみたいにちゃんと法に沿った形にインターネットを整えて、どれだけ社会へのダメージがでかいのかを見てみるのも面白そう。そのコストはどこから出るのかって話だけど。
ググってもイマイチ要領を得なかったので、有識者がいれば教えてほしい。
はてなブログを初めて2週間、毎日更新してるんだけど、昨日の記事に急にはてなスターが40個近くついた。15人くらい、1人あたり大体3個とかつけられてる。今まで多くても3~4人だったので、びっくりした。
読者数も、3人だったのが30人に増えた。
そんなにつく心当たりがない。
自分のブログは好きな芸能人について書いてるんだけど、昨日の記事はただ単にその人が出てた番組についての感想を書いただけで、今までの記事もずっとそんな感じだった。
SNSなどで宣伝してるわけじゃないし、自分のブログへのアクセスは8割が参加しているグループからだ。
正直はてなスターをつけたアカウントや読者登録してきたアカウントの9割が(恐らく)アフィリエイト目的のブログで、どう見てもファン仲間じゃない。「君ら、記事の内容に興味ないよね?」という感じだ。
これは、例えばメールアドレスがどこかに流れて迷惑メールがたくさん来るようになったみたいな、そういう状態なのか?
もしそうならウザい(というか正直気持ち悪い)のでアクセス拒否でもしようかと思うんだけど、はてなスターをオフにする方が有効だったりするんだろうか……
当たる馬券だけ買いたい!
できれば万馬券が良い!
耳に赤ペン生やしたベテランのオヤジどもから馬鹿にされるに決まってんのに、
こと国の政策になると、それがムーンショットだ何だって持ち上げられるの、本当に滑稽だよなァ?
有識者だとか目利き人材なんて、井崎さんや松本ヒロシみたいなもんだろ?
良くて細江さんレベルだろうけどさァ、細江さんだってあんなに審馬眼あるのに、しょっちゅう外してるんだぜ?哲三レベルでも難しいわなぁ。
競馬はてめぇの財布が痛むだけだから構わないけどよう、国の政策でそれを言っちゃァおしめぇだと思うんだよ。
投資の鉄則はリスクの分散だって、こんな基本的なこともお国の役人連中は知らないのかねぇ。
広く薄くワイドや複勝買うのは確かにカッコ悪いけどよ、それで結果が出せれば誰も文句は言わねぇもんだぜ。
もちろん、ワイドや複勝はリターンが少ねぇ。それで財産築こうってんなら、長ーいスパンで競馬と向き合う覚悟が必要なんだな。ま、そんな覚悟もねぇんだろうなぁ。
とりあえず、ヘンテコな予想屋に引っかかるのだけは勘弁だぜ!俺も強制的に幾分か投資させられてんだ。せめて国債の利息程度ぐらいには儲けてくれよな!応援してるぜ!
「フェミニズム」という言葉を徹底的に脱権威化・大衆化したいのか、それとも単に「これこそ真のフェミニズム。そっちはフェミニズムじゃない」という雑なレッテルに反論したいだけなのか、ちゃんと区別すべきだと思う。
もし後者なら、「フェミニズムは一人一派」なんて乱暴なちゃぶ台返しでしかないから今すぐやめるべき。中学校じゃないんだから、「この世に真の客観はない」みたいな古代から知られている当たり前の事実には何の情報もない。それよりも、「フェミニズムとは何か、という問い自体が哲学的命題を含んでいる」とか逃げ方はいくらでもある。
逆に、「フェミニズム」という言葉を脱権威化・大衆化したいなら、それが必ずしも望ましい意味で使われるとは限らないことも認めるべきだ。具体的には、「クソフェミ」のような蔑称や、「フェミニスト=女性に甘い男性」のような誤用にもある程度寛容でなければならない。もちろん、それらの用法は議論には適さないが、大衆化された言葉が議論に適さないのは当たり前。澄まし顔で「フェミニズムは一人一派」とかいう有識者じみた「正論」を述べるより、「俺クソフェミだからこういうの全部女性差別に見えるンスよねーっ。めんどくさいクソフェミですんません!(威圧」くらいの態度を大衆に見せる方が効果的だろう。
昨今、官への働きかけに余念のないベネッセコーポレーション。文部科学省に絶大な影響力を持つ慶應義塾元塾長・安西氏との癒着関係や、元文部科学省事務次官の天下り受入れ(役員待遇)について指摘が相次いでいる。最近では、文部科学省が招聘した外国の有識者の旅費と報酬を肩代わりしたという報道も記憶に新しい(不正無しと文部科学省が結論)。
一方、そのような文部科学省との強い関係により、ベネッセは十分な果実を得ているように見受けられる。全小中学校で全生徒を対象に行われる「全国学力・学習状況調査」を受注したり、大学入試センター試験の後継となる新試験(2021年導入)においてベネッセが実施する英語試験「GTEC」の結果利用が認められたりと。だからといって不正とは限らない。法令に反しない範囲で行っていることであろう。しかし、このような濃厚すぎる蜜月は、「国民の見えないところで取引が行われている」という疑惑をかきたてたままだ。
新宿に「株式会社 学力評価研究機構」という会社がある。なんともいかめしい研究機関のような名前であるが、通常の株式会社であるようだ。名前だけからすると、ベネッセとの関わりは見いだせない。
https://www.crlea.co.jp/company.html
2017年創業の新しい会社である。ウェブサイトには従業員数や取引先など詳しいことは何も書かれていない。あたかもペーパーカンパニーのように見えるが、そうではない。事実として、設立直後から文部科学省関係の事業を次々と落札し、受注しているのである。
https://www.crlea.co.jp/company.html
代表取締役社長とされる服部氏は、プロフィールも何も書いていないので同一人物とは断定はできないが、ベネッセ社員に同姓同名の者がいたことがわかる。
本社所在地住所は、ベネッセ東京本部新宿オフィスや、多くのベネッセグループ会社が居を構えるところとまったく同一。仮に上の者が独立・起業したにしては不自然である。
以上から、同社はベネッセの子会社、あるいは子会社相当のグループ関連会社であると強く推測できる。重要なのは、容易に推測できるにもかかわらず、それをウェブサイト上どこにも明らかにしていないことである。一見、ベネッセとは無関係の社名であるというだけ。不正の要素はどこにもなく、今後疑惑を投げかけられたとしても、「隠していない」として逃げる準備はできているということだ。
文部科学省側としては、「すでに社会の批判を受けている以上、なんでもかんでも業務をベネッセに丸投げするわけにはいかない。一方で、信頼関係・利害関係のあるベネッセに仕事をお願いしたい。中身はベネッセで、看板だけ別という会社などないだろうか」
ベネッセとしては、「文部科学省とより強い関係を築くためには、合法ならば手段を選ばない。別会社をひとつ作るくらいは造作もない」
……そんなところだろうか。
この推測が現実に当てはまるか否かは増田読者諸兄の判断にゆだねたい。しかし、頭皮はともかく考えていただきたいのは、近年の文部科学省とベネッセの激しく緊密な官民関係を良しとするか、ということである。本件のふしぎなベネッセ関連会社も、すでに、確実に、その強化へ連なっているのだ。
現代ではツイッターやユーチューブやインスタやティックトックのフォロワーは個人の権力の大きさを表すものだ。
それを簡単に金で買える時代が遂に来たんだなと、ZOZOの前澤の一億円お年玉企画を見て確信した。
富、名声、権力、影響力、女。全てを一個人が気軽に手に入れることが出来る時代になった。
これからテクノロジーが進歩することで金の価値は下がっていくというのが有識者の間での共通認識のようだが、
実際は金を持つものが全てを手に入れるのだ。
今回の企画を見て、この世は金が全てという世界観を持つ子供や若者が急増するだろう。
意識高い系退職エントリなど転職煽りの記事がここ数年各所でバズっているが、
メディアでも"有識者"の皮をかぶった連中があちこちで日系企業の会社員を"老害"の名の下に貶め、転職を煽るポジショントークを繰り広げる。
堀○、落○、○ろゆき、○ubyの父など。
こいつらはアフィリエイト契約でもしてるかエージェント企業の株でも持ってるのだろう。
全能感満載の意識高い10~20代は、自分が全世界の0.0000000001%に満たない有能の一人であると勘違いし、
親の巨額の投資で得た(第二)新卒カードをドブに捨てて、虚飾粉飾にまみれた自称ベンチャーに身を投じる。
挙げ句の果てには、出生や昇級の道をかなぐり捨て、ベンチャーホッピングで生きていくなどと言い出す始末。
歴史の浅いベンチャーなんて創業メンバーによる典型的なムラ社会で、
キラキライメージに吸い寄せられて後からやってきた奴なんて低賃金でやりがい搾取するための使いすてのコマでしかないわけで、
社員のキャリアパスや成長なんて微塵も気にしない。つーかそんな余裕なんてない。
自分が世の中を変えることができない無能だと気付いちゃった頃には手遅れで、
毎年入ってくる若い連中独特のノリにもついていけず、職を転々とし数年おきに最低賃金からのスタートを繰り返すことになる。
かつての同級生が役職付きや家庭を持ち始める中、自分だけはいつまでも残業代も出ず時給換算でアルバイト並みの労働を続けることになる。
転職煽り連中はWebを主戦場としSEOという最強の武器を持っているため、
それすらもかき消されるだろう。
普段は見ていないが、彼らが見たがるので一緒に見た。
個々の事件について正確な判断をする知識を私も含めてあまり持ち合わせておらず、正直制作者側ですら微妙な知識だったりするのかもだけれど、とりあえず「コイツが怪しいです!」という情報は、有識者のインタビューや関係者のインタビューをエモーショナルに編集した短いビデオで教えてくれるし、それを見ながら、年寄も「ア*マ*というのはヒドい会社だな!こんな悪い事をして儲けて!(怒)」とという感じで大いにエキサイトしていた。
そういう意味では「モリカケ」みたいのは定番ネタで、これの話題が出てくると「待ってました!」とばかりに盛り上がるから、あんなに新しいネタが無かろうとなんであろうと、引き合いに出すんだな…と感じた。「モリカケってどんな事件でしたっけ?」と聞いても、あまり明確な答えが返ってこなそうな雰囲気は出ていたが、「アベ与党が好き勝手な事をやって悪をなしている」という設定が確認されるので、満足そうだった。
やっぱり年寄向けの娯楽だよなぁ…とは思った。
知り合いのおじさんには『ネットで真実』のおじさんにクラスチェンジしている人もいるので、ネットが媒体として新しくて優位だとは思わないけど、こういう感情的な反応を煽ろうとする物を避けられるだけ、ネットの方がマシだなとも思った。
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基本、年寄の意見に反応はしなかったのだが、何かの話題で「前川というのはアベ批判の講演会をやったりして、立派な人物らしいぞ!」と言ってきたので、それは流石に。「こいつだけは流石に…」と説明したら解ってくれたので、それは収穫だった。
どちらも一理ある状態だと思う
使えなくても理解があれば問題がないと思うが、理解がないから使えないでは困ることになる
車の運転は誰だってできるがエンジンの整備はできないしタイヤ交換ひとつできない人も多い
サイバーセキュリティについて、こういうことがあるのでこういう意思決定してくださいと周りからの意見があったとき本人はどこまで理解できるのか、個人的には非常に疑問だと思う
僕は日常的にパソコンを使うけど、時々ブクマで上がってくるネットセキュリティに関する話題について理解が難しいことが多い
ある情報を珍しい手法で取得してほかのデータと組み合わせて意味のあるデータにする時それのどこに違法性があるのか答えよ、とかもう全然理解の外になってしまう
こんな風に迂回するとシステム的にも法律的にもグレーですという時に、どうやったら迂回路を閉じれるか指示することは、やはり有識者から意見を貰わないと意思決定できないと思う
日常的に使っててもわからないのに全然知らない人がちゃんと識者たちの意見を理解して耳を傾けて意思決定できるのかな?って心配はある
でも家で日常的にパソコンを使ってメールもネットもやってますよ、まとめサイト巡りが大好きですwwwとか言われても同じ程度にこいつ大丈夫か?って思ってしまう
基本的によく言われる「嘘つくのはローコスト、それを検証するのは高コスト」的な構造を利用してるのだと思っています。
議論を理解して熟考するなんて高コストなこと多くの人はあまりしないから、とにかく余裕ぶった大物っぽい雰囲気で相手をバカにしまくれば「パッと見た感じ相手を圧倒している山本一郎」を演出できる。
相手を攻めている内容に中身がなくても「わかりやすい嫌味」とセットでそれを並べ立てれば、何となく全体の雰囲気で相手の信頼度が下がる。それによって相対的に自分は上がる。ちゃんと考えれば「関係ない悪口言いまくってるなー」とかわかるはずなんだけど、ネットコンテンツって基本流し見しちゃうので騙されちゃう。
人間にとって人の悪口って超面白いので、その悪口と筆力の高さに引っ張られて「バカな相手を賢い山本一郎が叩き斬ってる」みたいに捉える人が一定数でてしまう。「隊長さすが!」とか「役者が違う!」みたいなコメントがあるんだよなあ。
山本一郎は闇属性(総会屋系)の人だと思っているんだけど、わりと表で堂々と発言してたり、普通に有識者みたいな認識されているような気がします。
だから、どんなマジックで今の立ち位置を得ているのか仕組みを知りたい!
↓あまりこの辺のことが知られてないだけ?それとも光属性なの?(本当にすごい人なの?)
http://kurikindi.hatenablog.com/entry/2016/12/28/090000
https://togetter.com/li/1080385
経歴詐称とか