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はてなキーワード: 気分転換とは

2018-06-17

デス日記やばい

日記をつけようと思ってやってたんだけど、たいていその日にあった印象深い出来事を書くのが普通

特に印象がない場合普通のひとは飯がうまいとかゲーム面白かったとか書くんだろう

自分場合はどうやら恨みがすごくて、毎日かに言われた面白くないことを記録することになった

何もない日も細かいイラつくことがびっしり書かれた

それを読み返すたび、憎悪鬼のよう燃え上がり、はらわたが煮えくり返るくらいそのときのいらだちが思い返される

普通の人はそれを忘れるためにうまい飯をくったり、酒を飲んだり、高いものかったりして気分転換するんだろう

自分場合はそういうはけ口がなく、毎日読み返しては恨みを増幅させていた

さらにはコイツにこう言われたときにはこう言い返してやろうとか、やられたときにはこういう告発書を書こうとかそういうところに気が向いていた

最近ぬいぐるみをかってそれを引き裂くようになっていた

日記やばいマジでそういうやつはイラっとすることは忘れるべきだ、この日記は悪い

悪い書物

アイツ

2018-06-16

不祥事ねぇ

仕事中に弁当注文で神戸市職員処分

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180615-00010007-asahibcv-l28

神戸市職員弁当の注文のため、勤務中に職場を離れる「中抜け」を繰り返したとして、減給処分されました。

神戸市水道局の64歳の男性職員は、去年9月から今年3月の間に、勤務時間中に近くにある飲食店弁当の注文をするため、

3分程度の中抜けを26回したとして、半日分の減給となりました。職場を出て行く姿が所長の部屋の窓から見えたことで発覚しました。

神戸市担当者は、会見で「このような不祥事が生じてしまたことは、大変遺憾であり、申し訳ございませんでした」と陳謝しました。

男性職員は「気分転換のためだった」と話しているということです。

2018-06-15

anond:20180615211650

もしもし?殺したい、という発想がないよって答えなんだけど。




考えてもどうしようもない事は、

寝て忘れる、楽しい事を考える、すきなものを食べる、音楽聴く気分転換する。

このへんで解決する。

2018-06-10

anond:20180610172350

3年目なら今すぐやめるべきだろ。

代わりがどうこうという話ではなく、自分他人をグサグサナイフで刺しながら気分転換になるんすわーって言ってるようなもんだから

気分転換たばこだけは絶対にないという考え方で行こう。

2018-06-05

物語

昔は漫画アニメ小説気分転換だったが、今は何を読んでも辛くなる。

幸せな話は今の自分との比較で辛くなるし、辛い話はますます辛くなる。

何を読んでも見てもとにかく辛い。

人間が出てこない動物動画にも手を出してみたが、ただただ虚しさが募って無理だった。

2018-06-04

東大を出て大企業」は「負け組」と実感した話

東大卒アラサー業界トップメーカー勤務サラリーマン

学生の頃は東大トップ層ではないが、落ちこぼれでもない程度。

最近仕事プライベートの両面で精神が滅入ることがあり療養中。

先日、妻から宝飾店主催ツアーを勧められ、気分転換も兼ねて参加した。

催事チケットと高級ホテルランチパッケージにしたバスツアーで、有閑マダムを集めて比較的安く開催しているもの

安い代わりに宝飾品のセールスセミナーが組み込まれていて、商品の素晴らしさを解説される。

このネックレスは編んで使っても綺麗ですよとか、色々なお洋服に合いますよとか、はっきり言って自分感覚からすればくだらないとしか思えない内容だった。

それでもマダム達はあら素敵とばかりにセールストークに乗り、俺の月収以上の値段のする商品を大して悩みもせずお買い上げ。

俺がメンタル壊して長時間労働に耐えながら1ヶ月働いてやっと手に入れる額を、たかが綺麗な石ころにホイホイと払う人たちがいる。

どう見ても俺より努力もしていなさそうだし、聞こえてくる会話からもあまり教養を感じない。平日の昼間からこんな時間のかかるツアーに参加しているあたり、仕事もしていそうに見えない。

不労所得階級、恐らくは地主家系、あるいは高給取りの奥様だろう。妻も地主の娘なのでそのあたりはわかる。

自分東大から大企業に入ったものの、所詮時間と体力と精神力を引き換えにすることでしかお金を手に入れられない身分仕事はそれなりにやっているので最近社長役員と関わる機会も増えてきたが、彼らもレベルが違うだけで本質は同じ。

改めて、どう努力しても超えられない壁存在をまざまざと見せつけられた気分だった。

正確に言えば起業なり投資なりの方法階級を超えることは可能かもしれないが、労働者階級にいるものがそこに辿り着くためにはリスクを背負わなければならない。

今までやってきた努力所詮労働者階級内で「使える奴隷」になるための努力に過ぎないのだなと思った。

しかランチの間近くから聞こえてきた会話の内容は、マダム達の熱意もない子女予備校や塾で矯正していい大学に行かせるというもの

階級は超えないとはいえ「勉強」は持たざるものが持てる者に勝つ数少ない手段として導入されたもの(古くは科挙明治維新など)だったはずが、その席すら持てる者がステータス感や見栄え、いわばファッション感覚で持っていってしまっている。

自分は幸い労働者階級のかなり上の方にいられたし、不労所得階級と繋がりも持てた。今の自分境遇が嫌だというつもりはない。お金のある人がお金を使うのは良いことだということも理解している。

辛かったのは「自分努力で」誰にも負けないよう登っていくことは不可能であること、最初から決められてしまっていたんだということを見せつけられたこと。

バスビジネス街を通ったあたりで、窓の外にいる疲れた顔をしたサラリーマン(とは言っても大企業本社が多いエリア、いわゆるエリートサラリーマンであろう)とマダム達の顔を見比べて、涙が出てしまった。

おれたちは勝ち組なんかじゃない。所詮プロレタリアートだ。

2018-06-03

anond:20180603220354

わかる

でも結局描くこと自体はどうしてもやめられないから余計考えちゃうよね

ツイッターでやってるとフォロワーさんとかとの力関係とかもできちゃう

いま増田が書いたようなことをそのまんま呟くような人もいるし

純粋に描く楽しみがだんだん減ってくるような気がするよね

たまにはTLを覗くことをやめてみたり

自体を載せる場所を変えてみるのも少しは気分転換になるかもよ

増田が描く楽しみ取り戻せるますように 自分もだけど

2018-06-01

会社 帰りに いちいに 寄ってみた

金曜日はおいしい弁当屋弁当買って帰る日なんだが、

今日気分転換していちいへ

 

駐車場が混んでる

 

冷凍食品が半額

アイスが4割引

卵10 タイムセールで100円未満

その他もろもろあったらしい

 

なにかな~と思ったら1日だからかな

 

ピザフライドポテトアサリ飯、今川焼きアイス

買って帰宅

anond:20180601081706

家事労働年収換算でどうこうってのは俺には響かないよ。妻が専業主婦ってのは俺にそれだけの稼ぎがあるからなんだよ。

まり俺様は稼いでるんだから妻が家事労働するのは当たり前でそれに対する評価なんかしない、ってか。

それとこれとは関係ないと思うんだけど。

妻に働いてほしいってのは金の問題っていうか、掃除もしないでDVDとか見てる時間があるなら少しでも働いてくれりゃあいいのに、ってことよ。家に篭ってるより気分転換にもなるだろ?

実際問題平日午前のみのパートなんてなかなかないのはわかってるよ。だから愚痴なんじゃねーか。

気分転換目的・かつ働くのは難しい事が分かってるなら、趣味習い事提案してみるとか他に考える事があるんじゃないか

それは嫌だ、働け、ってなら「そこまでの金はない」or「嫁の趣味代出すなんて無駄金から嫌だ」or「俺様が働いている間に習い事なんて許せない」って事だよな。

DVD見てるのだって家に閉じ込められて鬱々としてるけど他に気分転換手段もなく金がかかる事も出来ないから惰性で見てるだけかもしれないのに。

3人子供いてワンオペ育児なんて、鬱でもおかしくないぞ。

2018-05-31

君去りし後

あなたがこの職場を去って2ヶ月が経った。とは言っても最後に共に働けたのは4ヶ月前になる。だからあなたがどのように去っていったのかを僕は知らない。だが、先日、4ヶ月振りのバイトとき、ここにはもうあなたがいないということは理解できた。

振り返ると大学1、2年の時は何をしていたのかと思ってしまうような、そんな日々だ。実家を離れ1人暮らしを始め、サークルに入るも2ヶ月で辞め、友達が出来ることもなく、朝が来て大学に行き、そして夜を迎える、その繰り返し。年に1、2回高校同級生数名に誘われて渋々出かける、その程度だった。

しかし、色々あって大学2年が終わる頃、夏休みなどの長期休みのみ実家から通えるところで働くことになった。そこでも誰とも関わろうとは思っていなかった。最初のまとまった出勤は春休み。どんなことをしていたか必死だったからよく覚えていない。でも、僕が大学が始まるということでいなくなったことを何人か惜しんでいるということを聞いたとき、とても嬉しかたことは覚えている。はじめて人に必要とされたような気分だった。

次にアルバイトに行ったのはGWとき。一度も会話をしたことがなかった1つ年下の専門大生のあなたは、出勤した僕を見るなり一言「来てくれたんですか?」ただただ、びっくりした。

その次に行ったのは夏休みとき。その時もバイト初日あなたはいた。そして笑顔で迎えてくれた。その頃から少しずつ会話を交わすようになった。

冬休みに行ってもあなたはいた。「今大変ですから頼みますよ〜」と背中を叩かれた。その言葉通りとても忙しく、よく出勤が被った。ただ、大晦日の帰り際「私は就職するので4月にはもうここにはいないんです」と告げられた。僕も就活試験勉強を進めなければいけなかったか春休みにはバイトをしないことを、誰にも言っていなかったが決めていた。要するに、冬休みが終わるまでの残り数日しか一緒に働けないということ。その日々はそれまでの日々よりはるかに早く過ぎ去っていった。最後の日「私がいなくなったら、もうここには来なくていいですよ」と言われた。「何言ってんだよ(笑)」と強がってみせた。別れの言葉は「またいつかどこかで」だった気がする。

それから僕は勉強に集中した。ただ、一度だけ実家に帰る用事ができた。そのとき職場に客として行った。ちょうどあなたがいて目を大きく開けて「何でいるんですか?」と言われた。そこで少し話をした。それが最後だった。

先日、また実家に帰る用事があり、実家にいる数日のなかで就活気分転換バイトに行った。でも毎度毎度僕を笑顔で迎えてくれたあなたはいなかった。あなたがいつもいた場所には違う人がいる。あなたがいないということをここまで寂しく思うとは正直思っていなかった。どれだけ仕事が捗っても何かもやもやした気持ちがあった。この気持ちが何を意味するのか僕にはわからないが、あなたと過ごせた時間はかけがえのないものだということは理解できた。

就活がうまくいけば来年4月まで、うまくいかなかったら(笑)そのときまで、あなたのいなくなったこ場所で僕は働きます

いつかまた再び会える日が来ることを楽しみにしています

それまでお元気で頑張ってください。

2018-05-28

朝起きたほうがいいな

つい夜ダラダラネットしてて遅くなってしまって、起きるのも昼前とか

起きてもネットみたり何もする気しないな―と思っていたらもう15時とか16時とか

気分転換からなにかしようと思ってちょっとゲームしたり漫画みたらもう17時とか18時とか

洗濯物干してなかった、とかいろいろ考えながら今日もほぼ終わったなーという気分

一応寝るまで8時間以上あるんだけど暗くなり始めるとなんかそういう気分になる

21時とかすぎたらもう新しくなにか始める気はしないし


無理にでも早く寝て朝7時とかに置きたらなんかいろいろとできる

起きてる時間は一緒のはずなんだけどな





anond:20180528151624

頭悪い人ですが、説明ありがとう

まり気持ち問題ということですね。

まずは気分転換して、その後で足りないものが何か分析して、仕事変えて、稼いでください。

2018-05-27

anond:20180526190630

気にされているところ申し訳ないけど、ニキビや跡はあるものの、肌の状態はそれなりに居るレベルに見受けられます

目元等見えないので顔立ちについては明言できませんが、平均的かそれほど悪くないと思います

他の方も触れていますが、堂々とした立ち振る舞いや他人への共感協調を示す態度が大切ではないのでしょうか。

ただ、髭はそられた方がよいと思います

また、頭が大きいのが悩みとの事ですが、筋トレで肩幅を増やす相対的に小さく見えます

一朝一夕でできることではありませんが、気分転換を兼ねて取り組んでみては如何でしょうか。

anond:20180526190630

気にされているところ申し訳ないけど、ニキビや跡はあるものの、肌の状態はそれなりに居るレベルに見受けられます

目元等見えないので顔立ちについては明言できませんが、平均的かそれほど悪くないと思います

他の方も触れていますが、堂々とした立ち振る舞いや他人への共感協調を示す態度が大切ではないのでしょうか。

ただ、髭はそられた方がよいと思います

また、頭が大きいのが悩みとの事ですが、筋トレで肩幅を増やす相対的に小さく見えます

一朝一夕でできることではありませんが、気分転換を兼ねて取り組んでみては如何でしょうか。

2018-05-25

なんかすっきりしない気持ちですが、毎週金曜日ラーメンの日です。

うーん、なんかすっきりしないんですよね。いろいろと。

楽しいだけの毎日ではないのでこういう日があるのもしょうがないですね。

それにしてもおなかが空いてしょうがない。

ラーメン食べて気分転換しますかね。

今日味噌ラーメンします。

太めでやや硬めの麺、ドロっとして濃厚な味噌スープ

もやしネギメンマに味のしみ込んだチャーシュー

一味とニンニクを少しづつ入れて味を替えながらいただきます

想像するだけでラーメンの胃袋になっちゃますね。

2018-05-19

JR和歌山線にて

5月13日のこと。これまで乗ったことがなかったJR和歌山線王寺駅から乗車したところ、

古刹を巡る会(仮称)」の旗を持った老人30人ばかりが同乗することになった。

その一行が着席するや否や、すさまじくデカい声でしゃべりだし、そのやかましさといったら、

ありゃしなかった。

小学生幼稚園団体も及ばないレベル難聴なのかと疑うくらい、全員声がデカい。

運動部高校生外国人カップルもいたが、皆、呆れ顔。

スマホゲームをやっていた高校生ヘッドフォンが聞こえないと友人に言っていた。

さらに、目の前にいたクソババァ様はでかい声で外国人旅行客マナーがなっていない、と

のたまっていたが、お前らのほうがその5万倍は迷惑だと言ってやりたかった。

貸切列車でもないのに、傍若無人なクソジジイとクソババア。

高校生外国人らに手本を示すべき連中が醜態を延々とさらしていた。

赤信号みんなで渡れば怖くない」と、ビートたけし日本人批評したけど、

まさにその通りだった。外国人カップルはそれを学んだことだろう。

旅で気分転換をするはずが、逆にストレスを感じてしまったのは残念だった。

その後、天気は下り坂。大雨が降ったため、和歌山線運転見合わせになった。

最低な老害軍団五条駅で下車したのだが、巻き込まれていることを祈ったのは言うまでもない。

行き場のない怒りを吐き出して、この週末は心安らかに過ごしたいと思う。

2018-05-16

anond:20180516002936

増田優しいな

別に思ってもいいよ。多分本人も後ろめたさあると思うし。

(ないならその人はうつになるような人ではない)

もちろん態度に出てしまうとまずいけど。

ただうつって自分コントロールできないという理解されにくいつらさがあるし、

家にいると罪悪感で消えたくなるから

しかしたら増田と遊びに行く時だけは普通に働いてた頃の気持ちで遊べて気分転換なってるのかも。

2018-05-13

anond:20180513165026

STAP細胞問題で2014年に理化学研究所退職した小保方晴子氏(34)が、週刊文春グラビアに登場し、ネット上でも 「びっくりした」

「屈強メンタル」驚きが広がっている。

  小保方氏は9日発売の週刊文春グラビア原色美女図鑑」に登場。黒のノースリーブワンピース姿で、日記帳を抱えた写真や、ペンをとりながらカメラを見つめる写真、本を開いたままベッドで眠る写真掲載されている。撮影篠山紀信氏。

  記事では小保方氏自身も同誌に登場することに驚いていることや、現在料理気分転換になっていることなどが記されている。

  ネット上ではまさかの登場に「原色美女図鑑が小保方さんなんだが…」「小保方さんのグラビアにはびっくり」「一瞬目を疑った」「びびった」「どうやったらそんなに屈強なメンタルになれるんだろうか」と驚く投稿が相次いでいる。

  またグラビアに対しては「雰囲気が違う」「ちょっと印象が違う。メイクスタイリストのせいかしら?」と、騒動渦中にあった4年前と雰囲気が変わっているとの感想が続いている。

小保方ちゃんがんばれ!

ネットワークビジネス勧誘にあった

中学時代友達から久々にメッセージが来て、会ってみたら某A社の勧誘だった

結果としてはきっぱりお断りした

自分都内一等地の老舗企業務めだけどクソみたいな会社なんだよなぁ

会社の良し悪しはともかく、現状ホワイトに働いているんだよなぁ

  • このビジネスで稼いでいることで有名なNさんは色んな人と知り合いで、著名人とも繋がってるんだよ

→知らないおじさんとよく知らない外国人とのドヤ顔ツーショット見ても思うことはないなぁ

コミュ障からパーティ行きたくないし、多趣味からいろいろ経験しすぎて既にキャパオーバー気味なんだよなぁ

  • いい人といっぱい知り合えるよ

友達にはすでに恵まれてるからなぁ

ものは不足してないし、今使ってるものにどれも不満はないし、病気持ちだから下手に切り替えたくもないなぁ

という感じで心に響く勧誘文句特になかった

ただ、おっとりした良い子だった友達がこうなってしまった事実には胸が痛くなった

あの頃と変わってしまったな…と少し落ち込みながら地元に帰ったら、別の中学時代友達バッタ出会った

ヤンキーに憧れていた彼は心身ともに見事ヤンキー風な大人に成長していて、とても安心した

変わった人、変わらなかった人、どちらもそれぞれお幸せにね

なんて思いながら気分転換のボヤキでした、読んでくれた人がいるならばどうもありがとう

2018-05-12

子持ちが自分時間を確保する唯一の方法

 『何者か』になりたくて、けれども何者にもなれなかった自分政府が掲げる「女性が輝く社会」とは、大袈裟ではなく、自分自身限界に挑戦し続ける、ギリギリ渡りの盛大なトライエラー現在、30代後半〜40代の子持ち普通から普通以下の女性はみな、若くして死ねということだ。

 3時に起床し、仕事を含め、自分時間を確保できた日と、寝坊して5時に起床し、慌てて家事仕事のごく一部だけ処理して出勤した日では、自身のなかでの満足度が違う。たとえ睡眠不足が積み重なって寿命が短くなっても、母親ではなく、仕事に打ち込み、成果を残せる自分らしい人生を生きたい。

 流行りの朝活より早い、毎日朝3時に起床するべき理由は、好きなこと、主に仕事をやりたいからだ。ザワザワした職場は集中できず、気分転換以外の理由家事のために身体を動かすと、以降は集中力が切れてしまう。

 とはいえ、実際には睡眠が足らず、週に何度も通勤中の電車歯科治療中、夜の食事後などに寝落ちしている。氷河期世代の男女、特に女性は、働かない高齢者年金を生み出すために燃え尽きようとしている。陰謀論は信じたくないが、日本人ではなく、日本語日本文化だけ好む外国勢力意図的少子高齢化賃金低下を仕向けているようにも思える。

2018-05-09

人生の答えって何だろうか

これまでの人生苦痛が多く、ほとんど無意味人生だった。

淡々人生を歩んできて、楽しいと思った時期なんてそこまで無かった。

そんな日々も残りあと少しなので、簡単にだけど振り返って吐き出したい。


幼少期は両親の喧嘩が絶えず、割れる瓶と鈍く低い音、そして奇声といつも冷や冷やとしていた記憶しか無い。

もちろんその喧嘩によるとばっちりを受けたこともある。

親の友人からはいつも大人しいと言われていたが、あのような状況が続いてわいわいと騒げるわけがない。

更に親が喧嘩した後、薄かった壁に大きめの穴が空いていたのが恐怖を感じた。

幼いにも関わらず、この時から親を反面教師にして生きていこうと決意していた。

しかし、この頃から人の目を伺うという性格根付いてしまった。

ずっと無気力がちだったのもこのせいなのかもしれない。


その後、小学校入学して新しい環境になるが、学校が唯一の癒やしだった。

勉強ほとんど出来なかったが、家と比べて遥かに休息出来ているという感覚はあった。

友人も何人かでき、よく休憩時間放課後でも楽しい時間を過ごしていた。

とは言え、当時の記憶なんてもうほとんど覚えていないが、暖かく晴れた日の柔らかな風とカーテンの揺らぎが、子供ながらに不思議と癒やしを感じていたのはよく覚えている。

けれど安らかな一時というのは時間が経つのが早い。

学校が終わったら癒やしも何もない家へ帰るのは本当に億劫で、わざと遠回りして家に帰ることはしょっちゅうだった。

ただ、両親が居ない時の家は心を休めることが出来た。


そして中学になってから両親は離婚したが、母親相手に強く依存するタイプだったようで、依存対象が無くなったせいなのか更にメンタルがやられ、この時からロクに家事をやらなくなった。

母親が何もやらないので、仕方なく自炊やらを覚えたのはこの辺りだった。

肝心の学生生活については、育ちの悪い連中に影響された奴が多く、一気に不良となった子が増えたのにうんざりしていた。

小学の時は良い友人だったのに、突然万引きやらタバコをやり始めた人が何人もいた。

ただの格好つけで根は良い奴だと思っていたが、弱い者イジメに加担する輩も結構いて、私は心底呆れていた。

小学の時の癒やしとは程遠かった。


数年経ってそのような生活も終わり、高校へと進学した。

この時、知っていた小中の人達とはほとんど別れて全く別の環境になった。

全く賢い学校ではなく、むしろバカ学校と言える高校だったが、当時の担任面白いお兄さんで、学生のようなノリをしながら生徒と同じような目線勉強を教えようと頑張ってくれた。

担任ギター経験者であり、時々息抜きとしてみんなに弾き語りしてくれた時もあった。

小中とロクに勉強してなかったので日々勉強するのはそこそこ辛かったが、先生一生懸命教えてくれたこともあり、賢いとは言えるレベルで無いにせよ、ある程度の教養は身につけられたと思う。

でも、ある日からその担任は別の高校へと向かうことになった。

その高校はここよりも遥かに賢く、誰が聞いてもとても良い場所だった。バカ学校なんて所にいるより、遥かに待遇も良いだろう。

また、当時担任の奥さんは妊娠していたようで、それを含め生徒らは祝福した。


そしてお世話になった担任は去り、別の教師が新しい担任になった。

しかしこの教師曲者で、突然怒り出したと思ったら平気で授業を放棄するわ、意味分からん自慢話ばかりで授業が進まないわで非常に厄介な人で、ひどく困惑した。

他の教師からも疎まれているようで、教員会議でもワンマンぶりを発揮し、大声で意味分からん持論を発して他の教師を困らせていたようだ。

何故そんな教師がクビにならないのか非常に疑問を感じていた。

担任変更が高校最後の年だったので被害はそこまでだったが、二度と関わりたくない相手だった。

前の担任が別の学校へ行った時、その教師はアイツは逃げたと言っていたが、そりゃこんな所なんて逃げるだろうと誰もが思っていた。

ちなみにこの頃、母親は別の男を見つけ、更に家事放棄するようになっていた。

まあ、この時大体の事は自分で出来るようになったので、大した影響は無かった。


そして時が移り、大学入学を迎えた。

正直なところ、高校入学当初は大学になんて行けると思っておらず、高卒就職だろうなと考えていた。当時の最初担任のおかげだろう。

ただ自分学力では良い大学には行けなかったが、割と綺麗でお洒落大学に入れたので良かったと思っていた。

はいえ、折角大学に入ったのにそこまで勉強をせず、サークルにも入らず、自堕落生活を送っていた。

また、以前から一人で過ごすことも多かったので、積極的に友人を作ろうともしなかった。

居ても一人や二人程度だ。

大学では一応授業はちゃんと出ているつもりだったが、大抵途中で居眠りしていた。落とした単位が少なかったのは幸いだろう。

それよりも静かな図書館でひたすら眠ったり、よく晴れた日に大学のベンチでご飯を食べながら日向ぼっこしていた事が、小学生の時の癒やしを何となく思い出させた。

大学がこれまでの人生で最も安らかだった時期だと思う。


アルバイトを始めたのはこの頃。

高校バイトしている人は多かったが、学校自体禁止していたので積極的に参加は出来なかった。

バイトコンビニで働いていたが、時給の割にやることが多すぎて大変だった。

仕事自体は大変なだけで辞めるほどでは無かったが、その店のオーナーと息子があまりにも横柄で更に仕事をしなかったため、衝突が多くなり、半年もせずに辞めた。

まりイライラする職場だったので、最低限の事だけを行って何の言葉も残さず退職した。

仕事よりも人間関係の離職理由が多いとはよく聞いていたが、なるほどなと理解した。

正直この時点でもうバイトはしたくないと考えていたが、そんなこと言っている場合じゃなかったので、次は家の近くにあった小売の仕事に転換した。

また同じ事になったら嫌だと思ったが、予想とは異なり、その店の従業員はみんな良い人ばかりだった。

以前のとの差に驚き、最初からここで働いていれば良かったなと後悔した。

ここは大学卒業するまでずっと働いていた。

当時の方々には非常にお世話になったと感謝している。


ちなみに女性を初めてまともに好きになったのは大学に入ってからだった。

出会い大学の通学途中、学校へ向かう電車が一緒だった。

当初はお互い気付いていなかったが、ゼミが一緒だったこともあり、行きや帰りの駅で何度か姿を見かける事に気付いた。

の子は小柄で物静かな女性で、物腰や動作がどことなく品がある女性だった。

最初はそこまで何も思わなかったはずなのだが、気付けば気になる存在となっていた。ただ、姿を見かけてもどうすれば良いのか分からず、会話することが出来なかった。

向こうもこちらの存在には気付いていたようで、お互い気にはなっているがその先が踏み込めない状態だった。

大学ではその女性の友人間でこの話が広がり、私がその子の近くにいればその子の友人らはよく騒いでいた。

偶然隣り合うくらいに近くにいた時、彼女の顔が凄く赤くなり、若干挙動が慌てていたのもよく覚えている。

また、大学構内で彼女を近くで見かけた際、こちらに気付いていない彼女は私の事について嬉々としてその子の友人と話していたことがあり、それで私は色々と察した。


本来ならすぐにでも仲良くなるべきだったが、酷い事に年単位で何もすることが出来なかった。腰抜けにも程がある。

流石の自分もこのままでは駄目だと思い、授業中や通学途中にもどうにかするべきだとずっと考えていた。

結局良い方法が思い浮かばず、結局は素直にそのまま接触することにした。

夕方大学の帰りの電車で話しかけた時、彼女はとても驚いていたが、その目はどことなく輝いていた気がする。

ただ、こちらはあまり必死過ぎたせいか、話した内容も聞いた内容も全く覚えていない。


それから問題なく彼女と仲良くなれたと思うだろうが、残念ながらそうはならなかった。

この後に私は友人に呼び出され、何かと思えばその友人は彼女の事が好きなんだという事を話していた。

以前から何となくぼんやりとは察していたが、やはり言われれば印象は大きく変わる。

しか彼女好意を抱いている友人は一人だけではなかった。これには流石に困惑してしまった。

これからどうすれば良いかも分からず、完全に混乱してしまった私は、最終的に彼女無視するという馬鹿げた行動に至る。

これが良い行動でなかったことは言うまでもなく、理由を知らない彼女は私にからかわれたと思ったのか、徐々に避け始めた。間違いなく嫌いになったのだろう。

友人も以前から私と彼女との間を少し察していたため、どんどんとギクシャクした関係になってしまった。

それ以降、この友人とも連絡を取ることは一度も無かった。

これらが影響で大学へ行くのも面倒になってしまい、楽しくもなくなった。

そしてこの件は私を含め誰も得をすることなく、何も解決することもなく、呆気なく大学生活は終わりを迎えた。


これまでの学生生活は長いようにも短いようにも見えたが、その中で何か大きな事を成し遂げることは一切無かった。

10年以上もの時間が与えられたのにも限らず、ただ時間無駄に過ごしただけ。

それを思うだけで自分の中の自信が無くなっていくようだった。

せめて何か形に残るような事をやっておくべきだったな。


大学卒業後、私は在学中ギリギリ内定を貰った職場で働くことになる。

この職場実家と離れるために一人暮らしをしていたが、今まで以上に億劫な日々を過ごし続けていた。

学生時代とは違った、空気の全く異なる職場で何も考えることなく働き続けた。

仕事特にやりがいがあるわけでもなく、また休みの日に何かをすることもなく、ただただ無為時間が過ぎているだけだった。

同僚や上長もそんな私の空気を察したのか、ほとんど関わろうともしなかった。

話しても挨拶のみや一言や二言程度で、会話が広く発展することもない。

このような状態が続いても精神面に良い訳がなく、更に朝昼晩の交代制の仕事だったため、生活リズムも徐々に狂い、心身共に壊れていった。

まりに酷い時は心療内科に通うこともあったが、その医者は話を聞いてくれずただ薬を出すだけだったので、諦めて薬も飲まずに自分で何とかしようと考えた。

そうやって何日も何日も耐えてきたが、ある日の朝、全く起き上がれなくなった。

動こうと考えても身体は言うことを聞かず、天井を見上げていることしか出来なかった。

日経ち、その職場退職した。


辞めたあとは仕事から解放感か、体調は一時的に軽くなった。

しかし、その後もまともな生活を送っていなかったため、暴飲暴食や昼夜逆転生活で体調は日が経つごとに悪化していくだけだった。

部屋はゴミだらけで文字通り足の踏み場もない状態風呂すらロクに入らなかった。

でも途中で生活資金が尽きそうになり、仕方なく正社員での募集を探してみるものの、何度も何度も断られた。

挙句の果てにアルバイトですら断られる時もあった。

そんな生活が何年も続いた。

もう起きることすらしんどくなり、お腹が空いても飯も食べず1日中寝ている日もあった。

もはや生きているとは言えず、死んでないだけの抜け殻状態だった。

時々母親からは安否の連絡が来たが、適当に返して放置していた。


そんな鬱々とした生活のある日、久々に入った短期での仕事中に体調が一気に悪くなって倒れた。

酷い吐き気めまいがあったのを覚えているが、倒れてから記憶はなく、後で知ったのだが救急車で運ばれたらしい。

そんな体験をしたのは生まれて初めてだった。


目覚めた時、妙に病室のベッドが心地良かったのを覚えている。

今までは床で寝ていて掃除もされていない酷い部屋で生活していたからだろうけど。

その日会った看護師によると、私は数日間意識が無かったようで、ずっと眠っていたらしい。

ただあの時のベッドの心地良さが続くならば、ずっと眠っていたい。そう思った。


それからしばらくして、母親が部屋に入ってきた。

泣いていた。

私はそれを見ても全く何も感じる事はなかった。むしろ、早く一人にして欲しいと思うくらいだった。

しかし、すぐに帰らないので仕方なく相手をしていたが、その時はいつもと比べて妙に母親が優しいと思った。

その理由はあとになって分かった。


日経って病院での生活も多少慣れてきた頃、担当医者に呼ばれた。

話によると、私は余命が半年と少しほどしか無いらしい。

肝臓に酷いダメージがあり、もう治療をしようにも手の施しようがないそうだ。

できるだけ安静にしていれば余命は伸びるかもしれないが、それを怠ると今後の苦痛が大きくなるとか。

今までの経緯を話したところ、今回は重度のストレスと暴飲暴食が原因だと先生結論付けた。

から身体は弱い方だったが、それがここになって一気に来たものだと思った。


余命宣告された時にはあまりに突然だったため、一瞬驚いたが、同時に安堵した。

過去自殺を考えたことは何度もあったが、実行に移し切れずその度に憂鬱になっていた。

でも、もう無理に頑張る必要は無いんだなと、張っていた気が抜け、少し救われた気分になった。

はいえ、現在の状況は何もかも全て自分の行いで招いた結果ではあるが。


それからしばらくして一時退院、主に自宅での安静を命じられて実家に戻る事となったが、家に居ても特にしたいと思うことがない。

食事にしても身体を壊してからは何も食べられず、内容も淡白ものばかりになってしまい、当然美味しくもない。

幼い頃は家にいるとテレビゲームをよくしていたが、今となってはやる気力さえ全く起きない。

無理やりやろうとしても10分もせず飽きてしまう。

気分転換にどこか出かけるにしても身体負担が大きいので遠出は出来ず、そもそも金が無いか旅行なんて出来ない。

テレビを見ているかスマホパソコンネットでも見るか、それとも何か食べているか、眠たくもないのにただ寝ているか

結局は入院前の生活とさほど変わりなかった。


残りの人生何をやろう、と思っても前々から考えていなければすぐには思いつかないものだった。

仕方ないので、晴れた日にはとりあえず近所にある大きめの公園へ行き、ベンチに座りながら遠くを眺めていた。

園内では子供達がいつもはしゃいでおり、その姿を見ているだけでも元気が貰えるように思えた。

時には夫婦と幼い子が仲睦まじく歩く姿もあり、それを遠くで羨ましく見ている時もあった。

ネットサーフィンをしている時に時々フェイスブックを見るが、当時の友人や知人は徐々に結婚してきており、既に子供が生まれているのが何人もいる。

そして彼らが時々掲載する写真動画を見ると、微笑ましいと思うと同時に気が落ち込む。

自分も、もう少しまともに生きていればこうなっていたのだろうか。


そこでふと、大学の例の女性を思い出した。今は一体何をしているのだろうかと。

もう卒業してから何年も経っており、当時はよく注目されやすい人だったから、とっくに結婚もしているだろうとは思っていた。

でも最期に少しでも連絡が出来たらと間抜けな期待を抱き、数少ない友人に連絡が出来るかどうかお願いをしてみた。すぐに了承してくれた。

そしてしばらくして、思っていたよりも早く結果が返ってきた。

友人によると彼女はまだ結婚していないらしい。でも向こうは連絡がしたくないそうだ。

それだけ聞けたら十分だと思い、その他のことは何も聞いていない。まあ当然だろう。仲良くもなかった男から突然連絡が来ても迷惑なだけだ。

時間も経ちすぎているし、向こうにしても過去の事であり、もしくはどうでもいい事だと考えているだろう。

当時の事も謝りたいとも思っていたが、思い出したくもない過去を今更掘り返しても意味がないと考えざるを得ない。

もうすぐ終わる身としては開き直るしかなかった。


こうしてまたいつもの日常に戻り、何か特別にやらなければいけない事も無く、残り少ない日々を消耗している。

まだ時間がある人ならば、これから頑張ればいつか良い日がやってくると信じて先へ進めるかもしれない。

私のようにもう時間が無い者ならば、これからどうすればいいのか、未だに分からない。

今の私では新しい思い出を作ることは出来ず、過去を思い返すだけしか残されていない。

病院ではそんな私を哀れんで慰めてくれる人もいるが、私は言葉を表向きは受け入れるが、裏では全く何も思わない捻くれた人間であり、素直に受け取れない自分に嫌気が差す。

こんな状態でまともに気持ちの整理も出来ず、向き合えないまま死んでいくと考えると、どんどん悲しくなってくる。


ちなみにこの余命については親以外誰も知らない

言った所で今後会った時の対応に困るし、友人に話そうと思っても言葉が詰まって何も話せなかった。

顔色が悪いと言われても、ただ愛想笑いしながら、いつものように話すことしか出来なかった。

でも、例え自分が何も言わずにこの世を去ったとしても、数年も経ってしまえば、昔あんな奴いたな程度の存在で徐々に忘れ去られていくのだろう。

他人自分が思っているよりそこまで何も考えていないし、期待しても単なる思い過ごしになる。それは今までの経験上、全て事実だった。

それ以前に難しいことを考えるのはもう疲れた

病気悪化しているのか、体調の波がどんどん激しくなってきているため、こうやっていられるのもあと少しだろう。


今までの人生を軽く書こうと思い、これまでを思い出しながら突貫で文章を綴ってきたが、作成中には当時のそれぞれの場面を思い出し、その度に涙が止まらなくなった。

あの頃に戻れたら、もう少し自分に行動力があれば、または別の場所で生まれていたら、何度も何回も様々な事を考えどそれは無駄な事だと察して嫌になった。

まれ変われるならとも考えた事もあるが、そもそも宗教なんて信じていないのに、そんな事を考えるのはおかしい話ではある。

でも死んだ先に何があるのか、それとも何も無いのか、それは今の私でもとても気になっている。


20年以上生きてきた中、他人にも自分にも今後のためになるような何かを与えたことはなかった。

そして生み出すこともなかった。

ほとんど何もしなかった私のこの人生意味はあったんだろうか。

私には答えが何も浮かばなかった。

人生についての意義を考えるのは人間くらいだと言われるが、少しでも生きていて良かったと、そう思えるような意味のある何かが欲しかった。


こんな駄文をここまで読んでくれて本当にありがとう

2018-05-07

わたしは家でお仕事しています

メリット

・周りを気にせずいられる

 部屋着、ノーブラノーメイク、髪はボサボサでも問題ない

自分のペースで動ける

 マメに小休憩を挟んだり、気分転換散歩にでたり、昼食は料理したり

通勤が無い

 通勤にかかる時間ゼロなので仕事が終わればすぐ家でまったりできる

 

デメリット

・もう7年彼氏がいない

 とにかく人に会わない

 7年ノーセックスでもはや処女に戻ったのではないか

 処女って言っていいですか?

2018-05-06

連休はよく遊んで気分転換になった。

会社で、、、、、、、、、、、な奴らを、、、、、、、、、、、たい。以上。

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