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はてなキーワード: 安倍政権とは

2024-07-23

おきさやかが岡美穂子氏に紹介した報告書Netflixドラマの中で「安倍政権時に首相官邸でっちあげアカウント記者の信用を貶めようとした」という描写がされていたことを日本特有オンラインハラスメント傍証として挙げていて、ヤバすぎワロエナイ

https://x.com/Nathankirinoha/status/1815414517444252067

これ本当?

2024-07-19

第二時安倍政権以降マトモに公約守ってなくても気にされなくなったやつ

2024-07-18

anond:20240718091139

地方分権改革機運で道州制導入なんて話もあった頃なら現実的に将来の連邦制議論もできたが、第2次安倍政権以降、国民意識中央集権バンザイ、に戻ってしまたからな

ロシア戦争が終わってアメリカが落ち着くまで無理だろね

2024-07-17

anond:20240717032659

言論弾圧に繋がりうる」であってまだ言論弾圧ではないだろう。「ここから言論弾圧です」という静的・明示的な線はひけないので、それぞれが主張を戦わせて動的に判断されるのがよい。

安倍総理演説妨害も、現場判断で拘束されたこと・裁判を通じて「やりすぎでしたゴメンナサイ」したこと、両方ひっくるめて正しかったと言える。

もちろん権力者はまず自ら抑制であるべきだが、現時点で蓮舫は建前上ただの人である

また形式上のそれっぽい要素を誇大に取り上げて「民主主義危機だ!」と騒ぐのは、結局のところ小池みたいにマスコミが何言っても抗議も含め丸ごと無視という、面の皮の厚いふてぶてしい態度で受け流すことを最適解にしてしまう。それこそ民主主義における自由言論役割形骸化させる。

蓮舫が株を落とすのは当人勝手だ。それより小池のふてぶてしさが地位にそぐわしい鷹揚さで通ることは看過しがたい。

別段、蓮舫の“擁護”ではない。安倍政権時に放送法解釈を変更するとかしないとかですわファシズム到来だみたいに騒がれたことは、もう記憶もおぼろげである

他方、脱糞民主党刑事告訴は悪質なSLAPP手法だと思う。結局は主権者がどう思うかだ。用意された正解はない。

2024-07-16

anond:20240716194130

いや知ってるよ

ついでに言うなら民主党政権時代には就職氷河期よりずっと就活が厳しかったゆとり世代が超氷河期なんて一時期メディア揶揄されてたけど、俺たちの方が可哀想だし大変なんだ!で連中から無かったことにされたけど

安倍政権になりゆとり世代就活のものは楽になった層が出てきたしZ世代もその頃よりはずっと就活楽だけど、それとは別に経済的には危機的だし非正規派遣のものゆとり〜Z世代一般的になり、氷河期じゃなくてこの年代にとても多いからな


それで?同じことを言って同じように騒ぐなら氷河期世代再びって所か

Z世代バブル世代高齢出産でなければ氷河期世代の子供ぐらいの世代だしな似てるんだろうよ

2024-07-15

国民トップを選ぶ基準は何

都知事選石丸伸二候補が躍進したり、「次の首相にふさわしい人」のアンケート石破茂氏が人気を集めている様子を見ていて疑問に思ったけど、多くの国民は一体何を基準トップを選ぶのだろう?

私の印象では岸田首相仕事はこなしているし、それは安倍政権菅政権個人的には同じ。民主党政権時代口蹄疫対応などのような分かりやすいヘマはやらかしていない印象。

そういえば、日常生活の中で岸田首相名前を出した際、何回も何回も「検討ばかりの人?」「増税メガネ?」と言われた。

何かする前に何も検討しない人などいないし、私の記憶では主な増税防衛増税くらいで、むしろ減税も実施していたような気がする……けどそんな事をわざわざプライベート説明はしないし、説明しても分からなさそうだからいつもスルーしてしまう。

菅首相の退任後に「仕事はしていた。アピールが悪かった」等の批評をよく見かけた。つまり日本人はわざわざ説明されないと分からないアホばかりなのだろうか。

しかし逆に、経過から丁寧に説明してもアホすぎて理解ができないから「検討使」などとレッテルを貼るのだろうか。

もちろん岸田政権に不満はある。年金生活する高齢者への支援金の話は何度も出ている反面、「こども家庭庁」や「デジタル庁」には力を注いでおらず、高齢者優遇感が強い。世代間格差指標になる数字があれば分かりやすいが、そういうのは示されていない。

他にも色々挙げられるが、個人的には、他の面子も踏まえて岸田政権を支持している。ただ、岸田政権支持と言いづらい空気もあるような気がしている。

2024-07-14

anond:20240714103947

共和党守旧派って、いわゆるタカ派の人たちなんだよね。

軍産複合体がバックにいる人たち。

戦争すれば儲かるからね。

トランプ面白い存在で、共和党代表だけどアメリカファースト軍縮を唱えるような、守旧派からしたら目の上のたんこぶなんだよね。

トランプが死んで守旧派がきちゃうと怖い世の中だね。

ちなみに旧安倍政権自民党清和会と仲が良いのは、共和党守旧派2003年イラク戦争を起こした人たち。

2016年トランプがきたけど、日本人にとっては良いことだったんだよ。

まぁ、その後、ウォールストリートがバックの民主党バイデンがきて、再び戦争戦争ってなってますが。

anond:20240714074130

そもそも民主党政権奪取時代55年体制を終わらせるべきだったのに安倍政権に戻って共産党が元気になっちゃって延命してんだよね。勝共が終わりなら共産も終わりって早く自覚してほしいしそれでも日本社会の為になる気があるなら共産党という名を改名してほしい。

2024-07-13

蓮舫さんのシール貼りを擁護する人たちの倫理観が謎

こんなの「迷惑から止めろ、剥がせ」って言って切断処理する一択だろ?なんで無理やり擁護するんだ?

頭の中が文化大革命なのか?

立憲民主党なのか共産党なのか知らんがお前らも止めろよどう見たって良い影響ないぞ?(最後記載のとおり、この中の一部は極めて連邦さんに近いことがわかってるので、無関係と通すのは無理筋と思う。)

以下、立場を持ってるのに蓮舫さん(R)シール貼り擁護またはシール剥がし批判をしている人たちの例

北守(藤崎剛人)さん

https://x.com/hokusyu1982/status/1810910978542027233

Rシールを剥がす人たちは、シールが嫌なのではなくRシールが嫌なのだと思うが、「街中に勝手シールを貼りつけてはいけない」という規範が、シール剥がし正当化する理由になってしまっている時点でヤバい

矢部真太さん(神奈川新聞記者/元SEALDs

https://x.com/shintayabe_257/status/1811597804508447097

すでに街中に存在するグラフィックステッカーについては無視を決め込んで、時の権力者にとって不都合に生じるものを見つけるやいなや「不法行為」と問いただす。その判断は、まず誰によってなされ、動かされているのか、考えているのだろうか。

菅野完さん(安倍政権の追及などではてなから賞賛

https://x.com/noiehoie/status/1811683776088641971

頭の悪い人には難しい話なんで恐縮ですけど、「街に貼ってある特定シールだけ剥がす」ってそれ「街に特定シールをだけ貼って回る」と同じ文脈ストリート文化ですからね。同じ文化コミットしちゃってることになるのでご注意くださいね

上瀧浩子さん(弁護士かもがわ出版解放出版で著書あり)

https://x.com/sanngatuusagino/status/1811580006235275678

ステッカーを剥がせというなら、全てのステッカーについて、貼ったひとは剥がせというべきやろ。それが「公平」。それなのにRステッカーだけを「問題視」する。そちらの「政治的」思惑の方が問題でしょ。

広く表現の自由を守るオタク連合新橋九段さん

https://x.com/hyougenmamoru/status/1811290287345406408

普段表現の自由を謳っているはずの人々も加わって大騒ぎした結果、直接の関わりがない陣営アナウンスするまで追い込まれ事態に。しかステッカー程度で。大袈裟でなく、表現の自由史に刻まれる敗北なのでは。

その他

他多数だがリンク制限によりここまで。

しばき隊メンバーたちはここでもまとめられている

https://note.com/neon_shuffle/n/nafff08c3b502

おまけ

SEALDsデモマイクを持つ女性https://i.imgur.com/Zv1gskv.jpeg)と、今回の都知事選でRシールを掲げる女性https://i.imgur.com/HfaewC3.jpeg右下)は同一人物

ちなみに2番目の写真の真ん中に写ってる黒い帽子塚本ニキさんで、左隣の紫色の服の女性とともに、この選挙戦蓮舫さんとかなり近いところに並んでダンスを踊っていたことが確認されている。(https://i.imgur.com/9m2uaQ0.jpeg

蓮舫さん、ホントにRシール知らなかったんですか?

せめてこの人たちを批判して切断しようよ蓮舫さん、遅まきながら出したコメントも「誰か知らんが原状回復してね」だけで、シール張りの批判してないでしょ?

2024-07-12

東京喧騒が静まりかけた夜、都知事選の熱気も冷めやらぬ中、私は取材を受けていた。窓の外では、選挙ポスターの残骸が風に揺れている。その光景を見ながら、私の中で一つの思いが膨らんでいった。

民主主義が、今、崖っぷちに立っている」

選挙。それは民主主義心臓部だ。しかし、今回の都知事選を見ていると、その心臓が危うい鼓動を刻んでいるように感じた。有権者たちは、もはや政策を選んでいない。彼らが選んでいるのは、「自分と同じ部族なのだ

想像してほしい。あなた投票所に立っている。目の前には候補者たちの顔が並んでいる。あなたは誰に投票するだろうか?かつては、「この人の政策が私の生活を良くしてくれる」と考えて投票したはずだ。しかし今は違う。「この人は私と同じだ」という感覚投票する人が増えている。

まるで、政治が巨大な鏡になったかのようだ。有権者自分の姿を映し出す鏡を探している。そして、その鏡に映る自分の姿が、たとえ歪んでいても、幼稚でも、それを受け入れようとしているのだ。

自分のようなダメな奴が権力を握ったって、別にいいじゃないか

この危険な考えが、静かにしかし確実に広がっている。

私は思わず叫びたくなる。「本当にそれでいいのか?」と。

人間は、不完全で、時に愚かな存在だ。だからこそ、私たちは常に成長を求めてきた。より良い自分になろうと努力してきた。しかし今、その努力放棄しようとしている人々を目の当たりにして、私は戦慄を覚える。

そして、この現象都知事選だけの問題ではない。国政の舞台でも、同じことが起きている。

安倍政権以降、国会形骸化の一途を辿っている。重要な決定が、国民代表者たちの議論を経ずに行われる。野党の声は無視され、強行採決が繰り返される。まるで、民主主義劇場で、一人芝居が演じられているかのようだ。

そして、その劇場の観客席では、人々が無関心を装っている。「どうせ政治なんて…」という諦めの声が聞こえてくる。

しかし、それは危険な諦めだ。民主主義は、市民の参加なしには機能しない。それは、常に私たちに「より良い大人になれ」と要求する、厳しくも愛のある親のようなものだ。

他の政治体制は、市民に「考えるな、従え」と命じる。しか民主主義だけは違う。「考えろ、議論しろ、そして決めろ」と私たちに求める。そう、民主主義は面倒くさい。だからこそ、嫌われやすい。

しかし、考えてほしい。私たちが今、この「面倒くさい」民主主義を手放したら、その先に待っているのは何だろうか?

暗い部屋で、一人、こんな思いを巡らせていると、急に寒気を覚えた。外は真夏の夜だというのに。

民主主義は今、深い眠りに落ちようとしている。そして、私たちはその眠りを誘う子守唄を、自ら口ずさんでいるのかもしれない。

「このままでいい」「変わる必要はない」「今の自分が一番」

こんな甘い言葉を、私たちはお互いにかけ合っている。しかし、その甘さの中に、民主主義を溶かす毒が隠されていることに、気づいている人はどれだけいるだろうか。

今、私たち必要なのは、目覚めることだ。自分自身を、そして社会を、より良いものに変えようとする意志だ。それが、民主主義を救う唯一の道なのだから

取材を終え、深夜の街に出た。選挙ポスターはまだそこにあった。しかし今、それらは私に問いかけているように見えた。

あなたは、どんな未来を選ぶのか?」

その問いに、私たち一人一人が真摯に向き合う時が来ている。民主主義の命運は、まさに私たちの手の中にあるのだから

内田樹によって書かれた都知事選に関する2つの記事比較

nippon.com版の方が先に書かれたので、nippon.com版→内田ブログ版の順に掲載

適宜改行等を加えた。

 

 

nippon.com版

https://www.nippon.com/ja/in-depth/d01018/

 

 

内田ブログ

http://blog.tatsuru.com/2024/07/12_0846.html

 

 

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(01)

nippon.com版

 今回の都知事選では、「選挙民主主義の根幹をなす営みである」という認識が崩れてしまったという印象を受けた。選挙というのは有権者自分たち立場代表する公人を、法を制定する場に送り込む貴重な機会であるという基本的認識が今の日本からは失われつつあるようだ。

 

 

内田ブログ

 今回の都知事選では、選挙民主主義の根幹を為す営みであるという認識がかなり深刻な崩れ方をしているという印象を受けた。選挙というのは有権者自分たち立場代表する代議員を選ぶ貴重な機会であるという認識日本からは失われつつあるようだ。

 

 

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(02)

nippon.com版

 知事選当選者は1人に限られるのに「NHKから国民を守る党NHK党)」が関連団体を含め24人の候補擁立した。そして24人分の掲示板の枠に同一のポスターを貼るなど“掲示板ジャック”をした。NHK党は、一定額を寄付した人にポスターを張る権利譲渡する行為にも及んだ。掲示板には選挙関係ない人物動物写真サイト誘導する2次元バーコードなども張り出された。NHK党以外の候補も「表現の自由への規制はやめろ」と書いたわいせつ写真入りポスターを張り出すなど、目を疑うような行為があった。政見放送も含め、注目を集めて動画サイトなどのフォロワーにつなげるなど、選挙を単なる売名や金もうけに利用しようとする候補者が多数登場した。

 

 

内田ブログ

(無し)

 

 

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(03)

nippon.com版

(無し)

 

 

内田ブログ

 投票する人たちは「自分たち利益をもたらす政策を実現してくれる人」を選ぶのではなく、「自分と同じ部族の属する人」に投票しているように私には見えた。自分と「ケミストリー」が似ている人間であるなら、その幼児性や性格の歪みも「込み」で受け入れようとしている。だから、仮に投票の結果、自分生活が苦しくなっても、世の中がより住みにくくなっても、それは「自分の属する部族」が政治権力行使したこと帰結から別に文句はない。

 自分自身にとってこの社会がより住みよくなることよりも「自分のような人間たちから成る部族」が権力や財貨を得ることの方が優先する。これが「アイデンティティーポリティクス」の実態である

 

 自分幼児的で、利己的で、偏狭で、攻撃的な人間だと思ったら、かつてならそれは「成熟」へのインセンティブになった。「もっとちゃんとした大人になろう」と思った。でも、今は違う。今は「そういう自分がけっこう好き」だとカミングアウトすることの方が人間的で、端的に「よいこと」だとされる時代なのだ

 正直言って、私には意味がわからない。この人たちはそんなに自分が好きなのか。そんなに同じ自分のままでいたいのか。私は同じ人間のままでいるなんてまっぴらである。息苦しいし、不自由だし、何より退屈で仕方がない。「自分自身に釘付けにされていること」をエマニュエル・レヴィナスは考えられる限り最も苦痛体験だと書いていた。私もまったくそうだと思う。そもそも自分自分しかあり得ないことの不快」を推力として、生物はここまで進化してきたのではないのだろうか。単細胞生物単細胞生物であることに自足していたら話はそこで「おしまいである。だからアイデンティティー固執する人たちを見ていると、私は奇妙な生き物を見ているような気になる。なぜ「そんなに自分自身でいたい」のか。自分であることにうんざりすることがないのだろうか?いや、ほんとに。率直にそう訊きたいのだ。

 

 選挙の話をしているところだった。

 

 今回の都知事選では、選挙を単なる売名や金儲けに利用しようとする候補者が多数登場した。

 

 

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(04)

nippon.com版

 公職選挙法に限らず、私たち社会制度の多くは「性善説」あるいは「市民は総じて常識的振る舞うはずだ」という仮定の下に設計運営されている。でも、「性善説」の制度は隙間だらけである。その隙を「ハック」すれば、簡単自己利益を確保できる。候補者にさまざまな特権保証されている選挙という機会を利用しても、私利私欲を追求したり、代議制民主主義のもの嘲弄(ちょうろう)したりすることは可能である。そのことを今回の選挙は明らかにした。もう「性善説」は立ち行かなくなったらしい。

 

 

内田ブログ

 公選法に限らず、私たち社会制度の多くは「性善説」あるいは「市民は総じて常識的にふるまうはずだ」という仮定のもとに設計運営されている。でも、「性善説」の制度は隙間だらけである。その隙を「ハック」すれば、目端のきいた人間なら誰でも簡単自己利益を確保できる。候補者にさまざまな特権保証されている選挙という機会を利用しても、私利私欲を追求したり、代議制民主主義のもの嘲弄することは可能である。そのことを今回の選挙は明らかにした。もう「性善説」は立ち行かなくなったらしい。

 

 

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(05)

nippon.com版

 だが、選挙がこれだけ軽視されるに至ったのは2012年以後の安倍晋三氏、菅義偉氏、岸田文雄氏の3代の首相による自民党政権立法府軽視が原因であると私は考えている。

 

 

内田ブログ

 だが、選挙がこれだけ軽視されるに至ったのは2012年以後の安倍、菅、岸田三代の自民党政権立法府軽視が一因だと私は考えている。

 

 

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(06)

nippon.com版

 日本国憲法では立法府が「国権の最高機関」とされているが、安倍政権以来、自民党政権行政府立法府より上位に置くことにひとかたならぬ努力をしてきた。その結果、国政の根幹にかかわる重要な事案がしばしば国会審議を経ずに閣議だけで決定され、野党が激しく反対する法案強行採決された。国会審議は実質的には意味を持たない「形式的セレモニーであるように見せかけることに自民党政権は極めて熱心だった。

 

 

内田ブログ

 日本国憲法では立法府が「国権の最高機関」とされているが、安倍政権以来、行政府立法府より上位に置くことに自民党政権はひとかたならぬ努力をしてきた。その結果、国政の根幹にかかわる重要な事案がしばしば国会審議を経ずに閣議だけで決定され、野党がはげしく反対する法案強行採決された。国会審議は実質的には意味を持たない「形式的セレモニーであるように見せかけることに自民党政権はきわめて熱心だった。

 

 

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(07)

nippon.com版

 安倍首相は「私は立法府の長である」という言い間違いを繰り返し口にした。これはおそらく「議席過半数を占める政党総裁自由立法ができる」という彼自身の実感を洩(も)らしたものであろう。だが、法律を制定する立法府の長が、法律執行する行政府の長を兼ねる政体のことを「独裁制」と呼ぶのである。つまり、彼は「私は独裁者だ」という民主主義精神全否定する言明を繰り返していたことになる。

 

 

内田ブログ

 安倍首相は「私は立法府の長である」という言い間違いを繰り返し口にした。これはおそらく「議席過半数を占める政党総裁自由立法ができる」という彼自身の実感を洩らしたものであろう。だが、法律を制定する立法府の長が、法律執行する行政府の長を兼ねる政体のことを「独裁制」と呼ぶのである。つまり、彼は「私は独裁者だ」という民主主義精神全否定する言明を繰り返していたことになる。

 

 

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(08)

nippon.com版

 現行憲法下で独裁制を実現するために、差し当たり最も有効なのは立法府威信を低下させること」である有権者の多くが「国会機能していない」「国会審議は無内容なセレモニーにすぎない」「国会議員選良ではなく、私利私欲を優先する人間だ」という印象を抱けば、民主政事実上終わる。

 

 

内田ブログ

 現行憲法下で独裁制を実現するために、さしあたり最も有効なのは立法府威信を低下させること」である有権者の多くが「国会機能していない」「国会審議は無内容なセレモニーに過ぎない」「国会議員選良ではなく、私利私欲を優先する人間だ」という印象を抱けば、民主政事実上終わる。

 

 

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(09)

nippon.com版

 だからこそ、自民党はこの12年間、国会議員は(自党の議員を含めて)知性的にも倫理的にも「普通市民以下かも知れない」という印象を扶植することに並々ならぬ努力をしてきたのである。そして、それに成功した。知性においても徳性においても「平均以下」の議員たちを大量に生み出すことで、自民党政党としては使い物にならなくなったが、その代償に立法府威信を踏みにじることには見事な成功を収めた。

 

 

内田ブログ

 だからこそ、自民党はこの12年間、国会議員は(自党の議員を含めて)知性的にも倫理的にも「ふつう市民以下かも知れない」という印象を扶植することになみなみならぬ努力をしてきたのである。そして、それに成功した。知性においても徳性においても「平均以下」の議員たちを大量に生み出すことで、自民党政党としては使い物にならなくなったが、その代償に立法府威信を踏みにじることにはみごとな成功を収めた。

 

 

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(10)

nippon.com版

 その帰結が、「代議制民主主義嘲弄する」人々が選挙立候補し、彼らに投票する多くの有権者が少なから存在するという今の選挙現実である

 

 

内田ブログ

 その帰結が、「代議制民主主義嘲弄する」人々が選挙立候補し、彼らに投票する多くの有権者が少なから存在するという今の選挙現実である

 

 

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(11)

nippon.com版

 NHK党は、暴露ユーチューバー有罪判決を受けたガーシー(本名・東谷義和)元参院議員国会に送り込むなど、国会威信国会議員権威を下げることにきわめて熱心であったが、これは彼らの独創ではない。自民党が始めたゲームを加速しただけである

 

 

内田ブログ

(無し)

 

 

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(12)

nippon.com版

 今回の都知事選で2位につけた石丸伸二氏も前職の広島県安芸高田市長時代市議会と繰り返し対決し、市議会機能していないことを訴え続けてネット上の注目を集めた。これも「立法者」と「行政者」は対立関係にあり、「行政者」が上位にあるべきだという、安倍首相体現してきた「独裁志向路線を忠実に踏まえている。

 

 

内田ブログ

 今回の都知事選で二位につけた石丸伸二候補安芸高田市長時代市議会と繰り返し対決し、市議会機能していないことを訴え続けてネット上の注目を集めた。「立法者」と「行政者」は対立関係にあり、「行政者」が上位にあるべきだという、安倍首相体現してきた「独裁志向路線を彼は忠実に踏まえている。

 

 

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(13)

nippon.com版

 日本維新の会も「独裁志向」では変わらない。「議員の数を減らせ」という提言は「無駄コストカットする」合理的政策のように聞こえるが、実際には「さまざまな政治立場代表者が議会議論するのは時間無駄だ。首長に全権委任しろ」という意味しかない。

 

 

内田ブログ

 維新の会も「独裁志向」では変わらない。「議員の数を減らせ」という提言は「無駄コストカットする」合理的政策のように聞こえるが、実際には「さまざまな政治立場代表者が議会議論するのは時間無駄だ。首長に全権委任しろ」という意味しかない。

 

 

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(14)

nippon.com版

自民党派閥裏金問題は、国会議員たちがその地位を利用して平然と法律を破っている事実を白日の下にさらした。この事件は「国会議員はろくな人間ではない」という民主主義空洞化するメッセージと、「政権に近い議員であれば、法律を犯しても処罰されない」という法の支配空洞化するメッセージを二つ同時に発信していた。

 

 

内田ブログ

 自民党裏金問題は、国会議員たちがその地位を利用して平然と法律を破っている事実を白日の下にさらした。この事件は「国会議員はろくな人間ではない」という民主主義空洞化するメッセージと、「政権に近い議員であれば、法律を犯しても処罰されない」という法の支配空洞化するメッセージを二つ同時に発信していた。

 

 

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(15)

nippon.com版

 このメッセージを「警告」として受けとった人は「今のままではいけない」と思って政治改革を目指すだろうが、このメッセージを「現状報告」として受けとった人は「民主政は終わった」という虚無感に蝕(むしば)まれてへたり込んでしまうだろう。そして、どうやら日本人の相当数は、この事件ニュースを「世の中とはそういうものだ」という諦念と共に受け止めたように見える。

 

 

内田ブログ

 このメッセージを「警告」として受けとった人は「今のままではいけない」と思って政治改革をめざすだろうが、このメッセージを「現状報告」として受けとった人は「民主政は終わった」という虚無感に蝕まれるだけだろう。そして、日本人の相当数は、このニュースを「世の中とはそういうものだ」という諦念と共に受け止めたように私には見える。

 

 

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(16)

nippon.com版

 英国首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用が極めて困難な政体からである民主政は「合理的思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である有権者の多数が「まともな大人」でないと、民主政簡単衆愚政に堕す。だから民主政は人々に向かって「お願いだから大人になってくれ」と懇請する。市民に向かって政治成熟を求める政体民主政の他にはない。

 

 

内田ブログ

 英国首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用がきわめて困難な政体からである民主政は「合理的思考する市民」が多く存在することを前提にした制度であるPermalink | 記事への反応(1) | 18:42

2024-07-09

今更こんなことを言っても仕方がないんだけど

小泉改革から始まった経済産業金融などの経済成長に関わる構造改革っていつまで続くの?

郵政民営化を達成してさっさと辞めてしまった小泉さんの後の、第一安倍政権安倍ちゃん民主党政権の3年半。

そのあとに政権に返り咲いた安倍ちゃんもひたすら改革改革改革を続けていたし、今のキッシーもそうだ。

日本は変わらなければいけない」と1990年代からずっと言われ続けているけど、20年以上かかっても何も変わった気がしない。

当時の小泉さんが目指した、日本アメリカ型の小さな政府社会にする、という目的は達成できたのかしら。

今の日本は2001年の時点から全く(言い過ぎかな?)変わっていないのではないか

2024-07-08

もはや立憲民主共産保守だし、自民党は嫌われてる

n番煎じだけど都知事選終わりに改めて。

今まで、特に石原都政安倍政権ぐらいまでは

左派リベラル革新

右派保守

っていう明確な対立軸があったからわりとわかりやすかったし、実際2009年政権交代はこのイメージ成功できた。


ただ、立憲民主共産ってもはや「保守」なんだよね。

憲法改正にせよマイナンバーにせよ、自民改革に着手してるのもあるけど、今あるものを守ろうってそりゃ保守に見えておかしくない。それらしいイシュー夫婦別姓同性婚とかか(実際この二つは国民からも支持されてる)。

一方、自民党が革新に振れたかというと流石にそういうわけではない。元々レンジの広い政党ではあるものの、軸は保守には違いない。どちらかというと裏金問題等の既得権益の部分が嫌われてる部分が大きい方は思う。

まり「現状に不満があるから与党自民党は嫌いだが、立憲や共産もっと嫌い」というのは「既得権益を壊したいが、旧態依然とした保守もっと嫌い」であるということ。

よく昔のインターネットでは「愛国保守」とか「反日リベラル」とかのレッテル張りがなされていたが、それでいうなら「愛国革新」ともいうべきものを求める人間が若年層を中心に広がってきてるんじゃないかと。

そのイメージを脱却して第三極になろうとしたのが維新国民民主だろうけど、この3年半国政選挙がないのが痛かった。この2つは自民党嫌いの立憲・共産嫌いという中道右派左派の層を取り込もうとしたけど、それは選挙得票数を増やしてバンドワゴン効果的に支持を増やしていくタイプなので、選挙が無い時期は弱い。さら維新万博ネガティブイメージ国民民主は相次ぐ離党等で支持が冷え込んだ。


その間隙を縫ってきたのが石丸小池蓮舫、二つの保守」に立ち向かう「革新」として、維新の推薦を断り党派性なしで挑んで見えるようなブランディング

本質的には中川暢三に近く、強い思想はなく選挙に勝つこと自体目標に見えるけど、ただの泡沫候補に終わらなかったのはYouTubeTikTokというシステムをうまく利用した点。

地盤看板カバン」のうちSNSだけで「看板カバン」を賄えるって、考えついてもなかなかできない。というか政治家として実績がある人ほどできない。調整や利害関係無視してるからこそできる所業

結果的には党派色も薄く失策も少ない小池が強かった(東京ってなんだかんだ日本で一番恵まれてるんだから現状維持割合が多いのは当然ちゃ当然なんだけど)けど、インパクトはあった。特に最も数の多い無党派層では石丸小池を喰ってたからね。

ただこのブームが続くかというとわからない。安芸高田市長を辞任してYouTubeという「晴れ舞台」を失った以上、継続的アピールしていけるのか。

他の候補者も同じ手法をとってきたときにどうなるのか。

どちらにせよ言えるのは、今後の選挙は二つの保守」にとって今までの戦い方だけでは通用しない選挙になっていくんだろう。

2024-07-07

石丸ブームはどこに着地するのか

まだ出口調査の結果しか出てないけど、どうやら都知事選を通じて起こった石丸ブームは本物らしい。

ジジイになってくると、古くは細川護熙日本新党に始まって、小泉純一郎フィーバーとか鳩山民主党による政権交代とか、地方限定ながら橋下徹大阪維新ブームとか色々思い出す。

史上稀にみる長期政権でわりと高支持率を維持し続けだ安倍政権ってのもそこに含めてもいいかもしれないが、いずれにしろ、どれもあとから振り返ってみると、なんだかあれで良かったのかなぁ?と思わせられるものがある。

というわけで、始まったばかりの石丸ブーム、このあとどういう展開になってどういう着地を迎えるのか、生温かい目で見守っていきたい。

すでに石丸氏、本人の思惑を超えたところでいろいろ動き出したり取り込まれたりしているっぽい雰囲気垣間見えるけれど。

ワイ

日本では大きな選挙の度に、民主主義が死んだと主張されることがありますが、直近10年で民主主義が死んだと主張された選挙とその時の当選者と支援政党を教えて下さい。

AI

ここ直近10年間で「民主主義が死んだ」と主張された日本選挙について、詳細な情報は次の通りです:

 

2012年 総選挙

当選者: 安倍晋三

支援政党: 自由民主党自民党

理由: 安倍晋三の再登板が決まり、強権的な政治手法や、集団的自衛権行使容認などが議論を呼び、「民主主義危機に瀕している」との声が上がりました。

 

2014年 総選挙

当選者: 安倍晋三

支援政党: 自由民主党自民党

理由: 安倍政権継続が決まり経済政策アベノミクスや、特定秘密保護法の成立などが反発を招き、「民主主義が後退している」との懸念が示されました。

 

2017年 総選挙

当選者: 安倍晋三

支援政党: 自由民主党自民党

理由: 安倍政権さらなる継続が決まり森友・加計学園問題や、憲法改正をめぐる議論が続く中で、「民主主義機能していない」との批判がありました。

 

2021年 総選挙

当選者: 岸田文雄

支援政党: 自由民主党自民党

理由: 菅義偉首相の辞任を受けた選挙であり、コロナ対策経済政策を巡る不満が強く、「民主主義が試されている」との声が出ました。

 

これらの選挙では、主に自民党与党として勝利を収めましたが、その過程政策政治手法に対する批判があり、民主主義危機が叫ばれることが多々ありました。

全部自民党が勝った選挙で笑ってしまった。「民主主義が死んだ」と言う人達がどんな人なのか、良く分かりますね。

2024-07-03

anond:20240703055512

昔はもっとひどい女性差別があって上野とかの闘争の結果としてどうにか現状のラインになってるという神話無自覚に信じ込んでいる。

まず昔は世の中がいまより単純明快だったという思い込みがあるんだよな。NHKの白黒ニュース映像の中の日本

ひどい差別は昔も今もあるところにはある。世の中は単線的に一方向に進歩したりしない。

差別と闘う」ということが、誰か悪者を見つけて吊るしてもなんにもならないのは昔も今も同じ。

社会を少しでも平等に近づけていこうという地道な地歩にいまツイフェミが特段貢献してないように、古株のフェミ学者も昔から別に何も貢献してない。

そもそもそこにヒーロー存在しない以上、自称ヒーローは必ず偽物である

舌先三寸で世渡りするインチキ言論人なんて商売が、ネットも何も無い時代に成立するということにリアリティ持てないのだろう。

戦前エログロナンセンスブームがあったみたいに日本言論状況は大昔から百花繚乱のカオスでありいくらでも口舌の徒が跋扈していた。

半世紀後には「戦争国家に向かおうとする安倍政権れい太郎が単身阻止した」みたいな雑ストーリーを悪気もなくペラペラ語る奴が出てくるんだろうな

この話はもっと時間と労力掛けてもっとわかりやすく語ることも可能だがそれも結果は見えてるしな

この場では。

いずれどっかでカチッと書き直すためのメモとして。

2024-06-24

anond:20240624150145

日本円』も商品と同じで、円を大量に発行したら円の供給が増えて円の価値は下がり、円安になる。

逆に『増税して円を市場から回収する』『ゼロ金利を解除して市場への円の供給を減らす』などすると円の価値は上がり、円高になる。

日本の名目GDPは、バブル崩壊後も緩やかに増加した後に1998年アジア通貨危機消費税の5%への増税で減少し、リーマン・ショックまで横ばいを続けリーマン・ショックで減少した後、民主党政権ではさほど増えず安倍政権になって以降増加している。

それに対し、日本の実質GDPは、バブル崩壊1994年頃まで横ばい、その後緩やかに増加した後に1998年アジア通貨危機で落ち込んだ後、リーマン・ショックまで緩やかに増加してリーマン・ショックで落ち込んだあとも再び緩やかに増加している。

好景気インフレが起こるのはよくあることだ(高度成長期とか)。不景気デフレになるのもよくあることだ(例に出したリーマン・ショック期など)。不景気なのにインフレになることはスタグフレーションというが、逆に日本の『2000年代リーマン・ショックまで』『2010年代前半の民主党政権下』では「経済は緩やかに成長しているのにデフレ」というおかしな状況が発生していた。

経済は成長しているのにデフレになるとどうなるかというと、「給料は下がらず(上がらないけど)物価が下がる」「ただし仕事がきつくなる」「しわよせは『これから働く人・事業』『自営業者』に行く」ということが起こるはずで、現にそれが起きていた。

GDPデフレータで見たら、いか小泉政権民主党政権期のデフレ政策が酷かったかが見える。

からその分まで取り戻すためにも、今の日本ではある程度円を多めに発行して『日本円の発行量』が経済ボトルネックになることを防ぐ必要がある(というのがリフレ政策)。

2024-06-20

anond:20240620145630

でも国民活躍社会と称して眠っていた労働力の掘り起こしをやったのは安倍政権ですよね

から生産労働人口の減少局面でも雇用者の数は増え続け、2019年ピークを迎えてます

2024-06-16

anond:20240616141254

から議論はされていたしジョブ型とは云々ってはてなでも第一人者?が記事書いてたよな

色々進んだ理由は第二次安倍政権以降の自民党一強と改革の機運でやりたい放題出来る環境じゃないの

どうせ日本型ジョブ雇用とか言って労働者給料は低く抑え更に不安定生活を送る人が増えるからリベラルなら安心しろ

2024-06-11

現役世代の激減と非正規雇用爆増で勝手改善されたのを持ち出して

安倍政権の成果だ!

とか未だに言ってるネトウヨ、久しぶりに見た

非正規という言葉を一掃する、とか言ってて非正規雇用が激増するのを黙って見てただけなのに

こんなバカしか支持者に残ってないか自民党はクソな行為ばっかり続けるんだろうな

2024-06-08

横浜トリエンナーレへの批判を読んで(前半)


文字数制限にかかるようなので、前後に分けて挙げます。)


前置き


第8回横浜トリエンナーレ野草:いま、ここで生きてる」がこの土日で終わります。私も見に行って、なかなか面白く思いました。ところが友人によると、SNSでは批判の声が多いそうですね。あまりそういうものは見ないようにしているのですが、友人がその場で例を見せてくれたので、ついいくつか読んでしまいました。そのとき感想は、ひとことで言うと「批判者の言うことにもわかる点はある。でもキュレーターはそれなりによくやっていたと思うし、今回が最悪だとか、他の回に比べてどんどん悪くなっているとか、そんな気はしない」ということでした。そこで友人といろいろのことを話し合ったのですが、今はそれを思い出しながらこの文を書いています


今回の展覧会には魯迅の『野草』という短編集が深く関わっていますが、魯迅は「おおむね、折にふれてのささやか感想を述べたに過ぎない」と述懐しています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。魯迅感想短編集『野草』を生み、『野草』がこの展覧会を生み、この展覧会が人々の感想を生み、そしてその感想がこの感想を生みました。もしこの感想を読む人がまた新たな感想もつならば、それで満足です。


人は物事に触れて感想を持つものだと思いますSNS批判の中にも、「これは感想にすぎない」というような留保をつけるものがありました。感想自由にあるべきと思います。そして、感想を読んだ感想というもの自由にあるべきでしょう。今はくだんの批判を読み直さず、またあまり調べものもせずに書いていますが、不十分なところはどうぞ悪しからずご理解ください。これは「論」ではなく、「感想」のつもりです。


野草』と「文の国」


今回の展覧会の特徴は、「作品」と「意味」のバランスを探る点にありました。多くの作品は、ただ「見て楽しむ」ものではなく、「意味を考える」ことが求められるものでした。そのバランスキュレーターの側でうまく作れているか、そして鑑賞者がそれをどのように読み解くかがカギになっていたと思います


今回のテーマは「野草」というのですが、その裏には魯迅の『野草』という著作が密接しています。これは展覧会中にも幾度となく示されており、魯迅の『野草』の本も展示してありました。この本は「二十四篇の短文から成るものですが、「スタイルはまちまちであって、詩あり、散文あり、また即物的もの追憶的なもの観念的なもの象徴的なもの風刺的なものなどが入り混り、内容形式ともに多傾向」なものとなっています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。この本は意味があるようで意味がない、意味がないようで意味がある、詩のような文のような、芸術のような政治のような、一種独特雰囲気をもった作品集です。


これを読んでから展覧会を見渡すと、「キュレーターたちは横浜美術館を一冊の現代版『野草』にしようとしていたのではないか」ということに思い至ります


そう考えると少し納得できる点もあります。それは「文」への偏重です。友人は次のように話していました。「私は今まで、展覧会作品を見ればよいと思っていた。作品を見ずに解説ばかり読む人があれば、本末転倒だと考えていた。つまり言葉を軽視していたのだ。ところが、今回の展覧会では作品の多くに意味があり、その意味キュレーター解説を読んで初めてわかるようなものが多かった。入口にはタブレット文章が並べられ、その左側の階段の上には本を並べた一角もあった。さらには猟師へのインタビューがあったり、詩が作品として出ていたりと、言葉への重視が目立った。」


しかし、これは考えてみればさほど奇妙なことではありません。ふつう、広く「芸術」 (art) と言うときには「文学」を含みますし、「美術」 (fine art) というときでも「詩」を含むことがあります。「芸術」は「造形芸術」に限られたものではありません。もちろん、ただの書籍文章が「芸術」と言えるのかどうかは議論余地がありえますが、言葉芸術距離がそう遠いものでないことは確かです。


さらテーマの「野草」が魯迅の『野草』に由来するものであることを考えると、今回の展覧会の裏地には文学がぴったりと張り付いているような気がしてきますキュレーター中国出身であるということから、なんとなく心のなかに「文の国」という言葉が浮かんできました。三千年の歴史をもち、科挙試験にも詩が課され、書という芸術をいだき、詩文文字芸術でないなどと疑ったことのない文化の国のイメージとともに。


作品との対話


いっぽう、日本一般に「芸術」というとき、それは詩文を容れえないほど偏狭ものなのでしょうか? 批判の中には「文」への偏重に対する疑問もあったように思います。そのような人々にとっては、あたか展覧会からあなたの思う芸術とは何ですか?」という問いが投げかけられたような恰好になっているわけです。


では、「芸術アート)」とは何でしょう。批判する人たちの中には、自分にとって「美しくない」「面白くない」から芸術アート)ではない」と断じたい人もいるようです。でも、現代アートは「美」への問いかけを含むものではないでしょうか。デュシャンの「泉」などはまさにその代表だと思います。また、「芸術」における「言葉」といえば、シュルレアリスムと詩の関係だとか、20世紀初頭の芸術家たちがしちくどい宣言を次々と打ち出したりだとか、いろいろと思い当たることはあるはずです。そういうところに「美しいもの芸術なのか?」とか「言語表現芸術無関係か?」といった問題ゴロゴロと転がっているわけで、簡単に「これは芸術だ」「これは芸術じゃない」と判断できるはずはありません。その人たちの考える「芸術」は、どのくらいの狭さなのでしょうか。


鑑賞者は芸術に触れるとき、常に戸惑い、「作品の受容」ができない事態に直面する可能性をもっています。そのような時こそ、自分の中にある固定観念を見直す機会かもしれません。今回、批判したくなった人が多かったということは、それだけ作品からの「問い」を受けた人が多かったということでもあります。そうなると鑑賞者は、やっかいなことですが、自分の回答を練らなければならなくなります批判ひとつの回答ですし、その回答に満足せず、さらに新たな回答を考えてもよいわけです。陳腐な言い方ですが、「作品との対話」が必要展覧会であったと言えるのでしょう。


友人はまたこうも言っていました。「かつては『現代芸術抽象的すぎて何が描いてあるかわからない』という時代があり、その後に『現代芸術は難しくない、何も考えずに作品面白がろう』という時代が来て、それはひとむかし前まであった。でも、それが終焉すべきときに来たということかもしれない。今は言葉時代なのでしょう。考えずして何が現代芸術か、ということになっている。地味でつまらなかったといった批判もあるようだが、休日ちょっと芸術に触れてみよう、子ども芸術に触れさせてみよう、デート美術館に行ってみよう、特に『何も考えずにただ作品面白がろう』と期待した人にはつまらなかったかもしれない。」


しかに、昔からの(または昔ふうの考えをもった)現代芸術の鑑賞者の中には、「芸術とは面白がるもの」という考えから抜け出せず、新しい潮流に戸惑う人がいるかもしれません。「金を払って楽しみに来た」という手合いには、気の毒だったと言えるでしょう。しかも来訪者への間口は大きく広げられていたので、そのようなミスマッチを生むしかけは念入りに準備されていたともいえます。今回は横浜美術館改装後の久々の展覧会であり、規模も大きく、宣伝もあって、多くの人を誘い込む要素がありました。そのような場で横浜美術館は「人を面白がらせる」展示をすることもできたはずです。しかし、実際には「人を戸惑わせる」展示を行いました。だからがっかりした人も多かったのでしょう。


私も「キラキラ」な楽しい芸術が好きです。だからそういうものが多いと嬉しいし、その逆ならばがっかりします。しかし、美術館の目的には「レクリエーション」もありますが、決して「レクリエーション」だけを目的とした施設ではありません。今回、美術館はこのような大規模の展覧会で、作品との「出会い」と作品からの「問いかけ」を提供し、人々を「戸惑わせ」てくれました。その意味で、美術館はよくやったと思うのです。「キラキラ」な楽しい回があってもよいし、「地味」な考える回があってもよい。美術展はそういうものだと思います


過去トリエンナーレ


ここで、ちょっと過去トリエンナーレを振り返りたいと思います


私が初めてヨコハマトリエンナーレに訪れたのは2011年の第4回「OUR MAGIC HOUR ――世界はどこまで知ることができるか?――」でした。この年は東日本大震災の年で、印象としてはとにかくキラキラと輝くような回であったということです。震災後の混乱をアートがどう扱うか、芸術家の間でもまだ折り合いがつかずに、ただ思いつく限りのことをやってみたといった印象で、宝箱の中の宝石をぶちまけて転がしてあるような、たいへん魅力のある回でした。私にとってこの回は「よい」の標準になっています


2014年の第5回「華氏451芸術世界の中心には忘却の海がある」もたいへん期待したのですが、この回は言ってみれば「地味」な印象で、まだ青かった私は「ハズレ」だと感じました。しかし、友人はこの回も面白かったと言っています。この回は「忘却」がテーマで、戦争中に作家芸術家がいか体制側に立ってはたらき、戦後その責任もとらず、反省もせずに「忘却」したかということを、当時かれらが執筆した文章を並べて示していました。このころには震災後の政権交代脱原発などの流れの中で、世の中を動かすのは「政治であるという意識が出てきていたためかもしれません。


2017年の第6回「島と星座ガラパゴス」は、博物館の表に救命ボートがびっしりと張り付けられていました。「ネトウヨ」に関する展示もひとつふたつあったことを覚えていますが、これもきわめて「政治的」でした。長期化する安倍政権さなかにあって、政治右傾化懸念されていたことも影響していたのでしょうか。(「政治性」の話は、後で少し触れたいと思います。)


2020年の第7回「AFTERGLOW――光の破片をつかまえる」は久々の「当たり年」でした。2011年に次ぐキラキラの再来です。入口から光り輝くカラスよけのCDのような装飾、メビウスの輪のような形をした光り輝く金属の骨組み、巨大な腸を模した造形、赤いカーペットをひいたでこぼこの「道」映像作品「遅れてきた弟子」、そのほかここでは言い尽くせないもろもろの楽しい展示の連続


きっと第7回が初めてのヨコトリ体験であった方々は、2011年の私が次回に期待したように、第8回にも「キラキラ」を期待したかもしれません。しかし、べつに横浜トリエンナーレは「キラキラ展」ではないので、地味な回もあるのです。その意味で言えば今回はやや地味だったかもしれません。しかし「地味」には「地味」なりの「味」があるものです。今回はその意味で「ふつう」と「よい」の間くらいと感じました。決して「悪い」ではなかったと思います


いわゆる「政治性」


今回の展覧会が悪かったという人の中には、展示が「政治的」だという人もいたようです。もちろん、芸術政治であることの何が問題なのかとか、政治生活と密接なものである以上は程度の差こそあれ政治的でないものなどありうるのかといった疑問も出てきますが、今回の展覧会を見て私が感じたのは、むしろいわゆる「政治性」の薄い部分があることでした。キュレーター中国出身の方ということなので、もしや特に日本のために配慮(手加減)したのではないかという疑いさえ感じました。


しかに、今回の展覧会ではヨーロッパ戦争に関連する展示や国粋主義者移民反対デモ映像が展示されていました。それがひとっところに固めてあるのではなく散らばしてあったのは、この会場をひとつ世界見立てて、このような出来事遍在していることを忘れてはいけないと示したようにも見えます


そのデモ映像ひとつを見ているときでしたが、後ろを通りかかった人が「ヨーロッパ、壊れてんな」とつぶやきました。まことに然り! だがそれを言えば日本だって「壊れて」いるのです。日本でも人種差別デモが行われていますヘイトクライム危険もあります。「人種差別」がわたくしたちの身近にあることは、ネットを少し覗いてみればすぐわかることです。


思い返せば2014年2017年はかなり「政治的」な展示があったと思いますしかし今回、キュレーター日本問題ひとつも指摘しませんでした。日本美術展が国粋主義的主張をもった人々の抗議で中止に追い込まれ事件もそう遠い昔のことではありません。日本美術表現自由にできない国です。キュレーターたちは日本に気をつかってくれたのでしょうか? それとも日本で波風を立てて攻撃されることを恐れたのでしょうか? それとも今の世界を広く見たときもっとも新しくもっとも重い問題にしぼってとりあげようと考えたのでしょうか? それは知るよしもありません。もっと自由表現への危機は(またすこし違った形で)キュレーターたちの出身である中国にもあることでしょう。展覧会中に示されたように、ヨーロッパ安全ではありません。世界じゅうで似た現状があります


しかし、日本が名指しで批判されなかったからと言って、日本が許されたわけではもちろんなく、これらの作品なかに普遍性見出し、これを「鏡」として日本の現状を見ることが求められているのだと思います。それらの作品が見るに堪えない現状を示しているとき、それに怒っても意味がないでしょう。それは鏡をヒョイと覗き込んでみて、「ああ醜い! 私の美学に反する。美はいったいどこにある?」と怒るようなものです。


ところで、批判者の中には展覧会のこのような政治的な「傾倒」や「変質」がここ10年や20年の変化だと振り返る人もいますが、私には展覧会なかにその説明があったように思われます。今回の展覧会は、これも魯迅の『野草』をテーマとしているためかもしれませんが、歴史を強調するものが多くあり、あるところでは史料紹介の様相すら呈していました。木版画をめぐる日中交流史の展示では、魯迅木版画という簡易で複製可能芸術を通じて、民衆文化を届けようとしていたことが紹介されていました。これは「芸術」が一部の特権階級のものではなく、民衆のためのものであるべきではないのかという問題を、当時から現代に向けて投げかけなおした一面もあると言えるでしょう。また、皇国史観へのアンチテーゼとしての縄文土器や、学生紛争撮影した写真が展示されていたのは、芸術政治問題が降って湧いたものではなく、日本でも半世紀以上にわたって連綿と続いている問題であることを示していたと思います


(後編へ続きます。)

https://anond.hatelabo.jp/20240608093350


2024-06-07

40~50代限定早期退職募集が始まった

安倍政権下での好景気の時に入ってきた新卒が独り立ちし、管理職候補の目処も付きつつある中で、組織刷新と若返りを狙っての再編成…らしい。今回の決定を主導したであろう人事のトップもまさに氷河期世代で、世代間内での保身闘争を言う受け取り方をされており他世代からは冷ややかな目で見られている。

ご丁寧にも、早期退職に応募した場合、心ばかりかの再就職支援金(うちは退職金はない)の支給と、社内同部署、あるいは関連会社でのシルバー再雇用枠を特別にご提供頂けるらしい。

「この好景気会社過去最高益をあげているタイミング早期退職を迫られる人間が他社からどう見られるかよく考えてご判断ください」とは人事の肉壁の言葉で、ようは他社への転職はできないんだから大人しくシルバー枠に収まって低賃金非正規で使われろとのこと。

もう抵抗する気力もないので、シルバー枠で余生を過ごしながら足りないお金生活保護でも受けようかと思ってる。疲れたよ、私は。

2024-06-05

anond:20240605135542

政治が絡む以上、「誰がやったか」が第一評価項目なのは仕方ないやろ…。

立憲共産支持者くらいになれば、事業仕分け日本民主主義史上最大の成果だし、安倍政権下でのプラス指標は全部ウソなんだから

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