はてなキーワード: 子連れとは
Twitterの愚痴垢には「手厚いサービスの案内だよ!」と各種サービスのリプライをつけまくる。サービスに繋がればよし、愚痴にリプライしまくることで愚痴がなくなればそれでよし。
子育てに少しでも否定的な層は炎上させてつるし上げる。反出生主義者を弾圧して精神病院に送り込む。新たな病気と認定して生きづらさを取り除くよう治療が施される。
赤ちゃん連れてきた人に各種特典が与えられ、子連れが当たり前になる。
病気や同性婚などで自分の子供が望めない人に養子などの制度が簡略化され、気軽に子育てできるように。
児童虐待が問題視され、子育て家庭には定期的に監査が入る。問題のある親からすぐに子供は引き剥がされ、里親家庭に行く。
教育費は極端に低くなり、子供はのびのびと公園で遊ぶのが当たり前になる。
パートナーがいることが推奨されるが、同時に独身宣言制度も取り入れられ、子育ての実習などで取得できる独身証明書の提示で様々な子育て機関に関わることも可能になる。
そして子供を持つことがステータスになった社会の水面下にレジスタンスが発生し、こんな世界ぶっ壊してやるとある日繁華街で(飽きた)
これTwitterで書いたら絶対主語デカで炎上するから増田で書く。
先日、3歳の娘と電車に乗った。シートは満席でぎゅうぎゅうではないが混んでいた。娘はつり革は当然手が届かないのでロングシートの真ん中にあるポールをつかまらせて立たせた。
娘は立っていることは出来るけど、揺れるとフラフラして危ない感じ。俺は片手でつり革につかまって、もう片方の手で娘の背を支えていた。数駅だったので、無事になんとか降りられた。
で、その帰りにまた電車に乗ったんだ。行きと同じくらいの混み具合。ドア際は危ないから中程に入ったその瞬間、座っていた外国人の団体がノータイムで3人も立ち上がってゆずってくれたんだよね。なんの躊躇も相談もなく即だよ。めっちゃ感動して本当にありがとうと感謝して座らせてもらった。
だけど余った席に、全然関係ない日本人と思われるオッサンが滑り込んで座ったんよ。
それを見てさ…すっげ浅ましいと思ったわけよ。そんで、あー行きの電車も誰も譲ってくれる人はいなかったな…子供に優しいのは外国人だけなんだな…って思っちゃったわけだよ。
まず俺の認識としては、超少子高齢化が大問題であって、少子高齢化であればそこまで問題ではないという前提があります。
なので2で十分。
つまるところ、独身のままでいいという惨めさは、
婚活市場に出て年収が低いことで感じる惨めさ、その後結婚できたとして嫁を養えない惨めさ、子供に良い教育を受けさせることもできないであろう惨めさ
あたりだと思うんだよね。
だからまぁ、どんな年収でも子供に負の再生産がされないような支援の充実は本当に大事だと思う。
それらが拡充することで、出産済み夫婦も、もう一人つくるかって気持ちにもなるかもしれない。
可能性の話だけど。
とはいえ、そこがどんなに拡充したとしても、惨めに感じるくらいなら結婚なんてしないと思っている層に届くことはないと思う。
ま、個人的には、「独身が惨めな世の中になるよう社会的空気を変えていく」ことと「投資用不動産に課税を財源に子育て補助の拡充」が少子化対策には高効率だと思うよ。
喫煙者がこの20年でこれだけ隅に追いやられて肩身の狭い思いをしてるんだから、
同じことを独身に対してやればええねんで。
既婚者、子連れ優遇するための財源は資産家からぶんどればええねんで。
キッズスペース作る費用とか、飲食店で子連れを受け入れるための改装費とか、
幼い子がいる友人と遊びに行った。ものすごく久しぶりに会った。お子さんも当然一緒だ。はにかみ笑顔が可愛らしい。だが増田と友人の会話が成り立たない。
友人「うん!こないださぁ〜あああっああああ花子ちゃん(友人子ども仮名)ゆび指してるのぉ〜〜あれはトラックでちゅねえ〜あああかっこいいねええええ」
友人「ええええどおちたのおおおおおお何見てるのおおおお???ん〜まっん〜まっああああかわいいいねええええええっ何だった?」
友人「こないだこれこれこんなことがあってねえ〜」
増田「ほぉ〜!どうなったんそれ!」
友人「それでねぇあっあっあああああ今ニッコリした!?ニッコリちたのおおおおおどちたの!!??可愛いちゃんでちゅねええええあっああああっああああん」
みたいな感じで会話が成り立たない。
子どもが寝て友人と甘いものを食べられた時にやっと普通に会話することが出来たが、途中友人の子が起きてからはずーっと抱っこしながら「花子ちゃんなんでこんなに可愛いんでちゅか!んもう!ぎゅーう!ぎゅうううう!!!!んんんんんすーはーすーはーああああいい匂いでちゅねえええええっなんの話だっけ?」みたいな調子でまた会話が成り立たなくなった。
ずーっとイチャイチャイチャイチャしているサマは、例えが悪いのだが、地下鉄の車内でクネクネとやらしいスキンシップを取るカップルを見ているようで正直辟易した。
そして増田にも友人の子と同い年の子がいて、この場にも連れてきていた。増田も側から見たら友人みたいになってたかもしれないからブーメランかもしれないんだが、友人との会話中に子どもが何かアクションを起こしてきたときは手を握ったり表情で答えたりなるべく友人の会話を邪魔しないように返していた。
念のため書いておくが、普段は上記の友人のように子どもを撫でくりまわし吸いまくり遊び倒している。あと友人、「子どもの世話で余裕なくて(汗」と30分以上遅刻してきたのだが、繰り返すが増田にも同い年の子どもがいる。家族構成も同じ。同じ環境なのだが。
そもそも先月の育休終了まで週3前後少ないなりに出来たママ友と子連れで公園や児童館、たまにお金のかかるところと色んなところに一緒に行っていたが、向こうのお子さん達ともママさん達とも我が子ともテキトーにみんなとコミュニケーションを取りつつ過ごす感じで、そんな会話が成り立たない、なんてことになったことがなかった。友人とは同じ立場なのにこんなことなるんだなと思った。疲れた。
とりあえず増田はこの友人には我が子含めどうでもいい人間と思われていることが分かってしまったので、付き合いちょっと考えよう...10年来の付き合いだったから寂しいけどね。
スーパーの通路で完全に遊んでるときの声のトーンで「待って〜」とヘラヘラ笑いながら走り回る子供をノロノロ追いかける(フリをして遊んでるようにしか見えない)父親とか
店員も他の客もみんな静かに過ごしてるインテリアがお洒落なカフェの一角で「ママァ〜!ママァ〜!」とでかい声で呼びかける幼児をシカトしてクソデカボイスでお喋りに興じてるママ友2人組とか
スーパーのお惣菜や鮮魚を子供に見せて楽しませるものと勘違いしたのか、それらの商品の上を抱っこした子供の土足をブラブラさせてる父親とか
薄暗い時間の立体駐車場で2〜3歳くらいの幼児を好き勝手に走り回らせておきながら自分たちは「危ないよぉ」と走り回る子にはおよそ聞こえそうにない音量の声をかけるに留めて腕を組んでちんたら歩いてる両親とか
信号待ちの時点で歩行者が横断歩道の前にいるのに信号が青になった途端に左折でミニバンの頭を突っ込んでくる母親とか
お喋りしながら並列走行どころか曲がるときも運動会の台風の目みたいにグワーッと曲がって通路を塞ぎまくるベビーカー押した母親3人組とか
すぐそばに全く混んでないエレベーターがあるにも関わらず畳んですらいないベビーカーでエスカレーターに乗り込んでくる赤ちゃん連れの両親とか
幼稚園児くらいの子供に棒付きキャンディを食べさせながらショッピングモールを歩かせるママ友グループとか
ショッピングカートの商品やカゴを載せるところに子供を載せる親とか
そういう子供を教育する気もなければ安全を守る気もなく衛生観念もどうかしてる行動の数々を改めてくれって思うわ
繰り返しになるけど、泣き止ませようと思って泣き止むなら、もちろんやるよ
例えば多少ぐずってるくらいで、お気に入りのおもちゃ渡したら泣き止むとしたら当然それはやってる
大抵の場合はただ発作的に騒いでるだけ静かにさせるには殺すか気絶させるしかない
プログラミングみたいに理屈で「ここ修正すれば泣き止む」とはいかんのよね
で、これと躾はまた別
発作が起きてるときに言い聞かせても効果がないから落ち着いてるときにやる必要があるし、
もっと力づくでやるにしても「ここで声を出したら殴られるから静かにしよう」みたいな知能はガキにはないから、増田が考えてるようにはうまく行かない
ないてるガキを殴っても、ただ周りの人間が「おっ、うるせえガキが殴られてちょっと気持ちいいな。まあそれでもうるさいままだし子連れは滅んでほしいけどな」って感じるだけの意味しかない
でも、どうしても吐き出したくてもう一度載せる。何通か書いたものをまとめて載せる。追記の項に書いたけど、吐き出したいだけで、それ以上の意味はない。
思うままに書いたエントリを縦につなげただけなので、論理構成は無茶苦茶。
長男が発達障害だ。療育手帳は上から3番目の等級。これは、身体障害で言うと指の欠損とか嚥下障害とかと同じくらいの重さ。ただ、どこがどうと言うと、説明が難しい。
多動でもなければ注意欠陥でもない。ステレオタイプな目を合わせないような自閉症ではない。むしろかなり人懐こい。
知恵も遅れてなさそうだし、人と目を合わせられないとかでもない。
説明しやすい違いというと、喋らないことだけだ。5歳が近づいてなお、意味のある単語は喋らない。イーッ!アーッ!ばかりだ。手帳はほとんどそれで貰えたに近い。しかし、言葉を喋らないことは、育てにくさの一端でしかなく、本質じゃない。
彼の場合、ただただ、コミュニケーションに対する考え方が、行動が定型児とは違うのだ。無敵の人なのだ。
みな「うちの子もそうよ」みたいな話をする。そりゃ、どの子だって、自分の世界に入って周りの音が聞こえないことってあるだろうさ。我を通したいがためにスーパーで寝転がって駄々をこねるということもあるだろうさ。でも、頻度と質が違うんだ。
彼は楽しさを共有しようとする意思がある。テレビをみて、今のみたか?というふうに視線を送ってくる。無視していると、髪を掴んで強制的に鑑賞させられる。
その一方で、他者からの働きかけには興味がない。まず名前を読んでも反応がない。問いかけに対する反応もない。聞こえてないわけでも理解してないわけでもない。なぜなら、自分の利害と一致するような言葉はちゃんと拾うのだ。「買ってあげるから(スーパーの)カゴに入れて」とか、「児童館行くからおいで」という言葉にはちゃんと反応する。
そんななので、口頭試問という手段が使えないので、知能を測ることは難しいんだけど、親バカだがむしろ賢い。ひらがな、カタカナ、アルファベットは2歳くらいから読めてる様子。3歳になるとPCのキーボードでタイピングするようになった。数字は100くらいまで理解し、足し算のような演算記号も理解してる様子。機械の仕組み、道順、人の顔もすぐ覚える。
知能が測れないというのは地味に厄介だ。
何ができて、何ができない、何を知ってて、何を知らないのかが親にわからない。
ある日突然できている。いきなり意味のある文章をタイピングしたり、いきなりそれとわかる絵を描いたり、いきなり1人で着替えてる(もう一度してと言ってもしてくれないし、再現されることはまずない。いまだに手で食べ、オムツで、着替えは人任せだ)。
しかし、嬉しい驚きばかりじゃない。むしろ、それが一番困るところだ。
1歳で1人で外に出た。3歳くらいのとき1人でスーパーから消え近くの踏切にでた。やはり3歳で包丁で野菜を切ってたこともある。
目を離した親が悪いというけれど、本当に、「ある日突然なにかができてる」なのだ。
そして、これが特徴だけど、どんなに怒鳴っても、ほとんど響かない。嫌われることへの恐怖心というものが皆無だ。すごい剣幕に、近くにいた次男はギャン泣きなのだが、当の長男はというと、なんか耳元でうるさいなくらいの顔しかしない。
拳や足による制裁が加わっても、なにか面白いものを見つけると、次の瞬間に天使の笑顔である。憎しみや怒りに対して笑顔をぶつけられるチートスキル。明らかに不機嫌がおさまらず噴火寸前触るな危険な妻にも、キャッキャ寄っていく。価値判断が自分が楽しいかどうか、自分がしたいかどうかだけで、他者評価を一切気にしない。つまり、無敵の人なのだ。
袋詰めの一瞬の隙をついて、消えた。まさかの店外に出ていて、近所の踏切で確保された。何人かの大人に囲まれ詰問されていたが、喋れない。警官が駆けつけたところで、パニックになった妻が到着。地獄絵図だったそうな。
本人的には「俺は一回くれば道くらい覚えてるからさ、1人で踏切にくらい行けるし、車道や踏切の中で止まるほどバカじゃないよ」
って喋れたらそう言ってるだろう。
自分は、彼のことを95%くらい信じてる。口頭試問できないが、かなり賢い。たぶん信号を理解してるし、車道や踏切というものをたぶん理解してる。でも5%くらいは信頼できない。5%、つまり20回に1回はなにかある、そのくらいの信頼度だ。そういう意味でも、親は子供の「はじめて」の側にいたい。何度かの練習で失敗を繰り返し、99.99%成功、万が一くらいの危険度になってようやく1人でやらせたい。だが、彼の初めては、常に突然だ。気がついたらなにかしてる。無敵の人だからだ。幸いに事故はないのだけど、大人がすり減る。
こだわりの強さの話をしよう。
こだわりとわがままは違う。
我が家の場合、定型っぽい次男のイヤイヤ期のほうがよっぽど理不尽だった。
例えば、次男が牛乳のお代わりを要求するのに対し断ったとする。イヤイヤ泣く。渋々お代わりを与えても、「欲しかったのはさっきの瞬間で、今じゃない!あの時の俺の気持ちをどうしてくれる!」みたいな泣きがはじまる。
発達っ子の長男は、こだわりは絶対に譲らない。どんなに拒否されても、コンコンと要求を取り下げない。激しく叫んだり暴れたりしても、パニックではなく、伝えるためにそうしてるだけだ。30分でも1時間でもやめない。ちゃんと要求さえ通れば、それきりだ。要求を飲んでくれたことへの感謝もなければ、要求をしぶられたことへの恨みもない。
他のことに気を逸らすことが非常に困難で、まず無理だ。いわゆる子供騙しが通用しない。
本当に、無敵なのだ。
この子の母、自分の妻は、長男と180度違う。妻の性格はちびまる子ちゃんみたいと言えばいいだろうか。おだてられたら調子に乗り、怒られたら凹む。他人の成功を妬んだり、目の前の餌に釣られたり、ふと冷静になって後悔したり、劣等感にさいなまれたり、仏様に憐れまれそうな典型である。
妻は憐れな衆生の1人、お気持ちファーストなので、妻が長男を叱る時、響かないのはストレスらしい。凹ませるのが目的じゃないって正論を言っても、理性ではわかっても行動をアップデートできない。反省の色が云々は裁判官でも言っちゃうので、怒られてすぐヘラヘラされて正気でいるのは、解脱が遠そうな性格の妻には無理のようだ。
妻と衝突した時、次男は判断が気持ちできまる。こんな気持ちにさせられたという自分の気持ちがファースト、相手が怒ってるどうしようという相手の気持ちがセカンド、それを天秤にかける感じ。多くの場合、なぜ怒られたかすら理解してない。
対して、長男は、「かくあるべし!」っという戒律じみた強い信念と、好奇心が行動規範。話が聞こえてないわけではない。そもそも悪いと思ってないとこはなにを言われても取り合わないが、失敗(はしゃいで走って牛乳をこぼしたとか)を咎められると、バツが悪そうな顔をする。言葉は通じてるのだ(自分でタオルを持ってきて拭きはじめるが、拭き終える前に別のことを始めるのだが)。
どっちかっていえば、長男が人類のあるべき姿で、定型の定型たらしめる妻と次男の人間臭さこそ、現世の生きづらさな気がするのだ。長男はこだわりや好奇心の邪魔をされなければ、妻や次男に八つ当たりや理不尽な攻撃をされてさえ、「やれやれだぜ」くらいの顔しかしない。
でも、悟るのは成人してからにしてもらわないと困る。お釈迦さまだって結婚や育児が一段落してから出家したように、まずは社会通念に従ってくれないと、この世で生きられない。
社会のルールとか、貨幣制度というのは、幻想を共有することだ。長男はその能力が著しく低い。「僕が鬼で君が隠れる。見つかったら負け」こういうのはたぶん長男は理解しない。というか理解する必要性を感じない。鬼とか負けというのは、幻想だから。
理解するとしても、アルゴリズム体操のように、そういうアルゴリズムとして理解して、前後の文脈や場の空気からの理解じゃない。
長男はよく星のカービィ(WiiUのバーチャルコンソール)をしてるのだけど、ライフがゼロになるとか穴に落ちたら残機が減るというのは理解する。なぜなら、幻想じゃなく仕様だから。ゲーム機の充電、ゲームを起動、多彩なアクション、テレビゲームのルールこういうのは得意。
社会のルールは理解しないくせに、長男独自の数多のマイルールに縛られてる。多くの人がキッチンスポンジのほうが便器より汚いといわれても便器を舐められないように、長男としては譲れないポイントがそこらじゅうにある。親は全てに付き合わされる。例えば、妻がどんなに怒り心頭してても、次男が頭から流血してても、散歩のルーチンは譲らない。
それに加えて、子供の好奇心と目覚めた知能をフル活用した想定外の行動を起こす。無敵の人だから叱ることが抑止力にならない。
よく発達障害について、こだわりが強いとか、注意散漫とか、他人の気持ちを理解するのが下手とか、そういう説明がある。
言葉としてはあってるけど、ちょっとズレてる。そんなもんじゃなくて、生物として、もっと基本的なところでなにか違う。
天才も多いと言われるけど、たぶんそれも違う。認知や学習の方法が全く違うから、定型の知能と長男の知能の優劣はつけられない。
たぶん、長男は学業優秀に育てば、国語のテストで満点を取れるようになったりはするだろう。でもそれは文章は理解できるというだけだ。心がわからないというのではない。小説や映画に感動できるようになっても、この子が物語から感じる感動の質は、定型の人のそれとはおそらく違うと思う。寄生獣という漫画で、犬を看取った直後に、その犬をゴミ箱に捨てるシーンがある。ヒロインが「あなた普通じゃないわ」と言うが、主人公は「死んだら肉だ」と噛み合わない。この子は将来、そういう違和感を周囲に与え続ける。
どこまでいっても彼は異星人だが、寄生獣のミギーのように愛される存在になってもらいたいと親としては思ってる。
定型児は、音声の模倣から入る。最初は原始的なオウム返しだけ。そこから、過去の経験、前後の文脈から、それらしい語をつないで出力するようになる。
GPTのモデルと同じ。次にくる語を確率的に予測してつなぐだけ。「吾輩は」の後には「猫である」がくる。そこに理由などなく、確率論、経験則で。でも、それを高度に行えるようになると、知能と呼べるような振る舞いになる。
定型児の知能の獲得はコレに似てると思う。
ヒトは噂話をするために言語をさせたという説がバカバカしいが一番有力らしい。
サルの毛繕いのような、コミュニケーションをとりたがる本能があって、その延長に噂話、言葉と言葉をつなぐことによって、知能と呼べるようなものが生まれたと考えると、なるほどと思う。
定型児は、自分の言葉や行動が、前後の文脈や周囲の空気の中にから紡がれ、その言葉や行動が他人にも自分自身にも影響することを意識する。
知恵がつくから意識するのかと思ったが、GPTの仕組みを聞くと、意識することそのものが知恵の本質のように思う。
少し別の話。
長男の前で、ぬいぐるみを手に持ってぬいぐるみが喋ってるふうにして喋ると、怒る。
定型児にはごっこ遊びでも、彼にとっては「嘘」なのだ。やめろ気持ち悪いと感じてる様子。
ホモサピエンス全史がいうところの、「妄想を信じる力」が抽象的な概念の獲得なら、長男の知能は頭打ちしそうなんだけど、むしろ数字や文字は幼い時から好きだった。
どういうふうに育つのか、親としても興味はある。
ここ2週間くらいで、ようやく強く呼べば名前に振り向くようになった。
今までは、用があるときは長男から働きかけてくるが、こちらが何を言っても無視だったものが、進歩だ。
遊びに行った先でもう帰るよって言っても、抑えつけて車に放り込んで車が動き出すまで聞かなかったものが、すんなり諦めるようになった。
彼なりに、成長してる。
この駄文は、発達障害育児エントリに触発され沸き上がった心の叫びでしかないので、何が言いたいかわからんという感想はごもっとも。
目を離さない以外できることがない。
あと、言わせて欲しい。
座って待ってられるようになって食べられる食材が増えたら子連れで外食に行けるようになりたい。
列に並んで待てるようになったらテーマパークに行きたい。