「ロールモデル」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ロールモデルとは

2018-11-10

スールになりたい

アラサー社会人女性だけどスールになりたい

上品で優しくて芯が通っててロールモデルになるような年上の女性スール関係を結びたい

私だけのお姉さまが欲しい

男性器はお呼びじゃありません

2018-11-04

anond:20181104112147

ロールモデルがないのも、これまで差別されてきた結果だろ。

anond:20181104111938

もちろんそういう外的要因があるのは確かだけど、100%そのせいというだけでもないよねという話

地位や金を得てもその先に目指すロールモデルがないし、そもそもそれ自体そこまで望んでないんじゃないか

2018-11-02

ロールモデルとは

職場女性が昇進した。

ぜひともロールモデルになってくれ、ということだったがこれはロールモデルになるのだろうか。

社員と昇進した女性待遇と勤務のさを記載してみる。

社員(女)

残業 多くて月5時間残業してるのを見たことがない

有給 年16日くらい取得、土日祝完全休み

給与 手取りで22万くらい

昇進した女性

残業 少なくて月15時間、多いと月30時間、定時で帰ってるのを見たことがない

有給 年8日、土日祝完全休み

給与 手取りで30万くらい

かに給与は増えるんだけど残業と休暇が少なすぎる

これでロールモデルになるのだろうか

いくら給料が増えたにしても先輩みたいになりたくない」という声しか聞こえてこない。

上司はこの平社員の方に先輩のように昇進試験を受けないかい?と誘ったようだが、この平社員絶対に嫌ですと即答だったそうだ。

そりゃ、そうだろ。男の俺でも断れるなら断るよ。

ロールモデルというよりアンチロールモデルだよなぁ。

2018-10-29

戦略を間違えた気がする

http://djaoi.blog.jp/archives/77629637.html

この意見には全くの同意で、

根はマイペースメンタルも強くないほうだからちゃん仕事していけるように理想的ロールモデル(有名実業家とかインフルエンサーとか)を見習って「理想自分」という顔を作って頑張っていたら、

「お前は物事に動じないしメンタルが強いから」

「真面目にやってるから

みたいに社内でも比較的重めの案件をまわされるようになった。

厳しい社会サバイブするために立てた戦略が、安っぽい表現だけど、「本当の自分」には重すぎる負荷になってしまった。

まだ頑張ってやれてるけど、結構しんどい

変に真面目だから、いま休んだら(辞めたら)自分で回してる案件やばいな、とか考えちゃって余計にしんどい。

働かなきゃいけないけど、残業時間にも制限があるから板挟みでなおさら辛い。

(回らなくなりそうなら言えよ、とは言うけど実作業と言う意味では振り先がないからどん詰まり状態

まり理想自分ってあくま理想であって、本当の自分ではなかったってことなんだろうか。

みんなそういうものなのかな。

忙しすぎて友達ともコミュニケーション取れてないから、

こういうとこで意見聞いてみたい。

2018-10-13

anond:20181013124330

2018年現在、一番平均給与の高い世代は、男が働き女が家にいるモデルだった。まずその時点で平均は押し下げられる。

専業主婦はいまだに男女のロールモデルとして成立しており、専業主婦になれるならなりたいと思う女性は多い。

そしてそれは結婚相手を選べば実現可能

この時点で、女にとっては「働かない」と「働く」が自由意志による選択肢として成り立つ。

女が専業主婦を選べば選ぶほど平均値は下がる。ゼロなので当然。

一方、男には専業主婦選択肢が全く無いため、「働かない」がそもそもあり得ない。

そのため、平均給与ゼロに引っ張られない分相対的に上がる。

こういう構造の中、女性の平均を引き上げようと思ったら、大雑把に3つの施策が考えられる。

①今働いて稼いでいる女性給与特に理由もなく上げまくる。

※働いて稼いでいる女性のかなりの割合は50代の元お茶くみだが、関係なく上げまくる。

男性給与特に理由もなく下げまくる。

女性専業主婦をなくし、女性でも働かないと食っていけないようにルールを作る。

①②③全部実施したら、立派なディストピアのできあがり。

たぶん男女の平均寿命の差はすごいことになり、少子化もすごいことになり、国外逃亡も増える。

なお現状、日本は①②③すべて実施している。笑

2018-10-12

キズナアイ騒動の何にイラついていたかわかった

もうほとんど収束しかけているが、気が収まらないので書く。

キズナアイ騒動論点は2つあったことは周知のとおりである

衣服キャラデザの「性的強調」

男性説明役に据え、女性を生徒役とするロールモデル

キズナアイ公式設定が無性と言及されていることはここでは脇に置いておく。気に入らない方は「女性型」と適宜置き換えてほしい。

①は個人的許容範囲内ではないかと思っているが、感覚麻痺しているだけかもしれない。これは今回のNHKキズナアイ起用に問題を感じている人の間ですら意見が別れていたように思う。問題は②である

②のロールモデル問題については、確かに問題だと思う。今回の件以外でも同種の構造を見つけてはモヤッとしたものを抱えていたのは確かだ。キズナアイをそのキャラクター設定に沿って扱ってもなお、このロールモデルから解放することはできたと考える。考えるのだが、みんな本当に常日頃真面目にそれ考えているのですかと思ってしまうのである

たとえば荻上チキ氏のセッション22という番組でこの問題に触れたそうである。聴けていないので恐縮だが、この件についてジェンダーロールの問題を主に扱い、自分番組が同じ構造であることにも触れたそうである。立派な態度であると思う。

インターネットでは「自己弁護に終始した」と書かれているが、聴けていないのでその内容がどのようになっているかからない。触れているだけとても偉いと思う。

ところでこの番組にはわりと多くのフェミニスト学者ゲストに呼ばれていたように思うのだが、チキ氏が自己言及する前にこの構造を指摘していた人はいたのだろうか。個人的には観測できていない。

そのようなわけで、今回の件が「萌え」をフックとしてジェンダーロールについて啓蒙するための生贄にされてしまったように見えてしまってモヤモヤするのである。もちろん日本性差別がないなどとは口が裂けても言うつもりはないのであるが。

からこうなってしまたからには、この問題に噛んでしまった皆さん(もちろんオタクも含むよ)には常日頃からこの問題について考え自分立場に近いからといって妥協せずに問題視していってほしいのである。決して「萌え」が焼かれただけになってほしくない。

2018-10-10

[]若おかみは小学生!

若おかみは小学生!』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨です。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向け。またこ作品書籍漫画版アニメ版あるけれど、それらは横に置いといて映画の話します。

総評

これは120点っすな。点数の基準は「上映時間映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」なので、「見れて大満足! もうちょいお布施したい」でした。

演出とは裏腹に内容的にはかなりヘビー(というのを見越して爽やかで明るい演出を用いていた)なので、児童文学原作でお子様向け痛快娯楽活劇とは言い切れないんですが、個人的にはクオリティさえ伴えば子供を思いテーマや悲しい作品でぶん殴ってもええやないか、いてもうたれ、子供ってのは子供なりに受け取るんだ派なので、クオリティでぶん殴ればいいと思いますふるぼっこドン

この映画に関してはTwitter児童労働がどうのこうのという話もちらりと耳にした程度で事前情報収集もなく見に行ったんですが、そういう物語じゃなかったですよ。

喪失を乗り越えるという話

じゃあ、どういう物語だったかといいますと、大きく2つの柱が絡み合うストーリーでした。それは大きなテーマで言えば「喪失を乗り越える」と「自分自身と居場所を見つける」という話。

初っ端から重いですが、主人公である女子小学生・関織子(通称おっこ)は、本作冒頭の交通事故において両親を失います。もうこの時点で軽い話になりようがないわけですよ。にも関わらず事故被害のシーンはグロカットされ、葬儀とそれに続くドタバタのシーンも描写はされず、おっこは新生活の場であるところの、祖母の営む温泉旅館「春の屋旅館」へと向かいますトランクひとつ持って別に落ち込むわけでもなく、ちょっと大変なだなあくらいの顔色で一人旅をして、到着し、新しい部屋(いままでのマンションとは違う昭和的な和室)を与えられ、転校して新しいクラスメイト挨拶をして、ひょんなことから家業である温泉旅館を手伝うことになります

若おかみは小学生!』って言うタイトルから当たり前ですが、こうして女子小学生おっこの若女将修行生活が始まるわけです。

「春の屋旅館」がある「花の湯温泉」は歴史のある温泉街で、古都然としたまちなみに浴衣姿の観光客が歩く割合賑やかで、カラフルな町です。この辺音楽美術演出あいまって、しみじみと明るく暖かく描かれていて雰囲気良いですね。美術レベルは高かったです。

でも、この明るく爽やかなあたりが(とうぜんそれは演出意図に沿ったものなんですが)、ある意味ホラーでもあるわけです。

小学生児童にとって、両親を失うというのは、最愛家族を失うということであるのみならず、加護者も生活基盤も導き手も失うということです。もう、それは世界崩壊かいレベルでの悲哀なわけですよ。

にも関わらずおっこはそこまでの苦しさを見せない。両親を思い出してちょっとうつむくことはあっても、笑うし、日常生活を送るし、新しい出会いにも前向きでいる。それはよく考えればとてもとても異常なことなわけです。

異常なおっこの新生活は、やはり物語後半に向けて徐々に破綻してゆきます。「両親がまだ生存していて自分と一緒に暮らしている」という幻想を何度もみてしまうおっこは、あるシーンにおいて事故の原因となった(もちろん別のですが)大型トラックを見て、事故フラッシュバックから過呼吸になってしまう。おっこは、両親の喪失という悲しみを乗り越えたわけではなくて、ただ単に今まで封印をして日常生活を演じていたに過ぎなかったわけです。

あらすじなんかにおいて本作は「主人公おっこの成長を描く」なんてサラリと書かれているわけですけれど、それは不誠実な欺瞞であって、おそらくおっこの身になってみれば、それは成長じゃなくて引きちぎられてバラバラにされてしまった自己の修復というサバイバルなわけです。失った何かから目を背けて、決定的な破綻をしないようにごまかしながら疾走するというのが、この物語の前半部分でした。

自分自身と居場所を見つけるという話

そういう意味で、おっこが若女将をやるというのは、児童労働とかそういうレイヤーの話ではないのです。両親を失って加護者も生活基盤も支えも失ってしまったおっこにとって「いまできるなにか」に必死に飛びついて自分を騙そうとしていたとも見ることができます祖母である旅館経営者(現女将)の後継者問題という、旅館側の都合があったにせよ、おっこが旅館雑務に飛び込んで笑顔で充実していく背景にはそれがあるはずです。

事実おっこの若女将雑誌に取り上げられて評判を呼ぶという広告的な価値はあったものの、従業員としてみたとき、お客さんに感情移入しすぎて夜闇の中に駆け出すなど(一般的社会人価値からすれば)行き過ぎな面もありました。

でもそれも仕方がないと思うのです。両親という生活基盤を失ったおっこは、同時に目指すべき将来の自分像も失っています。「将来こういう自分になったらいいな」です。その空隙を、目の前に提出された安易な「若女将」で埋めてしまったわけですから、その意味では、おっこの若女将労働としての若女将ではなく「若女将ごっこ」でもあって、つまりはある種の自分の居場所探しなわけです。

たとえおっこ自身がそれを言語化できるレベルで気づいてなかったとしても、まだ収入もなく住む場所自分では決められない小学性にとって、他にできることなんて事実ないじゃないですか。それはせめて居場所を獲得するという生存努力です。

おそらく祖母はそのおっこの悲痛に気がついていて、周囲が無責任に「若女将誕生!」とはしゃぐなかで、決して自分からは手伝え、継げとはいいませんでしたし、おっこの労働危惧してた素振りも見えました。経営者として「子供接客なんてさせられない!」と拒絶することもできたでしょうけれど、おっこから女将をとりあげて、じゃあ不安定彼女精神に何をしてあげられるかと言えば何もない。だから黙認しかないわけです。

だいたい「自分自身と居場所を見つけるという話」なんてもの現代社会において、大学卒業して就職して一年二年経った青年が、俺はどうやらこういう方面には我慢が効くがこういう方面は苦手だぞ、どうやらおれはこういう仕事とこういう人間関係の中でなら生きていけそうだ――みたいなのをやっとこさやるものなわけで。そんなものを、小学生が引きちぎられるような喪失を乗り越えるのと二正面作戦でやるのは無茶というものです。

そういう意味では、周囲の大人たちはもうちょいどうにかフォローしてやれなかったのかよ、とも感じるんですが、でも逆にそれこそ大人視点傲慢物言いであって、大人だろうが子供だろうがどんな人間でも自分自身の心の中の悲しみや未来とは、自分一人で向き合うしかないというのも一面の真実です。

おっこは画面上の軽やかさやおっちょこちょいさに隠されがちですが、実は誇り高い女の子です。特に自分が設定した自己目標に対しては愚直なまでに誠実です。だからこそ、宿泊客のために対立している真月に頭を下げて教えを請うこともします。その実直さが両親を失うという危地の中で彼女孤立してしまった原因だし、それが巡って彼女の味方を増やす原因でもあったのは素敵だったと思います

ふたつの話の交差点

おっこは「喪失を乗り越えること」から逃避して、目の前のロールである女将に飛びつき、そこで必死に働くことによって苦しかった過去ある意味塗りつぶそうとしたわけですが、その逃避が「自分自身と居場所を見つける」ことにつながってゆきます

幾つかの出会いがあって、目指すべき未来のヒント、ロールモデル出会います。たくさん登場人物がいるのですが特筆すべきなのは三人でしょう。

まずは旅館女将である祖母。登場シーンは少ないのですが、彼女個人人格職業倫理が融合してしまったあの佇まいは、今は亡き母経由もふくめておっこの誠実さの根っこのように思います職業倫理がついには人格化しちゃうって、昭和的な善人のあり方としてすごく共感できるんですけど、今の時代では流行らないのかもしれないと思ってちょっとロリしました。

二番目には、おっこの同級生、秋野真月(大旅館の跡取り娘、通称ピンフリ)でしょう。この娘は小学生女子なのですが、広い視野旅館業と湯の花温泉京の未来を見つめていて、顧客に対して誠実であろうという、幼いながらある種の達人系キャラです(傲慢物言いをする残念キャラでもあるのですが)。この娘と同年代として出会うことができた、ライバルとして対立したり和解したりできた、というのはおっこを取り巻く幸運の中でも格別のものでした。彼女との交友は、悲痛から逃げ出して飛びついた「若女将ごっこ」に、その内実の精神性を加えて「本当の若女将」へ進化させてくれたと思います

(余談&劇中では語られませんが、温泉郷に住まう子供の中でも誰よりも本気で町の未来について抱え込んでしまってる真月の孤独にとって、その孤独の闇に現れて、自分の高さまで登ってくれると約束してくれたおっこの存在は、想像すると涙がこぼれるものが有ります。真月からみてもおっこは救いであったと思うし、そうだと良いなあ)

三番目は宿泊客である占い師グローリー水領です。長い黒髪をたなびかせたこ宿泊客は、都心部事務所を構える凄腕の女占い師なのですが、私生活での失意から「春の屋旅館」で飲んだくれ生活をしています

抑制的な演出描写される彼女鬱屈をおっこはどうにかして励まそうと、浴衣を着たことのないという彼女着付けを手伝います浴衣経験のそんな彼女艶姿におっこが感嘆した感想が「格好いい!」でした。

ものすごくさり気ないシーンだったのですが、それはおっこが喪失していた「自立した憧れるべき大人の女性像」を見出した場面だったんじゃないでしょうか?

私生活で辛いことがあっても他者に当たらず、それどころか宿泊先の幼い従業員おっこに気を使っておどけてまで見せる。グローリー水領はおっこ視点では「素敵な大人のお姉さん」です。その素敵な年上のお姉さんに、「可愛い」でも「素敵」でも「綺麗」でもなく「格好いい!」と小さく叫んだおっこに、少し泣けました。お洒落で(←女子小学視点では重要です)、颯爽としてて、自立をしてて、視線を合わせて話してくれる。そんなお姉さんはおっこにとってどれほど輝いて見えたことでしょう。暗闇の中で我武者羅に迷走していた、それでも笑顔だけは守っていたおっこにとって、それは小さな灯火で「未来自分」「目指すべき形」です。

祖母の言う「誰も拒まない花の湯」、同級生真月のいう「客を癒やすレストスペース」、女占い師自分仕事を「他人を励ます仕事」だと評したこと。それらは全て本作テーマに重なるパラフレーズです。そしてそういう人々の輪の中に、自分も入っていける。癒やしたり癒やされたりしながら前へ進んでいくコミュニティの一員になる。「若女将」という「自分自身と居場所を見つける話」は、おっこにとっては生存努力であり逃避だったわけですが、それを誠実に、ごっこから実体にしていくのならば、結局逃げていた「両親の喪失という苦しみを越えていく」につながっていくのだ、という脚本はすごく良かったです。

別れ

ここまで触れてませんでしたけれど、おっこには霊感があるという設定で「春の屋旅館」にきてから騒々しい幽霊少年やおませな幽霊少女出会い、励まされています。両親が今でも生存していて日常は壊れていないという幻想に悩まされていた頃おっこを支えていたこ幽霊たちですが、物語終盤でおっこから見えなくなってしまうという形で別れが示唆されます

でもそれは、おっこが人間社会のなかで居場所確立した――七つまでは神のうちといういわばまだ神様たちの一員であり神楽の主役でもあったおっこたちが、社会の中で着地して、痛みも悲しみも乗り越えていく季節がやってきたのだというエピソードです(おそらく魔女の宅急便黒猫ジジが喋れなくなる、も同様の構造ですよね)。

見終わってから気づいたのですが、この作品幽霊や鬼たちは、幼いおっこが空想したイマジナリーフレンズだとしても物語が成立するように設計されています

おっこは自分の中の勇気かしこさと一緒に自分の悲しみと戦った。「春の屋旅館」はその舞台であり、若女将はおっこが戦うための姿だった。

すべてのフィクションファンタジーなので現実視点を持ち込みすぎるのは野暮というものなわけですが、今後おっこは中学入学卒業して、大学はともかく高校くらいは出るはずで、一人前になるまで十年近い時間があります。(このお話のおっこは絶対旅館業一筋だと思うのとは別に一般化するのならば)そのなかで、旅館から離れるかもしれない。現実に寄せて考えるならその可能性は高い。

でもそんなことはおっこの戦いとそこで得たものとは関係がないわけです。おっこは若女将というコスチューム身分を手に入れたわけではなく、戦いの中で手に入れた人間関係自分自身がある。将来どこでなにをしようと、おっこの手に入れたものが曇ることは二度とない。それがこの映画の中心であって、それは児童労働とかそういうのではなく、もっとパーソナルで尊いものだったと思います

ps.おう真月ちゃんパート書き足したで!

2018-10-06

anond:20181006102524

昔の方がよっぽどロールモデル画一的だったと思うぞ・・・

今は結婚しなくてもいいしオタクでもホモでも左翼でもフリーランスでもいいしどんだけ自由説明しきれないほどだ

結局お前はたいしてやりたいこともないんだよ

から「抑圧されてるせいで自分人生はつまんないんだー」って虚構に逃げ込んでる

2018-09-29

イーストウッド作品ありがちな無口で不寛容で常にイラついてる頑固じいさん

実際いたらウザいことこの上ないし

仲良くなろうとも思わないだろうな

 

あれを対マイノリティロールモデルだと

思い込んでるバカがいるけどさ

あ、イーストウッド自身

2018-09-27

絶望感の継承

ここ数日の騒ぎだったりする中で、昔と比べても互いの言葉の通じなさを感じる。

そんな中で大野左紀子さんの一連のツイートを見かけたが、もうどうしようもないのではないかとも思ったりする。

それは非モテの話が議論になっていたりした頃に比べ、抱えているやりきれなさや絶望が年齢が上がるとともにより現実になっているからではないかなぁと感じる。

あの頃、まだ通じたのは、取り返しがきく年齢だったというのもあるのではないか

もちろん実際にはそんな事はあり得ないと頭では分かってはいても、心のどこかで何かを期待できるものがあったのが、現実解が目の前に来始めていて、もうどうしようもないという諦めを抱えてしまっているように見えるのだ。

特にTwitterなんかであの手の話題に目立っているのが、そういう前世代だからというのもあるのだろう。

ただ、それ以上にかなり深刻だと思うのは、そういう現実味を帯びた人生やら世の中に対する諦観が、若い世代ロールモデルとして継承されているように見えるからだったりする。

それは同じ非モテだったりオタクだったりする人たちだけでなく、対照的存在の人たちの目にもそういうロールモデルとして見えてしまっていて、それが批判対象だったり、なりたくないロールモデルのように見えているように感じているからだ。

大野さんがTwitterで呟いたようなことは、前世代の人たちにはどうしようもない現実の中でより伝わりづらくなっており、ロールモデル継承している若い世代には、より深刻な形で伝わらなくなってしまっているのではないかなぁ。

2018-09-20

オタクが同じく、男尊女卑DQNより女の批判を受けやすいのはさ

オタクが女に主婦家内版のロールモデル提供できなかったからだよな

 

DQNってのは大抵田舎暮らし同調圧力も働く社会

そこで一人の女と家族に(多少はヤンチャしても)尽くし、添い遂げるというのが

彼らの共通認識 

そのためには土方やキツイ仕事バンバンこなして

妻子を肥やす義務(と周囲の目)があった

女も対価と保証があるのならと、男尊女卑社会で生きるのを受け入れていた

この、全体的にDQN味のある社会と言うのが今までの日本だった

 

ところがオタクは違う

オタクはどちらかと言えば(男にとって)自由社会を望む

DQNのような社会性や交友関係同調圧力を望まず

仕事ブラックは避け、妻子への無償努力も拒む傾向がある

なにより、体力も無いので子供を遊びにつれていくこともない

恋愛観にしてもDQNより遥に契約的、自由恋愛主義(無論、女には求めないが)で

岡田斗司夫の例もあるように、DQNよりも遥に多くの愛人を求め

宗教的同調圧力的なモラルから解放されているため

一夫多妻制すら支持するのだ

(三ヶ月でアニメの嫁を変える精神性は言うまでもない)

オタク夫の妻は、夫からの寵愛を失う危険性がとても高く

下手すれば40でシングルマザーという絶望の状況下に置かれる

 

オタクの男は、これだけ自身には先進的な

ライフプランを立ててきたにも関わらず

妻に対しては従来通りの家事労働子供の世話を押し付け

共働きや女の社会進出を阻害するという、DQN規範に甘んじていた

 

この、従来のDQN男尊女卑システムの利点を失った女性

オタク幻想家族像、オタクナイズされた男尊女卑社会拒絶反応を示し

自立の為に行動を起こし始めたのはごく自然ことなのだ

2018-09-16

anond:20180916230409

よほど増田に魅力がないんだよそれ

ロールモデルとして「カッコイ大人」って認識されてない。

2018-09-05

anond:20180905181337

ゆうこすは、可愛い子が敵も作らずセクハラも受けずに自己実現するロールモデル確立してるから、若くて可愛い女の子だったら憧れるだろうなって思う。要は、前の世代で、はあちゅうが間違えた部分に対して、正解を踏んだのがゆうこす。

すでに識者ポジションに到達してしまってて、そこらのソーシャルマーケティングおじさんよりも立ち位置が上なんだよな。

2018-08-30

ふなっしー物理的に殴ってくるVtuberだった

今やゆるキャラブームも落ち着き、見かけることも少なくなったふなっしーだが彼(?)も元々はYouTuberだった。

船橋市在住の一市民まちおこしをコンセプトにデザインを行い自費で着ぐるみを用意してYouTube動画投稿していたのが事の始まりであるふなっしー船橋市公認でないのは一個人自発的に行っている活動からだ。

言ってしまえばのじゃロリおじさんがモーションキャプチャー技術習得し機材を揃えていった労力を、ふなっしー着ぐるみの手配とその中に入り込んでしまうことに割り振った。

Vtuberバーチャル空間空想の肉体を人格をもって存在するかのように操る。ふなっしーはそれを現実世界着ぐるみという肉体を使って行った。Vtuberがやっていることを何のノウハウもない素人物理的に力技で成し遂げたのがふなっしーだったのだ。

Vtuberは今後の動向の参考としてふなっしーに注目すべきかもしれない。

中の人の持つ生々しさがメルヘンキャラクター実態を持たせることに成功しその活動ネット外にまで広げ支持を得たという点でふなっしーVtuberロールモデルになるだろう。

anond:20180830121142

2018-08-20

anond:20180820134135

失敗している国(先進国)をロールモデルにするよりは成功率高いだろ。

anond:20180820125850

出生率の高い国のやり方を見習えも間違ってると思うけど

なんで?

成功している国をロールモデルにして何が問題なの?

2018-08-15

異端の真似をしてる一般人

分かる。

信者ダメだよな。あくまで参考程度にしないと。

でも彼ら自身「今は人生ロールモデルのない時代」とか言ってるのにも関わらず、ブログでは「我々のようになれる」と信者をだましているんじゃないかと思うんだよな。特にプロ奢、イケハヤプロ無職

ホリエモンサロンでは事業を始めたりしてるし、落合陽一も大学で人を育てたりしてるからこの二人はそこらの自己啓発ブロガーとは違うと思うけど、プロ奢などの自己啓発のし上がった奴らについていくのは危険だと思う。

あと彼らは異端だということに気づくべきだと思う。ホリエモンとか私は普通ですアピール自分の本とかで書いてるけど、やっぱすごい人だよ。普通じゃない。

それからホリエモンみたいになりたいって言ってる奴はただ金持ちになりたいだけの奴が多いらしい。

ホリエモン自身も言ってる。

参考)ホリエモンを崇める人は新興宗教洗脳された信者と似ているhttp://news.livedoor.com/article/detail/14442548/

「新しい生き方」界隈は一体何なんだろうな。

異端の真似をしている一般人正気に戻ったほうがいいと思う。

会社既存価値に縛られない!といいながら「新しい生き方」に縛られているのは変じゃないか

肩書に縛られないといいながら「ブロガー」という肩書に縛られていないか

参考)えらいてんちょうの雑記 出産ラファンしたブロガーナオキシイについての記事 http://eraitencho.blogspot.com/2017/11/blog-post.html

anond:20180815223645

からでも探しなされ

女性は、ちょっと変わったことをしようとするとロールモデルがいないのが普通

2018-08-14

anond:20180814121545

自分が思ったこと言ったこしたことは全て自分に帰ってくる、ということは覚えておくべき。そして、あなたが思ったり言ったりしたりしたことは、全てあなたの子供も通過する可能性がある。


すなわち、あなたの子供は将来あなたの多趣味な夫を、父として尊敬しあこがれ親しむ可能性があるし、緻密に計画して世話をしているあなたのことを、突然「尊敬できない、こんな母親いない方が自分人生にはプラスじゃね?」と思う可能性がある。

子供には同性異性含め複数大人ロールモデル(範型)が合った方が望ましいと言われているし、それは子供が親しみを感じ尊敬できる相手であることが望ましいことは言うまでもない。従って、子供から尊敬しあこがれ親しむ」父親を失わせることにはあまり賛成できないし、将来自分子供に捨てられたくなければ、「私の人生プラスか否か」などという基準家族を裁くべきではない、という規範を示しておく方が何かとよいのではないかと思う。少なくとも、何か強烈なエピソードがあってというならまた話は別だが、「子供ができると」という程度の話なら、それは単なるホルモンバランスの乱れによる判断である可能性も高い。

から自分がいま人生における重大な決断をするに適切な状態であるか否かを客観的ジャッジしてもらってからでもよいように思う。

現状、あなた判断力が現在適切である可能性はやや低いものと思われる。

2018-08-09

女医問題を臨床から離れた女医が考えてみる

ここ数週間、女性医師問題日本全体でもはてなの中でも話題になっていたようですね。(裏口の方はどうしたのって感じですが)

東京医大女子減点問題について、いち小児科医が思うこと anond:20180802123936

私が医療崩壊トリガーになる未来 anond:20180805172629

女医さんがやってきた anond:20180701010648


さて、増田タイトルにも書いてあるように「臨床から離れた女医」です。

ですが、臨床を行っていないだけでバイト医でもドロッポ医でもフリーター医でもありません。産業医でも保険医でも、もちろん主婦でもありません、念のため。

世界競争しながら仕事をしています

医師になって10年目前後で上の子供は小学生です。これはつまり初期研修前後最初の子供を出産したということです。

医師キャリアの中で早い段階で子供を産むとどうなるか、を臨床から離れた立場から少しこの場で考えてみたいと思って書いています



「私が医療崩壊トリガーになる未来

エントリーの中で増田女医が書いておられたことは、

問題意識が高く、普段からまれるなんてとても偉い(語弊がありますが)なと思って読みました。

マイナー科にいったらいったで周りに負担をかけるし、医師キャリア女性としてのライフステージがあっていない!なんて私自全然考えていなかったので。


一つにはおそらくロールモデルがあったからだと思います

直接お会いしたこともないのですが、既に亡くなられた某大の教授でいらした女性医師インタビュー医学生ときに見かけました。

その先生は2回留学されて、お子様も二人いらして、教授になられた方でした。

結婚出産しても医師としての縄跳びを止めようと思ったことはない、とおっしゃられていた記事を読んで

私もこのようにありたいと、今でも心の中でひっそりと尊敬し続けています

おそらくあと25年、30年ほどある医師キャリアの中でもずっとこの言葉を胸に進むと思います

はいえ、ロールモデルがあるから頑張って女性医師も働いてね、という方向に持っていかれるのは困るし頑張ってきた先達にも失礼だと思います

現代環境や考え方も変遷してきていますし、各人のやる気だけではもはや対応できないレベルに到達しています

こうなると、アメリカのように科の選択制限競争が加わることが避けられないかなと思えてきます

何科に進むかというのは医師人生のものにも等しい大きな選択であり、

女性医師の中にハード外科ははなっから無理と思う意識があることも否定できません。

現在東京医大女子の点数の問題が出ていますが、

私自身、正直誰が女子入試制限に反対しているのかと思うくらい、正直男性でなければできない部分があるのである意味当然の采配と思っています

裏口入学は別ですが)

私が入試を受けた15年ほど前でも、当然男性が優先される部分があると思って受験していたので、

今更そのような話が明るみに出ても不利だとも隠されていたとも感じません。その中でも優秀な成績をおさめれば合格するだけの話です。

一方で、これに関連して女性医師男性医師も働きやす職場環境を整えるのが先という意見や、

もしくは女性医師が働きやす職場環境男性医師負担がかかっているんだよ、というエントリーが出ていて興味深く読ませていただきました。

同じ医師でも臨床をしていないので、こうした現場感覚は人づてに聞くくらいでしかないのです。


一定男性医師必要と割り切って男性医師確保の道(海外大学での人種間の割合の差のように)へ動くのか、

ワークシェアのような形で職場改革の道を進むのか、正直今の私にはどちらがよいのか判断できません。

よりよい医療のためにはどちらの道がよいのか研究必要だろうなという意見程度しかもちませんし、少し離れた立場から見守る形を続けます


さて、医師キャリアの中で早い段階で子供を産むとどうなるか、という話に戻ります

早く結婚して早く子供を産んでから医師キャリアつんだらいいという意見がたまにあるのですが、

研修前後出産した立場からは、かなり否定的な立場をとっています

正直いつ出産しても壁にあたることは間違いなく、医師としての負担が少ない初期研修前後で産むのも一つ、という意見理解できます

しかし、最も手のかかる赤ちゃんをかかえて、第一線で研修医として臨床を続けるのはなかなか厳しいものがあるだろうとも思います

私の場合、今の道に進む決定的な出来事があり、今ではむしろそれに感謝しているくらいなのですが、

それがなければまだ臨床に迷いがあったかもしれません。

しかし、臨床に未練をもっても子供をかかえて同期より遅れていく知識習得経験の差に焦っただろうことも想像できます

今となっては、完全にできないということもなかっただろうとは思いますが、そうして後期研修やらなんやらを続けていたら

今度は同僚の迷惑だ、ということにもなっていたのかもしれません。

私自身はイレギュラーな道でそれらを回避してしまったのですが、万人に進められるものではありません。

どの段階で出産しても大変なので医学生だろうと研修医だろうと出産を祝福しますが、現在環境においては決して早い段階がおすすめとは口が裂けても言えません。

ほら、結局最初から男性医師養成しておけばいいんだよ、という先のエントリー増田の指摘、現状の環境においてはごもっともです。

ごくごく優秀な一握りの女性医師と、肉体労働長時間労働もこな男性医師入試で入れる、それもありなのかもしれません。

これってつまりは昔のまま、なのですけどね。




18歳のとき、金ではないもの重要視される世界で働きたいと思って医学部に入り、

研修医の時、上医は国を医し、中医は人を医し、下医は病を医すを身をもって感じて臨床から離れました。

2年目増田も何かに気づいちゃったなら、視野を広く持つといいのかもしれませんが、

医師全員がそんなことを色々と考えだしたらそれこそまた医療崩壊に進んでしまうのかもしれません。

きつい仕事は結局社会の中でも医者世界でも押し付けあいです。

ということは、将来的には、競争を入れてきつい仕事に回る人材を確保しないといけないのでしょうね。

アリの世界女王アリと働きアリがいるでしょう。

開業医医師会が女王アリなのかもしれないけれど、自由意志で科が選べる時代はもうすぐ終わるんじゃないかと思っています

2018-07-17

拭えないし、したことない劣等感

ディーセントマーケティングが「自分軸」でできない人は劣っているとか

プロ品質の歳して合意形成できないなんて人格的にマターがありますし、将来性もありますとか

そんなことコミットメントしてないってわかってイノベーションを起こしているのに

そういったパラダイム、つまりロールモデルから抜け切れずに

「新たな価値観を生み出す自分恋愛もできないし、したことない劣った意識の高いやつだ」というオンスケがぬぐえない

ドライブ、まずは些細な挨拶から逃げ出そうとマーケティングしようとしてステイしているし

一種劣等感があるからハンダルクまでもディーセント恋愛ができないと言っても過言ではない気がする

世界を知らないまま現在ブロックチェーンハイヤーを縛られたコンバージョン

ノマド的にもいけず

ペイにもなれずに

締め切ってしまいそうとも考えらえるで圧倒的に成長したい

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん