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2024-02-23

回文増田のションテンが上がるもの一覧

旅気分

こないだ関西に行ったときに、

鹿の角売ってたのよ、

あれって、

旅気分でションテンが最高に通常の256倍高まった状態だと、

欲しい気持が強まるじゃない!

わー!鹿!角!って買っちゃいそうになるわよね。

スーパーマーズ

今日は6月1日月初のすいようび!

しかスーパーマーズでションテン上がりまくりまくりすてぃ!

長い長いポテトフライ

こないだ、夜の夜店で見た、

30cmくらいある、

それは長い長いポテトフライがあって、

こんな長いジャガイモないわよね!?

これなんなのかしら?

そんな、出所が分からない訳の分からない物を

食べて美味しいってションテンが上がるのも

夏の醍醐味よね!

スーパークール葛餅

でも、

スーパークール葛餅だったら、

美味しそうだと思わない?

葛餅にゴルゴ31アイスのパチパチするやつが乗ってるの!

それだけでションテンが上がるわっ!

もうはじけちゃおう!

みたいな!

タマサンド

今日朝ご飯

タマサンドミックスハムサンド

朝は好きなもの食べてションテン上げたいわね!

今日朝ご飯

タマサンド赤飯おにぎり私のベストコンビネーションションテンがアップする組み合わせよ!

今日朝ご飯

ポテトサラダサンド玉子サンドダブル大好物サンドでした!

からションテン上げていきたいわ!

ションテンを上げるためにはやっぱりタマゴ系サンドに限るわよね。

今日朝ご飯

ションテン上げたく!

タマサンドしました!

これでションテン爆上がりよ。

イチゴウォーラー

デトックスウォーター

ここ最近スーパーに行けてないので、

きっと春果物フルーツが出そろってくる季節時期よね。

イチゴウォーラーも春らしい爛漫さがまたションテンを上げるし、

今度イチゴ買ってくるわと言いながら、

家のストックがあるレモンプラスグレープフルーツウォーラー

炭酸で割ったものをお手軽に摂取することを参照して下さい。

ライトレモン可愛い色のスーケー

おはようございます

今日から新しいiPhoneです!

ライトレモン可愛い色のスーケーも買っちゃったのでションテンが上がります

るんるんです!

「サイドオーダー」の解禁の日

いよいよ今日楽しみにしていた

スプラトゥーン3のダウンロードコンテンツの新しい遊びの「サイドオーダー」の解禁の日よ!

ボージョレヌーボの解禁日のそれよりションテンが上がるわ!

2024-01-08

日記

なにもないのに涙が止まらなくなって、自宅で、スーパーで、通勤電車の中で、中年女性が泣いてしまうという最悪な状態を3日間くらい連続やらかして、やっと、体調が戻ってきたので、ちょっと日記書きます

義実家帰省して帰ってきて、6時間くらい車運転したので疲れて翌朝寝坊してその間に子どもたちがスライムを作って、こたつ布団にたくさんかける。洗濯物がたくさんあるので洗濯しつつ、こたつ布団も洗濯して、子どもたちに遊んでとせがまれるも忙しいので遊べないと言うと、怒って部屋を荒らされる。

洗濯物を畳むのと部屋の片付けと、色々とあるから手伝ってほしいと配偶者に頼むが、お前の仕事だろと鼻で笑われる。

洗濯機3回分くらいの洗濯物畳んでる途中に、なんか涙出てきて止まらなくなってしまった。一時間くらい、涙が出る(嗚咽とかはなく、花粉症で泣く感じ)状態家事をこなす

翌日は仕事初めなので出社。

通勤中に家族と離れられるのが嬉しくて、また泣いてしまう。

帰ってきたら、家族が揃っていて、近所の新しいスーパーにみんなで行こうと言い出したので行く。既に1830過ぎ。

スーパー子どもたちが二人同時に話す。片方の話を聞けない状態になると癇癪を起こす。配偶者は知らん顔して自分の見たいものを見てる。

子供小学生と年長。イヤイヤ期とかそういう年ではない。ただ、発達障害なので、丁寧に対応しないと癇癪がすごい。

年長は一人で勝手レジに行って買い物をしようとする。追いかけて店員さんに謝る。

スーパーで一人になった瞬間に涙が出てしまった。帰ってきて20時近く。そこからご飯を作る。風呂を焚く。

翌日は覚えてない。なんかもう、すべてが嫌で仕事けが楽しい

三連休が始まる。

体調が悪すぎて朝起きれない。土曜日は朝から子どもたちの習い事があり、毎週、起きて、準備して、頑張ろうと声掛けして送って行って…とやっていたが、どうでも良くなって、寝た、気がする。あまり覚えてない。

配偶者にお願いしても、お前が、習わせたいんだろうって言われて手伝って貰えなかった。今迄。

気がついたら、子どもたちと配偶者習い事に、行って帰ってきていた。

午後は年長の娘が習い事友達と遊ぶ約束下野で、公園に付き添いでついていく。他の友達は親が来なくて私が面倒を見る羽目になることも多いが、この日は他に親が来てくれた子がいて、助かった。大人二人で、子どもたちを見ることが出来た。

翌日は日月自分実家に帰った。配偶者が車の中でドラマを見せてきた。運転しながら自分が聞きたかったらしい。

私が面白いと言うと、続きは見せない、とか自分だけ先に見てネタバレするとか言ってくる。(ちなみに私は去年の大河が見つかったが、禁止されて見れなかった)(お酒が好きだは、お酒を飲むのも禁止されている)

行動を制限して優位に立ちたいのかな。

実家に帰ったら、母親普通の会話をして、それが嬉しくて、なんだか楽になった

一緒にご飯を作って、食べて。

風呂入って、寝て。

次の日は、親に子供達を見てもらっている間に一人で自転車こいで散歩した。30分くらい。

その後、家族で海に行って、凧揚げや貝さがしとかして、落ち着いて喋って、そして自宅に帰ってきた。

公園ママ友と、実家で母と、普通の、人として会話をして、とても救われた。

配偶者は私をバカにしてて、子どもたちもそれを真似て私をバカにして、話しかけても無視するし、でも甘えたいときだけくっついてくる。

それを、年末までは、流せてたんだけど

今年は本当に仕事が忙しくて、でも、平均年収も行ってないのに残業して、とか、会社で遊んでる、とか、仕事も頑張ってるつもりなのにずっと馬鹿にされてて、その配偶者への対応がしんどくて、なんか積もりに積もって。

多分先日爆発して、ずっと泣いてたんだと思う。

子どもたちも配偶者も今も馬鹿にしてきたりするけれど、配偶者馬鹿にしてきてもヘラヘラするのを止めただけでとても楽。

一人暮らしするための費用、車購入代、それを確保したうえで、老後貯金子どもたちの教育資金(一人600万くらい)の確保もして、近々自由になろうと思う。(別に離婚しなくても、別居しなくても、一人の別荘と自分の足を持つだけでも気が楽になりそう)

年収自分の歳の平均年収に満たないけど、4月から時短勤務が終わってフルタイムになるので、そしたら平均年収くらいになりそうで、それに株や投資信託配当を加えて、多少はどうにかできそう。

目標ができたらとても気が楽になった。

荒らしのように長い日記すみませんでした。

2023-12-11

土日に休みの人が多いのって

もっとずらした方が社会的リソース効率よく使えていいのにって思ったけど

今俺は日月火がクソ忙しい状態なんだけど

あそぼーって言われるとクソイライラするから

皆が暇な日があってるのっていいのかもなとか

思った

眠い

2023-08-23

夫がコロナにかかってたので覚書

先週木曜から体調不良の旨聞いていたが、土曜の帰宅後に40度の発熱があったよう

が、翌日の日曜の朝は解熱剤等で平熱まで下がっておりそのまま出勤したとのこと

自分実家に帰ってて日曜夜に帰宅、夫に駅まで迎えに来てもらった

日月曜、夫は仕事休みだったので念のため医者に行き、そこでコロナにかかってたことが分かった

そこから夫は自宅療養

自分は狭い家なりに隔離というか、距離置いて生活した

昨日の夕方にはほぼ陰性だったため、夫は本日午後から出勤

今のところ自分発熱なし

まあ自分はいい、かかっても軽症…とは言い切れないが、まだ中年の括りだ

ただ夫の感染時期は気になる

夫は先週の月曜に実家に遊びに来てる

後期高齢者の母と一緒にいて、母に感染してたらかなりキツイ

しかし母のほうも今のところ大丈夫そう

このまま無事に過ぎて欲しいところ

月曜に実家に遊びに行った後、火曜・水曜に秋葉原に出かけたと夫は言ってたのでこの辺でかかった可能性が高そうではある

2023-08-06

楽しいことがあってもそれが明日への活力にならない

例えば好きなアーティストアイドルライブ。例えば仲の良い友達と会うこと。例えばディズニーランドに遊びに行くこと。他にも映画とかスポーツ試合とか人それぞれに楽しみってあると思うんだけど、最近その「楽しみ」が明日への活力になっていないことに気が付いた。

楽しみにたどり着くまでは「〇〇日にあれがあるから…」「あと〇日耐えれば楽しみが待ってるから…」で乗り越えられても、それが終わってしまえば「あーあ終わっちゃった…もう楽しみないや…」になってしまう。ライブしかった!明日からも頑張ろ!と思えない自分がいる。

以前とあるライブに行った時、メンバーの1人が「これからの日々、嫌なことや辛いことがあった時に今日を思い出して乗り越えて欲しい」というようなことを言っていた。周りはワー!と盛り上がったし、自分自身も「こんなに楽しい記憶があれば明日からも頑張れる」と思った。確かにそう思った。

日月曜日自分トイレの個室で頭を抱えていた。

辛いものは辛い。嫌なものは嫌。楽しくないものは楽しくない。あんなに楽しかったライブファン応援してくれた推したち。明日からも頑張れると思えたはずの自分。全部はっきり思い出せるのに、全然楽しくないし活力にもならない。むしろ「昨日は楽しかったのに今日は…」で嫌になる一方だった。

前までは「昨日楽しかったなー今日からまた頑張ろう」と思えていた気がするのだが、最近どうもダメで悲しい。趣味への愛が足りない?ちゃんストレス解消が出来ていない?最近自分にとって「楽しいこと」は麻酔のようなもので、一定時間がくれば忘れていた痛みは容赦なくぶり返す。薬のように病を治してはくれないし食事のように栄養になってもくれない。

楽しいことをただ消費するだけで、それをエネルギーに換えることが出来なくなっている自分が悲しくて、前向きに生きる方法が知りたい。

2023-08-02

地方在住ファミリーディズニーランドに行ってきました

子供小学校入学し、最初夏休みに入り「夏休みどっか行きたいところある?」「ディズニーランド」となり、日曜日出発の2泊3日、地方在住の俺・妻・子供2人(姉小1、弟5歳)ファミリーディズニーランドに行ってきた。特に目新しい情報はないし、内容も日記としてありふれたものになるが、備忘録も兼ね残しておこうと思う。

●1日目(自宅~ホテル

地方在住なので、移動は新幹線に乗る必要がある(他の移動手段もあったが、新幹線利用は妻と子供希望)。

未就学児は膝上であれば料金はかからないが、暑いだの狭いだの騒ぐことは予め分かっていたので、お金はかかってしまうが、素直に4人分の指定席を取った。

3座席を取って子供を間に2人座らせるというプランもあったが、子供が2人同時に「窓側がいい」とか言い出すと死ぬので、その予防策として2座席2列とした。

2座席であれば大人のスペースは実質1.4~1.6人分ぐらいになり、ゆとりができるのもよい。

東北新幹線で午前中に乗車したので、昼時に上野駅で降り、某ファミリーレストランで早めの昼食。

日曜日ということもあって「普段こんなに並ばないよね?」という店もそれなりに行列が出来ていたりした。家族で(子供は初の)東京ローカルグルメに舌鼓をうつ

昼食後は駅に戻り、山手線東京駅まで。上野駅構内ではプラレールの展示などをしており、地方との経済力格差を改めて目の当たりにする。

東京駅に着いたので、移動で疲れた子供ガス抜きもかねて、東京キャラクターストリート散策する。日曜日に行ったので、まあまあの人だかりであった。

娘と妻のお目当てである「ちいかわらんど TOKYO Station」に至っては入場制限すら発生している始末で「ただ商品を見たいだけ」すら敵わずあきらめる。

このあたりから子供疲労を訴えはじめる。初の東京駅で人だかりに酔ってきたのだろう。適宜おんぶなどでやりすごす。

改札口から京葉線ホーム間の徒歩移動、これが今回の行程における最難関であるといってよい。

大人でも初めて行くとまあまあ遠いと実感するぐらいの距離で、普通に歩くと疲れるし、それでも普通に歩くしかないというところがつらい。

途中「動く歩道」があるのでまあまあやり過ごせるが、地方在住で車慣れしていると、この5~600mの距離ですら、えらくしんどく感じる。

行きはまだ子供が「動く歩道」にハマっていたので、完全おんぶ移動は免れた。

京葉線東京駅から新浦安駅まで移動する。最初舞浜駅で降車しイクスピアリに行き、そこからシャトルバスホテルへ行くことを予定していたのだが、思いのほか子供の疲れが早く来てしまったので、いったん新浦安駅至近のイオンスタイルで休憩がてら時間をつぶすことにしたためだ。

イオンスタイル日曜日にしてはあまり客がおらず「都会のイオン」にそれほど慣れていない地方在住ファミリーにとっては十分楽しめる空間であった。

ぼちぼち時間をつぶしたため、路線バスで某ホテルへ向かう。

シャトルバスではなく路線バスなので、乗車している客はほぼ「近辺に住んでいる人」で構成されており、各バス停でまんべんなく降りていくような具合だった。

明海付近団地はいつ見ても壮観で、子供も大いに興味を示していた。

個人的には今川団地を見ると「ああディズニーランドに来たな~」という実感が湧くのだが、共感してくれる人があまりいない。

ホテルは目立って可もなく不可もなくだが、コインランドリーが少ないのと、近辺にも単独コインランドリー存在しなかったため、洗濯にそれなりに苦労した。

大人だけであれば洗濯なぞせす、着替えも好きにすればよいが、子供が居るとなんだかんだで不意に汚したりすることもあり、いくら着替えを持っていっても足りない。帰宅してから大量の洗濯物と格闘するのもそれはそれでおっくうである荷物は予め送っておいたので移動する手間がなかったのは幸いだった。

子供を先に寝かせ、大人明日の準備などをし就寝。

●2日目(ホテルランドホテル

朝食会オープンと同時に即朝食を済ませる。朝食メニューは和・洋と極めて平均的な感じだが、スタッフが多く、ホスピタリティは高かった。

子供向けのバイキングコーナーもあり、やはり子供用なのと、夏休みということもあってほぼ戦場と化していたが、ああいうのも子供としては嬉しいのだろう。

嬉々として子供用のチーズフォンデュをこしらえて食べていた。

身支度を整え、シャトルバスディズニーリゾートへ向かう。

ちゃっかりパートナーホテルに泊まってしまったので、シャトルバスは「きょうリゾートを去る人」か「これからリゾートへ行く人」でバッサリ二択となる。

日曜日に前泊したのでランドへ行ったのは月曜日だったわけだが、それでもまあまあ「これからリゾートへ行く人」が多かったように思う。

子供休みなのはともかく大人が平日月曜日とあればそこまで混雑はしないのでは・・・という予想をしていたが、甘かった。

子供休みであれば大人休みだろうし、そういうタイミングを狙って来ている人も決して少なくはない。

このへん、地方に居ると「わざわざ感」が高くなってしまい、感覚としてわかりにくいところである

シャトルバスに揺られ、ランド横のバスターミナルで下車。

BGMやゲート前の雰囲気で、一度行ったことのある大人なら否が応でもテンションが上がる瞬間だが、子供はいつもよりも早く起床したせいで「眠い疲れた」などと言ってくる。

「もうすぐ楽しいのがいっぱいあるよ」など、抽象的な言葉で期待を盛り上げつつ、なんとかゲートを通過。

年齢が年齢ということもあり、ランドでの滞在の半分をほぼファンタジーランドトゥーンタウンで過ごす。

40周年記念プライオリティパスは「プーさんのハニーハント」に利用したが、朝9時の段階で17付近の案内になっていた。人気なのは分かってたけど、すごいな。あくまで平日ですよこれ。

ファンタジーランドの「キャッスルカルーセル」や「アリスのティーパーティー」などは、正味ほかの遊園地でも体験できる類のアトラクションではあるが、ランドであえて乗る、というのも年齢が年齢でないとやらないものではあるので、そういう意味での新鮮味はあった。

トゥーンタウンではたまたまタイミング良く、短時間で「ミニースタイルスタジオ」と「ミッキーの家とミート・ミッキー」を楽しむことができた。

気持ちミニーの方が混雑していたように思う。ミートミッキーはもうみんなだいたい体験したのであまり並ばないのだろうか。

昼食は「クイーン・オブ・ハートのバンケットホール」で頂くことにしたが、ちょうど昼食の時間帯にぶち当たっていたせいで、30分ほど並んだ。

少し早めか遅めにすれば良いのだが、きりの良い時間でなかなかアトラクションを諦めきれないというところに、ランド飯の難しさがある。

子供はお子様セット、大人スペシャルメニューを堪能し、妻と「やっぱりランド飯はなんだかんだでうまい」と感想を交換し合う。

席は500席と多いのだが、子供連れが一挙に押し寄せてくるのもあってか、ほぼ満席だった。平日月曜日でこれなのだから休日の混在ぶりは想像に難くない。

なんとなくだが、この店は食事というより、お茶休憩などのニュアンスで利用したほうが間違いないかもしれないと感じた。

・・・とは言いつつ、お子様メニューがあるのでどうやっても混むのは仕方ないのだが。

昼食後はワールドバザール周辺をぷらぷらと移動しつつ、近隣のワゴンポップコーンを買ったり、アイスを買うなどして、夜のパレードまでやりすごす。

気温は34℃上半身が汗でビッチャビチャになっていつつ、1時間に1回は自動販売機に足を運ぶような勢いだったが、あの暑さでも徹底して自動販売機しかPET飲料で4種類くらいしかない)でなんとかせよという感じになっているので、コンセプトの揺るぎなさは流石だなと思うなどする。まあ売り切れることはないと思われるので、その点は心配なさそう。

ちょっと前は大人用と子供用で高さの違う水飲み場ランド各所にあった気がするが、自分が探した限りでは、ワールドバザール南西のトイレロッカー横にしか見つけられなかった。コロナ禍を経たせいでなくなったのだろうか?

PET飲料は持ち込み可とはいえリュックパンパンに詰めてランド内を歩くのはあまり現実的とは思えないので、もうちょっと簡単飲み物が入手できるようになってくれると嬉しい。

日中様々な場面で並んだが、行列から聞こえてくる会話のほとんどが外国語だったのは、ある種の驚きがあった。

日本語ほとんど聞こえないなと思ってはいたが、ここまでインバウンドがすごいことになっているとは思わなかった。

特にトラブルはなかったが、外国にもディズニーあるんだから少なくとも本国の人は本国ランドに行っといてくれと思うのは俺だけだろうか。

めちゃくちゃディズニーが好きで、特に日本しかない何かがあるとかだったらわからなくもないが。キャッスルカルーセルとか別にみんなで並ばなくてもよくない?

ここで唐突だが、筆者個人の「ファミリーから見た、ディズニーで嫌な気持ちになるゲストベスト3」を発表する。

3位は「スーベニアショップ一角占拠して写真を取り続け、自分たちの世界に入っている謎の男女ペア

2位は「似たような格好で6~8人1組になってイモムシのように移動・徘徊し、トイレなんかもその単位で入る女子集団

1位は「周りを全く見ずに列を乱したり乱入したりする男女混合の大学生らしき集団

お土産は安定のグランドエンポーリアム。正直ディズニー土産といえば、ここかボンボヤージュぐらいしか知らないというのはある。

面積がデカいので俯瞰して見れるのはよいが、時間があれば他のショップも回ってみたいなとは思った。

個人的にはホームストアやマジックショップあたりが好きなのだが、時間的な都合で行けず。

持って帰るとつらい量になってしまったため、日通配送サービスを使うことにし、ゲート付近プーさんに遭遇するなど、嬉しいハプニングもあった。

「一日でミッキーミニープーさんに会えるなんて、かなりイケてるぞ」と言うと、子供は喜んでいた。たぶん。

経験上、エレクトリカル・パレードの手前あたりでウエスタンランドに移動しておくと、パレード見物でわりと良いポジションが取れるということは記憶にあったので、夕飯はハングリーベアレストランカレーとんがりコーン(ただのシンプルとんがりコーンだが、この「ただのシンプル感」が敢えて良い)を食す。

カレーはお子様用もあるし、なによりハングリーベアレストランは席数が690席とアホみたいに多いので、よっぽどでない限り座れないことはない。

なによりメインメニューカレーなので、提供スピードもめちゃくちゃ速い。

エレクトリカル・パレード鑑賞を目的としていないのであれば他の選択肢でもよいが、そうでなければ個人的にはハングリーベアレストランを推す。

食事を済ませたあとは、ウエスタンランドファンタジーランドの境目あたりに着席する。

早めに行くにこしたことはないが、あのあたりはそこまでがっついて前に陣取らなくても、そこそこ山車の迫力あるムーブが楽しめると思う。

19:00時点で子供はかなり眠そうにしていたが、ピクニックシートで仮眠したのち、エレクトリカル・パレードでは大いにエキサイトしていた。

LEDのお陰で終始めちゃくちゃ明るく、子供は「全部すごい」という大雑把な感想であったが、一度行った大人的には最後提供車(日本ユニシス、今だとBIPROGYですね)を見送ったあとのサウダージ感が「まさにこれ」という感じで、なんとも言えない懐かしさで満たされた。

パレード後は流石にお土産を買う気力もなかったので、シャトルバスに転がり込み、ホテル風呂を浴びて速攻で寝る。

パレードが終わった直後あたりの時間を使ってお土産とかうまく買えそうな気もするが、子連れだとなかなかそうもいかなさそう。

●3日目(ホテルイクスピアリ帰宅

前日のパレード見物の疲れもあってか、ダラダラと起床し、ダラダラと朝食を頂く。

もう帰るとなると準備などにもあまり身が入らないが「最後イクスピアリ行くよ」と子供に伝え、身支度をさせる。

シャトルバスランド手前まで行ったのち、ぐるっと回ってボン・ボヤージュとイクスピアリへ。

ボン・ボヤージュでは(ランドで買えば日通で送れてよかったのに)下の子ベイマックスぬいぐるみにドハマリしてしまい、どうせあとは帰るだけだから気合で持って帰るか!となってつい購入してしまったため、帰り足はエコバックから顔だけを出したベイマックスらしき物体ファミリーに加わることとなった。

イクスピアリでも色々と見たかったが、さすがに2日間歩き通したのもあってか「もう歩けない~」となったため、早めに舞浜を後にする。

地元にはない3COINS+plusとかついでに見たかったんだがやむを得ず。

京葉線ホームから新幹線構内まではまた地獄の長距離移動となったが、ベイマックスを使いながらなんとか鼓舞した。

これだけでも買ってよかったと言えるくらいには、頑張って徒歩移動したと思う。作品もまだ見たことないのだが、ありがとうベイマックス。今度観ます

東京駅ではグランスタで遅い昼飯を調達し、新幹線ホームの休憩所でヌルッと休憩するなどし、無事乗車して帰宅の途につく。

東京駅は座る場所ほとんどなく、特に子供を連れたファミリー層に優しくないことこの上ないのだが、あれはもうちょっとなんとかならないだろうか。

とにかく座る場所がないので、子供は頻繁にしゃがみながら移動していた。おんぶしようにも大人の体力も無いし、だいいち前が見えなくて危ない。

新幹線改札口横にロッカーがあって、一旦そこに荷物を預けたのち、駅構内を移動できるとか、そういうのができるだけでもだいぶ違うんだが。

帰りの新幹線爆睡・・・という感じでもなく、遅い昼食を食べたり、買ってきた小さいお土産遊んだりした。

子供休みながら移動していたのであまり眠くなかったようだ。

さな、ありふれた旅行ではあったが、子供の成長を実感した旅であった。

追記 2023.8.3)

上野で降りたんなら、日比谷線に乗って八丁堀京葉線に乗り換えると、東京駅回避できたのに

最初それもちょっと考えたんですが、できれば東京キャラクターストリートに行きたいとなったので止むなく・・・でした。

>まだ小さいから連れてってつて言われないけど正直今のディズニーの値段は日帰りでもキツいわ

自分場合は、コロナ禍で3年くらいどこにも行けてなかったので、3年分積み立てていた旅行貯金を崩したような感じでした。

ただそれでも高いは高いですよね。

道中頻繁に「まあ、ディズニーだし、それなりに、な!」みたいなやりとりを妻としたりして、物価高を痛感した旅でもありました。

>「都会ではこれが楽しいんだ」と教えてやりたい

田舎だとなかなかできない「人がいっぱいいるゆえにどうにもならないことがある(アトラクションで並ぶとか、電車で座れないとか、店が混んでるとか)」を、ギリギリ楽しい」とのバランスを取りながら体験できるのが、ディズニーランド旅行なのかなと思いました。人馴れしてほしいというのも確かにあります

ただ、あんまり小さいと覚えてないかもしれないというのも、わかります。姉はたぶん覚えていると思いますが、弟はどうかな・・・

新浦安イオンまさか地方から行く人がいると思わなんだ

目的であるディズニーリゾートから一番近くて一番デカイオン、という感じで行きました。

ゲーセンGiGO)とかあるし、急に子供の何かが必要になってもデカイオンがあれば大丈夫かなと。

最初イオンモール幕張新都心へ行く計画も立ててたんですが、今考えてみると無謀すぎますね。

>「車でまとめて移動してホテルにぶち込んで後は勝手やらせる」方式家族旅行しかしたことがない

個人的には(地方在住ということもあり)車の方が良いんですが、妻と子供が圧倒的に「公共交通機関での移動スキー」なので、そこで折れました。

めちゃくちゃ疲れましたが、体験としては悪くなかったかなと。

電車で移動すると旅先で酒が飲めるというのが逆に新鮮で、そこだけちょっとしかったです。

追記 2023.8.4)

>ちいかわの店は開店と同時位にいかないとなかなかしんどい

やっぱりそのくらい人気なんですね。ちいかわ人気は地方に居てもそこそこ実感してたんですが、東京キャラクターストリートともなると混雑具合は別格ですね。

東京駅アクセス至便というのが、一層難易度を高めている気がします。

>4人2泊3日でコミコミでおいくら万円

往復の電車賃(新幹線)、食費、ホテル代、入園チケットの合計で10万円付近でした。

(実際にはお土産とかもあるのでそれを超えましたが・・・

Permalink | 記事への反応(7) | 22:58

2023-07-03

無題

休職し始めてから2週間くらいが経つ。

まり長い文章は書けないので、初めてここで日記を書いてみようと思う。

休職理由は、発作などの体調不良が続いたことと苦手な業務に対する心的ストレスに耐えられなくなったからだ。

最初の2日ほどは仕事から離れたことによる開放感からかわりと行動的になっていたが、

身体も心も持たず、そのあとはずっと布団で横になっていることが多かった。

このところさすがに体力が落ちてきたので、気が向いたら運動を始めたいと思いつつもできない日が続いた。

今日はいつもより早く、といっても朝の9時ぐらいだが起きることができたので

久しぶりに朝散歩に出掛けた。

午後はYouTube競馬の中継を流し聞きしながら、図書館で借りてきた電車男をちょこちょこと読んで過ごした。

まだ先々のことをしっかりと考えられるまで回復していないので、

基本的に予定は立てず、活動できるときに起きているといった感じだ。

競馬最近好きで見始めたのだけど、ばんえい競馬というちょっと変わった競馬にハマっている。

日月あたりに開催しているので気になる人はぜひ見てみて欲しい。

2023-06-19

自滅の裁断 〜遊郭編〜

今、この文章新幹線自由席で書いている。この自由席本来であれば1週間後に乗っていたはずのものだ。今日とは言わずもう少し後に乗っていたはずだった。


6月。俺は現在転職の節目に立っている。

大学卒業してから新卒として入った会社に3年ほど勤め、退職を決意。

次の職場も何とか決まり、そこに移籍する前の有休消化期間。謂わば今は少し早めの夏休みだ。


そうなるとさすがに旅に出たくなるもの

自身そんなアクティブ人間ではないと思っているが、有休消化期間が長ければ長いほど旅に出ないと勿体無いよねという風潮も何となくある気がする。

そうなってくると自分にはちょうど良い当てが1つあった。それは大学時代の友人。


かつて学科が同じだったそいつとは大学に入ってすぐに打ち解け、恐らく大学生活の中で一番一緒に遊んでいた。

大学1年からの付き合いで現在社会人3〜4年目辺りなのでもう何だかんだ7〜8年の付き合いにはなる。

そいつはと言うと、当初は俺と近しい地域社会人をやりつつ彼女同棲していたのだが、個人的事情等もあってその仕事退職現在彼女を連れて自身故郷に帰り、そこで別の仕事をしている。


友人が前職を退いたのが今年の頭くらい。そして故郷に帰る直前の別れのタイミング、俺は友人にとある約束をした。

「俺も仕事辞めて時間取れたらそっち遊びに行くわ」

正直今言うとこれは冗談半分だった。その頃の自分立場はと言うと、現職にブーブー文句を言いながらも怒られつつ何だかんだ仕事を辞める気配は無い人間

転職活動はしていたものの、一向に次が見つかる気配が見えない。というか活動をする余裕もないくらいに精神仕事にすり減らされていた。

そんな状況のため、転職できてももうしばらく先の話だろうなと考えていた。


ただ、事態は一回動いてしまえばあっさりと進んでいくもの

春頃に次の会社とご縁があり、思いがけずに内定を頂いてしまった。本当にありがたい話。

そして現職から身を引く作戦始動させる必要が出てきたため、何人かの人とお話をした後に退職手続き完了

立つ鳥跡を濁さずって言葉があるけど正直俺はその逆。割とウンコぶち撒けてその場を去るような辞め方をしたクソ害鳥だったが、それは今回の本題ではないので割愛

とにかくにも有休休日出勤をしていた分の代休が合計1ヶ月は溜まっていたため、さすがに何か特別いたことをしないと勿体無いなという状況になった。


ここまで読んでお察しの方はいるかと思うが、俺には彼女がいない。悲しい悲しい独り身。

有休消化期間の旅に行こうぜ!なんてノリにフットワーク軽めで付き合ってくれる友人がすぐ見つかる程の陽キャでもない。

そこで先述の言葉に戻る訳だ。俺は友人にコンタクトを取り、そいつ地元に遊びに行かせていただく運びとなった。


この友人の彼女さんというのがすごい出来た性格の方で、俺なんかともニコニコ愛想良く仲良くしてくれる存在

友人が引っ越す際に「遊びに来るなら新居の部屋は複数あるから是非泊まりに来てくれ」と言ってくれた際も彼女さんはその言葉に乗せて「楽しいんで是非来てください!」と言ってくれるほど。

もちろんそこには男女の一つ屋根の下での生活があるため、幾ら無神経クソ害鳥の自覚がある俺でも宿泊の予定を立てる前に最終確認の連絡をする。

それでも結局前向きな返事は変わらずだったのでお言葉に甘えさせて頂き、宿泊の用意をして友人の故郷に足を伸ばすことに決定。

大まかな遊びプランLINEグループ作成の上で話し合い、俺は1週間程度滞在させていただくことに。

滞在期間に友人カップル休みである土日は計4日訪れるため、その4日で故郷故郷近辺の地域観光することになった。


休み期間の前半を家の片付けや家から足を伸ばした範囲で満たせる趣味、数少ない俺と飲んでくれる後輩等との食事、そして脳死ダラダラタイム等で消化。

そして月半ばくらいの金曜日旅行の支度をし、家を飛び出して野暮用の買い物を済ませる。

電車新幹線電車というルートで友人宅を目指し、夜分遅くに何とか人生初めての地へ到着した。

早速快く出迎えてくれた友人カップルささやかお土産引越し祝いを渡し、その日はチビチビお酒を飲みながらボードゲームをして大いに盛り上がった空気感のまま就寝。


最初土曜日は友人の故郷の有名な観光地を車で巡ろうということになっていたため、某動物園や海沿いの市場に出向いた。

動物園への道すがらの車内で音楽を流して楽しくお話しながら目的地を目指した。

動物園に到着するちょっと前には00年代ドラマ話題になってそのドラマたちの主題歌を流したり、友人の彼女さんが好きな00年代ジャニーズアイドルの曲を流してノスタルジックになったり。

彼女さんが鬼滅の刃が好きという話から現在主題歌がそこまで評判良くないという話題にもなり、その曲を流したり。(俺は嫌いじゃないからね。マンウィズとmiletファンの方すみません。)

彼女さんは今の曲も別に嫌いじゃないけど私は遊郭編が好きで良い話だったからその時の主題歌ハードルとして高すぎた、みたいなことを言っていた。確かに

到着した動物園では多種多様な生き物に目を輝かせ、もうしばらく人間以外の生き物は見なくてええわと言うくらい堪能した。ちなみに俺が一番好きな動物体調不良でお休みだった。泣いた。

海沿いの市場でも買い物と簡単食事をさせていただき、そこで実家や後輩に対してのお土産を送ったりもした。


その日の夜はみんなで酒を飲みながら楽しくゲーム桃鉄をやって争いになりかけた。若干なっていた。友人がベロベロに酔って彼女煽りすぎていた。

こればっかりは他人との仲を引き裂く桃鉄が全部悪いです。僕たちは何も悪くありません。


そして翌日。日曜日は友人故郷の隣の地域がその地区屈指の大都市であるため、電車で向かってそこの街をぶらぶらしての観光

詳しい経緯は説明を省くが友人のお母様とも合流して食事をご一緒させていただいたり、有名な観光地を巡ったり。

そして繁華街の中にある有名なご当地のお店で晩御飯。某有名漫画家の方も度々訪れるというその店でご当地の味を楽しみ、「いや俺今旅人だわ〜〜〜」という心地良い感覚ビールの泡と共に胃に流し込む。

間違いなくその瞬間の俺は社会人としての苦しみ等嫌なことを全て忘れ、心地良い空気感の中に包まれていた。

友人と友人の彼女さんも翌日月曜日であるにも関わらず、俺の旅に付き合ってくれてご当地飲食を堪能していた。良い旅のムードが確実に出来ていた。



出来ていたんですけどね。その時までは。



食事を終え、店を出る。時間的にもちょうど良い。このまま故郷に帰還し、お二人は翌日仕事等で外出。その時間帯俺は独りぼっちで外をブラつき、二人が帰ってくるまで外にいるという段取りの予定。

このまま帰っても良かったのだが、その考えは友人の悪魔の囁きによって打ち砕かれる。


「ここから徒歩で行ける距離に◯◯(日本屈指の風俗街)と××(日本屈指の趣がアレな地区)があるけど行ってみない?」


心踊った。全然金あるなら普通に1人で風俗行きたい。ただその時の俺はそうそう余裕がある訳ではなかった。だからそこの風俗街がどんな空気感なのか見るだけになるが、それでも心踊る。

後々調べたらそこって利用する気も無いヤツのひやかし歩き禁止らしい。マジで反省しています


ただ、大きな問題がある。

友人の彼女を連れて行くのはいかがなものか。いかがなものかっていうか普通にダメだろ。

恐らく大多数の女性が見たら不快感を抱く光景であることは間違いないだろうし、同性愛者でもないその友人彼女さんに何のメリットも無いし。

ちなみにこちらも後で調べたら女性の方がひやかし目的で歩くことは禁止だったみたい。色々ダメじゃん俺たち。


後で振り返ればこういった妥当判断を幾らでもできるのだが、その時はダメでした。酒ゲキ弱男の俺はアルコールに飲まれていました。

勇み足で◯◯と××に歩みを進める友人に向かって「Aちゃん(友人彼女)連れて行くのもアレだしさ、2人は帰って俺だけ見に行くか3人で見に行くか、Aちゃんの顔色見て判断した方がいいんじゃない??」と提案

夜分遅くの繁華街から故郷までの電車での遠い道のりを女性1人で帰らせるのも宜しくないと思った俺と◯◯や××を見に行きたいという気持ちの俺が脳内で話し合った結果、そのような提案に。

ただ、そもそもこの見物の言い出しっぺは友人。友人がその勇み足簡単に止めて「じゃあ、俺は彼女と先帰ってるわ。好きに見に行ってきな」と俺だけを送り出すはずもなく。普通に食い気味で「Aも連れて行きます」と判断

というか何なら最低な話、アルコールまれモードの俺も普通にノリノリだったので「私は一応最低限の提案しましたよ。その上で友人が彼女をこの俗人甚だしい歩みに付き合わせるのであればそれはお二人同士の問題です」というニュアンスを含んだ責任転嫁の丸投げ行為に等しい建前だけの薄っぺら気遣いモドキな発言しかなかった。

最低限の提案通り越してもうほぼ友人に3人で行くって言わせるための誘導尋問に近いよねもはや。


シラフの今思う正解は何かって?

そんなん「そんなもの見ずに3人で帰りましょう」に決まっておるじゃろ。


常連客どもの歌声がお構いなしに路上に響くスナック街を抜け、少し歩くとそれは見えてきた。

暗闇の中、幻想的にボヤァっと光る街灯。店の名前が書かれた質素看板が通りに無数に連なっている。

風俗街って言うか遊郭って感じなのかな、表現としては。前日ちょうど鬼滅の刃遊郭の話をしていたが、まさか翌日に本物を目にするとは。


そこの通りは各店オープンな感じで女の子が呼び込みをしている賑やかな空気感。その地域を知っている方はもうこの一文でどこに行ったのかお分かりだとは思う。

目を輝かせて首を激しく左右に振る俺。うわレベル高え〜、と高揚感が止まらない。性欲に対する行動がキショ中学生すぎる。死んだ方が良い。金無い社会人がこれやっているという状況がそもそも情けない。


ふと、横をチラッと見る。友人のテンションが意外と上がっていなかった。言い出しっぺの割におとなしいなと思った。その答えはすぐ横を見たら明白だった。



友人の彼女さんが怖い目をして俯いて歩いていた。



後濁しまくりクソ害鳥は察した。俺たちやってしまった。

察した頃にはその通りも終盤に差し掛かる時。そして少しばかり歩いて完全にそこを抜けた後、彼女さんは友人に対してキレた。


「こういう場所とは思わなかった。何でこんなところ連れてくるのか。お前らだけで行けば良いだろこれ。」

そんな感じの内容でキレていた。前日に鬼滅の刃遊郭編のことを嬉々として語っていた子が遊郭見させられてキレている。


それを聞いた時点で俺と友人は内心「風俗街ってことは今日の会話の中で何回も言ってたやん」とは思った。なんなら思ったというか友人は口に出して彼女にそう言った。

そしたらそんなこと聞いていない、私が認識していたのは××(趣がアレな地区)の方だけだとキレ返された。

そもそも悪ノリ女の子付き合わせてる時点で何言おうと俺と友人サイドが100%悪いんだけどね。100:0でこちらの過失だよ完全に。


気まずい空気のまま最寄りの駅まで歩みを進める。俺は友人に「××は行かないの?」と小声で聞いた。この空気で行くわけねえだろバカかこいつは。

道中、その地域名物建物があったので「そういやこの建物出張でこの都道府県来てた親父が嬉々として写真送って来たわ」的な話をした。

それが琴線に触れたのかその直後、友人彼女は俺に顔を向けて「増田さんも共犯ですからね!悪いのはコイツ(友人)ですけど!!」とキレてきた。初めてこの子にキレられた。怖い。

さっきからこのバカ害鳥はマトモなムーブ出来ないのか。


引き続き気まずい空気感の中、最寄り駅に到着。そしてそこで死の宣告に等しい一言が友人彼女の口から発せられた。


増田さん。すみませんが今晩のところはどこかホテル泊まってくれませんか?私はコイツ(友人)に話があるので。」


俺は何も考えず二つ返事で「ハイ」と口にした。怖かった。普段怒らない人が怒ると怖いとはこのことか。


そして友人宅まで長い時間をかけて帰還し、何とかホテルを確保できた俺は一旦荷物をまとめるために一時的に寄らせてもらうことに。

ただ、俺は酔いが冷めてきていた帰り道すがらで考えていた。

多分もうこれ以上の滞在は無理だろうな、と。

きっとこの荷物まとめ作業一時的撤収のためのものでは無いだろう。完全なる帰り支度となるだろう。

友人は一応コッソリと「何とか説得するわ」とは言ってくれたものの、何となくここで旅はおしまいだなという空気感がその場にそこはかとなく漂っていた。


一応友人彼女感情的になっていた先刻とは打って変わり、表面上は落ち着きを取り戻していた。そして俺に告げる。

「一応増田さんが旅を楽しんでくれるよう最大限考えて話し合いはしますけど…。すみません、正直もう帰ってもらう前提で考えといてください。」

完全に同じ認識でいたので逆にホッとした。間違いなく俺は帰ったほうがいい。

こちらが100%悪いのに終盤まで気遣いをして頂ける辺り、改めて性格良い方なんだなと実感する。ホンマ何でこの性格の人を怒らせられるねんこのバカ男2人は。


荷物をまとめ終わり、玄関のところで帰る前提の挨拶を2人に済ませる。一応念のため翌朝にでも話し合いの結果を報告ちょうだい、の一言も付け加えた。

仮に話し合いで状況が大逆転して予定通りもう少し泊まっていて良いですよとなったところで、もう俺にそこから更に1週間泊まるバイタリティは残されていなかったような気はするけど。


そしてホテルに向かいフカフカで寝心地良いはずの布団で寝付きも悪く、翌朝5時台に目が覚めた。

無意識LINEを開くと、友人からの連絡が入っていた。

寝ぼけ目で見たLINEでも状況を飲み込むことに迷いは無かった。やっぱ話し合いした結果、無理でしたの報告。

女性性的商品みたいになっている光景にショックを隠せなかったとのこと。

友人からは全部俺が悪い、お前はむしろ被害者からごめんという謝罪文章が書かれていた。お前が俺を許してくれるなら付き合いは切れないと思うので、と。

また、今晩サシで飲めないかという提案も書かれていた。


許すも何も普通にこっちが悪いので別に謝られる道理もない。

ただ、帰ることが決まった以上は電車新幹線時間、あと何より予算的にも遅くまでの滞在はできない。

俺もサシで飲んでその場の気持ちだけでも清算しておきたかったが、それは断念した。

その日、ホテルのチェックアウトを済ませた後に1人でその地域歴史的なお城を少しばかり観光し、ご飯を軽く食べて立ち去った。

全ては自業自得故の裁断。そこに名残惜しいとか怒りとかそんな簡単言語化できる気持ちは残っておらず、とりあえず家に早く帰りたいとの思いだけで電車に乗った。


そして新幹線に辿り着いてから書き始めたこ文章も終盤となった今。無事に自宅の最寄駅に到着した。


楽しさと罪悪感が入り混じった数奇な初夏の思い出がそこには残っている。

終盤が怒涛の展開すぎてもしかたらこれは全部夢だったのかもとさえ思っている。俺はハナっから友人と遊んでなどいなかったのかもしれない。

でもそれでも良い。そんな悲しい結末だったとしても俺は耐えられる。何故なら俺は長男から。厳密には姉がいるから炭治郎と違って一番上じゃないけど。


そういえば。帰りの新幹線で例の鬼滅の刃主題歌を聴いていたが、曲が二番のサビに差しかるとマンウィズがこんな歌詞を歌っていた。



“解き放て今 僕らが起こした火を 舞い上げ走れば明日が変わるはず”



起こした火を舞い上げた結果、明日スケジュール強制帰還に変わってしまったなあ…。

ちょっと炭治郎に首切られてきます

2023-05-07

GWが短いのは仕方ないとして、土日で終わるから翌週がフルで月〜金なのがすごく嫌だな

木金土日月、ならもう少し許せたのに

来週5日も連勤したくない。しかも月初休めない

2023-05-02

[]

もう今日で土日月火4日引きこもってる

くいもんはかいだめといたおかしトマト缶と鯖缶

お菓子バッカくってるから体重増えた

休み明け働きたくないなー

寝て対

きのうは頭かゆくてしゃーないから1しゅうかんぶりにシャワーあびた

ついでにセルフカットもした

やっぱりシャワーあびるとさっぱりするのはわかってんだよなー

でもめんどい

2023-04-30

フェミオタク終戦記念日

2022年4月4日月曜日

新聞月曜日のたわわの広告掲載された。

そうして最後フェミオタク戦争の火蓋が切られた。

厳密な終戦記念日はいつになっただろう。ちょうど去年の今くらいじゃないか

いち時期は増田がそれ一色で埋まるほどに白熱した。

でも月曜日のたわわ論争も過去戦闘と同じように、次第に収束して話題に上らなくなった。

かつては毎月のようにフェミニストは公共の場での性的消費を糾弾していた。

オタクは激しく応戦し、TPO だの 表現の自由 だのといったお決まりプロパガンダが叫ばれたものだ。

しかしとにかく、最後フェミオタク戦争は終わった。

あれから1年。

以来フェミオタク戦火を交える事なく、お互いの距離を保ってるように思う。

フェミニストが優しくなったのか。

公共がわきまえるようになったのか。

それともオタクが応じなくなったのか。理由はわからないけれど。

憎み合って傷つけあうよりもお互いを尊重して距離を取る方が、結局は上手くいく。

人のゾーニング

人間関係の基礎にして奥義のそれが、ここにも表れたのだと思う。

2023-04-24

anond:20230424010317

日月火水木金

休休働働休働働

みたいな休みしかできなくて三連休は中々取れないってことでは?

2023-02-10

anond:20230210120011

大塩平八郎

檄文

 天より被下候

    村々小前のものに至迠へ

四海こんきういたし候ハゝ天祿ながくたゝん小人

國家をおさめしめば災害并至と昔の聖人深く

天下後世人の君人の臣たる者を御誡被置候ゆヘ

東照神君ニも鰥寡孤獨ニおひて尤あわれみ

を加ふへくハ是仁政之基と被仰置候然ルに茲二

百四五十年太平之間ニ追々上たる人驕奢とておこり

を極太切之政事ニ携候諸役人とも賄賂を公ニ授受と

て贈貰いたし奥向女中因縁を以道德仁義をも

なき拙き身分ニて立身重き役ニ經上り一人一家

肥し候工夫而已ニ智術を運し其領分知行所之民百

姓共へ過分之用金申付是迠年貢諸役の甚しき

苦む上江右之通無躰之儀を申渡追々入用かさみ候ゆへ

四海の困窮と相成候付人々上を怨さるものなき樣ニ

成行候得共江戸表より諸國一同右之風儀ニ落入

天子足利家已来別而御隱居御同樣賞罰之柄を

御失ひニ付下民之怨何方へ告愬とてつけ訴ふる方な

き樣ニ乱候付人々之怨氣天ニ通シ年々地震火災山も崩水も

溢るより外色々樣々の天災流行終ニ五穀飢饉ニ相成候是

皆天より深く御誡之有かたき御告ニ候へとも一向上たる人々

心も付ず猶小人奸者之輩太切之政を執行只下を惱

し金米を取たてる手段斗ニ打懸り実以小前百姓

のなんきを吾等如きもの草乃陰より常々察し悲候

得とも湯王武王の勢位なく孔子孟子の道德もなけ

れバ徒ニ蟄居いたし候處此節米價弥高直ニ相成大坂

奉行并諸役人とも万物一體の仁を忘れ得手勝手

の政道をいたし江戸へ廻米をいたし

天子御在所之京都へハ廻米之世話も不致而已な

らす五升一斗位之米を買に下りもの共を召捕抔い

たし実ニ昔葛伯といふ大名農人乃弁當を持運

ひ候小児を殺候も同樣言語同斷何れ乃土地にても人民

ハ 德川家御支配ものニ相違なき處如此隔を付候ハ

奉行等之不仁ニて其上勝手我儘之觸書等を度々

差出し大坂市中游民斗を太切ニ心得候者前にも申通

道德仁義を不存拙き身故ニて甚以厚ヶ間敷不届

之至且三都之内大坂之金持共年來諸大名へかし付候

利德之金銀并扶持米等を莫大ニ掠取未曾有之有福

に暮し丁人之身を以大名家老人格等ニ被取用

又ハ自己田畑新田等を夥しく所持何に不足なく

暮し此節の天災天罰を見なから畏も不致餓死

貧人乞食をも敢而不救其身ハ膏梁之味とて結構

之物を食ひ妾宅等へ入込或ハ揚屋茶屋大名之家來を

誘引參り高價の酒を湯水を呑も同樣ニいたし此難

澁の時節ニ絹服をまとひ候かわらもの妓女と共に迎

ひ平生同樣に游樂に耽候ハ何等の事哉紂王長夜の

酒盛も同事其所之奉行役人手ニ握居候政を以右之

もの共を取〆下民を救候義も難出來日々堂島相場

いしり事いたし実ニ祿盗ニて決而天道聖人之御心ニ難叶

御赦しなき事ニ候蟄居の我等最早堪忍難成湯武

之勢孔孟之德ハなけれ共無據天下乃ためと存血

族の禍をおかし此度有志のものと申合下民を惱し

苦〆候諸役人を先誅伐いたし引續き驕に長し居候大坂

市中金持之丁人共を誅戮およひ可申候間右之者共

穴藏ニ貯置候金銀錢等諸藏屋敷内に隱置候俵米

夫々分散配當いたし遣候間攝河泉播之内田畑所持

不致ものたとへ所持いたし候共父母妻子家内之養方難

出來程之難澁者へハ右金米等取らせ遣候間いつに而も

大坂市中ニ騷動起り候と聞傳へ候ハゝ里數を不厭一刻も

早く大坂へ向駈可參候面々へ右米金を分け遣し可申候

鉅橋鹿臺の金粟を下民へ被與候遺意ニて當時之

飢饉難義を相救遣し若又其内器量才力等有之者

ニハ夫々取立無道之者共を征伐いたし候軍役ニも遣ひ申

へく候必一揆蜂起之企とハ違ひ追々年貢諸役ニ至迠

輕くいたし都而中興

武帝御政道之通寛仁大度の取扱にいたし遣

年來驕奢淫逸の風俗を一洗相改質素ニ立戻り四

海萬民いつ迠も

天恩を難有存父母妻子を被養生前之地獄

救ひ死後の極樂成佛を眼前ニ見せ遣し堯舜

天照皇太神之時代に復シかたく共中興之氣象ニ

恢復とて立戻り申へく候此書付村々ヘ一々しらせ

度候へとも数多之事ニ付最寄之人家多候大村神殿

張付置候間大坂より廻し有之番人ともにしられさる

樣ニ心懸早々村々へ相觸可申候万一番人とも眼付大

四ヶ所の奸人共へ注進いたし候樣子ニ候ハゝ遠慮なく

面々申合番人を不殘打殺可申候若右騷動起り候を

承なから疑惑いたし駈參不申又者遲參及候ハゝ

金持之米金者皆火中の灰に相成天下之宝を取失

ひ申へく候間跡ニて必我等を恨み宝を捨る無道者

と陰言を不致樣可致候其為一同へ觸しらせ候尤是

地頭村方ニある年貢等ニかゝわり候諸記録帳面

類ハ都而引破焼捨可申候是往々深き慮ある事ニて

人民を困窮為致不申積に候乍去此度乃一擧當朝

平將門明智光秀漢土之劉裕朱佺忠の謀反ニ類し候

と申者も是非有之道理ニ候得共我等一同心中ニ天

下國家を簒盗いたし候慾念より起し候事にハ更無之

日月星辰之神鑑ニある事ニて詰ル處者湯武漢

明太祖民を吊君を誅し天討を執行候誠心

而已ニて若疑しく覺候ハゝ我等之所業終る處を

爾等眼を開て看

 但し此書付小前之者へハ道場坊主或醫者等

 より篤と讀聞せ可申若庄屋年寄眼前乃

 禍を畏一己ニ隱し候ハゝ追而急度其罪可行候

       奉天命致天討候

 天保八丁酉年 月日 某

 

攝河泉播村村

    庄屋年寄百姓并小前百姓共へ

2023-02-01

anond:20230201002020

4で割れからかわいそくない

31日月のみじめなこといったら

2022-12-17

貧窮問答歌一首 并短歌

貧窮問答歌一首 并短歌 山上憶良頓首謹上

風交り 雨降る夜の 雨交り 雪降る夜は すべもなく 寒くしあれば 堅塩を とりつづしろひ 糟湯酒 うちすすろひて しはぶかひ 鼻びしびしに しかとあらぬ ひげ掻き撫でて 我れをおきて 人はあらじと 誇ろへど 寒くしあれば 麻衾 引き被り 布肩衣 ありのことごと 着襲へども 寒き夜すらを 我れよりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ凍ゆらむ 妻子どもは 乞ふ乞ふ泣くらむ この時は いかにしつつか 汝が世は渡る 天地は 広しといへど 我がためは 狭くやなりぬる 日月は 明しといへど 我がためは 照りやたまはぬ 人皆か 我のみやしかる わくらばに 人とはあるを 人並に 我れも作るを 綿もなき 布肩衣の 海松のごと わわけさがれる かかふのみ 肩にうち掛け 伏廬の 曲廬の内に 直土に 藁解き敷きて 父母は 枕の方に 妻子どもは 足の方に 囲み居て 憂へさまよひ かまどには 火気吹き立てず 甑には 蜘蛛の巣かきて 飯炊く ことも忘れて ぬえ鳥の のどよひ居るに いとのきて 短き物を 端切ると いへる がごとく しもと取る 里長が声は 寝屋処まで 来立ち呼ばひぬ かくばかり すべなきものか 世間の道


世間を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば

2022-10-02

26歳ニートが「青天を衝け」を見た結果

26歳だった去年の3月ごろの昼間、青天を衝けのまとめ回をたまたまテレビで見た。ハマった。感銘を受けた。泣きそうになった。留年就活もせずに大学卒業して以来親から小銭をもらってブラブラしていた自分を強く恥じた。すぐにその夜に放送される最新話をスマホリマインダーに入れ、自宅から二駅のオフィス街募集をしていたコールセンターに応募。すぐに電話がかかってきて面接の日程が決まる。その夜は母の作った夕食を自室で食べながら視聴した。

面接へ。応募理由と勤務日数のみ聞かれ、平日5日フルで入れると言ったところ即採用された。面接から3日後に勤務を開始。慣れない早起き質問するたびに睨みつけてくる不潔な社員、受話器の向こうで理不尽な爺さんや執拗本名を聞き出そうとするおばさんに早々に心が折れそうになるも、藍作りに励む栄一青年を思い出し踏みとどまった。

二ヶ月ほど勤務する中でこの仕事に主に人間関係の面で嫌気が差す。社員バイトも目が死んでいた。栄一が故郷を立ち一橋家に仕え始めたタイミングで別の仕事を探し始める。やりたいことはなかったが、大学時代に宅建勉強しかたことを思い出し、手始めに資格を取ることを決意。その年の秋の合格を目指して格安映像授業とテキストのある講座を受講。家だと怠けるのでバイト終わりと休日は近所の祖父母の家で勉強権利関係や税で挫けそうになるも、映像をさっさと終わらせてひたすら問題を解く。

10月に宅建受験。受かったような落ちたような微妙気持ちになる。翌日月曜のバイトはあらかじめ休みをとって一日寝た。11月、発表直前の放送千代が倒れて暗い気持ちになるも、無事合格していた。バイトをしながら不動産業界で転職就職活動を開始。年末には晩年の栄一と孫からエールを貰いつつ、年明けに関東郊外拠点とするハウスメーカー採用される。これを機会に人生初めての一人暮らし埼玉だけど)。現在に至る。

試験勉強就職一人暮らし営業活動休日職場の人たちとの外出など昔の自分なら考えられなかった。ただのニートがただのサラリーマンになっただけなのだが、俺にとっては大きな進歩なんだ。渋沢栄一氏とNHKには感謝してもしきれない。ありがとうございます

青天を衝け!

2022-09-27

ARKおもろい

今更だけどARK面白い

きっかけは一ノ瀬うるはたちぶいすぽっメンバーによる新マップ放送

実は箱で推してまして…

無料で取得できたARKを今更ながらにやってみたら次の日月曜なのに朝六時までやってしまった。一緒にやっていた相方

難易度カーブ建築物ムーブがなかなかいいし恐竜のテイムがやっぱり面白い

ARK2に向けた販促だろうけど無料配布っていうのはすごい効果があると思った

2022-09-15

親と別居することになった

 この増田は、孤独で気が狂いそうだ(https://anond.hatelabo.jp/20220116164742)の続編である。あの時心配してくれた皆さんにご報告をしたいと思って書いた。

 私は32歳の女で、生まれつき発達障害があり、父との共依存関係に悩んでいる。

 結論から言うと、父とは家を別にすることになった。別居先は、空き家になっている築45年の父方祖母の家で父の持ち物だし、経済的に自立できるまでの間、生活費の一部は父に出してもらうし、1日に1回は父から電話がかかってくる。とても自立とは言えない。それでも、別居だ。別居なのだ自由だ。

 相談支援専門員さんの件はどうしたかというと、父から離れたら、一生生活保護で、治安の悪い地域のボロアパートだねと言われて、ビビって逃げられなかった。ごめんなさい。

中3の夢

 9月12日月曜日の朝、中3の時の夢を見た。

 中学受験をして入った私立中高一貫校は、生徒みんなが旧帝大医学部を目指すバリバリ進学校だった。毎日、大量の宿題が出た。

 両親は、

・夜9時以降はゲームインターネット禁止する

宿題が終わるまではゲームインターネット禁止する

時間を作らないお前が悪い

 と言っていたのだが、それはゲームインターネット実質的禁止だった。

 私は鈍臭く、しばしば他の生徒から文房具を投げ付けられたりしていて、何だか勉強に身が入らず、成績が学年最下位付近をさ迷っていた。

 ある日、私はどうしても我慢ができず、宿題が終わっていないのに、こっそり母の部屋からゲームを持ち出してやってしまった。すぐにバレた。父はいつも通り「誰がお前みたいなゴミを養ってやってると思ってるんだ。親の言うことが聞けないなら、今すぐ売春婦にでもなっちまえ」と怒鳴った。私を叱る時の決まり文句だ。父が私を押さえ付けて、母が私の頭を何発も殴った。

 折檻が終わって、私は自分の部屋で一人になった。むしゃくしゃして、何か壊してやろうと思いながら部屋を見回した。家具ぬいぐるみを壊すのは可哀想でできなかった。代わりに、自分の腕や脚をカッターナイフで切り付けた。今思うと、カッターナイフでやってよかったと思う。カッターナイフで血が出る程度に切ったところで、跡は残らないからだ。

 翌朝、傷を見せるでもなく隠すでもなく、朝ご飯パンを食べていると、両親が傷に気付いた。「見ろよ、あの厨二病自分可哀想だとでも思ってんのかね、受ける」と両親は私を指さして笑った。

 両親が心配するような期待はしていなかったけれど、喜ばれるとは思っていなかった。アホらしくなって気持ちが冷めて、その後自傷行為はしなかった。

 ちなみに、この話を中3の時の担任にしたら「リスカを止めてくれるなんてなんて素晴らしいご両親なんでしょう!感謝しなきゃね!」と一人勝手に感動してうっとりしていた。

 その時の、両親に怒鳴られ、殴られ、笑われる夢を見た。カッターナイフの刃が腕に入っていく感触も蘇った。

 朝起きて、もう父と暮らすのは無理だ、と強く思った。父と一緒にいると、父がどんなに優しく親切にしてくれても、すごく苦しくてモヤモヤする。その正体を見たような気がした。

これから

 その日、私は父を拝み倒した。しばらく、おばあちゃんの家に住ませてください。どうかお願いします。お父さん、ごめんなさい。嫌な夢を見て、死にたくなりました。と言った。父はめちゃくちゃ動揺していたが、死にたいと言った私の勢いに押されて、別居する上に経済的援助をするという、無茶苦茶な条件を飲んでしまった。父のための家事を放り出すのに、お金請求するのは自分でも無理筋だと思ったが、通ってしまった。あと、父は身内が生活保護になるのは困るみたいだ。

 こないだジュンク堂立ち読みしたギャンブル依存症の本が役に立った。ギャンブル依存症の夫を持つ妻は、治療お金を夫の親に出してもらいましょう。1ぺこり300万円です。頭を下げてお金をもらいましょう。私はこれを読んで、生き残るためにプライドや気まずさを捨てよということだと思った。

 とりあえず、半年分の生活費を私の口座に振り込んでもらった。汚い生き方だ。でも、死ななきゃいいんだ。

 今はB型作業所だけど、父と離れたら健康になってもっと働けるかもしれない。そうしたら、いつか自分お金で全て賄える日が来るかもしれない。そう思っている。

2022-08-25

月火水木金土日月火水木金土日月火水木金土日月火水木金土日月火水木金土日←一生これの繰り返しなのが怖すぎて狂いそうになるここから出してくれ

2022-08-09

コロナ職場ヤバイ

まりは先々週末。

金曜に一人体調不良で早退して、開けて月曜に聞いたらコロナだった。

で、月曜火曜あたりは休む人もいたが水曜あたりから休む人が増えて週末には部署の三分の一が新型コロナだった。

で開けて昨日月曜に出勤したら三分の一が半分に増えてた。さら今日月曜に出勤した一人が感染していた。

から人借りてどうにか回してるが、正直もうお盆休みにしちゃっていいんじゃないかな?思います

2022-07-05

転職たから前の会社での失敗書き捨て

入社2日目で社用車ぶつけた

駐車スペースに車止めが無くてバックし過ぎてフェンスに当てた。

リアフェンダーがちょっと凹んだ。

元々ちょこちょこ傷入ってる車だったせいかバレなかった。

「また誰かぶつけやがったなー」とは言われていたらしい。

ちなみに数年後にその車のフロントフェンダーを凹ませたが、どうせ今回もバレないだろと思って黙ってたら本当にバレなかった。

偉い人にインフルエンザ予防接種の案内するの忘れてた

めっちゃ怒られた。

でも言い訳はあって、元々別の部門担当役員で、いつもその部門女子事務から案内が回ってたのよね。

その女子退職したら、役員への案内が引き継がれていなかったらしい。

偉い人に健康診断の案内するの忘れてた

めっちゃ怒られた。

これは純粋に忘れてた。

常勤扱いのくせに一切会社に来ない人だったので脳内非常勤と同じ扱いをしてしまっていた。

すみませんでした。

他社との連携システムの処理確定後に間違いが発覚した

なんとか修正してもらえたんだけどめっちゃ大変だったらしく、普段ものすごく愛想よく対応してくれていた他社担当者がマジ切れな雰囲気

「二度とやらないでくださいね

一言。本当に申し訳ございませんでした。

とある補助金を百万単位で誤請求していた

1件の間違い発覚から連鎖して発覚。

過去全件調査しなおして国に返金した。

間違えて多く貰ってたのを返すわけで、会社に損害を与えたわけではないが、それなりの金額だったので上司からめっちゃ詰められた。

単純に自分ミスだったがその上司のチェックを経て役所に提出していたので、あんたも連帯責任じゃねーかと思った。

雨漏り放置して酷いことになった

会社とある箇所が雨漏りしてて、俺は業者呼んで天板外して調査たかったんだけど、上司

「金がかかることをやるより、まず自分で何とかしてみろ!」

という人だったので、一応思いつく限りのことはやってみた。

が、改善しなかったので、もう一回業者に頼みたいと申し出たのだが却下され、めんどくさくなって放置

めっちゃ悪化してから別の上司の指示で業者修繕。

上司に超詰められたがぶっちゃけアンタの指示のせいじゃねーかと思っていた。

社宅の退居が間に合わず自分費用立て替えた

社宅に住んでた従業員退職することになったので退居手続きをしていたのだが、なんか実際にいつ退居可能かをちっとも連絡してこないので、なんかおかしいなと思って、念のため現地を見に行って良いか上司相談したら

「そんなん一々見に行かなくていいだろ」

却下された。

数週間後、やっぱり不安だったので休みの日に自分で見に行ったら、素人になんとかするのは無理なレベルで荒れていた。

事情で退居日を後倒しするわけにはいかず、その従業員が手持ち現金がほぼ無いと言うし、上に相談したら会社は金を出さないと却下され、致し方なく諸々の退居費用(50万円くらい)を個人的に立て替えた。

なんとか回収できたから良かったけど、最初に現地確認しに行きたいと相談したタイミングで行けてたらもっと色々やりようがあったので上司を恨んだ。

別の上司から「お前が最初からその不安感をもっと真剣に訴えれば良かった」と言われたが、そもそも不安じゃなかったら見に行きたいとか相談しないわけで、その上司も恨んだ。

安い料金プランを提示されたので会社携帯auに一本化した

たぶんこの土日月は大変なことになっていただろうが、俺は相見積取って資料作っただけでau一本化を決済したのは上司取締役である

でも多分、めっちゃ俺のせいにされて文句言われてたんだろうなあと推測。

とっくに退職済だからしらねーけど。

商品未着で詰められた

とある商品が届かず、先方に確認したら、発送済なので宅配業者の都合じゃないかとのこと。

業者確認したら翌日に届く予定だという。

偉い人が「今日届かないと困るのにお前何やってんだ!」と激怒

しかし元々お届け日を指定できないもので、それは報告していた。

つれえなあと思った。

とある設備投資ギリギリになった

事情で期日までに実行しないといけない案件があったんだけど、上司に言わせれば

「お前の計画には問題がある」

とのことで却下されまくって嫌になって先送りにしてたらギリギリになった。

まあ一応間に合ったんだけど業者迷惑かけて本当に申し訳なかった。

お上司の認識としては「ギリギリのところで今回も俺がお前を助けてやった」だったらしいのだが、ぶっちゃけ俺の当初プランどおりじゃねーかと恨んだ。

サボってたらバレた

上司が「俺が頼んだ仕事が終わってないくせに俺より先に帰るな!」というタイプの人で

でも資料作って相談しては却下されまくるのが本当に嫌で、定時後に上司が帰るまで1~2時間仕事するフリしてた。

パソコンログ調査されサボってたのが発覚して超怒られた。

これでこの上司の下で働くのもう無理だなと思って転職活動した。

今にして思えば割と鬱だった

俺、元々朝は普通に起きられるし休みの日も特に長く寝るってこともなかったんだけどさ。

ある時期からホントギリギリまで寝てたし、休みの日も半日とか寝るようになってたのよね。

あれって、今にして思えば「起き上がれなかった」んだと転職してから気付いた。

元々普通に寝起きできる人が寝られなかったり起きられなかったりするのは異常だから皆さん早めにメンタルクリニックへ行くべき。

てか、あの頃お世話になれれば鬱で休職してたと思うんだけど、鬱の診断ついてたら住宅ローンの団信が通らなかった疑惑なのでどちらが良かったか自分でもわからない。

anond:20220704213243

2022-04-04

anond:20210510005454

何故受注生産にしないのか。

賞味期限の件で某チーズケーキ屋が炎上したこと記憶に新しい。

このお店は日月曜日限定、かつ品薄商法販売していたが、実は在庫を沢山抱えていたということが最近発覚した。

発覚した要因となったのは、賞味期限が6ヶ月あるとHP記載されていた為、10個まとめて購入した人が残り2ヶ月しかないものが来たツイートしたことからである

受注生産にしていたらこんなことにはならなかったのにと思ったものだ。

増田自身東北の某和菓子屋東京の某洋菓子屋等、転売ヤーとの競争に負け、いつまでも物を手に入れられないでいる。

もう一度問おう。

何故受注生産にしないのか。

何ヶ月、何年かかっても良い。

先払いするからいつか食べさせてくれ。

憎き転売ヤーから買いたくないんだ。

お願いだから受注生産してくれ。

2022-04-01

anond:20220401095635

跡形(あとかた)

形跡(けいせき)

足長(あしなが)

長足(ちょうそく)

雨風(あめかぜ)

風雨(ふうう)

勝戦(かちいくさ)

戦勝(せんしょう)

気短(きみじか)

短気(たんき)

鼓腹(こふく)

腹鼓(はらづつみ)

子孫(しそん)

孫子(まごこ)

事物(じぶつ)

物事ものごと)

月日(つきひ)

日月(じつげつ)

日毎(ひごと)

毎日(まいにち)

2022-02-18

増田メンヘラにとって救済をもたらすサービスであり続けて欲しい

私は「インターネット上で故人のブログが閲覧できる」ということを知り、廃墟サイトまとめを閲覧していた。

そもそも一体なぜ私が故人のブログに興味を持ったのかということについて述べたいと思う。中学生の頃、図書館南条さんの本を借りた。当時私はリスカアムカを常習的に行っていた。そのような自傷行為きっかけで南条さんの本に辿り着いたと記憶している。

本には、南条さんという人物について、また彼女インターネット上に残したものについて書かれていた。


「死んだらインターネットで公開したものが残り、さらには書籍化されるパターンもあるらしい」

衝撃だった。

南条さんは、生存した証をインターネット上に残して死んだ。いや、「生存した証がインターネット上に残ってしまった」と言い表した方が正しいのかもしれない。


さて話を戻すと、インターネット上で閲覧できる故人のブログというのが、二階堂さんの「八本脚の蝶」という日記サイトだった。利用されていたのは「@niftyホームページサービス」で、このサービスから推測できるように、当時はまだ世の中に気軽に開設可能ブログサイトは広まっていなかったのかもしれない。

二階堂さんもまた、南条さんと同様にに生存した証をインターネット上に残して死んだ。特筆しておくべき点が、二階堂さんは南条さんと異なり「自らの意志生存した証をインターネット上に残して自殺した」という点である


私は、南条さんも二階堂さんもインターネット上でリアルタイムにて追うことができなかった。そのことについてなぜか「残念だ」と感じてしまうの自分自身気持ち不謹慎でたまらなかった。

インターネットではブログサービスの代りに増田流行り始めた。私は主にメンタルヘルスについて発信している増田を好んで見ていた。そのうちそのクラスタ内のある増田について「どうやらあのアカウントの持ち主は自殺したようだ」と囁かれている場面に何度か遭遇するようになった。

このような場面を目撃し私は、非常にモラルの欠けた発言になるのだが「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と感じるようになっていた。


さて、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化され河出書房新社より発売された。文庫化されるという情報を得た時点で既に私は、自分の心の中で妙にひっかかるものを感じていた。故人の尊厳について考えた。

前置きは長くなったが、本編の日記を読んで感じたことを述べていこうと思う。



その日記は2001年6月13日水曜日から始まっている。

はいつの間にか、2001年当時自分が何をしていたかということについて思いを馳せていた。2001年6月13日水曜日、私は小学6年生だった。私は6年生のゴールデンウィーク旅行先で体調を崩し、風邪をこじらせてしま入院した。自宅で寝ていると熱がぐんぐん上がり、布団に包まっても寒くて寒くてたまらなかった。後になって改めて親とその話をしていると、どうやら熱性けいれんを起こしていたらしい。

ところで北海道運動会は春に行われる。私は運動会当日までに退院することができた。当時の担任先生が「持久走どうする?」と確認してきたので、私は「徒競走だけ出ます」と答えた。グラウンド5周の1キロなんて走りたくなかったのである

私にとってそんな小学最後運動会が終わり、初夏なのか蝦夷梅雨北海道にも一応梅雨のような時期が一瞬だけ存在する)なのかわからない曖昧気候の中で、小学生活を送っていた。おそらくそれが、私の2001年6月13日水曜日だったのではないかと思う。


2002年4月8日、月曜日。おそらくこの日に私は中学1年生になった。中学校に進学したといっても、私が通っていたのは小中併置校だった。わかりやす説明すると、小学生の教室が校舎の2階にあって、中学生教室が3階にあるということだ。つまり中学生になると階段を上る段数が増えるだけのことである

私は新学期の校舎の何とも言えないにおいに敏感な子どもだったので覚えているが、小学生のフロア中学生フロアとでは、においが異なっていた。中学生の階の廊下教室は、やはり中学生らしい大人っぽいとでも言ったらいいのか、とにかく少し変なにおいがしたのを覚えている。

4月も8日頃となると、多くの会社にとっては新年度区切りを迎えてから日経過したというところで、まだ新しい環境には慣れていないという時期ではないだろうか。

2002年4月8日の月曜日二階堂さんにとってのこの日は、ある本に引用されていた詩を見つけることができた日ということになっている。どうしても読みたくて探していたのだという。彼女にとってのちょっとした記念日であるように感じられる。


2002年の3月末~4月初旬の彼女日記確認してみると、すっぽりと更新されていない空白の期間になっていることがわかった。年度末から年度初めは、やはり忙しかったのだろう。

彼女文学部哲学科を卒業した後、編集者レビュアーとして働いていたようだ。新年度が始まって早々しかも平日に、ずっと探していた本が見つかったという出来事日記に書くほどに、彼女は本に対してかなり熱心な人物だったんだろうとぼんやり想像する。


2003年4月1日火曜日、この日は平日だ。

平日だが、二階堂さんの日記は「その一」「その二」「その三」「その四」「その五」「その六」「その七」、これに止まらず「その八」「その九」、さらに続き「その一〇」「その一一‐一」と綴られている。私はそのことに気付き、なんだか雲行きが怪しくなってきたと感じた。「その一一‐二」「その一二‐一」「その一二‐二」と日記は続くが、いくら新年度決意表明にしても長編すぎやしないだろうかと思う。「その一二‐三」の日記の次に、彼女はやっと翌日の4月2日を迎えられたようだ。

しかしその4月2日水曜日日記タイトルは「その一」とある。この日は「その七」まで綴られているが、分割されている記事もあることを踏まえるとトータル9回更新されたということなのだと思う。おそらく当時はスマホなど普及していなかったはずなので、勝手個人的な予想になるが、彼女は自宅で夜中になるまで複数回にわたってブログ記事投稿したのではないかと考える。もしくは、職場PCから小分けして投稿していたという可能性も考えられる。しかし、2002年4月8日月曜日日記から判断する限り、彼女であれば絶対にそんなことはしないのではないかと思う。


投稿あたりの文字数は、今でいうブログ(いわゆる収益化を目的としたブログ)と比較するとかなり少なく感じられる。

しか彼女複数回に及ぶブログ投稿現代増田で例えるなら、短文の増田をかなりの回数にわたって連投しているという状態に置き換えられるのではないかと思う。多くの人はそのような増田のことを、はてなーもしくはいわゆる「病み増田メンタルヘルス系の内容を扱う増田の中でも特に思春期中高生が該当するように思う)」に分類すると思う。事実私も、一晩にかけてそのように連投しているアカウントを見かけると、どうしてもメンタルヘルス系の悩みでも抱えているのだろうかと見なしてしまう。

さて連続して投稿された日記の内容はというと、私が生きてきた中でそのタイトルも作者も聞いたことがないような本から引用である。また、彼女が数年前に受け取ったと思われる知人から手紙引用している投稿も見られる。


ふと私は、おそらく二階堂さんは思考の整理のためにブログを使うというやり方をとるタイプ人間ではないだろうかと感じた。というのも私も時たまTwitterをそのような用途に用いるかである。そしてどういうときにその思考の整理をするかというと、それは「ものすごく死にたいが、どう対処していいか方法が見当もつかないときである。これについては、もしかするとピンとくる方もいるかもしれない。そのようにしばしば私はTwitter思考の整理を行う。なぜなら自分自身脳内の回転及びそれによって生じる思考インターネットに吐き出さなければ、到底処理しきれない状態に陥っているからだ。

そしてなぜあえてインターネット吐露するのかというと、リアル社会には私の話を聞いてくれる人が存在しないからだ。私にとって、リアル社会相手の様子を窺いつつ的確なタイミングでふさわしい言葉相談を持ちかけるという動作は、極めて難しい。過去に何度も相談時のコミュニケーション挫折する経験を重ねたことがきっかけで、そのような事態に辿り着いてしまったのではないかと疑っている。


彼女本心は今となってはわからない。そのため私のような人間が、勝手彼女自身を重ね合わせ、どこかに類似点があるのではないかとあれこれ想像してしまう。

ふと、彼女の死とはこのような在り方でよかったのだろうかと思わず考えてしまう。死後に自分作品が残るとは、そういうことなのだと思う。


2003年4月に私は中学2年生になり、無事に厨二病発症した。インターネットに本格的に参入したのは、この時期だったか記憶している。休み時間には、情報担当教諭ヤフージオシティーズアカウント取得を手伝ってくれた。

やはり、当時はまだブログがそこまで一般的ものではなかった。私はまずは無料レンタルスペース(現代でいうレンタルサーバーのようなもの)を契約個人サイトを作っていた。そしてレンタル掲示板を設置し、同盟バナーハッシュタグで繋がる文化など当然存在しなかったため、共通趣味で繋がる同盟という文化が主流であった)を貼り、繋がっていた。あの頃はそのような時代であった。

私は夜な夜な日記(これはノートに綴った日記であった。というのも夜はインターネットができない家庭環境にあったのだ)を書き、アムカをするようになっていた。田舎特有地域性、そこで生じた問題、そして本来の私の性格と一体何が根本的な原因であるのかはわからないが、ちょうど家庭内でもそこそこ大きな出来事が発生し、私は混乱のさなかにあった。

やがて私は個人サイトの別館を作るようになった。それはおそらく現代でいうTwitter複垢サブアカウント)のような類に非常によく似ているのではないかと思う。私はやがて、いかにも「メンヘラポエム(笑)」と晒されそうな文章を拙いながらも公開するようになっていた。


私は日本におけるインターネット内でポエム馬鹿にされる風潮にいまいち納得がいかないので補足するが、あの頃は「テキストサイト」とカテゴライズされる個人サイトが充実していた。現代詩ともエッセイともいえない、インターネットならではの文章ポートフォリオのようにまとめた個人サイトは、当時かなり多くみられたように思う。

このように、思春期も相まって私は何かと思いつめて過ごす時間が多かった。先に述べたアムカをするようになったのは、確か半袖を着なくなった秋頃だったか記憶している。


二階堂さんの日記は2003年4月26日の土曜日更新が途絶えている。4月26日というと私の誕生日の翌日なのだが、そんなことなど今はどうでもいい。4月26日の日記は、6回更新されている。「その一」「その二」「その三」、そして「お別れ その一」「お別れ その二」「お別れ その三」という題で投稿されている。

そしてその後に、おそらくこれは投稿時間を設定したことによる自動投稿なのではないかと思うのだが、「最後のお知らせ」が更新されている。その内容は、「2003年4月26日のまだ朝が来る前に自ら命を絶ちました」という旨を報告するものである


人の死についてあれこれ憶測することが心苦しいが、おそらく夜中のまだ朝が来る前に、最期のまとめとお別れの言葉を、何人かの対象に向けてそれぞれ投稿したのではないかと思う。そして、2001年から更新が続いていた日記ありがとうございましたという言葉で締めくくり、パソコンシャットダウンしたのかどうかはわからないがきっと彼女ことなら身支度を整えてどこか高い建物へ向かい、そして亡くなったということだと思う。


インターネット死ぬとはこういうことなのか。


断っておくと、私は『八本脚の蝶』すべてを読破したわけではない。二階堂さんが好んだ幻想文学などの専門分野について私は詳しくないため全文の理解が困難であるという言い訳により、私は挫折した。しかし何とも言えないモヤモヤとした疑問が残った。

冒頭で私は「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と述べた。再度ここで明記するが、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化された。

しかするとインターネットに生きた証を残して自殺するということは最悪な選択肢なのではないかと私は思った。というのも、自らの意志に構わず書籍化され、需要編集者の熱意があれば数年後に改めて文庫化されるというパターンもあり得るということが今回わかったかである


果たして彼女はそのようなことを望んでいたのだろうかと、厚かましくも疑問に感じてしまう。世に広まるということは、全く想定していないターゲット層にまで届いてしまうということだ。もしかすると「自殺なんて弱い人間が行うことだ。自殺をする人間は敗者だ」などと主張する層に触れ議論を呼ぶこともあり得るかもしれない。

事実書籍化された『八本脚の蝶』は私のような読者にまで届いたし、加えて私は今こうしてこのような文章まで書いている。果たして私のこのような行為は許されるものであろうか。


文中で軽く触れたが、私にとって増田思考の整理のためのツールとして役立っている。

私は物心ついた頃より、「この子ぼんやりと過ごしているねぇ」と周囲から見なされることが多かった。しかしその一方で、「あなたは随分と真面目だね」などと言われる場面もたびたびあった。その理由について私は、私の脳は必要以上に過剰な思考を行っているためではないかと考えている。


私にはストレスや言いたいことを溜め込む傾向がある。「我慢しちゃだめだよ」とかなりの数の人たちから言われた経験がある。しかし、言える相手に言える範囲相談をし、さら増田で大量に噴出しても追いつかないのが残念ながら現状なのだ

私は、増田を含むインターネットとは「最後の砦」であると考えている。リアル社会で捨てきれない期待をインターネットに託している。もし私がインターネットに見捨てられたなら、どうにかして確実な方法で間違いなく命を絶つと思う。それほどまでに私はインターネットに縋り付いている。


果たしてインターネットは苦しみの最中に置かれた人間にとっての救いとなるのだろうか。

今となっては、様々な利用目的によりインターネットは利用されている。インターネット事業を興し収入を得る個人も随分と多く見かけるようになった。しかインターネット上に人が増えたわりに、一向に私はそこで救われることがないように感じる。

私はリアル社会の中で、絶望絶望を重ねている。冷静に振り返ると自滅して傷ついている場面が多いようにも感じられるが、何らかの救いを求めてインターネットに入り浸っている。もしも私がインターネット絶望しきってしまったのなら、それは完全に終了の合図だ。「死」以外に何もあり得ない。


インターネット彷徨っていると、「死ぬ以外の選択肢が無いために死ぬという選択を取った」という人間が多数存在することに気付かされる。

二階堂さんが一体どうして「八本脚の蝶」というウェブサイトを立ち上げたのか私にはわからない。もしかすると彼女日記のどこかで触れられているのかもしれない。  

しかし、私にはそのことについて何時までもこだわっている時間は無い。正直に言うと、小康状態を保ちながら生きていく上では、他人のことを気にかける余裕など皆無なのだ。そして当然なことであるのかもしれないが、健康人間にとっても同様に、いわゆる「生きづらい人」を気にかける余裕というものは本当に無いらしい。最悪の社会だと思う。

しかしその「最悪な社会」だからこそ、インターネットは救済希望者を受け入れて欲しい。私の意図することをより明確に言い表すなら、「すべての利用者インターネットを通じて他者を救済する世界であって欲しい」。


相変わらず私はぐちぐちと思考の飛躍や感情上下運動に振り回される様子を、増田のしかも匿名披露している。どうかこのことに何らかの意味があって欲しい。

私は自分自身人生について、「あまりにも辛く、ほとんどの時間を疲れ果てた状態で過ごし、さらに今にも死にたくなる瞬間がたびたび勃発してしまう」ものであるように感じている。それならば、私の不幸によって同じようにどこかで苦しい思いをしている誰かが救われて欲しい。


自分自身とよく似たパーソナリティ人物言動思考を知ること」は、抱えている苦しみを解消することにかなり役立つのではないかと思う。そのような情報医療機関提供してもらう機会が少なく、私はインターネットに救いを求めている。そういうわけで私は毎日欠かさずインターネットを利用している。

私はインターネットヘビーユーザーのまま亡くなっていったすべての人たちを観測したわけではないが、目にした限り彼らは社会に対する憎しみを叫ぶことなどせずにこの世を去っていったように思う。彼らに共通することとしては、後世に何らかの表現方法アドバイスを残し、そして希望を託して亡くなっていったように感じられる。


私は彼らから希望を託された側として生を続けたいと思う。そしてそれがいつまでの期間になるかはわからないが、インターネットに救いを求めつつも、積極的自分自身の不幸を開示していこうと考えている。

増田には、メンヘラにとって永遠に救済をもたらすサービスであり続けて欲しい。

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