はてなキーワード: 雑談とは
こちとら中小企業(≠中堅企業。従業員50人程度で2割非大卒)で一般職やってて年収300万そこらのブスだけど、一流企業の社員とチョロく結婚できたぞ。
「あーこの人なら豪奢なニート生活を保証してくれるな。そこそこイケメンだしこいつがいいや」
同僚の同じ顔面レベルの子たちも同じく一流企業の本体社員とかんたんに結婚していった。
みんな服装とメイクは美人のそれだけど、実際の顔面はナイナイのお見合い番組出たら笑い者にされるような水準。
それでもキャノン、NTT東、損保ジャパンなどなど射止められてるんだからもう、なんというか…チョロすぎ!!
日大受かるほうが絶対に大変だし難しいと確信してる(カスリもせず落ちた)。
普通に可愛いくらいの顔の子だとそれこそ開業医とか射止めてる。
このへんの高スペック男と結婚できない女の子ってマジでなんなの?
私達だって別にコミュ力ないし、女子会開催できる程度に、初対面の異性と雑談交わせる程度に人間と口がきけるって程度のもんだよ?
上司がとても競争を煽るタイプの人で、彼自身が中堅大学から東大・京大卒をごぼう抜きしてトップに立った人だった。
その結果として、社員同士が仲良く昼ご飯を食べたり、雑談をしていたら、
「お前らはすぐ群れる。そういうところが精神的に弱いんだ。独立した人間は群れる必要がない。本当にトップの人間は孤独なんだ。孤独に耐える精神を身に着けろ」
と言い放ち、みんな昼食は各自デスクでボソボソと食べていたり、雑談はプライベートなLINEでやり取りをするようになった。
そのひとつ前の部署は、上司が典型的なほがらかおじさんで、優秀なんだけど、出世をあまり気にしておらず、
土日はばっちり休むし、「お前らも休みの日は仕事するなよ。有給はすきなタイミングで勝手にとれよ」と言ってくれたし、
昼飯は一緒に食べに行こうと部下を誘うし(もちろん無理矢理ではなく、行きたい人だけ)
その上司が単身赴任だったので、一人で夕飯を食べるのが嫌だったのか、よく飲みにも誘われた。
その部署から、花形の部署に異動となり、上記の孤独を強要する上司の下についたんだけど、
同じ会社で部署が異なるとこんなに雰囲気が異なるのかと唖然となった。
その上司はカリスマ的なところがあり、その厳しい雰囲気でも、付いていく部下はそこそこいて、
付いていけなくなった自分たちは彼らのことを信者と呼んでいたけれど、
そんな嫌味を言う程度では耐えられなくなり、多くの人が転職した。自分もだ。
いま冷静に考えれば、「トップの人間は孤独なんだ」は事実ではあるけど、
それはトップの人間は周りに相談することができても、最終的に一人で決断しなくてはいけない、であるとか
トップの人間は部下をマネジメントしたり、悩みの相談に乗ることはできても、
自分は自分自身でマネジメントし、悩みも自分で飲み込む必要がある、という意味であって、
間違っても、みんなで昼食をとらないとか、雑談をしないとかそういうことじゃないはずだよな。
当時は自分も少し洗脳されていたのか、そんなことすら気付かなかった。
周りが仲良くしているのを見るのが嫌だっただけなんだろうなと思う。
普段、他のエンジニアにものを教えるときに注意していることを書いてみる。教え方というよりは、主に心理的な安全について書いた。
例えば、間違った知識を持っている人にわざわざ親切に教えてあげたりはしない。特にSNSなどでそういう光景を見かけて、おそらく親切心から教えてあげている人もたくさんいるのだろうが、自分はこれをしないと徹底している。
あくまで自分の感覚だが、どれだけ親切心があったとしても、頼んでもないことをされるのは好きではないし、それを見ているのも気分が悪い。
しかし、その人に対して信頼関係があり、その人が自分の教えを待っている、という前提があるのなら話は別だ。情報を与えて喜んでもらえるならどんどん与えるし、その人がはやく成長できるようにできる限り努力する。人は学ぼうと自ら考えたときが最も効率良く学べる。
これは自分が経験あるのだが、知識がないことに呆れたような態度を示し、相手をばかにするようなことはしない。そりゃそうだろ、と思うかもしれないが、気づかずにこれをしている人は意外と多いと感じる。
例えば、日本語を学習中の外国人と話しているとき、間違った日本語を聞いて笑う日本人は少なくないと思う。おそらく、雰囲気を和やかにさせたいなどの別の目的がある場合もあるのだろうが、大抵は面白くて笑っている。これは逆の立場だったら傷つくのではないだろうか。自分は英語が話せない時期につらい思いもたくさんしたが、英語話者に英語を笑われたことはない。対等に扱ってくれることがとても嬉しかった。
これは、専門技術を教える際にも重要ではないだろうか。あくまでこれまでの経験が異なるだけで、自分が知っていることを知らないということは、おそらく自分が知らないことを知っているのだ。対等に扱い、相手に敬意を払い、ただ教えるということで、相手を萎縮させることなくのびのびと教えることができる。
`相手を馬鹿にしない`とも関わるが、相手を低く見ないということも重要であると思う。
例えば、難しい理論の説明を一通り教え終わったと仮定する。その際の、NG会話例を書いてみる。
NG例; 教師「以上です。わかりましたか?」 生徒「…」 教師「うーん、まあ難しいですかね〜w伝えきれてる気がしないですw」 生徒「まあ、多分だいたいはわかったと思いますが🤔」 教師「このへん自分はどうやって理解したかな〜wいつの間にか覚えてたんだよなーw」
NGな点を見ていく。
まず、`わかりましたか?`という聞き方はあまりよくないだろう。これに「YES」とはっきり答えられる人は少ないのではないだろうか。そうすると生徒は固まってしまう。そうではなくて、`気になるところはありませんか?`のようにきくと、どこが理解できていないのか、自信がないのかを把握することができる。
2点目は、笑いながら教えていることで、これは生徒によっては不快に思うこともあるだろう。雰囲気を和やかにする効果もあるし、もちろん雑談は重要だが、例にあるようなタイミングでするべきではない。
3点目は、相手を低く見ていることだ。`わかりましたか?`という質問で固まってしまった生徒に対して、追い打ちをかけるように、「わかっていない前提」で話を進めてしまっている。これでは生徒も、実際はわかっていても、わかっていない気になって自信をなくしてしまう。もしくは、「そんなのわかってるよ、Xすぞ...」のように思ってしまうかもしれない。このケースが厄介なのが、悪意がない場合が多いことである。しかし、低く見ているというのは意外と相手に伝わってしまうし、人によってはいろいろな印象を抱くものだ。ちなみに、人は否定された人に対して、最も辛辣な批評者になり得るらしい。信頼関係を崩してしまうと、教えること自体できなくなってしまうので、相手を不快にさせずに以下に導くかというのは大事だと思う。
4点目は、自分に酔ってしまっていることだ。こんなことしないよ、と思うかもしれませんが、意外とやっている人を見かける。合コンと同じで、きかれてもいないのに自分の知識や経験を見せびらかすのは避けたほうがいいと自分は思う。
あくまで参考だが、上記を改善した会話は以下のようになるだろう。
OK例; 教師「以上です。なにか気になるところはありますか?」 生徒「そもそもXXがなんだかわかっていない気がします」 教師「なるほど!XXは(説明)ですね。昔にやったYYと関連しています。覚えていますか?」 生徒「ああ〜やっと理解できました」 教師「👍ちなみに、ZZをみておくとさらに理解が深まると思うので、暇な時にやってみるといいと思います」
明らかな間違いでも、まずは断定しないことが大事だと考える。ケースとしては、テキストで原因ややったことを詳細にまとめてある場合ではなく、口頭で質問などをされた場合だ。
NG会話例を書いてみる。
NG例; 生徒「こういうエラーがでちゃって動かないんですけど、なんでですかね?」 教師「これはXXが原因ですよ。YYをみてみてください」 生徒「YYは先程確認して問題なさそうだったんですよね」 教師「あれ、もう一度確認してもらってもいいですか?」 生徒「…」
上記のようなやりとりはよくあるかもしれない。しかしながら、(信頼関係が薄い段階では)いくつか問題がある。
1点目は、自分が間違っている可能性もあることだ。状況をよくしらないまま判断し、生徒がすでに行っていることを言ってしまうと、人によっては不快に思うかもしれない。
2点目は、生徒を信頼していないことだ。`あれ、もう一度確認してもらってもいいですか?`は、少なくとも`あれ、ごめんなさい。じゃあ、一緒に確認してみますか`であるべきだと思う。
これを踏まえると、下記のような会話になる。
OK例; 生徒「こういうエラーがでちゃって動かないんですけど、なんでですかね?」 教師「なるほど。ちなみに、ZZとかVVは試しましたか?」 生徒「ZZ、VVは先程確認して問題なさそうだったんですよね」 教師「そうでしたか。ちょっと一緒に他のところもあわせて確認してみますか」 生徒「お願いします」
同じような会話に見えるかもしれないが、こういう小さい心理的安全は重要だと考える。
詳細な説明が必要なときは、勉強会などを開き、体系的に教えたほうがモチベーションもあがるだろう。
例えば、`相手を低くみない`でみたOK例を少し変えて、NG例にしてみる。
NG例; 教師「以上です。なにか気になるところはありますか?」 生徒「そもそもXXがなんだかわかっていない気がします」 教師「なるほど!XXは(説明)ですね。昔にやったYYと関連しています。覚えていますか?」 生徒「ああ〜やっと理解できました」 教師「👍ちなみに、XXは基礎となる重要な知識で、知らないというのは論外です! XXというのはそもそも(非常に長い説明)なので、生徒さんの実装は間違っています。 ZZをみておくとさらに理解が深まると思うので、暇な時にやってみてください」
これをされると、ウッと来てしまう人は少なくないのではと思う。特に、テキストで非常に長いコメントがプルリクエストについたりするときついものがある。
これを解決するために、長いコメントや説明になりそうな場合は、概要だけ伝えたあと、別途、勉強会や読書会などを開き、体系的に学ぶ機会をつくってあげたほうがいいと考える。コストは掛かるように見えるかもしれないが、総合的には時間の節約になるし、他のメンバーにも知見を共有できるため、チーム力を上げることもできるだろう。
また、もしそれをする時間がない場合は、なんらかのフォローアップをしてあげたほうが良いだろう(テキストで伝えたなら→口頭で`あれ大丈夫でした?`、口頭で伝えたなら→`いやー、意外とむずいですよねw`など)。
以上が、私がエンジニアを教えるときに気をつけていることだ。気にしすぎかもしれないが、自分が逆の立場だった経験もあるし、もちろんこれからもあると思うので、こうあってほしいという想いもあって書いてみた。ぜひ他の人の意見もきいてみたい。
話しても大して盛り上がらないか、そもそも会話すら成立しない。
よくある悩みのようだが、私も長年これを抱えていた。
早くに克服できていれば、恋愛的にもう少しオイシイ思いもできていただろうが、済んだことはもうどうしようもない。
話しかけられてもうまい返しができず、話しかけようにも話題がない。
なぜならば、職場の人たちはそもそも私と雑談することなど望んでいないから。
雑談があってもなくても、必要な業務が滞りなく進みさえすればそれでいい。
そう考えるようになってからは幾分楽になった。
何事も目的意識が大切。
本稿では、現在の「ファン/オタク」が「関係性消費」を志向するようになってきているという事象を踏まえ、その内部の「男オタク」と「女オタク」のジェンダー格差や、関係性消費の今後について多角的な視点から分析を試みる。なお、本稿においての「オタク」は、二次元三次元を問わずある作品・概念・グループなどを愛好すると自認している人々のことを指すポジティブな言葉として用いる。拡散し多様化するオタク文化は2次元と3次元の壁を超え、全体像を画一的に語るのはほぼ不可能なため、ジャンルやジェンダーに関する詳細については各部で詳細を補完したい。
「日常系」は広大なオタク市場の中でもかなりの割合を占める作品群だ。基本的には複数の女性キャラの日常生活を描写した4コマ漫画が多く、それを原作としたアニメは2010年代以降各クールに2~3本は放映されている。基本的にドラマティックで壮大な展開や激しい戦闘を行わない、いわば反「セカイ系」カルチャーともいえるだろう。源流としては美水かがみ「らき☆すた」(2004)や、なもり「ゆるゆり」(2008)などが代表的なものとして挙げられるだろう。00年代初頭から現代まで増加傾向にある「日常系」は、現在も各メディアで売れ続けている。この背景には、やはり弛緩した日常風景の一瞬・ごく短いセリフや1コマのシーンの行間を読む関係性消費への志向への高まりが一因であると思われる。日常系の「物語性のなさ」は、逆に巨大な「行間」を生み出し、そこにオタクが各々関係性や物語を想像して消費することができるからなのではないだろうか。
関係性消費について、2,5次元舞台での「リアリティの担保に参加しつつ、舞台裏も消費するファン」や、「タカラジェンヌの四層構造」(東 2015:96-98)*1 で取り上げられた「各レイヤーを横断し、その要素を複雑に融合させながら関係性を消費するファン」は非常に興味深い。これに似た位相にあるコンテンツに、「バーチャルYouTuber」が存在する。「バーチャルYouTuber」とは、2D/3Dの二次元的アバターを現実の肉体の動きとシンクロ(トラッキング)させ、そのキャラとしてゲーム実況や雑談配信などを行う人々の事を指す。そもそも「YouTuber」の動画には前提とされる物語や世界観はなく、その動画単体でも楽しめることが前提とされており、多くのバーチャルYouTuberも同じく、上記の「日常系」にも通ずる他愛もない放送を行っている。しかしここにおいて重要なのは、「日常系」を「実在の人物が演じる」ことがコンテンツとして確立し、今流行していることである。難波優輝は「Vtuberの鑑賞の構成要素は、パーソン、ペルソナ、キャラクタという三つの身体に分けられる。そして、ペルソナとキャラクタ画像がつねに重ね合わせられ、かつ、パーソン/キャラクタとペルソナの層がそのつど関係づけられながら、装われるペルソナが鑑賞者の鑑賞の対象になっている」(難波 18:121)*2 と論じ、これを「Vtuberの三層構造」と名付けている。
そしてバーチャルYouTuberは、電子の肉体によって軽々と他のバーチャルYouTuberとの関係性を構築する。コラボ放送などでみられる仲睦まじい様子を、鑑賞者は「Vtuberの三層構造」を横断し、「彼/彼女らのパーソンのレイヤーでの関係性」が見え隠れする片鱗をSNSや動画において意識しながら鑑賞しているのである。また、バーチャルYouTuber側も当然「パーソンを消費される」ことに対する意識を持っているため、現実世界でパーソン同士が実際に会い、その時食べた飲食物の画像を投稿する、それに対して「パーソン・レイヤーにおいても継続される強い関係性」を読み取れるようになる、といった事象もあった。これはまさにタカラジェンヌの四層構造における「芸名の存在」におけるパフォーマンスと相似であり、その表象が3DCGやVR機器の発達によりさらに「オタク」向けに変化(美少女・美少年だけに限らず多様化)したものではないだろうか。「日常系」と「関係性消費」の拡張であり、またジェンダーと次元の攪乱への大きな手掛かりとなるムーブメントだと考えられる。
つまり、「実在の人物が裏に存在するという事実に裏打ちされた生々しい日常系・関係性」が、液晶内のキャラクタバターと動画配信という形態の手軽さにより、オタクの関係性消費への志向は次元を超えてさらに加速していくと予想できる。
・関係性消費における性別によるジャンル分け(女性向け/男性向け)の無意味さ
前章で関係性消費への志向がさらに高まると予想したが、本章ではオタクのジェンダー格差について女性向けジャンル・男性向けジャンルという分類の持つ意味合いやその内部の消費形態に差異があるのだろうか。
もちろんHL(異性愛)文化を扱う少女マンガ・少年マンガにおいても恋愛・友情・ライバルなどの相関図は存在するが、メインとなるカップル男女の恋愛関係がメインに据えられることが多い。一方BL/GL文化ではそれ以外の登場人物の関係性をより深く読み込み二次創作に落とし込む、あるいは理想の相関図を一次創作で描き出す。今後どんどん規模を増していくであろう関係性消費においては、性別によるジャンル分け(女性向け/男性向け)は無意味になっていくのではないだろうか。しかしここではあえて、わざわざラベリングされている「腐女子」と「百合男子」という言葉の意味合いについて掘り下げ、BL/GL(同性愛)ファンの文化それぞれの特徴から考察してみたい。
女性オタクの人文学/社会学的研究に関しては、特に「腐女子論」か「ジェンダー論」による先行研究が数多くある。その中でも数多く散見されるのは、「主体的な女性の性的欲望の解放」といった視座からの言説であった。特に「腐女子論」と「ジェンダー論」を組み合わせた言説では、「自らの女性身体が侵されない安全な領域において、性的な表象を消費するためにやおい文化は発達した」といったものも存在する。しかし、現在においてこれらの言説に私は違和感を感じる。勿論そういった側面も確かに存在する(した)と思うが、現在の日本の混沌としたオタクカルチャーの中で女性オタクの中から腐女子だけを切り取って上記のように論じるのは既にごく限られた一部の事例においてしか適用されない理論であるように思う。
今あえて「腐女子」を論ずるならば、私は「腐女子同士の関係性」に目を向けたい。腐女子であることによる世間からのマイナスイメージを払拭しようとしたり、イベントやSNSでの趣味やスラングの共有による特殊な連帯が、このコミュニティでは無数に形成されている。やおいコミュニティの特殊性について東は、「やおいを好む女性たちは、一様に異性愛から疎外されているわけでも、異性愛を拒絶しているわけでも、異性愛を欲しているわけでもない。彼女たちはただ、異性愛を排除したところで成り立つ、女同士のホモソーシャルな絆がもたらす快楽を求めているのである。」(東 2015:236)と述べている。さらに、腐女子は扱う創作物の特性上セクシャルマイノリティに対する理解が深く、またホモソーシャルな絆から発展し、腐女子同士が交際していることなどもよく小耳に挟む。シスターフッドやレズビアン連続体、ホモソーシャルな関係性を含んだ腐女子コミュニティは、作品上においても現実世界においても強い「関係性」を追い求めている集団なのではないだろうか。
では次に、GLを愛好する男性オタクについて考察してみたい。残念ながら、男性オタクの先行研究は数多くとも、その内容は美少女キャラクタへの欲望やコミケでのゆるやかなホモソーシャルな交流などになり、「百合男子」単体にスポットライトを当てたものは見つけられなかった。なぜなら、GLというコンテンツは受け手のジェンダーによって大きくその意味合いが変化してしまう場合があるからである。そして男性のGL愛好者は、「美少女キャラクタへの性的な消費」という使い古された言説の中に含まれ見えなかった存在であり、その消費の仕方は齊藤によって「腐女子との比較でいえば、男性おたくの『萌え』にとっては、関係性のプライオリティはそれほど高くない」(齊藤 2009:154)*3 と評されていたのだ。よって、ネット上でGLを愛好するファンは「百合厨」「百合豚」などと呼称され、その性別は限定されていない。これはGLというジャンルを男性だけが消費することに対することが上記の齊藤の言説のような文脈を帯びてしまうことに対する対策と、実際にファンの男女比がほぼ半々であるため、両方の理由によるものと思われる。逆説的に考えれば、「腐女子」という呼称が流行ったのはBLというジャンルを女性が消費することを蔑視されることに対するアンチテーゼとして、BLファン当事者たちが自らをそう名乗ったことに起原するのではないかとも考えられる。
また、百合厨コミュニティにおける異性愛忌避の姿勢は、腐女子コミュニティのそれに比べてはるかに厳格なものに感じられる。先に述べた「男性による女性キャラクタの性的消費」とは違うことを宣言するために「百合男子/厨」を名乗った男性オタクたちは、腐女子のようにホモソーシャルな絆を構築することはなく、二次元三次元を問わずして異性愛的な欲望を抑圧されるようになった。この構造は腐女子のジェンダー論に見られた主体的な性消費の解放とは真逆の道を辿っており、非常に面白い点だと思っている。
こうして述べてきたように、同性愛コンテンツのファンの構造は非常に複雑で特殊なルールの基に成立している。しかし、上記の性的欲望を抑圧される百合男子に関しては、百合というジャンルの男女比がほぼ同じであることに大きく由来するだろう。つまり、「同性愛コンテンツを扱うにあたり、そのファンは異性愛を忌避しなければいけない」といった暗黙の了解のようなものがオタクの中で存在しているということである。これに関しては、創作物と消費者のセクシャリティは隔絶して考えるべきであるという立場をとりたい。そして、特殊な連帯がプラスにもマイナスにもなり得るBLファン界隈と、ジェンダー問題に揺れるGLファン界隈は、第一章で述べたバーチャルYouTuberの関係性消費をモデルとして再構築されつつあると考えている。バーチャルYouTuberの関係性消費は、非常に複雑なジェンダー攪乱が日常的に行われている。パーソンがシス男性、ペルソナがシス女性、キャラクタがシス女性のキャラ同士の「絡み」は、GLともBLともタグ付けをすることが難しい議論になってくる。しかし、その関係性に惹かれるファンはキャラクタとパーソンのジェンダーを軽々と越境し、その複雑な「関係性」を消費することができるようになるのである。これに似た現象はアニメ・漫画においても進んできており、創作物と受け手のジェンダーが必要以上にファンを語るうえで関係づけられることも少なくなっていくのではないだろうか。
【続きと参考文献リスト】
仕事としては15名分の写真を募って写真集にしてくれるサービスのとこ出して終了。写真の配置はデザイナーやってる旦那がいるとのことでうまくまとめてくれるらしい。
しかし誰も中心となってやろうとしてくれるお母さんがいない。
まあ言ってもそんなに仕事ないよということで気弱そうなAさんがリーダーをかってくれた。サブリーダーにうちの妻。
とにかくちゃっちゃっと決めればいいことを決められない。
連絡にLINEのグループラインを作るってだけに1週間以上かかった。
そして使い方が下手。こういうのは「連絡専用なので返信不要です」とか最初に言っとくもんだが、ちょっと投稿したら「ありがとー」とか返事が返ってきたり、関係ない雑談が始まったり。
とにかく「こうします!」という提案を出す人がいなく、なんとなくふわっとした感じで決まっていく。
そんな感じでなかなか進まないから写真をまとめてくれるデザイナーの旦那さんが「早くしてくれないと間に合わないんですが!」とちょっとキレてくれてなんとか進んだ。
妻は妻で「なかなか決まらない」てブーブーいうくせに自分で声をあげようとはせず愚痴だけを自分にいう。正直うっとおしい。もうやめてくれ。お前制作進行みたいな仕事昔してたやんけ。やろうと思えばできるくせに。
自分がやれば1週間で終わるやろな、てことを3ヶ月以上かけてる。ほんまクソや。
基本的に忙しい人で年がら年中会議だの何だので駆けずりまわっており、なかなか席にいない。
そのわりには報告事項をメールで送ったりすると「直接コミュニケーションするのが大事だ」とか言って口頭で報告するように言う。何度もあんたの部屋覗いているかいないか確認するのが手間だし、私は次々仕事が来ると古い仕事を忘れていくシンプルな頭の持ち主なので、忘れないうちにメールで連絡しておいた方が間違いがなくて良いと思うんだが。
そもそも私の担当業務をどうでもいい雑用として認識しており、「書類にハンコください」と言うとすごいスピードで押してくれるが、書類の中身はほとんど見ていない。そのわりには私のしでかしたミスはよく覚えており、「このミスは○回目だよね」などと指摘する。
それでも私は事務室や上司の部屋でこそっと注意されるのでましな方で、職場のほとんどが出席する会議の場で、「△△さんのところでは上手く仕事が回ってないので、いろいろなところにヘルプを頼んで改善しているところです」などと△△さんの能力を否定するような発言を平気でする。
△△さんの能力も微妙なところはあるようだけど、わざわざみんなの前で言わなくても関係者だけに伝えておけば良いだろうと思う。ご本人は健気に普通に出勤してなるべく笑顔も絶やさないようにしてはいるが、あの上司にダメ判定を食らうとさぞかし辛いだろうと思う。私が△△さんの立場だったらいつ何を言われたか記録しておいて、自分が病みそうになったらパワハラで訴えてやりたいと思う。
だいたいコミュニケーションが大事とか言いながら、楽しげに雑談などしているところを見たことがない。重要と思われる案件についてはまめに打ち合わせなどやっているようだが、そういうのが多すぎて、私のような下っ端が相談を持ちかける余地がない。
仕事はできる方なんだろうと思うけど、どうでもいいと思った仕事に対する扱いが手荒で、人に対する判断が減点法だ。大勢の前でスピーチするようなときは「人の良いところを見つけてほめるようにしましょう」などと言っているが、実践できてないのはお前だ。
これだったらもう少しボーッとした人で良いから、おおらかで人当たりの良い上司の方が良いなと思う。みんな何かしら上司に不満を持っているとは思うが今まであまり出会わなかったタイプなので書いてみた。
自分が所属しているサロンについてかきます。所属機関は半年です。
学習意欲のある人は楽しいけど、一方的に情報を受け取ろうとする人にとってはつまらないのかもしれない
「お金を払って何かをする」って搾取だか奴隷のように見えるけど、みんな大好きPDCAサイクルを回すことでちゃんと学習できるので、
その分の元は取れていると感じる
三人寄れば文殊の知恵じゃないけど、みんなで学習することにより客観視もできるから、めちゃくちゃ勉強になる
会社の先輩に飲み会帰りに「奢るから一回大人の階段登ろう」と言われて店舗型のヘルスにはじめていきました。
先輩もオタクで、自分もオタクなので、つまり、アニメキャラのコスプレをしてくれてサービスをしてくれるお店だったのですが、先輩は顔なじみらしく、お気に入りの女の子を指名しその子の気分で選ばせるようなことを言って、自分は初めてなので先輩おすすめの嬢を選んでコスプレは○音ミ○を選びました。
そのお店は、手だけのコース(安め)と口でもしてくれるコース(高め)の二種類があり、先輩は「楽しんでこいよ」と高めのコースを奢ってくれました。
嬢はみくちゃんといい、19歳と言っていましたが明らかに22歳の私と同年齢ぐらいだなとわかる感じで、初○ミ○も知っていて、PSPのゲームがどうやら言ってた気がします。アニメを見るよりニコニコ動画の実況動画というコンテンツにはまり込んでているらしく、テラゾーやらレトルトと言ってきたものの自分がねねしぐらいしかわからない事を伝えると話を合わせてくれました。良い子です。
身体を洗われシャワーを浴びながらそんな話をしていると、みくちゃんは屈んで愚息にシャワーを浴びせた後いきなり咥えてきました。びっくりしたので逃げると抜けてしまい「ごめんね、びっくりしたね」と笑っていました。もうこの時点でアルコールの酔も冷め、緊張でたたなかった愚息はバッキバキになりました。
シャワーを浴びおえてコスプレ衣装に着替えるみくちゃんを見ながらベッドで待ってる時常に心臓がドキドキしてました。
プレーが開始され、最初はキスから始まり、みくちゃんは唇をだんだんと下の方に移動させ、顎、首、鎖骨、そして乳首へと到達。ここで重点的に乳首を舐められたのですが、「乳首を舐められるとはこんなにも気持ちがよいのか」と感じ、もう暴発寸前にまでなっているのを我慢していたらいきなりみくちゃんが愚息を触り始めました。
「あ、だめっ」と短い悲鳴を上げたあと一気に出てしまいました。
みくちゃんは「あ、ごめんね、気持ちよかった?いっぱいでてる」といいながらティッシュで拭き取ってくれました。
70分のコースなのに開始15分ぐらいに出てしまい早漏すぎるのですが、みくちゃんはわらって「こんなに感じてくれて嬉しい」といってくれました。
その後はまた雑談していると「お兄さん、お口のコースなのに手だけだったからもう一回してあげるね」と言われ、いきなり咥えてきました。
確かに気持ちよかったのですが、なんというか、先程の乳首に比べるとあまりにも劣ってるなと思いながら「気持ちいいよ」といいなんとか発射しないと…と考える自分がいました。
20分ぐらいそうしてもらってるとみくちゃんは顔を上げて「さっきの乳首、そんなに気持ちよかった?」と聞いてきました。心を読まれたみたいで「うん」というと「もう一回してあげる。いきそうになったらいってね」と言われ乳首を舐められると、先程のようにものすごい興奮が襲ってきました。そこからはみくちゃんがかなりがんばってくれて、もう一度「いきそう」というや否や出してしまうとみくちゃんは「あー、口の中でだしてほしかったのに!」と言っていました。
結局、高めのコースを選んでくれたのに手だけのコースと同じになってごめんねとずっと謝ってきたので自分も早漏であったことの謝罪とあまりにも乳首舐められるのが気持ちよかったありがとうと感謝を伝えて70分は終わりました。
先輩がいい顔をして待っていて「どうだった?」と言われたので「なんかすみません、乳首舐めでイッちゃいました」というと先輩は豪快に笑った後「確かにみくちゃんはそいうところうまいよ」といってきました。
乳首を舐められて感じる人とこれから感じるようになる人の二種類が。
あなたもやがてそうなるでしょう。
映画館といえば、周りに迷惑をかけないように観るのが基本だと思う。
だが、私の友人は 声がでかい のだ。
それはもう…でかい。とにかく普通の会話ですら、周りがこちらを向くほどにでかい。
とても恥ずかしい。
私自身が常識的に生きているかといえば、自分なりに道徳を学び、やってはいけないと思えることはやらないよう注意して生きているつもりだが、
「皆が利用している公共の場だから、必要以上にやかましくしてはいけない」と。
本人も周りを気にして、そこでは静かめに話すようになったのだが…また違う機会で会った時には元に戻っていた。
そんな友人の趣味が映画なのだが、正直な所…この友人が黙って映画を観ることが出来るのかと考えると不安にしかならなかった。
まあ、一人なら喋らないのかもしれないなとも考えられるのだが。
そんな友人と先日映画を観に行くことになった。
周りの視線がとても痛い。辛い。恥ずかしい。
時間になってシアター内へ入ったのだが、ご存知の通りに映画というのは始まるまでに宣伝映像が流れる。
流れている間もぺちゃくちゃと映像に負けず劣らずの声を張り上げる彼がそこにいた。
今回視聴にあたって、一番うしろの席を選んだのだがスクリーン側から宣伝映像の音声が響き渡り、
一番うしろの席から彼の声が響き渡るというのは、もはや拷問だ。
と思い、作品が始まるのを待っていた。
その間も彼は喋り続ける。
何度も注意した。
止まったかと思うと、また思い出したようにボリュームが上がる。
やっと上映開始した後の彼は…静か…に、やかましかった。
『声なき行動で』
喋らない。
「今の場面、笑えない?」のようなゼスチャー。
声がでかいだけでなく、静かであっても一つ一つのアクションがやかましいというのは
付き合っていく人も大変だなと…感じた。
だが、そんな彼とはかれこれ20年近くつるんでいる。
社会人3年目、もう本当に会社の飲み会や集まりがつらくてつらくてつらくてつらくてつらくてどうすればいいか分からない。
もともと人とのコミュニケーションがかなり苦手だけど、会社に入って、昔より結構人と話せるようになったんじゃないかと思ってる。業務上の会話も、お昼休みの雑談も、昔の自分では考えられないくらいに話せるようになってきた。(それでも、他の人に比べたら話せないけど。)
会社の上司や先輩達は本当に良い人達ばかりで、会社の飲み会もものすごく平和だと思う。パワハラセクハラなんて別次元のようで、酔っ払って騒ぐ人もいない。入社して最初の飲み会で、あまりのなごやかさに驚いたくらい。
だけど、自分にはつらくてつらくてたまらない。いつも、飲み会が終わってから最悪な気持ちになって、公共交通機関に乗る気持ちにもなれずに、1人で泣きながら歩いて帰ったりしてしまう。
自分は、1対1、またはせめて3,4人の会話なら、きっと普通に話せるのだと思う。だけど、それ以上になってくると、一言も喋れなくなって、黙り込んでしまう。話しかけられたら返答はできるんだけど。
だから、会社ではわりと明るく話せていたのに、飲み会の会場で、大人数と一緒のテーブルに着いた途端、完全に無口になってしまう。みんなそれぞれ、周囲の人とお話ししたり、他の人の会話に入っていったり、笑ったり、突っ込んだり、するじゃないですか。自分も頑張って他の人の会話を一生懸命聞いて、ニコニコしたりするんだけど、結局その人達だけで盛り上がっていて、自分は完全に取り残される。そもそも声を出して笑うことが苦手だし、芸能人とかドラマとか、スポーツなんかの会話に疎すぎるし、耳があまり良くないのか会話が聞き取れないことが多かったりして、結局たくさん飲んでニコニコして、何とか自分と周囲を誤魔化そうとしてる。ちゃんと楽しんでますよー1人ぼっちじゃないですよっていう風に。
結局、2時間の飲み会で、「そうなんですか」「あ、じゃあビールで…」「ありがとうございます」「すみません」くらいしか話さない。話せない。
あまりに1人だけ黙っているので、幹事や隣の人に気を遣われまくられたりして、それも本当に本当につらい。大丈夫?とか、こんな場に誘ってごめんねとか、食べ物に手が届く?とか、無理やり会話を振ってもらったりとか(それでうまく答えられなかったり)。いつも、飲み会の途中で泣きそうになるのをこらえている。
パワハラやセクハラに困っている人に比べたら、こんな悩み、贅沢なものなんでしょう。だけど、本当に毎回つらいんです。飲み会のお誘いが来るたび、ちょっと楽しみにしちゃったりして、それでも毎回うまくいかなくて泣いて、楽しみにしてた自分が馬鹿みたいに感じる。数日は最悪な気持ちを引きずってしまう。
どうしたらいいんでしょうか。心療内科に行けば治療法があるんでしょうか。どうしたら、もう少し何とかなるのでしょうか。
会社の飲み会は参加しているけど、休日に時々ある懇親会(小旅行とか、小運動会とか)なんかは、想像しただけで泣きそうになるので、一度も参加していません。
社会不適合すぎてつらい。誰かに理解されたいし、どうにかしたい。支離滅裂な文章になっていると思いますが、読んでくれた人、ありがとう。
話しはちゃんと聴かないとなって改めて思った話
この度ご縁があり結婚することになり
結婚式の会場を探していました
実際に話しを聞きに行こうとなって行ってみることに
今回はその時の担当者の話をしたいので、会場がどこでどうだったかは省略します
■1件目
まず人となりとか状況を確認して
こちらが書いたアンケートを見ながらいろいろと話しを聴いてくれた
しっかりしてはる
■2件目
問題はここ
場所は言わないが多くの人が知ってるようなところ
担当はおじさん
1件目と同じくアンケートを記入
そしてそれはまったく見ずに
式の流れや会場の導線から話し出す
この時点で僕も彼女もないなと
それでも会場は見てみたかったので
案内してもらったわけですが
「こじんまりとしたい」と言ってるのに広い会場に行ったり
(ちなみに1件目の方は「寒いのにすいません。。。」と気を使ってくれた)
「今度この近くに14階建てのホテルができるんですよ」
→提携をしている訳ではない
とか
「併設してるこのレストランは、寿司・天ぷら・鉄板焼きが楽しめますよ」
→特典でそこが利用できる訳でもない
とか
「へー」
としか言えないような話しが多い
あと何かで
「仕事できないやつは同じことを二回言う」
って話しを見たけど
それもやってたから笑いそうになった
って自慢話しをされた感じ
殿様商売感があるような気がした
とりあえず見積をもらって終了
■2件回っての反省会
1日で2件回ったこともあり二人してぐったり
たかが2時間弱話しを聞いただけでこんなにお互い愚痴が出るとは
2件目のおじさんが良くなさすぎるのか
2件回っただけで
どちらにしろ
話しを聴いて → 相手の欲しい物は何で → 自分たちが提供できるものは何で
って順序がいるはず
少なくとも自分たちはそういう人がいるところにお願いしたい
と問われると、、、
振り返るよい機会になりました
■最後に
見たら1年目だった
1年目と課長
その人の問題かなと思った次第
まず断っておくと、自分はめちゃくちゃVtuberという存在が嫌いだ。
中身おじさんなのを知りながら男が(同性愛としてではなく)ガチ恋だとかエロいだとかと言っているのを見ると身の毛もよだつ思いだったし、いわゆる普通の生身のYoutuberを小馬鹿にしてたくらいの層の人間が、Vtuberのことは嬉々として喋るようになったのを嫌と言うほど見てもやっとした気分になっていた。
いくつか有名どころの動画を見たことあるけど、結局普通のYoutuberと内容に大きく差があるわけでなし、むしろ内輪感みたいなのがより強いように感じて、中身がないだの信者が気持ち悪いだの生身のYoutuberに浴びせられていた批判は、こっちにも浴びせられてしかるべきなんじゃないかとずっと感じていた。言葉を選ばなければ、結局こいつら絵が付いてないとブヒれなくて、自分がブヒれないのに世間で話題になるコンテンツは無条件で叩くってだけだったんだな―と思ってた。
けど、今はすっかり下火とはいえ、Vtuberはアンチの自分から見ても相当流行りに流行った。評判がよろしくないらしいけどアニメが今やって(もうやってない?まだやってる?)たり、NHKのニュースにまで出るようになっているらしい。テレビで取り上げられたのは近未来感があって面白い試みだから…とかいろいろ理由があるにせよ、オタク趣味持ってる人間でVtuberのこと全く知らないというのは、深夜アニメを一切見ない人種と同じくらい少数派になっているように感じた。
自分は萌え系のコンテンツに積極的にハマりに行くタイプではなかったが、オタク趣味全般はある程度知識の「守備範囲」に入っているというつもりで、自分の気持ちと一致するかは別としてmその辺のジャンルの何が受けているのか、ファンはどういう気持ちでそれを見ているのかをある程度理解できるつもりだった。
だからこそ、ここまで自分にとって受け入れられない、楽しんでるヤツの神経がわからないコンテンツが自分の守備範囲から世の中に肯定的に取り上げられていくというのは個人的に初めての経験で、ハンドル含め名前の出るところでは「詳しくないけど面白そうと思っている」くらいのスタンスを演じつつ、匿名掲示板で死ぬほどくさしたりしていた。(増田には書いてなかった)
ただけっこう過激派アンチだと思う自分でも、Vtuberのみんながみんなを毛嫌いしているわけではなく、どうやら自分の中に「これはまあ許せる」という基準があるようだった。一言でいえば、「自分の知識や技能を発信するときに、生身とか解説動画でやるより多くの人に見てもらえそうだから」という感じでVtuber活動をしている人たちには、あまり嫌悪感がないのだ。○○〇〇学という素人にはちょっと気乗りしたい分野の知識をシリーズ動画で話しているVtuberを知っているが、この人は中身はおそらくおじさん(たぶん学者さん?)で、お嬢様風の萌え萌え女の子アバターを使って活動しているのだけれど、これは自分の勝手な基準の中で「許せる」。
逆に中身とアバターの性別や属性が一致している(若い女の子が中身の人とか、アバターが別にイケメンでもない男だったりとか)としても、自分は大半に対してさぶいぼが出るほどの嫌悪感を抱く。女体化だのおじさんがかわいい女の子の振りをすることだのに抵抗があるわけではないということだ。じゃあ自分はVtuberの何が嫌いなのかというのをこっから吐き出すとともに、「でも、お前らだってそうだったはずじゃん!」と駄々をこねたいというのがこの投稿の主な目的だ。
一言でいうと、つまり自分は、「キャラなりきり」というものをものすごく気持ち悪く感じるのだ。
基本的にVtuberは自作のキャラになりきって、そのキャラを演じて動画を作るから、ここが嫌いではそりゃ大半はどうしようもない。そもそも自分には絶望的に合わないコンテンツだったのだ、と自己分析としてはすんなり納得がいっているのだが、その中でも「許せる/許せない」が出るのはどういうわけか。
これは、「許せる」側の投稿者は、キャラなりきりをあくまで情報発信のための都合がいい手段としてとらえている(ように自分には見える)ということが要因なのだと思う。町おこしのためにゆるキャラが考えられ、中の人が着ぐるみになりきって活動していたとしても全く嫌悪感はないわけで、Vtuberの中でもそちら側のタイプっぽい人は全然許せる、という心情をどうも自分は持っているらしい。
反対に許せないタイプのVtuberは、どこからどう見てもキャラになりきることが目的の人たちだ。別に誰にも迷惑をかけていないのだから自分が許さない道理はないのだが、どんなに友人におすすめされても、こういう人たちは全く好きになれる気がしなかった。なまじ設定が凝っていたりすると余計ダメで、その設定を持ち出して動画の中で一笑い起こそうとしているのを見たりすると、もう半日くらいおなかを壊すくらいにどうしても受け入れられなかった。
この「なりきり」への嫌悪が自分の中で醸成された過程は正直定かではない。ぶっちゃけ、自分が人並外れてこのジャンルへの嫌悪感が強いとは全く考えていなかった。嫌悪感に今まで気づかなかったという意味ではなくて、みんなこれぐらい嫌っている(忌避している)ものだとばかり思っていたのだ。
SNSだのが登場する以前、ネット上のコミュニケーションがBBSやらチャットだった頃、普通に自分のハンドルで雑談するコミュニティのすぐそばに、「なりきりチャット」やら「夢BBS」やらがあるのは目にした覚えがある。なんなら覗いてみたこともあるかもしれない。でも、そこでやっていることが楽しそうだとはどうにも思えなかった。多分、初めてその存在を認識した時から、なんとなくそういう趣味は普通の雑談よりもキモチワルイものだと感じていたのだと思う。
SNSが、とりわけミニブログ系のやつが登場して以降、「キャラクターなりきり垢」みたいなものもたまに目にした覚えがある。テニスの上手い〇部とか不〇とかになりきって会話してるやつ。ああいうのも存在は知っていたが、やっぱり気持ち悪いやつらがやっていることだと認識していた。ジャニーズの夢メール画像だとかと同じジャンルのものとして。テーマに沿った、あるいは沿っていない雑談をする中でも、かなりヤバい奴が集まっているテーマというか、あまり直視したくない「ネットの闇」の方のコンテンツだと思っていた。
ましてや、オリキャラのそれなんて、もっと見たくないものというか、あけっぴろげに言えば思いっきり見下していたジャンルだった。
そもそも素人がオリキャラ作ってそれをみんなに見せて…という行動自体、メアリースーだの、オリジナルSSだので割と見下されることの多い趣味だったように思う。その上、それ自体も怖いコンテンツであるキャラなりきり。このような趣味は、もうネットの恥部と恥部の重なりの部分、見下す云々以前にどんな奴がやってるんだかむしろ怖いもの見たさで知りたいくらいの闇ではなかったか。
そして正直なところ、自分のここまでの認識がそこまで一般ライトオタクとずれていたというつもりはない。Vtuber流行以前なら、キャラなりきりに対するスタンスを聞いてみれば、結構な人が(程度の差はあれ)同じような答えだったのではないかと思う。
ぶっちゃけ、オリキャラ作って他人に見せて…のほうは、「その中でも認められて素人でなくなった人はいる」という所を指摘されるとどうにも反論できない。が、そういう風に羽ばたいていった人たちに備わっていた力量みたいなものが今流行っているVtuberにあるとは思えない。そもそもそういう人たちの創作は内輪ネタみたいなものと無縁な気がする。反論しきれていないというのは重々承知だが、「なりきりではあるがオリキャラだからVtuberは流行れた」ということにはならないのではないかと思う。
というかぶっちゃけ、「オリキャラなりきり動画投稿者」と呼んだ時、ほとんどの人は何かおぞましい、自分が上で言っているようなネットの闇っぽいものを連想しないだろうか?以前似たようなアンケートを匿名の場でとったことがあるが、大体のオタクはこれをVtuberのことだとは思わず、ゆっくりで茶番劇をやるようなのだとか、一人で必死に声色を使い分けてヴォイスドラマを録ってるようなヤバいの(そんなのがあるらしい)だとかを連想していた。
でもVtuberって要するに「オリキャラなりきり動画投稿者」だよね?これ以上の要素も特に含まず、過剰に誇張している部分も特にないと思う。意味を端的に表そうとすれば相違なくこうなるのではないだろうか。
だからこそ、自分にはなぜこのおぞましいジャンルが流行し、多くのオタクに受け入れられたのかが分からない。たとえ最盛期のVtuberファンの半分が「みんなが見てるから」でファンになったのだとしても、もう半分はこのネットの闇を好意的に捉えたということになる。一体それはどうしてなのだろうか。
Vtuber好きが集まるところでこんなことを言えば荒らし扱いで無視されるだろうし、同じアンチ同士で話しても「最初は工作でそれに流された奴がファンになった」だの「あいつらはシコれればなんでもいいだけだから」だのいまいちピリッとした答えをもらえないでいる。
多分自分の認識のどこかにずれがあるからこうなったのだと思う。それがどこなのか、誰かに教えてほしいのだ。
追伸
反応を見て、だいたい「Vtuberはオリキャラなりきり的なコンテンツではなくて、単に中身本人の人格のままアバターを被せただけのものである」や、「TRPGやPBWのように、素人のオリキャラなりきり自体言うほど忌避されるものではない」というあたりが自分の勘違いだったのかなと感じている。
前者の方はかなり納得していて、要するに自分の「許せる」基準に合わせて言えば、Youtuberとして自分自身を発信していきたい人間が、生身の自分よりも多くの人に親しみを持ってもらいやすいと考えてアバターを使ったということなのだろうと思った。アンチの中にはこういう捉え方をした上で「○○とか○○は単なるYoutuberワナビーが売れるためにアバター被ってるだけじゃん」みたいな嫌い方をする人もいるかもしれないが、自分自身としてはそうであってもいいんじゃないかと感じるし、ファンになれるかは別として、こういう方針で活動をしている人なら別にサブイボが出るほど嫌いにはならないと感じている。
後者の方は確かにオリキャラなりきり系コンテンツの中でもまあまあ高尚(というか多少カッコが付くくらいの意味)な趣味もあったなあ、と感じたのだけれど、TRPGやらPBWはあくまで本人が楽しいコンテンツであって、誰かが作ったオリキャラの情報発信をファンが楽しむ、みたいな構図はあまりなかったように思う。人生で数回やったことがある程度の知識しかないので、この辺の認識違いがあればまた指摘してもらいたい。
VNIに関しては、正直自分の頭からVtuberと同ジャンルのものだというイメージが全然抜けていて、指摘されて自分でびっくりした。構図的にはかなりそっくりなものなのに、なんで抜けていたのだろう。(これ自体広く受け入れられたかというか、ネットの闇扱いされていなかったかはこの際考えないでおく。)
多分、VNIはあくまで受け手側の気持ちとして見ていたので、「オリキャラなりきり」と自分は捉えていなかったのではないかと思う。Vtuberは、ネット上の知り合いが何人もなっていったりして、中身の人間、つまり発信する側が自分の視野の中に入っていたせいで、そういうものとして見ることになったのかもしれない。
流行った理由の考察としては、もともとゲーム実況が好きになる素養のあった人が、可愛い女の子のアバターに惹かれて見に行ってファンになったというのがとても自分でしっくりきた。というか以前から何となくそういう推測は自分の中にもぼんやりあった気がするのだけれど、「それでもあのオリキャラなりきりっていうコンテンツへの拒否感が普通は勝たないか!?」と考えてそれを流行った理由として捉えられていなかったのだと思う。その拒否感の方が自分の勘違いだったと分かってしまえば、すんなりと腑に落ちる。
自分としては、今挙げたような内容が自分の勘違いのせいで認識のずれが生じ、世間で受け入れられたものを自分は許せない、という状況が生まれたということである程度納得している。だからと言ってたぶん好きにはなれない(これは完全に個人的な好みとして嫌いなタイプの文化が界隈にあるから)のだけれど、多くの人に受け入れられて流行った理由も、ファンの心理もとりあえずは理解できたように感じている。
もしこれらの他にも自分の認識の違いがあったり、あるいはまったく的外れなことを言っていたりするようならば、また指摘してもらいたいと思う。よろしくおねがいします。
育児のために在宅勤務にしている方がいる。仮にAさんとしておこう。
在宅とはいっても、たぶん今までと同じかそれ以上に働いているようで、
チームのメンバーが夜に「返事は急ぎません」っていうメールを送っても、
次の日の朝にはもう返事が返ってきていたりする。
ところが、上層部の中にはAさんの在宅勤務について面白くない人がいて、Aさんの出社日に合わせて部署に(部署違うから関係ないのに)やってきて、
雑談っていう感じで「家だと仕事とプライベートの切り分けが難しいでしょ」とか、嫌味を言うわけさ。
我々はそいつの普段の言動を知っているから、「どうせ仕事の時間中に家事とか育児やってるんだろ」ってつもりで言っているのが分かるんだよ。
最後に「仕事は仕事、プライベートはプライベート、しっかり分けて管理するのも大事だよ」と言って帰っていった。
そうしたら直属の上司がAさんに「ほらね。部長もああ言ってるんだし、決めた時間以外はメールも見ちゃダメだよ」だって。
っていう作り話をTwitterに書こうと思うんですけど、どうですか?
昔、取引先のアメリカ人達との雑談で「日本ってまた総理大臣変わったんだろ?次はなんて名前なんだ?」って聞かれたので、ふつうに
「あそう、だよ」
と答えたら大爆笑されたのを思い出した。「本当に、あそう、なのか?www」って涙目で確認されたんだけど、尻の穴みたく聞こえるんか?
今こういう仕事をやっていて、こういうことを将来やりたいと考えていて、こういう休日の過ごし方をしていて、資格の勉強もやっていて〜。
初対面で挨拶もそこそこにこういう話をずーっとしてくる。
挙動不審だとかわけわかんない返しをするとか愛想がないとかそういうんじゃない。
爽やかで、明るく、淀みなく、一見スマートそうに振る舞えてはいるんだけどとにかく自分語りしかしないからイライライライラする。
彼自身には場を回しているつもりがなぜかあったみたいで、私やもう一人いた子に質問を振ってきたりしたけど、一言二言返すともう自分語りに軌道修正して果てがなかった。
彼による自分語りの都度、もう一人の子はエチケットとして「凄いですね〜」とか「それ、尊敬します」とか相槌打ってたけど、これが火に油でむしろ彼の自分語りをドライブさせていった。
イライラを通り越して疲労困憊だった。もう一人の子も疲れた顔をしていた。
挙句の果てに「いやいや、僕でもできるんですから全然簡単ですよ。もしよかったら今度一緒にやりませんかー?教えますよ!」。
ああ、こうやって「好感触だったのに何故か切られた。女は腹黒い」みたいな逆恨みが生まれていくんだろうなあと思った。
あのさあ、こんなとこ絶対に見てないだろうから落書き気分で遠慮なく書くけどさあ、「良い人だけどモテない」ってラベリングされてる時点でまず結構なブサイクなんだよ。お前も例外じゃなかった。
だからこそお前が取るべき勝利戦略はスマートで柔和なモテ男(糞アニメに出てきそうな)キャラを演じることじゃなくて、普通の自然なコミュニケーションを取れるよう努力することだったんだよ。
相手への思い遣りや気遣いができれば簡単なことだよこれは。演じることなんかじゃ決してない。
結局、好かれない自分、凄く申し訳なさそうに拒絶される自分を手っ取り早く無視したかったからキャラ作りのほうに突っ走ったんだろどうせ。
超能力者は世界中のいたるところにいる。超能力者はあらゆる物事を透視できるが、聞こえた内容をそのまま喋れば名誉毀損になりかねない。雑談のフリをして重大な情報を示唆することもある。
そんななか、増田は埼玉県の川越市の超能力者に『平成くん、さようなら』の感想を語ってくださいと依頼したところ、重大な示唆を得ることに成功した。
──古市さんは続編を書くのでしょうか?
「構想はあるんじゃないかしら。」
「まず『私』の家が火事になるところから始まります。数日前からホームレスのような男に後をつけまわされていたのだけれど、『私』は、まあそんなこともあるかと思って放置していたの。そしたらそのホームレスが家に火を放ってきたの。」
──それは衝撃ですね。
「玄関が燃えて逃げられなくなった『私』は自分の人生を振り返ります。そして安楽死した平成君や猫のミライの顔を思い浮かべるの。こんな死に方をするなら安楽死しておけば良かったって、心底後悔するのよ。」
「私が透視したところ、古市さんは安楽死について『どうでも良い』と思っているようね。平成が終わるから安楽死したいって意味が分からないでしょう。それに、あの小説から人間が死を選ぶとはどういうことかっていう根源的な問いは感じなかったわ。あとで医療費とかの問題にからめて安楽死をもっともらしく語ってもダメ。私には分かっちゃうんだから。」
──古市さんが聞いたらキレそうですね。
「ま、面白い話を書きたかったんじゃないかしら。たしかに面白かったわよ。」
「『私』は間一髪のところで消防士に助けられます。それがまた無骨で良い男なのよ。平成くんとは違った良さがあるの。平成くんが死んじゃって寂しいこともあって、電話番号とかを交換したいと思うんだけれど、まあ、ムリよね。しばらく悶々とした日々を送ったあと、ふっきれて消防署のまわりを歩きまわってブログに書いちゃうの。ブログの記事中には散歩をしたって書いてあるんだけれど、写真には毎回消防署が写っているの。最後には出入りする消防士の顔写真が撮れるんだけれど、本人に気づかれて削除してくれってメールが来るのよ。」
──ストーカーですか。
「それで、削除はするんだけど『イケメンですね』って返信して、メールのやりとりが始まるの。消防士のほうも火事のときに救った女の子だとは知らずにメールのやりとりを続けるのよ。」
──どんな結末になるんでしょうか。
「古市さんに悪いからすべては書きません。ひとつだけ約束して欲しいのは、予言が外れても気にしないこと。超能力なんてアテにならないから。」
──ありがとうございました。