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2020-05-27

COBOL現場社会科見学してみたい

PHP使ってwebバックエンド開発をメインでやってきたけど

最近逆にレガシー仕事に興味が出てきた

ファイルに日付入れて管理したりそういうやつ

会議室みたいなところで長机を共有して貧弱PC仕事するんでしょ?

PC立ち上がるまでにタバコ吸おうかみたいな

あと多分ウォーターフォールで開発してるのかな?

かいイテレーションさないでどうやって人が使えるシステムが作れるのか興味ある

正直COBOLが何できるのかよく知らんけど

金融系で何かやってんだよね、あとNEC汎用機?(汎用機ってなんだろう?)

触ったことも見たこともないけどすげえ読みづらそう

あと、いかにもオタクって感じのおじいちゃんがたくさんいそう

一つ質問したらそれに回答しないで別の自分が話したいことをずっと話してそう

単価安いのにいつまでもその仕事にしがみついてるってどんな気分なんだろう

1日だけ体験してみたい、そしてネタにしたい

anond:20200527061604

日本IT企業は電電ファミリーNTTデータNEC富士通沖電気)が強大なのが本当に不幸。

コネのある上層部仕事をとってくるのでエンジニア下請け扱い。

労働組合が強いので、院卒エンジニア高卒工員が基本的に同じ年功賃金テーブル処遇される。

一流ってったって、強いのは天下り役員

研究所採用博士若いうちは勝ち組と思うかもしれないが、社長には絶対になれない。

2020-05-24

新卒メーカー僻地工場にとばされたって嘆いてるやつドアホすぎ

ワイの知る限り、トヨタ日産ホンダ日立三菱電機SonyPana東芝富士通NEC全て

陰に陽にジョブマッチングあっただろ、今は無くなったのか?

2020-05-17

anond:20200517020914

いや、例えがおかしいわ

大企業はむかつくが、必要じゃん

大企業がなくなって中小企業フリーランスばっかりになったら

中国韓国アメリカの巨大資本にやられちゃうから

半導体はまさにサムスン一社(+韓国政府)にソニーPana日立東芝富士通nec三菱電機が各個撃破されたわけだし

2020-05-13

anond:20200511135415

ちょっと違う

ブームが起きたんだけど文化に出来なかったのではなくて、文化になったので潰されたのだ

エロゲ業界は、NEC-PC98の時代から、それなりのニーズを受けて市場が構築された

CD-ROM一般化、Windowsの登場など、様々な変化を乗り越えている

一番大きい変化は、泣きゲーブーム

ノベル形式誕生により、ゲーム性を置き去りにすることが出来た

可愛い子が悲惨な背景を背負い、それを共に乗り越えることで、感動を得る

ときには対象の死すら利用して、感動を得ることが売りになった

そうして、泣きゲーサブカルに認められ、文化になってみると

「泣けない」という理由で、エロゲ否定されるようになった

膨大なテキスト要求され、ともに笑い、ともに泣き、エンディングを迎える

この時期には様々なギャルゲコンシューマで発売されたが

それらも大筋この流れからは脱却していない

古来から売られるエロゲは別のもの抜きゲー」などと呼ばれ区別されるようになる

そうしたゲームは「姫騎士アンジェリカ」とか「レイプレイ」とか「ぬきたし」のように脈々と受け継がれるのだが

一度荒らされた市場で、本来王道のはずのそれらは、なぜか邪道の扱いを受ける


そもそも物語類型などたかが知れる

キャラクターもそうだ

から、いわゆる泣きゲーを作ろうと思うと、パズルになってしま

日常はこう、困難はこう、解決はこう、カタルシスはここに

の子は、ドジとロリと妙な語尾でいこう

消費し続けるにも限界がある

から、3年で消費者は入れ替わるなんて言われたが

過去の名作は、厳然と名作なままなのである

新規独自性模索し、キワモノになっていく

文化が育たなかったかエロゲが衰退したのではない

誤った文化が育ったため、衰退するよりなかったのである

対魔忍アサギなら、同じようなことを10回繰り返しても、人は買ってくれるのだ

けど、Kanonはそうは行かない

AIRをやって、CLANNADをやって、もう満腹だろ?

だって目的エロじゃないんだもの

目的は、少女と織りなす「感動」の消費で、エロと違ってそれを供給し続けるのは難しい


エロゲ業界は、ブームに踊って自殺したんだよ

2020-04-29

anond:20200413002154

PCに限って言えば、1990年ごろのバブル絶頂期、NECPC98も絶頂期だったが、NECは自社のことしか考えなかった。

NECだけではなく富士通シャープ東芝も自社のことしか考えなかった。

ほどなくしてIBM-PC互換機が世界を席巻し、そのマザーボード製造日本企業ではなく台湾企業が担った。

この時点で日本IT産業凋落予言されていた。

もっといえば、それよりも前、若き日の孫正義シャープ自動翻訳機の特許を売って1億円だか手に入れたのだが、彼は自分テクノロジーベンチャーを立ち上げるのではなく、ソフトウェアパッケージ流通会社を立ち上げた。

このころから日本エンジニアベンチャーは報われないと気づいていたのかもしれない。

日本黎明期エンジニアベンチャーの一つにHAL研究所というのがあったが、そこの新人エンジニアであった岩田聡天才であったが、京都の老舗オーナー企業の雇われ社長しかなれなかった。

こうしてみてみると暗くなってくるな。

2020-04-28

anond:20200428130425

ウインドウズって NECなのか富士通なのかわかりませんといわれても

むずかしいなってのとおなじ

2020-04-18

セブン銀行ATMの端末

あれ、なんであんなにレスポンスが遅いの?

使ったことある人なら分かると思うけど、ボタン押して画面切り替わるまでにラグがあるとかありえないよな?

製造に関わってるNEC中の人かいたらなんであんなにクソスペックになったのか教えてほしい

2020-04-10

夜のサイクリング

会社が交代でリモートワークになった。

9:00 になったら家で会社PCを立ち上げるんだけど、実質開店休業状態のまま 17:00 まで。

ラクだけどこれはこれでダルい。どこにも行けないしね。


なのでリモートワークを終えたあと自転車で走ることにした。

おれは目黒の下のほうに住んでいるので、自宅から走る時はだいたい多摩サイなんだけど、17:00 からだと堤防サイクリングロードちょっと怖い。


そんなわけで都心方面に行ってみることにする。


まずは環七にでて、内回り平和島方面に向かう。大井町線の下をくぐり、中原街道を横切ってすすむと下り坂。

リコーのあたりも人が少ない。国道一号線も横切って進み、第一京浜左折する。


第一京浜都心方面に向かう。分かってたことだけど第一京浜は路面が汚い。

ハンドルバーに手を置いているだけだと跳ね回るのでちゃんハンドルを持って走る。



点々と現れる京急の駅を右に見ながら進む。北品川を超えたあたりで右に大きくカーブ

品川駅右手に見えてくるけどいつもより人は少ない。



札ノ辻で左に東京タワーが見える。曲がっちゃえばよかったなと思いつつ直進して、左折するポイントを探す。

三田左折日比谷通りに入る。NEC があるけど閑散としてる。



日比谷通りってずっと行くとどこに出るんだっけ。と思いつつ走る。芝公園そばを通る。

東京タワーをバックにした増上寺はいつ見てもカッコイイ。

名前がわからないけど面取りしたような高層ビルが左に見えて、きれいなビルだなと思う。



そのうち日比谷公園が現れる。ずっと昔日比谷公園トイレに入ったらそれらしい男性がたくさんいたのは良い思い出だ。



皇居の向こう側で左に入って新宿に向かうことにする。



と思っていると左が皇居になる。皇居の周りは歩いている人がパラパラいた。

しばらく進むと永代通りにあたる。曲がっちゃえばよかった。と思いつつ次の信号左折

目の前がお堀の T 字路を右折して内堀通りに入る。車が少ないのですんなり右折レーンから曲がれた。



お堀を見ながら進む。どこかで靖国通りに入らないと。

まっすぐ行けば靖国通りなのに、なぜか右折しないと靖国通りアクセスできないと思い込んでいて、竹橋を過ぎたところで右折する。

振り返ると全然車がいないのでさっくり右折レーンから曲がる。



すぐに靖国通りにあたるので、左折上り坂。武道館を左に見る。当たり前だけどなにもやってないので人は少ない。

ずっとまえここを通った時は凄い数の人がいて、帰って調べたらパフュームだった。



坂を上り切ったあたりで右に靖国神社市ヶ谷駅の前を右折。川を渡る。

ここの橋の上はいつもと変わらず混んでたので川べりの桜は見られなかった。



靖国通り外堀通りがわかれるところに分離帯ができてて靖国通りに進みやすくなってた。まあ車が少ないからだけど。



防衛庁を右にみながら進む。毎朝あの階段を登るのは大変そうだけどエレベーターとかあるのか。



いまの職場新宿なので、いつもの会社帰りと同じく 20から環七で帰ろうかと思ったけど、それもつまらないので明治通り渋谷に向かうことにする。

普段なら絶対避けるルートだけど、これだけ車も人も少ないならアリでしょ。



伊勢丹の前を左折して 20 号に入り、すぐに明治通りにあたるので左折



思った通り快適に走れる。新宿から原宿あたりは路肩が狭いうえ、結構スピードで車が流れてるので怖いんだけど、今日ラクラク

表参道もいつもよりずっと人が少ない。原宿から渋谷にかけては緩く下る。薄暗くて人が少ない。

休みの日は歩道からあふれた人が車道を歩いてたりするのに。まあ平日の夜だからってのが大きいけど。



宮下公園が知らない間におシャンティ建物になってて驚く。

さら渋谷駅あたりでは正面にデカいサイネージができてて、入り乱れる空中歩道と相まって 80 年代想像した近未来っぽい。



銀座線の下をくぐって 246 から帰ることにする。

246 が渋谷駅の東口から西口側に抜けるところは、昔と変わらず薄汚くてほっこりする。





246 を池尻方面に向かう。上り坂。この辺りはいつもどおり路駐トラックがうっとおしい。登り切ったあたりで旧山手通りにあたる。




旧山手通りのところで信号に捕まったので、そのまま旧山手通りに入る。

代官山あたりを見ていくのもいいかなと。

走り出して思い出したのは、この辺りは路駐が多いせいで(そいつらがハンドルをこじるので)路面がガタガタだったって事。

今更思い出しても遅い。三宿から学大に抜けるルートのほうがよかった。。




代官山交差点を直進すると駒沢通りあたるので、右折。長い下り

カーブの見通しが悪いうえにオートバックスの前に必ず路駐がいるのでちょっと怖い。

でも今日は後ろから車が来ないので思いっきり 2 車線の真ん中あたりを走る。





そのまま駒沢通りでおうちに帰る。祐天寺から学芸大学あたりはいつもと変わらない感じだった。

まあ、駅前まで行ってないけど。




家を出てからだいたいちょうど 2 時間ぐらい。シャワーを浴びてからチェーンに油をさそうと思っていたことを思い出す。

シャワー浴びる前にさせばよかったのに。もー。




それでは皆さん、良い在宅 & 自転車ライフを。

2020-04-07

anond:20200407231944

富士通パナソニックNEC、これらは作っているだろう。だから一流だ。

VAIOSONYから独立して雑魚になったな。

Dynabook東芝から独立して雑魚になった

ThinkpadIBMからレノボになって糞みたいになったし。

パソコンを作らない会社雑魚同然だ。

2020-04-05

Win10へのアップグレードがやる気しない

Win7サポート切れだから本当はアップグレードしなきゃならないんだけど、やる気がしない。面倒だ。数年前の自動アップグレード騒ぎの時は強制停止させて止めさせた。というかあまりネットワーク接続しなかったから、気配すらなかったんだっけ?忘れた。

😪

サポート切れOSネット接続すると少しやましい。罪悪感がある。といってアップグレードして不具合が起きたら、光学ディスクドライブのないラップトップから、元に戻れない。HDリカバリー用の領域が呼び出せるとは、Win7が入っている場合だけらしく、Win10だとダメだというネット情報をいくつか見た。

😣

このためだけに外付け光学ディスクドライブを購入するのもなあ・・・だし・・HDMI端子のついてるタブレットを購入しておけばよかった。それならば、何のためらいもなくWin7ラップトップはメルカれたのに( ^ω^)・・・なんだかなぁラップトップってクソだ。

😣

DEX/PCモードのあるスマホに買い替えようかな?っていうか現機種は買い替えてからまだ半年のような( ^ω^)・・・

😫

まり関係ないが最近reveal.jsスライド作れるようになり脱マイクロソフトオフィス(といってもパワポだけ)成功

😄

Ubuntu換装する勇気はないヘタレプリンター接続できなくなったらどっしよかなぁ?とか心配なっちゃう。

Windows7で稼働しているときは、Cドライブ直下に、隠しフォルダとして、Recoveryフォルダ その中に、英数字の長いフォルダ名が、WinRE.wimとBoot.sdiというファイルが保管、F11で、所定のバッチプログラム類が起動されて、再インストールの処理が開始

ところが、Win10に自動アップグレードされると、WindowsREやC直下のRecovery中WinRE.wimやBoot.sdiが別物に置き換わ。


HDD を交換

Windows 7 を試用版としてインストールWindows 7インストールDVD必要

EaseUS Partition Master を使って、旧 HDD から NEC-RESTORE と Windows RE 領域コピーしてドライブレターを削除(C:ドライブ領域の後ろにコピーしても OK

HDD の \Program Files(x86)\mkrcvcd フォルダを C:\Program Files(x86) にコピー

HDD の \APSETUP フォルダを C:\ にコピー

WindowsRE partitionも書き換えるようなことが書いてあるが誤解?誤記?購入時リカバーしたあとに、C:ドライブのいくつかのフォルダーをDドライブコピーするでOKでしょ?これでいざというときWin7プレゼンマシンにはなる。

【参考トラバ

そのWin7プリンタサーバー代わりにしたらよかろ UbuntuWin7プリンタってやればWin7プリンタドライバ使えるしな

2020-04-03

anond:20200403091909

基本的特定アプリケーション設定に特化した謎のNECルータとかをプリセット済みで配布するにきまってるでしょ。

んで、そのせいでzoomとかメジャーアプリではなく謎の日本製使いづらいアプリが用いられるまでが1セットよ。

2020-03-24

anond:20200324005951

NECサーバーを15000円で買ってPCにするのが流行ってた時期もあったな

今は昔

2020-03-08

anond:20200308074140

NECはまだディスプレイやってたはずだけど、生産国内なのかは分からない。

PC系の周辺機器生産日本でやっていること自体がもはや希少だからなあ。

2020-02-22

NEC6万人一斉にテレワーク

メーカーでも出来るんやな。

計測器とかないと出来ない仕事どうしてるんやろか。

Windowsやめたい

windowsを止めたい。シンプルにそー思う。

 Linuxに乗り換えて困るだろうこと

 デスクワークパソコンだけLinuxにするとして

USB接続プリンターは本当に対応してる?スマホプリント機能かいうのが入っていたがアンドロイド対応してんならLinuxにも対応すればよかろう。ってことで後でググることに。ググった。ディストリビューションの種類が多くて、めまいがする。別にUbuntu限定で良いよ。

 純国産テキストエディタマクロを書き続けた問題

これは増田に全責任があるけど、手癖悪くてついついテキストエディタマクロを書き続けてしまった。継続は力なりというわけでもないだろうが資産となってしまっている。一念発起して、PHPPERLPython移植すればいいだけのことだけど( ^ω^)・・・いざやれやと言われると、( ^ω^)・・・

Visual Basicで書き続けた問題

上述と類似であるが、いまだにオートメーション関係VBでやっている。若いころ、N88basicとかquickbasicとか全盛で、しかNECDOSマシンしか選択肢がなかったから、N88一択だった。そのころの名残でVBVB6はさすがに卒業したが、VB.net。

 事務パスワード保護されたXLSX送ってくる問題

クラックできないよね?LinuxMSオフィスを買う?萎えるよね?Windows7Starter搭載のノートパソコンがまだあるからフラッシュメモリーそいつコピーして対処?年に数回あるだけのことなので・・・セキュリティ関係研修に参加すると、「MS OFFICEに付属したPW保護機能を使っておけば安心」って指導される。そういうアホな指導やめてほしい。GoogleDocuments派のことを考えてない。

 

2020-02-17

NECの殺菌ランプは、特殊紫外線透過ガラス使用し、殺菌効果の極大点に近い253.7nmの紫外線を多量に放射するように設計されています

人の多く集まる場所での空気伝染を防ぐことができます

また換気ダクト内に取り付けると、滅菌した空気を送ることができます

2020-02-16

初心会から卒業と「救世主プレイステーション」と中古裁判の話

※この記事は前回からの続きです。

https://anond.hatelabo.jp/20200211202529

 さて、続きだ。ゲーム業界流通において初心会がやってきたこととその最後を述べてきたが、今回は初心会を葬った旧SCEソニー流通を中心に街のゲーム屋的な小売店視点で色々語ろうと思う。しかしこの期間は非常に起きた出来事が多くかつ入り組んでいるので、あえて細かな要素をオミットして正確さよりもわかりやすさを重視することにする。それにデジキューブ銃撃事件真相なんざわからいからな。


 時代プレイステーション参入前。任天堂エンタテインメントが行き止まりに行きつつある頃だ。そのことについては前回語ったが、さて、任天堂以外の、NECPCエンジン)やセガメガドライブ)あたりはどうだったのだろうか? 初心会が横暴なら、こちらのほうに注力するという手段もあったのでは?

 ぶっちゃけこっちはもっと酷かった。ソフトが売れないというわけではない。10万本売れるソフトはあった。あったのだが問題プラットフォーマーが用意した他の大量のソフトだ。

 当時、任天堂に対抗するためにNECセガは自社プラットフォームの発売カレンダーの空白をなんとか埋めようと躍起になっていた。サード自主的ソフトを作ってくれるのならそれに越したことはないが、そうではない場合自分たちで用意する必要もあった。自分たちパブリッシャーとなり開発会社委託してゲームを作らせる。さらにはサードに対しても「ウチの流通に乗せますので○万本は絶対に売れますから作ってください」みたいなアプローチも行った。そうして「とりあえず」カレンダーを埋めることができたソフトは、「とりあえず」問屋が頑張って小売に売った。在庫になっても不良在庫になるだけなのがわかっているので大バーゲンで売った。小売はもともとの卸値が安いため、最初から値引きして売る。売れ残ったら損だから博打みたいなものだ。そうしたソフトが並ぶと小売価格そのままのソフトは見向きもされなくなるのであわせて値引きされる。PCエンジン末期、餓狼伝説2クソゲーではないのだけど)が100円で棚に50本くらい並んでいるのを見たことがあったが、あれは問屋の不良在庫を捨て値で小売が拾ってきたんだな。

 どこかで見た状況と思わないか? そう、アタリショックだ。ゲーム在庫問屋にも小売にも溢れわけがからない状態になっていた。価格崩壊し定価が意味をなさなくなっていた。

 任天堂初心会が横暴、セガNECは頼りにならない。こんな状況の市場次世代機の波と共に救世主がやってきた。ソニーだ。ソニーが直接小売店契約するというのだ。

 衝撃は大きかった。CD流通の流用で、「リピートを早く」「小売価格の大幅な値下げと小売店に対するマージンの確保」「掛け率は大量に取ろうが少量だろうが同じ」という特徴をもち、かつ「中古売買の禁止」「値引き販売禁止」という成約があったが、それでも多数の小売店から好意的な反応を得た。そもそも初心会でも値引き販売原則としては禁止だったのだから

 そして何よりプレイステーション小売店に好まれたのは、ゲーム本体の卸値が安く、プレイステーション1本体だけを売っていても結構な利幅があったこともあげられる。これはかなり珍しいことで、通常は卸値と小売価格ほとんど変わらない。Xbox360の発売当初は二次問屋の都合一部の小売店において卸値が小売価格を超えたという珍事すらあったという。プレイステーションサターンは発売時期がほとんど一緒で、スタート時点ではサターンのほうが優勢だった。しかしこれがじわじわ小売店プレイステーション派に偏らせていった。プレイステーション小売店ハードでもソフトでも確かな利益確立してくれた。

 


 そうしてFF7が、DQ7プレイステーションで出るという流れが生まれ一気にプレイステーションが圧倒的な優勢を保持するようになるわけだが、この流れのなかでゲーム屋は何かが違うと確信した。プレイステーション救世主になってくれたはずだった。しかFF7を発売するスクウェア(当時はエニックスとの合併前だった)が打ち出したデジキューブは、既存ゲーム屋にツバを吐きかけるようなものだった。なにせ目玉タイトルFF7の出荷本数の半分をコンビニに任せるというのだから。これではゲーム屋はやっていけない。いくら本体を売れば儲けになるといっても一人にせいぜいが一台が限界だ。ソフトをたくさん売れなければしかたない。

 そしてソニーの態度もなにかおかしくなりはじめていく。元々の小売店への説明会では「返品はNG」ということになっていた。なっていたのだが、個別対応としてソニー担当者が返品を受け付ける旨を話していた。そのため小売店のなかでは安心して在庫を抱える店もあったわけだが、返品したいと言い出すと担当者の態度がころりと変わる。前に言っていたことと違うことを言い出す。ようやく返品受付をしてもらうも半額返金……。そのような事例が発生した。結局ソニーとしては二度返品を「特例」として受け入れるのみにおわり、いよいよもって「返品NG」が周知徹底されることになった。

 頼りにするミリオンソフトは入荷しない、個別対応約束していた返品制度はなくなった。このような状況下でもなおソニーは「中古取り扱い禁止」「値引き販売禁止」を打ち出していた。中古を取り扱った店や値引き販売した店は、不思議なことに”配送事故”が発生してソフトの入荷が遅れるようになった。

 FF7発売の頃にはすでに任天堂初心会解散させていた。ニンテンドウ64を発売し、ポケモンを大ブームにさせた任天堂ならこの頃のゲーム屋の救世主なり得ただろうか? 残念ながらこの頃の任天堂(正確には任天堂系列問屋だが)は「小売価格を下げつつ小売店への卸値を上げる」という暴挙に及んでいる。それでもポケモン死ぬほど売れたのだから恐ろしい。

 ソニーが信用できず、任天堂はあてにならない。そうした状況で頼りになるのはセガ……ではなかった。セガメガドライブ反省を活かしおもちゃ問屋をまとめてセガユナイテッドという流通会社を立ち上げる。大手ゲーム屋には直接卸し、小さな街のゲーム屋には二次問屋を使って卸す、ちょうど初心会ソニー流通の間のようなハイブリット流通機構を作り上げた。在庫管理とコストダウン両方の面でなかなか上手くいったはずだが、いかんせんプレイステーションの圧倒的ソフトラインナップには敵わなかった。自社でなんとかできる力はあるのだが、セガにはポケモンがなかった。しかメガドライブ末期の状況からここまで着実に改革を進められたのは称賛に値する。NECは途中で死んだのに。




 そしてついに中古裁判が勃発する。1998年1月には公正取引委員会ソニー流通の「値引き販売禁止」「中古売買禁止」が問題視され排除勧告を受けた。しかしこれで下がらずソニーは他メーカーを巻き込んで中古禁止裁判を起こす。ゲームメーカーvs小売の裁判だ。その一方で株式会社上昇(ようするにカメレオンクラブだ)がエニックスを訴える。「新作ソフトは扱わない」「ロイヤリティとして中古売上の7%を支払う」といった提案を出したものの実際にエニックスからソフトの出荷停止を食らってしまったがゆえの反撃だ。なおこの頃にはソニースクウェアデジキューブ)だけを優遇することが問題視されて、各社サードメーカーも自社流通小売店に卸すようになっている。

 2つの裁判が同時に起きて別々の判決が生まれて、ここらへんは非常にややこしい。ややこしいが小売店公然中古を売るようになった。値引きもするようになった。自社流通に切り替わった各社ゲームメーカーも忌々しく思っていたが裁判流通とは別との判断だったのか、おおっぴらに”配送事故”が起きることはなくなっていく。

 ちなみにこの頃、セガドリームキャストに向けさらなる流通改革を行い、セガユナイテッドセガミューズへと編成しなおす。これは老舗おもちゃ問屋ムーミンセガユナイテッドに合流した形だ。ムーミンメガドライブ(もしかしたらもっと前?)の頃からセガ共闘しているお得意様だった。なお、ソニーを学んだのか「値引き販売禁止」「中古売買禁止」を小売店押し付け、同じく公正取引委員会より立ち入り審査を受けるはめになる(もっともこれは後日小売店契約しなおしをすることによって審査は打ち切られた)。小売店救世主はなかなかいない。

 

 中古裁判最高裁にまでもつれ込んだが、ようやく結論は出た。中古販売合法だった。小売店大手を振って中古売買ができるようになった。値引き販売をしてもお咎めはなくなった。小売の完全勝利だ。「ファミコンショップ」はPS2時代にまでいたりようやく安心できるようになったかのようにみえた。

 そうではなかった。むしろゲーム地獄はここからが本番だった。

 まず大店法改正があった。巨大店舗小売店が各地に出来上がる。そして家電屋の店舗の巨大化がどんどんと進む。巨大化した店舗で何を扱うか。ゲームも扱うようになった。ゲームは美味しい商材だと思われた。そして今までグレーゾーンだった中古合法判決が出た。取り扱わない理由がなくなった。

 そのため大手販売店は客寄せのために新作ソフトを大きく値引きする。これが卸値と同価でも構わない。とりあえず客が来て、他の家電もついでに買ってくれれば儲けものからだ。そして中古も多数取り扱う。ゲーム利益の確保はこっちだ。そこそこの価格で引取りそこそこの価格販売する。これも回転が早ければ利益が稼げる。ビデオレンタルゲオツタヤが入ってきたのも大きかった。街のゲーム屋さんにできることは限られていた。大手資本真正から戦って敵うわけはなかった。中古販売という最高の武器を手に入れたかわりに、同じ武器をもった最強の敵が現れたのだ。多数のプレイヤーがそちらに流れた。売っているものが同一なら、安いところで買うのが当たり前だからだ。

 その後まったく救いがなかったわけではない。DSの大フィーバーがこの後起きた。ゲームに触れたことがない新規層でも直感的なタッチパネルを備えたデバイスゲーム市場を一気に活性化させた。誰もがみなDLライトを買い求めてゲーム屋と家電屋を往復した。飛ぶようにDSライト本体脳トレどうぶつの森が売れた

 しかしここでも任天堂流通が小売の前に立ちふさがる。任天堂小売店から受けた仕打ちを忘れていなかった。64よりもPS1,ゲームキューブよりもPS2を優先させた街のゲーム屋に、引く手あまたのDLライトを多く卸す理由がなかった。DSライト任天堂流通のお得意様、デパートゲームコーナー、おもちゃ系統販路を優先して入荷していった。今まで子供向けのプレゼント用途ゲームキューブ、ポケモン関連をしっかり取っていた「実績」のおかげだった。街のゲーム屋が本当に一息ついたのはおそらくさらに後のモンハンポータブルの大ヒットあたりからだろう。

 こんな流れがあり、地方から現在ほとんどの「ファミコンショップ」が姿を消している。初心会を中心とした問屋は、成熟したゲーム業界メーカー自主流通を実現させたことでその役目を終えて消えていった。となれば、地方ゲーム屋もまた、成熟したゲーム業界によって役目を終えた存在としてみなされてしまったのだろうか? おそらくはそうだろう。そして将来的にはゲーム販売する大型店舗すらいなくなるかもしれない。ダウンロード販売メーカーは推進しているからだ。

 そんな流れのなか、この令和の時代に意地でも自前の店舗ゲーム販売している「ゲーム屋」を見かけることがある。業界の厳しい荒波に揉まれそれでも生き延びている人たちだ。私は彼らに尊敬の念を抱かずにはいられない。

 

 彼らに幸あらんことを。

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