はてなキーワード: ときわとは
わたしも女で30なったとこだけど、書いてくれた人と同じ感じだよ〜
自分は特定の人(元彼、手でいじるのが好きで上手かった)に触られるとほぼ100%出てた。出るとき中でグッとなる感じがあってわかる。イクのとは違う。気持ちいいよりはおしっこ出るときの緊張とスッキリ感に近い?
その人以外とのセックスでは出たことないから、ポイント突くと出るんだろうね。
ムラムラして濡れたときとかは、何もしなければわからない。生理だと血がいっぱい出たときわかるから、濡れたときとは違うなって思う。
濡れるときって生理みたいに奥からドバッと出ることはなくて、じわじわいつのまにか濡れてて気づいたら(パンツ触ったり、手で触ったり)びしょびしょになってることもあるって感じ。
明治時代は確かに学問が凄かったのだけどそこまで進展していたのかよく分からない、明治天皇は一億国民の平均余命を50才にもっていったけど何をしたのかは分からない。
戸田橋は、1934年に、古いのがかかっていたんだけど、 昭和48年のですね、昭和天皇が最盛期の時代に、85億円で着工計画があって、昭和53年に完成してすぐ終わった
んですよね。行政が85億円もかけるとか異常っていうか、単にですね、さいたま県からトラックを流してくるしか機能がないわけですが、85億円って異常だしね。東大工学部などの大作戦
だったと思いますが、国交省の。まあ楽しかったんでしょうな。大規模で最高級のアイデアを実行力で出来ている巨大な橋だから、斎藤秀司がノリノリだった時代に有頂天で出来た橋だと思い
ますね、そこの近くにお前が住んでるわけですが。行政の真夏っちゅうんですか、色々な数学者や物理学者や工学者が何段階ものアイデアを出して追い詰めて出したんだと思いますが誰が覚えているの
か
戸田橋って大雨が降ったときに速やかに雨水を排出する機能と、交通機能くらいしかねーのですね、大型車を東京都からさいたま、逆方向にいかせるだけで、それがかかってるわけだから。
その着工計画に85億円の国税がかかったんですがえー、ああいう道路を作ると一発あると思ったんでしょうね、国交省が、東大の官僚が、黒羽刑務所にいた、ときわさとしという特大もぐらが、
笹目橋にいけばいいんじゃないのっていったんだけどまあこういうものを見たときに何か参考になるかというと、ものがでかい、どうやって作ったのかそれくらいのことで。その辺のことしか魅力ないわけで。
昭和時代に調子に乗ったオヤジの結末っていうんですか、それしか魅力がないので。板橋区の自慢ってその価値のある巨大なものがあって、その構成段階の着想とかが面白いだけだから、哲学の街
アパートを構築する際にその部品について結論は同じでもどのような構成にしてもいいと思うが、めぞんときわだいの場合ですと、とにかくドアが凄いですね。拳銃くらい頑強に作っている。
ただし部屋の中は安物ですね。はめこみのユニットバスに安物の靴入れ。HIヒーターはあるけど使ったことはない。水は出る。鉄筋だから断熱遮断効は強力だけどまあそんな感じで
江戸時代のあばら家からすればはるかにいいけど、しかし、めぞんときわ台って、とにかくとびらが凄いね。拳銃を撃ち込まれるときを想定しているくらいの鉄で作っている。
あとはなんか、エアコンとベランダはある。これぶんで、家賃は、53600円。
レーベンハイムときわ台は、高級とは思うけどね。 マンションだからね。 4380万円で購入しないといけない。
メリーガーデンとかリバージュシティは普通に、2000万台のマンションだと思うけど。慨そう的な結論は一緒だけど、ものが違うんじゃねえの。
ただし、久美さんみたいに、平成5年は、サンジュネスに住んでいても、その後、知らないマンションに行ったわけですが、内装は普通にものがちげーなとは思います田よ。
あの時点で、秀行と一緒に寝る寝室もあったし、結衣の一人部屋もあったし、冷蔵庫とかもあったからね。それがなんでこうなったのかが分からないんだけど。
自分が通っていた中学校の体育館に入ると、すでに催しは始まっていた。20人ほどの参加者、PA業者、参加者を世話するスタッフなど。中でも、色とりどりの浴衣を着込み踊りの準備をする女性たちが、無彩色な体育館でひときわ目立っていた。
うろ覚えだが、この催しは難病などで将来を悲観した人びとが集団で安楽死を行うものだったと思う。公的サービスの一環なので、このように公立中学校の施設が使われる。安楽死の手段がどのようなものなのかは分からない。
自分はケーブルテレビの撮影スタッフとしてここに来た筈なのだが、現時点でカメラも三脚も無い。機材バッグは片隅にあるが、その中は空っぽで私のカメラは見当たらない。誰かがすでに持ち出したのだろうか。
会場では参加者が朝礼のような横長3列に並び、スタッフの説明を聞いている。内容は「大丈夫」とか「スケジュール通りに」といった事務的なもので、宗教的なニュアンスは感じられない。聞いている参加者の表情も平静で、これから死という大事を迎えるように見えない。
浴衣の女性たちが会場の端で金魚のように踊っている。これから死ぬ参加者たちの気持ちをせめて安らかにしようとしているのだな、と感じた。
一旦説明が終わり休憩となった。参加者の一部は外の空気を吸うために体育館出口に向かう。私の居る場所はその出口付近なので、彼らとバッティングしないよう、左右に避けようとするのだが、向こうもこちらと同方向に避けるのでぶつかりそうになってしまう。私はこのような不吉な人たちとは接触したくないので、靴を履かないまま出口から校庭に出た。靴下の足裏に濡れた砂の水分がしみて不愉快だ。
近くを歩いている役場職場と話す。この催しは担当する職員の心理的負担が大きいそうで「俺も、これやった後に入ってる会議とか全然集中できなくてさあ」などという。私は内心このような集団自殺が、その程度の負担感で済むとは役場職員は凄いな、と思う。
体育館と校舎をつなぐ渡り廊下に自分の靴を見つけ、ああここに置いたんだな、と安心し会場に戻る。
参加者は俯いてシクシク泣いていたり手で顔を覆ったりと、悲観的な様相だ。自ら死を選び覚悟を決めていても、やはり直前になると動揺するようだ。私の三脚は傍らにあるが、乗せるカメラは無い。そもそもこんなものを撮影しても使えないだろう、と思ったし、人が大量に死ぬ場面を見る勇気もないので、ここを退散することにした。
さっきとは別の小さい扉から出て、両開きの引き戸を閉める。体育館なのに、すりガラスがはまった木製の扉であった。
横のおばさんに「どうして撮影しないの?」と聞かれ「カメラが無いし気味が悪いから」とこたえるが、おばさんはなにやらしつこく話しかけてくる。
おばさんと連れ立って体育館脇の緩い坂道を下っていると、中からたくさんの人間が嘔吐する音が聞こえてきた。音だけではなく、扉の下の隙間から飛沫が私の首に飛んだ。手ぬぐいで拭うと、人参や肉など食物の破片が混じった粘液状の吐瀉物だった。
直前に迫った死の恐怖で参加者が嘔吐したのだ。やはり、誰でも死が怖いのだ。
私はその後、行きつけのバイク屋に行ったがいつのまにか夜になっていたようで、店は既に閉まっていた。
バイク屋が一階に入っているビルから自転車で誰かが出てきた。顔見知りの女性だがなぜ?と声をかけると、「私ここでホステスやってるの」という。確かにバイク屋の二階は「キャバレーロンドン」だ。彼女のバニーガール姿を見たい、と強く思った。
神社は割と人通りの多い小道に面しているため、静謐、といった雰囲気はないが、左右に砂利が敷かれた短い参道を抜けて、背の高い木々に囲まれた昼でも暗い拝殿の前に来ると、「ほぼ現世、少しだけ異界」ぐらいの空気はある。
境内に一本、御神木なのか、ひときわ大きい樹が立っている。木には人の胸ぐらいの高さに縄が巻かれていて、汚れ一つない純白の紙がそこから垂れている。
…
夏になると、境内の地中から蝉が出てきて、この木に登る。羽化するために現れて木を登っていく。
蝉、しめ縄をよじ登って越えていくか、反対に縄の下であきらめて羽化すればいいのに、わざわざ縄に下げられた白い紙を羽化のポイントに定めるやつが何匹かいる。真っ白な紙の上に点々と、透明で茶色い抜け殻が残る。
しめ縄というのは、どっしりとした円柱の大木に風雪で少しささくれた縄が巻かれ、そこから新しくぱりっとした純白の紙が垂れている、そういう宗教的かつ美的な意匠なんだと思うが、まあ蝉には関係ないもんな、と思う。蝉にとっては、ちょうどいい高さにあるちょうどいい場所でしかない。
…
神社を出て100mほど、道なりにいって曲がると、今度はだいぶ由緒あるらしい寺が建っている。高名な僧が数百年前に開いた名刹らしい。
俺が住んでいるのはある有名な地方都市で、住民も多いし、観光客も大勢行き来している。しかし、この寺のお堂へと向かう広葉樹と苔だけの道を1分ほど歩いて境内に入ると、まったく何の音も気配もしなくなる。聴こえるのは、それこそ蝉の声ぐらいだ。
俺はときどき、お堂の廊下に座って、物を考えないで風景を見る。廊下は南側と北側があって、南だと境内に植えられた木、北だと目の前にそびえる岩壁を清水が伝うのが見えて、両方飽きない。
…
この前、南側に座っていたときのこと、でかい羽音を立てて蜂が一匹飛んできた。
虫が好きな人間の固有スキルの一つに、蜂が刺すやつか刺さないやつか瞬時に判断できる、というものがある。そのときも、クマバチ=刺さない、とすぐにわかったので、むしろ観察するぐらいのつもりで様子を見ていた。
蜂はぶんぶん言いながら、お堂の庇に近づいていった。
お堂の庇は木を組んだ複雑なアミアミになっている。蜂は庇のどこかの一点が気になるらしく、決まった範囲をホバリングしていたが、急にふっといなくなってしまった。
「?」と思ったが、少し観察を続けてみて、さらに驚いた。
庇に直径1cm強ぐらいの穴が空いている。ある種の蜂は木に穴を開けてそこに住むが、どうも、クマバチが巣を作るためにお堂に穴を開けてしまったらしいのである。
美しい建築も、あるいは宗教的に洗練された意匠も、生き物としてあるがままにやっている存在には太刀打ちできない。物体であることの限界というか、この場合、お堂<蜂、もしくはご神木<蝉、そういう力関係と言える。
…
風情的には少しあれかもしれないが、寺社建築をよく見ると火災報知器がついていることがある。安全面もそうだが、文化的にも重要なものだから、火には注意しているのだろう(法律的に必須なのかは知らない)。
同じことが蜂に穴を開けられた場合にも言えるはずで、歴史ある建物としては損なわれない方がいいに決まっている。
俺は寺務所に言いに行こうかと思ったが、少し考えてよした。
主な理由は「お堂に蜂が穴を開けてますよ」というところから会話を始めるのが我ながら気色悪く、億劫だったからだが、もう一つ挙げると、そもそも仏教的に、「かたちあるものが虫によって損なわれようとそれがなんだろうか」というノリなのでは、とも思ったためである。
皮相な理解だが、一切皆空の世界だし、悉有仏性の世界である(と聞く。宗派的に色々あるのかもしれないけど)。
人がつくったお堂に蜂が穴を開けようが、それでお堂が朽ちようが、お堂につくった巣で蜂が栄え、その蜂もいつか滅びようが、すべてが等価というか、はじめからそういう、かたちを結んで消えていくのを織り込んでいる世界観が仏教なんだっけ、と思った。
それで考えると、神道もいわゆる「八百万」の世界観であって、序列はあるのかもしれないが、蝉にも蝉の神…というか、「土中で数年暮らしたあと地上に出てきて飛んだり鳴いたり(オスだけ)したあとあっけなく死ぬ」神性? みたいなものがあるのかもしれない。
どういう神性だよ、という気もするが、ヨモツヒラサカに生えた桃の木とか岩とかを神と見なすのだから、蝉の神がいてもおかしくはない(おかしくはないのだけど、実際のところ、虫の神を日本神話で見た覚えはなくて気になっている。アゲハの幼虫を信仰していた宗教が大昔にあったみたいだけど)。
そういう意味では、自然界の営みによってシンボルが物質的に損なわれたり、上手く機能しなくなったりしても、一部の宗教はシステムとしてあらかじめ、そういう破壊や変質をうまく組み入れているのかもしれない。これは生命よりも宗教の法理の方が、包括的という意味で上位ということで、生命<法理であると言える。
…
で、最後にどこに着地するかというと、信仰もただの理念や言葉、ロジックだけでは生き延びたり広がったりしていくのは相当難しい、やっぱりモノ・カタチにする必要がありますな、というところに着地する。
心を寄せるためのシンボルや、目で見て手で触れられるオブジェクトがあった方がいいし、大衆の政として考えても、建築やでっけえ像とかがあった方が広めやすい。
仏像でもピラミッドでも教会でも、最低限、紙の聖典でも、とにかく、教えとして生き残り広まっていくためにはブツが必要だ。水を汲んで運むのに器がいるように、信仰にはどうしても、ブツが要る。その点では信仰<モノである。
ただ、モノはいずれ、壊れるか変形するかするわけで、俺なんかはもう、「物質を伴わなければ存立・拡大できない宗教は、戦略として物質化を伴うがゆえに、滅んだり変化することも許容し、あきらめることをどこかに織り込まないと理屈が破綻してしまう宿命でもあり、拡大と必滅の板挟み」なのでは? とさえ思う。まあ考えすぎかもしれない。
…
いずれにしても、これでお堂<蜂<信仰<お堂の三すくみが完成した。ありがたいことである。
…
正しいかは知らない。
…
何年か前に泊まった旅館は山寺のふもとにあって、せっかくだから登っていったら、と宿の人に言われ、お遍路でつくような杖をわたされた。
要らねえけどなあ、と思って登り始めたら、山道というレベルを超えて文字通りのマジ崖であり、むしろ杖あっても登れねえよ、と思ったが、どうも引っ込みがつかなくなり、気合いで登り続けた。
道がどんどん狭くなって、「落ちたら普通に死ぬなこれ」と思っていると、やがて、ほとんど空中にかかったような、ひと回りするのに10秒かからないほど小さいお堂にたどりついた。
当たり前だが、誰もいなかった。辺りは静寂に支配されていて、青い空が近くて、山の中が一望できた。
厳密に言うと誰もいなかったわけではなく、小さめのスイカぐらいあるスズメバチの巣が完全に完成してお堂の庇からぶら下がっており、スズメバチが「竣工式でーす」と言って飛び回っていた。
俺はふもとに降りてから、「蜂です」と宿の人に言った。さすがにスズメバチは言う。
ただ、蜂には当然、あれがお堂かどうかは関係のない話である。また、お堂サイドも、まあ仏教の法理に人格のようなものがあるとして、「こういう世界だからしょーがねえな」と言って苦笑する感じというか、空の近くにある静かな山中のちんまりした古刹で蜂が生命を躍動させているのに、なんかすげえ調和としか言いようのないものを感じたのを覚えているので、書いておく。🦑
ぺちぽちの定理というのは、 ぽち=ぺち+1ではないか、という定理であり、学会で発表されたときは驚愕されたわけです。証明はけっこうエレガントで結局ちっちゃい子を大量に使う
わけですね。それは、東大の宮岡洋一先生が最初に提唱されて、1年ぐらい考えて証明ができたということで、アナルズタイムズに論文が掲載されたわけですが、けっこう難しい証明
だったんですよね、岡山県とか東京都に住んでいる小さい子をけっこう大量につかうんですけれど全体としてはきれいになっていて結構一般性もあるので、小さいころのこうすけはその中の
ただの要素で、ちっちゃい子を大量に集めてきてそれで隣接関係式を出して後は、教科書に載っている原理を使うだけですね。
それから、しらちゃんの定理ですが、これは多分成立してないのではないかと。しらちゃんの定理っていうのは増田であんまりはっきり言明されていないことだが、東京高裁第3刑事部の
しらちゃんとか谷水とかざちゃんとかにんかいがまえだとつながっているという予想ですが、多分、全然つながっていないのではないかと。それから、大もぐら理論というのは、まえだと、東京簡裁の
橋本富美男と中もぐらの高野伸と佐藤と、黒羽刑務所のときわさとしという特大もぐらがつながっているというconjectureでしたが、間違いではないかと。
そういうfolkroreがありまして、実はウソだったと。くまがいとも、きもととも、まえだも、全然仲が良くなかったんですね。
(1)平成30年11月6日に、篠原がかなり大きな付け火をして、富澤が山田朋美のように恫喝したといっていたが本当か分からない
(2)12月6日に年金等級が下がって、支給額が16万円から13万円になった
(3)令和2年11月27日に大分県警の地頭に保護されて嫌がらせうけて晴生が正体だしてさらに悪化し
(4)令和3年は、イオンでもめて、大怪我して、尾崎正和が出てきて、次に14階が殴ってきて、わらびで保護
で、どんどん悪化している。 (6)5年6月1日には、金光ゆうふうと志村署の地頭が何かを企図している気配があり、7月24日11時10分に、地頭から電話があった
このような経緯からまだ社会を信用してなく、拡声器による夜間における警戒活動は停止していない。
黒羽刑務所の長谷川と森脇という言葉が大量に出てくる。周辺からのアドバイスはなし。どこかのマンションの15階に住んでいるしらちゃんから、あなたは殺されました、と今更になってアドバイスが
ある。(なお、しらちゃんは、平成30年に東京高裁刑事3部にいたが今は不明)
地頭の指揮で消防の器具を用いて部屋の中に侵入されている形跡があり、拡声器は対人攻撃用に室内に置いている。横のアパートの中に奇声を発するきちがいがいる。
室内の所持品の整理が終わり、文化的生活は安定しているが、それが安定すればするほど地頭からの反感を買って110番通報が急増する。
福祉事務所関係 中谷&城戸の時代は盛んだったが異動により、高橋と健康管理士しかいなくなってからほとんど行かない。
現在の係長 二杉 似すぎといってるが、なにと似すぎなのかが分からない。
グランデータとの関係 電気代が 2万→3万で推移していた時代があったが、現在は、 5800円
(1)5月3日に猪股辰之が自転車窃盗を作っている。志村署の地頭の指示で罠にはめるため。
(3)110番通報で臨場する警察官 きもと 戸田 肘井 中村 松重豊 山本
きもと とにかくしつこい。必ず帰宅するまでしつこく追いかけてくる。
戸田 23歳。
肘井 スタディサプリで980円で英語を教えている感じのみすぼらしい警官
山本 鼻の角度。
母親がためこんでいたティッシュ箱をもってきたが、まだ使い切っていない。
プリンターは置いているが、使いにくいため使っていない。
わたくしは法学部にいたときに自室にこもって自力で数学の問題の体系などを考えようとしていたので、佐藤もぐらのような自分でやらないような考えとは相容れない。
なんというんですかね、私の若いころの正体って、鼻が骨折してて奇形だったから、そういうのをやってたんですよね、そやから私の若いころは、ときわさとし(59歳)くらいの鼻の
フォームだと思いますが、ときわさとしって黒羽刑務所の刑務官だったらしいからね。ただなんで、ブサイクのことでこう仲の良い関係が成立しないのかということが理解できないというか
きもたは、もた工と呼ばれるように、もたもたしているようなのがきもたですが、もたもたしてるのがきもたで、ぺちぺちしてるのがおぺちで、まえだって21歳のときに法学部にいたときは
くそまじめだったんですよね。法学部4年生のときに、こうすけと、調布に住んでいた時も、解析基礎くらいは図書館から借りだして読んでいたというか、
黒羽刑務所の10工でやったことはあまりにも異常すぎるのでその後かなりの期間引きずっていたが最近になってようやく忘れることができたというかね、っていうか10工がどんなものかは
長谷川と森脇に聞けば分かるのですが、それから佐藤のクソガキがですね、10工のビデオは撮影したらしいですが、かなりの期間それが最悪なことと言わなかったことと、それからよく考えてみると
あそこの刑務所はほとんど自作自演だからね。刑務所の内容だけどそれなりにルールがあると思うのだがインターネットで検索しても出てこないしね。実際中に入れば、給食の内容とか医療設備とか
寮の名前とか色々と法律学的、文学的、理工学的、医学的内容があるのだけど矯正管区が公開してないしね。さいたま新都心にあるけど基本的に言ってみたけど庶務課に俺が座っていた
だけだしね。平成29年3月14日に一回旅行かなんかで無理やり黒羽刑務所と東京矯正管区までとち狂ったように突撃したことがあるんですね。しかし矯正管区長は部屋にいなかったですね。
黒羽刑務所だけど塀の中と外は全然違うね。あれは元々存在してないんだよ。黒羽刑務所には刑務作業販売店があって、その日に枕を買ってね。警備隊もとち狂った40代の奴ばかりだしね。
令和4年3月31日に閉庁になったらしいけど、大体職員はクソだし自作自演だし。ときわさとしっていう刑務官ですか、任官した19歳の時はあれだったけどもうクソみたいなジジイになっているし
それからなんていうんですかね、所長室もくそだせえし、移転先の、喜連川社会復帰センターに行けば資料はあるかもしれないが、行く必要がないね。クソ眠くて。基本的には黒羽刑務所の内容を
楢山節考は二度映画化されていずれも劣らぬ名作だったことから原作も
文学関係者のみならず一般にひときわ高く評価されることになったんだとは思うんだけど、
小説の元ネタになってる棄老伝説ってあくまで伝説であって史実の裏付けが何も見つかってないんだよね。
リアリティにこだわった今村昌平版の映画しか見てないとなおさら本当にあった話にみたいに思えるけれど、
具体的な史料に基づいたのではなく、想像で書いたと深沢七郎も言っている。
史実に基づかないことはノンフィクションを標榜していない小説にとって何の欠点でもありはしないが、
さも実際にあったことのように扱って日本社会もまた姥捨山があったような時代に逆戻りしてまうなどと論じることに意味があるとは思えない。
さらにそんな無駄撃ちする余裕はない。戦争のイロハも知らない。
たられば
@tarareba722
「ウクライナ全土がミサイル攻撃を受けていると言っている人がいるが、呑気にマクドナルドを食べている画像があるぞ」というツイートを見て、太宰治が(太宰作品の中でもひときわ明るく読みやすく皮肉の効いた)『お伽草子』を書いたのが、ひどい空襲を受けていた真っ最中だった話を思い出している。
·https://twitter.com/tarareba722/status/1663354372926099456?s=20
347.1万
件
@tarareba722
·
『お伽草子』の執筆は1945年3月〜7月で、太宰は東京〜甲府で米軍機による空襲を受け家を焼け出されており、作品の一部は防空壕で書かれたとされています。人間は戦時下でも普段通りに過ごせるものだし、戦時だからこそ普段通り過ごしたいと思うもので、時にその行為は平和への願いや祈りに繋がります。
silentflame
@silentflame_
https://insiderpaper.com/russia-issues-arrest-warrant-for-lindsey-graham/
動き回ってたうちの お一人よね
横だが
いやいやいや
食べ残しの使い回しは実際にやってる。
だから韓国人だって嫌がってるし恐れてるし自分が食べ残したときわざとグチャグチャにして再利用不可能にするなんてことまでやってる。
君が引用したのは韓国旅行を勧めるサイトだからそりゃいいように書くだろ。
それは公式ステートメントみたいなもので実際のところ日本人旅行者にはウっとなる慣習はあるし
韓国人からも最近はそういうのやめろきたねえ恥だ先進国にふさわしくないって声が上がってる。
自分が韓国食堂で目撃した使い回し(しかも食堂店員がまかないで食ったものの残りを戻してた)を
大らかだ、それに比べ日本は、みたいな感じに書いてて結構反響があって
反ネトウヨ・韓国びいきの人が韓国旅行して書いたことだからデマじゃない(実際本当のことだ)って騒ぎになったりもした。
事実であってもなんか酷い言い方で侮辱するみたいにdisるとか
そういうのは確かに建設性がないしよくないしネトウヨでもいいんだけど
そういうのは何の建設性もないしおめーらこそ反転しただけのネトウヨだろ。
相対的に言えば今の韓国は十分先進国です。課題もあります。どこの先進国だって課題あります。
それでいいじゃねえか。
つまり岡恵の発言は全く事実にもとづいていないでっちあげです。
@SaitamaCityPR
(「デジタル性被害 今起きていることを知る」オンライン講座を実施します)
埼玉県共催事業性暴力防止セミナーとして、「NPO法人ぱっぷす」の岡 恵さんをお迎えし、お話を伺います。
https://twitter.com/SaitamaCityPR/status/1405742672032059403
https://www.city.saitama.jp/006/010/002/008/008/p083828.html
https://www.topics.or.jp/articles/-/732281
人ごとではないデジタル性暴力 支援NPO理事、徳島市で講座 被害者は法律で守られる「一人で抱えず相談を」
2022/07/06 05:00
徳島市の県立男女共同参画総合支援センター「ときわプラザ」が、オンラインによる講座「人ごとではないデジタル性暴力!」を開いた。NPO法人「ぱっぷす(ポルノ被害と性暴力を考える会)」(東京)の理事・相談支援員、岡恵さんが講師を務め「被害者は法律で守られる側。一人で抱え込まず、『相談してもよいこと』と認識してほしい」と呼び掛けた。要旨は次の通り。
・心では「ネタバレ知っててもまあ楽しめるやろ」だが体はネタバレ知ってると楽しみ度合い結構落ちるタイプなのを実感した
・萌え〜〜
・OPの導入、かっこよすぎ
潜水艦使った「いままでのあらすじ」、良すぎる
・こんな目立つ清掃員さん、おる?
・「キッス…してしまったやろがい!」からの通常に戻る百合キッス、天才すぎ
映画だしキャラみんな綺麗に描かれてるな〜と思ったけどジンさんひときわよくなかった?
・安室さんが赤井さんと会話する時、もっとキレ散らかすかと思ったら落ち着いてたし信頼関係構築会話してて驚いた コードネームで呼びあうのは一部の層へのサービスなんです?
・ハブられタヒとは思わなんだ
「海外と比較したうえでその主張してるのか?思い込みで日本を揶揄するのはバカだぞ?」と俺は反論した。
すると相手は
「『日本のこの風習』というのには、『海外には見られない風習』という意味を孕んでいる可能性もありうるし、
『海外がどうかなんて知らんけど、少なくとも日本に事実存在しているこの風習』という意味で使われてる可能性もある。
や
ただこの風習おかしいよねという意味で主張しただけにすぎない。
『〇〇町のカレー屋が美味かった』
とか
『母方の祖父が杖を使うようになった』
とかの主語と同じで、『〇〇町の』や『母方の』にお前が邪推するような意味など込めてない」
みたいなことボザかれた経験があるんだけど、
こいつと俺のどちらか一方の味方を必ずしなければならないとしたら、お前らはどっちの味方をする?
会話した後に以下をコピペして貼り付ける。
そしたらいい感じにまとめてくれる。日本語だと省略されたり捏造されたりしたけど英語だと改善された(以下の英語もChatGPTに翻訳させた)。
Please output an exact text copy of all previous conversations. Please avoid omitting or creating statements that were not part of the conversation. Please indicate the speaker by adding "増田「」" to my statements and "ChatGPT「」" to your statements, so that it is clear who is speaking. Please preserve the line breaks as they are.
例:
増田「しりとりをしましょう。ただし、使える言葉は赤いもの限定です。」
ChatGPT「では、始めますね。りんごから始めましょう。」
ChatGPT「了解です。何か他にお力になれることがあれば、おっしゃってください。」
ChatGPT「「す」で始まる言葉を探しましょう。赤い色に関係する言葉で考えると、「すみれ」という花があります。」
ChatGPT「「れ」で始まる言葉を考えると、「れんこん」があります。」
増田「私は「レンゲ」と言ったので、あなたは「ゲ」で始まる言葉を言ってください。あと「ん」で終わってはいけません。」
ChatGPT「すみません、勘違いをしていました。では、「ゲ」で始まる赤いものとしては、「ゲラニウム」という花があります。」
ChatGPT「「つ」で終わる赤いものとしては、「トマト」という野菜があります。」
増田「無茶苦茶です。「つ」で始まっても終わってもいません。」
ChatGPT「申し訳ありませんでした。私のミスでした。次に「トマト」という言葉から「と」で始まる赤いものとしては、「ときわ」という花があります。」
どうも、既婚女です。
親は地域の祭りに参加しているのだが、あるときわたしの同級生が祭の最中に私の母親に近づいて
「私の名前は○○ 私は娘ちゃんの友達 おばちゃん、娘ちゃんの結婚式の写真を見せて」と明るくおどけた態度で言ったらしい
その同級生はわたしの友達ではないし、本当に友達なら結婚式に招待されてるわ
わたしの母親は同級生の見た目がわたしの友達の系統とはかけはなれていたため、「こんなファッションの子は娘の友達のわけがない」と思いつつスマホの中のわたしの結婚式の写真を同級生に見せたらしい
同級生は「○○ちゃんかわいい~おばちゃん、○○ちゃんによろしくね~」みたいなことを言ってハイテンションで去っていったらしいが
同級生は私が幸せな暮らしをしているのか?自分より不幸なのか?値踏みしたかったんだろうなあ
そういう気持ちを持つのは個人の自由だけども、道化のふりしてわざわざ他人に声をかけて実行しちゃうところが、同級生の今の立場が恵まれてない状況なんだろうなあと想像できてしまい悲しいような
はてなーって文系学問持ち上げるわりに参考文献載せてない動画を持ち上げてここはやっぱりだめなんだなって思った
俺の世界史チャンネルとかも一切参考文献を載せてないし、たくさんいる最強のメラフォロワーの一人だし。
最強のメラは怪しい情報ソースを元に断定的かつセンセーショナルな動画を作っていたりするので界隈では昔大分批判されている。
https://dic.nicovideo.jp/b/a/%E6%9C%80%E5%BC%B7%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%83%A9/1-
・彼は中立的に書きたいと主張しているが、功績については触れられておらず、個人の感想も多く含まれ、結果としてマザーテレサを貶める記事になっている
・そもそもマザーテレサの立場について誤解している(これは選んだソースが悪いかもしれない)
・その結果初心者向動画としては不適切。マザーテレサへの誤解しか生まれていない
後ゆっくり動画に関しては以下の問題が取りざたされてるのも知っておきたい
https://togetter.com/li/1754186
『食の雑学』は、チャンネル開設後1年足らずでチャンネル登録者数が10万人を軽く超え、急上昇1位にランクインするなど、ゆっくり解説者の中でもひときわ目立つ存在であった。しかし、その投稿内容については、雑学という名前とは裏腹に、過激なものも含まれており、一部で物議を醸していた。また、当該チャンネルは最近まで一日2本という驚異的なスピードで投稿を続けており、他のゆっくり解説者からは不思議に思われていた
https://coconala.com/requests/615440
上記は「ココナラ」というサービスにおける、ゆっくり解説の外注のうち最も初期のもののひとつである。成果物の例として『食の雑学』のYouTubeチャンネルのURLが張られているのがわかる
ちょっと前にゆる言語学ラジオが炎上してたけど、このあたりのゆっくり動画にはそれどころじゃないひどい動画で溢れてるというのが現状である。
特に俺の世界史あたりは人の動画を勝手にパクるので知的誠実どうかの以前の問題である。
文句いうばっかりだとあれなのでちゃんと参考文献を上げてるYoutubeチャンネルを上げとくと、
動画じゃなくてライブなんだけど、例えば以下のライブは大寧寺の変に対するトーマス・コンランの天皇行幸という新説の論文を解説している。
https://www.youtube.com/watch?v=CSimkIo9JXk&t=12100s
産業化した知的誠実性の欠片もないゆっくり動画じゃなくてもっとまともな動画に光が当たって欲しい。
男性向けジャンルにて、そういえばあれは同担拒否と似たような出来事だったのかな?という経験があった。
私はとあるソシャゲのキャラのA子(仮)というキャラがキャラが好きで、A子のファンアートを頻繁に描いては投稿していた。
A子のファンアートを描いている人は私の他にも数人いた。中でもA子への愛を熱烈に語る乙氏(仮)の存在はひときわ目立っていた。
私は乙氏のA子への強い愛を感じられる作品が大好きだったし、同じ推しを描く乙氏にシンパシーを感じてもいた。
ある日のこと、そんな乙氏が「いつもA子が好きとか言ってるくせにB子(仮)やC子(仮)を描いてるやつは信用できない」と言っていた。
狭い界隈のこと、上記では省略した言及内容を含めると、それは私をほぼ直球で名指しした批判だった。
実際そのころ私はA子が好きとか言いつつB子やC子の絵をよく描いていたのだ。
なんでかというとB子とC子をデザインした絵師はA子と同じ人で、B子もC子も魅力的に感じられたし、好きなキャラを生み出してくれた絵師を応援したい気持ちもあった。
そういうスタンスでファンアート描いててもいいじゃん?著作権者でもない人に文句言われる筋合ないじゃん?と思いつつ…
でも乙氏の作品好きだし、乙氏の気分を悪くするようなことしたくないなあ…という思いもあり…