はてなキーワード: 振動とは
経験したことがないことをすごいリアルに夢の中で経験することがあって、
起きたときに実際体験するともしかしたらこうなのかもしれない…ってなることがある。
なんで経験したことないのにあんなリアル(体験してないからリアルかはわからんけど)に感じられるんだろう
最近は川で溺れる夢を見た。
それまでは流されてあっぷあっぷするもんだと思ってたけど夢の中では流れの早い水流にもみくちゃにされてどこが上なのか下なのかもわからなくなり、水面に顔を出すということすら困難になった。
流れのあるとこで溺れるってこういうとなのかもってきづいた。
あとは爆発、そこそこ近くで打ち上げ花火見るとお腹にもドーン!て衝撃が来るしあんな感じかなって思ってたけど、夢でおきた爆発は腹に振動が来るとかのレベルではなく、すごい勢いで割れたものとか粉塵とかも飛んできてそれどころじゃなかった。
夢の中で死ぬかもって思った。
まず「特殊相対性理論」からやけど、これは光の速さがどんな状況でも変わらんってことが基本やねん。
たとえば、電車が走っとる中で懐中電灯を前に向けて光らしても、外でじっとしてる人が見た光の速さも同じやねん。
でも光の速さだけは、どんなに速く動いても変わらんのや。
ほんで、この理論やと「時間」や「空間」も相対的に変わるっちゅうことになる。
速く動くほど時間が遅くなるんや。これを「時間の遅れ」っていうねん。
例えて言うたら、宇宙船でめっちゃ速く移動してる人は、地球におる人に比べてゆっくり年を取る、みたいな感じや。
次に「一般相対性理論」やけど、こっちは重力が関わってくるねん。
簡単に言うたら、重いもんが空間をぐにゃっと曲げるっちゅうことや。
たとえば、地球みたいなでっかいもんがあると、その周りの空間が曲がって、そこに他のもんが引っ張られるから「重力」が生まれるんや。
まあ、ざっくり言うたらこんな感じやけど、ほんまはもっと複雑なんやで。
(もう少し詳しく教えてください)
ほな、もうちょっと深くいこか。
まず、「特殊相対性理論」についてやけど、これを理解するには「光の速さが一定」っちゅうのがどんだけすごいことか、ちゃんとわかっとかなあかん。
普通の物体は、速く動けば動くほど、その速さは他のもんに足されるやろ?
例えば、車が時速50キロで走っとって、その車の上からボールを前に時速20キロで投げたら、ボールは時速70キロで進むことになる。
せやけど、光は違うんや。どんな状況でも、どんなに速く動いとっても、光の速さは毎回秒速約30万キロメートルで一定やねん。
ほんなら、何が変わるんや?って話やけど、答えは「時間」と「空間」や。
速く動けば動くほど、時間は遅く流れるし、移動してる方向の長さは縮んでしまう。
具体的な例を出すと、もし君が光の速さにめっちゃ近いスピードで宇宙船に乗って1年旅したとしようや。
地球におる人らからしたら、その1年が例えば10年にも20年にも感じられるかもしれん。
つまり、君は歳をとらんけど、地球では時間がめっちゃ進んどるわけや。これが「時間の遅れ」や。
ほんで、次は「一般相対性理論」やけど、これはもうちょっと難しい話やねん。
特殊相対性理論は光とかスピードに注目してたけど、こっちは「重力」に焦点を当てとるんや。
重力っちゅうのは、普通に考えたら物体が引っ張り合う力やと思うやろ?でもアインシュタインはそれを「空間と時間が曲がるせい」やって言うたんや。
地球みたいな大きな質量を持っとるもんは、その周りの空間をぐにゃっと曲げるんや。これを「時空の歪み」っちゅうねん。
で、その歪んだ空間に沿って、他の物体が動くことで、まるで引っ張られてるように見えるっちゅうわけや。これが「重力」の正体や。
ゴムシートの上に重いボールを置いたら、シートがへこんで周りにくぼみができるやろ?そのくぼみに他の小さいボールを置くと、転がって重いボールに引き寄せられる。これが重力のイメージや。
太陽とか地球みたいなでっかいもんが周りの時空をへこませて、そこに他の天体が引っ張られるわけやな。
重力が強い場所ほど時間はゆっくり流れる、これを「重力による時間の遅れ」っちゅうねん。
例えば、地球の表面におる人と宇宙の遠くにおる人では、地球の表面のほうが重力が強いから、時間がわずかに遅く流れるんや。
これらの理論がなんで重要かっちゅうと、GPSとか人工衛星みたいなもんは、めっちゃ速いスピードで地球の周りを回っとるやろ?
そのために時間が遅くなってるし、地球の重力も影響を与えとるんや。
せやから、相対性理論を使ってそのズレを計算して補正せんと、正確な位置情報は得られへんねん。
ほんなわけで、相対性理論っちゅうのは、宇宙全体の「時間」や「空間」、そして「重力」がどう動くかを説明するめっちゃすごい理論なんや。
(では最後に、相対性理論と超ひも理論の関係を教えてください)
まず、相対性理論っていうのは、さっきも話した通り、重力を扱う理論やね。
特に「一般相対性理論」やと、重いもんが時空を曲げることで重力が発生する、っちゅうふうに説明しとるわけやな。
これは大きなスケール、例えば星とか銀河、宇宙全体を説明するのにめっちゃ強力な理論や。
けどな、宇宙には重力だけやなくて、他にも4つの基本的な力があんねん。
重力に加えて、電磁気力、強い核力、弱い核力っちゅうもんがあるんや。
相対性理論は重力には強いんやけど、他の力、特に小さいスケールの話になってくると話がちゃうねん。
原子とか素粒子みたいなめっちゃ小さいもんを扱うのは量子力学っちゅう別の理論が必要になる。
ここが問題なんや。相対性理論と量子力学っちゅうのは、どっちもめっちゃ成功してる理論やけど、整合性が取れへんねん。
大きいスケールやと相対性理論、小さいスケールやと量子力学、って分かれとるわけや。
でも宇宙全体を一つの理論で説明したいなら、両方をつなげる必要がある。
これを統一理論とか万物の理論っちゅうんやけど、これがまだうまくいってへんねん。
そこで出てくるんが超ひも理論や。
超ひも理論っていうのは、宇宙にある全ての物質や力が、ひも状のものからできてるっちゅう考え方やねん。
普通、素粒子は点みたいなもんやと思われとるやろ?でも超ひも理論では、実はそれがめっちゃ小さい「ひも」やっていうんや。
このひもが振動することで、違う性質の粒子になったり、力を生み出したりするっちゅう考え方や。
なんでこれがすごいんかっていうと、この理論は重力と量子力学を一緒に扱えるんや!
つまり、相対性理論で扱ってた重力も、量子力学で扱ってる小さいスケールの現象も、ひもの振動っていう一つの仕組みで説明できるようになるかもしれんって話や。
相対性理論と量子力学の一番の問題は、重力を量子化できひんってことや。
量子力学は確率的な世界やけど、相対性理論は連続した空間を扱う理論やから、この2つが衝突してしまうんや。
特に問題になるんが、ブラックホールとかビッグバンみたいなめっちゃ極端な状況や。
そこでは重力もめっちゃ強くなるし、量子効果も無視できへん。せやけど、これらを同時に説明できる理論がまだないんや。
そこで超ひも理論が登場するんやけど、ひもがめっちゃ小さいスケールでは、重力の量子化も可能になるっちゅうわけや。
つまり、相対性理論が扱ってる「大きなスケールでの重力」と、量子力学が扱う「めっちゃ小さいスケールの力」を同時に説明できるっちゅうことや。
ただしやな、超ひも理論はまだ理論段階で、実験で直接確認されたわけやないんや。
それに、超ひも理論が正しいと仮定すると、宇宙には我々が感じ取れん11次元も存在するっちゅう話になる。
今のところ、わしらが日常的に感じるのは3次元の空間と1次元の時間だけやけど、残りの次元はめっちゃ小さく「巻き込まれて」るから見えへんらしい。これが正しいかどうかもまだわからんのや。
まとめると
•相対性理論は重力を説明する強力な理論やけど、量子の世界では問題がある。
•超ひも理論は、相対性理論と量子力学を一つの理論でまとめようとするもんで、ひもの振動で全てを説明できるかもしれん。
•ただ、超ひも理論はまだ理論の段階で、実験的には確かめられてへんし、11次元の宇宙とか、ちょっと奇抜な要素も含まれとる。
超ひも理論がほんまに正しいんかどうか、まだまだ謎が多いねんけど、もし解けたら宇宙の全てが一つの理論で説明できるようになるかもしれんって、めっちゃ壮大な話やな!
ちゃんと歯磨きの仕方が分かってる人なら電動の良さは想像できるはず。
逆にそれが分からないなら歯磨きが分かってない。やり方を学んだ方が良い。
ちなみに電動も色々あるけど、振動の速度は全く重要じゃない。遅くて構わない。ブラシはギザギサで毛先が細いやつでヘッドが小さ目のが良い。じゃないと隙間が綺麗にならない。
みなさん、宇宙がどのようにできているか考えたことはありますか?実は、私たちが見ているすべてのものは、とても小さな粒子からできています。でも、その粒子もさらに小さなものからできているとしたらどうでしょう?
科学者たちは、「超ひも理論」という考え方を持っています。この理論では、すべての基本的な粒子は、とても小さな「ひも」のようなものだと考えます。このひもはとても小さくて、直接見ることはできませんが、さまざまな振動をしています。その振動の仕方によって、電子や光子など、いろいろな粒子になるのです。
さらに、「M理論」というものがあります。これは、いくつかの超ひも理論を一つにまとめた大きな理論です。M理論では、私たちが感じている3次元(縦・横・高さ)だけでなく、見えない次元がもっとたくさんあると考えます。この理論では、ひもだけでなく「膜(まく)」と呼ばれる二次元やそれ以上の広がりを持つものも重要な役割を果たします。これらの考え方を使って、宇宙の始まりやブラックホールなどの謎を解明しようとしています。
超弦理論は、基本粒子を一次元の「ひも」として記述し、量子力学と相対性理論を統一しようとする理論です。ひもの異なる振動モードが様々な粒子種に対応し、相互作用を統一的に説明します。超対称性を導入することで、フェルミオンとボソンの対称性を確立し、理論の無矛盾性を維持しています。
M理論は、5つの異なる超弦理論(タイプI、タイプIIA、タイプIIB、ヘテロSO(32)、ヘテロE8×E8)を11次元の統一的な枠組みでまとめるものです。この理論では、一次元のひもだけでなく、二次元や五次元の膜状のオブジェクト(ブレーン)が重要な役割を果たします。高次元時空やデュアリティ対称性が理論の中核となり、ブラックホールの性質や宇宙の始まりに関する理解が深まっています。特に、AdS/CFT対応と呼ばれるホログラフィー原理を通じて、重力理論とゲージ理論の関係性が新たな視点で捉えられています。
超弦理論は、一次元の紐状オブジェクトを基本構成要素とし、超対称性を持つ10次元時空における理論です。この理論は、量子力学と一般相対性理論を統一的に扱い、ゲージ相互作用と重力を包含します。ひもの振動モードが各種素粒子に対応し、異なるコンパクト化手法により4次元の有効理論を導出できます。カラビ-ヤウ多様体へのコンパクト化は、\( \mathcal{N}=1 \) 超対称性を持つ標準模型の構築に重要です。
M理論は、これら5つの超弦理論と11次元超重力理論を非摂動的に統合する枠組みです。M2ブレーンとM5ブレーンが基本的な力学的役割を果たし、そのワールドボリューム上の場の理論、特に6次元 \( (2,0) \) 超共形場理論の研究が進められています。デュアリティ対称性(Sデュアリティ、Tデュアリティ、Uデュアリティ)を通じて、異なる理論間の相関が明らかにされ、高次元時空における物理の統一的理解が深化しています。
さらに、AdS/CFT対応を利用して、M理論の背景空間である \( \text{AdS}_4 \times S^7 \) や \( \text{AdS}_7 \times S^4 \) における超重力理論と境界のスーパー共形場理論との対応関係が探究されています。これにより、ブラックホールエントロピーの微視的起源や、ゲージ理論の非摂動的性質の理解が進み、量子重力理論の完成に向けた重要な手がかりが得られています。
M理論は、11次元時空における非摂動的な量子重力理論であり、5つの異なる超弦理論(タイプI、タイプIIA、タイプIIB、ヘテロ SO(32)、ヘテロ \( E_8 \times E_8 \))および11次元超重力理論をその異なる極限として包含します。M理論において、M2ブレーン(膜)とM5ブレーン(5次元膜)が基本的なダイナミクスを支配し、その相互作用が理論の核心を成しています。
デュアリティ対称性、特にUデュアリティ(SデュアリティとTデュアリティの統合)を介して、異なる超弦理論間の対応関係が明示され、モジュライ空間の構造やスペクトラムの一致が示されています。例えば、タイプIIA超弦理論の強結合極限がM理論の11次元への拡張に対応し、タイプIIB理論の \( SL(2,\mathbb{Z}) \) 対称性が自己双対性を示すことが知られています。
さらに、AdS/CFT対応を通じて、M理論の背景時空である \( \text{AdS}_4 \times S^7 \) や \( \text{AdS}_7 \times S^4 \) における11次元超重力と対応する境界の3次元または6次元のスーパー共形場理論との双対性が研究されています。これにより、高次元における重力理論と低次元のゲージ理論の非摂動的な関係性が明らかになり、ブラックホールの微視的エントロピー計算や量子場理論の強結合ダイナミクスの解析が可能となっています。
M理論のコンパクト化では、\( G_2 \) ホロノミー多様体や \( \text{Spin}(7) \) ホロノミー多様体を用いて、4次元における \( \mathcal{N}=1 \) 超対称性を持つ有効理論の構築が試みられています。フラックスコンパクト化やモジュライ安定化の問題も深く研究されており、宇宙論的定数問題やインフレーションモデルへの応用が期待されています。さらに、F理論との関連性により、12次元時空を仮定した新たなコンパクト化シナリオや、タイプIIB理論の強結合現象の幾何学的理解が進められています。
M理論は、非摂動的定式化が未だ完全には確立されていない11次元の量子重力統一理論であり、従来の5つの超弦理論と11次元超重力理論をその相図上の異なる極限として包括します。理論の基盤には、M2ブレーンとM5ブレーンの非摂動的ダイナミクスが存在し、特に6次元 \( (2,0) \) 超共形場理論の定式化は未解決の問題として残っています。
最新の研究では、ABJM理論を介した3次元 \( \mathcal{N}=6 \) スーパー共形場理論とM理論の \( \text{AdS}_4/\text{CFT}_3 \) 対応が深く探究されています。さらに、M5ブレーン上の \( (2,0) \) 理論の非局所的な性質やテンソル多様体のモジュライ空間、自己双対テンソル場の量子化問題が重要な課題となっています。
行列模型に関しては、BFSS行列模型やIKKT行列模型の大 \( N \) 極限における連続性の問題や、非可換ゲージ理論との対応、ホログラフィック双対性を用いたブラックホール熱力学の微視的解析が進展しています。また、非摂動的効果としてのモノポール、インスタントン、ソリトン解、Dブレーンの境界状態の高次元への一般化も活発に研究されています。
\( G_2 \) ホロノミー多様体のコンパクト化では、フラックスによるモジュライ安定化やゲージ群の破れ、さらにはM理論ランドスケープにおける統計的手法を用いた真空解の分類が行われています。これに関連して、スーパーパートナーの質量スペクトルや、暗黒物質候補としてのグラビティーノやアクシオンの役割も検討されています。
F理論との関連性では、エンハンストゲージ対称性の幾何学的実現や、12次元時空におけるコンパクト化スキームが提案されています。特に、楕円ファイブレーションを持つカラビ-ヤウ4次元多様体でのコンパクト化により、異常消去条件やゲージ結合定数の統一が議論されています。
ブラックホール物理では、極端に高いチャージやスピンを持つブラックホールのエントロピー計算が、微視的状態数の計算と一致することが示され、アフィン・リー代数やモック・モジュラー形式を用いた解析が進められています。情報パラドックスの解決策として、ファイアウォール仮説や \( \text{ER}=\text{EPR} \) の提案があり、量子エンタングルメントと時空構造の深い関係性が示唆されています。
宇宙論的には、M理論を基にしたブレーンワールドモデルやエキピロティック宇宙論、さらにはサイクリック宇宙論が提案され、ビッグバンの起源や宇宙の周期的な振る舞いを説明しようとしています。これらのモデルでは、時空の始まりや終わり、特異点の回避、さらには量子重力効果によるインフレーションのメカニズムが重要な研究課題となっています。
数学的側面では、非可換幾何学、圏論的手法、ホモトピー型理論、トポロジカル量子場理論などの高度な数学的枠組みがM理論の理解に寄与しています。モチーフ理論やランズバーグ-ウォッテン方程式、量子コホモロジー、ミラー対称性などが、物理的現象の背後にある深遠な数学的構造を解明する鍵となっています。
さらには、弦理論の非摂動的効果としての \( D_{-1} \) ブレーンや非ペルチューバティブな \( R \)–行列、\( \tau \)-関数を用いた可積分系との関連性も指摘されています。これらは、量子カオス、ランダム行列理論、統計力学的手法を通じて、弦理論と他の物理学分野との統一的理解を促進しています。
20年ほど電動歯ブラシ使っているけど、時短になるかどうかは今歯磨きにどれくらいの時間を使ってるかによるかな。
電動ですごい回数ブラッシングするから全体にサーッと当てて終わり、ではなく結局一本一本に丁寧に当てていくことが求められるので2分はかかる。
ちょっと適当な感じで1分くらい電動歯ブラシを使って歯医者行ったら、奥歯の内側あたり磨き残しがあるので気を付けてくださいねと言われたことがある。自分ではちゃんと当てたつもりだったが。
あとフロスの手間はなくならない。電動歯ブラシだろうと歯間までは毛先が届かないので、虫歯になりやすいならフロスでのケアは欠かせないと思う。
ブラシが回転するブラウン系とブラシが前後に振動するドルツ系があるが、どちらを選んでもあまり変わりはない。
どちらも当てたところはしっかり充分落ちるし、当たってないところは当然磨き残しになるからだ。
回転系の方がヘッド部分が大きくなるので口が小さいと使いにくいかもしれない。
手磨きの歯ブラシと近い使用感なのは振動系なので最初はそちらから入るといいかもしれない。
あと、最近はドラッグストアでも売ってる廉価なエントリー機種と家電量販店にあるような高級機種との違いだが、これもあまり大きくはない。
やっぱりどちらも当てたところはしっかり落ちるし、当たってないところは磨き残しになるから、使い方の方が重要なのだ。
当てただけで十分落ちるので、押しつけ過ぎずちゃんと当てるという感じで使おう。(高級機にはだいたい押しつけ防止のセンサーがある)
一度安い機種を買って試してみるのが早いと思う。
業界までは言えないが、観光の仕事をしている。イベント・行事をこなしていく感じの仕事である。
今日はちょっと悩みがある。ちょっと、どころではないかもしれないが。罪悪感がある。
私は役職でいうと、係長とかリーダーとかその辺である。40代前後なので、まあこんなものだろうか?
今の部署は5年目だ。ちょうど2年前、つまり部署3年目だった時の話をする。ちょっと長いけど読んでほしい。適宜フェイクを入れるが、本質は残したつもりである。
後で読み直したんだが、表現がなんか小説みたいになってる。これは、私個人が精いっぱい思い出そうとした結果である。ご容赦願いたい。
イベントや定例行事、式典の数が多すぎて辟易していた。係メンバーが私を含めて6人いて、その過半数はイベント関係の仕事を持っている。
かくいう私は、うちの会社が直接やるイベントはもちろん、関係組織のものまで含めて課長クラスと一緒に出る必要があった。土日祝日の出勤になる。正直、休暇日数は少なかった。有給は使い切れず、年間休日は110日を割っていた。
会社直営のイベントだと時間外手当が出るが、関係組織のものは顔を出して談笑するのが主で、接待を受けることもあったからか、勤務日とはみなされなかった。話の相手方は全員年長者で、けっこう気を遣うにもかかわらずこの扱いだった。
勤務日にしてくれてもいいのに、という愚痴は置いといて。私をよく手伝ってくれる女性がいた。私と同じ部署3年目の子で、Sさんとしようか。Sさんは仕事ができる系の女子だった。彼女が担当する仕事のイベントはもちろん、ほかの仲間が担当のイベントで人が足りない時とか、人が足りている時ですら休日に出てくれた。私が出るイベントは、おそらくすべて出てくれている。
あの子はまだ20代半ばで、一応結婚はしてるけど……遊びたい盛りのはずだ。それを、こんなに休日を犠牲にしてくれて。振替休日もまともに取ってなかった。私の上司としての甲斐性がないせいでもある。
クールキャラで、そんなに感情を出さない子だった。いつも黙々と働いていた。あ、でも笑う時はすごく笑う。でもあの子は、きっと我慢していたと思う。職場の仕事初心者とか、働かない年長者の代わりによくがんばっていたし、体力のいる仕事だって、身長小さめなのによくやっていた。
この年はしんどかった。イベントの数も多かったが、とある特大行事があった。うちの部の責任者がゴリ押しで進めていたもので、そのうえ役員連中が政治力で開催地を勝ち取ってきた。
ざっくり言うと、昔プロ野球で大活躍した選手を何十人も集めて、地元チームと試合をしたり、少年少女に野球を教えたりするものだ。
で、その準備がまた大変だった。係総動員で挑んでも人手が足りないほどだったが、結局私とSさんがほぼメインで毎日残業して取り組んだ。そんな月日が三ヶ月以上は続いた。
あれは……開催まであと1週間というところだった。時期は6~7月かな。
その日は、開催場所(地元野球場)まで2人で車に乗って行って、選手観客の導線に無理がないかを確認したのと、台本に合わせて実際の全体の動きをデモンズソウルしていった。いくつかの問題点を見つけて、ああしたらこうしたらとまとめていって、終わる頃には日が傾いていた。
社用車で急いで職場に帰った。夜8時頃に事務所に入ると、その日にやろうとしていたグッズの数確認(検査検収)が全く終わってないのを確認した。私の仕事なので、終わらせて帰ろうとしてたら、Sさんが手伝いを申し出てくれた。
一緒に雑談しながら、しんみりとした疲労感の中でカウントしていった。何を数えていたかはもはや覚えてない。スタッフ用の記念Tシャツだったと思う。
今もそのクソダサTシャツは自宅の箪笥に仕舞ってある。正直クソダサTシャツではあるが、ぺこーらとかヒカキンとか、その他の著名Youtuberが着用したら一周回ってアリなのかもしれない。
結局、終わったのは夜9時過ぎだった。さあ帰ろうかとなったが、段ボールに入ったグッズを真っ暗闇の印刷室兼倉庫に運ぶ必要があった。
作業自体は10分も要らなかった。Sさんが手伝ってくれていた。印刷室の入口は電気を点けてない。廊下の明かりがちょっと漏れていたので。私の分が何往復かして終わって、あとはSさんの1箱分だけだった。
その時、Sさんから段ボール箱を受け取るところで、私が疲労のあまり躓いて、Sさんにぶつかってしまい、一緒に転びかけた。それで、気が付いたらSさんの手が私の肘のところにあって、段ボール箱は床に落ちた。
私が拾おうとしていると、ほぼ暗闇の中でSさんと目が合った。パッチリと合ったのだ。
私もSさんも疲れていた。私が「フフッ」と笑うと、Sさんも笑顔で吹き出した。私は気が付くと、Sさんの両手を握っていた。
「「あ……」」
そういう雰囲気だった。
Sさんの目をまっすぐに見て、一歩足を踏み出して、頭の後ろと肩のあたりをグイっと抱きしめた。Sさんの後頭部のあたりが汗臭かった記憶がある。私もおそらく臭かった。
Sさんが両手で、私の脇腹のあたりを猫の手みたいにして握りしめた。Sさんの胸部の感じが、私のみぞおちにあった。
やがて、抱きしめるのをやめると、暗闇の中にSさんの顔が間近にあった。
「ごめんね」というと、「なにが……? 何も嫌なことないですよ」って、震えた声が返ってきた。
それから、印刷室で段ボール箱の整理を終えると職場に帰った。Sさんが後ろから付いてきてる。PCをシャットダウンして、天井の明かりを切る前にSさんに「帰りは?」と聞いたところ、「自転車です」だって。
「もう暗いぞ。車で送っていこう」
「ほんとに。送ってくれるんですか?」
「いいです」
「お腹空いたな」
「空きました」
こんなやり取りだった。あと三行くらいはあったろうが、記憶はとうに消えている。
それからは、会社から離れた国道沿いのラーメン屋でご飯食べて、帰りの駐車場で車に乗ろうとする時、Sさんが運転席の辺りまで来て、私をずっと見詰めていて、それから……「どっか寄る?」「いいですよ」みたいなやり取りがあった……そして、駅前のシティホテルに車を停めて、罪悪感と一緒に……Sさんと一緒に部屋に入った。
どんな行為だったかな。ぎこちなかったと思うけど、意外と相性がいいところもあった。
ダブルルームに入ったら、すぐに扉を閉めて、Sさんにキスをした。扉に押し付けるようにして、ずっと長い間していた。Sさんはやや小柄な方だった。唇の位置を合わせるのがちょっとしんどかった。胸が思ったより大きくて、それがキスの障害になることもあったが、構うことなく続けた。
終わったら、Sさんの手を引いてベッドまで連れて行った。明かりをつけてわかったけど、Sさんはほぼメイクをしてなかった。「現場仕事だからか」と思いながら、ベッドの前でもう一度キスをした。今度は、何度も何度も、しつこく舌を入れて、ディープキスを堪能してから、そのまま行為に及んだ。
※シャワーは事後だけ浴びた。深夜が近くて時間に余裕がなかった
ベッドの中では……Sさんはすごく甘えてきた。お互いにいろんなところにキスをしあったけど、Sさんは前戯の時も、本番の時も、私のことをギュッと抱くようにしていた。昔ダッコちゃん人形というのを実家で見たことがあるけど、あんな感じだった。
私がSさんの上にいる時も、Sさんが上になってる時も、どっちかの手で、あるいは両手で私の体に触れていた。
やはり胸が大きかった。私も舐めたり、触ったりしたけど、なんだか固い感じがした。でも、ベッドの中で女性の体に触れるのは数年ぶりだったから、ずっと胸を攻めていた気がする。太腿とかも舐めたり触ったりしたけど、柔らかさよりも筋肉質な感じがした。
どんな体位をやったかは、鮮明に覚えてる。Sさんは基本、挿れている時はずっと同じ態度だった。よく言うと甘えるような面持ちで、悪く言うとマグロだった。
正常位の時も、バックの時も、対面での座位の時も、後ろから背中とか胸を攻めてる時もそうだった。甘えるような声はたくさん出すけど、そんなに動くことはない。
最後はベッドのすみっコぐらしで、Sさんを正面から抱きかかえると、ベッドの端でゆっくり、ゆっくりと、お互いに座位で振動しあっていた。動きにくい態勢だったけど、それがよかった。もし私がAV男優だったら、よいしょっと持ち上げて、入口の扉あたりまで移動して行為をするのだろうか。私にそんな体力はない。
行為の最後に、Sさんと顔を近づけてる時、「愛してます」と伝えた。Sさんは、その場で大笑いしていた。「そういうものかと思って……」と伝えると、さらに笑っていた。
キスをして口を塞ぐと、Sさんも合わせてくれた。Sさんの涙かもしれない液体が、私の頬のあたりを伝ったのを覚えてる。
全てが終わった後、私がベッドの端に座って、付けていたゴムを取ろうとしていると、Sさんがベッドのすぐ下でしゃがんだ恰好になった。私のゴムを手でちょっと握ったと思うと、口を使って取り外してくれた。
それからSさんは、私のを舐めて綺麗にしてくれた。本当に、すべて綺麗になるまで舐め取ってくれた。終わった後で、私の汚い液体がSさんの顔とか乳房にくっついているのを見た。
「付いてるよ。拭かないと。私が拭いてあげる」と言ったら、Sさんは自分で乳房を動かして、自分の舌で汚いものを舐め取っていた。
その時、私はベッドの上からSさんを見下ろしていた。Sさんの体を覗き込んでいた。若々しい身体で、シミなどは一切なかった。女性が男性よりも美の努力をしてるだけかもしれない。
その後、一緒にシャワーを浴びた。名残惜しいと感じて、シャワーを浴びながら、Sさんを真横から抱きしめるようにしていた。お互いに頭の横をくっつけあって、シャワーを浴びてた――私の記憶はそこで終わりだ。
帰り道のことはあまり覚えてない。Sさんが旦那さんと暮らしてる新築の家の付近に車を停めて、深夜にSさんを見送ったシーンは辛うじて記憶に留めている。
野球のイベントは無事に終わった。あれから、Sさんとは普段どおりの関係に戻った。誰の目から見ても、普段通りの上司と部下だった。Sさんは仕事ができるクールキャラで、たまに大笑いをしていた。それも変わらなかった。
冬前になると、Sさんが産休に入ると言った。青天の霹靂だったけど、以前から覚悟はしていた。結婚してるんだし、そういうこともあると思っていた。Sさんの代わりとして、臨時雇いの人が来ることになったが、それからは残業が嵩むようになり……あれはキツい日々だった。
でも、Sさんが職場に帰ってきた時のことを思うと、此処を維持するためにがんばろうと思えた。
結局、Sさんが戻ってくるのに一年以上かかった。出産後、産後休暇を取得して子育てに専念したことによる。
今年に入っていつだったか、Sさんが乳幼児の子どもを職場に連れてきた。ベビーカーに乗っていた。1才くらいかな?
其処に集まった女性陣の後ろから、ヨイショッとその子の顔を覗いてみた。Sさんがみんなに見えやすいように抱っこしていた。
その時ほど戦慄したことはなかった。あんな感じは、人生で初めてだった。後悔とは違う。自分が後悔してないのはわかっているけど、それでも恐ろしい感じ。感情の名前が思い浮かばない。
Sさんが私の方を見ようとした時、私はちょうど目を逸らして、デスクに戻るところだった。もうちょっとでSさんと目が合っていたかもしれない。
あの女の子、私と目の感じが似ている。鼻もそうだ。そのあたりから下のパーツも似ている。一目でわかるくらい、それほど似ていた。
これって、もし、あの子が私の子どもだとしたら、バレるんだろうか? 旦那さんがDNA検査するとか言わなくても、病院が提供したデータでバレるんだろうか?
ここまで読んでくれた増田の人は、人生経験が豊かなのではないか? 私はまだ40前後である。どうしたらいいのかわからない。
私はどうすればいいのだろう。どういう心持ちでいればいいのか? 不安でしょうがない。どなたか、なんでもいいのでアドバイスがおありでしたら、何卒ご教示願いたい。
ワイは振動覚も好きやで
「あの女は君にほれているのか」
二人のあとから続々聴講生が出てくる。三四郎はやむをえず無言のまま梯子段を降りて横手の玄関から、図書館わきの空地へ出て、はじめて与次郎を顧みた。
「よくわからない」
「そういうこともある。しかしよくわかったとして、君、あの女の夫になれるか」
三四郎はいまだかつてこの問題を考えたことがなかった。美禰子に愛せられるという事実そのものが、彼女の夫たる唯一の資格のような気がしていた。言われてみると、なるほど疑問である。三四郎は首を傾けた。
「野々宮さんならなれる」と与次郎が言った。
「野々宮さんと、あの人とは何か今までに関係があるのか」
「知らん」と言った。三四郎は黙っている。
「また野々宮さんの所へ行って、お談義を聞いてこい」と言いすてて、相手は池の方へ行きかけた。三四郎は愚劣の看板のごとく突っ立った。与次郎は五、六歩行ったが、また笑いながら帰ってきた。
「君、いっそ、よし子さんをもらわないか」と言いながら、三四郎を引っ張って、池の方へ連れて行った。歩きながら、あれならいい、あれならいいと、二度ほど繰り返した。そのうちまたベルが鳴った。
三四郎はその夕方野々宮さんの所へ出かけたが、時間がまだすこし早すぎるので、散歩かたがた四丁目まで来て、シャツを買いに大きな唐物屋へはいった。小僧が奥からいろいろ持ってきたのをなでてみたり、広げてみたりして、容易に買わない。わけもなく鷹揚にかまえていると、偶然美禰子とよし子が連れ立って香水を買いに来た。あらと言って挨拶をしたあとで、美禰子が、
「せんだってはありがとう」と礼を述べた。三四郎にはこのお礼の意味が明らかにわかった。美禰子から金を借りたあくる日もう一ぺん訪問して余分をすぐに返すべきところを、ひとまず見合わせた代りに、二日ばかり待って、三四郎は丁寧な礼状を美禰子に送った。
手紙の文句は、書いた人の、書いた当時の気分をすなおに表わしたものではあるが、むろん書きすぎている。三四郎はできるだけの言葉を層々と排列して感謝の意を熱烈にいたした。普通の者から見ればほとんど借金の礼状とは思われないくらいに、湯気の立ったものである。しかし感謝以外には、なんにも書いてない。それだから、自然の勢い、感謝が感謝以上になったのでもある。三四郎はこの手紙をポストに入れる時、時を移さぬ美禰子の返事を予期していた。ところがせっかくの封書はただ行ったままである。それから美禰子に会う機会はきょうまでなかった。三四郎はこの微弱なる「このあいだはありがとう」という反響に対して、はっきりした返事をする勇気も出なかった。大きなシャツを両手で目のさきへ広げてながめながら、よし子がいるからああ冷淡なんだろうかと考えた。それからこのシャツもこの女の金で買うんだなと考えた。小僧はどれになさいますと催促した。
二人の女は笑いながらそばへ来て、いっしょにシャツを見てくれた。しまいに、よし子が「これになさい」と言った。三四郎はそれにした。今度は三四郎のほうが香水の相談を受けた。いっこうわからない。ヘリオトロープと書いてある罎を持って、いいかげんに、これはどうですと言うと、美禰子が、「それにしましょう」とすぐ決めた。三四郎は気の毒なくらいであった。
表へ出て別れようとすると、女のほうが互いにお辞儀を始めた。よし子が「じゃ行ってきてよ」と言うと、美禰子が、「お早く……」と言っている。聞いてみて、妹が兄の下宿へ行くところだということがわかった。三四郎はまたきれいな女と二人連で追分の方へ歩くべき宵となった。日はまだまったく落ちていない。
三四郎はよし子といっしょに歩くよりは、よし子といっしょに野々宮の下宿で落ち合わねばならぬ機会をいささか迷惑に感じた。いっそのこと今夜は家へ帰って、また出直そうかと考えた。しかし、与次郎のいわゆるお談義を聞くには、よし子がそばにいてくれるほうが便利かもしれない。まさか人の前で、母から、こういう依頼があったと、遠慮なしの注意を与えるわけはなかろう。ことによると、ただ金を受け取るだけで済むかもわからない。――三四郎は腹の中で、ちょっとずるい決心をした。
「ぼくも野々宮さんの所へ行くところです」
「そう、お遊びに?」
「いえ、すこし用があるんです。あなたは遊びですか」
「いいえ、私も御用なの」
両方が同じようなことを聞いて、同じような答を得た。しかし両方とも迷惑を感じている気色がさらにない。三四郎は念のため、じゃまじゃないかと尋ねてみた。ちっともじゃまにはならないそうである。女は言葉でじゃまを否定したばかりではない。顔ではむしろなぜそんなことを質問するかと驚いている。三四郎は店先のガスの光で、女の黒い目の中に、その驚きを認めたと思った。事実としては、ただ大きく黒く見えたばかりである。
「どうして御存じ」
三四郎は返答に窮した。女は頓着なく、すぐ、こう言った。
「いくら兄さんにそう言っても、ただ買ってやる、買ってやると言うばかりで、ちっとも買ってくれなかったんですの」
三四郎は腹の中で、野々宮よりも広田よりも、むしろ与次郎を非難した。
二人は追分の通りを細い路地に折れた。折れると中に家がたくさんある。暗い道を戸ごとの軒燈が照らしている。その軒燈の一つの前にとまった。野々宮はこの奥にいる。
三四郎の下宿とはほとんど一丁ほどの距離である。野々宮がここへ移ってから、三四郎は二、三度訪問したことがある。野々宮の部屋は広い廊下を突き当って、二段ばかりまっすぐに上がると、左手に離れた二間である。南向きによその広い庭をほとんど椽の下に控えて、昼も夜も至極静かである。この離れ座敷に立てこもった野々宮さんを見た時、なるほど家を畳んで下宿をするのも悪い思いつきではなかったと、はじめて来た時から、感心したくらい、居心地のいい所である。その時野々宮さんは廊下へ下りて、下から自分の部屋の軒を見上げて、ちょっと見たまえ、藁葺だと言った。なるほど珍しく屋根に瓦を置いてなかった。
きょうは夜だから、屋根はむろん見えないが、部屋の中には電燈がついている。三四郎は電燈を見るやいなや藁葺を思い出した。そうしておかしくなった。
「妙なお客が落ち合ったな。入口で会ったのか」と野々宮さんが妹に聞いている。妹はしからざるむねを説明している。ついでに三四郎のようなシャツを買ったらよかろうと助言している。それから、このあいだのバイオリンは和製で音が悪くっていけない。買うのをこれまで延期したのだから、もうすこし良いのと買いかえてくれと頼んでいる。せめて美禰子さんくらいのなら我慢すると言っている。そのほか似たりよったりの駄々をしきりにこねている。野々宮さんはべつだんこわい顔もせず、といって、優しい言葉もかけず、ただそうかそうかと聞いている。
三四郎はこのあいだなんにも言わずにいた。よし子は愚な事ばかり述べる。かつ少しも遠慮をしない。それがばかとも思えなければ、わがままとも受け取れない。兄との応待をそばにいて聞いていると、広い日あたりのいい畑へ出たような心持ちがする。三四郎は来たるべきお談義の事をまるで忘れてしまった。その時突然驚かされた。
「そうか」
「うれしいでしょう。うれしくなくって?」
野々宮さんはかゆいような顔をした。そうして、三四郎の方を向いた。
「ぼくの妹はばかですね」と言った。三四郎はしかたなしに、ただ笑っていた。
「ばかじゃないわ。ねえ、小川さん」
三四郎はまた笑っていた。腹の中ではもう笑うのがいやになった。
「美禰子さんがね、兄さんに文芸協会の演芸会に連れて行ってちょうだいって」
「里見さんといっしょに行ったらよかろう」
「御用があるんですって」
「お前も行くのか」
「むろんだわ」
野々宮さんは行くとも行かないとも答えなかった。また三四郎の方を向いて、今夜妹を呼んだのは、まじめの用があるんだのに、あんなのん気ばかり言っていて困ると話した。聞いてみると、学者だけあって、存外淡泊である。よし子に縁談の口がある。国へそう言ってやったら、両親も異存はないと返事をしてきた。それについて本人の意見をよく確かめる必要が起こったのだと言う。三四郎はただ結構ですと答えて、なるべく早く自分のほうを片づけて帰ろうとした。そこで、
「母からあなたにごめんどうを願ったそうで」と切り出した。野々宮さんは、
「なに、大してめんどうでもありませんがね」とすぐに机の引出しから、預かったものを出して、三四郎に渡した。
「おっかさんが心配して、長い手紙を書いてよこしましたよ。三四郎は余儀ない事情で月々の学資を友だちに貸したと言うが、いくら友だちだって、そうむやみに金を借りるものじゃあるまいし、よし借りたって返すはずだろうって。いなかの者は正直だから、そう思うのもむりはない。それからね、三四郎が貸すにしても、あまり貸し方が大げさだ。親から月々学資を送ってもらう身分でいながら、一度に二十円の三十円のと、人に用立てるなんて、いかにも無分別だとあるんですがね――なんだかぼくに責任があるように書いてあるから困る。……」
野々宮さんは三四郎を見て、にやにや笑っている。三四郎はまじめに、「お気の毒です」と言ったばかりである。野々宮さんは、若い者を、極めつけるつもりで言ったんでないとみえて、少し調子を変えた。
「なに、心配することはありませんよ。なんでもない事なんだから。ただおっかさんは、いなかの相場で、金の価値をつけるから、三十円がたいへん重くなるんだね。なんでも三十円あると、四人の家族が半年食っていけると書いてあったが、そんなものかな、君」と聞いた。よし子は大きな声を出して笑った。三四郎にもばかげているところがすこぶるおかしいんだが、母の言条が、まったく事実を離れた作り話でないのだから、そこに気がついた時には、なるほど軽率な事をして悪かったと少しく後悔した。
「そうすると、月に五円のわりだから、一人前一円二十五銭にあたる。それを三十日に割りつけると、四銭ばかりだが――いくらいなかでも少し安すぎるようだな」と野々宮さんが計算を立てた。
「何を食べたら、そのくらいで生きていられるでしょう」とよし子がまじめに聞きだした。三四郎も後悔する暇がなくなって、自分の知っているいなか生活のありさまをいろいろ話して聞かした。そのなかには宮籠りという慣例もあった。三四郎の家では、年に一度ずつ村全体へ十円寄付することになっている。その時には六十戸から一人ずつ出て、その六十人が、仕事を休んで、村のお宮へ寄って、朝から晩まで、酒を飲みつづけに飲んで、ごちそうを食いつづけに食うんだという。
「それで十円」とよし子が驚いていた。お談義はこれでどこかへいったらしい。それから少し雑談をして一段落ついた時に、野々宮さんがあらためて、こう言った。
「なにしろ、おっかさんのほうではね。ぼくが一応事情を調べて、不都合がないと認めたら、金を渡してくれろ。そうしてめんどうでもその事情を知らせてもらいたいというんだが、金は事情もなんにも聞かないうちに、もう渡してしまったしと、――どうするかね。君たしかに佐々木に貸したんですね」
三四郎は美禰子からもれて、よし子に伝わって、それが野々宮さんに知れているんだと判じた。しかしその金が巡り巡ってバイオリンに変形したものとは、兄妹とも気がつかないから一種妙な感じがした。ただ「そうです」と答えておいた。
「ええ」
よし子はまた大きな声を出して笑った。
「じゃ、いいかげんにおっかさんの所へそう言ってあげよう。しかし今度から、そんな金はもう貸さないことにしたらいいでしょう」
三四郎は貸さないことにするむねを答えて、挨拶をして、立ちかけると、よし子も、もう帰ろうと言い出した。
「さっきの話をしなくっちゃ」と兄が注意した。
「よくってよ」と妹が拒絶した。
「よくはないよ」
「よくってよ。知らないわ」
兄は妹の顔を見て黙っている。妹は、またこう言った。
「だってしかたがないじゃ、ありませんか。知りもしない人の所へ、行くか行かないかって、聞いたって。好きでもきらいでもないんだから、なんにも言いようはありゃしないわ。だから知らないわ」
三四郎は知らないわの本意をようやく会得した。兄妹をそのままにして急いで表へ出た。
人の通らない軒燈ばかり明らかな路地を抜けて表へ出ると、風が吹く。北へ向き直ると、まともに顔へ当る。時を切って、自分の下宿の方から吹いてくる。その時三四郎は考えた。この風の中を、野々宮さんは、妹を送って里見まで連れていってやるだろう。
下宿の二階へ上って、自分の部屋へはいって、すわってみると、やっぱり風の音がする。三四郎はこういう風の音を聞くたびに、運命という字を思い出す。ごうと鳴ってくるたびにすくみたくなる。自分ながらけっして強い男とは思っていない。考えると、上京以来自分の運命はたいがい与次郎のためにこしらえられている。しかも多少の程度において、和気靄然たる翻弄を受けるようにこしらえられている。与次郎は愛すべき悪戯者である。向後もこの愛すべき悪戯者のために、自分の運命を握られていそうに思う。風がしきりに吹く。たしかに与次郎以上の風である。
三四郎は母から来た三十円を枕元へ置いて寝た。この三十円も運命の翻弄が生んだものである。この三十円がこれからさきどんな働きをするか、まるでわからない。自分はこれを美禰子に返しに行く。美禰子がこれを受け取る時に、また一煽り来るにきまっている。三四郎はなるべく大きく来ればいいと思った。
私が東海道新幹線に乗ったのは新幹線が開業して30年以上経った90年代。
母方の実家があるため静岡の病院で産声を上げた私が、当時両親の住んでいた社宅がある神奈川へ帰るために乗ったのが恐らくファースト新幹線。勿論記憶の欠片もない。
そこから幾年経ったのか明確に記憶があるのは、まだ0系が走っていた頃。例によって静岡の祖父母宅へ行かんと新横浜駅の待合室でこだまを待っている時の記憶。
当時、のぞみは走り始めていたが新横浜を通過するのぞみもまだまだある時だった。
全ての列車が停車する今となっては考えられないが、かなりのスピードで新幹線が新横浜を通過する時は待合室に相応の轟音と振動が伝わり、幼心に恐怖心が芽生えた。
こだまがそろそろ着く時間になると、エスカレーターを上がり4番線へ向かう。篠原側の有閑な景色を見て少し経った頃に、0系がホームに滑り込んでくる。
これに乗るといよいよ静岡のおばあちゃん家に行くぞ、と気持ちが出来上がるのだった。
そんなわけでしばらく新横浜〜静岡の往復でしか東海道新幹線というものを知らなかったが、その見聞が一挙に広がることとなる。
ある時、静岡の祖父が旅行を企画してくれた。寝台特急富士・はやぶさで九州へ行き、帰りは博多から500系のぞみで帰ってくるというものだ。(祖父も神奈川まで来てくれた)
フォルムの格好良さに憧れてはいたのに縁のない列車、と諦めていたが遂に乗れるチャンスが訪れたのだ。
空気抵抗を減らすため円形に作られた車体は2列×2列シート。高身長の祖父は少し窮屈そうにしていたが、幼少の私はそんな事気にも止めず、5時間近くの乗車をただただ楽しんだ。
何せ全てが見た事ない。そして、300km/hで流れていく景色の速さ。気付けば慣れ親しんだ新横浜のホームに降り立っていた。
そこから、中学の修学旅行で京都に行き、当時まだ試運転をしていたN700系を見たり、大学に入ってから付き合った彼女と京都に行ったり。
そして現在に至る。
三十路を越えた今では、JR東海に勤めることは出来なかったものの電車のマスコンハンドルを握って仕事をしている。
恨むこともないし、社会人になり親友が名古屋に転勤になったからと託けて名古屋に行ったり東京での飲み会の帰りが面倒で乗ったり、と東海道新幹線に乗る機会は減るどころか増える一方だった。
飲み会帰りに気軽に使うような間柄になっても、やはり新幹線という特別感は拭うことが出来ない。東京駅の東海道新幹線ホームに上がり白い車体を見る時、心の端にいつも高揚感が芽生えていた。
車両が変わり、速度が増して静岡まで1時間を切るようになり、その距離は益々近くなっていったが、社会人になった忙しさとコロナ禍にかまけて私と祖父母の距離は遠くなっていた。
予め認知症などの兆候があったとはいえ、やはり思うところはある。
静岡のホームで、ここ空いてるよ!と並んでる列を割り込もうとした祖母を窘める祖父のこと。
社会人になった後に神奈川へ祖父母が来た時、帰りの切符をグリーン車で取ってあげたらグリーン車なんて乗るの初めてだよ…と泣かれたこと。
母は、修学旅行では寝台特急で長崎へ行ったと言う。それはそれで羨ましいものがあるが、新幹線開業以前、長距離の旅とはおいそれと気軽に行けるものでは無かった。
現代では、仕事終わりに急に新幹線に乗っても1日とかからずに殆どの目的地へ行くことが出来る。
私と祖父が同じ時代を生きた時に、新幹線があって良かったと思う。
会いに行こう、をテーマ曲に。これからも日本の大動脈として人々の出会いを支えて欲しい。
そう思って文を締めます。
私が東海道新幹線に乗ったのは新幹線が開業して30年以上経った90年代。
母方の実家があるため静岡の病院で産声を上げた私が、当時両親の住んでいた社宅がある神奈川へ帰るために乗ったのが恐らくファースト新幹線。勿論記憶の欠片もない。
そこから幾年経ったのか明確に記憶があるのは、まだ0系が走っていた頃。例によって静岡の祖父母宅へ行かんと新横浜駅の待合室でこだまを待っている時の記憶。
当時、のぞみは走り始めていたが新横浜を通過するのぞみもまだまだある時だった。
全ての列車が停車する今となっては考えられないが、かなりのスピードで新幹線が新横浜を通過する時は待合室に相応の轟音と振動が伝わり、幼心に恐怖心が芽生えた。
こだまがそろそろ着く時間になると、エスカレーターを上がり4番線へ向かう。篠原側の有閑な景色を見て少し経った頃に、0系がホームに滑り込んでくる。
これに乗るといよいよ静岡のおばあちゃん家に行くぞ、と気持ちが出来上がるのだった。
そんなわけでしばらく新横浜〜静岡の往復でしか東海道新幹線というものを知らなかったが、その見聞が一挙に広がることとなる。
ある時、静岡の祖父が旅行を企画してくれた。寝台特急富士・はやぶさで九州へ行き、帰りは博多から500系のぞみで帰ってくるというものだ。(祖父も神奈川まで来てくれた)
フォルムの格好良さに憧れてはいたのに縁のない列車、と諦めていたが遂に乗れるチャンスが訪れたのだ。
空気抵抗を減らすため円形に作られた車体は2列×2列シート。高身長の祖父は少し窮屈そうにしていたが、幼少の私はそんな事気にも止めず、5時間近くの乗車をただただ楽しんだ。
何せ全てが見た事ない。そして、300km/hで流れていく景色の速さ。気付けば慣れ親しんだ新横浜のホームに降り立っていた。
そこから、中学の修学旅行で京都に行き、当時まだ試運転をしていたN700系を見たり、大学に入ってから付き合った彼女と京都に行ったり。
そして現在に至る。
三十路を越えた今では、JR東海に勤めることは出来なかったものの電車のマスコンハンドルを握って仕事をしている。
恨むこともないし、社会人になり親友が名古屋に転勤になったからと託けて名古屋に行ったり東京での飲み会の帰りが面倒で乗ったり、と東海道新幹線に乗る機会は減るどころか増える一方だった。
飲み会帰りに気軽に使うような間柄になっても、やはり新幹線という特別感は拭うことが出来ない。東京駅の東海道新幹線ホームに上がり白い車体を見る時、心の端にいつも高揚感が芽生えていた。
車両が変わり、速度が増して静岡まで1時間を切るようになり、その距離は益々近くなっていったが、社会人になった忙しさとコロナ禍にかまけて私と祖父母の距離は遠くなっていた。
予め認知症などの兆候があったとはいえ、やはり思うところはある。
静岡のホームで、ここ空いてるよ!と並んでる列を割り込もうとした祖母を窘める祖父のこと。
社会人になった後に神奈川へ祖父母が来た時、帰りの切符をグリーン車で取ってあげたらグリーン車なんて乗るの初めてだよ…と泣かれたこと。
母は、修学旅行では寝台特急で長崎へ行ったと言う。それはそれで羨ましいものがあるが、新幹線開業以前、長距離の旅とはおいそれと気軽に行けるものでは無かった。
現代では、仕事終わりに急に新幹線に乗っても1日とかからずに殆どの目的地へ行くことが出来る。
私と祖父が同じ時代を生きた時に、新幹線があって良かったと思う。
会いに行こう、をテーマ曲に。これからも日本の大動脈として人々の出会いを支えて欲しい。
そう思って文を締めます。
1. Dブレーンと開弦の終端条件
2. ブレーン上のゲージ場とベクトル束
𝑆_{𝐶𝑆} = 𝜇ₚ ∫_𝑊 𝐶 ∧ exp(𝐹/2π)
- 𝐹 はゲージ場 𝐴 の曲率形式:𝐹 = 𝑑𝐴 + 𝐴 ∧ 𝐴。
- ベクトル束 𝐸 の同型類は、Dブレーン上のゲージ場の物理的に区別できない配置を表す。
- これらの同型類は、Dブレーンのワールドボリューム 𝑊 上のK-理論群 𝐾(𝑊) によって分類される。
- Dブレーンは背景空間 𝑋 に埋め込まれており、包含写像 𝑖: 𝑊 ↪ 𝑋 が存在する。
- 背景空間全体でのチャージの考察には、𝑋 上のK-理論群 𝐾(𝑋) を考える必要がある。
- ブレーンのチャージは、相対K-理論群 𝐾(𝑋, 𝑊) の元として分類される。
- 相対K-理論群 𝐾(𝑋, 𝑊) は、𝑋 上のベクトル束であり、𝑊 上での制限が自明なものの同型類を表す。
- 相対K-理論と通常のK-理論の間には、以下の長完全系列が存在する:
⋯ → 𝐾⁻¹(𝑋) → 𝐾⁻¹(𝑊) → 𝐾⁰(𝑋, 𝑊) → 𝐾⁰(𝑋) → 𝐾⁰(𝑊) → ⋯
- これにより、背景空間とブレーン上のK-理論群の関係性が明らかになる。
- チャーン・キャラクターはK-理論からコホモロジーへの写像を提供する:
𝑐ℎ: 𝐾⁰(𝑋) → 𝐻^{even}(𝑋, ℚ)
- 相対K-理論の場合も同様に、相対コホモロジー群への写像が存在する。
- Dブレーンの物理的チャージは背景空間の相対K-理論群の元として表され、これはブレーン上のゲージ束の情報を含む。
- このチャージはラムの場に対するソース項として現れ、チャーン・サイモンズ作用に反映される。
以上の議論から、Dブレーンのチャージは背景空間の相対K-理論群の元として分類されることが示された。これは、ブレーン上のゲージ場(ベクトル束)の位相的性質と背景空間への埋め込みに基づいている。
自分はもう十年近く振動機能付きのT字カミソリを使っている。最初に振動機能付きのカミソリを使ったときはそれはもう衝撃だった。ガラケーからiPhoneに変えたとき位の衝撃。なんで振動するだけでこんなに剃り味が変わるんだと目から鱗が落ちまくり、これからのT字カミソリはすべて振動機能付きになるんだろうなと思っていた。
ところが2024年現在、店頭に並ぶT字カミソリの多くには振動機能がついていない。それどころか振動機能付きのカミソリは徐々に居場所を無くし置いていないドラッグストアも見かけるようになった。
なんでだよ!明らかに振動機能付きのカミソリの方が良く剃れるのに!そりゃ本体価格がちょっと高いとか電池交換の必要があるとかのネガティブポイントはあるけどさ、そんなネガティブポイントを補って余りあるほどの抜群の剃り味があるんだからみんな振動付きのT字カミソリ使えよ!ガラケーからiPhoneになった時も値段高くなったけど皆乗り換えてたじゃん!
いまいち振動機能付きのT字カミソリが普及しないのは何故なんだろう。こっちは無線充電出来るバッテリー駆動のやつとかも出てほしいとずーっと願ってるのに!はてなの男ども、騙されたと思って一度振動機能付きのT字カミソリを使ってみてほしい。飛ぶぞ。
血管が詰まっても、周りの毛細血管から血が届くので、すぐには壊死は始まらず、
詰まった血管の周りに静脈瘤というふくらみができたり、
詰まった血管より先の部分で痛みが生じる。
血液不足からくる酸欠で細胞が痛み物質を放出し、それを検出した部位が痛いと感じる。
血管のつまりが上流にあり、その次に酸欠部位があり、その下流に痛みを感じる部分がある。
痛い部分を揉んでも意味がなく、最上流のつまりを解消しない限り痛みは治らない。
△▽で人気の電動マッサージ器が、血管のつまりを解消するのに役に立つ。
電動マッサージ器による治療効果は、わりと荒療治で、強い振動により身体の部位を少しだけ壊し、
壊れた部分が修復されるときに、もともとの故障も治ることになる原理を利用しているのだ。
なので、一週間に一度くらいの頻度で全身をマッサージするのがちょうどよい。
オリンピックの見世物でジェットパックが飛んできた時の衝撃って格別だったんじゃないかなって思う。
演出のセンスとかそういうのじゃない、「夢」があるなって。GTAもジェットパックで飛び回るの楽しかったもんな。007は知らん。
空飛ぶ車やステルス迷彩のデモンストーションなんかを見ても、お〜〜…………くらいにしかならない。
まあありえなくはなさそうなくらいの技術だしな……
といって実用には程遠い代物だろうし、フィクションの中のスタイリッシュな姿にまるで追いついてないし……っていう。
そういうのに感動を覚えるとしたら、すっかり実用化されて町に溶け込んだその時、ふとした拍子に感慨が湧いてくるんじゃないかと思う。
なんかギリギリ手の届くような地に足のついたびっくりテクノロジーって掘り尽くされちゃったのかなって思う。
ここ5年か10年かで流行りのドローンだって、言うてもラジコンヘリは昔からあった訳で。使い方の問題とマイナーな部分での技術向上というか……
DSが出た時はタッチパネルにはしゃいでたな。今は誰もが全面タッチパネル操作の板を持ち歩いてる。
iPhone7だかの、振動でグリっと押したような錯覚を与えるホームボタンは結局定着しなかったな。面白がって友達のやつしょっちゅう押してた。
ChatGPTは結構凄いと思ったかもしれない。ただ返答のパターンを増やすだけの進化とは違って、初めて自律的なものを感じた。
おもちゃに使われてるような無課金のやつでもあれなんだから、相当凄い所まで行ってるレベルのも隠されてるのかもしれない。
でも人が単身で飛び回るのに比べたらなんかささやかだ。ささやか過ぎる。
社会の仕組みをじわじわ変えはするのかもしれんけど、インパクトに欠ける。もっと秘密道具みたいなさあ。
古の時代から、ニンニクはその強烈な香りと力で人々を魅了してきた。しかし、誰も知らぬ間に、その白い皮の下には隠された陰謀が潜んでいたのだ。
ある秘密の会議で語られたという。ニンニクはただの香辛料ではない。実は、全宇宙に張り巡らされた「香りの結界」を操作するためのキーアイテムだったのだ。ニンニクを食べるたびに、我々の体内で微細な振動が生じ、その振動が古代から存在する「香りのネットワーク」を通じて、全ての生命体に微妙な影響を与えているという。
なぜ、吸血鬼はニンニクを恐れるのか?それは彼らがこのネットワークに干渉する存在だからだ。彼らは、香りの結界の外に存在する暗黒の力と結びついているが、ニンニクの香りがその接続を断ち切るから逃げざるを得ない。
さらに驚くべきことに、ニンニクを大量に摂取した者は、一時的にこのネットワークにアクセスすることができるという噂がある。彼らは「香り使い」として知られ、意識せずに他人の感情や行動に影響を与えることができるようになるのだ。
だが、この力を手に入れるには代償が伴う。口から漂う独特な香りにより、彼らは他者から孤立し、次第に社会とのつながりを失ってしまう。それでも、彼らは全宇宙の香りの流れを支配するため、その犠牲を甘んじて受け入れる。
気づかぬうちに、あなたもこの香りのネットワークの一部になっているのかもしれない。今日、ニンニクを食べたあなたも――。
次にニンニクを手に取るとき、それがただの調味料であるとは思わないことだ。その白く輝く球根には、遥か昔からの陰謀が隠されているのだから。
何故、一部の異常者はあんなにも鉄道に惹かれてしまうのか、それは幼少期の彼らが鉄道を揺り籠として認識し、帰巣本能とも言えるものを鉄道に対して持ってしまったからである。
そもそも揺り籠に揺られている赤子はなぜ眠ってしまうのだろうか?
それは揺り籠の振動が母親の胎内で羊水に包まれていた頃の日常に近いからである。
では何故羊水の中の赤子は眠るのかと言えば、羊水の中で暴れまわった赤子は逆子になりやすいため、羊水の中でゆっくり眠る遺伝子の持ち主が生存競争を生き延びてきたからだ。
鉄道に異常な関心を持たない普通の人間であっても、電車の中で強い眠気を感じることがあるが、これは我々が元来そういった類の揺れに対して眠気を感じるような遺伝子の持ち主だからなのだ。
つまり、電車の中で眠ってしまうというのは、ある種の胎内回帰に等しい状態と言えるわけである。
では、そこから鉄道に対する狂人的な執着に辿り着く鉄道オタクと、そうでない一般人の違いはどこから来るのか?
これはひとえにに幼児期において親からしっかりと愛情を与えられて育ったかどうかで決まるのだ。
十分な愛情を親から与えられていれば、自分が帰巣本能を感じるべき先は本物の両親や自分の家であることを理解するが、もしも親からの愛情が不足していれば、足りない愛情を埋められる相手を常に探し求め、揺り籠のような振動を与えてれくれる鉄道を第二の親と捉えてしまうのである。
一部の子供が電車の中で異常にテンションが上り暴れ出すのは、電車という第二の親を相手にして甘えようとしているからなのだ。
だが鉄道は人の親ではない。
だから何も返してはくれない。
それでも、穏やかな揺らぎは与えてくれる。
求めているものの全てが与えられない乾きと、求めているものの一部は与えられる癒やし、それらが緻密に絡み合っていくうちに鉄道への執着はより深まっていく。
鉄道は人の親ではないので一切の巣立ちの機会さえ与えてくれない。
だから鉄道に対して血縁認識に近いものを持ってしまった人間は鉄道に関わっている間はその精神年齢が幼児のままで固定されてしまうのだ。
鉄道に関わっている間、自分がまだ幼い子供であるかのように振る舞うことが、正しい自分のあり方だと本能的に誤解してしまうのである。
これはまさに本能によるものなので、本人からしても疑問に持ちにくい。
それこそ「これはそういうものだし、誰にとってもそうなのではないか?」というレベルで、鉄道を前にして幼くなることが異常であることを感じ取れないのである。
ただ偶然鉄道の揺らぎが胎児を包む羊水の揺らぎに似ていたという偶然が、たまたまそれに出会った時期に両親からの愛情に飢えていた幼児に、本能のバグとも言える刷り込みを起こした結果として産まれる呪いなのだ。
優しくしてやってほしい。
精神や人生のごく一部において、永久に成長することが出来ない呪いを埋め込まれた本能の被害者なのだ。
そんな彼らも寄り集まって共に暮らす中で、機能不全家庭で暮らす長男長女の如くして「大人として振る舞おうとする努力」を始めることもあるが、それでもなおその心には愛情不足に嘆く幼児を抱え続けているのである。
もちろん前までは朝の楽しみになっていたし、夜は少しでもいいスコアを出そうと早寝を心がけていた。
今は寝る前に計測ボタンを押して起きたら止める、日中は数回アプリを開きタスクをこなすの繰り返し。
毎日のルーティンになっている、といえば聞こえはいいが、実際は「ここまでやり込んだのにやめるのか?」という心の声を無視できずに続けているだけ。
一方で「楽しめなくなっているのだから無理して続ける意味はないだろう」という心の声も聞こえてくる。
一度、正直にアプリに対して思っているところを書き留めることで気持ちを整理してみる。
まず、このアプリに対して自分が納得しきれていないのは「運要素が強すぎること」「キャラクター育成のコストが高すぎること」この2点だと思っている。
自分が遊んでいる睡眠計測アプリはキャラクターが出てくるもの。
睡眠計測を終えたらキャラクターが出現するので、アイテムを使って出現したキャラクターを捕獲する。
睡眠計測アプリとはいえ、いわゆるソシャゲなのだから、出現キャラクターがランダムなのは重々理解している。
痛いのは、睡眠の質(深い眠りか浅い眠りだったかなど)やプレイヤーが選んだフィールドによって出現するキャラクターが決まっているところ。
出現するフィールドで遊んだとしても、計測した睡眠の質によってはほしいキャラクターがでない。
睡眠計測アプリだから仕方がないが、睡眠の質を狙い撃ちしたり、1日に何回もキャラクターを出現させることはできない。
この問題は「ゲームランクを上げれば」「課金をすれば」解決できるわけはない。
また、好きなキャラクターが出現したとて、必ずしも捕獲できるとは限らない。
それを満たすと捕獲成功になるのだが、捕獲ゲージを満たす前にゲージが閉じてしまい、捕獲のチャレンジが失敗することが多々ある。
捕獲できるかどうかもにも運要素が絡んでくるのだ。
それに一週間粘ってお目当ては1体も出現しませんでした、なんてことも珍しくない。
朝起きて今日も出現しなかった、今日は出現したが捕獲できなかったというのを毎日毎日繰り返すとさすがに「好きなキャラクターと寝たかっただけなのに自分は一体、何のために何をしているだ?」という疑問が湧いてくる。
このアプリでゲームランクを上げるために必要なことは大きく分けて2つ、キャラクターを育成することと長く続けること。
アプリを続けているとランク上昇率にバフみたいなものがかかる。
積み重ねれば大きい恩恵になるが、そこまで辿り着くのに月単位の時間が必要。
このアプリで遊んだことがない人でも察しがつくだろうが、キャラクターを育成するには睡眠が必要。
育成したいキャラクターを自分のパーティに加えて睡眠計測をするとキャラクターが少しづつ強くなっていく。
またキャラクターが出現した時に落とすアイテムを使って育成をする。
キャラクターの出現はランダムであること、ランク帯や睡眠時間によっては出現数を稼げないことが影響する。
好きなキャラクターを捕獲しても、それ以降同じキャラクターを出現させられなければアイテムが集まらず、育成完了は程遠い。
育成が完了していないキャラクター達でアプリを進めるなら、もちろんランク上げには時間がかかる。
大袈裟な言い方かもしれないが、好きなキャラクターの出現確率を上げられないまま、その時が来るのを待つしかない。
そして、キャラクターの出現が厳しいこと、育成コストが非常に高いことが重なるとまた次の問題が出てくる。
キャラクターの育成し直しがきつい。
やはり普段ゲームをやり込む層からすると、ステータスが高い個体がほしいもの。
そうでなかったとしても、ランク上げが難しいアプリなので、このアプリにおいてはステータスが高い個体がとても貴重かつ重要。
「今度また気に入った個体が捕獲できたらそちらを育成しよう」と思うのがどれだけ難しいか。
長くなったが「好きなキャラクターと睡眠をともにしたい」と思って始めたのに、
キャラクターを出現させられるか、キャラクターを捕獲できるか、高いステータスの個体を引けるかの全てが運試しで、
好きなキャラクター出現させるための、ランク上げのための、育成のための、キャラクター出現待ちとかいう謎のループにいつの間にかハマっている。
ことに嫌気がさしている自分がいる。
睡眠の質を上げるアプリのはずが、睡眠計測しているが実際には寝ていない寝たふりや、計測中に音や振動を加えて睡眠データを調整する小技が存在している点は流石に面白い。
それとこれは推測だが、おそらくここまで運要素が強いのは、普段ゲームをやらない層やゲームが苦手な層でも気軽に楽しんでほしいという運営の思いからなのかと、ふと思った。
「やり込まないと強くなれない」「弱かったり知識がないと好きと言ってはいけない」というイメージが、普段ゲームをやらない層からよりゲームを遠ざけている一因としてあり、
そのためこのアプリでは、運要素をメインに組み立てて、誰でも気軽にできるゲームを目指しているのではないか と感じた。
だとしたら、やれ育成がやれステータスがと言っている自分こそターゲット層から外れているわけで、お門違いなのかもしれない。
もっと気軽にのんびりと楽しむべき、ただそれだけだったのだろう。
ちなみに捕獲したキャラクターたちの寝ている様子が見られないのは本末転倒では?と自分は思うのだが、他プレイヤーはどう思っているのだろうか。
君の状況は理解できるが、感情的な反応は科学的に見て非生産的だ。
上階の住人の行動パターンを分析し、騒音の頻度と強度のデータを収集することを提案する。
それらの情報を基に、騒音軽減アルゴリズムを開発できるかもしれない。
また、音響物理学の観点から見ると、床と天井の構造を改善することで、騒音の伝達を最小限に抑えられる可能性がある。
例えば、質量-バネ-ダンパーシステムを応用すれば、振動の伝達を効果的に遮断できるだろう。
それでも解決しない場合は、白色雑音発生器の使用を検討してみてはどうだろう。
これにより、迷惑な騒音をマスキングし、睡眠の質を向上させることができる。