はてなキーワード: あかんとは
『フルタイムで働いてるのに老後の不安がある状況ってあかんよなぁ』って言うと、
ChatGPTちゃんは、平然とスーパーや飲食店や介護や運送業や一次産業にMBAをはじめとした専門教育を受けろと言うし、
『どんな傲慢な人でも、どら焼き屋、スペアリブ屋、タコス屋をするのに、料理に対する情熱や美味しいレシピよりも、MBAが大切とは答えません。
と伝えると、
職業やビジネスの成功において、経営やマーケティングの専門知識は重要な要素となることは確かですが、それがすべてではありません。料理の情熱や技術、お客様に対するサービス精神なども同様に重要です。 個々の人には異なる夢や目標があり、異なる道を選ぶことができます。どら焼き屋、スペアリブ屋、タコス屋を営むことがその人にとって意義のある選択であり、社会的に貢献することも十分にありえます。
・・・って答える
『ChatGPTが考える、スーパーの店員の100倍以上の年収を受け取るべき能力や責任とは何ですか?』と尋ねると、
高給取りの人々が受け取る報酬の差は、さまざまな要素によって影響を受けます。以下に挙げるいくつかの要素は、高給取りとされる人々の能力や責任、および市場価値に関係している可能性があります。 ・専門知識やスキルの獲得: 高給取りの人々は、高度な専門知識やスキルを持っていることが多いです。例えば、医師や弁護士は長期間の教育やトレーニングを受け、高度な専門知識を持っています。 ・責任の大きさ: 高給取りのポジションには、通常、高い責任が伴います。経営者や高位の役員などは、企業や組織の意思決定や戦略の責任を持ち、重要な意思決定を行います。 ・結果に対する影響力: 高給取りの人々は、自身の仕事や意思決定が組織や社会全体に与える影響が大きいことがあります。例えば、成功した起業家は新しいビジネスを生み出し、雇用を創出することで経済に貢献します。 ・市場価値: 報酬は市場における需要と供給のバランスによって決まります。需要の高い職種や業界では、人材の供給が限られているため、報酬水準が高くなることがあります。
・・・って答える
『一般的にアメリカにおいてアメリカ大統領領よりも責任が重大な職はないがスーパーの店員の数千倍の報酬はもらってない。アメリカ大統領の年収は年間40万ドル。
数百倍から数千倍の報酬が正当化されるべき責任など存在しないと思うけど?』って伝えると、
報酬の上限をどこに引くべきかは、社会的な議論や倫理的な観点によって異なる結論が導かれる可能性があります。報酬の適正さや公正さについては、さまざまな要素が考慮されるべきです。
・・・って答える
『アメリカンドリームが生きているとしているのは、民主党寄りのメディアや経済誌が多いようです。
既に社員の数百倍から数千倍の大企業のCEOの報酬を2.5倍にするとか言ってるシンクタンクの人はコメント欄でめちゃくちゃ叩かれていました。
私も何言ってんだこいつ?と思いました。』って伝えると、
ご指摘のように、アメリカンドリームや経済の不平等に関する議論は様々な視点や意見が存在します。メディアやシンクタンクの立場や政治的な傾向によっても、報道や記事の内容が異なることはあります。 経済誌や民主党寄りのメディアは、一般的に経済的な不平等や格差是正に関心を持ち、アメリカンドリームを実現するための政策や社会の変革を提唱することがあります。
まぁこれはもっともらしいAIの嘘の範疇だとしても、とにかく何を聞いても教育と努力で解決出来るってChatGPTは答えるんだ
なので、
『教育は社会的な格差を縮小するために重要な役割を果たすことができないどころか、格差を縮小することにおいてはまったく役に立ちません。
これは事実です。
OpenAIなど米国の企業は2ドルまたはそれ以下の賃金で途上国や新興国に依頼を投げます。
スーパーや飲食店や介護や運送業や一次産業で働いている人は別に教育が足りなかったわけではありません。
ChatGPTはスーパーや飲食店や介護や運送業や一次産業の従事者に専門教育を受けろと言いますが、受けたところで2倍3倍の給与になったり、
ましてやどこぞのCEOのように1000倍にはなりません。彼らの給与が抑えられているのは社会的な構造です。
資本主義社会の現実では、お金に換えやすい能力と知識があるので、教育(愛と情熱)ではどうにもできません。』
・・・って伝えると、
社会的な格差の問題は非常に複雑であり、教育だけが解決策とは言い切れません。教育は確かに個人の能力や知識を向上させる上で重要な役割を果たしますが、社会の構造や経済の仕組みによって格差が生じることも事実です。 経済格差の問題は、教育だけでなく、社会的な構造や政策、労働条件、所得分配の不均衡など複数の要素が関与しています。給与の抑制や低賃金労働の問題は、資本主義社会の現実や経済の競争原理によるものと言えます。 私が以前の回答で教育の重要性を強調したことにより、社会的な格差を解決するための他の要素や問題の重要性を軽視してしまったことをお詫び申し上げます。
・・・・と、これはとりあえず謝っておくパターンかって回答するけど、
やっぱ、とにかく教育・努力でどうにかなるという強い学習がなされているようで、
『お金にならない分野を勉強するのは愛と情熱以外にありません』って伝えると、
教育には多様な側面があり、個人の興味や適性に応じて異なる道が存在します。確かに、お金に直結しない分野や職業を選択することもあります。これは、人々が自身の情熱や関心に基づいて進む道を選ぶことを意味します。 教育は、自己成長や喜び、人生の充実感を追求するためにも重要な役割を果たします。お金に直結しない分野での学びや専門知識の習得は、個人の人生において深い意味や充実感をもたらすことがあります。 ただし、現実的な観点から見ると、一部の分野や職業は他よりも収入や経済的な安定性が低い場合もあります。そのような場合、自身の情熱に基づく道を選ぶことが重要ですが、同時に生計を立てる手段や経済的な安定を確保する方法にも考慮が必要です。 教育における情熱や愛は重要な要素であり、それが個人の自己成長や喜びにつながることは間違いありません。ただし、人々が自身の情熱に従い、生計を立てる手段や経済的な安定性も確保することは現実的な視点から考慮すべきです。
・・・って答える
もうここまでで、そらトランプ大統領も生まれるわって思ったが、
『2ドル以下で働いている人たちは、個人の能力や選択、努力が足りず、経済状況や市場の変化に対応し、自己成長や挑戦を続ければそうならなかったということですか?
どこの国・地域に生まれ、お金に換えやすい分野に対する能力と情熱があったか?ただそれだけです。
個人の選択、努力、変化に対応とかは、影響どころか何の意味も持ちません。』って伝えると、
私の前回の回答が誤解を招いたようでしたら、申し訳ありません。個人の能力や選択、努力が足りないからと言って、2ドル以下で働く人々を非難するつもりはありませんし、そのような状況は彼らの責任ではありません。
・・・って回答してくるし、そういう言い方だめだよって伝えると、
おっしゃる通りです。個人の能力や選択、努力が足りないからと言って、低賃金で働く人々を非難することは適切ではありませんし、そのような状況は彼らの責任ではありません。経済的な安定や成功は、個人だけの問題ではなく、社会や経済の構造、制度的な要素なども含めて考慮する必要があります。
いやーどういう文章を学習してる&調整されてるんですかね。。。。。
下記の回答を出力するのにかなり試行錯誤したぞ。最初っから下記の通りの回答ができればいいのにな
『人々が自身の情熱や能力に基づいて進む道を選ぶことは重要ですが、その選択が給与水準の差や社会的な格差を正当化するものではありません』
経済状況や市場の変化、個人の能力や選択、努力は、給与水準や社会的な格差に影響を与える要素の一部ですが、それだけがすべてではありません。2ドル以下で働いている人々の状況は、さまざまな要素の結果であり、単純に個人の能力や努力だけで解決できるものではありません。 人々が生まれ育った国や地域、社会的な背景、教育の質や機会の格差、経済の仕組みなどは、個人の能力や選択だけでは変えることができない要素です。給与の低さや格差が問題とされる場合には、社会的な構造や政策の見直しも必要とされます。 また、お金に換えやすい分野に対する能力や情熱があるかどうかも、個人の選択や環境によって異なります。社会にはさまざまな分野や職業があり、それぞれに異なる価値や意義が存在します。人々が自身の情熱や能力に基づいて進む道を選ぶことは重要ですが、その選択が給与水準の差や社会的な格差を正当化するものではありません。 最終的には、社会的な格差や給与の不均衡を解決するためには、個人の能力や努力だけでなく、社会的な構造や政策の改革、教育の普及や質の向上、労働条件の改善など、総合的な取り組みが必要です。
不登校体験者のマンガがクリニックにあってたまたま読んだら一ミリも共感できなくてビビった。
小学一年生から学校が苦手な子らしく「友達が話しかけてくれない」「先生が○○してくれない」とないない尽くし。いやお前は王でも神でもないんやから自分の望みを口に出さんのに周りが先回りしていろいろやってくれるわけないやん……。しかも自分は人に話しかけられんのに友達は自分に話しかけてくれて当然と思ってるようやし。「繊細で傷つきやすい自分と違って周りの子はガサツで図太いから話しかけられるもんや」とでも思っとんのかな。新学期に不安なのは皆同じやで。「自分から話しかけてみよ」となんでならんのか。小学生当時なら無理かもしれんけどなぜそうならんかった自分への述懐がないのか不思議で仕方なかった。描く必要無いと思ったんかな。
だいたいいっつも黙ってて自分の考え言わん子なんて周りも話しかけていいか迷うやん。何も言ってないのに周りが適度に話しかけてくれるとかそれこそ「思考読まれてる?」ってビビるレベルやろ。「内気で繊細で自分からは話しかけられないけど絵が上手くて面白い子」という「ありのままの自分」を受け入れてほしいって子供にはむずいし説明要るで。口数少なくてもそういう人物として認知される恵まれた環境も存在するかもしれんけど当たり前じゃないかもな。同級生への要求レベル高すぎたかもしれんで。
親も変わってて、学校に行けない主人公にとにかくいろんな家庭教師を連れてくる。いやこんな他人連れてくる前に親が子に向き合わんのかと。マンガに描いてないだけかもしれんけど親がノータッチ過ぎてビビった。「あんたは王様でも何でもないの! 皆自分の幸せや楽しいことだけ考えて生きてるのが普通なの! あんただってジャンプが好きでいっつも絵ばっか描いとるやろ? 他の子も同じなの。あんたになんて興味ないのが普通なの。それでも仲良くなりたいならまず自分から話しかけなあかんやん。してほしいしてほしいって友達はあんたの召使いでもなんでも無いの! あんたは何ができんのよ? ジャンプの話ならできるよとか絵を描いてあげられるよとかあんたが友達にできることを考えなあかん」とか何で言わんのやろ。マジで意味わからん。
暴力や嫌がらせはもちろんアカンけど「自分は相手のために何ができんのか」「どこまでしたのか」ってことをまずは考えなあかんやん。「どうせ自分は何もできんし」って誰が決めたんや。たとえできてなくたって「必死にやろうとしてくれた」ってこと相手には伝わるよ。小学校には係とか班とか当番とかあるやろ。「自分が休んどる間それはどうなっとったんやろ。誰か代わりにやってくれたんかな? 悪かったな」とか思わんのかな。給食当番でもなんでもええから今自分ができることすればええやん。それでも嘲るような奴らならもうしゃーない、切っていい集団よ。そんな奴らの仲間になりたいとか思うだけ無駄やて。やるだけやれば諦めもつくよ。
「アンタのために存在してる人間なんて一人もおらんの! 私は親やから世話したり優しくしてるだけなの! アンタの発言にいいねしたり優しくしてくれたり手間や時間をかけてくれるのは全く当たり前じゃないの! それでもたまにそうしてくれる人がいたらそれは有り難いことやから『ありがとう』って言うんやで。友達ならまだええけど大人なら怪しいからまず疑うことや」というのが私が子供にいつも言ってること。「もちろんアンタも自分のために生きたらええで。勉強するもしないも自由や。進学せんなら養わんけどな。扶養義務は二十歳までやで」っていつも言ってる。毒親かもしれんな。
お前は世界の中心でも何でもないの。でもそのほうが楽に生きられてええやん。世界を救う義務とか重たい家業とか押し付けられてみーや、逃げたくなるだけやで。お前の言うことすることなんて誰も気にしてないの! だからこそ自由に生きていけんの。「言わなきゃ伝わらない」ってのはメリットなの。内心ダダ漏れのほうが怖いやろ。「自分なんていてもいなくてもいい」ってこんなに恵まれたことないんやで。「どこに行ってもいいし何をしても良い自由がある」ってことやで。
「どんな人間に好かれたいか」ってのもよく考えたほうがええ。「不特定多数に好かれたい」って大変やからな。有名人見ればわかるやろ? クラスの人気者になりたいなら人気者に近づいたり観察したりして人気者の努力や苦労をまずは知ることや。人気者の闇やデメリットも必ずあるで。
「僕は特別な人間なんだ。クラスの皆は僕の才能に気づいて話しかけたり気遣ったりして僕の存在を認めてくれるべきだ(僕からは話しかけないけど)」って少しでも思ってる子がおるなら自分なら説教せなアカンと思う。ただこの作者さんは漫画家になって活躍しておられるようやからやっぱり特別な才能がある人やったんやろな。でも小中学生がそれを察するのも難しかったやろなとは思うんや。イエス・キリストすら地元では「大工の子」ってバカにされててんで。この描きようではあまりにも地元の同級生が嫌な奴ばっかやったように見えてなんか気の毒に思った。私も幼稚園から浮きまくってたクチやけど配慮してほしいと思ったことなかったんや。わからんでも仕方ないやろなと思ってた。私も人のこと知る努力せんかったし、お互い様や。
学校っていう雑多な集団に馴染めん人は当然おると思うけどな、毎日学校に通ってる無神経で能天気そうに見える子にもきっと悩みはあるよ。友達になりたいならそれを知ろうとする努力も必要だったかもな。自分に嫌がらせしてきた奴らのことなんて理解する義理ないかもしれんけどさ。
フランス行って日本に帰国したらDV受けるかもだから難民としてフランスに住み着くつもりだけどええやんな?
宅間守、母親は宅間守をみごもったとき直感でおろしたいって言ったらしい
母親は宅間が中学校に入学した頃から「お前なんて産まなければよかった」って言ったらしい
ちいさい子供って親の言うこときかなくて善悪の区別もないんだけど
昔だから今みたいに発達障害の子供のための療育なんてなかったんかな
現代人ができることって加藤智大や宅間守みたいな人間を産み出さないように社会と親が努力することだよね
加藤智大や宅間守だって本当の意味でだれかと愛し愛される関係を築けていたらこんな事件は起こさなかったのかも(宅間守は獄中結婚したらしいけども。容姿がイケメンだからか?)
親が虐待してるならすぐに児相が親から子供を取り上げて施設で教育したり
発達障がいで生きづらい子供を療育で人生がうまくいくようにサポートしたり
わたしが今気になってるのは長野の猟銃立てこもり事件の犯人の親がどういう育児をしてきたのかものすごく気になる
その意見は、自由主義を推し進めた結果としてと個人主義が出てくるやつだね。自由個人主義とまとめてもよい。
①自由主義において、「自由」はなによりも尊ばれるものである→確実性や金銭や伝統は自由を損ねないなら捨てて良い
②自由とは個人の裁量のことである→社会の裁量で決まったことは自由に反する。
これら二つの、まあ一見頷いてもいいように見える立場が、悪魔合体すると、「ある個人の裁量には、別の個人は一切口を出してはならない」という立場が爆誕する。忠告や説教などもってのほかであり、どんな失敗も自己責任で済ませる。全て個は個となってコミュニティは無とすべきである。
コミュニティを全否定することになるで、さすがにあかんってことで、21世紀はいって以降ぐらはもっと共同体を重視する立場が主流だが
Facebookとかで自分ソロの写真はもちろん、友達とか同僚・上司とか他人との写真をアップするのにめちゃめちゃ抵抗がある。
Aさんとの写真はUPするけど、Bさんとの写真はUPしないというメッセージを発することにもなりかねず、誰と写りたいか、誰と一緒アピールをしたいか、またその逆が透けて見えてしまう気がして、無理。
また、投稿を見る立場としても微妙な気持ちになる時がある。打ち上げとかで一緒にいたのに、あーこの人たちとはツーショで写真とって載せるんだ、私には声かからなかったなとか。こういうことがあるので、投稿者として他の人に同じ気持ちをさせちゃあかんと思って、ぶっちゃけもう面倒臭いから人が写ってる写真は集合写真くらいしかのせないんだけど。
ワイ「カキカキ」
ワイ「よっしゃ、ホッテントリめざすやで」
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引用までつけてくれてありがとな。これは所長が握り潰さずに乗務員に言っちゃったのがあかんと思う。無論一番あかんのはイミフのクレームしてくるクレーマーだし、所長が握り潰してたらこんなに大事にはなってないわけだ。
尊重されるべき…とかは乗務員本人のコメントだよな。実に正しいと思うし、この乗務員も「こんなのわざわざ下に言ってくるなよな!」って気持ちがあってのこのコメントなんじゃないの?上は「言えと言われたから言った、連絡を受けたから伝えた」程度で、これを下に伝える必要があるかどうか『判断』をしてないわけだ。
とはいえこのクレームを電話してきたやつは絶対Twitterもネットの記事も読んでないからまた似たようなこと繰り返すんやろな。
で、こいつあかんわwwwって奴を順番に落として男と入れ替えていく。
男でも女でもどっちでもええなって奴は女を残す。
どっちでもええしな。
これくらいやんないと女性議員数は増えない。
従業員500人程度の中小エネルギー会社 人事課長→従業員1万人超のSI企業(NECとかNTTとかそのへん)人事職(非管理職)に転職して一年ほど経過したのでその雑記。あんまり増田で人事の転職見たことないな?
それなりに要領がいい方だとは思うが、お世辞にも能力が高くはない。英語力も皆無。(TOEICは受けさせられて300ぐらい)
氷河期と言われる2012卒だったのに加え、自分が就職活動に対してやる気がなかった(4年から就活開始したあたりでお察し)が、4年時、中小企業の秋採用になんとか入社。しばらく営業職として全国を転々としていたが、途中で人事に異動。
採用・教育・給与以外の人事業務を実施(評価とか異動とか個別人事対応とか)し、30歳で人事課長に昇進。
30歳で課長というと一般的には早いのだろうが、残念ながら名ばかり管理職のため部下はおらず、残業代がなくなったため給料は減り、決裁権は1円たりともなく、業務も変わらず、ただ参加する会議が増えただけだった。
(これは余談だが、管理職に対し残業代を払わないためには、厚生労働省が開示している管理監督者の定義に合致している必要がある。前職では当然何一つとして合致していなかったため、名ばかり管理職に対し残業代を支払う旨の制度改定を提案し上司に持っていったがその後何一つ音沙汰は無かった。尚、内部通報制度を使用しようにも肝心の窓口が上司の為詰んでいた)
また、パワハラ気質やサービス残業(特に、上司からメールが来たら土日祝日であろうと24h以内に返信が必須なのがしんどかった)にうんざりしたのと、結婚に伴い全国転勤が難しくなったため転勤がない会社への転職活動を本格的に開始。
上記キャリアのため転職するなら人事職が良いだろうと考え、人事職で転職開始。転職は以下3点を軸に、エージェントを頼りながら進めていった。
(エージェントには管理職待遇がマストかを聞かれたが、上述の通りまともなマネジメント業務は実施していないため拘らず)
転職にかかった期間は半年程。エージェントは3名ほど使用。転職は30社ほどエントリーして、面接は15社ほど受け1社から内定をもらい快諾。
「5社受けて3社内定もらいました!」ってレベルの退職エントリが多い中比較するとひどいもんだけど、新卒就活の時の連戦連敗を考えれば無傷みたいなもんだった。
前職に退職の報告を上司にしたところ、「転職先が決まってから退職を報告をするのはマナー違反だ」「お世話になった会社を辞めるのは人間として狂っている」などと説教を受けた(注:上司は中途採用組)ため、やはり転職活動してよかったなあと思いながら適当にその場は愛想笑いで凌ぎ無事退職
・年収で500万→800万ぐらいになった(賞与は50万→130万に増)
・業務内容は採用~退職までの一連の人事業務すべてに薄く広くかかわる感じ
・転勤原則無しの扱いになったので、戸建の購入計画を進められるように
・在宅か出社かはどちらでも問題なく、業務に支障さえ出なければ共有スケジュールに入れるだけで在宅可能に
・裁量労働制のため、仕事が片付いていれば定時より早く仕事を切り上げることもしばしば。
・前職で(名ばかりとはいえ)「管理職」を経験していたためか次期管理職候補としての期待が大きく、今期の評価では最高評価を受ける。
・仕事の業務時間やストレスは減り、年収や待遇が爆増し、社内の人間関係も良好のため、転職はこれ以上ない大成功だったと感じる。
・周囲のメンバーを見ると、前職と比較しても(ごく一部のスーパーマンを除き)そこまで能力が高いというわけではないし むしろ自分の周りを考えると前職のメンバーの方が能力は高かった。(でも給料は今の会社の同僚の方が遥かに貰ってる)
・転職して一番のギャップは経営層から担当者まで全員穏やかな人である事。周囲から怒号が聞こえない事の快適さを痛感。
・バックオフィスの転職あるあるかもしれないが、自身の能力や仕事のアウトプットが増えていないにもかかわらず 年収や待遇が爆増した事の違和感が凄い。年収は個人の能力でなく所属する業界・企業によって決まるのはガチだなと感じた。
諸々反応ありがとう!
会社へ提案したのは私が人事部所属だったので、「人事としてこの会社制度は変えないとあかんな?」…といった業務上の理由で制度改訂の提案をしていた感じです。
転職した今、仲の良い後輩・同期達には転職支援する形でサポートしてるので、残された他の人たちの事は正直知ったこっちゃなく、通報とかは考えておりません。
これはネタバレなんですが弊社の経験者採用では前職の収入は考慮していなくて、
学歴とか経験年数とかの諸々を入力すると既定のルールに基づき年収がいくつか設定される仕組みになってるんだよね。その中で職場側の期待度によって選択するみたいな感じ。
なので俺が凄いとかエージェントが敏腕とかでなく、本当に自分の場合は運が良かっただけ。あとはいくつか言及されているように、(名ばかり)管理職経験者という実態がうまく働いたのはあると思う。
>氷河期の同期達
あの時皆どんよりしてたよね…
ただ、大学の同期で転職したメンツと話すと、だいたいみんな「転職は新卒就活より遥かに楽」って口をそろえて言うんだよね。
100社受けて1社内定あるかないかみたいな極限状態では絶っ対ないので、転職するかしないかは別としても片手間で転職エージェントと話してみたり、転職サイト覗いてみるのはいいんじゃないかな。
これまで新卒一括採用しかしていなかった大手企業も経験者採用爆増してるので、自分の経験と当てはまる求人さえあれば当時ではESすら通らなかった企業が割と気軽に面接してくれると思う。
>長い