はてなキーワード: 分散とは
ツイッターでよく見るヤバいオット。ヤバ男。ツイッターなんて混沌の掃き溜めだから特にヤバいやつが濃縮還元されてるだけで、そうそうヤバ男なんていてたまるかと思っていた。しかしながらこれがなかなかにいるものである。
仕事で様々な人と関わり、「ヤバいオット精製器」には3つ特徴があるな……と思ったので個人的にメモ。もちろんこれが全てではないけど、今まで関わってきた中で「こいつ(の息子)マジでやべぇ!」となった人の八割程が当てはまっていたのでどんなものだろうかと。
①「ヤバいオット」精製母は「しごでき」が多い
いまや共働きが基本になりつつあるのでこういうことを書くのはどうかとは思うが、夫一馬力では何とかならないorシングルのため、仕事を頑張っている人が多い。で、その中でも「かゆいところに手が届く」タイプのしごできはヤバ男精製器の可能性が高い。要するに先回りして手を貸してくれたり仕事を片付けてくれるタイプの人だ。これが家庭にも現れて「コーヒー!」の言葉だけで、濃いめに入れたコーヒーに氷を3個いれてお砂糖ひとつ、フレッシュひとつを入れたアイスコーヒーを渡してしまうのだ。こうして名詞しか喋れないタイプの人間が爆誕する。
そしてしごできということは結構な時間仕事をしていることが多い。つまり子供に寂しい思いをさせている……せめて一緒にいる時はめいっぱい甘やかしてあげようの精神が思春期を超えて高校とか大学になっても続いている。のでいつまで経っても自立しない人間の出来上がりである。
付きっきりで「お世話してあげる」のは小学生までで十分だ。それ以上はかえって子の意志と個性を潰してしまうと思う。ただ、付きっきりでお世話してくれる人がいたら甘えるのが人というもの。それが毎日確定されたものなら余計にだ。毎日当たり前にあったものが突然なくなったら不満に思うのは当たり前で、例えば毎日母が着替えを用意していたなら、着替えが用意されなかった日「着替えまだ?」となるものである。こうして相方が風邪ひいた時に「ご飯まだ?」と聞いてしまう人間が爆誕する。
要するに依存体質ということだ。子供に依存しているのである。本来子供とは、血の繋がりこそあれど「自分とは違う別の一個体」であって、家族であっても他人としてお互いに尊重しあわなければならないのだが、子供に依存しているので「好きだからなんでもしてあげたい、全部が全部大好き」と妄信的になっている。推ししか勝たんぴえん地雷の対象が子に全振りといった感じだろうか。悪いことでは無いけど、依存先が分散されていないというのは「寂しいから家からでていかないでほしい、結婚しても一緒に住んで欲しい」と同居を求める親になってしまう。親もこう言ってるし②で言った通りお世話もしてくれるし、となったら自立して一人暮らしするメリットなどそうそうない。むしろ一人暮らししたらお世話してくれる人がいなくなるのだ。そうなれば次は「交際」を始めて、母親代わりの人間を探し始める。
なんとなくこんな特徴があるなと思った。あと、個人的にヤバいオンナ精製母は、家庭環境が荒んでいる/愛情不足なことが多い気がする。オトコもそうだが。
定義が曖昧になることで、誰が支援を必要としているかが不明確になり、支援の効果が薄れる可能性があります。明確な定義があることで、具体的な支援対象を特定しやすくなり、効率的な支援が可能です。広範な定義は、実際に最も必要とされる支援が届かないリスクを増大させます。
リソースは限られているため、分散させると各個人への支援が薄くなり、結果として全体の支援効果が低下します。特定の対象に集中した支援が必要な場合、広範な支援は逆効果となる可能性があります。限られたリソースを最も効果的に利用するためには、優先順位を明確にし、特定のニーズに対して重点的に支援することが重要です。
3. ステレオタイプの強化について
概念の拡大により、男性全体が弱者として見られるリスクは現実的です。ステレオタイプは根強く、教育や啓発活動だけでは完全に払拭できないことがあります。このような誤解は、支援を必要としない男性に対しても偏見を生む可能性があります。支援対象を明確にし、誤解を防ぐことが重要です。
特定の問題に焦点を当てすぎると、他の重要な社会問題が見過ごされる可能性があります。すべての社会的問題に対してバランスの取れたアプローチが必要であり、特定の問題に過度にリソースを投入することは他の問題解決を遅らせる可能性があります。全体的な社会の公正さを追求するためには、優先順位をつけたリソース配分が重要です。
5. 実効性の欠如について
広範な定義に基づく対策は実効性に欠けることが多く、具体的な問題に対応するためのリソースが不足することがあります。具体的な支援策を講じるためには、明確な問題定義が不可欠です。包括的なアプローチでは、特定の問題に対する集中した対策が難しくなるため、実際の支援効果が低下するリスクがあります。
確かに、範囲が広がることで「弱者男性」という概念が曖昧になるリスクがあります。しかし、弱者男性の問題は多様であり、特定の定義に縛られることで重要な側面が見過ごされる危険性もあります。定義を広く設定することで、多様な問題に対する包括的なアプローチが可能となり、さまざまな背景や状況に応じた柔軟な支援策を講じることができます。
リソースの分散が生じる可能性はありますが、支援の効果を最大化するためには、支援の範囲を広げて多様なニーズに対応することが重要です。リソースの配分を工夫し、効率的かつ効果的に支援を提供することで、広範な対象に対しても十分な支援を行うことが可能です。また、支援の範囲を広げることで、支援を必要とする新たな層が見つかり、社会全体の問題解決に貢献することができます。
「弱者男性」という概念を広げることで男性全体が弱者として認識されるリスクはありますが、正しい教育と啓発活動を通じて、そのような誤解を防ぐことができます。弱者男性の問題を多様な観点から理解し、それぞれの背景や状況に応じた支援を行うことで、ステレオタイプの強化を防ぎ、より公正な社会を実現することができます。
弱者男性に焦点を当てることが他の社会的問題への関心を薄れさせるリスクはありますが、多様な社会的問題に対する包括的なアプローチを採ることが重要です。弱者男性の問題を解決することで、他の社会的問題にも波及効果が期待でき、全体的な社会の公正さや平等が向上する可能性があります。つまり、弱者男性の問題を解決することは、他のマイノリティグループの権利向上にもつながるのです。
広範な定義に基づく対策は、具体的な問題に対応するのが難しいとされていますが、包括的なアプローチを取ることで、個々のケースに対応するための柔軟な戦略や政策を策定することが可能です。多様な問題に対応するための具体的な支援策を講じることで、実効性のある支援が可能となります。例えば、支援の提供を通じて具体的なニーズを把握し、それに基づいて適切な対策を講じることで、支援の効果を高めることができます。
弱者男性の範囲を広げることで生じるリスクや問題点は確かに存在しますが、それ以上に多様な問題に対して包括的な支援を提供することで、より公正で平等な社会を実現する可能性があります。定義を広く設定し、柔軟かつ効果的な支援策を講じることで、多様なニーズに対応し、社会全体の問題解決に貢献することができるのです。
弱者男性の範囲を広げることにはいくつかの問題点があります。以下にその代表的なものを5つ挙げます:
範囲が広がると「弱者男性」という概念が曖昧になり、支援や対策が具体的になりにくくなります。特定の問題に焦点を当てた支援策が困難になり、結果として有効な解決策を見つけにくくなります。
支援や援助のリソースが限られている中で、対象が広がるとリソースの分散が生じ、本当に必要としている人々への支援が手薄になる可能性があります。これにより、支援の効果が低下することがあります。
ステレオタイプの強化:
「弱者男性」という範囲を広げすぎると、男性全体が弱者として認識されるリスクがあります。これにより、男性に対するステレオタイプや偏見が強化され、性別に基づく不平等が逆に悪化する可能性があります。
弱者男性に焦点を当てすぎると、他の重要な社会問題(例えば女性の権利やLGBTQ+の権利など)への関心が薄れ、全体的な社会の公正さや平等が損なわれる可能性があります。
実効性の欠如:
広範な定義に基づく対策は、具体的な問題に対応するのが難しくなります。個々のケースに対応するための具体的な戦略や政策が不明確になると、実効性のある支援が難しくなり、結果的に支援の効果が見えにくくなります。
なんでなん?教えて
岸田内閣の支持率は低下の一途をたどり、内閣支持率がここまで下がったのは野田内閣(民主党。安倍元首相に政権を奪われた)まで遡る(https://honkawa2.sakura.ne.jp/5236a.html)
一時期、立憲民主党の支持率は維新と逆転することが多かったが、維新の自滅により野党第一党の立場は盤石になってきた。
昨今の全国の国政・地方選挙でも政権交代の期待を大きくさせる結果が多い。
これは選挙戦術としてごく自然なことだ。せっかくの政権批判票を分散させてしまっては勝てるものも勝てない。
だが、それは選挙運動を一体化して行うこととは断じて別なはずだ。
今回の都知事選でも顕著だが、共産党やそれに近い勝手連的な人が選挙戦に加わり、コントロール不能となってしまった。
蓮舫さんの知名度を活用して資金集めをしたり(共産党)、勝手連が好き勝手な主張を始めたり(一人演説で蓮舫さんの主張と全然違うこと言い出したり、小池知事の演説を妨害したり、Rシール貼ったり)、蓮舫さん自身も歌って踊って一般層をドン引きさせたりと、今回の選挙戦は内輪の結束にはなったかもしれないが、無党派・一般層への訴求という意味では失敗だったと言う他ない。
次期衆院選に向けて、コアな支持者以外からの得票を求めていかなければならない。
簡単にできることではないだろうが、ほぼ確実に効果があるのは以下だろう。
これなら連合も協力してくれる。
共産党と一体となった選挙戦などしなくても、共産党支持者の多くは立憲民主党に投票してくれる以上、共産党とセットでの選挙運動なんて百害あって一利もない。
選挙運動に必要なことは、候補者の魅力を地道に伝え、また政権批判をするにしても多数派から支持を得られるような内容・体裁でやる必要がある。
その場合、運動員や支援者は可能な限り黒衣に徹する方が良い。独自色を出して候補者に批判が及ぶ可能性も高い。
そして、今回の都知事選で明らかになったように今の立憲民主党に近づいてくる支援者は黒衣に徹せられない人が多数なようだ。
いや黒衣になれるなら別に切り捨てなくてもいいと思うけどね
もういちいち突っ込まないが、要は責められた気がしたってことね?
別に誰も責めてないぞ、『茶化す問題じゃないなって改めて思った』って話だ
このお話をキミとするのは無理そうだから興味があるらしい後半の話にしよう
お前らの思う天才って何?
↓
おそらく人類の98%くらいは色んな意味で到達できないアインシュタインですら、原爆ぶちかましに協力して家庭崩壊させて、
自身の専門分野においても『神はサイコロを振らない』って言ったのに、なぜまだ何かを崇拝しようとすんのよ?
クソどうでもよかろうよ
ワイはスピ系の人間だけど、科学と道徳の分野に宗教とスピを持ち込むのは、苛烈な宗教批判者のドーキンスと同じく反対です
スコット・スペック⽒は「人間の集団の行動は個⼈の行動に極めて似ているが、驚くほど未熟である」と指摘している。
ベトナム戦争時に米軍兵⼠がソンミ村の⾮戦闘員の村民数百⼈を殺害した事件を引いて、個⼈レベルでは論理的に考えて行動できるにも関わらず、
集団となるとその論理性が失われてしまうことがあると解析した。そして、そうなる理由の⼀つがいわゆる「専⾨化」であると指摘する。
例えば、⼀台の自動⾞を作るために、様々な技能を持つ専⾨家が、それぞれの専門化した作業を分担することによって、個⼈で全ての作業を行うよりも、
効率的で⾼度な作業を可能にし質の高い⾃動⾞を容易に作ることができる。設計者、金属加⼯者、塗装作業者、販売者などの業務を「専⾨化」することによって高度な成果が期待できる。
このように、専⾨集団は個⼈よりもはるかに効率よく機能するのは間違いない。しかし「専⾨化」は様々なメカニズムで集団の未成熟さや社会の悪を助⻑する可能性が大きい。
社会の現象 は⼀つの専⾨で出来上がるものではない。都合の悪い問題が生ずると「それは私の専⾨ではない」と責任を他に転嫁する。
その転嫁は「専門」から「専門」へ受け渡されとまることがない。 このことが個⼈の良心を捨てさせ、集団の中での良⼼を分散化する。
おそらく人類の98%くらいは色んな意味で到達できないアインシュタインですら、原爆ぶちかましに協力して家庭崩壊させて、
自身の専門分野においても『神はサイコロを振らない』って言ったのに、なぜまだ何かを崇拝しようとすんのよ?
クソどうでもよかろうよ
ワイはスピ系の人間だけど、科学と道徳の分野に宗教とスピを持ち込むのは、苛烈な宗教批判者のドーキンスと同じく反対です
スコット・スペック⽒は「人間の集団の行動は個⼈の行動に極めて似ているが、驚くほど未熟である」と指摘している。
ベトナム戦争時に米軍兵⼠がソンミ村の⾮戦闘員の村民数百⼈を殺害した事件を引いて、個⼈レベルでは論理的に考えて行動できるにも関わらず、
集団となるとその論理性が失われてしまうことがあると解析した。そして、そうなる理由の⼀つがいわゆる「専⾨化」であると指摘する。
例えば、⼀台の自動⾞を作るために、様々な技能を持つ専⾨家が、それぞれの専門化した作業を分担することによって、個⼈で全ての作業を行うよりも、
効率的で⾼度な作業を可能にし質の高い⾃動⾞を容易に作ることができる。設計者、金属加⼯者、塗装作業者、販売者などの業務を「専⾨化」することによって高度な成果が期待できる。
このように、専⾨集団は個⼈よりもはるかに効率よく機能するのは間違いない。しかし「専⾨化」は様々なメカニズムで集団の未成熟さや社会の悪を助⻑する可能性が大きい。
社会の現象 は⼀つの専⾨で出来上がるものではない。都合の悪い問題が生ずると「それは私の専⾨ではない」と責任を他に転嫁する。
その転嫁は「専門」から「専門」へ受け渡されとまることがない。 このことが個⼈の良心を捨てさせ、集団の中での良⼼を分散化する。
親愛なる読者の皆様、今日は電子メールコミュニケーションの神秘的な世界へと皆様をお連れする栄誉に浴します。特に、我々が日常的に使用しながらも、その深遠な意味を見過ごしがちな「CC」という概念に焦点を当てたいと思います。
「CC」という略語は、「Carbon Copy」の頭文字に由来します。この用語は、デジタル時代以前の文書作成の世界にまで遡ります。当時、複数の複写を作成するために、カーボン紙という魔法のような道具が使用されていました。この過程で生み出された複写は、原本の「カーボンコピー」と呼ばれていました。
なんと素晴らしい類推でしょうか!電子メールの世界で、我々は今もなお、この古代の文書複製技術の遺産を継承しているのです。
電子メールの文脈において、CCは単なる機能以上の存在です。それは、情報の流れを制御し、組織のヒエラルキーを反映する、洗練された通信プロトコルの一部なのです。
CCフィールドに受信者を追加する際、送信者は以下のような複雑な社会的・組織的ダイナミクスを操作しているのです:
1. 情報の透明性: CCは、特定の関係者に対して「あなたにも知っておいてほしい」というメッセージを送ります。これは、組織の透明性と情報の民主化を促進する上で極めて重要です。
2. 責任の分散: CCによって、メールの内容に対する責任が複数の当事者に分散されます。これは、古代ローマの元老院における権力分散の概念を想起させます。
3. 社会的証明: CCリストに名を連ねることで、受信者は特定の情報の循環に「参加している」ことを示すことができます。これは、中世の貴族が重要な文書に署名することで自身の地位を誇示したのと類似しています。
4. メタコミュニケーション: CCの使用自体が、メッセージの内容とは別の暗黙のメッセージを伝えます。これは、言語学者のグレゴリー・ベイトソンが提唱した「メタコミュニケーション」の概念に通じるものがあります。
CCの概念は、単なる技術的機能を超えて、存在論的な問いを投げかけます。CCされた受信者は、メールのコミュニケーションにおいて、シュレーディンガーの猫のような存在となります。彼らは同時に、会話の参加者であり、かつ観察者でもあるのです。
この二重性は、量子力学の観測問題を想起させます。CCされた受信者の存在が、メールのコミュニケーションの「波動関数」をどのように崩壊させるのか、それとも逆に複雑化させるのか。これは、電子メールの哲学における未解決の大問題の一つです。
親愛なる読者の皆様、我々は「CC」という一見単純な機能の奥深さを探求してきました。それは単なる技術的機能ではなく、人類のコミュニケーションの歴史、組織論、量子力学、そして存在論が交錯する地点なのです。
次回、皆様がメールを送信する際には、CCフィールドを見つめ、その中に隠された宇宙の神秘を感じ取っていただければ幸いです。
先日行われたJUNE BRIDE FES 2024(以下JBF)はビッグサイトの東西をフルに使った大規模開催でした。
参加サークル数等についてはあのアレどこ様 https://anodoko.net/blog/ を参考にしてください。
(用語等もこちらの2023年の振り返り記事 https://anodoko.net/blog/?p=6899 に説明があるので省きます)
けれどこのまま投票型イベント(特にCPオンリー)が増えていく赤ブーに対してなんだかなあ、な気持ちになったのでその理由とお気持ちを書いていきます。
主たる会場である東京ビッグサイトは東京オリンピックや疫病、今後の大規模改修により全館開催が難しい状況が続いています。
それもあってか赤ブーはジャンルオンリーなどで分散させているのだけども( https://www.j-cast.com/2021/05/23411845.html?p=all )
全部のイベントへの参加は難しいのでどうしても参加イベントの取捨選択が出てきます。そして大体は
自CPオンリーがある > 自ジャンルオンリーがある > それ以外
どうなるかというと上記の「それ以外」、つまり特に自分に関わるオンリーがないオールジャンルイベントには参加しなくなるということです。
昔、まだコミケに女性向けが多かった頃は夏コミ、スパーク、冬コミ、春コミ、スパコミ、夏コミ――みたいなサイクルでイベントに参加していました。
(余談ですが秋のスパークや6月8月のシティは当初小規模閑散イベントで参加者はほぼいなかった)
同ジャンル別ジャンル問わず友人達も大体同じだったので、イベントに行けばまあまあ会えていました。
しかし、分散になるとそうはいかなくなります。特にJBFに自CPがある場合はそちら優先になり、スパンの短い5月スパコミは参加しない人が多かったです。
なお今年12月は同じく投票イベであるDOZEN ROSE FES2024(12/1開催以下DRF)とオールジャンル(各種オンリー併設)の東京シティ(12/15)が開催されます。
前者は投票CPが多すぎてJBFの二の舞にならないよう2月にも分散されているものの、DRFでCPオンリー、シティでジャンルオンリーがあるジャンルも。
特に遠方からの参加者は連続しての参加は難しいだろうから、ますます他ジャンルの友達と会えなくなっていく……。
同人誌イベントは同人誌を買うイベントでもあるけれど、交流も重要なものだと考えているので、会えない状況が続くのはやはりどうかなあ、と思います。
現在投票は全イベントいつでも出来る訳ではなく、ある特定イベントの際に「CP投票受け付けます」「ジャンルオンリー投票受け付けます」となっています。
ここしばらく開催に必要な投票券の枚数はCPオンリーは50枚、ジャンルオンリーは20枚(大阪開催なら10枚)です。
参考:https://x.com/AKABOO_OFFICIAL/status/1789862816523894936
この50枚をどう集めるかというと
・自CP内だけで集める
新刊カードは丸亀製麺のうどん札のようなもので、他人への譲渡も可能なものです。
つまり、「自CPで50枚は集められないから、集めてる人に渡して有効に使ってもらおう」という人がそこそこいます。
またいわゆる男性向け界隈では謎カードになっているらしく、そちらにツテがあると一気に集まるらしいです。伝聞。
前者は自CPだけで50枚集まる規模ならば投票型イベントではなく赤ブー主催でオンリーが開催されている、あるいは開催の予定がある場合が多いです。
後者についてはツテが全てなので、極論自分一人しかいないCPでも開催出来てしまうことになります。
それと投票型イベントが出てきてから有志主催のプチオンリーが減った気がします。これは計測している訳ではないので本当に体感ですが。
少し前なら主催をやっていたような行動力のある人が「投票券回収しています!」と呼びかけていたりしてるんですよね。「規定数投票すれば赤ブーが開催してくれるから」と。
あとこれは本当に主観なんですが、投票型イベントで開催されたことで箔が付いたと思ってるタイプの人も散見されます。それくらい規模のあるCPだと。
前述の通り投票CPが増えた為に開催日を分断する羽目になっており、またその際に開催日をどちらにするかは選べなくなっています。これ、発表されるまで予定が組めないので遠方の人は特に大変です。
一度制度自体を見直した方がいいと思います。個人的には近接開催の期間をもっと開いてCP数の抑制をするのがいいのではないかと。
いわゆる女性向けイベントに参加する人は「赤ブーのどのイベントに参加するか」という選択になっています。
そもそもコミケもスタジオYOUもはなから選択肢に入っていないのです。
なお個人主催イベントは前述の通り投票して赤ブーに開催してもらおう、というのが主流になっているので壊滅状態です。
だから余計に自CPのオンリーを開催してもらおうと投票をしている状況です。
一番嫌なのは拡大に拡大を重ねてスペースをみっちみちに詰め込んでいること。
人気ジャンルやCPはすぐ通路が詰まるしサークル側もみっちみちで通るのがやっとという感じです。
赤ブーイベしか知らないとそれが「普通」になってしまいますが、他イベと比較してどうなの、ということが出来ないのはよくないことだと思います。
最初に参加したイベントは赤ブーのイベントだし諸々頑張って欲しいとは思っています。
だけどもそれはそれ、これはこれとして思うところがあるので書き綴りました。
https://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n264/n264_06.html
1.知的障害者数と原因
知的障害者数は約260万人(障害者全体では450万人)2)です。総人口比では4%で、日本の0.4%、開発途上国一般の1.5~2%と比較してかなり高く、エジプトは群を抜いて知的障害者の多い国と言わねばなりません。
主な原因は近親結婚で、調査によれば障害児の両親の40~60%が従兄妹婚をはじめとした近親婚です2)3)。近親結婚はエジプトの文化によるもので、「血を純潔に保つ」「財産を分散させない」等の意味があり、改善は困難であろうと言われています。また、都会よりは古くからの家が多い農村部に多く見られ、従って、知的障害者の発生率も農村部で高いと考えられます。
人口の4%は多いな。