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2021-05-24

転職は「その人が何をできるか」じゃなくて「その人が直近でどの会社に在籍してたか」が最重要

メガバンクとか新聞社とか誰もが認めるオワコン業界の窓際確定した30歳社員でも今をときめく大手企業普通に転職できる。

から新卒絶対大手企業に行くべきだし、新卒大手企業に行くために早慶や地帝以上の大学二浪してでも受かるべき。

東京都心にある大卒揃いの中小企業に必ず1人はいる超絶有能スーパーマンは今をときめく大手企業には転職できない。

2021-05-19

あるウマ娘に、自分京大入学した理由見出した。

私はずっと、京大に進学した理由を答えられなかった。

田舎出身勉強ができるなら、地方国立に行くのが普通。そういう風潮の中でわざわざ京大に行くというのは余程の理由があるのだろう。

そう思われて当然だと思う。

でも、全然理由が見つからなかった。理由を聞かれても、急拵えの答えが会話を上滑りしていく。

そのたびに自分に問いかけてきた。

——本当に何の理由も無いだろうのか?

あんなに必死に、二浪までして入ったのに。

そもそも何の理由も無く辛い受験生時代を乗り切れるものだろうか?

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よくある話だが、兄を意識していたのだと思う。

私の兄は地元の旧帝に現役合格していた。昔から成績は良く、才能はある方だと思うし、努力もそれなりにしていた。

ただ、勉強の才能は明らかに私の方が上だった。

兄弟で同じ塾に通っていたが、トップクラスコースに入るための試験は兄が数回受験していたのに対し、私は一度で通った。

兄と同等の努力をすれば、同じ大学には行けただろう。

しかし、青二才の、無駄に高いプライドがそれを許さなかった。

自分の方が才能に恵まれているのに、どうして同じ大学に行かなければならないんだ」

京大を目指したのは、おおよそこんな経緯だったと思う。

中学生までは神童扱いされ、高校で落ちぶれる」なんて、あまりにありふれていて陳腐さすら感じるだろう。

中学時代は学年1位以外取った記憶がないが、高校では10~40番くらいだっただろうか。

「塾で先取りしているか模試は取れる。定期試験無意味

ハッタリで自尊心を保った。しか高校レベルは低い。

東大京大なんて1人たりとも出せず、上位5%がギリギリ地元の旧帝に届く程度。国公立大学に行ければ優秀、私立に引っかかれば御の字。

学年の一定数は高卒就職をする。(このことを大学の同期に言ったら心底驚かれたことがある)

進学校としての看板は、とうに錆び付いている。

そのような環境トップ争いすらできない。

小学生の頃から「頭がいい」「天才」だなんて飽きるほど言われてきた。自分アイデンティティ崩壊することを、世間知らずの高校生が受け入れられるだろうか。

「もしかしたら自分天才なんかじゃないのかもしれない」

そんな思いを、必死勉強でひた隠しにしていた。

ただただ死に物狂いだった。

京大以外は受けず、京大に落ちれば人生が終わるとさえ思っていた。

息巻いていた私は、2度目の不合格絶望の味を知る。

1浪の先には希望が見えたが、2浪の先には何も見えなかった。

結果的に2浪で京大に滑り込んだ。

合格が分かった瞬間、喜びは感じなかったように思う。感じたのは、長年の桎梏から逃れられる解放感と安堵感だったような気がする。

まりにも複雑な感情の発露があったからか、涙が止まらなかった。

「もう終わるんだ」と思ったことだけは、唯一はっきりと憶えている。

ただ、このときに流した滂沱の涙が、何もかもを清算したようだった。

激闘の末に何もかもを忘れてしまったのだ。

京大の魅力、京大で何をしたいのか。

そして、なぜ京大を目指したのか、も。

合格してから京大に進学した理由はよく尋ねられることだった。

私は、その質問をされるたびにその場しのぎで答えてきた。頭の中に無い理由を慌ててでっちあげた。

研究に強いイメージがあるから」とか、「自由校風に惹かれて」だとか、適当過ぎて憶えてもいない。

初心なんて、忘れてしまったよ。

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そのまま大学卒業して大学院に進学したある日のこと。何気ない瞬間に、初めて腑に落ちる理由が見つかった。

それは、ずっと見えていたがうまく認識できなかった理由だった。

教えてくれたのは、ウマ娘というゲームキングヘイローというキャラだった。

現実競走馬としてのキングヘイローは、超がつくほどのエリートだ。

父も母も歴史に残るほどの名馬。しかデビューから3連続で1位。

そんな華々しい超エリートは、後に泥水を啜るような屈辱を味わい続けるようになる。

中央競馬で最も格式の高いG1レースで、10戦続けて敗北を喫したのだ。同世代の馬にトップの座を奪われ、長距離も短距離も結果が出ない。

しかし、11度目のG1高松宮記念栄光を掴み取った。

2012年高松宮記念CMから引用してみる。

2000年高松宮記念

その馬は、10度の敗北を超えて、血統証明した。

敗れても、敗れても、敗れても、絶対に首を下げなかった。

緑のメンコ。不屈の塊。その馬の名は…


ウマ娘キングヘイローキャラクターは、このような史実を受けて構築されている。

ゲームでの彼女は、自らに絶対の自信を持つ高飛車お嬢様でありながら、ストーリーがひたすらに泥臭い

アニメでは幾度も同期の後塵を拝し、悔しさから眉をひそめる姿が印象的だった。

負けを積み重ねるが、決してめげずに自分の才能を信じる。

とても気に入っているキャラだ。

ある日、Twitterで、ウマ娘二次創作漫画を見つけた。

キングヘイローがメインで、なにやらシリアス雰囲気だ。漫画の内容は、キングヘイロー高松宮記念勝利するというもの

説明してしまえばなんてことはない。ただ、私の目はキングヘイローの放った台詞に止まった。

「私には……才能があった……! そうでしょう、トレーナー……っ!」

ハッとした。

体の中心にずしりと来る感覚。腹に落ちるとはよくいったものだ。

長年の謎が解けた。単純なことだ。

私が京大受験に拘り続けた理由は、

「自らの才能を証明するため」

だったのだ。

高校生の私は、自信過剰な「天才少年を裏切ることができなかったのだろう。

井の中の蛙だとしても、昔の自分かわいいものだ。

ここで妥協すれば、昔の自分に顔向けできない。

落ちても、落ちても、絶対志望校を変えなかった。

それは、意地になっていたからというより、過去自分に縛られていたからだ。

自分天才で、その才能を証明しなければならない。

そして自分の中の天才イメージ京大のそれに重なった、ただそれだけのことだ。

くだらない自己満足。これが、私が人生を賭けた受験のすべて。

親や教師からの期待も、世間体も無い。

自分自分を納得させることだけに執心していた。

結局、私にとっての大学受験は「究極のエゴ」だったのだ。

物語登場人物は、「天才少年自分と、少年に振り回された青年自分

泥まみれで終えた闘いは、自己満足以外の何を私にもたらしただろうか。

将来の私が、闘いの意味をいつか掬い取ってくれる。

そう信じている。

2021-04-07

高齢貧乏人が医学部に入ってわかったこ

俺は三十代で医学部に入った貧乏である

母子家庭だし、高校中退してから最近までニートをしていたが、流石にやばいと思ってガチ勉強して医学部に入った。嘘みたいな経歴だが本当だ。

そんな俺だが、医学部に入ってわかったことがある。箇条書きする。

完璧人間がいる

 − 金持ち性格も良く、顔も良いというような完璧超人が本当にいる。漫画世界から飛び出てきたような人間がそこそこ存在するのに驚く。

・頭が良すぎる人間がいる

 − 自分の頭がいいと思ったことは一度もないが、本当に話すだけで頭がいいとわかるような人間がたくさんいる。人間として格が違うようで悲しくなる。

医学部人間関係は狭い

 − 本当に狭い。かなりの村社会で、悪いことをすると1日で広がる。人間関係がそのまま資産になる。

医学部は暗記

 − 本当に理系の頂点なのかと思うほど全てが暗記である。一に暗記、二に暗記。そんな中でも教科書をチラ見しただけで記憶できる人がいてさらに驚く。

こんなところだ。

ちなみに余談だが、学費は全額自分で払っている。日本学生支援機構一種と二種を限界まで借りて生活費まで賄っている。

学費免除は通らなかった。

なぜかというと、最近法改正で「二浪以上は、どれだけ貧乏でも学費免除不可」になったかである

俺のような高齢者はどれだけ貧乏でも自分学費を払えということらしい。

厳しい世界だが頑張ろう。

2021-02-25

anond:20210224194150

あの国出生率の低さは科学だの教育だのを論じる以前の問題だっての。

けれども、全世界的に共通していることがある。

それは、「誰もができることを占有するか否か」である

首都圏に住んでるのが、重課金中高一貫に通わせて、先取りを行っているだけというのは聞いたことがあるだろう?

韓国は、この倍以上の先取り教育である

ミケルの定理フォイエルバッハ定理を小5に教えていると聞いて腰を抜かした。

そんなものは国際数学オリンピックレヴェルではないかと思うが、これが現実である

しかし、これらは「先取り」である

知能とは何にも関係がない。

東大生にもいろんなのがいて、先取り教育河合塾で得しただけの学生博士課程で挫折して消えたのに、何の得もしていない二浪学生京大准教授になった。

これが知能なのだ。先取りをやっても知能には貢献しない!

しかし。

東洋人は先取り教育が大好き。

OECD役員には、「馬鹿からだろう」とまで言われている。

私もそう思う。

2021-01-07

呪われてる家族

うちの家族自分を含めて馬鹿の集まりで最悪だ。

家族構成はこうだ。

父、兄、姉、私、妹、弟の6人家族だ。

なぜ"呪われてる家族"とかと言うと親の計画力のなせの子作りと子供たちのキャリアの失敗が多いからだ。

父(60)は、浮気性で底年収パチンコ中毒でもありタバコ中毒でもある。

 └残業がない場合の月収は、手取り20万をきる

母(55)は、専業主婦うつ病ASP持ちだ。

姉(30)は、前科者でニートだったが、今は電気工事士だ。

私(25)は、奨学金が大量にあるフリーターだ。

妹(23)は、二浪の末、国立大学に通う学生だ。

弟(21)は、私と同じく奨学金を大量に通いながら、専門学校に通う学生だ。

なぜ金がないのに戸建ての家を立てていて、母はうつ病になる前にはたらかったのだろうかと思う。

子供はみな高校卒業してからは働くとでも思っているのだろうか?

なによりうちの場合は、母よりも祖父母の方が多く家事をしていた。母は"体調不良"であまり家事をしていなかった。

そして両親に思うことだが、この世は生き辛いのになんで私を産んだのだろうと思う。母親だって毎日父親愚痴を言いつつ産まれてこなければ良かったと言っている。それなのになぜ私を産んだのだろうか。世間体のためなのか?子供を多く産んだら我々が困らないとでも思ったのだろうか?

両親を見ていると物凄く馬鹿で嫌になる

そして早く死にたい

産んでほしくなかった

2020-12-30

分断社会どころか、30年たったらクレバス社会になる。

人間はだれもが最初からまれつき目立たないレヴェルの障碍を持っている。

それを教育で変えられるのがエリートで、変えられないのが大衆英語の授業で発音を笑われたらエリート、笑ったら大衆だ。

これが昭和から平成中期までの日本だった。

今は完全に崩れつつある。

スマホで即日失言が回り、次の日には謝罪に追い込まれ人物昭和期生まれ障碍者の特徴になるだろう。

今は、コウビルド英語語法辞典都心中学生に堂々と販売しても元が取れる時代になった。24年前も出してはいたのだが、当時は低学歴が幅を利かしていたので全く売れなかった。今や学校の授業で推奨される時代だ。小学生から英語の授業がはじまる。

目立たないレヴェルの障碍を完全に18歳までに消失させる層と、させない層に分かれている。高校生くらいになって、自学自習で元を取れる人はそれでいい。

でも、そんな人が一体、現代日本に、何人いるのか?

東大生の親でも、子供二浪して東大に行けないケースがあって、国力とは無縁の分断が始まっている。

クレバス社会になったときに、オタク文化絶滅する。

昭和期に、親や教師恫喝にめげず、専門学校卒や高卒や中卒のスピーチレヴェルを凌駕した6%の階層にとっては何ともないだろう。

レヴェルを乗り越えるのが彼らの常識からだ。

親や教師と同レヴェルで、適当結婚適当子供を産んだ階層にとってはコロナ流行終焉地獄が始まる。

はいっても、イオンに集まるぼっけーとした顔つきの夫婦は、これにすら気が付いていない。

中学受験を志す層は確実に気が付いている。

2020-12-27

大学生自分を振り返る

22歳大学生男、二浪一留理系

悪いところ・苦手なことは人に弱さを見せること、弱さをいつか見せなきゃいけないと思うと人と関わるのを躊躇してしまメンタル自分の望みに素直になること、失敗や悩みを切り替えること、怠惰であること、先延ばし癖があること、表面だけの返事をしたり人の話を聞いてないときがあること、心の中でキレるとわりと態度に出てしまうこと。

(なので恋愛は確実に下手です)

得意なことは他人には気を配って想像できること、明らかに何か困ってる人には躊躇なく声かけられること、必要があれば自分から手を挙げて行動できること、ここぞのとき勝負できること、我慢強いこと。

コンプレックスは人より遅れて生きてしまっていることで見下されたりマウント取られる対象になりがちなこと。おそらく精神的に未熟であること。

目標は強く生きること。死なないこと。プロ野球スピリッツAで覇王リーグにいくこと。自分が大切にしたい人を大切にできる人間になること。心の平穏を保つこと。

大学入りたての頃は、上記の苦手なことやコンプレックスと向き合うためには自分を殻の中に閉じ込めるのではなくもっともっとさらけ出す必要があると思い、色々やってみた(漫才、おーいお茶俳句大賞への寄稿、未経験スポーツを始めるなど)

でそれ自体は間違ってなかったと思うけど、あるときぜんぶ疲れて燃え尽きてしまい何のやる気も出ない時期もあった。毎日今日は死のうと思ってたくらい孤独に悩んでた。今思うとしょうもない。まぁ目標が「さらけ出すこと」では実際ただキツくなったのは当然だと思う。今はそのスポーツだけ楽しく続けている。

留年自分無能証拠となるため自分が心の平静を保つ上でも人と関わる上でも損をすることが多い。浪人ですらそうではあるが。(ただ浪人はとても頑張ってやって偏差値でだいたい30近く上がった結果があるのでほんの少しの自信の根拠にもなっている)

人は悩んでるときは許しが欲しいだけのことがある。なので今後も自分は苦労すると思うけれど今は少し機嫌がいいということで少し自分を許してあげた。親にも迷惑かけたしダサいことばかりやってるし時間は戻ってこないし自分で損する道選んでるしまだまだ青二才フラフラしてる大バカ野郎なのだが、いいとこはあるし許してあげる。よしよしなのです。にぱー。

2020-09-02

anond:20200901143750

現役医師です。かつてはあなたのような部分がありました。そして、あなたのような同級生もいました。

関西の有名私学→二浪→非医学部に2年通う→再受験地方国立医学部医者○年目。女。

発表パワポ作ってるフリしてこれ書いてる。

中学受験までは成績優秀だったけれど、入学後は成績が低迷。そしてあなたのように親から非難否定され続けてた。

文系進学を否定されたのも同じ。

医学部に入ったけれど、入った大学をいろいろ言われたか国立医学部に入り直した。

入り直した医学部レベルが旧帝じゃないからこれもいろいろ言われた。

幸運だったのは親元から離れられたことかな。攻撃も減った。

よくよく人生を考えた後、地元に戻って医者してる。


まず大変残念なお知らせだけれども、周りの学生人格については仕方がない。

医学部関係なく、一般的エリートと呼ばれる人の中にも頭の中は「酒、女、ギャンブル」だらけなんてたくさんいる。

世の一流企業セクハラパワハラニュースが絶えないのが論より証拠

働き出していろんな人を見ていると、むしろ医者医学部生はまだそのあたりマトモだなあ、と思うことの方が多い。


加えて、人間性医者としての力量は必ずしも相関しない。

よく患者さんの話を聞く人あたりのいい医者が、とんでもない治療していることはザラにある。

夜の街で飲みまくって遊びまくってる医者が、難手術をバリバリこなしていることもザラにある。

あなた軽蔑する同級生後者になっていくのを何人も見た。


あなた法律世界に行くことにしたとしよう。

しか法律世界にも、きっと「仕事はできるけれど人格は最低」という人はいるだろう。

それを目の当たりにした時に、あなた法律世界絶望するのでは、と私は心配している。

「ずっと願っていた世界」が現実のものとなった時、表からは見えない裏の顔が見えるようになっても

あなたは「法律が好き」という気持ちだけでがんばれるだろうか。

かつての私は経済勉強たかった。会計士になろうと思っていた。

紆余曲折あって、巡り合わせか会計士の夫がいる。

超一流大学を出て、司法試験と並ぶ超難関資格公認会計士試験パスしている。周囲もそんな感じらしい。

でも職場での話を聞けば聞くほど、「ならなくてよかった」と思ってしまう。パワハラセクハラオンパレード

今の私の勤めている病院の方が百倍マシ。バイアス入っているんだろうけれど。


アドバイスできるとしたら、医学部内ではない、でも医療系のコミュニティに入ること。

今はCOVID-19問題で難しいけれど、地域病院実習に行くとか、勉強会に顔を出すとか。

M3で来てくれたら、迎える側もとても嬉しいはず。私はとっても歓迎する。

医学部内でも、研究室に出入りするのもいいと思う。

教員先生方の中には、必ずあなたのような学生を非常に気にかけてくれるタイプいるから、それを見つけよう。

かつてはあなたのような学生だった教員医師結構いる。

早く、医療現場現実を見てほしい。

みんなが思いっきり悩んでそれでも生きて医療をしている様子を見てほしい。


あなたの育った環境と、それによって培われたあなた思考回路とは、長い年月をかけて折り合いをつけるしかない。

それについてはカウンセリングとか、認知行動療法とか、いろいろあるけれど、医学部生なら図書館で調べてられるだろう。

お金問題はあるだろうけれど、ぜひ自分でいろいろ試してみてほしい。その経験は非常に価値がある。

はいずれ歳をとって、弱くなる。だから長期戦ではあなたに分がある。今の時点で心折ってしまうのはもったいない


一口医師と言っても、バリバリ手術する外科医もいれば、研究に勤しむ博士課程の人もいれば

今まさに脚光を浴びる公衆衛生医師もいる。

厚労省の医系技官になって、「公務員としてしっかり働いて、法律にかかわる仕事」もいいんじゃないかな。

医師免許があることで取れる選択肢はとても幅広い。


今のあなた必要なのは、周りに自分のことをきちんと話すこと。

受験生、編入はいる?法律世界からやってきた医学生は時々いる。そういう人を探すのもいい。

オンラインで人と接さないのは楽だけど、問題の先送りでしかないと思う。

いっぱい話して、自分を開示しまくって、代わりにいろんな意見を吸収してほしい。

親や周囲の学生の、何十倍も何百倍も、自分を見つめてほしい。


個人としては、あなたのように悩んで悩んで悩みまくった人に、医師になってほしいです。

医療世界に入ってきてほしいです。

いつか直接でも間接でも、一緒に働ける日を待っています

2020-08-19

anond:20200819122604

二浪してた頃のワイやん。理想だけ高くて、実力が皆無だとこうなる。哀れなものだね。

2020-08-15

夏の懺悔

終戦の日は、Y君の命日です。

高校時代同級生Y君とは、それほど親しくありませんでした。同級生とは言っても、三年間で同じクラスだったのは一年生の時だけでした。その後は、時折廊下などで会った時に軽く話をし、稀にメールをする程度の仲でした。

Y君は、予備校の友人と二人で海水浴場に行って事故に遭ったそうです。酷く天気の悪い日で、彼らの他に誰も泳いでいなかったと伝え聴いています。それ以上Y君の死の理由は誰も話しません。みな察しがついているからです。

しかし、僕は彼の死の理由と向き合う必要があります。悼むだけでは足りないほどの仕打ちを、僕は彼にしてきました。

Y君と最初に話したのは、高校入学初日です。僕らの高校は、マンモス私立高校で、大概は公立高校受験に失敗した人間が行く学校でした。お世辞にも賢い学校とは言えません。それでも、それなりの生徒を集めて、特進クラスが二クラス編成されます。僕らのクラスはその一つでした。

入学からしばらくは、みな口々にどこの高校に落ちてこの学校に来たのかを話していました。例によってY君も学区一番の難関公立高校に落ちたそうです。最も、僕らの高校の進学クラスの大半は、その高校か、県下トップ公立高校を落ちてきた人間でした。

はじめは出席番号の近い者同士で輪になるものです。彼と僕の出席番号は二番違いでした。ゴールデンウィークに入る頃には友情の再編成が済み、僕らは別々の交友グループに加わって行きました。

から見ていて、グループの中のY君の地位は極めて低かったと記憶しています。彼らのグループはみなテニス部でした。Y君はいつもいじられる役回りを演じていました。自分から話を切り出しても「調子乗るなよ」という言葉を掛けられている様子をよく見かけました。

入学式が終わってすぐに、実力試験を受けさせられます。Y君の試験結果がどうであったか僕は知りません。少なくとも、僕より上ではなかったことは確かです。学年トップ十人は公表され、僕は四位でした。

第一志望でこの高校に進んだ僕は、周囲から奇異の目で見られていました。ただ一人、Y君だけは、周囲と少し違う反応をしていたのでよく覚えています。Y君の同じ中学校で、学区トップ合格間違いなしと言われて落ちた二人を、僕は下しました。そのことをY君は自分のことのように喜んでいました。

「四位なのに、第一志望でこの学校にきたんだね。」

「こういう人も来るくらいの高校なんだから俺も勉強しよう」

その時の僕にはまだ、そんな理由勉強をはじめようと思う理由理解できませんでした。彼にとって高校はどのような意味をもった場なのかと怪訝に思いました。今になって思えば、不本意入学した学校について、明るく思える理由を見つけられた日だったのでしょう。

とは言っても、その後Y君が試験ライバルとなることはありませんでした。二年生からは、進学クラス文系理系とで別れてしまい、一緒になることはありませんでした。英語の授業だけは進学クラスクラス合同で、レベルごとの三グループに別れて開かれていたが、ついに一緒になることはありませんでした。二年間、Y君は成績下位クラスから上がって来ませんでした。

交友グループが完全に別れてからも、僕はたまにY君と話す機会がありました。というのも通学に使う電車の駅が同じだったのです。そうかと言って一緒に通う約束をするような仲でもありませんでした。遭えば多少話をするといった具合でした。Y君はよく話しかけてきましたが、僕から何か話しかけたという記憶はあまりありません。

彼の家はごく近所でしたが彼の家に遊びに行ったことはありません。詳細な場所も知らず、団地の名前で知っているだけでした。僕は中学卒業後にこの街引っ越してきたので、同じ中学校出身というわけでもありません。彼が普段通学路にしていた道が、僕の部屋の窓から見えますしかし、駅との直線距離上に住んでいる人と思っているだけでした。

Y君はテニス部に入部していました。中学から続けていたと聴いていますしかし、同じクラステニス部から伝え聞くかぎり、部の中での実力ははじめから下位だったそうです。Y君は小柄で、先も細く、よく中学生のようだとからかわれていました。

Y君と同じグループテニス部員は、高校二年にあがるまでに部活を辞めてしまいました。部員の層は厚くないものの、後輩にも実力で追い抜かれ、Y君は引退まで団体戦メンバーに入ることはなかったそうです。

とき一年生の頃にY君と同じ班だったM君は強豪のサッカー部員でした。髪を染めピアスをしていたM君は、Y君に対していつも高圧的な態度をとり、掃除当番を押し付けて、誰よりも早く部活練習に行き、後にレギュラーの座を得ていました。少なくともY君はそのような気概を持ち合わせてはいないように見えました。

僕らの通った高校には、進学クラスを中心とした三泊四日の受験勉強合宿がありました。合宿中は山のように課題を出されました。ホテルに着いて早々、会議室に籠ってひたすらに特別授業を聴かされました。それが終われば翌日までに解いてこいとプリントを大量に渡されました。まともに取り組んで解き切れる量ではなく、教師もその事を知った上で出していた節がありました。それでも僕らは、教師の鼻を明かしてやろうと思って夜を徹して問題を解いていました。

Y君は、ちょっと問題を解いては周りに話しかけていました。「どこまで進んだ?」「この問題どう解くの?」と。そして周囲が邪魔そうな顔をすると自虐的に謝った後、「よし、俺も集中する」と宣言して問題に取り組み、三十分と保たずに振り出しに戻るのでした。

高校二年の頃、しばしば僕はY君のクラスでごく親しい友人と受験勉強ノウハウや、進行状況について情報交換をしていました。そこに、部活休みになってY君が加わったことが何度かあります

Y君が、自分勉強について詳細を語ったことはありませんでした。自分より成績の良い人間発言には同意をし、自分と「同等程度以下」と思っている人間発言にはあまり信用していないような素振りをしていました。しかし、前者が後者発言賛同すると、途端に賛同し出す、風見鶏な態度で話に加わっていました。

僕らはみな自分に合わせて勉強スタイルを組み立てていました。Y君には、そのような節はなく、彼の尊敬する誰かの勉強の仕方を真似しているだけでした。正確には、真似している「つもり」なだけでした。

僕がセンター試験模試で九割をマークした時、Y君が英語勉強内容について尋ねてきました。その頃僕は学校で配られた基礎的な問題集で文法問題毎日大量にこなしていました。ケアレスミスを減らしつつ長文問題に十分な時間を確保するためでした。自宅学習英語の長文に充てられるよう、学校での細切れの時間文法勉強していた方が都合よかったのです。

そのような事情は告げず、学校で配られた問題集を解いているとだけ告げると、Y君は基礎的な問題集にずっと取り組んでいました。かなり後になってから知ったことですが、Y君は毎度の模試では長文問題で大量失点を繰り返していました。長文を読む訓練からはじめるべきだったのに、同じ文法問題集に何周も取り組み続けていたのです。その後も彼は模試の度に取り組んでいる問題集を尋ねに来ましたが、僕は同じ問題集だと答え続けていました。

時を同じくして学年上位の人間が「単語力が足りない。」と言ってハイレベル英単語帳に噛りつくと、Y君はそれを無条件に肯定し、同じ単語帳に取り組み出しました。

学年上位の彼女場合、元から基礎的な語彙力・単語力がしっかりあり、それに支えられて文法問題を解きこなし、身に付けた語彙・文法で長文を読み解き、総合的な英語力を身に着けた後に、日々取り組む実践問題の中で単語力の不足を感じていたのでした。Y君は、そのような事情を知る由もありません。

すべての教科の勉強がこのような具合で、Y君の受験勉強は日々、一貫しないものになっていきました。誰かが「基礎をしっかりしないといけない」と言えば同意をし、しばらく基礎的な勉強を繰り返し、また誰かが「基礎ばかりで実践レベル問題が解けない」と言えば、応用問題を解き始めました。Y君は、自分の実力を冷静にみて勉強する習慣がなかったのです。

試験が終わっても模試が終わっても、Y君はいつも「次で挽回する」とだけ言って答案用紙を二つ折りにして閉まってしまい、自分が何を間違えたのか何が不足しているのか反省をしているようには見えませんでした。僕らは答案を見せ合い、点数をひけらかし合い、同時に何を間違えたのかも見られ、ときには馬鹿にされ、それを恥じ、次には同じ過ちをしまいと心に誓ったのです。そして口々、「次の試験では負けない」と言い合うのでした。

Y君は、ただひたすらに成績上位の級友に勉強方法勉強内容を尋ね、それを真似してみるだけでした。あるいは、それで成績の落ちた級友に反省点を尋ねてみるだけでした。自分の頭を使って、自分必要勉強をして成績を上げようという姿勢が見られませんでした。

高校二年の秋頃から、学年トップ十人の常連の内で、制服に細工をするのが流行りました。理科実験から拝借してきた薬品で五円玉や五十円玉を磨き上げ、ブレザーの左胸にある校章の裏に挟むのです。すると鳥をあしらった校章が後光の差したように見えます。上位三人が五円玉を、残り七人が五十円玉をはさみ模試のたびに奪い合うのです。

事情を知らぬ者が見れば、何のこともない遊びです。どんなにかよく言っても「お洒落」程度のことです。何も知らないでY君がそれを真似して校章に五円玉を挟んでいたのを、僕らは影でクスクスと笑いました。自分の手で掴む喜びを知らないで、努力する苦しみを知らないで、努力した者の成果にだけ憧れるY君の態度を、僕らは気づき、そして内心侮蔑眼差しで見ていました。鈍い色の五円玉が、それを象徴しているように思えたのです。

勉強をしたかテストの結果が伴うのだという自信が、僕らの中にありました。また、勉強していないから全国模試で他校の人間に負けるのだと悔しがっていました。進学クラスの同志とともに学内順位一喜一憂するのは全国模試で泣くほど悔しい思いをした腹癒せであり、本懐はみな志望校への合格でした。

正直に言えば、僕は心底彼を見下していました。大した進学校でもない私立高校の成績上位だけを見て、「◯◯君、勉強できるもんね」と言えてしまうY君の姿勢を、僕は内心唾棄すべき存在だと思うようになっていました。

僕は、努力方向性を間違える人間愚か者だと思っていました。そして努力すらしようとしない人間軽蔑していました。他の何もかも投げ打って練習に取り組むわけでもなく実りのない部活動にただ漫然と時間を費やすY君の姿勢は、まさに軽蔑対象でした。「三年の夏に部活引退したら、本格的に受験勉強をする」というY君の弁に至っては、この時点でもう勝負はついていると僕は思いましたが、哀れな奴だと思うことにして黙っていました。

当時進学クラスの上位面々にしても、実際には大した学力は持ち合わせていませんでした。勉強すればするほど募る不安を振り払うべく、ビックマウスで自分鼓舞させ、歯を食いしばって受験勉強に打ち込んでいたのです。

みな手の内を知っているから言い合えた言葉がありました。「普通クラスの連中が努力して行くような大学から日東駒専は滑り止め」「明青立法中はセンター利用入試で一学部学部抑えて、あとは試験慣れ」「本命早慶国公立大学

Y君が目指したのも、早慶文系学部でした。折りに触れ志望学部を聞いた時に「受かったらいいなぁ」という言い方をしていたので、どこまで本気で受験していたのか分かりません。また彼が将来どういう職業に就きたくてその大学を目指したのかも知りません。いずれにしても、当時のY君の実力からすれば、合格絶望的なので記念受験だったと思います

日本で双璧をためす有名私立大学どころか、当時のY君は本気で日東駒専第一志望にして対策を組んで然るべき成績でした。それにも関わらず、十分な対策をしていなかったのでしょう。そのレベル大学を「滑り止め」として受験し、行き場がなく浪人が決まりました。

先にテニス部を辞めたある級友は、有名私立大学合格しました。Y君から学業面で「同等程度以下」と思われていましたが、彼は初めからY君より成績は良く、そして努力甲斐あって志望校合格しました。Y君が、センター利用試験で抑えるつもりだったレベル大学です。

高校卒業式で、Y君は自宅浪人をするつもりだと話していました。図書館勉強している方が集中できるからだと本人は話していました。それを聴いて、受験勉強のやり方を根本から間違えているのだから予備校に通わなければY君は同じ失敗するだろうと、僕は思っていました。

僕も浪人が決まっており、同じ境遇の友人らと、どこの予備校に行くか、予備校が始まるまでどう過ごすか情報交換をしていました。しかし、僕は、彼と同じ予備校に通うのは自分精神衛生に悪いと思い、誘いませんでした。

僕は気心が知れた戦友二人と予備校生活を送りました。定期的に他の予備校に通っている元同級生とも食事に繰り出し、情報交換とリフレッシュをしていました。時には勉強会を開き、時には悪い遊びに繰り出し、予備校生活を満喫しました。僕はY君に対して意図的に声をかけませんでした。

Y君が亡くなった後、彼がどのような浪人生活一年目を送ったのか、聴いて回っても誰も知りませんでした。分かっているのは結果だけです。一年後の再戦にY君は敗れました。彼が受かったのは、日東駒専文系学部一つでした。浪人してそんな大学行けないと、二浪することを決めたそうです。Y君と伴に最後までテニス部にいた普通クラス出身者が、予備校生活の後に地元国立大学教育学部合格したのも少なからず影響があったと思います

Y君の二浪目については、僅かながらに噂が流れていました。僕らが通った予備校とは別の大手予備校に通ったと聴いています。そしてそれはY君の両親の望みだったという話です。しかしそれ以上のことは誰も知りませんでした。

Y君は、限りなく記念受験に近いであろう第一志望の早稲田大学に落ちました。それでも、今度は明青立法レベル大学に手応えを感じていたそうです。高校時代担任教師の元には、今度は大丈夫そうだとメールが来たそうです。滑り止めに受けた日東駒専合格は決まっていました。

しかし受かった手応えを感じていた青山学院大学は、不合格だったそうです。その結果が判明した時、既に日東駒専手続き期日は過ぎていたそうです。二浪して予備校に通い、親に負担を掛けたくない気持ちが働いたのでしょう、Y君は日東駒専入学一時金を払わなかったそうです。

かくしてY君は三浪目が決まりました。その頃のことは、Y君の級友何人かが打ち明けられていました。「一浪二浪までは変換できるけど、三浪って、ケータイ変換できないんだね」Y君からある友人に宛てられた最後メールには、そう書かれていたそうです。

苦しさは後に喜びがあると知っているから耐えられるものです。喜びのために経験する苦しさと、苦しさの後にある喜びとは、価値が全く異なります。失敗の先に成功を掴んだ人間けが成功評価できますしか成功を掴めない人間には、そのような言葉は無力です。苦しさの中でも特に失敗は辛く、とても重ねていられるものではありません。

三浪目の夏、Y君は、予備校の友人と二人で海に行き、事故に遭ったことになっています。酷く天気の悪い日で、盆過ぎの海水浴場には彼らの他に誰もいなかったと伝え聴いています

同行したのが同じ予備校の友人であるのかは分かりません。しかしその新聞を調べてみると、天気予報では、県内は午前曇、午後から雨となっていました。海水浴に出かける天気ではありません。実際の天気を調べてみても、前日から曇り、実際に曇のち雨だったようです。

二人は遊泳禁止柵を超えて、外へ外へと泳いでいったそうです。友人はしばらくして怖くなり引き返し、Y君のことを警察通報したそうです。海上保安庁警察が捜索したものの、Y君が発見されたのはそれから二日後のことでした。

沖に流されて生還した人の体験談を、折りに触れ読んでみました。だんだんと手足の感覚が無くなって行き、全身が重く感じられ、乾きと苦しさと絶望のあまりに、自ら沈もうとしても身体は死を受け入れず、数時間に渡って浮かんでいると言います。その間、Y君は何を思ったのでしょう。

暗く塩辛海の底に引きずり込まれるまでの数時間、海に来たことを後悔するのでしょうか。自らの力の無さを恨むのでしょうか。早くから勉強しなかったことを悔やむのでしょうか。時代を恨むのでしょうか。日本社会を恨むのでしょうか。

人生の遠回りを許さな日本空気に、Y君は命を奪われました、一体誰が仇をとってくれるのでしょうか――僕はそう思うことで、Y君の死は、自分責任ではないと思い込もうとして来ました。そんな綺麗事では済みません。彼を死に追いやったのは僕らです。

彼の学業上の相談に乗らなかったのは、彼が気楽に、好きなことをしていたことに対する妬みです。彼が、僕の思う独善的な「努力」をしないことについて、快く思っていなかったからです。「努力」などと呼んでいいものではありません。自分の味わった苦しみを人も味わえばいいという意識は、酷い嫉妬心に過ぎません。

彼が学業面で悪循環に陥っていると知りながら、僕ら「成績上位者」を誤解していることと知りながら、僕らが手の内を明かさなかったのは不当な仕打ちです。Y君は、級友の受験勉強という、励まされる理由にも自信を持つ理由にもならないものを盲信していました。そして、僕らはそのことの具合の悪さに気づいていながら放置し、影で嘲笑っていました。僕らはY君の話を聞ける関係にあったのに、聞かずに見殺しにしました。

こうまで酷い仕打ちをして、どうして彼の死を受け止めて来られなかったのでしょう。

今なお、僕は「僕ら」でないと責任を背負えない弱い人間です。そんな僕にも毎年夏は訪れますしかし、今に自分一人、罪の念を免れたいがために記憶を上塗りし、忘れ去ってしまうことでしょう。あるいは、もうそれは始まっているのかも知れません。

実家にある、かつての僕の部屋からは、一車線しかない県道が望めます。Y君が三年間、高校に通うために歩いた道です。なんの変哲もなく、田んぼと林に囲まれ田舎風景です。僕が彼から奪ってしまったものの一つです。

今はまだ、入道雲青空に彩られたこ風景に罪の意識を覚えます

あれ、俺って天才じゃなくね?

って思ったのはいつよ?

ワイは二浪して、就職したときかな?

2020-07-18

本当に辛かった孤独

 私は大学受験二浪した。失敗したことを失敗と素直に受け止められなかったから、こうなった。結局得られたものは一つもなくて、二年の時と可能性、健康身体思考を失っただけだった。二年目はとくに酷かった。勉強なんて遠くに行ってしまって、わずかなコンビニバイトを除けば、そこにあるのは静かな絶望だけだった。“静かな絶望”と書いたが、何も詩的な耽美あるわけではなく、Youtubeの本当にくだらない動画と、過度な自慰行為と、コンビニ廃棄弁当と、周囲からの痛い視線嘲笑侮辱偏見があった。怠惰怠惰を重ね、惰眠を貪っているだけなのに、自分には何かあるはずだと、救いのないことを心のどこかに置いて、何もせずに過ごした。

 ここまで来るとと、おちおち眠ることさえできない。ある時、急に、胸が締め付けられ、呼吸がうまくできなくなって、身体中の神経が痛み出し、何も吐くことのできない嗚咽と、どす黒い鉛を頭の中に詰め込んだような頭痛が同時に訪れる。堪らなく怖くなって目を閉じると、まぶたのうちの仄暗い深淵から、黒い人魚のような、おどろおどろしい悪魔幻覚が姿を見せる。その無数の手が伸びて私を闇の底へと引きずり込もうとする。堪らない不安と寒さに凍えながら、吹き飛ばされそうになりながら、ありもしない幻覚と戦い、二時間ぐらいすると呼吸が戻ってくる。支離滅裂荒唐無稽に思われるかもしれないが、たしかに私は一年間こうして苦しんだ。自殺した方がよっぽどマシだと何度も思った。

 今はなんとかやっている。小さな仕事を与えてもらって(というよりはまだまだ教育期間だが)、恥ずかしい、情けない思いをすることも多々あるが、周囲の支えでなんとか立つことができた。この忌まわしい記憶はいつまで私を苦しめるだろうか。それとも一生亡霊のようについて廻って私を苦しめ続けるのだろうか。一方で、やれやれ、もうどうでいいことじゃないかと思う時がある。だとしたら、最初から苦しむ意味なんてどこにもなかった。

 さて、コンビニに甘いものでも買いに行こうかな。

2020-03-02

自分も同じく中高一貫校出身で6年間鼻毛ほども勉強やってなかった

誇張抜きで小学6年の学力のまま高校3年になった。

中学2年か3年の頃に受けさせられた「県民テスト」なるもの順位は同学年の地元県民全体の下位1割に入ってた。

東大5人くらいしかからない偏差値55くらいの一貫校に通う身分ではあったけど、中学受験経験者でこの結果はありえないほどヒドいものらしい。中卒でヤクザになったり、九九が怪しかったりする人も受けるテストだったから。もし高校受験やり直すとしたら、学年の半分が中退するような超絶田舎の最底辺県立高校くらいしか行けないくらいの学力だったようだ。

で、高校2年の終わりに受けた河合全統記述模試では英国社の主要3科目ですら偏差値38、国士舘大学E判定だった。

同級生で俺と同じくらいヤバい奴はたくさんいた。東大二桁必ず出るような中高一貫校通う友達にもここまで落ちぶれた連中はたくさんいた。

大学受験ではやっぱり大半が浪人してた。

俺の学校の落ちぶれ仲間は3割くらいが現役マーチor早稲田合格、残りの7割が一浪マーチor早慶合格って結果になった。

東大二桁校の落ちこぼれ友達は3割が現役早慶マーチ受験ほとんど)、7割が一浪早慶に落ち着いた。

ちなみに俺はMARCH早慶全滅したもの東京学芸合格して浪人回避

こういう巻き返しは文系特有のもんかと思ってたけど、現役のとき中央理工にも落ちた奴が二浪東邦医学部受かってたから必ずしもそういうわけじゃないのかも。

多分、駒東とか麻布とか開成レベルになると小学6年レベル大学受験に臨むハメになった層でも最終的に浪人一橋とか国立医とか結構受かっちゃうんじゃないかと思う。

2020-02-01

お題:変なプライド

一浪目:「浪人してFランとか恥ずかしいか絶対受けない」

二浪目:「二浪してFランとか恥ずかしいか絶対受けない」

ひきこもり10年目:「取り返しのつかない事をしてしまった。Fランでもいいから行っとけば良かった」

「今からでも行く気ある?」

絶対無理。恥ずかしい」

2020-01-19

「姉は大して苦もなく医者になった。」

姉は昔から「お勉強」はできるけれど、世間知とか常識かにはあまり聡くない、いわゆる天然なお嬢さんだった。

小学生くらいの頃から医者になる」と公言していて、周囲もそれが当然と考えていた。頭がいいのもあったし、なにより勉強に関しては誰より律儀だった。

不真面目な学生だった俺はなんであそこまで毎日真面目に机に向かえるのだろう、と不思議だった。


彼女県内でも一番といわれる高校(もともと男子校で、姉の入るタイミングくらいに共学化された)に進み、そこでもしゃかりき勉強に励んだ。

成績も「医学部には普通に入れる」くらいをキープしていたらしい。

俺も親も姉も普通に現役合格するものと思っていた。

だが、落ちた。

姉は本気で悔しがっていた。

俺は「やはりお医者さんになるのは大変なんだな」くらいにしか思わなかった。

姉は浪人し、上京して予備校通いを始めた。

そして翌年に私立医大合格した。

そうしてつつがなく医学部卒業し、今では立派に医師として働いている。


から見たらさして波乱のない人生だ。

世間の人もそう言うに違いない。頭の良い子ども勉強をして医学部合格医者になる。なんのひっかかりもない。

でも、例の一連の入学試験性差別報道に触れ、その考えが間違っていたと知った。

姉は下手したら人生を潰されていたのだ。

十分な能力があるにも関わらず、夢を諦めることを強いられてかもしれないのだ。

高校時代の姉は(少なくとも俺からしたら)勉強ができた。ものすごくできた。でも「ものすごくできる」では足りなかった。

おそらく、姉と同等に成績が良かった同級生男子たちは普通に現役で医学部に受かっていたことだろう。

でも姉は「ものすごくできる」以上を要求された。

そして、それに応えた。


姉は昔から俺のことをよく褒めてくれた。

彼女にはないアート方面の才能(もちろんさして大したものではない)を持っていた俺を「すごいね」と何度も讃えてくれた。姉としての欲目もあったかもしれないが、そういうことを素直に言うタイプでもあった。

一方で俺は姉をどこかで見下していた。姉ほど勉強ができなかったというコンプレックスが一番大きかったかもしれない。同じ中学に姉と入れ替わりで入学した年に、かつて姉を受け持っていた教師から「おまえはお姉さんほど頭良くないんだな」と蔑まれたのが不快記憶として残っている。

そういう比較を拭いたくて、生活人としての姉のおっちょこちょいぶりやおっとりした性格家族内のジョークとしてよくイジっていた。両親も「お姉ちゃんはそういう子だからねえ」と俺のイジりに乗っていた。母は「本当の意味で賢いのは○○(俺)くんのような子なの」とよく俺を贔屓にした。

からすれば俺は親の寵愛をいいことに暴君のように振る舞うわがままなクソガキ、という印象だったかもしれない。

でも、仮にそう考えていたとしても、それを口に出すようなことは絶対になかった。いつでもやさしかった。

俺の制作物を「すごいね」と褒めて、友だちにまで自慢していた。うちの弟はすごいんだよ。


今ならわかる。

本当にすごいのは姉のほうだった。

俺が現在所属している業界にも性差があることは否定できない。自分が男であることが陰に陽に有利に働いていたんだな、という場面は思い出すだにいくつかある。

自分業界で生き延びるのは大変だという自負があり、それに比べると医者は安泰でよろしゅうございますね、というようないじけがどこかにあった。

姉にとっては安泰でもなんでもなかった。俺よりよっぽど激しい戦場で戦い抜いてきたのだ。

あの一浪二浪になり、二浪三浪になったら、姉の人生はどうなっていただろう。

姉が医学部合格したとき母親が親戚だか誰だかに先生はもう一浪したら絶対(当初の姉の志望だった)国立もいける、っていうんだけど、本人が絶対受かったところに入学したいっていうから……浪人がよほどイヤだったんだろうね」と漏らしていたのを思い出す。

姉は知っていたのだ。

どの程度までかはわからないが、医学部入試からくりを知りながら、それでもなお試験に挑んでいた。


俺には無理だ。


謝りたくなった。

知らなくてごめんなさい。

からなくてごめんなさい。

でも、姉にしてみたら謝られたところで意味不明だろう。

他人からしたらそれでも全部話して謝ればいいだろ、と思うかもしれないが、

俺と姉はそういう「真剣人生の話」を語り合ったことは一度もない。

姉弟仲は悪くなくて、むしろ良いほうだと思うのだけど……わかるかな、とにかく「そういう話」はしない間柄だ。

から、できない。


から増田に吐き出すことにしたのです。

2019-11-29

anond:20191128194013

外人至上主義国際結婚した人を思い出した。高校生の頃から大学生と付き合ってることを自慢してきたり、慶應法学部に異常な執着心を抱いて二浪して、結局届かずによくわかんない女子大に行った。異常に日本ディスってたのをよく覚えてる。

大学出て普通企業をすぐ辞めて英会話教室先生になってたな。何がしたかったんだろう。

2019-05-31

トゥルーマン・ショー症候群

ネタバレ注意

トゥルーマン・ショーという映画をご存知だろうか。

1998年に公開された、ジム・キャリー主演の映画だ。

私の親は映画が好きで、しかも私は人前で騒いだりしない行儀の良い子供だったので、かなり幼い頃から映画館に連れて行ってもらったものだった。

トゥルーマン・ショーも、その幼い時分に観た映画の一つだった。

この作品出会わなければ、私はもっと違った人間になっていただろうと思わずはいられない。

簡単にあらすじを述べると、トゥルーマンという普通な感じの男が、ある日自分の周りが全て作り物で、家族も友人も、というか暮らしている街の人間全員が演者で、生活の一部始終が番組になって世界中に放映されていることに気がつくというものだ。

幼い私はひどく衝撃を受けた。それで、自分トゥルーマンなのではないか?と猜疑心を抱くようになった。それから20年以上経つが、未だにそう思っている。

常識的に考えれば、そのような疑いを感じさせる作品を観せるはずがないと思う。しかし、マッドサイエンティスト的な人が、こういうことをしたらどうなるかな?と私をモルモット代わりにして反応を見ていると思うと整合性が取れている気がしてしまうのだ。中学校高校いじめにあってとても辛くて、こんなの放映できるわけないからやっぱりトゥルーマンじゃないかもと思いかけたが、マッドサイエンティストを持ち出すと全てが丸く収まるのだった。

受験失敗しまくって二浪した。頭は良くない。いわゆる地頭からもう悪すぎる。2回目に大学に落ちたときには、絶望感の中で、トゥルーマンショーならここで受からないと番組的に繰り返しになってつまらいからやっぱり違うのではと思った。しか大学連続で落ちて追い詰められてる奴の生活面白いという人の要望が多いのかもと考えるとありえない話ではなかった。

私は毎日同じ食べ物を食べて同じ道を通って同じ行動をすると落ち着くタイプなのだが、ときどきわざと変な電車に乗ったり、思いがけない行動をとったりしてみることがよくある。それで、周りの人の反応をこっそり伺ったりしている。見た目にはわからない。

同じ街に暮らしていても私と殆ど接点のない演者もいるわけで、イレギュラー的に私に遭遇して「テレビで見るよりブスだった」とか言ってそうだなとか思う。

そういう突発的な行動と思考の結果、今までにいくつかの県・道・都を巡った。大学では博士号をとった。人に頼まれたことはできるかぎり何でもやったし、面白そうだとちょっとでも思ったら少し無理してても追いかけた。私自身は自分で言うのも何だがとても大人しく内向的で、話す時にはまず「あっ」と言わないとしゃべることができないし、どもらない日はない。だから、今までの経歴を聞かれて驚かれることも多い(演技かもしれないけど)。

トゥルーマン・ショーが私の人生を変えたことは確かだ。いつも、お前らの思い通りにはならないぞ、と思いながら生きてきた。でも人の目を気にし続けた人生といえなくもない。

というか、めちゃくちゃ頭が悪くて不注意で、並みの悪さではなく、左右盲だし東西南北からないし都道府県も覚えられないし方向音痴だしバス電車を乗り間違えまくるし、時計アナログだと読み取るのに時間かかるし暗算できないし、人の話聞いてないみたいだし、横断歩道ないのに何故か横断歩道しかも青だと思い込んで渡ってデカめの車に轢かれるなど、なにかの障害では?という白痴具合なのに大学行けるとか変なので、やはり番組か?と思わざるを得ない。

ちなみに、私がトゥルーマンでもそうでなくても、このことを話すとやばい奴と思われそうなので、子供の頃に両親に聞いて以来人には話していない。両親には一応否定されている。

今私は地方都市暮らしている。生まれ場所からずっと離れていて、海が近くて良いところだ。食べ物もおいしい。

時々顔を合わせる人が居て、私はその人が好きだ。気のせいかもしれないが、その人も私に多少の好意を持っているように思える。

でも、その人はよくよく考えれば絶対私が好きになっちゃうでしょ〜という感じの人で、すごい普通っぽい感じの人で髪がモサモサしてて別にかっこよくはないのだが、

声とか喋り方とか口癖とか、優しさとか、我が強くないところとか、左利きのところとか、腕にあまり毛がないところとか、うまいこと私のツボを押さえている人物なのだ

それで私は、その土地でずっと暮らしていたその人のところに組織みたいな奴らがいきなりやってきて、今の役を頼んだか脅したか金を積んだかでとにかく了承させて、現在に至るという感じなのかなと想像してしまって、そうすると申し訳なさすぎて気持ちが沈んでしまうのだった。

私と同じように、トゥルーマン・ショー的な妄想に囚われているトゥルーマン・ショー症候群患者は他にいるのだろうか。

2019-03-31

anond:20190328144612

信じられないかもしれないが、医学系に一浪二浪はざらだし、そういう場において一浪なんてのは特に問題視もされないというのが現状だ。それに、一浪たから下のレベルに……なんて考えを持ってる人間もそういない。だから、落ちたなら~人生辛いよという考え自体に「?」となる可能性がある。

それこそ、元記事にある、根本的な認識ギャップだ。

2019-03-30

浪人して失敗した話

高2の時から京大を目指していた。

県内ではトップ高校でそこそこテストの成績は良かったし、先生雰囲気が似合うと思うよと言われたし、オープンキャンパスに行ったときに入りたい研究室が見つかったからだ。

それでも、現役時代はどこか勉強に身が入らず案の定落ちた。浪人する気でいたし、早稲田には受かっていたか浪人したら流石に受かるでしょと心のどこかで思っていた。

いざ浪人してみると、予備校に通っていたが、授業が始まる時間高校の時より遅かったし、寝坊してもきっと家族が起こしてくれるからみたいに甘えているところもあったし、現役時代ほどではないにしろ、他の人よりも怠けることがあった。それでも成績は上がっていたし、校舎内の京大理系コースの上位10%には入っていたから、他の人はこんなに怠けてないしまずいだろうと思う反面、また早稲田も受かったし、どこか今年は受かるかなあと思っていた。

結果は不合格だった。

自分の考えの甘さの深刻さにやっと気が付いて、後期の大学を受けにいく新幹線の中ですごく泣いた。

親には二浪してもいいと言われたけど、正直、このまま実家にいて二浪目で生活を変えられる自信もなく、親元から離れて生活を始めないと変われないと思ったし、下宿して浪人もさせてというのはさすがにわがまま過ぎると思ったから、二浪せずに後期で受かった国立大学に行くことにした。

でも、引っ越しの準備が進むにつれて、もう京都には行けないんだなと思うとすごく悲しくなったし、このまま後期の大学に行くのは逃げなのかもしれないとも思ったし、親の「二浪してもいいよ」という言葉は、二浪してでも京大に行って欲しいということの裏返しだったんじゃないかと思うと申し訳なさがさらに募った。

結局、どうするのが良かったのかはまださっぱりわからないが、この間高3の時の担任先生と話してある程度は吹っ切れたから、この大学で頑張っていこうと思っている。それでも、引っ越し直前になっても上に書いたようなことを考えてしまう。

2019-03-17

anond:20190316112313

うちの大学にも夜間があって俺は昼間も夜間も受けたことがある。そして昼間の方に進学し、今は卒業を控えている4年だ。

俺は一浪とき全然勉強しなくてどこにも受からなかったから仕方なく夜間を受けたんだがそれも受からなくて二浪することになった。さすがに二浪ときはそこそこ勉強たか一浪とき夜間で落ちた大学に昼間で入学することができた。

大学に入ってから夜間の同年代の方とも話す機会があったけど全員が昼間に対して引け目とか対抗心とかそういうのを持っているみたいだったよ(全員と言っても俺が話したことのある同年代の夜間主の人は3人だけだが)

日が落ちた大学で俺が帰路を歩いているときに今から授業に向かうと思われる夜間の人達とすれ違うと、一浪ときもし夜間で受かっててそのまま進学したら人生どうなってたんだろうなと考えることがあった。履歴書に夜間と書く必要はないか就職で不利になることはない、昼間の学生と同じ水準の講義を受けることができるから学業面では変わらない、って事実を理性ではいくら理解していてもきっと心の奥にはなにか引っかかるものが残ったんだろうなと思う。

増田最初から夜間部への進学も想定して大学受験に臨んだのなら別だけど、もし俺のように昼間の大学への進学しか考えてなかったのに受験がうまく行かなくて急遽追加募集夜間部を受けたりしたなら余計にちょっと考え込んでしまう瞬間もあるだろうなと思う。というかいろいろ考えた末の日記が元記事なんだろう。

でも事実だけを考えてみると、夜間でも新たな出会いとか充実した経験を得られるチャンスは昼間と全く変わらないだけあるんだと思う。周りから評価も昼間と変わらないと思うし実際自分が夜間の人と出会ったときも夜間の人なんだ~以外の感情はなかった気がする。というかどういう感情だったか思い出せないくらいどうでもいいことだったと思う。

っていうのは綺麗事すぎるか。夜間なんだ…って思われることは多少あるかもしれない。でもそれって自分が楽しければ十分カバーできない?

から昼間主に進学したかったけど夜間主に進学することになった学生デメリット自分の心の奥のちょっとした引っかかりだけなんだと思う。逆に人によってはそれが一番解決することの難しい問題であり、それを解決するには充実した大学生活を送る以外の方法はないんじゃないだろうか。

親に迷惑をかけまくって二浪させてもらって昼間の大学に進学してヘラヘラ過ごしてきた俺に言われるのはムカつくかもしれないけど、四年間耐え忍ぶって発想はすこしもったいないんじゃないかと思った。だってそういう自分心持ち以外には夜間のデメリットってなくない?普通に昼間主に進学するのと同じ志でいればいいと思う(たぶんそれが一番難しいんだけど)

四年間楽しい大学生活だといいね。俺は入学から卒業まで一貫して劣等生で努力もしなかったことをやや後悔してるからぜひ勉強を頑張ってください。昼間も夜間も人生の中でどれだけ充実した四年間を送れるかは自分にかかってるのは同じだよ。

2019-02-22

anond:20190222231458

うつのことも当然、常に念頭に置いて行動してきて、二浪目も仕方ないというのが高校時代担任意見でした。自分も概ね同意見で、じゃあ二浪目は予備校にでも通おうかな、なんて考えてましたが、趣味サイト制作で溜まっていた貯金も大した額でないので親を頼らざるを得ないのです。通院費も毎度払ってもらっていますし、予備校の代金を一時的に出して欲しいと話したら「さすがに来年度は1日たりとも遊ばせないぞ」というテンションで返答されました。調子いい日はふらふらと家を出て行ってしまう日も多かったので、普段とのギャップや、これまでかけてきた面倒で両親もいっぱいいっぱいのようです。自分もなんだかもう面倒になってきて。

きっとここに言語化できないようなわだかまりがたくさんあって、僕はそれを引き出すことができないし、皆さんに理解してもらうことも当然できません。実のところそれはどんな受験生も同じで、そういうもやもや勉強で、受験ガツンとぶつけられた人間を羨ましく思うのと同時に、自分ダメさ加減に嫌気がさします。自分はいつも飄々とやってきたつもりですが、案外こういうことを書けてしまものです。人間こわい。

2019-01-18

ニートしてたけど、明日センターだー

三春学校に通えなくなり、うつの診察を受け、それから通院しつつ休養。先生単位アドバイスを受けつつ、午後からとか6時間目だけとか出席しながらなんとか卒業できて、卒業浪人してた。って言っても相変わらず自律神経がいかれていて朝は起きれないし、躁のけがあって学習計画もかなりめちゃくちゃなひどいものだった(例えばある日は「旧帝大なら絶対いける!」という気になりすごい勢いで机に向かうのだけど、次の日には「そんなの無理に決まってる」と布団で一日過ごしたりしてた)。結局、周りからたらこ一年ニートのように過ごしていた。ひどいもんだよ。昼に起きて、何したか覚えていないまま夜になって、寝る。それの繰り返し。死にてー。

今も大学病院に通っていて、なるべく1日の活動時間を増やせるよう睡眠リズムをずっと調整している。僕はこの一年あくまで休養の一年と捉えるけれど(だからもう一年勉強のために欲しい!とあらぬ欲をおこしてしまう)、僕をとりま世界がそうも長い時間穏やかに待ってくれないのも事実であると感じてる。なんだかんだで学歴は欲しい。けれど今年はダメだった。じゃあ来年は?来年ちゃん勉強できるの?と頭でぐるぐる考える。僕はまだ19歳で成功経験も乏しく、それでいてうつ患者であるから、はっきりと「来年は元気になって、ここら辺の大学を狙える」と断言できない。うつになってからずっと自己分析をずっとずっと続けてきたけど、あるところで「でも自分信用できないな」という結論にたどり着き、その時は目の前が真っ暗になった。躁うつはこう言った点でもすごく厄介な病だと思う。

いやー。何してたか一年。ほんと何もしてない。センター前日くらい何かするだろうと思ってたけど漢文テキスト開いただけだった。やだなー。一年、つらかったなー。手帳とかiOSメモ思考足跡が残っているけど、それを見るとものすごく悩んだ、悪く言えば悩んだだけの一年だったみたい。つらかった。両親とうまくいかなかったな。人間として色々おかしい面がある。対話ができなかった、悲しい。家を出たい。でも一人暮らしをしたら生活リズム的に退学コースだろうと簡単想像できる。つらい。

ニートみたいな生活だったけど、ニートみたいな生活の中で人間的に成長できた面も多くある。いろんな観照や諦念が得られた。それらはこれから人生においてきっとかけがえのないものになるであろうと予想する。二浪するかは知らないけれど、まあとりあえず明日センターは頑張って行こうじゃないかという気でいる。

2019-01-09

anond:20190109210957

ついこないだ林修番組で、二浪して明治に入った奴が「明治くらい有名大学に入ればその後の人生は安泰かと思ってたら全然違った」って言ってて現代でもそんな考えの20代がいるのかと爆笑した。

平成も終わるというのに。

2019-01-03

anond:20190103031755

正直、めちゃ無茶のめちゃに苦労して、寝る間も惜しんで勉強して二浪三浪して医者になりましたって人より

こういう人の方が知識的な信頼は置ける。

人間性はわからないけど…

文教大学までの受験の思い出

私は高校中退のあと大検を取って、二浪してたまたま受かった文教大学に入りました。

高校受験

ADHDの症状のためかなんなのか自宅ではまるで勉強ができず、三年間で家でやったのは県立高校過去問だけ。

ただ知能テスト?の結果は学年で一番とかだったので授業態度や提出物等はボロボロものの、なんとか偏差値60ぐらいの県立高校入学

最近親に「勉強のやり方がわからなかった」という話をしたら、どうも話が噛み合わないのでよくよく聞いてみると塾とかで丁寧に指導してもらえばもっとできたのではと思っていたらしく、「いやいや毎日コツコツ机に向かって勉強するっていうのができなかったんだよ」と言ったら少し驚いていた。

そんなんで入った高校適応できるはずもなく1年で中退大検予備校には通うもまたもや家では過去問だけをやってなんとか合格

大学受験

しか大学はそう甘くはなかった。現役の年齢では手も足もでず、一浪するも全滅。親から圧力とかの恐怖心もあって予備校に通う電車の中で「試験にでる英単語」だけはやり、例によって赤本アタック

正直もう体力も精神力限界に近かったが、5校受けた中で「こりゃダメだな」と思った文教大学情報学部になぜか受かっていた。合格発表も見に行けず家でゴロゴロしていたのだが、親が「大学から何か来てるわよ」というので見てみたら、入学書類だった。

最後に】

運かなぁ。

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