「アウトサイダー」を含む日記 RSS

はてなキーワード: アウトサイダーとは

2022-07-22

anond:20220722102222

あああああ、天才

忘れてたわ

追記で入れとく

 

言い訳させてもらうと

なんかこう、ずっとアウトサイダーものからあんま新鮮味がないっていうか

大暮維人が下の方にいるのも、芸風変わった感じがしないので

フィールド変わっても当ててるって感じがあんましてないってのがある

2022-07-14

創価中学創価高校の思い出

自分典型的学会2世で、2000年代前半に創価中学創価高校(創価学園)に通っていた。

最近よくあの頃のことを思い出すので適当に書く。

いかんせん20年近く前のことなので中学高校混同してたり不正確かもしれないけど許して。

受験

地元の5歳ほど上の代に創価中学合格したひとがいて、それなりの田舎だったこともありレジェンドのように語られていた。

そのレジェンドが通っていたのと同じ地元の塾に小4から通った。創価学会員はこの手の験担ぎが大好きなのだ

受験

前日に38度の熱を出してしまった。前述のレジェンドも同じようなことがあったなかで合格したらしく、カーチャンは興奮しながら唱題していた。創価学会員はこの手の(ry

当日は携帯本尊(お守りご本尊とも呼ばれる)をカーチャンに持たされた。どんなものかはググってくれ。

お決まりの「公共交通機関でお越しください」であったが、トーチャンの車の後部座席に寝ながら向かった。ゲートで係員に止められていたが、後部座席で寝込む俺を見て敷地内の駐車場誘導してくれた。俺は眠くて寝てただけなのに。

通常の会場とは別室に設けられた体調不良者が集められた部屋で試験を受けた。ポカリ飲み放題で、毛布にくるまって行儀悪く立膝しながら快適に試験を解いた。

俺が受けた年は倍率11倍で過去最高だったとかそのあと聞いた気がする。

入学式

創価学園だからといって必ずしも池ちゃん接触の機会があるわけではないが、俺のいた頃は入学式卒業式は確定で池ちゃんが来ていた。

普段は会館で見る衛星放送映像の中にいる池ちゃん(とそのスピーチ)を生で見られるということで、たぶん保護者が一番テンション高かったんじゃないかな。

うちもカーチャンテンション爆上がりしていて、出席できるのは保護者の片方だけだったがトーチャンは問答無用蚊帳の外に置かれていた。かわいそう。

ちなみに俺の在校中に池ちゃん入学式卒業式に出なかったことが2回ぐらいあって、それまでは皆勤だったから中々の衝撃を学会シーンに与えていたような記憶がある。

あとスピーチ中の池ちゃんはアゲどころで机を手でバンバン叩くことが多く、その少し後に流行ったやる夫AAの「だっておwwwwwバンバン」を見たときに池ちゃんだろこれって悪友と笑ったことがある。

かっぱえびせん

入学式卒業式ほどじゃない節目イベントときに池ちゃんからメッセージ差し入れが届くことがあった。

終業式のときなんかに学年主任が「池田先生から差し入れいただきました!」って言って全校生徒にかっぱえびせんが配られるのが定番だった。

コンビニで売ってるようなサイズ感ではなく一回り小さいものだったので「けちくせー」と思った記憶がある。貰い物に文句をつけるな。

何より面倒くさくてウザかったのが、その手のことがあるたびにクラスでA5の便箋が配られて「今回の感想と決意を書いて提出しなさい」と先生から言われたことだった。学会員決意するの好きすぎる。

かっぱえびせん感想も決意も出るわけもなく、俺は一回も提出したことないがそれで怒られた記憶はない。真面目な生徒は毎回提出していたように思う。

唱題部屋

創価学会においては、唱題という行為をすればするほどえらいという価値観がある。本尊にむかってみんなで「なんみょーほーれんげきょー」と連呼するあれね。

校舎の一階に謎の立派な扉があって、その奥に20畳ぐらいの和室本尊があった。

体育会系メインストリームなひとたち(サッカー部野球部)なんかは大きな大会の前になると、朝や昼休みに総出で唱題をしていた。練習すればいいのに。

かに生徒会とかの意識の高い優等生自発的に空き時間に唱題しに来てた。

ちょっと記憶あいまいなんだけど、誰でもアクセスできる部屋というわけではなく、部活で唱題する人と一緒に応援をしたい人とか、招待制というかクローズド場所だったような気がする。誰も唱題していない時間に潜り込んで畳の上で昼寝した思い出。

休み時間サッカー

創価学会とあまり関係ないが印象深い思い出がひとつある。

小学生のころ休み時間サッカーをするのが好きだった。地域サッカークラブみたいなところにも入りたかったが親に許されず、そのまま下手の横好きで休み時間サッカーを続けていた。

中学入学してすぐのころ、休み時間サッカーに混ざりたくてそれとなく輪に入ったら横で同級生同士が「なんで増田がここにいんの?プゲラw」と話しているのが聞こえてそれ以降休み時間中庭に近寄るのはやめた。体育もスポーツも大嫌いになった。

当たり前だが同級生はみんなどこにでもいる普通思春期10代だった。それまで接した創価学会大人たちはみんな優しかったので、こんなんだったらこ学校に進んだ意味ないじゃんと思った。

唱歌

創価学園を語るうえで欠かせないのが愛唱歌存在で、校歌や寮歌のほかに10種類以上の愛唱歌と呼ばれる歌があった。

休み中庭で、掲揚された三色旗の前で有志で愛唱歌を歌う活動があった気がする。

唱歌のうちとりわけ記憶に残っているのは「負けじ魂ここにあり」という歌で、気になる人は歌詞をググってもらえるとわかるけどテンションの上がりそうな勇ましい感じの曲だ。ここぞという機会で歌われていた。

1番から5番まである長い曲で、平時は1番と3番と5番が歌われていた。式典とかの機会だとフルバージョンだったかな。Radio MixOriginal Mixみたいな。

いわく5番が一番大事だそうで、5番だけがちゃんが書いた歌詞だったかな?1番~4番の長い前振りがあって、5番に本命が来る。クラブミュージックか?

これを書きながらググった歌詞見直したらメロディー覚えてて歌えちゃった。人間記憶すごい。

ちゃんネーム

創価学会では、学会本部に依頼すると池ちゃん子供名前を付けてもらえるサービスがあるのは有名。

ちゃんネーム割合結構高かった気がする。クラスに2,3人ぐらいはいた。

創価大学への推薦

中学卒業してエスカレーター高校へ進学すると、創価大学への推薦を見据えて学校生活を送る必要が出てくる。

確か条件が5段階評価の平均と、欠席・遅刻日数だったかな。

成績に関しては赤点取りまくらなければ大丈夫、ぐらいのラインだったと思う。欠席と遅刻は年間だったか累計だったか10回まで、みたいな感じだった。

自分創価大学へ行く気は早々に失っていたので、面倒くさいと思ったら勝手に早退して家でラグナロクオンラインやったりしてた。

成績はボロクソだったが赤点補習をきっちりとこなせば問題なかったので、留年とかそういう問題は皆無だった。なんだかんだで寛容で優しい学校だったと思う。

体育の赤点だけは、夏休みに登校して体育教師顧問をするサッカー部と一緒にトレーニングをする、みたいな内容でそれが嫌で最低ラインの出席3分の2を維持するハックで乗り切った。

ちなみに一度受けた体育の赤点補習では、俺の休み時間サッカーの件の当事者サッカー部だったのでそいつが居たが、妙に気遣ってくれたりしてむずがゆかった。あいつ良いやつだったな。

総合的な学習と池ちゃんスピーチ

創価学会にはとにかく記念日が多いのだが、記念日会合で池ちゃんスピーチをぶると翌日には聖教新聞に全文が掲載される。

総合学習みたいな時間にはその聖教新聞クラスで配られ一文読みをしていた。ここでもかっぱえびせんときと同じようにA5の便箋感想と決意を書かされる。一度も提出したことはないが(ry

ちゃんスピーチの全文を読んだことある人がはてなにどれぐらい居るかわからないが、池ちゃんスピーチって基本的に中身がない(個人の感想です)

「〇〇(歴史上の偉人)は言った、ほにゃららほにゃらら。だから君たちも勉学に努めなさい」一同「ハイッ!」っていうのが池ちゃんスピーチ定番のやり取りで、勉強しろって説法をするとき引用しか言えないのかこの人、と常に思っていた。

他には「戦争悲惨だ、最低の行為だ」「いじめはよくない、いじめ人間100%悪い」みたいなありふれた内容で、何をみんなそんなにありがたがっているのか分からなかった。そのためにはどうしたらいいのか、どうすべきなのか、具体的な方法理論言及することが皆無だった。せいぜい本を読めとか勉学に励めとかそれぐらいで、マセガキだった俺の好みの内容ではなかった。

「いついつの会合スピーチめっちゃよかったよね~」と言っている同級生もいたが、松屋吉野家ぐらいの違いしか俺には分からなかった。

哲学者の道

創価学会は独特な語彙やネーミングが多いが、学校にもそれはあらわれていた。

中学ロッカールームは「鳳雛ホール」という名称だった。ほかに学校内の講堂は「池田講堂」だったり、食堂が「栄光ホール」みたいな名前だった気がする。一番大きい体育館も何か独特の名前があったと思うが覚えていない。俺の卒業後に校舎が建て直されたりしてググっても情報全然出てこない。

最寄り駅の鷹の台駅から学校までは10分以上玉川上水沿いを歩くのだが、玉川上水沿いの道は「哲学者の道」と呼ばれていた。哲学者の道を横に外れた場所昔ながらの林があって、そこでエロ本を見つけたことがある。なるほど哲学者の道

ちなみに近隣の武蔵野美術大学白梅学園の生徒もここを使って通学していて、妙に大人の女性に見えたなあ。

白梅学園バス停前後創価学園と朝鮮大学校に囲まれている画像なんかが有名だけど、不思議朝鮮大学校に関する記憶がない。

終業式だか始業式を飛ばして悪友と学校を抜け出して武蔵野美術大学学祭に遊びに行ったのは楽しかった。

VIPスレ立て

悪友が「創価学園の生徒だけど質問ある?」みたいなスレを立ててVIPで爆伸びしていた。創価系の質問スレググる結構多いけど、当時2chにどっぷり浸かっていた俺の知る限りでは悪友のスレ元祖だと思う。

校内の写真とかをガンガン上げていて大丈夫かと思った。今でもインターネットで出回る創価学園にまつわる有名画像のいくつかは悪友がアップしたもののはず。

生徒や先生たちの宗教観

基本的には学会二世しかいないので、典型的創価学会員の世界観を持っている生徒が多い。

一方俺はネットde真実ゴリゴリにこじらせていたので、普段からちゃん創価学会懐疑的スタンス公言していたが、それでいじめられたりするようなことはなかった。池ちゃんいじめを許さないご指導が活きていたのかもしれない。

ちゃんへのおかしいと思った点を熱心な生徒に話してみたりしたが、全否定されたり人格否定されるようなことはなくまともに議論じ応じてくれたように記憶している。

なにかの学校行事の決意発表大会みたいな学年集会の場で「俺は正直池田大作という人は別に好きではなくて~」みたいに自分の考えを披露したことがあるが(今思うとこじらせすぎている)、それでも「こう考えてる人がいることが分かってよかった。増田言葉で聞けて良かった」とニュートラルな反応をしてくれた同級生いたことが印象的。

一方で先生頑迷な人が多かったように思う。一度英語先生に「創価学会員はどうして個人なのに人の投票行動に介入するんですか?自分で決めるべきことなのでおかしいと思う」と言ってみたことがあるが、「人は選挙権のほかにも、個人として選挙をお願いする権利もあるんだよ」と答えになっていない返答をされた。いまでも意味わからん

現代文のH先生

基本的にあまり好きな先生はいなかったが、現代文のH先生だけは好きだった。

やたらと情熱的な語り口で面白い授業をするひとで、いろんな国へ旅するのが好きで授業の雑談ではその話を臭いぐらいロマンチックに話すので好きだった。

ほかの教科はやる気皆無だったが、現代文だけはノートもしっかり取っていたし、試験前のノート提出もしていた。

あるときH先生に提出したノートを紛失された。丁重謝罪されてノート点も満点つけてもらった(らしい)が、それ以降H先生の授業へ興味を失った。クソガキすぎる。大人だって失敗するときはあると今ならわかる。

スクールカースト

平等平和を謳う創価学会員もしょせんは人の子なので、スクールカースト存在していた。

今でいう陽キャは「メジャー」と呼ばれ、陰キャは「マイナー」と呼ばれていた。

ちなみに親が幹部かどうかはスクールカーストには関係なかった。ただディベート大会で全国レベルの成績を残したり、生徒会役員だったりするようなインテリ勢は親が幹部っていうパターンが多かった。そしてインテリ勢はメジャーマイナーの括りにも縛られないアウトサイダー雰囲気があった。

不祥事

不祥事っぽい出来事もあった。

世は前略プロフィール全盛期、同級生メジャー勢の女子前略プロフィール(というかそれに付随するいわゆる「リアル」のページ)で飲酒パーティー写メ(死語)をアップしていて、学校に垂れ込まれて停学になってた。

停学になったメジャー女子たちはほとんどその後創価大学へ進学し、銀行員になったり不動産屋になったり売れないクラブDJから水商売世界に入ったり、様々なよう。

疲れたのでこのへんで。またなにか記憶の扉が開いたら書く。

追記

履歴書学歴呪いについてのブコメをしている人がいるが、今のところ特に困難だと感じたことはない。

転職もしつつ順当にキャリア年収を上げて生きてきたけど、「親が創価なんで」の一言でそれ以上深掘りされることも差別されることもない。

2022-06-17

1981年 エリアス・カネッティブルガリア

着想と芸術性に富み、幅広い視野によって書かれた著作に対して

眩暈

1982年 ガブリエル・ガルシア=マルケスコロンビア

現実的もの幻想的なものとを融合させて、一つの大陸の生と葛藤実相を反映する豊かな想像力世界を構築した

1983年 ウィリアム・ゴールディング(英)

現実的物語芸術の明快さと多様性神話普遍性に満ちた小説によって、現代世界人間が置かれた状況を照らし出したこと

蠅の王

1984年 ヤロスラフ・サイフェルトチェコスロバキア

新鮮さ、官能性、豊かな創意性に富んだ詩によって、不屈の精神人間多様性解放的イメージを与えたこ

この世の美しきものすべて

1985年 クロード・シモン(仏)

その小説において、詩人創造性と画家創造性を深められた時間意識に結びつけ、人間の状況を描出した

アカシア

1986年 ウォーレ・ショインカ(ナイジェリア

幅広い文化的視点と、詩的な響きによって、存在ドラマを創り上げたこ

1987年 ヨシフ・ブロツキーソ連

思考の明快さと詩的な力強さが一体化した、包括的作品群にたいして

1988年 ナギーブ・マフフーズ(エジプト

時には克明な現実主義によって、時には想像力を書きたてる手法を駆使するといった、ニュアンスに富んだ作品群を通して、全人類普遍性を持つアラビア語創作芸術形成したこと

張り出し窓の街

1989年 カミーロ・ホセセラスペイン

人間脆弱性の挑戦的なビジョン形成する、自制的な憐憫を含んだ、豊穣で徹底した散文に対して


1990年代

1990年 オクタビオ・パスメキシコ

広い視野を持ち、先鋭的知性と人文主義高潔さを特徴とした、情熱的な作品に対して

弓と竪琴

1991年 ナディン・ゴーディマー(南アフリカ

彼女の壮大な叙事詩が、"アルフレッド・ノーベル言葉"に即した、人文主義にとっての重要利益であったこ

いつか月曜日に、きっと

1992年 デレック・ウォルコットセントルシア

偉大なる明るさ、歴史的視野に支えられた、多文化融合の産物たる詩的創作に対して

1993年 トニ・モリソン(米)

先見的な力と詩的な重要性によって特徴付けられた小説で、アメリカ現実重要な側面に生気を与えたこ

他者」の起源 ノーベル賞作家ハーバード連続講演録 (集英社新書)

1994年 大江健三郎日本

詩趣に富む表現力を持ち 、現実虚構が一体となった世界創作して 、読者の心に揺さぶりをかけるように現代人の苦境を浮き彫りにしている

万延元年のフットボール

1995年 シェイマス・ヒーニーアイルランド

日々の奇跡と生き生きとした過去を称える、詩的な美しさと民族的な深みを持つ作品に対して

1996年 ヴィスワヴァ・シンボルスカ(波)

皮肉はらんだ緻密な詩によって、人間リアリティフラグメントに光を当て、その歴史的生物学文脈を浮き彫りにした

シンボルスカ詩集

1997年 ダリオ・フォ(伊)

中世的な道化権威風刺し、弱者尊厳庇護したこと

1998年 ジョゼ・サラマーゴポルトガル

想像、哀れみ、アイロニーを盛り込んだ寓話によって我々がとらえにくい現実を描いた

白の闇

1999年 ギュンター・グラス(独)

遊戯風刺に満ちた寓話的な作品によって、歴史の忘れられた側面を描き出した

2000年代

2002年 ケルテス・イムレ(ハンガリー

人間社会的圧力ますます服従している時代にあって、個人として生き、考え続ける可能性を追求した

運命ではなく

<<

2003年 J.M.クッツェー南アフリカ

アウトサイダーが巻き込まれていくさまを、無数の手法を用いながら意表をついた物語によって描いたこ

2004年 エルフリーデ・イェリネクオーストリア

その小説劇作における音楽的な声と対声によって、社会不条理と抑圧を並はずれた言葉への情熱を持って描き出した

ピアニスト

2005年 ハロルド・ピンター(英)

劇作によって、日常対話の中に潜在する危機晒し出し、抑圧された密室突破口を開いたこ

2006年 オルハン・パムクトルコ

故郷の街のメランコリックな魂を探求する中で、文明の衝突と混交との新たな象徴見出し

わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)

わたしの名は赤

2007年 ドレスレッシング(英)

女性経験を描く叙事詩人であり、懐疑と激情、予見力をもって、対立する文明吟味した

破壊者ベンの誕生

2008年 ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ(仏)

新たな旅立ち、詩的な冒険官能的悦楽の書き手となって、支配的な文明を超越した人間性とその裏側を探究した

来るべきロートレアモン

2009年 ヘルタ・ミュラー(独)

凝縮した詩と率直な散文によって、収奪された人々の風景を描いた

2010年代

2010年 マリオ・バルガス・リョサ(ペルー

権力構造地図と、個人抵抗と反抗、そしてその敗北を鮮烈なイメージで描いた

楽園への道

2011年 トーマス・トランストロンメルスウェーデン

稠密で透光性のあるイメージを通じて、読者に現実への斬新な道筋を与えたこ

悲しみのゴンドラ

2012年 莫言(中)

幻覚的なリアリズムによって民話歴史現代を融合させた

白檀の刑

2013年 アリス・マンローカナダ

現代短篇小説の名手として

ピアノ・レッスン

2014年 パトリック・モディアノ(仏)

最も捉え難い人々の運命召喚し、占領下の生活世界を明らかにした記憶芸術に対して

1941年パリの尋ね人

2015年 スヴェトラーナアレクシエーヴィッチ(露)

我々の時代における苦難と勇気記念碑と言える多声的な叙述に対して

戦争は女の顔をしていない

2016年 ボブ・ディラン(米)

米国歌謡伝統の中に新しい詩の表現創造したこと

2017年 カズオ・イシグロ(英)

壮大な感情の力を持った小説を通し、世界と結びついているという、我々の幻想感覚に隠された深淵を暴いた

2018年 オルガ・トカルチュク(ポーランド

博学的な情熱によって、生き方としての越境象徴する物語想像力に対して

逃亡派

2019年 ペーターハントケオーストリア

言語的な技巧を交えて、人間経験の外縁と特異性を探究した、影響力のある諸作品に対して

2020年代

2020年 ルイーズ・グリュックアメリカ

厳粛な美によって個人存在普遍的ものとした、その紛う方無き詩的な声に対して。

anond:20220617140024

2022-06-15

anond:20220615115818

LGBTに限らない話として思うのは、やれマイノリティ弱者だとアウトサイダーを気取りたがり

実際、都合のいい時には「俺らは虐げられてるんだから、今あるものなんていつでもなんでもぶっ潰して構わねえんだぞ!」って革命家みたいなツラするくせに

そうかと思えば既存社会迎合して利益を追求しようともしてくるのはどうなんだ

反体制ならバチバチ敵対するか取り入るか、せめてどっちかにせーよというのは、正直言いたくもなる

2022-04-11

スパイファミリーってジャンプらしい?

雑誌は買ってない。アニメで人気が出てからコミックスを買うのがだいたい

でも昔は買ってたからそのあたりは少しわかる

  

で、スパイファミリーなのだが、1話みたらとても面白かった

多分コミックスも買うことになるだろう

という事で本題だが、鬼も呪いも出てこない話で、久しぶりに普通ジャンプアニメに戻ったな~とふと考えてしまったが

じゃあ普通ジャンプアニメってなんだったんだろう?って思うと友情努力勝利スポ根冒険もののことだろう

前者はキャプテン翼アイシールド21後者ナルトDBワンピース

進撃の巨人くらいからか、グロ描写アニメ一般評価されはじめたのは。それ以降、鬼や呪いジャンプを牽引するようになった

  

とはいえ、それらがジャンプらしくないかというと昔はアウトサイダーメタルKなどのグロ描写ジャンプ漫画もあったし、ジョジョ最初の敵なんてゾンビ

ジャンプにもそういうエッセンスは着々と受け継がれてての鬼と呪い

  

そこに来てスパイファミリージャンプの全く新しい一面を見れそうだが、超能力日常きまぐれオレンジロードだと思っておけばいいのか?

何にせよ来週も楽しみ

2022-02-23

anond:20220223034739

私は商業アートからアウトサイダーアートまで貪欲に取り入れてやるムーブメントを起こすべきじゃないかと思っている

「まあまあ金になって平等アート制作者を尊重する組織

というのはこれからSDGs時代合致するはず

媒体さえあれば増田の中にもアート昇華できそうなのがある

2022-01-10

アウトサイダー・アート

アウトサイダーの部分には自信があります

人生がもうアウトですので…

あと、サイダーは無糖のがすきです

2021-12-03

anond:20211203174417

頭が悪くて羨ましいって言うヤツは認知症になればいいと思っている

 

ただ、ボーダーレベル頭が悪いヤツが大変か?といえば別に?なんだよな

 

なんだかんだ物言うのは、暴力認知(物事をどう捉えるか)だから

従順orアウトサイダーとしてやっていけるなら

別になんとでもなるだろ

2021-11-30

朝倉未来のあれについて

暴力からよくないとか騒がれてるけど、それは流石に今更すぎないか

かにあの番組は色々問題があった。

しかし、賢しらぶった人たちが「暴力格闘技は違うんだ、わかっていないのは不勉強からだ」という表面上だけの話をして留飲を下げているのは、ピントはずれもいいところだと思う。

だいたい、格闘技に限らず興行なんて裏も含めりゃ大概ヤクザみたいなもんだろ。

少年の夢」みたいに健全ぶってプロ野球とか、裏は言うに及ばず表の部分だけでもどれだけ暴力的でコワモテなんだよ。

ガッツポーズしただけで打者への報復死球が当たり前の暴力世界だぞ。

よく奇麗事だけいって満足できるなと思う。

そもそも朝倉は、「喧嘩」が好きで暴走族少年院にも入るような暴力世界で生きてきて、「格闘技相手に手も足も出ずボコボコにされたこから総合格闘技に目覚めた人間だ。

朝倉が見ているのはただの奇麗な格闘技世界だけではない。

自分と同じように暴力に明け暮れる、どうしようもない不良の方を気にかけている。

かつて自分デビューした不良たちの格闘場「アウトサイダー」のように、次世代格闘家プロデュースもしている。

喧嘩の楽しさ」の延長が格闘技にある、そこには時間をかけて人生を変えるだけの価値がある、だから不良は喧嘩なんかしないで格闘技をしよう、その方が人生が豊かになるよというのが朝倉理屈だ。

朝倉本人は事あるごとに「喧嘩ダメ」と繰り返している。

この朝倉スタンスは、不良たちに絶妙にいい影響を与えたと思う。

朝倉youtubeで、地元愛知に帰った際に煽り運転をされたことがった。

相手朝倉未来だとわかった瞬間に一目散に逃げ去る不良の姿を流し(もちろんモザイクつきで)、ダサいし危ないし何より迷惑からそんなことやめろと動画上で説教をしている。

自分たちだったからよかったけど、他の人がされたら堪らないと。

こういう部分にこそ朝倉の意義がある。

煽り運転をやめろなんて誰でも言えることだが、不良にとって、「外部の」大人に言われるより、自分たち「不良側」の先輩に説教されることほど効くものはないのだ。

からとあるごとに不良アピールをし、同時に喧嘩迷惑行為ダメとも発言する。

この動画を見た、年を重ねた元不良も「後輩にちょっといいこと言いてえ」と思って、「朝倉未来もやめろって言ってたぞ」と後輩に説教をする。

こういうループが出来上がるのだ。不良とは、そういうものだ。

これは普段から行方正な人間では決してなしえない、朝倉からこそできた小さな社会貢献だと思う。

から少年院にいって講演もして、院では異例の格闘技大会特別上映(!)も叶えている。

暴力格闘技は違いまーす」「僕たち健全格闘技界は不良なんかとは違いまーす」と奇麗事だけを都合よくいう人間ではないのだ。

そして、その長年不良だった朝倉でさえも、総合格闘技出会ったのは成人する前後だった。

から朝倉youtubeでも繰り返し「格闘技の周知」「認知の向上」の話をしている。

格闘技好きに向けたアピールをしても、格闘技の人気は出ない」と繰り返し話している。

人気の「街の喧嘩自慢とスパーリングをする企画」も積極的にやり、この企画をどんどんパクってくれと言っている。

はっきり言って、朝倉youtube活動が今の格闘技界にもたらした影響はすさまじい。

格闘技界のカリスマ堀口恭司なんて正真正銘スーパースターすらも、一般人誰も知らない時代だ。

だが格下の朝倉は、彼よりも圧倒的に有名になった。

一躍不良少年の憧れの的となり、格闘技布教活動をして、大会視聴率をあげている。

そして朝倉は、不良や総合格闘技だけではなく、空手合気剣道などの伝統武道ボクシングキックなど様々な格闘家さらにはバドミントンなどほかのスポーツ選手ともコラボし続けて、武道格闘技スポーツの魅力を伝える活動をしている。

格闘家youtubeブーム朝倉の影響と言っても過言ではない。

本人のプロ戦績がしょぼくても、それだけでは計り知れないほどの貢献を業界内外にしているのだ。

仮にも「格闘技が好き」なんだったら、その功績を知らないとは言わせない。

どんなに朝倉が嫌いな人間でもそれだけは認めざるを得ない、それぐらいの活躍をしている。

これは朝倉未来からこそできたことだった。

(あと、興行から体重上げて試合に出ろ金を稼げと何度言われても断わり続けたのも、昔のPRIDE酷使された選手のことを思うと本当に偉かった)

から恩師の前田日明に「スパーリングを公開するなんてあり得ない、絶対対策されるからやめろ」と言われても、格闘家と公開スパーをして、それを研究されてボコボコに負けても、それでもやめなかったのだ。

そもそも朝倉本人が対戦相手動画を入念に分析する人間なので、リスク最初から分かっていたはずだ)

今回のabemaの件はもちろん問題があって、本人も謝罪しているしそこを糾弾するのは本当に正しいし、健全行為だと思う。

色々な問題点は他の人が指摘している。

しかし、朝倉と彼の活動を一概に「格闘技暴力勘違いしているだけのお馬鹿さん」と知った風な口でひとまとめに切り捨てるのはあまりも、あまりにも浅すぎやしませんかと思う。

朝倉に対する好き嫌い批判はあっていい。

しかし、「格闘技暴力を延長線上のもの」として捉えて活動しているからこそ、格闘技界や不良たちに「いい影響」を与えたことも事実なのだ

「影響されて格闘技始めました」とか「未来さんが止めろって言ってたから」と不良が憧れるようなロールモデルを、(一時的かも知れないが)こなすことができたのは、とても貴重なことだと思う。

からこそきちんとして欲しかったとは、強く思う。

2021-11-10

anond:20211110133819

でも桜井マッハ隼人世界総合格闘技大会3位)とか、

土方にボコられたり

アウトサイダーに出てるような不良(朝倉兄弟)の方が

総合格闘家より強かったりしますよね。

SPがたくさん付いてる小室圭さんとか?

2021-10-12

anond:20211012192646

一部は複雑な仕事も出てきたけど、どんどん時代が進むほど生きやす時代になったよ。

例えば発達障害の人も、昭和の時は無能扱いされて畑の耕作で強制労働させられたし、酷い場合は家の牢屋みたいな部屋に閉じ込められることもあった。

今は持ち前の才能を生かして色々な仕事に就けるようになった。

よく言われるアウトサイダーアート以外にも、凄腕のプログラマーの人もいるし、怖いもの知らずのトップ営業マンもいる。

2021-08-23

anond:20210820215935

結局、社会組織をどのように統治すべきか という意識が強くなってる

民主党政権の瓦解なんかが象徴的だけど、結局単に体制批判するだけではだめで

如何に統治していくべきか?

って言うのが社会から注目され始めて、最近漫画だとそれを踏まえたテーマが大きくなってきてる。

もちろんそうじゃない作品も多いけど。


体制の外側から文句を言ってとりあえずてきたおして終わりじゃ読者側が納得しなくなってんのよね。

一体体制の何が問題で、どこをどうするべきなのか?に焦点が移ってて、単に反体制側だとそれが描けない。

物語視点となりやす主人公側が体制の一部となって、一体何が問題なのか?

っていうのをまず炙り出すには反体制側に属して体制撃退するだけじゃ描写として焦点がぼやけちゃう

進撃の巨人なんかは典型例だけど、クーデターを起こして体制を倒したはいもの調査兵団は結局情報隠ぺいを図ってファシズム助長してしまった。

ヒロアカなんかも一人のカリスマに頼った治安機構組織いかにもろくて歪な状況を作り出すのか描いてるよね。

オールマイトが強力な比重を占めていた状況からジャンプらしく組織・チームで対処すべきでは?という方向性に話がなってる。

呪術廻戦も五条のように体制所属しながら、上層部と反目しつつも決して 物理的に倒したりはしない(五条なら本来はできるはずだよね?)

なぜなら上層部社会の一員だから

そして羂索と九十九由基の間で、呪術社会がどのようにあるべきなのか、という思想がはっきりと示される。


そういう統治の難しさを描く方向性にすでにフェーズが移ってる。

なので社会の中でアウトサイダーや一匹狼が主役足りうる時代では既になくなってる。

単に悪い部分を指摘して満足するんじゃなくて自分たち民主主義の一員であることを踏まえて

社会組織とどのように関わり、どのように行動すべきなのかを描いてる作品が増えてるから個人的はいい傾向だと思うけどね。

2021-08-22

anond:20210822083746

いや鬼滅は体制側だよ

鬼という異常者を普通人間の側が切り捨てて行く多数者が少数者を駆逐する話

この場合体制とはノーマル人間の側の事で、鬼達はそこからこぼれおちたアウトサイダー

体制政府ではない

2021-08-20

フィクションまで正しい人間が勝つのが息苦しい

性根が腐ってたら幸せなっちゃいけないの?

自分は正しくないサイドの人間だ。

ドラマ漫画だと、確実に断罪されるサイド。

つっても巨悪を為せるわけじゃなく、ヤンキー半グレのようなアウトサイダーですらない。

ただのクズである無能な小悪党というところだろうか。

クズといっても、カイジみたいに土壇場で輝くタイプでもない。

ただ、純粋に怠け者で、性格が悪く、無能で、人とコミュニケーションを正しく取れない人間だ。

人は変われないので、自分は多分、もうずっとこのまま生きて死ぬ

タイトルに戻る。

フィクションの中でまで、正しい人間が正しく勝つというメッセージに溢れていて息苦しい。

努力が報われるのが嫌だ。

人の気持ちを考えられない人間が叩きのめされるのが嫌だ。

不正する人間が当然のように罰せられるのが嫌だ。

何故なら、現実がそうだからだ。

私は立ち上がる気もないし、他人幸せにする気もないし、やって当然のことをめんどくさいという理由だけでやらない。

から私は幸せ人生を歩んでいない。

それは当然のことだから別に構わない。自業自得だ。

でも、フィクションの中でまで、倫理的に正しい人間が勝つというメッセージに溢れているのは、どうなんだろうと思う。

現実悪人がのさばるからこそ、フィクションで倒すのだという考えもあるだろう。

現実楽しい思いをしている悪を裁くのはわかる。例えば金を持っている悪人だとか、暴力他人支配できる悪人だとか。

自分弱者であるがゆえに悪人であり、悪人からこそ弱者というタイプからフィクションの「悪役」にほぼ感情移入できない。

みみっちい嫌な人間が、みみっちい嫌な人間のまま、救われて欲しい。

不徳が不徳のまま肯定されて欲しい。

当たり前のことが当たり前に起きる、救われないフィクションではなく。

我が儘というのかもしれないが、我が儘を肯定してこそのフィクションではないのか。

人は空を飛べないけど、だからこそ、空を自由に飛べるフィクションがあるのは許されるはずだ。

世の中、実は自分みたいな人が多いことを期待する。

数があればそれは需要だ。

需要が隠れているだけなら、そういう作品も増えるだろう。

2021-07-27

いずれオタクカルチャーも変化することが怖い

オリンピック開会式によってオタクカルチャー市民権を与えられ(たかのように演出され)、少なから政治的土俵に上がることを余儀なくされた。

マジで放っておいてくれ。

もう既にお上に認められたとキャッキャする権威主義党が顕在化している。本当に放っといてほしい。

アウトサイダーとしての生き方は学んでいても、マジョリティ生存戦略なぞオタクは知らんのだから急進的に拡大躍進しようとせず、まずは得られた今日自由を守っていこうよ。

勝手もいいですけど、調子にだけは乗らんでくださいよ!ホンマ勘弁してほしいわ

2021-07-20

Quick Japan』95年3号 「いじめ紀行 第1回ゲスト 小山田圭吾の巻」 4

anond:20210720235609

沢田から年賀状

「肉体的にいじめてたっていうのは、小学生ぐらいで、もう中高ぐらいになると、

いじめはしないんだけど……どっちかって言うと仲良かったっていう感じで、

いじめっていうよりも、僕は沢田ファンなっちゃってたから。

でも、だからもう、とにかく凄いんです、こいつのやることは。

すっごい、バカなんだけど…勉強とかやっぱ全然できないんです、数学とかは。

でも国語テストかになると、漢字だけはめちゃくちゃ知ってて、

スッゲェ難しい字とかを、絶対読めないような漢字とか使って文章とか書くのね(笑)

文章とか、もう支離滅裂なんだけど、漢字だけは、

もう難しい漢字で、しかも字が、原稿用紙に四マスに一文字の大きさで書いたかと思うと、

次に、一マスに半分ぐらいの字で書いてたりとかして、もうグッチャグチャなの。

それで、年賀状とか来たんですよ、毎年。

あんまりこいつ、人に年賀状とか出さないんだけど、僕の所には何か出すんですよ(笑)

で、僕は出してなかったんだけど、でも来ると、ハガキに何かお母さんが、こう、線を定規で引いて、

そこに『明けましておめでとう』とか『今年もよろしく』とか鉛筆で書いてあって、スゲェ汚い字で(笑)

「あと、こいつの凄いのは、学校の名簿を休み時間の間とか、ずーっと見とくのね。

それで全部覚えてるのね、名前クラスと、お父さんお母さんの名前とかも、

住所と電話番号と、他のクラス兄弟いるかとか、そういうのも全部知ってて、

学校に行く途中とかに沢田に会うと、全然知らない下級生について

沢田ぁ、あいつの名前何て言うの?』って聞いたら、『なんとかかんとか』って言って、

『住所は?』って聞くと、『なんとかかんとか』って言って、全部知ってんですよ(笑)

「で、朝、こいつすっごい早く学校来るのね、誰もいない時間かに遅刻とか絶対しなくって。

たまに僕、朝早く電車に乗ると、こいつもう、電車の中で超有名人で、他の学校かにも。

朝、いつも小田急線の中で、『コケコッコー』とか言う声が聞こえるんですよ。

そうすると『あ、沢田がいる』(笑)ってみんな分かって。

朝、絶対小田急線の中でニワトリの鳴き声がすると、『あ、沢田電車に乗ってるなぁ』という」

中学時代はねぇ、僕、ちょっとクラス離れちゃってて、あんまり……高校でまた、一緒になっちゃって、

高校は、出席番号が隣だったから、ずっと席が隣だったのね、それでまたクラスに僕、全然友達いなくてさ(笑)

―――お互いアウトサイダーなんだ(笑)

「そう、あらゆる意味(笑)。二、三人ぐらいしか仲いい奴とかいなくて、

席隣りだからさ、結構また、仲良くなっちゃって……仲良くって言ったらアレなんだけど(笑)

俺、ファンからさ、色々聞いたりするようになったんだけど。

でも、高校になったらねぇ、暴れ出すとか、そういう回数は減ったんだけど。

ま、相変わらず、ウンコ漏らしたりするのは週一ぐらいでやってて、

とにかく最初の頃は、デビュー当時っていうか(笑)

ウンコ漏らすって言ったら、それはもう学校中のイベントなっちゃって、

たいがい、ウンコ漏らしたトイレに行ってさ、先生が全部、パンツズボンを脱がして、

ホースで水かけてさ、ジャーッとかやってるんですよ(笑)。それで午後はジャージになってて」

ジャージになると、みんな脱がしてさ、でも、チンポ出すことなんて、

別にこいつにとって何でもないことだからさ、チンポ出したままウロウロしているんだけど。

だけどこいつチンポがデッカくてさ、小学校ときからそうなんだけど、

高校ぐらいになるともう、さらデカさが増しててさ(笑)

女の子とか反応するじゃないですか。だからみんなわざと脱がしてさ、廊下とか歩かせたりして。

でも、もう僕、個人的には沢田ファンから、『ちょっとそういうのはないなー』って思ってたのね。

……って言うか、笑ってたんだけど、ちょっと引いてる部分もあったって言うか、

そういうのやるのは、たいがい珍しい奴って言うか、外から来た奴とかだから

next: anond:20210721000134

anond:20210720135829

まぁ部分部分ではそう感じる人もいるかもね。否定はしない。

松本人志の「働くおっさん劇場」も今となっては見る人によって悪趣味に見えるだろうし。

ただ、いじりながらも彼らへのリスペクトは感じる。野見さんを俳優として起用してたわけで

プロレス技をかけるのは、昔は友達同士で普通にやってたからね。

(今ではそれもいじめということなんだろうけど)

同じように小山田も、例えばS君に対しては彼の「ファン」だったとか「天才」って表現していて、

おそらくアウトサイダーアーティスト自分には持てない才能)に対するの一種の憧れみたいな感覚

だったんじゃないか自分は思うけど。「葬式ごっこ」みたいな陰湿いじめとは違うかと。

2021-07-11

子持ち専業主婦日記で書き散らしてた冨樫義博周りの妄言を公開する

10:56

冨樫義博作家性って誰か書いてないのかな

あの人の話って(ないことにされてる)デビューから最新作まで、何かしら通じるテーマ、また一貫性がある

てんで性悪キューピットからレベルEまで、話のオチっておんなじなのよ

例えば幽遊白書なら、人間界妖怪世界、二つの世界生き方、また価値観の相違があって、その架け橋になるのが主人公たちなのよね

で、結局その二つの世界と“人々”が行き交い繋がり合うところで幕が降りる

先生白書のほうでは、元アシスタントさんが冨樫先生は、「子供たちを楽しませるために書く」って明言してた箇所がある

の子供を楽しませる、という言葉意味を深掘りしてみると、また違った読み方が可能になる

もちろん少年漫画としてのフォーマットで、緊迫のバトルシーン、また友情努力勝利理想的少年少女像も描かれる

とはいえ、あの人の描写大人が見てもえげつなさを感じるものが多々ある

児童心理学のほうでは、子供にとって最も恐ろしいのは、自分世界情報から遮断されてると感じること…なんて言われてる

あの人は子供を楽しませるために、の他に、また別の主題があるんじゃないだろうか

砂糖をまぶしたようなユートピア的なおもしろおかし漫画でなく、現実で実際に起こってる恐ろしい事件出来事ファンタジー世界に落とし込んで描く

彼は真に子供たちのためを思って、あえて大人でも重いテーマ、また描写を繰り返し描いてるんじゃないだろうか

最近特に多様性ブーム”、“LGBTブーム”だなんて言われてるけど、彼は90年代からトランスジェンダー高校生主人公スポーツ漫画を書こうとしていた

レベルEでは(おそらく)インターセクシャルキャラや、またレズビアンについて踏み込んだ一章がある

この世界があまりいいもんじゃないのも、人間関係なんてめんどくさいだけなのも、人生が惨めなのも、そんなことある一定の年を重ねれば皆分かってるよね

でもだからこそ、理想に向けて努力すること、お互いを尊重し合いながら対話を重ねることが重要視される

冨樫先生はかなり初期から文化多元主義ジェンダー論、クィアスタディーズ先進国途上国搾取してゴミ押し付けること(この辺りはバーゼル条約環境レイシズムとか、流星街辺りの問題かな)などなど、いろんな社会問題に切り込んで来た作家だと思う

その作風はきっと、この惨めで誰も救われない世界で、子供たちがなんとか問題に立ち向かって、また世界をより良くして行くための一助になる、そんな後押しをするためのものだったのかと思う

まぁあと、大人としての責任感という見方も出来るかな

だってこのいびつ社会を作ったのは他ならない私たち大人だもん

少年ジャンプターゲット層は小学生から30代ぐらいの大人だって聞いた

大人として読む(また創り描く)としたら、作品内での残酷描写は避けられないだろう

またその意思無視して読むとしたら、受け手として無礼じゃないかとも思う

12:26

蟻篇あとのヒソカ人気下落、あれって選挙篇辺りがつまらない…よりかは、蟻篇が突出してたからじゃないか

まず蟻篇だとメルエムコムギ本来“分かり合えない”者同士が友愛で結ばれる、またコムギのような視覚障害者が才能を発揮する…とか、大切な友達を助けるために自分の命も惜しまない、弱い者を助けるために強い者が立ち上がる、もし罪を犯したとしても更生することが出来る、どんな姿になり果てても親子の情愛は不変のもの、そういう至極まっとうだけどいざ自分でやるとなったら難しい物事、ある種の人類普遍理想を描いちゃったからじゃないか

その後でヒソカとイルミがキルアたちを追い掛ける話なんて読んだら、大の大人子供相手に何してんの?って感じられても仕方ない…

それにヒソカは確かにキャラだったけど、王様とか会長には敵わなさそうじゃん

その上会長がもう常人には理解不可能な域まで修行でイッちゃって、ヒソカより手強い狂人キャラが出て来ちゃったわけだもん

ヒソカサイコパス診断で測れるタイプだけど、会長のはもうヤバいとこ行きまくりで誰も理解出来ないでしょ、感謝の正拳突きとかマジで意味不明じゃん…

あと、ネット上で書き込んでる人たちが大人として成長したって見方も出来るかな

中高生ぐらいで読んでたら頭が切れてヤバいことなんでもやっちゃえて、世間の枠組みから外れてもたった一人で生きてける…そんなアウトサイダーに惹かれるのは当然だろうしさ

でも今メインでハンタ追ってるのってとっくに成人済みの人たちでしょ

身も蓋もないこと言えばあれ単に人殺しだもんな

最近ヒソカへの幻滅って、別に悪いことじゃないし、今後のエピソードに期待大って印象かな

体とか心壊してんなら仕方ないけど、ただ面倒なだけなら冨樫仕事しろ

2021-07-10

anond:20210710094613

ダンコガイ不登校児だったから、クラスの変な奴という括りを飛び出して完全にアウトサイダーだし

本人もその程度の自覚はあるだろ

コミュ力ある風にも振る舞ってない、むしろコミュ力なんて笑い飛ばせるほど腕が立つマッチョ仕草お家芸

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん