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はてなキーワード: 生存とは

2018-10-12

anond:20181012013451

いや、チャリティー人権かに関しては立派な所があるのは認めるけどけど、基本的にはコッテコテ生存バイアス掛かったネオリベだと思うよ。

色々あって前を向けない人間にとってあれほど残酷存在もないと思う。

2018-10-11

フェミが良くないとか男が良くないとかって本質を見誤りすぎだと思う。

そもそも人間生存して、飯をグチャグチャ食ってなんかよくわかんないきっかけで人を好きになったり嫌いになったり性的に見たり急に見れなくなったりすること自体がかなりキモいってことに気づくべきだよ、ネタじゃなくて

生存が悪いし、出生が悪い。本質的な問題は反出生主義者と反出生主義にまだ目覚めていない人間の間の闘争であって、結局出生主義側の主張はどの派閥も同じ穴の狢っていうわけ

2018-10-10

[]若おかみは小学生!

若おかみは小学生!』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨です。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向け。またこ作品書籍漫画版アニメ版あるけれど、それらは横に置いといて映画の話します。

総評

これは120点っすな。点数の基準は「上映時間映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」なので、「見れて大満足! もうちょいお布施したい」でした。

演出とは裏腹に内容的にはかなりヘビー(というのを見越して爽やかで明るい演出を用いていた)なので、児童文学原作でお子様向け痛快娯楽活劇とは言い切れないんですが、個人的にはクオリティさえ伴えば子供を思いテーマや悲しい作品でぶん殴ってもええやないか、いてもうたれ、子供ってのは子供なりに受け取るんだ派なので、クオリティでぶん殴ればいいと思いますふるぼっこドン

この映画に関してはTwitter児童労働がどうのこうのという話もちらりと耳にした程度で事前情報収集もなく見に行ったんですが、そういう物語じゃなかったですよ。

喪失を乗り越えるという話

じゃあ、どういう物語だったかといいますと、大きく2つの柱が絡み合うストーリーでした。それは大きなテーマで言えば「喪失を乗り越える」と「自分自身と居場所を見つける」という話。

初っ端から重いですが、主人公である女子小学生・関織子(通称おっこ)は、本作冒頭の交通事故において両親を失います。もうこの時点で軽い話になりようがないわけですよ。にも関わらず事故被害のシーンはグロカットされ、葬儀とそれに続くドタバタのシーンも描写はされず、おっこは新生活の場であるところの、祖母の営む温泉旅館「春の屋旅館」へと向かいますトランクひとつ持って別に落ち込むわけでもなく、ちょっと大変なだなあくらいの顔色で一人旅をして、到着し、新しい部屋(いままでのマンションとは違う昭和的な和室)を与えられ、転校して新しいクラスメイト挨拶をして、ひょんなことから家業である温泉旅館を手伝うことになります

若おかみは小学生!』って言うタイトルから当たり前ですが、こうして女子小学生おっこの若女将修行生活が始まるわけです。

「春の屋旅館」がある「花の湯温泉」は歴史のある温泉街で、古都然としたまちなみに浴衣姿の観光客が歩く割合賑やかで、カラフルな町です。この辺音楽美術演出あいまって、しみじみと明るく暖かく描かれていて雰囲気良いですね。美術レベルは高かったです。

でも、この明るく爽やかなあたりが(とうぜんそれは演出意図に沿ったものなんですが)、ある意味ホラーでもあるわけです。

小学生児童にとって、両親を失うというのは、最愛家族を失うということであるのみならず、加護者も生活基盤も導き手も失うということです。もう、それは世界崩壊かいレベルでの悲哀なわけですよ。

にも関わらずおっこはそこまでの苦しさを見せない。両親を思い出してちょっとうつむくことはあっても、笑うし、日常生活を送るし、新しい出会いにも前向きでいる。それはよく考えればとてもとても異常なことなわけです。

異常なおっこの新生活は、やはり物語後半に向けて徐々に破綻してゆきます。「両親がまだ生存していて自分と一緒に暮らしている」という幻想を何度もみてしまうおっこは、あるシーンにおいて事故の原因となった(もちろん別のですが)大型トラックを見て、事故フラッシュバックから過呼吸になってしまう。おっこは、両親の喪失という悲しみを乗り越えたわけではなくて、ただ単に今まで封印をして日常生活を演じていたに過ぎなかったわけです。

あらすじなんかにおいて本作は「主人公おっこの成長を描く」なんてサラリと書かれているわけですけれど、それは不誠実な欺瞞であって、おそらくおっこの身になってみれば、それは成長じゃなくて引きちぎられてバラバラにされてしまった自己の修復というサバイバルなわけです。失った何かから目を背けて、決定的な破綻をしないようにごまかしながら疾走するというのが、この物語の前半部分でした。

自分自身と居場所を見つけるという話

そういう意味で、おっこが若女将をやるというのは、児童労働とかそういうレイヤーの話ではないのです。両親を失って加護者も生活基盤も支えも失ってしまったおっこにとって「いまできるなにか」に必死に飛びついて自分を騙そうとしていたとも見ることができます祖母である旅館経営者(現女将)の後継者問題という、旅館側の都合があったにせよ、おっこが旅館雑務に飛び込んで笑顔で充実していく背景にはそれがあるはずです。

事実おっこの若女将雑誌に取り上げられて評判を呼ぶという広告的な価値はあったものの、従業員としてみたとき、お客さんに感情移入しすぎて夜闇の中に駆け出すなど(一般的社会人価値からすれば)行き過ぎな面もありました。

でもそれも仕方がないと思うのです。両親という生活基盤を失ったおっこは、同時に目指すべき将来の自分像も失っています。「将来こういう自分になったらいいな」です。その空隙を、目の前に提出された安易な「若女将」で埋めてしまったわけですから、その意味では、おっこの若女将労働としての若女将ではなく「若女将ごっこ」でもあって、つまりはある種の自分の居場所探しなわけです。

たとえおっこ自身がそれを言語化できるレベルで気づいてなかったとしても、まだ収入もなく住む場所自分では決められない小学性にとって、他にできることなんて事実ないじゃないですか。それはせめて居場所を獲得するという生存努力です。

おそらく祖母はそのおっこの悲痛に気がついていて、周囲が無責任に「若女将誕生!」とはしゃぐなかで、決して自分からは手伝え、継げとはいいませんでしたし、おっこの労働危惧してた素振りも見えました。経営者として「子供接客なんてさせられない!」と拒絶することもできたでしょうけれど、おっこから女将をとりあげて、じゃあ不安定彼女精神に何をしてあげられるかと言えば何もない。だから黙認しかないわけです。

だいたい「自分自身と居場所を見つけるという話」なんてもの現代社会において、大学卒業して就職して一年二年経った青年が、俺はどうやらこういう方面には我慢が効くがこういう方面は苦手だぞ、どうやらおれはこういう仕事とこういう人間関係の中でなら生きていけそうだ――みたいなのをやっとこさやるものなわけで。そんなものを、小学生が引きちぎられるような喪失を乗り越えるのと二正面作戦でやるのは無茶というものです。

そういう意味では、周囲の大人たちはもうちょいどうにかフォローしてやれなかったのかよ、とも感じるんですが、でも逆にそれこそ大人視点傲慢物言いであって、大人だろうが子供だろうがどんな人間でも自分自身の心の中の悲しみや未来とは、自分一人で向き合うしかないというのも一面の真実です。

おっこは画面上の軽やかさやおっちょこちょいさに隠されがちですが、実は誇り高い女の子です。特に自分が設定した自己目標に対しては愚直なまでに誠実です。だからこそ、宿泊客のために対立している真月に頭を下げて教えを請うこともします。その実直さが両親を失うという危地の中で彼女孤立してしまった原因だし、それが巡って彼女の味方を増やす原因でもあったのは素敵だったと思います

ふたつの話の交差点

おっこは「喪失を乗り越えること」から逃避して、目の前のロールである女将に飛びつき、そこで必死に働くことによって苦しかった過去ある意味塗りつぶそうとしたわけですが、その逃避が「自分自身と居場所を見つける」ことにつながってゆきます

幾つかの出会いがあって、目指すべき未来のヒント、ロールモデル出会います。たくさん登場人物がいるのですが特筆すべきなのは三人でしょう。

まずは旅館女将である祖母。登場シーンは少ないのですが、彼女個人人格職業倫理が融合してしまったあの佇まいは、今は亡き母経由もふくめておっこの誠実さの根っこのように思います職業倫理がついには人格化しちゃうって、昭和的な善人のあり方としてすごく共感できるんですけど、今の時代では流行らないのかもしれないと思ってちょっとロリしました。

二番目には、おっこの同級生、秋野真月(大旅館の跡取り娘、通称ピンフリ)でしょう。この娘は小学生女子なのですが、広い視野旅館業と湯の花温泉京の未来を見つめていて、顧客に対して誠実であろうという、幼いながらある種の達人系キャラです(傲慢物言いをする残念キャラでもあるのですが)。この娘と同年代として出会うことができた、ライバルとして対立したり和解したりできた、というのはおっこを取り巻く幸運の中でも格別のものでした。彼女との交友は、悲痛から逃げ出して飛びついた「若女将ごっこ」に、その内実の精神性を加えて「本当の若女将」へ進化させてくれたと思います

(余談&劇中では語られませんが、温泉郷に住まう子供の中でも誰よりも本気で町の未来について抱え込んでしまってる真月の孤独にとって、その孤独の闇に現れて、自分の高さまで登ってくれると約束してくれたおっこの存在は、想像すると涙がこぼれるものが有ります。真月からみてもおっこは救いであったと思うし、そうだと良いなあ)

三番目は宿泊客である占い師グローリー水領です。長い黒髪をたなびかせたこ宿泊客は、都心部事務所を構える凄腕の女占い師なのですが、私生活での失意から「春の屋旅館」で飲んだくれ生活をしています

抑制的な演出描写される彼女鬱屈をおっこはどうにかして励まそうと、浴衣を着たことのないという彼女着付けを手伝います浴衣経験のそんな彼女艶姿におっこが感嘆した感想が「格好いい!」でした。

ものすごくさり気ないシーンだったのですが、それはおっこが喪失していた「自立した憧れるべき大人の女性像」を見出した場面だったんじゃないでしょうか?

私生活で辛いことがあっても他者に当たらず、それどころか宿泊先の幼い従業員おっこに気を使っておどけてまで見せる。グローリー水領はおっこ視点では「素敵な大人のお姉さん」です。その素敵な年上のお姉さんに、「可愛い」でも「素敵」でも「綺麗」でもなく「格好いい!」と小さく叫んだおっこに、少し泣けました。お洒落で(←女子小学視点では重要です)、颯爽としてて、自立をしてて、視線を合わせて話してくれる。そんなお姉さんはおっこにとってどれほど輝いて見えたことでしょう。暗闇の中で我武者羅に迷走していた、それでも笑顔だけは守っていたおっこにとって、それは小さな灯火で「未来自分」「目指すべき形」です。

祖母の言う「誰も拒まない花の湯」、同級生真月のいう「客を癒やすレストスペース」、女占い師自分仕事を「他人を励ます仕事」だと評したこと。それらは全て本作テーマに重なるパラフレーズです。そしてそういう人々の輪の中に、自分も入っていける。癒やしたり癒やされたりしながら前へ進んでいくコミュニティの一員になる。「若女将」という「自分自身と居場所を見つける話」は、おっこにとっては生存努力であり逃避だったわけですが、それを誠実に、ごっこから実体にしていくのならば、結局逃げていた「両親の喪失という苦しみを越えていく」につながっていくのだ、という脚本はすごく良かったです。

別れ

ここまで触れてませんでしたけれど、おっこには霊感があるという設定で「春の屋旅館」にきてから騒々しい幽霊少年やおませな幽霊少女出会い、励まされています。両親が今でも生存していて日常は壊れていないという幻想に悩まされていた頃おっこを支えていたこ幽霊たちですが、物語終盤でおっこから見えなくなってしまうという形で別れが示唆されます

でもそれは、おっこが人間社会のなかで居場所確立した――七つまでは神のうちといういわばまだ神様たちの一員であり神楽の主役でもあったおっこたちが、社会の中で着地して、痛みも悲しみも乗り越えていく季節がやってきたのだというエピソードです(おそらく魔女の宅急便黒猫ジジが喋れなくなる、も同様の構造ですよね)。

見終わってから気づいたのですが、この作品幽霊や鬼たちは、幼いおっこが空想したイマジナリーフレンズだとしても物語が成立するように設計されています

おっこは自分の中の勇気かしこさと一緒に自分の悲しみと戦った。「春の屋旅館」はその舞台であり、若女将はおっこが戦うための姿だった。

すべてのフィクションファンタジーなので現実視点を持ち込みすぎるのは野暮というものなわけですが、今後おっこは中学入学卒業して、大学はともかく高校くらいは出るはずで、一人前になるまで十年近い時間があります。(このお話のおっこは絶対旅館業一筋だと思うのとは別に一般化するのならば)そのなかで、旅館から離れるかもしれない。現実に寄せて考えるならその可能性は高い。

でもそんなことはおっこの戦いとそこで得たものとは関係がないわけです。おっこは若女将というコスチューム身分を手に入れたわけではなく、戦いの中で手に入れた人間関係自分自身がある。将来どこでなにをしようと、おっこの手に入れたものが曇ることは二度とない。それがこの映画の中心であって、それは児童労働とかそういうのではなく、もっとパーソナルで尊いものだったと思います

ps.おう真月ちゃんパート書き足したで!

anond:20181010131940

機械人類を云々は産業革命時代から使い古されてきたネタなので、少なくとも今まで考察されてきた人類全体の生存に関わる部分にまでは踏み込まないよ

もし人類全体の生存に関わる部分にまで踏み込む状況はたった1つしかない

「踏み込んでも踏み込まなくてもそれが起きれば人類全体が死滅する」という状況

まりどういうことか?と言えば「特効薬を使わなければ人類全体が死滅するのは確定的だが特効薬副作用人類死滅する可能性がある」みたいな状況のことね

anond:20181010002331

法律守れという主張のみだったらこうは感じなかったし先方(いわゆるフェミ)もべつに法律は破ってないんよなあ

実際キズナアイ生存してるし

2018-10-08

昔あるジャンルのあるCP個人サイトをやっていた頃のお話

=====

タイトルの通り昔あるジャンルのあるCPサイトをやっていた。

当時はツイッターなどもなく個人サイト全盛期。

キレのあるギャグとぶっ飛んだ発想で大好きな神サイトがあった。

サイトからももちろんリンクさせてもらっていて、

そのCP自体ジャンルの中でも王道というところからはそれていたので

界隈の狭さなどもあり拍手感想を言い合うというようないわゆる

サイト管理人同士の交流”みたいな感じで仲良くしてもらっていた。


それで、神がある時オンリーイベントで本を出すことになった。

自分はそのジャンルではオフ活動はしていなかったんだけど

人様のご本は買ったりしていた。

その時のイベントには行けなかったので神の本は通販で買うことに。


今のように誰にでも書店に当たり前におろせる時代ではなかったので

もちろんサイトのメルフォから申し込むタイプ個人通販

神は人気であらせられるので自家通販ともなれば申込みが殺到して大変だろうな…

○○です~と名乗ってお返事や反応のお手間を取らせてはいけないな、と

自分なりに気を使い、サイト名やHNなどは名乗らずに個人的に

こっそりと購入し存分に楽しませて頂いた。


その後、ある時神が再びイベントに出ることになった。

イベントといっても旬ジャンルでもなく、今のように

プチオンリーなどがばんばん開かれる時代でもなかった。

個人主催オンリーで、かつ、●●会館みたいな会場の部屋を他のジャンル

オンリーと仕切りで区切って共同開催!みたいな規模のイベントだった。

その作品原作の連載が終わってしまたこともあり、もうこういうオンリーイベント

開かれるのも最後かもしれないな…と思い切って遊びに行くことにした。


その時神のスペースにも行き、僭越ながら初めて直接ご挨拶させて頂いた。

挨拶をし、「新刊ください!!」と意気込んでいる私に神は

あっちょっとまっててください!」と奥から何かを持ってきてくださる。


神の手にあったのは私が以前通販で名乗らずにこっそりと購入した一冊目のご本。

その本は通販完売済みなので今回のイベントでは新刊販売のみだったにも関わらず


「どうしても○○さんに読んでほしくて…勝手に取っておいたんです。貰ってください」


と手渡され、あまり感謝めまいを起こしつつ

感謝気持ちを伝えるとともにこっそりと購入したこと

このまま御本人には言わずにおこうと心に誓った。

じゃあ一生黙ってろよって感じかもしれないけれども、

たまに思い出して心が暖かくなる出来事なのでいつかどこかには残しておきたかった。

貴重なご本を2冊所持してしまうことになり、

自分通販で買った際にその時は名乗らずともきちんと後日なりに

感想をお伝えしてればこういうことにはならなかったのかもしれないけど、

でも自分に読んで欲しい!って思ってもらえていることがとても嬉しかった。


その後自分サイトを閉じてしま特に個人的に繋がっていたわけでもないので

そのまま神とも疎遠になり、そのままだ。

今でもオタクをしているのか、オタクだとして何のジャンルにハマっているのか、

ハマっているとして同人活動はしているのか、SNSなどはやっているのか、何も知らない。

でも今でもたまに今どうしているのかなあ元気かなあ元気ならいいなあって思い出す。

ジャンルの切れ目が縁の切れ目と言ってしまえばそれまでだけど、

でも昔はそういうのがほとんだったように思う。

特に仲違いしたとか何かあったわけでなくても好意的でもいつの間にか

活動場所などが変わって疎遠になるパターンが多かった。

でもそういった疎遠には上記のような…たまに思い出す郷愁のような感じで悪い印象はない。


今はSNSとかがあってジャンルとかが変わっても付き合いがなくなっても

見守ったり生存確認はできたりする。

それっていいことかもしれないけど逆にずっと付き合い続けると疲れたり、

ちょっとした発言ひとつで幻滅したり、場合によっては縁を切ることになったりもするときもある。

つの間にか疎遠になってもずっと心の中でいい印象のまま変わらずいられることって

ある意味いいことなのかもしれない。


ちなみに今でもその同じ本を2冊とも大切に取ってある。

たまに見返す宝物である

2018-10-07

自分の屁はい香りがするのに他人の屁は臭い

という言説は

自分の好んで食べたもの排出されたら好みであるという原始的食事欲求なのか

他人は受け入れられず自分に関連する物だけ認めたいという利己的な生存欲求なのか

実際、生存が危ういレベルの貧しさに比べりゃ、先進国のそれもタワマン住まい母親の悩みなんざ高尚ではあるけどどうでもいい悩みに過ぎないんだよね

ただそういう輩が得てして弁が立つので、大げさに受け取られがちなだけで

2018-10-06

本庶佑さん

言ってることわりとブラックなこと多くね?

うわーこりゃ生存(者)バイアスかかってますねーって思った

2018-10-04

凶暴遺伝子堕胎されるべきか?

ある風変わりな遺伝子、「凶暴遺伝子」について話したい。

通常、遺伝子はそれを引き継ぐ個体ないし群に対してなんらかのメリットを与えることが多い。

例えば「消化器官」の遺伝子セットを持つ個体食べ物を消化する機能を得て、それを生存繁殖活用できる。

遺伝子にとって生物は「乗り物」のようなもので、遺伝子生物を害するより、繁殖を助ける方が「増えやすい」つまり残りやすい。そうやって例えば「口」や「目」を作る遺伝子セットは様々な生物に引き継がれ、現代まで残ってきた。

しかしこの凶暴遺伝子は、デメリットは明らかになっているものの、どのようなメリットがあるのかあまり解明されていない。どのようなデメリットがあるのか? 以下はチンパンジー集団から観測された、凶暴遺伝子を持った個体の行動である

・この遺伝子セットを持つ個体は、子殺しをすることがある。その死体を食うこともある。

・この遺伝子セットを持つ個体は、子育て放棄するケースが多い。

・この遺伝子セットを持つ個体同士は、互いに争うことが多い。殺し合いに発展することもある。

そして、なんとヒトにも同遺伝子を持った個体発見されている。そしてヒトの場合でも、この遺伝子による凶暴性は再現された。以下の統計は凶暴遺伝子を持っている人が、持っていない人に比べて犯す確率が高くなった犯罪リストである統計米国のもの

殺人:約10

強盗:約13倍

強姦:約44倍

さらショッキング事実として、死刑囚の約98%はこの凶暴遺伝子を持っていることがわかった。

ここからが本題だが、現代技術では、我々人類はこのような凶暴遺伝子胎児の時点から確認することができる。また、そのような胎児が生まれる前に堕胎することもできる。

公益を考えれば、犯罪率が高くなる遺伝子はもはや個人問題ではない。明らかに他人を害する可能性が高くなるような遺伝子を持った胎児は、堕胎されるべきだろうか?

2018-10-03

eスポーツが普及したら

俺は厄介おじさんになってしまうのではないか

 

俺は野球をみる親父が嫌いだった。

親父は寡黙で、常に不機嫌そうに見えるから感情の波がない人だった。

そんな親父が唯一感情を激しくさせるのが野球だった。

テレビに写ってるドラゴンズ選手に対して「バカヤロー!やめてしまえ!」「そんなミスプロならしないだろ!」と怒鳴り散らして、ドラゴンズが勝つと「よし!よし!」と上機嫌になっていたが、落合監督になってからは「落合がする野球はつまらない」といい出して常に不機嫌だった。

そんな親父に対して俺は「自分はそんな動けないくせに」と思っていたものだ。

 

eスポーツが活発になり、TwitchやYoutubeLiveで毎日のように誰かのプレーをみる。

自分レインボーシックスシージというゲーム特に気に入っており、そんなこんなして3年になる。(FPS自体もっとやっている。12年ぐらいか。)

レインボーシックスシージは、日本選手の賞金受け取りが出来ないことで一時期話題になったゲームだが、ほぼ毎週のようにプロ試合配信される。

最初のうちは勉強になることばかりで楽しくみていた。

変化が訪れたのはランクマッチである程度ゲームメイクができる程度にうまくなってきてからだった。

 

これは自戒だ。自戒なのでありのまま書くが、他人が下手に思えて仕方がない。

気がつけば、プロリーグでいい所で負けてる選手に「そこはそうじゃねーだろ!」とつぶやいているし、自分が先に死んで味方のプレーをみてるとき馬鹿みたいな動きしやがって」と怒り除外投票を入れる。

馬鹿みたいな動きをしているのは自分である

当たり前だが、プロリーグの選手に勝てるほどの腕は持ってないし、生存時間が短いプレイヤー生存時間が長いプレイヤー文句を言えるはずもない。

 

今でも十分な厄介おじさんで範囲が狭いかレインボーシックスシージの民度を下げているだけに留まっているが、レインボーシックスシージはこういう人間が4~5割いるので、これがeスポーツが身近になり、発展していったら、その4~5割の厄介おじさんはもっと広い世界で厄介を起こすことになるんだろう。

あの日の親父になりつつある。いや、もうなっているのだろう。

でもよかった。リアルでそれを知る人物はまだ居ないのだから

2018-10-02

anond:20181002213146

動物実験レベルですが、フェイクボディからの疑似信号だけで短くとも3年間程度は生存できました。

平均的には10年くらいは平気みたいですが、長期に渡り物理ボディとの接続がないとデバイスドライバ意味消失して物理ボディに戻れなくなるみたいです。

その場合リハビリテーションか最悪増設ってことになるでしょうね…。

だって乳がんになるし、女性に比べて他の組織転移やす

高齢期に発症するため生存率が低いわけで、これからピンクリボン運動アラ還おっさんにも焦点を当てるべき

2018-10-01

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181001-00000047-mai-soci

富田林で逃走した容疑者日本一周自転車旅行者を装ってたんだって

こいつって生存能力高いよな。万引きしなきゃ捕まってなかったし。

ウェアとかサングラスとかしてるし。犯罪者を称賛するのおかしいけど、こいつはすごいわ。

anond:20181001170529

適者生存強者生存ではないというのはそういうことだね

2018-09-29

anond:20180929234753

いいことに気づいたね。

クジャクの綺麗なオスがメスにモテるのは、見た目が綺麗だからじゃない。

生存に役立たない羽の色に余興として注いでも困らないほどの豊かな生命力を持っているからだ。

anond:20180929201343

続き

終局のタイミング

自分の陣地を増やしたり、相手の陣地を減らしたり、ゲーム得点に影響を与える地点がなくなったら、これ以上打っても意味ないよね、という事で終了となる。

初心者のうちは見極めがつかないので、空白を埋めるまで打っても特に問題はない。

終局の図を見てみよう。

図1

https://gyazo.com/a30c34fd2e38334993e4af654f786aa9

左側が黒地、右側が白地と別れている。

白の中腹に黒△とあるが、これは死石なので放置してこのまま終局となる。死に石は、アゲハマと同じ扱いで、相手の陣地へ返すことになる。

さて、ここで問題なのは、△は本当に死んでるの?ということだ。

石の生き死にで言ったように、石は盤上で2つ眼を持てないと必ず死ぬ

この黒△は将棋で言えば「詰んでいる」状態だ。

本当に詰んでいるかどうか試しに打ってみよう。

この黒△の目標は「この限られたスペースで二眼を作る」か「相手の石を取って、生存グループの石とつながる」の二択である。このどちらかを達成できない場合、「死んでいる石」となる。

黒はそれを上記2つを目標に打ち、反対に白はそれをさせないように打つことになる。

図2

https://gyazo.com/e5ed18fba61547885f69a9a57a0358d2

進行例の結果、この黒△はそのどちらの目標も達成できない石、つまり死に石であることが明らかになった。

まり、図1の時点で問題なく終局していた。ということになる。


初心者のうちは、見極めが難しいので最後まで打ち切ってもなんの問題もないので、きれいな終局にこだわる必要はないです。

である調疲れたので、ですます調で行きます





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anond:20180929195103

続き

石の生き死に


終局を理解するために大切なのがこの石の生き、死にという概念である

図1

https://gyazo.com/bf364ad38957405c6a3c67d3d7941b35

図1の黒は「死んでいる石」の例である

死んでいる石は、この後、どうあがいても取られる運命にある。


図2

https://gyazo.com/97408f59802e94269af271dc4e8e4234

また図2の黒も「死んでいる石」である

△のダメは空いているが、この後黒からなす術なく白に取られてしまう。

続いて図3は生きている石の例。

図3

https://gyazo.com/69a74ab5e96df75c28219d924e5a32ce

一見さきほどまでの黒の一段と差がないように見える。しかしこの黒は「今後絶対に取られない石=生きている石」となっている。

白が左辺の3手を打った後、黒には△と□の2つのダメがある。

ここで着手禁止点のルールを振り返ろう。

碁では、盤上で存在できない地点は打てない。しか相手の石を取れる場合例外となる。

図1,2の石では、周囲のダメが埋められることによって黒の一段は取られる状態の石となった。

しかし図3では、ダメが2つ内側にある。

こうなるとどうなるか。白は△には着手禁止点だから打てないし、□も着手禁止点だから打てない。

まりもう白からこの黒の一団へ手出しする手段がないのである


聡明増田ならもうおわかりだろう。

着手禁止点を2つ内側に持っている石は「絶対相手に取られない」のである。この内側のスペースの事を「眼(め)」と呼ぶ。

面白いのは、囲碁には着手禁止点のルールはあるが、「2つの眼を持っている石を取ることはできない」というルール定義されているわけではない。

最小のルール構成でこういった無敵状態の形が出来上がるのが囲碁の魅力のひとつだと思う。

生きている石は存在でき、死んでいる石は存在が将来的に抹消される


終局を理解する上で、この石の生き死にの理解必須である

囲碁の陣地というのは、「生きている石」の内側の領域のことである

石は基本的には、盤上で眼を2つ持てないと、あわれ死ぬ運命にある。短期的には生存していても、長期的にはどうあがいても一眼では存在しえないのだ。

これを理解して初めて終局のタイミングも掴めるようになる。



次⇛https://anond.hatelabo.jp/20180929204243

2018-09-27

anond:20180925104434

そう読んだとしたら、申し訳ないが誤読しか言いようがない。三段落で私は、いま弱者とされている人の生きづらさを解消することが社会全体にとって「利」なのだ、という話をしている。福祉行政目的、そして、私がLGBTの権利主張に同調するのは、それが「社会全体にとって利があるから」=公益のためだ。

そもそも福祉は「かわいそうな人のためにみんなが損をして『あげる』」ために行うのではなく、社会全体に安心(セーフティネット)を与え、無意味偏見を取り除いて社会の風通しを良くするために行われる。それに対して、既存社会のありようをただ守りたいというノスタルジーから反対する(つまり偏見に基づく差別肯定する)のは、率直に言って社会悪だ、と私は述べている。そこでは主に保守主義的な立場から批判に対する意見として述べたわけだが、仮にあなた立ち位置リバタリアニズムにあるのだとしたらもう少し違った説明をした方がいいかもしれない。

あなたの「弱者の側が社会に損させてでも自分利益だけを求める」という捉え方、言い換えれば「福祉は『お上から下される憐憫』」的な捉え方に基づけば彼らへの支出を絞るのが「公益」となるのだろう。だが、政治行政とは慈悲ではなく現実に即して行われている。社会弱者へのセーフティネットもLGB支援も、徹底的に「公益」に適う視点で行われているのだ。

もちろん、社会弱者に手をさしのべることが公益となる根底には、人間他者への想像力、同情、などの心情が働いていることは否定しない。それはたとえば、孤島に流れ着いた10人の集団が生き延びようと努力するとき怪我をした1人の仲間をどう扱うか、という問題に似ている。あなた、あるいはリバタリアンは「安い同情はやめろ。こいつはもう歩けるようにならない。ただの足手まといだ。せめて崖から突き落としてやるのが慈悲だ。」と主張するかもしれないが、リーダーがそのように振る舞えば、そこは弱肉強食バトルロワイヤル舞台と化すだろう。だがもし「歩けなくても、可能範囲でこいつにできる仕事を回して、協力して生きのびよう」という意見を述べるリーダーがいたら? そこでは弱い人間安心して社会の維持に協力できるし強い人間も周囲との競争リソースを裂くことな社会全体に貢献できる。バトロワ化した集団後者社会、どちらがサバイバルに有利かは明白ではないか

福祉とは公益に適う視点実施されているのであり、それに反する意見は端的に言って社会である」というのはつまりそういうことだ。後者リーダーの下で我々が安心して働けるのは、確かに我々が想像力を駆使しているためではある。また、そのような想像力の働きは「同情」という形で現れるかもしれない。しかしながら、人間がそういう生き物である以上、それを前提に社会制度は設計されなくてはならない。福祉実施されなくてはならないのは、先のように社会を一つにするための徹底的にリアルな「公益」に基づいている。このような認識に立つとき…つまり個人善意などには信頼したり頼ったりしない」という冷徹立場の上に、福祉実施されるべきである、というリベラリズムが成立しているのである

もう少し言えば、「同情」という心情が生き物としての我々の「心」にセットされているのは、おそらくそれが生存に有利だったからだろう、ということもたやす想像できる。ほ乳類進化していく過程のどこかで「同情」という心性が生まれ特に集団形成するタイプの生き物の中で生存に有利に働いた。たとえば犬、ウマなどは「同情」するし、サルはもちろん深く「同情」する生き物である。そのように私たちは「同情」する生き物なのだ。「同情」によって数百万年の間、過酷自然生存してきた生き物なのだ思想理論に偏らず、このように人間という生き物そのもの性質を踏まえた上でなければ、現実に生きて働く政治形成することはできない。

2018-09-26

anond:20180926003752

結局、休刊に追い込んだ側が悪い

新潮45には何の落ち度もない

って空気ちゃんとできてるじゃん。

今回も人権否定派の完全勝利となってしまった。

もはや国民としての生存資格を得るために、誰もが少数者弱者人権否定しなければならない。もうこの国は、先進国なんかではない。

anond:20180926111320

はいからどうも、進化論警察です。

進化とは、生存に優位な種が発展する作用ではなく、生存できない種が淘汰される作用です。

「優位でないと拒否される」はよくある誤解となります

今回の例えで言えば、ブスでも子孫は残せます

全ての男性美人供給されないのだから妥協する男が現実大量にでてくる。

まりブスは拒否されないのであります

もしブスであることが例えば初潮までに死ぬことを意味するなら、恐らくブスは淘汰されるでしょう。

が、そうではありません。

以上であります

2018-09-25

anond:20180925002755

Zネーション市民Zパートはそれに近い気がする。

ゾンビ禍の発生時にたまたま北極基地に勤務していた元ハッカー男で、

基地には備蓄食料とかやまほどあるし外は吹雪なので基本的ゾンビは近づけもしないという環境安全暮らしながら

他の生存者のためのラジオ放送を流している。

途中でシベリアンハスキーの犬も仲間に加わる。

anond:20180925002755

アホかな?

そんなの成立しないぞ

医者も薬もなく衛生状態が最悪の世界なんだから

ちょっと病気怪我が命取り

食料も水も電気供給源をメンテナンスする人間いるか

安定して手に入れられる

この間の地震で学ばなかったか

メンテナンスする人間がいないなら

有限の資源を食いつぶすだけ

手元の資源がなくなれば他の生存者との奪い合いだ

物資がなければ仲間割れもする

簡単怪我をするし治す手段もない

楽しい時間はあっという間に終わる

たまにゾンビパニックが起こった後も

割と平和に暮らせてます的な作品はあるが

あれはファンタジーの上にファンタジーを重ねてて面白くない

人類宇宙に出ず、繁栄し、詰むSF?

魔術的遺伝子操作により

生殖コストゼロ

単独生存可能状態で生まれ子供

あらゆる耐性を手に入れる

全てのエネルギー遺伝子レベル生来能力で取り込めるようになる

人類は一瞬の宇宙進出のチャンスを逃し

セックス魔境→共食い→単一植物

の道を辿る。

最終的に泥のような脳のみと化し、文明細胞間の電気信号としてのみ存続する。

地球ブラックホール似て非なる外部からエネルギー情報を吸うだけの特異点と化す。

人類はただ地球質量を増やすだけの現象となる。

但しその人類史は、太陽系の終わりとほぼ同時に終わる。

それまでは人類の総数自体は増え続ける。

エネルギー保存則的に、宇宙進出なしにこれを上回ることは有り得ない限界点に辿り着く。

後は、人類定義を弄ってやれば、内部の無駄信号伝達に費やされるエネルギーも減って繁栄速度があがるかも。

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