はてなキーワード: この街とは
本当に伝統と格式のあるお家とか昔からの花街の人とかは言われるような陰湿な感じがあるかもしれないけど、普通に生きててそういう人と接することはないのでそんなに恐れることはないと思う。
京都人全般に他人との距離感が広めなので、冷たいって感じる人はいるかも知れない。他人にいちいち介入しない、直接文句をつけたりしないってのが人間関係の基本にある。だから気楽なことも多い。
(で、表立って言えないから嫌味とか陰口とかってことになる。そういうのは聞かなかったことにして澄ましてるのが正解。深く関わらなければ快適に暮らしていける。だから、深く関わらないといけないような場所には住まないほうが楽。たとえば、昔からの路地奥の町家とか、祇園祭の山鉾が立つような地域とかにあこがれて住む人いるけど、町内会に入って近所の人とのしがらみができるとむっちゃしんどいと思う。)
あと、地域の格として、一条からどんどん下がっていくということはなく、今は四条烏丸を中心にした四角形「田の字」って言われてるへんが地価が高い、良い地域ってことになってる。(はてな本社もそのへんにある)
その外だからといって何か言われるということもないよ。市内は、伝統的なスラムって言われてるような一部地域以外は、まあごくごく普通の住宅街。さらにその一部地域も開発が進んで昔ほど殺伐としてない。(古い街ならどこの街にもそういうとこあると思うけどな。元遊郭、元処刑場、川沿い海沿い町外れ、不法入国者が住み着いたところ。)
で、市街からちょっと離れると幹線道路沿いにファミレスとかパチンコ屋とかがあって休みの日にイオンモールに行ったらだいたい近所の人に会う、そういう普通の田舎町。五条通は夜になると暴走族がうるさい。
タイトルのとおり、わたしはPOLICE TRIBE K-9を応援したくて、この文章をしたためました。
みなさまはPOLICE TRIBE K-9をご存じでしょうか。
ご存知でない方も、少しだけでもお付き合いいただけたら嬉しく思います。
POLICE TRIBE K-9の企画は2021年5月20日に発表されたので、来月で1周年になります。個人的には、もう1年!?と思わずにはいられません。まだ半年ぐらいしか経っていない気がしていました。
そもそもPOLICE TRIBE K-9がなんなのかというと、ほとんどなにも説明できません。めちゃくちゃおもしろそうな企画だということくらいです。
POLICE TRIBE K-9に関する情報のうち、現在知りうるものは以下のnoteに書かれていることがすべてです。
https://note.com/rangpong/n/n1b771feb789f
これだけです。ほんとうに、これだけ。約550文字だけです。
あとは、原作のお三方と原案協力のモンスターラウンジさんの、Twitterでの企画に関する告知、+iNNOVAT!ONさんのWebページのみ。(抜けがあったらすみません)
ちなみに、TwitterでPOLICE TRIBE K-9と検索してみると、1か月に1回程度はどなたかが言及されています。なお、鍵垢のツイートは閲覧できないため、オープンアカウントのツイートのみを計算に入れています。日本語以外だとタイ語での言及がかなり多いです。とはいえ、数多の覇権ジャンルと比べると、ツイート数がそもそも微々たるものと言わざるをえませんが。
わたしは、POLICE TRIBE K-9の企画を深見真さんの告知ツイートで知りました。そして、リンク先のnoteを読み、POLICE TRIBE K-9の魅力に取り憑かれ、日々POLICE TRIBE K-9に思いを募らせ、そして今に至ります。
主人公の凛々しい表情、相棒のあきらかに訳ありな雰囲気、ロボット警察犬、そのすべての造形がかっこいいし、ロゴもおしゃれ。主人公と相棒とロボット警察犬のそれぞれが違う方向を向いているのもどことなく不穏で、展開がとても楽しみです。
背景も、満面の笑みのキャラクターがかえって疑わしいうまい安い愛情串焼きや、VRカラオケの看板など、気になる点はたくさんあります。それから、日本語だけでなく韓国語や中国語の看板が混ざっているのも、風情があっておもしろいです。この街がメチャクチャになったらさぞかしおもしろいだろうなと思います。
また、noteのヘッダーのイラストも素敵です。なぜなら、このイラストからは、運転は相棒が担当していることが読みとれるからです。POLICE TRIBE K-9について開示されている情報は非常に少ないので、偶然や持ち回り、じゃんけんやコイントスなどで決めているという可能性は捨てきれません。しかし、運転をどちらが担当するのか、それだけでも貴重な情報です。物語の開始の時点で、元テロリストの相棒に運転を任せられる程度には信頼関係を築けているとするならば、そこには長年の付きあいが感じられ、その過去にも興味が湧いてきます。
次に、設定とその世界観。
わたしはPSYCHO-PASSシリーズがとても好きなのですが、そもそも原作のお三方がPSYCHO-PASSに関わっていらっしゃる方々なので、POLICE TRIBE K-9に惹かれるのは必然といえば必然なのでしょう。
noteはこのアオリからはじまりますが、インフラの民営化によって起きた社会問題などを目にする機会が多いので、政府を民営化する設定は非常に真新しいものに感じられました。しかも、損得勘定で犯罪捜査がなされるということです。任務記録が録られるようなのである程度は信頼性が保証されていそうですが、なんだか最悪な気がします。POLICE TRIBE K-9の世界はディストピアなら、ディストピアでの新時代人情ポリスストーリーはおもしろいに違いないし、もしくはユートピアでも意外性があっておもしろいです。どちらにせよ絶対おもしろい。
民間運営社会ならではの問題や凶悪犯罪に立ち向かう! とnoteには記載されているのですが、POLICE TRIBE K-9の世界における社会問題はどんなものなのかをあれこれ考えるだけでも楽しいです。ただ、わたしのような凡人の素人に考えつく民間運営社会ならではの問題や凶悪犯罪は描かれないと思うので、わたしの妄想は割愛します。
PSYCHO-PASSにおけるドミネーターや機龍警察における機甲兵装など、捜査ガジェットの存在は近未来の警察を描く物語においては重要な地位を占めていると個人的には思います。
POLICE TRIBE K-9では、「強化外骨格に変形するロボット警察犬「アニマルユニット」のダンディー」がそれにあたると思われます。もちろん他にもあると考えられますが、いまわかるのは強化外骨格に変形するロボット警察犬「アニマルユニット」のダンディーだけです。
強化外骨格、すなわちパワードスーツというだけでもアツいにもかかわらず、変形が可能ということなので少なくとも一粒で二度のおいしさは保証されています。最高〜!パワードスーツ大好き!!
ロボット警察犬が汎用機なのかどうか、価格帯はどれくらいなのか、どの程度流通しているのか、祝民間警察事務所は小さい事務所とのことなので、大手事務所ではどんなロボット警察犬が導入されているのかなど、ロボット警察犬について考えはじめたらきりがありません。
また、最後のセリフで「第一種武装展開」とコールされているのですが、変化形態が複数あるのでしょうか。複数形態に変化する外骨格、非常に大好きです。がぜん楽しみです。
以上ですべてです。知ることができる情報がいかんせん少ないので、想像力のないわたしには正直これが限界です。
嘘です。主人公の過去や元テロリストの相棒がいかにして民間警察におさまったかなどはとても魅力的ですし、ほかにも知りたいことはたくさんあります。でも、そのあたりは原作で描かれることを待ちたいと思います。そのほうが、知ることができたときの喜びがひとしおだと思うので!
いまのところほとんど紹介文になってしまっている気はしますが、それでもわたしはPOLICE TRIBE K-9を応援したくてこの文章を書きました。小説はおろか卒論すら書いたことがないので、こんなに長い文章が書けたことに驚いています。
わたしはこれまでの約1年間、POLICE TRIBE K-9について、noteを読み返してはぼんやりと思いを馳せ、たまにGoogleやTwitterでパブサをして、POLICE TRIBE K-9に思いを募らせていました。というか、それぐらいしかすることがない。わたしはそう思っていました。
しかし、昨日ふとTwitterでPOLICE TRIBE K-9を検索し、深見真さんの告知ツイートを見て、急に思い立ちました。
https://twitter.com/fukamimakoto/status/1395321871034249219?s=21&t=woLt0l1DlEtEeD6aekA37g
「これからどうなっていくのかは皆様の応援次第ですので、少しでも話題にしていただければ幸いです。」
と書かれています。
このツイートを読んで、文章を書いてみよう、と思いました。このダイアリーひとつではなんの応援にもならないし、決して話題にしているとはいえないと思いますが、わたしが感じたことを書いてみたいなと、なんとなくそう思いました。
わたしはクリエイターでもインフルエンサーでもないので、拡散力はほとんどありません。Twitterの140文字じゃ全然足りないし、かといってメモスクショも気がひけます。それに加えて陰キャゆえにnoteは怖いし、そもそもセンスがまったくないので自分にハンドルネームをつけるのが恥ずかしいという思いもありました。なので、増田にしました。はじめてのはてなダイアリーです。
非常に拙く、目の滑る文章だったと思います。それでも、ここまで読んでくださっている方がいらっしゃいましたら、とても嬉しいです。ほんとうにほんとうに、ありがとうございます。
おしまい!
お寺の境内で花見。子供達と私の両親と弟と私で行った。七分咲きくらいだった。早咲きの品種の桜ばかりある。山桜は葉が出始めで、花はまだたった。
去年までは無かった立札があった。桜の枝を折らないでとか根を踏まないでとか、書いてあった。花見に沢山の人達が来るのは今に始まったことではないのだが、去年に何か悪質な悪戯でもあったのか、それともつもり積もった我慢がついに爆発したのか。
お花見ついでにお賽銭箱に賽銭を入れて行く人が幾人か。アラサーくらいのカップルで、女性の方がお賽銭を放り込んだら、男性の方が女性の袖を引いて、なんか文句を言い、それで二人は揃って姿勢を正し、一礼二拍手をしてからまた賽銭を入れた。
境内には桜の他にも花をつけた木が植わっている。細い花弁4枚の、黄色い花をたわわに着けた、枝の細い木があった。それを父が見て、「これはミツマタ」だと孫達に教えていたが完全に間違っている。ミツマタはその花とは似ても似つかない。沈丁花にならちょっと似ている。名前の通り、三つ又に別れた枝の先に花を咲かせる。何でそれを私が知っているのかといえば、うちの庭に生えているからだ。
ミツマタでなければなんなんだ? と問われたが、知らないので答えられないでいると、父は「じゃあやっぱりミツマタじゃないか!」と怒り出し、勝手にそういうことにしてしまった。昔から癖の強い人だったが、歳を取るにつれて、いよいよ悪化していっている。今はなき母方の祖母が庭に植えた芙蓉のことも葵だと言ってきかない。父は祖母のことが嫌いなのでなおさらだ。母は父の言う事を何でも肯定するので、芙蓉と葵どっちだ問題でも父の方を持った。そもそも芙蓉と葵は紛らわしい見た目の花だが、苗木を買った人(祖母)が芙蓉って言ったんだからそうなんじゃねえのかな、知らんけど。
両親と弟が一緒じゃない日にも何度か寺に花見に行った。
ドライブスルーなだけのお花見。二十年以上前、私がこの街に引っ越して来た翌日か翌々日に、この桜並木の桜が満開で、しかも桜祭りが開催されていた。それは絢爛豪華な感じだった。
あれから二十年。当たり前だが桜はとても大きくなり、枝が電線に触れるほどの丈となった。すると近隣住民からの苦情が入るようになったらしく、桜の花や落ち葉が路上に落ちないよう枝を剪定することになった。ところが、それを自治体から依頼された業者が下請けに丸投げし、更に孫請の建設会社に押し付けられたため、単なる素人作業となった。今の桜並木は目も当てられない有様で、何本か枯死した。でも一応はソメイヨシノらしく、沢山の花を咲かせる。あまり見映えはよくないにしろ。桜祭りは、私が見た華やかな歳が開催日に桜が咲いていた、最初で最後の年だったらしい。毎年桜の開花と祭りの日程が合わず、しかも決まって当日に雨の降る冬日となるので、十数年前に祭りは廃止になった。
運動公園の外周には立派な桜の木が何本も植わっている。いつか見に行こうと思っていたのだが、子供達が運動公園を怖がるので、いけないでいた。何故怖がるのかというと、運動公園には地元の少年野球チームやサッカーチームが練習試合をしにやって来るからだ。
広い公園の半分ほどは小さな子供達のためのスペースと散歩者のための遊歩道や憩いの場で、半分がサッカー場と野球場なのだが、練習試合のある時は選手達が広場まで侵出してきてウォームアップをしたり、暇と体力をもて余して走り回っている。彼らは余所見をしながら全力疾走で、幼児たちがよちよち遊ぶ広場を突っ切り、順番待ちをする親子を押し退けて滑り台を駆け上がり、お年寄りの歩く遊歩道をジグザグに走ってゆく。
ある時、子供達を連れて遊んでいたらそこへ野球チームが練習にやって来て広場がしっちゃかめっちゃかになったことがあった。その時子供達は小さかったのだが、よほど恐ろしかったのだろう。いまだにその時の事を覚えているのだ。
コロナのご時世のため、スポーツをしている人達は誰もいなかった。もしかするとグラウンドを団体に貸していないのかもしれない。公園の中をぐるりと一周し、子供達を遊具で遊ばせた。広場の端に、「ここは子どものための広場です。危険ですので野球やサッカーチームの侵入を禁止します。練習やウォームアップ等に使用しないでください」という立札があるのを発見。見たところ、比較的新しい立札だった。
桜の木の下を通ると、ヒヨドリが金切声を上げて飛び立つ。すると、ヒヨドリのいた枝から私達の頭上に、桜の花が花柄ごと降ってきた。地面は鳥に啄まれて落ちた花がびっしり敷き詰められていた。
公園の事務所とラウンジから死角となる場所の桜の木の下で、お爺さん達のグループが酒盛りをしていた。
毎年花見に来るスポット。子供達は、桜の花よりも、芝生を侵食しているクローバーに夢中。四つ葉が欲しいらしい。
昼時から少し外れた時間に来ると、近隣の老人ホームやデイサービスの車が何台も、車椅子に乗ったお年寄りを運んで来る。毎年の光景だ。うちの子供達が赤ん坊の頃から既に恒例行事で、お年寄りを乗せて来る車も毎年同じ施設の名が入っている。しかし毎年ここに花見に来ているお年寄りがいるかどうかは知らない。
家から徒歩で行けるが、住宅街の真ん中でうちから見えるところではないため、何となく行かないまま終わる年もよくある。
満開の花が風に煽られてはらはらと散っているところだった。子供達が花びらを追いかけて、犬みたいに走り回る。風が吹くたびに強い芳香がたつ。どこか近所の家で桜餅を手作りしているのかと思って周囲を見回したら、匂いは桜の樹の下から漂って来るようだった。木根の辺りからひこばえがぼうぼうに生えていて、葉っぱと花を同時に着けている。それが匂うのだ。桜の木の上の部分はソメイヨシノで、枝に着いているのは花だけなのだが、根の部分は大島桜なのだ。つまり、挿し木の土台だった部分がまだ大島桜の性質を遺している。
たぶん、今は公民館の桜を管理している人は誰もいない。数年前までは公民館のすぐそばにある小さな一軒家に住んでいたお爺さんが公民館とその近くの 小さな公園の植物の面倒を見ていた。だが、今はお爺さんの家は空家で、お爺さんの姿はもう長いこと見かけていない。昔はうちの前の通りを散歩して、うちの庭の桜を綺麗だとほめてくれたりした。
資格を取るために講習へ行った。
アクリル板で区切っているせいかアクリル板の角度次第では非常に見えづらい。
講習は座学なのだがとある一人が常時貧乏ゆすりをしていて非常に気になる。
貧乏ゆすりは無意識なのか意図的なのか知らないがこいつは病気なのか?と感じた。
大学時代ぶりの座学であるのでこういう時は席移動していたが今回は講習で席固定なので離れられない。
ずっとガタガタ動いていて気持ち悪い。
チックか多動なのか。
そう思いつつもしかしてタバコが切れたからニコチン中毒で震えているのかもしれないと思った。
タバコ吸う奴はクソだしそれかなぁと思ったら休憩時間になってもタバコに行かないのでどうやらニコチン中毒者ではなかったようだ。単なる多動だった。
貧乏ゆすりは精神疾患で頭がおかしい奴がやることだとは思うが調べてみると勉強中の貧乏ゆすりは記憶力向上に良いそうだ。
それで周囲が救われるのだから。
貧乏ゆすりで思い出したこととしては、中学時代に授業中に歩き回る生徒がいたが不良かと思ったがそれは多動だったんだなと今は思った。
不良、たしかに頭の不良ではあるし勉強に向き不向きもあるのだから動き回るのは仕方ないか。不良という呼び名は確かにそうだなと今になって得心した。
講習が終わり帰るため駅に行った。
晩飯をマクドナルドで済まそうと店内で食事しようとしたら店内で赤ん坊のおしめを変えている女がいた。
講習で色々な知見を得ることが出来た。
ありがとうございました。皆さん、このところ、どう挨拶したらいいかわからないんです。 なぜなら、"おはようございます"、"こんにちは"、"こんばんは "が言えないのです。 できないんです、これは絶対にそうです、毎日、その日は絶対ダメな人もいるし、その日の夕方が最後な人もいるんです、毎日。 私は今日、今、ウクライナの市民について話しているのですが、彼らは命をかけて私たちの壁と自由を守っています。 私はここで見たものが、この団結したムードであることをとても嬉しく思っています。 今日、皆さん、つまりEU諸国を団結させたことは喜ばしいことですが、それがこのような代償を払うことになるとは思いもよりませんでした。 これは私にとっての悲劇であり、すべてのウクライナ人にとっての悲劇であり、すべての国家にとっての悲劇です。 私は新聞の話をしませんし、新聞を読みません。なぜなら、新聞は私の国の生活から消えてしまったからです。 この死体も含めて、すべてが現実の出来事なのです。 そして、今日、我々は、価値、権利、自由のために犠牲を払っているのだと思います。 そして、私たちはよく「私たちは皆、勝つ」と言いますが、皆さんがそれを話すだけでなく、見てくれていることがとてもうれしいです。 そして、私たちは必ずや勝利する、私はそう確信しています。 このような表現があります。"ウクライナはヨーロッパを選んでいる" 私たちが目指してきたもの、目指してきたもの、そして今も目指しているものです。 そして、私たちに向けた言葉をぜひ聞いてみたいのです。"今こそヨーロッパがウクライナを選ぶ時だ" 小さな攻撃やミサイル攻撃があるので、2分ほどお話をさせていただきます。 今朝は私たち全員にとって悲劇的な出来事でした。巡航ミサイルが2発、ハリコフを直撃しました。 ロシアとの国境に近いこの街は、昔からロシア人が多く、友好的で、かつてはとても温かい関係にあり、 20以上の大学があり、昔も今も我が国で最も多くの大学を抱える拠点となっています。 若者たちは明るく、スマートで、休日にはいつも我が国最大の広場に集まっています。 自由広場。また、ここはヨーロッパで一番大きな広場でもあります。 そして、これは本当です、想像してみてください、午前中2発の巡航ミサイルが自由広場を直撃しました。 何十人もの死傷者が出ました。 これが自由の代償というわけです。 我々は単に我々の土地と「自由のために」戦っているのです。 信じてほしい、我々の国家のすべての大都市が封鎖されているという事実にもかかわらず、 誰も我々の自由と国家に侵入することはできない。 私を信じてください。今日のすべての広場は、それが何と呼ばれようとも、自由広場と呼ばれることになるだろう。 我々の州のすべての都市で。誰も我々を破ることはできない、 我々は強く立ち上がる、我々はウクライナ人だ。 我々は子供たちが生き続けることを望んでいる。これは公平なことだと思う。 昨日、16人の子供が死んだ。そしてまた、プーチン大統領は、これはある種の「作戦」であり、我々の軍事インフラだけを爆撃しているのだと言うだろう。 我々の子供たちはどこにいるのか?彼らはどの軍事工場で働いているのでしょうか?どのロケット弾を操作しているのか?戦車を運転しているのだろうか? あなたは16人の子どもを殺した! 私たちには、とてもやる気のある人たちがいます。私たちは、自由と生命という私たちの権利のために戦っています。 そして今、私たちは生存のために戦っています。これは私たちの主な動機ですが、ヨーロッパの平等な一員になるためにも戦っています。 そして、今日、私たちは皆、そうであることを示したと思います。私たちが参加することで、EUは間違いなく強くなります。 あなた方がいなければ、ウクライナは孤独になるでしょう。私たちは自分たちの強さ、少なくともあなたたちと同じであることを証明したのです。 私たちと共にいることを証明してください。私たちを見捨てないことを証明し、あなた方が本当にヨーロッパ人であることを証明し、 そうすれば、生は死を、光は闇を打ち負かすだろう。 ウクライナに栄光あれ www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。
ソース:https://www.ukrinform.net/rubric-ato/3417029-ukrainian-president-volodymyr-zelenskys-address-to-european-parliament.html
President Volodymyr Zelensky of Ukraine has addressed the European Parliament.
Thank you very much! Ladies and gentlemen, you know, in recent days I don’t know how to greet anyone. Because I can't say "Good morning," or "Good afternoon," or "Good evening." I can't, and this is absolutely true because every day, that day is definitely not good for some, that evening is the last one for some, every day. I’m talking today, now, about my citizens of Ukraine, who are defending our walls and freedom at the cost of their lives.
I’m very glad that what I saw here is this unifying mood. I’m glad that we have united all of you today – the EU countries, but I didn’t know that it would be at such a price. And this is a tragedy for me, a tragedy for every Ukrainian, a tragedy for every state.
You know, I don’t speak from, I don’t read from papers because the papers are gone from my country’s life. All of this is real, including these dead bodies, this is real life. And you know, I believe that today we sacrifice for values, for rights, for freedom, just for our desire to be close, just like you, like everyone else, we sacrifice our best people: the strongest, mightiest, most extraordinary Ukrainians.
And we very often like to say that we will all win, and I’m very glad that you are not only talking about it, but also seeing it. And we will all win for sure, I'm positive. There is such an expression: "Ukraine is choosing Europe." That’s what we’ve been aspiring to, what we’ve been going, and still going toward. And I would very much to hear from you something addressed to us: "Now it’s Europe choosing Ukraine."
I have a couple of minutes to talk to you because there are small strikes and missile attacks. This morning was tragic to all of us. Two cruise missiles hit Kharkiv. The city, which is near the border with Russia, where there have always been a lot of Russians and they have always been friends, there used to be very warm relations, there are more than 20 universities there, it was and is the hub hosting the largest number of universities in our country. The youths there are bright, smart, always gathering for all holidays in our country’s largest square. Freedom Square. Also, this is the largest square in Europe. And this is true, it’s Freedom Square. Imagine this: in the morning, two cruise missiles hit Freedom Square. Dozens of casualties. So this is the price of freedom.
We are simply fighting for our land and our freedom, and believe me, despite the fact that all the big cities of our state are now under blockade, no one will penetrate our freedom and state. Believe me. Every square today, whatever it is called, will be referred to as Freedom Square. In every city of our state. Nobody will break us, we stand strong, we are Ukrainians.
We want our children to live on. It seems to me that this is fair. Yesterday, 16 children died. And again, President Putin will say that this is some kind of an “operation,” and that they are bombing only our military infrastructure. Where are our children? At what military plants do they work? Which rockets do they operate? Maybe they drive our tanks? You killed 16 children!
We have very motivated people, very much. We are fighting for our rights – freedom and life. And now we are fighting for survival, and this is our main motivation, but we are also fighting to be equal members of Europe. And I think today we are all showing that we are. With us on board, the EU will definitely be stronger. Without you, Ukraine will be lonely. We have proven our strength, that we are at least the same as you. Prove that you’re with us. Prove that you are not giving up on us, prove that you’re truly Europeans, and then life will beat death, and light will beat darkness.
一度朝から新宿まで用事があって向かったことがあるんですが、個人的には毎日通勤となるとしんどいかなと思いました。もっと遠くから乗っている人も居たので、慣れかもしれませんが。。。
都内からの距離の割には家賃は高めだと思います。通勤する必要があって、他に候補があるなら家賃の相場と通勤時間は比較することをお勧めします。
他に気になるのは住民税と指定ゴミ袋が高いこと(20L 10枚で400円)です。あと駅長室が鎌倉市にあるせいで、横浜市内の切符じゃ改札から出られません。
駅の周りは個人店もチェーン店も揃っていて生活には困らないです。原付持ってきてましたが全然使いませんでした。
駅周辺は川と線路を挟んで大きく東西でエリアが区切られていて、東の方が何かと便利です。踏切は待たされるし高架がちょっと不便な場所にあるので、線路を超えるのが面倒臭いです。
住所マウントはよくわからないです(そんなに住所明かす機会ありますか?)。
ただ大船本ってムックのキャッチコピーが「この街がとうとう注目される時が来た」みたいな感じだったのは面白かったです。
段ボールの端っこを捨てる儀式はちょっとわからないです。まな板と包丁は使ってもOKですが、ピザ作るためにガンガン生地を叩き付けるときはソファでやってます。
変な人に話しかけられる率は藤沢の方が多いです。特にコロナの後。声をかけられても目を合わせないのが吉です。
プラごみは普通のゴミ袋で出せるので、有料ゴミ袋を節約するために分別してます。面倒臭くなったら可燃に突っ込んでますが、今のところ怒られたことは無いです。
今年、32歳腐女子になったので何か書いてみたくて独りで紅白を見ながらこれを書いている。
そんな土地で私は生まれ、進学・就職し、今もこの街に住んでいる。
就職し実家を出た頃から、同人イベントにサークル参加し本を作るようになった。
初めて行ったイベントで、同じ作品やCPが好きな人たちと実際に会って喋ることができて、本当に感動した。楽しかった。
学生時代、それなりに部活をしたり、サークルに入ってみたり、人と関わるように頑張ってきたが、いつでも楽しくなかったのだ。オタクであることは隠していたので、とにかく話題に困った。
田舎だからだろうか。「漫画は読むよ、ナルト読んだことあるし」「アニメは見るよ、ワンピース面白いよね」という程度の人は周りにいたが、イラストや漫画を描く、二次創作を読む、まして書くようなひとは皆無だった。オタクの友達が、もっと言うなら腐女子の友達が心から欲しかった。
そんな人生を送ってきたので、初めて参加した同人イベントのアフターは心底楽しかった。初めて飲み会で「まだ帰りたくないな」と思った。
(つまり、それまではどんな飲み会でも、いつでも「早く帰りたい」と思っていた。友人だけの集まりでも、だ。みんな私を仲間に入れて誘ってくれる、紛れもないいい人たちなのだが、いかんせん私とは好きなものや興味のあるものが違ったのだ)
本を出すのも勿論楽しかったのだが、何よりアフターが楽しかった。地方住みながら年に5~6回は参加して毎回新刊を出していた。一回のイベントで、ペーパーとは別に複数冊出すこともよくあった。
イベント前日に上京してフォロワーさんたちと遊び、イベント当日ももちろんアフター。次に参加するイベントや、出す本のネタのことを話して、スケブを描きあったりして、終電まで遊んで、夜はホテルで厳選戦利品を読みながらお疲れ様ツイート。楽しかった。本当に。心から。
東京は地元に無いものが沢山ある。街はギラギラキラキラしている。そんなところで、美味しいものを食べて、好きなものの話を、同じものが好きな人たちと語り合う。たまらなく楽しかった。
幸いなことに、発刊した本はそれなりに手にとってもらえたので、本の印刷代と交通費はギリギリ賄えていた(宿代やイベント参加費などの雑費がはみ出るくらい)。なので趣味として、金銭面では無理なく続けられた。続けられてしまった。
収入が無くなっては困るので勿論仕事は変わらず続けたが、それ以外。
例えば職場の飲み会、イベント、地元の友人からの誘い、親戚付き合い、そういうものは可能な限り避けて、原稿をするか、アニメを見るか、フォロワーさんとスカイプで萌え語りするようになった。だってリアルは同人イベントよりつまらなかったから。
あの頃の感覚として、私のリアル、つまり同人イベントに参加していない日常の時間は「同人イベントまでやり過ごすだけの時間」になっていた。
イベントから帰る飛行機の中で、次のイベントは8月か、はやく8月にならないかなあ、と考えている。
同人イベントがメインパートで、地元での日常は一刻も早く過ぎてほしい繋ぎパート。そういう感覚。
職場ではすっかり付き合いの悪い人間となり、歓送迎会とかの大きな飲み会以外ははじめから誘われなくなった。
地元の友人ともみるみる疎遠になっていった。ちょうどメールからラインへの過渡期だったのだが、私はそんなこんなでグループラインはおろか、ラインの連絡先交換もあまりしていなかった。
私が知らないうちに友人たちはどんどん結婚したり出産したりしていた。私以外はちゃんとお祝いしてたらしい。ごめんなさい。
わくわくしていたし、充実していた。
差し入れでいただいた東京のお洒落なお茶を飲みながら原稿したりアニメ見たりするのが至福の時間だった。
喪女ゆえ結婚は縁が無さそうだけど、仕事はあるし家もあるし同人友達がたくさんいて毎日楽しい。私はこういう生き方でいいんだ、と思っていた。
そしてコロナ媧がやってきた。
感染者数が落ち着いた時期に開催されても、アフターなんてする雰囲気じゃないし、勿論するべきでもない。
何より上京してコロナを持ち帰ったらと思うと、とても参加はできなかった。
別に二次創作はイベントが無くたってできる。家にいればアニメも見られるし漫画も読める。
でも、人と会うことは無くなった。
素直に寂しい。
いつもクリスマスに開催されるオンリーイベントに参加して、アフターでみんなとケーキ食べていたけど、今年は家でコンビニのケーキを食べた。
一方で、アフターしていたみんなは、コロナ媧でも誰かしらとは会ったり話したりご飯を食べたりしているようだった。
つまりリアルの(同人と関係ない)ごく身近な友達とか、家族とか、配偶者とか、職場の繋がりとか、そういうものである。
みんなは同人以外にも繋がりを持って、居場所を持って、日常というリアルパートも真面目にこなしてきたのだ。おそらく。
私にはそれがない。
私は孤独だ。
同人イベントが無くなれば、私は誰とも会うことはないのだ。共にご飯を食べるひとは誰もいない。
今年、ちょっと病気が見つかって入院・手術したのだが、仮にコロナ媧でなかったとしても、私の見舞いに来るひとはいなかっただろう。入退院時に付き添ってくれたのは、唯一残った「リアル」の繋がり、両親だった。
仕事の細かい悩みとか、最近気になり出した老後の不安とかも同人友達にはなかなか話せない。
そういうことなのだ。
よく仕事以外にも、趣味などの居場所を作りましょう、と言う話を聞く。
私はそういう話を聞くたび、「私には全く関係ないな、仕事以外無いひとはかわいそうだな」とか思っていた。趣味が充実していたから。
むしろ同人なんていうのは、よく考えれば仕事より脆い繋がりだ。ジャンル移動とか、急な解釈違いや冷め、地雷とか、諸々あるのだから。
もちろんきっかけは同人で、そこから生涯の親友になるケースもあるんだろうけど、それはよくある話、というわけじゃない気がする。
最近はコロナの感染者数も減ってきて、同人イベントも活気を取り戻しつつある。冬コミもめでたく開催された。私も来年は参加したいな、と思っている。アフターが難しくてもイベント参加はしたい。推しCPが、絵を描くのが、二次創作が、本を作るのが好きなのは本当だから。
でも、(縁起でもないが)また別の疫病が流行るとか、災害とか、世界には何があるかわからない。
そもそも私が同人を、アニメを、漫画を、ずっと変わらず楽しめる保証もない。
同人以外を捨てる生き方はやめたほうがよさそうだな、と私は思った。
だから来年は(書いているうちに、もう今年になってしまったが)リアルの日常も、もう少し真面目にこなしてみようと思う。大事にしようと思う。
少なくとも、結婚おめでとうと言えてない地元の友達にはラインを送ろう。年賀状ラインを兼ねて。お詫びも添えて。許されるならお祝いもしたいけど、今さらって感じかな。ラインギフトとかなら相手も気軽に受け取れるのかな。
職場では人数分散して新年会すると言ってたから、それも誘ってもらえたなら参加してみよう。今さら参加してきたらみんな引くかな。少なくとも手術入院のとき休暇とか色々便宜をはかってくれた上司、私がいない分フォローしてくれたみんなには丁寧にお礼を言おう。
という、これまでの振り返りと今年の抱負であった。
おわり
https://anond.hatelabo.jp/20211215104205 の続き
半年の間を置き、2021年3月9日、駅メモ!の新たなイベント「駅メモ!で巡ろう!観光大使温泉むすめの温泉街」がスタートする。アプリは死んでも温泉むすめは死なない。
小野川温泉、松島温泉、飯坂温泉、鳥羽温泉郷、南紀勝浦温泉、湯村温泉を巡るミッション。しかも今度は温泉地の最寄り駅だけでなく、温泉街まで足を運んでいくつかのポイントを踏破しなければならない。手に入るユニットは小野川小町、松島名月、飯坂真尋、鳥羽亜矢海、南紀勝浦樹紀、湯村千代。さらに8月6日、三朝温泉の三朝歌蓮、玉造温泉の玉造彗が追加になった。
この新イベントの温泉むすめは全員が温泉地の公認キャラになっており、温泉地では駅メモ!とのコラボキーホルダーも販売されている。こちらから探しにいかなくてもパネルもグッズも待っていてくれているのだ。前回の駅メモ!コラボ開催時は、有馬、道後、尖石(台湾)しかなかった温泉地公認を一年で6か所増やし、さらに次の一年で層雲峡、湯原、湯郷、奥津、三朝、塩原、玉造、松江しんじ湖と8か所増やしている。運営の機動力がやっぱりすごい。
だいたい騒動中に巷間で出回っていた「5年以上続くプロジェクト」「多くの温泉地から公認」「観光庁の後援」などのフレーズは相当な過大広告で、半数くらいの温泉むすめはここ一年くらいの間に温泉地に突如出現したキャラでしかない。
むしろ、世間に浸透していくのはこの先のことだろう。公認はまだまだ増える。
温泉むすめ巡りを続ける。まずは新温泉町の湯村温泉へ。温泉観光協会で湯村千代のパネルを撮影し、キーホルダーとタオルを購入。パネルには「湯村温泉観光大使」のたすきがかかっている。流石は公認キャラ、貫録を感じる。湯煙でけぶっている街を歩き足湯に浸かる。ここは吉永小百合の「夢千代日記」で有名な温泉地なので吉永小百合の銅像の写真も撮り、ドラマ資料館である夢千代館を見学。ドラマの風景を再現した展示場で、湯村が胎内被曝者である夢千代の街として新温泉町と広島市との友好の橋渡しとなり、吉永小百合の平和活動の大きなバックボーンとなっていることを学ぶ。最後に薬師湯で温泉を使い帰路につく。
次は南紀勝浦温泉。南紀勝浦樹紀のパネルは、レンタサイクルの並ぶウッドパネルのオシャレな観光案内所ではなく、古ぼけた温泉旅館組合の事務所内に設置されている。この温泉むすめにも「観光大使」のたすきがかかっている。パネルの横には驚くほど多種の南紀勝浦樹紀グッズが並んでいる。つい最近コラボが始まったばかりのはずだが本当に機動力がすごい。勝浦は冬のまぐろ祭りや太地町の落合記念館で落合専用ガンダムエクシアを見学するなど何度も訪れているので観光はあっさり済ませる。勝浦漁港のカフェでまぐろバーガーを食べて、年期の入った建物の天然温泉公衆浴場はまゆで温泉を楽しんで帰る。
鳥羽温泉の鳥羽亜矢海は、鳥羽駅そばのショッピングモール鳥羽一番街にいた。キーホルダーは隣接するレストラン兼農産物水産物の直売所である鳥羽マルシェで購入できた。一緒に伊勢茶と伊勢米とアジの干物とカキとサザエも買う。鳥羽の温泉にはあまりいい思い出がないので代わりに松阪で温泉に入って帰った。
鳥羽亜矢海のデザインはみんな大好きメリーちゃんの牛木義隆さんで、肌色成分多めなのにスポーティさが支配する健康的なデザイン、リボンやスカートの裾に入れた和柄紋、ダイビング由来の手の込んだ小物、結い上げた長い髪を下ろせば大きく印象を変えられそうな変身の余地も作って、本当に最高の仕事だった。海の街のご当地キャラデザインとして傑出した完成度がある。鳥羽はあまり好きな街ではないが鳥羽亜矢海だけは推せる。
松島温泉には車で訪問した。松島観光協会でタクシードライバー姿の松島名月のパネルを見て、福浦橋から福浦島に渡り松島の風景を楽しんだ。温泉は日帰りで利用できる芭蕉の湯という施設を選んだが、松島名月のパネルは主に海沿いの旅館に設置されていたようで結局出会えたのはタクシードライバーバージョンだけだった。
去年「凪待ち」の舞台探訪で石巻に行ったけど、松島の温泉はスルーして作並へ行っていた。松島名月のおかげで松島にも温泉があることを知られてよかった。
小野川温泉には米沢駅からバスで向かった。小野川温泉も以前は存在を知らなかったので、訪れる機会をくれた駅メモ!と温泉むすめには感謝しきりだ。この街は有馬温泉以来の街ぐるみで温泉むすめを活用している場所だった。至る所にポスターやポップがある。訪問スポットに指定されていた甲子大黒天には小野川小町の絵馬もあった。共同浴場滝の湯でクソ熱い湯に浸かり、キーホルダーを販売している名湯の宿 吾妻荘を訪れるとここにも当然小野川小町パネルが設置されている。もう嬉しくなってしまった。
いくつかの施設の人と話してみても、みな小野川小町に好感を持ってくれており、また温泉むすめが目的で訪れた私に対してもとても親切に対応してくれた。ただ、小野川小町よりもつい最近小野川温泉で大々的なロケを行った江頭2:50の方が遥かに街の人々に愛されているとも感じた。まあ、美少女もいいけど江頭と比べられたらやっぱり負けちゃうよな。
飯坂温泉では“最高の温泉むすめ”飯坂真尋に出会う。福島駅から飯坂線に乗ると列車が既に温泉のれんをかけた車両でテンション上がる。飯坂温泉には5年ぶりくらいの訪問になるが、駅を降りた瞬間から飯坂真尋の吊看板、観光案内所にも当然飯坂真尋。街中の旅館もロビーではなく玄関先に飯坂真尋のパネルを設置している。自販機には福島県の温泉むすめのラッピング。数えきれないほどのポップ。10を超えてからは数えるのを止めた。街が一変している。
飯坂真尋ほど地域の愛を一身に受ける温泉むすめを他に知らない。飯坂真尋は他の温泉むすめと比べて特徴的なルックスではないが、その分アレンジが利かせやすくどんな衣装でも着こなせてしまう。その特性を最大限に活かして、飯坂温泉の数えきれないほどのスポットに様々なコスプレをさせた飯坂真尋ポップが溢れている。
飯坂温泉は町出身のオリンピック選手か紅白歌手かのように飯坂真尋を訪問客に誇らしげに紹介している。アニメの聖地などではあまり見られない現象だが、飯坂真尋に限っては東京のオタクよりも飯坂温泉の住人の方が遥かに飯坂真尋を愛している。二年ほど前に借りてきただけのキャラのはずなのにどうしてこんなことが起きるのか。
宇奈月温泉がももクロに染まるのは理解できる。ももクロの熱には魅了されて当然。でも、同じくらいのテンションで飯坂真尋に熱狂する飯坂温泉はちょっと理解の外にある。
自分の好きなアニメキャラを普段アニメを見なさそうな人たちが同じように好きになってくれる様子を見るのが聖地巡礼の楽しみのひとつでもあるが、今日初めてその姿を見る飯坂真尋が多くの人に愛されていることを知って、同じように嬉しく思う。こんな経験は初めてだった。
芭蕉も浸かったという鯖湖湯の隣の鯖湖神社には飯坂真尋のイラスト絵馬がたくさんかかっている。小野川町の甲子大黒天を思い出す。超愛されてる飯坂真尋。でも、よく見るとイラスト絵馬の半分は塩原温泉観光協会プロジェクト88メンバーよりとか書かれてる。互助会だった。塩原温泉グリル三笠軒オーナーは飯坂真尋でなく自分の似顔絵を絵馬に描くナルシスト。鬼怒川温泉が近いせいで塩原温泉は行ったことなかったけど、近いうちに那須塩原の温泉むすめにも会いに行こうと思うよ。グリル三笠軒にも寄ろうと思うよ。
愛宕山の温泉神社前から飯坂温泉の街を眺め、旧堀切邸を見学、八幡神社を参拝、鯖湖湯のクソ熱い温泉に浸かってすぐまた波来湯のクソ熱い温泉をはしごし、ラヂウム最中とラヂウム玉子をお土産に買いこんで、地酒「摺上川」の4号瓶を購入して水郡線で水戸に着くまでに全部開けた。ここ飯坂温泉にはまた必ず来るだろう。
8月に三朝歌蓮、玉造彗が駅メモ!に実装されるとまた早速出かける。前日は皆生温泉で温泉を使い境港で海鮮丼を食べて松江のビジネスホテルに投宿。翌朝玉造温泉に向かい観光案内所で玉造彗のパネルを撮影、キーホルダーを購入する。駅メモ!勢が訪れる以前からも玉造彗ファンは相当数足を運んでいたようで、案内所の人も慣れた様子だ。その後、玉造温泉ゆ~ゆという洋式便器のような形状の施設で温泉を楽しみ、三朝温泉に向かう。
途中、琴浦町の道の駅で「琴浦さん」グッズが復活していないことを確認して、青山剛昌ふるさと館を見学、倉吉でお土産の梨を買ってから三朝温泉を少し通り過ぎて三佛寺投入堂を参拝、一人では崖の上のお堂まで行けない決まりなので行き会わせた年配のご婦人二人とチームで崖を登る。取って戻して三朝温泉、街には射的のある娯楽場、向かいには右翼の事務所、橋の方に向かうと大綱引資料館などという建物もある。小さな銭湯たまわりの湯で温泉に浸かり、観光案内所ほっとプラ座で「みささ温泉観光大使」のたすきをかけた声優サイン入り三朝歌蓮のパネルの写真を撮ってキーホルダーを購入する。
三朝歌蓮は儚げな美少女キャラで可愛いのだけれど、その隣に立つ「宇崎ちゃんは鳥取で遊びたい!×三朝温泉」の宇崎花と赤羽根健治のパネルの方が観光案内所の雰囲気にはマッチしていた。今更だけどやっぱり温泉に制服姿は似合わないわ。
しかし、観光案内所で最も強いインパクトを残したのは、三朝歌蓮でも宇崎花でもなく、三朝温泉マスコットキャラクター湯けむり怪獣ミササラドンだった。有袋類の怪獣らしくお腹のポケットに赤ちゃん怪獣も入っている。こいつが三朝温泉の温泉むすめでも良かったのに。ミササラドングッズはタオルとストラップとシールを買う。
ほっとプラ座には他の温泉地の温泉むすめの缶バッチも売られていて、ご婦人方が入れ替わり立ち代わり缶バッチを熱心に見ていた。本当はご当地キティを探していたのかもしれない。
その後、鳥取市のビジネスホテルに泊まり、翌朝すなば珈琲に寄って砂丘に寄って岩美町で「Free!」の聖地巡礼をして余部鉄橋見て帰路についた。
その後も、駅メモ!と関係なく修善寺透子、高山匠美、白浜帆南美、十津川飛香と出会ったり、別府や奥飛騨では温泉むすめパネルの存在は知っていたけれど設置場所まで足を伸ばすのが面倒でスルーしたりした。それが今年10月までの話だ。
つづく
仁藤氏の発言に端を発した騒動は、運営が火の付いた設定を削除、関係が曖昧な後援団体の看板も下ろし、スポーツ文化ツーリズムアワードの受賞も辞退、その後は何事もなかったように平常運転を続けている。仁藤氏も当初から米山議員との諍いの話題そらしの感があったが、早々にフェードアウトしていた。
温泉むすめの設定は、セクシャルな趣味や未成年であることを匂わせる学年表記が消え、30歳で見えなくなる設定も消えた。今回の騒動以前にも不適切な描写のいくつかが削られ、修正されることは何度もあったらしいが、傍から見て温泉むすめはどんどん健全な方向へ変化していっているようだ。喜ばしいことだと思う。
温泉むすめの飲酒行為やエロ趣味は公式サイトを見なきゃ分からないんで、今回仁藤氏がサイトを覗きに行くまではコアなオタク以外誰も知らない設定だったりした。で、飲酒の言い訳に使われている「温泉むすめは神さまです」という設定も公式サイトを見なきゃ分からないんでこれも誰も知らない設定だったりした。
温泉むすめは容姿も能力も人間と何ら変わりないので、姿を見ただけでは神さまと判別することはできない(龍神温泉の龍神晴除く)。Tシャツ姿のラブやんを見ても愛のキューピッドだとは分からないし、スーツ姿の大川隆法を見ても地球神だとは分からないことと同じだ。
オタクが喜んでくれるだろうと作った神さまとか学校の設定。オタクが喜んでくれるだろうと作った温泉むすめのプロフィール。ゲームアプリとか温泉むすめ声優のライブみたいな2次元、2.5次元の中にいた頃はオタクが喜んでくれるだけで終わっていた表現が、温泉地とコラボして3次元に出てくると仁藤氏みたいな人に見つかって吊るしあげられることになる。
まあ、温泉観光協会や自治体の公認を貰って観光庁にも後援してもらおうっていうのなら、遅かれ早かれオタクノリは見直す必要はあった。
私は仁藤氏の温泉むすめの絵柄についての抗議は頷けないけれど、設定への批判は十分理解できる。そして(温泉むすめのコアファンとは違う層だとは思うけど)、営利目的で温泉むすめのセクシャル設定を残せと主張していた一部オタク論客の意見に全く同意しない。まあ、フェミニスト側の人間だよね。
ここにフェミニストたる私が温泉むすめの思い出と温泉むすめコンテンツに願うことを書く。
書いたのはもうしばらく前だけど、騒動の際中には放り込みたくなかったんでそろそろ世間が忘れた今放流する。
日記部分が長いので三分割くらいにする。
私は温泉むすめのゲームアプリは一度も触ったことがなく、温泉むすめ声優のイベントにも参加したことはない。ただ、ここ二年ほどの間に温泉むすめの等身大パネルやキャラグッズを目当てに全国の温泉地30か所以上を巡った。
私は元々温泉巡りが趣味で年に50か所ほどの温泉を訪れている。毎週温泉に出かけている訳じゃなく、一日で複数の温泉地をはしごするのでこの数になる。有名な古湯から山中の秘湯、天然温泉利用の銭湯まで種類は問わない。一人旅なので温泉旅館には泊まらない。だいたい車で移動するのでアルコールも摂らない。朝風呂をキメて走り、外湯巡りをして道の駅で土地の名物を食べまた走り、寺社や景勝地を観光し外湯巡りをしてビジネスホテルに泊まる。これを繰り返す。
また私はアニメの聖地巡礼も趣味にしている。今年巡礼に出かけた作品は、「ジョゼと虎と魚たち」「魔女見習いをさがして」「君は彼方」「竜とそばかすの姫」「サイダーのように言葉が湧き上がる」「劇場編集版かくしごと」「岬のマヨイガ」「きんいろモザイクThankyou!」「神在月のこども」などだ。
「EUREKA」を見て檜原村にも行きたくなっているし、「フラ・フラダンス」も面白かったからいわきにもまた行くことになるだろう。
アニメで描かれた景色の写真を撮り、アニメのポスターがあれば写真を撮り、ついでに立ち寄った温泉地にゆるキャラがいればこれまた写真に撮る。志摩リン、なでしこの訪れた温泉は全てトレースした。それでもこれまで訪れた温泉地で偶然温泉むすめに出会うという経験はなかった。
初めて温泉むすめの存在を知ったのはゲームアプリ「駅メモ!」と「温泉むすめ ゆのはなこれくしょん」のコラボイベント「日本全国温泉駅巡り!(2019年5月24日開始)」だった。
駅メモ!ではアニメやゲームとコラボするスタンプラリー型イベントが何度か開催されており、チェックポイントの駅に行けばご当地アニメのパネルにも会えた。特に「鉄道むすめ」とのコラボは相性抜群で、駅メモ!アプリで駅にチェックイン、改札を出て鉄道むすめのパネルの写真を撮り、トミーテック発行のスタンプ帳に鉄道むすめのスタンプ押印と、三倍楽しむことが出来た。
「日本全国温泉駅巡り!」では、温泉地の最寄り駅にチェックインするとアイテムかユニットキャラを貰える。その内7駅では温泉むすめのユニット草津結衣奈、鬼怒川日向、熱海初夏、黒川姫楽、伊香保葉凪、いわきあろは、大手町梨稟が貰える。熱海や鬼怒川に行くだけで、一回500円のガチャを回さなくてもユニットが確定で貰えるのだ。
鉄道むすめコラボでは全国32か所の駅にチェックインしても貰えるユニットは立石あやめひとりだけだったのに、温泉むすめコラボの報酬は破格だ。行くしかない。
こうして7人の温泉むすめに会いに行く旅は2019年5月にスタートした。
最初に訪れたのは阿蘇。駅にチェックインすればユニット黒川姫楽が貰える。ただ、阿蘇駅はあくまで最寄り駅というだけで黒川温泉のある小国町は阿蘇駅からは離れた場所にある。そのせいか駅には黒川姫楽のパネルなどは見当たらなかった。代わりに熊本ゆかりの尾田栄一郎にちなんだ黄金のウソップ像が立っている。
その後、黒川温泉に向かい日帰り入湯できる旅館で温泉を楽しむ。黒川温泉では入湯手形を買えば三か所の外湯が利用できるのだが、すでに日は落ちていたので利用するのは一軒だけにした。黒川温泉は過去に何度も利用しているし、今日は大分市のホテルまで車を飛ばすのだ。
記念にキャラパネルを撮影しておこうと、入湯させて貰った旅館でスマホ画面の黒川姫楽を見せ「このキャラご存じですか?」と尋ねたが「分からない」との返事。まあ、聖地巡礼先で地元民がご当地キャラを知らないなんてことはこれまでいくらでもあった。景観に配慮して看板もほとんど見られない黒川温泉でパネルが路上に設置されている訳でもないだろうし。
観光案内所も閉まっている時間なので、パネル撮影は諦めることにした。
この空振りは草津でも続いた。長野原草津口駅で、草津結衣奈について尋ねてみたがここでも知らないという。草津温泉もJRの駅からは離れているし仕方ないのかもしれないが、これはもう地元で聞いても駄目だと、Google検索してパネルが展示されているという湯畑の玉屋酒店を訪ねた。
玉屋には声優のサイン入り草津結衣奈パネルが飾られており、缶バッチ、キーホルダー、お守りなどのグッズも販売されている。よく見る光景にやっと出会えた。聞くとどうやらこの玉屋と草津スカイランドホテルでしか草津結衣奈には会えないらしい。何か扱いが小さい。
調べると、温泉地から公認を貰っている温泉むすめは4人しかおらず(2019年7月時点)、黒川姫楽も草津結衣奈も温泉の公認キャラではなく、名乗りを上げた有志が温泉むすめを宣伝してくれている状態のようだった。ただ草津では温泉むすめのイベントは何度も開催されているらしい。どうやらアプリの方には熱心なファンが付いているらしいが地元との温度差は気になるところだ。
それでもパネルに会えただけで嬉しい。玉屋でキーホルダーを買い、御座之湯で温泉に浸かり、温泉りらっくまのぬいぐるみを買って帰路についた。
何か最初に想像していたものと違う。公式サイトのNEWSページを読んでみると、どうやらゲームアプリも本体ではなく、温泉むすめを演じる声優の楽曲販売とライブイベントが太い柱というか温泉むすめという存在のほぼ全てだった。
日本の温泉地の公認はまだ有馬温泉と道後温泉しかない状態なのに楽曲のCDとドラマCDは10枚以上リリースされ、ライブやトークショーは50回以上開催されている。しかも羽田空港で15回もイベントをやっているとか、こんなのもう空港むすめじゃないか。
空港イベントの盛況を材料に温泉地にコラボを売り込んでいる最中らしく、この程度の実績なのに観光庁の後援も取り付けたようだ。運営企業の営業力には見るものがある。
これまで温泉地で見たことがなかった訳だ。これは温泉地の名前のアイドルが羽田空港でライブをするコンテンツで、温泉むすめファンは温泉好きでも何でもない東京の声優オタクだった。
でもイベントで草津温泉までは何度も来るその情熱は凄い。まあ、草津結衣奈役の高田憂希は可愛いもんな。「NEWGAME!」のあおっちだもんな。
気を取り直してパネルを探す旅を続ける。伊香保温泉、いわき湯本温泉は観光案内所に、熱海は温泉ではなくレストランにパネルが置かれていた。鬼怒川温泉も観光案内所にパネルがあったようだが夜遅くに着いたため会えなかった。
どこでも温泉むすめファンは熱心に足を運んでくれているようで、パネルの評判は良かった。
ただ、大手町温泉だけはキャラパネルどころか入れそうな温泉すら見当たらなかった。なぜこんな所にチェックインスポットを作ったのか謎だ。
7温泉地を巡ってユニットも手に入れ、温泉むすめとはかばかりと心得、アプリを仕舞おうとした頃、以前より温泉地に公認されていた有馬温泉の有馬輪花、有馬楓花姉妹が駅メモ!イベントに追加参入することになり状況は変わった。
地元に近いのであまり頻繁に来ることもなかった有馬温泉駅を3年ぶりに訪れてみると、改札前にいきなり有馬姉妹のパネルが現れた。観光案内所にもスカイマークの制服を着た有馬楓花のパネルが設置されており、街の至る所にはポスター。金の湯、銀の湯を過ぎて、デイユース目的のかんぽの宿有馬にたどり着くとここにも姉妹のパネル。炭酸煎餅の三ツ森本店では有馬姉妹パッケージの炭酸煎餅も売られている。以前から萌えポスターのようなものはちらほら見かけたけれど、今はその大半が有馬姉妹に入れ替わっている。
有馬輪花は赤い瞳に赤いボブヘア、黒のセーラー服、キャラ原案はMika Pikazoさん、有馬楓花はグレーの瞳にグレーのツインテール、グレーのセーラー服、キャラ原案はさくら小春さん。姉妹なのにびっくりするほど似てない。めっちゃ適当。だけど可愛いから気にしない。
店員さんに聞くと過去には温泉むすめの声優が来る販売イベントなども行われ、温泉むすめと神鉄や北神急行と連携したコラボ企画もあり、そのたび全国からファンが訪ねて来るのだという。神戸新聞にも盛況が取り上げられていたようだ。
大阪駅から一時間で来られる有馬温泉は草津温泉へ行くより遥かに楽だし、声優が来るなら声優オタクもそりゃ来るわ。有馬輪花の声優は本宮佳奈、フェネックだ。有馬楓花の声優は桑原由気、メイドラゴントールだ。そりゃ来るわ。炭酸煎餅買いに来るわ。
聖地商売などしなくても既に圧倒的な知名度を持つ有馬温泉が、有馬姉妹というアイコンを手に入れ、団体旅行やシルバー世代だけでない客層を貪欲に取り込もうとしている。
元々有馬は豪華なホテルや旅館が並ぶ賑やかな場所だし、この街は常に新しいものを受け入れて、いつまでも明るく楽しく変化し続けるのだろう。
温泉むすめラリー熱が加速する。その後、さらに駅メモ!イベントに追加された道後泉海、秋保那菜子、箱根彩耶、奏・バーデン・由布院、下呂美月、登別綾瀬を手に入れる時は、事前に温泉むすめパネルの展示場所やグッズ販売所を確認し、温泉むすめファンのブログなども参考にしながら出かけた。登別や由布院では姿を見ることはできなかったが、箱根のカフェや道後温泉、秋保温泉の観光案内所ではグッズも買うことが出来た。
結局駅メモ!のゲームイベント期間中に、登別温泉、浅虫温泉、鳴子温泉、秋保温泉、いわき湯本温泉、鬼怒川温泉、草津温泉、伊香保温泉、箱根湯本温泉、宇奈月温泉、和倉温泉、芦原温泉、石和温泉、下呂温泉、熱海温泉、榊原温泉、おごと温泉、有馬温泉、城崎温泉、玉造温泉、温泉津、道後温泉、武雄温泉、黒川温泉、人吉温泉、由布院を訪れることになった。
並べると何か凄そうだけど、駅メモ!のランカー勢はこの上にまだ2000人くらいいる。
そして、「温泉むすめ ゆのはなこれくしょん」は駅メモ!コラボのイベント期間終了を待たずにサービスを終了した。温泉むすめファンはゲームには課金してくれなかった。
つづく
東京23区に住んでいる。私が住んでいる街はもともと左派が強い街だ。商店街や駅前では、自民党の支持者が多いが、駅から離れるにつれ、住環境は悪くなっていき、低所得な独居高齢者がボロボロなアパートに住むというような地域がポツポツ現れる。そういう街では、公明党、共産党、れいわなどのポスターや左派諸派のポスターが増える。環七の向こうは別の街だ。普段、駅周りで生活していると気が付かないが、違う小学校区に足を運ぶと、この街は本来、左派の街なのだな、と思う。
ただ、その左派の一つ一つがかなりの存在感を放っていることもあり、逆にひとつになるということは難しかった。というより、そもそも、保守派がマイノリティな地域であるから、二元的な対立に持ち込まれると基礎票で完全に負けるのだ。いままでは左派が分散していたため、基礎票も割れていた。その結果、現職の大物議員は開票、即当選での勝利を繰り返していたのだ。それが今回小選挙区ではじめての敗北を味わった。
では今回、大物議員が票を減らしているかといえばそんなことはない。前回より多くの得票をしている。陣営もしっかりと基礎票の積み重ねは行ってきた。勝って傲慢になるのではなく、しっかりと対策はしてきていたのだ。しかし、地元では「明確なメッセージを持たない」と思われているその政治家は、ある一定以上のリテラシーを持つ層、街に永住すると決めていない層には刺さらない。彼は政策型の政治家ではなく、陳情窓口型の政治家だと地元では思われている。おらたちの村を発展させてくれる政治家、つまり区議や都議の大将という位置付けなのである。大学で学ぶ政治学や政策はほとんど関係ない。それより公園をつくったり、スケートボードを禁止するほうが大事なのだ。
今回、彼が勝つためには、左派の自滅、浮動票の獲得しかなかった。基礎票は年単位で構築するものであるから、選挙が始まってからここを増大させるのは難しい。今までは左派の自滅で勝てていたのだが、今回は左派は一枚岩になっていた。そうなると、浮動票の獲得しかなかったが、自民党という追い風は、自らのコロナ優先入院騒動で相殺された。小選挙区は、個人に投票するものであるから、党派に賛成していても、その個人への不信感があれば追い風は無風になる。選挙が始まってしまえば、打てる手は実は、ほぼない。選挙前に仕込みをし、あとは選挙前に加速度をつけて、最高速度を更新続けるのが選挙だ。選挙期間の前に、選挙はほとんど終わっている。今回は、左派の作戦勝ちだった。
左派の基礎票は、そのイデオロギー性にある。社会的正義や不平等、不公平感などから生ずる怒りがイデオロギーとなり基礎票を形成する。では、右派、とくに彼の場合の基礎票の正体とはなんであろうか。一体誰が投票しているのであろうか。これは地元にいないとなかなか見えてこない。彼に投票しているのは、利害関係のある業界団体、宗教法人、地域のおじいちゃん、おばあちゃんコミュニティーである。おじいちゃん、おばあちゃんについて、もう少し詳しく話すと、区議の後援会の面々である。この区議の後援会の面々をうまく組織しているのが、彼の事務所であった。
例えば都議選のときなどは、区議は都議候補のところへボランティアにいく、事務所を貸す。国会議員である彼も応援演説にいく。彼のコネで大物政治家を投入する。逆に区議選では都議、国会議員がサポートに回る。そのような互助会が、後援会の正体だ。国会議員の後援会は、都議の後援会であり、都議の後援会は区議の後援会でもあるのだ。区議が対処できない陳情は都議に持っていき、都議が解決できない陳情は国会議員に投げる。逆に選挙のときは、手伝ってもらう。なぜなら、その後援会の中で一番結束が固いのが、地元の名士をトップとした地域コミュニティーである区議であるからだ。区議の後援会は最強である。そこには政策はいらなく、区議の人望があればいい。その家の看板があればいい。それを旗印に、みんなで戦うというレジャー、人生のスパイスが、おじいちゃん、おばあちゃんたちにとっての選挙なのだ。そして勝てば、みんなでお祭り騒ぎをする、それが楽しいのだ。普通の人がテレビでみるイベントに参加できるという老後の楽しみが選挙という面もあるのだ。シルバー民主主義とかあんまり考えていない。多くの人は楽しいから政治活動に参加している。
私も街頭演説を見てびっくりしたが、彼は抜群に演説がうまい。それは政策を語る、というものではなく、人心掌握という点である。彼の陣営は、おじいちゃん、おばあちゃんのそういう気持ちを熟知していて、街頭演説などでは、後援会の会長の奥様などを見つけて声をかける。国会議員本人が演説中に演説を中断し、「あ!◯◯さん、お久しぶりですね!お元気でしたか?」と高いところから声をかけたりするので、声をかけられた本人はもちろんうれしい。だから、友人たちをたくさん動員し、演説では人一倍拍手をし、がんばって、と声援をかける。そんな友人たちの前で声をかけられれば、「いつも誘ってくる人」から「有名人の知り合い」にランクアップである。そんな区議の後援会のお礼に、彼やその秘書たちは担当を決めて、その地区のお祭りや、野球チームや、寄り合いなどに普段着で遊びにいくのだ。そして、後援会の人にみつかり、なにか一言、というような展開によくなっている。打算的といわれようが、なんだろうが、そこまでするのか、と私はびっくりした。また、私の母も、彼の主催するバスツアーに呼ばれて、旅行に行っていた。高くもなく、安くもなく、普通のバスツアーだったが、帰ってきた母は嬉しそうに話してくれた。
ご飯のとき、本人が横に座ってくれ「困ってることないですか」と聞かれた、だけど、政治のことはわからないので、「近くの側溝から蚊がわいて困ってる」というどうでもいい話をしてしまった、はずかしいと帰ってきた母は嬉しそうに話していた。そして、後日、後援会(というか、なかよし会)のみんなで写った集合写真が届き、そして側溝は掃除された。後援会ごとに写真を取っているんだと思う。それを経験した母はあんなすごい人が私の話を聞いてくれた、となり、そのままファンになっていった。総理大臣を目指すといえば、ときめくのは実はおばあちゃんなのである。おらが村の政治家を総理大臣にするべ!となる。政治家は、バスツアー、街頭演説、選挙、後援会活動などの老後のたのしみとやりがいを提供してくれるエンターテイナーなのである。
新聞ではブランドの崩壊など書かれているが、住んでいる人間、しかも、生まれ育った人間からすると実態を捉えていない。地場の人たちは、とても近くに彼を感じている。政策を語らせるとちょっと頼りないけど、困ってるとき相談するとなんとかしてくれる大将であり、自分の老後人生にハリを与えてくれる人なのだ。彼は自分の身の回りの話しの解説、生活密着といった地上戦の話には強いが、空中戦、つまり憲法、経済、ジェンダーなどの話で深く語ることができない。次回の挑戦までに、秘書たちはもう一度地盤を固め、彼自身は今回取りこぼした浮動票にささる空中戦を体系的に学ぶ必要があると思う。後援会は、高齢化が進んでいる。おじいちゃんおばあちゃん達のアイドルもいまや、還暦を過ぎていて、ここからファンクラブを拡大するのは難しい。そして経年減少を迎えている。だから、選挙に勝つためには、浮動票を取るしかない。リテラシーのある層を取りに行くしかない。それが出来ないと、構造的に負け続ける構造になってしまう。空中戦も戦える候補にならないと、次がない。マーケティングを施したキャッチフレーズは刺さらない。
軍団は解散した。今度はあなたが軍団の大将だ。赤いポロシャツ軍団を率い、今度は高いところから理念を語る姿を見たいと思っている。
東急ハンズ池袋店では4~5年ほどアルバイトをしていました。もともとは夏休みの短期バイトでしたが、特に離れる理由がなかったのでそのまま継続してズルズルと続けていました。
なぜ東急ハンズだったかは覚えておらず、たんに学校からほど近くて昔から馴染みがあった池袋というだけで選んだ気がします。池袋には中学の頃から通っていましたが、自分にとっては本と家電の街でした。あと駅が複雑。新宿駅などよりダンジョン感はありませんが、西の東武に東の西武っていう初見殺しで有名な罠や縦に長くて迷いやすい構造は初めての人には難しい駅だと思います。
今回の閉店は自分の中では寂しい気持ちでいっぱいです。ハンズの思い出というより池袋という街に対する思いいれなのかもしれません。ハンズの帰りは決まって近所のラーメン屋によったり、休日の昼間ならば真向かいの松屋で食事をしたりしていました。資格試験では決まってロッテリアやマックで遅くまで勉強していましたっけ。家電類もアキバなどより池袋のビックカメラが主でした。
ハンズは自分にとって、池袋という街に滞在しつづけた理由の1つであり池袋の人と直に接する機会を得られる貴重な場所でした。
そんなハンズ池袋店が閉鎖してしまうというニュースを聞いたときは、コロナ禍ではあるもののもう一度行きたいという気持ちが募りました。けれど既に東京までは片道でも2時間は掛かる場所にいる自分にとっては物理的に距離がありますし、そもそも今年の8・9月は東京に足を運ぶことすらできない状況でした。さらにこの頃は家族の妊娠が発覚したことでますます遠出することが不可能となり、結局10月31日の閉店に間に合うことは叶いませんでした。
アルバイトをしていた当時、私の仕事場は主に1・2階。当時は1階が季節ものコーナーで2階はバラエティや健康グッズがおいてありました。私はその品出しバイトだったのです。
冬も夏もあの白ワイシャツに紺のパンツ、それと緑色のおそろいの腰エプロンをして作業をしていました。
当時の2階には、「アニメグッズ」「ジグソーパズル」「コスプレ衣装」「ダーツグッズ」「ケータイストラップ」「健康グッズ」「卓上プラネタリウム」などが狭い中に敷き詰められていました。本当にバラエティ色たっぷりでそれに合わせて大型イベントのたびにお客様がごった返しており、そうでなくともにぎやかなフロアでした。だからたまに他のフロアによると自分の担当のフロアと違って随分静かに感じたものです。
1・2階のスタッフは基本的にひとまとめにされており扱う商品もこの2つのフロアで持ち合いになっていました。なのでフロア同士で商品の入れ替えが行われており、夜中に什器を移動させるなど結構大変だった記憶があります。扱うものも多岐にわたるためか最上階の事務所の廊下には自分たちのフロアの什器が商品を付けたまま所狭しと並んでいる光景がよくありましたね。多分他のフロアからはかなり迷惑がられていたと思います。
当時よく取り扱っていたものとして、変な貯金箱がありました。顔面の貯金箱で硬貨を口にあてるとそのまま飲み込んでしまう貯金箱です。他にも猫がダンボールから手を伸ばして硬貨を引き込むものとか、まあそういう変わり種の貯金場がでかい机の上にピラミッド状に積み上げてあったこともあります。他にはおでん缶とか無限プチプチとかも扱ってましたね。懐かしいな。
あと、北海道フェアも1階で行っていたのですが、ロイズとかのポテトチップスチョコとかも売れ残りが結構出たので事務所の休憩室前で従業員価格で手売りされてました。なので飽きるくらい食べた思い出があります。
クリスマスや夏休みとかは人がごった返しており、品出しするだけで大変な思いをしましたね。
当時エヴァの劇場版が大ヒットしたこともあって、UCCの缶コーヒーが馬鹿みたいに売れていたんですが、あれを補充したり並べるのも地味に大変だった気がします。
そうそう、最後まで猫カフェには行くことがありませんでした。なんで当時行かなかったんだろう
色々あって、だけど結構前の話なので覚えていないことも多いですけど、私にとっては池袋という街を定点観察する一番の場所でした。37年間、お疲れさまでした。
いまはもう従業員でもなく池袋に立ち寄ることはなくなってしまい、その中で池袋もだいぶ様変わりしたようです。ハンズの休憩時間に食べていた松屋やデニーズはもうないらしく、頻繁に行っていた丸善の本屋も既に閉業しています。知らぬ間に色々なものがなくなっています。思い出のハンズもなくなりますます回顧の中にしかない池袋。
○ご飯
朝:サンドイッチ。昼:パン。夜:人参と玉ねぎと豆腐とハムのスープ。納豆。
○調子
むきゅーはややー。お仕事はそれなりー。
夕飯を作るときに手が滑ってタマゴをシンクに落としてしまった。
そのまま排水口に流れていった。
めちゃめちゃショックですごい落ち込んでる。
食材を無駄にすることはそりゃダメなんだけど、たまごは特に申し訳なさで苦しい。
なんかこういうときに心を楽にできる宗教的儀式とかないのかな。
すごい落ち込んでる。
ごめんなさい。
広い歩幅追いつけずに離れてしまう
優しく微笑む笑顔
心離れて近づいて
これ、タマゴ落とした時の心情を歌った歌でしょ、なんかめっちゃ心に響いてる。
僕もあるじさまのおせわがかりになりたいけど、名古屋市市長に噛まれたら怖いから、
夕暮れの商店街
見慣れてる通学路
マジで忘れられん
イスタンブールの朝が初海外だったっていうのもかなりデカイ気がするんだが、にしたってあれは良かったよ
港町っぽい、なんとなく風が海っぽくて潮の匂いがこころなしかするような感じ
あの辺の気候なのか、ちぎれ雲が多くて、よく晴れてるんだけど色の薄い空
道路がほんのり汚い感じ
壁に大量の落書きがしてあること
その辺に露天がいっぱいあって、謎のプレッツェルみたいなのを山積みにしていること
野犬がうろついていて怖い
そのへんの看板が全部アルファベットあるいは読めねえ文字で書かれてて、心細い
その辺で釣りしてる人の多さ
飯が安くて美味い
交通がメチャクチャで、信号が全然ないし、あってもみんなガンガン無視してる
それで渋滞が起きてて、渋滞してんだからどう考えても意味ないのに、なぜかみんなクラクションを鳴らす
うるせえんだよな ホテルで寝てても結構夜遅くまでパーパー言ってるのが聞こえてきて、この街頭おかしいだろ!なんて思うんだけども、なんかだんだんクセになってくる
そんで朝起きだして外出ると、あの独特の、言葉にしがたい朝の雰囲気、雑然とした活力の感じ、あーー……
イスタンブール行きてえな
でも英語で話したりするのは嫌だな