はてなキーワード: 追憶とは
セナは死んでしまったけど、それでF-1は終わることはなくて、今も続いているし
あの頃、セナと共に戦っていた、マクラーレンやホンダやウィリアムズはいまでもF-1で戦っている。
そのことはセナひとりが死んでも世界は変わることはなく、ある意味冷酷に淡々と平常運転していることの証明とも言える。
それでも、あのとき、あの場所での、セナの死は当時のF-1に大きな衝撃を与えた。
あの頃でもF-1は昔に比べてずいぶんと安全になったと言われていたけれど、あの事故の影響によりFIAは更に安全性を追求していくことになる。
とはいえいきなり技術革新が訪れるわけもなく、あの当時は危険を避けるためにサーキットの要所要所にシケインが設置されてハイスピードコーナーが無くなったり、
マシンのスピードを抑制するためにスリックタイヤではなく溝つきのタイヤを使ったりと、いくぶんF-1は退化したかのような様相を呈しつまらなくなった部分もあった。
つまりより速く、をやや追求しなくなってしまったことへの退屈感がそこはかとなく流れ出したのもあの当時の雰囲気だったように思う。
しかし、技術は急には発展しないし、人々の意識もすぐには変わらないけれど、だからといって変化しないわけではない。
あの頃と比べて、F-1マシンはずいぶんと大型化して安全になった。
あの事故以降に新設されたF-1グレードのサーキットはコーナーの外側のエスケープゾーンが大きく取られるようになり、カーブを曲がりきれなかったマシンがいきなり壁へと激突しない工夫が取られている。
そして、まるでマシンの大型化に適応するかのように道幅も広くなった。
大型化して速度も速くなったF-1マシンは、そのような新しいサーキットでは水を得た魚のように華々しくバトルを繰り広げることとなる。
逆にSUZUKAのようなサーキットはオールドサーキットと呼ばれるようになり、相変わらずファンからもドライバーからも愛されているけれど、現代のF-1がレースをするのには最適化されているとは言えなくもなってきている。
あの当時の人々も年をとった。
アイルトン・セナの最大のライバルだったアラン・プロストもいいおじいちゃんになった。
いい年齢の重ね方をしていて、それが表情に現れている。
こういうふうに老人になれるのなら年をとるのも悪くないと思わされる。
ゲルハルト・ベルガー、アイルトン・セナの同僚であり親友だった当時のスーパープレイボーイ(フジテレビの女子アナにまで手を出そうとしていた)は、今ではその面影もなく禿げ上がって突き出た腹はみっともなく、知らない人は教えられなくては有名なレーシングドライバーだったと気づくことはないだろう。
つまり人も物も大きく変化したということだ。
ただアイルトン・セナだけが、あの頃から変わることなく、人々の記憶に強烈な印象を与え続けている。
若くして、死んだ人は美しい。
人生の燃えさかるような時期に突然の死を迎えた人たちは悲しく、そして限りなく美しい。
彼らは年をとることはなく、ただ美しく人の記憶に残り続ける。
彼らのことを思うと、ときに感情が撃発し、涙が止まらなくなることがある。
自分も相応の年齢になり、悲しみで大きく感情を揺さぶられて取り乱すようなこともなくなったが、
彼らのことを深く追憶するときだけは、涙なくしてはいられない。
アイルトン・セナが死んで30年経ったが、人々は彼のことをまだ忘れていない。
第8回横浜トリエンナーレ「野草:いま、ここで生きてる」がこの土日で終わります。私も見に行って、なかなか面白く思いました。ところが友人によると、SNSでは批判の声が多いそうですね。あまりそういうものは見ないようにしているのですが、友人がその場で例を見せてくれたので、ついいくつか読んでしまいました。そのときの感想は、ひとことで言うと「批判者の言うことにもわかる点はある。でもキュレーターはそれなりによくやっていたと思うし、今回が最悪だとか、他の回に比べてどんどん悪くなっているとか、そんな気はしない」ということでした。そこで友人といろいろのことを話し合ったのですが、今はそれを思い出しながらこの文を書いています。
今回の展覧会には魯迅の『野草』という短編集が深く関わっていますが、魯迅は「おおむね、折にふれてのささやかな感想を述べたに過ぎない」と述懐しています(岩波文庫、竹内好訳『野草』の解説)。魯迅の感想が短編集『野草』を生み、『野草』がこの展覧会を生み、この展覧会が人々の感想を生み、そしてその感想がこの感想を生みました。もしこの感想を読む人がまた新たな感想をもつならば、それで満足です。
人は物事に触れて感想を持つものだと思います。SNSの批判の中にも、「これは感想にすぎない」というような留保をつけるものがありました。感想は自由にあるべきと思います。そして、感想を読んだ感想というものも自由にあるべきでしょう。今はくだんの批判を読み直さず、またあまり調べものもせずに書いていますが、不十分なところはどうぞ悪しからずご理解ください。これは「論」ではなく、「感想」のつもりです。
今回の展覧会の特徴は、「作品」と「意味」のバランスを探る点にありました。多くの作品は、ただ「見て楽しむ」ものではなく、「意味を考える」ことが求められるものでした。そのバランスがキュレーターの側でうまく作れているか、そして鑑賞者がそれをどのように読み解くかがカギになっていたと思います。
今回のテーマは「野草」というのですが、その裏には魯迅の『野草』という著作が密接しています。これは展覧会中にも幾度となく示されており、魯迅の『野草』の本も展示してありました。この本は「二十四篇の短文から成る」ものですが、「スタイルはまちまちであって、詩あり、散文あり、また即物的なもの、追憶的なもの、観念的なもの、象徴的なもの、風刺的なものなどが入り混り、内容形式ともに多傾向」なものとなっています(岩波文庫、竹内好訳『野草』の解説)。この本は意味があるようで意味がない、意味がないようで意味がある、詩のような文のような、芸術のような政治のような、一種独特の雰囲気をもった作品集です。
これを読んでから展覧会を見渡すと、「キュレーターたちは横浜美術館を一冊の現代版『野草』にしようとしていたのではないか」ということに思い至ります。
そう考えると少し納得できる点もあります。それは「文」への偏重です。友人は次のように話していました。「私は今まで、展覧会は作品を見ればよいと思っていた。作品を見ずに解説ばかり読む人があれば、本末転倒だと考えていた。つまり、言葉を軽視していたのだ。ところが、今回の展覧会では作品の多くに意味があり、その意味もキュレーターの解説を読んで初めてわかるようなものが多かった。入口にはタブレットの文章が並べられ、その左側の階段の上には本を並べた一角もあった。さらには猟師へのインタビューがあったり、詩が作品として出ていたりと、言葉への重視が目立った。」
しかし、これは考えてみればさほど奇妙なことではありません。ふつう、広く「芸術」 (art) と言うときには「文学」を含みますし、「美術」 (fine art) というときでも「詩」を含むことがあります。「芸術」は「造形芸術」に限られたものではありません。もちろん、ただの書籍や文章が「芸術」と言えるのかどうかは議論の余地がありえますが、言葉と芸術の距離がそう遠いものでないことは確かです。
さらにテーマの「野草」が魯迅の『野草』に由来するものであることを考えると、今回の展覧会の裏地には文学がぴったりと張り付いているような気がしてきます。キュレーターが中国の出身であるということから、なんとなく心のなかに「文の国」という言葉が浮かんできました。三千年の歴史をもち、科挙の試験にも詩が課され、書という芸術をいだき、詩文や文字が芸術でないなどと疑ったことのない文化の国のイメージとともに。
いっぽう、日本で一般に「芸術」というとき、それは詩文を容れえないほど偏狭なものなのでしょうか? 批判の中には「文」への偏重に対する疑問もあったように思います。そのような人々にとっては、あたかも展覧会から「あなたの思う芸術とは何ですか?」という問いが投げかけられたような恰好になっているわけです。
では、「芸術(アート)」とは何でしょう。批判する人たちの中には、自分にとって「美しくない」「面白くない」から「芸術(アート)ではない」と断じたい人もいるようです。でも、現代アートは「美」への問いかけを含むものではないでしょうか。デュシャンの「泉」などはまさにその代表だと思います。また、「芸術」における「言葉」といえば、シュルレアリスムと詩の関係だとか、20世紀初頭の芸術家たちがしちくどい宣言を次々と打ち出したりだとか、いろいろと思い当たることはあるはずです。そういうところに「美しいものが芸術なのか?」とか「言語表現は芸術と無関係か?」といった問題はゴロゴロと転がっているわけで、簡単に「これは芸術だ」「これは芸術じゃない」と判断できるはずはありません。その人たちの考える「芸術」は、どのくらいの狭さなのでしょうか。
鑑賞者は芸術に触れるとき、常に戸惑い、「作品の受容」ができない事態に直面する可能性をもっています。そのような時こそ、自分の中にある固定観念を見直す機会かもしれません。今回、批判したくなった人が多かったということは、それだけ作品からの「問い」を受けた人が多かったということでもあります。そうなると鑑賞者は、やっかいなことですが、自分の回答を練らなければならなくなります。批判もひとつの回答ですし、その回答に満足せず、さらに新たな回答を考えてもよいわけです。陳腐な言い方ですが、「作品との対話」が必要な展覧会であったと言えるのでしょう。
友人はまたこうも言っていました。「かつては『現代芸術は抽象的すぎて何が描いてあるかわからない』という時代があり、その後に『現代芸術は難しくない、何も考えずに作品を面白がろう』という時代が来て、それはひとむかし前まであった。でも、それが終焉すべきときに来たということかもしれない。今は言葉の時代なのでしょう。考えずして何が現代の芸術か、ということになっている。地味でつまらなかったといった批判もあるようだが、休日にちょっと芸術に触れてみよう、子どもを芸術に触れさせてみよう、デートで美術館に行ってみよう、特に『何も考えずにただ作品を面白がろう』と期待した人にはつまらなかったかもしれない。」
たしかに、昔からの(または昔ふうの考えをもった)現代芸術の鑑賞者の中には、「芸術とは面白がるもの」という考えから抜け出せず、新しい潮流に戸惑う人がいるかもしれません。「金を払って楽しみに来た」という手合いには、気の毒だったと言えるでしょう。しかも来訪者への間口は大きく広げられていたので、そのようなミスマッチを生むしかけは念入りに準備されていたともいえます。今回は横浜美術館の改装後の久々の展覧会であり、規模も大きく、宣伝もあって、多くの人を誘い込む要素がありました。そのような場で横浜美術館は「人を面白がらせる」展示をすることもできたはずです。しかし、実際には「人を戸惑わせる」展示を行いました。だからがっかりした人も多かったのでしょう。
私も「キラキラ」な楽しい芸術が好きです。だからそういうものが多いと嬉しいし、その逆ならばがっかりします。しかし、美術館の目的には「レクリエーション」もありますが、決して「レクリエーション」だけを目的とした施設ではありません。今回、美術館はこのような大規模の展覧会で、作品との「出会い」と作品からの「問いかけ」を提供し、人々を「戸惑わせ」てくれました。その意味で、美術館はよくやったと思うのです。「キラキラ」な楽しい回があってもよいし、「地味」な考える回があってもよい。美術展はそういうものだと思います。
ここで、ちょっと過去のトリエンナーレを振り返りたいと思います。
私が初めてヨコハマトリエンナーレに訪れたのは2011年の第4回「OUR MAGIC HOUR ――世界はどこまで知ることができるか?――」でした。この年は東日本大震災の年で、印象としてはとにかくキラキラと輝くような回であったということです。震災後の混乱をアートがどう扱うか、芸術家の間でもまだ折り合いがつかずに、ただ思いつく限りのことをやってみたといった印象で、宝箱の中の宝石をぶちまけて転がしてあるような、たいへん魅力のある回でした。私にとってこの回は「よい」の標準になっています。
2014年の第5回「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」もたいへん期待したのですが、この回は言ってみれば「地味」な印象で、まだ青かった私は「ハズレ」だと感じました。しかし、友人はこの回も面白かったと言っています。この回は「忘却」がテーマで、戦争中に作家や芸術家がいかに体制側に立ってはたらき、戦後その責任もとらず、反省もせずに「忘却」したかということを、当時かれらが執筆した文章を並べて示していました。このころには震災後の政権交代や脱原発などの流れの中で、世の中を動かすのは「政治」であるという意識が出てきていたためかもしれません。
2017年の第6回「島と星座とガラパゴス」は、博物館の表に救命ボートがびっしりと張り付けられていました。「ネトウヨ」に関する展示もひとつふたつあったことを覚えていますが、これもきわめて「政治的」でした。長期化する安倍政権のさなかにあって、政治の右傾化が懸念されていたことも影響していたのでしょうか。(「政治性」の話は、後で少し触れたいと思います。)
2020年の第7回「AFTERGLOW――光の破片をつかまえる」は久々の「当たり年」でした。2011年に次ぐキラキラの再来です。入口から光り輝くカラスよけのCDのような装飾、メビウスの輪のような形をした光り輝く金属の骨組み、巨大な腸を模した造形、赤いカーペットをひいたでこぼこの「道」、映像作品「遅れてきた弟子」、そのほかここでは言い尽くせないもろもろの楽しい展示の連続。
きっと第7回が初めてのヨコトリ体験であった方々は、2011年の私が次回に期待したように、第8回にも「キラキラ」を期待したかもしれません。しかし、べつに横浜トリエンナーレは「キラキラ展」ではないので、地味な回もあるのです。その意味で言えば今回はやや地味だったかもしれません。しかし「地味」には「地味」なりの「味」があるものです。今回はその意味で「ふつう」と「よい」の間くらいと感じました。決して「悪い」ではなかったと思います。
今回の展覧会が悪かったという人の中には、展示が「政治的」だという人もいたようです。もちろん、芸術が政治的であることの何が問題なのかとか、政治が生活と密接なものである以上は程度の差こそあれ政治的でないものなどありうるのかといった疑問も出てきますが、今回の展覧会を見て私が感じたのは、むしろいわゆる「政治性」の薄い部分があることでした。キュレーターが中国出身の方ということなので、もしや特に日本のために配慮(手加減)したのではないかという疑いさえ感じました。
たしかに、今回の展覧会ではヨーロッパの戦争に関連する展示や国粋主義者の移民反対デモの映像が展示されていました。それがひとっところに固めてあるのではなく散らばしてあったのは、この会場をひとつの世界に見立てて、このような出来事が遍在していることを忘れてはいけないと示したようにも見えます。
そのデモの映像のひとつを見ているときでしたが、後ろを通りかかった人が「ヨーロッパ、壊れてんな」とつぶやきました。まことに然り! だがそれを言えば日本だって「壊れて」いるのです。日本でも人種差別のデモが行われています。ヘイトクライムの危険もあります。「人種差別」がわたくしたちの身近にあることは、ネットを少し覗いてみればすぐわかることです。
思い返せば2014年や2017年はかなり「政治的」な展示があったと思います。しかし今回、キュレーターは日本の問題をひとつも指摘しませんでした。日本で美術展が国粋主義的主張をもった人々の抗議で中止に追い込まれた事件もそう遠い昔のことではありません。日本は美術の表現が自由にできない国です。キュレーターたちは日本に気をつかってくれたのでしょうか? それとも日本で波風を立てて攻撃されることを恐れたのでしょうか? それとも今の世界を広く見たときにもっとも新しくもっとも重い問題にしぼってとりあげようと考えたのでしょうか? それは知るよしもありません。もっとも自由な表現への危機は(またすこし違った形で)キュレーターたちの出身地である中国にもあることでしょう。展覧会中に示されたように、ヨーロッパも安全ではありません。世界じゅうで似た現状があります。
しかし、日本が名指しで批判されなかったからと言って、日本が許されたわけではもちろんなく、これらの作品のなかに普遍性を見出し、これを「鏡」として日本の現状を見ることが求められているのだと思います。それらの作品が見るに堪えない現状を示しているとき、それに怒っても意味がないでしょう。それは鏡をヒョイと覗き込んでみて、「ああ醜い! 私の美学に反する。美はいったいどこにある?」と怒るようなものです。
ところで、批判者の中には展覧会のこのような政治的な「傾倒」や「変質」がここ10年や20年の変化だと振り返る人もいますが、私には展覧会のなかにその説明があったように思われます。今回の展覧会は、これも魯迅の『野草』をテーマとしているためかもしれませんが、歴史を強調するものが多くあり、あるところでは史料紹介の様相すら呈していました。木版画をめぐる日中交流史の展示では、魯迅が木版画という簡易で複製可能な芸術を通じて、民衆に文化を届けようとしていたことが紹介されていました。これは「芸術」が一部の特権階級のものではなく、民衆のためのものであるべきではないのかという問題を、当時から現代に向けて投げかけなおした一面もあると言えるでしょう。また、皇国史観へのアンチテーゼとしての縄文土器や、学生紛争を撮影した写真が展示されていたのは、芸術と政治の問題が降って湧いたものではなく、日本でも半世紀以上にわたって連綿と続いている問題であることを示していたと思います。
(後編へ続きます。)
https://anond.hatelabo.jp/20240608093350
あーマジで見てられね―な。
お前がブルアカのこと好きでもなんでもないことは明白なんだよ。
バ レ バ レ って奴ね。
ブルアカの本質、透き通るような世界観の青を理解していればブルアカアニメが何を目指していたのかぐらい秒で理解できる。
ブルアカが目指していたのは「韓国原産ゲームのアニメ化という偉大なる成功体験の再現」なんだよ。
韓国産ゲームが二次元大国日本に文化侵略を繰り返し、その象徴としてアニメ化というゴールへと到達した日々の走馬灯こそがブルアカの見る夢なのだ。
原作ゲームを荒削りに再現し、キャラ萌えと狂気と闇(ニチャァ)で安易にオタクを刺激しようとする牧歌的で原色的な平成中期のポップカルチャーをやり直しているわけ。
原作ブルアカのOPを聞いた時、君は言いようのない懐かしさを覚えたはずだ。
ブルアカはね、若いオタクが青春を味わうゲームじゃないんだよ。
年老いたオタクたちが、自分たちの夢見ていた青春を思い出すゲームなんだ。
青春を夢見ていた頃の気持ちを共有することで、オタクとしての若々しい情熱を蘇らせてくれるんだ。
今風の技術と絵柄を使っているだけで根っこの部分は何十年も前に流行ったような王道楽園美少女動物園だ。
偉大なるキム・ヨンハが目指しているのは、まだ美少女動物園が青々と輝いていた頃を懐かしむことなんだよ。
レッドオーシャンしていくなかで差別化のために迷走を繰り返し、パイを広げていくためにオタク臭の脱臭を図りだす前の時代の追憶だ。
彼は未来を見通す賢者ではなく、自分が経験によって学んできた歴史を課題に評価する愚者だ。
愚者であるからこそ、余計な知恵を振りかざさないからこそ、その実直な気持ちが受け手の心を捉えるのだよ。
日本カルチャーが忘れた原始的な萌えの体験を愚直になぞり続けるキム・ヨンハの繰り出した新たな一手こそが、オタク黄金時代風なアニメ化なわけだ。
OPだけやたら気合が入ってて本編の作画はちょいちょい手抜きを感じさせるこの空気、これを懐かしめない奴はブルアカのことを何も分かってねえ。
声優がフルボイスで全部の台詞を読んでくれているだけで嬉しいと思えるかどうかが試されていることが、自分が本当のファンであることを証明してくれる試練となっていると思えねえのか?
ブルアカのアニメは俺達に大事な気持ちを思い出させてくれたぜ。
このガッカリ来るような気持ちがよ、当たりの少なすぎるガチャのような理不尽さがよ、スコッパーたれと言うが如くの玉石混淆、これが俺達の脳をぶっ壊してきたんだろうが!
☆3が全然引けねえから☆3を同時に引けただけで自慢スクショ取っちゃうような、そんな賭博性が快感の大原則なんだよ!
ブルアカのアニメだから成功して欲しいという気持ちが裏切られたと感じる時、その気持ちに「コレだよコレェ!」となれないような奴がブルアカをいっちょ前に語ってんな。
そしてアニメ版エデン条約編の評判の良さを聞きつけて帰ってきてから「クソすぎて途中離脱してたわwwww」と言ったことから炎上して全部のアカウントが凍結されるがいいさ。
シロクマ先生の「介護されたい高齢オタクを引っかける釣り針がすごい──『葬送のフリーレン』」
(https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20231019/1697674271)
を読んだ。私の感想も大体似た感じはあるが、逆に感じた。シロクマ先生はファンタジーものが高齢者用に新たな釣り針をセットしてきたというように書かれているが、私はこれは逆で、既存の高齢者向け作品が若者でもわかるように模様替えをしてきたのだと思う。異世界もの流行の世相の中で、中高年向けのハードボイルド作を異世界に移したのが「異世界ハードボイルド」フリーレンではなかろうか。
私は最初に葬送のフリーレンを読んだとき感じたのは「これって谷口ジローじゃないか」ということだった。後悔、そして過去への旅、他人への素っ気なさと内心の情熱、強靭な精神、谷口ジローの作品世界を感じさせる。話の折々にヒンメルを思い出すフリーレンの姿は、飯時にセーヌのほとりで別れた恋人を思う井頭五郎とダブって見える。これが漫画ゴラクなら中年男性主人公で構わないが、少年サンデー掲載となるとさすがにターゲットを考えて異世界の美少女主人公となるのは当然だろう。私はフリーレンの原作が関川夏央だと言われても驚かない。
ハードボイルドの項目をwikipediaで見てみよう。"「ハードボイルド」は元来、ゆで卵などが固くゆでられた状態を指す。転じて感傷や恐怖などの感情に流されない、冷酷非情、精神的・肉体的に強靭、妥協しないなどの人間の性格を表す。"(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%89)まさにフリーレンである。また例えば中高年探偵が主人公のハードボイルドにありがちな設定は大体こんな感じだろう。
オタク文化の大衆化にすごくがっかりした anond:20221228200137
という増田、250ブコメを越えてようやく過去の増田の再投稿だと指摘される
nonameotaku 2019年1月11日に全く同じ増田が投稿されている https://anond.hatelabo.jp/20190111203922 オタク 増田
2022/12/29
[B! オタク] オタク文化の大衆化に少しだけがっかりした話 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20190111203922
[B! オタク] オタク文化の大衆化にすごくがっかりした https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20221228200137
この2つのブクマを並べてみるとわかるのだが、同じメンツが全く同じ内容(タイトルだけ若干違う)の増田に食いつき、議論し、さらには同じことを新しいアイデアのように書いていたりする
結局ブクマには、最早オタク気質の人間は残っていないということなのだろうか
sds-page 少数の作品で満足しないで常に色々な作品に触れて知見を広げようとする姿の方がオタク的ともいえる 増田オタク考え方
2019/01/12
sds-page 色んな作品を見て「この作品はこの作品の影響を受けてる」って語る歴史文化史的な楽しみ方するのもオタクなんでないの。専門書読み漁るタイプの歴史物の楽しみ方と一緒やぞ 増田オタクコンテンツ考え方
2022/12/29
mutinomuti “オタクであることが周囲に知られることは社会的な死を意味した” 文芸部とか普通にあった同時代人としてはそんなことない学校もあったよて言いたい(´・_・`)普通に生徒会兼務とか吹奏楽部兼務とかめっちゃしてたし
2019/01/12
mutinomuti “昭和生まれのオタクだ。 私の学生時代、オタクであることが周囲に知られることは社会的な死を意味した”少なくとも近い世代の自分の界隈はそうでなかったので、この言説に共感できない(´・_・`)
2022/12/29
anmin7 石の下に帰ろう。
2019/01/12
anmin7 めちゃわかる。オタク文化が嫌な掘り下げ型の人がいま迫害されてるんだろうな、って思うわ。迫害を楽しみにするタイプもまたいつだって人類にいるからね。
2022/12/29
algot 中二、コミュ障、ヘンタイをオタクというワードでオブラートに包めた時代が終わった感じ。
2019/01/12
algot “ひとつの漫画に対して熱は何年も続いた” つまり自分もその何年の後は別の漫画に興味が移ったわけじゃん?その時同好の士は増田にガッカリしたんじゃない?
2022/12/29
mujisoshina その場に応じて皆と共有できる話題を使い分けているだけじゃないかな。昔は話題を使い分けることのできない空気を読めない者こそがオタクとよばれていたんだけど、今は普通に空気を読める人も漫画やアニメの話をする
2019/01/12
mujisoshina 他の人と合う部分はSNSで語り、合わない部分は自分だけで楽しむので良いんじゃないかな。オタクの交流なんてそんなものだろう。趣味は一つで無くて良いんだし、他の人だってSNSでは語らない趣味も持っているんだよ。
2022/12/29
toraba アニメオタクではないけど好きなアニメ作品はあるので同じ作品を長く楽しんでる、漫画はジャンルとして好きだから色んな作品をある意味消費するように読んでる(勿論長く楽しんでる作品もある)
2019/01/12
toraba オタキング「オタク第一世代は貴族主義、オタク第二世代はエリート主義、しかしオタク第三世代は教養的に学んでいこうという勤勉さがなく、世間に白い目を向けられる者たちが持つ連帯感と寛容さがない」
2022/12/29
atoh どうやったら世間の情報をこれほど遮断できるのか。海洋堂の宮脇センムが最近はオタクの意味合いが変わったとインタビューに答えたのが2010年の事。https://diamond.jp/articles/-/9427?page=5 増田オタク
2019/01/12
atoh 今まで気づかなかったのか。海洋堂・宮脇センムがオタクの変わりように言及したの10年以上前やぞ。https://diamond.jp/articles/-/9427 増田オタク
2022/12/29
myogab ナニをイマサラ
2019/01/12
myogab オタク黎明期でも「オタク」てのはそんなもんで、増田の言うそれは「マニア」だったかと。 追憶
2022/12/29
sakuragani オタク的なものに興味があろうがなかろうが結局コミュ障はコミュ障だしリア充はリア充だ。もはやオタク的なものがコミュ障のアジールでなくなった以上、そこは割り切っとかないといろいろつらいんじゃない?
2019/01/12
sakuragani 嗜好対象とは関係なく「掘り下げ型」の気質を考えたら繋がる手段が増えたところでって感じではある。一方でオタク趣味の極北などと称されるTRPG界隈にいる身からすると10年で繋がるための環境は劇的に改善してるなとも
2022/12/29
p_shirokuma 「姿勢としてのオタク気質」ってやつのようにもみえるが、実はそうでない話のようにもみえる。 オタク趣味
2019/01/12
p_shirokuma 「最近になってSNSを使ってオタク活動を始めた。同好の士と繋がっていくと中・高生とも話す機会が増えた。今までオタク趣味をオープンに話す機会もなかったので純粋に嬉しかった。」←なんかすげえな。浦島太郎か。 オタク趣味
2022/12/29
kagerou_ts 増田は深堀りするタイプのオタクだからそのままの自分で生きてほしい。
2019/01/12
kagerou_ts 昔は生存バイアス的にガチ勢しかいきのこってなかったのではという気も。単純に楽しめる人が多くなっていいじゃんって思うよ/「今期はこれ」みたいな移り変わり、昔からあったような気もするし
2022/12/29
cl-gaku ナイステキスト/作品のオタクではないが業界のオタクではあると思う。視線の先が少し違う
2019/01/12
2022/12/29
gcyn 『コンテンツが一般化しただけでオタクが増えたわけではなかった。そして皆が皆自分はオタクだと叫んでいる中、オタク気質な同好の士を探すのも以前と変わらず難しい』
2019/01/12
gcyn 「萌え」の語の発生と一般化の以前と以後で、それ以前からあったものも書き直されて「オタク」もまた書き直されたのかも。そういう意味では「私は萌え以前のオタクだから」の矜持で楽しく…や、以後もまた楽しいか。
2022/12/29
technocutzero それオタじゃなくてただのアニメ好き オタは多大な代償を払うことでしかなることができない哀しきモンスター
2019/01/12
technocutzero もうそういう意味でのオタクは10年以上前に終わっている 終わったから日の光の下に出てきたんだよ でもそれは本当の意味での知見があれば聞いてくれる人も多くなったってことでもある
2022/12/29
memoryalpha 昔その層のために作った商品を買ってるのはオタクではなくお客だと官給品コレクターが言ってました(´・ω・`)
2019/01/12
memoryalpha ただの漫画アニメ好きの人までオタクと呼ぶ風潮のせいでは。大衆化もあるが漫画アニメ限定でオタク定義要件が緩和されてる。増田と同類ではないのだ。ラーメン好きな人をラーメンオタクとは呼ばんだろう(´・ω・`)
2022/12/29
sysjojo 増田はアレフガルドに入るくらいからがオタクだと思ってるみたいだけど、今はダーマの神殿についたくらいでオタクなだけだから。大丈夫。メルキドで待ってればそのうちたどり着く人もいるから。(迷い込む?)
2019/01/12
sysjojo カジュアルオタクとヲタとおたくは似て非なるもの。
2022/12/29
neko2bo 日々色々知りたくもあるし。一つを深掘りもしたいし。全てを楽しみ尽くしたい欲求はありますが、時間もお金も足りません。
2019/01/12
neko2bo 愛好するコンテンツ次第で孤立したり中傷を受けたりする。そんな理不尽な危険性が減った。それがどれだけ素晴らしい事なのか。自分は嬉しくてしようがない。 オタク コンテンツ
2022/12/29
cinefuk 昭和の頃は「ミーハー」と呼ばれていた層が、現代の(マネタイズの対象としての)「オタク」になったと捉えれば、おじさん世代も納得すると思う オタク 増田 80年代
2019/01/12
cinefuk 昭和オタク用語でいうところの「ミーハー」が支配的になった世界だからね。でも、昭和でも似たようなものだったのでは?アニメ雑誌のグラビアを切り抜いて下敷きに挟んでいれば「アニメファン」だったでしょう? オタク80年代増田
2022/12/29
citron_908 オタ文化とオタ体質は似て非なるものだと 増田
2019/01/12
citron_908 オタクとは知識ではなく生き方である 増田オタク
2022/12/29
NHKが「旧統一教会創始者の偉業」をたたえた? ラジオ番組の内容めぐりSNS騒然、一部は「デマ」
https://www.bengo4.com/c_23/n_14861/
(文氏死去から10年の節目に、北朝鮮当局から文氏の妻へ宛てた)弔電では『民族の和解や団結などのために傾けた文氏の努力と功績は、末永く追憶されるだろう」などとしています。
たったこれだけで、時間にするとわずか10秒、誰が聞いても北朝鮮が文氏の妻へ向けたものだという内容が分かる報道だった。
その他には文氏について、
・1991年に金日成と会談したのをきっかけに文氏は北朝鮮で自動車生産やホテル経営を手掛けた
とする、全部で1分30秒ほどのニュースながら、北朝鮮と統一教会の繋がりを示す極めて重要な内容だろう。
そしてどこにもそれを「偉業」だとする内容はない。
この動画を見ていると、なぜかとても懐かしいような気がして、胸が締め付けられる。ある夏休みの日、学校の図書館に本を返しにいくような、永遠に失われてしまった時間がどうしてか今近くにあるような気がする。蝉しぐれ、日差し、水路の流れ。失われた時というやつはいつも夏の顔をしていて、時に知りもしない少女の追憶へと私を追いやる。
ちふゆさんはいったい、何県の何中学校に通っていたのだろう。彼女の部屋はどんなのだったのだろう。好きな小説、お気に入りの音楽はなんだったのだろう。メール友達がいたかもしれない。なぜか千葉や埼玉の郊外に住んでいるような感じもする。どれも知る由もないが、たしかにそこにいて、おそらくは今も、今もどこかで暮らしている人を思うと、どうしてか本当にかなしい気持ちになる。
どうしてか永遠に交わることのない人たちが大勢いるという当たり前の事実を前に、胸が空っぽになる。知らない街、知らない学校、知らない校庭、知らない日々を思うと、得体の知れない喪失感に打ちひしがれる。夢の世界で知らない風景を見て起きた時の、あの忘れゆく記憶を辿るようなもどかしい感じがする。ただ一つ確かなことがある。彼女には逢うことができない、永遠に。