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長瀬智也、英国のバイク誌に登場 悠々自適な暮らしに「所ジョージ化している」の声
6/29(水) 7:15配信
土ぼこりひとつ付いていない車体が、彼のバイク愛を物語っていた。カスタムが施された1980年代製のハーレーダビッドソンの横に立ち、カメラをまっすぐ見つめるのは元TOKIOの長瀬智也(43才)だ。
【写真】長瀬智也がサプライズで登場した釣り雑誌の表紙。バスロッドを持ちハーレーに腰掛ける。他、お茶をする長瀬、首都高をバイクで流す姿、釣りの師匠と写る湖畔の姿なども
12ページにわたり、彼の愛車が紹介されたのは、英国のバイク誌「グレイシーカルチャーマガジン」の最新号だ。ページに登場したのは「ショベルヘッド」というタイプのエンジンを搭載したカスタムバイク。これは彼の友人であるバイクショップオーナーが作り上げたもので、30年以上かけて探し出したパーツも組み込まれているという。日本のバイク誌編集者は異例の掲載だと話す。
「長瀬さんが登場したのは世界中でファンを持ち、マニアもうなるようなバイクカスタムが特集される雑誌です。芸能人が取材されることはほとんどなく、本当にこだわりのあるバイカーしか載ることができない。長瀬さんのカスタムが世界レベルで認められたということでしょう」
長瀬といえば、2021年3月末にTOKIOを脱退後、テレビや映画への出演はない。いま、彼の軸足は芸能界ではなく趣味の世界にあるようだ。
たとえばバス釣り。日本のバス釣り誌「Basser」6月号では、釣り道具や工具が所せましと並んだ自宅のガレージを公開。神奈川・芦ノ湖での撮影では大型のマスを釣り上げ、釣り歴25年の手腕を見せつけた。そして16才から乗り始めたというバイク。冒頭の雑誌だけでなく、6月30日に発売される日本のバイク誌「RISER」創刊号でも、彼の特集が組まれる予定だ。
悠々自適ともいえる長瀬の暮らしを、大御所タレントの生き様と重ねる人も少なくない。ファンの間では「所ジョージ(67才)化している」という声も上がっている。実際に2人はプライベートでも親交があるようだ。
「長瀬さん自ら、遊びに行きたいと申し出て、所さんの『世田谷ベース』を訪れたそうです。到着するなり、長瀬さんは部屋に並んだギターを褒めまくり、気をよくした所さんは譲ってしまったのだとか(笑い)」(芸能関係者)
ジャニーズ事務所退所に際し、長瀬は「裏方としてゼロから新しい仕事の形をつくり上げていく」と語った。ファンは彼の“生存報告”を喜びつつも、作品への出演も心待ちにしている。再び、芸能界に舞い戻る可能性はあるのだろうか。
「長瀬さんはいま、相手の知名度やギャラではなく、フィーリングを重視して仕事を選んでいるそうです。オファーが彼が表現したいものと合致すれば、それが映画などでも出演するのではないでしょうか」(長瀬の知人)
たまに渋い武士の役とかで出演するとかでいいと思う
オタクたたきをしているのは風俗嬢であったり婚活失敗した独身女性の逆恨み、
それから夫との関係が上手く行ってない幸が薄い中年のおばさんたちなど
女性の中でもカーストが低い連中者主戦力であることは最近知られるようになってきた。
一方ツイフェミ運動は、新聞記者やライターといった上流階級の二軍選手や落ちこぼれの敗者復活戦となっている。
こうした一流になれなかったプライドの低い女性が、先ほどのコンプレックスの塊と化した負け犬女性たちを扇動する形で成り立っている。
ツイフェミに先導された負け犬女性たちと社会の負け犬である男オタクがいつまでも争いを続けているのは、似た者同士だからだろう。
こうした不毛な争いを終わらせるのは山田太郎やレドマツではない。VTuberというカルチャーだ。
VTuberは若い女の子のファンが非常に多い。しかも、負け犬どころか普通にカースト上位の女性もここに属していたりする。
ツイフェミや負け犬中年おばさんたちが今までの感覚で雑なオタクたたきをすると
最近この手の若い女の子を敵に回して若い女性から反発の声が出ることが増えてきた。
まもなく、オタクたたきしか生きがいのない負け犬中年おばさんは、この若い女性たちによって駆逐されていくことになるだろう。
昔から女オタクという数はものすごく多かったのだが、可視化されにくかっただけだ。
いかんせんなぜかジャニオタは存在を許されるがアニオタや腐女子は隠れていろという女社会の圧力が強かった。
そして、なぜかこの手の中年腐女子や中年アニオタ女性は頭が悪いので
自分を抑圧する女性社会ではなく男オタクに恨みをぶつけていたりしていたのだがいい加減それがばかげているという話になっていく。
自分が弱者なのにポリコレに冷ややかな目を向けがちで、むしろ自己責任思想に接近しがちな人たちがいる。
そういう人は強者ではないのに弱肉強食を指向するのはおかしいと言われがちだけれど、自己責任に寄っていく感覚もわからなくもない。そこには絶望があるんだと思う。
ポリコレという名前を付けなくても、時代が変わるにつれて価値観は変化するし、概ね道徳観は向上していると思う。
でも、ここ数十年の変化の方向が軒並み自分の生きやすさに繋がらない状況が続いてるなら、「ああ、少なくとも私が生きている時代の道徳の救済対象からは私は外れてるんだな」って絶望するのはわかるよ。
救われないから絶望するなんて甘いこと言ってないで自分で声を上げろって言いたくなる人もいるだろうけど、まあちょっと声をあげても民間レベルでは叩かれるし、トランプみたいな大統領を誕生させるという「快挙」を果たしてもそれが世界の潮流を変えなかったという失敗経験は絶望を強めるに足る。
「日本は自民党が一強だし世界でも保守派が強くなってるのに、世界の潮流がポリコレ寄りとはおかしい」と言いたくなる人もいるだろう。
去年カズオ・イシグロがリベラルに苦言を述べた記事が話題になった時も、彼の「リベラル側の人が理解しないといけないのは、ストーリーを語ることはリベラル側の専売特許ではなく、誰もが語る権利があり、私たちはお互いに耳を傾けなければいけないということです」という発言に、非リベラルの方が政治的権力が強いじゃないかとの反論があった。
それについては、ジョセフ・ヒースがインタビューで紹介している考え方を踏まえれば、カズオ・イシグロの指摘も理解しやすい。
「文化政治を追求するのを選ぶ際に,左派の方が実はすぐれた戦略を採用していたとバノンの方は考えていた,という点です.『我々はホワイトハウスを占拠したが,かたやリベラルはハリウッドを占拠するのに専心している』と彼は発言しています.つまり,右派は国家を支配しているけれど,左派は文化産出の道具を支配しているというわけです」という部分だ。
ポリコレ的な思想が、ハリウッドやSNSのキャンセルカルチャーやSDGsを主導したことで、ある種の人間には「これから私たちの待遇はよくなりそう」と希望を与えたが、その希望の分配から取りこぼされた(にもかかわらず他人の希望実現のための協力は要請される)人間はポリコレに絶望したくなるのだ。
取りこぼされている人でも、最初の頃は素朴な正義感によって「今は私には直接益がないけど、でもマクロでは良いことだろうからポリコレ支持しよう」と考えることはあるだろう。
でも色々な物語や現代文化が自分を省みない方向に変化していく傾向が続き、私生活では自分が老いていく、そんな生活の中で絶望に接近する人が増えてしまう。
だから、これまでポリコレ思想が後回しにしてきたり、なんなら反省ばかりを促してきた「弱者とされない弱者」層にも、燦燦とした希望を与えなければいけない。
そのための物語をポリコレやリベラルの名の下に作らなければいけない。
最近だと同性婚禁止は合憲であるという地裁判決が出たが、それでも今後十年でパートナーシップ制度は広がっていくだろうし、改憲が行われれば同性婚が保証される目は十分にあるという希望は力強いままだ。
それと同種の希望を、弱者男性とか喪女とかインセルとかロリコンショタコンとかトー横キッズとか地方のおっさんおばさんとかプアホワイトとか反社反グレとかマイルドヤンキーとかにも見せなければ、彼ら彼女らの絶望と弱者強食自己責任への接近を防ぐことはできないだろう。
雑踏で凶器を振り回す物語、暗黒啓蒙の物語、面白パフォーマンスの政治家立候補者に投票して世間を困らせる物語、戦争が起きて皆が大騒ぎの物語、自殺の物語、それらよりも魅力的かつ彼ら彼女らが主役になれる物語が必要なのだ。
いやああいうところにいるのが中高生とか大学生だってのはわかってるんだ。お子様が痛い発言してても、それはお子様の特権みたいなもんだからばんばんしていいしするべきとは基本的には思ってるんだけども。
……という前提があります。
匿名ラジオを好きでよく聴いているんだけど、YouTube版のコメント欄を見ると、痛いコメントが割と並んでて鳥肌が立っちゃうという話。
たとえば「#31」では女子高生がテーマになっていて、コメント欄には女子高生を名乗るコメントがある。それ自体は、まあそういうわざわざ所属を書く自己顕示って中高生はやるよなあと思っていたんだけども、「女子高生で匿ラを聴くのはセンスがいい」という旨のコメントがぶら下がっていた。これを見てすごく鳥肌が立ってしまう。
それだけでなく、どうもリスナーの一部には「匿名ラジオ(ないしオモコロも?)はインターネットの深部」という意識がありそうで、それってグロサイト表示して「Welcome to underground…」ってやつと一緒じゃん!ゼロ年代の反復!!
いまどきインターネットなんて無限コンテンツ生成機で、いわゆるダークウェブなんていかなくても謎コンテンツが死ぬほどあるのに、数時間で数万回再生されるネットラジオが「ディープなインターネット」って意識なのか?新宿で映画行くときTOHOシネマズじゃなくて武蔵野館に行くからドヤ顔してるくらいの痛さだ。でも中学生ってそういうことだもんな。再生数数百以下の動画をディグってから言ってくれ〜。
「性格が悪い」と言われる匿名ラジオはインターネットで見がちな痛い行動(Twitterの無断転載画像リプで喜んでるひとたちとか)を揶揄するのがひとつの芸風だと思うのだけど、ついに最近の回で「大声で泣いちゃった」を揶揄してて笑った。だってそれって匿ラとかオモコロchのコメント欄でも見るやつだもんな。「でかい”聲”出た」とかね。
そもそも万バズほぼ確のARuFaが発信してるコンテンツはかなり浅めのインターネットなような……?
かなり前に久川凪のなりきりアカウントがインターネットのユーモアを「オモコロ的」「ギークハウス的」「小林銅蟲的」と分類していて、なんて性格が悪いんだと震えたことがあった。オモコロはそのなかでも比較的上の層にいると思う。別に深けりゃいいってもんじゃなくて、なんとなくユーザーの「うちらはインターネットカルチャーにどっぷりです」みたいな身振りがあいたた!ってだけなんですけどね……。
オモコロchでホワイトすき焼きをやっていたとき、私が想起したのはデイリーポータルZのYouTubeチャンネルであるプープーTVで大北栄人が何年も前にやっていた「すき焼きに砂糖入れるの躊躇しな男」だった。でも勿論そんな類似への言及はほぼされておらず、悲しくなった。再生回数は何十分の1だし……。
なんか古参アピになってしまったが、でもやっぱりあの感じで「ふふん、これが””インターネット””なんだぜ」とやられるのがあいたたた!となるのだろう。
だってきっとそのひとたちは10数年前だとしたら「速読王山口」とかを見つけるひとというよりは、ドラえもんのグロアニメとか見て爆笑してる層だろうから。
オタクの人に対して、「どうして君は○〇ができないの?」と訊くと必ずと言っていいほどこういう答えが返ってくる。
(〇〇の部分は、人として最低限できて当たり前とされているものなら何でもいいよ。あいさつとか、身だしなみとか、他人への思いやりとか)
「あぁ、自分オタクなんでwできないのはしょうがないですよねwそれが何か?w」
えっ、君がそういうことをできないのはオタクっていう立場のせいなの?
君の好きなものの教えを守った結果がそれなの?
俺は知らないけど、アニメやアイドルってのは一般的に、人にあいさつはしなくていい・人に会うときに身だしなみは一切気にしなくていい・他人を思いやるなって教えてるもんなの?
ふーん。そうまで言うんだったら、オタク=人として最低限できて当たり前のことができないって考えてもいいってこと?
で、後日同じ人に「君はオタクだから〇〇できないんだね」と言うと今度は
とか言うんだよ。
いやいや君が言い出したことだよね?
自分がどうしようもない人間なのは自分のせいじゃなくって、オタクという立場のせい、つまりはアニメだったりアイドルだったりがそうさせてるって言ったよね?
結局さ、本当はアニメだのアイドルだのが好きなわけじゃないんでしょ?
ただ、それらの近くにいればオタクっていう立場が手に入って、自分のどうしようもなさの責任を押し付けるスケープゴートとして使えるからやってんでしょ?
こういう連中がそこかしこで「オタクは〇〇できないんスよ~俺は悪くないんスよ~」と吹聴して回るせいで、オタクが悪者扱いされてるんじゃないの?
君らがオタク差別って呼んでるものは、君ら自身が作り出してるんじゃないの?
ハッキリと、「自分が〇〇できないのは自分がだらしないからです。オタクであることは関係ありません」と言えば、オタク=〇〇できないしょうもない人間ってイメージはつかないよね?
いやまぁ、そこらへんの名も無きオタクが何を考えていようが制御できるわけがないし、もうどうでもいいんだけどさ。
オタク同士の付き合いみたいなものを長年経験してると、オタク業界のオピニオンリーダーみたいな人も平気でこういう主張をしてることって結構あるのね。それも一切の悪気なく。
そうやってコンテンツや業界の評判を落としながら、同じ口で「あの人はコンテンツへの愛があるorない」だの「あのコンテンツはオタクカルチャーへの愛があるorない」だのを語るわけ。
いやいや、自分にとって都合の悪い、コンテンツと一切関係ないことの責任を押し付けてヘラヘラしてるあなたに、愛だのなんだのを語る資格はないよ。
おじさん向けのばっかでおばさん向けがない、というのがまず分からん。
あと、普通に言えばカルチャースクール的なとこに行けば、って思うけど、
増田は趣味が創作系(読書会に興味あるんだから文章系の創作か)で、
読書会なんか、特にこのご時世はリモート開催も多かっただろうから、
SNSでは「構ってもらえない」と言っている。
結局ここが一番問題で、
「構ってもらおう」という「待ち」の姿勢だったらなかなか友達なんかできないんじゃないかな。
そりゃあ発表してる創作物にめっちゃ興味持ったり、それを評価してくれる人がいて
そっちからアプローチしてきてくれるという形は理想なんだろうけど、
そんなことそうそうあるわけないよね。
陰キャ、とかじゃなくて、もしかしたらプライドが高すぎるだけなんじゃないの、と思う。
趣味の範囲を広げて地元のカルチャースクールに飛び込んでみたり、
SNSで自分から創作系の趣味の人にガンガンアプローチしたり、
そういうことが必要なんでは。
上の世代の頭が切り替わってねーのよ。
今みたいに簡単に社会に物申して縦横無尽にバズるということが出来ない。
80年代バブルのイキり文化のウンコの残り香だけが漂ってたせいで
当時は男への滅茶苦茶高い要求を煽るようなメディアばっかりだった。
ああいう情報で気が大きくなった女や委縮した男は沢山いたと思う。
当時の平均的な若い男女が頑張った結果成立するような
あの当時の「デート文化」的なものからの攻撃の空気が嫌で仕方なかったし
あの時に恋愛市場からの退場者やミソジニーはぐんぐん膨らんだと思う。
俺は男だから男側しかわからないけど当時女はどう思ってたのかな。
「年収〇〇〇万って聞いたらぞっとしてしまって」の玲子さんっているだろ
こんな長いこと晒されてるの気の毒だけどああいうのの走りもこの時代よ。
(ちなみに玲子さんが求める水準はあの中では誰よりも低く常識的で
「ぞっとしてしまって」のフレーズや表情の面白さのせいで残っただけ。
テレビ番組の他の女は3000万とか5000万とか平気で言ってた)
ガチバブルの時は全員頭狂ってたから誰も気にしなかった(んだと思う)けど
俺達バブル残滓の時代には「値踏みと高望みと否定をかましてくる女の情報」だけが残った。
それに付き合うようなバブルの経済力も元気も俺たちにはないのにさ。
女と付き合うにはこういうレストランに連れて行かなきゃだめだこういう服を買わなきゃダメだこういう情報持ってなきゃだめだってそんなんばっか。
俺はエスカレーター私立入れてもらう程度のプチ裕福家庭子弟として過ごしてたけど
そういう多少余裕のある目からもあれは見ててうんざりの一言だった。
金もそうだけど要求の圧迫感と従わない人間への否定の空気が本当に嫌だった。
わかるだろ?
今じゃもうやってたやつ全員中年だけどさ
今じゃ考えられないだろうけど、
日韓W杯ぐらいの頃は韓国社会の対日ヘイトやレイシズムは一切報道されなかった。
厳重に禁じられてたよ。
あっちの国は日本への憎悪剥き出しで国を挙げて日本の対戦国応援して
なんで日本のテレビは一切報じず「韓国応援!」とか無理言ってるんだよって言う対抗心だった。
しかもあの大会は韓国チームがどう割り引いてみてもプレイがダーティすぎて
それがまた日本では全然報じられないからサッカーファンの怒りも合流してたな。
「スイーツ(笑)」みたいなのも甘味がどうこうって話じゃなくて
「たかが甘いもんを雑誌文化の提唱するままスイーツなどと呼んで紹介された店へ出かけて貪り食うメディアに踊らされるバカ女」
って意味なわけよ。
もちろんこういう罵りや憎悪の文化は必ず程度の悪い成員を含むので
ただのコリアンレイシズムや女へのヘイトになっちゃうやつはいたが。
なおバブルノリで俺達消費者に規範による尻たたきをしまくった時代の尻尾。
今よりはるかに硬直して現実見てないメディアからはバブル方式のネタばっか。
俺達がどれほどマスメディア全般を憎悪するようになったかわかるだろ?
俺達は車が嫌いだし酒が嫌いだし恋愛が嫌いだし女が嫌いだ。
極端に当時の気分を言えばそんな感じ。
全部メディアが消費を煽ろうとして
「これに物凄いリソースをつぎ込まなきゃダサい!」ってキャンペーンはったものだ。
きれいに全部大嫌いになった。
元々「すげー頑張ったイケメン以外は恋愛市場にエントリー不可!」
ってイキり散らしてたのがメディアなんだよ。
でも実際はついていけなくなってみんな退場してった。
だってバブルのような収入や希望はないんだからね。煽りだけバブル気分されてもさ。
あまりに自分達の扇動が時代錯誤で響いてないってようやく気付いたメディアが
指値を大幅に下げて「最低限のことしてればいいだけなのに」「だから恋愛してよ」って言いだした。
わかるだろ?
今まで言ってたことと全然違うなあ?どうせその場しのぎの嘘だろ?って意味よ。
もうとっくに大っ嫌いだったわけよメディアや女が。
マスメディアも嫌いで嫌いで滅茶苦茶叩いて疑ってネットを伸ばした。
24時間テレビでゴミ拾いする予定地をネット有志が先にきれいにしてやったりね。
当時はあらゆることがメディアの陳腐なセンスと加工で覆われてたから
ああやって風穴を開けることに意味があったんだ。
今の若い人に意味が伝わらなければ社会はそれだけよくなったってことさ。
貧しくなってることはかわいそうだと思うけど社会の空気はましになってるような気がする。
腐れメディアと団塊とバブルの屑どもの掃討がおれら世代に最後にのこった下世代への責務だと思ってる。
どうせ俺らが老いる頃は福祉も減って今ほど長生きせずに害になる期間少なく消えていくだろう。
そういえば当時女側からはどんな気分だったんだろうな。
同世代のネットの女の証言を聞きたいような、今はもうどうでもいいような…
lacucaracha
『ネットの世界の住民』が有る種の選民意識を持ってた時代だということが良く分かるエントリーですね。結局その後、何者にもなれなかった感も醸し出していてポイント高いです。
2022/06/07
なんかいい加減なブログ書いてるイキりコンサルおじさんが食って掛かってきてるけど(どこが癇に障ったのかマジでわからん)
この「何者かになる・なれなかった」ってのいつ見てもなんのこと言ってんのかわかんねーんだよな
白クマのおっさんとかこのおっさんとかいい歳して人生に迷ってる自意識過剰のおっさんが言ってる謎ワードという印象
inose660 90年代後半から、バブル期までの社会全体が上昇志向だったモノカルチャーからストリート由来の世界観が入ってきてマルチカルチャーになった。増田氏は育ちが良かった分、まだ上昇志向の世界しか見えてなかったと推察
2022/06/07 リンク
バリバリ上昇志向の人なんてそんな居なかったというのが俺の印象だけど
メディアや社会は「めちゃくちゃシバキ主義で叩けばこいつらは動く」と考えてた気はしたな―
casm その頃が大学生性交経験率最多なので、今よりブサイクでもSexできた世代よね。 https://www.nippon.com/ja/features/h00354/amp/ だからこそかもしれんけど。
2022/06/08 リンク
これは俺の感覚に合ってるよ
バブルがはじけた後も残滓だけが空走距離みたいに人の尻を叩き続けて
俺は人間というものは尻叩かれなきゃそんなに結婚もセックスもしないんじゃないかと思ってるんだよね
先進国で少子化するのは人権無視して尻叩くのやめようってなるから(俺はいいと思うそれで)
crimsonstarroad ルーズソックスに援助交際の時代だっけ。今はパパ活の時代。 素人が素人のまま性を売れる時代の共通性ってなんだろ?規制の少ないコミュニケーションツール?
2022/06/08 リンク
パパ活の実態も良く知らんで言うのはあれだがそういう素人売春は多分今の方がずっと多いだろうに
そんなにいなかったコギャルのエンコーの方がめっちゃ言われてたしそのイメージのまま国連にまでちくるやつとかおったな
buu 「クリスマス・イヴ」というドラマがあって、イヴにデートするために命をかけるという内容だった。北海道のど田舎でスキー合宿中だった俺たちは「いつからクリスマスはこういうイベントになったのだ」と感じた。 hatena
2022/06/08
なんかねえ
環境的には去勢されてんのに都合のいい時だけ性欲由来っぽい「元気の良さ」を期待されてる感あったよね
幾ら煽られたってそんなことのためにそんな頑張らねーよっていう
mayumayu_nimolove でも知ってる?お前と同い年のやつってその年代を同じく歩んだんだよね?なんで差が生まれるんだろうね。次そこを書いてみて。
2022/06/08
俺と誰にどういう差があるという想定で話をしてんの?
・コンサルおじさんもそうなんだけどお前が俺についてどんな妄想をしてんのかわからん
・そのピキピキ来てる敵意の理由がさらにわからん(煽りで言ってるのではなく純粋に分からん)
お前もこのへんを書いてみてくれ。
pon00 ねるとんとかの見過ぎだな
2022/06/08
うわー思い出したねるとん
俺は見てなかったけど周りは見てる奴一杯いた
修学旅行でみんなが見てて「なにこれ?」って言ったらバカにされたわ
cinefuk 「当時の俺たちが信じていた〇〇は、全て『反メディア』の旗印として掲げていたもの(正義)で、俺たちを誘導した"オルタナティブメディア"の流したデマだったなんて言われても知るかよ」という文意を読み取った 90年代 マスコミ 情報リテラシー 増田
2022/06/08
ん?ん?
オルタナティブ?なに?
なんかいまいち何言ってるかわからないレスが多いのは何故なんだ
俺はそんなに難解な話とか誰か怒らせる話とかしたつもりないんだが
arrackarrack 「ヤラハタ」という言葉があって恋愛煽る空気が半端じゃなかった。結果婚活でのアレな30後半〜40代女性うまれた。男女平等の意識や柔軟に変化した今の若者が羨ましい
うわーあったあった!「ヤラハタ!」
そういう圧力よな
こういう感じに話通じたり思い出せたりすると同窓会みたいでちょっと楽しいな
今の若者の方がいい感じになってそうだよねっていうのもわかる
rikuzen_gun 中年男性ネトウヨorサヨク叩き論者、に多い典型例。野党・サヨクが嫌いなのは分かるけど、なぜ若い人と違い自民党の良悪報道があった時代なのに、女性と違い自民党支持率がほぼ若年層と変わらないぐらい高い理由は? 韓国 世代 メディア ネット レイシズム 文化 ネトウヨ 増田 歴史 日本会議
2022/06/08
日本語も壊れてるし落ち着いて書いてほしい
nanamino 90年代後半語りにしては違和感あるな。イメージで語ってない?今の30代くらいがバブル世代だと思ってそう
2022/06/08
違和感はいいんだけとここがこうおかしいって具体的に言ってくれないと応答不能だし「なんか腹立つから言い返したいけど何も思い付かない」って人なのかなとおもっちゃう
西原理恵子について、思っていたことを適当に書く。ちなみに私は1985年生まれで東京の僻地でぬくぬく生まれ育った軟弱な人間。
今手元に本がなくて時系列は間違ってると思うからその辺はいい感じに脳内保管してくれると助かる…。
西原理恵子との出会いはもうよくおぼえていない。多分ダヴィンチとかカルチャー誌に載っていたのを読んで興味を持ったんじゃないかと推測している。
私はいろいろあって学校に行けない子供だったので、午前中に図書館に逃避し、そこで西原理恵子の本を借りたり、その帰りのブックオフでお小遣いで買ったりしていた。なので、売り上げに貢献していない読者だと思う。本当にそれは申し訳ない。
話を戻すと、最初に買ったのは「まあじゃんほうろうき」だったと思う。何故これだったかというと、単純にブックオフで全部100円で買えたから。
中学生くらいの私(今から22年前だ…時間の流れ怖っ)にはめくるめく世界だった。一気に西原の漫画に夢中になったし、彼女が大物とも臆せず交流する人間的魅力にも惹かれ、私も大人になったら雀荘で夜通し麻雀をする大人になろうと思っていた。
尚、36歳現在、麻雀はできるが雀荘には一度も行ったことがない。
その次は「鳥頭紀行」に衝撃を受けた。なんだこれ。大人になったらこんなジャングルとかにも行けるのか。幼少期から旅行記好きの私の心はがっちり掴まれた。
私も大人になったら世界中を飛び回りたい。しかもお酒が美味しそう。西原は良い仲間に恵まれてて羨ましい。でも、それは本人に魅力があるからだろう。私も西原みたいな大人になって、楽しい仲間とさまざまな国でお酒を飲んでみたい。心底そう思った。
尚、36歳現在、海外には一度も行ったことはない上に体質で酒は一滴も飲めない。
病気で高校には行けなかったが、年齢が上がったことでネット環境を与えられ、もう時効だと思うから白状するが私は体調の良い日はブックオフで「せどり」をして小遣いを稼いでいた。そのお金で、西原の本を揃えられる限り揃えはじめた。
「ちくろ幼稚園」にはじまり「ゆんぼくん」「ぼくんち」などの叙情系を読み、「あの破天荒な西原がこんなに繊細な漫画も描けるのか!!」と素直に才能に感心したし、それまでの彼女の人生に思いを馳せたりもした。
その他、著作は書ききれないほど(この時点で2000年くらいかな)あったが、どれも思春期で学校に行けず友達を作る機会もない私には輝いて見えた。こんな大人もいるんだという、一つのロールモデルとして彼女は私の中に刻まれていた。
もちろん、西原にはなれないのはわかっていた。それでも、世の中にはいろんな人がいる。そう思えるだけで、世界はいくらでも広がっていく。
そんな私が潮目が変わったと感じたのは2001年の「西原理恵子 大ブレークへの道」あたりからだと思う。既刊をあらかた買い読み尽くし、関連人物の書籍も一通り読み終え、とうとう私はリアルタイムで西原を追いはじめた。この頃はまだせどりも可能で毎月一定の額を稼いでいた私は、とうとう西原の本を定価で買うことができるようになる。
少しそれるが、西原の漫画はコミックというより書籍扱いなので一般的な漫画よりページ数が少なく、高い。
なので、いくら稼いでいるとはいえ(体調の良い時しかできないしな)合計しても小遣い程度の私には定価で買うのはまあまあ大変な額ではあった。でも、西原のことは信頼していて、躊躇うことはなかったと思う。
なのに、ちょうどこの頃の新刊あたりから内容がどこに向かっているのかよくわからない本が多くなった気がした。
加えて、2002年で新聞連載をはじめると、必然的に家族の話題が中心になる。
私は西原を作家としては信頼していたが、人間性まで盲信はできなかった。確か、「人生一年生」(1号か2号か忘れた)の中で安野モヨコが「西原の漫画は好きだけど、友人として近づきたいわけではない」という旨のコメントをしていたのがすごく心に残った。
そうなんだ。西原は漫画家としては才能があるけど、だから人間性もすべて素晴らしい人ではない。魅力的ではあるが、何かが欠けている。それが欠けているからこその魅力であり、埋めてしまうと彼女は漫画を描けなくなってしまう気がする。
そういった私の中の西原への印象を、端的に言葉にしたようなコメントだと思った。
そこから新聞連載は興味があまりなかったこともあり、新刊を時々は買うものの「何か違うな…」と思うことが多々あった。おそらく、それは私が目まぐるしく成長していた時期だったからだと思う。
私の西原への熱量は冷めていき、一応情報を追ってはいるが興味が持てなくなっていった。
それは華々しいが、私が西原の魅力と感じていた部分がそれによって表せていたかというと疑問だ。
「大体、絵本とかで良い話描く際に必ず草原に青い空って手抜きじゃね?」
というくらいに、この頃から私の中で西原は「青い空の下草原をバックに良いこと言う作家」というイメージに変わっていった。漫画だと手抜きも笑えるけど、良い話、しかも絵本になると「それでいいのか?」という気持ちになるから不思議。
更にだんだんと文化人枠に入っていくのも不思議なものを見ている感じだった。新聞連載は最初ちょっと読んだくらいなので、「良い母」としてCMに出る西原は不思議な感じがした。だって、西原ってあんなにめちゃくちゃやってる人なのになんでこんな綺麗にコーティングされているんだろう?
無頼派の新刊も、かっちゃんのマネー頼りの内容が多くなり、金で解決するオチが頻発して食傷気味になっていた。
そして20歳を超えた私は、新刊を諦めかつて夢中になっていた既刊を読み返すことにした。
しかし、それを読む私は確実に昔より成長していたらしい。
西原の本に出てくる友達は男性ばかりで、特に仲の良い人はおそらく恋人だ。頻繁に出ていた人が急に出なくなるのは、きっと別れたからだろう。そう思った。そしてあんなに友人が出てくるのに、女性の友人は数えるほどしか出てない、もしくは出てもすぐに出なくなる。
それまでも、西原の本の内容が「嘘」であることは欄外などに語られていた。でもそれは面白くするための嘘であって、自分をよく見せるための嘘ではないんだろうと勝手に思い込んでいた。
しかし私が大人になったのか、女性の友人があまり出てこない事実に気付き、いろんなメッキが剥がれていった。
そして惰性で書店に行くついでに新刊をめくると、息子と娘の扱いに差がある気がする。
親との確執、特に露骨に弟を贔屓し全肯定するのに私を全否定する母親との確執がある私にとって、それが気になった途端、新刊を追うことはできなくなった。
とりあえずかっちゃんとの交際が公になったまではまあ「ふーん」と聞き流していたが、その後のMXテレビでの女性器発言をかっちゃんに解決してもらうところはすごく悲しかった。
なんていうか、それまで強い男に媚びてのし上ってきたんだろうなと気づいてはいたものの、なるべくそこは見ないようにしていたのに、鼻先に思い切り突きつけられた気がして。
それでもまだまだ西原はアル中の鴨ちゃんを看取りシングルで子供2人を育てた良き妻、良き母。かっちゃんとの関係はまだ女を捨てていない素敵な関係。そういうイメージの媒体を見るたびに悲しくなってしまった。そこには、私の好きだった西原が小さくなっていて、よくわからない素敵そうなものが大きな顔をしている。そういうふうに私には見えた。
とどめを刺したのは、「女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと」だった。
私の中で、女性作家が若い女性に向けた提言本を出すと、それはもう終わりの始まりだという謎の思い込みがある。
(男性作家にも一部そういう人はいるが、どういうわけか面白く書く人もいて、この辺はいつも不思議。要するに成功した男性のロールモデルは数種類いるのに対し、成功した女性のロールモデルは種類が少なく画一的だからだろうと思っている)
結婚し子供を産んだ。金も男も手に入れた。確かに、そういう意味で西原に憧れる人もいるんだろう。そして、この本が響く人もいっぱいいるんだろう。
でも私は病気で学校に行けなくて、どんなに頑張っても今の世の中だと普通に働いて結婚して子供産むとかすごくハードなことで…。そんな私のコンプレックスなんて西原にはなんにも関係ない。でも、かつての本には弱者への目線も書かれていて、その人たちを笑わそうと体を張っているすごい人だと幼い私には見えていた。
それだけに、いわゆる「成功した作家」が提言本を出すのが、私には作家として何かを手放しているように思えて仕方なかった。
そんでもって相変わらず「青い空の下草原をバックに」表紙だしな!
(別に丁寧に細密な絵を描いて欲しいわけではない)
これ以降は別に私が書くことではない。
ない、が、娘さんの告発を見て、「やっぱりなあ…」と思ってしまった。
家族のことを部外者がとやかく言うのは下品だと思うので差し控えるが、著作を買っていた私は娘さんを追い詰めた側の人間だと思うので、今後どんな形でもいいから彼女が満たされ幸せに生きていって欲しいと素直に思う。
それはそれとして、西原ならこの騒動もあの手この手でマネーに変え、何故か感動のラストに持っていくのでは…と危惧している。多分、この予想は高確率で当たると思ってしまうのがすごく悲しいことのように私には思えるが、西原には西原なりの大切なものがあるんだろう。今の私にはよくわからないけれども。でも、私は娘さんを追い詰めた加害者なので、その顛末を見届けないといけないと思う。だから、少しでも娘さんが救われる顛末であって欲しい。ここでこんなこと書いてもなんにもならないけどな!
今までお気持ち表明って冷ややかに見ていたが、自分で読んでも気持ち悪い文章になってしまった。
高かった熱が冷めれば冷めるほど、人は気持ち悪い文章を書いてしまうのだろう。
それでも、私は一時期確実に西原の漫画を読んで生活が潤っていたし、その潤いがなければ生きてこられなかったと思う。
なるべくそのことは忘れないよう、これからも生きていけたらいいなと思い、私は明日も行きたくない会社に出社してやりたくない仕事をするだろう。おしまい。
【追記】
男性に伝わるか私にはよくわからないんだけれども、大体の女性にとって「やたらとわかってる風に振る舞う男性の友達ばっかりで同性の友達がいない女性」ってなんか言動とか価値観?とかに違和を感じていて、直接的だったり間接的に嫌な目に遭うことがままある…気がする…あくまで私の周囲の女性の意見だけども。
(そういう女性は男性にはいい顔するので、例の「女の敵は女」という言葉が出てきがちだ。そりゃ被害に遭わなきゃ女性だって高みの見物できるだろうと思う。往々にしてその手の女性は好戦的なのがめんどい)
とりあえず愛ちゃんはアシスタントだし、はせぴょんとか中瀬ゆかりさんはビジネスだろう。「毎日かあさん」のママ友の話はほぼ創作(むぎちゃんだっけ?あの人は多分いない)らしいので、若い頃の同性の友人の話も聞いた話を適当に盛ってほぼ創作なんじゃないかなと思う。
とにかく言いたいのは同性の友人がいないことは悪いことではないと思うけど、同性の友人がいない人が娘の母親としてどう振る舞うかというと…ということを言いたかった。
まあ、ぶっちゃけ私の母親がそういう感じなんだって話でしかないけどな。
【追記2】
作品のファンだったと思うのが健全で、作家のファンだったと思うのはちょっと違うと思った方がいい、みたいな意見はすごく真っ当な意見だと思うし、私もそういう風に考えたいと思う。
でも、西原をはじめとした自分の身の回りのノンフィクションやエッセイとして作品を発表する作家はある程度作者の魅力込みで読者がファンになる特殊なジャンルかなとも思う。
(さすがに盲信するのはどうかなという気がするし、きっと完全フィクションの作家ならみんな簡単に割り切れるかなと)
そういう特殊で業の深いジャンルであるが故に、今回の娘さんの話題で様々な意見が出るというのが問題?の本質かなと私は思ってる。だからこそ、今後また西原が今回の話題も何かしらの作品に昇華してしまいそうで怖いなと思っている。
(作家としてはそれが正解なんだろうけど、それ故に残酷というかあまりに業が深すぎる職業というか)
【追記3】
今ざっくり自分の文章読み返してみて、多分初期の方が弱者への視点が感じられ、更に作者本人が体を張って笑いをとりに行く様が魅力に感じられたように思う。
そして、よくある話ではあるが金や権利を手に入れたあたりでその魅力が感じられなくなったのかなと。
多分その魅力は彼女の中にまだあるはずだけど、今の状況だとそれで作品を作るのは難しそうだ。それはとても困難で手間がかかるし、素敵な女性として楽にいい感じの本出した方が売れるだろうしね。
【追記4】
他の人の西原への感想などが読めてとても嬉しいです。もっと読みたいので書ける人は書いてくれるとすごくすごく嬉しいです。
しかし新聞連載以降の作品のファンがあまりいないので、あの辺の作品を買った層と初期の作品を買っていた層はまったく違う層なのか?と新たな疑問が出てきた…。「上京ものがたり」あたりは私も結構好きでした。特にラストはすごく心に残っている。
【追記5】
追記多いのマジで気持ち悪いな。でも本文から気持ち悪いからなんかもうええわ。
友達の多い少ないは少なくともこの文章においては問題ではない。実際私も学校行ってないから友達少ないし。そしてそこを語りたいわけではない。
では何が私が引っかかったかというと、私がこの文章を書いた発端が彼女の娘さんの文章を読んだこと。
何度か男性の友達は多いのに同性の友達がいない、少ない女性と接した経験から、そういう人々はとても男尊女卑であると思った。要するに、大勢の男性と親しくできる自分は「名誉男性」であり、同性とばかり親しくする女性を格下に見ている。そして、人間を上か下かでしか見られず、他人を自分と等しい存在だと捉えることができない。男尊女卑は対男性には伝わりにくいが、対女性にはすぐ伝わってしまうので対女性とはトラブルが多い。
そういう男尊女卑の内面は奇しくも本人が言う通り、男尊女卑のまかり通る環境で生まれ育ったことも関係あるのかもしれない。
(でも、そういう環境で育った人がみんなそうなるわけではないけれども)
そして重要なのは、ここが問題点なのではなく、本当に重要なのはここから。
本人が自覚あるかないかに関わらず、男尊女卑思想のある女性が男の子と女の子を産んだ場合、女の子にはどう接するだろうか。
ここからは私の知り得るところではないので差し控えるが、自身の母親と照らし合わせると自ずと見えることが無きにしも非ず。
それはそれとて、そういうことを考える私もまたすごく嫌な女だということは間違いないだろう。
自分の周辺にそういう女性に心当たりがないという人はとても良い環境に恵まれた人だと思うので、それは自身の人柄によるもので、すごく誇っていい尊いことだと私は思う。
【追記6】
私がこの文章で書きたかったことは、西原理恵子という作家の業と私という読者の業、そして何より娘さんについて。
なので差別云々というのは私の文章力とか私の考え方に問題があるのは前提として、それを除けばここのコメントで西原理恵子という作家や娘さんのことを触れないのは片手落ちに感じる。
(もちろん、100文字という制限がある以上それは仕方ないとは思う)
そして、私はその業や娘さんに関係ないことはこの文章の中で書く気はないし、責任もとる気がない。
私は誰しもどこかに他人を差別してしまうところがあって、多分そこを言及されていると思うけれども、他人に「絶対差別するな」って押し付けたり、「自分は絶対差別してない」って言い切る人は理想主義過ぎて少し怖い。
だから、その辺が気になる人は、自分でそういう差別についてのエントリを書く方が満足できるし有意義だと思う。
【追記7】
差別が〜って言う人は西原の漫画読めるのか…?とずっと考えていたが、よく考えたら西原の漫画を読まずにこのエントリだけ読んで「差別が〜」と言っている可能性もあるのか!とはたと気づいた。
知らない人に説明すると、西原理恵子という人の芸風は人種差別、女性差別、弱者差別などあらゆる差別を笑いに昇華していくものである。実際、女性の友人をデブだのブスだのヤリ○ンだと罵ったり、子供を産んでいない女性や専業主婦へのヘイト発言なんて日常茶飯事だ。しかも、この何十倍も汚い言葉でそれを言う。
(改めてこう書くと本当酷いな…)
もう本人の作品自体がミソジニーだのホモソーシャルだのが真っ青になるくらい、差別や問題発言の坩堝なのが西原理恵子の漫画だ。
(今のポリコレではアウトでしかない…だから改めて差別とかホモソーシャルとか言われると「いやもっとアウトな発言いっぱい出てくるから!」ともうどこから突っ込めばいいのかもうよくわからない)
ところが、それがものすごく面白くて笑えるから始末が悪い。そして、それを読んで笑う読者ももれなく下品である。それが、西原理恵子と読者の業の深さの一端だ。
私は西原理恵子という作家について書くにあたって、そういう彼女や読者の中にある「差別」は切り離せないものだと思ってこの文章を書いた。そして、その「差別」がどの程度彼女の娘さんに及んでいたのか(あまり詳細が書かれなかったこともあるが)読者にはよくわからなかったところが例の娘さんの件で露見したように思う。
(更に補足すると、彼女が差別する人間だからこちらも差別していいとかってそういう話ではない)
なので西原理恵子を知らない人は、とりあえず図書館にも置いてあるしブックオフで叩き売りされているので読んでみて欲しい。私のおすすめは、コメントでも人気の高い「鳥頭紀行」とか「ぼくんち」あたり。
実際の西原の漫画を読んで、差別だとかそういうもので頭がクラクラするのにギャグが強烈に面白いという奇怪な感覚に失神するがいい!
(ただし、合わない人には本当に合わない)
結局、何があっても私は西原理恵子の漫画のすべてをきらいになれないし、機会があれば好きな作品を未読の人にも読んでもらいたいのだ。
【 Permalink | 記事への反応(25) | 17:22
・「ビュー数がないの勘弁して」ってのも送ればよかった。でもベッターでもR18ビューカウントつぶれてるしなぁ、ビューカウントはぜいたく品なのか
・登録しないと読めない問題は、ツイッターログインかピクシブログインだけになれた民が多いだからしょうがない感。ぴっくぶも最初はそうだったのでなんとか乗り越えて読んでほしいところ。ピクトブランドもそうだし。
ただいちどジャンル炎上とか味わってしまうとくるっぷかピクトブランドでの引きこもりが一番安定や…ってなりそうではある
炎上といえばリバオンリについて赤ブー70票以上投票しても却下された事件っての聞いた、これはつらそうだ
100で確定? ×がないやつ何票でもアウトなの? ぐぬぬー。
こういうジャンルでも、いままでならピックブブクマかとら出荷数で殴りつけてってのができたのにな。
まとまらねえなぁ~ やっぱまずはピクスクで、次がリアルの公民館か、とらか。エア赤ブーはどうだっけ。
凍結やシャドウバンにならないことが重要すぎてこわいよイーサン…
匿名でこんなイキったタイトル付けて、ダサいのどっちだよと言われるのは解ります。
ほんとダサくてごめんな。
増田はまあまあ勢いのあるスタートアップで働いている、経営者では無いただの社員です。
思うところあり、愚痴吐きに来たのでお付き合いいただけると幸いです。
今スタートアップで働いていて迷いが生じてる人とか、これからスタートアップに入社する人に届けば嬉しい。
大体スタートアップって何だよって所から改めて調べたんだけど、"急成長する組織"って事らしいです。つまり急成長していない新しい事やってる企業はベンチャーで、事業が急激に成長していたらスタートアップという事になる様です。他にも大事な事書いてあったので、興味あれば以下を参照ください。
https://www.utokyo-ipc.co.jp/column/startup/
スタートアップはめちゃくちゃ組織と売上を拡大しながら事業を作っている集団という解釈をしたところで、本題に入ります。
タイトルの通りです。
別に辞めるなとは言わんよ。しんどかったんだよね?思ったより裁量ないやん?組織のノリが合わないし?周りが優秀で役員になれなさそう?もっと承認されたい?上司が気に入らない?
キャリアの選択は人生において最も重要な選択のひとつですよね。今や日本でも転職は当たり前になりつつあり、やり直しが効くのは労働者にとってありがたいのも事実です。
だけど上の様な理由で去るのはなんか違うと思うんですわ。
辞める理由を自分の外側に置くなよ。その事業を作り上げる事が自分の信念に合致しているのか、情熱を注ぎ続けられる事なのかだけにフォーカスしろ。
カルチャーとか組織とか、上司や人との人間関係とか、活躍できない自分、評価されない自分、目の前の仕事のつまらなさ…
そんなの全部10年後には消えて無くなってるよ。
残るのは事業だけだ。
消えゆく瑣末なことに目を奪われるな。コトに向き合え。人間性を捧げろ。他人を批評せず、自分の行いを評価しろ。事業を信じろ。信じるものに変えろ。
それ以外の理由で辞めたくなるなら最初からスタートアップを選ぶな。自分が背負う覚悟を持て。スタートアップを選ぶときはその事業にのみフォーカスして選べ。