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2017-09-23

安楽死施設提案しないのはなぜなのか

https://www.amazon.co.jp/未来の年表-人口減少日本でこれから起きること-講談社現代新書-河合-雅司/dp/4062884313

この新書第一部を読んだ。

高齢社会労働人口と、少子化にまつわる話が主の本だ。

さまざまなデータから2115年まで少しずつ起きるであろうことが綴られている。

抜本的にかえなければ社会保障がまわらなくなる未来しかない。

労働人口が激減するし、救急車だってすぐこれなくなるような日がくるのだそうだ。

33歳としては何故そんなにすべての命を延ばすために社会保障税金をまわしているのか理解できない。

身寄りがあろうがなかろうが、あまりにも助けがないと生きられなくなったとき安楽死施設があればいいのに。

もちろん老人に早く死ねと言っているわけではないのだがそう捉える人は多いので政治家の口からは出ない。

私自身は積極的安楽死尊厳死を選びしたいと願う。

選べないことも、制度が無くても選べなくなってしまう日が先に来たらまずい。

認知症や寝たきりになったりしたら頑張って生き延びさせられてしまう。

そりゃあ親も兄弟もは長生きしてほしい。

でもそれは本人の意思なのか?

排泄物の処理を娘息子にさせるのって当人としてつらいのだ。

金を対価に他人にしてもらう方がよほど良いくらいには、今までの大人としての尊厳が奪われる。

私の祖父リウマチで四半世紀苦しみ、逝った。

父は弔辞でもう痛くなくなってよかったねと言ったことが忘れられない。

親が高瀬舟のようなことを頼んできたらかなえてあげたいものだ。

チューブだらけの体にいくら払うのだ。

絶対にもう、ひとりで食事さえ採れなくなっても生きねばならないのか。

生かさねばならないのか。

自然淘汰を待つのは苦しみが大きすぎる。

死を選ばせて、浮いた社会保障若い世代に。

子育てからは正直なところ大学まで無償化だのより、産んだら国のものになる命という考えもありだと思う。

社会が育てる仕組み。ネグレクト虐待も望まない妊娠カバーできる。

未来を支える世代にこそお金を使ってほしい。

日本が残る道は劇薬がいる

2017-09-22

日本学術会議声明新潟県への宣戦布告である

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1153261

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20170921/ddm/016/070/003000c

あとシノドスフリーライターレポートもあったが、どれも「医術と呪術混同する両論併記をやめよ」という趣旨確認できる。

林智裕についてもそうだが、「これ以上福島県の健康被害について口をはさんではならない。それは差別だ」という論旨であり、

林氏は心無い中傷県民が傷ついているという批判の中で「呪い」という言葉を使っていた。

本来は全文を読むべきだろうがまず書いておく。

壊滅的な被災のなか、復興への向けて頑張っている人が悲観的な話を聴くのがつらく、実際に精神を病むこともあるだろう。

そうした福島県民を始めとする東日本大震災被災者の皆様の気持ち自然であることは認める。

しかし、隣県の新潟県では原発事故についての検証委員会始動しだしたところである

本職が医師である米山隆一牽制する文章と言ってよい。

私自身、なぜ「子供たちの未来」云々が危険視しようが安全視しようが登場してきており、政治的支配欲が出ているようで非常に不快だし、

泥流による放射線健康被害から本来定住すべきではない場所だと言われてむっとしたこともあるが、

新潟県知事選当時、県内在住の反原発から「お前は本当に福島県民か?」というような差別発言は聞かれなかった。

インターネット上で選挙運動訴訟活動を行っていることを明記した人物限定した話ではある)

現在在日コリアン念頭外国ルーツある人物へのヘイトスピーチ違法化された。

この前例に則り、学術会議への異論福島県へのヘイトスピーチとして違法化され、

最終的には検証委員が全員逮捕されることになるだろう。

事実在日朝鮮人沖縄人への民族差別アナロジーとして、福島県民への差別説明するレトリック存在している。

このような議論被差別民族への想像力の欠如と思われるかも知れないが、対策法で最も懸念されていた問題点である

いじめ偏見等の被災者への差別は続くだろう。

しかポストコロニアル当事者性を強調することで国や東電構造責任が看過されてしまうことはないのか。

実際に被災した地域を二度と同じことを繰り返さないよう防災観点から引用検討することすら差別呪術であり、

野蛮な攻撃とすることは学問権威化であり、自由を害することである

こうした声明が突き付けられた以上、このような論理は粗雑過ぎると一県民として明白に考えざるを得ない。

過激発言を繰り返したとされる泉田裕彦知事も、

2007年中越沖地震での放射能漏れ原体験として上げられている。岩手県震災瓦礫の件はここを改めて意識してほしい。

チェルノブイリ福島第一よりも安全という発言海外への県の農産物輸出戦略の一環である

国際的観点から見て廃炉出来ていない原発チェルノブイリに比して安全だと言えるのか。

ショッキング発言だったかとは思うが、公人として県政運営のなかで必要見解だったのであり、

過激さをもって差別発言と断じることは不公平であり、思いとどまってほしかった。

(不幸にも彼は権力基盤上、排外主義扇動している自民党からしか国政候補立候補できなかった。これは彼を被災者レイシストと断ずる根拠になりうる)

私の知る限り、泉田知事被爆が疑われる人物意識的差別的な県政を行ったという情報はない。

四期目を断念した後自ら原発屋根を作った云々という恩着せがましい発言をしているが、

撤退理由であるフェリー問題は船を売りつけた韓国企業東京電力からの度重なる広告出稿を受けた新潟日報と結託しており、

県は二度と船が取引できないと脅迫していた点もある。

そのような形で追い込まれ撤退した人物が、悪いことばかりしたわけではないという弁明はある程度必要なはずだ。

このような極めて強引なかたちで引きずり降ろされた人物に、撤退後まで完全に無難言動を求めるのは酷すぎる。

県民代表が、極めて不自然に引きずり降ろされたなか、このような声明を出すこと意味想像していただきたい。

民主政治自由言論に対する脅迫であり、圧力のものである

学会権威を持って検証委は怖気づいてはならない。

6年間の学術会議議論を覆すなら、検証委員会も相応の規模の時間人員を掛けて検証を延長すれば良い。

【追記しました】あなた忘れ物して、気づいたときにどう感じますか。

小学生の娘がいる。

親バカ心配するほど可愛い

愛くるしく細くて制服もまだまだぶかぶかだ。

ちょっと勝ち気なくせに、実はボンヤリしてて話を聞き漏らしてたりする。正直、学習についていけてるか心配しながら一学期が終わった。

ここにきて更に心配していることがある。

二学期になって、落とし物や亡くし物、忘れ物をしない日がない。

友達からは長い休み明けはみんなそうだよー…とも言われたし、確かにそうかもと思いつつ、病気障害じゃないんだろうかと不安にもなる。

学校から持ち帰るときに、なにかを忘れる。

例えばルーティンになっている週一持ち帰る上履きや、毎日給食袋。

上履きは洗わず使えばいいし、給食袋の予備に洗った箸やマスクを持たせ、二つ持って帰るように言う。

昨日の事。

持っていった赤白帽がなく、注意した担任に「家に忘れました」と話したらしい。連絡帳にも『帽子を持たせてください』と書かれて帰宅した。

帰ってからママ、赤白帽子いれてなかったー」と、文句を言う。娘と確認して週末揃えていれたのに。

「家からは持っていったよ。着替えるときに入ってるか見た?」と聞き返した。

「あった。でも、着替えた後になかった」と、あっさり話す。

大人としては、「家に忘れた」と「学校で着替えの最中に見失った」は大違いだ。

他意はなくとも、デタラメか嘘だ…と、私は感じる。

この他にも毎日何かを「無かった」「忘れた」と話す。

一緒にでかけてもトイレの個室に鞄を置き忘れる事は、ここ数年何度もやらかしてきたし、

一向に改善されないまま小学生になり、幼稚園の頃よりずっと増えた道具に悪戦苦闘してるんだろうなと思いつつも、親としてこう毎日「何かがない」と話されると「バカなの?」と応えるようになってしまっている。

子がバカなら親もバカで、昨日は「なんで先生に『家に忘れました』なんて言うの?」と怒鳴ってしまった。

ここ一週間、私が怒りすぎてどうにかなりそうだ。書ききれないほどあり、ほとんどルーティンに持ち帰ったり、移動教室で使うものだったりする。

私が小学生の頃も忘れ物をしなかったわけではないし、その場しのぎの嘘を先生に話して事を荒立てないようにしたこともあるの。

しかし、「袋の中にあった」「気付いたらなかった」「先生に忘れたって言った」「なかったから、明日までにいれといて」となると、説教だけでなく、怒りの感情がおさまらない。

いくら可愛いはいえ、娘に向き合う気持ちにならないほどで、きっと今日般若のような顔で出迎えるに違いない。

ましてや、昨日発覚した無くしものは他にも二つあり、今日登校したら探してみるようには言った。でも、無いだろうな。

明日の準備をする時には「保護者のかたも一緒に確かめあって準備をしてください」とお便りにあるので、その通りしているんだけど。

本当に何か1つが無いと、帰宅してから言ってくる。

ここで怒らず、どう応対するのがいいんだろう。

はてなーの皆さんにお伺いしたい。

私が今まで育てた通りに育ってるのは承知で、育て方伝え方が悪かったんだろうと思う。

でも敢えて。

こんなに忘れ物してた方いますか?ご両親はどんな反応でした?

豊田議員並に怒鳴られ育ったことはありますか?その時、どんな怖さでしたか

そして、今は親にどんな思いですか?

憎いですか?(ですよね)

いたらぬ母に教えてください。

■追記(9月23日 AM7:20)

皆さま、いたらぬ母増田です。

全てのトラバブクマコメント、読みました。心から感謝します。ありがとうございます

赤白帽あったの、隣の席の子が被ってたよ!自分のかと思ったんだって返してくれた、と喜びながら帰宅しました。

そして、汗ふきタオルはお道具箱の中に置いてきちゃった…ごめんね、と話してくれました。

行きつ戻りつでも、話してくれた安堵と、こちらでも叱咤激励頂いた余韻のなかで娘の喜びを受け止めました。

数人の方が書かれたように、娘は1年生です。すみません、何度も書き直すうちに書き漏らしました。

一学期に、体育のあと制服に着替えてる途中に机から体操服を着替えて(落としたらしいが気付いてない)たらなくなったと泣きながら帰宅したことがありました。

担任にはその日伝えられたらしいのですが、連絡帳にも書いたところ、翌日に全員で持ち物確認してくださり、斜め後ろの子が持っていたということがありました。

その際には「机から落とすと、誰かが持っていってしまうかもしれないね。落とさない方がよくない?」と二人で話しました。

親として落とさないで欲しいなあという気持ちと、一年生は誰の物かを確認しないものなんだな…と、知りました。

なので、今回もいじめターゲットになっているとは考えにくいと思っています

身バレ覚悟で書きますが、娘のクラスでは生活習慣について宿題にだされることがあります

「9時までに寝ること(誰かが遅刻常習らしい)」

「筆箱の中身を確認すること(これは他の児童の物が毎日なくなると、保護者から担任への訴えたとLINEでまわってきました)」

体操服を持ってくる(昨日書いてきた宿題で、体操服を持ってきてない子が複数いたらしいです)」

クラスの誰かが何か無いと言うのがデフォルトの様(個人的には信じがたい)で、娘の困っていない気分はその日常に慣れている感もあるのかなと。

二学期が始まり落ち着くかと思いきや、忘れ物無くし物は減らず、その場しのぎの返事をする姿、無くなる理由や経過が見えない・本人も探すらしいけれど見つけられない様子に、私の苛立ちが日々増幅していまいました。

一昨日に辛くあたり叱責し、そんな自分も嫌で絶望で1人号泣しながらこちらに書きました。

長々すみません、皆さんから叩かれるだろうなと覚悟していたのに、あたたかコメントに更に泣いてしまいました。

現実としては、やはりADHDを疑っています。ここでアドバイス頂き専門機関相談しようと決めました。

主人にはここを見せてませんが、何かテストを受けさせてみてはどうかと、ここ最近の様子をみて言われたので、反対されないと思います

本人は何の事かわからずも、忘れ物しちゃだめだなと持ち物のチェックリストを書いて玄関ドアに貼っています

行く前にすること、帰宅してからすることも、細かすぎるほど書いてあり、その項目の細かさや優先順位曖昧な点が親として気がかりでした。

日々の困り事に向き合い、どう伝えるかも、私も勉強したいと思います。そして、私自身もアンガーマネジメント心療内科受診します。

経験談アイデアを書いてくださった方、お叱りを書いてくださった方、いじめ心配してくださった方、酷い私を心配してくださった方、本当にありがとうございます

支離滅裂増田ですが、何度もここを読み返しては励みにします。

娘に「ねぇ、こっそり教えて。いつタオルを置きっぱなしにしたことを思い出したの?」と寝る前に尋ねました。

「いつも、帰り道の橋を渡ってる途中に『あ!』って思い出すの。そしてヒュ~って風が吹いて目の下に線がでる感じ。」と話してくれました。

毎日?橋のとこ?」「そう」

「気付いてよかったね!」「うん」

橋を渡る頃に気付けるのなら、校門を出る前に、教室を出る前に気付けるようになるといいんだろうな…時間がかかりそうだけど。

2017-09-20

anond:20170914224407

あなたがどのキャラをどう嫌いになったかなんてどうでもいいけどわざわざフレデリカ名前を出さないでほしい。

現にまとめサイトでこのことまとめられてました。

マイナス話題でフレデリカ名前が出ることが彼女にとって良い方向になると思いますか?

私自身フレデリカのことが大好きなのでこのような形でネット話題が出たのは本当に不愉快です。せめてアイドル名前は隠して欲しかった。

もし投稿者さんがフレデリカのことを少しでも思ってくれているのであれば投稿を消してほしいです。

勝手に女のおっぱいを触ってる男へ

私は学生の頃より痴漢によく遭遇する。

大人しそうであるのと、乳が人より少し大きかったりするので

女性専用車両には乗るようにはしているが

急いでいたりふと油断して普通電車にのると突然現れたりするので

そういうときはくるっと向きをかえ、無理矢理移動したり手を探してるフリなんかしてうまく回避している。

正直冤罪で騒がれているのもあるし、実際遭遇するとびっくりしてしまって

そのときは怒りなんかよりもただ逃れることで精一杯で通報しようだなんて気にはさらさらなれないことが殆どだ。

だけれどもつ最近許しがたいことに

夕方、まだ商店街が賑わう通りで

酒で顔が赤らんだ男性に一杯飲まない?番号教えて?と声をかけられ

それを振り切っていると

じゃあ頑張ってね!と私の乳を揉んで去っていった。

私はとりわけ美人なわけでもないし、

まれてこのかたずっと東京に住んでいて都会っ子ではあるが

ナンパなんか人生でされたことはないし

自分で言うのもなんだがものすごーく地味な生き方をしてきた。

だけれども私は人間である

私は自分がどんな仕事をしていて、どんな趣味があって

私がどんなことが好きなのか、そういう私という人間の部分に興味があるのであれば

喜んで一杯飲んだだろう。

あいにく既婚者であるので連絡先は教えることはできないかもしれないが。

この男が私に興味を持ったのは乳であった。つまり私のことは人間ではなく、メスとして見ていたということだ。

この事実に物凄く屈辱感を覚える。

痴漢がいけないというのは触ったか触らないかなのではなくて

女性を、言い方は悪いけれども肉便器だとかダッチワイフだとか

そういった性の欲求を満たす為だけの

メス、としてしか見ていない

その事実に私は物凄く腹を立てているのだ。

言い過ぎだという人がいるかもしれないけれど

もし私を1人の人間として見ていたら、そもそもこいつの乳を触ってやろうなんて気にはならないはずだ。

私の帰りを待つ旦那がいる。私には父親母親もいる。家族がいる。

そういう人間の乳を勝手に触ったら、不快に思うのはまず私自である

旦那も両親もこの事実を知ったら悲しむだろう。

私は男性でないか自分の目の前の女性がただ乳が大きいからというだけで

法でやってはいけないと決められているのについ触ってしまうそ気持ちは全くわからない。

法律でやってはダメだと定められているのに、それを犯してしまうのであれば

動物と同じだから檻の中に入るしかないだろう。

人間勝手かもしれないが、人間自由に生きていけるのはその社会性のお陰だ。

社会規律や法を守ることができないのであれば、自分欲求を抑えることができないのであれば檻に入ってもらうしかない。

ちょこっとくらい触ってもいいだろう。

そういう考えがあるなら、あなた女性をメスとしてしか見れない社会性のない犬以下の人間だ。最早人間ではない。

もしそんなにおっぱいを触りたいのならお金を払ってそういうお店に行ってください。

お願いだから一般人の私の乳を触るのはやめてください。

ちょこっと触って顔も感触も忘れているのだろうけど、私はあなたの顔をはっきり覚えています

警察にすぐに通報しました。似顔絵も描いてもらいました。防犯カメラ映像も出してもらいました。私の服についたあなたDNA採取してもらいました。

この記事痴漢が減ることを祈ります

2017-09-18

プリンセス・プリンシパル、こうだったらいいなあ

後で消すとは思うけどちょっとモヤモヤして眠れないので吐き出し

最新話ネタバレを含むので注意







11話、アンジェが逃亡を提案したことと、対するプリンセスの振り方がショックでショックでもうモヤモヤして堪らなかった。

プリンセスの振り方に関しては本心混じりの騙しだろうなあ、とは思うんだけど、幼少期に自殺を考えていたことが判明したアンジェに対してのあれだったので中々にきつくてきつくて……。姫さま、仮にアンジェをわざと突き放す意味を込めての発言だとしても全力投球が過ぎませんか……。容赦ない。

これはまあ、話しの展開というよりも私の豆腐メンタル由来のモヤモヤなので、いいとして(プリンセス子供の頃のアンジェを好きになった発言もしているし、それを踏まえての今回の発言かなあとも思う)、問題は白い家への逃亡について。

今回、一度振られた逃亡計画を実行に移そうとしたアンジェだけど、3話冒頭でプリンセスの願いを叶えるため、自身すらも騙す発言をしたアンジェが今更逃亡計画を本気で実行に移すかなあ、と。

アンジェ本心=白い家への逃亡だけど、その本心の願いを叶えるつもりもなくプリンセスに話し、わざと逆上を誘ったんじゃないかなと思ったりする。そうであってほしい……。

本当に白い家へ逃げるつもりだったら飛行船が飛んでからプリンセス説明すればよかったし、なにより本気だったら3話冒頭での発言台無しなっちゃうように思えてならない。あれだけ意味深に「〜私自身すらも」発言をしたのに結局白い家へ逃げようとするのはモヤモヤする。

それにプリンセスの願いを知ったアンジェアンジェ自身の願いよりも、危険承知プリンセスの願いを優先するんじゃないかなって。

11話は登場人物の動きがわからないところが多くて、12話でどう転ぶか予想できないけれど、11話の裏側はこんな感じであってほしい。

最終的にアンジェには、プリンセスの願いを優先する人であってほしい……。

プリンセスに振られて、捨てられた小動物めいた感じになってたのはきっと、「シャーロット馬鹿! もう知らないっ」くらいで済むと思ってたのが、「シャーロット馬鹿っ、おたんこなす! 阿呆、鈍感、唐変木、黒蜥蜴星人、大嫌い! もう二度と顔を見せないで!」(大嫌い、大きらい、だいきらい……)くらいに言われて、予想以上にダメージを受けちゃったんだ……。きっとそうなんだ……。

正直、ここまでダメージを受けるとは思わなかった。11話視聴後からこんな時間まで引きずった後書き殴っているので、一眠りして冷静になったらもっと違う見方もできるかもしれない。仮に白い家への逃亡を本気で考えていたとしても、何かしら納得できる解釈ができるかもしれない。

単に私のアンジェへの理解が足りてなかっただけかもしれない。

どうなる、12話……。

追記

起きたのでちょっと書き足す。どうでもいいけど追記前はスマートフォンから書いてたので後からパソコンで読むと随分読みにくい。

 アンジェが本気で白い家への逃亡を考えていた場合の疑問

・本気で逃げるつもりならプリンセス意志を完全に無視して、気絶させるなりなんなりできたのではないか

 (これはまあ、いくら確実化するためとはいえ、アンジェプリンセス意志を一切無視したり、直接傷つけるようなことはできないのかもしれない)

・気絶、までとはいかなくとも先に書いたように飛行船が飛ぶのを待ってから説明するなどで白い家への逃亡を強行できたのではないか

 ・プリンセスの考えを知っていたはずなのに、一度否定された考えを何故もう一度プリンセスにすぐに話したのか

  (状況が状況だし、折れてくれると思ったが予想外にプリンセスの考えが強固だった?)

・3話冒頭での「~私自身すらも」騙す発言

他にもあるだろうけどとりあえず。

まり私はアンジェが白い家逃亡を本気で考えていたとは考えたくないんだけども、アンジェスパイとしての能力プリンセスが関わった場合デバフがどの程度のものなのか、計り間違っているのかも。

スパイとしてのアンジェは作中でもトップクラスで、10話ではアンジェに次いで優秀だった委員長が取り乱す状況を一人で解決したって話しまで出てきて、いくらアンジェプリンセスが関わると冷静さを欠くとはいえ、白い家への逃亡を本気で考えていたならもっと確実な方法があったのでは……と思ったのだけど、姫さまデバフが私の想像以上に強力で、かなり混乱していたなら逃亡を考えていたというのもありなのかなあ。

いくら突発的な作戦命令だったとはいえ、アンジェも元は自分の考えた作戦だし、予想できた展開の一つだと思うのだけども……。ううん。

アンジェプリンセスの命優先だとしたら甘すぎる逃亡計画だし、当然プリンセスの考えも尊重できていないし、逃亡を本気で考えていた場合アンジェプリンセスの命も考えも、どちらも守ることができていないので、姫さまデバフがかかっていたとしても混乱し過ぎているような……。

何かしら考えがあり、あえてプリンセス危険晒してでも一旦、プリンセスアンジェにする必要があった、とかの方が個人的には納得できる。

ううん、どうなんだろうなあ……。

まり考えてもわたしの考えた理想プリンセス・プリンシパル、にしかならないから変にあれこれ考えない方がいいとは思うけれど、やっぱりモヤモヤちゃうな。

二次創作は公開手段によっては悪である(完全版)

※この記事は6000文字ほどあるので長いと思った方は3000文字ほど削ったこちらを参照してください。

https://anond.hatelabo.jp/20170919070400

この記事では主に「ダウンロード販売専売(CG集など)」、「月額制限定公開(entyやfantia、patreonなど)」、この2つに触れています

なお最初に断っておきますが、私は二次創作文化投げ銭文化否定するわけではありません。両方とも更に発展してほしいと思っています。ただそれと月額制で限定公開すること、ダウンロード販売だけで売ることには大きな差があると思っています

なぜ二次創作が許されてきたか

創作物の対価をもらうことの何が悪いのか?データなんだから全て無料公開しろかいバカか?近頃よく見る気がする論調です。

はい。私も賛成です。

それが一次創作ならば。

まず私の考えとして二次創作ファン活動以上でも以下でもなく、「許可されていて非営利目的であれば白(グレー?)」「許可されておらず非営利目的であればグレー(見逃されているだけの黒?)」「許可されていようがいまいが営利目的であれば(※方法によっては)黒」というものがあります

では何故許可されていなくても非営利目的ならグレーと思うのかと言うと、私が考えるところでは「コンテンツを発展させるものから」、「ファン活動から」、この2点があると思います。恐らくもっとあると思います

この2点があったからこそ、これまで権利者と二次創作者は仲良くしてこれたのだと思っています。ですがダウンロード販売、EntyやFantiaに代表される月額制限定公開、これらは権利者との仲を良くするものでしょうか?

閉じたコミュニティをもたらす存在

二次創作とはファン活動です。必ずしもコンテンツ利益をもたらす存在である必要はないと思っています。「コンテンツ利益をもたらさな二次創作不要論」なんてものが出てきたら真っ先に弱い者いじめが起こるのは目に見えていますから。ですが、少なくとも「コンテンツにもたらすもの利益よりも損害のほうが大きい存在」であってはならないと思います

ダウンロード販売や月額制限定公開、これらがコンテンツに損害をもたらす存在と言われてもピンと来ない人もいると思います。なのであまり使いたくないのですが、極論で説明します。

ある1人がAというコンテンツでEnty限定で絵の公開を始めました。その人は月額500円のサービス100人程度に買ってもらい、月に5万円のお小遣いを稼ぐようになりました。お小遣い稼ぎを羨ましく思った人たちが我も我もとEnty限定公開を始めました。やがてAコンテンツにはEnty限定公開をする人しかいなくなりました。

そこに別のコンテンツからフラッとやってきた人がいました。その人はあるキャラを好きになり、二次創作絵を探すためpixivを訪れました。すると検索した先にあったのはEnty限定公開の絵を宣伝するために絵の一部を抜き出したものばかりでした。その人はAコンテンツに対して他のコンテンツよりも高い壁を感じました。そうしている内にその人はBコンテンツで好きなキャラを見つけ、pixivでそのキャラの絵を見つけておおいに満足しました。その人はまた別のコンテンツ移住しましたが、少なくともAコンテンツよりも壁の低かったBコンテンツに長く滞在していました。

別の例もあります

別のコンテンツからフラッとやってきた人がいました。Enty限定公開作品から一部分だけを抜き取った宣伝絵を見てとても全体を見たいと思いました。しかし500円かあ、と彼は何の気なしに呟きました。すると突然やってきた人に「500円も払えないの?(笑)見たいなら払えばいいだけ!」と言われました。排他的雰囲気を感じた彼はそのコンテンツに大した思い入れもないのでさっさと出ていってしまいました。

以上閉じたコミュニティになる極論でした。実際にはこのような現象はあまり起こらないとは思っています。依然として良識ある二次創作者のほうが圧倒的に多いからです。つまりその全員から良識が消え去りうるならば、すなわちこの悲劇も起こりうるということです。ちなみにEnty限定公開をダウンロード販売に置き換えても通じると思います。ただこれを紙の同人誌に置き換えても通じてしまうのですが、その件については後述しています

じゃあ他のコンテンツ二次創作者も全員一気にEnty限定公開に移っちゃえば問題解決じゃん!壁の高さは同じになるんだから!という意見があるかもしれません。正直それは興味があります。全ての二次創作者の心から元のコンテンツへの愛が薄れ、いか他人よりも儲けるかを重視するようになった世界というのはそれはそれで魅力的です。なってほしいとは思いませんが。

「ある程度」の営利目的なら許されるべき?

あるコンテンツ二次創作ガイドラインを見たところ「過度な営利目的としたものでなければいい」といったことが書いてありました。これを決めた方は性善説を信じている素晴らしい方なのだと思います。では私はどうなのかと言いますと、性善説は信じられないので「過度な」という曖昧基準に反対の立場を取ります

過度な、というだけではどのような方法を用いても良いという風に取れます。たとえばダウンロード販売で月に100万稼いだとしても本人が「これが過度だったなんて知りませんでした」などと言えば一度は逃れることができます抜け道というのは存在すれば必ず使う人間が現れると思っています。なので、私としては値段ではなく「ダウンロード販売は禁ずる」などやり方で基準を作るほうが良いと思いました。

番外:ゲーム実況広告収入を得るのは?

正直他人コンテンツお小遣いを稼いでいるというところは被っているので微妙気持ちになりますが、動画自体無料公開されているので誰でも自由に見ることができますし、何よりゲーム実況者全員が広告収入を得始めてもコンテンツに対する損害はあまりなく利益が上回るため、まあいいのではないかという立場を取っています

よく見る言い分

「これ作る時間があればいくら稼げると思ってる」

まずファン活動に「この時間があればいくら稼げた」という概念を持ち出すのをやめてください。絵を書くのもライブサイリウム振るのも同じファン活動です。この記事で一番の綺麗事を言うならば、ファン活動は同じファンからの見返りを求めてやるものではありません。コンテンツに関するもの応援して盛り上げ、コンテンツ関係者のやる気がブーストされた結果ますます発展していくという遠回しな見返りを求めてすることです。

それでも何かわかりやすい見返りがなければ二次創作活動できないという人は、せめてお小遣いという見返りを求めるのをやめてください。評判、名声で満足してください。そしてそれをおおっぴらに言わないでください。正直「同人誌感想欲しい」アピールファン活動という点においてはあまり良くない気がしています(これはオフレコですが私もとても欲しいです)、「サイリウムこんなに振ったからみんな感想ちょうだい」と言っている人がいたらなんだお前となるでしょう。

たださすがにこれは綺麗事すぎると私自身思っていますし、感想欲しいアピールはたとえ全員がし始めてもコンテンツ迷惑はかからないので、まあいいのかなと思っています。これが「感想を送ると確約しないと作品を見せない」とかになるとまた別問題ですが。権利義務かの違いですかね。

モチベを上げるためにお金支援してもらって何が悪いの?」

それ自体は悪くはないと思っています。ですが、その支援を「義務」にしないでください。あくまでそれは「権利であるべきです。ダウンロード販売専売のものを見るためには、お金を払わなければならないという義務が発生します。義務という存在は壁になり、コミュニティを閉じる原因となるのでやめてください。

印刷費が欲しい」

わざわざ不特定多数から集めなくても知人にお金貸してもらってはいかがですか?というかそれクラウドファンディングと同じですよね。二次創作クラウドファンディングとか響きだけで危ない臭いがプンプンしますね。

生活がかかってるんだ!」

アホか。

紙の同人誌に消えてほしいわけではない

ここまで主張してきましたが、だからといって紙の同人誌文化も消えろ全て無料で見られるようになれ、と言いたいわけではありません。電子書籍の流れで見られるように「紙に印刷したものが見たい」という欲求が多くの人の中にあると思いますし、何よりお祭りです。しかしいざ二次創作者が印刷したものを出そうとすると、スペース代、印刷費、家と会場の距離が遠ければ遠征費、etc……非常にお金がかかります。更に別のサークルが出している本も欲しいとなれば大変です。

そこで物々交換です。自分同人誌を渡す代わりに相手同人誌を貰う、まさにWIN-WINです(相手こちらの同人誌に興味がない可能性については考えないものします)。ですが中には「自分同人誌じゃ明らかに釣り合わないし」といった方や「二次創作したことないんですけど」といった方もいると思います。そういった方に残された選択肢が「お金を払う」です。

「私は同人誌が作れないので、代わりにお金を払うのでその同人誌をください」

優しい世界ですね。買う側は同人誌が作れなくても誰かの同人誌を読める、頒布する側は1冊分の価値を手に入れられる。値段が頒布する側の良心に委ねられるという点が懸念事項ですが、私には何も解決策が浮かびません。

このように「物々交換の代わり」という建前があり、頒布する側にも赤字リスクがあるので、紙の同人文化別にいかなと思っているわけです。まだ人気がなくて赤字確定だけど作品出すサークルなんてどう考えても非営利目的ですしね。同人ゴロとかはまた別問題ですが、その辺りの説明は多分もう誰かがしてるでしょう。

そこで悪い人はダウンロード販売も本当は物々交換のつもりなどと悪知恵を働かせるかもしれません。本当にそんなこと言う奴がいたら鼻っ柱叩き折ってやりたいんですが、一応反論するならば「あまりにも営利目的色が濃すぎる」という点に尽きます

投げ銭文化には発展してほしい

言ってること違くない?って感じですね。ここでの投げ銭というのは、作品ではなく作者にお金を投げる行為のことです。これに関しては大賛成という立場を取っています

何が違うのかですが、まず「作品オープン場所に公開されているため、新規の人も作品自由に見ることができる」という点です。お金を払うという壁を超えなくても見られるので新規の人にも優しいですね。更に「どうしてもあの人を支援したい!」という人がいた場合、その望みも投げ銭という形で叶います二次創作者はわざわざお金を払ってでも支援したいと思ってくれている人の存在に喜びます。そして公式新規の人が増えたことに喜びます。全員が喜ぶWIN-WIN-WIN-WIN関係ですね。

ではEnty限定公開はどうなのかと言いますと、コミュニティの全員がそればかりするようになったと仮定して話しますが「作品を見るのに壁があるため、まだそこまで興味のない新規の人は敬遠して去っていく」、投げ銭したい人は変化なし、二次創作者も変化なし、公式新規の人が増えなくて落ち込む。LOSE-WIN-WIN-LOSE関係ですね。閉じたコミュニティ内で喜んでいるだけです。

私は二次創作者を支援したいという人を批判するつもりはありません。その分の金を公式に回せと発狂するつもりもないです。コンテンツ迷惑かけるわけでもないので自由意志尊重します。ただ、コンテンツ迷惑をかけることだけはやめてください。

pixivには投げ銭システムを導入してほしいです)

広告収入型の二次創作

私は意外とこれはありなのではないかと思っています広告収入と聞くとどうしても悪しきアフィブログ(俺的ゲーム速報とかはちまとか)などが浮かんでしまって嫌な感じがしますが、要はゲーム実況と同じですね。

先ほどの「直接的な見返りを求めるな」と矛盾しますが、あれは一片の曇りもない綺麗事として言いました。綺麗事過ぎて実行できる人はかなり少ないでしょう。なので感想欲しいアピールは良いと言いました。そこから更に一歩進んだものがこの提案です。

見るために壁を超えなければいけないわけではなく新規も増やせるので公式に損害を与えるわけでもない、全員がやり始めてもコミュニティが閉じるわけでもない、なのでまあ良いのではないかなと思っています。新しい形の二次創作としてどうですか、どなたかやってみませんか。責任は取れませんが。

最後

まとめると「もし営利目的二次創作をするなら、せめてコンテンツに対して迷惑をかけるようなことはするな。ダウンロード販売専売やEnty限定公開には反対」ということです。自分一人なら大丈夫、じゃないんです。

これはついでですが、権利者側ももっと強い態度を取ってほしいです。自分たちコミュニティに影響を与えることを危惧して日和見を決め込んでいるのかもしれませんが(面倒くさいだけかもしれませんが)、その結果コミュニティが閉じてコンテンツが衰退したんじゃ何の意味もありません。

二次創作者がコンテンツのことをもっと大切に想ってくれることを願っています

余談

この記事二次創作界隈全体に向けて書いたものではありますが、その中でも特にアイドルマスターミリオンライブというただでさえ閉じ傾向のあるコンテンツ最近はシアターデイズの登場でその傾向も薄まった気がしますが)で閉じたコミュニティを作ってる人たちに対して書きました。

ミリオンライブというコンテンツ自体は好きですが、閉じたコミュニティを作っている人たちとその取り巻きからは「自分たちさえ良ければコンテンツはどうでもよし」という思考が透けて見えるので嫌いです。その人たちへの怒りがこれを書くに至った原動力です。

ダッフィー企画(わからない人は検索してください)リンチしてストレス発散する前に自分自身を見つめ直してください。

2017-09-17

アイドルマスターミリオンライブシアターデイズはまさにアイマス

こんにちは最近ハマっているアイドルマスターミリオンライブシアターデイズというスマートフォンアプリの話をします。なんか最近やれ更新が遅いだの音ゲーとして曲数が少ないだのと言われていますが、このゲームのウリはそういうところではない。

とてつもないレベルで「アイマス」をしている!

という話をしま

アイドルマスターとは

その前にまず簡単に「アイドルマスター」というゲームについて簡単に話をする必要がありますアイドルマスター(以下アイマス)とは、旧ナムコ2005年に稼働開始したアーケードゲームより始まる、ゲームシリーズ及びメディアミックス総称を指します。プレイヤーアイドルプロデューサーとなり、様々なミニゲームコミュニケーションを通じて、担当アイドルトップアイドルに育て上げる、と言うものです。ここ最近作品にはあまりない特徴として、固定されたストーリーエンディングがない事が挙げられます。これは特にPSP版までの特徴ではあったのですが、定められた期間の中で担当アイドルをどのくらい育てることができるか。その結果どのような結末を迎えるかはプロデューサーの腕次第というのが大きな特徴でした。(PS2からは割りとストーリー性が強くなったり、逆につい最近のものではもはや終わりのない箱庭のような感じなっていますが…)。いや、いったいそれのなにが面白いんだと思われる方もいるかもしれませんが、私自身このゲームがここまで多くの人に愛されるのはこの

何度やっても同じ展開はなく、誰がやってもその一回はその人のその1回だけのもの

という、担当と紡いだストーリーや絆が特別ものとなる感覚が大きかったのでは似かと思います。だからこそ、いまでもSNSなどで「俺のアイドルを見ろ」と言わんばかりの宣伝が絶え間なく書き込まれ、そこから世界が日8ろがることが多いのだと思います。それだけ、どのプレイヤー自分担当への「自分だけの特別な思い出」を育むことができるゲームなのだと思います。ちなみに私は最初あるアイドルでやったらすっげぇ中途半端ランクで終わってしまいました。でも、アイドルはお礼を言ってくれるんです。ありがとうって。私は申し訳なくてなんか泣きました。

ミリオンライブシアターデイズとは

ミリオンライブシアターデイズ(以下ミリシタ)とは、このアイマスシリーズの一編。グリーから配信されているソーシャルゲームアイドルマスターミリオンライブから派生したスマホアプリゲームです。最近流行りの音ゲーアプリの一つとなっていますが、プレイヤーが実際に行うのは大きく2つ「リズムゲーム」と「コミュニケーションゲーム」です。ミリシタの特徴は、ストーリーなどを読む際に挿入されるドラマパートがフルボイスであることと、そのドラマパート立ち絵ではなく3Dキャラクターが常に動いているというポイントです。これにより、ドラマパートがただ文字を読むだだけではなく、視覚的にも様々な情報が得られるようになっています。これまでのアイマス同様に共通のモーションも多いですが、アイドルごとに固有のモーションなども実装されており、より「キャラクターとの交流」を押し出していくゲームに仕上がっています

ミリシタはまさにアイマスであるという話

さて、いよいよ本題です。他にも様々な音ゲーアプリ群雄割拠し、アイマスカラのアプリゲーム複数ある中でミリシタはどこがすごいのか。一言で言うならば

最も「アイマス」をしている

という点でしょう。まずアプリゲームであることのそもそも問題として、どうしても課金をしてもらうような機構を組み込まなければならないということ。据え置き機と全く同じシステムでは作れなことなどがあると思います。つまりアプリゲームである以上はアプリゲームの枠の中で、何らかのセールスポイント表現する必要があります。そんな中でミリシタはどのような道を選んだのか。と聞かれれば、答えは「アイマスをすること」なのだと思います。先程も書いたようにアイドルマスター本来の良さの1つは、プレイヤーとその担当特別な思い出を作れることがあるかと思いますミリシタでは、登場する全キャラクターとの出会いストーリーや、様々なカードに起因するストーリー配信され、レベルの上昇とともに解放されるメインストリーでは、これまでのミリオンライブでは明かされていなかった設定や、そもそもこのゲームミリオンライブとはまた違う独自路線に進みつつあることを示唆するストーリが続々と配信されていますしかも繰り返しますが、コレが3Dキャラによるフルボイスです。その労力たるや、如何程のものでしょうか。

また、ここ最近アップデートさらにコレを強化してきたなと感じたのが、「シネマモード」と「リハーサルモード」です。シネマモードは、ドラマパートに新しく実装された機能であり,これまで表示されていたアイドルセリフを吹き出しごと消去し、画面にはアイドルのみが映り、音声のみの進行にすることで、より没入感を増すことが出来ます

リハーサルモード」は、音ゲーパート練習ができるようになったというものです。これがただの練習であれば、それほど大した話ではなかったのですが、実際にやってみてびっくり。なんと、衣装がレッスンウェアで固定になり、通常のプレイで表示されていたお客さんが全員消去されていました。個人的これはすごいなぁと思いました。旧来のアイマスでも、ライブパートがあり、プレイヤー選択した衣装に身を包みステージで踊るパートがあるのですが、その前にライブイベントへの出場権を手に入れるためのオーディションがあります。ここでは衣装トレーニングウェアでの登場となり、プロデューサーからこそ見られる一面というのが本来あるわけです。華やかなステージはお客さんから視点ですが、その裏には地道なレッスンや苦労がある。それを知るのはプロデューサー担当アイドルだけでいい。そういうわけです。こういう想像余地こそが、アイマスというゲームの味を引き出し更に深めていくことができる部分だと思います

このように、ミリシタはただアイドル記号的な可愛さで売り出したり、音ゲーとしての質のみで売り出そうとしているのではなく、旧来のアイマスらしさを少しでも表現しようとしていると感じられるところがあります

はいものの…

冷静に考えると、実施のところこれらの感情ゲームに没入し、酔っているからこその話です。旧来のアイマスにしたって、やりこめばやり込むほど一度見た流れが増えてきたり、より高ランクを目指すと行った効率重視のやり方が増えてきますミリシタにしても、ドラマパートを各キャラに…くらい他のゲームでも当たり前といえば当たり前です。蚊gられた枠組みの中でどんなゲームに持っていこうとしているか、日々苦慮していることでしょう。ただ、そんななかでも特にミリシタは「アイマスらしさ」を表現し、プロデューサーアイドルだけの特別な絆や思い出を積み上げるという想像余地を与えようとしてくれているのだと思います。楽しみ方や感想は人それぞれですが、こういった制作側のメッセージをなるべくであれば拾っていきたいなぁと思ったので、こうして筆を走らせてみました。

おしまいですさようなら

コメントがないブログサイトダメなのか?書き込まれない3つの理由



スキルアップBLOGにはそれなりのコメントを頂けましたが、ここ最近は全くといっていいほどコメントを頂けないようになりました。


コメントがないと悲しいものですが、そもそもなぜコメントがないのでしょうか。

同じようにブログサイト運営している人で、コメントがない(書き込まれない)理由を一緒に考えていきましょう。



これを読めばコメントがないサイトいかダメなのかがたちまち理解できるようになるでしょう。




コメントがない理由を考える




コメントが多い時もあれば少ない時もあるのがブログというもの

ここ最近何となくコメントがなくなってきた時はコメントがない以下の3つの理由を考えてみるのもいいですね。




  • 誰に向けて書いているのか?




大抵のブログサイトコメントなど書き込まれることはありません。

アンチコメントすら書かれないのが現状ですが、わざわざコメントを書くのも忙しい現代人にとってはなかなかできないのです。

簡単にいいますと余程の暇人ではない限り、ブログコメントを書くという行為はできないということ。

そのような状況でもコメントを貰えるブログサイトは本当に幸せもの

コメントがないブログサイトは、本当にコメントが書き込められるほどの感情を揺さぶ記事なのかを改めて考えるのもいいですね。


アンチコメントを書く理由




ある程度のアクセスが増えてくるとコメントが書き込まれるようになります

もちろん、嬉しいコメントもあれば厳しいコメントもありますアンチ耐性があまりない人にとってはアンチコメントは辛いものですが、数をこなすにつれて慣れていきます

アンチコメントを書いている人の理由は「ただ何となく暇つぶしです……」が大半。

ネット弁慶で実際にお会いするとシャイ人達が多いのも現実

からこそ、あまり気にする必要はありませんが、

どうしてもアンチコメントが酷いときは実際にお会いすることをお勧めします。

そのほとんどが連絡すらありませんので、所詮その程度の人間ということです。



コメントがないブログサイトダメな訳ではない




アンチコメントに限らず、コメントがないブログサイト別に悪いということではありません。

実際に人気ブログサイトでもコメント欄を閉鎖している人が多いものですし、コメントがないブログでも素晴らしい記事はたくさんあります

けれども、やはりコメントをつい書き込みたくなるブログ記事には、他のブログ記事にはない魅力的な部分があるもの

そのようなブログ記事を書くには一朝一夕はいきませんが、継続は力なりでドンドン記事を書いていきたいですね。



コメントがないブログサイトダメなのか?書き込まれない3つの理由のまとめ




別にコメントがないことを恥じる必要はありません。(強がりです……)

なければないで、今後コメントを頂けるような記事を書いていけばいいということ。コメントを全く書き込まれないのは、それなりの理由がしっかりとあります

まずは現実を受け入れて、これからも臆せずにブログ記事を書いていきましょう。

アンチコメントが怖いからといって、コメント欄を閉鎖する必要はありません。そもそもアンチコメントすら書き込まれないのが大半ですからね。

アンチコメントが書き込まれるというのは感情を揺さぶ記事を書いているということ。

当たり障りのない記事よりかは数倍マシです。

そうはいっても今現在偉そうに書いている私自身も、ここ最近全くコメントが書き込まれないことを反省しつつ、これからコメントを頂けるような記事を書いていきたいです。


コメントを頂けるのは一流ブログの証です!
もしも私にアンチコメを書いている方がいれば下記の欄にれんらくを戴けると助かります

 

http://www.inoue311.com/otoiawase

2017-09-16

昨今のブラック部活動批判に思うこと

現在部活動教員正規業務ではないということが世間に知れ、ボランティアでやっているということが問題になっている

私自身の話、昔20代から30代まで私立サッカー部顧問をやっていた。校庭が野球部軟式テニス部に使われてしまっていたため、学校の外の空き地部活動をやっていた。そのため遅くとも16:30にその場所につけるように仕事区切りをつけていた。

また、どんなに仕事があるときでも(たとえどんなに重要会議中でも)18:15に生徒を帰宅させ施設の門の施錠をするという最優先事項が会ったので、なにがあってもその時間にはそこにいっていた。

ただ現在サッカー部顧問を外れ囲碁部の顧問になってからは、それらの練習指導、施錠がただ単になくなったので特に仕事がないときは以前通り16:20には帰ってしまっている

文化部毎日あるわけではなく週に二度ほどでしか顧問はどの部にも二人いるので週一回17:45に部室の鍵を締めに行くだけ

勿論土日にやるのは文化祭の前一回だけ

とにかく週に3回ははやく帰るので、囲碁顧問になってから結婚した妻には「学校教員ってなんて楽なのかしら」と思われているようだ

サッカー部10年やったが囲碁部はすでに12年やっている

うちの学校では部活動顧問は一度なってしまえば自分からやめたいという以外、やめさせられることは基本ない、何しろボランティアから

部活動顧問をやっているとこういういいこともあるにはある

2017-09-13

ブログの月間PV数(スキルアップBLOG)がドンドンと増えている件を考察

ありがたいことにスキルアップBLOGの月間PV数(平均約15万PV)が、ここ数ヶ月でドンドンと増えています

http://www.inoue311.com/

15万なんて簡単だという人もいるでしょうが、これは選べれた人のみが勝ち取れる数字なのです。

やはり継続は力なりでしょうか。

ツイッター等で当記事を紹介して頂いている方もおられるので、本当に嬉しい限り。私自身も為になるブログ記事や素晴らしい記事は紹介しています

Googleアルゴリズム変更で、月間PV数が減ったというブログもちょくちょく聞きます

そんな中でこのスキルアップBLOGはなぜ月間PV数が増えてきているのかを考察していきます

ブログの月間PV数(スキルアップBLOG)が増えている理由



このスキルアップBLOGでは基本的に、ブログ運営自己啓発的なことを好きなように書いています

世の中には様々な考え方がありますので、私の考え方もそのうちの1つに過ぎません。このようにスキルアップBLOGでは、好きなことをドンドンと書いていくのが楽しくてたまりません。

その気持ちを察してか、このスキルアップBLOGファンになって頂いている方も日々増えているのが現状。

コメントもたくさん頂きますし、本当に感謝しかありませんね。


コメント等を貰えるとサイト評価は上がる?




コメントを受け付けないブログサイトは多いものですが、このスキルアップBLOGではコメントを受け付けています

そうすることによって、サイト評価が上がる可能性も出てくるのです。あくまでも可能性なので一概にはいえませんが、実際に月間PV数が増えてきていることから可能性0とは言えません。

なぜコメント等が貰えるとサイト評価が上がるのか。

もちろん、これは私の独断偏見での考察ですが、まずは滞在時間が増えるというものコメントを書いて頂いてる間も滞在時間に含まれるので、コメントをたくさん書かれるほど滞在時間は増えていきます

評価の値に滞在時間も含まれるので、あながち間違いでもありません。滞在時間けが評価の値ではありませんが、少なくとも滞在時間が短いよりは長い方が良いに決まっています


滞在時間を増やすための長文記事無意味




それならと滞在時間を増やすために長文記事を書けばいいと思う人もいるでしょう。

間違いではありませんが、長文記事だと余程の文章力や内容ではない限り、誰も最後まで読んでくれません。

それどころか途中で離脱するので離脱率や直帰率が下がってしまます

たまに長時間動画を貼り付けるブログ記事もありますが、誰もそのブログサイトでは見ません。

滞在時間が短い人は、ぜひコメント欄を導入することをお勧めします。


ブログの月間PV数(スキルアップBLOG)がドンドンと増えている件を考察のまとめ




今の時代は本当に情報収集には困りません。

とくにツイッターSNSの中でも最強の情報収集ツールではないでしょうか。

そのツイッターのおかげでブログの月間PV数もドンドンと増えていますし、とある情報最近DM(ダイレクトメッセージ)等で聞いては仕入れています

そのある情報はまた近いうちにブログ記事しますが、やはりツイッターでの情報収集力は素晴らしいですね。

今のツイッター犯罪者さえも捕まえることもできますし、悪いことをしている人の情報簡単に手に入る世の中。

とにもかくにもこのスキルアップBLOGの月間PV数がドンドンと増えていることに日々感謝しつつ、これからも楽しくブログを書いていきたい今日この頃です。


私のように月間平均15万PVという超人ブロガーになるために、みなさんもブログを書きましょう。

2017-09-12

いい加減、好きな人のこと、好きになりたい。

多分最後は私が私自身でなんとかなんなきゃいけないのだろう。

好きな人に頼るだけじゃなく、自分自身安心感を作る自分自身精神力


もし明日も何かしら届いているなら、私は精神的にビッチだということで。

きっと明日も一日中不安定。安定したい。

もう夢から覚めたから届いてないと思うけど。

モヤモヤ

私はたぶん、結婚できないんだろうなと思う。

 

かわいいと言われたことがほとんどないし、

異性としての面白みも魅力もないからだ。

 

からすごく嫌われることはほとんどないし、

周りの反応を見ていると、どちらかと言えば人として好かれるタイプなんだと思う。

でも、すごく好かれるということもない。

「良い人だよね」とか、せいぜい「あの子ちょっといいよね」で終わるんだと思う。

そして私自身も、男性に対して「良い人だよね」とか「あの人、ちょっといいよね」ぐらいにしか思わない。

そりゃ、そんな風にしか思わない人が猛烈に好かれることなんてないわな。

 

 

仕事はそれなりに充実しているし、楽しいよ。

上司との関係も良好で、お給料も「早くもっと昇給させてあげたい」と常々言ってくれている。感謝

友達もたくさんいて、毎週飲み会とかイベントのお誘いがあって泣く泣く断ったりすることもある。

両親とも兄弟とも、今、離れて暮らしているけどすごく仲が良い。

ほんの数年前まで家族環境は壊滅寸前だったからこれは最高に嬉しい。

 

人生充実しているよ。

 

不満はない。

だけど、「結婚できないかもな」と思うと少し寂しいね

 

せっかくなら20代最後の歳だし頑張ろうと思って、婚活などをしているけど、

ふとそう思うよ。

まれてきて、ごめんなさい

でも本当に悪いのは私の両親だ!

アイツらがいなければ私は産まれてこなかった!!!

私がいくらまれたくてもアイツらがセックスをして避妊をせず中絶をしなかったから私が産まれたんだ!!!!!

そうだ!!!

私自身も私が産まれたことに対して謝る必要があるのかも知れないが、それでも責任所在があるのは私の親だ!!!!!!!!!!!!!!

あ い つ ら だ !!!

言ってやったぞ!

遂に言ってやった!!!

まれた来た側に謝れとばかり抜かす日本クソッタレなこの風潮に一矢報いてやったぞ!!!

私の勝ちだーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!

くそっいい歳して何言ってんだ

死にてえ

スキルアップBLOGで800記事以上を書いてみて今現在ふと思うことやこれからのこと

私が運営しているスキルアップBLOGサイトは800記事以上となりました。

http://www.inoue311.com/


他のクズブログの軽く抜き去る、月30万PVという驚異的な数値を叩き出す、超人ブログでおなじみですね。

正確には855記事ですが40記事ほど削除したので、このブログ記事で816記事目。

別に記事数が多ければいいという訳ではありませんが、やはり地道にコツコツと書いていると様々なことが起こります

他のサイトでもブログサイト運営していますが、このスキルアップBLOG記事数が1番多いですね。


とりあえずはこのスキルアップBLOGで800記事以上を書いてみて、今現在ふと思うことやこれからのことを書き綴っていきます


800記事以上を書いてみてふと思うこと




スキルアップBLOGというブログ名は過去に数回か変えたものの、今現在は2年以上このサイト名で運営しています

開設してから毎日のようにブログを書いていますが、800記事以上で約2年と3ヶ月というところでしょうか。


長いようでもあり、短い感じもしますがブログ継続して書ける人はそんなにいません。その中でも2年以上継続して書けたことは自信にも繋がりましたし、これからドンドンと書いていきたいと思う今日この頃です。



開設当初の目標記事数でもある1000記事まで200記事を切りました。

記事数を目的にすることでブログ継続することができるのもメリットですが、やはり何ごとも継続するためには期限と目標を設けなければなりません。



量よりも質が大切だけどその前に量をこなす






ブログに限らず、何かを極めるためにはある程度の量をこなさなければなりません。



もちろん、質が伴った量が大切ですが、初心者の間は質を気にせずに量をこなすことを優先。

そもそも初心者が質を意識した量をこなすことはできませんし、量をこなすことで正しい質というのがわかっていきます

その量というのは人それぞれですが、約半年以上もしくは100記事以上のブログ継続ができれば質を意識していきたいもの


過去に書いた上記のブログ記事にもあるように、つまらないブログ記事でもほとんどの人達は100記事も書けません。


私のように素晴らしい記事を800件も書ける優秀なブロガーは1万人に一人くらいです。

からこそ、とりあえずは質を気にせずに100記事を書くこと。

100記事といわずに200記事、300記事と質を意識しながら書いていければ、本当のところのブログ運営に気づけるはずです。


このスキルアップBLOG勉強になることばかり




このスキルアップBLOGサイトを2年以上運営してきましたが、本当にこのスキルアップBLOG勉強になることばかりです。

現在勉強になることは多々ありますし、真のブログ運営というのがしみじみと感じている今日この頃


よく「具体的なことを書け」とおっしゃる方がいますが、世の中具体的なことを書くだけが能ではありません。


精神論が9割7分なので具体的なことを書く必要性はほぼないのです。

もちろん、ここまで書くのに大変なこともありましたし、苦しい時もありました。

それでも何とかこのスキルアップBLOGサイトで800記事以上を書けたことにより、自信と達成感は得られましたし、やはり努力は報われるものですね。



スキルアップBLOGで800記事以上を書いてみて今現在ふと思うことやこれからのことのまとめ





スキルアップBLOGではこれからドンドンブログ記事を書いていきます

サイト運営は人それぞれのやり方がありますし、個性あふれるサイト自分だけにしか作れません。

この記事を読んで頂いている方で、ブログを始めて間もない人や最近まりブログを書くモチベーションが上がらない人もいるでしょう。



書く気力がない時は無理に書く必要はありませんが、私自身はそれでも無理に書くことによってここまできました。

からといって私と同じように無理して書かないで下さい。


私のようにクソ記事も優良な記事も800件以上書ける人はまずいません。



それほどブログは難しいのです。

この考え方は変態ブロガー特有のものですから

とにかく、これからも楽しくブログを書き続けるためにも自分なりの考え方と方針ブログ運営をしていきたいものです。

2017-09-11

勝ち負けにこだわる人から卒業する!本当の意味での人生ゲームとは?

以前の私は勝ち負けにこだわる人でしたが、今日から勝ち負けにこだわる人から卒業します。

自分自身人生に影響しないことは全て許していきますし、素直な心でこれから人生を歩んでいきたい。

最近になって感じることは、人生において勝ち負けなどはそれほど重要ではないということ。

けれども、人生というのはゲームに近い存在というのは否めません。本当の意味での人生ゲームとは一体何なのでしょうか。

勝ち負けにこだわる人から卒業すれば人生は楽しくなる




冒頭にも書きましたが、過去の私は勝ち負けにこだわる人で負けず嫌い性格でした。

まらないことでも感情的になり、無駄エネルギー時間を費やすことも度々。大人になればなるほど丸くなっていくものですが、私自身はまだまだ精神的に子供なので丸くはなれませんでした。

もちろん、今現在精進中ですが、ありがたい日々のコメント等に胸を打たれております

勝ち負けにこだわる人から卒業すれば、人生は途端に楽しくなってきます。これは体験済みですし、これからも維持していきたいもの

これからはつまらないことやくだらないことで無駄時間を費やすことはないでしょう。


本当の意味での人生ゲームとは?




よく人生とはゲームに例えられるのですが、本当の意味での人生ゲームとは自分自身との戦い。

他人と争っても傷つくだけですし、何も得るものはありません。むしろ、失うことばかり。本当の意味での人生ゲームをしっかりと理解しては今後の人生を少しでも楽しみたいもの

もちろん、ゲームには勝ち負けがありますし、勝ち負けがないとゲームではないという人もいるでしょう。

考え方は人それぞれですし、要は自分自身が心の底から楽しければいいということ。

どちらにしても人生というゲームには時間制限がありますからね。


アンチ否定されることにも感謝





人気ブログになればなるほどアンチ否定されることはよくあります

けれども、そこで感情的にならずにアンチ否定されることにも感謝すると人生好転します。

そうすることによって勝ち負けにこだわらない人にもなれますし、何よりも心が穏やかになっていくのです。

以前の私はつまらないことやくだらないことで怒っていましたが、何ごとも感謝することでその怒りはどこかへ消えていくもの

それを教えてくれたのもアンチ否定してきた人。今思うと感謝しかありませんね。


勝ち負けにこだわる人から卒業する!本当の意味での人生ゲームとは?のまとめ





やはりブログ毎日継続して正解。

ブログに限らず、何かを年単位継続すると普段気づけないことにも気づけますブログ継続して書いていくことによって、勝ち負けにこだわる人から卒業できましたからね。

まらない人間やくだらないことをスルーする力も付きましたし、本当にブログ継続私自身にとって最高のスキルアップです。

これからドンドンブログを書いていきたいですし、新しいサイト現在進行形ですが作っていきます

このブログサイト毎日のように読んで頂いている方には感謝の心でいっぱいですし、これからもちょくちょく読んで頂ければ嬉しい限りです。

それでもまだまだ勝ち負けにこだわる人は、少しだけも勝ち負けから離れると本当に精神が清々しくなりますよ。

本当の意味での人生ゲームはこれからです。

自分自身にとっての楽しい人生ゲームを作り上げていきましょう。

2017-09-10

自殺

自殺したいということを、なぜ人に言いたいのか自分でも分からない。

死にたいというこの気持ちを認めてほしいのかもしれない。

実際には、大抵は悲しい顔や戸惑う顔をさせてしまうので、友人や親族には死にたいとは言わない。

以前情緒不安定な顔を見せた事がある人達は今、私に対して、みな安心した顔をして接してくれる。色んな話をしてくれる。

普段から死にたいとは思わない人の付き合いを擬似的に感じているような気がする。とても世界は明るい。自分が選んだ家具を置き、選んだ食事を食べるような明るい未来がある気がする。

前に、死にたい、私は死ぬべきだと思う、と言ったことのある人に、気が向いて、死ぬのをやめた、と言った時、その人はほっとした、と言って、特には何も言わなかった。その人は間違っていないと思う。

自殺計画をやめても、死ぬべきだという気持ちに変わりはない。

これは死にたい人にはあまり読んでほしくないけれど、自分死ぬべきだと思っている人間死にたいと思っている人間死ぬべきだと思う。

第一に、これは感覚しか説明できないんだけども、人を大事にできなくなるから、どのような形であれ人を傷付ける事に鈍感になる。生きているだけで傷付けてしまう。

第二に、人と繋がれば悲しむ人が増える。新しく人と繋がるべきではない。だけれども生きている分だけ人ととの接触は増えていく気がする、自分は寂しくて結局一人で生きていけないから人と話してしまう。悲しみの総量は少ない方がいい。そう私は思う。

なるべく早く死ぬのが望ましい。自殺した理由がわからない、と言われる程に誰にも不安を感じさせないまま死ぬのが特に望ましい。

私は孤独になるべきだ、孤独死ないしは自死したあと一月は誰にも見つからず、できれば法制しか私の生死を追いかけないような状態が望ましい。誰からも忘れられたい。

自分死ぬべきという気持ちを持ちながら生きているのは私に誠実でない気がしてきている。

自殺は、ただ一つ私に可能計画で、自己実現で、選択ができる希望のような気がする。

私が死ぬのをやめたのは、自殺というのは文字通り死ぬほど苦しいものなのではないかとふと思ったからだ。でもそれと私が死ぬべきだと思う事には何も関係がない。

私は死ぬべき、だけれども自殺をしないとしたら、私は私自身の義務を怠っている。

このように考えていると、段々死にたくなってくる。私は死ぬべきだから、死にたくなるべきだと思う。

2017-09-09

結局出さなかった手紙

突然手紙をさしあげる無礼をお許しください。

いかがお過ごしでしょうか。

あなたのことですから、きっとお元気で過ごされているかと思います

あなたと過ごした日々には何の意味もなかったということが、

最近、ようやく受け止められそうな気がしてきました。

私たちの間には本当に何もなかったということを認識するのには月日が必要でした。

六年という歳月を一緒に過ごした、そのせいで

なにか特別もの私たちの間にあるのではないかと、

私は分不相応にも期待(というか錯覚)してしまっていたのでした。

だけれどそんなものは結局単に私ひとりの願望に過ぎなかったわけです。

私が死のうがどうしようがあなたには何の関係もないことだった。

そのことが、ただただ寂しい。

付き合い始めてから五年くらいがたった頃、

仕事の忙しさがたたったせいか、私は精神病発症しました。

私が病気のことを打ち明けて、あなたサポートしてくれる、と言ってくれたとき

救われたような気になりました。

不安と恐怖でどうしようもなかったのが、心なしか楽になったような気がしました。

だけれど、それから二年近くが経って、

あなたが別れの言葉と一緒に付け加えたのは、

だって、治らないから。

それに、治ってもいつ再発するかもわからないんでしょ?

という言葉でしたね。

真っ暗な闇の中に放り込まれたような気がしました。

一番助けが欲しい瞬間に見捨てられたことが、私にはなによりつらかった。

もちろん、これは公平な言い方ではないというのはわかっています

だってあなたは私のことな最初からどうでもよかったのですから

迷惑をかけないということを前提で、そばにいることが許されていたのですから

それなのに見捨てるととか見捨てないだとか言われたって、単なる言いがかりに過ぎない。

あれから随分時間が経ちました。

治るわけでもなく、かといって、死ぬこともできず、相変わらず私は生きています

これからすぐに死ぬということもなく、だらだらと生きていくでしょう。

これまで、いつかあなたが連絡してきてくれるのではないか、と心の底で思っていました。

ずっとあなたからの連絡を待っていました。

私はずっと、助けがしかった。

でも、そんなことはありえないのですね。

ようやく、受け入れられるような気がします。

私自身の気持ちの整理をつけるためにこの手紙を書きました。

きっとあなたには何のことかわからいかと思います

だって私たちの間には何もなかったのですから

この先の人生、二度と関わりあうこともないでしょうが、どうぞお元気で。

あなた幸せを心より願っています

さようなら

腹八分目医者いらずは効果絶大なのか?本当のところを考えてみた

よく聞く健康維新での腹八分目医者いらず。

果たして本当に腹八分目医者いらずなのでしょうか。確かに食べ過ぎは体によくありませんし、のちのち体調を崩すことにもなりかねません。

私自身も過去には食べ過ぎて嘔吐した時もありますからね。

そこまではいかないとしても、やはり食べ過ぎて苦しむのは贅沢極まりない話。そもそも腹八分目は本当に効果絶大なのかを考えていきます



おそらく、ここまで具体的で詳細かつわかりやす食事療法記事過去にも未来にも存在しません。つまりこれを見逃すとあなたは不健康になってしまうのです。





腹八分目医者いらずの効果




人は成長するにつれて食欲はなくなっていきますし、若い頃と比べると余計にわかます

成長期以外は1日3食というのは個人的に多すぎる回数。腹八分目にするのであれば、1日2食か1食でもいいですね。

最近(2017年以降)の私は腹八分目以下に抑えては1日1~2食。

腹八分目に抑えることを心掛けては量よりも質に拘っている今日この頃です。そのような食生活継続していくと体調は万全ですし、風邪もあまり引かなくなりました。

腹八分目以上は精神ストレスが溜まってるかも!




学生時代のようにお腹パンパンになるまで食べたのは本当に若気の至り

それもまた良き思い出の1つですが、やはり成人になるとそのような食生活自分を苦しめるだけですね。

腹八分目に抑えたいけれど、ついそれ以上を食べてしまう。

しかしたら、それは精神ストレスで食べ過ぎているのかもしれません。私自身もストレスが溜まっている時はよく食べ過ぎていましたし、無意識に食べ過ぎていることほど怖いものはありません。

適度な運動腹八分目以下の食事精神的なストレスを解消するためにも今何をするべきかを考えていきたいものです。


腹八分目医者いらずは効果絶大なのか?





そもそも腹八分目医者いらずは効果絶大なのでしょうか。

効果というとダイエット連想させますが、ここでは体調面での効果を伝えます。確かに腹八分目にすればダイエットにも効果があるでしょう。

けれども、ダイエット食事だけでは成功しないのも事実。それこそ適度な運動食事と、快適なリラックスタイム必要不可欠ですね。

話は戻りますが、腹八分目医者いらずが効果絶大なのかというとこれは本当に人それぞれ。

ある人にとっては腹七分目がいいですし、腹五分目でもいいという人もいるでしょう。こればっかりは自分自身で試していきながら、自分にとっての腹分目を見つけていきたいもの

ちなみに私は腹六分目くらいで丁度いいです。


腹八分目医者いらずは効果絶大なのか?本当のところを考えてみたのまとめ




いかがでしたか?これを読めば腹八分目効果絶大かどうかが一瞬で理解できるかと思います


年を取れば取るほど昔のような大食漢は消えていきます

もともと食が細い人はさらに食が細くなっていくことでしょう。だからといって別に悪いということではありません。

そもそも人間はそこまで食べなくても死にはしませんし、しっかりと栄養分を摂取すれば生きていけます

もちろん、食事栄養分を摂取するだけではありません。食事を楽しみにしている人もいますし、それが生き甲斐という人もいるでしょう。

私も美味しい食事をすることは毎日の楽しみの1つですし、これからも腹六分目腹八分目を守っていきたい。

どちらにしても腹八分目医者いらずは、何ごともほどほどが大切という教訓ですね。



inoue311

人生において生産性だとか淘汰だとか。

中学生の頃、というか、昔から変わったことと言えば外見だけだと思っていて、それでも、周りには中身も変わったなんて言われたりする。

丸くなっただとか、話しやすくなっただとか…。

けれど、自分はそう思ってなんてなくて、これからどこに進むのかわからない、秋の入口。

夜空を見上げると、夏の星座はとっくに姿を消していて、こうやって季節は巡るのかと実感させられていく。

焦りもありつつ、でもどこか変わることを恐れて、踏み出せないままじたばたと足踏みをしている。

私の季節は、まだ夏の中だ。

夜の秋の風は、確かに私を包んでいく。

少し遠くに聞こえる電車の音は季節が変わっても相変わらずで、少しホッとする。あの電車の向かう先は何となく分かっているけれど、私は分からないふりをしている。

ぼうっと、温かなオレンジ色に変えられたデスクライトに照らされる白い壁は時間を忘れさせる雰囲気を持っている。この時間がこのまま続けば、迷うことも悩むことも落ち込むことも、いつまでも立ち止まっていることさえも、罪悪感に苛まれことなんてないのに。

そんな淡い願いを、携帯や録画機の時計表示が消し去っていく。今日ももうこんな時間で、そろそろ大半の人がまた明日のために眠りにつく時間。そんな時間にも関わらず、毎日毎日寝るわけでもなく、私はネットの海を徘徊していく。

別に、こんなこと、心の底から楽しいと思ってやっているわけではない。

真夏に比べて涼しくなった外の空気を開けた窓から吸い込みながら、遠くで聞こえるパトカーサイレンに耳を傾ける。

私がこうやって、なんの生産性もない時間を進めている最中でも、世界では生産的な行動を繰り返す人々で溢れている。この、私がどうしようもない時間を生きている間にも、ああやって仕事をして世界を回す人達がいる。

かつては、私もあちら側の人間だったかのように思う。少なくとも、高校卒業するまでは勉学とアルバイトの両立でまあまあ忙しく、今より人間らしい生活をしていたように思う。

私は、今でも私自身に少しというか、かなり期待をしている。

しかしたら、何かのきっかけがあれば、その過去の私よりも輝けるようになるのではないか…とか。

私はあまり好きなものを作れない。何にもハマれない事が多い。ハマったとしてもまあ、1年、2年くらいですぐに投げ出してしまう。だから何かを好きだと思っても、それは一時の感情にすぎないのだと思う。

でも、そんなことを言うと、私の周りの人は決まって言うことがある。

『でも、絵を描いているじゃない』

…絵なんて、ただ物心付いた頃から知らず知らずに描いていた、ただの習慣に過ぎない。別に暇だったら描くし、やれと言われればやるものだ。

働くことや勉強することと、絵を比べたら、絵のほうが百万倍マシだと私は思っている。

まあ確かに、働くことも勉強することも大切だし、それによって自分視野が広がるなんて、ありきたりだがままあることだ。

からといってそれを進んでやるのかと言われればまたそれは違う。

第一、私は自分が絵が得意だとか思ってもいないし、こうして文章を頭のなかで組み立てるのも人より長けているかと問われればそれはまた違うと思っている。上には上がいるのが世の中だ。

その世の中で戦おうなんて考えるほど、私は野蛮な人間ではない。競争社会なんて、生きづらくて息が詰まる。まるで、水の中というか、宇宙空間に何も装備せずに放り出された気分だ。宇宙なんて行ったことあるわけないけど。

普段の私が、何をして過ごしているかなんて結構たかが知れていて、午前中に起床することは最近はほぼないに等しい。気づいたらもう夕方差し掛かる15時っていうパターンが多い。

起床してからPCに向かうか、スマホを覗き込んでいつも通りソーシャルネットの海に飛び込むか、そんなもんだ。

PCを起動させてからは、当たり前のようにここでもネットを開き、アニメを見るか、ある言語勉強する。それか、絵描きソフトを立ち上げる。そして時々、PCメモ帳を立ち上げて物語文字に起こす。

そんなことをしながら過ごしているとあっという間に夜に差し掛かる。

ほとんど外に出ることのない私は、実は夜や夜中、散歩がてら涼しくなった外を歩くことが好きだ。しかし、最近はそんなことをしていない。心配性の人が心配してしまうから

別に心配されることをウザイだとか、面倒だとかは特に思わない。むしろ母親にそんな感情を向けられたことがないに等しい私はそれが心地よかったりもする。

世界中の人が表面上、幸せ暮らしているように思わせていても、その中には必ず陰があると私は思っている。

道行く、笑いあっている家族や友人同士、夫婦カップルでさえも、自分人生全てを相手に伝えることは困難だろうし、自分がこんなことで辛かったことがあるだとか、今こんなことで少し悩んでるんだ、なんて素直に言えるのはきっとごく僅かだから

陰が強ければ強いほど、光はその分、陰からは眩しく見える。

今、私は、世界が、全てが眩しくて、くらくらする

本当はわかっていることだ。内に篭っているばかりではなく、何らかの形で外に出る勇気を持つことだとか、人と心の底から笑い合うだとか…。

普通はみんな、そんなこととうの昔にやっていて、子供の頃になんの違和感もなくやっていて、私はそれに遅れているだけ。

別に恨んだりはしていない。今は。そりゃ昔は誰に対してかもわからない怒りを持つことは多かったと思う。それでもなかなか表立って何かアクションを起こすこともなかったかのように思う。

世の中には、こんな空っぽの私を素敵だと言ってくれる人もいる。その全てがお世辞だと分かっていながらも、私はちゃんと笑顔ありがとうを伝える。このやり取りに一体どんな生産性があるのだろうとか考えながら。

私は生産性というものにこだわりを持ちすぎているようにも思う。それは多分確信だ。思い過ごしなんかじゃない。

消費するだけの人間はいつか必ず淘汰される。この世から淘汰されることを望みながら、なのにその淘汰を恐れているのが紛れもなく私なのだ

私は決して頭がいい方でもないし、かといってスポーツ万能ってわけでも、芸術に特化しているわけでもない。

平凡から外れた単なる落ちこぼれだと思っている。こんなことを言っていても、周りはやっぱり、そんなことないよ、と笑う。私はまたそれに、そうかな。ありがとう。と笑う。また、これに意味があるのかと考えながら。

ふと、頭のなかで文章が浮かんでくる瞬間がある。なんとなくスマホメモ帳に書き留めて、それをどこに発表するでもなく、結局はメモ帳を埋めていくだけのただの文字列と化す。

勿体無い。

そんな言葉が頭の端っこで揺れながら、同じように何にも代わり栄えしない、消費しかしない日々を過ごす。

いっその事、みんな私のことをこの能無しだとか、ゴミだとか、罵ってくれたら楽なんじゃないかとも考える。それでも、実際にそんな場面になったらと思うと、また怖くなってそういった淘汰を恐れる。

結局のところ、私は何になりたいのかわからずに蹲ったまま、また今日を迎える。

何者にもなれない私は、何者かになれている人々を羨むだけなのだ

2017-09-08

精神面を強くするにはどうすればいい?鍛える方法はそこまで難しくない話

私は人気ブロガーなので、たまに「精神面を強くするにはどうすればいい?」と質問されることがあります

私自身はそこまで精神面が強いとは思いませんが、友人・知人から見ればかなりの精神強者とのこと。

意識的精神面を鍛えているつもりはありませんが、もしかしたら普段していることが精神面を鍛える方法なのかもしれませんね。

とにかく少しでも精神面が強くなりたい人は、このブログ記事を参考がてらに読んで頂ければ幸いです。


精神面を強くするにはどうすればいいの?




精神面が強くなるとあらゆる人生において歩みやすくなれます

からといって、そう簡単には強くなれないのも事実精神面を強くするには一筋縄はいかぬということ。

まずはそこまで難しく考えずに、私が実践していることは以下の通り。


ブログ毎日書く



私自身がまずしていることといえば、このようなブログ毎日書くということでしょうか。

他にも5つのブログサイト記事を書いていますが、文章を書くことが好きではない限り、普通の人では無理なのかもしれません。

過去ブログで稼ぐ方法を教えていた人達も、いつのまにか消えていますからね。

ブログに限らず、何かを毎日継続することは至難の業。だからこそ、継続する人は精神面が強くなりますし、人生ドンドン好転していくのは間違いありません。

別にブログ毎日書く必要はありません。ただし、書けば書くほど「気づき」を得られますし、スキルアップに繋がるのは否めません。


意味のない人間関係を切る



次に私が実践していることは意味のない人間関係を切るということ。

文章にすると少し冷たい感じもしますが、現実世界は全ての人と付き合うことはできません。

これはネット上の人間関係も同じこと。やはり、人生時間は有限なので付き合う人間関係は慎重に選択していきたいもの

無駄時間を過ごしている人の大半は、意味のない人間関係時間を使っています

SNS(TwitterFacebook等)上でやたらと人間関係を気にしている人もいますが、所詮ネット上での出来事

その人間関係破綻たからといって人生が終わるわけではありません。あくまもつかず離れずの関係でいくのが無難ということです。


まらない人間相手にしない



精神面を鍛える方法で、つまらない人間相手にしない(スルーする)というのはオススメ

リアルネット上と共にこのスルー力を鍛えることができれば、精神面はさらに強くなっていきます

基本的につまらない人間やくだらないことばかりをしている人間相手にしないこと。バカ相手にしても得るものは何もありませんからね。

バカは死ななきゃ治らないので全力でスルーしましょう。

それでもバカの極みが纏(まと)わりついてくるかもしれません。そのような時こそ、「これは精神面を鍛える方法の1つなんだ!」と自分自身に言い聞かして過ごしましょう。

精神面を強くするにはどうすればいい?鍛える方法はそこまで難しくない話のまとめ



とにかく「精神面を強くするにはどうすればいい?」と思う方は、何かを毎日継続してはつまらない人間関係を切ればいいだけの話。

人間関係を切るといっても大胆な行動は控えましょう。心の中でそっと切ればいいのです。今の自分にとって成長できない人は徐々にフェードアウトしていくのが人生というもの

からこそ、そこまで気にせずに新たな人間関係を心待ちにするのもいいですね。精神面を強くすることで人生の難局も乗り越えられます

今の自分自身にとって、今やるべきことは一体何でしょうか。

どちらにしても人生精神面を鍛えてからが本当の人生です。 inoue311

2017-09-07

本名検索

かつて、10年ほど前にテレビ番組取材を受けたことがある。

当時は学生ちょっとしたドキュメンタリー番組で3日に渡って取材を受けた。本名も出ていた。

ただその内容は今となってはあまり人に見てほしくない自分内面に関する悩みを吐くもので、当時は幼かったなと今となっては思える。

いわゆる黒歴史本名と一緒にしてテレビで流してしまったのである

自分本名Google検索してみた。

番組は終了していて公式サイトは既に削除されているものの、当時放送を観た視聴者ブログSNS2ちゃんねるスレッドが数々出てくる。

記載放送概要やらそれに対する感想ほとんどだ。

少しぞっとしてしまった。

今後も変わることの無い本名であるため、一生当時の残骸が自分看板のように検索結果について来るのか。

もちろん私自身の人に見せても恥ずかしくない活動内容も検索結果に出てくる。

ただやはりただの一般人であるためそれらの数は少ない。

本名検索するとそれらよりも先にかつての放送の内容が出てくる。

件数としては活動内容2件に対して、かつての放送記載のあるリンクが6件出てくる。

私がその放送に出たのはたしか事実であって、今後消えないものだ。

そのとき自分ベースにして今を生きている。

しかし、当時とは比べようもない経験をし、新しい家族を得て、覚悟をもって生きている。

なのに私は今後も誰かにどのような人間か調べられる際にまずその放送イメージ最初に刷り込まれるのだろうか。

さらに私は最近本名活動することが多くなった。今後ますます増えるだろう。

削除依頼を出してもいいときなのではないかと思った。

過去自分否定するわけではないけれど、10年前のそのような内容が現在自分代表するかのように振る舞うのは少し、心外だ。

削除を求めるのは過去を受け入れられない懐の小さい人間だとも思っていた。

ただ、今後の私の人生がそのイメージひとつで誤解されるのはいなのだ

消したいわけではないが、大っぴらに公開したままにしておくのは違うと感じる。

悩んだ結果、私は全ての検索結果のリンク先のウェブ管理者削除依頼を出した。

実際に削除されるかどうかは今後の経過を待つ必要があるが、いまだ一つも削除の対応連絡は受けていない。

一緒に映画を見に行くだけの相手がいる(いた)

12年ぐらい。元は職場の同僚。その後は互いにいろいろ変遷した。

今のように何時でもつながれるSNSがない頃。メールをしても互いになかなか返事を返すこともせず、気が向いたら近況を伝えたり、次はこれが観たいと思うけどどう?というようなことをメールで送って、互いに興味をひかれれば観に行く。デートではないので、片方が遅れてきたら先に入って別々の席で観ることもあった。その回数も頻繁ではなく、観たい映画がなければ行かないので少ない年は年1回位。

もちろん、それぞれが観たい映画もあるので、一人でも映画は観た。だけど、ときどきこれは一緒に観に行きたいと思うものもあって。かといって、見終わってからあーだこーだと感想合戦を楽しむというようなアフターもなく、ただ、「よかったねー」「いまいちだったかも。ごめん」みたいな簡単な会話で、じゃあまたね、で終わり。

数年前LINEが急激にやって来て、互いを登録したが、私たちLINEで互いの「それぞれの」日常に入り込むことを極端に恐れていたのかもしれない。LINEでは一度もやり取りをしたことがなく、結局相変わらずメールでやり取りをしていた。

3年前、いつものメール映画の話をしたけど予定があわず「残念、また今度ね」と書いたあと、しばらくいろいろあって、これまでのように「気が向いたら連絡をすればいい」と思っているうちに2年近く経ち、昨年連絡をしてみたけれど、返信はなかった。

以来、私自身なぜか映画を観ることが少なくなって、この数年で一人で映画館に足を運んだのは3、4回だけ。

相変わらずLINEの一覧には相手名前があるが、連絡はしたことがない。

自分でもどうすればよかったのか今もわからない。どうしたいのかもわからない。ただこの間「日の名残り」を読んでいて、なんだかよくわからないものが溢れてきたので書いた。

日野皓正ビンタ事件」は現代版裸の王様ではないか

日野皓正氏が演奏者の中学生ビンタした事件について。

アマチュアジャズバンド所属した経験のある私の意見です。

Twitterblogで見聞きした事実関係は以下の通りです。


演奏形態ビッグバンド 数十人もの子供演奏待ちしていた。

ソロパートフリーセッションに移行したため、指揮者は後を任せて舞台袖に下がる。

ドラムソロ

ドラムが4小節演奏したのち、ほかのパートが4小節演奏。これを繰り返す。

フォーバス とも呼ばれるもの

ソロを繰り返すうちにほかの演奏者が長さに戸惑い、演奏ストップする。

ドラムが構わず演奏を続ける。

日野氏、ドラムの髪の毛をつかみビンタ(軽く頬を叩いたとも)


①について。

私はビッグバンドフリーセッション、両方の経験があります

数十人以上を待たせたうえでのセッションというのは私自演奏したことがなく、またほかのビックバンコンサートでも見たことがありません。

ソロ演奏というのは自分がどこを演奏しているのかを見失いやすく、そのうえで何十人もの子供平等演奏させる計画という時点で破綻しそうだと感じました。

ビッグバンドソロセッションでのソロはだいぶ毛色が違います

ビッグバンドソロはどちらかというと吹奏楽クラシックに近く、演奏の長さやフレーズがある程度厳密に設定されています

一方フリーセッション形式では、楽譜はあって無いようなものです。

メインテーマコードが書かれただけの楽譜を前に、知恵を絞ってアドリブ演奏します。

このコンサートを鑑賞した人たちの言葉から判断すると、この中間形式を取っていたのでしょうか。

また、ジャズビッグバンド指揮者を置かずに演奏する形式メジャーです。それゆえ指揮者を据えての演奏形態は珍しいと思いました。


②について。

延々とドラムソロ演奏したというので、当初はこのドラムがほかのパートに一切ソロを回さず演奏し続けたのだと思っていました。

実際はフォーバス形式が続いたという話のようです。

本人の中ではほかのパートソロを回しているのだから自分演奏を独占したという意識希薄だったのかもしれません。


③について。

ジャズ経験した身としては、演奏をやめてしまった子供たちの実力に不安を覚えました。

ドラム中学生は、確かに暴走したのかもしれません。

しかし身勝手演奏者の存在に限らず、ソロが「暴走」することはよくある事態です。

例えば先ほど少しふれたように、自分がどのあたりのフレーズ演奏しているか見失った場合です。

彼らはそのような事態に遭遇したとき、いったいどう対処するつもりだったのでしょうか。

同じように演奏を途中でやめてしまうのでしょうか。

このような「暴走」に遭遇した場合、いくつか対処方法があります

ソロに構わずにメインテーマ演奏を始めてしまうか、ほかの演奏者がソロ演奏し始めるかです。

やや強引に思えるかもしれませんが、どちらもジャズ演奏する上でよく使われる手です。

今回のコンサートでは順番待ちの子供がたくさんいたそうです。

フリーセッション形式を良しとして見守っていたなら、初めに打ち合わせた順番に構わずに、次々舞台に出てしまってもよかったと感じます


④について。

ほかの子供たちが演奏をやめてしまったので、一人でも演奏を続けるしかなかったのではないか?という考えもできます

発端は彼の自分勝手なのかもしれません。

しかし途中で演奏をやめてしまうほかの演奏者にも責任がないとは言えません。

全員が演奏をやめてしまったのであれば、結局演奏会が失敗したことに変わりありません。

ドラム一人の責任ではなく、事故でも起こりうる暴走に全く対処できないほかの演奏者たち、そして対処の仕方を教えてこなかった指導者責任もあります


⑤について。

暴走する演奏者を止めるには体罰は致し方なしでは?という人も多いです。

ですが止めた後のことはどう考えればいいでしょう。

暴走は止まりますが、その後規律ある素晴らしい演奏成功したのでしょうか?

一人の演奏者の暴走が止まるだけで、演奏会の失敗を食い止めることはできません。むしろトドメを刺したといえます


これら諸々を踏まえた私の考えとしては以下の二つになります


大人数の演奏者すべてにソロを割り振るという企画の無謀さ

先ほどソロ暴走した際の対処例を書きました。

しかしこれらは少人数セッションでは有効ですが、正直な話ここまで大人数の演奏者が存在する場では難しいかもしれません。

ビッグバンドでは指揮者を立たせないのがふつうと書きました。

そこであえて指揮者を置くという意味は、彼らが統率のとれた演奏自力ではできないということです。

小学生中学生ビッグバンドは他にも存在していますが、やはり指揮者は置かずに、主にリズムパート演奏をひっぱっていくバンドほとんどです。

まり指揮者なしではそもそも演奏が成立しなかった。

その実力不足ゆえに招いたのがあの失態であると思います


ジャズという音楽の基礎知識を全く教育できていない

ジャズで最も重要視されるのがアドリブ要素といっても過言ではありません。

実際のセッションシーンでは舞台上のアイコンタクトジェスチャーソロバトンタッチし、自由タイミングアドリブ演奏を続けます

一見難しい技術なのですが、全くの音楽初心者でも、数か月間の練習を経てこれらを堂々と楽しむことは可能です。

上手、下手の差はありますが、そんなことは全く気にしなくていいのがジャズのいいところです。

アマチュアならなおさら

しか日野氏のバンドでは、呼ばれるまで舞台に立たない、ほかのパートソロが続いているにも関わらず演奏をやめてしまうなど、ジャズ演奏の基礎が全く身についていません。

ジャズをやりたいのか、吹奏楽をやりたいのか、マーチングバンドがやりたいのか…目標がさっぱり見えないのです。

そしてビッグバンドフリーセッションが奇妙に融合したバンド形式

子供たちにジャズとはどういう音楽かを教育することに完全に失敗し、その結果が一人の演奏者の「暴走」によって露呈した。

自分教育力不足が観衆に知れ渡るのを恐れた世界ジャズ奏者は、その責任を一人の少年の身勝手さに責任転嫁した。

私にはそう思えました。

これは現代版「裸の王様」なのかもしれません。

2017-09-04

2017 0904 2340

どうやら昔の私は日記を書いていたらしいので、とりあえず書いてみることに。

自分でも不思議だが、普通ブログにせず匿名を選んだのは何故だろうか。

からないけれど多分いま現在私自身が、まるで匿名のような気分だからではなかろうか。

正直なところ仮の人生を生きている感じが、とても強い。

とりあえず、ここ二年ほどより前の記憶がない、というのは、とても面倒な状態ではある、と思う。

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