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2018-11-16

anond:20181116180458

お前自分で「銃」って言ったんだぞ

拳銃から小銃機関銃電子銃、リボルバーオートマチック騎兵銃突撃銃、散弾銃狙撃銃、対戦車狙撃銃、擲弾銃などなどぜーんぶ「銃」なんだぞ?

当然ながら各世代目的によって構造は全く違って例えばM3サブマシンガンFN P90が同じ構造なわけねーだろ

踏み込みすぎてるってのはそういうことだよ

anond:20181116173851

銃もあんな音しないってそれはちょっと踏み込みすぎてんだろ

銃なんて構造によってまったく音が違うのだからあんな音しないなんて言えるわけがない

2018-11-10

ヒプノシスマイク好きな人たちが使う「勝たせる」という言葉が嫌い

ヒプノシスマイク好きな人たち、結構割合で「推しディビ(ディビジョン)を勝たせる」って言うけど、私あの表現がめちゃくちゃ嫌い。

しかに、ヒプノシスマイクキャラクター所属するディビジョン同士がhip-hopアーティスト作詞作曲したラップでバトルし、その勝敗投票で決めるコンテンツだけど。だけどさ。

ファンがやってる事って、単にCD買ってるだけじゃんって思うんだよね。曲を作るのはアーティスト、歌うのは声優、それで「勝たせる」ってなんか烏滸がましくない?CDを「頑張って買う」っていう発想、おかしくない?って思うんだよな。

何を頑張ったんだよ。

ただCD買ってるだけなのに、物語参加者の気分になれるの、よく考えられたコンテンツだよなって思うわけだ。

いや、意味合いとしてはわかるし、自分の好きなキャラクターに勝ってほしい気持ちもわかる。私もそう。わかる。

けど、それで「病む」とか「推しディビが勝てるか不安で泣きそう」とか、いや落ち着けよ。

頑張ってるのは、アーティスト声優なのに、なんでCD買ってるだけのお前が病んだり泣いたりするんだ。

買いたい人は買えるだけCD買ったらいいと思う。でも、沢山買えないからって「私はそんなに積めないから…」とか、そんな自分を責める必要なくないか

作り手のアーティストも、声優も、「同じ人に沢山CD買ってほしい」なんて言ってないじゃん。hip-hopが、ダーティー文化じゃないっていう形で、世の中に広まってほしいって言ってるじゃん。

それって、「沢山の人にちゃん音楽を聴いてほしい」ってことじゃないの?

「沢山の人にちゃん音楽を聴いて貰った上で」評価されて、それが投票っていう形になって、結果勝ちたいってことなんじゃないの?作り手の人が言ってる事は。

誰でもいいからとにかく沢山CD買えと思ってる人がもしいるとすれば、たぶんレコード会社の人だけだと思うよ。AKB売ってるレコード会社からそれは仕方ない。

レコード会社に踊らされすぎじゃない?って思うわけ。(キングレコードごめん)

「勝たせる」ってさ、あまり物語踏み込みすぎた表現じゃない?CD買う事が義務になってない?そんな気持ち応援するのが、めちゃくちゃ楽しいならいいと思う。

そういう戦闘民族みたいなオタク一定数いることもわかる。でも、自分はそうじゃないのに、無理して、結果「病む」とか「泣く」とかになるなら、そんな馬鹿馬鹿しい話はない。

ここからは私の身の上話になるんだけど、数年前まで私は、結構本気(と書いてマジと読む)でとあるヴィジュアル系バンドの追っかけをやっていた。所謂バンギャだった。

本命バンドオリコンランキングに入れたくてCDをアホみたいに買ったし(CDを買うと参加できる握手会があったのもある)、チャレンジングなキャパライブはとにかく埋めたくて、チケットを余分に買って無料友達に配ったりした。

本命麺が貧乏だという話を聞くたびに、服やら何やらプレゼントした。

そんな事をして、ヒプマイオタクの人たちがいうような「推しを勝たせた」気持ちになっていた。

最初のうちは、純粋バンドに有名になってほしい、バンドマンに良い暮らしをして欲しいという気持ちでやっていた事だったけど、1年、2年とそんな事を続けているうちに段々と苦しくなっていった。

ファンの母数が増えるに従って、自分より自由に使えるお金の多い子も増えていった。そういう子たちに、買うCDの枚数で負けた、あげるプレゼント金額で負けたと、嫉妬してる自分に気づいた時、私の中で大切な事が「バンドが有名になる事」ではなく「本命麺に使った金額で他のファンに勝つ事」にすり替わってしまっていると気付いた。

バンドが有名になる夢を叶えて貰うために使っていたお金という手段が、自分がそのバンドにどれだけお金を使えるか見せびらかす為のものになってしまっている事に気付いた時には、私はバンギャ活動がとてもつらくなってしまっていた。

誰とも戦ってなかった私ですら、こうなった。

明確に対戦相手のいるヒプノシスマイクオタクが、対戦相手相手推しディビにどれだけお金を使ってるか見て、自分と比べ病んでしまう事は想像に難くない。

ヒプノシスマイクというコンテンツは、めちゃくちゃに楽しい楽曲はかっこいいし、声優さんのラップめざましく上達していくし、木村昴はいい奴だ。

からこそ、息長く楽しめた方が絶対幸せだと思う。

もし、今、推しディビを「勝たせなきゃ」CDを買わなきゃって義務感で焦ってるオタクがいたら、ちょっと一息ついたらいいんじゃないかなと思う。

一息ついてもやっぱりCDを沢山「買いたい」それが楽しい!と思うならそうしたらいいし、もしそれが自分にとって苦しいならコンテンツとの関わり方を少し見つめなおしてもいいのかもねと思うよ。

よく寝て、身体と金は大切に。

TLのオタクたちが、まだ始まってもないシンジュクvsヨコハマで既に病み始めてるので書きました。

山嵐最高!!!

2018-11-07

anond:20181107161248

あなたが持っているのと同じようにAさんも少し怒りの感情を持っていると思うよ。でもどっちも関係ないんだ。君が不愉快を感じなく鳴るまで踏み込みラインを押し戻してAさんが折れるまで技術で殴ろうね!ワークライフバランスだ!

2018-11-04

VRにおいては表現の自由規制されるのではないか

あれはもう本当に現実との境界曖昧になる時がある。

例えばVR殺人者主観体験できるような映像があったとして、

それが例え特殊メイクによるものでも、あるいはアニメーションであっても、

殺人者狂気が本当に体験者に乗り移ってしまうような事態というのが起こりうる気がする。

ましてそういったもの判断能力の低い子供が触れるようなことがあっては、

より間違いを起こす可能性は高いと思われる。

あれはもはや洗脳装置に片足を踏み込みかけていて、

いずれVRでの表現はなんらかの規制がもたらされると考えている。

2018-10-27

anond:20181027121724

そういう表現の反乱が嫌、か。

これは確かに非常に難しい話だと思う。

なぜなら、批判側こそ「これが嫌です」と嫌いな萌え絵定義して提唱しなければ擁護側には具体的な話が通じないのに、批判側には萌え絵を語る語彙がない。

これは批判側の国語力が低いっていう煽りじゃなくて、オタクの間でも萌え絵定義で揉めてるのに非オタクがそれを定義できるわけがないって意味

でもだからと言って萌え絵定義を非常に曖昧にしたまま「萌え絵は嫌だ」とだけ言うのは批判側の不誠実さを感じるよ。

また、ゾーニングというルール化に踏み込みたいのならばなおさらゾーニングされる表現定義をしっかり決めなければならない。

その定義をしっかりするには、萌え絵という曖昧模糊なもの定義を決めて一括でゾーニングという話ではなく、この表現がアウトというものを具体的に決めていって個々にゾーニングしていく方が現実的だろうと思う。

萌え絵定義曖昧にしたままゾーニングしたいっていうのは気持ちとしてはわかるけど、非常に不誠実な態度であるということだけは自覚してほしい。

2018-09-11

NECで何が起きているのか

かつて日本代表するPCメーカー、そしてシステムインテグレーター大手6社に数えられるNEC。それを退職した今、機密に触れない程度に、特に研究所の裏事情説明していこう。おそらく製品部門は違う苦しみを抱えているだろうが、高額なボーナスもらってるんだから耐えてくれ。

IT音痴研究所トップ

私が入社したのは、研究発表でのいわゆる一本釣りだった。釣りあげた部門も、当時の研究比較的近かったため、給料をもらいつつ研究ができる、という不純な動機があったのは確かだ。大手特有研修体制も魅力に感じた。

雲行きが怪しくなったのは1年目の夏である。当時研究所トップであるE氏による、研究発表の総評の場で「まだそんな研究していたのか」という発言だった。NECシステムインテグレーションといえば、重要事業の柱であり、事業からの引き合いも非常に強かった。折しも、AWS日本国内での事業が躍進し、オンプレミスとは違う流動性の台頭に、研究テーマとしては佳境の段階であった。そこに貢献するミッションは他の研究テーマでは代用できないものである

それをE氏は「そんな研究」と一蹴したのだ。翌年、予算はつかず、研究チームは文字通り解散となった。そしてシステムインテグレーション研究NECから完全に姿を消すことになった。E氏は光通信の元研究者で、正直なところなぜ偉くなったのか、今でも疑問であるが、少なくとも大のつくIT音痴であることは仲間内では有名である。それこそ当時はデータベースとは何か、すら知らなかったようである

E氏が理解できる、できないはあったにせよ、そして価値提供方法まで突き詰めて考えられていたかは怪しいけれど、少なくとも、なんのためにやっているのかわからない研究ではなかった。「バイオプラスチック 漆ブラック」などいった、海のものとも山のものもつかぬものより劣っていたのだろうか。カーボンナノチューブ研究すらまだ留保しているのに。

そしてE氏はNEC常務となり、CTOとなった。社内では最高級(給)のブロガーと称され、「未来について考える」だとか、「~について意識しなければならない」といった、きわめて抽象的、かつ薬にも毒にもならないビッグワードを垂れ流し、評論し、何かをいっているようで、実際には何ひとつ具体的な行動や指示を出せない人物である。そして未来創造会議というような、何ら結論の出ないもの露出するようになった。あれを見た人は、NECが何の会社なのかわからないだろうし、それは製品として何を提供するのかすら伝わらないだろう。漫画雑誌企画会議ですらもっとマシなものだろう。

実を結ばない研究

研究所といえば、技術部門の花形、と思われる人もいるかもしれない。事実、優れた技術はほぼすべて研究所であるしかし、本当に優れた技術NECから広報には載らず、社外からの引き合いが先行する。なぜなら、広報インパクトが優先され、そして広報ノルマを充足するために実施されるからだ。そして時には大きな「事故」となる。

数年前、橋梁構造物劣化診断という技術日経新聞掲載された。これは固定カメラ画像撮影し、振動による変化で構造内部の劣化モデリングし、内部ひび割れ可視化するという画期的ものであった。事件の発端は、その研究途上であった技術に対し、研究所理事(*2)がメディアの前で口を滑らせたこである。当然注目され、実用目途についてまで発表することになった。実際には理論検証完了し、クリアしなければいけない項目の洗い出しの最中であったという。1年後を目途とされた研究テーマは、その後研究所から姿を消した。撮影には非常に繊細な取り扱いが要求され、撮影時の振動に弱いという欠点を克服できなかったと思われる。これは当時画像診断系の学会でも度々指摘されていたもので、研究者の間で共通認識であったが、残念ながら理事には理解できなかったようである

談合事件役員人事

ここ数年のNECもっとインパクトがあった事象は2件の談合による指名停止であろう。煽りをくらい、全く無関係研究所予算がまずは削減された。そして賞与が大幅に減額である。社内ですら、談合当事者やその上司名前は完全に秘匿され、明に責任をとった人物存在しないことになっている。おそらく、公表した場合、全社員から報復を受けることを恐れたのであろう。

すると、不透明な人事はいたるところにあることに気がつく。前期の大幅に未達だった中期計画責任者だった遠藤社長会長になり、その策定の中心人物だった新野副社長社長となった。そして次の新中期計画は1年目でとん挫したにも関わらず社長以下留任ときたもんだ。

グローバルビジネスの低迷。これからNEC生命線とまで言われていたグローバルBU。彼らは海外売上比率を25%を目指すと宣言していた。中期計画に対して、何ひとつ貢献できずKPIを外したそのトップ、真っ先に責任を取らなければならない人物M氏は、翌年副社長となった。その自浄作用の無さもさることながら、株主債権主の銀行は一体何を考えて、彼らの役員人事を承認しているんだろうか。株価は買値の1/10となった、もう値動きすら見たくないから早く潰れてくれ、と思っているのだろうか。

今後、NECは暗黒の時代を迎えるだろう。折しも今年は3000人のリストラを掲げ、断固と構造改革を実施する覚悟を強調する新野社長しかし、彼にあるのは覚悟だけであり、スタッフを減らす方策すら定まっていないだろう。現状、10人が事業仕事をし、8人が彼らの事務担当するような人員である。そして今回の早期退職は主に事業の主力たちが手をあげるようである

最後

思えば、個人努力が何に対しても反映されず、学習性無気力に苛まれ続けたNECライフであった。管理能力に長けた上司はおおむね本社接収され、帰ってくることはなかった。そして残ったのは、管理職不適格でありながらも、降格制度存在しないことによる吹き溜まりである会社学会仕事をしにきている主幹研究員なる人種もいれば、1時間前の記憶すらないような痴呆老人である。そんな中、近頃はカルチャー変革(*3)を謳っているようだ。NEC暗黒時代たる本質まで踏み込み、ぜひNEC再生していただければと思う。

(*1)ビジネスマナー研修思想教育といったものからディスカッションなどがあったが、参加者講師レベルが低く、こいつら大学出てるのかすら怪しげだった。彼らが同期となって、社内キャリア形成意味もつ存在だと思うと、ぞっとした。さまざまな節目に集合研修は行われたが、効果を測定する様子もなく、ただそこに予算があり、研修実施することが担当者の評価だ、というような空気であった。そしてその直感は、NECスタッフ部門全体に共通するものであると後にわかる。

(*2)理事とは事業部長、本部長、中央研究所傘下の研究所経験者で、様々な理由部門消滅したりすると発生する役職である最近では、関西研究所CCII本部長、シンガポール研究所歴任し、価値共創センターを立ち上げ、これらのすべてを失敗させたY氏が理事となっている。彼らは理事になると、「天下り」先を探すことがメインの仕事になる。そして彼らが天下れば、空席となった理事は別の元所長が補充される。

(*3)カルチャーは変革できても、働き方全般違法裁量労働たるVワークの制度は変えられないだろう。また社員モチベーションを上げるための施策は、すべて人事部門判断によって握りつぶされると思われる。総務部人事部門抵抗をどのように回避するのか、外様役員の腕の見せ所だろう。

2018-09-04

知人、友達親友定義

知人:

 世間話が出来る

 上辺だけの関係

 今後一生会わなくても大丈夫

 気を遣って疲れる

 基本愛想笑いを浮かべている

 沈黙が苦しい

 とにかく丁寧語

 時々名前を忘れる

 

友達

 世間話が出来る

 遊びに誘うことも可

 何年か会わなくても大丈夫

 ふとした瞬間に「あいつどうしてるかな」って思う

 お互いにあまり踏み込みすぎない

 愛想笑いはたまにする

 ケンカせずに仲良く居ようとする

 とりあえず友達の話にあわせたりする

 気を遣って少し疲れる

 沈黙が怖い

親友

 気軽にLINEをする

 よく遊びに行く

 異性だったら恋人になっていただろう

 価値観、好きなもの、悩み事、嫌いなもの、やりたいことなどが合う

 くだらないことで笑いあい、泣くこともある

 テンションが一緒(盛り上がるのも落ち着くのも一緒)

 年に何回か会いたいと思う

 一緒に居て苦痛を一切感じない

 沈黙しても安心できる

 何を言っても受け入れてくれそうな安心感がある

 上記項目全て[お互いに]思いあっている


さぁ、どうかな?

2018-08-12

サマータイムが実現しない理由

ここ数日Twitter界隈で猛烈に叩かれているサマータイム

システム的な面を中心にどれだけ不利益が出るかの解説は出尽くしていますが、まだの方はこちらなどをご参照ください。

サマータイム実施不可能であるhttps://www.slideshare.net/tetsutalow/ss-109290879

本稿では、そのような反対論が特段意味をなさない、すなわち私が「サマータイムに反対しようが賛成しようがどっちみち実現しない」と考えていることについてお話します。

キーワードは「戸籍」「民法」「法制局」の3つです。

まず、これらの記事を見てください。特に後者安岡孝一先生京都大学人文科学研究所教授)のブログは、本エントリを書くきっかけになり、同時に執筆に当たり大きく参考にしています(一つ一つ参照元の文を示すことは省略させていただきしたことをご容赦ください。)。安岡先生感謝申し上げます

東京五輪終わっても「サマータイム」恒久的運用へ 議員立法による成立を目指す : スポーツ報知https://www.hochi.co.jp/topics/20180808-OHT1T50025.html

日本法令における「一日」と「二十四時間」 | yasuokaの日記 | スラドhttps://srad.jp/~yasuoka/journal/623028/

そして前者から一文を引用します。

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夏時間への切り替え方 導入初日を4月の最初日曜日とした場合は午前2時に2時間進め午前4時に合わせる。夏時間が始まる日曜日は 1日が22時間になる。10月最後日曜日サマータイムが終わる日とした場合は午前4時に2時間戻し午前2時に合わせる。この日は1日が26時間となる。

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必ずしもこのような立法がなされるとは限りませんが、少なくとも夏時間採用した場合には、同日に同じ時間が2度到来します。2時間をずらすサマータイムであれば1日26時間の日が発生します。そしてこの場合、2つのパターンが想定されます

①午前0時~午前1時59分59秒の終わりまでが2回あるパターン

②それ以外のパターン

ある4人の事例

さて、では戸籍に話を移しましょう。

日本戸籍では、時間単位記載が行われる事項は必ずしも多くはありませんが、有名どころとしては死亡時刻が挙げられます

なぜこれが必要かといえば、死亡の先後によって相続順位に変動が起きるからです。

祖父・父・息子・息子の妻の4人を思い浮かべてください。この4人には、これ以外の身寄りが一人もいません。そして、サマータイム終了日には、午前4時の時点で時計を午前2時に戻すものします(上記②のケース)。

さて、父がある日の午前3時ちょうど、息子がその1時間30分後に亡くなったことを想定します。民法規定に従えば、父が死亡した時点で相続が発生し、父の財産の全ては息子に相続されます。そして、息子が死亡した時点で、父と息子の財産の全てが息子の妻に相続されます簡単ですね。

しかし、日本戸籍は残念ながら24時間表記ではなく、午前/午後n時という記法採用しています。彼らの戸籍はどうなるでしょうか。現行制度に基づけば、父の死亡時刻は「m月d日午前3時」と、息子の死亡時刻は「m月d日午前2時30分」と記載されます。さて、これで両名の死亡順序が入れ替わってしまいました。この通りの記載であれば、まず息子の財産を父と息子の妻で分配することになります。そして、父の死亡によって父の財産の全部と息子の財産の一部は祖父相続されます

何を言いたいかといえば、死亡の順序によって相続割合は変動するのです。

戸籍電算化

上のような不具合回避するためには、「午前2時」から「午前3時59分」までの間の時刻に、例えば「一回目」や「二回目」といった表示をする必要があります

昔ながらの手書き戸籍であれば、これは割合簡単なことです。しかしながら、全国の4自治体を除く全ての地域戸籍コンピューター化(電算化といいます。)されています。その自治体名などはこちらをご参照ください。

戸籍電算化 | 晴れのち曇り時々雨 http://www.kumori.net/koseki/

電算化された戸籍システムでは、当然この「一回目」というような文字記号を挟み込む機能がありません。そして、上記①の場合でも、戸籍24時間表記ではありませんから、やはり「午前0時~午前2時」が2回生ますから同じことです。さらに、自治体使用する戸籍システムは、法務省統一的に開発したものではなく、各自治体が個別ベンダー契約して導入したものです。ベンダーはおおむね数社に集約されていますが、互いに独立したシステムですので、その改修はシステムごとに行うことになります

政治日程諸々

次に、スケジュール的なことを考えましょう。「サマータイム法」を提出しうるのは最速でこの秋の臨時国会ですから、まあ10月頭ぐらいでしょうか。そして、サマータイム法案議員立法(下記参照)であって、決して成立が確定していませんから、早くとも法案の提出時点から前述の戸籍記載に関する法務省令なり通知なりの立案を始めることとなります

「【東京五輪酷暑対策サマータイム導入へ 秋の臨時国会議員立法 31、32年限定(1/2ページ) - 産経ニュース https://www.sankei.com/politics/news/180806/plt1808060002-n1.html

法案成立後なるべく急いで法務省令なりを出すとして、戸籍記載方法各自治体に通知されるのはどんなに急いでも10月頭~中旬となります

さて、戸籍というものは決して間違いがあってはならないものです。この「間違い」というのにはいくつか意味があり、代表的ものとしては、

A.内容に間違いがあってはならない

B.情報保全に間違いがあってはならない

の2つを挙げることができます

まず、Aについては、先ほどの例を挙げるまでもなく、戸籍に関する記載を誤れば一発で国家賠償訴訟管理職以下懲戒処分まっしぐらです。そのぐらい戸籍は重いものです。そして、Bについても、例えば市民離婚歴や本籍などの情報流出した場合こちらも一発でやばいことになります。そのぐらい(ry この2つの帰結として、戸籍システムは、改修に当たっても決して脆弱性を生じてはいけないものであり、同時に、改修後のシステムにもエラーがあってはいけません。

では、これらを満たす改修について、今年度中に全自治体見積もりを取り、来年予算に反映させるか最悪来年度補正予算に盛り込み、再来年度までに実装までを終えることができるでしょうか。無理ですね。

法制局チェック

ここからが大切です。

法案を書く場合には、必ず「法制局」のチェックを受けなければいけません。官僚さんが書き、内閣提出法案(閣法)として提出する場合は「内閣法制局」、議員さんの発案で議員立法として提出する場合は「衆議院法制局」または「参議院法制局」のチェックを受けることになっています。そして、法制局の方は、ここまで書いてきた不都合を当然ながら分かっています。そして、きちんと「無理です」とおっしゃいます。もちろん、原理的には法制局のチェックを受けずに法案を提出する権限国会議員にはあります。そうでなければ、言ってみれば公務員に過ぎない法制局職員国会議員以上の権限を有することになり、国民主権に反します。しかし、実務はそのように動いておらず、法制局と何かしらの妥協に至ることになります(明らかに憲法違反議員立法提案される先生方も現在与野党わずいらっしゃるようですが、その辺は法制局の方が努めて雅な言い回し案文に落とし込まれているようです。)。しかし、これに関しては法制局の方も法務省民事局の方と一緒になって「無理です。」と言わざるを得ません。妥協余地がありません。そして、このエントリよりも遥かに分かりやす不都合説明されます。この時点でサマータイム法案は葬られます。以上。

まとめ

ここまでのことを極めて短く書けば、「サマータイム法制局チェックを通らないので実現しない」ということになります。みなさんどうぞご安心ください。

それでもサマータイムが実行された場合、それは本格的に明白な違憲立法法制局無視してバンバン通りうる社会になったということです。サマータイム以前の問題なので共に悲しみましょう。

補遺

なお、刑法刑事訴訟法上の刑期や勾留期間を含めた1日が24時間であるという前提に基づく各規定については、確かに23時間や25時間の日の存在を想定していないというのはそのとおりですが、おおむね①時間単位規定しなければならないほど短い期間は時間で、②乱暴な言い方をすれば数時間の誤差は許容されるような期間は日数以上の単位規定されていますので、混乱が生じることはあっても法制上そこまでの支障にならない気がします。

安岡先生こちらのコメント(なお、こちらのリプライ先になっている刑事訴訟法に関する指摘は私のものではありません)

https://srad.jp/comment/3459182

は、危惧としてはもっともですが、時間計算であればきっかり実際の時間の経過に合わせた例えば「四十八時間後」に期限が到来することになろうかと思います。この辺は民法138条以下と民法解説書をご参照ください(民法規定ですが、特則がない限り全ての公私の期間計算適用されます。)。あくまで本エントリ目的は「サマータイムが実現しない理由」を述べることですのでこれ以上踏み込みません。

2018-08-08

anond:20180808210733

夫が率先して釣りに行って家事をサボってるからどうしようもねえな

俺は妻の実家台所踏み込みはしなかったが

買い物に行きたい嫁の母や姉のために車を出したり親戚の子宿題をみたり

彼女たちが手薄になる業務を引き受けた

お陰で嫁の実家は俺と嫁には甘チョロだ

2018-07-10

anond:20180710124459

けど強引すぎる営業踏み込み具合にはこれくらいがちょうどいい気もするんだよな。

赤の他人だけど人間本来持ってる良心につけこみすぎなところがあると思う。

2018-07-05

低学年でmedu4やる意味ある?(医学生向け)

ここ2,3年で医師国家試験予備校業界は色々な動きがある。

数年前まではMEC、TECOMがほとんどのシェアを占めていたのが、medu4やQ-assistといった新規勢力が急速に台頭し始め、医学生にとって選択肢がかなり増えた。

その中でもmedu4というのは、元MECの講師が中心となって始めたもので、他の予備校との差別化点を簡潔にまとめるとすれば

比較的安く科目別に利用可能

過去国家試験網羅にわかやすくまとめている

テキストpdf管理可能

といったところであろうか。筆者も全ての予備校を見ているわけではないため、他人感想も参考にしている。

また、予備校というものを介さず、オンラインで誰でも申し込めるため、最近は4回生以下でmedu4を始めるという状況がちらほら見受けられる(主にtwitterで見かけるのだが)。

特に印象的であったのは、

医学知識の非効率的な復習がダルいからと、一通り終わらせてる高学年で改めて使う便利なコンテンツビデオ講座なのに、低学年で使っちゃうと「高1で赤本解く」並みに無意味やぞ。そんな時間があるなら、もっと大切なことがあるやろ。遊んだりとか、低学年でしかできない基礎の勉強したりとか』

というツイートに対して、medu4代表講師が直々に

『私が学生時代に教鞭をとっていた鉄緑会では中学2年で中学の内容が終わります。そして中3から高校の内容をはじめ、高1で東大過去問を解きます。 そして今や理III合格者の3人に2人が鉄緑出身者です。 つまり、本当に効率良い人は高1で赤本解いて、余った時間遊んだりしています。話の次元が違う。』

と返信していることだった。

しかし、本当にそうであろうか?私は低学年(1、2回生もいるらしいが)でこのような国試向けの教材に手を付けるのはよくないと思う。以下に理由を述べる。

①低学年で国試対策をすることが無駄である

医師国家試験には傾向という概念がある。厚生労働省医師に何を求めているかが色濃く反映される試験であり、それは近年の知識重視から臨床重視へのシフトという形で表れている。そしてこれから高齢化社会など、日本医療形態が変わりうる状況は続いているがゆえにこの国家試験の内容も今のまま変わらないとは考えられない。そんな状況で、低学年からその直近の国試をターゲットにした教材を解いたところで、自分が6回生になった頃には何の役にも立たない知識である(もちろん不変の知識もあるが)。考えてみてほしい。5年前のQBを解いている受験生など、どこを探してもいないのである。そのため、国家試験を見据えてmedu4を早いうちから始めることに意味はない。

医学勉強をしたいなら成書がいくらでもある。

そもそも、medu4に限らず予備校教材というのはいかに効率よく国試に必要知識を身に着けるか、あるいはどのようなことが次に問われうるか、というメタ的な勉強を重視している。国試合格だけを目的としているので当然である。よって、その内容は偏りがちになる。同じ病気についての知識でも、過去に問われたことがあるかないか、それがこれらの教材の中での重みづけとなっている。しかし、実際医学はそれだけじゃない。もっとかい知識や新しい知識、調べれば面白いことが山ほど出てくる。ならばあえて最大公約数のような教材よりも、論文や各大学研究室、あるいは最低限ハリソンをはじめとした成書を基に勉強するのが後々のためにもいいのではないだろうか。そもそも低学年でmedu4に目を向けるような人は意識が高いはず、その高い意識もっとレベルの上の領域に向ければ周囲から尊敬されるような存在になれるのでは。

③国試ベース効率化された知識体系を早期から身につけるのはよくない。

大抵の大学は、基礎や臨床の科目の試験で国試で問われているかなんて考える教授はいない。各自が専門にしている高度な内容まで趣味踏み込み学生を苦しめる、そんな試験を作ることが意外に多いのではないだろうか。あるいは国試ではほとんど触れられないような分野、例えばリハビリ遺伝医学などが設置されている大学もあるかもしれない。そういった内容に、国試用にチューニングされた知識体系をもった人が触れたらどう思うだろうか。これは国試に出ないか重要じゃない。そんな風に思う人も出るのではないだろうか。教授趣味で出す高度な内容や、一生使わなさそうなマイナー知識、そういった多種多様知識必死に詰め込み蓄えた後に国試の勉強をすると、意外な発見があるものだ。だから、せっかく大学が凄まじい数の講義提供してくれるのだから、まずはそれに力を入れてもいいのではないだろうか。

④国試の心配なんかせずに遊ぶべき。

回生から国試の勉強してたら心が持たない。せっかく大学受験が終わったのでちょっとは外の空気に触れるべき。勘違いしてほしくはないが、医学勉強はどんどんしてもいい。研究室に通って実験したり、勉強会に参加してみるのはよいことだ。もちろんバイト部活に精を入れるのもよい。でも、5年以上後の国試のことを考えていたらどんどん目の前の楽しいことを逃してしまう。どうせ直前に死ぬほど勉強するのだから、今しかできないことをやれ。国試なんて6回生からギアを入れたら90%受かる。気にするな。

これくらいだろうか。以上①~④が、国試を目前に控えた私が思う、医師国家試験予備校教材との付き合い方だ。本当は医師国家試験なんて気にせずに医学勉強するのが一番良い。詰まるところ低学年でmedu4をやるのは勝手だが、あたかもそれがbetter choiceであるかのように周りに布教するのは最早悪といっても過言ではないと思うがどうだろうか。

2018-06-09

好きな人結婚した

好きになった時点で、もう既に手が届かなかった。

こちらは隠しきれない好意を全面に出していたと思うけれど、それでも親切丁寧に接してくれて、その度にさらなる想いが募った。


すごく嬉しいし、幸せになって欲しい。心から祝福したいんだけど、なぜがもやもやしている自分がいる。

そんな自分は、やはり心が狭い奴なんだなーと、少し自己嫌悪に陥るなー。



でも大好きだから、これ以上は踏み込みません。



ずっと大好きでした。

これからも大好きです。

より幸せになった、あなたの笑顔をずっと見せてください。

幸せ!!!!!!

2018-05-28

首相を支持する・発言を信頼できるという人が○○%もいる! おかしい! と言う人がそれなりの数いるけれど、殺人事件が起こるたびに犯人は異常者なので私には関係の無い話だと切り捨てたがるのと似たような風潮を感じる。おかしいと思ったことを声に出していくのは大事なことだが、そういった声が醸成されてきたなら(私は十分されてきていると思う)、そこからもう一歩踏み込み相手がなぜそういう考えに至ったのか、どうすれば考えを変えてもらえるのか、といったことについて議論を深めていけるといいのではないか

2018-05-23

日大アメフト監督コーチは悪くない

タイトルには悪くないとは書いたが、

これは、「監督選手との認識の違い」という件に関して考察したいものであり、

自分自身教育者としてかつて行ってしまった、誤りを改めて見直す事を目的としたものだ。決して本件が悪くないとは思っていない。

問題なのは、対人に対して成果を求められる、あるいは成果を求める教育者がこういった状況に陥りやすい事について是非知ってもらいたいかである

仮に監督コーチが「ぶっちゃけていうと」どうなったのかを教育者としての経験とそこで起こった状況から、考えたいと思ったからだ。

したがって、私自身がどういう愚かな言い訳をするのか、客観的に見てみたいのだ。

この問題を考えずして、情熱をもって指導をすることを辞めてしまいそうになることが、どうも納得がいかいかである

もう一度言うが、本件は明らかに指導者が悪い。恐ろしい事だと、そう断言する。

監督選手との認識の違い

私はサッカーを少々やっていたことがあるが、サッカーというスポーツはとてもえげつない側面を持っている

(もちろん、この件をしっかり考えて、事実に基づき、その正当性について考える必要はあるが、ここでは「えげつない」という簡単言葉を使ってしまう事にする)

イエローカード程度に調整された意図的なファール、移動が困難になり、転倒寸前まで引っ張られるユニフォーム

次のファールを軽くしてもらえる、あるいはファールを取ってもらいやすくする審判への講義

どれも、ゲーム進行上、違和感なく行われている。

これは、ファールを取ってもらう為に痛がるパフォーマンス絶妙位置で転ぶ等に対して、審判がファールを取らない事から

その行為自体存在している事をが広く認知されている事を証明しているだろう。

よく、ユニフォームを掴んでしまうことに対して「とっさに掴んでしまう、ゲームに熱中していたからだ」という言葉を聞くが

何千男百との試合経験している中で、こういった行為抑制する事など出来ないはずは無い。

これが行われるという事は、試合の中で審判判断範囲内で裁かれないグレーゾーンを上手に渡り歩いているからだ。

この問題にはゲームの進行を止めてしまうとゲームスピード感を損なってしまうし、ロスタイムの増加に繋がるといった、

観戦者やスポンサー等に対するショービジネス的な要素も関わっているはずだ。

ともかく、どんなスポーツも「紳士的に行う事」が大前提とする中で、こういったグレーゾーン戦術的に行う事は、だれしも考える事だろうと思われる。

そこで、今回の件を思い出したい。

選手を潰してこい」といった、事がどのように行われるべきだったかという事だ

アメフトについて、無知である私がこのゲームについてどこまで許されるものかを書いて良いものではないが

すくなくとも、アメフトではボールキャリアに対してとびかかる様なタックルを行って良いものだと多くの人は認識していると思う。

前記したサッカーグレーゾーンについて考えると、監督が指示したのは「全身全霊をかけた、相手破壊する事を厭わないような危険タックルを行え」という指示だという事になる。

試合中にこの様なタックルをしたとして、審判相手チームは選手に対して警告を行ったとしても、今回の様な事態にはならなかったであろう。

それでは、なぜこの様な事が起こったのか、ここでもう一つの監督選手認識の違い」について考えたい、この件が今回私が考えたい本題なのだ

集団個人・また自分自身マネージメント学生教育者という関係性の中で生じる矛盾や歪みについて

選手記者会見で本人は「試合に対するやる気が見えない」と指摘されているまた、この件に対して選手自身に「その自覚が無い」と言っている。

ここから私自身の勝手な推察であるが、もしかすると監督コーチには、選手が以前からこう映っていたのではないだろうか?

選手に対するタックルに躊躇いが感じられる、有効な一撃を逃している」

といった、選手が考えてもいなかった側面、特にメンタル的な要素が起因した問題を何とか排除すべきだったのではないか

これは、学生に対する教育者特に悩む問題で、大きな肉体的、あるいはセンステクニックを持った学生メンタル的な要素で、その才能の邪魔をしてしまっている場合だ。

それを証拠に、試合後、選手に「やさしいから」等といった言葉をかけている事からメンタル的な要素に何か起因する問題があったのではないかと推察される。

こういった時、二次的に集団的にどういった事が起こるかというと、指導者の意図を察知した仲間が、悩む仲間に対して助け舟を出すのだ。

特に誰もが認める優秀な人物に対しては、熱心にそれをする場合が多い、自分の夢をアドバイスにして託す事は親にも指導者にもある、もちろん同じ夢を志す同士であればなおさらだ

問題なのはその仲間が本人に対して適切なアドバイスをしない事があるからだ。

今の私と同じように、ありもしないことを勝手想像し、相手に対して最善だと思う事を自分の中で構築するのだ。まるで親友恋愛話を親身に答えるように。

どうなったかというと「相手選手が潰れれば試合が楽になる」というアドバイスになった。

これは、チームメイトとして、この問題について解決すれば、大きな成長になることを信じて、一歩踏み出せない相手背中を押す行為だったのではないだろうか?

もちろんこの時、アドバイスを与えたチームメイトは、まさか試合中断中にタックルをするとは考えていない。あるいは、この様な大事になるとは考えていない。

そして、最後に念押しして指示される「やらないではすまされない」といった指導

この時、いよいよ思考は停止する。

この選手は、20歳の学生だ、学生の中には指導者の指導絶対である大人は正しい、先生は何でも知っている、そういった考えを持つ物がいる。

選手記者会見で再三「理不尽だと思う事もあるが、指導者に対して言う立場にない」等といった発言が出るのは、こういった側面があるからだと考えられる。

自分が未熟だから、考えも及ばない所で指導が行われている、そう考える学生がいるのだ。

一方で指導者はどうか、ほとんどが恵まれているのに、あと一つの所で伸び悩んでいる、何度も場数を経験させた、そんな選手をどう思うかだ。

こうした者に対して考えてしまう事は、自分の才能が認められたという事に対する慢心だ、その慢心から向上心を失っているという事だ。

もう一つは、先に挙げたような、メンタル的な要素だ。

この問題に対してやりがちな事は、対象を悔しがらせる事だ、まだ未熟だ、やる気を取り戻すまで、練習をするな等と、相手を奮い立たせるような挑発をする。

実際に、練習に参加させないといった、理不尽と思われる事を行っている。

そして、もう一つは、対象を新しい別の環境に置く事だ。

これは、現実は思っているより厳しい、大人もっとえげつない社会は間違っている、世界には間違っていることもある、そういった事を伝えたいというものだ。

とても紳士的で優しい人物であれば特に、この厳しい現実を伝えたくなるのだ、そんな時、自分の分野を引き合いに出すのだ。

厳しい勝負世界にどれほど立ち向かう覚悟があるのか、と考えた末に「殺れ」という言葉が口から出るのだ。

もし、荒くれ物の選手だったら、真逆の事を言っていたのかもしれない。

こうして、自分自身おかしいと思う行為の決行を判断する事になる。

本人は、この問題理解していないのだ、練習も頑張った、代表にもなった、指導のおかげだ、ほかに何が足りないのか

なぜ、自分をないがしろにするのか?なぜ、急に指導が厳しくなるのか?なぜ、特別な指示が出されるのか?

指導の通り頑張った。タックル踏み込みが浅いと指導されているので、きちんと踏み込みには気を付けている。

そんな時に、「確実に潰せ」という簡単課題を出されたときに、その問題解決できると信じてしまうのだ。

チームメイトや他の指導者の言葉さらに後押しをする。

多くの人が同じことを言えば、決して紳士的ではないグレーゾーン問題と同じように、問題ない行為に思えてくるのだ。

以上の事が、私の考える問題の全貌である

事実、幾人かの学生と向き合ったときに、もとい、人と本気で向き合ったときに、自分意図とは全く違う行動をする者がいる。

これは、自分意図という秤が自分基準にしている事が問題である事が分かった、自分だったらこうするだろう、こう伝えたら分かるだろう

といった、自分の秤は、どんなに水準を一般化させて展開させたとしても、学力能力の同等な人間を集めたとしても一致しないという事だ。

特に教育者は、複数人間相手にしなければいけない、問題は彼だけではないのだ。

多くの問題を抱えていて、すべて平等に行われなければならない。

そんな時に行いがちなのが、単純な命令による支配である

簡単かつ誰でもわかりやすい単純な物が良い、ただし、簡単であるが上に矛盾が生じる、一人だけ変更すれば他の物が混乱する、その為に強引に行うのだ。

時には、問題因子を排除する事も厭わない。個別指導するよりよっぽど管理やすいからだ。

次に、指導者を増やすことだ、自分代理複数立てる事だ、しかし、代理自分自身ではない、

どんなに忠実な代理だとしても、伝言ゲームの様に指導内容が違って受け取られてしまう。

それならば、同党の指導者を置けば、本来想定したものと違う指導内容になってしまうことになる。

そうなると、自分の手柄を作って信頼を得なければならなくなる。

その為には、多くの学生指導して、信頼を勝ち得なければならない。という悪循環が起こる。

最後

正直自分にはこのスパイラルをどう解消するべきなのか分からない

今は、教育平等でなければならないという考えを変え、学生自発的活動を見守り、問題は早期に発見して対処するといった事をしている。

しかし、熱心に、あるいは強制的に行う教育効果には遠く及ばない。問題はなくなるが、才能の開花を促進させる手伝いはできない。

適材適所バランスよく相手に合わせて状況判断して実施するという事が望ましいに決まっているが。

自分以外の人間をどこまで知りえる事ができるだろうか?それも複数人も。

何もしないで見守れば、育つ物も当然いる、同じように、愛情を注がなければ開花しないものもいるのだ。

そもそも学生に何らかのきっかけを与えるのが教育者なのではないだろうか?

特に大学スポーツチームとなれば、学生生活の期間、選手生命期間、どちらをとっても期間は限られている

他のチームはどうしたのだろうか?問題を起こしそうな選手排除したのだろうか?

2018-04-09

「好きです」と伝えても、絶対に僕もとは返してもらえない。そんな関係

ぎゅっと抱きしめても絶対相手から抱き返してもらえることはない。

その関係性でいいし、それを超えたらダメだけど

それ以上に踏み込みたくなってしまう。

落としたい、と思ってしまう。

好きでしょ?気になるでしょ?って言いたくなる。

1年かかってでも落としたい、僕も好きです、って言わせたい。

私がフリーならなんの問題もない。フリーじゃないし、私が傷つきたくないから、それ以上の関係になりたくない。

結局大事なのは自分だけです。

2018-03-23

anond:20180323060502

他人会社の人事にまで口出しするような卑劣漢はオマエかクレーマーぐらいじゃねーかな

オマエじゃ話にならん! 責任者を出せ、みたいなクズ助。

言えるのはせいぜい「もうちょっと連絡ちゃんととれるようにしてくんない?」がいいところでそれ以上は踏み込みすぎ。

2018-02-25

anond:20180207083644

躁鬱御用達 鬱の悪化を促す要因の個人的な傾向と記録



悪化を防ぐにはとにかく、自分を観察する。

なにが自分を鬱にさせているのか理解する。

だいたい上記5つのどれかに当てはまっていることが多い。

当てはまるものがなくても、やっぱり観察を続けて、観察日記に新しい結果を書き加えるだけ。

焦って自分を変えようとしないこと。

ただ、今自分はこういう状態なんだ、こういう考え方をしているんだと眺めるだけでいい。

あれこれ努力を労するべきじゃない。

努力をすれば失敗したときにまた嘆くから

その状態や考え方が、自分にとって不快で耐え難く、どうしても変えたいものなら、無理なく自然に変わっていく。

自然な変化に身を任せる。

でも、変化の途上は痛みと苦労に充ちる。

けどそれは、失敗と成功という評価の軸から得ていたものとはずれた、一個の個人的体感として感じられる。

観察すれば、傾向がわかる。

傾向がわかれば、付き合い方も考えられる。

なにもわからなければ、振り回されて疲弊するだけ。

疲弊が鬱感情悪化させる。

自分という友人と愉快に遊びたいから、僕は彼を助ける。

2018-02-24

anond:20180224221522

ハゲの人いるけど

ハゲを隠すか隠さないか自尊心問題にまで持ってくのはやりすぎじゃね?

分析すればその人も

「確かにハゲを隠す必要なんてなかった! 今までの俺はプライドにとらわれていた!」

ってなるかもしれんけど、正しいかもしれないけど踏み込みすぎな気がする

2018-02-21

エンドレスエイト論の三浦俊彦増田

古書店の雑に積まれた本の中で存在感を放っていた「虚構世界存在論」を手に取ってから20年くらいになるか。

可能世界哲学」「多宇宙輪廻転生」と購入してきた。

一般向けの論理学入門でありながら理屈ハードで手応えのある二見書房の「論理パラドクスシリーズは好評

のようだが、増田の好みではないので買ってない。


サウンド・オブ・サンダー」として近年映画化されたブラッドベリタイムパラドクスもの「雷のような音」を

虚構世界存在論」で取り上げていたこともあり、SFに強い哲学者として認識している。小説の方は合わなかった。


三浦俊彦の得意分野は、「可能世界」を用いたフィクション論、「人間原理」を用いた意識論。とサプリメント


可能世界論、とは何かはwikipediaでも読んで欲しいが、もし暴走トロッコの先にドラッカーが居たら、とか

プロレスラー専用列車があれば、とか現実ではない仮定について、論理的に扱う仕組み。

そのハードコア一派に様相実在論というのがあり、そういう可能世界仮定存在記述上の論理ではなくってな

全部実在してっから、いやマジで、と主張して、急にそんなこと言われてもいやソレはないわー、と異端視されてる。

これだけで、もう架空戦記異世界モノですよね、OK

その実在している他の可能世界と、我々が唯一認識している現実とを区別するものは、我々が居るという

関係性だけの違いである。


この辺りで人間原理スライドしてよろしいか

真空のゆらぎからビッグバンが生じ、宇宙の各定数には様々なあり方が有り得たはずなのに、なんでこんなに人間

存在するに都合よくできているのか。それはね、人間が見ているからだよ。

人間宇宙を観察する時には、人間存在できるような宇宙でなければならない。

こういう理屈は判るんだが理由説明しきれない自己撞着的な話が人間原理

これって、この現実に我々が居るという関係性の話だよね。


宇宙は様々な形でありえた、また実際にある、というマルチヴァース、多世界解釈、サイクリック宇宙論物理学の話。

それと様相実在論をつなげ虚構実在論にも踏み込みフィクションをも真面目に哲学的に語る。

これが三浦スタイル


なろうもカクヨムも在るんだよ。

2018-02-14

anond:20180214110618

潜伏してる、まではおおむね同意するのが多数派だっただろうけど

・行動のトリガー

・行動のパターン

・行動エリア

まで具体的に上げられたらそりゃちゃうやろ、ソースは? ってなるに決まってると思う。

踏み込み過ぎたことをまるっと無視して擁護が湧いてるのがなんというか不気味。

2018-02-06

小説一部の人しか書けないか否か

初めてはてな匿名ダイアリーを書くので読みにくいかもしれませんが、ご容赦を。

最近よく見聞きする言説の一つが「小説は誰にでも書けるわけじゃない」という物です。私自身の感覚としてそれって本当かな、というものがありこんな文章を書きます

私は小説を書きます

上手くはないですし、評価をされていると言うこともありません。

感想もあまりほとんどもらいませんし、もらっても批評未満の意見が多いです。

たまにもらう感想で心がほっこりし、自分欲求を満たすために小説を書いています

そんな人が思うのは「小説ってやっぱり誰にでも書けるよね」です。

卑下しているわけではありませんし、貶め炎上することが目的でもありません。

ですがどうしても「誰にでも書けるよ」と思ってしまうのです。

ある人は毎日空想します。そして「あ、これは面白いな」と思えば140文字でも500文字でも1000文字でも書きます

もっと言うなら、ノートの端に「○○が●●と△△する。きっとかわいい」などと書きます

ここまでで察しのいい人は「そういうことか」と解ってもらえるかもしれません。そうでない方にも、解ってもらいたいので私は続きを書きます

私が言いたいのは「どんなに短文でも、どんなに体裁が整っていなくても、一文、単語の羅列であってもそれは小説だよ」ということです。

空想をして、ひいては感じたことを何かに書き付けたその時、人は小説家になるのです。

多くの人は「小説って書けないよ」と言います。でもその「小説」は川端康成だったり芥川龍之介だったり清少納言だったりする、後の世であろうと通用する作品を指して言っているのだと思います

もしくは、自分の心に残っている作品を指しているのだと思います

素晴らしいことです。

でも、それだけが小説でしょうか?

他人の心には残らないかもしれないけど、自分の心には色濃く残る文章って誰しも持っているのだと思います

それは単純に「夕日がきれいだった」「おいしかった」でいいのです。

その裏にある、自分がその時感じた心の動きを思い出せるなら、小説なんて「○○が●●と△△する。きっとかわいい」でいいのだと思います

人は「それは小説じゃない、ただの感想」と言うかもしれません。

ですが私は、ただ自然と「おいしかった」と書くことは、心のままに「かわいい」「格好いい」と書くことは、それだけで小説家になる行為のものなのだと思います

絵に関しても詳しくはありませんが、同じなのかもしれないな、とも思います

ここからはすこしだけ踏み込みます

誰かが何かを書いた時、絶対馬鹿にしてはいけないと思います

それは委縮してしまうからです。

委縮してしまうと色々なことを考えても、表現することが出来なくなってしまうからです。

ですが、明らかに間違っているのだとしたら「間違っているよ」と言うことはあるかもしれません。

ここでも、やっぱり馬鹿にすることは駄目だと思います

間違いは正すべきものです。そして、馬鹿にしてはいけないものでもあるのです。


よくわからない人向け、もしくは私の文章が下手だった場合の、要点を書いておきます

ジャンル場所わず世に小説はいっぱいあるよ、それを指して「小説が書けない」は違うと思うよ。

他人の心を動かすだけが小説じゃないと思うよ。

自分の心を動かしたものを残すのも小説だよ。

その時の文章はどんなに稚拙でも構わないよ。

どんな者でも馬鹿にだけはしちゃだめだよ。

小説一部の人しか書けないか否か

初めてはてな匿名ダイアリーを書くので読みにくいかもしれませんが、ご容赦を。

最近よく見聞きする言説の一つが「小説は誰にでも書けるわけじゃない」という物です。私自身の感覚としてそれって本当かな、というものがありこんな文章を書きます

私は小説を書きます

上手くはないですし、評価をされていると言うこともありません。

感想もあまりほとんどもらいませんし、もらっても批評未満の意見が多いです。

たまにもらう感想で心がほっこりし、自分欲求を満たすために小説を書いています

そんな人が思うのは「小説ってやっぱり誰にでも書けるよね」です。

卑下しているわけではありませんし、貶め炎上することが目的でもありません。

ですがどうしても「誰にでも書けるよ」と思ってしまうのです。

ある人は毎日空想します。そして「あ、これは面白いな」と思えば140文字でも500文字でも1000文字でも書きます

もっと言うなら、ノートの端に「○○が●●と△△する。きっとかわいい」などと書きます

ここまでで察しのいい人は「そういうことか」と解ってもらえるかもしれません。そうでない方にも、解ってもらいたいので私は続きを書きます

私が言いたいのは「どんなに短文でも、どんなに体裁が整っていなくても、一文、単語の羅列であってもそれは小説だよ」ということです。

空想をして、ひいては感じたことを何かに書き付けたその時、人は小説家になるのです。

多くの人は「小説って書けないよ」と言います。でもその「小説」は川端康成だったり芥川龍之介だったり清少納言だったりする、後の世であろうと通用する作品を指して言っているのだと思います

もしくは、自分の心に残っている作品を指しているのだと思います

素晴らしいことです。

でも、それだけが小説でしょうか?

他人の心には残らないかもしれないけど、自分の心には色濃く残る文章って誰しも持っているのだと思います

それは単純に「夕日がきれいだった」「おいしかった」でいいのです。

その裏にある、自分がその時感じた心の動きを思い出せるなら、小説なんて「○○が●●と△△する。きっとかわいい」でいいのだと思います

人は「それは小説じゃない、ただの感想」と言うかもしれません。

ですが私は、ただ自然と「おいしかった」と書くことは、心のままに「かわいい」「格好いい」と書くことは、それだけで小説家になる行為のものなのだと思います

絵に関しても詳しくはありませんが、同じなのかもしれないな、とも思います

ここからはすこしだけ踏み込みます

誰かが何かを書いた時、絶対馬鹿にしてはいけないと思います

それは委縮してしまうからです。

委縮してしまうと色々なことを考えても、表現することが出来なくなってしまうからです。

ですが、明らかに間違っているのだとしたら「間違っているよ」と言うことはあるかもしれません。

ここでも、やっぱり馬鹿にすることは駄目だと思います

間違いは正すべきものです。そして、馬鹿にしてはいけないものでもあるのです。


よくわからない人向け、もしくは私の文章が下手だった場合の、要点を書いておきます

ジャンル場所わず世に小説はいっぱいあるよ、それを指して「小説が書けない」は違うと思うよ。

他人の心を動かすだけが小説じゃないと思うよ。

自分の心を動かしたものを残すのも小説だよ。

その時の文章はどんなに稚拙でも構わないよ。

どんな者でも馬鹿にだけはしちゃだめだよ。

2018-01-21

踏み込みきれない相手の話

元々バイト先の年上の先輩、声をかけてもらって一緒にご飯食べに行ったりって言うのを定期的にしてた。

相手は年上で女の人にもすごくモテるタイプだと思う。そもそもどうして自分に良くしてくれるのかもわからないまま、二年近く尊敬できる優しい親戚のお兄ちゃんくらいの気持ちでいた。

ところが先日、自分の事はどう思っているのかと聞かれ正直に答えると、自分は付き合うことも考えたいと思っていると伝えられた。混乱して笑って誤魔化したけど、そこからもう2週間。

すごく嬉しかったしすごく戸惑った。なんせこっちはお兄ちゃんだと思っていた相手だ。どこから見ても素敵な人だけど、自分みたいな子供釣り合うのかとか余計なことまで考え始めてしまって完全にどうしたらいいのか分からない。

こんな普通女子みたいなイベント乙ゲー以外で初めてだから誰か助けて…

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