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2019-04-19

かねてより入院療養中であった小池一夫肺炎により4月17日永眠いしました。

生前は多くの方々に小池一夫小池一夫作品を愛していただき、心より感謝申し上げます

なお故人の遺志により葬儀親族のみで執り行いました。

皆様には大変お世話になり、ありがとうございました。


艦これという1つの時代が終わった気がする…

2019-04-15

anond:20190415213709

そりゃ現場人間にとって

入所者=自分たち仕事負担

だし。そう思うでしょ。

葬儀会社提携しとけば金も入るしね。

2019-04-12

泣いてもらって幸せだね

小学生の頃の夏休み、母方の従兄弟の父方の祖父の家に遊びに行ったことがある

当然自分とは何の血の繋がりもないが、母方の叔母が自分の姉=私の母とその娘=姪である私も誘ってくれた

祖父(ではないけれど便宜上そう呼ぶ)は九十九里海岸沿いに別荘を持っていて、叔母家族と母と私でお邪魔した

祖父は優しい人だった

なんの縁もない私にも血の繋がった自分の孫と同じように接してくれた

ザリガニ釣りをしたりスイカ割りをしたりバーベキューをしたり、まさに「小学生の夏」のイメージそのままの1泊2日を過ごした

とても楽しかった

ちなみに「別荘」という言葉から当時の私は勝手に大豪邸を想像していたのだが、実際の別荘はそれより3回りは小さくて

内心「家ちっさ…」とか思っていたのは内緒だ 今考えると失礼な小学生

祖父に会ったのはその年とその次の年の夏の2回きりだった

それから10年ほど経って、祖父が亡くなったことを聞いた

叔母は母と私も葬儀に呼んでくれた

正直な話、この時既にもう祖父の顔も声もよく思い出せなかった だって2回しか会ってないんだから

それなのに涙が止まらなかった

忘れかけていたあの夏の思い出を一気に思い出した 浜辺に流れていた月の砂漠の物悲しいチャイムの音も急に思い出した

棺に手を合わせていたら後ろから知らないおばさん達が私の話をしているのが聞こえた

「○○さん女のお孫さんもいたっけ?」

「あの子は直接のお孫さんじゃないけど一緒に遊んだことがあるんだって(みたいなことを説明してた気がする)」

「あらそう、それなのにあんなに悲しんで泣いてもらってるの、○○さんも幸せねえ」

あんなに悲しくて泣いたのに、結局葬儀から数日もすれば私はまた祖父のことを忘れてしまった

なのに「泣いてもらって幸せだね」という言葉だけはなぜか強烈に頭の中に残っていて、

私はどうにもバツが悪くなってしまった

どうして泣いたんだろう、泣く資格とかあったのかなとか思った

ところで、それから数年経って私の血の繋がった祖父(父方)も亡くなった

葬儀では私は当然のように泣いたのだが、母もまた泣いていた

それを見た親戚のおばさんが、「お嫁さんにあんなに泣いてもらって、●●さんも幸せねえ」と言った

示し合わせたようにまるっきり同じようなことを言うからびっくりしてしまった

けれど血のつながらない祖父葬式で泣いたのは別にいいことだったのか、とも思った

2019-04-10

過ぎてしまった現実と、生きている人間エゴとしての葬送

どうしようもないことっていうのは、生きていれば必ず起こる。

しばらく前にいとこが亡くなった。まだ二十歳になる前で自分で命を絶った。自分が嫌になったのか自分以外の全部が嫌になったのか、それとも両方なのか、詳しい動機はきっとこの先ずっとわからないんだろう。

祖母は孫たちのなかでも彼を特に可愛がっていた。彼の家族祖母と家が近くて、一緒にいた時間が長い。祖母も両親である伯父夫婦もきっとわたし想像つかないほど落ち込んでいるだろう。


これだけでも十分に大事なんだけれども、問題が一つある。

私と両親はそのいとこの死を、つい数日前に親戚から送られてきた荷物に同封された手紙で知ったことだ。

私の両親は遠方に住んでいるが、私は祖母達の隣の県に住んでいる。死の直後に知らされたなら、父が間に合わなくともわたしは直ぐに祖母の家に向かって葬儀に出ただろう。四十九日の前に知らされたなら、予定を立てて向かった。

私といとこの仲が悪いということはなかった。いとこは口数が多い方ではなかったけど 私と会えば他愛のない話をした。いとこと最後に会った時は、私と祖母といとこで焼肉を食べた。一緒に焼肉食べた二ヶ月後にそいつ死ぬと思うか?私は全然思わなかったよ。

知らせを聞いてから、いとこに関する何年も思い出していなかったような記憶を思い出す。思い出しても一人暮らしの部屋では共有する相手もなく、ひとりでぼんやり記憶を味わうしかない。そんな思い出を共有して、上手に悲しみを昇華するためにも葬式四十九日あるんだろう。そういう儀式は生きていく人間のためにあるんだと実感する。

その別れの手順を踏めなかったせいか、ずっと心の中でなにかがフワッと浮いている。悲しみと無常感とかだろうか?わからないけど、そのせいで純粋喪失を惜しんだり悲しんだりできていない気がする。それが悔しい。

どうして知らされなかったんだろう。祖母と伯父の身近には何人も親戚がいた。みんな私に優しく、お盆正月に帰ると喜んで迎えてくれた。その全員がずっと茫然自失で連絡できなかったのか?四十九日が終わるまで?向こうの事情がわからいからなんとも言えないのだけど、私は少し怒っている。まあ怒っていることを自覚していれば、実際会った時にキレ散らかすことはないと信じている。

そして両親と話をした結果、週末に父と墓参りに行くことになった。今回の件も親戚と話し合うことにもなった。それが済んだらフワッとした何かがちゃんと着地できるだろうか。すっきりした答えが出るとは思えないけど、せめてどこかに着地点が見つかるといい。

ふざけるな

やたらに迷惑かけてきた義妹

何かする度にこちらの家を利用し尽くし、搾り取り

まともに付き合ってるとしんどい子だな~

言いなりになってる義母よしっかりしてくれ~と思っていたら

突然、義母亡くなる

葬儀の時に義妹がやって来て何を言うかと思ったら

「私は別の家の人間から何も手伝えないよ!!」と怒鳴って来た

別に宛てにしてなかったけど、

自分の親の葬儀なのに、そんな事言うのか

と言うか、別の家の人間ならいままでさんざん迷惑かけてきたのはナニ?

二度と利用されまいと誓って数年

義妹の子が進学する時が来た

また何か言ってきそうだと思っていたら

奨学金保証人だった

えーっと、別の家の人間なんだから葬儀の手伝いすら出来ないと叫んだのに

ふざけすぎでしょう

「たった二人の兄弟から助け合おう」とか言ってたけど

それって物を頼む側の台詞じゃないし

義妹の旦那は4人兄弟

こちらの家はたった一軒しかないが、あちらの家は3軒もある

3軒もあるのに何でもかんでも負担を背負わされたのはこちらの家だ

ふざけないでね

「私は別の家の人間から保証人にはなれないよ」

と返答した

なんだか夫婦で切れていたようだが

勝手に切れてくれ、そしてもう遊びにすら来ないで欲しい

義父が生きてたら、激怒したと思うよ

2019-03-29

anond:20190329110427

いや、儲かるわけないやん

儲かるのは坊主葬儀場では?

anond:20190329105547

気持ちの整理をするとしてなんでわざわざ葬儀という形を取る必要があるの?ってのは答えてくれないんだよなあ。所詮セールストーク

anond:20190329104509

ちゃんが死んだとき葬儀場の人が「お葬式というのは故人の為だけではなく残された親族や知人が気持ちの整理を付けるための儀式でもあるんですよ」と言ってたけど

気持ちの整理も何も忙しすぎて感傷に浸る暇すらなかったな…

多少金かかってもいいから各種手続きやら受付やら葬儀場の人に全部やってもらいたいわ。

2019-03-24

父親が死んだ

癌と闘病して1年だった。

もう葬儀は終わってるけど実感がない。

これから手続きとかややこしいことがいっぱいあるし葬式代が払えるかも微妙だし

母親は何もやる気しないとか言うし(まぁ配偶者が亡くなってんだからそりゃそう)

末っ子(私)がしっかりしてるから…て言うけど私しっかりなんかしてねぇ。

まともに動けるのが私しか居ないだけだよ

父が死んだのは悲しい。

それと同時に身内にイライラちゃうからやっぱり離れて暮らした方がいいなと実感してしまった。

今はまだ感傷に浸る余裕もない。

1年くらい忙しくなるって聞くけどどうなんだろう。

不安の方が大きいな、今は。

2019-03-22

骨は焼くと青くなるの?

親族葬儀で焼き上がった遺骨を見たけど、骨の所々に青い部分があった。骨に色が着いているというより、塗料をそこだけ塗ったような鮮やかな青い染みが着いていたのだ。

葬儀スタッフに聞いたら「骨の成分と炎が反応して青くなるらしい」と言っていたが詳しくは知らないようだった。

火葬した人骨は青くなるものなのか?

2019-03-21

友達家族病気で亡くなった

メールで報告がきたかメールでお悔やみは伝えた

葬儀親族のみで済ますらしい

次にその友達に会ったときどういった言葉をかけていいかからない。またどういった態度をとればいいのかも分かってない

三十を過ぎたいい大人なのに適切な対応ができない。前から人に気遣うことが下手だし人の様子から色々察することができない

言われて初めて気がつくことが多い。人の言葉鵜呑みにしてしまうし

以前知り合いに「君は他人に興味がないんだよ」と言われた。そうかもしれない。だから人の機嫌や具合に気付けないのかも

気付けなかったことを後悔するのはその相手を思ってではなく、気付けなかったことで相手に嫌われたり見限られたりするのが怖いだけかもしれない。つまり自分のことしか考えてない

自己中すぎる自分が恥ずかしい

2019-03-15

祖母のこと

3月のこの時期は祖母が亡くなったから、祖母のことを思い出す。

祖母は父の兄である叔父と一緒に二世住宅に住んでいた。
祖父が亡くなってから7,8年が経って、祖母認知症が緩やかに始まった。

ある日、祖母の住む1階のリビング冷蔵庫が増えた。
しかも1人暮らしには大型すぎる上に、電源が入っていなかった。
「電源を入れなければ入れ物として使える」と言われて買ったのだという。
こういった、認知症が始まった老人につけこむような商売実在することに、当時中学生の私は驚いた。

そこからしばらくして、デイサービスに通うようになった。
同じくらいの年代の人と話せることが楽しいらしく、久しぶりに会った時には得意の英語の歌を披露したのだと
You Are My Sunshine」を何度も歌ってくれた。

祖母音楽好きな人で、それを受け継いでか私は高校合唱祭の実行委員会をやっていた。
司会とタイムキーパーをしていた私は、舞台の袖からホールを見渡した時にちょうど、父と母に連れられた祖母
ホールの浅い階段を一段ずつ、ゆっくりと降りながら真ん中の席に向かっていく様子が見えた。

祖母最初最後徘徊をしたのもこの頃だった。
デイサービスがよほど居心地が良かったらしく、勝手デイサービスのある場所に行こうと勝手に家を出てしまったのだ。
しかも、私の母と叔父家族が総出で捜索を開始してすぐに、一人でタクシーで帰ってきたという。今思えば、なかなかお茶目事件だった。

そこで叔母(叔父の妻)が祖母を強く叱った。
私の家族祖母と離れて住んでいた分、できる限りの介護サポートをしていたが、
それでも実際に一緒に暮らし介護をする立場なりの疲れや苛立ちが起こるのは仕方ないと思った。

しかし、段々日が経つにつれて祖母
「私は義理の娘によくしてもらっているのです」だとか、そのようなことを
何度も何度も、自分に言い聞かせるように、苦しそうな表情で話すようになった。
かにそう言うように仕向けられているようにしか思えなかった。

この時、認知症がそこそこ進んでいて、小さい子供と同じくらいに秘密約束が守れないようなコミュニケーションレベルになっていて
「私はね、月に3万円を払ってここに暮らさせてもらっているの。」などと言い出すようになった。
いよいよ叔父家族祖母が一緒に暮らさない方が良いと思い、私の父と母が動き出した。

そして、入居としての老人ホーム生活が始まった。
私の家族は、定期的に祖母に会った。
叔父家族ほとんど来なかった。

ある日、外出を申請して、祖母が私の家に泊まった。
料理が好きな母が、祖母の好きそうな料理を振る舞った。
食べやすいように、柔らかく煮たうどんや、小さく切った煮物を用意したが、
お腹いっぱいなの」と言って、一口くらいしか食べなかった。

後日、祖母入れ歯が無いことでご飯を食べることができなく、
その入れ歯祖母の家にあり、叔父が家を開けてくれないことが発覚した。母が悲しそうに話した。入居から既に1ヶ月は経過していた。
施設の人が食べやす料理提供してくださっていたとはいえ、不便な思いをさせていたと思うと私も悲しくなった。
叔父東京に住んでいるにもかかわらず、3.11を受けて変わってしまい、家族東京を離れた。
音信が途絶え、祖母の家でもある叔父の家を開けることができなくなったので、急遽、父が入れ歯を新しく手配した。

祖母入れ歯が戻ってから食事の量も元に戻り、肌がふっくらしてきた。
母が「肌が綺麗ですね」と言うと「私はお酒を飲まないからね」と笑った。
祖母とお別れする時「帰るね」と言うと「私も帰らなきゃ」と言い出すので毎回「買い物に行ってくるね」と言わなければならなかった。
なんやかんやで祖母も帰りたいという気持ちがあるらしく、だましだましやり過ごすのは心が痛んだ。

老人ホームというのは季節の行事積極的実施するので、七夕には笹を飾って入居者が短冊に思い思いの願い事を書いた。
そして書かれた短冊や、作られた七夕飾りはそれぞれの家族に渡される。
祖母短冊には震えながらも精一杯の文字で「Mさん(祖父)に会いたい」と書いてあった。
母にそれを見せてもらって、自分の部屋に戻ってひとしきり泣いた。

記憶曖昧で、父や私のことすら認識しない祖母が、夫である祖父のことはしっかりと覚えていたのだ。
祖母は弱りながらも、愛とはどのようなものであるかを教えてくれた。

そして3月の中頃、暖かい日のこと
朝ごはん時間に席についた祖母は、居眠りをしているように静かに亡くなった。

叔父家族とうまくいかなくて大変な思いをしていたこ
最後まで家に戻してあげられなかったこ
それらは当時、学生や孫の立場だったからどうすることもできなかったことだが
どうにかできなかったかと悔やしくなってはごめん、ごめんと葬儀が終わってからしばらく泣いていた。

私は実家を離れたが、3月暖かい時期になると祖母を思い出して「おばあちゃんありがとう」と心の中で云うようにしている。

線香をあげに行こう。

2019-03-10

安楽死で思い出した

うちの実家の近くにも焼肉屋安楽亭あるんだけどさ

その横に葬儀会館と仏壇屋があるんだよ

縁起でもない配置に建てたなーとか思いながら見てたら

ノボリに「産地直送」の文字が見えてしまってもうダメだった


そんな環境でもなんだかんだ潰れずにやってる安楽亭、たくましい

2019-03-06

追記あり婚活疲れたのでオカマ結婚したい

別に同性愛者ってわけじゃないけど、

婚活してしててそんなに条件絞ってるわけじゃないのに、介護して子育てしてセックスできるママ探してる人とマッチングばかりしてうんざりしてる。

全部ワンオペでって。

別に高望みもしてない地味なアラフォーなんだけど、ここまで言われるもんかな?おまえの面倒見るくらいなら、同じ大型なら犬の方が癒されるのでましですって思うので、一生独身だろうなって思ってるけど。

もう、結婚したいと思うのが女性オカマになってきた。まだ同姓婚ができないので、アラフォーのおばさんと結婚してもいいオカマのおじさんいませんかね。

オカマのおじさんにも選ぶ権利があるのは知ってますよ。でも、本当に疲れたんだ。

面白いテレビを見たときとか、ご飯がうまく行ったときとか、そういうときに何気ない会話をする人が欲しいんだ。


追記

こんな内容なのにそこそこのレスをいただいてありがとうございます

勢いで書いたので、言葉足らずだった。

ほかの方のレスにも書いてあった通りのことがまさにって感じなんだけど、

こっちは婚活相手の両親と相手介護も含めて面倒見る覚悟はあるので、

私の方も一緒に支えあう覚悟をしてほしいって気持ちです。

でも、探してみるとそういう人片方に負担を強いる癖に

自分は一ミリ金銭的にも肉体的にも精神的にも負担したくないっていう人ばかりで

疲弊してしまってます。それでいて敬ってほしいっていう感じで。

まともな人に会う前に心が折れる

追記その2】

こんな愚痴の吐き出しに様々な意見を下さりありがとうございます

そして、オカマという表現安易に使ってしまってすみません

お叱りごもっともです、大変申し訳ございません。

しんどいからといっていきなり傷つける言葉を使ったにもかかわらず、

お断りやお叱りの言葉でも優しく感じることができました。

こんな私にまでお気遣いありがとうございます

否定されたとしても優しくされたかったんだと思って少し泣きました。

オカマゲイの方やトランス女性の方と思っていたわけではなく、

そして、男性よりもと妥協したわけでもないです。

男と結婚するよりゲイとしたいとかトランス女性としたいとか

男性側に妥協してやるんだありがたく思えという態度で接せられるくらいなら、こっちだってむちゃくちゃ条件をしぼってやるぞ!!女性物理的・精神的にも加害しない女性的な部分があり女性嫌悪感を持っていない、人間だと思ってくれる、性的役割女性求めない男性というドラマ漫画にいそうなタイプオカマ像が理想だぞ!どうだ、いないだろ!

無理ゲーだろ!というやけくそからでした。

決して、ゲイの方ならチャンスありそうとかは思っていないです。

オカマという発言についてもゲイでない、トランスでもない、ファッションの一環とか、女装が好きとか、ゲイだけど結婚という契約世間的にしたいけどとか、断定した意味だとそれしかなくなるので広義の意味合いを持たせたつもりでした。

タイトルにするには長すぎたし、勢いで書いたのでうまく説明できなかったのと、どうせ反響ないと思っていたので省いた部分でした。もう少し説明するべきだった思います

気づいてくれた方もいましたが、大多数の方をむやみに傷つけてすみませんでした。

いくつか指摘の通りなんですが、私は元々ぼんやり男性的な部分嫌いなところがあり、婚活悪化したと思っています

アラフォーメリットのある婚活は無理だよってご意見理解しています。でも、ここまでか・・・と思ってしまったんですよね。

元々アラサーから婚活を始めいて、最近までお付き合いをする男性もいました。

ただ、スタイルも背格好もよく似た年下の女性に乗り換えられたことがあって。

よく理想男性はいないのだから、育てるんだよって言われても

育てた末に年下の人に持って行かれるのかとか

今はアラフォーとはいえ、少し前までアラサーだったので

仕事をして毎日風呂はい男性くらいなら婚活の場にいるだろうと思って婚活再開したら、

顔も洗ってない歯も磨いてない仕事してないお風呂入ってないみたいな男性ばかりで

さすがに育てるにしても新人バイト仕事教えるのも大変なのに

大人赤ちゃん育てる体力無いな・・・婚活やめたいな・・・と思ってしまいました。

結婚はゴールでは無いことについて

どうしても結婚したいというわけではなくて、でもパートナーはほしいと思っていました。

同性なのもダメではなく、同性と同居って楽しいだろうなと思いますもっと年齢を重ねた時に同性同士で暮らすのもいいと思いました。

ただ、同性だと相手か私に何かあったとき何もしてあげられないんですよね

遺産がどうかとかじゃなく、病院の入退院手続とか葬儀手続とか、

ずっと一緒にいたのに配偶者じゃないか

血縁者の許可がないと何にもしてあげられないし、何も残せないんですよね。

そういう一緒にいたい人がいた時に、

一番強いカードとして婚姻てしておきたいと思いました。

でも、これってそういう友達とか仲間とかパートナーがいた上の結果ですね。

よくよくなんで結婚したいのか改めて考えたらこれなので、

特に今、そういう相手もいないですし、これからも出来ないと思いますので、

一人で終末を迎える準備を続けたいと思います

婚活を休んで趣味をみつけては等について

ありがとうございます大丈夫です。

友人も多いですし、趣味も充実しているので毎日楽しくすごしています

TwitterSNSで繋がって楽しくすることも多いです。

なので十分楽しく過ごせています難易度の高いことに挑戦したりと楽しいです。

でも少しルーチンワーク的になっていたのかもしれません。

ちょっと新しいこと、新しいアプローチなど考えてみます

今はまだ同性同士で婚姻は認められないですし、

同性婚が認められる世の中になっても、

契約婚ともちょっと違う同性の友達婚が許されるのはまだ先だろうな思います

もっと息をしやすい世の中になるといいですよね。

というのは流石に話がずれ過ぎですね。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

2019-03-04

結婚式場運営できてるのが不思議

行楽地にあるとかホテル併設とかじゃなくて地方都市に単体であるつのこと。

葬儀場はわかる。みんな死ぬから

でも結婚式場が使われることが想像できない。

同級生結婚してる中で地元結婚式場を使った人はいない気がする。

ホテルでやる人は多かったがな。

一体どんな連中が使っているのか。外からみたらそれなりに稼働してるはずなんだが。

先日、祖母が亡くなった。

亡くなる直前の祖母は、認知が進んでおり、ぼんやりと過ごす事が多かったらしい。

らしいというのは、私は飛行機距離程離れた地方に住んでおり、帰省も数年していなかった私は最後祖母殆ど知らなかった。

祖母が亡くなったと電話が入った時、私は「あぁ、やはりか」と思い、泣くこともなく、葬儀場も決まってない事からその日は通常通り仕事をした。

祖母葬儀は、祖母が亡くなって2日後に行われた。葬式会場に行く際、年の近い兄と一緒に向かう事になったのだが「誰が泣くと思う?俺は泣かないわ」と兄が言った。私は「父さん涙もろいし、泣くんじゃない?」と返した。

葬式家族葬だった。会場には父と4人の兄弟達が揃った。兄弟達全員が揃ったのは、なんと13年ぶりだった。前に父が「家族全員が揃うのは、誰かの葬式だな」とふざけていたが、本当にそうなってしまった。

葬儀が行われる前に、棺に入れる写真を選ぼうという話になった。祖母は沢山のアルバムを残していたのだ。

家族アルバムを黙々とめくった。アルバムの中には、楽しそうに笑う家族の姿があった。父の高校時代写真兄弟の生まれた時の写真旅行した時の写真祖母の部屋に悪戯をした事がバレた時の写真

祖母写真が大好きだった。よく自分を映してほしいと言った。でも、祖母アルバムに残っていたのは、家族写真ばかりだった。

祖母は早くに旦那、私にとっては祖父を亡くしてから、ずっと一緒に暮らしていた。何年も一緒にいたのに、私は祖母が怒った所を一度も見たことがない。いつも「ごめんね」と「ありがとう」を繰り返す人で、笑顔が可愛らしい人だった。

棺に写真を入れるときに見た祖母は、とても穏やかで美しい顔立ちだった。何故だか生前より若返っているようだった。

お葬式が始まり、お坊さんがお経を唱え時、長女のすすり泣く声が聞こえた。あぁ、長女は泣いたかと思ったら、私の目からも涙がボロボロと零れ落ちて止まらなかった。涙とは無縁の長男も鼻をすすり、泣かないと言っていた兄はぐずぐずに泣いていた。

葬式は穏やかに進行した。火葬され、遺骨が入った包みが父に渡された。父は目を真っ赤にさせ、火葬場の方にお礼を言っていた。父は最後まで泣かなかった。

祖母が亡くなった今になって、私は祖母が大好きだったのだと思い出した。社会人になるまで、腰の曲がった祖母の手を握り、よく駄菓子を買いに行ったのを覚えている。私はずっとお婆ちゃん子だった。

私は祖母が亡くなる1ヶ月前、3年ぶりに祖母とは会っていた。認知が進んだと聞いていたので、私を覚えていないだろうと思ったのに。祖母は私の顔を見て驚いた顔をした。声を出す気力もないのに、手を握り返して。笑わないと聞かされていたのに、にっこりと昔と変わらない笑顔で微笑んでくれた。それが私にとって最後に見た祖母の姿だった。

私たち家族はみんな自由人で、兄弟達も滅多に地元へ集まらない。それでも仕事の合間を縫って一つ返事で13年ぶりに集まり、13年前より穏やかに過ごせたのは、きっと本当にみんな祖母が大好きだったのだろう。

この文章フェイクも含め、仕事理由に、ずっと祖母に会わなかった自分の後悔と、死期が近づいてもなお、孫にとって素敵な祖母であった婆ちゃんへの気持ちを整理する為に書きとめたもの。これを機会に私は転職活動を始めるつもり。

2019-03-03

先日、友人が亡くなった

昔は一緒に朝まで飲んでいたがお互い家庭を持つとぱったり飲む機会がなくなっていた。

それに、仕事の考えも違ってきていて話が合わなかったというのもあるのかもしれない。

環境の違いというのは年をとると否応なく自分も人も変えてしまうのだろう。

それでも尊敬する友人の一人ということに変わりはなく、たまに思い出してはまた飲みに行きたいなと思っていた。

そんな中、ひさしぶりに連絡が来たと思ったら亡くなっただって

あんなに実感がわかない言葉を聞いたのは初めてかもしれない。

理解はしているのが理解したくないのか、嫌悪感というか、焦燥感というかなんとも言えない感覚に襲われた。

その後に胃が悲鳴をあげるような気持ち悪さがこみ上げてきた。

そのストレスに耐えられなかったんだろう。

とりあえず、会社を早退して通夜に向かった。

道中、そんなありえない話があってたまるかと考えていた。

友人の中で真っ先に結婚し、子供もできて家も買って順風満帆だったじゃないか

他に死ぬべき人はいっぱいいるじゃないか。親のスネかじってるアイツやアイツもいるじゃないか

しろ死にたいとよく言っていた自分が死んでないのにあんたが先に死んじまうなんて何がどうなってそうなるんだよ。

おかしいだろ。

葬儀場についたら、友人の写真が飾ってあった。

数年前に一緒に飲んだときに見た笑顔そのままで

ただ、死に顔は少し痩せてたように感じた。仕事に疲れていたのか、無理をしていたのか。

顔を見るとやっぱり実感って湧くものなんだ。本当に死んでしまったんだな。

あらゆるものをこの世に残して。

どう思って死んだんだろう。最後はどう思ったんだろう。もう一度飲みたかったな。奥さん子供どうするんだよ。

めっちゃ悲しんでるぞ。ドッキリでしたーとでもいって起きてこないかな。なんで、あんたがそこにいんだよ。

色んなことがごちゃごちゃと自分の中で浮かんではモヤの中に消えていく。

はじめての友人の死。こんなにつらいものなんだな。

ああ、本当に誰も救われない。あの世あったらいいな現実って辛いですね。

どこにも吐露できないのでここに吐露させてもらいました。ありがとう

2019-02-20

コンビニオーナー現代奴隷制度 本部悪魔

セブンオーナー過労死寸前」で時短営業…「契約解除」「1700万支払い」迫られる

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190219-00009269-bengocom-soci

分かります

親の葬儀の時でも本部は手伝ってくれなかった。

店やりながら、所々抜けて喪主務めました。FCはお通夜にも来なかった。憎しみは未だに拭えない。

早死も過酷な日々のせい。

やめたい。でも莫大な違約金。

私も甘かった。でもこんなアコギなやり方許されるのか。

2019-02-18

普通の人になれなくて自殺未遂した朝


めっっっっっっっっっっちゃ気持ち悪い。

昨日、家にある色んな薬一気飲みしたけど酷い頭痛幻覚嘔吐だけで、はい、生きてます

恐ろしいほどの倦怠感と吐き気を抱えたままきちんと会社に来ています自殺未遂したあとの朝がひっどい二日酔いみたいなんて10年前は知らなかった。

10年前。中学生の頃、一度だけ同性を好きになった。

思えば思春期友情と恋心の錯覚も少しばかりあったと思うのだけど、全く知識の無い自分自分の心と身体性別が違うのではないか、と疑い、学校に行けなくなった。それが全てのきっかけだった。

感覚気持ち悪くて、1年前に最愛の父を病気で亡くしたこともあり、父親の元へ早く行きたくて自殺未遂自傷を何度も繰り返した。毎日人に迷惑をかけ続ける自分がいればいるほど希死念慮は増していくばかりだ。

精神病棟についてきてくれる母の死んだ顔を見つめたり、首を吊ろうとして泣きながら叔母に殴られるたびに「普通の人」になりたかった。

結局地元から逃げ出し、辺鄙田舎町にある高校に進学した。その高校所謂曰く付き”というやつで、社会に馴染めず地元に馴染めずいじめいじめられ死にかけ命からがら逃げてきた16歳にして社会不適合者の奴らの巣窟だった。

そういった不安定クラスメイト達を見て、あの暗黒の中学3年間をなかったことに出来るかもしれない、と思った。

ここは地元じゃない、自分のことは誰も知らない。だから新しい自分を作り上げればいいんだ。

普通じゃない人たちと一緒に生活をすれば(全寮制でした)普通に戻れるかもしれない、と思ったのだ。浅はかな上から目線である

そこから自分はいたって普通で、ちょっと田舎町で暮らしてみたかった皆に平等で弱さにも理解がある、そういうおせっかいで浅くて馬鹿人間を演じた。

朝、最低な気持ちになってすぐ身を投げたくなる気持ちは「朝が弱い」というと「だらしないな」と返ってきた。

無数の手首の傷跡は「猫をたくさん飼ってて」というと同じく猫を飼ってる人間から共感された。案外、どうにでもなった。

そんな人間10年近く演じてきた、その内演じてることを忘れてそれが根本性格だと錯覚してきた。取り繕うだけの10年間だった。きっと絶望的に悲しいことがあったとき自分はまた中学生の時のダメクズで最悪のゴミに戻ってしまう。それは絶対避けたい。だからあらゆる困難から逃げてきた。揉め事になりそうな時は中立立場にいたし、そもそも作ってる人格しか人と接してなかったので自分意見がなかった。八方美人と噂されても、その後に待ち受ける暗闇よりはマシな方に思えた。

ある日、母親の友人が鬱病自殺をした。

葬儀会場で大泣きしている母は「あんたは普通になってよかった」と抱きしめた。ずっと二人で生きてきた、母親が言うのだったら私は普通に戻れたのだろう!母を見事に騙せていた自分は、誇らしかった。

お母さん、だって私、あれから高校の友人の面倒をみて、大学に行って、就職して、友達もたくさんいて、異性の恋人もいる、普通の人だもんね!やったよ~!!!普通の人になれた!!!!!!

はずでしたが、こうやって上手くいってません。なれませんでした。

高校3年生の時、アイドルオタクになったことが 自分精神の均衡を保っていた。その時からアラサー現在までずっと見つめ

ていた俗に言う”推し”を、自分宗教神様の類のように扱っていた。この世のもので唯一本当の自分と対面しているものだった。その推し恋人との写真を撮られたことが、終わりの始まりというやつだった。嫉妬できて癇癪を起したらどれだけ楽だっただろう。そのことより、推しが1年間休むことな批判を浴び続けていたことが、スイッチを押してしまったのだと思う。言い返せば、倍の黒い塊が返ってきた。推し非難言葉を浴びれば浴びるほど、化けの皮はどんどん剥がれ、八方美人は一方にしか向けず、日常生活は送りづらくなってきた。

いくらの子にも本当の自分を見せなければよかった。

数年が経って、メンバー推しファンアンチ全員がそのことを忘れても自分は全く忘れられなかった。例えば誰か芸能人犯罪を犯して捕まって、その批判や援護を遠巻きから見てるだけで発狂しそうだった。こんなアイドル風情のことで勝手精神病んで病院に行くのなんて馬鹿らしくて、そもそも普通じゃないじゃん。となって病院には行かなかった。

それからずっと上手くいってた人間関係もどうやってこなせていたかからなくなり、どうやって電車に乗っていたのかわからなくなり、どうやって生きていたのかもこの歳になってわからなくなって、昨日。

知らぬ間に人のことを迫害していたようで、そんな「知らぬ間に」なんて経験化けの皮を被ってから一度もなくて、自分が黒い塊を送る側になるなんて考えられなくて、どうしよう、人のことを傷つけるなんて、普通じゃない。

ふと前を向くと、推しうちわの前に置いてある薬箱が目に入った。

朝、死ねてなかったことより、やはり私は普通にはなれないことに、どうしよもない絶望を覚えた。

日本酒飲んだ次の日の朝よりキツい。どうやら、親友電話をかけていたようで親友から最後LINEは「でも死ぬのは逃げだよ」だった。

平気に生きたいな~~~~。とりあえず、次の休み病院に行ってみます

普通、じゃなくなりに行きます

2019-02-14

(2/16追記怪我をした野良猫動物病院に連れて行った話

仕事帰りに住宅街を移動していたところ道途中で小学生の子が数人なにかを囲っていた

一体なんだろうなと思って覗いてみると猫がどうやら傷を負って倒れているらしい


成猫で、模様はサビが入っているけど少し明るいか

まるっとしてたから耳カットは入ってなかったけど地域ご飯を貰っていた可能性がある

寒いのか震えていて寒いアスファルトに横たわっていたからその猫に自分ジャンパーをかけてあげた(おかげで毛だらけになったゾ!)

猫は頭に傷があって、周りに血だまりはなかったけれども立ち上がることが出来ないようだった

囲っていた小学生曰く、発見した時は最初はごろんごろんしていたけど、次第に静かになってしまったそうだ

近くに車の出入りが多い建物があったので、おそらくそからの車にやられたのだろう


えっ、こういう時ってどうするの?

動物病院に連れて行くの?動物病院ってクソ高くなかったっけ?俺のような薄給マン自分が連れてったらやばくね?

とかなんとか反芻しながらも、スマホで「野良猫 怪我」で検索してみたところ

「(このケースは)動物病院に行っても請求はされない?」みたいな記事発見

ならばということですぐさまスマホで近くの動物病院検索

うん、なかなか近いじゃない


電話して野良猫を見てもらえるかを確認して状態を報告、なんとか予約が取れたので運ぶことにした

流石に数キロあるだろう怪我猫を手で運んではいけなかったのでタクシーを呼ぶ

近くの量販店から急遽貰った段ボール箱を組み立てて横になってる猫をスライドさせてなんとか運べるようにした

猫は、怪我疲労で反抗する体力もそんなにないようだった


大通りの横に入ったところが発見現場だったので、やむをえず小学生タクシーを呼んできて貰うことにした

「猫を載せても大丈夫か聞いてね」と言ったから、こりゃ時間かかるだろーなと思ったら1分も経たないうちにタクシーを捕まえてきた

最近小学生凄い

後でタクシー運転手によく止まりましたねって聞いたら

小学生尋常じゃないくらアピールしてて止まらざるを得なかった」とのこと

わろす


タクシーでワンメーター程で、動物病院に着いた

病院について以上の顛末を報告、獣医さんが猫の状態一瞥する

「この状態では助からないことが多いが、預かって診ることは出来ます」とのことで

預かって貰うことに

名前住所電話番号などを伝えるだけで請求はされなかった


ちなみに猫の名前はニャンゴロー(その場の小学生適当に付けた)となった


「もし助かったらどうするか(保護するか」みたいな話も受けたが、

正直に自分は飼うことは出来ないけれど知人に猫保護に熱い人がいるからその人に頼ろうと思った

からこの猫が結果的にどうなっても連絡下さい、と言いその日は放免

結果自分が払ったのは運搬したタクシー代のみだった


後々調べたら基本的動物病院自由診療から野良生物診療を拒むことも当然あり

今回は野良猫に対して好意的動物病院が近くにあったのが良かった

また当然だけど、連れて行った人間が支払いをしなくてはならない事もあるという

ただしこのケース(野良猫怪我しているのを発見した第三者動物病院に連れて行く)は保健所にも病院から連絡がいくようで

その場合動物病院保健所の1次対応のような役割も担うことになるようで

それは恥ずかしながら初めて知りました


道端で傷ついた生き物を保護(助ける)することは誰かがしなくてはならないことだと思ってて

今回診てくれている動物病院にも本当に感謝したいと思う

個人的には、地域の子供に大人のかっちょいい姿も見せることが出来た

特にからの恩返しは期待しているわけでもないけれど


まぁ

良かったのかな

ということでニャンゴロー(仮)頑張れよ




2/16追記

追記するかどうか迷ったのですが書きます


先程動物病院から電話があり

本日の午前9時頃、ニャンゴロー(仮)は天国に旅立ちました

眠るように亡くなったとのことです


発見した際スマホ検索して”このケースは高額診療費が掛かる”という記事しか出てこなくても

きっとなにか違う理由を見つけて動物病院に連れて行ったと思います

自分にとって、病院に連れていく理由がなにか欲しかったんだなって

見て見ぬ振りをして立ち去る選択肢はありませんでした


亡くなった報告を受けた時に、獣医さんから簡易的な葬儀もこっちでしますと言われ非常に申し訳ない気持ちになり、

今回病院に連れて行ったのは自分だし、請求についても(そもそも連れて行く時に覚悟はしていたし)聞いてみたところ

大丈夫です”とのこと

ただし続けて”(この病院野良猫を診たということは)周りに言わないで下さいね”と強めに言われました


本当にかっこいいのは獣医さんでした



治療費原則仕事を依頼した人(動物を持ち込んだ人)が負担するものなので、ボランティアをしてくれる先生がいたとしても「野良猫はタダ」と誤解してはいけない。/医師応召義務で依頼者の支払義務は消えません


今後、自分と同じように怪我した野良猫動物病院に連れていくかどうしようかと考える人

しかたらこ記事にたどり着くかもしれないので

このブコメ拝借して最後に残しておきます

2019-02-11

父の葬儀に来た叔母の言葉が忘れられない

人間って不思議だよね。昨日までいたのにいなくなっちゃうんだよ」

本当に不思議だよなあ。

2019-02-08

anond:20190208105948

近代の話。

棺桶を閉める直前、棺桶に紙に金額を書いて入れろと言われて、

孫たちが「幾らでもいーの?」と言いだした。

そこで、「幾らでもいーよ」と言ったところ、孫たちは3億円とか書いたらしい。

葬儀が終わったその夜、皆が寝静まった頃ババアの霊が出てきて、

「あまりにもお金が沢山あって、一人じゃ持ってけないから誰か手伝ってくれ」と。

それ以来、六文銭六文銭として、余計な事はするなという教えが伝わったらしい。

anond:20190207004137

児童相談所 拉致 静岡市」などと検索すれば、当事者(親)が発信する記事を閲覧することができる。Twitter実名発信すら行っている。

彼らの主張と、裁判所認定事実とを対比しながら読めば、恐ろしさが伝わってくると思われる。

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損害賠償請求事件

東京地方裁判所平成21年(ワ)第25349号

平成25年8月29日民事第44部判決

口頭弁論終結日 平成25年4月25日

       判   決

(第1,第2 省略)

第3 争点に対する判断

1 認定事実

 前提事実に加え,後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

(1)本件小学校入学前後の経緯

ア 原告Q1は,原告Q2及びQ9との同居を始めた平成19年2月頃,Q9が時間を守らないこと,嘘をつくことを矯正させる必要があると考えて,原告Q2との間でQ9へのしつけの方法について話合い,その結果として,原告らは,Q9が小学校入学した同年4月頃から,Q9が上記の点について原告らの口頭での指導を守らなかった場合には体罰を与えることとした。

 原告らの体罰は,当初は頭を軽く叩く程度であり,その後顔を平手打ちするようになり,同年6月頃からは,Q9に木製の子ども用バットを持ってこさせて,臀部をバットで叩くことなどがあった。

(甲4,75,原告Q1本人)

イ(ア)Q9の所属するクラス担任であるQ12教諭は,平成19年4月頃,Q9の顔に痣があったこから,その痣について聞いたところ,Q9は,タンスの角にぶつけたと述べた。Q12教諭は,その後,Q9の顔の別の位置に痣があることを発見した。

 Q12教諭は,同年5月下旬頃,Q9が忘れ物をして登校してきたため,どうしたら忘れ物をしないようにできるか尋ねたところ,Q9は泣き出して,自分学校の支度をしていることのほか,原告Q1は殴るので恐いこと,原告Q2はQ9を守ってくれなくなり,原告Q1と一緒に怒ってばかりいるが,以前はそうではなかったことなどを述べた。そこで,Q12教諭は,Q9に対し,先生はいつも君の味方であり,先生が守ってあげるなどと述べた。

 原告らは,同月31日,本件小学校担任教諭保護者との間での連絡帳に,Q9から先生が守ってあげるという発言があったと聞いたが,その発言真意確認を求める旨の記載をした。

(イ)本件小学校のQ13教頭は,同年6月5日,原告ら宅を訪れ,原告らと面談した。その際,Q13教頭は,虐待の疑いがある場合についても適切な対応をとる必要がある旨述べ,原告らは,今までQ9はしつけを行われずに育ってきており,Q9を良くするのは今しかないこと,しつけの方針として,悪いことをしたら殴ること,虐待を疑っていることは理解していることなどを述べ,Q12教諭上記(ア)の発言について,Q12教諭からの直接の謝罪要求した。これを受け,Q13教頭は,一旦本件小学校に戻り,Q12教諭と共に再度原告ら宅を訪れ,Q12教諭上記(ア)の発言について,誤解を招く発言であったとして謝罪した。

 Q9は,同日以降,Q12教諭に対し,先生が来てくれてから殴られなくなったと述べた。

(ウ)Q9は,同年6月29日,右大腿部,右肩に赤色の跡があり,Q12教諭が,Q9がプールに入る際にその跡について聞いたところ,Q9は,原告Q2から叩かれたと述べた。

 また,Q9は,同年7月2日,右目の下部に痣があり,Q12教諭からその痣について聞かれたところ,原告Q2に殴られたと述べたが,Q13教頭からその痣について聞かれた際には,Q9は転んで怪我をしたと述べた。そこで,同日,Q13教頭原告ら宅に架電したところ,原告Q2は,Q9が2日続けて許せない嘘をついたこから原告Q2が殴った,私も人間から感情的になると述べた。

 原告Q1は,同月3日,本件小学校架電し,Q13教頭に対し,原告らは冷静にQ9をしかっていること,同じ状況であれば原告Q1であっても殴っているはずであり,原告Q2も同じ方針であることなどを述べた。これに対し,Q13教頭は,殴らないで育てることをまず考えるべきであるなどと述べた。

(エ)Q12教諭は,同月4日,原告から,本件小学校教育方針等についての意見記載された手紙が送付されたため,同日午後3時頃,原告ら宅を訪問した。その際,原告ら及びQ12教諭居間にいて会話をしていたところ,原告Q2は,一旦居間を離れてQ9の部屋に行き,Q9を叩き,居間に戻ってきた際に,「今私,Q9のこと,叩きましたから,守って下さい。叩きました。嘘ついたから。」などと述べた。

 その後,本件小学校のQ14校長教務主任及び生徒指導主任原告ら宅を訪れ,原告Q1から学校で行う教育と家庭で行う教育区別をしたガイドラインを示してほしいという要望があったため,Q14校長ガイドラインを示す旨述べて,同日午後8時30分頃にQ14校長らは原告ら宅を離れた。

(甲11,17,18,乙ろ2の12,乙ろ15,証人Q13)

(2)本件一時保護に関する経緯

ア Q14校長は,同月6日,静岡市教育委員会に対し,前記(1)イの経緯を報告した。静岡市教育委員会は,同月10日,静岡市α区の要保護児童対策地域協議会児童福祉法25条の2参照)の定例実務者会議において,Q9を要保護児童として提示し,Q13教頭が前記(1)イの経緯をまとめた報告書(乙ろ2の12の1ないし6丁)を提出した。上記会議に出席した静岡市児童相談所の所員は,同日,本件小学校に対し,Q9は保護を要する児童であるため,今後Q9に痣等があった場合には児童相談所に通告するように指示した。

イ Q9は,同月13日の登校の際,左顎及び左目下部に痣があり,Q14校長がその痣について聞いたところ,Q9は,嘘をついたことを原告Q1に怒られて殴られたと述べた。そこで,同日「Q14校長は,静岡市児童相談所架電してQ9について通告した。また,同日のプールの授業の際,Q9の大腿部及び背中に痣があることが確認された。

 静岡市児童相談所は,同日,上記通告を受け,子ども虐待対応の手引き(平成19年1月23日付け雇児総発第0123003号厚生労働省雇用均等・児童家庭局総務課長通知。乙ろ2の10)及び静岡県中央児童相談所作成家族支援ガイドブック(乙ろ2の11)に基づき,上記アの会議に参加していた所員等による緊急受理会議を開催し,Q9に行うべき支援及び援助の内容を判断するための虐待処遇アセスメント指標(乙ろ2の6)で判定をしたところ,虐待の程度は,5段階の上から2番目(打撲,広範囲の軽外傷等)であり,調査格付は,生命を脅かす(又は高い可能性がある。)状態として,直ちに立入調査を行うこととなる「R-1」と判定された。また,静岡市児童相談所のQ15主任主事ケースワーカー)等の所員3名が,本件小学校に立入調査をして,Q9の顔から足にかけて痣があることを確認し,Q9に聞き取りをしたところ,Q9は,原告からは,Q9が時間を守らないという理由毎日殴られること,原告Q2の方が多く殴ること,原告Q1からおもちゃバットでいろいろなところを殴られ,原告Q1から殴られた際に血が出たことがあることなどを述べた。静岡市児童相談所は,上記立入調査をした所員からの報告を受け,上記虐待処遇アセスメント指標及び所員の合議に基づき判定をしたところ,Q9の支援・援助格付は,直ちに一時保護必要となる「AA」と判定された。

 静岡市児童相談所長は,Q9に痣があり,Q9も原告から殴られていることを認めたこと,本件小学校から家庭訪問をした後も原告から虐待継続していることが確認できたことに基づき,Q9を一時保護し(本件一時保護),その後に原告ら宅に架電し,原告らに対して本件一時保護したことを告げた。

 Q9は,同日,静岡市静岡病院のQ16医師の診断を受けたが,同医師作成診断書には,「全身に打撲によると思われる皮下出血を認める」として,〔1〕両下眼瞼,〔2〕左顎部,〔3〕右肩甲骨上,〔4〕左大腿背側,〔5〕右下腿膝下部前面及び〔6〕両殿部について,「いずれも鈍器,または靴による打撲跡と考えられる」,「上記外傷について全治一週間と診断する」との記載がある。

 静岡市児童相談所は,同日,静岡県中央児童相談所の一時保護施設にQ9の一時保護委託した。

(甲11,乙ろ2の4ないし6・12,乙ろ15,16,乙は3の1・2,証人Q17,証人Q13)

(3)本件一時保護開始後の経緯

ア 原告らと静岡市児童相談所は,本件一時保護が開始された平成19年7月13日以降,電話等でやり取りをしたが,次のとおり,原告らは,Q9に対する体罰虐待ではなく,親である原告らの意思無視して本件一時保護継続することは不当であるとの意見を繰り返し述べた。

 原告Q1は,同月20日,静岡市児童相談所のQ15主任主事との電話で,虐待はしていない旨述べ,暴行肯定されると考えているかとの質問に対して「ええ,肯定されますよ。当たり前じゃないですか」「一時的感情だとかそんなことで虐待を繰り返してきているわけじゃないんだ」,「責任ある体罰っていうのだってあるんだ」などと述べ,静岡市児童相談所のQ18統括主幹との電話で,同月27日,「Q9をおたくらに任せますけど,やつが20歳ぐらいになったときにまともな,私らが考えているような大人になってなかったら,抹殺しますんで。おたくらも含めてよ。」,同月30日,「子どもがこう,おれらの考えてたとおりに教育できなくなったときに,おまえらどういう責任とる。とらなかったときは,おまえ,リンチしてもいいか」,同年8月1日,「根本からお前らの育て方とか教育論が間違ってるのに,何で間違ってる奴らと俺らが話し合わなきゃいけないんだよ。」などと述べた。また,原告Q2は,同年7月23日,Q18統括主幹との電話で,「私達は少なくとも体罰体罰だって考えてるんですね。私の思う虐待と言うのは自分憂さ晴らしですね。」,「体罰っていうのは暴力とは違う」などと述べた。

 静岡市児童相談所のQ19主任主事心理士)及びQ15主任主事は,同月20日から同年8月31日まで,一時保護施設を訪れてQ9と面談,行動観察,心理テスト等を行った。Q9は,同月8日以降の面接で,原告らと会いたくなく,施設から帰りたくない旨訴えた。Q19主任主事は,Q9について,同年9月20日開催の静岡市健康福祉審議会児童福祉専門分科会児童処遇審査部会に「現段階では,本児の家庭に対する拒否感が強く,両親と距離を置き,守られた環境下で,本児の話に耳を傾け,個別には母性的で受容的な対応が望まれる。」,「これまでの養育環境により本児の情緒面での成長が阻害されてきた結果が示されており,今後,両親の養育態度に改善が望めないようであれば,家庭との分離はやむを得ず,児童養護施設への入所が適当であると考える。」との心理診断の結果を提出した。同部会では,Q9の入所措置承認を求める申立てを行うことに異議は出なかった。

 静岡市児童相談所のQ20所長は,上記原告らの発言心理診断の結果及び上記部会の結果を踏まえ,原告らによる暴力継続される可能性が高く,Q9も帰宅拒否していることから児童養護施設への入所が適当であるとして,同年9月25日,入所措置承認を求める申立て(本件申立て)をした。

(甲11,14,乙ろ7の1ないし7)

イ 原告らは,同年9月28日,静岡市児童相談所を訪れ,Q20所長,Q17参事平成20年4月1日に静岡市児童相談所長となった。以下「Q17」という。)等の所員と面談した。この面談の際,Q20所長らは,本件一時保護の経緯や,Q9については児童虐待防止法2条1号所定の暴行が行われたもの判断していると説明したが,原告らは,「体罰虐待はこれ別物ですから」,「しつけの段階で,あざができるほどたたかなきゃいけなかった」などと述べてQ9の返還を求め,静岡市児童相談所はこれに応じなかった。

(甲9,10,乙ろ7の10)

ウ Q20所長ら及び原告Q1は,本件承認審判及び本件勧告がされた後である平成19年12月21日,静岡市児童相談所面談した。原告Q1は,本件承認審判の「二度と虐待に該当するような体罰をさせない」という文言から虐待に及ばない体罰については容認されたもの解釈している,体罰主体にしない努力はするが,目的によっては必要なこともあるなどと述べたのに対し,Q20所長は,しつけ自体否定するわけではないが,体罰を伴うしつけは子ども心理的な影響があり好ましくない,本件勧告を受けて,静岡市児童相談所から原告らに対する指導方法について年明けに提案する旨述べた。また,原告Q1が,原告らがQ9の通学している安西小学校に面会等を申入れることは問題となるか確認したのに対し,Q20所長は,今の状態だと問題となる旨述べた。

 静岡市児童相談所は,平成20年1月頃,上記提案として,Q9と原告らの家族統合に向けた「ご両親への支援プログラム」(以下「支援プログラム」という。)を作成した。支援プログラムでは,〔1〕目標は,「Q9君が安心して生活できるような家庭づくり。」であり,〔2〕方法として,原告らが静岡市児童相談所を訪れ、概ね1か月に1回2時間程度を目安に面接実施し,面接以外にも課題の提出をお願いすることがあること,〔3〕2月から3月頃にQ9の気持ち確認し,写真ビデオレターなどを通した親子交流を始めること,〔4〕Q9が原告らに会いたいという気持ち確認し,5月から6月に児童相談所内で原告らとQ9との面会を実施し,6月から7月初旬に親子での外出を実施すること,〔5〕面会・外出時の親子の様子,Q9からの外泊希望確認し,児童相談所所員による家庭訪問実施した後,7月初めに家庭への外泊を開始すること,〔6〕外泊が繰り返される中で,良好な親子関係が認められ,引取り後の支援のあり方について共通理解が得られれば,家庭引取りとなることが記載されている。

 Q20所長ら及び原告Q1は,同年1月11日,静岡市児童相談所面談した。静岡市児童相談所のQ21心理士支援プログラムについて説明するなどしたところ,原告Q1は,支援プログラムは本件勧告無視したものである原告らは体罰をしているのであって虐待暴力ではない,一時保護自体間違っている,おれは日常生活の中で普通にやっていく中で必要であれば絶対体罰は使う,まずはQ9を帰してもらいたいなどと述べた。そこで,Q20所長は,再度提案をする旨述べた。 

 Q20所長ら及び原告Q1は,同月24日,静岡市児童相談所面談した。Q17が,本件勧告に基づいてQ9を帰宅させるためには,虐待に該当するような体罰はしないことが条件になる旨述べたところ,原告Q1は,裁判所原告らが虐待をしていないと認めており,Q9をすぐに返してもらった上で静岡市児童相談所による指導を受けるというのが原告らとして譲歩案の全てである静岡市児童相談所原告らの意見を聞かずに一方的な主張をしているなどと述べた。

(甲9,10,乙ろ5の2,乙ろ7の11・12)

エ Q9は,平成19年12月31日,静岡ホームで転倒して頭を打ち,CT検査をしたが,脳に異常は認められず,頭部挫傷と診断された。

 静岡市児童相談所は,原告らに対し,上記転倒事故を通知せず,原告らは,平成20年3月7日に静岡市個人情報保護条例に基づき開示を受けた文書により,上記転倒事故の発生を認識した。

(乙ろ1)

オ 原告Q2は,同年2月1日,静岡市児童相談所に対し,Q9の毎日の詳しい言動や様子を報告しない理由等の回答を求める質問状を送付した。また,原告らは,同月8日,静岡市児童相談所を訪れ,本件抗告棄却決定に対して特別抗告申し立てた旨伝えるとともに,親権行使するとして,Q9の毎日の一時保護施設及び小学校での言動を報告することを求めた。さらに,原告Q1は,一時保護期間の7か月でQ9の身長が2.4センチメートル体重が1キログラムしか増えていないという理由で,Q9への精神安定剤等の投与を疑

2019-02-02

葬儀が嫌すぎる

葬儀が嫌すぎる。

ただでさえ近しい人が居なくなって悲しいのに、つまらないイベントにまで出ろというのは泣きっ面に蜂である

親戚に会うだけでも嫌だし、あの陰鬱な状況にいないといけないのはただ気が滅入る。

親の遺言には遺産よりなにより葬儀をするなと書いてほしい。

しろ社会全体でオプトイン制にしてほしい。

本人の希望が無い限りセレモニーは無しで死体の処理だけを行う。

葬儀屋と坊主ロビー活動に対抗せねばならない。

2019-01-30

葬儀場で火災けが人なし 800平方メートルを全焼 大阪羽曳野

死者いなかったのか残念

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