はてなキーワード: いつまでもとは
終わりの予感を感じさせる曲が好きだ
その曲が始まった途端、そして聞いている間、それまでの幸福な時間が終わり、ああこの時間も終わってしまうんだという著しい郷愁、切なさと、この時間は二度と帰って来ないんだと感じさせる曲が好きだ。わかってもらえるだろうか?おすすめを教えて欲しい。それをもだえ聴きながら今週末を過ごしたい
例として以下をあげる
Prince / PurpleRain
終わりを感じさせ方としては完璧。特に3分45秒前後の歌が終わった後のギターソロ以降。世紀の名盤が終わってしまうという感じと、演者側がとにかくたたみにかかっている感がたまらない。
Stone Roses / I am the resurrection
これも名盤のラストを飾る曲でPurpleRainに類似。私は復活するという歌詞とも相まって強く終わりを感じさせ素晴らしい。特に3分40秒前後のギターソロから始まる怒涛で至福なセッションタイムがいつまでも終わって欲しくないけど、確実に来る終局を感じさせて、身悶える
ナンバーガール/ OMOIDE IN MY HEAD (サッポロOMOIDE IN MY HEAD 状態)
絶頂期を迎えたバンドの突然の解散、ラストライブのほぼ最後を飾り、歌詞、演奏ともにバンドを象徴する曲。
観客のああ終わってしまうんだという感じと、この時間が最高潮という空気がパッケージされており素晴らしい
初期スタジオ版のスカスカなアレンジから、最後の鈍器と刃物で殴られるような凶暴なアレンジの違いにも成長と歴史を感じさせ郷愁を感じる
フィッシュマンズ/Long Season (98.12.28 男たちの別れ)
これもバンド絶頂期からの終わりを感じさせる曲。上記と違うのは、ただのバンド解散だけでなく、その後の復元できない完全な喪失を知ってしまっている点で、ただただ切なさを感じさせ、たまらない
何たって『あなたのいない世界には、あたしもいない』である。aikoにこんなこと言われるなんて、aikoに情念で呪い殺されているようなものである。最高じゃないですか。地獄の責苦と天国の祝福を同時に味わえるような曲でたまらない。
cocco/焼け野が原
何たって『だから抱いて だから抱いて この体に残るように強い力で』である。ああ、とてもたちが悪い。aikoとどっちがたちが悪いんだろうか。わたしはaikoだと思います。活動停止の前の最後の曲という印象も強い。
補足 下記も終わりを感じさせ素晴らしいが、上記カテゴリに当てはまらない曲
エヴァ最終章と素晴らしいマッチを見せ、終わりを感じさせるが、映画のラストと相まって終わりの先にリスタート/新しい物語を感じさせるので違う
Monty Python / Always Look on the Bright Side of Life
これも映画ライフオブブライアンの最後、白眉となる場面で流れ終わりを感じさせるが、人生讃歌により過ぎていてちょっと違う
Vera Lynn / We will meet again
映画博士の異常な愛情のラストを飾る曲。終わりを感じさせ素晴らしいが、映画での使われかたが、ユーモアにより過ぎているのでちょっと違う
ただのストレス発散だしね、アニメの場合はアニメで終わりだけど現実の場合は裁判沙汰だもの
黙って引いたらいつまでも正義面するんだから、途中で「お前、それ以上それについて過激に言及したら罰金な」ってしないと勧善懲悪の陶酔でキマりすぎてる連中にはわかんないよ
多分どっかの掲示板で「お客様の以上の書き込みは特定個人への攻撃的な書き込みと見做されました、続きが書き込みたい場合は課金してください」とでも書けば金かかる分冷静になるんじゃ無いかしら
ファーストガンダムもアムロと対になる女性がフラウ・ボウからセイラ・マスに変わる話なんだよね
子供の頃にテレビも劇場版も観ていたはずなのに、このへんのことをまったく理解できていなかったみたいで、
成人近くになって改めて観たとき、あー、そうだったのかー、そういう話だったのかー、と感心したりした
酷いネーミングだなあとずっと思ってたのだけど、劇場版だけなんだろうか、
最近もガンチャンでファーストの二作目と三作目は観てしまったのだけど、
フラウはもう自分がニュータイプとして覚醒したアムロと不釣り合いなことを自覚していて、
アムロよりハヤトとの会話を楽しむようになっていることをカイが皮肉を言ってゲラゲラ嘲笑し、
台詞で明確に、アムロにはセイラさんがいるでしょ?みたいなのがあったんだったかな…、
どんどんアムロに置いて行かれてる感じがするみたいな台詞があったと思う
アムロ・レイという少年、青年が大人になる、自立する、父殺し、母殺しがファーストのテーマの一つだったはずなのだけど、
成長と共に付き合うべき異性も変わる、という話を含んだガンダムってやっぱりスゴかったんだと思う
というか、庵野氏は学生時代に女性に「ガンダムって知ってる?」みたいにいきなり話しかけたんだったか、
しかしながら、庵野氏は不思議とあんまりガンダムについて語らないんだよなあ
宇宙戦艦ヤマト、ウルトラマン、仮面ライダー、富野作品はイデオン、
オタクの教養として当然ガンダムは観ているはずではあるのだけど、あんまり語ってるのを知らない
なんとなく思ってたのだけど、意外と内心では一番ファーストガンダムをライバル視しているのではないか、
観客に感謝を述べられる最後の機会になるかもしれないから、みたいに思ったとかで、
その席でたしかロボットアニメとして、とかガンダムの名前がちょっと出てきた覚えがあるのだけど、
エヴァはガンダムと全然違うようなストーリーではあるのだけど、
意外と内心では対ガンダムというか、俺ならガンダムはこうやるのにな、みたいな話だったりして、
とずっと前から思ってたのだけど、意外とそうだったりするのだろうか
つまり、マリはセイラの役割、アスカがフラウになってしまうわけだけど、
ドイツ人女性の記事でも、アスカが可哀想と書いていたけど、こうなるともっと可愛そうではある
でも、セイラって自立した女性って感じだし、アムロと籍を入れるという感じではないし、
実際にそうでないのはZガンダムを観ても明らかなわけで、
まあでも、オリジナルのアスカは旧劇で惨めに死んだのかもしれないし、
当然、フィクションでシンジが主人公なのだから、物語上主人公が優先されるのは当然であって、
シンジはアムロみたいに覚醒するより、いつまでもグチグチしているタイプではあるわけだけど、
みたいな異性関係の変遷は現実でもあながち間違ってない気がする
なんにせよ、庵野氏がなのか、エヴァは最初から最後まで非常に屈折した話だったので、
多分、今回の映画がそのぐにゃぐにゃになった身体を徹底的に矯正してしまうのだろうけど、
何分屈折しているので、ラストでアスカと結ばれて、おめでとう!なんてやるかバーカ!
みたいに庵野氏は内心思っていただろうと思われるので、
あんなことになって、あー、やっちゃったー、な感じになってしまったわけだけど、
でも、新劇でCGを全面採用するだけでなく、何か仕掛けてくるんだろうなあとは思っていた
エヴァは終わらせる、今度こそ終わらせる、という信念で作っていたと思われるので、
しかしながら、アスカは旧劇でもう役目を終えてしまっているので、誰か別のキャラがいいなあ、
と自分だったら考えると思う
考えると思うが、うん、言われてみれば新キャラってマリしかいないわけだけど、
観客から見れば本当に泥棒猫とでもいうか、高速道路の合流で強引に入ってこられたような、
ではあるが、いきあたりばったりであれ、物語の進行上、
今度こそアスカの役割を担う、アスカとは別の新キャラを登場させたい
だから、多分新劇ではなく、もう一度テレビシリーズのエヴァをやるとすれば、
マリの存在感をちゃんと表現できたのかもしれないけど、映画数本でやるとなるとああなるわな…
あと、安野モヨコ氏がモデルかはともかく、庵野氏が老いたというか、
みたいに思ったのか知らんけど、まあ、そんな感じでアスカを外したかったんだろうなあと
だから、俺妹と違って、シンエヴァは終わらせるための物語なので、
続編を作るとしたらシンジも中年になって離婚を考えるようになったりした矢先、
そこから不倫に発展して、ある日マリに目撃されて修羅場になり、
でも、中年になってもボクだって男性なんだし、幸せを探す権利だってあるよね、
みたいな開き直りを言い出したりすることになるわけで、
こういうのを、現実から逃げてない、と仰っているようにも思えたのだけど、
庵野氏に言いたいのは、
うん、そうなんだけど、そうなんだけどさ…、
それでも現実逃避の場所としてのフィクションも忘れないでね、とかえって思ってしまうのでした
でも、銃とかメカとか兵器の描写にはリアリティを求めるのに、物語内の男女関係にリアリティを求めないのはおかしいよね!
とか言われると、自分もぐうの音も出ないのでした
あ、ずっと出掛かっていた表現が出た
51歳の芸能人男性が18歳年下の美人の一般人女性にプロポーズするときのプロポーズがそうだった
新婚のときは美人の奥さんは幸せそうだったけど蓋をあけてみれば旦那さんは奥さんのことを全然大切にしてなくてモノとして扱ってた
「いつまでも美人でいてください」って言ったくせに奥さんの美容費を奥さんの貯金から払わせてて、やっべえなって思った
顔面で選んで結婚したくせに、その気に入った顔面のメンテナンス費用払わないとは
プロポーズの言葉は今はSNSがあるから一般人でも「○○って言われちゃった♥️」って気軽に世間に公言してるよ
金持ち男性が奥さんのことをモノとして扱ってたとしても奥さんが旦那さんのお金を自由に使えるなら、割りきって生活していけるけど、お金も必要最低限しか渡さないなら、金持ち男性と結婚したメリットないよね
普通はそこで想像するなら子供時代の自分(子供)じゃなくて子供時代の親だろ
大抵の人はそんなの分かり切った上で結婚してると思うけど…
ってか
言いふらしてるとしたらその時点でやばいやつだし
有名人ならプロポーズの言葉を会見で聞かれるから他人にも知れ渡るけど(といっても会見で言ってる事も全部「そういう設定」ってだけだろうけど)
金持ち男性はかわいい女の子を人間ではなくお金で買った「モノ」として見て、結婚することがある。
だから、綺麗な女性が金持ちの男性と結婚するときは要注意なんよ
でも、結婚するまえは金持ち男性は美女に尽くすから、美女は自分が「モノ」として見られていることはわからんのよ
プロポーズの言葉が「ぼくのとなりでいつまでも美人でいてください」で結婚した女性がひどいめにあっているのを見て思った
女性の方は自分の顔面を男性に誉められて「フフン😏」って思うだろうけど
男性は本当にあなたの顔と結婚したのであって、あなたの意思なんかどうでもよくて、あなたのことを顔がよいセックスできるペットくらいに思ってるんよ
コロナという非常事態に国のリーダーが向き合い、東京五輪への不参加を決断した北朝鮮が本当に羨ましい。
出場目指して頑張ってきた選手もいただろうが、背に腹はかえられない。
たくさんの名馬のレースを見てきて、ディープインパクトの勝ち方なんて興奮を抑えきれないけど、でもふとした時に思い出すのはライスシャワーが2着だったダービーと勝った菊花賞だ。
ハイスピードな加速や切れ味こそ無くても、ゆっくりじっくりとどこまでも伸び続ける黒い脚。
僕は学生達に言った。就職活動は数ヶ月の長い長距離レースだ。就職活動ではつらいことも不安なこともあるかもしれない。
でも、その中で一瞬だけ頑張るんじゃなくて、ゆっくりで良いから就職活動が終わる日まで、我慢強くジリジリと伸び続ける脚を使うことが大事だ。君らも、ライスシャワーになりなさい、と。
実際、当時競馬好きの就活生にはライスシャワーはめちゃくちゃ人気があったらしい
ライスシャワーを担当していた川島厩務員は「俺の息子が!」と叫びながらライスシャワーの元に駆けつけ、ライスシャワーの馬具を胸にかかえいつまでも泣き続けた。
落馬後、的場自身も全身を強打し重傷だったが、這いずるように亡骸に駆け寄った。「僕の体の痛みは時間が解決してくれるが、ライスはもう戻ってこない」。的場は、自分の代わりに散ったライスシャワーへの敬意なのか、負傷したにも関わらず一度も「痛い」と言わなかったそうだ。今でも的場はライスシャワーの話をすると大泣きすると言う。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm25179030
空の馬房をでかでかと映して、ライス無念みたいな感じでライスには同情的なのだが、出走を決めた厩舎や騎手に対してはかなり辛辣なコメントを書いていた。
昔も今も、競馬関係の記者はやたらと誠実な人とやたらとゲスな人と両極端になっているそうであり、競馬関係者が報道被害にあうケースが今でもかなり後を絶たないそうだ。
ウマ娘の盛り上がりはこうした風潮になにか変化をもたらしたりするのだろうか
こういうランキング企画は海外だとよくある。日本でもあることはあるが大体クソみたいなリストになる。選者が俗物根性を発揮して音楽マニアぶりをアピールしようとしてはっぴいえんどやシュガーベイブやフリッパーズ・ギターをこする一方でB'zやミスチルや若い女性ソロアーティストたちの打ち立てた「売り上げ」を無視するからだ。あのな、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドは売れっ子だらけのランキングにひとつだけぽつんと入ってるから面白いんだよ。売れてないのがランキングにボコボコ入ってたら面白くもなんともねーの。
ところが売り上げだけを見てランキングをつけようとすると(日本においては)これはこれで大問題が発生する。
日本人というのはそもそもが音楽センスの乏しい国民なので、下手くそが歌った曲が平気でミリオン売れる。「どう歌っているか」より「だれが歌っているか」つまり顔面とキャラクターが重視されるわけで、このゴミみたいな国民性をだれよりも理解し意図的に活用して荒稼ぎしてきたのがジャニー喜多川・秋元康・小室哲哉の日本音楽史三英傑(俺命名)だ。三英傑によってもたらされた泰平の世は黒船が何度襲来してもいっこうに終わらず、2020年代に突入した今も続いている。
だから、まともなランキングを作成しようとしたら、売り上げという観点から俯瞰しつつ顔面とキャラクターだけで売れている下手くそを注意深く取り除かなければいけない。
事前に予想していたよりは難しい作業じゃなかった。なんといっても日本の音楽界は狭いし歴史もクソほど短い。20枚というかなり少なめな枚数で抑えたのも(普通こういう企画は50とか100とか挙げるものだ)狭く短い日本音楽史はだいたいそのくらいで網羅できてしまうからだ。
日本限定アルバムランキングの決定版だと、はてなの片隅ながら胸を張って言える。
彼らの功績はなんといっても、「陰キャでもモノが良ければ表舞台に立てる」と世の陰キャたちに知らしめてしまったことだ。これで何十万人の陰キャが勘違いして人生を狂わせたことか。もちろんその中の何十人かは実際にモノが良くて表舞台に立ったことだろう。俺個人の好みとしてはユグドラシル以降の3枚くらいまでの方が好きだが、歴史的影響力を考えればやはりjupiter一択。
売り上げを無視しないんじゃなかったのかと怒りの声が聞こえてきそうなチョイスだが、ユーミンは活躍の息が長すぎて最高傑作の1枚なんて決められない。だから「ユーミンという才能が世に現出した1枚」として2ndを選出した。1stじゃないのは純粋にクォリティが2ndで飛躍的に上がっているから。
それにしてもこの松任谷由美というアーティストは一体なんなのか。ここまで売れ、ここまで傑出していながら、直接的な影響を及ぼした相手も、いわゆる後継者も、まるで見当たらない。日本の音楽史にはこういう進化の袋小路的なビッグネームがしばしば現れるのだが、その中でも極めつけの代表的存在であり、ランキングに入れないわけにはいかなかった。
二連続で売り上げ無視と石を投げられそうなチョイスだが、山下達郎もまた活躍の息が長すぎて(以下略)。好みで決めたというよりは、山下達郎自身がマイベストを1枚選ぶとしたら?と想像したら多分これになるんじゃないかと思って選出した。
こういうランキングでは大瀧詠一のロンバケが必ずといっていいほど入ってくるのだが、俺に言わせれば大瀧詠一の日本音楽史における影響力なんて山下達郎に比べるべくもなく(とか書くと山下達郎本人がだれより激怒しそうだが)、山下達郎をランキングに入れておけば一緒に言及したも同然だ。
日本のビートルズ、と呼ばれたバンドはこれまでにもうじゃうじゃあった。サザンもミスチルもユニコーンもみんな呼ばれていた。しかし、アイドルとしての熱狂的人気を獲得して社会現象を巻き起こしファッションにまで影響を与えたという点をも考慮すれば、日本のビートルズの名にふさわしいのはチェッカーズ以外あり得ない。
単なるアイドルではなく当人に確かな楽才があって解散後も活躍するところまで含めてビートルズと同じだが、惜しむらくは初期の楽曲が本人たちによるものじゃないところだけビートルズとは違っている。とはいえ1枚選ぶとしたら歴史的意義を考えてこのデビューアルバムということになるだろう。
残念ながらチェッカーズもまた進化の袋小路のひとつであり、これ以降、顔面も良いし歌も上手いという男性アイドルはまったく現れていない。というか、そういう才能をアイドルとして売り出さなくなった、という方が正しいか(世が世なら桜井和寿は第二の藤井フミヤとして売り出されていたかもしれない)。
日本で本式のソウルを本式の歌唱力で売った、という点でドリカムの出現は革命的であり、男性よりもさらに顔面が重視されがちな女性アーティストとして、とにかく歌のパワーが圧倒的にすごくて連続ドラマでタイアップすれば売れるのだという事実を音楽界に突きつけた吉田美和の功績は絶大である(美人顔ではない、という意味だ。吉田美和はとてもチャーミングだが)。以降どれほどの女性歌手が同様のルートで世に出られたか。歴史的影響力は計り知れない。
これまた1枚選べと言われると非常に困るし個人的な好みだとDELICIOUS、売り上げだとThe Swinging Starなのだが、ドラマタイアップのパワーという点で最も象徴的なこの1枚を選出。
尾崎ほど正当に評価されていないミュージシャンは他にいないだろう。なにしろ音楽以外の部分の話題がありすぎる。歌詞はセンシティブすぎたし、顔面は良いし、私生活はぐっちょんぐっちょんだったし、おまけに26歳で死んだ。護国寺での葬式には万単位のファンが詰めかけて講談社のあたりまで行列が伸びたというから、この先ここまで音楽面以外での影響を残すアーティストは日本の音楽界には現れないのではないかと思う。そして当時の熱狂を知らない今の世代は、ネットで検索した歌詞を冷笑的に眺めて、中二病が多かった世代に刺さったんですね、みたいな知った様なことをうそぶくだろう。
が、そういった雑音を一切シャットアウトしてこのアルバムを聴いてみると、なぜ尾崎が社会現象にまでなったかがわかる。外面すべてをさっ引いても純粋に、尾崎豊は不世出の大歌手だ。世代がもう一巡りくらいすれば正当に評価される日が来るだろうか。
ジュディマリの社会的影響は、たぶんリアルタイムで聴いていた世代でも実感しづらいだろうし、過小評価されているだろう。なぜかというとその爆心地がバンドをやっていた/やろうとしていた女の子たちだったからだ。影響を与えた領域自体は狭かったが、その衝撃は絶大だった。顔面も良くないし声もいわゆる女性ソロアーティストっぽくない少女たちに、どうやって音楽で世に出ればいいかの最適解を突きつけたのだ。本当にもうあの当時のアマチュアバンド界の女性ボーカルは完全にジュディマリ志向一色だった。実際に音楽を志した人間への直接影響力、という点で見れば日本音楽史上最強のバンドだろう。
日本ではラップは無理、という言説を否定し、またある意味では肯定した記念碑的アルバム。つまり、ヒラ歌のところでラップを入れてサビにキャッチーなメロディをかぶせる、という手法を普及させ、日本の聴衆にヒップホップをどう楽しめば良いのか教え込んだのだ。遡れば小室哲哉もglobeなどで同じことをやっているのだが、やはり真っ向からヒップホップを目指してきたバンドが到達したという点で歴史的意義には大きな差がある。
このアルバムを突破口にして、ラップ文化は日本の音楽界にようやく流れ込み、奇妙な形ではあるが定着した。おそらくもっとコアなラップを愛するアーティストやリスナーは「Dragon Ashのおかげ」とか言われると真っ赤になって激怒するだろうが、事実だからしかたがない。
「椎名林檎」というものをいきなり完成形で出現させた破壊的デビューアルバム。
ミュージシャンを称えるときに「もはやひとつのジャンルである」とかいう言い方がされるが、椎名林檎はもうそこさえ飛び越えてひとつのライフスタイルみたいなものとして世間に受け取られてしまった。これにだれよりも困惑したのは椎名林檎本人ではないだろうか。アルバムを売り出すためのキャラ付けが、説明が面倒くさいので適当に話を合わせて口にしただけの新宿系という言葉が、しかしあまりにも新しく鮮烈だったために独り歩きして何万人もの椎名林檎を世に生み出してしまった。日本音楽史上、ひとつのキャラクターがここまで集団無意識的に強固に作り上げられてしまった例は他にない。
チャゲアスもまた進化の袋小路的ビッグネームで、取り上げないわけにはいかないのだが歴史的な位置づけにはとても困る。が、1枚選ぶのにはそこまで迷わなかった。「SAY YESの後にYAH YAH YAHでもう一発当てた」という点が象徴的なこの1枚だ。チャゲアスは歌謡曲のメロディをその時々でやりたいアレンジにのせるという姿勢を一貫して続けてきたアーティストであり、その幅広く揺るぎない万里の河のごときキャリアを要約できるアルバムはこれで決まりだろう。完成度でいうとこの後のcode name二部作がキャリアピークだが、それはそれ。
本ランキングで最新の1枚。
ネット出身のミュージシャンが日本の頂点に立ち、真の意味で国民的になったという点で、このアルバムは金字塔とかメルクマールというよりはもう分水嶺という評価がふさわしいだろう。コロナ禍中であったという外部要因まで含めて日本の音楽史に今後ずっと記されることになるはずだ。これからも米津に続く才能はネットから次々と現れるだろうし、おそらくネットからしか現れないだろう。
日本でハードロックを真っ向からやって売れ続けているのはB'zだけだ。これまた進化の袋小路なのか?B'zはちょっと事情が違う。他の後継者不在ユニークビッグネームが、真似できない個性を持っているがゆえに後継者不在なのに対して、B'zはものすごく簡単に真似できる。その方法はこのアルバムに収録されたLOVE PHANTOMに教科書的に記されている。つまり、メランコリックなストリングスを入れて、ダンスビートにハードなギターリフ、VI-IV-V-Iのコード進行にヨナ抜きの旋律。簡単に真似できるのになぜだれもやらないのかといえば、やってもB'zにしか聞こえないからである。こんな形の「孤高」が他にあるだろうか?今後も彼らはその圧倒的完成度でもって日本のハードロック需要を寡占し、君臨し続けるだろう。B'zがカバーしきれない場所の需要を狙うというのは不可能だ。でかすぎて、B'zの外というのは日本の外なのである。B'zに不満なやつはとっくに洋楽を聴いているのだ。
かつて、レコードはシングルで買うものだという常識が広まっていた時代があった。アルバムなんてものは高価で、一部のマニアだけが手を出し、四桁売れれば上々、という時代だ。そこにフォークとかグループサウンズといった新風がやってくる。アーティストが自己主張を始め、世間がそれに応え始める。吉田拓郎が森を切り拓き、井上陽水がついにシングル原始時代を終わらせる。それがこのアルバムだ。井上陽水という得体の知れない怪物は名アレンジャー星勝の豪腕をもってしてもなお人間離れしており、このランキング中でも抜きん出て「メジャー感がない」1枚だろう。これが当時ミリオン売れたというのだから日本の聴衆のセンスも捨てたものではないというか、逆に心配になるというか。
テクノを知らしめた歴史的名盤。はっぴいえんどラインをいつまでもこするやつは消えろと思っている俺でもこれをランクインさせないわけにはいかなかった。声はところどころに入っているもののボコーダー処理された楽器的な使い方でありほぼ全編インストゥルメンタルという点もすさまじい。YMOの影響力はもう深く拡散しすぎて現代では追い切れなくなっているだろう。音楽業界以外(ゲームなどのエンタメ業界)にも多大な影響を与えているはずだ。
一方で世界的な影響については相当過大に語られていて、まあそれも含めて日本の音楽史を特徴付ける面として言及する価値がある。
こんなに高ランクなのかと驚く人もいるかもしれない。しかし後進への直接影響という点でBOØWYはジュディマリと双璧、自身を超える後継者を次々に生み出して系譜を広げたという点も鑑みれば日本音楽史上随一の「根幹種牡馬」だといえる。
言ってみればBOØWYは、「かっこいいやつがかっこいい歌を照れずにかっこつけてやる」ことが「かっこいい」のだという当たり前にしか見えない事実を実際に証明してみせたはじめてのバンドであり、日本中のロック少年たちの憧れを一身に集めた。V系もGLAYもラルクも、みんなこの憧れから生まれたのだ。人気絶頂のこのアルバムをもってすっぱり解散したという点も、渋みを出す方向で活躍を続けた矢沢永吉などとは一線を画すところ(もちろん解散後も氷室・布袋は活躍を続けたが、BOØWYは「終わった」。滅びの美学のイメージが重要)。以降、あまたの男たちがBOØWYの幻想を追い求めて音楽シーンに飛び込んでいった。再結成することなく氷室京介が音楽活動を引退し、伝説は完璧になったといっていいだろう。
この選出は、本当に迷った。サザンもまた、入れないわけにはいかないが代表作を1枚に絞るなど到底無理なバンドだ。
だいたい、サザンは国民的バンドとか言われているが音楽的には相当マニアックなことばかりやっており全然国民的な雰囲気がない(ピンクフロイドが英国の国民的バンドとか言われたらなんか違和感あるでしょ?方向としてはそれに似ている)。
しかし曲単位で絞るなら、文句無しに国民的な一曲がある。TSUNAMIだ。この曲をもってサザンは真の意味で国民的バンドになったといえるので、こういうランキングでベストアルバムを挙げるのはとても気が引けるが、やむなくこのチョイスとなった。
日本音楽史に聳え立つ小室哲哉という超絶才能は、また功罪相半ばの困った存在でもある。罪の部分は前述の通り、下手くそが歌っても買ってくれるという日本人の音楽センスの低さを自覚的に活用したところだ。絶対に意図的にやっているはずだが、小室哲哉は最も出来が良い曲を華原朋美と浜田雅功に提供している。手駒の中でも抜きん出て歌が下手だったからだろう。
そんな小室哲哉が唯一、きちんと楽才のある歌手をプロデュースしたのが安室奈美恵だ。日本のマイケル・ジャクソンと呼ぶにふさわしいこの超逸材とのコラボレーションは、他の小室プロデュースを眺め渡してみればなぜ実現したのかまったく理解できない大ミラクル。後々、小室は「俺が真面目にやらんでも安室は売れるわ」と気づいてだんだんと手抜き曲を提供するようになり、ついにはプロデュースを離れるのだが、最初のプロデュース作となったSWEET 19 BLUESは全曲やる気がみなぎっておりクォリティの高さがすさまじい。あの時代、日本中の少女たちが同じひとつのアイコンを見つめていた。もう二度と起きない現象だろう。
無事受け取ったよ。可愛い缶のだった🐰🐣
いつもの優秀な航空便だったのに、何故か自分ちに帰ってきたんだって言ってたけど
コロナの影響なの?なんと一カ月もかかってるよ、
いつもは航空便って3日もあれば税関についてる。ドイツ、日本間。
そういえばクリスマスの時も、日本からドイツへ荷物を載せて飛ぶ便がコロナで出ないって言われたもんなぁ。
思ったより早く届いたけど。
もういちどおくるねーみたいなLINEをみたけど
家の工事の話でわちゃわちゃしていて
元気出たよ、ありがとう。
優しさが染みたわ。
いつも優しいの。
友情っていいもんだなぁ。
明るい良い感じの工務店さんで
とうぶん庇なしで過ごします。
(ゆくゆくはつけますよ)
頑張るよ。