はてなキーワード: 自主的とは
https://anond.hatelabo.jp/20230516104554
・話し合いしろ
・言葉にして伝えろ
・察してちゃんをやめろ
…とか、だいたいこんな感じだけどさ、
「1〜10まで言語化してルール化して伝えない分かってもらえないのか…」って失望だと思うんだよね。
私たち、そこまで分かり合えていない(想いあえていない)んですねっていう体験を積み重ねた絶望というか。
↑
これ、ぜ〜んぶ手取り足取り説明して段階一緒に踏まないと円滑に過ごせないのって、周りは超しんどいよ。
しかもたいていは、何度全部説明しても自主的に1と2をやってくれずに行き当たりばったりで 3.行動 しちゃうわけだしね。
Twitterの迷走からmisskey.io(以下「.io」)のアカウントを作った。それからしばらくしてめでたくTwitterの方はアカウント凍結の憂き目にあったので最近は専ら.ioのTLを眺めている。
カスタム絵文字によるリアクション機能は他人の発信に対して反応を示す閾値を低くさせ、リアクションシューティング(リアクションをしまくること)をしあうことでSNSをやっている感は満たされる。そういう点では過ごしやすい
一方で、Twitterの迷走に併せてユーザーが増えてきたこともあり、やたらとTwitterのアンチテーゼ的な強調をされて持て囃されることもある。
などなど。そしてfediverseであるが故に、それらは管理者らの功績とされる。アップデートや規約改訂のノートが投稿される度に飛び交う「偉業」のリアクション、批判されて鬱になった旨ノートすれば慰めのカスタム絵文字が飛ぶ。権威化と馴れ合いの臭いがする。個人的にはTwitterでのイーロン・マスクのCEO就任当時の空気を思い出す。
加えて.ioは「スタッフ以外によるユーザーへの自主的なモデレーション行為」、曰く自治行為を禁止している。Twitterと違い何が言う度にどこからか批判を受けないかと心配しなくてよくなったと歓迎する人も多いようだが、逆に何が自治行為扱いになるのかとネガティブなノートは投稿しにくい。結果的にTwitterに比べての優位性を強調し、管理者らを持て囃し、表面上やさしい世界のTLが出来上がっている。
.ioについてネガティブなことを変にノートに投稿して自治行為と判定されるのも難儀だ。かくして私は今日も息苦しくやさしい世界の一員として、にゃんぷっぷーを愛で、レターパックで現金を送るのである。
子供の頃から思っている、すごい単純な考えなんだけど、なんでみんな、同じ日程で休まなければならんのでしょうかね?
同じ日程というのは、いわゆるカレンダーのことで、直近だと、みんな同じ4月29日あたりから月曜火曜を挟んで5月7日までが休みだったわけじゃないですか。
それって、みんなで同じように休まなきゃ、ならんもんなんですかね?
例えば、この人たちは5月の3、4、5(水・木・金)が休みで、他の人たちは、10、11、12 (水・木・金)が休みねって、国民の半分がどっちかを選択できるようにすれば、どこ行ってもとんでもない渋滞、人の入りだったのを半分にできる可能性はあるわけじゃない?
国が制定しなくても、例えば、そんな制度を持った会社が自主的に出てきてもいいもんだけど、どうしても日付通りじゃないとダメなのかね?
別に休みずらしたからと言って、全員が全員、他の会社が営業している時に休んでしまう、というわけではないから、働いている人間がゼロになるわけじゃないからいいと思うんだけど。
旅行業界の人たちにとっても、たぶんGW期間中は受け入れきれなかった客、もしくは人出が多いから宿泊や外出を諦めていた人達がまた遊びに来てくれる可能性が出てくるのだから、なんなら繁忙期が2回になって悪い話でもないと思うんだけど。
⇒まあ、しゃーないな
⇒…んー、短期間なら、まあ
HTML/CSSも読んで書けるようになってコーダーの代わりもやって
⇒いや、俺は書けるけど勉強したこともない奴は、一朝一夕でできるようにはならんだろ
⇒で、それができるようになるまでのコストは誰が負担するの?会社からの支援の「し」の字も出てこないんだけど。家で自主的に勉強しろと?
まあ、とにかくやってみて
⇒現在進行形で動いてる本番環境を素人の練習台にするな、頭おかしいのか
あ、当然今まで通り、ディレクションと分析改善、提案も全力でやってね
⇒そんなもんに回す時間があるわけねえだろ。そういうのを犠牲にして長期的には会社の提案力が下がるヤバいリスクを承知で言ってんじゃねえのかよ
⇒正気かよ、殺す気かよ
これからは提案に力を入れていくので1週間に1個は改善提案をだしてください(半年前に言った方針を忘却しつつ)
しかし私がそんなことを言っても、否定派の言う「ホロコーストはデタラメである」と同じレベルに思う人がほとんどだろう。
欧州でここ40年ほどでホロコースト否定主張を法律で規制する国が増えたが、『否定と肯定』で有名になった歴史学者のリップシュタットは、そのような法規制は否定派に蜜を与えるようなものだと反対したがその通りになっている。
法規制によって、そこまでしないとホロコーストは真実であることを保てない嘘だからだ、と否定派は主張するのであーる。
(しかし規制しなければしないで、否定派は「法で規制されていないのだから正論だ」のように言うであろう)
1980年代にとっくに決着のついているアンネの日記贋作説でさえ、今時の人はそれを知らず、アンネの日記を捏造だと声高に主張する。当時なかったはずのボールペンで書かれていることがわかっている、だの、アンネの筆記とは異なる字体が使われている、だの、んなのほんとにとっくの昔に解明されているのに、昔と同じそれらネタを使って贋作説を拡散しようとさえしているのだから呆れるしかない。
日本では、1995年のマルコポーロ事件での文藝春秋社の対応の失敗が、今でもしばしば語り草のように言われる。
文藝春秋は抗議を受けたのは事実だが、社長・編集長の辞任とマルコポーロの廃刊は、文藝春秋が自主的に決めたことであり、SWCはそんな要求はしていない。
単に文藝春秋が腰抜けだっただけである。1978年にフランスで大問題になった、ルモンド紙でのフォーリソンの投稿記事を載せた一件では、ルモンド紙は廃刊になってないし、社長も編集長も辞任などしていない。
しかーし。否定派の日本人ときたら、マルコポーロ事件が今や鬼の首をとったかのような扱いになってしまっている。
ともかく、ホロコースト否定派は、比較すべきデータがないので主観で言うしかないが、でも自分の印象ではコロナ禍以前よりも明らかに増えている。
多分相関的に、陰謀論者が増えたのと傾向が一致しているとは思う。陰謀論とホロコースト否定が親和性が高いのは言うまでもない。
SNSはデマ拡散装置としての能力が高いのは言うまでもないことだし、AIの下手な調教は確実にデマを蔓延させる手段の一つになるのは疑いようがない。
日々、独力でコツコツ、否定論への対抗活動は継続はしているが、独力では如何ともし難いものがある。
ファクトチェックのめんどくさはもっと知られていいと思うのだけれど、とーにかく手間がかかって仕方がない。
反論を3行で書けと言われても不可能な話であり、長文をそもそも読まない人たちには効果は期待できない。
俺は生きてきて頑張ったことがない。
だが幸福だ。
「あーまた生まれからして恵まれてるやつのマウント取りか」も思ったかもしれんが、
とりあえず最後まで聞け。清聴せい。
俺は頑張ったことがない。
人生を常に6割くらいの力で生きている。
つまり、これは「できる時にやらない」という、コントロールをしているかという話だ。
ペーパー試験と相性のいい頭をしていたのと、
親が公文式に入れていたせいだろうな。
だが、全国レベルに立つと大したことがないことは小学生の段階でわかっていた。
なので、小学生の時には、すでに大体のライフプランはできていた。
ズバリ、中学は公立、高校からはMARCH程度の一貫校で大学受験をスキップする、というやり方だ。
だから、俺はそこを狙った。
成績的には、正直、どこでもいけた。開成を狙えと周りには言われた。
だが、そのためには俺は頑張らねばならなかった。
だから、MARCHくらいの場所に俺は初めから目的を設定していた。
これは、俺が自主的になにかをしなくても平均より上になれるであろう場所である。
事実、そのとおりになった。俺は高校も大学も頑張ったことがない。常に遊び呆けていた。
だが、常に優秀サイドだった。周りの平均レベルが頑張っていない俺以下だったからだ。
例えば、これが少し欲をかいて早稲田やら慶應にでも行っていたら。
俺は優秀ではない人間になるか、あるいは平均より上の人間になるために頑張る必要があっただろう。
就活も同じだった。
いちばん重要な視座は「俺が俺のままに、努力せず優秀であれる場所」を探すことだった。
無事にそういう場所を見つけた。
中小企業である。ITのことなど何もわからぬ、だが基幹事業は儲かっている。
Excelが多少できるだけで、優秀になれるような場所に無事に入社した。年収は600万かそこらだが、まあ別に問題ない。
「待ってよもっと下の話をしてるんだけど、MARCHとかレベル高くない?」とすら感じた人にこそ、この感覚を知って欲しい。
俺など、世の中にいくらでもいる優秀な人々からすれば、無能サイドなのだ。
例えばGoogleに放り込まれたら馬鹿すぎて話にならない社員になるだろう。
今の会社から、もう少しレベルを上げた会社でも、おそらくそうだ。
咲ける場所で咲け、という話じゃない。もう自分は咲いている、そう見なされる場所に行け、という話だ。
その程度の移動の自由度はまだ残っている。
まず、頑張らないことを目的にするべきで、
この増田の言ってるトレーニングは良いと思うのだが、俺の知ってるパワハラ未満・指導熱心(人によってはパワハラと解釈するであろう)くらいの人がまさに同じことを部下にやらせてたんだけど、全然うまくいってなかったのを思い出した。
その人は部下にめっちゃ書き取らせて、内容確認までした上で、もうちょっと踏み込んでて「自分の指示したことを正確にやれ! それ以外のことをやるな!」と指示してて、結果どうなったかと言うと、部下の方が思いっきりダブルバインドに捕らわれてしまった。
「あの時これはやるなって叱られたよな。今回はいいのか?」
「指示されたことで、解釈の確認までしたことやってたら、もうちょっと考えて動けって怒られた」
的なね。つか、中長期的に一貫性のある指示・指導できる人なんか滅多にいないもんだから、自分の指示したことだけをやれって言うのは、今回の処理に限るのか、そうでないのかを、明確にしないとダメなんだよね。
あと上司の言われたことをそのとおりにやれるかどうかにだけを気にするようになっちゃってダメなんだよね。
まあ要するに部下側の自主的な取り組みとしては素晴らしいことだと思うんだが、上司が部下にやらせてはあんま上手くいかないトレーニングだと思うって話。
⇒(上司であるこの私に余計な責任が発生しないよう)自主的自発的に動くべきである
⇒(下々が)自主的自発的に動くことは(上司である私にとっての)メリットしかない
「増田さんのほうで進めてもらっていいですよ」
⇒(私はノータッチだから一切の責任は負わないけど)増田さんのほうで進めてもらっていいですよ
「増田さんと担当者さんとで直接やり取してもらえばいいですよ」
⇒(面倒なことにはかかわりたくないので)増田さんと担当者さんとで直接やり取してもらえばいいですよ
⇒(自分から発信するつもりは毛頭ないので)気になったことがあったら是非提案してください
「会社の/より上席者の○○さんはこのように言っていました」
⇒会社の/より上席者の○○さんはこのように言っていました(私の意思とはまったくの無関係、よって私には一切の責任はありません)
⇒(OKにはしたくないが、はっきりNGと言ってしまうと、相手を拒絶する悪者になってしまうのでそれだけは何としてでも避けるためにわざとぼやかして)××という点はよろしくないと思います
そういえば昔サラリーマンNEOだったか、サラリーマン語録ってのがあったような気がする。
「何かあったら連絡ください」⇒「何もないなら基本的に絶対連絡してくれるなよ」みたいなやつ。
いずれにしても言葉を必ずしも字面通りに受け取ってはいけないという教訓だが、行き過ぎると常に裏の意味を考えなければならず、面倒&疑心暗鬼になる。