はてなキーワード: 会合とは
私の故郷は、海抜六〇〇メートルの丘陵地に佇む半農半漁の村で、後方は形のよい峯が三つ並び、前方には大きな入江があって多島海に伸び、子供の頃は、その入江で魚つりに興じました。
竹の棒に糸を張った粗末な釣具で、餌もミミズでしたが、満潮の時などは入れたら釣れ、入れたら釣れで、一時間もすれば小鯛などバケツいっぱいになりました。
腹が立つのはフグで、五回に一度はかかり、フグに毒があることは子供にも分かることでしたから、腹立ちまぎれにフグの白い腹を石にこすりつけるとみるみる大きくなり、このガキッとばかりに思い切り石に叩きつけと、パーンという音がして腹が裂け、溜飲を下げました。
私は五人兄弟の次男として畑仕事や魚釣りに勤しんでいましたが、田舎の貧しい暮らしから豊かな生活を夢見て、一足先に日本へ行った八歳年上の兄祥雨を追いかけて◇◇へ来ました。
その時十七歳で、一九三九年でした。兄は布施(東◇◇市)でセルロイド工場を経営し、腕輪やクシを作っていました。
その兄の元へ身を寄せ、普通学校四年を卒業したものの、価値ある社会活動をしていくためにはさらに学が必要だと感じ、向学心に燃えて◇◇・東成区の夜間学校(◇◇商工実務学校)へ通うことにしました。
工場住込の私の仕事はまず、朝五時に起きて無煙炭をおこし、六時半に出勤する職人さんの仕事に間に合うように湯を湧かしておくことでした。
そして、仕事が終わるのは夕方の六時。急いで自転車を走らせ学校へ行き、帰りは一〇時で、それから夕食をとり、深夜の一時過ぎ、二時過ぎまで勉強して、寝るのが連日三、四時間でした。
その死にものぐるいの努力が効を奏して、成績はトップとなり、幸か不幸か、級長をやらされました。
戦時中でしたから、訓練ばかりで、「前へ進め」「全体とまれ」と号令をかけるのが級長の役目でした。
ところが、私は強度の「どもり」でしたから、その号令の文句がなかなか言えず、落ち込んでしまって、《死んでしまおう》と何度線路に寝込んだかわかりません。
星の光が目に入るたびに、《ちょっと待て、死ぬんだったら、もういっぺん努力してみよう》という気持になり、「どもり」の矯正学校を五つも修了して、死ぬほどの努力を重ね、矯正しました。
こうして、《ヤレバデキル、ダメナコトハナイ・・・》の信念を貫いて苦節の日々を克服したことが、大きな自信となりました。
終戦後の一九四八年のことですが、体を悪くして、マイシンの注射を打ったところ、耳に障害が発生し、聞こえなくなってしまいました。
これまた、苦節の日々で、断食をしたり、いろんなことをやってみましたが、完治するまでには至らず、補聴器の世話になる毎日となりました。
ところで、戦争は激しくなり、私も協和会の勤労報国隊に徴用されて、九州の炭坑で二ヶ月ほど働かされました。
石炭を掘って出てきたら顔は真っ黒で、目が辛うじて見え、つらい日々でした。
そうこうするうちに戦争が終わり、兄はそのまま日本に残りましたが、私は里心がついて故郷へ帰りました。
日本兵が釜山の港からどんどん引き揚げて行くさなか、私も小さな船で玄界灘の荒波を掻き分け、決死の覚悟で日本へ戻ってきました。
一九四八年に兄と、資本金二〇万円の◇◇グリップ化工株式会社を設立し、自転車のハンドルグリップをセルロイドで製造し、販売しました。
以来、資材をセルロイドからプラスチックに変え、◆◆◆グリップの普及に努力しました。
その途上、兄を交通事故で失い、私が会社を引き継ぐことになりましたが、中小企業信用保証協会や育成協会からの資金融資は韓国人業者としては第一号だと思います。
一九九〇年に◇◇グリップ化工から◆◆◆技研に社名を変え、現在では日本全国の占有率九〇パーセントを獲得し、一億人以上の人に◆◆◆グリップを握ってもらっています。
私は、金属、木材等で作られている従来の物をプラスチックに代えて作るという物づくりを企業の基本理念の一つにしてきましたから、事業の発展に伴い、グリップの他にも車輪、カゴ、チェインケース、泥除け等、タイヤ以外のものは全てプラスチック化し、その間の特許も数百にのぼって、◆◆◆製品は世界のブランドとなりました。《継続は力なり》の精神で、より精度の高い関連商品の開発に努めています。
一九六〇年頃、日本と韓国との間にはまだ国交はなく公式には往来できない時で、金融機関の祖国産業視察団の一員として、初めて祖国を訪問しました。
懐かしい山河の景色、幼なじみの顔、感激の涙に浸るばかりでした。
その感激もさめやらぬ時、町から一キロも離れていず、一六〇戸もあるわが懐かしい村には電気も水道設備もないことに気づき、昔と変わらぬ貧しい古い部落がそこにありました。
《故郷のために何かしてやりたい》という衝動にかられ、その後、回を重ねて訪問する毎に藁葺きの集会所を二階建の近代的な建物にして
事務所や老人らの憩いの場に使用できるようにし、また、電気架設の資金協力や子供たちの遊び場等も寄贈し、植木やスピーカー等も添えて故郷の人の心を癒やすことに努めました。
人間は誰しも食うがため、生活するがために働き、事業するものだと思いますが、私もご多分に漏れず世間並みの生活を夢見て渡日し、口では言えない苦労と努力を重ね、一応の目的は達したと、自分を顧みています。
これまで、通産大臣や府知事、税務署長などの表彰を受け、韓国政府からも国民勲章冬柏章を受章しましたが、私の企業活動に対� =キる評価だと喜んでいます。
現在、◆◆◆ー技研のグループ企業として◆◆◆販売と韓国◆◆◆があり、◆◆◆技研は私の長男に任せています。
◆◆◆販売は兄の息子が取りしきり、ヘルメットを中心としたオートバイ・スポーツ用品を製造販売し、韓国◆◆◆は弟の息子が社長を務め、スキー・水泳用品を主力としたスポーツ製品を製造・販売し、輸出による外貨を稼いで祖国の経済発展に寄与しています。最近は中国青島にも進出し、六〇〇人ほど雇用しています。
兄の処世訓は《まず、自分自身が立派になり、次に家族の支えなり、その次に身近な社会に貢献する》ということでした。
私は、兄の遺志も引き継いで、家族会を設け、年一回会合を開いて、十親等以内の全学徒に、成績に応じて奨学金を支給しています。
その家族会の会長は私ですが、弟の息子がすべて代行してやってくれています。
いわば、祖国故郷で私の夢を実現してくれる代理人のような存在です。後は、全家門の子孫たちが末永く仲良くしてくれればいいと願うばかりです。
振りかえってみれば、私の人生は苦しいことのみの連続で、喜びや楽しみというものがあっただろうかと思う時がありますが、◆◆◆販売の新社屋落成式(一九八四年)に、私が挨拶をし、息子夫婦、兄の子供夫婦、韓国の甥夫婦を紹介し、その三人を後継者として披露しました。
三人はそれぞれに立派に成長してくれ、私の夢を実現してくれる後継者になってくれたことが人生最大の喜びです。それに子孫たちが、私の喜寿(七十七歳)をニューオオタニホテルで祝ってくれたことも忘れられない喜びです。
外孫まで入れると四十五、六人になりますが、アメリカに行っている七、八人の子孫たちもその日(一九九八年九月一八日)にはみな帰っ� =トきて祝ってくれました。
私たち韓国人は、税金も人一倍納め、社会に貢献しているにもかかわらず、後ろ指をさされる傾向が強いのですが、人間というものは生存競争のなかにあってライバル意識を持ち、自分より事業を大きくやっていたり変わったことを大きくやっていたりすると、ねたみの心が出てきて、あらぬ中傷に走るのではないでしょうか。
私たち韓国人の側にも虐げられたひがみ根性というものが抜けきれないのではないかと思いますが、真面目に生き、社会に貢献していくことが肝心で、価値ある社会人になるためには自分自身が努力し、そのためには人の話を聞くことです。
何か疑問を感じたら、聞くのが一番の近道で、その疑問を解いてくれる人が見つかるまで聞きつづけたらいいのではないでしょうか。聞くことにお金はかかりませんし、それが私の処世訓の一つです。
きめえんだよ〜〜〜
はっきり言うけど本当に気持ち悪い、気色悪いよ〜〜〜〜
つーかまず文脈を考えろよ。
ジェンダーギャップ114位で、世界女性外相会合に一人だけ男が参加して、新内閣も女閣僚一人だけで、議会でのど飴舐めた女性議員はオヤジ共に寄ってたかって虐められて、
AVやエロ本エロ動画では普通に制服の子が出てて、暴力系も一緒くたにされて、そんなんがコンビニにも置いてあって、
未成年(18以下)とオッサンが淫行したらオッサンと同等かそれ以上に女の子が叩かれて、
医学部受験では秘密裏に差別され、給与でも差別され、そういう、そーーーーーーーいう社会の中で、16歳のキャラクターに横乳とヘソと太もも丸出しの格好させて、NHKが頷き役させるなんてさーーー恥ずかしくないのかよ。マジで。私は恥ずかしいよ。。。NHKも矜持とか無いわけ???
おまえらが、大人が、日本人の成人が、着させてるんだよ、わかるか?本人が選んだ設定か喜んでる設定か知らねーけど、女性の自己決定権とか好きな格好をする権利とか全っっっっ然関係ねーから。
馬鹿じゃねーの。つーかさお前ら結局ヌけるかヌけないか、その一点だけだろ、戦ってるポイント。
この話題海外から見たらさ、オタクのキモさにドン引きでしょう。キズナアイにじゃないよ、おめーらにだよ。
漠然とした海外じゃなくて、日本以外全部ね。キズナアイにフェミニスト発言させたらバグっちゃって真っ赤になるくせに、KKKの格好させるのが皮肉として効くと思ってるおまえらのその感覚にね。
この社会で、現実に女性や少女がどんな扱いを受けているかなんてどうでもいいからフェミvsオタクみたいな構造に出来ちゃうんだろうけど、そうなったら本当に害悪ですよ。つーかフェミニストVSになるんだったらもうセクシストですよ。セクシストでもフェミニストでもないならヒューマニストになってくれ、頼むから。でなければ滅びてくれ。
いや私もオタクなんですよ、正直ね、でもさぁ自浄作用って知ってる?もはや皆無じゃん、自浄が。ねぇ。言っとくけどBLだってTPO弁えないのはクソだよ。
もうこれ無理でしょ。この件ではオタクの側、屁理屈ばっかやん。場面によっては正論かもしれないけど、普段のオタクの態度と矛盾してるとこ多すぎて。。
コミケを思い出そうよ、なぁ!どうせキズナアイだってそういうとこではいろんなあれされるじゃないか!!我々が普段どんな文化に浸ってるか自覚しようよ!?!?隠さんと!バカ!我々の方に分がないに決まってんだろうが!!あんな表現を自由にできるのは、他者への配慮前提だろ!!!
だってあそこではクソみたいに表現が自由じゃないか。うどんやらクジラやらの存在許してくれる国なんか日本くらいだと思うぞマジで…いわんや二次創作をや……
とにかく一回目を覚まそ?もうフェミニストが敵にしか見えなくなっちゃったなら仕方ないから、表現の戦士軍だけでもっかい考えてみてよ。
申し訳ないけど今海外(英語圏)に住んでるよ、だってもうマトモな感覚してたら日本で生きてくの無理でしょ(TT)(TT)(TT)2018年やで今。容姿が良くて若くて薄着の女を、無知で反論しない頷き役として、説明役のおっさんとセットで置く、っていうのいつまで続けるのかな?
ワイは実名で燃えたくないからfbで発信したりしないわ、だって日本の表現の戦士軍がキモいし怖いんだもーーーん。なんか執念感じるし…
そのまま海外で暮せばいいじゃん、一生帰ってくんな、って言われるだろうけどさ〜〜〜多少日本人友人と繋がってはいるからsnsで流れてくるんだよ、こういうクソみたいな日本らしい話題が。
これから日本で生きていく若い人達のこととはちょっとは気にするわけよ、日本で育った大人として。誰かさんとは違ってね?
まぁでもちょっと英語でどこかで話してくるけどさ、正直日本人としてこれ話すのめちゃめちゃ恥ずかしいなーっていうのと、文脈ありきのキモさだから説明は難しいなって思う。
だってキズナアイの画像を出して「これどう思う?」っていう単純な話じゃないし。
あとトラバの誰かも言ってるけど、皆そこまで特定の国に興味関心無いから、日本内の問題で留まってるうちはそうそう話題にならないんだよね。だから願望なのさ。
でも頑張ってみるね(^_-)-☆
https://web.archive.org/web/20211006232334/https://anond.hatelabo.jp/20181010024150
[B! 増田] キズナアイの件、海外でボコボコにされてほしい
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20181010024150
[B! Colabo] 東京都の若年女性支援、ずさんな制度運用「Colabo」監査で発覚
産経が「まともな大マスコミ」だとか臍で茶を沸かすんだけど。仁藤の給料デマ書いて(https://b.hatena.ne.jp/entry/4730434066560841092/)陰で修正した産経だぞ。
って言ってるブクマカが産経独自ニュースを信じてるみたいなんだけど
[B! 自民党] <独自>自民党青年局近畿ブロック会議後の会合で過激ダンスショー 口移しでチップ渡す姿も 費用は党が支出
寛容なら俺の不寛容な意見も受けれろ!というバカ丸出しのネトウヨ屁理屈を思い出した / ミソウヨはバカ丸出しの屁理屈を、嘘も百回方式で通そうとするからな
派閥は裏金を作って女性局はフランスに遊びに行って青年局はお触りダンスショーですか。自民党は即刻解体しろ。参加者→https://youth.jimin.jp/news/207066.html
これってどういうことなの?
そこんとこのリーダーさんは昔ながらの西欧は進んでる日本は見習わなければの方で非現実的テーマを理念として語られる
出席してる他のかたがたはめんどくさそうに黙ってスルーする
そんなトコに居合わせ続けて10年超
最近、その黙ってスルーする側の社長ズの息子たちがオンラインでアピールしてるのを立て続けに見た
お一人はなんか哲学的テーマをぶち上げて某ネットでバズりがち現代思想家と対談しておられた
お一人はなんかフワッとした会社理念でもらった政府助成金やら自治体予算やらいっぱい駆使してやってる商売がだいぶこう、アレで、
特定されるの嫌なので詳細は書きにくいのだが、地元の生活環境を守りたい方々からすごい批判されておられた
で、お二人のやってるのが、同じ業界なので言ってることはどうしても近いのだが、内容的には対立してそう、そしてどっちもキモイ
あー、セシュウズー、おれのニアミスしそうなとこでキモイことしてんじゃねー
本件の患者が父親と出所後の病状について、 おわったおさんらを交えながら、会合を開いたのは、令和2年12月以降のことであるが、その際に父親が自室に来て
、これはオヤジたちが作るものである、とまではネタ晴らししたものの、患者にとって意味不明であり理解するのが困難であったこと、父親は、こっちは糞だぞ?などと言っていたが、
抽象的な説明ばかりで何のことを言っているのか分からない時代であった。その後も様々な者が患者を混乱させるような言動を繰り返ししたため、患者が、社会の対応について
態度を硬化させ、ますます理解困難な状態になり、問題行動を招いてきたものである。
令和6年2月14日において臨場した女性の巡査長も、こっちは最悪だから精神障害者としてデザインしたので、その手帳を誇りにしてやっていけといった説明でもあれば理解できるとしても
患者は理解できなかったものと解されるし、また、バクサイSNSなどにおける煽りもあいまって、ますます理解できない状態になったものと解される。
結局、患者が、現実の東大法学部の悪質性が飲み込めたのは、 健康管理士の小島が書いた自立支援医療の記録をバクサイに張り付けた翌日の9時57分に、暗殺される夢を流された
時点である。むろん、令和5年7月15日、 9月17日には延岡市の女性が確認していること、9月26日に大分空港から帰った際にも、複数の者が、 その積極性を説明しなかったこと。
令和5年10月10日、10月13日に、自転車をパンクさせるという方法により理解させようとした者がいたが、本人に対する理解になっていなかったことに加え、
佐藤もぐらが、東大法学部としてデザインされると生命に危険な爺になるのでやめておけ、精神障害者として雇用していると説明すれば納得されたものの、自転車をパンクさせるといったような
黙示の手段によるもので経過し、 令和6年2月10日に帰られた際も、クソ真面目な行動をしたために、多くの者から攻撃を受けていること。
結局、正解は、 年金の診断書に記載されている薬を服薬して大人しく寝ているのが最善であるにもかかわらず、周辺の者がその効用を説明しないため、合理的な行動がとれていない状態
である。
最初に言っとくけど見た夢は相当グロいので嫌いな人は読まないでほしい
昼寝してる間の30分くらいの間に最悪な夢を見た
大きな古い洋館のような屋敷で親族の集まりがあり自分も行かないといけないのだが
そこで遺産がどうので血縁同士で醜い争いが起こっておりあまり行きたくないなと思ってる
だが顔を出さないわけにもいかないのでできるだけ遅れてしぶしぶ向かう
着いた頃にはちょうど会合が終わったところだったみたいで、玄関から中の様子を伺ってると親戚たちが帰路につくとこだった
内心ほっとしながら一応顔を出そうとしたと示すために家主を探そうとする
大きさはてんとう虫くらいで、体もてんとう虫みたいに丸っこいが表面にはトゲみたいな突起がいくつかついてる
その体に細長い胴体部分がくっついていて、脚はカブトムシなんかと同じような感じ
色は赤錆色とでもいえばいいのか、ザラザラしたようなノイズ感のあるオレンジ色
家主を探してうろうろしてたらその虫が屋敷内のあちらこちらにいることに気づく
床だけじゃなく手すりや壁にもひっついている
親戚たちも「あっなんだよ」とかいいながらそれらの虫を払ったりしてる
なんだか気味が悪いので家主に会うのはいいやと思って自分もすぐ帰ろうと思う
蹴った瞬間霧吹きでシュっと一吹きされたような感触が足の甲にあった
なんだろうと思い、玄関先で見つけた他の一匹を少し観察する
靴紐の先でつついてみると、虫の身体のトゲからなにか液体がパっと飛び散るのが分かった
なんとなく、ああなんで裸足で蹴ってしまったんだろうと後悔するがとにかくとっとと帰ることにする
屋敷を出て数分もしない間に足が痒くなる
気になって靴を脱いでまた裸足になるがパッと見は特になにもない
かゆみを感じた足の甲は霧吹きをかけられた感触があったほうの右足だ
足の甲を少し撫でてみるとずるっと皮膚が剥がれて取れてしまった
痛みはないが驚く
取れた皮膚は皮下脂肪といっしょにえぐれてけっこう厚みがあった
剥がれたとこはもう骨に近い深さなんだけど、血はなぜか全然出ない
あおしてえぐれたとこの断面になにか白いつぶつぶみたいなのが見える
それに触れてみるとつぶつぶが一気に動き出して細長い寄生虫みたいなのだと分かる
蛆がすごく長くなったようなのが物凄いスピードで動き出してどんどん足の中の肉に穴をあけていく
大量にいるのでほとんど束になってあっという間に足に大きな穴が空いていく
露出した他のとこにも白いつぶつぶがあり、それらも刺激されると同じく一気に動き出して肉を食らっていく
パニックになり必死でその白い細長いやつらを指で引っ掛けて剥がすが動き回るし数が多すぎてきりがない
ほんの数分で足は小さな穴だらけになっていて全体的にもろくなってるのが分かる
もはや虫を取ろうとしても足の肉ごと取れてしまうのだ
足首から先はぐずぐずになってこれはもう立てないとぼんやり思う
そしてふと気づく
最初に玄関に入った時、天井からなにか落ちてきてとっさに手で払ったが、その時顔になにか水分を感じなかったか
あの家に行かなければ!行くのをやめておけば!!
目が覚めた時は夢でよかった、本当に夢でよかったと足をなんどもさすりながら泣きそうになった
ところで、夢の中で見たものは映像的にあまりにもリアルでそれが恐ろしかった
こういうのは色んな今まで見てきたものがあれこれまぜこぜになって視覚的に再構築されてるんだとは思う
グロいものも映画とかでそれなりに見てきたからリソースは多少頭の中にあるとは思う
古くからその土地に住み、大きな家と田地を持ち、しかし戦後の農地改革でほとんどの財産を失い、裕福だった証拠はやたらと広い一族の墓地くらいのもの。田舎にはこういう家が溢れている。僕の家はそんな所だった。戦国時代から続いていて僕で 17 代目だとか?それを証明する家系図はもう火事で焼けてしまったみたいだが。
少し古い映画だが、「サマーウォーズ」で主人公が訪問する田舎の一族、イメージとしてはアレに近い。正月は一族で集まり、当主から順にズラリと並び、その当主がくれるお屠蘇を漆塗りの器におしいただいて、一族の健康と繁栄を願うのだ。僕は当主からすると直系の最初の孫に当たり、父に続いてお屠蘇をいただくのを誇らしく思ったものだ。
しかし当時から不思議に思っていたのだが、父を含む僕の家族はこの家に住んでいなかった。父は長男、つまり次期当主だったのにも関わらずだ。家業は稲作なのに農作業を手伝うことは無く、そもそも他県に住み教師をして生計を立てていた。自然と僕もこの大きな家を他人行儀に感じ、普段は公営住宅の狭い家に住んでいることから、この家のことを盆と正月にだけ滞在する言葉の通じない外国の別荘のように考えていた。「外国」と言うのは、県も違うので僕の方言が通じなかったのだ。
父が家を出た理由は本人からは結局聞けず仕舞いだったが、叔父などから断片的に聞く限りではかなり複雑な家庭環境だったようだ。確かに、僕の知るお婆ちゃんは本当の祖母では無いとか、床の間に知らない男性の遺影が飾ってあるとか、そんなミステリアスな所も「外国の別荘」のような連想を助長していた。これらについては、故人の尊厳のためにも深く穿鑿すべきではないと、当時も今も考えている。
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そんな父は、人の親としてはかなり優秀だった。それまでの経緯から実家の支援は受けられなかっただろうに、独り立ちできるよう手に職を付け、教師としては結構な金を稼ぎ、できるだけ教育に投資して僕を大学に入れたと思ったら、力尽きたようにポックリ逝ってしまった。それでいてそんなに禁欲的だった訳ではなく、夏休みには家族旅行もし、仕事の研修で何度か海外に行き、長期の休みを取っては毎年一人でスキーや釣りを楽しんでいた。
僕自身が興味を持ったことは何でもやらせてくれる父で、書道とピアノは幼児の頃から大学に入るまで続けさせてくれた。サッカーがやりたいと言えばボールを買い、野球に興味を持てばユニフォームを揃え、夜に星空を見たいと言えば立派な天体望遠鏡を買ってくれた。これらはほとんどモノになることはなく、ただ一つ、当時流行り始めていた 8bit マイコンを買ってくれたことが、僕が今でも IT エンジニアとして生きて行くきっかけとなった。
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そんな父にも欠点はあった。とにかく迷信深く、いくつもの新興宗教にハマったのだ。父自身、また僕が病弱だったことや、ひょっとすると実家の事情も影響していたのかも知れない。今でも覚えているのは、自宅に仏壇とは別に祭壇を用意し、そこにお供え物を上げて妙な文章を読み上げる儀式を、僕が担当して毎日夕方にやっていたことだ。
他にも気功か何かで癌が治ると言う宗教に熱心で、こちらは父自身が信者同士の合宿に何度も出掛けていた。教義をまとめたノートを作り、会合で発表する様が写真にも残っている。
世紀末で世の中にはこういうインチキ宗教が沢山罷り通っていた。父の信仰心はその病状を好転させることは無く、父が死んだ後、これらの宗教団体は解散して費した金は全て無駄になってしまったようだ。
これらにどの位散財したのだろうか?僕にはもう分からない。それでいて子供二人を中高一貫校に進学させ、上に書いたように習い事もさせながら、東京の大学に入るまで面倒を見てくれたのだ。教師としての稼ぎだけでできる気がしないのだが、実家の助けがあったとも思えない。専業主婦だった母も死んでしまったので、この辺の事情を聞ける人はもう居なくなってしまった。
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十年振りに、「外国の別荘」、つまり父の実家の大きな家を訪問した。昔僕にお屠蘇を注いでくれた祖父はとうの昔に他界し、今ではそこに僕とは違う方言を話す叔母が住んでいる。彼女の息子が将来は家を継ぐという話を聞いた。
子供の頃、父が作ってくれた滑り台で遊んだ庭は潰されてアパートが立っていた。耕す者の居ない農地は全て売却したそうだ。父の遺骨はもう一族の墓地には入っていない。
俺、既婚、子無し。
女装が趣味なのは嫁は公認。女装での外出はなし。家の中だけで時折女装している。
奥まった道の行き止まりにうちがあり、周りも新興住宅地でうちを含めて6軒の戸建て。
外で会っても挨拶や軽い世間話を和やかにするくらいの、よい関係。
町内会はなく、近所の人が集まる催しもないので気楽ではある。
最近、今まで和やかに挨拶していた複数のご近所さんからあからさまに避けられるようになった。
嫁も「理由も分からず避けられるようになった」とこぼしていたが、
普段は、外から見えないように(当たり前だが)女装していたが、
玄関に全身が映る鏡があり、よく見えるように玄関の照明を点けて女装姿を確認することが何度かあった。
ドアは縦に細い磨りガラスが何本か入っているが、
ドアのすぐ近くに立っていれば外からだいたいの様子がわかることに最近気がついた。
たぶん、ドア間際で女装していたのを、お隣の人に見られてしまったと思われる。
しかも、嫁が家にいない時に何度か女装姿で玄関で◯ナニーしていたのも、外からなんとなくわかってしまったのではないか。
自宅の中なので犯罪でもないし、正直気にしなければよいと思うが、
「変態がいる」と思われて避ける気持ちはもちろん分かる。見えないところでやるべきだ。
(見えていないと思っていた)
嫁はせっかくご近所さんと仲良くできてたところで急に避けられて、気持ちが落ち込んでいる。
それが自分に原因があると考えると、申し訳無さでどうにかなりそうだ。
完全に自分のせいだが、原因が原因だけに実際のところを確認することも難しいし、
仮に本当に自分の女装が原因だったとしたら、ご近所との関係の回復は不可能だろう。
ご近所には小さい子どもがいるうちも多く、そういう意味からも忌避されているのだと理解している。
例えば、町内会の役割を持っていたり、祭りに参加したり、回覧板を回したり、青少対の会合に参加したり、地元の小学校のPTAを手伝ったり、区議会議員の推薦をしたりします。
こうした方々とは子供の頃からの付き合いがあって、自分も子供時代にはお世話になっています。
そんなわけなので近所の知らないおばあちゃんや、果ては小学生が実は祖父母や父母と交友があり、道端で話しかけてくるということは多々ありますし、彼らは私の進路、友人関係、性格などを知っています。旅行に行くとお土産を交換するので頻繁に物をやり取りし、こうした物品を置きにくる人がいるので家の鍵も開けっぱなしの人が結構いたりします。
例えば、町内会の役割を持っていたり、祭りに参加したり、回覧板を回したり、青少対の会合に参加したり、地元の小学校のPTAを手伝ったり、区議会議員の推薦をしたりします。
こうした方々とは子供の頃からの付き合いがあって、自分も子供時代にはお世話になっています。
そんなわけなので近所の知らないおばあちゃんや、果ては小学生が実は祖父母や父母と交友があり、道端で話しかけてくるということは多々ありますし、彼らは私の進路、友人関係、性格などを知っています。旅行に行くとお土産を交換するので頻繁に物をやり取りし、こうした物品を置きにくる人がいるので家の鍵も開けっぱなしの人が結構いたりします。
政治家の裏金や使途不明金がしょっちゅう問題になるが、なぜそのお金が政治家のところに入ったことばかりが取り上げられて、お金の行き先は取り上げられないのだろうか。そのお金の行く先には票と引き換えにお金をもらう有権者がいるんじゃないのか。政治に金がかかるのは政治家だけが悪いんじゃなくて、有権者がもらってるからじゃないのか。
普段から付き合いもなくお金を直接受け取る機会もない人たちも投票に行き、その人たちの支持を得られれば当選できるのであれば、政治家が普段行う政治活動も今と違うのではないか。もっといえばカルト宗教団体の金と人手に頼らなくても当選できるようになれば、勝手に議場からカルト宗教絡みの人たちだって消えていくだろう。
政治家に聞いてみたい、本当は有権者がバカでろくに投票にいかないから、自分たちが汚いことをしないと議員になれないんだと思っていないか。
もし投票率が今の倍、100%に近づいて、普段葬式やら会合やらで顔つき合わせてる人以外の票も集めなければ当選できないとなっても今と同じ政治活動を続けるのかと。
立憲民主党の泉代表は、経済界や学識経験者らによる「令和臨調」の会合に出席し、野党間の連携の在り方について、「立憲民主党は中道リベラル政党だ。世界の潮流である人権感覚を持ち、安全保障では防衛力の整備が当然だと思っている」と述べました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230722/k10014139241000.html
私たちは、「社会的な公正と公平」の旗を掲げて、小泉・自民党政治と対決します。市民的自由を尊重するリベラルな政治と働く人々の声を基盤とするのが社民党です。野党同士の意思の疎通、結束を図りながら、率直な議論をしていきたいと考えています。
社民党は今臨時国会において、安倍新政権が持ち出す悪法を阻止するために全力を挙げ、日本国憲法のもとで戦後に獲得した価値が重要であると考える人々を結集していきたい。リベラル勢力の大結集をはかって、一元的な価値を押しつける流れを変えていく。
今後リベラル層が新たな動きを展開せざるをえない中、いかなる政策を策定するかで、共産党の政策は指針を与えるものとなっている
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-12-18/2014121801_07_0.html
第五輪とは、古代ギリシャにおける神秘主義的な秘密結社が用いたとされる、暗号言語の一種です。この言語は、当時のエリート層や王族たちによって、様々な陰謀や秘密の計画を為す際に使用されました。第五輪と呼ばれるこの言語は、一般の人々からは理解不能であり、秘密の会合や暗号通信に用いられ、その解読が極めて困難であると言われています。
古代のギリシャにおいて、第五輪は権力者たちが組織した神秘主義的な結社の一部として利用されました。彼らはこの言語を秘密の儀式や暗号通信に用い、自らの陰謀や権力拡大のための策略を隠匿する手段として活用しました。この秘密結社は、その存在を広くは知られることはありませんでしたが、彼らの活動は時折歴史の闇に隠された謎として浮上し、多くの陰謀論や伝説の中で語られてきました。
第五輪の解読は非常に困難であり、その暗号は現代の暗号解読技術をもってしても完全に解読することは不可能とされています。古代の知恵と技術が結集されたこの言語は、単なる文字の羅列以上の意味を持ち、深層に秘められた意味を持っていたと伝えられています。そのため、第五輪は単なる言葉以上のものとして、古代の秘密結社や陰謀の中心的な役割を果たしてきたとされています。
歴史の中で、第五輪という言葉は多くの陰謀や神秘的な事件に結びつけられ、その存在は常に謎に包まれてきました。今日においても、第五輪の真の意味や目的についての解明は進んでおらず、その秘密は未だに多くの研究者や陰謀論者の興味を惹きつけています。
好きなものは人それぞれ楽しめばそれでいい。
身体に悪かろうがなんだろうが、それで早死にしたって、好きなことやってるんだから本人の勝手だと私は思っている。
ただ一言だけ言いたい。
酒飲みの文化は、酒を飲まない/飲めない者を疎外する側面があるということ。
この社会は、成人したら誰もが当然酒を嗜むものであるという前提で回っているところがある。
夕刻以降の飲食を伴う会合は、居酒屋という酒を飲むことを主たる目的とした場で開かれることが少なくない。酒を飲まない者からすると、明らかに供されるものが少なかったり、自分が消費したものに比して支払額が割高だったりする。
純粋に食事を楽しもうとレストランへ出かけても、アルコールを飲みながら食べることを前提としている店だと、飲まない者は歓迎されなかったりする。もちろん、アルコールとの相性を念頭に置いていても、飲まない人も歓迎してくれる店もある。一方で、高級店でも(さすがに面と向かってはっきりは言わないが)心理的圧を感じさせるところもある。 (飲食店の収益モデルが間違っているのだと常々思っているが、)それなりに生きているので、その場に合わせてノンアルコールドリンクをオーダーする。ただ普通に食事をしたいだけなのに、なんでこんなに気を使わなければならないんだ。
食事と酒のマリアージュが素晴らしいというのも、多少は分かるよ。
(飲まなくても)眩暈がするほど多種多様な酒があるのを見れば、飲酒というものがたいへんな文化だというのも理解できる。
だが、飲まない者にも、勝手に絡んでくる困った側面があるのですよ。飲酒文化には。
たとえば、(酒ほどには層が分厚くはないが)ギャンブルという文化は、別にギャンブルをしない者に干渉してきて困惑させたりすることはないよね。
(身近にギャンブル依存症がいて困るというのは、特定の個人の問題であってギャンブルという文化の問題ではない)
増田への攻撃的なコメントには、飲まない者がこの社会で肩身の狭い思いをさせられていることへの反感があるのではないか、と思ったりした。
この社会は、酒を飲む人と飲まない人とでは、飲む人に都合がよく作られているんだ。
(いまどき無理やり飲まされるなどということは少ないだろうから、昔に比べれば、随分と状況はよくなっているんだろう。 )
目次
1.はじめに
(1)歴史認識について
(2)対北朝鮮外交について
3.佐藤優による主張の使い分け
(1)ナショナリズム論
(2)ポピュリズム論
(3) 格差社会論
6.「人民戦線」という罠
(1)「ファシズム政権の樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤を擁護する
10.おわりに
註
1.はじめに
このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル・左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。
だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディアで排外主義そのものの主張を撒き散らしている。奇妙なのは、リベラル・左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。
佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル・左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象の意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場の記述の検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画・編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。
「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌に寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題や文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動に共鳴する特定の編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチで共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者と意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社のカラーや論壇の左右を超えて小さなリスクの共同体が生まれ、編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞の社会面を中心に、従来型の検察や官邸主導ではない記者独自の調査報道が始まる。」「この四者(注・権力―民衆―メディア―学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論の公共圏を形成していく。」
馬場の見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点である。ある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論の公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル・左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義」体制下の護憲派が、イスラエルのリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。
以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)武力行使、在日朝鮮人団体への弾圧の必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル・左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的なものである。「戦後民主主義」が、侵略と植民地支配の過去とまともに向き合わず、在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象としか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル・左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。
私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤が右派メディアで主張する排外主義を、リベラル・左派が容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在のジャーナリズム内の護憲派の問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。
馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌に寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題や文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である。佐藤自身は自ら国家主義者であることを誇っており、小谷野敦の言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本に右翼なんか一人もいない」。
佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実、ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本の知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男や魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店や朝日新聞の出版物では、排外主義的ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?
この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。
まず、佐藤の排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤の排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。
(1)歴史認識について
佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本とロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立が日清戦争、日露戦争を引き起こした。もし、日本とロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮をにらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージを金正日に送るのだ」。朝鮮の植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのものの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢で反論することは当然のことだ。」と述べている。
特に、大川周明のテクストと佐藤の解説から成る『日米開戦の真実―大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本の近現代史に関する自己の歴史認識を開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である。
「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国をアメリカ、イギリスによる植民地化支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義国である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強の植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種の棲み分けの理論である。日本人はアジアの諸民族との共存共栄を真摯に追求した。強いて言えば、現在のEUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカと日本が妥協を繰り返せば、結局、日本はアメリカの保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本の武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民地活動家の眼には、日本も列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリス、アメリカはつけ込んだ。日本こそが中国の植民地化と奴隷的支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国の政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘の南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。
右翼たる佐藤の面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代の知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。
(2)対北朝鮮外交について
佐藤は、「拉致問題の解決」を日朝交渉の大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題の解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエルの国権侵害でもある。人権と国権が侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府の方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在の北朝鮮をミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家と日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義の選択肢には戦争で問題を解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題の解決」においても、戦争が視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。
さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮の米ドル札偽造問題が、アメリカの自作自演だった可能性が高いという欧米メディアの報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカの情報源と情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証の根拠も示さずに(反証の必要性を封じた上で)、「北朝鮮の情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派の原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤は現在、右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。
佐藤は、「在日団体への法適用で拉致問題動く」として、「日本政府が朝鮮総連の経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮が逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネスで利益を得ている勢力を牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。
漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件の摘発が拉致問題を解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮に日本と交渉する気にさせるのが警察庁の仕事。そのためには北朝鮮の資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤の発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関・民族学校などへの強制捜索に理論的根拠を提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。
3.佐藤優による主張の使い分け
排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。
佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。
一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループのサイト上での連載である〈地球を斬る〉では、「慰安婦」問題をめぐるアメリカの報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦」問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体が不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的な立場から日本政府の謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題は Permalink | 記事への反応(1) | 18:32
俺の常識が行きすぎていたら申し訳ないけど、普通遠方からたまたま別の用事でくるインターネット上の知人に自分から会いたいって声をかけたら、わかりやすい場所設定or確実な道案内と店の予約くらいはしないかね?
会いたいというからわざわざ仕事スケジュールを調整して飲み会をひとつキャンセルしたのに、
さらに会えたら会えたで店の予約を全くしていないことが分かってそこから探し、
結局名古屋に行ったのに名古屋らしいでも美味いでもないチェーン店に行くハメになり、
店に入ったら入ったで注文せず静かに座っているので俺が見知らぬ店で適当に注文を入れ、
とりあえず酒を頼むか聞いたらそこで初めて酒が飲めないことがわかり、
会話を盛り上げるでもなく、
何か俺に聞きたいことがあったわけでもなく、
俺はせっかくだからと地元から土産の一つを持って行ったんだが、それは受け取っておきつつ特に何かを返してくれるわけでもなく、
さらに自分は酒を飲んでいないからと俺が多く支払うことを主張してきた。
とにかく、なんの段取りもなければ、なんの楽しさも得るものもなかった。
本当になんだったんだあれは。
というか、ツイッターであれだけ雄弁なのになんで会ったら何にも喋らないんだ……