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はてなキーワード: 儀式とは

2018-02-20

窮屈な時代

平成生まれのまだ社会に出ていない一個人の感想

10年代の終わりを20代として過ごしている

科学技術の発展は凄まじく国際化や多様性が叫ばれ一人ひとりの命を大切にと学ばされて育ってきた

その反面ゆとり世代揶揄され個性を潰され私を含む同年代の多くは明るい未来なんてありえないと悲観的な人間が出来上がった

何もかも統一され簡略化される社会

何もかも規制されルールに従うしかなくなった社会

今回の喫煙者騒動もそうだ

もちろん路上喫煙をする人間によってもたらされた問題

人が人に配慮する社会ができあがっていたら起こり得なかった問題

これはその心無い人達によってもたらされた

煙草の煙が害というのもわかる

それが都会の空気普段食べている食材発がん性物質と比べてもだ

それでも現実インターネットじゃない

Twitterのように気に入らない全てのアカウントブロックして桃源郷を作り上げることは出来ない

喫煙者排除し都会の環境汚染排除し徹底管理された水だけを飲んで生きていくことは出来ない

よく昭和を対比として話されるが色々なものに寛容だったように人や本から見聞きして感じる

昔は駅のホーム喫煙所があり喫煙車両があった

喫茶店では当たり前に煙草が吸えた

時代の変化だ

よりよい方向にシフトしていくための儀式として反論がありそしてその反論が更なる反論を呼ぶ

少しずつ変えていくのはい

けれども何もかもを否定し一部の声を無視して押し進めていくと多分不完全なものが出来上がる

から妥協案というものがある

極論というのが一番危ない

そういうふうにして教育されたのが今の20代前半の人間

色んな在り方があっていいはずなのにそれを許さな社会

人が嫌がること人が損をすることはしてはならない、当たり前だ

から注文した料理に嫌いな野菜があればそれを抜いてもらい、狭い道で傘を差した人同士が行き来するには傘を傾けて行き違う

そうやって嫌なことでもそれぞれの努力回避することもできる

分煙も同じこと

煙草が嫌な人がいるならその人のいるところで煙草を吸わない

それを形式化したのが分煙

45分間呼気から有害物質が検出されるのは妥協点だと思う

嫌いな野菜を抜いてもらったのに欠片が入ってしまっていた、傘を傾けたけどその傘から雨粒が落ちてきて濡れてしまった

いちいち憤るだろうか?現代人はもうそこまで余裕がなくなってしまったのか?多くは内心悲しみながらも許すと思う

人は非喫煙者喫煙者の二通りしか存在しないから、どうしても主観的になってしま

喫煙者である私はその立場からしか物事を言えないから、もしかしたら非喫煙者気持ちを分かっていないからそんなことを言えるんだと怒られるかもしれない

それはもうどうにもできない

どうにもできないから私は当たり前の行為として、そしてせめてもの行為として喫煙所しか煙草を吸わない

身近に煙草ダメな人がいないか実践したことはないけれどそういう人の前では吸わないように配慮するし、少なくとも飲み会カラオケではそれぞれに煙草ダメかどうかの確認を取っている

なぜ人を殺してはいけないかという問題とは違いきっとこれからもしばらくは平行線で話し合われるだろう

どこで線引してお互いを許し合うかにかかってると思う

少なくとも私はこれまで通りに煙草は嗜むだろうしそれはもちろん喫煙して良い場所でそして周りに配慮をしていくことだろう

45分間というのも頭の片隅に置いておきたい

2018-02-12

anond:20180212125612

フェミのあれは過激物言いが通らなかったときの恒例の儀式ほとぼり冷めたら再集合だから

一人一派!

たまに儀式なのに棍棒の振り方力入れ過ぎて内々で埋められない溝になってこじれたりする

2018-02-10

ウサギ

ベランダで飼っているウサギのムカつく事を書く。

引っ越す知合いか押し付けられて仕方なく、ベランダに大き目のケージを置いて、ウサギを一匹飼っている。

家に来た当初は1年未満の比較的小さな体で、なかなかかわいかった。

しかし成長して骨っぽい体格になったいまは、あまりかわいいはいえない。

餌や掃除のためにケージへ手を突っ込むと、毎回のように噛まれる。(そう痛くはないのだが)

仕事へ行く日中はカゴの中に押し込め、帰宅後の夜はベランダへ出してやる。

ケージから出すと、ベランダの中を走り回り、跳ね回る。

かわいいと思える時もあるが、しばしば超ムカつかされる。

ウサギネズミに似て器用なので、前歯と鼻先でいろんな事を器用にこなす。

ある日、事情で数日ほどケージへ入れっぱなしにしたところ、餌を入れたトレイをひっくり返しやがった。

餌のドライフードがケージの下の糞尿トレイへ散乱。

こちらも超ムカついた。

ケージの中のウサギの頭をつかんで、トレイの縁へ押し付ける。

ウサギは当然、嫌がるのだが、そこを無視して力技で「躾」。

ウサギはいろんな物を噛むのが好きらしい。

ある休みの日、うさぎケージから出したのを忘れて、ベランダ洗濯物を干していたら、いつの間にかウサギが部屋の中へ入った事があった。

その時には気づかなかったが、Wifiルータが繋がらないので調べたら、電源アダプタから先のケーブルが3箇所もスパッと切れてた。

これはけっこうムカついた。

しかし、ウサギケーブルを切ってから既に半日くらい経っているので、時差の関係で罰をあたえる事ができない。

その日は我慢する事にした。

別の日、ケージのドアを明けて餌を入れようとしたら、スルッとウサギベランダへ出てしまった。

出す時ではないので、ベランダのあちこちへ逃げ回るウサギを追いかけ回した。

何回か背中を捕まえるのに失敗した後、ウサギの方も逃げ方がハンパなく必死になってきた。

最後洗濯機の奥(デッドエンド)逃げ込んだところで背中を捕まえて持ち上げた。

そしたら、生まれて初めて、「ギャーッ!」って声を2回叫んで、超臭いナラを漏らした。

そのまま、ケージの中へ放り込んで、あちこち逃げ回った罰に、ケージの中のウサギの鼻っ柱へパーンと、指を弾く。

その後で、頭をケージの床に10秒くらい、押さえつけてやる。

そしたら、ウサギの興奮が止まらないのか、後ろ足で「ダーン、ダーン」とケージの床を踏み鳴らしはじめた。

これはネット記事うろ覚えだが、ウサギの威嚇だったかもしれない。

それはお前がする事じゃないだろと思い、こちらもケージの前で「ダーン、ダーン」とベランダの床を踏み鳴らしてウサギに応えてやった。

時間も無いので、その日はそれでおしまいにして出社した。

そんな風に罰を与えると、ウサギもしばらくは覚えている。

イジメるために飼ってる訳ではないので、仲直りの儀式をする。

ケージの中にいる時は、まあとにかく、鼻の頭や首筋をさすってやる。

うちのウサギは飯よりもさすられるのが好きらしい。

5分くらいさすってやると、全てが水に流されるようだ。

ちなみに餌を食べてる最中でも、さすりだすと食べるのを止めて、目を閉じて、気持ちよさそうにする。

ウサギベランダに出している時には、ニンジンを使う。

こちらの事を警戒して寄ってこないので、まずはゆっくりと1mくらいの距離まで近づく。

そしてニンジンの先端を鼻先へやって一口食わせる。

ウサギは甘い味のニンジンが好物なので、何口か食べると、だんだん警戒心が薄れて近寄ってくる。

手が届くところまで来たら、鼻先をさする。

まだ飼っている最中なので、この話にはオチが無い。

またムカつく事があったら、ここへ書いて憂さ晴らししたい。

2018-02-07

昨日、久々に5ちゃんみたけど、眞子さま婚約儀式延期のの件では辛辣だな。

  

はてな民の方が、色々と思いやるのあるコメントだったな... 。

2018-02-04

anond:20180204194414

ならねえだろうなあ

っていっても、親側も「言っちゃだめ」というわけではない

親父「俺はお前らのために身を削って働いてきたんだよ!」

息子「だったら何だ、誰も頼んだわけじゃねえよ!」

成人までにこういう「父殺し」という儀式人間必要なわけだ

男女平等の世の中だから母にも父殺しの殺され役が回ってきたんだろ

anond:20180204012145

1 9時起き。株式市場が気になる時はもっと早く起きる

2 着替える。夜、服からパジャマに着替えるのが入眠儀式なので、そのために

3 2日に1度入れれば上出来。風呂嫌い

4 人と会う前日のみ

5 しない。日焼け止めすら塗ってなかったので40代に入りシミだらけになった。若い人は気をつけて

6 する。肩こり持ちなので

7 2年に1回ぐらい

8 家族以外とは稀

2018-02-02

会社帰りの儀式

毎日深夜0時15分、コンビニによる。毎日同じコンビニ。帰り道にあるのは1軒だけ。

最近の楽しみはつくね串を買うこと。

でもいい加減、バイト君も察してきたようで、「また来たよ」と小声でコンビのおばちゃん従業員

囁いたのが聞こえてきたので、あそこのコンビニには行かない。

2018-01-31

冠婚葬祭を最低限の費用で済ませるための新宗教をつくろう

欧米と比して宗教色が薄いと言われる現代日本でも、完全に宗教と決別して生きていくことは難しい。

いわゆる「冠婚葬祭」においても、近年では小規模化の傾向が見られるとは言え、有形無形の圧力により望まぬ負担を強いられることが常態化している。

そこで、出来る限りコストのかからない極めて簡素宗教を新たに用意し、それを宗教的圧力からの逃げ道にすることができないかと考えた。

簡素と言っても、冠婚葬祭を全く執り行わなければ社会的摩擦が生じ、かえってコストが増大しよう。それでは本末転倒である

なので最低限の儀式は執り行いつつ、それ以上の出費を防ぐために、「私の宗教では盛大な儀式が禁じられている」などと、宗教言い訳に使えるようにしたい。

まず宗教目的を設定しよう。

メタ目的が「宗教に関連するコストを低減する」ことであるので、「戒律を課す」「現世利益約束する」といったコストの嵩む方向性は論外である

そこで「死に対する不安を取り除く」=「死後の安楽」という点に絞る。

死後の安楽を保証するために、まず神を用意する。

神は全知である

故に神は「人の死後が安楽である」ことを知っておられる。

これを基本にしよう。

「神によって安楽がもたらされる」でないことに注意されたい。

安楽が神によってもたらされるのならば、神に対価を支払う必要性が生じてしまう。

しろ

神は無能である

とすべきだ。

無能であるが故に、神は何の行動も起こさない。

神は信徒に何も与えず、信徒は神に何も捧げない。

信徒は神に期待してはならない。

ただただ「人の死後が安楽であることを知る神が存在する」ことを信じるだけである

全知なる神は、既に信徒信心を知っている。

あらためて信心を表明したり、神へ誓いを立てたりすることは、神の全知を疑う行為であるので、できるかぎり慎むべきである

無能なる神は、決して信徒の求めに応えることはない。

ことさら神へ祈りを捧げたり、神の名の下に騒ぎ立てたりすることは、神の無能を疑う行為であるので、できるかぎり慎むべきである

と、このような教義を設定すれば、冠婚葬祭のたぐいを簡略化できるのはないだろうか。

結婚式

神は新郎新婦の愛を既に知っている。

よって神に愛を誓う儀式としての結婚式不要である

披露宴的なものはやっても良い。

葬式

神は死後の安楽を知っている。

よって死者のために祈る儀式としての葬式不要である

告別式的なものはやっても良い。

法事

神は死後の安楽を知っている。

よって年忌法要などは不要である

埋葬する必要もないが、埋葬した場合でも墓参りはしなくてよい。

といった具合だ。

もちろん冠婚葬祭以外でも様々なシーンで利用できるはずだ。

これを「全知無能神教」と名付けよう。

どうぞ信仰してくれ。

何の宣言許可もいらない。

あなた信仰を神は既に知っているからだ。

2018-01-21

祈るのに金も物も必要ない

ただそれっぽい儀式がないと祈る姿勢に心がなれないか必要なだけ

本当に祈ってるのなら所作関係なく式もなくていい

フリーメイソン金持ち宗教サークルなのは無駄に賢くなりすぎた知能では素直に祈ることすらできなくなったか

無駄に難しい儀式を用いてるのもそれを厳格に守れる自分らが特別だと思い込む儀式

世界一金儲けできるようになったやつらがやることが非公開オカルト宗教サークルっていうのが哀しいよなあ

一人では死ぬ準備ができないんだろうね

ハンドソープを置かない公衆トイレを許せない

世間一般に、用を足したあとに人は、手を洗う。

それはなぜか。手が汚いかである

それは排出器官に手を触れたか触れていないかに関わらず、大か小かに関わらずである

トイレに入り、便器の前に立ち、あるいは座り、ファスナーを降ろし、ようやく用を足したあとの一連の動作の終わりに、儀式的とも言える行為としてそれを行う。

ほとんどの人間は、小便をしたあとに手を洗うだろうが――たまに洗わない人間存在するがそれについて今回は触れない――その多くは、水道水を手にかける程度である

大便ではどうだろうか。

大便は、小便と違い、ことの重大さが違う。

排出器官ほとんど手を触れずとも行える小便と比べ、大便は、ティッシュペーパーを介するとはいえ、肛門に触れる。汚い。

おそらく、ハンドソープで手を洗う人が大半なのではないだろうか。他人の手を洗う場面に興味はないのでほとんど憶測だが、そう思っている。

そこで問題がある。

手洗い場にハンドソープがない場合である

たまに存在するのだ。特に駅の公衆トイレでこの状況に遭遇する場合が多い。

水を手にかけるしかない。殺菌能力なんてこれっぽっちもない水道水をかけて終わりである

これは大きな問題だ。衛生的にいけない。

いざうんこをして手洗い場を見てみると、どこにもハンドソープが見当たらなかったとき絶望ったらない。もうすでに肛門を拭いたあとなのだしかしその手を綺麗にすることはできない。

うんこがしたくてトイレに入るとき、手洗い場を見てハンドソープがあるのをいちいち確認して個室に入らなければならない。ないときは、便意を我慢してでも違うトイレを探すようにはしているが、そもそもトイレハンドソープを設置していたらそんなことする必要はない。

なぜハンドソープを置かないのか。

皮肉にも、ハンドソープを置かずに、なぜかアルコール消毒液を置いているトイレにも出会たことがある。馬鹿じゃないのか。

頼むから置いてくれ。コンビニに売ってるやつで構わない。うんこが終わったら、手を泡立てて、綺麗にしたい。それだけなんだ。

ハンドソープがないと、うんこが終わってトイレを出ても、ろくにスマホも触れない。近くの公衆トイレ必死に探し回って、手を洗い直すしかない。

もうやめにしよう、こんなこと。別に和式洋式しろって言っているわけじゃないんだ。簡単なことだろう?

2018-01-14

自民党改憲草案=「人権はく奪」草案

自民党改憲草案大日本帝国憲法を逐条ごとに比較していかに似ているか人権はく奪につながるか知らしめよ。

受診料を徴していないのだから安倍応援団バイト君の罵詈雑言など無視しまくって、改憲草案の正体を徹底的に暴け。Youtubeの、憲法改正誓いの儀式を毎週流せ。偏向ではないよな。自民党議員発言たことを流すだけだからな。反日とは、たかだか数百年の歴史しかない後発国に、歴史ある日本政府がぺこぺこしていることをいう。

ポンコツオスプレイを倍額で購入するのは、まさに隷属的姿勢だ。それを支持する連中の声など完全に無視してしま投稿者:sho*****さん投稿日時:2018/1/14 10:28

2018-01-09

非モテ」にとって「モテ」とは絶対神話でなくてはならない

はあちゅうに端を発した童貞論争。田端信太郎童貞卑下発言も相まってかなりの炎上を起こした。

やっと落ち着いてきて、人々も冷静になっただろうから本当の童貞が少し話を広げ、「非モテ」がなぜモテないのか真実を書きたい。

彼はこういう。「童貞は行動しろ、行動すれば童貞は抜けられる」と。

きっと、そうなのだろう。行動すれば、変わるのだろう。

しかし、長年「非モテ」として生きてきた人間にとって「モテ」とは神秘であり神話である宗教の神みたいなものなのだ

から自分みたいな人間が、ちょっとやそっと行動した程度でモテはいけない。モテを汚してはいけないと思っている。

モテとはイケメンを中心に天に許されたもののみが与えられる果実

努力の結果、モテているやつは禁忌を犯している。

心の奥底で実にうらやましいと思っていても、モテ敬虔信者である私は決して努力してはいけないのだ。

2018-01-08

anond:20180108223915

すまん。消してしまった。

旧友との再会と邂逅もいいし、門出にふさわしい衣装もいい。

ただ成人式意味衣装が転倒してわけのわから風習に成り下がったことに驚いている。

たった数時間儀式のために「みんなやるから私も」というだけで数十万、百万のお金をふきとばす風習が全国にあるなら、

それはもう思考もなにもない全体主義的な何かに見えて。

妻に尻穴を洗ってもらっている

結婚して程なくこの習慣を始めてからすこぶる調子がいい。

妻も楽しそうに洗い、最後には秘部に口づけをして儀式は終わる。

2018-01-06

会話をすると言語能力が落ちる

元々の言語能力が決して高くないせいってのもあるんだが、それにしたって人と会話をしている時の言語能力の低下っぷりと来たら目に余るものがある。

だが考えてみればそれも当たり前なのだ

私にとって人と会話をするということは思考回路をこれでもかと酷使する行為にほかならないのである

私が会話をするのには行き帰り共に3つのプロセス必要とする。

まず、私が今相手に伝えたいことを自分用の形で言語化する。

次に、普通の人(定型発達者)のするような会話をリバースエンジニアリングすることで作り出した定型発達者会話エミュレーターに一度通す。

それから、そうして出てきた会話文が定型発達者同士の会話にふさわしいものかをチェック用のシステムに通し、問題が無いと判断された場合口述の形で出力する。

そして、人から受け取るときも、相手言葉定型発達者同士の会話で使われる文脈をエミュレートした仮想OSに一度通し、それから自分なりの言葉に変換し直し、そうしてようやく内容について考えるという事が出来る様になる。

普通の人はこれを1プロセス、または2プロセスで行うのだろう。

たった1つプロセスが増えた程度で何をそんなに苦労するのだろうかと思われるだろうか、私はこの状態の時2つのOSを同時に頭のなかで走らせなければいけないという事を考慮して欲しい。

だって文章で読み書きする程度ならば、頭の中で簡単な回路を作ればいいだけなので人並みに出来るのだ。

だが、面と向かっての会話となるとそうはいかない。

あの、非言語コミュニケーションなるもの、顔の筋肉仕草、声の抑揚等だけでなくその場の雰囲気しか表現しようもないものまで交えて行うコミュニケーションを処理するのには、もはやOSをもう一つ仮想空間で動かしてしまった方が効率が良くなってしまうのだ。

それほど、私の普段思考回路からアレらの儀式はかけ離れてしまっている。

そんな訳だから、私はただ普通に会話をしたいだけでも非常に脳を酷使することになる。

挨拶のような決まりきった約束事ならば、何とかなるし、内容に自由度がある友人同士での純粋雑談や、逆に何をどう話すかが前もって決まりきっていくらでも事前練習出来るようなビジネス的な会話などであれば人並み(とはいえその底辺に触れるかどうかのレベル)に可能だ。

しかし、時折これらのどれにも属していないような会話が飛んでくると途端に脳が限界スレスレに陥りときには応答なしとなってしまう。

たとえば、上司から普段生活について聞かれたときなどだ。

定型文を使って対処できるうちはいいが、そこから深く踏み込まれると非常に困る。

考えるべきことは無数にあるし、内容についての精査は必須だ。

相手が何を思ってそんな事を聞いているのかも考慮しなければいけないし、どの程度のフランクさをこちらに求めているのかも完璧に近いレベルで読み取ることが求められる。

そのような状態に陥ったとき、私の言語能力ほとんど失われてしまう。

目の前で展開される定型発達的な会話(が出来る人間の振り)をやりきることに精一杯になりすぎて、脳の処理能力が許容限界に達していることに気づかないままアクセルを踏みっぱなしにした結果として、自分の頭の中で生まれ概念を、まず私に分かる言葉に直す能力すらも唐突に失われるのだ。

あの感覚はぞっとする。

言葉が消えるのだ。

概念が形を為さないのだ。

伝えたいこと、考えたいことの漠然としたイメージは浮かぶが、それを他人や、10秒後の自分に手渡せるような実態のある物に変換できないのだ。

思いつくたびにイメージは失われ、失われるたびに再生産され、そのたびに崩れ去っていく。

あの感覚を味わうのが嫌で、私は人との会話を割けるようになった。

頼む、私と会話をするのならば、本当に取り留めのない会話をするか、極めてビジネスライクな会話のみをするか、定型文の投げ合いだけをするか、その3つのどれかにしてくれ。

そのどれにも属していないような会話を私にふるな。

私にとってそれらはどれも苦痛の種でしかないのだ。

2018-01-05

anond:20180105124905

ネットだとわからんが、少し小難しいヒット映画だと退場中に

「分かった?」「分からねえ・・・」と言い合ってる10男子とかカップルとか

よく見る光景だよ(まあ、大体見た感じバカっぽいのだが)

今日面白くもないのに高校クラスの付き合いで携帯ゲームやってるって日記が有ったが

そういうのと同じで「わからねー」「理解できなーい」とか言いあって

仲間同士、同レベルだと確認し合う礼儀儀式みたいなもの

2018-01-02

雷火/藤原カムイ 感想

主人公ラスボスを倒す力を得るための修行儀式をしている間仲間が頑張るというのは王道展開だけど

その力を得るための儀式ヒロインとのセックス。仲間が命を捨ててラスボスを足止めしてる間に主人公セックス

儀式には苦痛が付き物だけどライカに押し寄せるのは快楽、イッたらアウトなのかフィニッシュしたら儀式フィニッシュなのか。

儀式の山場、普通なら力や精神力を振り絞る場面で主人公ピストンを早める。

ラストの展開が何かシュールでそこしか印象に残りませんでした。

2017-12-27

葬式お笑いネタにするのが嫌いだ

年末も近づいたこの季節、TVではM-1を始めとしたお笑い番組が大量に流される。

漫才コント、色んな形態芸人たちのネタ披露されるわけだが、

自分葬式ネタにした漫才コントが大嫌いだ。


母親を亡くしたのは四年前で、自分でもずいぶん長いこと引きずっているとは思う。

また、自分科学の徒であることを自認しているので、死後の世界だの霊魂だのが現実にあるとは思っていない。

ただ、自分を育ててくれた母親が、死とともに完全に消滅したと思うのも辛い。

生前まり親孝行できたとも思っていない。ようやく孫の顔を見せてやることができ、

これからやっと親孝行ができるかと思った矢先に、母は病で亡くなった。

からその母のためになることを何かしたい、母を喜ばせたいと強く思った。

もう死んでるのに。

肉体は完全に死んで、脳も活動を止めてしまい、客観的には母の人格は完全に失われてしまったというのに。


葬式というのは本当に優れたシステムで、一定ルールに従った服を着て、決められた儀式を開催し、

決められた受け答えをこなしていけば、死者のために尽くしたことにしてくれる。

それなりに信心深かった母のことだ、母が祖父母にそうしていたように、自分が母に対して正しく儀式を執り行えば、

母はきっと喜んでくれるだろう。

そう信じて、その場にしゃがみ込みたい気持ちを抑えながら、とにかく正しく、つつがなく儀式を終えるように努力した。

列席者もおそらく同じ思いで、ひたすら正しく、何事も起きないように儀式を進めてくれた。

その無言の一体感が、少なからず悲しみを和らげてくれた。


ところが、お笑いネタとして葬式を消費する場合、そうはいかない。

奴ら芸人は、ひたすら「正しくない」葬式舞台で演じ、それを観客が嘲笑う。

例えば無神経な葬儀会社人間を演じ、遺族の神経を逆撫でするような発言を連発する。

自分が母を送った時に、もしそうやって葬式台無しにされたら、と思うと恐怖しか感じない。

亡くなった母のために何かしてやれる唯一の機会を、一人(あるいは二人)の馬鹿のために奪われてしまうのだ。

さら恐ろしいことに、その状況はどうやら、他人から見たら面白いらしい。

死者を悼む無言の一体感など全くなく、喪主が何とか儀式を正常に戻そうと無駄にあがく様は、

どうにも笑えて仕方がないらしい。


恐怖だ。

そう遠くない将来、父も送ることになるだろう。

自分はその時も、信心深い父のために、正しく、つつがなく儀式を進めようと努めるだろう。

そのときTVでうまくいかない葬式を見て嘲笑っていた人々は、どう思うだろうか。

どこかで「喪主セリフが飛んだら面白いのに」「焼香の時に誰かが祭壇をひっくり返したら面白いのに」

とか思ってるんじゃないだろうか。

もしそうなった時、場を収めようとする自分は、やっぱり笑えて仕方がないんだろうか。

その時が怖い。

2017-12-13

深夜の儀式

深夜に猫と遭遇すると

「ミャー」と話しかける (※結構似てる 笑)

すると、ピクッと立ち止まり驚いた顔でこちらを見つめてくる。

毛やホコリのアレルギーのため触ったりはできない。

そのまま見つめ合ったまま、通り過ぎて遠ざかる。

2017-12-12

anond:20171212095528

恐ろしいな。

そんな奴らの法事には二度と出ない方がいいよ。

できることなら縁を切った方がいい。

親にはきっちり説明して、日蓮正宗に入るつもりなんてないと言った方がいい。

信仰心もないのに、勝手儀式を執り行われただけなのだから

そんなわけのわからない宗教団体信仰するつもりもないし、入会したつもりもないと。

日蓮正宗怖い

祖母法事実家に帰ったら、ほぼ無理矢理に授戒させられた。

法事が始まる前に、僧侶に入信せよ。同じ宗教信仰することが親孝行なんだよ的な意味不明な話をされたが、目の前でタバコを吸いながら話している僧侶にそんなこと言われても、ちょっと入信する気になれず、考えますといって、その場は逃げた。

私が入信の説得を受けていたため、祖母法事が始まるのが少し遅れたが、法事は無事に終わった。

法事後、親族が集まっている中、授戒に関する話が始まったと思ったら、私に対して急に授戒の儀式が始まった。

頭の上に、変な棒を乗っけられ、呪文を唱えられる。親族全員がいる中で、やめろよ!とも言えず、そのまま授戒の儀式を終えた。

同意なく無理矢理に入信の儀式をしてなんの意味があるのか。本当に絶望した。

もう宗教賞味期限なんて切れてるよ。

2017-12-11

人生で一回くらい両親を殴っておくべきだ/親なら一回は子供に殴られてやれ

成人の儀式で記念式典に出るのではなくて、理不尽暴力を持ってイニシエーションとする習慣は世界中にある。

日本では少子化も相まって過保護干渉問題となっているのであれば、せめてそれを断ち切ることを持って成人としてほしい。

幼いころから一緒に暮らして来た親が、絶対規範に見えたり、偉大に見えても殴れば痛がる普通の、そこらを歩いているオッサンおばさんと変わらないことを思い知るのは大事だ。

人を殴ったことがなければ、下手なパンチ自分も痛いのだと知ればいい。

親が死ぬかもしれないが、古来、成人の儀式は命を懸けていた。

親がいなければ誰も殴らずに済むのは利点でもある。

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