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はてなキーワード: 研究会とは

2020-06-07

anond:20200606234904

彼氏を見つける場ではないと思ってる場所職場とか研究会とか)では、左手薬指に指輪をしていく。彼氏配偶者がいなくても。

どんな鈍い男でも左手薬指の意味は知ってるし、それどころか初対面の女に会ったときに顔の次に見るのが左手薬指。

これで勘違い男の90%は除去できると思います当社比)。

2020-05-16

羽生が衰えたと言われているが、

羽生が衰えたと言われているが、そうではなく将棋界の潮流が変わったのだ。

羽生が強かったのは所謂「なぞり将棋」という途中までは誰が指しても同じ定跡からの終盤1分将棋の叩き合い。

これにめっぽう強かった。

森内佐藤自分がないのでこれに付き合って栄華を築けなかった。

佐藤なんかは中盤考えすぎていつも終盤時間がなくて変な手指して自滅。

なぞり将棋全盛にしたのも島研から研究会ブームでなぞらないとダメ雰囲気を作り上げた。

コンピューターがその雰囲気をぶち壊したわけで、誰もなぞらなくなったので羽生勝率がおちたというカラクリ

衰えてなんかいない。今でも一番強いと思う。

2020-04-24

やはり緊急事態宣言の中要望書を出した漫画家協会出版おかし

しかしどう考えても著作権改正、いわゆるダウンロード違法化拡大をこのコロナ禍の時期に急いで改正する意味はないし、緊急事態宣言が出ている中、この様な要望書を出した、日本漫画家協会及び出版広報センター常識に欠ける空気の読めなさが露呈したとしか思えないんだけどね。

後、恐らく気付いているであろうこの手のネット規制表現規制普段反対しているうぐいすの中の人達等がこの件に触れていないのは都合が悪いからかなとも思ったりもする。

はっきり言って法案の良し悪し以前に今は平時とは違う緊急事態であり、それこそコロナ対策が急務な時期なのは事実であり、実際コロナ禍のせいで職を失ったり、企業不渡りが倍増していて、その経済対策が急務だし、医療方面にしてもそちらの設備投資予算法整備が急務な時期にこんなものを出す時点で、議員役人を手を割く事にも繋がるから、その事は今回一般人国家にも喧嘩を売っているに等しいと言う内容だからね。

これはコロナ対策を遅らせる要因の一つと化すんだよ。

それほどまでに空気が読めていないんだよ。

正直言って政治に求められているのは今はコロナ禍に対する対策であり、コロナ禍以外の法案研究会とかは凍結すべき事態だよ。

それをまず何とかしてからと言う話なんだよ。

総務省総務省でこの時期に発信者情報公開制度研究会をやろうとしているみたいだし、実際コロナ禍の対策が急務だと言っている政府行政人達の方が危機感がない人達が多く見受けられるのは本当に問題だと思う。

緊急事態と口先で言っていても本質的な所で理解していないのだろうね。

2020-04-23

信者情報制度研究会とかコロナ禍の時にするものではないでしょ

こう言う事余り言いたくないけど、今真っ先にすべきなのはコロナ禍に対する対策であって、この手のコロナ禍に関係ない法案研究会とかは後日平時の時に行うべきでしょ…。

少なくとも今は非常事態宣言が出ている訳だし、それ以外の法案についてはひとまず凍結して、コロナ禍の対策をし続けるべきだよ。

ただでさえ、総務省はその一律給付問題とかもある訳だしね。

更に言えばその集会自体世間ではコロナ感染源になりえるとして自粛ムードなのだから

しかしこれを見ても碌でもない事やどうでも良い事、今必要のないやるべき事ではない事はすぐに決めたり、やろうとして必要のない事をなかなか進めないのだから救いようがないよね。

この手のを見ていると予定の決まった事だからとか言い、問題があっても推し進めたりしようとするのが一番の問題だと思う。

結果、どんな弊害被害が出ようがお構いなしにやり続けるのだから

この手のある種の融通の利かない動脈硬化を起こし、柔軟性の欠けた思考や行動に支配されているからこそ、必要対策を遅らせ、重篤事態を招くのだろうと思う。

しかし官民問わず危機感の無い人達こそこの手の思考の人が多いよね。

ある種の平和ボケとも言えるかもしれない。

2020-04-17

anond:20200417091412

とくにMMT言ってるやつだよなぁ。れい山本共産党それから国民民主党消費税減税研究会組が実権を握りつつあるのか言ってた。

財政均衡脳に囚われちゃった立憲民主党は知らん。

野党側も財政均衡脳とMMT割れてきてるね。

2020-04-14

anond:20200414140801

ぶっちゃけ108兆円の欺瞞をまっさきに暴いたのがれいわと共産だったからな。

立憲民主財政均衡呪いに完全に毒されてるから見て見ぬ振りを感じた。

最近国民民主が変わってきている気がする。前原がおるからどうかと思ったが、消費税減税研究会組あたりが実権握りつつあるのか?

まあ、前原野田あたりの新自由主義連中は野党陣営からつまみだしたほうが良いと思う。

2020-04-02

各種粒子のサイズマスクの防御力

各種粒子のサイズマスクの防御力を調べてみた.なお,私は医療専門家ではない.

um: マイクロメートル(0.001 mm).

nm: ナノメートル(0.001 um).

粒子サイズ

粒子サイズ出典
PM2.52.5um[2]
スギ花粉25 um[2]
クリ花粉10 um[2]
COVID19粒子0.05-0.2 um[1]
エアロゾル(一般的定義)0.01-1000 um[3]
エアロゾル(通常の呼気の87%)1um[4]
エアロゾル(咳やくしゃみからの飛沫)5 um[5]
酸素分子0.000364 um

呼吸用防護具の防御レベル

感染予防拡散防止出典
サージカルマスク△ [*1][5]
N95レスピレーター0.3um:95%[5]
電動ファン付き呼吸用保護[5]
市販マスク0.3um:22-71%/1um:47-90%/5um:90-99.6% [*2][6]

[*1] 多くの空気抵抗比較的少ないマスクと顔の間から漏れて」入ってくる。空気フィルターを通過すれば捕捉されるが、顔とマスクの間から飛沫が漏れて入った場合には捕捉されずに呼吸とともに体内に入る。[5]

[*2] データが古いので現在市販マスクアップデートされているかも.

出典

[1] Wikipedia, https://ja.wikipedia.org/wiki/2019新型コロナウイルス

[2] ミヤマ(株) 環境分析測定&リサーチ, http://www.miyama-analysis.net/micro/2013/10/pm25.php

[3] Wikipedia, https://ja.wikipedia.org/wiki/エアロゾル

[4] 日本医事新報社, https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=14278

[5] フィットテスト研究会, https://square.umin.ac.jp/fittest/pdf/ft_text.pdf

[6] 1986,各種マスク粉塵及び細菌捕集効率, https://www.jstage.jst.go.jp/article/expanim1978/35/3/35_3_293/_pdf

ガーゼや布でマスクを作る動きがあり,どの程度のもんじゃ,と思って調べ始めた結果です.が,布やガーゼがどの程度フィルターとして機能するかは良い情報が見つからなかったです.

そもそも市販マスクでも感染予防には大して役に立たないので,あくま拡散防止のためですね.

2020-03-22

anond:20200322142547

円安になるにはなるけど、経常黒字を維持している分には問題ないよ。

また、経常黒字を維持するにしても、政府の基礎研究投資企業が貯蓄せずに資金調達して設備研究投資をしている状態必要だけど、

政府は何もしないほうが良い+選択と集中とやらで基礎研究ボロボロにした。また、企業が貯蓄ばかりで設備研究投資をせず、資金余剰の状態バカバカフリーハンドの減税をした。

そもそも財政破綻云々はどこ行ったんだ?

いずれにしても今はまだ厚い経常黒字があるから財政出動倒産防止、食い詰めの防止、コロナのための医療容量の拡大が必要

コロナが終わった段階では、企業ビビって貯蓄ばかりで設備研究投資をしない傾向が強まってるから、使ったら減税、溜め込んだら増税にする。

別の言い方をしたら使ったら節税余地をもたせた上で高めの税金にする。もちろん消費税は下げる。1980年代頃の税制に戻していく。

れいわや、MMTを言ってる連中、消費税減税研究会組の政策にしていったら良いんだよ。

少なくともこの40年の新自由主義政策が誤りだということ。君のいうことも新自由主義の枠から出れてないってことだ。

2020-03-21

javascript を利用したプレゼンツール

これって事前に発表用ラップトップが準備してあって、それを使ってくださいっていうタイプ勉強会研究会では使えない!USBキーを刺してもいいよっていう会もあるにはあるが、動作するかわからず怖くて採れない!そういう会には参加するなってことか?

📽

もしくは大人しくPDFに変換しておくか?

📽

いずれにせよ脱パワポっていうのは魅力的。古いけど唯一DVI端子がついたラップトップLinux導入したいし、それ考えるとパワポは使いたくない!

📽

GITによるバージョン管理もできるし・・markdownベースにしとくと、それが可能検索性も向上。報告書など執筆プレゼンスライド共通に使えるマスターファイルができるっていうのは魅力的な印象が( ^ω^)・・・

2020-03-19

秩序について考える

なんで物理現象に「目的」があると考えようとするのか……? 

anond:20200319154828


そもそも自己組織化とはって話なのだけど

それ以前に分子は揺らぐからな?

直球で”量子生物学なんてのが存在する

[TED] 量子生物学生命の最大の謎を解明するか? How quantum biology might explain life's biggest questions

https://youtu.be/_qgSz1UmcBM

主催: 国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構]第1回量子生命科学研究会 

http://jsqls.kenkyuukai.jp/images/sys/information/20170721094035-5ECB4947B99026F0697B5E1404FED6EBBD60A6A4F2DBD759583B5F5F5C1A96CC.pdf


そして、熱運動的なゆらぎ

[分子生物学][生物物理学] 生命現象の基本にゆらぎを発見

https://brh.co.jp/s_library/interview/58/

からの、『脳の「ゆらぎ」を応用した超低消費電力のコンピュータ』を作れるのではとかやってる

https://wisdom.nec.com/ja/technology/2017011301/index.html



いずれにせよ、日本物理学会は、

生命システムは複雑ではありますが,非生命物質と同じ,通常の物質系(原子分子イオンなど)からできています.したがって,
材料的には生命と非生命物質の間に本質的な違いはありません.
それでは,「生命」と「物質」の違いはどこにあるのでしょうか.

(略)

生命物質から自律的に動く人工的な生命システムを創り,「生命」と「物質」の違いに迫る研究を進めています

https://www.biophys.jp/highschool/E-26.html


とか言ってるので、生物は何かは結局よくわからないが、

”生きる意味を考える” ということは

自己組織化分子の振る舞いや目的を考えるということで概ね正しいので

夕飯はコロッケではなくてスパゲティー🍝

2020-03-01

ふと思った事の備忘録(本文中敬称略

Until Strawberry Sherbet林原めぐみ https://ja.wikipedia.org/wiki/Until_Strawberry_Sherbetにおける「作詞:Mamie D. Lee 作曲編曲大森俊之」の

作詞:Mamie D. Lee

RHYMESTER日本ヒップホップグループhttps://www.rhymester.jp/ https://ja.wikipedia.org/wiki/RHYMESTER メンバー

Mummy-D https://www.rhymester.jp/bio-mummy-d/ https://ja.wikipedia.org/wiki/Mummy-D

との関係性について、ちょっと気になって調べて見たので備忘録代わりに記録。

◎「Until Strawberry Sherbet」はシングルCDとして「1994年5月25日リリース(https://ja.wikipedia.org/wiki/Until_Strawberry_Sherbet)」

Until Strawberry Sherbet作詞者「Mamie D. Lee」で検索するとアメリカ?の学校が出てくる。

RHYMESTERの「Mummy-D」は

1970年横浜市まれ。(https://www.rhymester.jp/bio-mummy-d/)」

1989年、「早稲田大学ソウルミュージック研究会ギャラクシー」にて、当時2年生であった佐々木士郎(現・宇多丸)と新入生として入部してきた坂間大介(現・Mummy-D)がRHYMESTERを結成。(https://ja.wikipedia.org/wiki/RHYMESTER)」

1993年アルバム『俺に言わせりゃ』でRHYMESTERデビュー。(https://ja.wikipedia.org/wiki/RHYMESTER)」

●これらの名称および時間的経過から個人的に推測してみたこ

Until Strawberry Sherbet作詞者「Mamie D. Lee」は、RHYMESTERの「Mummy-D」じゃないのかな?

1994年当時に英語日本語混在のラップ作詞出来る人物となると相当人数が絞られると思うけど、それって1989年グループ結成1993年デビューしたRHYMESTER所属している「Mummy-D」であれば可能な事なのかも?と希望的観測を含めた推測をしてみるw

もしこの推測が正しくてUntil Strawberry Sherbetシングル発売当時は様々な事情で言い出せなかった事を言える環境になっているのであれば、どこかでその辺の話をしてもらえると嬉しいし、有りがたいなぁ、と思う。

2020-02-25

翳(原民喜

センター試験話題になったけど、全文読めるところが見つからなかったので)

底本:原民喜戦後小説 下(講談社文芸文庫1995年8月10日第1刷発行

     I

 私が魯迅の「孤独者」を読んだのは、一九三六年の夏のことであったが、あのなかの葬いの場面が不思議に心を離れなかった。不思議だといえば、あの本——岩波文庫魯迅選集——に掲載してある作者の肖像が、まだ強く心に蟠(わだかま)るのであった。何ともいい知れぬ暗黒を予想さす年ではあったが、どこからともなく惻々として心に迫るものがあった。その夏がほぼ終ろうとする頃、残暑の火照りが漸く降りはじめた雨でかき消されてゆく、とある夜明け、私は茫とした状態で蚊帳のなかで目が覚めた。茫と目が覚めている私は、その時とらえどころのない、しかし、かなり烈しい自責を感じた。泳ぐような身振りで蚊帳の裾をくぐると、足許に匐っている薄暗い空気を手探りながら、向側に吊してある蚊帳の方へ、何か絶望的な、愬(うった)えごとをもって、私はふらふらと近づいて行った。すると、向側の蚊帳の中には、誰だか、はっきりしない人物が深い沈黙に鎖されたまま横わっている。その誰だか、はっきりしない黒い影は、夢が覚めてから後、私の老い母親のように思えたり、魯迅の姿のように想えたりするのだった。この夢をみた翌日、私の郷里からハハキトクの電報が来た。それから魯迅の死を新聞で知ったのは恰度亡母の四十九忌の頃であった。

 その頃から私はひどく意気銷沈して、落日の巷を行くの概(おもむき)があったし、ふと己の胸中に「孤独者」の嘲笑を見出すこともあったが、激変してゆく周囲のどこかにもっと切実な「孤独者」が潜んでいはすまいかと、窃(ひそ)かに考えるようになった。私に最初孤独者」の話をしかけたのは、岩井繁雄であった。もしかすると、彼もやはり「孤独者」であったのかもしれない。

 彼と最初に出逢ったのは、その前の年の秋で、ある文学研究会の席上はじめてSから紹介されたのである。その夜の研究会は、古びたビルの一室で、しめやかに行われたのだが、まことにそこの空気に応(ふさ)わしいような、それでいて、いかにも研究会などにはあきあきしているような、独特の顔つきの痩形長身青年が、はじめから終りまで、何度も席を離れたり戻って来たりするのであった。それが主催者の長広幸人であるらしいことは、はじめから想像できたが、会が終るとSも岩井繁雄も、その男に対って何か二こと三こと挨拶して引上げて行くのであった。さて、長広幸人の重々しい印象にひきかえて、岩井繁雄はいかにも伸々した、明快卒直な青年であった。長い間、未決にいて漸く執行猶予最近釈放された彼は、娑婆に出て来たことが、何よりもまず愉快でたまらないらしく、それに文学上の抱負も、これから展望されようとする青春とともに大きかった。

 岩井繁雄と私とは年齢は十歳も隔たってはいたが、折からパラつく時雨をついて、自動車を駆り、遅くまでSと三人で巷を呑み歩いたものであった。彼はSと私の両方に、絶えず文学の話を話掛けた。極く初歩的な問題から再出発する気組で——文章が粗雑だと、ある女流作家から注意されたので——今は志賀直哉のものノートし、まず文体研究をしているのだと、そういうことまで卒直に打明けるのであった。その夜の岩井繁雄はとにかく愉快そうな存在だったが、帰りの自動車の中で彼は私の方へ身を屈めながら、魯迅の「孤独者」を読んでいるかと訊ねた。私がまだ読んでいないと答えると話はそれきりになったが、ふとその時「孤独者」という題名で私は何となくその夜はじめて見た長広幸人のことが頭に閃いたのだった。

 それから夜更の客も既に杜絶えたおでん屋の片隅で、あまり酒の飲めない彼は、ただその場の空気に酔っぱらったような、何か溢れるような顔つきで、——やはり何が一番愉しかったといっても、高校時代ほど生き甲斐のあったことはない、と、ひどく感慨にふけりだした。

 私が二度目の岩井繁雄と逢ったのは一九三七年の春で、その時私と私の妻は上京して暫く友人の家に滞在していたが、やはりSを通じて二三度彼と出逢ったのである。彼はその時、新聞記者になったばかりであった。が、相変らず溢れるばかりのもの顔面に湛えて、すくすくと伸び上って行こうとする姿勢で、社会部入社したばかりの岩井繁雄はすっかりその職業が気に入っているらしかった。恰度その頃紙面を賑わした、結婚直前に轢死(れきし)を遂げた花婿の事件があったが、それについて、岩井繁雄は、「あの主人公は実はそのアルマンスだよ」と語り、「それに面白いのは花婿の写真がどうしても手に入らないのだ」と、今もまだその写真を追求しているような顔つきであった。そうして、話の途中で手帳を繰り予定を書込んだり、何か行動に急きたてられているようなところがあった。かと思うと、私の妻に「一たい今頃所帯を持つとしたら、どれ位費用がかかるものでしょうか」と質問し、愛人が出来たことを愉しげに告白するのであった。いや、そればかりではない、もしかすると、その愛人同棲した暁には、染料の会社設立し、重役になるかもしれないと、とりとめもない抱負も語るのであった。二三度逢ったばかりで、私の妻が岩井繁雄の頼もしい人柄に惹きつけられたことは云うまでもない。私の妻はしばしば彼のことを口にし、たとえば、混みあうバスの乗降りにしても、岩井繁雄なら器用に婦人を助けることができるなどというのであった。私もまた時折彼の噂は聞いた。が、私たちはその後岩井繁雄とは遂に逢うことがなかったのである

 日華事変が勃発すると、まず岩井繁雄は巣鴨駅の構内で、筆舌に絶する光景を目撃したという、そんな断片的な噂が私のところにも聞えてきて、それから間もなく彼は召集されたのである。既にその頃、愛人と同居していた岩井繁雄は補充兵として留守隊で訓練されていたが、やがて除隊になると再び愛人の許に戻って来た。ところが、翌年また召集がかかり、その儘前線派遣されたのであった。ある日、私がSの許に立寄ると、Sは新聞第一面、つまり雑誌新刊書の広告が一杯掲載してある面だけを集めて、それを岩井繁雄の処へ送るのだと云って、「家内に何度依頼しても送ってくれないそうだから僕が引うけたのだ」とSは説明した。その説明は何か、しかし、暗然たるものを含んでいた。岩井繁雄が巣鴨駅で目撃した言語に絶する光景とはどんなことなのか私には詳しくは判らなかったが、とにかく、ぞっとするようなものがいたるところに感じられる時節であった。ある日、私の妻は小学校の講堂で傷病兵慰問の会を見に行って来ると、頻りに面白そうに余興のことなど語っていたが、その晩、わあわあと泣きだした。昼間は笑いながら見ものが、夢のなかでは堪らなく悲しいのだという。ある朝も、——それは青葉と雨の鬱陶しい空気が家のうちまで重苦しく立籠っている頃であったが——まだ目の覚めきらない顔にぞっとしたものを浮べて、「岩井さんが還って来た夢をみた。痩せて今にも斃れそうな真青な姿でした」と語る。妻はなおその夢の行衛を追うが如く、脅えた目を見すえていたが、「もしかすると、岩井さんはほんとに死ぬるのではないかしら」と嘆息をついた。それは私の妻が発病する前のことで、病的に鋭敏になった神経の前触れでもあったが、しかしこの夢は正夢であった。それから二三ヵ月して、岩井繁雄の死を私はSからきいた。戦地にやられると間もなく、彼は肺を犯され、一兵卒にすぎない彼は野戦病院殆ど碌に看護も受けないで死に晒されたのであった。

 岩井繁雄の内縁の妻は彼が戦地へ行った頃から新しい愛人をつくっていたそうだが、やがて恩賜金を受取るとさっさと老母を見捨てて岩井のところを立去ったのである。その後、岩井繁雄の知人の間では遺稿集——書簡は非常に面白いそうだ——を出す計画もあった。彼の文章が粗雑だと指摘した女流作家に、岩井繁雄は最初結婚を申込んだことがある。——そういうことも後になって誰かからきかされた。

 たった一度見たばかりの長広幸人の風貌が、何か私に重々しい印象を与えていたことは既に述べた。一九三五年の秋以後、遂に私は彼を見る機会がなかった。が、時に雑誌掲載される短かいものを読んだこともあるし、彼に対するそれとない関心は持続されていた。岩井繁雄が最初召集を受けると、長広幸人は倉皇と満洲へ赴いた。当時は満洲へ行って官吏になりさえすれば、召集免除になるということであった。それから間もなく、長広幸人は新京文化方面役人になっているということをきいた。あの沈鬱なポーズ役人の服を着ても身に着くだろうと私は想像していた。それから暫く彼の消息はきかなかったが、岩井繁雄が戦病死した頃、長広幸人は結婚をしたということであった。それからまた暫く彼の消息はきかなかったが、長広幸人は北支で転地療法をしているということであった。そして、一九四二年、長広幸人は死んだ。

 既に内地にいた頃から長広幸人は呼吸器を犯されていたらしかったが、病気の身で結婚生活飛込んだのだった。ところが、その相手資産目あての結婚であったため、死後彼のものは洗い浚(ざら)い里方に持って行かれたという。一身上のことは努めて隠蔽する癖のある、長広幸人について、私はこれだけしか知らないのである

     II

 私は一九四四年の秋に妻を喪ったが、ごく少数の知己へ送った死亡通知のほかに満洲にいる魚芳へも端書を差出しておいた。妻を喪った私は悔み状が来るたびに、丁寧に読み返し仏壇ほとりに供えておいた。紋切型の悔み状であっても、それにはそれでまた喪にいるものの心を鎮めてくれるものがあった。本土空襲も漸く切迫しかかった頃のことで、出した死亡通知に何の返事も来ないものもあった。出した筈の通知にまだ返信が来ないという些細なことも、私にとっては時折気に掛るのであったが、妻の死を知って、ほんとうに悲しみを頒ってくれるだろうとおもえた川瀬成吉からもどうしたものか、何の返事もなかった。

 私は妻の遺骨を郷里墓地に納めると、再び棲みなれた千葉借家に立帰り、そこで四十九日を迎えた。輸送船の船長をしていた妻の義兄が台湾沖で沈んだということをきいたのもその頃であるサイレンはもう頻々と鳴り唸っていた。そうした、暗い、望みのない明け暮れにも、私は凝と蹲ったまま、妻と一緒にすごした月日を回想することが多かった。その年も暮れようとする、底冷えの重苦しい、曇った朝、一通の封書が私のところに舞込んだ。差出人は新潟県××郡××村×川瀬丈吉となっている。一目見て、魚芳の父親らしいことが分ったが、何気なく封を切ると、内味まで父親の筆跡で、息子の死を通知して来たものであった。私が満洲にいるとばかり思っていた川瀬成吉は、私の妻より五ヵ月前に既にこの世を去っていたのである

 私がはじめて魚芳を見たのは十二年前のことで、私達が千葉借家へ移った時のことである私たちがそこへ越した、その日、彼は早速顔をのぞけ、それから殆ど毎日註文を取りに立寄った。大概朝のうち註文を取ってまわり、夕方自転車で魚を配達するのであったが、どうかすると何かの都合で、日に二三度顔を現わすこともあった。そういう時も彼は気軽に一里あまりの路を自転車で何度も往復した。私の妻は毎日顔を逢わせているので、時々、彼のことを私に語るのであったが、まだ私は何の興味も関心も持たなかったし、殆ど碌に顔も知っていなかった。

 私がほんとうに魚芳の小僧を見たのは、それから一年後のことと云っていい。ある日、私達は隣家の細君と一緒にブラブラ千葉海岸の方へ散歩していた。すると、向の青々とした草原の径をゴム長靴をひきずり、自転車を脇に押しやりながら、ぶらぶらやって来る青年があった。私達の姿を認めると、いかにも懐しげに帽子をとって、挨拶をした。

「魚芳さんはこの辺までやって来るの」と隣家の細君は訊ねた。

「ハア」と彼はこの一寸した逢遭を、いかにも愉しげにニコニコしているのであった。やがて、彼の姿が遠ざかって行くと、隣家の細君は、

「ほんとに、あの人は顔だけ見たら、まるで良家のお坊ちゃんのようですね」と嘆じた。その頃から私はかすかに魚芳に興味を持つようになっていた。

 その頃——と云っても隣家の細君が魚芳をほめた時から、もう一年は隔っていたが、——私の家に宿なし犬が居ついて、表の露次でいつも寝そべっていた。褐色の毛並をした、その懶惰な雌犬は魚芳のゴム靴の音をきくと、のそのそと立上って、鼻さきを持上げながら自転車の後について歩く。何となく魚芳はその犬に対しても愛嬌を示すような身振であった。彼がやって来ると、この露次は急に賑やかになり、細君や子供たちが一頻り陽気に騒ぐのであったが、ふと、その騒ぎも少し鎮まった頃、窓の方から向を見ると、魚芳は木箱の中から魚の頭を取出して犬に与えているのであった。そこへ、もう一人雑魚(ざこ)売りの爺さんが天秤棒を担いでやって来る。魚芳のおとなしい物腰に対して、この爺さんの方は威勢のいい商人であった。そうするとまた露次は賑やかになり、爺さんの忙しげな庖丁の音や、魚芳の滑らかな声が暫くつづくのであった。——こうした、のんびりした情景はほとんど毎日繰返されていたし、ずっと続いてゆくもののようにおもわれた。だが、日華事変の頃から少しずつ変って行くのであった。

 私の家は露次の方から三尺幅の空地を廻ると、台所に行かれるようになっていたが、そして、台所の前にもやはり三尺幅の空地があったが、そこへ毎日八百屋、魚芳をはじめ、いろんな御用聞がやって来る。台所の障子一重を隔てた六畳が私の書斎になっていたので、御用聞と妻との話すことは手にとるように聞える。私はぼんやりと彼等の会話に耳をかたむけることがあった。ある日も、それは南風が吹き荒んでものを考えるには明るすぎる、散漫な午後であったが、米屋小僧と魚芳と妻との三人が台所で賑やかに談笑していた。そのうちに彼等の話題は教練のことに移って行った。二人とも青年訓練所へ通っているらしく、その台所前の狭い空地で、魚芳たちは「になえつつ」の姿勢を実演して興じ合っているのであった。二人とも来年入営する筈であったので、兵隊姿勢を身につけようとして陽気に騒ぎ合っているのだ。その恰好おかしいので私の妻は笑いこけていた。だが、何か笑いきれないものが、目に見えないところに残されているようでもあった。台所へ姿を現していた御用聞のうちでは、八百屋がまず召集され、つづいて雑貨屋小僧が、これは海軍志願兵になって行ってしまった。それから豆腐屋の若衆がある日、赤襷をして、台所に立寄り忙しげに別れを告げて行った。

 目に見えない憂鬱の影はだんだん濃くなっていたようだ。が、魚芳は相変らず元気で小豆(こまめ)に立働いた。妻が私の着古しのシャツなどを与えると、大喜びで彼はそんなものも早速身に着けるのであった。朝は暗いうちから市場へ行き、夜は皆が寝静まる時まで板場で働く、そんな内幕も妻に語るようになった。料理の骨(こつ)が憶えたくて堪らないので、教えを乞うと、親方は庖丁を使いながら彼の方を見やり、「黙って見ていろ」と、ただ、そう呟くのだそうだ。鞠躬如(きっきゅうじょ)として勤勉に立働く魚芳は、もしかすると、そこの家の養子にされるのではあるまいか、と私の妻は臆測もした。ある時も魚芳は私の妻に、——あなたそっくり写真がありますよ。それが主人のかみさんの妹なのですが、と大発見をしたように告げるのであった。

 冬になると、魚芳は鵯(ひよどり)を持って来て呉れた。彼の店の裏に畑があって、そこへ毎朝沢山小鳥が集まるので、釣針に蚯蚓(みみず)を附けたものを木の枝に吊しておくと、小鳥簡単に獲れる。餌は前の晩しつらえておくと、霜の朝、小鳥は木の枝に動かなくなっている——この手柄話を妻はひどく面白がったし、私も好きな小鳥が食べられるので喜んだ。すると、魚芳は殆ど毎日小鳥を獲ってはせっせと私のところへ持って来る。夕方になると台所に彼の弾んだ声がきこえるのだった。——この頃が彼にとっては一番愉しかった時代かもしれない。その後戦地へ赴いた彼に妻が思い出を書いてやると、「帰って来たら又幾羽でも鵯鳥を獲って差上げます」と何かまだ弾む気持をつたえるような返事であった。

 翌年春、魚芳は入営し、やがて満洲の方から便りを寄越すようになった。その年の秋から私の妻は発病し療養生活を送るようになったが、妻は枕頭で女中を指図して慰問の小包を作らせ魚芳に送ったりした。温かそうな毛の帽子を着た軍服姿の写真満洲から送って来た。きっと魚芳はみんなに可愛がられているに違いない。炊事も出来るし、あの気性では誰からも重宝がられるだろう、と妻は時折噂をした。妻の病気は二年三年と長びいていたが、そのうちに、魚芳は北支から便りを寄越すようになった。もう程なく除隊になるから帰ったらよろしくお願いする、とあった。魚芳はまた帰って来て魚屋が出来ると思っているのかしら……と病妻は心細げに嘆息した。一しきり台所を賑わしていた御用聞きたちの和やかな声ももう聞かれなかったし、世の中はいよいよ兇悪な貌を露出している頃であった。千葉名産の蛤の缶詰を送ってやると、大喜びで、千葉へ帰って来る日をたのしみにしている礼状が来た。年の暮、新潟の方から梨の箱が届いた。差出人は川瀬成吉とあった。それから間もなく除隊になった挨拶状が届いた。魚芳が千葉へ訪れて来たのは、その翌年であった。

 その頃女中を傭えなかったので、妻は寝たり起きたりの身体台所をやっていたが、ある日、台所の裏口へ軍服姿の川瀬成吉がふらりと現れたのだった。彼はきちんと立ったまま、ニコニコしていた。久振りではあるし、私も頻りに上ってゆっくりして行けとすすめたのだが、彼はかしこまったまま、台所のところの閾から一歩も内へ這入ろうとしないのであった。「何になったの」と、軍隊のことはよく分らない私達が訊ねると、「兵長になりました」と嬉しげに応え、これからまだ魚芳へ行くのだからと、倉皇として立去ったのである

 そして、それきり彼は訪ねて来なかった。あれほど千葉へ帰る日をたのしみにしていた彼はそれから間もなく満洲の方へ行ってしまった。だが、私は彼が千葉を立去る前に街の歯医者でちらとその姿を見たのであった。恰度私がそこで順番を待っていると、後から入って来た軍服青年歯医者挨拶をした。「ほう、立派になったね」と老人の医者は懐しげに肯いた。やがて、私が治療室の方へ行きそこの椅子に腰を下すと、間もなく、後からやって来たその青年助手の方の椅子に腰を下した。「これは仮りにこうしておきますから、また郷里の方でゆっくりお治しなさい」その青年の手当はすぐ終ったらしく、助手は「川瀬成吉さんでしたね」と、机のところのカードに彼の名を記入する様子であった。それまで何となく重苦しい気分に沈んでいた私はその名をきいて、はっとしたが、その時にはもう彼は階段を降りてゆくところだった。

 それから二三ヵ月して、新京の方から便りが来た。川瀬成吉は満洲吏員就職したらしかった。あれほど内地を恋しがっていた魚芳も、一度帰ってみて、すっかり失望してしまったのであろう。私の妻は日々に募ってゆく生活難を書いてやった。すると満洲から返事が来た。「大根一本が五十銭、内地の暮しは何のことやらわかりません。おそろしいことですね」——こんな一節があった。しかしこれが最後消息であった。その後私の妻の病気悪化し、もう手紙を認(したた)めることも出来なかったが、満洲の方からも音沙汰なかった。

 その文面によれば、彼は死ぬる一週間前に郷里に辿りついているのである。「兼て彼の地に於て病を得、五月一日帰郷、五月八日、永眠仕候」と、その手紙は悲痛を押つぶすような調子ではあるが、それだけに、佗しいものの姿が、一そう大きく浮び上って来る。

 あんな気性では皆から可愛がられるだろうと、よく妻は云っていたが、善良なだけに、彼は周囲から過重な仕事を押つけられ、悪い環境機構の中を堪え忍んで行ったのではあるまいか親方から庖丁の使い方は教えて貰えなくても、辛棒した魚芳、久振りに訪ねて来ても、台所の閾から奥へは遠慮して這入ろうともしない魚芳。郷里から軍服を着て千葉を訪れ、晴れがましく顧客歯医者で手当してもらう青年。そして、遂に病躯をかかえ、とぼとぼと遠国から帰って来る男。……ぎりぎりのところまで堪えて、郷里に死にに還った男。私は何となしに、また魯迅作品の暗い翳を思い浮べるのであった。

 終戦後、私は郷里にただ死にに帰って行くらしい疲れはてた青年の姿を再三、汽車の中で見かけることがあった。……

2020-02-15

anond:20200215140143

結局経済が一番大事

立憲民主国民民主の主流には強い新自由主義緊縮派がいるから、そいつらに政権とらすとまた景気が墜落させられる。

MMTを踏まえたれい山本国民民主消費税減税研究会の馬淵あたりが主導権を握れば野党もいいだろう。だけど、前原とか野田あたりがなんかあったら偉そうに出てくるのじゃだめだ。

国民民主割れ割れないとか言ってたけどさ、党を割るとか言ってたのは前原とかだろ?割って前原追い出せばよかったんだよ。そして前原のいない方の国民民主が立憲民主と合流すればよかった。

仮に前原自民にいったとしても、それはそれで緊縮自民と反緊縮野党連合対立軸が明確になっただろうにさ。そしたら次の選挙面白いことになってたと思うよ。

まあ、野党新自由主義緊縮派を切れないことには野党はだめだわ。れいわが自力野党首位、そして与党になる方がまだ経済がよく回ると思う。

小選挙区比例代表並立制で、流石に比例ではれいわは議席を伸ばすのは間違いないからな。どこまで伸びるかでもあるが。

れいわが野党首位になった時点で消費税減税研究会組や日和見れいわに転籍するだろうしな。

2020-02-03

anond:20200203103516

別にれいわや消費税減税研究会組がその論点無視し続けてたらいいだけじゃね?それは我々にとって重要ではないと。

また、緊縮対反緊縮か、対米売国対対中国売国論点重要かということを決めるのも有権者でしょ。

そういう意味で2大政党制と小選挙区制ダメだと思うね。2大政党親玉が緊縮対反緊縮について緊縮で一致してしまえば、

国民は緊縮対反緊縮の論点では選ぶ手段を持たない。

今なられいわと消費税減税研究会組が出てきたから選べる。

anond:20200203102909

まあ、そのくだらない対立軸みえてるが、れいわや消費税減税研究会組はそのくだらない対立軸に飲まれないようにしてほしいねぇ。

2020-01-17

anond:20200117103118

(2001)心臓性急死研究会 東京都23区内における入浴中の死亡

https://www.jstage.jst.go.jp/article/shinzo1969/33/Supplement3/33_3/_pdf

古い統計だけど。サウナは確かに高いけど、入浴中の事故に比べればみじんこ位だからあんまりカウントされてないのか?

ただ、これって、入浴する人数>>>サウナに入る人数 から考えると、決して少ないと切り捨てられる数ではない気がする。

なぜかサウナ好きって「健康に良い」という話しかしないので。

2020-01-12

anond:20200112184031

自民が嫌なら、れい山本や馬淵など消費税減税研究会組にいれるのも一つだぞ。

あいつらが力をモテば、特に野田前原みたいな新自由主義軍団が放逐されるからな。

2019-12-16

屍人荘の殺人観た

原作既読です

まず、ギャグみたいな予告から不安だったんですけど、ギャグでした

葉村君は浮かれてるし、剣崎さんはわけのわからないキャラ付けをされてる

ロックフェス研究会ってなんだよ

中盤の立浪さんとの会話や、原作読んでて「アッこれ!」って気付いた伏線カットされてたり

極めつけはラスト、お前なんでそんなとこにいるんだよ!

エンドロールのあとにエピローグ映像ないし

みんな、ジャンププラスで連載中の漫画版を読もうね

2019-12-11

anond:20191211110216

経済第一なのに景気墜落させる緊縮派の立憲が政権取れるわけがないでしょ。

正直今は小さくてもれいわのほうが可能性がある。

消費税減税研究会組がごっそりれいわに移籍するのが一番可能性あるな。

なんで安部がここまで糞なのに支持率あるか考えてみな。

MMT,リフレ派の立憲なら政権取れるかもね。

anond:20191211101153

結局、自民でも野党系でも、それぞれの集団の中でカウンターとなる経済政策が主流派にならんとどうしようもない。

野党系はれいわ+消費税減税研究会

自民党は西田安藤など

選挙として票を出すならそりゃ党としてMMTを掲げているれいわや消費税減税会組議員西田安藤になるわな。

anond:20191210163204

れいわか共産党だろうね。

消費税日本の景気に悪影響を及ぼしている以上、これの撤廃第一に来るから

党として掲げているのはこの2党だけ。

また、MMT一定支持はしている。少なくとも自民党民主党の主流の財政均衡主義新自由主義よりはマシだ。

追加

野党民主党でも消費税減税研究会組の議員は良いと思うね。

だけど、野党の主流派特に野田、テメーはダメだ。

2019-12-06

嫌いな小説

2019-11-07

キモくて金のないおっさん漫画タイトル忘れた

京都大学学園祭で、漫画研究会の冊子を買ったら

キモくて金のないおっさん主人公漫画レビューで「俺も女にはモテいかもしれないが、こんなに底辺にはならないだろうからピンとこない」的な奴があった

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