はてなキーワード: 研究会とは
人生が詰んでしまったので年内には死ぬ予定なんだけど、その前に両親を旅行に連れて行こうと思ってる。
大学の英米文学研究会で出会ったうちの両親はイギリス文学が大好き。母は家にやって来た頃から家事をしながらウォルポールの「on modern gardening」やワーズワースの「Lucy Gray」を口ずさんでいた。父はシェイクスピアが大好きで、中学生の頃「お前は知らないだろうけど、母さんにはレディーマクベスのような冷酷さと残忍さがある。優しいだけ、綺麗なだけの女性には魅力なんてないんだ。覚えておけよ」と言われたのを今でも覚えている。
そんな2人だが、なんとイギリスに行ったことがない。俺が生まれたのは南ア・ハウテン州の郊外だったし、そこから東京を挟み母を加えてシンガポール、また東京を挟んでニューヨークと各地を転々とした。他にも様々な国を旅行で訪れているのに何故かイギリスだけは行ったことがない。予定していたことはあったが、不運が重なって行けなかったらしい。ちなみに両親がニューヨークにいる間俺はニューハンプシャー州エクセターのボーディングスクールに入れられていた。ここでは食事のマナー、言葉遣い、服装の着こなしなど全ての所作が教師たちの理想通りに矯正される。数学の授業ではトップだったが英語の授業ではいつもローラ・ブッシュの友人だというテキサス出身のヒステリックな女教師に発音や文法を矯正されていた。この授業では英文学を扱うので俺は英文学が大嫌いになった。
2人が行きたい所は決まっていて、イングランド北西の湖水地方。湖水詩人と言われる多くの詩人がこのちをテーマにした詩を作り、或いは旅行に訪れている。両親は昔からここに憧れていた。
秋に2人を旅行に連れて行くべく、現在アルバイトに励んでいる。8月までの稼ぎにもう1人の母方(現在の母は継母である)の祖父が亡くなった時に代襲相続したお金を合わせれば予算のことを気兼ねせずに2人を連れて行ける。両親は一人息子の俺が人生に詰んだことを除けば仲睦まじい幸せな夫婦だ。そんな2人の人生の中間地点に一輪の花を添えるべく最後にして唯一の親孝行をしたい。
長谷川 りな
2013年(平成25年) 関西大学システム理工学部電気電子情報工学科入学
2016年(平成28年) 夏季休暇に中原大学(台湾)に滞在、ELTICOM*において
Best Paper Awardを受賞
2017年(平成29年) 関西大学システム理工学部電気電子情報工学科卒業
2017年(平成29年) 関西大学大学院理工学研究科特待入学
2018年(平成30年) 南洋理工大学(シンガポール)に滞在、共同研究
Journal of the Acoustical Society of Americaに採録
2019年(令和元年) 関西大学大学院理工学研究科コース首席卒業
2019年(令和元年) 日本光電工業株式会社(医療機器メーカー)入社(技術職)
学生時代は、母子家庭ということもあり貧乏学生だったので、いろんなバイトを掛け持ちしていました。塾講師、パチンコのホールスタッフ、リサイクルショップ、野外フェスでの日本酒の売り子などなど・・・。高校時代から大変なことが続きましたが、人に恵まれてここまでやってこれました。特に高校・大学時代の友人、研究室の先生、バイト先のオーナーや店長には感謝してもしきれません。家庭の事情により、実家ない私ですが、所沢はそんな私を受け入れてくれる街です。
かつては大学生だった。今から約20年前のことだ。地元の公立高校で必死に勉強して、勉強して、勉強して、青春のすべてを犠牲にして京都大学法学部に合格した。一浪だった。いわゆるイカ京みたいな京大生がたくさんいる中で、自分もその1人から脱出しようと頑張ってみたが、結局だめだった。
40歳が間近になった今では、没落というか、いや元々高い位置にはいなかったのだが……今は、普通に非正規労働者をやっている。契約社員みたいな仕事に就くこともあるが、あまり続かない。1年くらいで辞めることが多い。結局、学歴って大したことはないんだよなぁ、と実社会で働くようになった今では感じる。
これから、大学時代の話をさせてほしい。暗い話になる。みんなジメジメした話は嫌いだろう。だから、すぐに終わらすよ。頑張って五千字以内に収める。リアル一人称が僕なので、以降は僕でいくことにする。
入学式を終えて大学生になった僕は、どこかのマンガで見たようなサークル勧誘活動を眺めることになった。どういう風に勧誘があったか、さすがにまったく覚えていないが笑
でも、僕にはあまり声がかからなかった。ルックスはいまいちで、特にスポーツ系からは全く声がかからなかった。浪人生活がたたって不健康に見えたのだろうな。
文科系からは何度か勧誘された。漫画研究会とか、小説を書く倶楽部とか、山登りの会とかも見学に行ったっけ。結局、どこにも入らなかった。高校時代はバリボーをやっていたが、大学の部活はいわゆるガチめのところが多い。通用しないとわかっていた。
それで、大学1年生(※正しくは1回生)の時は、ごく普通に講義に出て、帰りに図書館に寄って、たまに帰り道にラーメン店を巡っていた。実家は美山町の貧しい農家だったが、親が優しかったので仕送りをたくさんくれていた。月に8万ほど自由に使えるお金があった。
アルバイトを始めたのは、かなり後になってからだ。大学2年生の春だった気がする。退屈に負けて繁華街にあるマクドに応募したんだっけ。
そんな時だった。1年生の秋頃、学内であるチラシを見かけた。『みやこ音楽祭』なるものの開催案内だった。京都の学生有志で集まる大学間サークルで、くるりとかの有名バンドを呼んで京都の音楽を発信しよう、みたいな団体だった。
チラシには第1回の文字はなかったけど、結局第8回まで行われることになった。僕の時は、西部講堂という古めかしい場所があるのだが、そこでライブをやっていた。
いろんな大学の学生が集まる、しかもライブイベントのスタッフなんて、こんな体験は二度とできないと思った。小学校も中学も高校も、文化祭でリーダーをやるタイプではなかった。下働きだった。
数年前のアニメだと、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』で、高校生だけでアメリカ風のプロムをやろうみたいな場面があって、ゆきのんが実行委員長で、八幡が陰の立役者で、いろはすが現場リーダーだったと思うんだが、僕はその現場の下働きだった。
それで、みやこ音楽産業みたいな名前の団体があって、そこに電話をかけて参加申し込みをした。もうほとんど覚えてないが、西部講堂付近のカフェで面接があったのかな、その場で誓約書みたいなやつを書いてスタッフとして登録した。
若い人達がやってるんだろうなぁ、と思っていたら、みやこ音楽祭を立ち上げたのは20代半ばの人達だった。とっくに卒業年齢だったのだが、京大にはあえて留年をして大学の看板を使っている人もいる。ハタチくらいの有志が集まって~みたいな団体ではなかった。
まあ、そうじゃないと、第1回目からくるりや向井秀徳や矢野顕子は呼べないはずだ。伝手があるのだろうなと察したのを覚えている。
もう想像できると思うけど、ここでも下働きだった。現場で机とか、椅子とかを運んだり、他大学へのチラシ配りとか、やはり音響機材を運んだりとか、ライブ中の警備とか、掃除とか、そういう下働きをしていた。
いろんな学生が集まるサークルなだけあって、多様性に富んでいた。僕は4年分すべて参加したけど、僕のような中核ではない臨時スタッフまで入れると軽く50名を超えていた。なんだかんだでマーケティング活動は抜群だった。もし、経営の才能がある大学生がここで活動したなら、きっといい経験になったと思う。
思えば僕は、アニメや漫画でいうところのモブキャラだった。その団体の中核メンバーはほとんど京大生だったけど、中には同志社とか、立命館とか、京都産業とか、龍谷とか、いろんな人が揃っていた。
僕は京大生だったけど、4年間活動してもずっと臨時スタッフだった。そういうところには潜り込めなかった。かと思えば、才覚のある大学1年生(仏みたいな名前の大学の女子だった)が入ると、次の年からは中核メンバーとしてスカウトされていた。
そういう光景を目にして、つくづく自分が嫌になった。自分は臨時スタッフなので、次の年も参加したいと思えば、またチラシを見つけて応募する必要があった。
それで、イベント初回の時は、その1ヶ月後には打ち上げ会があった。その会では、今の自分から見ても相当気持ちが悪い光景が繰り広げられていた。京大の近くにある居酒屋での開催で、和室の座席を貸し切っていた。席の配置は自由だったけど、大体男女が別々に固まる。40人ほどだった。
ただし、主催者の方で誘導して、男女がある程度向かい合わせになるようにする。それで、京都大学の学生のうち、女子と向かいになった人達が、飲み会が盛り上がっている半ばでこういうアピールを始める。※京都の方言は標準語に直している。
「俺、浪人して経済(学部)に行こうと思ってたけど、総合人間でもまあいっかと思って」
「高校の頃の模試は全国で二番だった。医学科行きたかったけど、キツそうだからやめて看護(保健学科)にした」
「お前らまだ若いからいいじゃん。俺こないだのTOEIC220点だったぞ。大学入ってから頭が悪くなっていく一方だよ」
(3/21追記)コメントを受けて。以上は飲み屋での会話だから、卑屈な謙遜がかなり混ざっていると思う。会話自体は確かにこのとおりだ。
こんなノリで会話を始めて、自分の財布から京都大学の学生証を取り出して、目の前の女子に見せびらかす。こんなことを彼らは四年間ずっと続けていた。見ていて情けなかったけど、かくいう自分も、隣の人に振られる格好で一度だけやったことがある。
「え、え、自分京大なん? リッツ(立命館大学)かと思ってた」
「法学部なんですね!! すごーい」
「機材を運んでる時、気遣いがすごかったですね。警備中もずっとお客さんの方を見てた。ほかの人はサボってライブ見てたのに」
今思えば、女子は気を遣ってくれていた。こんなに恥ずかしいことを、当時は若かったとはいえ、自尊心に負けてこんなアホみたいな、つまらない、人間として三級品にも等しい、救いようのない子どもじみたことをしていた。トイレの手洗器に張り付いたタンカスの方がまだ魅力的だった。
で、そんなことをしていると、向こうから中核メンバーが乾杯にやってきた。すると僕の周りにいた京大生は、借りてきた猫みたいに大人しくなる。それで、女子は彼らの方を眩しい視線で見つめるのだ。目のキラキラ感が違う。
……でも、当時の僕は受け入れていた。これが正しい形なんだって思っていた。強い人間がモテて、強い人間がいろいろ持っていくのは当然だと思っていた。僕だって、京都大学に合格した時は、中学校や高校の先生や後輩から神扱いだったし、親族からもすごく褒められたし、母親は泣いていた。
でも、違うのだ。大学が保証する個人の能力というのは、実社会で必要な力のせいぜい20〜30%だ。ほかの能力面がダメだと社会では通用しない。
結局、在学中に目立つことはできなかった。自信が持てるような体験はなかった。学業成績は中の中ほど、アルバイト先は今は亡きマクドナルド河原町三条店で、そこでは全スキルをほどほどに鍛えた。就職活動はコツコツとやって、結果は京都銀行に内定した。しかし、自分という存在に確信がもてないまま、あっという間に四年間が終わっていた。
銀行でのことは話したくない。嫌な思い出だし、気が付けばすごい文章量になっている。増田でこんなに書いたのは初めてだ。
掻い摘んで話すと、社会人一年目から地獄だった。地方支店からキャリアが始まったのだが、預金口座とか、金融商品の営業がまったくできなかった。
営業としての適性がなかった。ぜんぜんだめだった。当時の成績はゼロに近かった。ほかの同期は、月にひとつ以上は契約を取ってくる。高卒で入った男の子や女の子ですらそうだった。
同期に馬鹿にされて、上司には激詰めされて、居場所がなくなって、しかしクビにはならない。いっそクビにしてほしかった。京都の山間部に住んでいる親には「うまくやってる」と嘘をついていた。
三年目のある冬に、メンタルが完全にダメになって仕事中に交通事故を起こした。運転中に手が震えて、ハンドル操作ができなくなった。それで免許停止になってしまって、人事との面談では……もう雇い続けることは難しい、次やったら本当にだめだ、みたいなことを言われた。クビにはならなかった。
まだ次があるのかと思った。上司からは、「お前は京大だからな!! 地銀に入る京大なんか珍しいからな!! できる!! なんとかしてみろ」と何度も言われた。
結局、次の交通事故を起こす前に辞めた。退職手続きはあっさりだった。相応のレベルの会社らしく、有給消化や退職その他の手続きは出社しなくても全部やってくれた。今でも感謝している。
それからは坂道を転がるみたいだった。どの仕事でも2年以上続かなかった。期待していた仕事でも、やってみるとぜんぜんダメだった。先日は、市役所の会計年度任用職員をクビになった。現業の仕事をするポジション(剪定、伐木、廃棄物処分)で募集があったので応募した。
書類選考が通って、市役所の役職者が面接をしてくれた時に、「え……京大なんですか……?」と愕然としていた。自分以外に応募者が10人以上いたけど、現場仕事未経験の自分でも内定を取ることができた。
もうわかっていると思うが、結果は散々だった。口頭での指示を理解できず、とんちんかんな行動を繰り返して、何度も怒られて、1ヶ月も経つ頃には役職の人に呼ばれて三行半を付きつけられた。
「すんません……こないな自分が言うのもなんですけど、事務職やったら……」
「事務職はもうパートさんがおるさかい。あんたには任せれへん」
「すんません」
会計年度任用職員の試用期間は1ヶ月だった。こういうわけで、先日見事にクビを切られた。情けない限りだ。いや、もう僕はこういう状態に慣れてしまった。これでいいのかもしれない。
これからも、アルバイトで日銭を稼いで、スーパーで閉店近くに八割引きになっている惣菜を買って、コンビニでストロング無糖ドライを買って、二級品の梅干しを入れて、ウィルキンソンで割って飲み続けるんだと思う。
最後に知っておいてほしい。学歴は仕事の結果には関係がない。最近読んだ『科学的な適職』という本で、アメリカの研究で学歴と仕事の結果の相関係数が0.1とあった、との記述を見た。つまり、ほとんど関係ないのだ。マイナス相関でないところは皮肉に感じる。
そろそろ仕舞いにしよう。こんなおっさんの愚痴を聞いてくれてありがとう。適度なところで死ぬようにする。いつも布団に入る時に思う、「目が覚めた時に死んでいればいいのに」って、本当にそう思う。
――ああ! 誰かがあの肉體からあの魂を取除いてくれないかなあ!――「造物主」が何かのはずみで手違ひをしたとしか思へませんからね!
未來のイヴ ヴィリエ・ド・リラダン (著), 齋藤 磯雄 (翻訳) P.99
3/21追記 この本の引用が上の言葉の元です。こんなところまで自分の言葉じゃなくて申し訳ありません。
もし若い人がこの日記を読んでいるのだとすれば、学歴と仕事能力は関係ないって、それだけでも心に刻み付けてほしい。そうすれば、僕のような人間を少しは減らせるかもしれない。
夫は人格者だしルックスもいいし普通に恋愛結婚だったしお互いの実家含めて大きなトラブルもなく、別に今の生活に不満があるわけじゃない
しかし自分がともすればそれらを全部捨てて逃げてしまいそうな恐怖に今怯えている
昨年のはじめぐらいからとある趣味にハマっていて、それ関連の社会人サークルに加入したんだ
そしたら先月そこに先輩が新人として入ってきた
懐かしさから話も盛り上がり、一気に時間が戻ったような気がした
サークル活動が終わった跡、まだ話足りなくてこちらから誘って飲みに行った
当時の部員が今何人くらい結婚してるとか、地味だったあの人が業界で活躍してて〜みたいな話を二時間くらいしていると
私の終電はまだまだ先だったし先輩は車で来ていたから、駅までのんびり歩きながら送ってもらった
でもその途中でふっと話題が途切れて、ふたりとも黙ってしまって変な感じになった
そしてその感じには憶えがあった
大学の文化祭の前、部のメンバーで終電すぎまでキャンパスで準備作業してて
でも学内に宿泊する許可をとってなかったため追い出されて、その現場にいた6人で先輩のアパートで朝まで寝させてもらうことになった
実を言うとそのときの私は隣駅のアパートに住んでたから帰ろうと思えば帰れたんだけど、他のメンバーが気を使って誘ってくれた
私は先輩のことが好きで、それがみんなにバレバレだったのだ
六畳間に先輩の布団と来客用のダブルの布団を並べて敷いて、そこに男女六人が雑魚寝する形になった
先輩が左端で、その隣が私だった
みんながそう仕向けたのだ
私と先輩以外の四人はすでにカップルで私達は「お前らも早く付き合っちゃえよ」みたいなノリでよくいじられていた
もちろん私はそう言われるのがまんざらではなく、「え〜ちょっと〜」とかいいながら気持ち悪くニヤニヤしてしまっていたが、先輩がどう思っていたかはわからない、怖くて顔を見られなかったから
その夜は結局眠らずに朝方まで駄弁って、カップル2組は始発に合わせて「増田ちゃんは校門開くまで寝かせてもらいな! ね!!」と私を残して出ていった
「まあ、じゃあ寝るか・・・」
「あっはい」
みたいな感じで布団に戻った
先輩はさっきまでとは逆側の、ダブルの方の布団に入ってこちらに背を向けた
今思うと、私の方はさっきまで寝ていた場所に戻るだろうという想定で、距離を開けたんだと思う
それを私は何故か「えっ? えっ?! ダブルの方に?? これって誘ってるんだよね? 来いってことだよね??」と解釈して、心臓をバクバクさせながらすっと先輩の隣に潜り込んだ
「えっ」
と先輩が言ったその響きを今でも覚えてる
その時はなにが「えっ」なんだろう、寝ぼけてるのかなかわいいと思ったけど、まあせっかく開けた距離を秒で詰められたらえってなるよね
でも先輩は私を追い出したり恥をかかせたりせず、そのまま背を向けて寝続けていた
私はと言えば完全に「そういうことなんだよね??私今から処女捨てるんだよね?!」って思ってたのんだけど、何しろ経験がないのでどうするべきかわからない
先輩はずっと背を向けてるし…
先輩がゴム持ってなかったら困るなとか、いやその前にシャワーじゃない?とか、先輩の後頭部をガン見しながら悶々と考えた
ただ考えてもどうにもならなくて、でもせっかくのこの時間を意味あるものにしたくて
めちゃくちゃ、本当にめちゃくちゃ勇気を出して、おでこをちょっとだけ先輩の背中にくっつけた
汗のにおいがした
隣の部室のアジア文化研究会が漬けているキムチのにおいも少しだけした
これでいいや、これでけっこう幸せだ、と思った
そう思うと眠気が来て意識が遠のいた
目を覚ますと先輩はもう起きていて、簡単な朝食を作ってくれていた
私達はそれを無言で平らげて、文化祭の準備の続きをするためにキャンパスまで歩いた
私が、同衾した(文字通り同衾しただけ)昨夜のことを思い出して真っ赤になってキョドってしまうからだ
起きてからも額がずっと熱いような気がしていた
先輩はいつもどおり飄々としてたけど、やはりどこか意識しているのは見てとれた
私は本当にこの人のことが好きなんだなと思った
っていう、こういうことを子持ちのアラサーおばさん増田が書いていると思う怖くないですか?
でもそれが現実なんですよね
とにかくこのときの、朝日の中をぷらぷら歩いた数十分とその前の数時間のことを、久しぶりに再会した先輩と駅まで歩いたことで明瞭に思い出してしまった
若い頃の恋ってなんであんなに激しかったんだろうって思うことありませんか?
先輩が他の女と話しているだけで嫉妬に狂いそうになったり、同じ時間に同じ店にいるためにめちゃくちゃ努力したり、文房具拾ってもらっただけでその日は一日中幸せだったり・・・
あのあと私は先輩と付き合うこともなく、処女のまま就職して職場で今の夫と出会うんですけど
お互い徐々に信頼感を積み上げていって、お付き合いしましょうなんて言うこともなく、いつの間にか休日の予定を合わせるようになっていた
はじめて泊りがけの温泉旅行に誘われたとき、そして旅先での夜・・・
緊張したけど、たしかにすごく緊張はしたけど、ボロアパートで先輩のせなかにおでこをくっつけたときのような死にそうな、体ごと命ごと爆発しそうなドキドキはなかった
もっとどこか冷静で、また一歩結婚に近づいたんだなぁみたいな感じが強かった
そう思っていた時代が私にもありました
恥ずべきことだと思うけど、今の私は先輩に会うのが楽しみで他のことが手に付かないくらいになっている
私が好きになった先輩の魅力は今もそのままだ
これはフェイク設定なんだけど大学の頃入ってたのはギター部で、いまいるのはウクレレサークル
まあそんな感じで地続きなジャンルなんだけど
かつての先輩は本当にギターが上手かった
ものすごく努力して技術が高いとかではなく、生来のものにすら見えるセンスと発想がぶっ飛んでた
先輩の演奏する姿に私は惚れていた
そして十何年たった今も、先輩のウクレレは素晴らしい
すでに講師代理をするという話も持ち上がっているのに「でも俺は楽譜通りには弾けないから・・・」みたいなことを言って断ってる
はぁ、カッコいいよねもう
おっさんでも乗ってる車がタントでも靴がクロックスでも全然気にならないくらいかっこいい
最近は「当時の話」のストックが尽きてきて、先輩との二次会ではついに「あの日の話」が俎上に上がった
「あのときはあんなだったけど、あの後どこかのタイミングで告白されるかって思ってずっと待機してたんだよ俺」
ほんとですかぁ?怪しい〜なんて返したけど、もう脳内では快楽物質ドバドバよ
「え、じゃ、じゃ、じゃあ、今からでも?」
「そしたら考えるよ」
考えて〜〜〜〜!!もっと私のこと考えて欲しい〜〜〜〜😭
まあでも最愛の子供たちもいますし夫のことも本当に愛してるので変なことはするつもりないです
だからやっぱりさ、陳腐な言い方になっちゃうけど恋と愛ってぜんぜん別物なんだよね
まともな現代人のやることではない
〜 fin 〜
ヤフーに出る。
いささかも驚かない。
これが日本のリベラルフェミやジェンダー平等、人権、包摂の正体。
(続)
暇空茜
@himasoraakane
村木厚子さんが副会長(ほんとどこにでもいるな)の農福連携協会で障害者雇用のソーラーパネルを推してる
https://maff.go.jp/j/shokusan/renewable/energy/einou.html
そらゆりこ逆らえんわ
最終更新
https://twitter.com/himasoraakane/status/1615046771948015616
藤原💰かみら🦙S耐2022 RED SEED Audi R8 LMS GT4🦊⛩️
@Racer_Kamira
·
(続)
暇空茜
@himasoraakane
村木厚子さんが副会長(ほんとどこにでもいるな)の農福連携協会で障害者雇用のソーラーパネルを推してる
https://maff.go.jp/j/shokusan/renewable/energy/einou.html
そらゆりこ逆らえんわ
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(続)
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(続)
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怖くはない。
お飾りで雇ってないか。
阪本ゆづき🌈🌈SAKAMOTO Yuzuki🌈🌈
@yuduki_gender
Let'sジェンダー🌈/女らしさ・男らしさからの解放🌈/黙らない黙らされないフェミニスト/東日本ジェンダー平等研究会/東海ジェンダーレス制服検討推進会社外副長/夫はジェンダーレス制服の企画営業のプロなので安心!/講演会・勉強会のご依頼はDMでお願いします。別途メールアドレスを教えます。🌈🌈
差別がよくないのは間違いないのですが。差別を捏造したりするのはもっと良くないです。
こういうジェンダー平等が全く分かっていないインチキって本当にあきれてしまう。
https://twitter.com/yuduki_gender/status/1612330677801988097
阪本ゆづき🌈🌈SAKAMOTO Yuzuki🌈🌈
@yuduki_gender
高校サッカーには失望した。いつも表舞台は男子生徒だけ。女子生徒はフィールドにすら入れずスタンドで応援のみに従事。これはれっきとした女性差別であり日本社会の縮図だ。許せない。
岡山学芸館に至っては、この寒空に女子生徒に露出の多い衣装を着用させて応援させていた。これはもはや虐待だ。
5,779 件の表示
こういう言いがかりをつけて講演料を巻き上げているとしか思えません。
https://twitter.com/danzoo81v/status/1614072742193823744
danzoo81v
@danzoo81v
返信先:@yuduki_genderさん
男子メインの全国高校サッカー大会は女子も基本参加可能ですがフィジカル面(体力)等によりほぼ参加出来ません。その代わり全国高校女子サッカー大会には男子は基本的に参加不可です。これは、サッカー界では全ての基本です。
151 件の表示
danzoo81v
@danzoo81v
返信先: @danzoo81vさん,
@yuduki_genderさん
水泳のトーマスとか男のくせに私は心が女だと言って女子水泳を荒らしまくり。
男らしさ・女らしさは体格が違うのであって当たり前。それが差別というのは完全に妄想であり、不合理。どこに合理性があるんだ。
こういうでたらめばかりいう人間は批判されてしかるべき。でもこういうでたらめを言うほうがお金が儲かります。
阪本ゆづき🌈🌈SAKAMOTO Yuzuki🌈🌈
@yuduki_gender
何度も言いますけど、沖縄をおもう気持ち、米軍基地を無くしたいという意思=座り込みなのです。
私は現地以外でも座り込みをしています。職場でも講演会でも家のコタツでも。
https://twitter.com/yuduki_gender/status/1602259466224775169
※3日連続の最終日 みなさんおつです
見逃したとしても
月曜祝日までのいわゆる3連休に3日連続特番と通常回が再放送されます
※10月からの本放送は1時「25」分から 12月はなぜか「60」分枠に
ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・02 リオデジャネイロ
・03 門松 かどまつ
・05 [すべて]横山裕 村上信五 丸山隆平 安田章大 大倉忠義
・06 デミタス(カップ
・07 宮城道雄 みやぎみちお
・08 [近似値]74.1(パーセント
・10 1(番
・13 『BLUE GIANT』ブルージャイアント
・14 アシカ(科
・15 ミャクミャク
・18 芦ノ湖
・19 7
・21 2(番
・22 ダニエル・クレイグ
・25 絵に描いた)餅
・26 アキレス腱
・27 松
・28 3(打
・30 中田喜直 なかだよしなお
・31 [3択]18(枚
・32 サクレ・クール寺院
・35 ヘボン(式
・40 <鍋>義経《よしつね》 鍋
・46 <水族館>館長
・47 <花>長崎(県
・50 <城>イカ
・54 <駅弁>ひっぱりだこ飯
・61 <野生動物>7(番
・66 [2答]LとV
・67 [2答]一と乙
・69 [2答]キキとララ
・75 [2答]JとQ
・79 [3択]大正
・80 まいぜんシスターズ
・81 average
・83 フランス
・88 西畑大吾 にしはただいご
・89 うさぎ
・90 [苦渋]にがり
・91e 口語
・xx [ある人物の名前]ジョージ・オーウェル
えせ同和団体の歴史は全国水平社の歴史と同じほど長い。全国水平社結成の翌年、1923年には、水平社への参加を拒まれた二川光春という男が「水平社東京府本部総理」「新水平社」を名乗って東京の東本願寺に質問書を送るなどの活動をおこない、また『水平運動の叫び』と題する私家版の書物を刊行し、水平社から糾弾を受けている[20]。
今日、「日本」「全国」「全日本」などの語を冠し、「同和」「部落」「人権」「協議会」「連合会」「促進会」「協会」「研究会」「連盟」などの語と組み合わせて思いつく限りの名称を名乗るエセ同和団体が日本中に数多く存在する。その数は640以上とも言われている[21]
こんなところに中小企業診断士が来てるのか知らんけど。
「事業再構築補助金」と書いたけど、どの補助金もひよこ食い状況はさほど変わらないと思う。中小企業診断士業界でひよこ食いが常態化しているのは、
独占業務がない
⇒士業事務所がほぼない
とか
独占業務がない
なんてことが背景にあると思っている。
中小企業診断士になるためには「試験」「養成課程」の2コースがある。自分は試験合格組だが、身近にいる中小企業診断士と言えば講師くらい。資格予備校の講師は安定収入にはなるが、社員にでもならない限りコスパが悪い。自分の場合、予備校時代に世話になった講師が、講師業の傍ら補助金で荒稼ぎをしている人だった。中小企業診断士としての稼ぎ方について、補助金申請代行のことしか話さない人だった。補助金業務は採択された補助額の10%が標準的な成果報酬で、6千万円の補助金をやったら6百万円の収入…そんなことを講義中の小話にしていた。補助金申請代行は独占業務ではないものの、士業のスキルを発揮できる立派な仕事だと刷り込まれた状態で合格した。
合格後「中小企業診断士 業務委託」等で検索し補助金申請代行の応募をしまくった。有資格者であれど未経験は未経験、だいぶ落とされた。ようやく1社から仕事をもらえることとなり、最初の1本の採択を勝ち取って、それは大きな自信となった。
当時いろいろな集まり(協会だの研究会だの勉強会だの)に参加するたび、補助金専門診断士が格下に見られていることに憤りを感じていた。それなら何で稼げというのだ、道筋を見せよ!と。
そんな自分であったが、補助金業務をやるたびに分かってきたのが以下の実態だ。
https://anond.hatelabo.jp/20220903112038
すみません。先輩方のおっしゃっていたこと、ようやく分かりました(土下座)というかおそらく諸先輩方も、ひよことして食われた経験があるのだろう。今となっては具体的な手法を明言して同業他社(者)をdisることが、狭い業界の中でハイリスクであることは理解できる。
ところで「何で稼ぐかの道筋」だが
公の単発仕事(専門家派遣・安い)から顧問契約獲得(民民契約)
公の事務局仕事(○○コーディネーターとか、数か月~数年である程度の固定収入)
このあたりが王道だろう(他にもあれば教えてください)
2011年に早稲田大学に入学後、アニメ好きだった自分は即アニ研(アニメーション研究会)に入部したんだが、部室のド真ん中に堂々と鎮座していた大画面TVが古今東西の様々なアニメを無限に映し続ける(垂れ流し続けている)姿はあの当時のアニ研の一種の風物詩だったと思う。当時最先端のアニメだったまどマギやアイドルマスター(無印)もバッチリ押さえて部内TVで映されていたんだが、最新のアニメのみならず80~90年代とかの古いアニメもほぼ全て網羅されていたようで、一体これだけの量のアニメをどうやって確保したのかと部の先輩に聞くと「基本的にはリアルタイム放映されてるアニメはこれまで部としてほぼ全て録画してデータとして保存してきたが、古いアニメに関してはWinny、Share、PerfectDarkで集めてきた」と。
大学入学したての18歳ピュアだった当時の自分としては部の憧れの先輩方が「Winnyその他の違法なファイル共有ソフトでアニメを集めていた」という事実に結構強い衝撃を受けた。
そのことについて直接先輩方に「先輩方は著作権法を堂々と犯していることに疑問や罪の意識を抱いていないのか」と問うことこそしなかったものの、その事実に非常にガックリきたし、何か「オトナの社会の汚い面」を人生で初めて垣間見させられたような気がした体験であった。
また、その古今東西のほぼ全てのアニメが集められていた部所有の高性能PC(と外付けHDDの数々)には、アニメのみならず膨大な数の漫画やゲーム、果ては割れPhotoshopなどが堂々と保存されており、「これもし警察にタレ込んだら結構大変なことになるんじゃないか」とも思ったものだった。
あの感じでは、アニ研のみならず漫研でも違法収集された漫画データの山とか部内PCに保存されてたんじゃないかと思う。直接行って確認したわけではないが。
アニ研には結局卒業までずっといたし、毎年のコミケに参加したりと、非常に楽しい思い出が数多く存在する場所だったが、それと同時に「著作権法違反者の巣窟としてのアニ研」という負の側面をもまた私はずっと忘れないだろうと思う。
紺ブルマー崇拝教団とは、神奈川県内に本部を持つ宗教法人である。通称は「KB教」。
KB教は東京都府中市にある旧東京体育大学のキャンパスを拠点としている。2020年10月時点の信徒数は6700名余りで日本最大級の規模を誇る宗教団体でもある。
この団体は学生時代から一貫してスポーツ活動にのめり込んできたメンバーによって結成されたもので、同団体の活動は体操着(主に紺色)を神聖視しこれを着用する女性の肉体美を称えるというものが中心となっている。そのため入信には健康な男女であることが条件となり、特に20歳未満の女性に対する勧誘行為が禁じられているという特色がある。
なお紺色の服装をしていると身体が良くなるというのはあくまで迷信であり科学的根拠はないとされる一方で、会員たちは熱心に修行を行い信仰心を高めることでその加護を得ると信じており、実際に入信者の中には怪我や病気を克服した者もいるとされる。その一方で性的嗜好に基づいた不純異性交遊への助長を目的とした悪徳商法ではないかという指摘も時折行われているため注意を要する。
またKB教では紺ブルマと呼ばれる独自の制服を制定してこれを着用した女性が活動する光景も見られることから、これは元々は同校の学生用体操服であったものの名称を転用したものと見られている。
KB教の歴史は古く、1974年に学生有志による同好会という形で発足している。当時は学祭における出店のような扱いであったが、徐々に本格的な活動をするようになり、1998年には教義に基づいて新たな運動部を設立するに至っている。設立時の名称は『体操文化研究会』であったが、2002年ごろに現在の名称に変更されたとされている。
2017年以降は大規模な布教活動を行うようになり、2019年現在で各地に支社を置くまでになっているほか、2020年の時点では海外にも進出する計画を立てていたとしている。
2020年時点で約1万人弱の会員を擁しているが、主な構成員の出身校として首都圏にある私立・国立高校の名前が列挙されることが多く、その多くは私立の女子高だと言われている。また入退会の自由はなく、事実上の軟禁状態にあるのではないかと指摘する声もある。
KB教に入信するにはまず最初に男性であれば入会金2万円を支払い、その後指定口座へ会費を振り込むことが必要となる。入会の儀を終えた者は手製のロザリオを受け取ることになっており、これが教徒であることを周囲に示すための身分証となるのだという。また教祖の肉声を収録したカセットテープを購入しそれを携帯することも義務づけられているが、テープの内容は毎回異なるとのことなので信憑性については不明だという。
そして入信の儀式の際にはブルマーを着用した上で専用の座布団に座って正坐をし、講師役の導師の指示に従って礼拝を行うことになるのだが、その際は両手両足を大きく広げたままの状態で静止するよう求められることがしばしばあるらしい。さらに儀式後は全員揃って合掌しながら聖詞を唱えつつ感謝の言葉を述べることになっているようだ。こうした一連の行動は全て経典に記されている通りのものなのだという。ちなみに教団内の宗教行事においてはこれらの行為は性器を露出させるよりも重要であるとされており、この点に関して前述の生徒は「破廉恥などとはとんでもない!」と語っているという。
なおこれらの行法が行われる部屋は元々使用されていた体育倉庫を改造したものであるらしく、2018年時点では4畳半ほどの小部屋に机などが並べられているだけの部屋だったものが次第に拡張されていったとみられている。
2021年現在も入信者の増加が続いているとされ、「まだ未熟ですが教団の拡大のために頑張ります」「自分の力を活かして皆様のお役に立てるよう努めて参りたいと思います」といったメッセージがSNSなどで発信されているという。しかしその中には特定の人物に対して勧誘が行われていることを示唆する内容のものもあったといい、真偽は不明ながら一部では問題視される動きが見られるという。
KB教の特徴はなんといってもその会員の多くが体育会系の出身であるということだろう。実際に2017年ごろの段階でも全国各地にある支部の支部長の多くはスポーツマンであったという証言があり、中には甲子園に出場した経験のある選手もいるといわれている。2020年現在でも数多くの部員を擁する部活動が存在するという情報もあり、そうした観点から見れば他の新興宗教団体と比べても格段の規模を誇っているといえるかもしれない。
一方で組織運営に関してはあまり資金的余裕がないのか、活動費用に困った信徒たちが銀行から融資を受けようとし断られているという情報がインターネット上で散見されるが、これについてもあくまで噂の範囲に留まるもので確証はない。
またKB教には独自の信仰形態に基づいたいくつかの禁忌事項が定められているものの、その詳細は不明であり入信者であっても詳細を知らない者が多いとされる。例えば性行為禁止の項には「不浄な肉体で行うことによって神様からの天罰を受ける恐れがあります。それを防ぐために男性の入信を禁じています」(原文ママ)と書かれているとされるが、これに対しては過去に一部の男性が抗議を行ったこともある(もっとも教義の内容的に考えて実行可能かは疑問視されていたが)。
他にも性的な表現を含む創作物や言葉の使用が制限されており、例として小説や漫画などの出版物はもちろんのことネット上においてもそのような表現が用いられることは禁じられているとされているほか、『体操文化研究会』に関連するサイトへのリンクも禁止されているようである。ただしこれらはあくまで『体操文化研究会』に対するものであり、その他の関連項目ではそういった制限は特に設けられていない。2019年時点では主に男性を中心として入信希望者が殺到しているため、特に若い女性の間ではこの教団の存在が一種のステータスとなっているのではないかという指摘がある一方、男女間のトラブルが発生しているという報告もある。具体的には男子生徒が女子生徒に対し性的暴行を加えようとしたり下着類を奪い取ろうとしたりして逮捕された事例が少なくとも3件発生しているそうで、いずれも未遂に終わったもののうち2名は起訴猶予処分となったそうだ。
かなり不気味だったから昨年の11月に作成してからずっと増田に投稿できてなかった。
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