はてなキーワード: 懺悔とは
わざわざこんなものを書いてるってことは、このままじゃまずいな、って思う程度の倫理観はあるだろうし(ガチで倫理観がなければ、ここに書かれていることを列挙することすらできない)困ってる自覚があるなら行ったほうが良い。
医者の犯罪通報の義務は守秘義務より上とかあるんだっけか?まあ証拠のハッキリしないショボい窃盗なんかわざわざ通報しないだろう。客層的に妄想も多いし。精神科おすすめ。
あと詳しくはないけど、教会とかお寺でも売ってるんじゃないかな?そういうのの受け皿になるのが本来の役目でしょ。懺悔室とかあるんじゃない?知らんけど。
ただ現代の一般的な聖職が犯罪者に真摯に対応してくれるかは本当に知らんので、そういうとこ行くなら加害者支援とか明確に打ち出してるとこが良いかもね。
そう思ってたんだが、よく見ると増田自体じゃなくその魚拓(Internet Archive)がブコメされている。
そして元記事はとっくに削除されてる。
はぁ!?
なんじゃそりゃ!???
おいブクマカ!
ただの匿名の懺悔に対し、その魚拓を取り、そればかりかバズらせるとかどんだけ畜生なんだお前ら!
例えばこれが犯罪自慢とかなら分かるよ。
正義マン集団のブクマカとしては追い詰めようとするのはごく自然なことだろう。
だがあの不器用なりに反省しあがいてる増田をバズらせる意味が分からない。
何がしたいんだ?
迷惑すぎんだろ!
現在ネット上で私に対する告訴をちらつかせている人物は、その人物の元・妻であると私が称したと主張している。しかし、文章の修正の前も後も、私はそんなことは一言も書いていない。その点に関してだけは明確にしておく。
2022/05/30告訴をちらつかせている人物がいるが、私はその人物の元・妻ではない。繰り返しになるが、最初から私はそのように称していない。本来ならば、セクシャルハラスメントの被害者として、特定されたり好奇の目に晒されるような二次的被害を防ぐために個人情報を曖昧にして書いた。それなのに、告訴をちらつかせている人物からは「自分の元・妻ではないから、このセクシャルハラスメントの被害の話は虚偽」と言われ、私は非常に苦痛を強いられている。痴漢冤罪をピックアップすることで痴漢の被害者の声を掻き消そうとする人たちがいるが、それと同じことをセクシャルハラスメントの被害者に対して行っていると、告訴をちらつかせている人物には自覚して欲しい。
以下の話は、フィクションである。実在の人間・団体・事件には一切関わりは無い。
ーSLAPP訴訟を準備している人に対する注釈ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最初に発表した時点では無かった「実在の人間・団体・事件には一切関わりは無い。」という一文を、上のとおり書き加えることにした。後に続く部分でも同じ書き加えをした。この、たったの一文を挿入することが、私には耐え難い苦痛だった。私自身のハラスメント被害を無かったことと、皆の前で宣言しろと言われているような気持ちになったからだ。私は今、トイレに行って嘔吐してから、この部分を記している。結局、あの頃と同じく今の私も、保身のために自分の主張を引っ込めたことになる。
ーSLAPP訴訟を準備している人への注釈・終わりーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
元・夫が、ある場所で「離婚したとはいえ、元・妻が傷つけられるのは許せない。何らかの対応を検討する」と言っていることを知った。この元・妻というのは、何を隠そう私のことだ。はてな匿名ダイアリーに書いているのだから、隠すも正体を明かすもないが。
「傷つけられる」と元・配偶者が言っているのは、かつて私がある人物から受けたセクハラについての情報が広まって、私が心無い言葉を浴びたり、中傷される状態を指しているようだ。
今になって「元・妻が傷つけられるのは許せない」と言い出すぐらいなら、何故あの頃、言ってくれなかったのか。そう思って、元・配偶者ながら、というか元・配偶者だからこそ余計に、私はゲンナリしている。
私にセクハラをした加害者は、元・夫の仕事上で付き合いがあり、仕事以外のプライベートな時間や場でも私たちと交流が有った、私たちよりも年長の男である。
加害者は、私にセクハラしただけでなく、そのことを仕事仲間などに自ら話したりもしていた。懺悔としてではない。愉快な話としてである。つまり、セクハラをされた時にだけでなく、その後にも継続的に、私は傷つけられ続けている状態に置かれていた。
セクハラされた時、私は「そういうことは止めて下さい」と加害者に対して言ったのだが、私の憤りや恐れや嫌悪の感情をまるで理解しようともせず、軽い口調で「ゴメンゴメン」みたいな感じで誤魔化されただけだった。今でも「もっと強い口調で言えば良かったのでは?」「いっそ殴ったり蹴ったり物を投げつければ良かったのでは?」「何故あの時、もっと適切な反撃ができなかったのだろう」と、自分自身に対して不甲斐無さを覚えて、自己嫌悪に陥ることが度々ある。
さらに私が苦しむ原因になったのは、その頃は婚姻関係にあった現在の元・夫が、私の側に立ってくれなかったことだ。
加害者から私がセクハラを受けたこと、それに対して私は憤りや恐れや嫌悪を感じたこと、加害者へは私に対する謝罪をするように要求して欲しいことを、その頃は夫であった彼に訴えた。それに対する彼の反応は「あの人も悪気があった訳ではない」とか「あの人は昔気質の人だから」とか「あの人は冗談のつもりだったのだから、怒るのも大人げない」とか、概ねそういった言葉だった。漫画『寄生獣』でパラサイトと会話する主人公・新一が、昆虫か何かと話している気分に陥る描写があったが、私も新一と同じような気分だった。つまり元・夫は、加害者の側の人間だった。だったという過去形ではなく、であるという現在形で言うべきだろうか。
会社勤めとか役所勤めの仕事などであればその組織に訴え出て処分を要望するとか、金銭や知識を持っていれば弁護士などに相談するとか、何かしら対処の仕方があったかもしれないが、私は上手いやり方を思いついたり実行したりすることは出来ず、そうこうしているうちに私たちは、元・夫と元・妻という関係になった。
あの頃、彼は「馬鹿馬鹿しい話だ」と言った。近頃の彼は「これまでは馬鹿馬鹿しい話だから取り合わずに放置していたが、いい加減、噂を広められて元・妻が傷つけられるのは許せない」と言っているようだ。私にとっては、あの頃も現在も、少しも馬鹿馬鹿しい話ではなかったのに。
私の元・夫が「馬鹿馬鹿しい話」として放置できなくなったのは、決して私が苦しんでいることが理由ではないことを、私は知っている。元・夫が黙っていられなくなったのは、加害者の男が批判されているからである。元・夫は、あの男のことが大好きなのだ。
最近では、何処の業界や職場でも大なり小なり、セクハラは良くないことであり、するべきではないし、セクハラをする人がいれば止めたり批判するべきであるという意識が浸透し始めた。私にセクハラをしたことを愉快な話として吹聴していた加害者の男と、私を救ってはくれなかった元・夫が関係している仕事の世界にも、少しは変化があった様子で、私に対するセクハラの話を愉快な話とは受け止めてはもらえなくなったと聞いている。
このため、加害者の男は「大袈裟に話して誤解を招いた」と言うようになったらしい。大袈裟?誤解?私にしたことを、そのまま本人が言い触らして回っていたのに、いったい何が大袈裟で何が誤解なのだろうか。
元・夫は、誰に対して、どんな対応をするつもりなのだろうか。私がされたセクハラの話を誰よりも他人に広めたのは、ほかならぬ加害者本人なのに。元・夫は、加害者を批判したり止めたりしてくれなかったのに。まさか、加害者を批判する人たちに対して「元・妻が傷つくから許せない。セクハラについて語るのを止めろ」と言うつもりなのだろうか。仮にそうだとしたら、それを何故あの頃、加害者に対して言わなかったのだろうか。元・妻である私を救おうとしなかったことが知れ渡ると、元・夫としては困るのだろうか。
セクハラの被害者が、セクハラの加害者に対する批判を食い止めるために、よりによって元・配偶者から利用されるという救いの無い境遇を知ってもらうために、理解してもらうために、自分の気持ちを吐き出すために、はてな匿名ダイアリーに書いた。
以上の話はフィクションである。実在の人間・団体・事件には一切関わりは無い。最初に書いた時には、ここに「どっとはらい」という言葉を記したが、それは、めでたしめでたしという意味らしいので、この先の未来の私に少しでも幸いが有ればと願いを込めていたからだ。しかし今は、私は少しも救われなさそうだと理解したので、その言葉を消すことにする。
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このフィクションの日記に書かれた人間関係が、具体的に誰のことを指すのかに関して、はてブで推察と特定が試みられている。それに対する答えのようなものを記しておく。
以下もまた、フィクションである。実在の人間・団体・事件には一切関わりは無い。
私は、人物特定に関する推察を肯定、否定のいずれもするつもりは無い。答えは無い。それが答えである。実在の人物・団体・事件には一切関わりはない。
そもそも特定が可能ならば、匿名ダイアリーに書いたりする必要は無く、私も現実の世界で対処しているはずだからだ。
一次的なセクハラが反復的に行われていれば、それを例えばボイスレコーダーで録音するなどして証拠を固めて私も反撃できただろうと思う。しかし、一次的なセクハラが突発的・単発的なものであった場合、被害者は驚きやパニックなど心理的な硬直状態に陥って、証拠固めなど実行できずに終わることが多い。たとえ複数回、継続的に行われるセクハラであっても、被害者が恐怖心で萎縮するなどして理性的に思考するのが困難な状態に陥り、やはり証拠固めをできないことは珍しくない。
私に対するセクハラを愉快な話として加害者が吹聴していたという、二次的な加害行為に関しては、その話を聞かされた人たちの記憶にも残っている。しかし、一次的な加害行為そのものに関する証拠が残されていない状態では、加害者が今になって主張する「大袈裟に話していただけで、事実ではない」という言葉を覆すのは、極めて困難だ。
二次的な加害行為だけに関して言えば、それ自体がセクハラなので、その被害を司法機関などに訴え出ることは理論的には可能かもしれない。しかし、それを仮に私が実行したとしても、やはり加害者は「大袈裟に話していただけで、事実ではない。しかし、たとえ事実ではなかったとしても、愉快な話として触れ回ったことは被害者を傷つけた。だから、そのこと(二次的な加害)については謝罪する」といった、一見すると謝罪に見えるが、肝心の一次的なセクハラ行為については否定する言葉を述べるという手法をとるだけであろう。
私が、何よりも加害者に認めて謝罪して欲しいのは、一次的なセクハラ行為についてなのだ。それなのに、加害者にとっての都合が良い主張を、それを覆す手段も持たないままに聞かされて、挙句の果てには「一次的なセクハラ行為については、認定が困難である」と公的に結論づけられるかもしれない。そう考えると私は、とても精神的に耐えられない。もっと悪い方向に想像を巡らせ、加害者が「むしろ自分の方こそ、セクハラしたと誤った情報を流されて苦しんだ被害者の立場だ」と、SLAPP訴訟などで私を攻撃してくるかもしれないとも思って恐怖すら覚えた。元・配偶者ですら助けにならなかったという、孤立感も私を動けなくした。
こうして私は、自分が受けた一次的なセクハラの被害を決して忘れたわけではないのに、無力感や恐怖感から口を閉ざすことを選ばざるを得なかった。私が口を閉ざしているから、どうせ何もできないと高を括って「大袈裟に話していただけ」と言い張ることで、加害者は乗り切ることにしたのだろう。元・配偶者から「セクハラと思われるようなことは無かったよね?」と誘導され、無力感や孤立感から沈黙することを選んだので、加害者が私のことを何もできない人間と値踏みしたのも無理はない。
加害者の男は、私に対するセクハラを無かったことだと言っている。つまり、私に対して行ったセクハラの話は、加害者の男にとってはフィクションというわけだ。私を登場人物にして作り上げた、馬鹿馬鹿しいフィクションだ。
ならば、と私も考えた。
私が私自身にとってのフィクションを作ったとしても、特に問題は無かろう。今度は私のターンなのだから、私の周囲の人物を登場人物として、馬鹿馬鹿しいフィクションを書いたというだけのことだ。柳美里の作品とは異なり、人物特定もできないように最低限の配慮もしてある。人物の特定ができないということは、私の受けたセクハラは日本の社会でありふれた話なのだ。それに、加害者とは異なり、私は私のフィクションを現実の周囲の人たちに言い触らしたりなどしていないのだから、私の配慮に少しは感謝してもらってもいいぐらいだ。
世の中のセクハラ加害者たちは、私たちのような被害者たちが沈黙しているからといって、セクハラした過去を全く無かったことにできるなどとは思わない方がいい。京極夏彦の『姑獲鳥の夏』の中で、法的に罪に問えない人物に対して京極堂が呪いを掛ける描写があったが、このフィクションも呪いとして書いたようなものだ。呪いが在るのか無いのか私には分からないが。
以上もまた、フィクションである。実在の人間・団体・事件には一切関わりは無い。一つ目の追記を書いた時には、ここに「とっぴんぱらりのぷう」という言葉を記したが、それは、めでたしめでたしという意味らしいので、この先の未来の私に少しでも幸いが有ればと願いを込めていたからだ。しかし今は、私は少しも救われなさそうだと理解したので、その言葉を消すことにする。
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私は、自分が誰なのかも、文中に書いた登場人物が誰なのかも書いてはいない。私は誰それの元・妻ですとも書いてはいない。
では何故、私はフィクションと銘打って、人物を特定しない書き方をしたのか。それは、これが「普遍的な物語」だからだ。被害者となる人間、なった人間は、私だけではなく誰でもあり得るし、加害者もまた同じく誰でもあり得る。被害者の側に立たないで、加害者の側に立つことを選択する第三者も、同じく誰でもあり得る。だからこそ、読み手に「これは自分のことを書いているのでは」と自問自答して欲しくて、自省を促すために、そういう書き方をしたのだ。そういう意味でならば、読み手に「自分のこと」という思いを抱かせる狙いが有った。想像力がある読み手ならば、性別を入れ替えたりセクハラをパワハラに置き換えたりして、考えを深めてくれることだろうと淡い希望も抱いていた。
しかし、それを「これは自分のことを書いているに違いない。だから自分に対する名誉毀損だ」と決めつけられて、法的な措置をちらつかせることで圧殺しようとする人間が出てくるとまでは思いもよらなかった。それはまるで『ホテル・ルワンダ』の公開に対して「これは関東大震災の朝鮮人虐殺を描いていて、日本人を攻撃している。日本人に対する名誉毀損だ」と言うようなものではないか。
自分のことではないならば「この文章に書かれた人間の同類にならないように、自分は気をつけよう」と省みれば済むことではないか。
私が「ある人物の妻ではない」ことによって、何故「私がセクハラを受けた話」まで無かったことにされねばならないのか。ルワンダの虐殺被害者でなければ、虐殺の被害者ではないと言うつもりなのか。自分たち以外に、この社会を構成している人間が存在しないとでも思っているのか。
仮に、ある痴漢事件で冤罪により罪を問われている人間がいたとしても、それとは別の痴漢事件の被害者に対してまで、被害を訴えたり加害者を批判したとしていることを「これは冤罪で苦しんでいる自分のことを書いているに違いない」と決めつけて「痴漢の冤罪を作るのは止めろ」と言うのは、いくらなんでもおかしいではないか。
セクハラを含めたハラスメントの被害というものは、とても苦しい。それ自体が苦しい上に、顔や名前を出せば好奇の目に晒されて、さらに苦しむ。その一方で、その苦しみを誰か他人に分かってもらいたい、共感してもらいたいという思いも湧く。以前、はてな匿名ダイアリーでは「保育園落ちた、日本死ね!」という記事が書かれたということを知っていた。だから、ここでなら匿名を保ったままで、自分の辛い気持ちを吐き出して理解や共感を得られると思ったのだ。
それを今、私は「お前は自分の妻ではない。だから、お前のセクハラ被害の話は嘘に違いない。正体を暴く」と脅されている。理解や共感を示してくれる人ばかりではないだろうとは予測してはいたが、まさかSLAPP訴訟によって口を塞ごうとする人が出てくるとは思わなかった。
私は、私が救われるために、私自身の物語を書いた。私自身の人生や尊厳を、無かったことにされたくなかったから。セクハラだけではなく、ハラスメント全体を減らしたい、無くしたい気持ちがあったから。たとえ過去の自分は救われなかったとしても、未来の他の誰かが同じような苦しみを味わうことは防げるかもしれないと思ったから。
「この文章は自分のことを書いている。だから許せない」と言う人間は、私が私自身の話を書く行為について、許可や不許可を下す権限が有るのか。例えば「今、そんな文章を書かれると、自分が誤解を受けて困るから止めろ」とでも言うつもりなのか。では、私は、いつになれば声を上げることを許可されるのか。一年後か?五年後か?十年後か?その日は、やって来るのか?文章を修正し始めて理解したが、そんな日が来ることはなさそうである。
この文章を書いた人間である私が、ある特定の人間の妻ではないからという理由で、嘘つき呼ばわりされて、勝手に私の苦しみが無かったことにされるのは、極めて心外である。
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「実在の人間・団体・事件には一切関わりは無い。」という一文を、苦渋の決断とはいえ書き加えたことで、私の文章からは普遍性が失われた。私の文章を読んだ人間の誰もが皆、セクハラを含めたハラスメントの問題を自分自身のこととして受け止めて欲しいという思いから書き始めてアップしたはずの文章だったのに、今の私は、一部の人間をこの問い掛けの対象からは除外しようとしている。とんだ腰砕けだ。私は、セクハラを無くしたいと言いながら、土壇場になって、我が身かわいさの保身に走ったのだ。このクソみたいな自分自身のことを許せない。私にはセクハラやハラスメントを無くすことはできそうにないと思い知った今、絶望しかない。
最初に言っておくけど俺は音楽的センス0で音楽は完全に「情報を食う派」だからな。
以下目次。順番は思いついた順なので特に意味はない。食える情報の系統が違いすぎて順位はつけられねえや。
・硝子ドール
・アカシア
・Constan Moderato
・群青
・CROSSING
・夏の記憶
・Gの閃光
・硝子ドール
データカードダス・アニメ『アイカツ!』より藤堂ユリカ様(ヴァンパイア設定アイドル)の持ち歌。女児向けでまさかのプログレッシブメタルを!更にはピロピロギターソロを完備。個人的に特筆すべきは「永遠の時を生きる吸血鬼少女」という設定から産まれた『超・少女趣味・耽美的・モラトリアム語り』な歌詞である。「ビロードの重い空」、「鍵が壊れた鳥籠」、「自分だけに見える鎖」などなどの歌詞によって浮かび上がる永遠の暗闇の中に自ら引き籠もりその悲観的な世界に酔いしれる姿。それを「いつまでも少年時代のトラウマに引き込もったまま人間関係を構築しなくて良い趣味やフィクションの世界に籠もり続ける」オタクが勝手に自分に重ねてガン刺さりである。人目を恐れて締め切った暗い部屋の中で人生に絶望しながら聴きたい曲。
・アカシア
ポケモンのMV『GOTCHA!』テーマソング。MVを見ればそこにはポケモンの20年分の歩みが。目を閉じればBUMP OF CHICKENの25年の歩みが。
バンドってのはときに「メンバーAがメンバーBに音楽をやらせ続けるために存在し続けている」なんて表現されることがあるが、BUMPもそういうタイプのバンドだと思ってる。最高の仲間と出会い仲間を輝かせる中で自分も輝く道がある。ウッチャンとナッチャン、ピカチュウとサトシ、オタクとオタク趣味。まあ俺みたいな消費オンリーオタクは一方的に貰うだけでは誰かに何かを与えたことはないが、心の中で出しもしないラブレターはいくらでも綴ってきたから輝きを見出してきた回数じゃ負けてねえぜって気持ちで聞いてるぜ。
歌:fripSide
TVアニメ『とある科学の超電磁砲S』の後期OP。でももっとずっと重要なのはfripSideが小室哲哉の作曲した歌を歌ってるってこと!オタクソングの中には一定割合でコレもろに小室の影響を受けているなって曲が存在する。I'Veが一時期量産したエロゲソングに代表されるように!それが、今、遂に、交差する!伝説との共闘。始祖との共演。夢のクロスオーバー。内容それ自体よりなんかもうそこが凄い!fripsideのクロスオーバーだと『escape -crossroads version-』という白詰草話(大槍葦人のガンスリンガーガールっぽいやつ)のOP(元はresetの曲)をfripsideが歌ったバージョンが個人的には激推しなんだが、だが、eternal realityは……小室とのクロスオーバーは圧倒的すぎる……俺たちがずっと心のなかで思ったことが具現化してんだぞ……。
歌:堀江由衣
アニメ版『シスター・プリンセス』のOP。ある日突然12人の妹ができることで知られるあのシスプリを代表する曲。「lovelovelove」に「アイアイアイ」とルビをふる歌詞は一度見聞きすれば忘れられない。内容自体は「ほ、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!!」で長年愛される堀江由衣が歌うバリバリの純愛ソング。とにかくシスプリは凄かった。いま流行りのラブライブと設定を考えたのが同じ人(公野櫻子)だと言えば、その凄さの片鱗が少しは想像できるかも?一時期インターネットの個人日記でどこもRO(ラグナロクオンライン)とシスプリの話をしてる時代が確かにあったんだ。KANONかROかシスプリの話を皆してたんだ。最近だとシスプリのキャラが20周年を記念してVtuberをやっていてまたちょっと話題になった。そのVのバーチャルライブの最中でこの曲のイントロが流れた時、どこからか「きょええ~~~~~~」という叫びが聞こえた。その時「わかる。」と思ったもんよ。だって本当に心拍数が凄い上がって、まるで初恋の人に夢で再開したみたいになって、さすがは運命の恋を歌う超名曲だなって。美化された思い出の完成形なんだよ。
歌:KOTOKO
OVA『マリア様がみてる』ED。オタク的にマーティと言えばももクロかコレ!本当にきれいな旋律なんだなコレが。その綺麗さがマリみてのイメージと最高に噛み合って神々しい清涼感がある。聞いている間だけはどんな汚いオタクも静謐な気持ちになってしまうのだ。この曲を聞いてるときに必要な語彙力は「きれい」の3文字だけで十分だ。
oblivious
歌:Kalafina
劇場版『空の境界』第1章OP。あの頃の日本に漂ういよいよ駄目なのではという閉塞感、自分の価値を高めて生き残るしか無いという焦燥感、そうはいっても俺には無理だろという絶望感、そこから逃げるために広がる妄想膨らむ悲観の非現実感。そういったロクでもないものが心のなかで混ざり合ううちに、都会の暗黒へと魂が霧散していくような浮遊感。青く光る闇が広がりがちなビジュアルイメージとの噛み合いが最高だぜ。梶浦由記は名曲まみれな中でコゼットの肖像から始まり.hackやまどマギやら脳内で次々トーナメントで戦わせていった結果最後にはコレが残った。研ぎ澄ましてもしょうがないオタクのペラペラな感受性が尖らされた挙げ句にセンサーが無限の虚無の中に落ちていく感じが好き。
作曲:mozell
フリーゲーム『遺跡島と7つのまほう』等で使われているフリー楽曲。数多くのアレンジが存在し、その中でも『バンバード ~Piano Version~』が特に有名。ノリノリでテンポのいい民族風の音が非常に軽快で楽しい。とにかく「音」が「楽」しい。うわーい「音楽」だ―。鼓膜に気持ちの良い周波数が次々叩き込まれて脳が快感に揺られる気持ちを味わいたい欲求を満たす能力が非常に高い。
Constan Moderato
作曲:ミツキヨ
スマホゲーム『ブルーアーカイブ』タイトルBGM。タイトル画面にふさわしい柔らかさをベースとして軽快にピッコピッコと音を叩いていくエレクトロな曲調に妙な安心感がある。これは……GBCとかGBAのゲームでありがちだったアノ感じや……なんちゅうもんを食わせてくれたんや……。強めの味付けでスパイス聴かせて音を立たせていくレトロさは健在。そこにGB時代と比べ物にならないスマホゲーの豊富な容量が実現する当時にはなかった柔らかさを追加。古臭さは感じさせずに圧倒的に懐かしい全方面にあったっけえ音。これぞまさに実家のような安心感。デジタルの羊水よ。
アーケードゲーム(家庭用もあるけど)『電脳戦機バーチャロン』の主人公ステージBGM。知ってる人なら一発で分るレベルの自己主張抜群のイントロを聞けば魂が当時のゲーセンへと帰っていく。対人ゲーというストレス憎しみ発生装置から産まれたとは思えない爽やかさと前向きさ。それでいてピリピリきてる神経とのくっつきの良さ。いつしか意識は画面の中へとシンクロし機体と痛覚がリンクするのだ「痛っ」「食らったのお前じゃないだろ」
群青
歌:YOASOBI
ブルボン『アルフォート』のCMソングらしいが、オタクからすると漫画『ブルーピリオド』イメージソング。八虎の「好き」が受け入れられた感覚を手拍子やコーラスで表現する発想が天才すぎる。コーラスパートの明るさによって今度は1人で歌っている時の孤独さが加速する。芸術というコミュニケーションを通して不安を抱えながら恐る恐る胸襟を開く怖さ、伝わることの喜び、ブルーピリオドの世界観がよく表現されてるぜ。そんな姿に漫画家と音楽家の間でもグッドコミュニケーション成立してるなと俯瞰視点で古参面だ。ブルーピリオドが本当に面白いって皆が知ってくれて俺も鼻が高いよ。
CROSSING
作曲:Funczion
歌:Marica
18禁ノベルゲーム『CROSS†CHANNEL』ED。「絶望でよかった」から始まる歌詞が自己や社会への失望感を語りながらも、それでも結局は人と関わる道を選ぶことを歌う。聞き手の社会不適合度が高いほどに何度も何度も頷いてしまう。同じように社会への不適合を嘆く歌詞の歌は世の中に数あれど多くはメタルなオッサンがヘドバンしながら聞き手を責めるがこちらはゆったりとその懺悔を復唱するかのように歌ってくれるので非常にメンタルにいい。社会が怖くて仕方ない夜でも何度も聞いているうちになんとか社会に戻ろうと思わせてくれるので助かっている。このゲームにインスパイアされたらしい岸田教団の『84』もオススメ。
夏の記憶
TVアニメ『スケッチブック』の最終話前回の限定OP。どこまでも広がる夏草の真横でママチャリ漕いでるような光景が浮かぶ曲。シットリとしていながらも爽やかな夏限定の青いノスタルジー。まったりしたいときに聞くとちょうどいい。
歌:ハセガワダイスケ
TVアニメ『ガンダム Gのレコンギスタ』ED。散々鬱っぽいことを繰り返してきたガンダムシリーズながらもまさかの超前向きソング。と思わせて2番では「リアルは地獄」と言い出し、3番にいたっては「出来ると思ってない」なんて語ってしまう躁鬱の激しさ。富野監督が今までの人生の中から『やらないと始まらないからやるしかない』という答えを導きそれを若者へと伝えようとするある種の説教ソング。でも富野がそこまでいうならまあ地獄の中であがくしかねえなって気持ちになれる。
歌:SHIHO
18禁ノベルゲーム『未来にキスを-Kiss the Future-』テーマソング。歌詞で叙述トリックかけてくる歌でこれ超えてるの俺はまだ知らない。OPでネタバレしてたアニメやゲームは知ってる。叙述トリック仕込んでる恋愛ソングも知ってる。でも曲単体で叙述トリック成立させつつゲームの設定とも絡めてきててやってることのスケールが作品世界の根底全部ひっくり返してくるようなのは自分が知る限りこれだけ。それ以上にやってることのテーマが好き。気持ちのいいリリックで気の狂ったトリックしかけてくるし作曲は高瀬一矢で全部好き。なにより今の世界だと「まあ人類って結局何度もピンチを乗り越えられてるからそうそう滅びなくね?」が蔓延してるけど、その直前の「本当にピンチになったとき人類は遂に滅びるのでは?」に神経をとがらせることがまだ出来た時代の名残とかデジタル技術の指数関数的進歩への盲信とかが加わってこの曲の展開に対してコレマジであり得るんじゃねみたいなノリがまだ可能でさ……つまりは失われた技術、オーパーツだよ。
突然の衝動に突き動かされて何故か5chに舞い戻り適当にスレを荒らしていた。
何をしているんだろう。
一通り荒らし終えるとふたばで自演とそうだね連打を繰り返して一通りスレを荒らした。
荒らしの扱いにはなれてますよというしたり顔をするレスに混じって本当に顔真っ赤な輩や便乗して荒らす者たちを眺めて自分の手でまた一つ世界を壊した快感に打ち震えた。
その後バクサイに向かった。
スレッドの一覧を眺めつつどれを荒らすか考えているうちに心が平静を取り戻した。
頭に浮かんだのは漫画やニュースで聞いた薬物中毒者のフラッシュバック。
アルコールホリックでは毎週のように再飲酒で失敗したことを誰かが懺悔するのだという。
自分もそれと同じだ。
それでもはてなには戻ってないことを称えたい。
『ミス学習院からセクシー女優、覚せい剤で逮捕… 「結城るみな」の“転落と懺悔”告白』
https://news.yahoo.co.jp/articles/b15d2afc6ed19c0e0e2bdadf607dda21f46f520b?page=1
この記事は割といいな(AV女優ではなく、何故か「セクシー女優」と呼んでいるのは気になるが)。
AV女優に関する意見ってフェミニストからの一方的な被害者扱いして過剰に庇う意見か、男からの都合良く自主性を強調する意見かのどっちかしかなくて
自立した人間としてのAV女優当事者の責任を問うようなものが本当に少ないから。
「身体を「売る」女性たちを30年以上取材してきて、ここ10年 ほどは承認欲求を満たすために業界にやってくる子が増えているように思う。大型新人としてデビューした結城は、その成功者であると同時に、強すぎる承認欲求が薬物逮捕を招いた点で、最大の転落例ともいえるだろう。
私というメディアの人間の問いかけに、丁寧に分かりやすく、はきはきと答える結城は、まだ「特別な私」を諦めてはいない。それがまた足を踏み外すことにはならないか。インタビューをしながら、そう思った。」
増田でも掲示板でもtwitterでも露骨な釣り投稿(嘘松ってそういえばもう死語ですね)を目にしますが、そういうことやる人たちが何故そんなことをしているのか興味があった。あと私の方がもっと上手くやれるんじゃないかと思っていたので、本当に上手くできるか試してみたかった。
投稿を特定されるのが嫌なので具体的には書きませんが、10個ほど各所に分散させつつ釣り投稿をしてみた。
その内ボヤ程度に燃えたのが2件、まあまあ燃えたのが1件でした。
こちらの騙そうとしたポイントや燃えるだろうなと想定したポイントで素直に騙されたり怒ったりする人がものすごく多かったです。
たまに全然内容読めてない人が頓珍漢なこと言ってくるけど、だいたいの人は釣り針に引っかかる。
ごく少数、まともに読んで釣りだと見抜いてくる人がいて、やっぱりわかるんだなあと思いました。
騙そうとしたとおりに騙される人がバカなことを言っているのはけっこう気持ちよかったです。なるほどこれが動機なのかなと。
釣り投稿なので私のパーソナリティは乗っておらず架空の別人格の発言なんですけど、その架空人格まで含めて私の作品、つまり私の一部であり、その架空人格が罵倒されると意外なまでに私自身の心が痛みました。もう釣り投稿はコリゴリです。継続してやれてる人ってやっぱり人としておかしいと思います。
騙そうとするポイント、燃やそうとするポイントを意識していたせいか、ちょっとした言葉の選択や言い回しで釣り投稿が見分けられるようになりました。いや全部を見分けている確証はないですが、かなり高精度で見分けられている自信があります。
もう二度とやりません。
ハゲをバカにする強い思念は、社会性を司る前頭葉の血流の変化にそのウィルスによる体内状況が変わり、結果的に頭皮に影響し、ハゲる。絶対にハゲる。絶対に。
また、20代後半〜30代にかけて、この呪いに感染しているかどうかが判明するが、そのウィルスは感染するのである。
馬鹿にしないのであれば、ハゲないし、ハゲに優しい人には影響しない。しかし子どもや女性にもウィルスは感染する。
もしハゲの治療をするのであればAGA治療をする前に、ハゲの呪いの確認が必要なのだ。
ハゲを馬鹿にしたやつは、その治療をしようとする場合、ハゲを馬鹿にしたことを懺悔し、解呪しなければならない。
懺悔し、ハゲ解呪をしたとしても、AGA治療が必要な場合もあるかもしれない。
しかし、AGA治療中にでもハゲを馬鹿にしていたとしたらまた呪われる。
AGA治療中に、またハゲを馬鹿にしたことを懺悔するのである。
つまり「自分がハゲなのにも関わらずハゲを馬鹿にし、しかしその自分がハゲを治療しようとする」という矛盾を抱えることになる。
そんな矛盾を抱えるやつはモテない。ハゲの解呪治療にお金もかかる。つまり、ハゲを馬鹿にする、そんな野郎は自然淘汰されていくのである。
その子がずいぶんと心の調子を崩した日があって、今日はちょっと様子がおかしいなと思っていたのです。
それで黙ってベランダに行ったと思ったら、そのまま飛び降りてしまいました。
突然のことで止められませんでした。慌てて落ちた場所に急いで向かいました。
5階から落ちたのですから死んでしまった可能性は高いと思いながら。
頭の中でいろいろなことがよぎったのですが、そのときにもしかしたらこれで楽になれるかもという考えも浮かんでしまいました。
子どもは結果的に一命をとりとめました。もちろん、良かったと思いました。
でも入院とか介護とかこれまで以上に大変になるし困ったという気持ちがなかったかと言われたら嘘になります。
いまは予想どおり大変です。私のほうが死にたいと思うことも少なくありません。
昨日、プレス機の油圧ポンプが異常に発熱して使用中止になった。
2つあるプレス機のうち1つが使えなくなっただけだから業務に大きな支障はない(少し面倒だけど)。
メンテ班の分解の結果、油圧ポンプ内にネッチョネチョの油が固着して閉塞していたのが原因とのこと。
犯人は先輩(シフトリーダー)なんだけど、知っているのは俺だけ。
2日前の夜勤明けの日、俺はプレス機を使おうと思ったけどエラーで動かなかったから先輩に相談したら、先輩は給湯室に置いてあったサラダ油をオイルタンクに補充した。
エラーはオイルタンクの液面低だから、液面低を回復するくらいの少量なら違う油が混じっても大丈夫だろうと言ってた。
昼休み中の雑談で「誰かサラダ油を入れたんじゃないの?」という冗談で盛り上がってたけど、先輩は黙って硬直していて草。
先輩はメンテ班からの聞き取りで、プレス機に普段異常はなかったか問われていたけど、「耐用年数超えている古いプレス機だからいつ壊れてもおかしくなかった」だの「これをきっかけに新しいプレス機が欲しい」だのごまかしていて草。
日勤後に珍しく先輩にサシで晩飯に誘われて、ケチなくせにうなぎ屋に連れてかれて奢ってくれて草。
うな丼食ってる最中、先輩がプレス機を壊したことを懺悔するのかと思ったら何も言わなくて草。
そのかわりに、やけに俺の趣味や休日のことを根掘り葉掘り聞かれたよ。
普段は仕事上の細かいことをネチネチ言うだけでプライベートの話は全くしないくせに。