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はてなキーワード: 大都会とは

2019-04-20

anond:20190420133024

公共交通の発達した大都会からこそ老人は車に乗るんだよ。

増田田舎出身なんだが、上京してから驚いたのは徒歩の距離が大幅に伸びたことだ。「田舎は歩くだろ」みたいなイメージがあるが、田舎車社会だ。

お前もはやバカだろ。

大都会からこそ老人は車に乗る

最初に言っておくが、老人が起こした事故正当化する訳ではない。

単に「東京で車いらないだろ」「免許剥奪しろ」といった言説が多く見られるが、何も分かっていない。公共交通の発達した大都会からこそ老人は車に乗るんだよ。

東京は徒歩が多い都市

増田田舎出身なんだが、上京してから驚いたのは徒歩の距離が大幅に伸びたことだ。「田舎は歩くだろ」みたいなイメージがあるが、田舎車社会だ。車社会ということはドアツードアで家から目的地まで歩かず座って移動できる。歩くのは車から建物の間くらいだ。「駅チカ物件」なんて概念もない。そもそも駅がないし、あったとしても車のほうが便利なんだから

一方で東京はあちこちに駅がある。バス停豊富だ。ただ、当然だがそこまでは徒歩での移動になる。「駅チカ物件」なる概念があるということは、大多数の住居が駅から遠く、そこそこの距離を徒歩移動する羽目になっているということである。また、買い物をするにしても荷物を抱えて徒歩で移動する必要が出てくる。「近所のスーパー」があるにしても、10~15分程度歩く必要がある住居のほうが多いだろう。

さらに、駅にたどりついた後も待っているのは大混雑だ。通勤ラッシュを避けたとしても、それでも必ず着席できる時間帯というのは非常に限られてしまう。優先席も「優先される人」で埋まっている。そもそも席を譲る人ばかりではないので、老人が立席で移動しているのを見たことがある人は多いだろう。

自動車という「救い」

そんな東京でも、金に余裕さえあれば自動車が利用できる。最近カーシェアを使えば金に余裕が無くても利用できるかもしれない。

渋滞はするかもしれないが、座って移動できるというのは何より徒歩に困難がある者にとって救いになる。重い荷物トランクにさえ詰め込んでしまえれば、持つ時間を最低限にできる。

タクシーを使え」という声もあるかもしれないが、外出の度に車を使うような者にとっては言うまでもなく車のほうが圧倒的に安いのだ。また、タクシーチケットは障害認定されない限り給付されない。足腰が不自由な老人すべてが認定されるわけではない。

現実を見ない免許剥奪論は役立たず

もちろん増田高齢者による事故の増加は急いで対処すべき問題であると考えている。野放しにすべきではない。

ただ、「なぜ高齢者自動車に乗るのか?」という理由がきちんと見えていない限り、問題解決にはつながらないと思う。

都会のおじいちゃんとド田舎のおじいちゃん

あん大都会のおじいちゃん事故したせいで、公共交通機関のほぼないド田舎のおじいちゃんも責められる。

田舎のおじいちゃんがかわいそう。

2019-04-18

アメリカに来て良かった

突然だが、私は男が好きだ。ストライクゾーンが広いというよりは、イケメン定義がザルなのだ

基本的におじさんはみんなカッコよく見える。

特に白人のおじさんが好きで、ホームレスでさえもイケメンに見えるという目を持っている。

そんな私はアメリカに7年ほど住んでいるのだが、毎日幸せだ。

周りにイケメンが多いからだ。しかも私は大都会に住んでいるので、様々な人種のおじさんを毎日見れる。

大学教授もおじさんが多いから授業に集中できて、仲良くなりたいから頑張る。そうすると成績が上がって名前を覚えてもらえる。一石二鳥だ。

勿論同年代も良い顔の男が多い(と私は主張している。)そりゃ勿論イケてない顔もあるが、仲良くなるとカッコよく見えてくる。

毎日色々な人種の男が見れるのがとても楽しい。だからアメリカは私にとってサイコー場所なのだ(まあ都会に限るが……。)

女の友人にこの話をすると何故が引かれるのだが、理想が高く狭い彼女らのほうが私にはつまらなく見える。

ただ言っておくが、私は既に結婚していて、なおかつ人生の中で付き合ったのは現在旦那一人だけ。

旦那ハンサムだし、おじさんになったときがとても楽しみだ。

私の人生イケメンに囲まれたまま始まり終わるのだ。なんて薔薇色なんだろう。

2019-04-05

キャッチー音楽

水割りをください〜♪(メモリーグラス)

が上がってるけど、キャッチーな曲が歌謡曲に多かったイメージが有る

あるいはそういうのだけ記憶に残っているだけかもしれないが

 

ラブ・ストーリーは突然に

最近何かよく聴いた気がするが、某アニメのせいだ

テケテーン♪ と「あーのーひあーのーときーあーのばーしょーで」が耳に残る

 

め組のひと

渚まで噂走るよめっ!

楽しい

そこしか知らない

 

大都会

あ〜あ〜〜〜↑↑↑↑果てしない〜

これ、高音厨のカラオケ課題曲だよな

 

愛をとりもどせ

You are shock!!

いやでも叫ぶ系は結構多いと思う、耳に残ってるのはアニメのせいだな

 

舟歌

魚は炙ったイカでいい〜♪

何でここだけ覚えてるんだろ

 

ゲレンデがとけるほど恋したい

急上昇真冬の恋スピードに乗って〜♪

あれ、これはCMのせいかな? CMキャッチーな部分だけ使われて耳に残るのあるよな

 

夢想花

とんでとんでとんでとんでとんでとんでとんでとんでとんでまわってまわってまわってまわる〜♪

これずるくない? こんなの小学生大喜びだよ

 

愛は勝つ

かならず最後愛は勝つ〜♪

分かりやすメッセージも耳に残ると思う あとこういうのは改造したりするんだよね

 

愛しさと切なさと心強さと〜♪

やっぱ高音は耳に残りやすい 繰り返されるメロディーとか

 

それが大事

負けない事・投げ出さない事・逃げ出さない事・信じ抜く事 駄目になりそうな時 それが一番大事〜♪

これは反則 洗脳だろ カラオケでうっかり入れても歌えるやつ

 

UFO

アイドルシュールさを加えることで不思議キャラになって魅力が増すっていう手法好き

 

今夜だけでもシンデレラ・ボーイ Do you wanna dance tonight

ごめん、ただ好きなだけ、世代じゃないけど

 

鮒は生じゃ 喰えないはずさ 泥臭い臭い Fish! Fish! Fish!

野猿で未だに覚えてるのこれだけだわ、これ最後の曲だったのか 歌詞意味理解しようとしてまるで意味からなくて草

 

つかれた

もっとあるはず、20倍はある

こういうキャッチーさってJ-POPって目指してないのかな?アニソンとかはキャッチーさをずっと追ってるよな

 

___

 

どうでもいいけど、J-POP歌謡曲って初めて知った

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E8%AC%A1%E6%9B%B2

歌謡曲は滅んだと思ってた

J-POP歌謡曲流行

お前出世魚かよ

2019-03-29

ずっと都会暮らしだがまったく活用できていない

大学までは地方都市ですくすくと育ち大学に入るとき東京に来た。

以来数十年東京暮らしているのだけど、大都会東京活用できてるとはとても思えないまま生きてきている。

まず東京とそれまで暮らしてきた地方都市とで、あまり違いが感じられなかった。自分がこれは東京からこそかもなと感じる事ができたのは

美術

音楽ライブ

ミニシアター

この3つくらいだ。どれも文化的ものであってこれらは本当にすごいなと思った。ライブ展覧会などは育った地方都市に住んでる地元友達がわざわざ東京まで見に来る事なんかもあり、そのときは「いいなあ電車ですぐ行ける距離じゃん」と羨ましがられ、確かになと思った。

東京しかやらないミニシアター系の映画というのも多い。自分は興味の対象がそれくらいなんだけど、いわゆる文化的な催しというのは東京だととにかく数が多い。

ただそれくらい。そういうのにどっぷりハマるほどの興味もなく、あったらあったでいいよね程度のありがたみしか感じられていない。

結局のところ、東京メリットというのは仕事上の機会損失が少ないというのが(恐らく)一番大きいんではないかと思う。

東京に出てきた時からさして目標も野心もないまま細々と生きてきた自分にはそういった事にもほぼ無関心。

こうなるといよいよなんで東京にいるの?という事になる。そうは言っても仕事の面で東京がやりやすいのは間違いないだろうし、住みたい田舎があるわけでもない。ただなんとなく流れの中で住み続けているだけで、そのために毎朝満員電車とか、高い家賃とか払って、そのくせ週末の休みは家でダラダラするか近所の喫茶店で過ごしたりするだけ。

知り合いに仕事ランチから夜ご飯から休みの日の予定まで見事に東京を活かしきっている人がいて、その人の事が本当に羨ましい。もし東京じゃなかったら生きていけないと言う言葉に嘘はないと思う。それくらい東京を愛している。自分は生まれ育った地元東京、どちらも同じくらいどうでもいい。

「東京」というタイトルの曲がたくさんある。でもどの「東京」自分にはピンと来ない。

東京、この何年かはもうただ怖い事が多い。新宿なんか歩いてるだけでみんな殺気立ってる。

結論としては地方都市くらいが一番いいのではと思い始めている。大阪名古屋は避けてもう少し格下のところ。

2019-03-26

anond:20190326151014

そういうのをカッペ根性と言うんだ。

全体的には賛同するけど、ここは流石に違うでしょ

なんとか線が優遇されててきにいらなーいなんて寧ろ都市住民にありがちというか・・・

新幹線なんてものをもてる大都会からこそ発生してる嫉妬心というか・・・

2019-03-09

anond:20190309200441

おまえは大都会スーパーに24時間はりついとるんか?

朝の3時までうれのこってたら仕入れミスだぞ

2019-02-28

翔んで埼玉を観て笑ってきた

大ヒット中の翔んで埼玉都内某所で見てきた

ほとんど満員のスクリーンは要所要所で笑いが起こり

とてもあたたか雰囲気映画を観ることができた

分かる~!という共感気持ち

狛江町田あたりの扱いの雰囲気


中野区に住んで長らくになるため、自分クラスはどこになるのだろう

などと考えたりもした





しかし観終わってから気づいた

私は、とんでもないド田舎の村の出身

去年とうとう村の医師は全員いなくなり、無医村となった


グーグルアース実家の近くを観れば、見渡す限りの緑、緑、緑

家より大きな庭付きの家しかない

隣の家まで徒歩何分なんだ


なぜ私は都民のような意識であの映画を観てしまったのだろう

いつから自分都民だと勘違いしていたのだろう



そして埼玉埼玉はすごい

マンションが高い、高くて買えない

土地も高い

たくさん電車が通っている


さんざん劇中でこき下ろされた所沢

所沢駅前は都会だ


私の地元で最も大きな駅

その駅ですら近くのゲーセン撤退し、

百貨店も閉店、残されたのは広大な土地である

マクドナルドすら潰れた

所沢にはゲームセンターマクドナルドマツモトキヨシもなんでも…なんでもあった


埼玉バカにしても許されるのは

本当はバカにされるような県ではないか

埼玉田舎ではない 大都会


帰り道にそのことに気づいてしまった

やっぱり首都圏はすげぇや

2019-02-23

大都会の奴らって電車一本逃すだけで遅刻でもするの?

そんなギュウギュウになってまで乗るぐらい緊急なの?

生活変えたら?

2019-02-20

anond:20190220083515

今どき「大都会」と言えば「岡山」だが

クリキンの「大都会」は福岡を思って歌った歌

2019-02-11

anond:20190211010447

さすが。ほどよく都会的、ほどよく田舎

大都会ではないし、田舎とも言い切れない。そんな感じの街。

2019-02-09

チャレンジとは何を意味するのだろうか

国鉄日本の鼓動だ。

延々と続く2本のレールには力強い鼓動がある。このレールは、知らない町と町をしっかり結びつけ、多くの人々を運んでいる。

しかし、その役割は、「人を運ぶ」ことだけではないのだ。単に「国鉄人間荷物を運ぶだけ」なんて考える人には、決して力強い国鉄の鼓動は伝わってこないだろう。

鉄道を愛し、多くの鉄道知識を持っている人でも、本当にこの鼓動をはだで感じたことは少ないはずだ。

かに鉄道知識として知れば知るほど楽しいことが出てくるだろう。

でも、「20,000㎞にチャレンジする」……それは、すばらしさの再発見につながっているのだ。知識から体験へ。今、その鼓動を求めて、未来に続く2本のレールにチャレンジしてみよう。

踏破は青春ドラマ作りだ。

終わることのないロマン、それが列車の旅だ。部屋にじっとこもっていては、自分の心にカビが生えるだけ。部屋の窓から見えるいつもの風景は、ただ立ち止まり、決してなにも話しかけてはこない。とにかく出会いを求めて旅に出る。

ひょっとすると列車座席に隣り合わせたこから何かが生まれるかもしれない。ある日見たり、聞いたりするもののすべてが出会いなのだ

たとえば、車窓にそよぐ風の音、新鮮な潮の香り。これほどすばらしいものはないのではないか

こんな新しい自然出会いが旅と鉄道の心につながっていく。そんな時、心は少しもひからびていず、いつもいきいきしているのだ。

踏破はスポーツ心をかきたてる。

チャレンジとは、自分で考え、自分で動く、自分自身のための行動といえる。この精神こそ、スポーツと呼ぶにふさわしいものだ。

列車の旅には、楽しさとロマンがある。その上踏破をめざすチャレンジャーにはスポーツという楽しさがプラスされるのだ。

時にはマラソンのように、そして100m競争のように踏破の旅はチャレンジの楽しさを教えてくれる。

踏破ルートは3,000m障害10種競技と同様に、バラエティに富んでいる。ルート選択も実行するのもチャレンジャー自身だ。

これこそスポーツと呼ぶにふさわしい記録への挑戦なのだ

チャレンジには責任名誉がある。

チャレンジャーは、それぞれの方法で完全踏破への道を切り開いていくことに心を燃やしているのだ。

そこには、自分自身問題として果たさなければならいことがある。

責任ある行動、多くの義務、これらをすべて実行したチャレンジャーのみが誇り高き名誉を獲得できるのだ。

いわば、人生ドラマがそこにある。よりすばらしいものを手にしたチャレンジャーには限りない自由可能性があたえられているのだ。

どんなタイプチャレンジャーか?

チャレンジしていくと、各自それぞれのスタイルが生まれてくる。

列車待ちのホーム洒落服装に身を包み、小首をかしげ詩集をひろげているちょっと気どった人。

駅弁の食べ方ひとつにも、うんちくをかたむける本格派の人。

おもしろいことを探しに出かける娯楽追求派の人などいろいろだ。

どんなスタイルの人でもチャレンジすることの中に、何かを見出しているのだ。

体験という言葉のまえには、どんな耳学問も色あせてしまうように、チャレンジする中で、自分スタイルを作り出してみよう。

チャレンジとは生きることの証明

から旅の一歩が始まる。

"停車場に、そを聴きに行く"と啄木がうたったように駅にはさまざまの土地から人々が集まり、またさまざまな土地へと旅立っていく。

始発駅…駅員さんに何か尋ねている人がいる。売店お土産を買っている人。家族連れ。新婚さん。そして、カメラ片手に20,000㎞にチャレンジする人。通りがかりの人に頼んで、自分と駅名表示板が一緒に写るようにシャッターを切ってもらう。これで始発駅の証明写真ができたわけだ。

ふと、駅の大きな時計を見あげる。発車案内表示板がカチャリと変って、次の列車案内を示す。やがて、駅のアナウンスが構内に響きわたる。こうしてチャレンジの旅が始まる。

1枚のキップが話しかけてくる。

日本中には、いったい何本の列車が走っているのだろうか。もし、そのすべてに乗ることができたなら、これはすばらしいことだ。時刻表をうめつくす駅名のひとつひとつが語りかけてくるにちがいない。

手に握られた1枚のキップには、いま通りすぎてきた駅の余韻が残っている。改札口でキップにパンチが入れられた時から自分だけの旅の世界が大きく広がっていくのだ。この瞬間の心のときめきこそチャレンジャーに贈られるファンファーレなのだ

どの列車に乗るかは自由だ。

ELDLECDC、そしてSL特急場合もあるし、急行普通列車場合もあるだろう。旅は始まり、心がはずんでいく。流れ変わっていく車窓風景。春なら満開の山桜トンネルをくぐり、夏はふりしきる蝉時雨の中を、秋は祭りのお囃子の響き、冬は凍てつく空気の中をひたすらに列車は走る。車窓に黄昏が迫り、黄昏は夜をひきつれてくる。寝台車からだをやすめて聞くレールの音はなつかしい旅の子守唄だ。

どこへいこうか東西南北楽しい駅名

日本列島を東西に長く走ったり、日本海と太平洋を結んだり、1線区1線区がつながり日本中を網羅していく。

いかにも郷土色(おくにがら)をあらわしていたいう楽しい線区名もあれば、少々読むのに骨が折れる難読名の線区もある。

こういう線区名がどうしてついたのかを考えてみるのも頭の体操になるだろう。走る場所列車の種類で線区ごとの印象も、まったくちがってくる。

それらをひとつひとつ味わいながら踏破するのも楽しみのひとつだ。

終着駅にはムードがある。

駅にはいろいろな趣がある。その中でも、終着駅は、心ときめくムードを持っている。大都会終着駅、ひなびた寒村をひかえた終着駅高原終着駅など、それぞれの良さがある。

しかし、どの終着駅も、どこかしら似た雰囲気をもっている。そこから先は、列車が行かないという、キッパリとしたいさぎよさと寂しさが待っているのだ。終着駅の長いホームを口笛をふきながら大股にしかゆっくりと歩いてみる。改札口で駅名表示板にもたれながら、通りがかった人に写真を撮ってもらい駅を出る。1線区が無事踏破し終ったのだ。

鉛筆で踏破した線区を塗りつぶす。チャレンジャーの心ときめく一瞬なのだ

まずはチャレンジカードを手に入れること。

どの線区でもいいから、始発駅~終着駅まで、列車に乗ろう。けれども、踏破認定を受けるには、乗車(踏破)したという証明必要になる。それが始発駅と終着駅写真だ。写真と会員申込書などを"いい旅チャレンジ20,000㎞。推進協議会"事務局宛に送る。そうすれば、事務局からチャレンジカードが送られてくる。これでチャレンジ

2019-02-01

医学部に入ってしまった承認欲求リブ真面目系クズの末路

試験前、提出しなければならないレポート前になると、自分はどうしてこんなことをしているのか、別にこれが好きなわけでもないしこの道に憧れて選んだわけでもないのに、どうして自分はここにいるのだろうと、不安になって胸が締め付けられたかのように苦しくなる。

私は地方大学医学部に通っている。親戚に医者がいたというのもあって、周りから医者になることを期待されて育ってきた。私自身、生まれてこの方勉強するという行為嫌悪感はなかった。小学校の頃からそれなりに計算もできたし本も好きだったか文字を書く、漢字を読むことは苦ではなかった。学校には毎日通うものであり、授業は座って先生の話を聞いてノートを取るものだと思っていたし、ADHDありがちなその場の空気に合わせてじっとしていることができないといったこともなかった。周囲と比べてちょっと変だったところといえば、なんとなく特別学級や不登校いじめに興味があったことくらいだ。小学校中学校でのスクールカーストはやや低く、いわゆる足の速いサッカー部のいじりの標的にされることがあったが、学校に行けなくなるほど心身を病んだわけでもなかった。むしろ私は自分のことを""あっち側""の人間ではないと思っていた。私が通っていた学校には溜まり場が、今流行りの言葉で言えばコミュニティスペースが、比較的多くあり、ヤンキーの生息地、ガリ勉の生息地、オタクの生息地が距離感を保った状態存在していた。そして、""あっち側""の人間の居場所もあった。私には友達がいなかったが、校内で一番勉強ができるやつだと思われていたので、特定グループに恒常的に入っていなくても、どこの輪でもなんとなく話ができたし、あちこちに顔を出しては適当に楽しく遊んでいたように思う。

私が中学の頃に友人の一人に誘われて入った近所の公文塾は、学生の実力に合わせて進度を調整できるという触れ込みの塾だった。公文には他の学校の生徒が多くいて、プラスマイナス5〜6歳の生徒とも同じ場所勉強していた。曜日によって顔を合わせる面子が違えば雑談する内容も毎回違っていて、ある程度敬意を払いながら丁寧に接していれば年の差なんてほとんどないような関係でその輪に入ることができた。たまたま公文式の教材が自分の性分にあっていたのか、数学英語に関してかなり成績が伸び、中学の時点で高校センター試験レベルを楽々解けるくらいまで教材を進めて、県の進度上位者として表彰されるまでに至った。自分勉強ができるんだ、これが自分長所なんだと思い込んだ私は、学校だけでなく公文でも""勉強ができるヤツ""としてのポジションを獲得したことますます自分は""勉強ができるヤツ""として振る舞おうとしていた。

家でも、試験の成績が良ければ父母に褒められたし、親戚に会えば「お前は勉強ができるのか!じゃあ将来は医学部東大だな!」と言われていた。以前は漫画三昧ゲーム三昧だった子が公文に入るなりメキメキ勉強するようになったのだから、親としても嬉しかったのだろうし、私も自分にとっては苦でなくできることで褒められるというのはとても嬉しかったのも事実だ。

よくよく思い返してみれば、この頃から自分の行動は歪んできていたように感じる。数学英語も好きだったが、勉強したことで褒められるのはもっと好きだったのではないかと思う。

高校は自宅から通学1時間くらいのところにある普通科高校に通った。進学校といえば進学校なのだが、まぁ地方自称進学校なぞ大学受験レベルで言えばたかがしれている。開成とか灘とかと比べれば全然しょぼい。偏差値10〜20くらい違うんじゃないか高校理系クラスに進学すると、自分の好きな数学英語勉強の話やアニメ漫画の話ができる友達がわりかしできた。公文での積み重ねがあったかドロップアウトしがちな中学から高校への学習密度の変化にもついていけた。どうやら自分高校でも成績は一番ではないにしてもトップクラスだと感づくのに時間はかからなかった。当時好きだった人が生徒会に入ろうとしていると聞いて自分生徒会に入ってみたが、環境の変化からか全体的な体調が悪くなったのもあって一月かそこらですぐに辞めてしまった。通学で消耗してしまっていたので部活動をやる気にもなれず、事実上の帰宅部として放課後カラオケに行ったり理科室に入り浸ったり青チャートを解いたりシス単を周回するなどしてふわふわ過ごしていた。結局、自分の""勉強ができる""というアイデンティティを確保したいがために、勉強を最優先においていたのだと思う。学校先生勉強ができれば褒めるし親も勉強ができれば褒めてくれた。だけれど、本当に大事なのは自分が好きなこと、やりたいこと、魂をかけてでもそこに食い込みたいという世界を追求することだったのに。とりあえず勉強してれば褒められるという目先の報酬を獲得することに囚われていた。進路選択志望校選びも、親戚の「お前は医者になるんだよね?それが一番いいことなんだ」という圧を内面化していた節があって、近くの国立大学でいいかとろくに考えもせず、周りに流される形で今の大学医学部にした。いや、正確に言えば、東大京大を目指して勉強するのが面倒だったしわざわざ失敗する=浪人する可能性のあることをするのが怖かった。自分に向いている業種が見つからないのが怖かった。自分になんの才能もないことを突きつけられるのが怖かった。自分責任で何かを決めるのが怖かった。このまま担任の勧めや親の勧めに従っておけば、""失敗""することはないだろうと思っていたから、これが最善の賢い選択なのだと思い込んでいた。馬鹿らしい。一日や一週間やそこら勉強しなくたってどうってことないのに、受験勉強というフィールドしか見えてなかったし見ようとしてなかった。少しでも興味のある業界があるのならそっちに向かう努力をするなり調べればよかったのに、当時の私には褒められたいという気持ちを抑えることができなかった、だから現状の自分にできることで褒められる、受験勉強しかしようとしなかったのだと思う。人間というのは、できないことをやって失敗しながらちょっとずつ適応していくことでできることの範囲が拡大していくものだ。そもそもできることしかしない人間に成長はありえない。当時の賢こぶっていた私を殴り倒して張り倒してでも伝えたい。勉強以外のことで自我確立するべきだった。一般的に良いとされていることに身を投じてコミットしても、結局のところ消去法の選択自分が納得しないままではいずれ無理が来るのだ。そして今まさしく、易きに流された自分のツケを払わされているのだけれど。

程なくして現役で某大都会国公立大学合格した。大学に入れば私もここでいわゆる""青春""を送ることができるだろうと信じて軽音楽系のサークルに入ってみたが、持ち前の拗らせて肥大したプライドを守るのに必死体育会系人間関係適応できずに辞めてしまった。未成年飲酒なんてどこもやっていることだからアルハラ正当化され、先輩が飲めといえばありがとうございます感謝して飲まなければならなかった。音楽は好きだったけれど、サークルでの苦痛と引き換えに得られる人間的魅力、音楽活動での満足感があまりにも見合わないと感じた。音楽に熱中できていればもう少し違っていたのかもしれないが。文化系のゆるゆるサークルに入ってみたが、そこは自発的にモノを作り出して自分を充足させられる人間の集まりであって、他人から承認ベースで行動してきた私のような人間が突然生産性を高められるようになるわけではなかった。上の人間に面倒をみてもらうには人権邪魔をし、一人で生きていくには人間強度が足りなかった。現実での人間関係を構築できない者が流れ着く場所といえば古来よりインターネット相場が決まっている。必然的に私もインターネットに漂着した。twitterからまり様々なSNSを通じて学生学生以外の人間と多く出会った。オタクオフ会にも参加したし、""あっち側""の人間との交流会に出向いては世の中にレールから外れた人が想像以上に多くいることを強く実感し自分の見識の狭さを恥じた。コミュニティ転々とする上で国公立医学部生というソーシャルグッド切符は様々なコミュニティに出入りするのに大変便利で、どこに行っても可愛がられた。自分自身が何かを生み出せるわけではないのに、人間の世話をすることができるわけではないのに、ポテンシャル世間一般評価基準に褒められていた。働かなければ能力はつかないし、働いていない学生は虚無である。そんなこともわからずに(あるいはわかっていたがあえて意識せずに)流浪しているうちに、実力以上の評価自分に与えてしまっていた。俺はまだ本気出してないだけ、というフレーズを繰り返し自分に刷り込んでいた。私は何も価値を生み出していないし、ただただ親の仕送りで生かしていただいているだけなのに、どうして私はなんでもできると思い込んでしまったのだろう。自分意思努力して掴み取ってきたものなど何もないのに。私は医学に興味があるわけではない。医者になるといえば褒めてもらえた。勉強さえしていれば褒めてもらえた。今は褒めてくれる人がいない。だから勉強も何もする気が起きない。ただそれだけ。来週には授業でプレゼンしなきゃいけないし二週間後には試験も控えているが、どうすれば鬱屈した自分人生を変えられるのかばかり考えている。承認を求めること以外に熱中できることがなかった自分人生を変えられるわけなんてないのにね。目の前のやるべきことをやるのは、問題の先送りにすぎない。なぜならやるべきという判断根拠に逃げと諦めが生じているから。医学に身を捧げることへのインセンティブモチベーションもないのに、どうしてやるべきだと思っているのだろう。何もわからない、わからないんだ。どうしてこんな進むことも戻ることもできないところまでズルズル引きずって生きてしまったのだろう。今更医学部を辞めたところで解決する問題とも思えない。このまま医学部に在籍し続けて解決するとも思えない。なまじっか真面目であろうとしているから、授業やレポートサボることさえできない。解剖実習を抜け出して映画を観に行っただとかバーで酒を飲んできたと豪語する友人が羨ましいくらいだ。目の前の快楽を優先して楽しめるような人間でありたかった。勉強に対して全精力を費やして学ぶことで己を充たせる人間でありたかった。私はそのどちらでもなかった。そうだよ、私は誰が作ったのかわからないような真面目さの枠にアイデンティティを依っているだけのどこからどうみても無個性普通のありきたりな何もできない奴なんだよ。受験に身も心も滅ぼされてしまったのだと乾いた笑いで感情を誤魔化し責任自分の外に擦り続けて一生何もできないまま死んでいくのだろうな。そうやってこれからもずっと本当の過ちから目を背けて表面的な言い訳をつらつら述べて同じ苦しみを繰り返していくんだ。永久に同じ場所をあっち行ってこっち行って往復してるお前の人生振り子みたいでチョーうけるんですけど。

死にたいと思ったことは何度でもあった。しかし死んだ方がマシほどの苦しみを抱えているわけではなかった。死ぬ覚悟があったらこんなしょうもない悩み抱えてねーわ。

私ってどうしたらいいんですか?あなたのワンクリックで救ってくれませんか?輪廻転生してやりなおすことってできませんか?目の前の勉強淡々とやった先に程よい未来が待っているんですか?医者になったら幸せになれるんですか?今すぐ私の気持ちを楽にしてくれませんか?私の何が悪かったんですか?私ってやっぱりつまらないんですか?私に友達ができないのは私のせいですか?こんな真面目系(笑)クズを産んで育てた母親が悪いんですか?いっそ私に病名をつけてくれませんか?此の期に及んで私は自分が悪かった愚かだった間抜けだったと認めたくないんですか?これまで私のことを評価してくれた大人の皆さんに申し訳がないと思わないんですか?何事かを成す為に今すぐ地道に努力するしかない草むしりをするしかないのなら私は何をやればいいんですか?あれ、私の好きなことって一体何だったのですか?私について誰か知りませんか?

誰か...。

2019-01-24

anond:20190124085718

大都会のタワマン引っ越し悠々自適になんの心配もなくゲームとかできる環境

これが羨ましいんだ

ふーん

田舎者みたいだな

anond:20190124085320

率直なところでは多留ホストと見下してる自分もいるが、大都会のタワマン引っ越し悠々自適になんの心配もなくゲームとかできる環境がなんか 悔しいしなんで働いているのだ?と自問自答っていうか あーーーー

2019-01-22

anond:20190122084730

同意

あくまエロ本を叩いてるのはいいっていうのも、人身に直接危害が加わっていないという程度の意味

そして後半には輪をかけて同意

妊婦大都会保育園に落ちる母親もそうなんだけど、社会的選抜を潜り抜けてきた、あるいは生物としても子孫を残してきた勝者の側面が議論ですっぽり落ちるんだわ

しかしそれを指摘するとキレ始める人も多いんだわ

何言ってんだ弱者だろ!って叫んでくる

2019-01-17

首都圏

毎夜毎朝四六時中日本人が電車に向けてカメラを何度も向けていると大都会に来た気がしないのでやめてほしい。

そういや結局東京帝国だっけかここは…

撮影邪魔したい

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